【徳川家 総合】 徳川家康公スレ その四
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0001人間七七四年
2008/05/20(火) 16:25:28ID:xxvcz5OY家康公を中心として、徳川家全体のスレとして再出発します。
十六神将までカバーしますので、類似過疎スレからの誘導をお願いします。
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人の一生は
重荷を負いて遠き道を行くが如し 急ぐべからず
不自由を常と思えば不足なし
人はただ 身の程を知れ 草の葉の
露も重きは 落つるものかな
0733人間七七四年
2009/01/02(金) 01:41:36ID:qdxVApwpどーいうこと?
0734人間七七四年
2009/01/02(金) 05:27:09ID:p6pZ4jRiいよいよ高く、今や世に海道一の弓取と、歌わる。姉川合戦での
大勝における徳川家康の抜群の武功を賞賛する。
高祖(劉邦)、張良、武門之棟梁など賞賛の言葉が並ぶ。
新井白石の『藩翰譜』に「海道第一と聞えさせ玉ひし弓取の、
御母にてましませば」と記述されている。
成島司直の『改正三河後風土記』に、「海道一の徳川殿」、
と記載されている。小牧・長久手戦役の項目で。
幕府編纂の東照宮御実紀(徳川実紀)巻三天正十二年の項で
「徳川を海道一の弓取とはいひしぞ」と記述されている、
豊臣秀吉との小牧・長久手戦役でのことである。秀吉の三河先入れ軍
が家康に大敗した報告を受けて、豊臣秀吉が「家康を名大将、
軍略妙謀まろの及ぶところにあらず」と言ったことになってる。
0735人間七七四年
2009/01/02(金) 23:53:56ID:w5vw9HMd0736人間七七四年
2009/01/03(土) 07:33:30ID:VrzmJZlw1579年に家康は息子の信康を信長の命により殺している。
1580年に林秀貞・安藤守就・丹羽氏勝の3人が信長により追放。
水野信元は織田信秀の頃からの織田の同盟者であり家来では無かった。
それを殺し、その所領を佐久間信盛に与えている。
この頃には信長にとって同盟者などは不要となっていた。
家康に叔父と息子を殺させたのも、家来にするための踏み絵。
本能寺の変のさい、参加した兵は家康を殺すものと勘違いしていた。
信康を殺し、家康を殺せば三ヶ国が易々手に入る。
本能寺の変が無ければ死んでいたのは家康だったかもしれない。
0737人間七七四年
2009/01/03(土) 10:30:11ID:YUtvHRQwマッシブな雰囲気で
0738人間七七四年
2009/01/04(日) 07:10:48ID:eeIAyj3z関ヶ原の流れですが、三成が先に三奉行と毛利輝元で起請文交わすとかいう
違反を犯していたとかいうのはマジですか?
0739人間七七四年
2009/01/04(日) 22:15:08ID:7mIzB6yh0740人間七七四年
2009/01/05(月) 18:21:47ID:RfrDDSz+0741人間七七四年
2009/01/05(月) 19:18:50ID:sEL8JmtG>信康を殺し、家康を殺せば三ヶ国が易々手に入る。
仮にこれをやったら、全ての軍門に下った連中が
次々に離反するんじゃないか? 家臣はいざ知らず。
それにしても、大河は期待はずれっぽいなw
0742人間七七四年
2009/01/06(火) 14:13:40ID:JambI+Br無理に信長と秀吉出さなくても、とは思ったがな
0743人間七七四年
2009/01/06(火) 21:31:06ID:UZrGhfSz0744人間七七四年
2009/01/07(水) 19:04:16ID:BCKup+eZ司馬家康→老獪タヌキ。基本こきおろしてるが実力は評価されてる感じ
隆慶一郎家康→万能家康。ただし息子(秀忠)が割を食う。
池宮彰一郎家康→パクリとされてしまったが、凡人的に描かれる。
やる夫家康→やる夫の性格が強く出ている。凄まじく有能だが腹黒い家康。
他にあったら適当に追加してくれ
0745人間七七四年
2009/01/07(水) 21:40:49ID:+n8W2oTU0746人間七七四年
2009/01/07(水) 23:08:37ID:ouII+qx30747人間七七四年
2009/01/07(水) 23:11:50ID:5C3xs2lH0748人間七七四年
2009/01/07(水) 23:15:23ID:MSjDsc0M明治政府を正当化する為に、徳川幕府を悪く言う…
どこの世界でも政権が交代した時に、古い政権を悪く言うのは当たり前だし
0749人間七七四年
2009/01/07(水) 23:40:26ID:BCKup+eZ山岡で家康評価が上がって、時間と共に少しずつ下がり、
司馬遼太郎で更に下がり、大河ドラマでまた少し上がり・・・かな?
0750人間七七四年
2009/01/08(木) 09:04:22ID:SGJ9VxQG日本人自身が持ってる気質に合ってると思う
0751人間七七四年
2009/01/08(木) 10:24:24ID:ONjyKjfo0752人間七七四年
2009/01/08(木) 12:17:03ID:mccTmwMNぶっ飛んだ逸話があるわけでもなし、常識人すぎてエンターテイメントの主役としてはいささか物足りない人物。
だがそこに痺れるぅ憧れるぅ
0753人間七七四年
2009/01/08(木) 20:18:34ID:6TE9oy+/学研の漫画とやる夫のしか読んだことなくて、これから歴史物の家康を読みたいと思ってたので嬉しい
参考にして読み比べさせてもらうよ
やる夫家康でも大分キレイな家康って言われてたけどそれより山岡家康はスゴイのかw
0754人間七七四年
2009/01/08(木) 23:24:50ID:KXR5vdRX派手なイメージ・エピソードって捏造臭く見えてきてしまっている・・・
家康だってあの三方ヶ原のエピソードは面白いけどどうみても作り話
0755人間七七四年
2009/01/08(木) 23:30:00ID:AT3KbAcPあれってちょっとオカルト入ってるな。
0756人間七七四年
2009/01/08(木) 23:40:09ID:wN1jAw2z0757人間七七四年
2009/01/09(金) 08:16:07ID:3PLdMfUP0758人間七七四年
2009/01/09(金) 09:11:04ID:3WrWGA7U0759人間七七四年
2009/01/09(金) 11:34:30ID:gZnmlCCMやる夫のやつは主人公というのと、やる夫本人のキャラクターが、
結構出てるからね。腹黒部分はあったが、かなり綺麗目に書かれていた。
山岡の家康を見た後なら、やる夫さえ真っ黒に見えるほど、
もう家康が仏様に見えてくると思う・・・w
まぁ、面白いんだけどね、なんだかんだで。
0760人間七七四年
2009/01/09(金) 12:38:32ID:4zS6ht4kあとは駿府か。それと、東京にも一体あるみたいだね。
江戸幕府を開いて東京の基礎を作ったのだから、江戸(東京)にももっと
銅像があってもいいと思うが。
うーん、銅像ばっかりあってもしょうがないか。
0761人間七七四年
2009/01/09(金) 15:08:14ID:3WrWGA7U0762人間七七四年
2009/01/09(金) 17:59:57ID:gZnmlCCM影武者かSAKONかで賛同するかどうかが決まる
0763人間七七四年
2009/01/10(土) 02:20:42ID:XignkjU4形違うよね
まさか複製とか
0764人間七七四年
2009/01/10(土) 02:36:56ID:4bsGAC9e岡崎
ttp://www.geocities.jp/onriedo_gongujodo/ieyasuzo-okazaki.html
浜松
ttp://www.sight-seeing-japan.com/3-chubu/shizuoka/hamamatsujo4.jpg
静岡(駿府)
ttp://kainalu96815.blog.so-net.ne.jp/2008-08-21
東京(江戸・皇居)
ttp://takuya19721104.travel-way.net/IMG_0084tsukiji1223.JPG
全部違うね
ただ、共通する所は浜松を除いて晩年の家康って感じがする
0766人間七七四年
2009/01/10(土) 11:51:02ID:5ZZ9wNFzたぶん影武者
SAKONは、影武者徳川家康を原作に島左近を主人公にした原の漫画。
影武者の家康は田舎オヤジで太ってて忍術の達人になってる
0767人間七七四年
2009/01/10(土) 13:36:10ID:Ly61Pytz0768人間七七四年
2009/01/10(土) 15:37:55ID:jH4zqTw+ついでに花の慶次ではアミバだった三成もなんかトキに進化してるしw
そんかわし秀忠がすげー小悪党化してて可哀想だった。
SAKONでは同じ悪党でもラスボスの大物っぽい感じに
なってたはずなのに最後の方で六郎に襲撃されて涙目だったし
作者は秀忠になんか恨みでもあんのか?w
0769人間七七四年
2009/01/10(土) 21:30:41ID:J79Xp996やっぱり家康は晩年に活躍したから、晩年の印象が強いんだね。
まあ、岡崎の岡崎公園には晩年の銅像以外にも、松平元康の馬に乗った像と
三方ヶ原の戦いのあとの肖像画をもとにした石像の合計三体あるね。
0770人間七七四年
2009/01/11(日) 21:45:19ID:83V2K6yKどちらも槍の名手っつーことで。
対比させるなら鬼半蔵と仏半蔵とあだなをつけるとかならんかったの?
0771人間七七四年
2009/01/12(月) 12:24:14ID:7QMsKtIb渡辺半蔵と服部半蔵をごっちゃにしてるやつがあってだな
0772人間七七四年
2009/01/12(月) 12:41:48ID:c5QzNWCa世代的にも、混同するなという方が無理だろ。
0773人間七七四年
2009/01/12(月) 14:34:20ID:kjlEOtqe服部半蔵は槍半蔵ともいわれ槍の名手だった〜なんて解説が流れてたときには
米吹いたw
0774人間七七四年
2009/01/12(月) 22:05:06ID:7QMsKtIb上杉謙信と上杉景信
0775人間七七四年
2009/01/12(月) 22:10:30ID:odjon4/f0776人間七七四年
2009/01/13(火) 17:50:13ID:WWgbKuOq君は歴史を流れで捉えられてないよ。そもそも家康が豊臣「家」の「家」臣だった
なんて事実誤認もいいとこ。
なんと明治維新まで大宝律令が公式の法律として生きていた日本と言う極めて特殊な
社会の中で武士=非合法な在地地主が実質的に国政を行うために考え出されたのが幕府政治。
これは征夷大将軍という非常任の臨時役職が「戦地での兵糧調達」「遠征先での募兵」という
徴税・徴兵権=当時の政治行為を行うことが可能なことを利用しての超変則政権。
正に法の網の目をかいくぐったような方法。
そしてこれならば全ての武家が将軍「家」の「家」臣であるとの強弁も一応成り立つ。
ところが秀吉はその方法をとらなかった(とれなかった)。ここに豊臣政権のアキレス腱、弱点が
あったわけだ。
関白も征夷大将軍と同じように非常設の役職である。
つまり昔の征夷大将軍と同じように家ではなく個人に与えられる役職。
藤原摂関家も「世襲」はしていない。親子して関白になることはあっても、
将軍のように親が亡くなれば自動的に息子が関白、という前例は無い。
あくまでも親と同じように出世を重ね、到達する位にすぎない。
秀吉が関白政治を将軍政治に変わるものと位置付けたければ、この世襲性をこの役職に
持たせる必要があったが、秀次殺害で自らその道を閉ざし「関白空位」の状態を作ってしまった。
この時点で世襲性アウト。秀頼が成人して関白に補任される必要性も正当性も失ってしまった。
さらに重要なのはこの関白という役職は律令体制の上に位置するものであり、
そういう意味では内大臣家康も大納言利家も上司部下の関係でしかなく、
家臣などという概念とは程遠いものだ。
事実関係はともかく、家康には「秀吉に対し天皇を頂点とした政治に部下として
協力は約したが豊臣「家」の私的家臣になった覚えはない」という言い訳をする余地があった。
事実関が原〜大阪の陣に至る経緯の中で、家康に対し「太閤との約束違反」を咎める批判はあったが
明智光秀に向けられたような「不忠者」といった批難の世論の形成はついぞない。
結局は秀吉が世襲可能な政治体制を構築できなかったのが全ての原因。
0777人間七七四年
2009/01/13(火) 17:57:54ID:DSvBYujB0778人間七七四年
2009/01/13(火) 18:55:42ID:3l4J/boo0780人間七七四年
2009/01/15(木) 00:20:03ID:cUeXNYwa>>775
同一人物じゃないの?
0782人間七七四年
2009/01/22(木) 13:03:29ID:2E5J0D7+0783人間七七四年
2009/01/22(木) 13:51:55ID:ibk3r36e0784人間七七四年
2009/01/22(木) 16:02:15ID:41gWkWZl「長尾景虎」→上洛、将軍義輝に拝謁、輝の字を賜う→「長尾輝虎」
→上杉家の名跡と関東管領就任の勅許→「上杉輝虎」→剃髪入道し不職庵謙信と号す
→通称「上杉謙信」って順番だから。
0785人間七七四年
2009/01/22(木) 22:02:14ID:e7hEId3l0786人間七七四年
2009/01/23(金) 05:01:44ID:eeP5uVt3まっこと誇りに思うわけですが なんともはや嘆かわしいことで・・・
YouTube −「日光]Nikko栃木県で、世界遺産と水源汚染と開発暴力が見える〜〜
http://jp.youtube.com/watch?v=cyqoC6TgIZU
↑ 欠陥スウェーデンハウスも見えて嘆かわしいことで
0787人間七七四年
2009/01/23(金) 06:18:34ID:Su9yXDFP長尾虎千代(幼名)、長尾景虎、長尾宗心(一時入道する)、長尾景虎(還俗)、
上杉政虎、上杉輝虎、上杉謙信(出家)の順番で改名。
自身が謙信と改名した時に、北条からの養子を上杉景虎と名乗らせた。
0788人間七七四年
2009/01/23(金) 11:29:06ID:rwkbR8mN0789人間七七四年
2009/01/23(金) 22:47:43ID:72ZqeIlv北条氏直と家康の娘が婚姻していた
0790奇矯屋onぷらっと ◆SRGKIKYOUM
2009/01/23(金) 23:10:50ID:LwTSO6Pg0791人間七七四年
2009/01/25(日) 15:51:14ID:qQ2bJ7Gc上杉は、関東管領として、関東の秩序を旧に戻そうとして、
愚にもつかん?関東出兵を繰り返してるし、
北条は、その関東の完全制覇を狙って行動してるから、
どう考えても、両家の利害関係が一致しないと思うが…。
0792人間七七四年
2009/01/25(日) 21:14:06ID:GOC0mwFo甲州武田閥を共通の敵とする利害に一致を見たんだよな。
元は今川-北条-武田の三国同盟というのがあったけど、
今川が氏真の代になってから武田が今川領への野心を剥き出しにして侵略し始めた。
つまり、武田が盟約を破ったことで三国同盟が無実化し、
北条にとっては今川領を武田に獲られるのが面白くないから、武田と対立。
上杉とは全面戦争するより、武田に好き勝手させないよう一緒に横槍入れようぜ!
と同盟を結ぶという急展開だったとか。
0793奇矯屋onぷらっと ◆SRGKIKYOUM
2009/01/25(日) 21:48:09ID:q7hUdKUb徳川は全く動かないから、対応を考えるのにとっても悩む。
このあたりが正解に近かったのだと思う。
0794人間七七四年
2009/01/27(火) 23:48:58ID:WBVbZWTz0795人間七七四年
2009/01/28(水) 10:10:01ID:hw3vsTd1なんかそういう同好会あるよね
0796人間七七四年
2009/01/28(水) 12:59:25ID:+eHk2E6Nその辺は後家と同じだ。
だからこそ御三家は、晩年の本当に好みな側室の子なんじゃないの?
真ん中あたりの子供は、政略結婚が多そうだし。
0797奇矯屋onぷらっと ◆SRGKIKYOUM
2009/01/28(水) 22:10:51ID:NVgyZPLz0798徳川様親衛隊隊長
2009/01/28(水) 23:42:11ID:wbXczDyMここは良スレだな・・・・
神様である徳川様について語れるとは・・・・・・・・・・
江戸時代を馬鹿にし、明治以降をほめるヴァカクズがおおいこの平成にまだ同士がいたとは・・・・
我は感動しましたぞ!
0799奇矯屋onぷらっと ◆SRGKIKYOUM
2009/01/28(水) 23:50:21ID:NVgyZPLz0800人間七七四年
2009/01/29(木) 09:01:16ID:JYWVzgPg俺たち遠州人も支えてたんだぜ
忘れんなよ、家康!
0802人間七七四年
2009/01/29(木) 16:18:04ID:LNx2Qqzu0803人間七七四年
2009/01/29(木) 16:45:01ID:xd3vh/0Bしかも家康が戦場に連れ出すなんて無茶なことをするから・・・。
小牧長久手や大坂での休戦調停にも携わるくらいの才女だから、
手元においてブレーンとして活用したいのはわかるけど。
0804徳川様親衛隊隊長
2009/01/29(木) 23:34:58ID:8rm/NpPQ俺は小学生なんで左翼とか右翼とかではありませんよ
純粋に徳川家が好きなだけです
もちつきましょうよwww
0805奇矯屋onぷらっと ◆SRGKIKYOUM
2009/01/29(木) 23:46:50ID:Quri62SV0806人間七七四年
2009/01/30(金) 13:54:33ID:NMLulVsz0807人間七七四年
2009/01/30(金) 16:40:52ID:EML0uLfAその本の著者の勘違いか、誤植かと思ったもんだぜw
0808人間七七四年
2009/01/30(金) 23:32:31ID:bYIiQ3Ihどっちのが若いの?
0809人間七七四年
2009/01/31(土) 01:54:12ID:FV44yymi0810いわん
2009/01/31(土) 04:52:57ID:toUe5tdY0811いわん
2009/01/31(土) 04:57:24ID:toUe5tdY0812いわん
2009/01/31(土) 05:51:26ID:toUe5tdY0813いわん
2009/01/31(土) 05:53:51ID:toUe5tdY0814いわん
2009/01/31(土) 05:55:54ID:toUe5tdY0816人間七七四年
2009/02/03(火) 23:22:33ID:HWGD4zzq家康はそのおこぼれをいただいただけって認識。
それも充分すごいんだけどね。
0817人間七七四年
2009/02/04(水) 19:11:28ID:rxDZ8f6p>>804
小学生で家康公の偉大さを理解するとは素晴らしいな。
昔の私のようだw まあ信長から鞍替えして十数年だがw
0818人間七七四年
2009/02/04(水) 19:45:02ID:ov4IDqz6日本て無能でも簡単に出世できる国だと感じるか?
というか自分の国を軽く見すぎだし、
まして動乱の時代になにもせずに、いい役職にありつけるなんてありえない。
まして天下人だぞと思う。
0819人間七七四年
2009/02/04(水) 20:02:01ID:oJOvtkjaものすごい周到な根回しをしてるのが分かる
棚ぼたと思ってるなら・・・ゲームしかやってんないんじゃないのかとww
もしもの話はしたくないが
もしも秀吉が長く健在だったら違ってたとは思うけどね
秀吉存命中に秀頼が成人しちゃったら豊臣側は結束してたと思うから
0820人間七七四年
2009/02/04(水) 20:08:28ID:nG19KT9i0821人間七七四年
2009/02/04(水) 22:57:32ID:6iegfXEo戦国時代は間抜けばかりが何千万人もいる時代なのか?
0822人間七七四年
2009/02/05(木) 09:29:35ID:iwg8Lrke0823人間七七四年
2009/02/05(木) 18:39:10ID:pWUeVcE90824人間七七四年
2009/02/05(木) 18:57:11ID:6DE5uLNX贔屓の人が多そうなスレにわざわざ来て「でも俺は評価低く見てるけどね」なんて普通言わないでしょ
0825人間七七四年
2009/02/05(木) 20:09:37ID:T6Ovs02x家康は優秀な人物だけど、
織田よりも秀吉よりも優れていたと思うか?
0827人間七七四年
2009/02/05(木) 20:52:26ID:T6Ovs02xそりゃ400年も続いた時代の基礎を作った人だからね。
家康は、
織田信長や豊臣秀吉がいなければ天下をとれなかった人だし、
織田信長や豊臣秀吉がいたら天下を取れなかった人だとも思う。
0829人間七七四年
2009/02/05(木) 21:00:06ID:dYX7pPZeお前の言っていることは『ニュートンがいなければアインシュタインは
ありえないからニュートンのほうが偉大である』レベルのトンデモだよ
馬鹿馬鹿しい。
時代と情勢に応じた役割と機というものがあって、それに乗じるものを
英雄と言う。その時成し得る最大成果を達成した以上、だれそれよりも
優れているのどうのと言う仮定は意味も価値も無い。
0830人間七七四年
2009/02/05(木) 22:39:50ID:dtU/YQH00831人間七七四年
2009/02/05(木) 23:23:56ID:pZuZBvEr豊臣秀吉がいなければ家康はもっと早く天下を取っているし
織田信長や豊臣秀吉がいても二人とも失敗して破滅したから天下を取った
君のは単なる言いがかりに過ぎないな
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