【徳川家 総合】 徳川家康公スレ その四
レス数が1000を超えています。これ以上書き込みはできません。
0001人間七七四年
2008/05/20(火) 16:25:28ID:xxvcz5OY家康公を中心として、徳川家全体のスレとして再出発します。
十六神将までカバーしますので、類似過疎スレからの誘導をお願いします。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
人の一生は
重荷を負いて遠き道を行くが如し 急ぐべからず
不自由を常と思えば不足なし
人はただ 身の程を知れ 草の葉の
露も重きは 落つるものかな
0002前スレ テンプレ
2008/05/20(火) 16:26:24ID:xxvcz5OY幼少期の人質時代の屈辱。信長との同盟を守りきった律儀さ。
武田信玄との対戦。小牧・長久手での熟練した軍略。
豊臣政権下での着実な勢力伸張。そして文句なしの関が原での勝利。
天領400万石の圧倒的な徳川幕府。天下泰平250年。江戸は世界最大
の都市の一つとなった。
東京が首都となったのも、家康が始原。
次期一万円札の肖像は是非、神君家康公にしてもらいたい。
死ぬまで階段をかけ上がった人生の達人。
http://hobby11.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1187931581/l50
0003人間七七四年
2008/05/20(火) 16:28:57ID:xCYV+Cd/0005人間七七四年
2008/05/20(火) 16:57:06ID:7zutOrLUあえて厳しく望むことがしばしばある。
0006人間七七四年
2008/05/21(水) 15:32:48ID:U8rwmyV6>鎮圧した結果、矢作川流域の諸権利や寺領を自らの物にし、
>更に帰順した門徒武士を自身の家臣する事で直属の戦力を拡大
これって算盤的には当たり前か。
信ヤボやってると、寺社勢力に切れた信長の気持ちがよく分かる。
現代でも創価学会員は社内で嫌われてるが
言いなりなので上層部には可愛がられてる。
>やるときは自分から仕掛ける人物だというのは
勝利可能性90%以上に出来た時だけ、ガンガン攻めるだけじゃね?
>三方が原とか小牧とか、
>すごいやつ相手にしかけるといっぱいくわされている。
小牧なんて上出来でしょ。 一矢報いたあと負けたら恭順すれば良かったし。
>当時最高の博識僧・太源雪斎や、京を逃れ今川に身を寄せていた公家衆から
>至れり尽くせりの英才教育を受けた
現代にはこういう高僧は居るのだろうか?
0007人間七七四年
2008/05/21(水) 15:34:28ID:U8rwmyV6http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20080521-00000000-dol-bus_all
かつて奥田碩取締役相談役は、「トヨタの敵はトヨタ」と語った。
世界一の販売台数獲得が目前に迫るなか、
そのOBは「若い社員はかつての苦労を知らない。
何も考えずに慣例的、事務的に仕事を処理したり、
部品メーカーなどの取引先に傲慢な態度を取るものも少なくない」と指摘する。
“世界一”になること自体が大きなリスクと感じるトヨタ首脳陣やOBは多いのだ。
さすが三河のトヨタは違うね!
0008人間七七四年
2008/05/21(水) 16:52:38ID:Gf9+chx8えなりが家康なら、
思い切って秀吉は出川あたりでやろう。
ヤバイヨヤバイヨ家康はヤバイヨ!!
0009人間七七四年
2008/05/22(木) 03:37:24ID:MWmspwM1やめてくれ
テレビとかで信長だの家康だの大々的に取り上げられるとうんざりだ
信長や家康なんてテレビが普及するまで九州や東北北海道では
庶民にはその都度知られていない人物だろ
飛鳥平安鎌倉時代に聖徳太子を知ってる奴が日本にどれほどいたんだ?
聖徳太子が鎌倉時代にテレビで大河ドラマみたいに
取り上げられたのか?せいぜい人形劇や舞台で
一地域で取り上げられたに過ぎないだろ?
戦国時代は日本最大の内乱だと俺は個人的に思うんだ
古代日本では朝鮮と戦争してたんだろ?
皇室は日本と朝鮮の関係いっぱいプロパガンダしてるはずなんだ
本や舞台劇で信長や家康を有名人に
しようってなら構わない
テレビで有名人化される信長や家康
のおかげで際悩まされる
0010人間七七四年
2008/05/22(木) 07:02:47ID:S5v3fz/x0011人間七七四年
2008/05/22(木) 13:52:15ID:GCZBlBwL別にいいんじゃねえの?
TVのおかげで、歪められた歴史の真実が少しづつ世間に広まったと考えれば。
聖徳太子はいなかった。
天智天皇=守旧派の大悪人。
義経のモデルは2人いた。
鎌倉幕府成立は1192年ではない。
秀吉と小六の矢作川はウソ。
醍醐の花見で北の政所と茶々の喧嘩は茶々と松の方の喧嘩。
これらもみんなTV以降一般に知られるようになったんだし。
「うんざり」という人の為にTVにはチャンネルというものが付いているんだぜ。
0012人間七七四年
2008/05/22(木) 14:30:27ID:S5v3fz/xてか、テレビで目新しい説が取り上げられたことがどれだけあるんだよ
そしてなぜ半島が出てくるのかと小一時間(ry
0013人間七七四年
2008/05/22(木) 15:31:19ID:7BjRzMaa架空の人物だったっけ?
きっと島津マンセーなヤツがねたんでんだよw
0014たられば君
2008/05/22(木) 18:35:22ID:iIei3N1E聖徳太子がいなかったというのはちょっと捏造臭いけれど。
0015人間七七四年
2008/05/23(金) 01:04:05ID:ph7HiyZEうまやど(なぜか変換できない)の皇子は居た事が分かっているんだし
0016人間七七四年
2008/05/23(金) 12:55:45ID:eLLxuOXJ0017人間七七四年
2008/05/23(金) 13:18:02ID:GL4qmco20018人間七七四年
2008/05/23(金) 13:36:37ID:ri0IgsYZ0020人間七七四年
2008/05/24(土) 06:32:35ID:RdvEgaI0直江みたいなマイナー陪臣大名wだと、知らない事だらけで面白いかも。
さすがに九州・東北だと知らな過ぎるから
総集編からやって欲しいとか思っちゃうw
0021人間七七四年
2008/05/24(土) 07:33:39ID:Mbj09u0M0022人間七七四年
2008/05/24(土) 08:33:51ID:YcLaHStJ北条早雲、織田信長、豊臣秀吉、徳川家康、
武田信玄、上杉謙信、伊達政宗、
このへんくらいのもんですよ。たぶん。
毛利?元親?島津??
誰それ。
0023人間七七四年
2008/05/24(土) 09:35:45ID:YsHhWjGs戦国ヲタの自分を基準にしたらダメ
0024人間七七四年
2008/05/24(土) 10:11:34ID:a0ZvSQmi0025人間七七四年
2008/05/24(土) 11:02:25ID:vlUBZf1k0026人間七七四年
2008/05/24(土) 11:06:36ID:vlUBZf1k0027人間七七四年
2008/05/24(土) 13:53:22ID:DsSeH8vT0028人間七七四年
2008/05/24(土) 13:58:29ID:rTFduy1r0029人間七七四年
2008/05/24(土) 14:26:51ID:YsHhWjGsづ ○
0031人間七七四年
2008/05/26(月) 13:19:44ID:Gdw6watC0032人間七七四年
2008/05/26(月) 13:24:17ID:/wA2S0Q2民を第一に、というのは持ち上げすぎ。
0033人間七七四年
2008/05/26(月) 15:16:56ID:GCRX2ZJf0034人間七七四年
2008/05/26(月) 16:27:55ID:AVkOeuMR0035人間七七四年
2008/05/26(月) 18:31:16ID:aPnxk0UI0036人間七七四年
2008/05/26(月) 20:08:18ID:dQ+fW0Cg録画できてるはずだから後で見なくちゃ
0037人間七七四年
2008/05/27(火) 00:37:51ID:fmh4EdOtどういうわけか頭が欠けてた_| ̄|○
0038人間七七四年
2008/05/27(火) 14:02:03ID:FUuL6ysIそりゃ家康だろ、と思ったら答えが秀忠で面食らった
そりゃ表向きの将軍だけ見ればそうかもしれないけど、
武家諸法度は家康主導で決まったイメージが何となくあるなあ
0039人間七七四年
2008/05/27(火) 14:06:55ID:BMQx2y/F当時の秀忠はすでに在位10年くらいだ。
0040人間七七四年
2008/05/27(火) 14:56:13ID:J/SkeeQS武家諸法度を実際に制定したのは秀忠。
だから問題なし。
0041人間七七四年
2008/05/27(火) 15:30:11ID:AfT69Affそれにしてもお主らなぜ下げる?
一応徳川一門の主スレなのに、、、
0042人間七七四年
2008/05/27(火) 16:43:11ID:J/SkeeQS江戸城を作った人は誰かと問われて、大工とか答えるやつ。
0043人間七七四年
2008/05/27(火) 17:25:03ID:ilgigDuj家康の許可無くして法律を定めるなんて無理だろうが、
当時の将軍は秀忠なんだから諸大名への発布・制定は「秀忠」で正しい。
関白豊臣秀次だって、人掃令を出してるでしょ。
0044人間七七四年
2008/05/27(火) 19:41:02ID:V1DlZdL9やっぱ征夷大将軍は朝廷のお役目じゃなくて武士の長として認識されてたのか
0045人間七七四年
2008/05/27(火) 19:42:43ID:877n48Vf二次予選<<戦国時代>>板は6/4日出陣
http://2ch.gepper.net/tour/t2/a9.html
詳しくは選対スレへ
http://hobby11.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1211037643/
0046人間七七四年
2008/05/28(水) 15:09:45ID:hZoEWOEpそれはバカかギャグだろうけど、
深読みして墓穴掘ることもあるさw
0047人間七七四年
2008/05/30(金) 15:30:09ID:rNQQuCTGそんな大人物なの? 理由が分からん。
0048人間七七四年
2008/05/30(金) 15:43:20ID:H0uW87VY0049人間七七四年
2008/05/30(金) 16:19:26ID:tqLqtvsJ普通に偉人だろ。
0050人間七七四年
2008/05/30(金) 19:56:53ID:7qKsE5tO字も書けない野蛮人がウヨウヨしている。
その板東に、朝廷をもひしぐ独立権力を打ち立てる。
その発想自体がすでに別格の証拠なんですよ。
信長も秀吉も、頼朝に比べれば天下人としては小さいというもんです。
0051人間七七四年
2008/05/31(土) 02:32:12ID:/9ggm6Sr友は今日の敵、が日常茶飯事だった国内治安情勢の整備、奥羽に割拠
していた藤原氏の征服、日本中の武家を直接的に支配下においた政権
構想など、頼朝ってのは大政治家としか言いようがない。
0052人間七七四年@全板トナメ開催中
2008/05/31(土) 22:40:51ID:vdIRkeeY0053人間七七四年@全板トナメ開催中
2008/05/31(土) 22:59:42ID:D0hClofR平家の都での繁栄を目の当たりにして育った義経が、
都で平家の模倣をしたがるのは当然至極であって、
上方から蔑まれている東国の、貴族や平家から見下されている中小武士達の間で育ち、
上方に対して憧れの一片も持たず、独立構想を打ち上げた頼朝の真意を理解できないのも当然。
0054人間七七四年@全板トナメ開催中
2008/06/01(日) 00:23:10ID:t4EGuC0Eあんまり知られて無くないか?
私の目には単なる恐妻家としか、、、w
0055人間七七四年@全板トナメ開催中
2008/06/01(日) 00:44:25ID:y7Vv05Uq戦はひたすら強く、個人的魅力に溢れ、際限の無い欲望を抱く。
組織で動く新時代に、古代的な英雄は無用の長物になった、てことか。
0056人間七七四年@全板トナメ開催中
2008/06/01(日) 00:50:16ID:vgYpgNKq0057人間七七四年@全板トナメ開催中
2008/06/03(火) 15:50:46ID:BRP8fTei0058人間七七四年@全板トナメ開催中
2008/06/06(金) 16:02:38ID:GjJkhyeP0059人間七七四年@全板トナメ開催中
2008/06/07(土) 11:38:18ID:N68BIkh50060人間七七四年@全板トナメ開催中
2008/06/08(日) 17:55:11ID:cBcigMKP嫡男で優秀な信康が、荒れる必要はないし
家臣団が分裂状態なんてありえないと思うんだが、、、
一番怪しいのはとっとと帰った五徳だなw
0061人間七七四年@全板トナメ開催中
2008/06/08(日) 18:28:52ID:4PMtY5mQ家康の築山殿への冷遇や秀康への対応などでさ…
0062人間七七四年@全板トナメ開催中
2008/06/08(日) 19:30:15ID:/COnWO6Y0063人間七七四年
2008/06/09(月) 15:37:35ID:vJWiOG32普通に優秀な武将ではないのかな?
0064人間七七四年
2008/06/10(火) 06:20:15ID:wevf6UwQ0066人間七七四年
2008/06/10(火) 18:52:11ID:cYEvumMZ時代が違う
環境が違う
そして性格も変わっていたと思われる
0067人間七七四年
2008/06/10(火) 20:09:41ID:VRZQ14Bi0068人間七七四年
2008/06/10(火) 23:29:13ID:Mb6TxqZl気に入らなかったら代わりを作ればいいだけだし
0069人間七七四年
2008/06/10(火) 23:52:10ID:wevf6UwQ0070人間七七四年
2008/06/10(火) 23:52:38ID:0Yu7fQYo逆に言えば、我が子が3才ぐらいまでなら、どの子も可愛い。
0071人間七七四年
2008/06/11(水) 01:04:24ID:cIekaYf3徳川家お家騒動だと思うよ
0072人間七七四年
2008/06/11(水) 09:04:00ID:Msn/Ixyv好みの女を抱かず、後家ばかりに産ませるほどしてまで作った子だぞ。
0073人間七七四年
2008/06/11(水) 09:34:16ID:jAZgHQu40074人間七七四年
2008/06/12(木) 15:50:46ID:6kKJKIUO0075奇矯屋onぷらっと ◆SRGKIKYOUM
2008/06/14(土) 13:32:05ID:z6OPpCxm父親に対抗者と見なされてしまった松平信康。
歳は信康が1つ上なだけ。
0076人間七七四年
2008/06/16(月) 01:13:44ID:ruMRbXKJ家康公の兄弟にもケンカで惨殺されたり、
放浪してたりして色んな人生があったんだなと思えて楽しい。
20前で斬られた広忠公に、異母弟が居るのか。
0077人間七七四年
2008/06/16(月) 02:37:28ID:cZWw99LQ0078人間七七四年
2008/06/16(月) 14:44:48ID:LcONWxOD0079人間七七四年
2008/06/16(月) 18:28:25ID:cZWw99LQ家康にはなんかなエピソードあったっけ
秀吉みたいに人質に出しちゃった話も無かったキモスるし
0080人間七七四年
2008/06/16(月) 18:51:44ID:1PZMtP3D0082人間七七四年
2008/06/16(月) 19:28:08ID:GkcI8uR0したとか、三河一向一揆を鎮圧するのに力技を排除
させたとかいろいろあるみたいだけど、どこまで本当
やら…。
0084人間七七四年
2008/06/16(月) 21:35:42ID:Y240SfXr0085人間七七四年
2008/06/16(月) 21:55:39ID:uzmdsqkE6歳の時に人質として今川へ…の予定が織田へ
8歳の時に人質交換成立…の前に死亡
0087人間七七四年
2008/06/16(月) 23:28:16ID:cZWw99LQ織田との同盟については仲介?の水野信元が血縁だったと言うのはあっても
そこに母親が実際一枚噛んでるわけでもないしね
あまりにも小さい頃に離れすぎたから面影すら残ってなかったのかな
。・゚・(ノД`)・゚・。
0089人間七七四年
2008/06/17(火) 12:31:28ID:a6P8kpyrお台の方は、織田方だったような、、、
0090人間七七四年
2008/06/17(火) 15:04:47ID:YZwgFlbZ譜代見習いの感覚が近かったみたい。とはいえ、岡崎の
城なし子としていぢめられてはいたみたいだけど。
0091人間七七四年
2008/06/17(火) 18:18:21ID:cu3t35Rr今川家臣の中でも、理解してたり、理解してなかったり、
理解してても侮蔑してたりと、いろいろあっても当然でしょう
自分を侮辱したことを根に持ってた家康もアレだけど・・・
0092人間七七四年
2008/06/19(木) 09:25:33ID:c9iYvvbTほんとのとこはどうなのかな
0093人間七七四年
2008/06/19(木) 09:30:17ID:FCIarmMc0094人間七七四年
2008/06/19(木) 09:35:15ID:c9iYvvbT0095人間七七四年
2008/06/19(木) 15:47:03ID:soSP0lWL0096人間七七四年
2008/06/19(木) 18:05:31ID:kdw6scUK0097人間七七四年
2008/06/19(木) 18:32:17ID:QMXihRyPそういうとこがあるから恐れられて大丈夫なのだろう
0098人間七七四年
2008/06/19(木) 19:08:39ID:2EkhUY/A石高の話での酒井への言葉も、信康事件を根に持ってたことが原因だしww
0099人間七七四年
2008/06/19(木) 20:22:50ID:gzMvFIgO0100人間七七四年
2008/06/20(金) 16:40:57ID:lzy30tNu>石高の話での酒井への言葉も
詳しく!
0102たられば君
2008/06/20(金) 17:03:47ID:noeULYmQ奉行衆出身の大久保忠隣や当時新参だった井伊直政が破格の待遇をうけるなか
武辺の本多忠勝四万、榊原康政三万は順当としても
筆頭老臣の嫡子であり家康の従弟でもある酒井家次には二万石が与えられただけだった。
あまりの冷遇ぶりに隠居の忠次が家康を訪ねて加増を訴えると
「お前でも我が子は可愛いか」
と吐き捨てられた。
忠次は失意のなか亡くなったという・・・
こんなお話。
0103人間七七四年
2008/06/20(金) 17:52:07ID:lb04fb0N(藩政改革の成功で実質20万越え時期もあり)を越えるんだけどね。
0104人間七七四年
2008/06/20(金) 18:24:33ID:vXewMRod0105人間七七四年
2008/06/20(金) 18:26:27ID:vXewMRod息子が武将としてあまりにもだらしないことについて
ただ時代が変わってきてたからなあ
0106人間七七四年
2008/06/20(金) 21:32:20ID:XxDsTH2P本多、榊原は10万石。酒井は3万石
但し、井伊・本多・榊原は秀吉の口添えがあったとか
後、大久保は十分譜代なんだが
家老職の酒井を中堅に落としてるのは間違いないが
0107人間七七四年
2008/06/21(土) 10:12:13ID:l2ls3D5Sただ、三河閥の大物である酒井家はどっかで勢力削いでおく
必要性があったのは確か。忠次自身、家康を血族としてやや
軽く見る傾向があったらしいし。
0108人間七七四年
2008/06/21(土) 11:39:29ID:9TKK7h8n本多忠勝の増量の話は見たことあるな
家康・信長・秀吉の3人全員に賞賛されたのは本多忠勝だけっていう話のときに
0109人間七七四年
2008/06/21(土) 19:03:16ID:0WXWiat0何とも成らんのではないのか?
2万石とかで所領3ヶ所とかざらのような、、、
0110人間七七四年
2008/06/21(土) 19:08:30ID:0WXWiat0少し割に合わないけど、人を大事にしてたんじゃないの?
大賀弥四郎や石川数正みたいな例外なんだろうか?
0111人間七七四年
2008/06/21(土) 23:25:41ID:qaHFK3TJこんなところで燻らせておくなんてあいつらが見る目が無いんだ、世の中が間違ってる
↑
こう考える奴もいるんだよ。
こういう奴は相応の評価をして、手厚く遇してやっても不満を抱き続ける。
0112奇矯屋onぷらっと ◆SRGKIKYOUM
2008/06/21(土) 23:27:47ID:lPkMbn5w0113人間七七四年
2008/06/24(火) 15:47:08ID:oziK5n6x>こう考える奴もいるんだよ。
なるほど!
0114人間七七四年
2008/06/27(金) 11:18:41ID:ik12Xl7mξに。。、こξ<結局あたしは酒#(木イ主野)リ奈40歳あきる野・羽村・一の谷小&西中卒左官嫁255アナル
http://mamono.2ch.net/test/read.cgi/nanmin/1214362463/
0115人間七七四年
2008/06/27(金) 15:17:07ID:TQnwi7rZ西軍浪人とか以外は、多少なりとも扶持があって
それなりに暮らせた世の中なのかな?
10石の足軽でも米だけは食える状態だったみたいだから。
0116人間七七四年
2008/06/27(金) 17:33:13ID:51HlilsS多いのも現代に共通する部分である。
0117人間七七四年
2008/06/27(金) 20:30:39ID:M0DoD7LX基本的に都市に暮らすことを義務付けられているから物価は高いし、
収入の三分の一くらいは身分維持費として削れない出費だし、
これでさらに物価の高い江戸での単身赴任とかなったら破綻するぜ。
0118人間七七四年
2008/06/27(金) 21:17:15ID:cq9fVR7I0119人間七七四年
2008/06/28(土) 17:23:45ID:ecOSjw5Yこれの意味が分からんが、
雑兵だと半農なんじゃないの? 自給自足マンセーでしょ。
>>116
両替商に借金?
0120人間七七四年
2008/06/28(土) 17:48:20ID:L1qR8WyI>身分維持費
詳しくは武士の家計簿という本を見てくれ。
ざっとあげると、儀礼費・家来の雇用・交際費・寺社への寄進など。
>借金
同じく武士の家計簿によれば、武士の借金の四割ほどが親戚・同僚の間で行われていたそうな。
0122人間七七四年
2008/06/29(日) 00:23:30ID:8Wm8kLQH>>119
江戸期の雑兵は「同心」といわれる奴ら。
銭形平次などに出てくるような紋付袴のが、実は足軽なんだよ。
戦国期の場合、大体において雑兵の臨時雇いは禁止されている、つまり専業。
ただし主人が半農だった場合にはふだんは農作業を手伝うので半農になるけどね。
0123人間七七四年
2008/07/04(金) 12:37:36ID:S2jPfpBP【万博】日本では知名度低い?開催地サラゴサ…実は“東経135度(日本の中心)でアジアを2分割し植民地支配”する500年前の協定締結地
1 :早よ説教部屋に来栖川芹香 m9( ゚д゚) → ネットナンパ師φ ★:2008/07/04(金) 12:15:36 ID:???0
<参考:サラゴサ協定(Treaty of ZaragozaもしくはTreaty of Saragossa)
この植民地支配を防いだのは、織田信長の国家統一・豊臣秀吉のキリスト教禁止・徳川家康
の鎖国および日中混血ハーフの鄭成功による台湾統治(スペイン・ポルトガルの両国に代わり
極東進出したオランダ拠点を撃破)と言えます>
http://www.geocities.co.jp/Bookend-Yasunari/7517/nenpyo/1401-1500/1494_torudeshiryasu.html
新航路発見を機に、スペインとポルトガルは争って通商・植民活動に乗り出し、両国が発見し
た土地、島の帰属を巡って紛争が続出した。両国ともローマ教皇下にあったので、1494年、
教皇が教書を出して、両者の進出領域を決定した(トルデシリャス条約)。
アフリカの西岸ベルデ岬諸島の西方の西経45度の子午線を基準に、西方をスペイン、東方
をポルトガルの進出範囲となった。しかし、地球の裏側にも線が必要となるのは明白で、1529
年には、サラゴサ協定によってアジアでの分界線を東経135度に定めた。この線は日本を真っ
二つに分断する。
そして1543年にはポルトガル人が種子島に、1549年にはスペイン人、フランシスコ・ザビエル
が鹿児島に上陸する。まさに日本は二つの侵略国の先端が衝突する地点にあった。
0124人間七七四年
2008/07/07(月) 21:06:11ID:ISqthxJD0125人間七七四年
2008/07/07(月) 21:21:40ID:80RQrlTg0126人間七七四年
2008/07/07(月) 22:24:13ID:ALN9u8qm0127人間七七四年
2008/07/13(日) 18:51:41ID:yCm7YDKe0128人間七七四年
2008/07/14(月) 20:06:31ID:LM3PyLwk0129人間七七四年
2008/07/15(火) 00:04:04ID:o5qd/hpCなんで家康派vs秀吉派みたいな図式になるんだろ
どっちも好きな俺としては悲しいのう
0130人間七七四年
2008/07/15(火) 00:17:46ID:klOvfwbRvs構図になるのは個人的にも心外だけど
0131人間七七四年
2008/07/15(火) 00:20:51ID:xMz0xEi4天下を取った二人だから比較対象にはなるよ
0132人間七七四年
2008/07/15(火) 02:44:43ID:Ld7rCqvJいや、当然のことだろうが、結果的に豊臣潰したからだろ。
秀吉から家康への権力の移行を自然な流れと思うならともかく、三成、幸村みたいな立場としてはやはりもろにぶつかる。
すでに図式ができているから、その図式に乗る奴がいる、としか言えん。
卑怯な狸、みたいな考えは個人的に下らんと思うがな。
0133人間七七四年
2008/07/15(火) 12:35:48ID:Cwz7Ybva0134人間七七四年
2008/07/15(火) 15:39:03ID:4UyAIOl+徳川家康のことである。小牧・長久手の合戦で、豊臣秀吉率いる大軍
に勝利したことから、東海道で最強の武勇の者という家康を讃える称号
である。いずれも、幕府関係者の史料に頻出の呼称である。
明治時代の徳川家康の本には、織田信長の感状から、
元亀元年6月28日から、家康の称号であると伝えている。
元亀元年6月28日;織田信長感状、徳川殿。是より、家康の武名
いよいよ高く、今や世に海道一の弓取と、歌わる。姉川合戦での
大勝における徳川家康の抜群の武功を賞賛する。
高祖(劉邦)、張良、武門之棟梁など賞賛の言葉が並ぶ。
新井白石の『藩翰譜』に「海道第一と聞えさせ玉ひし弓取の、
御母にてましませば」と記述されている。
成島司直の『改正三河後風土記』に、「海道一の徳川殿」、
と記載されている。小牧・長久手戦役の項目で。
幕府編纂の東照宮御実紀(徳川実紀)巻三天正十二年の項で
「徳川を海道一の弓取とはいひしぞ」と記述されている、
豊臣秀吉との小牧・長久手戦役でのことである。秀吉の三河先入れ軍
が家康に大敗した報告を受けて、豊臣秀吉が「家康を名大将、
軍略妙謀まろの及ぶところにあらず」と言ったことになってる。
0135人間七七四年
2008/07/16(水) 01:17:42ID:wtauRxiYその面はある。
豊臣時代、大名の取り成しとかで人望築いたとか、恩を売ったとか言われるけど、一番狙われかねないのが何より家康なんだから。
保身だよ保身。
文治派が進める中央集権は家康にとっても好もしいもんじゃないだろ。
0136人間七七四年
2008/07/16(水) 03:43:28ID:2Tjwkox9家康が落ち込んでるのを周囲の家臣が生暖かい目で見つめる描写とかまんま劉邦のそれと一緒だったから、
家康と劉邦が被るってのはある意味正しい小説の読み方かもw
>>134
信長から感状って元亀年間から信長から家臣扱いされてたのか?>家康
むしろそっちの方が驚きなんだが
0137人間七七四年
2008/07/16(水) 12:00:07ID:Doi8xNuM0138人間七七四年
2008/07/16(水) 13:34:12ID:DMVqfcjo0139人間七七四年
2008/07/16(水) 18:32:13ID:SebkCnit家臣かどうかはかなり微妙だよ
他の方面軍司令官とは明らかに使われ方も違うと思う
家康が家臣になってたらもっとあっちこっち移動させられてない?
姉川の例はあるけどそれ以外にもっとね
それとか別の武将の下に配属させられたりとか
例えばこのスレではどう見られているのか
【盟友?】織田徳川同盟を語っちゃおう【主従?】
http://hobby11.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1170330190/
織田信長と徳川家康・浅井長政
http://hobby11.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1199716245/
0140人間七七四年
2008/07/16(水) 23:46:20ID:wtauRxiY0141人間七七四年
2008/07/18(金) 14:48:34ID:PukfFgSTとんでも番組見てて思うんだが、大名なんて暗殺できるのか? 大老除く
0142人間七七四年
2008/07/18(金) 22:31:26ID:IkIK0aDZ0143人間七七四年
2008/07/18(金) 23:17:15ID:YyJX4Enh0144人間七七四年
2008/07/19(土) 00:11:47ID:RtM65l780145人間七七四年
2008/07/19(土) 01:40:53ID:EiFklQt6余裕で逃げ切れるわけだ。
0146人間七七四年
2008/07/19(土) 14:16:46ID:yRyi9eWK0147人間七七四年
2008/07/19(土) 17:22:59ID:TTUCvgq30148人間七七四年
2008/07/20(日) 15:22:21ID:ploQfMTU0149人間七七四年
2008/07/22(火) 12:19:55ID:Vx8UMqN8土地が痩せている関東に居続けたのはなぜですか?
0150人間七七四年
2008/07/22(火) 14:34:48ID:qmloEMlm天下に号令するには、平地が便利だったとかかなあ?
0151人間七七四年
2008/07/22(火) 14:42:27ID:Zr4CIGgb0152人間七七四年
2008/07/22(火) 15:24:44ID:pVH+iG5z○関ヶ原で譜代の活躍が少なかったため、恩賞としての
国替えなどが行いにくかった。
○三河に戻ると譜代からして土着性が増し、他家の転封や
改易などが行いにくくなるから。
○伊達、上杉への抑えから。
○関八州を北条体制からの切り替え未だ進行中のため。
○豊臣・公家・天皇から離れた地で政治を進めたかったため。
○埋め立て、河川付け替えなどにより開発できる余地が大き
かったため。
○豊臣の大阪に対して、江戸に広大な独自の街を作り上げるため。
○またもどるのメドイから。
あえて結果論も含めてるけど、先見の明があるブレーンがついて
いたなら要素として考えられた可能性もあるということで。
一番大きいと思うのは豊臣・公家・天皇から離れて政治を進め
られることじゃないかな。
0153人間七七四年
2008/07/22(火) 15:41:31ID:p7QnHLoa0154人間七七四年
2008/07/22(火) 15:49:38ID:NzWCNDP9万千代・・・。
0155人間七七四年
2008/07/22(火) 15:59:30ID:p7QnHLoa「いい」も付きます
0156人間七七四年
2008/07/22(火) 16:03:42ID:RUMwcR3c0157人間七七四年
2008/07/22(火) 18:15:07ID:+kaTJyNB【徳川家 総合】 徳川家康公スレ その四
0158人間七七四年
2008/07/22(火) 18:51:46ID:sV9Nu3h70159人間七七四年
2008/07/23(水) 00:03:01ID:as4QLRaL0160人間七七四年
2008/07/26(土) 01:06:16ID:74QoXQlX0161人間七七四年
2008/07/26(土) 07:14:58ID:gBgN5/+zそれも同意なんだけど、最大要因は朝鮮、中国も
含めた敵から少しでも離れるため、というのはないかな。
薩長が徳川攻撃に出た場合は姫路、大阪はじめ各所の
要塞的な城で対抗できるし、日本海側の交通の要所も押さえてある。
黒船から徳川崩壊がはじまったように、やっぱり海からの攻撃に
日本は弱いわけで、さすがの家康様はそれを理解していたんじゃないかな。
で、300年持たせたわけで、あの時代にそこまで考えていたとするなら
恐ろしいぐらいの天才だと思う。
0162人間七七四年
2008/07/26(土) 11:22:23ID:vjRCy54Q置いたのは朝鮮・中国からの反撃(慶長の役に対しての)
に備えるという意識はあったかもしれないね。
しかも幕末においては却ってそれが裏目に出たということ
かもしんない。
そう考えると江戸時代前期のうちに島津・毛利を改易しな
かった・出来なかったことが悔やまれる。
0163人間七七四年
2008/07/26(土) 11:40:15ID:oWqb12CA思うな、家康の発想は。
下手に改易とかに出てたらもっと早く幕府自体がトラブってたかもしれないし。
安房守以外にもう一人でいいから、人物、が出てたらいまだに
自民党内は、徳川姓がうじゃうじゃ、になってたかもしれん。
ちょっと前に徳川美術館の講演会に言ったらさ、来賓席、というのに
すんごい品の良さそうなお爺ちゃんが座ってるわけよ。
あのお方、絶対に家康の直系の20代目ぐらいの親戚だよね。
サインもらおうかと思った。
0164人間七七四年
2008/07/27(日) 00:08:18ID:84qQLBzj何回みても思うんだが・・・。
あれだけ家康をボロクソ言っている割に、家康はけっこうかっこよく書かれてる気がする。
何回読んでみても、『関ヶ原』の理性的でダンディな家康を見てると、この作者が家康嫌いなように思えないんだけれども。
石田三成とか嶋左近を食うぐらいかっこよかった。
この作者の家康に対する批判はやり過ぎだと思うけれど、この作者の家康の描き方はけっこう好き。
汚い部分も描かれているから良い。家康はダークさもあった方が痺れる。
0165人間七七四年
2008/07/27(日) 11:31:49ID:VWnHUUHN書く人物には、必ずその人物に傾倒している別人物が登場するんで、「関ヶ原」や「覇王の家」にも
そういう人物は居るんだと勝手に思ってたわ。
家康の凄さって、適切な時期に組織の変革をキチンと行えてることだと思う。
勝安房に、「後世に残る毀誉褒貶を出処進退の標にして何ができるか、誠意正心を以て
今に応ずべし」という意味の言葉があるけど、ちょっと家康に通じると思ったな。
0166人間七七四年
2008/07/27(日) 11:50:44ID:jNEZWBpV0167人間七七四年
2008/07/27(日) 22:34:58ID:na0jPKiOこれからは要らないと考えたからああしたわけで
0168人間七七四年
2008/07/28(月) 01:05:06ID:C8MIq9NP「覇王の家」読んだ?最初から最後まで主人公の家康にケチつけまくりなのに、
結局家康の凄さが良く解る様に書かれてるんだよ。あれ読んで心底家康ファンになりますた。
つか、元々全然ダークな人だとは思ってなかったけど。あの時代、あの環境に
生まれて良く頑張ったじゃん、と思う。狸親父なんてひねくれた見方だよ。
0169人間七七四年
2008/07/28(月) 10:11:10ID:jWqIYPuPあくまで、その小説の中の人物像、と割り切って考えないと
ちょっと今時のゲーム娘の、〜ってすっご〜い、に
近くなってしまう気がする。
家康でいつも思うのは、信長が若い頃から同盟したり
殺しあった秀吉でも最後は「頼候」だし、三成でさえ
ヤバい時にはなんと家康の屋敷に逃げ込んでる。
これから判断して、頼られるべき相当な大人物、というのが
今のところの自分の家康像の基本になってるんだよね。
徳川300年の祖を作ったり、日本史どころか世界的にも
稀な大人物じゃなかったのかな。
0170人間七七四年
2008/07/28(月) 18:57:03ID:Q8q+m168三成が逃げ込んだのは家康の居たところと同じ敷地内だっただけのようだけど
詳しくは忘れちゃった、立ち読みしただけなんで
その後に仲裁に入ったのは確かのようで
海外では家康の評価は高いとテレビでちょっとやってた
もちろん長期政権を築いた人と言うことで
0171人間七七四年
2008/07/28(月) 20:27:30ID:pLd6KqL/伏見屋敷だったかな。
ここに逃げれば相手は手を出せない、ということで実質
家康の庇護を期待してるよね。
長期政権を築く、というのもいろんな視点からその素晴らしさを
判定すべきだろうね。
例えば職制、ってのもすごいもんだ。
どんな会社だって総務、営業、広報、経理、いろいろ組織を
作らないといけない。
家康の制定したのはすごいんだよね。
ほんで男系の血を絶やさないために60すぎてから子供
ポコポコ作ったり、その執念もすごい。
そして、朝廷、寺社、というすごい勢力を完全にコントロールした。
朝廷内の浮気事件とか、お坊さんの衣事件とかも、家康が仲介して
おさめてる。
そしてそのまま300年コントロールし続けたシステムを完成させたり。
例を言い出すときりがないね。
0172人間七七四年
2008/07/28(月) 21:31:10ID:WESAKuEa何でも徳富蘇峰が「近世日本国民史」で史料を誤読してから広まった話らしい
面白い話だけに事実じゃなかったとしたら残念だけどね
司馬の「関ヶ原」でも狸と狐の化かしあいとして前半の山場の一つになってるくらい
0173人間七七四年
2008/07/28(月) 21:43:50ID:pLd6KqL/集英社版の日本の歴史12に、家康の伏見屋敷、って書いてある。
このあたりも違ってるわけか。
おぼえておくわ。
0174人間七七四年
2008/07/28(月) 21:46:46ID:Q8q+m168少し遡って秀吉が耄碌を始めた辺りからだけど
あちこちに恩をばらまいて家康派に取り込んでるところがすごい
0175人間七七四年
2008/07/28(月) 21:55:50ID:pLd6KqL/東軍西軍って言うけど、実質、西、西軍の争いにしてしまったのは
家康だものね。
0176人間七七四年
2008/07/28(月) 22:16:16ID:1KABmu8b義を取るか利を取るかということでもない
真心がないと人間は動かないよ
0177人間七七四年
2008/07/28(月) 22:18:32ID:H1X9v62dそれはない
0178人間七七四年
2008/07/28(月) 23:15:14ID:fTCoLc0M笠谷和比古という人の言うには『慶長見聞録』『慶長年中卜斎記』『関原軍記大成』とかでは、伏見城内にあった自分の屋敷(治部少丸)
に逃げ込んだと書いてるらしいね
0179人間七七四年
2008/07/29(火) 06:53:04ID:FADohgd7スレチだが、カサヤは「ツガルサングン〜」でかの寛永原本の
本物認定に名前出されてる。
これ、学者生命一巻の終わりの危機かもなんだが・・
今後の進展が楽しみ。
0180人間七七四年
2008/07/29(火) 10:13:27ID:Hs1jmFC5つうかよく知らんが勝手に名前出された可能性も有るんじゃ>笠谷
戦国時代から江戸時代初期の研究にかけては色々実績
(関ヶ原の秀忠隊本隊説とか)が有るだけに事実なら残念
0181人間七七四年
2008/07/29(火) 10:26:27ID:RI9IQIHqとも聞くけどね。
一番の目玉は92〜93頁でしょう。
「六点の文献そのものは料紙、書体、筆跡のいづれの点においても江戸時代中のものと判断される」という鑑定書。
「国際日本文化研究センター研究部教授 笠谷和比古」の署名捺印入りです。
こんなのもあって古田スレにありますよ。
ま、笠谷が一種のサギにあった、ってとこらしいが。
0183人間七七四年
2008/07/29(火) 22:35:13ID:VwUMqitQ考慮されていたように思うね、秀忠隊。
関東乱入よりは越後奪還の方が可能性的にも
高かったように感じられる>景勝
0184人間七七四年
2008/07/29(火) 22:57:31ID:oF074MXBそこを読んでの決断での西上
0185人間七七四年
2008/07/30(水) 09:09:30ID:DMssfOSz拠るべき城もない中山道の真ん中にポツンと徳川本隊が
残ったとして、なにをどうするつもりだったんだろうね?
0186人間七七四年
2008/07/30(水) 15:16:53ID:JiQQDDRe>下手に改易とかに出てたらもっと早く幕府自体がトラブってたかもしれないし。
たくさんの魚が居る大きな水槽に、1匹だけ天敵入れておいたほうが、
全体として長生きするらしいから
反乱分子居たほうが、組織としてはしっかり機能するらしい。
>家康の凄さって、適切な時期に組織の変革をキチンと行えてることだと思う
従業員・下請けに過酷なコスト削減を強制して
日本経済を停滞させてしまい、
膝元で自殺最多、殺傷事件起こったトヨタは果たしてどう変革するのだろうか?
小泉改革も今では失敗だったと思うが、トヨタ経営も時代遅れに成った気がする。
徳川四天王の待遇は、下請けや従業員よりもはるかにマシだったのでは?
0187人間七七四年
2008/07/30(水) 15:24:49ID:cfUR4bJS政権担当者(譜代大名)の過大な領土はまずいと判断したからだろ。
秀吉見ていると家康が物凄くケチに見えるけど、
やりすぎはやっぱりよくない。
0188人間七七四年
2008/07/31(木) 10:35:45ID:d1i1RjdD前田は参戦しなかっただけだし、鍋島は支藩も入れると50万石。
毛利は石高は30万石くらいにして蝦夷に転封が妥当。
0189人間七七四年
2008/07/31(木) 11:32:30ID:rzwZMRrM0190人間七七四年
2008/07/31(木) 16:01:28ID:Uy0yl4sz関ヶ原の裏工作くらいしかないんじゃない?
方広寺の件も謀略ではなく家康が本気でそう読んでたって説もあるし・・・
だれか秀吉や幕末の連中に負けないだけの家康の聡明なエピソードを
教えて下さい
0191人間七七四年
2008/07/31(木) 16:16:53ID:o8zpr9kb日本史でいえば聖徳太子や空海くらいだから、秀吉と比べるとさすがに分が悪いわ>家康
墨俣一夜城とか割普請、高松城の水攻めとか事実ならどれだけ頭良いねんっつう話になるし
その代わり家康は滅茶苦茶勉強大好きで、爺になってからも
儒教(林羅山)や仏教(天海)、神道(梵舜)や数学(三浦按針)を側近から教わるという
凄い向学心を持ってたみたいだよ
0192人間七七四年
2008/07/31(木) 17:59:12ID:Xy7ZEv4K三河一向一揆の後始末なんかはしたたかというか、えげつないというか。
和睦条項「一、寺は元のとおりにします」
→家康方、即行寺院を破却
→一向宗「ちょ、条項と違うだろ」
→家康「寺が建つ前はもともとのっぱらだったんじゃぼけ」
これを26でやるんだから腹黒いw
0193人間七七四年
2008/07/31(木) 19:16:58ID:if98JR2E大坂方も抵抗した節も無いことから意外と納得できる理由だった
が、やっぱり忘れた
図書館でなく立ち読みだったと思うから新しい本だと思う
0194人間七七四年
2008/07/31(木) 20:01:20ID:2ilwCaBX家康の智謀はその堅固な組織構築だろうよ
これには信長、秀吉は足元にも及ばない
0197人間七七四年
2008/07/31(木) 20:30:25ID:if98JR2E内容なんだっけ
0198人間七七四年
2008/07/31(木) 21:02:34ID:Z23fH/oK当初から、内堀も埋めるという約束で、豊臣方が埋めるはずだったんだけど、いつまでたっても埋めないんで
早く終わらせて本国に帰りたがった、外様大名の伊達とか細川が埋め始めたって説だった
0199人間七七四年
2008/07/31(木) 21:04:18ID:if98JR2Eそれっぽい文書でもあったのかな
0200人間七七四年
2008/07/31(木) 21:25:07ID:o8zpr9kb幕府の政権運営も側近(出頭人)たちが将軍をサポートするという形式で、
むしろ将軍の独裁性が発揮しやすい形態だった
未だ豊臣家や外様の大大名など潜在的な敵国が存在した
ポスト戦国時代に適した政治運営だと言える
日本史的な意味における老中や奉行衆などの職制が整えられたのは、
幕府が安定してきた三代将軍家光の頃
それでも武家諸法度や禁中並公家諸法度などの幕府法を制定した家康の功績は変わらんけどね
0201人間七七四年
2008/07/31(木) 22:23:59ID:2ilwCaBX一応、それで正しいんだけど
家康・秀忠時代と比較しても優れているんです
特に家臣にいらん事考えさせん様にする点が
0202人間七七四年
2008/07/31(木) 22:26:15ID:01lTxbzF崇められるほど偉大な人物ではなかったんですね・・・
0204人間七七四年
2008/07/31(木) 22:38:40ID:2ilwCaBX0205人間七七四年
2008/07/31(木) 22:51:21ID:CukUP2iv存在してるような
0206人間七七四年
2008/08/01(金) 00:53:07ID:3cLOeFp5江戸幕府以前の政権とは比べものにならない
政治システムも以前の政権と比べて段違いに精錬されている
0208人間七七四年
2008/08/01(金) 01:13:40ID:XKjgUPJh江戸幕府の安定感が良いのは、ひとえにそれまでの政権の不備を改善して、発展させたからだと思う
それに、江戸幕府がここまでの安定&長期政権になったのは、
家康だけでなく、秀忠や家光の功績もある事を忘れてはならないと思う
この三代の間でシステムが完成してなかったら、四代目で終わった可能性があるからね
0209人間七七四年
2008/08/01(金) 06:42:15ID:PydxAO25あれは一族の結合が強い大久保一党を解体する目的があると思う
文武は徳川家は忠勝・康政の隠居と直政の死去で有耶無耶ですから
0210人間七七四年
2008/08/01(金) 10:45:41ID:oY/fVI/0のようにとらえてる。
ちとスレチだが家康の組織の根幹には義教の組織術がある
という論もある。
ものすごく未熟ではあるが、参勤交代システムを作ってたり
家康は勉強家だし、故事を研究して長所をとりいれたというのは
十分に有るだろう。
信長、秀吉、の成功しなかった点をいやというほど見抜いて
それを活用してるしね。
0211人間七七四年
2008/08/01(金) 12:45:08ID:orgAxZ+Iこれが出来ないと組織は崩壊するよね。
現代のベンチャーにも通じる真理。
0212人間七七四年
2008/08/01(金) 14:08:38ID:SLSsgU6V大した人物じゃないのではないかな。土井や伊豆といった幕臣
たちに恵まれたんだよ。
0213人間七七四年
2008/08/01(金) 17:47:04ID:YqK+MsOs天才的な発想で様々な革新的な政策を実行した信長・秀吉と違って、
家康は両人から基本政策を踏襲すると共に、
古人の政治からも積極的に学ぼうとしたところが特異
ただ参勤交代は義教云々よりも直前の豊臣政権で行われてた
遠国大名の伏見参りが基だと思う
0214人間七七四年
2008/08/01(金) 18:04:09ID:eOe3GT6Wふむふむ。
義教を出したのは、権力者が強制的に命じたこと、に同一視点を
置いたのだけど、そこに費用散在で外様の弱体化、とか人質の意味
とか、そういう付加価値というか付け加えたのが家康の天才性とは思うの
だよね。
ちなみに、足利がとりあえず15代続いたのは義教が職制を
整えたから、という説もあって、これは家康にも共通するのかな。
0215人間七七四年
2008/08/01(金) 22:08:18ID:BcioJJFr0216人間七七四年
2008/08/01(金) 22:31:59ID:JA6Fd8tWスレチで悪いが、中国制圧、九州制圧、関東平定、叡山攻撃、
宗教界統一、南朝殲滅、とやってのけたのが義教。
家康はかなり参考にしたはずだろう。
ちなみに信長もね。
東大寺切り取りなんかでも名前が出てくるな。
0217人間七七四年
2008/08/02(土) 01:26:50ID:U+zQA4/z0218人間七七四年
2008/08/06(水) 11:47:58ID:RTWFi+/xあまりないので楽しみだ。
0219人間七七四年
2008/08/06(水) 13:47:26ID:i1nUjp6L0220人間七七四年
2008/08/06(水) 17:29:06ID:vl9KqIwT0221人間七七四年
2008/08/12(火) 18:22:50ID:Yw5eFWU+今で言ったら大教祖や豪腕社長が影武者に代わったって事でしょ?
そんなんで近臣が納得するんかいな?
直参とかも騙し通せるもんなのか?
0222人間七七四年
2008/08/12(火) 18:34:05ID:y/zX6IsP0223人間七七四年
2008/08/13(水) 14:42:15ID:M28ofj5K民衆が幸せに成れない、あまり良くない考えだと思ってきた。
0224人間七七四年
2008/08/13(水) 15:26:30ID:y3AVV3Pd0226人間七七四年
2008/08/13(水) 20:31:11ID:a0GLkIhuもとは本多正信に仮託された本佐録からでしょ
あと家康の頃の天領は年貢率結構高かったと聞くぞ
社会が豊かになるにつれて徐々に安くなっていったが
0227人間七七四年
2008/08/13(水) 23:16:40ID:ZsFWRxid0228人間七七四年
2008/08/14(木) 11:53:39ID:12vf8b/Wこれなら百姓も大事にされてたって事か。
0229人間七七四年
2008/08/14(木) 13:43:48ID:uZ/KGmVo0230人間七七四年
2008/08/14(木) 14:58:04ID:wyDWaKVJただ、年貢が2割から8割とか地域差ありすぎて一概には語れん。
0232人間七七四年
2008/08/14(木) 17:07:10ID:IB0TC/c7都合の悪いことは何でもアンチ徳川の捏造にしちゃうのはどうかと思うぞ
0233人間七七四年
2008/08/14(木) 22:12:36ID:ZqZNi4zH0234人間七七四年
2008/08/19(火) 12:37:52ID:zPmjsSrF質素倹約って、どうして有効だったのか?
ひたすら質素な衣食住の生産に励めって事?
0235人間七七四年
2008/08/19(火) 13:09:54ID:pOUd20aSすると当然支出が減る
という事は収入が少なくてもいい
なので年貢を安く出来る
結果百姓などの生活に余裕が出る
元気な領民がいっぱい
戦時に兵士ざっくざく
0236人間七七四年
2008/08/19(火) 23:15:03ID:V1ohDZgv誰が鶴用意する?
おいらはオリーブオイルと鯛を用意しる。
0237人間七七四年
2008/08/22(金) 18:28:04ID:pWyNkPVO其ノ一
三方ヶ原から敗走した家康を信玄がみすみす見逃していること
其ノ二
家康が武田遺臣を多数採用している上、信玄の次女・見松院を保護していること
其ノ三
家康が祀られている日光東照宮に武田家の家紋「花菱」が使われていること
0238人間七七四年
2008/08/22(金) 20:10:52ID:ty0WMJiJ0239人間七七四年
2008/08/22(金) 21:18:32ID:L9NWDJP12:家康は今川・北条の遺臣も多く抱えている。武田だけが特別なわけではない。
3:その論理で行くと正倉院も武田のものになりますが。
花菱は亜流も含めると剣花菱が出雲大社や厳島神社、住吉神社など多くの神社で見られます。
0240人間七七四年
2008/08/22(金) 21:21:25ID:IHAyMxi10241人間七七四年
2008/08/22(金) 21:30:54ID:eDxMgJnn0242人間七七四年
2008/08/22(金) 21:51:54ID:ty0WMJiJ他にもそういった例はある、といった感じで、隠し子説、は
否定されたわけじゃない。
0243人間七七四年
2008/08/22(金) 21:58:37ID:011dBCGc徳川家康は、関ヶ原で暗殺されて影武者がひきついだという説があるが、
秀忠の遺骨は残っているのだから、東照宮の家康の遺骨と鑑定すれば、
すぐに判明できる、はず。たぶん。
0245人間七七四年
2008/08/22(金) 22:05:40ID:ty0WMJiJ出来るのじゃないかな。
文系だからアホでごめん。
0246人間七七四年
2008/08/22(金) 22:37:18ID:011dBCGc0247人間七七四年
2008/08/22(金) 23:15:48ID:ty0WMJiJ0248人間七七四年
2008/08/26(火) 12:11:28ID:/K+epMAN歴史がそれほどクリアなもんじゃないって証拠に成るでしょ。
一族郎党皆殺しなんて、信長くらいしかやってないんじゃないの?
1つだけなるほどと思ったのは、光秀ゆかりの坂本 竜馬が
桔梗紋だとか、亀山社中とか。
0249人間七七四年
2008/08/26(火) 12:25:00ID:CGYhrfPq0250人間七七四年
2008/08/26(火) 14:21:22ID:E6F4xgTV0251人間七七四年
2008/08/26(火) 14:31:31ID:QuBHF3Dj0252人間七七四年
2008/08/26(火) 18:16:07ID:jmJZM/pWっていう暗号を解読した
0253人間七七四年
2008/08/26(火) 18:46:07ID:z9K5XTS60254人間七七四年
2008/08/26(火) 19:24:14ID:x/hQD3Mh家康双子設定の小説なら読んだ事あるけど、実際どうなんだろうね。
家康書状の花押(書体?)が、安定してない時期があるというのは
何かの研究本で読んだ気がする。
0255人間七七四年
2008/08/26(火) 20:00:11ID:jmJZM/pW徳川史だといろいろと隠そうとするかもしれんけど
0256人間七七四年
2008/08/26(火) 20:06:30ID:KxSOocPu0257人間七七四年
2008/08/26(火) 20:22:05ID:jmJZM/pWだから無理やり片方を里子にって
0258人間七七四年
2008/08/26(火) 20:52:29ID:d1DU1Hmo0259人間七七四年
2008/08/26(火) 23:18:08ID:JifZeXRiただ、個人的には久松松平の康元を誤ってるだけのような気もするが…没が一緒だしな、伝えられてる
0260人間七七四年
2008/08/27(水) 01:43:17ID:BHitfdWlこの時代もそうらしいよ。
作左本の記述だけど、隠されていたお万が家康の子を
産んだというので駆けつけたら祭壇も飾られていた。
どういうことかと世話人に聞いたところ、双子であり、
片方は亡くなったとのこと。作左が報告したら、亡く
なった子を「不憫だ」とは言ったものの、その後の秀康
に対する仕打ちは周知の通り。
双子であったことを忌み嫌った部分もあるのかもしれないね。
0261人間七七四年
2008/08/27(水) 07:33:35ID:XI13VxQX武家の長男(嫡男)であろうが、病死でバタバタ死ぬのが当時の状況で、
江戸時代の将軍家ですら、子供の半数以上は成人前に死亡している。
子供は1人でも大事にして、武士として問題がある場合は、寺にやって僧にするのがふつう。
武士の跡継ぎが死亡などして都合悪くなったときは、還俗といって、僧から武士に戻すこともよくある。
0262人間七七四年
2008/08/27(水) 11:22:29ID:ZfzhXIfN謀反人ってことで悪くかかれたり、側近達が成り上がりで嫌われてたとかあんのかな。
0263人間七七四年
2008/08/27(水) 11:37:12ID:7ZhtP76M0264人間七七四年
2008/08/27(水) 13:53:46ID:BHitfdWl一応念のためだけど、>>260は殺したとかではないんで。
>>262
諸説あるよね。秀康共にヒドイのは醜さを理由にしてるし。
やっぱり政宗の婿になったのが大きい様には思うけど。
0265人間七七四年
2008/08/27(水) 18:25:07ID:TC8LMvcJその子供に跡を継がせたくなかったから、という考えも無くはないね
殺すなら力が付いてない早いうちにするのは普通だろうし
でもそんなストレートなことは側近にしか言うはずないし、記録にも残すはずは無い
0266人間七七四年
2008/08/27(水) 18:35:52ID:WxjRIwdj子供持ってみればわかるが、自分の子、というのは最重要だぞ。
0267人間七七四年
2008/08/27(水) 19:05:34ID:dLorGPpS自分の子供も家臣と同列に扱ってる印象。
>信康殺し
そのくせ、処分が決まってからは、移動移動で(岡崎→大浜→二俣)、
武田領に近くなっていってるんだよな。逃がしたいのか?と、勘ぐりたくもなる。
岡崎派といわれる家臣団も一枚岩ではないから、水野信元の時のような
事態を用心して居を移したのかも知れないけど、いかんせん記録が無さ過ぎて
推量を重ねていくしかないから、色んな説があるんだろうね。
作家だったら、いろいろ想像するのが面白くて仕方ないかも。
0268人間七七四年
2008/08/27(水) 19:51:06ID:XI13VxQX信康の器量を警戒して、信長が殺害を命じた、という説のレベルではなさそう。
信康事件は、背景として、徳川・今川の同盟を破棄して、徳川・織田の同盟
が関係している。
徳川・今川の同盟の象徴といえるのが、今川方の妻と、その間にできた子。
同盟を廃棄して、一番立場が悪くなるのが、築山殿と信康。
今川に親戚がいる家来など、徳川・織田の同盟に反対する家来は、築山殿と信康を
かつぐことになる。
で、果たして三河武士団は分裂して、内部抗争&親子喧嘩の深刻化の末に、
妻と長男の殺害を家康は命令する。
でも、信康はすでに正妻をむかえており、その正妻は信長の娘だった。
だから、さすがに信長の了解を得る必要があり、家康は信長に「おうかがい」を出した。
信長は、了解したが、このことが原因で、のちに信長のせいにされてしまう。
徳川幕府を開いたのちは、信康事件のことは禁句になり、信長公記でも
信康事件のあった年は、その巻を廃棄して、別册にすりかえているほど。
というのがオイラの知っている信康事件の情報だど。
0269人間七七四年
2008/08/27(水) 20:01:26ID:ePWy3eJ10270人間七七四年
2008/08/27(水) 20:08:55ID:TC8LMvcJ信康直接じゃなくても嫁との関係がこじれて悪化したところ
息子が嫁に付いてしまったらその息子は鬱陶しくなると思う
嫁は現在は敵になった今川の血筋じゃこじれない方が不思議だ
単なる敵じゃなくて、義元を殺した織田と手を組んだんじゃねえ
そこで現代じゃなくて戦国時代だから、長男が気に入らなければ
次に子供を産ませて〜となっても不思議じゃない
まさか次男が秀康になっちゃったのは家康もちょっと計算外だっただろうけど・・・
それでグタグダしてたら信長からどうなってんだと話が来て(殺せじゃなくて)
これはいかんと手を打ったと
反目してた息子に生きてるうちに跡を継がせた例ってどこかあった?
斉藤がそうか、それで道三が殺された、家康も下手するとこうだったかもしれん
0271人間七七四年
2008/08/27(水) 20:12:43ID:XI13VxQXこれも武田・今川の同盟が関係している。
同盟の象徴といえるのが、今川の娘と結婚していた武田氏の長男。
同盟を破棄して、今川領に侵攻することになり、
立場が悪くなったのが、長男夫婦。
親子喧嘩の深刻化&内部抗争の末に、
(志摩の湯の変?という反乱未遂?。反乱に関わった飯富兵部の処刑)
息子の嫁は実家に追放、息子の義信は切腹させられた。(幽閉中に病死?)
0272人間七七四年
2008/08/27(水) 20:16:56ID:TC8LMvcJ家康もそんなに年寄りでもなかったわけだし
将来は次の息子達に託して、謀反の危険性がある長男は切ったというのはあるよね
0274人間七七四年
2008/08/27(水) 20:20:19ID:TC8LMvcJあくまでも父親に従っておけばこんなことにはならなかったね
母親へ感情入れすぎちゃったのかな
築山殿は完全に隔離しておけばよかったのか?
0275人間七七四年
2008/08/27(水) 20:26:13ID:TC8LMvcJ>>266に掛かってると思われる
他家でも起きた事柄、家康が同様のことをやってもおかしくはないということ
子供は誰であろうが可愛い、というのは戦国期には確たるものではなかったと
隣の織田にしても信秀が早死にしなかったらたぶん信長は・・・
0276248
2008/08/27(水) 20:37:13ID:2wdWM9tJ斬った家すら続いてるって事だよ。
0277人間七七四年
2008/08/27(水) 21:55:35ID:Hqc1Vdj9阿部と岩松だっけ?
阿部は結局大蔵定吉で絶えることにはなったけど。
むしろ気になるのは、切り捨てたのが二人とも植村氏明だったって言うのが。
まあ、個人的には広忠病死説の方を信用してたりするけど。
0278たられば君
2008/08/27(水) 22:31:14ID:VJwMhWPG高家保護に力を入れた家康が新田宗家を冷遇したのは
その屋号を忌み嫌った部分があるのかもね
0279人間七七四年
2008/08/29(金) 13:22:36ID:L9NMj/Vb0280人間七七四年
2008/08/29(金) 15:52:31ID:NyKvyZ/Dその時は268みたいな結論だったのかな。
信長は関係ない、ってね、家康がさすがにうまくやって信長に責任かぶした、とか。
0281人間七七四年
2008/08/29(金) 21:46:00ID:Ch1B1tQc殺されたのが長篠合戦の後なので、
同盟してからだいぶ年月がたちすぎている、という問題あり。
桶狭間合戦1560年 築山事件1579年
0282人間七七四年
2008/08/29(金) 21:58:07ID:MLHqM+wwこういうスレがあるのだが
【信長の命令?】信康自刃の真相【家康の意志?】
http://hobby11.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1196319097/
0283人間七七四年
2008/08/29(金) 22:11:01ID:bhFSpqX3対武田最前線の浜松派の対立が高じたためという見方が今は主流じゃなかったのか?
まぁ類似スレもあるみたいだが
0284人間七七四年
2008/08/29(金) 23:13:21ID:GFX9YSJv家康夫婦、信康夫婦の不仲の方がまだ事件に関わってそうだ。
ところで武田内通の件の信憑性は実際どれくらい?
0285人間七七四年
2008/08/30(土) 00:01:04ID:nk8cOSghさんきゅ。
1579ぐらいになるともう織田の天下も見えてきてるし、今川派なんて完全に
不要になったってとこかね。
ところで、信康の人間像みたいなのはどうなってるの?
お徳のあの手紙がどう評価されてるか、ということなんだけど。
0286人間七七四年
2008/08/30(土) 17:27:59ID:oPeC+BeB奥三河から武田方がちょっかいかけてるから、後方支援のみとか、戦功が全くない
ということはないと思われ。
この時期、戦功の評価や戦果の配分をする人間が誰なのかは判らないけど、戦果
配分に不満があれば、部下は嫌になるよな。
あと、信康自決の三年前、武田方に兵糧を売った罪で、信長から、水野信元を
殺すように命令があったらしいんだが、それを取りなそうとしてたのが石川数正で、
蟄居先に行って暗殺?したのが平岩新吉という話もある。
数正は西三河の領袖だったし、平岩は信康の傳役な。
この辺から、浜松派との対立より、岡崎派内部の対立があったとしても、おかしくない
ような気はするな。
本当に、信康が謀反を企んでいたなら、史書から隠蔽しなきゃならない理由として
弱いように思う。事実、この時代は血族で主導権を奪い合う例がごまんとあるし。
後世、三河武士の忠を喧伝するために、嫡子家臣の内部分裂という汚点を隠蔽したという
考え方もできなくない?
0287286
2008/08/30(土) 17:38:45ID:oPeC+BeB× 平岩新吉
○ 平岩親吉
0288人間七七四年
2008/08/30(土) 19:23:01ID:Wb/OhAhR信康自決の3年前となると、大賀弥四郎事件とのからみが
気になるところだなぁ。
信長の手前家康としても弱みを見られることを避けなければ
ならない時期だろうしな。
0289人間七七四年
2008/08/31(日) 06:10:56ID:7PBtacMf0290人間七七四年
2008/08/31(日) 11:12:30ID:HLqdLb3rなのにいまひとつ有名じゃない。
スレ違い下げ
0291人間七七四年
2008/08/31(日) 13:24:07ID:PSG63IJk実績部分に派手さが無い割に、信康の傅役としての
マイナスが目立っている感はあるね。文武共に優秀な
人だと思う。
言動含め派手な作左とは対照的な意味での、三河武士の
典型というか。あえて言うなら岡崎出身の中嶋悟的とでも
言おうか…。
0292人間七七四年
2008/08/31(日) 18:16:27ID:YoY6jqMs戦場では十単位で首級を上げるほど勇猛だし、嫡子付きになるんだから
人柄だって悪くないだろうに。
「三河後風土記」が本当に平岩の著であれば、大久保彦左のように
名を残したともいえそうだけどね。
そういえば、榊原康政の兄の子孫は、久能山で家康の墓守をしてるな。
永井直勝も出世したし、信康付きの家臣って結構優遇されているんじゃないか?
0293人間七七四年
2008/09/02(火) 19:39:11ID:gYxMzwUC信康の切腹への過程もわかるように思うんだが、いまひとつよくわからない。
母親も一緒に殺害されているのだから、
「息子が当主になれば。」という動きを、築山殿がした、という説は捨て難い。
岡崎の家臣も含めて、クーデターを敢行しようとした、という推定をしたが、
信康や築山殿の動きがいまひとつよくわからないので、家臣団の処罰や異動、
から何か推測できるのではないかと。
0294人間七七四年
2008/09/03(水) 19:30:23ID:N4jjV3NR信康付きになってるんだが、服部半蔵と同じ伊賀の出身なんだ。
半蔵も信康介錯の時に名前が出るくらいだし、岡崎と伊賀衆との
関係もちょっと気になるんだよな。
>信康家臣団の動き
自分も興味を持って調べてるんだけど、まとまった研究書はないみたい。
むしろ、あったら知りたいよ。
0295人間七七四年
2008/09/03(水) 19:39:07ID:gxphmeZRまとめて切って捨てられるほど、人材豊富とは思えないし
0296人間七七四年
2008/09/04(木) 09:20:26ID:uzb3kVgL処罰された家臣よりも、処罰されずにその後も通常に重用?されている家臣
から、見ていった方がわかりやすいかもしれないな。
信康母子を今川から連れ帰った石川数正、信康の傳役 平岩。
信康が実の息子でないため憎かった、という説も考えられないこともないが、
結婚して2年後ぐらいに生まれているので、(どっかの男の)懐妊中の嫁さん
をもらったわけではなさそう。
0297人間七七四年
2008/09/04(木) 17:47:28ID:XRorA9t20299人間七七四年
2008/09/04(木) 19:09:07ID:wv/DtqPK山岡荘八では、そういう描写はなかったな
結婚前は通じてたことを家康が知っていて、そういう女を娶ることを屈辱だと思ってたようだが
0300人間七七四年
2008/09/04(木) 19:26:53ID:Q9ZpH/vf石川数正は出奔するまで西三河の軍を束ねた岡崎城代。
出奔後は城代を本多重次、軍を内藤家長(数正の甥)が
引き継いでる。
平岩親吉は家康の元に戻ってから、甲信攻略時期に活躍。
後に甲州の郡代になったと思ったな。
同僚は鳥居元忠とか。
徳川は数正の出奔で甲州の軍制に変えたんだよね。
今気が付いたけど、内藤家長と鳥居元忠って、関ヶ原前に
伏見で立て篭もるメンバーだね。
0301人間七七四年
2008/09/05(金) 14:18:06ID:StzeOqkt母親は謀反人の一族で、旦那の実家に行けば父親が殺されて、
夫は頼れないし、息子はなんか巻き込まれて、言い訳する間もなく
自分もあぼん。
そのうえ後世、悪女・淫乱のレッテル貼られてるんじゃ、女性作家が
築山殿を悪く描かない理由が何となく解るわ。
0302人間七七四年
2008/09/05(金) 18:28:40ID:nHlMu4Y50303奇矯屋onぷらっと ◆SRGKIKYOUM
2008/09/06(土) 00:23:59ID:0g9FCRon0304人間七七四年
2008/09/06(土) 00:29:28ID:shhVvdLu0305奇矯屋onぷらっと ◆SRGKIKYOUM
2008/09/06(土) 00:36:31ID:0g9FCRon0306人間七七四年
2008/09/06(土) 21:49:39ID:D14u3PGKついでに言うと、鬼どのは長門がいい。
0307奇矯屋onぷらっと ◆SRGKIKYOUM
2008/09/06(土) 21:54:29ID:0g9FCRon0308人間七七四年
2008/09/07(日) 10:51:50ID:gdsZG3ID地味に楽しみ。
0309人間七七四年
2008/09/09(火) 08:59:39ID:jVK/Divo軽くムカついている…大人げないとはわかってるけど。
最近とみに世の中に三成びいきが多い気がして家康好きとしては肩身が狭い。
まあ、勝利者は日本人にはあまり好かれないのはわかってるけどさ。
0310人間七七四年
2008/09/09(火) 10:06:46ID:9GePy9cE忠義の臣というが、関ヶ原は権力欲モリモリだったんじゃないかと
北政所にも見捨てられてるし豊臣のためってのはありえんよな
0311人間七七四年
2008/09/09(火) 10:24:37ID:pXuOgdmUありがとう、同じ思いの人いると思うと心強いよ…
秀吉だって織田家から権力奪い取ったくせに
さも豊臣家の権力が続くのが正道と言い張る三成がどうにも好きになれなくてさ
0312人間七七四年
2008/09/09(火) 11:00:16ID:rxLQV4Jiアガペー的な無償のものではなくて、
自分の権力を保証してくれる豊臣家への忠節だと思うなあ。
自分の権力・権勢=豊臣政権ってだけの話。
というか聖人君子って味気ないと思うんだが、
義経とか真田幸村とか石田三成とか、なんで味気ないのが人気なのかがわからない。
真田信繁は情けないのと軍事は強いそのギャップが良いんだが、
美形・不屈・最強の幸村の人気はわからん。
0313人間七七四年
2008/09/09(火) 15:15:48ID:yjwqAxp7自分もそう思ってるんだけど三成を褒める人って
「無欲の義の人」みたいに言うからさー
嘘言うな、と思ってしまうんだ
0314人間七七四年
2008/09/09(火) 16:13:17ID:vvR052wX0315人間七七四年
2008/09/09(火) 21:23:33ID:yI4ElQ5Rまあ言いたいことはたぶん大体同じだろう。
三成の義理堅さ、ってのは否定しないが、家康を狸とか陰険とか汚いとか非難してまで持ち上げようとすると鬱陶しくなるというのが個人的感慨。
しかし、三成ファンに、三成は徳川時代に奸臣として歪められたとか思ってる奴がいて、
徳川ファンに家康は三成や幸村の敵役として歪められたと思っているのがいるのはなんか笑える。
0316人間七七四年
2008/09/09(火) 21:29:55ID:nhIA7DlS家康は野望があってやったこと
そりゃ心情的には三成の肩を持ちたくなるやつは多いだろうけど
時代は戦国、天下を獲った人間が正しい時代
結果として、家康は戦国武将として最高位に就いたわけで
それをもって貶めようとする意見はどうかと思う
0317人間七七四年
2008/09/09(火) 22:10:29ID:yI6bokko津川家康は理想の家康像。
0318人間七七四年
2008/09/09(火) 22:32:46ID:yI4ElQ5Rその忠義と野望って区別もどうかなあって思うけどな。
三成に野心はなかったのかって話になるし、そもそも豊臣政権の存続が妥当かって話でもある。
三成も家康も己の保身をかけた権力闘争って面は当然あるだろうよ。
三成は家康と妥協するような人間でもないし、三成にとって家康は食うべき対象。有力者の力を削ぐのは政策の常だし、豊臣もそれはやってきた。
家康だって外様達の代表、中央への反発の象徴みたいなもんでもある。
家康に取られるような不安定な天下をとり、万全な天下に作り変えただけ。
三成なりの天下と、家康なりの天下、って言ったら片方が格別持ち上げられたり、非難されたりしなければならないいわれはない。
そこにあるのは結果とただの贔屓だけ、と俺は思う。
0319人間七七四年
2008/09/09(火) 22:33:19ID:gnIl/Yv0三成は忠義というより自分こそが豊臣代表と勘違いしていたんだろう
現代に例えるなら単なる官僚が俺は総理大臣と言い張るようなもので
同僚から嫌われるのは当然だと思う
0320人間七七四年
2008/09/10(水) 07:28:43ID:oycDrvRzもう少ししたら、政権を他人にぶんどられて、全否定されてしまうんだぜ。
無力のまま、とられてしまってもいいのか。
反骨を見せたのが、五大老、五奉行のなかでも三成だけ、
というのが関ヶ原の直前の状況。
0321人間七七四年
2008/09/10(水) 07:46:34ID:EgMFmArq三成より早い段階で軍を起こした宇喜多は眼中にありませんか。
五奉行五大老のほとんどは西軍なのはどうでもいいことですよね。
三成に向ける賛辞の一割でいいから、周りに向けてあげてください。
0322人間七七四年
2008/09/10(水) 10:05:30ID:ZnDhHaPMいや、自分はそうなんだけど
…違うな、三成を持ち上げる輩アンチつったほうが正しいか。
三成自身は嫌いでもない、秀吉存命中は特に。
0323人間七七四年
2008/09/10(水) 10:42:42ID:h7cv3PZZ自分達のやり方が別の大きな流れを作り、それを抑えてでも我意を通そうとしたが、結局は呑まれた。
天下を納められないものが、天下を失った。ただそれだけの話だろ。
>>322
別に嫌いじゃないけどな
0325人間七七四年
2008/09/10(水) 12:19:53ID:CD6VoN9Q表面的には律儀者にも見えなくはないのも、その腹黒いしたたかさかな
一見、豊臣系東軍大名優遇な領土配分とか
0326人間七七四年
2008/09/10(水) 12:55:13ID:T9O3s6a9日本人て負けた方にそういうのを作り出しちゃう傾向があるから
0327人間七七四年
2008/09/10(水) 13:22:35ID:AR7mXT+v0328人間七七四年
2008/09/10(水) 13:22:38ID:8yvPpBtO0329人間七七四年
2008/09/10(水) 13:31:04ID:eGE94svQそういう極端な評価には、必ずと言っていいくらいの
反動が出るのが日本のいいところ。
菅原道真だって犯罪人から神だし、将門も同様。
だからといって麻原が神として祀られるとは思えないが。
0330人間七七四年
2008/09/10(水) 14:10:50ID:CD6VoN9Q0333人間七七四年
2008/09/10(水) 15:45:34ID:8yvPpBtO秀吉の側室になったのは復讐のためとか、
家康に恐れられた女とか…
0335人間七七四年
2008/09/10(水) 18:48:35ID:og4su0Bfまとめて・・・
0337人間七七四年
2008/09/10(水) 21:22:47ID:mW8Vwkeq0338人間七七四年
2008/09/10(水) 21:28:33ID:cZum0svR秀忠よか晴信の遺骨を鑑定すればいいんちゃう?
家康って遺骨残ってないの?
家康が晴信の子供説ってのも、ありかもなぁ 信長の死後 甲斐、信濃を駿河を取ってるやろ?
まぁ秀吉が機内を抑えてたから畿内に進出出来ないってのもあったかも
0339人間七七四年
2008/09/10(水) 21:30:43ID:cZum0svR真田信繁が本命だすよ。幸村は、造作かと
0340人間七七四年
2008/09/10(水) 22:32:57ID:sRz3VBkl0341人間七七四年
2008/09/11(木) 07:43:49ID:ipjkVRS10342人間七七四年
2008/09/11(木) 16:42:06ID:l5M6rIb1本当の誇張されない真田二男は本来の諱であっただろう信繁にしてるんでしょ
解説は無粋だったかな
0343人間七七四年
2008/09/13(土) 10:59:17ID:6oeDcuOPかなりこじんまりしてるんだねえ
0344人間七七四年
2008/09/13(土) 13:57:23ID:at/uskYj>五奉行五大老のほとんどは西軍なのはどうでもいいことですよね。
半数でしょ?
>>333
え、違うの?
徳川家は徳川家で、忠勤励めば大事にしてくれるんだけど
三成も三成で、真面目な者を大事にしてくれるようなイメージはあるが
逆に有能な人材以外は、冷遇する嫌なヤツイメージもある。
そうすると、多少無能でも大事にしてくれる徳川家のほうが、
普通の武士にはありがたい政権だったのではなかろうか?
0345人間七七四年
2008/09/13(土) 16:20:52ID:6oeDcuOPいや、知らないよ
アド街で上野特集してたの?
上野の博物館に仏像展見に行ったからついでで見てきた
あそこには神様はいなさそうだなーと思ったよ<上野東照宮
0347人間七七四年
2008/09/13(土) 17:18:22ID:fqSwyN670348人間七七四年
2008/09/13(土) 17:29:08ID:bc2t4UP0http://im3a.atura.jp/bbs5/7881/img/0006052531.jpg
http://im3a.atura.jp/bbs5/7881/img/0006052537.jpg
0349人間七七四年
2008/09/13(土) 18:00:20ID:VZ6r8Xxhあきらかに手入れは進んでいないけど、きっちり手入れすれば、
かなり綺麗になりそうなんだけどねー。
いまではむしろ各大名からの灯籠の方が見応えはあるかもしれない。
左甚五郎の彫刻もあるのにもったいないなー。
まぁそれでも芝に比べればましだけど。
0350人間七七四年
2008/09/13(土) 20:55:03ID:Wyt9Jb1d0352人間七七四年
2008/09/14(日) 10:32:10ID:cGvxhsN0久能山、日光、川越
3つ目が無理すぎ
0354人間七七四年
2008/09/14(日) 11:06:02ID:G+EZyrbj地元民だけど、詳細は分からないですけどw
0355人間七七四年
2008/09/14(日) 11:37:21ID:9jS9oq7iその通り
家康ゆかりの地に、城址に立てられた東照宮
マニアを自称するなら浜松城とともに訪れるべし
ゆかりどころか、マニアなら行かなくてはならない土地
境内からなんちゃって天守閣が見える
そこまでじゃ・・・というならぐぐるだけでもよし!
0356人間七七四年
2008/09/14(日) 11:48:54ID:BezDAOP0東照宮って全国に六百近くあるから、ちんまりした所も多いよね。
曳馬城址の東照宮なら浜松城の東側にあるよ。
碑の傍がゴミ捨て場だから、朝行くと切ない気分になる。
>>343
天気のいいとき本殿裏側を壁寄りから眺めると、残ってる金箔が
光って綺麗だよ。
拝観料出して中に入ると、裏側から唐門の左甚五郎の龍に
触れんだけど、いいのかなー、あれ。
0358人間七七四年
2008/09/14(日) 14:15:15ID:dW7xzoaaどもです。
家康好きだけどさすがに浜松まで遠征するのは大変…、なんでぐぐっておきますw
幼児の頃から人質だったり、家臣以外(もしくは家臣にも)一瞬たりとも
気を抜く事もできず70過ぎまで生きるってホント大変そうだよなあ
…と山岡家康読みながら思ってます、気苦労多かったにしては長生きなのは羨しい。
0359人間七七四年
2008/09/14(日) 16:51:23ID:RqU3ebstなのにデブったところですね。もともとあんこ型の体質だったん
かしら?
0360人間七七四年
2008/09/15(月) 01:00:34ID:7Z/9k+Pd0361人間七七四年
2008/09/15(月) 10:27:26ID:AuW65H/4テプるんだよね。
あのしかみの図あたりではまだテプってないでしょう。
そういう家康の体系変化一覧でもあるとおもろいけど、さすがにないか。
0362人間七七四年
2008/09/15(月) 10:41:41ID:9n3VylKh挙句の果てには夏の陣で馬に乗って一気に逃げた例があるので
固太りかと
0363人間七七四年
2008/09/15(月) 10:44:07ID:jM5cOmjIじゃなくて、晩年のだっけな・・・
最近流行の「歴史は間違ってる」的な本で
0364人間七七四年
2008/09/15(月) 12:12:31ID:DHpi+YfN>>>多少無能でも
>>氏真様のことかー!
>いや、彼は多少どころじゃないから
現代まで続いてるらしいぞ > 今川家
0365人間七七四年
2008/09/15(月) 12:39:34ID:6cixTeKQ0366人間七七四年
2008/09/15(月) 12:56:29ID:1AaApKd+家康逝去時の家光は11歳かな。
かなり適当と思われる。
0367人間七七四年
2008/09/15(月) 14:17:52ID:zm8gqRIZ>>>氏真様のことかー!
>>いや、彼は多少どころじゃないから
>現代まで続いてるらしいぞ > 今川家
色々保護受けたお陰だから氏真の能力とは関係ないな
0368人間七七四年
2008/09/15(月) 14:26:59ID:HHmk5gpD0369人間七七四年
2008/09/15(月) 18:30:59ID:YXE+oYU2明治の頃に出た論だっけ?
執筆者が成功する権力者は底辺から出るという信念に乗っ取って書かれた
本なんだけど、出版後発禁処分になって物議を醸したやつ。
いまでも、「史疑徳川家康」で読める本、結構出てるんじゃないかな。
隆慶の小説とかカムイ外伝に、この辺の話を絡めてるって聞いたことある。
>>366
大徳川展でも結構出てたね、家光の夢に出てきた家康の肖像。
ツレが「だんだん綺麗な家康になってる」と言ってたのが忘れられん。
0370人間七七四年
2008/09/15(月) 19:47:07ID:k77mw2Wh便秘の人にはデブが多い。
馬上でウンチを漏らしたのもあまりの恐怖で溜まってたウンチが一気に出ちゃったんじゃないかと。
0371人間七七四年
2008/09/15(月) 23:55:54ID:AuW65H/4あれは、家康の不用意な一言が出発点だったかな、3人いる、みたいなのとか。
家光時にはもう神様だから、正直には描けないもんなー。
0372人間七七四年
2008/09/16(火) 01:15:17ID:Xcm1Nc6L秀吉は猿っぽく書かれてるけどさ
0373人間七七四年
2008/09/16(火) 01:22:13ID:RTAwI9gt武将と公家さんじゃ価値観が違ったりもするだろうが。
0374人間七七四年
2008/09/16(火) 02:15:42ID:s1vGCDVyピザと筋肉達磨は別の生き物JK
0375人間七七四年
2008/09/16(火) 08:54:23ID:uWrXsVKc0376人間七七四年
2008/09/16(火) 11:43:09ID:D8Yc63tG0377人間七七四年
2008/09/16(火) 12:10:50ID:RTAwI9gt関東に移された時点で失望のあまり早死にしてたら日本はどうなってたか。
0378人間七七四年
2008/09/16(火) 19:33:50ID:Xcm1Nc6Lその頃の家康が何やってたかって考えると、長生きだよなあ。
0379人間七七四年
2008/09/16(火) 20:00:30ID:A+FD2jXf0380人間七七四年
2008/09/16(火) 21:25:03ID:zKRG6biXでも忠輝なんかは92歳まで生きている。
兄秀忠はおろか、家光通り越して綱吉の時代まで生きた。
乱脈な殿様生活から、禁固の質素な生活になったからかもしれないが…
ちょっと我慢強くしていれば、徳川一門の生き神様になれたのに。
0381人間七七四年
2008/09/16(火) 21:59:35ID:OGTv3Jpv同じ人間とは思えないよこの人。
0382人間七七四年
2008/09/17(水) 00:45:51ID:A9gjsldZ残念ながら栄養学みたいなのは無知らしいがな。
(粗食では出産・子作り大変だろう)
0383人間七七四年
2008/09/17(水) 01:33:58ID:au/rQVs30384人間七七四年
2008/09/17(水) 13:54:33ID:SyRXulDo0385人間七七四年
2008/09/17(水) 16:00:43ID:/aGU9EFwにしても、家康の長生き、というのは日本史上における最大の、運、だろうな。
本人は、節制も実力のうち、というだろうが、自分がいくつまで生きられるか、なんて
誰にもわからない。
それを信じて豊臣家殲滅を最後まで引っ張ったというのなら、もうオカルト的すごさだ、
家康は。
0386人間七七四年
2008/09/17(水) 18:58:20ID:74oeZb6Eというのは現代医学ですら認めた昔からある諺
生きよう、という気持ちが強かったんだろう
0387人間七七四年
2008/09/17(水) 22:18:05ID:YuOC/UHX0388人間七七四年
2008/09/18(木) 16:59:58ID:c1LMZO2fあやしうこそものぐるほしけれ。 」
有名なこのフレーズから始まる、吉田兼好の徒然草。この、教科書にも載っている有名な古典が、実は
忘れられた書物であり、その復活に、徳川家康が係わっていたと言ったら、意外と思われるだろうか?
家康が征夷大将軍となった慶長八年。彼は当代一流の学者による「講談」を行わせる。
これは、多くの民衆を前に行われる「公開講義」であった。
これに、儒教を家学とする清原家など、伝統的学閥は激しい抗議をした。学問とはあくまで、自分たちが
コントロールする世界であり、不特定の民衆たちに広めるなどとはとんでもない、と言うのである。
しかし家康はそれに構わず、これを行わせた。彼の晩年の最大のテーマは実は、学問の振興であった。
それは家康自身が学問好きだった、ということもある。それに加えて、彼の作った幕府は法治主義であり、
法が成文で公開された上で執行されていた。幕府としては、民衆がこれをきちんと読み、理解してもらわなければ、
円滑な統治が出来ない。家康の体制では、民衆が馬鹿では困るのである。
「よらしむべき、知らしむべからず」では、やって行けないのだ。
この、公開講義において、林羅山が「四書新注」を、遠藤宗務が「太平記」を、それぞれ講釈した。
そして松永貞徳がこの講義の題材選んだものは、百人一首と、彼の家に写本として伝わっていた、
「徒然草」と言う、鎌倉時代の書物であった。
この、徒然草の講義は、その内容の面白さと、それが世間によく知られていない書物だった事から、
たちまち評判になった。それは、その講義禄が出版されるに及んで全国に広がり、間もなく、写本の
形でのみ伝わっていた徒然草は出版され、およそ知識層の人間ならば、誰もが読む本となった。
徒然草が、「再発見」されたのである。
0389人間七七四年
2008/09/18(木) 18:13:06ID:M5Xq866W0390人間七七四年
2008/09/18(木) 19:09:16ID:EM5LWzbJ栄養学じゃなくても、生活に密着した科学ってのは
色々あったんじゃないの?
イノシシや鳥や馬などは食べてたと思うんだけど
精が付くとか思われてなかったのかな?
頼朝を尊敬していたらしいから、野蛮そうな食事に抵抗も無いはずだが。
0391人間七七四年
2008/09/18(木) 19:11:37ID:EM5LWzbJ六本木ヒルズが呪われてるとか書かれてるけど
あそこって赤穂浪士の一部が腹切った跡地だよね?
イケイケ会社は長続きしないし、派手なオフィスにもしないwww
0392人間七七四年
2008/09/19(金) 00:27:39ID:IdkS+Ujg0393人間七七四年
2008/09/21(日) 09:48:07ID:LuNIO2ic0394人間七七四年
2008/09/21(日) 13:18:18ID:ueYw+xfEどうしたら良いかを決めるための参考情報として
役に立つ学問らしい。 考古学は知らんがw
0395人間七七四年
2008/09/30(火) 10:12:21ID:oDbuMKfGその歴史学が単なる暗記科目になってところが残念だけどね。
ゲームの影響かやたら単語には詳しいんだけど、年号には弱そうだからおもろい。
0396人間七七四年
2008/09/30(火) 16:16:00ID:2Dr2KcqJ> その歴史学が単なる暗記科目になってところ
それは歴史学じゃなくて、ただの受験科目としての歴史だよ。
0397人間七七四年
2008/10/10(金) 08:58:20ID:4wZQY3+r「家康討伐」とかあってさあ…
家康はどっちみち歴史上勝者なんだからちょっと位叩いたっていいだろー!
って感じがして嫌だ。
0398人間七七四年
2008/10/10(金) 16:03:24ID:e4AweKMX0399人間七七四年
2008/10/10(金) 18:20:40ID:tA7WlSnw0401人間七七四年
2008/10/10(金) 20:37:06ID:Tj+vjPBl家康の愛刀として三池光世作ソハヤノツルギウツスナリってあるよな?
「名刀 その由来と伝説」って本に「坂上田村麻呂の愛用した剣は『そはやのつるぎ』と呼ばれていた」って
書いてあったんだがこれが家康の太刀の原型なんだろうか?
まあ同じ本の三池光世の項で全く触れられていないんだが
0402人間七七四年
2008/10/10(金) 23:37:28ID:nXsSY5+S判官だの慰霊だのなんて必要ないと思うけどね
0403人間七七四年
2008/10/11(土) 09:08:47ID:mkxWiyjA0404人間七七四年
2008/10/11(土) 09:36:41ID:Y1znoeyK義の人義の人って言われてるけど、結構黒い事もしてたんじゃないのか。
0405人間七七四年
2008/10/11(土) 23:00:32ID:oOVF5933家康はけっこう黒い部分とか冷徹な部分っていうのが取り上げられてるのに、石田三成ってあんま取り上げられないね。
酷い人になると、徳川家康とか黒田長政とか関ヶ原東軍の言い分も知らずに悪党扱いしてる馬鹿もいるし。散々叩かれたはずなのに未だに各所でそんなことやって煽りまわってるものなあ。
正直こういう風潮は良くないね。
0406人間七七四年
2008/10/13(月) 14:00:15ID:yvaQMqMa自分が天下を取れたのは武田信玄と石田三成のおかげである・・・
・・・三成が叛乱を起こしたのでそれを討って天下を取れた・・・
三成には感謝しろよ家康厨
0407人間七七四年
2008/10/13(月) 14:28:56ID:qWluWNSA別に三成は嫌っちゃいないし、関ヶ原みたいな大掃除までやらせてくれたと思ってるが何か?
三成が何考えてたかは知らんけど
0408人間七七四年
2008/10/13(月) 18:31:46ID:P5EhVH1k浜松は見事に家康軽視だな
もっと観光のネタに使ってもいいようなものを
0409人間七七四年
2008/10/13(月) 19:56:20ID:KqORPji5野面積みが残ってるだけでも御の字だ。
しかし、家康の三方ヶ原の逃亡エピソードは色んな種類があるんだな。
民家の屋根に登って、葺き替えするフリをしながら武田軍をやり過ごしたって話は
領民になじみすぎてて微笑ましい。
0411人間七七四年
2008/10/13(月) 22:22:11ID:qPVdbe76ゴキブリホイホイにゴキブリが突っ込んできてくれたからってゴキブリに感謝するか?
引っかかるゴキブリがアホなだけだ
0412人間七七四年
2008/10/13(月) 22:28:54ID:KHqftBYf浜松での家康のイメージって三方ヶ原の逸話がほとんどだからなぁ。
天下人としての家康と浜松はあまり結びつかないな。
それゆえ親しみやすいんだけど、観光のネタには使えるかな?
やっぱそういうのは静岡の方になるんじゃないか。
0413人間七七四年
2008/10/14(火) 21:59:23ID:zU5ED3o0高天神だって浜松じゃないし
三方ヶ原と信康事件の2題で頑張るしかないか・・・どうやって
0414人間七七四年
2008/10/14(火) 23:18:03ID:0bNM7PoC同情引けそうなんだけどね…
0415人間七七四年
2008/10/15(水) 01:14:49ID:0FDebEqPそれ以外語る事はございません。
0416人間七七四年
2008/10/15(水) 01:28:08ID:sGHYYgfj0417人間七七四年
2008/10/15(水) 09:41:16ID:zG30Fj6g0418人間七七四年
2008/10/15(水) 12:28:25ID:XcHWxgmX今川氏真の籠もる掛川城で半年も粘られる
籠城しろと主に言われてるのに誘き出されて漏らしながら逃げる
滝川軍の撤退によって空白となった甲斐信濃を抜け目なくかっさらうが真田の処理を誤り北信濃の支配権を確立できず
羽柴柴田の争いに横やり入れず
ボンボン率いる別働隊を撃破して喜んでたら同盟者が籠絡されてた
当時の中山道の状況を把握せずに秀忠を叱責
圧倒的大多数で裸城を囲みながら本陣を強襲される失態
信長家臣団として配置された時はがんばってるけど、ひいき目に見ても戦上手ではないよな。
秀吉が死んでからの政治力は見事だけど生きてる間は常に先手をとられてるし。
0419人間七七四年
2008/10/15(水) 12:56:02ID:R97cOZyPこれだけネガティブに言われても2:1の割合で戦術能力はあるので戦上手といわれても問題なし。
名将とかは言いすぎだけど。
0421人間七七四年
2008/10/15(水) 19:31:06ID:5yG6CmUZ>圧倒的大多数で裸城を囲みながら本陣を強襲される失態
>甲斐信濃を抜け目なくかっさらうが真田の処理を誤り北信濃の支配権を確立できず
知らん詳しく!
>今川氏真の籠もる掛川城で半年も粘られる
兵力大事にしたんでしょ。
>籠城しろと主に言われてるのに誘き出されて漏らしながら逃げる
意気誇示したかっただけなのに、やられ過ぎただけ。
>羽柴柴田の争いに横やり入れず
弟分なのだから、確かに不思議ではある。
>ボンボン率いる別働隊を撃破して喜んでたら同盟者が籠絡されてた
秀吉がやり手過ぎただけ。 3家老も斬ってなかったっけ?
>当時の中山道の状況を把握せずに秀忠を叱責
本体温存のパフォーマンスでしょw
0422人間七七四年
2008/10/15(水) 20:53:12ID:aiHY28mzたまに忠義心も少しはあったんじゃないか、なんてカキコがあると
ボコボコにされてる。
秀吉恩顧と言いながら家康に味方するのもなんだと思うんだがな。
0423人間七七四年
2008/10/16(木) 00:10:55ID:xDi6hezlどこでもやっていることを豊臣だけがやっているようにみせかけたのが秀吉恩顧という造語でしょ
朝鮮出兵の失敗でもう豊臣は恩賞を出せないんだから
次は家康に雇ってもらおうと考えるのは恩顧として当然の行為でもある
0424人間七七四年
2008/10/16(木) 00:15:20ID:eLp9kSOi取り立ててもらった、恩に感じている、そんな風にとらえてましたけどね。
現代の欧米的なビジネスライクな意味での恩顧じゃなくて。
0425人間七七四年
2008/10/16(木) 00:20:44ID:u1DWPk+3秀吉に引き立ててもらった三成や正則みたいな子飼いの連中を
便宜上単に豊臣恩顧って呼んでるだけだろう
0426人間七七四年
2008/10/16(木) 00:23:46ID:eLp9kSOiだから引き立ててもらった恩を忘れたか〜、って。
0427人間七七四年
2008/10/16(木) 00:34:16ID:xDi6hezlじゃあ信長恩顧や家康恩顧なんて言葉を使うかといわれればほとんど使わないよね?
秀吉だけが恩顧という言葉を使われて信長や家康とは比較にならない恩を与えたように誤解されがちだが
秀吉に引き立てられることが信長や家康に引き立てられることより素晴らしいとする根拠は無い
むしろ家康よりも恩がたいしたことないから見捨てられたとも考えられるでしょ
0428人間七七四年
2008/10/16(木) 00:39:11ID:q2AFqYdL信長や家康みたいに譜代の臣がいないからじゃねえの
0429人間七七四年
2008/10/16(木) 02:12:13ID:AbR3cYq6誰もそんな誤解してないだろ
馬鹿じゃねーの
0430人間七七四年
2008/10/16(木) 08:59:29ID:XVDKPb1K0432人間七七四年
2008/10/16(木) 21:35:41ID:XycpekJrたとえば配下の本多忠勝とは単純に比較できないわけで
そういう部分を見ても、当主格で比較したら上手い方に入るんじゃないか、という感じじゃないの
他の当主たちだって細かく見てみれば結構負け戦してるだろうし
天下人になっちゃったから他より根掘り葉掘りされたり
勝ちも負けも過大に取り上げられたりしてるというふうにね
0433人間七七四年
2008/10/16(木) 23:18:13ID:eLp9kSOiもらったというのはそれなりの恩だと思うけどね。
いろんな合戦なんかで十分に恩は返してるからより高給
くれるところに転職、というのは今時っぽい発想ではあるな。
0434人間七七四年
2008/10/16(木) 23:53:49ID:K8nplMMSただ、関ヶ原は豊臣の内部対立の形を取ったし、江戸幕府成立以降は家康に恩や義理も出来てしまっている。
0435人間七七四年
2008/10/17(金) 07:59:49ID:kwiWimu00436人間七七四年
2008/10/17(金) 08:41:19ID:Z/j75use兄貴を謀殺してんじゃねえよってな
0438人間七七四年
2008/10/17(金) 14:43:36ID:s69+2aiNそこらあたりがよくわからないとこで、関が原の領地分配なんかでは家康は
豊臣系武将に結構気を使ってる。
これをもってして事実上徳川の配下になり将軍宣下も認めてしまった、という
ところなのかな。
秀忠は遅れてるし実際に西方に勝ったのは自分たち、と強気に出て秀頼を
関白就任させ、元の五大老システムに戻そう、というようにならなかったのは
単にまとめ役がいなかったからなのか。
家康がうまくやったことは事実なんだろが。
0439人間七七四年
2008/10/17(金) 15:36:47ID:v0LqkXks家康を担ぎ出さなければ内輪揉めすら収められない事を露呈しておいて「天下は俺たちが!」と言っても誰も信用しないし、
何より本人達にその自信が無い。
五大老を再築するにしても、毛利・上杉などが片付けられたせいでそんな力がある奴はいない。
前田は動かないし、伊達に関しては寧ろ徳川の方が縁が深いので、今更動かなくても黙っているだけで勝手に豊臣政権時より中央に近くなる。
島津は遠い。
第一、五大老なんて秀吉の残した急場しのぎの不安定な政体だしな。
放っておけば徳川中心で安定するのに、わざわざ不安定な状態に戻そうだなんて考える奴がどれほどいたか。
そんな不安定な立場に担ぎ出される方もいい迷惑だ。
0440435
2008/10/17(金) 16:58:27ID:kwiWimu0盛親公を誹謗するんじゃねぇ!親忠殺しは久武の讒言が原因だって知ってんだろうがよっ!
おめぇさんみてぇに斜めにものみて生きてる下郎にゃが盛親公を理解出来るはずもねぇがな。
0441人間七七四年
2008/10/17(金) 17:39:15ID:s69+2aiNふむふむ。
いろんな要因があるけど徳川中心の安定社会でオケというのが
豊臣系武将の本音でもあり仕方ないとこだったのかな。
とりあえず秀頼をたててさえくれれば、と。
こう考えると家康がすぐに秀頼たちにどうこうしなかったのもうまく説明
出来るよね。
もちろん家康からみたら安定政権基盤のためにやることもいっぱい
だったろうし。
五大老と言うのはともかく徳川幕府内にそういう三大老でもなんでもいいけど
より豊臣系大名の勢力を強く保てるシステム作りをする動きもなかったみたい
だけど、これは各大名の政治家としての能力の問題もあったんだろね。
思いつきだけど、家康が法度で朝廷の管理を急いだのも秀頼が関白に
なったりするとまたややこしいからそういう意味で徳川幕府の基礎つくりと
共に秀吉政権の基礎を少しでも減じようとしたと言う感じか。
ちょっと話がズレるが秀吉政権というのは一種の公家政権という側面も
強いから、それに対抗したのは幕府開設以来の家康の一貫した思惑で
ものすごくうまくやったと思うのだよね。
役者が違ったということか。
0442人間七七四年
2008/10/17(金) 17:43:45ID:RcyBg5sP当人は東方に付きたいという意志もあったという話しだが…
その辺上手くやった山内に国を取られたって言うのは因縁か。
0443人間七七四年
2008/10/17(金) 17:54:43ID:kwiWimu0正直言うと長宗我部氏マンセーは半ば冗談ですw
家康にも山内氏にも恨みなんてありません。
私は長宗我部元親スレで山内氏に仕えた長宗我部上士は許せない!なんて言ってますが、私の先祖もその一人です←重臣じゃありませんが
ただ、盛親は本当に東軍につく気だったのならば、近江の関所で長束家来に阻止された後も家康に使者を送れたはず。
関ヶ原合戦の直前に密使を送ることもできましたし。
0444人間七七四年
2008/10/18(土) 08:42:10ID:YIzb3jVWあと秀頼が秀吉の子じゃないってのも
みんな薄々分かってて、天下人にまでは出来なかったとかw
おまいらサブプラみたいなバブル仕掛ける仕事して
高禄もらう世の中どう思う?
やっと徳川家から続く、真面目にコツコツが評価されやすい世の中に
成りそうだと思わないか?
0445人間七七四年
2008/10/18(土) 10:13:27ID:GKmSSGPB外様には大盤振る舞い
家康の時代ではないけど、玉川上水をつくった玉川兄弟はもっと
評価してやるべきだったろう。水がなきゃみんな死んじゃうよ。
0446人間七七四年
2008/10/18(土) 11:13:29ID:8/xqMIh3「権力は譜代に、経済力は外様に」と
外様を遠方に追いやるための政策なんだから、仕方ない。
多分この板で初めて教えてもらった考え方だけど
物凄い良い考え方だと思ったぞ。
0447人間七七四年
2008/10/18(土) 11:14:50ID:WNELhYpAそこはそれ、譜代は必要以上の厚遇はせず、その代わりアフターケアはしっかり行う
外様は基本的に一代限り
0448人間七七四年
2008/10/18(土) 12:28:56ID:/39Q/Xk70449人間七七四年
2008/10/18(土) 17:30:52ID:kTky/FAr0450人間七七四年
2008/10/18(土) 20:05:31ID:N/cWRyKd0451人間七七四年
2008/10/18(土) 21:08:56ID:Vj0hs9dl黒田と鍋島と細川と島津と毛利が連合したら危ないでしょうが。
小笠原だけでは抑えられないでしょうが。
現実に幕末の小倉城はダメダメだったでしょうが。
四天王の榊原は老中を出してないし、譜代は転封ばかりだ。
0453人間七七四年
2008/10/19(日) 10:37:56ID:bHoDu+uO半分以上は幕末まで続いたんじゃないの?
>遠方に外様大藩を配置したら危ないでしょうが。
仲悪い家同士を監視させたはず。
>現実に幕末の小倉城はダメダメだったでしょうが。
250年も持ったって事?
>四天王の榊原は老中を出してないし、譜代は転封ばかりだ。
筋肉バカが流行らなかったんでしょう?
0454人間七七四年
2008/10/19(日) 18:57:59ID:NBoHOA0Uまぁifなんで結論なんて出ないだろうけど・・・・
この人にとってはあの裏切りは結果的にはプラスに働いただろうな。
0455人間七七四年
2008/10/19(日) 21:01:13ID:8F8Mx1uK0456人間七七四年
2008/10/19(日) 21:36:40ID:REH+BOTU0457人間七七四年
2008/10/19(日) 22:01:04ID:+4Yn4XmZついでに本能寺も無いと考えて
どっちも織田家の完全な配下に
無抵抗で
0458人間七七四年
2008/10/19(日) 22:06:03ID:pZqNzLHZ0459人間七七四年
2008/10/19(日) 22:12:27ID:63lYBEUV本能寺の変がないどころかそれ以前に死んでるだろ。
僥倖に助けられすぎ。
0460人間七七四年
2008/10/20(月) 09:09:38ID:JCG9VR8o0461人間七七四年
2008/10/20(月) 10:17:56ID:aNnfOL8V0462人間七七四年
2008/10/20(月) 17:58:47ID:F3PITGVB徳川埋蔵金は日光東照宮
0463人間七七四年
2008/10/20(月) 21:15:16ID:MFCbtZ/x超強運なのは英雄の条件だぜ。
0465人間七七四年
2008/10/20(月) 23:38:22ID:IsD5o8il0466人間七七四年
2008/10/21(火) 02:25:27ID:qVtYFjIS0469人間七七四年
2008/10/21(火) 22:43:35ID:J8j9Dn2V天下を取ったという事実があれば
0470仙台藩百姓
2008/10/21(火) 23:41:39ID:tt9nEWyL0471人間七七四年
2008/10/21(火) 23:48:56ID:CMDdnxlL日本の場合はなぜか両者が混同されがちだが完全な別物
0472人間七七四年
2008/10/21(火) 23:58:12ID:PltbT5lW0473人間七七四年
2008/10/22(水) 01:10:37ID:6xwUNTZG0474人間七七四年
2008/10/22(水) 20:08:13ID:ovzBJlNy0475人間七七四年
2008/10/22(水) 21:45:06ID:JebmbXCrhttp://www.shinchosha.co.jp/book/400424/
0476人間七七四年
2008/10/23(木) 00:37:57ID:Nx5OXNnY日本史上最長の政権?だけどなw
>短命で終わる奴なんて所詮は英雄ではなく判官贔屓に過ぎないだろ
格差社会の現代日本においても、
小泉改悪みたいな実力主義の典型でもある信長が
断トツの人気という不思議。
0477人間七七四年
2008/10/23(木) 08:58:01ID:1jajUMVb平成生まれだったら天下は取れない。
0478人間七七四年
2008/10/23(木) 09:00:17ID:e7FJPJ0Gなんか読むもの読むもの西軍贔屓で嫌気がしてる。
0479人間七七四年
2008/10/23(木) 10:24:42ID:2QhdJGADでもそこがいい、飼いならされた戦国大名に興味は無いぜ。
0481人間七七四年
2008/10/23(木) 13:17:00ID:e7FJPJ0G自分は家康が悪らつでもいいんだ、実際そういう所あって当然と思うし。
ただ書き手が家康が嫌いってのが透けて見えるようなのが苦手ってだけでさ。
0482人間七七四年
2008/10/23(木) 16:03:00ID:oGmxOrHi宮城谷信者だが、面白かったよ。
家康の人物像を情・非情でなく、天秤として捉えているのは初めて読んだ気がする。
0483人間七七四年
2008/10/23(木) 16:43:52ID:jVrQwkhq海道一の弓取=徳川家康のこと。東照宮御実紀に、家康のことと書いてある。命名者は秀吉で、小牧長久手で家康が大勝したことから。 誰が、今川義元のことと捏造宣伝したのか? 小和田哲男の静岡人?
秀吉掌を打て長く歎息し。誰か徳川を海道一の弓取とはいひしぞ。凡日本はいふにや及ぶ。唐天竺にも古今これ程の名大将あるべしとは思はれず。軍略妙謀あへてまろ等が及ぶ所ならずと感服し。東照宮御実紀巻三
0484人間七七四年
2008/10/23(木) 18:07:30ID:If2gY6Dh0485人間七七四年
2008/10/23(木) 18:28:03ID:l3G0Jk7x0486人間七七四年
2008/10/23(木) 20:41:06ID:NOEm+HiIかつ全国の大名達が担ぎ上げた男が客観的魅力にかけていたとは
思わない。
0487人間七七四年
2008/10/23(木) 21:29:54ID:aTN51dsu実に魅力的だ。
0488人間七七四年
2008/10/23(木) 22:32:09ID:rJJC7bq+0489人間七七四年
2008/10/23(木) 22:33:14ID:ZmtwoMu9学研のなんとかシリーズとかああいうタイプの方が好き
>>479
戦う武将と、謀略する武将のどっちも楽しめるからいいのだ
だから最近になってなんとなく似てる黒田長政にも興味が出てきた
0490人間七七四年
2008/10/23(木) 23:20:22ID:kUUUEQ/n客観的に見ると最高に気持ち悪いけど、自身には至福の時なんだよ
0491人間七七四年
2008/10/24(金) 00:27:38ID:eBKJ6LAF当時の武士にとっての魅力とは自分の戦功を認めて恩賞をくれること
織田は本能寺の後は魅力が皆無となり
豊臣は朝鮮の失態で魅力が皆無となり
三成は関ヶ原の前から魅力がなかった
家康は魅力がないどころか唯一魅力が皆無にならなかった人間だよ
0493人間七七四年
2008/10/24(金) 09:48:37ID:M5ezNLneその話が平八郎から伝わって、千葉では走るバーさんという
伝説になっているんだよ。
参考文献:すすめパイレーツ
0495人間七七四年
2008/10/24(金) 18:37:32ID:9MwVFXlNhttp://ansokuwww.blog50.fc2.com/blog-entry-154.html#154
0496人間七七四年
2008/10/25(土) 00:33:45ID:NBkQ/Wwf0497人間七七四年
2008/10/27(月) 13:15:03ID:iMusgrM4俺は、松方弘樹主演の徳川家康の最後に>>1 の遺訓があって
それから気になった。
0498人間七七四年
2008/10/27(月) 19:24:21ID:n0aaR/Qw山岡荘八の聖人君主家康を見たときかな。
それまでで結構謀略家なイメージがあったけど、山岡の作品によって家康のそういう面も知って、その二面性が好きになった。
あと、>>1の遺訓を実際に家康が言ったかどうかはともかくとして、その言葉が似合う男なのも好きなところ。
0499人間七七四年
2008/10/27(月) 21:03:09ID:+Ycs87SM0500人間七七四年
2008/10/27(月) 21:48:01ID:TYffZ5gq戦国ゲームでは他家でもよくやってたが、なんだかんだで徳川も家臣にいいのが揃ってた
歴史群像シリーズをよく見るようになったらやっぱり天下を統一した人間がすごいと分かった
こういう普通の流れで家康一番という結果に
0501人間七七四年
2008/10/27(月) 21:48:30ID:TYffZ5gq1行目、要らん文字を消し忘れた(´・ω・`)
0502人間七七四年
2008/10/27(月) 22:27:52ID:35VeXXOR0503人間七七四年
2008/10/28(火) 00:42:28ID:HNQbywb0それから子供向けの伝記とか読んではまった
ついでに今川といったら氏親というマイナーな人間になっちまったがな
0504人間七七四年
2008/10/28(火) 12:51:43ID:PxOz9lRH愛知ってくくりで考えれば、バカと猿は嫌いだから成立つし
桶狭間の時は織田家へ寝返った地域でもあるんだが、、、
0505人間七七四年
2008/10/28(火) 18:46:19ID:2/W8dK6z0506人間七七四年
2008/10/28(火) 23:25:57ID:I3QeepfY0507人間七七四年
2008/10/28(火) 23:37:52ID:ZTuk4SXW0508人間七七四年
2008/10/28(火) 23:38:27ID:9ii0uOYL小学校の図書館にあった日本の歴史の戦国末期について解説してた本を読んだとき。
なんていうか、激戦の真っ最中に劣勢にもかかわらず、躊躇していた小早川秀秋を
寝返らせた度量に、なんつーか、器が違う!って思ったのよね。
若い頃について真面目に調べだしたのなんて、その20ウン年も後の話。
近年入れ込みだしたのは、隆慶一郎先生と、水野勝成に興味が出たから。
残りの三傑については、漠然となにか大事なものが欠けてる感じがして、どうにも好きに
なれなかった。
無用の虐殺を好む性があったとか、華やかに見えて、それが最弱層からとことん搾り取る
酷政に基づいていたとかをしったのはずっと後の話。
0509人間七七四年
2008/10/29(水) 08:17:20ID:Q4jCKFIH武将スレなんてそんなもんです
>>508
信長・秀吉に関しても調べてみると面白いと思うよ。
どちらも「虐殺好き」とか「成り上がり」と単純化して見てしまうのはもったいない器の持ち主だし、
なにより、この二人抜きで家康を語るのは片手落ちだと思う。
家康七十数年の生涯において、二人の陰にいた期間のほうが長いからね。
0510人間七七四年
2008/10/29(水) 10:13:44ID:fg0AYqtpなんでこんな人物が狸って言われてるんだろうと不思議に思った
それから興味持ちはじめたかなあ
あと焼き味噌とか、上のレスに出てきたばーさんに追いかけられた話とか普通なら隠したいだろうに
あえて残しちゃうのもすごい、大人物が天然かドMじゃないと出来ない
0511人間七七四年
2008/10/29(水) 12:43:06ID:h3z02sTFある程度の戦国好きなら、そんな解釈はしてないはず。
>「嬉やと 再び覚めて 一眠り 浮世の夢は 暁の空」
とりあえず聞いた事無いw
俺なんて中学の卒業文集に、>1 の遺訓載せてる
0512人間七七四年
2008/10/29(水) 12:50:03ID:fg0AYqtp0513人間七七四年
2008/10/29(水) 12:57:54ID:fg0AYqtp>>511
聞いたことない?
秀吉のも有名だけど、これもいい辞世の句だと思うんだけどな
0514人間七七四年
2008/10/29(水) 14:34:34ID:n4zsWvR/ちなみに忠勝の辞世の句ってどんななの?。
今さっき自分も
「きっと他の戦国武将だって戦でウンコくらい漏らしただろうに
いちいち絵にしたりしないだけだよなあ…、そう考えると家康ってすげえわ」
って考えてたとこだったw
0515人間七七四年
2008/10/29(水) 15:33:21ID:fg0AYqtp実直な忠勝の忠心にも感動するけど、逆に言えばこういう句を重臣に残されるっていうのも
そうまで心酔されるに値する主君だったんだろうなって思ってさ
0516人間七七四年
2008/10/30(木) 01:40:29ID:GkVvWiIsうんこ漏らしはさすがに恥ずかしかったのか、それを指摘した近習には味噌だと嘘ついてたはずだぞ
後世に伝わったのは三河物語のおかげ
0517人間七七四年
2008/10/30(木) 09:22:17ID:NjduxCgM0518人間七七四年
2008/10/30(木) 12:48:45ID:aJImbK3K嘘でも良いから口角を上げ、能に快い状態である刺激を与える必要があるので
くそみそエピソードはあの状況下で笑いをおこすためにやったともとれる。
0519人間七七四年
2008/10/31(金) 18:23:19ID:mmkAuLF7どこまで遠回りしてんだよってぐらい
0521人間七七四年
2008/10/31(金) 23:41:07ID:lKHOiMhchttp://www.aozora.gr.jp/cards/001095/files/42911_25520.html
爪を噛む癖のある人は小心者だとのこと
0522人間七七四年
2008/11/01(土) 07:34:25ID:V0ChmTQj影武者がみみっちいからと言って唯一真似なかったために
刺客に真贋を見抜かれることになる、って設定だったな
まああんまりいい癖ではないよね
0523人間七七四年
2008/11/01(土) 14:35:27ID:Me0qcZbg夕飯食っているときに見ると飯がまずくなるからとかで。
でm津川雅彦が飯食いながらテレビみんなってキレてた。
0524人間七七四年
2008/11/01(土) 17:22:19ID:R1fRQxcz爪を噛むのは短気な人もやるから、併せて考えると、気が短い人だったんだろうと思う。
0525人間七七四年
2008/11/01(土) 19:11:53ID:d1ljMBkF大したもんである
まぁ、センゴクではないけど松平・徳川家は血の気が多い
秀忠ですらそうだもん
0526人間七七四年
2008/11/02(日) 13:59:57ID:gJn2jpGw【真?】戦国逸話検証スレ【偽?】
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1196778610/
0527人間七七四年
2008/11/02(日) 14:27:13ID:Z+NLqm+I>うんこ漏らしはさすがに恥ずかしかったのか、それを指摘した近習には味噌だと嘘ついてたはずだぞ
>後世に伝わったのは三河物語のおかげ
嘘っていうより、強がりだな。
家康が糞漏らしたっていうのは徳川の家中では公然の秘密で、
それを記録に残したのは彦佐だけだったっていうのが真相じゃないかな。
0528人間七七四年
2008/11/02(日) 22:13:52ID:UKegKkd4織田信長だって本能寺で漏らしたかもしれないし
石田三成だって関ヶ原で漏らしたかもしれない
でもこいつらは敗北で人生も終わり栄華も終わって反省する必要もない
家康だけが人生が終わらずしっかり反省する必要があったから記録されたともいえる
0530人間七七四年
2008/11/03(月) 14:47:12ID:ubzCCLGvhttp://ansokuwww.blog50.fc2.com/blog-entry-154.html#154
おもわず5時間掛けて全て見てしまった。。
0531人間七七四年
2008/11/03(月) 15:26:11ID:leoeS/W7家康は押さえ込んでるだけでときどき爆発した逸話があるね
息子たちもどいつもこいつも血の気多いし、大人しいとされる秀忠もけっこう負けん気強かったらしい
0532人間七七四年
2008/11/03(月) 19:39:21ID:I3Lq/6y90533人間七七四年
2008/11/04(火) 20:12:38ID:bfEsdkVw0535人間七七四年
2008/11/04(火) 21:50:22ID:B8rh3UDk0536人間七七四年
2008/11/04(火) 22:19:27ID:L3A9+tRr0537奇矯屋onぷらっと ◆SRGKIKYOUM
2008/11/06(木) 00:32:12ID:9OWMa4Ul0540人間七七四年
2008/11/06(木) 01:44:49ID:zrR6bPYR0541人間七七四年
2008/11/06(木) 18:42:24ID:l0fDWeN2他に、読んだほうが良いお勧めの本があったら教えてください
0542人間七七四年
2008/11/06(木) 20:56:07ID:4pu4BYGb0543人間七七四年
2008/11/07(金) 10:35:52ID:V6y20kX0不信派の反論が無いから信じてしまいそう。
今思えば東照宮のガイドに、その辺を突っ込みたかったが
参拝料取ってるのにガイド別料金に愕然として
そこまで思い付かなかった(′・_・`)
そもそも明智家臣や豊臣一門の妹が将軍を産んだり育てたり
ってのが他に無いのかよって気はするw
0545人間七七四年
2008/11/07(金) 16:31:02ID:uCTE2YYL0546人間七七四年
2008/11/07(金) 19:22:09ID:1EBmvVlN池宮彰一朗氏の「遁げろ家康」は読みましたか?私は三傑の中で家康が一番嫌いでしたがこの本を読んで一番好きになりました。家康の人間くさい魅力に引き込まれます。
0547人間七七四年
2008/11/07(金) 20:37:27ID:QGwog71iあの騒ぎで書店から撤去されて古本屋でプレミア付いてるとかなんか聞いたような
0548人間七七四年
2008/11/07(金) 22:02:35ID:7YELf76/0549人間七七四年
2008/11/08(土) 12:06:18ID:CMVP5e+m不意打ちとかじゃなく、まともに戦ってるイメージあるんだけど、、、
0550人間七七四年
2008/11/08(土) 13:42:48ID:3hbwEXvbてか義龍はバカ息子ではないぞ
信長の美濃侵攻を数年の間許さなかったからな
まあスレチですわ
0551人間七七四年
2008/11/08(土) 19:21:22ID:Sb5jAYaY0552人間七七四年
2008/11/09(日) 00:36:48ID:PhhwnGImタイの天ぷらですら、疑わしいとすら思ってる。
>>550
家臣はなぜ段違いに優秀な先代に付かないのだろう?
0553人間七七四年
2008/11/09(日) 01:07:12ID:BrnFc4QK>>552
斉藤氏の家臣団は、元々土岐家の家臣でもあり、
義龍は土岐頼芸の落胤という噂が、ある意味正当性を帯びて、家臣団が付いたという流れもある
それに、義龍本人も暗愚ではないし、道三と比較しても遜色は無い
0554人間七七四年
2008/11/09(日) 15:33:59ID:+YbGpk9K定説では胃ガン・食道ガンの消化器系疾患だった気がする
梅毒というのは初めて聞いた
そのネタ元が知りたい
0555人間七七四年
2008/11/09(日) 16:23:53ID:YAsg3xpjノブヤボ厨か?
世の中全部ステータスでくくれると思ってんの?
今現在自分の所領を安堵してくれてる方、自分にとって
有益な方に付くだろ常識的に考えて。
0556人間七七四年
2008/11/09(日) 19:38:04ID:wT/m361F経営傾いた組織には、優秀な人材は逃げ出して居ないと思うんだが、、、
桶狭間の時になぜ信長に付いてたのかは分からんけど。
>>553
納得できる見解ありがとう!
0557人間七七四年
2008/11/09(日) 20:35:55ID:eUgxsmMF大坪雄三著「英雄たちの臨終カルテ」羽衣出版かと
淋病は患っていたらしいのと、当時の梅毒薬として用いられた水銀を
用いた薬を用いていたからしい
0558人間七七四年
2008/11/09(日) 21:08:58ID:Se9BgSnD最近では道三自体の能力への疑問も提示されている。まず、成り上がりは親父の仕事と判明したことが大きい。
そして道三の代では実は美濃は内乱と隣国の侵略に何度もあっている。それを悉く退けていることは道三の
軍事能力は優れていただろうが、内治・国内統制という面ではかなり問題があった模様。
だからこそ、豪族達は一種のクーデターで道三を隠居に追い込んで義龍をたてたわけで。
道三と義龍は、かつての通説の武田家における信虎―晴信に似ている。まあ近年は信虎も再評価されているが。
0559人間七七四年
2008/11/10(月) 00:32:31ID:XGAF489r隙あらば自分達の既得権益を分捕りにくるし、であんまり嬉しい
存在じゃないんだよな。
0561人間七七四年
2008/11/10(月) 22:57:30ID:nh35iBLLあの年齢で梅毒はないだろ。側室も結婚歴あるのが多いし。
0562人間七七四年
2008/11/10(月) 23:00:49ID:qc4JncoMこれまで道三ひとりでやったとされたことが
(油屋から美濃をとるまで)親子二代でやったことと分かった。
道三自体はすでにそれなりの地位にいた親父の息子としてスタート。
もちろんその有能さは間違いない。
0563人間七七四年
2008/11/10(月) 23:03:18ID:XBBMNC1r0564人間七七四年
2008/11/11(火) 00:10:39ID:MbBfqIdfん? でも小競り合いすらしてる記憶が無い。
つまり城主嫡子から国主になったって事? かなり凄いじゃん。
0565人間七七四年
2008/11/11(火) 20:59:37ID:DZTZ93FYおお、その本は知らなかった。ありがとう! 読んでみるよ。
性病というと、息子の秀康のこともあるから、用心はしていただろうね。
0566人間七七四年
2008/11/12(水) 17:49:50ID:omUm5fVaほらみろ、ほどよく盛り上がってたのに
0567人間七七四年
2008/11/14(金) 16:28:16ID:DebgpFTY0568人間七七四年
2008/11/14(金) 22:03:32ID:UoFUt9yXついでに夫婦の仲も、そこら辺が遠因
直接的な原因は通説が揺らいでるので、不明
0569人間七七四年
2008/11/15(土) 00:00:19ID:RIsBwzl1偉大な先人の皆様、日本を助けてください。
【日本の選挙】 ∧,,∧
/| ̄ ̄ ̄| <丶`∀´> ←二重国籍
/| ̄ ̄ ̄∧,,∧ (つロと )
/| ̄ ̄ ̄|..( `ハ´ ) `u-u´
/| ̄ ̄ ̄|....|φ ∪ )←帰化 ∧,,∧
| ̄ ̄ ̄|....|/ `u-u´ < >←外国人参政権
|___|/ ∧,,∧ ( o ∪
|| || (´;ω;) ∧,,∧ `u-u´
( つロと) <丶`∀´> ←偽装認知
`u-u´ (∪ つロ_____
`u-u/ = = /|
| ̄ ̄ ̄ ̄| |
| 投票箱 | |
|____|/
【外国人激増】国籍法改悪案の反対【日本破綻】★4
http://changi.2ch.net/test/read.cgi/ms/1226616603/
0570人間七七四年
2008/11/15(土) 00:02:31ID:+lWqKpJV【信長の命令?】信康自刃の真相【家康の意志?】
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1196319097/
0571人間七七四年
2008/11/15(土) 00:04:21ID:qj+IPTw3おそらく家康は60過ぎまで家督と実権を保持し続けると何かいいことがある予感がしていたんだよ
でも18歳しか年の差がない信康がいるとその歳まで家督と実権を保持し続けることが難しい
だから本能寺の前に信康には消えてもらわなくてはならなかった
家康に実は予知能力があったとみるのが妥当な見解だろう
0572奇矯屋onぷらっと ◆SRGKIKYOUM
2008/11/15(土) 00:19:49ID:oeN/fC4g秀忠が将軍になる年まで生きてたらもう初老どころじゃないからなあ。
0573人間七七四年
2008/11/15(土) 04:18:41ID:mBpqVRwq長い間明確な後継者決めてたわけでもないし早死にしてたらどうなってたんだろうな
0574人間七七四年
2008/11/15(土) 08:31:27ID:QgAR8WqGしかも健康に気を配っていた武将はいなかったと思う
0575仙台藩百姓
2008/11/15(土) 14:16:03ID:vycz3wX2糞デブで70過ぎて体調崩すほど食い込む奴のどこに健康的な要素があるのかと┐ (´ω`) ┌
0576人間七七四年
2008/11/15(土) 14:25:34ID:ajSvS1cO医学に詳しく自分で薬作れたりするところじゃないか。
0577人間七七四年
2008/11/15(土) 14:58:48ID:GIBCpvaC0578人間七七四年
2008/11/15(土) 15:29:26ID:+dzkxvQC2ch的に言うなら、荒らしはスルー
0579仙台藩百姓
2008/11/15(土) 17:09:30ID:vycz3wX2始皇帝やヒトラーと同じだお( ^ω^)
0581仙台藩百姓
2008/11/15(土) 18:14:48ID:vycz3wX2謝罪しますお( >ω<)ゴメンナサイ
始皇帝もヒトラーも善悪は別として一個の傑物であったのは間違いないお
家康ごとき小悪党と一緒にするのは失礼極まりないと言うもの( ーωー)
0582人間七七四年
2008/11/15(土) 18:22:02ID:U+4Th5W70583人間七七四年
2008/11/15(土) 19:58:51ID:JrFBWbtvまあでも上のスレにあるように当時の医学では水銀つかってたりして
そんな医学に通じていてもしょうがないというか、それでよく生き延びたというか
しかしいくら長生きしててもウンが付いてなかったらどうにもならんわな。
信玄が三方ヶ原の後徳川家を殲滅する前にさっさと病死とか、信長の横死とか
その後に統一したのが寿命も無い子供も晩年までない秀吉で、更に弟の秀長も利家(ついでに蜂須賀とかもまとめて)
さっさと死ぬとか
やっぱり三方ヶ原でウンが付いてきたのが大きいんだろうな。
0584人間七七四年
2008/11/16(日) 04:08:51ID:ZnZ+oClK人質での苦労
失敗はしたがその後それを見事に教訓にする。
最終的には天下をとり、250年以上も泰平の世の中にした。
家康様!尊敬いたしております!!
0585人間七七四年
2008/11/16(日) 05:03:50ID:iuuhwOn70586姓百藩台仙
2008/11/16(日) 13:06:46ID:i6gg9GIS自分の妻と実子を殺して罪を着せて
はたまた主家を襲い主君の妻子を殺して罪を着せると
裏切りと反逆は戦国の倣いと雖
徳川ほど自己愛と欲望に徹底した者はまずいないおね┐ (´ω`) ┌
0587人間七七四年
2008/11/16(日) 14:16:08ID:nRreZ4Y3あれは
漏れた
0588人間七七四年
2008/11/16(日) 16:31:30ID:eOZH0pBp目に余るバカっぷり。
迷惑かけるなよニートくん
0589人間七七四年
2008/11/16(日) 19:47:15ID:TtABPDLQ自分はまだなんだけど行く価値は有り?
0590人間七七四年
2008/11/16(日) 21:22:43ID:E2CIaMvhま、寺社仏閣が好きならいって損はない。
0591人間七七四年
2008/11/16(日) 21:26:05ID:g9w3CesL乱世でそんな不安定な政権は、国民が大迷惑だ。
>>570
そうやってスレを分散するから、板が過疎るんだよ。
0592人間七七四年
2008/11/17(月) 03:34:52ID:UGruL7A8徳川の歴史書、読んだことないんだな。
今川は、三河を横領した悪党になってるけど?
0593人間七七四年
2008/11/17(月) 18:44:19ID:a+/Cu5fr徳川の歴史書なら今川を悪く書くにきまってるだろwww
つーか、そんなの間違いなく捏造満載だから安心しろ。
0594人間七七四年
2008/11/17(月) 21:47:01ID:edjXAcG9あそこは下から歩いていけ!
0595人間七七四年
2008/11/17(月) 21:54:34ID:9cKb0McBお互いをどう思ってたんだろう?
義元公が家康公をどう思ってたのか気になるな。可愛がってたのか?単なる人質としてしか見てなかったのか?
0596人間七七四年
2008/11/17(月) 22:05:56ID:LhTddjBF自分の姪を養女にして嫁がせて、単なる人質って事はないだろう。
家康の器量を見込んでか、三河衆に対するアピールか、
義元は家康に対して気を配ってると思うよ。
0597人間七七四年
2008/11/17(月) 22:26:27ID:nEsD6F9e性悪女を無理やり押し付けられたことに
しないと何かと都合が悪いわけで
0598人間七七四年
2008/11/17(月) 22:50:31ID:LhTddjBF後世の話じゃなくて、義元の心情の推測をしているというのに。
0599人間七七四年
2008/11/18(火) 00:24:40ID:ytPPblbw静岡では新説日本ミステリーやってる
家康暗殺の件について
0600人間七七四年
2008/11/18(火) 00:25:52ID:ytPPblbw0601人間七七四年
2008/11/18(火) 01:01:35ID:5b1SJVmx家康・信雄連合245万石で61250の兵力動員可能
秀吉628万石で157000の兵力動員可能
頸椎の椎間孔圧迫テストとしてスパーリングテスト
座位で患側へ側屈・やや後屈位で
頸部を下に圧迫
0602人間七七四年
2008/11/18(火) 17:39:04ID:e5KyUbVn今川義元一家としては、軍師や参謀ってのは太源雪斎しか居なかった
もしくはNO2としては定説なの?
>自分の姪を養女にして嫁がせて、単なる人質って事はないだろう。
義元クラスになると、姪なんてたくさん居たと思うんだが
>性悪女を無理やり押し付けられたことに
瀬名がたまたまひねくれちゃったんだよ。
これらを踏まえて、どのくらいのクラスなのかを
創造されたし。
0603人間七七四年
2008/11/18(火) 18:09:53ID:Jh0u6A3Y家臣はそのことを根に持ってたが、
家康はプラス思考で自分の力量を評価してくれていると考えるようにしていた
やっぱり並ではないよ、家康は
0604人間七七四年
2008/11/18(火) 21:05:16ID:ytPPblbw監修はしても教育ほど密接ではなかったと
0605仙台藩百姓
2008/11/18(火) 22:18:19ID:/thsyCVo家康がどう思おうと言われたら従うしかないのだから関係ないじゃんお┐ (´ω`) ┌
もっとも、義元死後手の平返して襲い掛かったところを見ると
家康自身が一番根に持っていたんだろうね(´・ω・`)
信長や秀吉に対しても死後は態度を一変させてるし
存外狭量で執念深い男だお( ^ω^)
0606奇矯屋onぷらっと ◆SRGKIKYOUM
2008/11/18(火) 22:26:26ID:R9bw+fH20607人間七七四年
2008/11/19(水) 08:44:39ID:PKW7LdZ/0608仙台藩百姓
2008/11/19(水) 11:57:36ID:HhBsOGYr家康なんかはどうでもいいけど
0609人間七七四年
2008/11/19(水) 13:26:36ID:iooFRjn7糞垂らすしなw
0610人間七七四年
2008/11/19(水) 13:33:33ID:3jT8V8ot織田を討ちましょう
え、やらない?
なら俺一人でやる!
とかしてるし
0611人間七七四年
2008/11/19(水) 14:33:19ID:HSjJhCFz教育なんて9割はありきたりな事だろうから
1割が高僧に学べるだけでも、全然違うんじゃないか?
>>606
体脳な百姓には理解できないんだよw
>もっとも、義元死後手の平返して襲い掛かったところを見ると
あれは弔い合戦すら出来ない氏実を、見限ったのでは?
そこまで愚鈍ではなかったようだがw
0612人間七七四年
2008/11/19(水) 14:49:52ID:HSjJhCFz西三河出身だから、岡崎城とか豊田の松平氏発祥地(寺だっけ?)とか
行ったけど土塁とかで盛上るタイプじゃないから、
「昔、ここを命懸けで守った侍・雑兵が居たんだなぁ」って
妄想膨らませるくらいしか出来なかった。
東照宮くらいしか無いんじゃないの?
肝心の墓所?が無名領主程度の雨ざらし陽晒しだったから
1人(神聖な日光には女は連れて行きたくなかった)で泣いた。
囲いの中に入るのもはばかられたから、隣の大樹を防護板じゃなく
生で撫でて感慨に浸っていた。
>>610
1回くらい弔い合戦したんだっけ?
0613人間七七四年
2008/11/19(水) 15:07:01ID:s8XGmiHi判明している。離反行動は桶狭間直後よりおこなわれている。
0614人間七七四年
2008/11/19(水) 16:03:37ID:RDCNMvG2久能山の東照宮オススメ。
家康が希望して葬られた地だからね、景色良いしし。
去年漆の塗り替え終わったばかりだから本殿もキレイだよ。
石段登るのがツライなら日本平側からロープウェイで入る事もできる。
しかし東照宮って、全国に600くらいあるんだと。
権現様は死んでからも大変だな。
個人的には三河の鳳来寺に行ってみたい。
あそこも景色良さそうだし。
0615人間七七四年
2008/11/19(水) 18:35:16ID:5D9sXkSx氏真に弔い合戦やろーぜーと煽っていたし、
また織田方と小競り合い程度はやっていた。
ただ本気で織田と事を構える気があったかどうかは微妙だな。
多分、義元亡き今川家と織田家を秤にかけていたんだと思う。
0616人間七七四年
2008/11/19(水) 21:58:04ID:YBo0n7e9こらー!
せっかく>>594と書いたのにwwww
登ってこそ到達したときのありがたみが有るというものだ(`・ω・´)
で、ロープウエーで日本平まで登ってそこでも景色を堪能してから、また降りてくればよいww
0617人間七七四年
2008/11/19(水) 22:00:40ID:YBo0n7e9関係性は強いぞ
久能山・日光と合わせて勝手に三大東照宮と呼んでしまえ
だいたい3つ目ってころころ変わるものだww
0618人間七七四年
2008/11/19(水) 23:31:50ID:Br0iLu/I気が向いたら行ってみるかなぁ…
あ、俺は607じゃないよw
0619人間七七四年
2008/11/20(木) 10:12:48ID:xo6YQIBfそんなもんだろー。
おいらも小学校の時に日光は移動教室で行ったけど、
芝と上野行ったのは今年が初だ。
そのギャップ四半世紀を超えとる。
0620人間七七四年
2008/11/20(木) 11:18:29ID:QSy5MIkU仙台、日光、水戸、川越、上野、久能山、和歌山、
京都南禅寺隣の金地院の敷地内、京都伏見の御香宮の敷地内
0621人間七七四年
2008/11/20(木) 13:03:18ID:kad9i7eb0622仙台藩百姓
2008/11/20(木) 15:14:24ID:N1+VpyLrまあ、遺言で日光に埋めろ言うたのなら日光なんじゃないお?
明治頃にも調査したようだが結局分からんかったようだお
なんなら漏れが掘り起こしてあげるのに( ^ω^)
0623人間七七四年
2008/11/20(木) 21:32:59ID:1ZSOICQOあの石段は紫陽花がたくさん咲いてる
気候もちょうどいい頃だし
0624奇矯屋onぷらっと ◆SRGKIKYOUM
2008/11/20(木) 22:42:10ID:+syQ+E+0来年あたり訪れてみよう。
0625人間七七四年
2008/11/21(金) 05:10:13ID:U0Kk08pf>>607だけど色々ありがとうw勉強にもなったよ。
自分も日光行って久能山行ってなかったからぜひ今度いってみたい。
他の東照宮にも興味津々になりましたw
0626人間七七四年
2008/11/21(金) 18:01:36ID:6vFUqtWf本当に根に持ってたら家康の性格からして御曹司の氏真を滅ぼした後もあんなに厚遇しないだろうし
なにしろ全部やること終わって隠居地に選んだのが駿河だし。
0627人間七七四年
2008/11/21(金) 18:14:18ID:p+EYM56o雪斎が、軍法を家康に教えたと捏造したのは、江戸末期の駿国雑志という
静岡マンセー本に初出で、徳川の公文書にはそんなこと書かれていません。
駿府加番の阿部正信という旗本の妄言盲説で出典不明。
0628人間七七四年
2008/11/21(金) 18:41:30ID:nj84EtBN仮に不幸であったとしても、不運ではなかったしね。
今川の保護の下成長できたとか、その間松平家は今川の後ろ盾のもとなんとか存続できたとか、
松平一門や家臣の間に家康待望論が醸成したこととか。
0629人間七七四年
2008/11/21(金) 19:16:35ID:iTTcMxhb松平家の所領が保存されて相続できたのも義元のおかげ。
0630人間七七四年
2008/11/21(金) 19:35:32ID:uXhXBO9mそう考えると鳥居忠吉のとったとされる"米・銭などの隠匿行為"は今川家に対する背信行為になるわけでw
下手すると幼君に対する処罰もあったわけだなぁ
0631人間七七四年
2008/11/22(土) 00:07:05ID:j/Swm26z鎧纏ってたから?
戦闘機乗りにもよくあるみたいだけど怖いからじゃなくて長時間作戦のせいだよね。
0633人間七七四年
2008/11/22(土) 16:49:41ID:hQuXQp2X義元がいなければ、松平家が地上からなくなっていても不思議じゃない状況なんだよ。
織田・水野という敵がすぐそこにいて、一族や家中は分裂してて、当主は死んで、若様は織田家に拉致られて。
義元が、盟主として織田・水野と戦って松平家を保護してくれて、
家康を取り戻してくれて、
今川の指導に不満を持っていた家臣が徐々に団結していってこれ以上無いだろ。
義元がその気なら松平家の内紛に乗じて専横する事だって、解体することだってできたろうに。
>>631
糞する暇も無かったとかの方がありそうだが、
怖くて糞もらしのほうが断然面白いんだぜw
0634人間七七四年
2008/11/22(土) 18:26:44ID:S+seEKVK今川は松平をよっぽどかっていたんだろうね。
0635人間七七四年
2008/11/22(土) 19:10:42ID:nOb5IAun清康も優秀だったというから、その血を継いだ家康になんらかの期待はもってても変じゃない
ところでほんとに松平清康は優秀だったのだろうか
死ぬのが早すぎて評価するものが少なくないかと
やはり徳川家として、先祖もよく見せたいから・・・ということか?
0636人間七七四年
2008/11/22(土) 21:45:43ID:yAVgbZbM0637人間七七四年
2008/11/22(土) 22:10:15ID:aoNKEPqU恩義があろうがなかろうが大軍率いて侵攻したのにあっさり討ち死にしたら
家康でなくとも誰だって義元に失望するだろ
そしてこんな奴に従っていたことに段々腹が立ってくる
俺はこんな奴とは違うんだと証明したくなるのは人間として当然だろ
0638人間七七四年
2008/11/22(土) 23:53:38ID:hQuXQp2X0639人間七七四年
2008/11/23(日) 02:44:06ID:kGsY1bqP同時に親父さん同様、右大臣と学習院別当(?)も朝廷から与えられたの?
あと、家康は征夷大将軍を辞した後、死ぬ少し前になるまで太政大臣にならなかったのは何故?
朝廷が豊臣家に配慮したのか、家康の思惑があったのか。
俺の記憶が間違いでなければ、豊臣秀吉は関白を辞してからすぐに、
秀忠や吉宗も将軍を辞してからかなり早いうちに太政大臣になったような・・・
0640人間七七四年
2008/11/23(日) 12:38:29ID:Mmd5PbrS秀吉はすぐに太政大臣になることによって最終的には関白秀次との二頭体制状態になり問題が起きた
(秀頼誕生による影響もかなり大きいけどね)
将軍職の世襲さえ示せればもはや家康に官職など不要なのだから
秀吉と同じ鉄を踏まないように無官のまま秀忠の貢献に徹したのだろう
0641人間七七四年
2008/11/29(土) 01:51:45ID:Qjn9KYLi「人類史に影響を与えた人物」という特番をつくったのだが
たった6人のなかに徳川家康を採りあげたときは笑ったなw
長い人類の歴史のなかでイギリス人が採用したのはたった6人、
しかもアジア4000年の歴史で選出されたのが家康ひとり。
ジンギスカンよりも上かよ!
つまりイギリスはすべてを近代化への貢献で測った模様。
たしかに近代の前提に封建制を据えるヨーロッパ人らしい見解。
欧州以外で本格的封建制が成立したのは日本のみで
彼らは日本のみが近代化の模倣に成功した理由を封建制に帰している。
アジア発展の源流となっている日本、その近代化の基礎をつくったのが
家康、だからアジアのなかで一番偉い、こういう図式だ。
0642人間七七四年
2008/11/29(土) 01:59:57ID:JyVWtYes人類史となるとさすがに「?」と言わざるを得ないな
0643人間七七四年
2008/11/29(土) 13:27:10ID:PNxCEDz9ぶっ壊したことばっかり目立ってないか
文化的・文明的ではないよ
0644人間七七四年
2008/11/30(日) 00:59:14ID:k80jxHMi元の字を与えたのは重要視してないからとか言われてるけど、将軍家に遠慮しただけかもとか思ってみる
0645人間七七四年
2008/11/30(日) 01:10:08ID:aIRCZhGb西の大国だった大内家の頭首も、代々将軍家より”義”の一字を貰い受けていたし、
毛利元就の嫡孫である輝元は、本来十三代義輝の”義”を貰い受ける予定だったが
”輝”の字の方を戴いたという話もある(”義”だと義元という名になってしまい、縁起が悪いという話らしいw)
まぁ、スレ違いな話題だけどw
0646人間七七四年
2008/11/30(日) 01:18:56ID:dNRejpMf日本以外の国だとワンマン独裁者の方が当たり前の存在であり
領土面で比較すれば信長や秀吉より成功した独裁者なんて掃いて捨てるほどいる
つまり欧米人からすると信長や秀吉は失敗した独裁者でしかない
ジンギスカンも凄いけど欧米人からすればアレキサンダーやナポレオン等の他の征服者と同類でしかない
逆に毎世紀のように戦争する羽目になる欧米人からすれば戦国を終結させた家康の偉業は非常に評価が高い
だからアジア史上で一番の偉人が家康になる
0647人間七七四年
2008/11/30(日) 20:37:35ID:tVVNPTnw東アジア〜中東ぐらいまでの文化を混合する流れを作ったってのは
文化史的に物凄い偉大な功績なんだが。
>>646の言うイスカンダールと同系の『結果的にそうなった』という
匂いが強いとはいえ。
0648奇矯屋onぷらっと ◆SRGKIKYOUM
2008/11/30(日) 22:32:04ID:BA8jT4XW0649人間七七四年
2008/11/30(日) 22:35:19ID:HyiWiC3/0650奇矯屋onぷらっと ◆SRGKIKYOUM
2008/11/30(日) 22:47:02ID:BA8jT4XW0651人間七七四年
2008/12/01(月) 01:11:45ID:+d7KpX7y"氏"は足利・吉良の通字だから今川が使っても不自然じゃない
0652人間七七四年
2008/12/01(月) 22:01:45ID:GwS0pEvPしまった以上、たぬき親父の酷評は免れないだろうな。
謀反でないという者もいるだろうが、どんな大義名分をつけようが
結果的には主家を滅ぼした以上、謀反といわれても仕方がない。
0653奇矯屋onぷらっと ◆SRGKIKYOUM
2008/12/01(月) 22:16:01ID:o03KFQaq0654人間七七四年
2008/12/01(月) 22:30:55ID:MAR40x6Z主家?
家康に主家なんてものは存在しない
勝手に主家なんて名乗る連中が這い出てきて迷惑だから掃除しただけだろ
0655人間七七四年
2008/12/01(月) 23:01:57ID:GwS0pEvP0656奇矯屋onぷらっと ◆SRGKIKYOUM
2008/12/01(月) 23:05:06ID:o03KFQaq0657人間七七四年
2008/12/02(火) 02:50:02ID:ahN/pu0e主従した事実はない。
0658人間七七四年
2008/12/02(火) 05:03:02ID:/nfrcFb30659人間七七四年
2008/12/02(火) 06:20:43ID:gN1q0Iuxんなこと言い出したら信長は謀反人の息子で弟殺し、秀吉は主家簒奪の
上主筋の公子を一人は殺害一人は放逐、義理の息子を謀殺の上妻妾子女
を虐殺と禄でもない奴ばっかなわけで。
この手の話は「そもそも成り上がりもんが善人なワケねえ」とか「あの
時代なら誰でもやること」に落ち着くから無意味だよ。
0660人間七七四年
2008/12/02(火) 06:55:47ID:u2mh+V9A信長や秀吉みたいな善い子ちゃんとは格が違う
偉大な人間は何をやっても一流なんだな
0661人間七七四年
2008/12/02(火) 07:57:22ID:/nfrcFb3どれも言い訳できる範疇だけどな
秀頼殺しは、その時点ではすでに主従関係になかった
むしろ、秀頼が臣下の礼を取らなくてはいけない立場
実の息子殺し・妻殺しは、信長の要求に従ったまで
と言い逃れできると、弁護してみる
0663人間七七四年
2008/12/02(火) 10:14:19ID:lg0RXnG3一族で殺し合いなんて当たり前の時代になにを寝ぼけてんだ?
武田信玄は父親を追放してるし、
伊達政宗は父親を見殺しにしてんだ。
0664人間七七四年
2008/12/02(火) 17:43:43ID:UZybS+L+関ヶ原の時点で勢力的に、
征夷大将軍を世襲にすることで権威的に、
そして二条城会見で実質的に、
主従関係はひっくり返ってる。
0666人間七七四年
2008/12/02(火) 21:31:47ID:35/LXW5/今川に報復戦勧めたり、信雄とともに秀吉に対抗したり
秀吉も「律儀な内府殿」と呼んでいたほど
その家康に滅ぼされたんだから仕方ないだろ、豊臣は
0667人間七七四年
2008/12/02(火) 21:52:00ID:zBh5HXIfだから主家を滅ぼしたのは形式的には謀反行為といわれても仕方がない。
まあ、豊臣の血を完全に根絶やしにしなかったのは批判を逃れるためか?
秀次と秀勝の血を絶やそうとすれば絶やせたはずだが。
0668人間七七四年
2008/12/02(火) 21:58:49ID:LBTCyV/U朝鮮というサブプライムに大金を投資した豊臣は経営が悪化し救済しないと倒産する運命だった
でも家康は公的資金を投入するのが嫌なので強制的に破産法を適用した
それで豊臣一族が首を吊っても裏切りでもなんでもない
0669人間七七四年
2008/12/02(火) 23:08:41ID:35/LXW5/出奔しても裏切り行為には変わりないし、
裏切りを全否定したら戦国武将そのものが成り立たなくなる
だから要するに程度問題で、十分な理由があり容認できるようなものだったかどうかということになる
まあ秀吉厨は容認しないだろうが
0670人間七七四年
2008/12/03(水) 00:18:54ID:Ja5Wec1Cスゲー的外れでいい加減笑えるんだけど
0673人間七七四年
2008/12/03(水) 00:39:51ID:FG0Ncjg2戦国に詳しい人にとってはすべての例えが的外れに見える
0674人間七七四年
2008/12/03(水) 04:22:52ID:/SNN5r9g0675人間七七四年
2008/12/03(水) 22:16:05ID:U2gV53Dt関ヶ原は形式的には大老同士の内紛だ。
片方の毛利輝元が総大将でもう片方の先鋒が福島正則ではどうにもならない。
0676人間七七四年
2008/12/03(水) 22:56:25ID:w+yAZMF+0677奇矯屋onぷらっと ◆SRGKIKYOUM
2008/12/03(水) 22:58:24ID:BAoa17+O0678人間七七四年
2008/12/03(水) 23:29:50ID:zBhqWjfW豊臣との取引先会社といった方がいいくらいだ
豊臣の羽振りがいいときは無茶な要求にも我慢するが
経営が悪化したら関係はそれまでになるんだよ
豊臣自身が最後までそれに気づかなかったのが悪い
0680仙台藩百姓
2008/12/04(木) 08:18:28ID:SVn11j6P少なくとも五大老の連中は契約に同意してサインしているのだから従う義務があるお
堂々と契約不履行するなんて先進国の企業にはありえないお
家康は中国企業かお┐ (´ω`) ┌
いや、こんな企業中国でもありえないお
取引会社の社長宅と社屋襲って強盗殺人放火の末に家財奪って会社潰すような
極悪非道な企業がどこにあると言うのだお┐ (´ω`) ┌
0681人間七七四年
2008/12/04(木) 12:26:04ID:7nx+jNH60683人間七七四年
2008/12/04(木) 13:37:56ID:9TXunzHH秀次を粛清した後、自分の死後に秀頼を守るために仕方なしに作った
五大老制度だけを見て室町幕府を連想するのは短絡的に過ぎるよ
0684人間七七四年
2008/12/04(木) 15:27:30ID:7nx+jNH60685人間七七四年
2008/12/04(木) 15:40:07ID:x6ahg3cG日本、アメリカ、ドイツ、ソ連、中国等々の国家そのものがそうですよ。
条約なんて1枚の紙切れに過ぎない。
0686人間七七四年
2008/12/04(木) 17:22:38ID:HiTQeaWY息子が父を追放したりなんだりで自分が当主になんてパターンもある
それと規模が違うだけでほとんど同じことだと思うんだけどな
0687仙台藩百姓
2008/12/04(木) 18:59:25ID:SVn11j6Pなに関係ない話しして勝手に悦に入っているのだお(#^ω^)ピキピキ
徳川厨も例に漏れず気狂いばかりかお┐ (´ω`) ┌ヤレヤレ
0688人間七七四年
2008/12/04(木) 19:47:28ID:GobUDrP80689人間七七四年
2008/12/04(木) 20:24:22ID:kijfnPgb前の政権の決め事を破棄しなきゃ自分がトップに立てないし、
トップにいる者は必死で決め事を守らせようとする
問題はその政権の治世が善かったか悪かったか、それだけだろ
0690人間七七四年
2008/12/05(金) 00:52:11ID:qDRZRFVs/ \ /\ キリッ
. / (ー) (ー)\ なに関係ない話しして勝手に悦に入っているのだお(#^ω^)ピキピキ
/ ⌒(__人__)⌒ \
| |r┬-| |
\ `ー’´ /
ノ \
/´ ヽ
| l \
ヽ -一””””~~``’ー?、 -一”””’ー-、.
ヽ ____(⌒)(⌒)⌒) ) (⌒_(⌒)⌒)⌒))
____
/_ノ ヽ、_\
ミ ミ ミ o゚((●)) ((●))゚o ミ ミ ミ だっておwww
/⌒)⌒)⌒. ::::::⌒(__人__)⌒:::\ /⌒)⌒)⌒) 現代企業にそのまま当てはめてる時点でアホ丸出しだおwwwww
| / / / |r┬-| | (⌒)/ / / //
| :::::::::::(⌒) | | | / ゝ :::::::::::/
| ノ | | | \ / ) /
ヽ / `ー’´ ヽ / /
| | l||l 从人 l||l l||l 从人 l||l バンバン
ヽ -一””””~~``’ー?、 -一”””’ー-、
ヽ ____(⌒)(⌒)⌒) ) (⌒_(⌒)⌒)⌒))
0691人間七七四年
2008/12/05(金) 01:59:19ID:74z9Gwa/あんま優遇されてなかったのは知ってるが…
0692人間七七四年
2008/12/05(金) 13:17:21ID:+kM+brn20693人間七七四年
2008/12/05(金) 18:57:34ID:JhKsveNvコレは何か足りないだろう?
0694鳥居元忠
2008/12/06(土) 14:12:39ID:HRGEq67q堺演じる家定(回想?幻想?シーン)が「城を枕に討死にかくだらない……」
こんな台詞吐いたところ。もう少し台詞考えろと思ったよ……
三河武士の夏目や鳥居強右衛門を馬鹿にしているとしか思えないわ……
「篤姫」の脚本家はワシに対する侮辱か……
0695人間七七四年
2008/12/06(土) 14:27:49ID:Dkv4g566戦から離れた江戸期の人間が「武士は刃で死すべし」とか思ってたらキチガイだわ
0696鳥居元忠
2008/12/06(土) 14:38:42ID:HRGEq67q徳川家のために礎となって死んだ奴らだぞ。わしもだけどw
それを「城を枕に討ち死に?くだらない。」って……徳川幕府設立の
ために血を流した家臣や兵に敬意が足らないだろ。特に伏見城で死んだ奴らにはな。
>戦から離れた江戸期の人間が「武士は刃で死すべし」とか思ってたらキチガイだわ
誰もこんなこと言ってないし「武士は刃で死すべし」とか関係ない。
ただ先祖で血を流した奴らを侮辱するなと言っているだけ。時代の背景関係ない。
0697人間七七四年
2008/12/06(土) 18:45:46ID:dkTi7gF60698人間七七四年
2008/12/06(土) 19:45:54ID:OTV8IEMa0699人間七七四年
2008/12/06(土) 22:49:00ID:v1yI4S5L自重する意見はなかったんだろうかね?さすがに僭越すぎると思う。
そういう権威をもたらす評価は世の人間が行うことであって、当時の権力が押し付け
た所で反感食らうだけでしょ。特に宗教面の話はナイーブなんだし、そんなことも
わからなかったのかな?
実際の評価は伊勢神宮どころか観光地としての価値しかない散々なものだけどさ。
神居ますところではないしな。
0700人間七七四年
2008/12/07(日) 00:08:58ID:bb5R3MKD日光東照宮は江戸幕府の人間だけが参拝するところであって
今みたいに一般人が参拝できるようになるのは近代以降だぞ
観光地でも一般人の参拝場所でもないのだから当時の世の人間の考えなんぞ関係ない
0701人間七七四年
2008/12/07(日) 09:02:52ID:fGkYT3cr>三河武士の夏目や鳥居強右衛門を馬鹿にしているとしか思えないわ……
夏目って誰? 勝商は一門じゃあ無いだろう?
0702人間七七四年
2008/12/07(日) 09:21:08ID:BA9rG+Hl東照大権現って神号にしたのは伊達や酔狂でしたわけでは無いしな。
0703人間七七四年
2008/12/07(日) 10:49:41ID:tpL+/kKn0704人間七七四年
2008/12/07(日) 12:53:56ID:WVej4Txo一度は一向一揆で徳川を裏切った人物
しかしそれでも帰参を許した家康
その恩に報いるために身代わりになっての討ち死に
という話
0705人間七七四年
2008/12/07(日) 13:07:27ID:tzOk/BpN0706人間七七四年
2008/12/07(日) 13:36:43ID:WVej4Txo0707人間七七四年
2008/12/07(日) 20:47:05ID:q6jufghk中国史における新の王莽のコピーみたい。
0708人間七七四年
2008/12/07(日) 21:54:56ID:heByHeK4家康は生涯豊臣家からの簒奪を恥じ入ったり自己弁護することはなかった
彼にとっては先駆者である信長や秀吉と同様、戦国時代の力の論理に従っただけだろう
行動自体は褒められたものでないにせよ、その思考は始終一貫しててむしろ清々しい
後世家康の簒奪を正当化するために病床の秀吉から
「秀頼に天下を治める器がなければ内府が治めてくれ」
なんて言われたという逸話を創作したり、
敵の淀殿を貶めた神君家康大好き御用学者は糞だけどな
0709人間七七四年
2008/12/07(日) 22:25:30ID:apVBd4Ryhttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%94%BE%E4%BC%90
0710人間七七四年
2008/12/07(日) 22:33:58ID:siHAD//9思想的な拠り所は持っていたが、自己弁護に汲々とすることはしなかったな
0711人間七七四年
2008/12/08(月) 09:38:47ID:7AWfLvjc0712人間七七四年
2008/12/08(月) 19:35:10ID:UvbVRE0o人を大事にする徳川家らしい話だな。
同僚を斬殺して出奔した息子は、如何かと思うが
それでも許したという事は、相当助けられたに違いない。
0713人間七七四年
2008/12/11(木) 00:12:01ID:hAQAeV18は天下様だったらしいね。徳川と並立する形で。公家や大名の一部は年賀挨
拶を引き続きやっていたらしいし。秀頼の正二位右大臣という官位は天下人
の官位であるので、納得できる。
よく歴史教科書では関が原の合戦を豊臣と徳川の戦いと称し、徳川が勝った
後、家康は豊臣家を処罰する事はなかった、なんて書いているけど、当時の
家康は豊臣公儀の五大老として活動しており、家臣が主君の責任を問う事
はそもそもあり得ない話だろう。
各大名の加増も家康に加増された、と書いてあるが、名目上は秀頼に加増され
ているはずで、おかしい。
豊臣家を65万石の大名にした、とも書いてあるけど、これも疑問視されているようだし。
少なくとも西日本の羽柴家直轄地に関してはかなりの影響力を残していた、と聞いた。
0714人間七七四年
2008/12/11(木) 19:00:39ID:5Yvmdn8G>家臣が主君の責任を問う事 はそもそもあり得ない話だろう
そんな絶対王政は、信長家だけでは無いのか?
0715人間七七四年
2008/12/11(木) 19:51:19ID:7PSLbQUL普通に誰もが認識している事を何故長々と…w
0716人間七七四年
2008/12/11(木) 23:10:51ID:HI4BXB1w隠居を強要された戦国大名なんて珍しくないと思うけどな。
0717人間七七四年
2008/12/12(金) 00:49:46ID:m5FKdui8家康が万が一の事を考え、徳川の血を絶やさない為にやったことかもしれないが。
信康も殺してしまった件といい、子供とトラブルがかなりあるようだな。
0718人間七七四年
2008/12/12(金) 07:26:52ID:dJV7wQZyもう添い寝しちゃうくらい
0719人間七七四年
2008/12/12(金) 10:20:03ID:0DyRhosv0720人間七七四年
2008/12/13(土) 09:35:04ID:Kd2ilss4これ誰?
0721人間七七四年
2008/12/13(土) 10:43:57ID:UCVgT/na家康が手を付けた女を家臣の小笠原広朝に嫁がせ、
そして生まれた権之丞は小笠原家を継いだ。
まあよくあること。平清盛と同じような例だな。
六千石しかもらえなかったそうだし、松平も名乗ってないし、
そんな大した存在ではなかったんだろう。
0722人間七七四年
2008/12/17(水) 19:10:07ID:hczuhjfc0723人間七七四年
2008/12/17(水) 19:53:19ID:SWxcgxqg確定かどうかはわからないけど
有名どころで
土井利勝
井伊直孝
は家康公の烙印説が
あと、未確認情報で鈴木一蔵、秀康弟(双子弟)、小笠原、その他もろもろ
まぁ、記録に残る正式な子供だけでも二桁こさえてるからありえない話ではないわけで
0724人間七七四年
2008/12/17(水) 22:47:53ID:tcumOucu0725人間七七四年
2008/12/26(金) 11:52:33ID:9N4k4ZnZ毎年言って居るがw
0726人間七七四年
2008/12/26(金) 12:20:04ID:LOvSktzn0727人間七七四年
2008/12/26(金) 20:29:38ID:xCtNk7fX生誕450年祭りはこの時期だったような気が、、、(´・ω・`)
0728人間七七四年
2008/12/28(日) 14:08:34ID:QFPS+jH1がっつり一致する日を見つけるのは面倒くさいことこの上ない。
グレゴリウス暦のように、閏年で一日増やして調整するような繊細なものではなくて、
閏月を入れて力業で調整するような暦だからね。
0729人間七七四年
2008/12/29(月) 19:52:24ID:VsLT4kH1キリストだって他の日らしいしさw
0730人間七七四年
2008/12/31(水) 00:35:39ID:xZr4jjNz0731人間七七四年
2008/12/31(水) 18:13:23ID:iFijh86s甲斐・信濃への版図拡大はどう思われるかな?
河尻への国人一揆を手引きした陰謀説もあるが
北条氏との争いにも勝利しているし
後の徳川軍にも影響を及ぼしている武田遺臣団取り込み等など
余り詳しい話し聞かないんですよ
0733人間七七四年
2009/01/02(金) 01:41:36ID:qdxVApwpどーいうこと?
0734人間七七四年
2009/01/02(金) 05:27:09ID:p6pZ4jRiいよいよ高く、今や世に海道一の弓取と、歌わる。姉川合戦での
大勝における徳川家康の抜群の武功を賞賛する。
高祖(劉邦)、張良、武門之棟梁など賞賛の言葉が並ぶ。
新井白石の『藩翰譜』に「海道第一と聞えさせ玉ひし弓取の、
御母にてましませば」と記述されている。
成島司直の『改正三河後風土記』に、「海道一の徳川殿」、
と記載されている。小牧・長久手戦役の項目で。
幕府編纂の東照宮御実紀(徳川実紀)巻三天正十二年の項で
「徳川を海道一の弓取とはいひしぞ」と記述されている、
豊臣秀吉との小牧・長久手戦役でのことである。秀吉の三河先入れ軍
が家康に大敗した報告を受けて、豊臣秀吉が「家康を名大将、
軍略妙謀まろの及ぶところにあらず」と言ったことになってる。
0735人間七七四年
2009/01/02(金) 23:53:56ID:w5vw9HMd0736人間七七四年
2009/01/03(土) 07:33:30ID:VrzmJZlw1579年に家康は息子の信康を信長の命により殺している。
1580年に林秀貞・安藤守就・丹羽氏勝の3人が信長により追放。
水野信元は織田信秀の頃からの織田の同盟者であり家来では無かった。
それを殺し、その所領を佐久間信盛に与えている。
この頃には信長にとって同盟者などは不要となっていた。
家康に叔父と息子を殺させたのも、家来にするための踏み絵。
本能寺の変のさい、参加した兵は家康を殺すものと勘違いしていた。
信康を殺し、家康を殺せば三ヶ国が易々手に入る。
本能寺の変が無ければ死んでいたのは家康だったかもしれない。
0737人間七七四年
2009/01/03(土) 10:30:11ID:YUtvHRQwマッシブな雰囲気で
0738人間七七四年
2009/01/04(日) 07:10:48ID:eeIAyj3z関ヶ原の流れですが、三成が先に三奉行と毛利輝元で起請文交わすとかいう
違反を犯していたとかいうのはマジですか?
0739人間七七四年
2009/01/04(日) 22:15:08ID:7mIzB6yh0740人間七七四年
2009/01/05(月) 18:21:47ID:RfrDDSz+0741人間七七四年
2009/01/05(月) 19:18:50ID:sEL8JmtG>信康を殺し、家康を殺せば三ヶ国が易々手に入る。
仮にこれをやったら、全ての軍門に下った連中が
次々に離反するんじゃないか? 家臣はいざ知らず。
それにしても、大河は期待はずれっぽいなw
0742人間七七四年
2009/01/06(火) 14:13:40ID:JambI+Br無理に信長と秀吉出さなくても、とは思ったがな
0743人間七七四年
2009/01/06(火) 21:31:06ID:UZrGhfSz0744人間七七四年
2009/01/07(水) 19:04:16ID:BCKup+eZ司馬家康→老獪タヌキ。基本こきおろしてるが実力は評価されてる感じ
隆慶一郎家康→万能家康。ただし息子(秀忠)が割を食う。
池宮彰一郎家康→パクリとされてしまったが、凡人的に描かれる。
やる夫家康→やる夫の性格が強く出ている。凄まじく有能だが腹黒い家康。
他にあったら適当に追加してくれ
0745人間七七四年
2009/01/07(水) 21:40:49ID:+n8W2oTU0746人間七七四年
2009/01/07(水) 23:08:37ID:ouII+qx30747人間七七四年
2009/01/07(水) 23:11:50ID:5C3xs2lH0748人間七七四年
2009/01/07(水) 23:15:23ID:MSjDsc0M明治政府を正当化する為に、徳川幕府を悪く言う…
どこの世界でも政権が交代した時に、古い政権を悪く言うのは当たり前だし
0749人間七七四年
2009/01/07(水) 23:40:26ID:BCKup+eZ山岡で家康評価が上がって、時間と共に少しずつ下がり、
司馬遼太郎で更に下がり、大河ドラマでまた少し上がり・・・かな?
0750人間七七四年
2009/01/08(木) 09:04:22ID:SGJ9VxQG日本人自身が持ってる気質に合ってると思う
0751人間七七四年
2009/01/08(木) 10:24:24ID:ONjyKjfo0752人間七七四年
2009/01/08(木) 12:17:03ID:mccTmwMNぶっ飛んだ逸話があるわけでもなし、常識人すぎてエンターテイメントの主役としてはいささか物足りない人物。
だがそこに痺れるぅ憧れるぅ
0753人間七七四年
2009/01/08(木) 20:18:34ID:6TE9oy+/学研の漫画とやる夫のしか読んだことなくて、これから歴史物の家康を読みたいと思ってたので嬉しい
参考にして読み比べさせてもらうよ
やる夫家康でも大分キレイな家康って言われてたけどそれより山岡家康はスゴイのかw
0754人間七七四年
2009/01/08(木) 23:24:50ID:KXR5vdRX派手なイメージ・エピソードって捏造臭く見えてきてしまっている・・・
家康だってあの三方ヶ原のエピソードは面白いけどどうみても作り話
0755人間七七四年
2009/01/08(木) 23:30:00ID:AT3KbAcPあれってちょっとオカルト入ってるな。
0756人間七七四年
2009/01/08(木) 23:40:09ID:wN1jAw2z0757人間七七四年
2009/01/09(金) 08:16:07ID:3PLdMfUP0758人間七七四年
2009/01/09(金) 09:11:04ID:3WrWGA7U0759人間七七四年
2009/01/09(金) 11:34:30ID:gZnmlCCMやる夫のやつは主人公というのと、やる夫本人のキャラクターが、
結構出てるからね。腹黒部分はあったが、かなり綺麗目に書かれていた。
山岡の家康を見た後なら、やる夫さえ真っ黒に見えるほど、
もう家康が仏様に見えてくると思う・・・w
まぁ、面白いんだけどね、なんだかんだで。
0760人間七七四年
2009/01/09(金) 12:38:32ID:4zS6ht4kあとは駿府か。それと、東京にも一体あるみたいだね。
江戸幕府を開いて東京の基礎を作ったのだから、江戸(東京)にももっと
銅像があってもいいと思うが。
うーん、銅像ばっかりあってもしょうがないか。
0761人間七七四年
2009/01/09(金) 15:08:14ID:3WrWGA7U0762人間七七四年
2009/01/09(金) 17:59:57ID:gZnmlCCM影武者かSAKONかで賛同するかどうかが決まる
0763人間七七四年
2009/01/10(土) 02:20:42ID:XignkjU4形違うよね
まさか複製とか
0764人間七七四年
2009/01/10(土) 02:36:56ID:4bsGAC9e岡崎
ttp://www.geocities.jp/onriedo_gongujodo/ieyasuzo-okazaki.html
浜松
ttp://www.sight-seeing-japan.com/3-chubu/shizuoka/hamamatsujo4.jpg
静岡(駿府)
ttp://kainalu96815.blog.so-net.ne.jp/2008-08-21
東京(江戸・皇居)
ttp://takuya19721104.travel-way.net/IMG_0084tsukiji1223.JPG
全部違うね
ただ、共通する所は浜松を除いて晩年の家康って感じがする
0766人間七七四年
2009/01/10(土) 11:51:02ID:5ZZ9wNFzたぶん影武者
SAKONは、影武者徳川家康を原作に島左近を主人公にした原の漫画。
影武者の家康は田舎オヤジで太ってて忍術の達人になってる
0767人間七七四年
2009/01/10(土) 13:36:10ID:Ly61Pytz0768人間七七四年
2009/01/10(土) 15:37:55ID:jH4zqTw+ついでに花の慶次ではアミバだった三成もなんかトキに進化してるしw
そんかわし秀忠がすげー小悪党化してて可哀想だった。
SAKONでは同じ悪党でもラスボスの大物っぽい感じに
なってたはずなのに最後の方で六郎に襲撃されて涙目だったし
作者は秀忠になんか恨みでもあんのか?w
0769人間七七四年
2009/01/10(土) 21:30:41ID:J79Xp996やっぱり家康は晩年に活躍したから、晩年の印象が強いんだね。
まあ、岡崎の岡崎公園には晩年の銅像以外にも、松平元康の馬に乗った像と
三方ヶ原の戦いのあとの肖像画をもとにした石像の合計三体あるね。
0770人間七七四年
2009/01/11(日) 21:45:19ID:83V2K6yKどちらも槍の名手っつーことで。
対比させるなら鬼半蔵と仏半蔵とあだなをつけるとかならんかったの?
0771人間七七四年
2009/01/12(月) 12:24:14ID:7QMsKtIb渡辺半蔵と服部半蔵をごっちゃにしてるやつがあってだな
0772人間七七四年
2009/01/12(月) 12:41:48ID:c5QzNWCa世代的にも、混同するなという方が無理だろ。
0773人間七七四年
2009/01/12(月) 14:34:20ID:kjlEOtqe服部半蔵は槍半蔵ともいわれ槍の名手だった〜なんて解説が流れてたときには
米吹いたw
0774人間七七四年
2009/01/12(月) 22:05:06ID:7QMsKtIb上杉謙信と上杉景信
0775人間七七四年
2009/01/12(月) 22:10:30ID:odjon4/f0776人間七七四年
2009/01/13(火) 17:50:13ID:WWgbKuOq君は歴史を流れで捉えられてないよ。そもそも家康が豊臣「家」の「家」臣だった
なんて事実誤認もいいとこ。
なんと明治維新まで大宝律令が公式の法律として生きていた日本と言う極めて特殊な
社会の中で武士=非合法な在地地主が実質的に国政を行うために考え出されたのが幕府政治。
これは征夷大将軍という非常任の臨時役職が「戦地での兵糧調達」「遠征先での募兵」という
徴税・徴兵権=当時の政治行為を行うことが可能なことを利用しての超変則政権。
正に法の網の目をかいくぐったような方法。
そしてこれならば全ての武家が将軍「家」の「家」臣であるとの強弁も一応成り立つ。
ところが秀吉はその方法をとらなかった(とれなかった)。ここに豊臣政権のアキレス腱、弱点が
あったわけだ。
関白も征夷大将軍と同じように非常設の役職である。
つまり昔の征夷大将軍と同じように家ではなく個人に与えられる役職。
藤原摂関家も「世襲」はしていない。親子して関白になることはあっても、
将軍のように親が亡くなれば自動的に息子が関白、という前例は無い。
あくまでも親と同じように出世を重ね、到達する位にすぎない。
秀吉が関白政治を将軍政治に変わるものと位置付けたければ、この世襲性をこの役職に
持たせる必要があったが、秀次殺害で自らその道を閉ざし「関白空位」の状態を作ってしまった。
この時点で世襲性アウト。秀頼が成人して関白に補任される必要性も正当性も失ってしまった。
さらに重要なのはこの関白という役職は律令体制の上に位置するものであり、
そういう意味では内大臣家康も大納言利家も上司部下の関係でしかなく、
家臣などという概念とは程遠いものだ。
事実関係はともかく、家康には「秀吉に対し天皇を頂点とした政治に部下として
協力は約したが豊臣「家」の私的家臣になった覚えはない」という言い訳をする余地があった。
事実関が原〜大阪の陣に至る経緯の中で、家康に対し「太閤との約束違反」を咎める批判はあったが
明智光秀に向けられたような「不忠者」といった批難の世論の形成はついぞない。
結局は秀吉が世襲可能な政治体制を構築できなかったのが全ての原因。
0777人間七七四年
2009/01/13(火) 17:57:54ID:DSvBYujB0778人間七七四年
2009/01/13(火) 18:55:42ID:3l4J/boo0780人間七七四年
2009/01/15(木) 00:20:03ID:cUeXNYwa>>775
同一人物じゃないの?
0782人間七七四年
2009/01/22(木) 13:03:29ID:2E5J0D7+0783人間七七四年
2009/01/22(木) 13:51:55ID:ibk3r36e0784人間七七四年
2009/01/22(木) 16:02:15ID:41gWkWZl「長尾景虎」→上洛、将軍義輝に拝謁、輝の字を賜う→「長尾輝虎」
→上杉家の名跡と関東管領就任の勅許→「上杉輝虎」→剃髪入道し不職庵謙信と号す
→通称「上杉謙信」って順番だから。
0785人間七七四年
2009/01/22(木) 22:02:14ID:e7hEId3l0786人間七七四年
2009/01/23(金) 05:01:44ID:eeP5uVt3まっこと誇りに思うわけですが なんともはや嘆かわしいことで・・・
YouTube −「日光]Nikko栃木県で、世界遺産と水源汚染と開発暴力が見える〜〜
http://jp.youtube.com/watch?v=cyqoC6TgIZU
↑ 欠陥スウェーデンハウスも見えて嘆かわしいことで
0787人間七七四年
2009/01/23(金) 06:18:34ID:Su9yXDFP長尾虎千代(幼名)、長尾景虎、長尾宗心(一時入道する)、長尾景虎(還俗)、
上杉政虎、上杉輝虎、上杉謙信(出家)の順番で改名。
自身が謙信と改名した時に、北条からの養子を上杉景虎と名乗らせた。
0788人間七七四年
2009/01/23(金) 11:29:06ID:rwkbR8mN0789人間七七四年
2009/01/23(金) 22:47:43ID:72ZqeIlv北条氏直と家康の娘が婚姻していた
0790奇矯屋onぷらっと ◆SRGKIKYOUM
2009/01/23(金) 23:10:50ID:LwTSO6Pg0791人間七七四年
2009/01/25(日) 15:51:14ID:qQ2bJ7Gc上杉は、関東管領として、関東の秩序を旧に戻そうとして、
愚にもつかん?関東出兵を繰り返してるし、
北条は、その関東の完全制覇を狙って行動してるから、
どう考えても、両家の利害関係が一致しないと思うが…。
0792人間七七四年
2009/01/25(日) 21:14:06ID:GOC0mwFo甲州武田閥を共通の敵とする利害に一致を見たんだよな。
元は今川-北条-武田の三国同盟というのがあったけど、
今川が氏真の代になってから武田が今川領への野心を剥き出しにして侵略し始めた。
つまり、武田が盟約を破ったことで三国同盟が無実化し、
北条にとっては今川領を武田に獲られるのが面白くないから、武田と対立。
上杉とは全面戦争するより、武田に好き勝手させないよう一緒に横槍入れようぜ!
と同盟を結ぶという急展開だったとか。
0793奇矯屋onぷらっと ◆SRGKIKYOUM
2009/01/25(日) 21:48:09ID:q7hUdKUb徳川は全く動かないから、対応を考えるのにとっても悩む。
このあたりが正解に近かったのだと思う。
0794人間七七四年
2009/01/27(火) 23:48:58ID:WBVbZWTz0795人間七七四年
2009/01/28(水) 10:10:01ID:hw3vsTd1なんかそういう同好会あるよね
0796人間七七四年
2009/01/28(水) 12:59:25ID:+eHk2E6Nその辺は後家と同じだ。
だからこそ御三家は、晩年の本当に好みな側室の子なんじゃないの?
真ん中あたりの子供は、政略結婚が多そうだし。
0797奇矯屋onぷらっと ◆SRGKIKYOUM
2009/01/28(水) 22:10:51ID:NVgyZPLz0798徳川様親衛隊隊長
2009/01/28(水) 23:42:11ID:wbXczDyMここは良スレだな・・・・
神様である徳川様について語れるとは・・・・・・・・・・
江戸時代を馬鹿にし、明治以降をほめるヴァカクズがおおいこの平成にまだ同士がいたとは・・・・
我は感動しましたぞ!
0799奇矯屋onぷらっと ◆SRGKIKYOUM
2009/01/28(水) 23:50:21ID:NVgyZPLz0800人間七七四年
2009/01/29(木) 09:01:16ID:JYWVzgPg俺たち遠州人も支えてたんだぜ
忘れんなよ、家康!
0802人間七七四年
2009/01/29(木) 16:18:04ID:LNx2Qqzu0803人間七七四年
2009/01/29(木) 16:45:01ID:xd3vh/0Bしかも家康が戦場に連れ出すなんて無茶なことをするから・・・。
小牧長久手や大坂での休戦調停にも携わるくらいの才女だから、
手元においてブレーンとして活用したいのはわかるけど。
0804徳川様親衛隊隊長
2009/01/29(木) 23:34:58ID:8rm/NpPQ俺は小学生なんで左翼とか右翼とかではありませんよ
純粋に徳川家が好きなだけです
もちつきましょうよwww
0805奇矯屋onぷらっと ◆SRGKIKYOUM
2009/01/29(木) 23:46:50ID:Quri62SV0806人間七七四年
2009/01/30(金) 13:54:33ID:NMLulVsz0807人間七七四年
2009/01/30(金) 16:40:52ID:EML0uLfAその本の著者の勘違いか、誤植かと思ったもんだぜw
0808人間七七四年
2009/01/30(金) 23:32:31ID:bYIiQ3Ihどっちのが若いの?
0809人間七七四年
2009/01/31(土) 01:54:12ID:FV44yymi0810いわん
2009/01/31(土) 04:52:57ID:toUe5tdY0811いわん
2009/01/31(土) 04:57:24ID:toUe5tdY0812いわん
2009/01/31(土) 05:51:26ID:toUe5tdY0813いわん
2009/01/31(土) 05:53:51ID:toUe5tdY0814いわん
2009/01/31(土) 05:55:54ID:toUe5tdY0816人間七七四年
2009/02/03(火) 23:22:33ID:HWGD4zzq家康はそのおこぼれをいただいただけって認識。
それも充分すごいんだけどね。
0817人間七七四年
2009/02/04(水) 19:11:28ID:rxDZ8f6p>>804
小学生で家康公の偉大さを理解するとは素晴らしいな。
昔の私のようだw まあ信長から鞍替えして十数年だがw
0818人間七七四年
2009/02/04(水) 19:45:02ID:ov4IDqz6日本て無能でも簡単に出世できる国だと感じるか?
というか自分の国を軽く見すぎだし、
まして動乱の時代になにもせずに、いい役職にありつけるなんてありえない。
まして天下人だぞと思う。
0819人間七七四年
2009/02/04(水) 20:02:01ID:oJOvtkjaものすごい周到な根回しをしてるのが分かる
棚ぼたと思ってるなら・・・ゲームしかやってんないんじゃないのかとww
もしもの話はしたくないが
もしも秀吉が長く健在だったら違ってたとは思うけどね
秀吉存命中に秀頼が成人しちゃったら豊臣側は結束してたと思うから
0820人間七七四年
2009/02/04(水) 20:08:28ID:nG19KT9i0821人間七七四年
2009/02/04(水) 22:57:32ID:6iegfXEo戦国時代は間抜けばかりが何千万人もいる時代なのか?
0822人間七七四年
2009/02/05(木) 09:29:35ID:iwg8Lrke0823人間七七四年
2009/02/05(木) 18:39:10ID:pWUeVcE90824人間七七四年
2009/02/05(木) 18:57:11ID:6DE5uLNX贔屓の人が多そうなスレにわざわざ来て「でも俺は評価低く見てるけどね」なんて普通言わないでしょ
0825人間七七四年
2009/02/05(木) 20:09:37ID:T6Ovs02x家康は優秀な人物だけど、
織田よりも秀吉よりも優れていたと思うか?
0827人間七七四年
2009/02/05(木) 20:52:26ID:T6Ovs02xそりゃ400年も続いた時代の基礎を作った人だからね。
家康は、
織田信長や豊臣秀吉がいなければ天下をとれなかった人だし、
織田信長や豊臣秀吉がいたら天下を取れなかった人だとも思う。
0829人間七七四年
2009/02/05(木) 21:00:06ID:dYX7pPZeお前の言っていることは『ニュートンがいなければアインシュタインは
ありえないからニュートンのほうが偉大である』レベルのトンデモだよ
馬鹿馬鹿しい。
時代と情勢に応じた役割と機というものがあって、それに乗じるものを
英雄と言う。その時成し得る最大成果を達成した以上、だれそれよりも
優れているのどうのと言う仮定は意味も価値も無い。
0830人間七七四年
2009/02/05(木) 22:39:50ID:dtU/YQH00831人間七七四年
2009/02/05(木) 23:23:56ID:pZuZBvEr豊臣秀吉がいなければ家康はもっと早く天下を取っているし
織田信長や豊臣秀吉がいても二人とも失敗して破滅したから天下を取った
君のは単なる言いがかりに過ぎないな
0832人間七七四年
2009/02/06(金) 14:14:21ID:0gcHU52a優秀でなければ「英雄」と呼ばれるような事跡は残せないけれど、優秀だからといって
皆が英雄になれるわけでもない。むしろ英雄と呼ばれる人たちよりも優れた能力を持ちながら
結果を残せなかった人のが圧倒的に多いわけで、秀吉・信長・家康の誰が最も
「能力が高いか」なんて全く意味の無い話だ。オバマとブッシュどっちが優秀か?なんて考えるか普通。
悪いけど完全にゲーム基準だわそれw
結果から言えば家康圧勝でしょ。信長は1代を全うできず秀吉は2代目につなげず
家康は15代。新しい政治システムも完成させ「機能」させた。
個人の能力がどうかなんてわかるわけないし興味もないわw
0833人間七七四年
2009/02/06(金) 18:29:45ID:6axbUUKu信長居なけりゃ、今川家の天下で参謀に成ってたんじゃないの?
>織田信長や豊臣秀吉がいたら天下を取れなかった人だとも思う。
架空の人物って説は、多分初耳だぞ!
>取れなければそれで良いという人ですから
大河のせいで上杉家と徳川家、どちらが報いる家なのか、
最近そればかり気になってるが、各々方はどう思われる?
「生類令」出しても揺るがなかった組織を作った
って思ってたけど、↑の評価も変わってるんだよな。殺しが減ったってさ。
0834人間七七四年
2009/02/07(土) 00:25:36ID:lJzuTwFe>大河のせいで上杉家と徳川家、どちらが報いる家なのか
意味がよくわからん
家臣に報いるなら天下とってやった徳川家の方が断然家臣の労苦に報いている
>「生類令」出しても揺るがなかった組織を作った
後世に面白おかしく書きたてられているが実際の「生類令」はただの動物愛護令に過ぎん
揺るぐもなにもないよ
0835人間七七四年
2009/02/07(土) 11:22:32ID:3CE3gLy+織田を首尾よく潰しても、それ以外の大名家も健在なんだから
そんな簡単にはいってないと思う
ああいう時代だから同盟もいつかは終わって戦闘状態に入って戦乱が続いただろうし
本当に先は読めないよ
0836人間七七四年
2009/02/07(土) 23:13:08ID:ZCSPbE8c全くもって賛成。
2ちゃんにはゲーム脳や妄想家が多すぎて困るw
三者三様にそれぞれの役割を果たし良くも悪くも歴史に大きな影響を残した三傑に甲乙つけがたく皆日本史に輝く破格の英雄に違いない。ただし現代風に会社経営や競争社会に置き換えるならば家康の成績?が最も優れてるのは客観的に見て当然。
0837人間七七四年
2009/02/08(日) 09:22:37ID:byiCMJWw例えば忠勝、直政がいなければただの狸のような
やはり信、秀、家達は家臣に恵まれたとこがある
0838人間七七四年
2009/02/08(日) 10:11:53ID:2JpKXwmM優れた指導者は部下をうまく育て、うまく使う。
ワンマンな指導者が作った組織は、たいがい二代目三代目でつぶれる。
0839人間七七四年
2009/02/08(日) 10:50:40ID:QDFug2Usたまたまイケイケが続いただけ。
バブルに乗らなかった無能経営者が、
バブル崩壊して全く逆の評価になる。
たった10年のスパンで見たら、どっちが優秀かは歴然。
0840人間七七四年
2009/02/08(日) 10:57:35ID:L9fzXIAb天下をとる強引さは信長秀吉のほうが優れていた。
そういう意味では運が良かったとも言えなくもない。
でも天下をとったあとの行動は家康のほうが一枚上。
家康が嫌われるのはおそらく謀略的な面だろうけど、
それでも粛清は大事なことなんだな、と徳川や高祖の件から学んだ。
0841人間七七四年
2009/02/08(日) 12:41:52ID:VRkpI0bi家康は粛清なんてたいしてやっていないよ
信長や秀吉の方が粛清は積極的にやっているし
粛清のやりすぎで組織が崩壊していった
0842人間七七四年
2009/02/08(日) 17:45:44ID:BMB37VSn有能なのが多かったし、家康に対して損得抜きで忠誠向けてましたしね。
信長や秀吉だと、能力主義偏重が逆に祟って、どこの馬の骨とも知れないものが家臣になって
信用できず、ミスした者を容赦なく切る姿勢が仇になった部分もありますし。
0843人間七七四年
2009/02/08(日) 18:33:54ID:fSZ62X7Gヤフーの好きな武将ランキング下位のほうでガッカリ・・・・
江戸時代は日本のためにも評価するべき時代だと思うんだけど、
一般的には違うみたいだね。
0844人間七七四年
2009/02/08(日) 18:37:57ID:sbW/1nO+0845人間七七四年
2009/02/08(日) 18:43:19ID:0cnUKqD3頼朝もいまいち人気ないし・・・
0846人間七七四年
2009/02/08(日) 18:52:23ID:fSZ62X7G源頼朝、足利尊氏、徳川家康
成し遂げたことから武家の御三家と言ってもいい三名が一般人気ないんだよなー。
源義経、楠木正成、織田信長のように悲劇的な最後がなければ文学には成りがたいのかもね
御三家も若い頃は相当苦労して修羅場くぐってるんだけど
0847人間七七四年
2009/02/08(日) 19:12:45ID:0QBILhmb徳川家康は家臣も地味だし人気がでないのは無理ないかもな。
まあ功績と人気は別物ってことで。
あと、日本のためにも評価すべし とか意味わからんな。
0849人間七七四年
2009/02/08(日) 19:32:17ID:0QBILhmb歴史なんだから江戸時代関係なく
参考になる部分は参考にしているでしょ。
それとは別に、日本人なら江戸時代を誇れ、みたいなニュアンスで語ってる人が
徳川家康関連のスレでたまにみるからさ、それはどうなんだろうって意味ね。
0850人間七七四年
2009/02/08(日) 20:12:45ID:T/xpjx1P「家康!家康!」
と持ち上げ始めたら好きじゃなくなる気がする
0851人間七七四年
2009/02/08(日) 20:31:32ID:fSZ62X7Gどの時代でも参考に出来るところはしようという意味だよ。
日本人だから日本の歴史から学ぶのが良いという観点から言ったまでで他意はない。
0852人間七七四年
2009/02/08(日) 22:24:43ID:/0/KTEd3どの人も日本史に輝く英雄なのに判官びいきと、倒幕時や帝國主義政府に擦り込まれた国民意識なんかが影響してるんだろうね。
三人とも天皇と争ってるし。家康にしても朝廷をかなり抑えこんで圧力かけてるし。本当は皆それぞれ凄く魅力的な人物なのに。
頼朝の家来を罵倒する手紙なんて人間臭くて最高だし
0853人間七七四年
2009/02/09(月) 00:24:24ID:jaNn/lZFそれに比べたら家康は全然まともと思う
そうでなければあんなに家臣はついてこないから
尊氏は良く知らない
0854人間七七四年
2009/02/09(月) 01:10:08ID:9+HR7X49頼朝なんて一寸の土地も持たず将軍なってんだから、政治家として公正公平だったから関東武士に祭り上げられた。
尊氏は家康や頼朝に比べると詩人型で、割合長短がハッキリして人間臭いタイプ。
0855人間七七四年
2009/02/09(月) 01:54:43ID:t8cRJLb0最近の変な戦国時代ブームでの武将人気とかはどうでもいい
0856人間七七四年
2009/02/09(月) 07:57:45ID:IzsDFj3C室町の終わりも情けない
家康、徳川は十分人気あると思うけど
0857人間七七四年
2009/02/09(月) 09:38:11ID:6H9+Vfrp個人的な感想だと優柔不断のような気がするけど弱い部分や情けない部分がかえって英雄を引き立たせる。完璧な人物に魅力を感じないヲレ。
0858人間七七四年
2009/02/09(月) 14:40:27ID:gCEUhQS5尊氏は直義と二人三脚
家康は優秀な家臣にも恵まれたが全部自分でやった
0859人間七七四年
2009/02/09(月) 16:33:15ID:7k7U1tXr恐らく完璧な人物というのはいないんだろうけど、
政権を築き上げるほどの人物になれば、
威光に比例して欠点も世間に知れ渡るから。
余談だけど戦国時代に完璧に近いとイメージするのは蒲生氏郷
0860人間七七四年
2009/02/09(月) 17:57:37ID:YOjH+ncJ>豊臣秀吉がいなければ家康はもっと早く天下を取っているし
家康は秀吉の天下を盗んだけど、群雄割拠の時代に単独で天下を取れるだけの
バイタリティ、経済力、組織力、外交力があったかな?
0861人間七七四年
2009/02/09(月) 18:22:59ID:TZW2tFuG頼朝の時は天才義経がいたし、尊氏の時も天才正成がいたし、家康の時も天才信長がいたし、大久保の時も西郷がいたし
0862人間七七四年
2009/02/09(月) 18:31:42ID:4+JbAcj1なるべくしてなったというのは秀吉信長とて同じ事。
西三河の小さな領主として独立して自力で頑張ってきたんだから。
0863人間七七四年
2009/02/09(月) 18:44:14ID:72UBdfMu他の武将達も十分凄い人達ばかりなんだけどね
0864人間七七四年
2009/02/09(月) 19:00:38ID:Map8Xwvt引き継いでいることは事実。
極端なことをいってしまえば、全ての武士は武家政権の執政者に臣従する、という
ことだって、日本史上初めて成し遂げたのは秀吉。
0865人間七七四年
2009/02/09(月) 19:00:47ID:P0zj8XS9いい例が隣の武田
そういうことを考えても家康はGJ
0866人間七七四年
2009/02/09(月) 19:31:47ID:6H9+Vfrpちょっ、お前…
天才正成って本気で言ってんのか!?ww
0867人間七七四年
2009/02/09(月) 19:43:01ID:TZW2tFuGちょお前・・・正成がいかに凄い武将か知らんの?w
南北朝時代になったのは正成一人が居た為といっていい人物だぞ
0868人間七七四年
2009/02/09(月) 20:41:02ID:YOjH+ncJ0869人間七七四年
2009/02/09(月) 20:48:05ID:2tkzUcnH人類の発生以来、部下ももたずに単独で天下を取れた可能性のある人物なんていない。
0871人間七七四年
2009/02/09(月) 21:04:45ID:FEBfZZ3/0872人間七七四年
2009/02/09(月) 21:11:55ID:7k7U1tXr織田信長なら単独で天下とれるとかそういうこと?
信長の場合だって平手政秀がいなかったら・・・とかさ、
それに織徳同盟では織田側も相当に恩恵受けてる。
単独だなんだのは、どの人物でも言いだしたらきりがないよ。
0873人間七七四年
2009/02/09(月) 21:51:55ID:TZW2tFuG義経=天才的な戦術を駆使し平家を幾たびも華麗に破る、人情もろく無類のお人好し
尊氏=後醍醐天皇側に付き北条を討つ、その後気前の良さで武士の心を捉え、北条に代わり武家政権の代表者になる
正成=1000人未満の手勢で一人奮闘し、鎌倉幕府をついに覆し倒幕を成し遂げた戦略の天才、5万の幕府軍を1000人で防ぎきる戦術の天才、三国志演義における諸葛亮並みの智謀と義をリアルに兼ね備えた人物
家康=忍耐強く、老獪で地味で物学びが好き、危険な事は一切避ける
信長=桶狭間から始まり、混乱絶後の戦国時代をほぼ収拾しその後の道を形付けた天才うつけ
0874奇矯屋onぷらっと ◆SRGKIKYOUM
2009/02/09(月) 23:27:56ID:+/e0u0ai0875人間七七四年
2009/02/10(火) 00:35:48ID:ZIg1MZx7ちょっ、
お前完全ゲーム脳か小説脳だよ…w
思わず吹いたww
正成は確かに歴史に名を残したけど典型的な判官びいき。一地方の局地戦で活躍しただけであって歴史に多大影響を与える程でもない。
お前なようなゲーム厨にも分かりやすく言うならば秀忠を食い止めた真田に過ぎない。帝國主義政府に祭り上げられた典型的な人物
0876人間七七四年
2009/02/10(火) 00:54:53ID:6iPHunyW秀吉は各地に大大名を温存したまま妥協を積み重ねたうえで自分のカリスマ性で政権に見せかけていた
本気で統一政権の土台を作るなら関が原級の戦いをして毛利や上杉といった地方豪族の領地を削っていかなければならない
そういうバイタリティがあったのが家康、なかったのが秀吉
0877人間七七四年
2009/02/10(火) 01:34:36ID:yZxFUoYm歴史をまったく知らないゲー無能w
正成が単なる局地戦って?戦略というものを知らない馬鹿ですかw
後醍醐天皇は自ら何度も挙兵し、全国の武士に倒幕に立ち上げるよう呼びかけ失敗し鎮圧されてる。
最初に倒幕の火を放ったのは後醍醐天皇だが、鎌倉幕府は強大で尊氏も全国の武士も幕府に不満を持ちながらほぼ幕府に黙々とついてる。
その後醍醐天皇が放った火を保ち続け、それを大火事に変えたのが正成。
正成とともに他で挙兵した連中は、幕府の大軍になすすべなくあっという間に鎮圧されてる。
唯一正成だけが残り幕府の大軍を一手に引き受け、戦い続けるうちに幕府の力を見限るものが続出し、尊氏など後醍醐天皇側に付く全国の武士が続出した。
倒幕後も後醍醐天皇の親政が失敗し、尊氏が全国の武士の支持を得て京に大軍を率いて上洛してくるのを何度も破ってる。
0878人間七七四年
2009/02/10(火) 01:42:59ID:ZIg1MZx7ちょっ、
お前本当に…w
何を読んでそんな事を?
まさか太平記じゃ…ww
0879人間七七四年
2009/02/10(火) 01:55:25ID:ZIg1MZx7南北朝時代の代表的な古典太平記、難太平記はほぼ全項にわたって南朝寄りに書かれてるし存在のハッキリしない人物なども出てきて資料的価値はかなり低いってのが近年歴史家の定説だけどw
あくまでも三国志演技レベル読み物なのはハッキリしてるんだがw
妄想ゲーム脳はそっくりお前に返しますww
0880人間七七四年
2009/02/10(火) 03:36:22ID:yZxFUoYmまず正成は梅松論でもちゃんと評価されてますが?
太平記は文学だから当然100万の大軍だの誇張もあるが、三国志演義のような大衆向けの作品じゃないですからw
太平記は他の資料との比較にちゃんと使われてる。
0881人間七七四年
2009/02/10(火) 07:34:27ID:Rm2mxguN0882人間七七四年
2009/02/10(火) 07:56:19ID:ZIg1MZx7これは痛いw
梅正論は逆に北朝寄りに書かれ太平記同様、資料的にはレベルが低いとどの歴史家も言ってるがw
恥知らずの無知丸出しww
0883人間七七四年
2009/02/10(火) 08:40:03ID:WdpgTI0+0884人間七七四年
2009/02/10(火) 08:48:01ID:qmwGj6480885人間七七四年
2009/02/10(火) 16:55:43ID:3fyOaunO0886人間七七四年
2009/02/10(火) 17:28:41ID:MrgImfhU鎌倉〜江戸の武家政権期の人物で肖像になってるのは二宮尊徳だけってのはさすがにおかしいよね。
0887人間七七四年
2009/02/10(火) 21:11:11ID:EjBs8hwT江戸なら上杉鷹山のほうがお札に近いわな。
ところで天下を統一した人間でお札になった人っていたかな。
0888人間七七四年
2009/02/10(火) 23:18:26ID:79Ka8S+D太平記すら読んだ事が無いのが良く分かるw
つか南北朝時代そのものをしらんだろ?
どの歴史家がどう具体的に言ってるの?南北朝時代の資料は戦国時代より良質な一次資料多い。
太平記を後世に金儲けの為大衆向けに作られた三国志演義といってる時点で恥ずかしいレベルw
いつまでも知ったかはよしとけw
0889人間七七四年
2009/02/10(火) 23:58:58ID:wSJspMNg0890人間七七四年
2009/02/10(火) 23:59:05ID:37xIYn4Y甘くておいしいです!!
0892人間七七四年
2009/02/11(水) 21:32:26ID:C9jvJlfDかなりの武具コレクタだったとか・・・。
0893人間七七四年
2009/02/12(木) 10:08:33ID:WbYKqaJU0894人間七七四年
2009/02/12(木) 14:46:26ID:bfiQfMDG太閤秀吉公とはまた違う意味での『オタクっぽさ』を感じる。
0895人間七七四年
2009/02/12(木) 17:50:34ID:8WjFQdaV>粛清のやりすぎで組織が崩壊していった
これ今の日本にも言えるよな。
蒸し返して悪いが、史実の楠正成は凄いの?5行で教えて!
0896人間七七四年
2009/02/12(木) 18:32:08ID:eoP85cep0897人間七七四年
2009/02/12(木) 20:15:29ID:3kTmcPNbキモチ奴だな。
こういう奴が犯罪とか犯すんだろうね。南北スレで好きなだけやれや!
0898人間七七四年
2009/02/12(木) 21:36:23ID:zOLIGJST0899人間七七四年
2009/02/13(金) 01:43:06ID:QZIyMM7Lス
レ
ち
が
い
−完−
0900人間七七四年
2009/02/13(金) 01:44:30ID:QZIyMM7Lだいたいそんなもんだよね
それで逆輸入の形になるよな
やっぱり家康はすごい、と
ついでにウンコネタまで広まっちゃうけど・・・
0901人間七七四年
2009/02/13(金) 02:03:17ID:iN91iqwd面倒くさい三河武士とあわせて、実に良い主従だぜ。
0902人間七七四年
2009/02/13(金) 09:19:13ID:Agtip8120903人間七七四年
2009/02/13(金) 09:53:04ID:s3eLakFi君臣豊楽
の難癖はめちゃくちゃだけどな
0904人間七七四年
2009/02/13(金) 09:58:36ID:2V96oLKxあれは豊臣の選者が意図的にした事と弁明書に明記され、
それが問題であると五山の僧は一致した見解を述べている
0905仙台藩百姓
2009/02/13(金) 10:22:07ID:AvjI++kv0906人間七七四年
2009/02/13(金) 14:34:45ID:5qpAIk+K0907人間七七四年
2009/02/13(金) 15:58:27ID:CdZu+eHfそうしなかったからこその今の豊臣びいきの人たちがいるんだろうけど
徳川側からしたら「これで恭順してくれたらなあ、無理だろうけど」って感じだったんじゃないの
それまでにだって機会はいくらでもあったけどしてもらえなくて、これが最後通達だったのかも
0908人間七七四年
2009/02/13(金) 20:34:31ID:XGeqUnhY家康すごいな。
0909人間七七四年
2009/02/13(金) 20:45:43ID:wsmpPsXP武骨ってこと?
>自分の欠点さらけだせるって凄い事だよね
前轍?踏まないのは大したもんだと思うぞ。
0910人間七七四年
2009/02/13(金) 23:34:59ID:JD0MMo82本当にあの方は偉大だ
0911仙台藩百姓
2009/02/13(金) 23:51:30ID:AvjI++kv0913人間七七四年
2009/02/14(土) 17:03:16ID:ijvbLm8R過半数だった?
0915仙台藩百姓
2009/02/14(土) 19:02:02ID:hihXhcDe二度も本陣捨てて逃げてるけど( ^ω^)
家康自身が欠点をさらけ出したわけじゃないし
大坂の陣で逃げたのも大久保に指摘されたら
脇差しに手をかけて城中に響き渡るほど大声で怒鳴り散らして怒り狂ったお
本人は汚点を隠したかったけど周りに言われてバレちゃっただけだお( ^ω^)プッ
0919人間七七四年
2009/02/14(土) 22:12:21ID:5zsC7Krhスレタイと正反対な事してんじゃねーよ
家康公を尊敬しない奴は決まってそういう低脳で幼稚な発言を絶対するんだ
何故だと思う?
馬鹿だからだ!
0920人間七七四年
2009/02/15(日) 02:44:06ID:AEJ8ZNlL3月に日光行ってくるわ…定期的にいきたくなるんだよな
0921人間七七四年
2009/02/15(日) 11:30:48ID:0OLSbiuX男性特有の『コレクター』っぽい部分があったのかも。
0922人間七七四年
2009/02/15(日) 18:23:43ID:0XeCgEN20923人間七七四年
2009/02/15(日) 19:21:13ID:F2kmU3Oe0924人間七七四年
2009/02/15(日) 20:49:48ID:AEJ8ZNlL0925人間七七四年
2009/02/15(日) 21:11:39ID:jiPYPgou久能山はどうすんだ
0926人間七七四年
2009/02/15(日) 22:06:53ID:w0fppN6/0927人間七七四年
2009/02/15(日) 23:22:15ID:NvM4oFAPよく言われる程悪く書かれてないし、魅力的な役柄多くないか?
秀吉の方が印象悪くなる記述多いし、信長なんかは妙にスルーされてる事多いし。
0928人間七七四年
2009/02/16(月) 02:49:36ID:gLgpwe1R凄みのある悪役として描かれている作品(関ヶ原、城塞など)もあれば、
無闇に貶されたり無用の批判をされているな、と感じる作品(功名が辻、
竜馬がゆくなど)もある。
少なくとも江戸政権末期の様相を家康の性格に起因すると考察したり、
秀吉の主家簒奪を評価したあと、すぐに家康の主家簒奪を『犯罪的』と
称するのは個人的にはあまり愉快ではないな。
0929人間七七四年
2009/02/16(月) 08:19:51ID:+wjaRy9x歴史上の役割としては権力の一極集中に必要な儀式だが、司馬は現代からの視点で書くし。
山岡荘八の家康公は流石に江戸の御用学者もビックリだけどさ。
0930人間七七四年
2009/02/16(月) 08:51:07ID:mOVW1Foq池宮彰一郎先生の家康面白いよ。
幼い頃習ったイメージをずっと引きずって家康大嫌いだったんだけど氏の作品を読んでから家康が最も好きな武将になりました。
一個人、人間家康がすごく魅力的に書かれてます。
0931人間七七四年
2009/02/16(月) 09:03:06ID:mOVW1Foqそれが徳川家康の魅力だろう。
臆病に徹し、偉大な先輩の下で野望をひた隠し、時には負けて逃げ回り堂々と歴史に恥を残した。
だが最後の最後に巡って来たたった一度のチャンスをなりふり構わず掴みとった。
こんなに親しみを感じる魅力的な人物はそういない。
0932人間七七四年
2009/02/16(月) 09:19:37ID:b1MbyWLc信長だと、ゲームやテレビをまんま受け取って、架空の人物と現実が区別できてないのが多い。
なんからしくておもろい。
0933人間七七四年
2009/02/16(月) 10:18:40ID:LL0W1q8t去年大河ドラマが好例
0934人間七七四年
2009/02/16(月) 20:38:23ID:xFqW8vDj山岡家康は今見ても聖人君子に見えるんだから
これが発刊当時だったら相当センセーショナルだったんだろうな
俺の場合、親父が持ってて読ませてもらったから
今度会ったらその辺聞いてみたい
0935人間七七四年
2009/02/17(火) 01:07:44ID:kc4fVYyi三英傑はそれぞれ昔から神格化されてるけどなぁ。
革命化みたいな事やってた危ない塾の先生やその周辺じゃ、戦後信長崇めてたけど
意外と朝廷に楯突いてないので、今は家康らしいし。
0936人間七七四年
2009/02/17(火) 08:41:58ID:Jfh6OT94俺もそうだが、必ず山岡家康は読めと言われるからな。
経営セミナーなどでは必ず言われることだが「失敗者に学ぶことは何もない」
何故、どこで失敗したのか、を正確に読み取ることができるくらいなら
初めから何も学ぶ必要などない。
そういわれるとそうだな、と思ってしまうし。
0937人間七七四年
2009/02/17(火) 10:59:06ID:RE73HAZaそうか?山岡家康をそのまま信じ込んで、史実でどう研究がこうと言って
律儀者家康像を傷つけるような説は頭から否定している人とか結構いるがな。
>>935
自分に都合のいい偶像を崇めているってことですね。
その人はきっと、レーニンとスターリンを崇拝し、次は毛沢東を崇拝してきた
のでしょうな。
>>936
だから駄目なんだな、と思ってしまう。
敗戦を分析しない軍人はいない。
0938人間七七四年
2009/02/17(火) 17:18:51ID:Jfh6OT94そういうことではないんだな。自己や自社の失敗は徹底的に分析する。
しかし歴史上の人物に学ぶ、ということはそういうことではない。
史料やサンプルが少なすぎて、失敗の原因を特定することが困難で
そもそもそれを特定できる能力があれば、ハナからそういう失敗はしない。
限られた時間で学ぶならば成功者からより多くを学べ、というのが鉄則。
倒産企業の社長の「私はこうして会社をつぶした」セミナーには暇人しか行かないでしょw
0939人間七七四年
2009/02/17(火) 22:27:44ID:OiYh9Kowもちろん小豆餅と銭取り、ウンコは無し
そこそこネットしてる番組だから聞いた人いるかも
番組名なんだっけ、10分番組
0940人間七七四年
2009/02/18(水) 02:03:16ID:JkCjE+XF0941人間七七四年
2009/02/18(水) 03:33:01ID:jKfvtWfj本屋に行くときに稀に立ち読みしたりするけど、ほぼ例外なく現代の後付価値観によって
無理に当時の人間の行動を褒めたり貶したりするような程度の低い内容ばっかりだもんな
0942人間七七四年
2009/02/18(水) 08:43:54ID:1NAiad640943人間七七四年
2009/02/18(水) 08:52:00ID:nDFSMjEn940-942はニート
せつないのうw
0944人間七七四年
2009/02/18(水) 09:57:38ID:pqyFOSlhそれはそれは立派な経営手腕をお持ちの社長なんでしょうねw
0945人間七七四年
2009/02/18(水) 10:46:19ID:dTvJ+iqe「勝因の無い勝利はあっても、敗因の無い敗北は無い」
>941も言っているが、この手の話は勝利者はあたかも最初から全て計画があって、
その通りに動いて成功したかのように解析するんだよね。
0946人間七七四年
2009/02/18(水) 10:55:37ID:LdO6fRCj関係ないけど味噌の話は定期的に出るね
みんな好きなんだなあ
0947人間七七四年
2009/02/18(水) 11:55:12ID:hTskX/Eiこうゆう異常なマンセーが出ちまうのが山岡荘八家康の困ったとこかな。
信長・秀吉とはそもそも役割が違うしこの二人なしには家康もない。
0948人間七七四年
2009/02/18(水) 15:41:15ID:hPUl+LjBいよいよ高く、今や世に海道一の弓取と、歌わる。姉川合戦での
大勝における徳川家康の抜群の武功を賞賛する。
高祖(劉邦)、張良、武門之棟梁など賞賛の言葉が並ぶ。
新井白石の『藩翰譜』に「海道第一と聞えさせ玉ひし弓取の、
御母にてましませば」と記述されている。
成島司直の『改正三河後風土記』に、「海道一の徳川殿」、
と記載されている。小牧・長久手戦役の項目で。
幕府編纂の東照宮御実紀(徳川実紀)巻三天正十二年の項で
「徳川を海道一の弓取とはいひしぞ」と記述されている、
豊臣秀吉との小牧・長久手戦役でのことである。秀吉の三河先入れ軍
が家康に大敗した報告を受けて、豊臣秀吉が「家康を名大将、
軍略妙謀まろの及ぶところにあらず」と言ったことになってる。
0949人間七七四年
2009/02/18(水) 15:54:44ID:P++8B4xJそして遠回しに自慢にもならないセミナー知識でひそかに自慢しているつもりになっている低所得者に間違いないw
0950人間七七四年
2009/02/18(水) 19:28:51ID:OA9x3mG8徳川に詳しい方からみると、どっちが主戦、に思ってるのかなって。
もちろん史料は書き手の良いほうに解釈してそういう書き方になるのだけど、後世の我々が冷静に評価したらどんなもんなんだろうってね。
信長の戦は案外たいしたことないし、徳川主戦、信長ってのは家康にかなり助けてもらってるような気がしてならないんだよね。
織田スレでは恐ろしくってカキコできないが・・
0951人間七七四年
2009/02/18(水) 19:48:55ID:I0OfIhK7気持ち悪いかなー。まあ聞いてもいない自分語りもアレだけど。
>>950
自分で何という資料のどういう記述からそういう結論を導き出したの
か言ってもらわないと肯定も否定も出来ん。
0952人間七七四年
2009/02/19(木) 00:22:20ID:99lCerMt長篠では、家康は信長に「今度援軍に来てくれなかったら手を切るぞ」って
言ったほど、戦力的に頼りにした。現実に、織田の援軍が到着してから、
救援に向かえたほど。
姉川なんて逆だよ。あれは家康が信長のお手伝い戦に召喚された合戦。
しかしそれだと神君が使いっぱ扱いになってしまうので、徳川の奮戦で
織田は勝利できた!と働きを過大に記述した。
金ヶ崎退陣などもそうだね。実際は摂津守護池田氏の兵を主力に、秀吉
光秀らが働いたのだが、ここで家康を活躍させることで
「秀吉がいなければ信長は生きていない、家康がいなければ秀吉は生きていない」
などと捏造セリフを信長に吐かせて、天下人二人に恩をかぶせ、家康が
いなければ二人とも天下人になれなかったと思い込ませた。
信長、秀吉、今川義元、武田信玄。家康より上の立場に立ったことの
ある人物は、基本的に家康をマンセーする為にイロイロとプラスにも
マイナスにも改変が加えられている。
0953人間七七四年
2009/02/19(木) 11:06:22ID:tK7Zq/6xまあただその悪い記述が基で魔王だの風雲児になって、現代じゃ人気になるってのは面白い。
そこまでトンでも人間でもなかったらしいのにww
0954人間七七四年
2009/02/19(木) 17:37:23ID:aNv57nDCイチロー伝説みたいなことになってる
0955人間七七四年
2009/02/19(木) 20:21:48ID:92RUz+97そうなの?
あんなに苛烈な人物でもなかったの?
興味あるので教えてください。
それは幕府の方針ってか、家康の評価や正当性を強調する為かな?中華の史記のごとく前王朝や前主権者をケチョンケチョンみたいな
0956人間七七四年
2009/02/19(木) 22:04:42ID:L3R+FatH信長人気は戦後の映画から。
その理由は長くなるので省略だけど、ちゃんと普通によく語られてたりする。
簡単にいうと、太平洋戦争の影響で、他国侵略をした秀吉を英雄視できなくなって、外なる人を
殺していない無害な信長が語りやすかった、というのがある。
で、江戸時代の芝居や草子類は信長なんてほとんど触れられてない。
あくまで、秀吉とか家康のつけたし。
これを不当というかどうかは別の問題だが、重要なのは家康にはむかった秀吉でも江戸期には大人気で
自由に語れた。
このあたりは大事だよ。
で、戦国勝ち抜き戦という意味では、信長は光秀よりも下、負けてるしね、せいぜい毛利ぐらいと同格、ってとこ。
少なくとも江戸期まではそうやって思われてた。
織徳同盟ってのもあるんだから、徳川は織田を低く評価する理由がない。
実記では、あの強い織田を助けた、みたいなふいんきになってる。
にもかかわらず、織田に関する庶民的な人気がない、というのは注目なんだ。
話戻して、今の信長のイメージは戦後の映画だし、若い人にとってはゲーム、で洗脳されてる。
スレチだが、鉄砲三段撃ち、鉄甲船、楽市楽座、関所撤廃、このあたりは史実ではないことがほぼ証明されてる。
ちなみに、信長は地球儀もみてないはず。
世界をウンタラ、なんてのは完全に創作だぉ。
0957人間七七四年
2009/02/19(木) 22:10:38ID:L3R+FatH楽市楽座、関所撤廃とかは、信長も採用したけど、決して信長が創始者、ではないってことね。
政軍分離ってのもそう。
各地方大名の研究が進んでいろんなとこで独自にひろまったり進歩したりしてのがわかってきた。
それを信長がそのまま、安堵した、みたいな書状も残ってるので、なんでもかんでも、信長が革新的に発明、日本を統一した、みたいなのは完全に創作、ってことで。
0958人間七七四年
2009/02/19(木) 22:22:57ID:92RUz+97何だ、ただの外基地のたわごとかw
0959人間七七四年
2009/02/19(木) 23:11:35ID:S6cgwvi7逆に大坂では別に家康本陣は慌ててなかったとか
話はいろいろあるよねえ
繋がりは無いけどたまたまこっちに書いてきたんで
【真?】戦国逸話検証スレ【偽?】
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1196778610/
0960人間七七四年
2009/02/19(木) 23:58:11ID:99lCerMtその織徳同盟も、実際は対等の同盟ではなく、上下関係の同盟だったとされているね。
だからこそ江戸以降、織田と徳川が最初から対等な関係だったと色々と捏造された。
0961人間七七四年
2009/02/20(金) 00:09:04ID:62P6+icq例えば秀吉は大坂では人気だったと言うが、では大坂以外では?
信玄や武田家は徳川がおおいに宣伝して軍学の流行と同時に人気になったが、
信濃の一部などでは蛇蝎のごとく嫌われ続けた。
ちなみに江戸時代に、戦国武将で相撲の番付評みたいなのを作ったりもされて
いるのだが、信長は光秀や毛利よりも上に位置づけられている。まあこれも
複数の種類があるので評価が一つに定まっていたものでもないが。
0962人間七七四年
2009/02/20(金) 10:07:51ID:YaFUV18Oむしろ暗殺しなかった浅野のほうがバカ殿w
0963人間七七四年
2009/02/20(金) 10:51:42ID:o7McV/pdあと中国なんかは特にそうなんだけど、現代の政治・経済・文化の
情勢で讃える対象が決まってくるっていうのもある。
中国で民国・満洲帝国と戦っていた毛沢東が天下を取りかけていた頃に
明・満洲と戦った李自成が過剰に持ち上げられたり、江青夫人が実権を
握った途端に則天武后がもてはやされるといった「その時々の政治的
要求に合わせて歴史の化粧を変えてみせる」という学会の阿諛追従が
日常化しているけれど、日本だって明治・昭和の天皇制賛美の時代に
南朝方や上杉謙信が忠臣としてもてはやされ、満洲大陸移民の時代に
なると義経ジンギスカン説が語られ、明治と高度成長の時期には
立身出世の権化・秀吉が過剰に神格化されてる。坂本竜馬も戦前は
「海軍の創設者」と讃えられてたのが戦後になると「株式会社の創設者」
にいきなり賛美の内容が手のひらを返されてた。
0964人間七七四年
2009/02/20(金) 10:52:51ID:o7McV/pd「西洋文化を取り入れた」
「新兵器の利用に熱心だった」
「経済の活性化に功績があった」
「信賞必罰のリーダーシップ」
なんかをもてはやされていたのも、単に知っている武将に
今の時代の理想像を何でも押し付けようという
「夢見る側の勝手な都合」
だったんじゃないか?
信長ブームについては、信長自身の資質なんかよりも、ブームに
なっていた時代の「世相」の方を調べるほうが判りやすいと思う。
それは不景気の時代の家康ブームについても言えるんだろうけれど。
0965人間七七四年
2009/02/20(金) 11:39:44ID:A+dgvjdB勝手に無神論者にされたり、物凄い傲慢にされたり(以外と公家なんかにはマメに対応してる)と
信長の逸話がインフレしっぱなしだからなあ。
信長・秀吉・家康は似たような事やっても、猿ウゼー 狸uzeee 魔王様流石!つーやつが多くて疲れる。
0966人間七七四年
2009/02/20(金) 14:08:22ID:QpnYxkjE0968人間七七四年
2009/02/20(金) 15:57:58ID:ATECzH4oそれも難しいところだよね、いろんな側面、見方、があるから一概には言えないけど自分はかなり対等に近いものがあったと思ってる。
江戸期にはそれは徳川はなんでも中心で語られるけど、捏造は捏造として、織豊の頃にまでさかのぼって判断するとあながち、上下関係とも言い切れないだろう。
長男切腹事件で丁度信長ー家康が直接やりとりするわけで、家康に詳しい人たちにも聞いてみたとこだけど、あのあたりの二人の関係はどうだったんだろね。
事件自体もいろいろな説が出てるようだし。
>>961
それはそうだね。で、信長人気、という一般論に関してはこれは戦後の映画のイメージというのは常識みたいなもんで、世相というのもそうだし、政治事情というのもそうだろう。
家康ってのもこのあたりで、本格的に取り上げてほしいものだけどな。
日本が世界に誇る人物、という感じで。
0969人間七七四年
2009/02/20(金) 21:29:27ID:Qk5TkAZ/秀吉も、家康の次男を人質に取った時点で一度停戦して九州、四国を平定する
その後改めて家康に脅しをかければ有利な条件で家康を降せるはず
0970人間七七四年
2009/02/21(土) 00:19:42ID:csmwCd0U大坂の陣は和議というより実際は降伏勧告に近い
豊臣側は大坂城の内堀・外堀を問わず全て埋め立て、本丸以外を全てを破却が条件であり
もちろん徳川側は特になんの条件も課されていない
それに対して小牧は家康が最初から後継者扱いしていない秀康を厄介払いしただけで
それ以外は家康はなんの負担もしていないし追い詰められてもいない
秀吉が有利な条件で家康を降すことは不可能な状態だった
0971人間七七四年
2009/02/21(土) 01:19:26ID:aoKYx99+直線で200mぐらいのとこまで秀吉ー家康は接近してるのでしょう。
あのぐらいビッグな存在だと局地戦で終わってしまう、にらみあったままでおしまい、とかそういうのもあるだろうし、雌雄を決するつもりだったかもしれないし、なかなか興味深いとこなんだよな。
どっちみち戦で勝てないと成ったら、秀吉が作戦変更したのは史実の通りだろうから家康がどうしてたかがね。
信雄が想像を絶するアホ殿だったからさすがに家康もまいってたかな。
0972人間七七四年
2009/02/21(土) 01:42:06ID:T7kNYQz1このためにものすごい重税をかけて、自殺者や逃亡者を出しまくって
経済的にはものすごく追い詰められていたそうだが?
0974人間七七四年
2009/02/21(土) 06:19:47ID:aoKYx99+かもね。
ただ、重要なのは、人間いつ死ぬか、なんてわからないこと。
家康なんて辛抱して長生きしただけじゃん、とはよく言われるけど、それがいかにすごいことか。
関が原から大阪の陣まで10年以上、その間自分が生きてるなんて誰にもわからない。
結局、豊臣殲滅は急務じゃなくていつでもできる、他に優先事項がある、ってことなんだろうけど。
その判断が間違ってなかったこともすごい。
結論として、家康はすごい、だけだなも。
0975人間七七四年
2009/02/21(土) 09:45:33ID:vzQ4ouaX小牧・長久手スレでも書いたが、両者の陣地戦は家康が優位なのです
彼の方は二つの台地の境界線上にあって、水が出やすく湿地帯の中にある
秀吉は原野の中にあるだけで、秀吉が一方的に不利なのです
後、中入りは岡崎城は攻めれればラッキー程度で、実際は家康を引きずり出し、
秀吉本隊とで挟み撃ちにする作戦だった様です
まぁ、これは家康があまりにも速く動き過ぎて失敗しましたが
0976人間七七四年
2009/02/21(土) 10:35:26ID:Ufz8pZh7そんなことはない。
小牧陣の東も北も秀吉方陣地で固められてて楽田〜竜泉寺に至までも拠点の普請を
行っている。家康方から岩崎山攻めるのも困難至極なはずで
秀吉が一方的に不利なんて事はない
0977人間七七四年
2009/02/21(土) 10:48:30ID:Ufz8pZh7あの作戦は秀吉の意思によるものだよ。池田の発案というのは講談。
3月13日の丹羽長秀宛書状では『14、5日程で一気に酒の酔いを醒ますごとく
決着つけてやる』と言ってるししかも大軍結集してるから実行にも移してる。
敗戦前日の丹羽宛書状等複数の書状では『家康さへ討果候へは』
とあるし龍泉寺に向かう途中での柏井、大草の根城に山内一豊、
生駒吉一、矢部家定、一柳直末を入れると記し、九鬼の水軍を三河
へ派遣し家康本国への陸海両面攻撃等の計画を細かく書いてて中入り作戦も
その一貫であり自分の意思で池田等の兵力を三河に向け発向させる予定である旨
を報じてる。
北尾張に向けて出陣する時桂黄繁の書状では『徳川事、三介殿後見被
仕候付被討果之由候て尾州表へ陣替候』とあるし小早川秀かねに同道してた
渡邊清忠が『秀吉自ら北尾張の家康を攻撃する』と記してる。
その後も秀吉の決戦構想は は秋頃まで一貫してて11月の信雄との和睦時ですら
「家康には恨みが深いので年内であっても攻め滅ぼしてくれん」とか言ってる
0979人間七七四年
2009/02/21(土) 13:20:52ID:iiww7NG6家康の計略が裏にあったとしか思えなくなってる
そんな家康の謀略家ぶり
09801
2009/02/21(土) 20:37:43ID:gFsJH9kKhttp://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1235216204/l10
0981人間七七四年
2009/02/22(日) 00:39:22ID:ZpTHnD6Fほぉ、池田の発案が講談、というのはおもしろい。
個別に検証したいとこだね。
具体的行動は家康が取ってるし、秀吉の動きは後手というか、様子見、牽制しながらに思えるのだよね。
でも、あの秀吉がそんな簡単に不利になる体制を作るわけないから、あの岡崎責めは陽動作戦で、家康が動いたところを叩く、というのはありそう。
にしては、かなりの大軍がやられてるし、小牧自体がよくわからないところもある。
ちなみに、自分は名古屋なので、あのあたりの、湿地帯、とか、原野、とかそういう地形的な評論は認めない。
いかにも机上の論でね、桶狭間もそうなんだけど。
977さんが言うように、秀吉の作戦で、失敗したから、作戦変更、というのが正しいのかな。
で、3年で関白になっちゃって結果的に大成功。ミスすらうまくごまかす、というのは秀吉のすごいとこなんだろか。
最終的に勝ったのは家康さまなんだけどね。
0982人間七七四年
2009/02/22(日) 07:29:46ID:oBf0ssGs個別に検証も何も甫庵太閤記が初出の話なのだが。
まあ小牧から釣りだしたかったようだね。その後秀吉は木曽川筋で戦うが
この時も『必家康後巻可仕儀にて候間』『家康後詰可仕事案内与存』と小牧から
おびき出そうと考えてたし。でも究極的な目的は>>977にも書いたけど
家康との短期決戦が目的と考えられる。その後7月に『来る15日(八月十五日)』
『西国・北国之人数』を総動員して尾張、三河遠江へ出兵する計画を報じており
この計画を各方面に書状で報じている。
0983人間七七四年
2009/02/22(日) 09:42:38ID:6l4HMXlr当時と今では地形が全然違うという認識をした方が良いかと
鳴海が昔は海に面していたとは、現状からはとても判断できない
小牧も田楽方面が開拓されるのは江戸時代以降
0986人間七七四年
2009/02/22(日) 23:47:08ID:oBf0ssGs0987人間七七四年
2009/02/22(日) 23:47:37ID:oBf0ssGs0988人間七七四年
2009/02/22(日) 23:47:58ID:oBf0ssGs0989人間七七四年
2009/02/22(日) 23:48:25ID:oBf0ssGs0990人間七七四年
2009/02/22(日) 23:48:49ID:oBf0ssGs0991人間七七四年
2009/02/22(日) 23:49:15ID:oBf0ssGs0992人間七七四年
2009/02/22(日) 23:49:35ID:oBf0ssGs0993人間七七四年
2009/02/22(日) 23:50:13ID:oBf0ssGs0994人間七七四年
2009/02/22(日) 23:50:41ID:oBf0ssGs0995人間七七四年
2009/02/22(日) 23:51:08ID:oBf0ssGs0996人間七七四年
2009/02/23(月) 00:01:21ID:Llfqiti60997人間七七四年
2009/02/23(月) 00:01:46ID:Llfqiti60998人間七七四年
2009/02/23(月) 00:02:11ID:Llfqiti60999人間七七四年
2009/02/23(月) 00:02:52ID:Llfqiti61000人間七七四年
2009/02/23(月) 00:03:26ID:oBf0ssGs10011001
Over 1000Threadー┬――─‐ァ
/ ̄ ̄ ̄ ̄,l,
_/ ,、r'" _」
. | ̄ ̄ ̄ ̄ ,、r:''゙ヽ、
/`'''''''''''''''''''" ヽ::::::::::ヽ
/ 秀家 ゙ヽ:::::::::', ごくろう。このスレはみごと統一された。
゙|゙゙゙''' ‐‐''""' ';:::;r==,、 さすればおぬしらには次スレの攻略を命ずる。
. |エi> ,' イiエ> レ'゙,r .,l }
i. / Y./ノ さあ泳いでゆけ、現代のもののふたちよ!
l { .、 /
', ` '' ' rTヲ
'、 `'ー‐''" / lzュ、__
---‐ヽ -' / 〃ィ ヾ'‐,--
/ | |iゝr;ァ--‐''" 〃/./ l | 戦国時代(仮)@2ch掲示板
./ | | ',ヾ゙ / / / / l http://hobby9.2ch.net/sengoku/
レス数が1000を超えています。これ以上書き込みはできません。