自称された官位について
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0001人間七七四年
2008/05/18(日) 16:41:54ID:wH+rnB94その行為にどれほどの効果があったのか
特に全く関係ない領地の国司名を自称することに何の意味があったのか
0140人間七七四年
2008/11/05(水) 14:30:20ID:6LOXsR0a0141人間七七四年
2008/11/05(水) 23:49:01ID:kfXTFbom武官は陛下直属(という建前)だったから高めなんでしょうか
祖父は予備役大尉で終戦、戦前に引き続き戦後も教職にいたので何か貰ってるかも?
もう祖父母共に亡くなってるのですが一度調べてみたいと思います。
>>140
なるほど、生前には貰えない訳ですね。
ありがとうございました。
0142人間七七四年
2008/11/06(木) 01:05:24ID:1JR7HI/1お国の為に血を流して戦ってる我々が、文官風情の風下になんぞなってられんわ!
っていう増長
0143人間七七四年
2008/11/06(木) 01:44:31ID:si1q9C6/六位以上の位階と等級の両方持ってそうだね。
戦国武将並みなんて羨ましいかぎり。
数万石の土豪すら無位だったのに…
>>142
でも将官は意外と低いんだよね。
近衛大将相当の従三位くらい貰ってそうなイメージだったんだが。
ただ上級の場合は階級以外に役職によって上がりそうだけど。それと退官後か。
0144人間七七四年
2008/11/06(木) 04:10:16ID:1JR7HI/1役職の数考えれば武官のが優遇されてるのは歴然
0145人間七七四年
2008/11/06(木) 12:32:39ID:P75h81Ef二位くらいでしょうか?
0146人間七七四年
2008/11/06(木) 14:04:55ID:si1q9C6/人によるけど従一位か二位
だけど戦前は若槻礼次郎が正三位だったような。
爵位相当の影響もあるかもしれんが、現代は武官が減ったぶん位階が高めになってるっぽ。
さっき図書館で郷土資料見てたら小学校教員を三十年勤めた人が勲八等だったし。
0147人間七七四年
2008/11/06(木) 15:18:53ID:1JR7HI/1小渕恵三が正二位
0148人間七七四年
2008/11/06(木) 20:09:02ID:nM4zkCF+0149人間七七四年
2008/11/06(木) 20:17:17ID:ZM6rgdei二位や三位なんてゴミカス同然ですよ。
0150人間七七四年
2008/11/06(木) 20:31:06ID:Xw1oV4Y7是非聞いてみたいな。
まさかとは思うが、長州力のことか?
0151人間七七四年
2008/11/06(木) 21:02:29ID:1JR7HI/10152人間七七四年
2008/11/06(木) 23:39:30ID:P75h81Ef0153人間七七四年
2008/11/07(金) 00:01:07ID:9li5c3G0上杉家は明治時代に伯爵になってるから、
藩祖にあたる景勝も正三位を贈られ→じゃあ謙信はその上。
謙信が従二位になったのは明治の頃だよ。
0154仙台藩百姓
2008/11/07(金) 10:34:32ID:84Z+OI6z長尾のハゲが貰う理由なんてないし
0155人間七七四年
2008/11/07(金) 22:32:05ID:fWA24Yqv高位の官職が少ないのはわかるとしても、
同じ○○守でも陸奥守や出羽守って少ないような気がする(北条氏照とかいることはいるけど)
あと、主税とかって江戸時代にはよく出てくるけど戦国時代にはあまり聞かないような
0156人間七七四年
2008/11/08(土) 02:37:44ID:7MUgVzHF0157人間七七四年
2008/11/08(土) 04:50:36ID:KEmuJeEk陸奥、出羽というより大国の守自体が少ないと感じる
>>156
wwwww
平和な世だから知的なイメージを出そうとしたのかね>江戸時代の主税
0158人間七七四年
2008/11/08(土) 06:24:55ID:DGJ9+P1b0159人間七七四年
2008/11/08(土) 11:35:25ID:E4b0bSqF陸奥守と言えば、源頼時-義家に始まる武家の名門中の名門
さすがに自称しづらいと思う
あと明らかに地方覇権型大名の本拠地の相模守、甲斐守、越後守、駿河守、
尾張守、安芸守、豊後守、薩摩守あたりも自称では名乗りづらそう
山城守は将軍家お膝元で遠慮したほうが無難とか
0160人間七七四年
2008/11/08(土) 11:45:45ID:wL41E1L5尾張は「終わり」に通じるので、縁起が悪いなw
0161人間七七四年
2008/11/08(土) 12:05:56ID:RqdXM+sW「尾張」は戦乱の世の「終わり」で大変縁起が良いそうです。
0162人間七七四年
2008/11/08(土) 13:57:36ID:7MUgVzHF0163人間七七四年
2008/11/08(土) 16:03:12ID:KsS22IOg例えば武田甲斐守信盛の子孫を称しているから甲斐守を名乗るとか
先祖が美濃より興ったから美濃守とか、昔豊後に所領を与えられていたから豊後守とか
多少なりともつじつまを合わせている
あと大名の場合は別だけど配下は自分で選ぶのではなく大名から与る
例えば戦で手柄をたてた配下に「駿河守を名乗る事を許す」とか言って与えるわけだが
大名は朝廷から許可貰ってないから勝手に言ってるだけで家中でしか通じない
だが、加増並に褒美として重大な役割を果たしていた
0164人間七七四年
2008/11/08(土) 18:00:56ID:iOfesVMt小田原降伏の引き金を引いたのが松田尾張守だったのもなんかの縁かね
>>159
駿河守は吉川と大道寺といるな
安芸守は北条高広がいるが、毛利家を意識してたのだろうか
ゴロが悪いとかもあるのかな
遠江守とか越中守、筑後守、大隈守あたりもあまりいないような
0166人間七七四年
2008/11/09(日) 00:59:45ID:mOKXSYWs公式もありだと黒田甲斐守とか松平薩摩守(忠吉)とかいる
国守じゃない官位だと典膳、造酒、靫負、主馬あたりも時代小説にはよく出るが、
戦国時代には少ない感じ
単に官として低めだから名の残るような大身の武士が名乗ってないだけかも知れないが
0167人間七七四年
2008/11/09(日) 01:24:02ID:sLVxgrXl加藤大隈守 伊予大洲藩 6万石
土井大隈守 三河刈屋藩 3万3千石
九鬼大隈守 丹波綾部藩 1万9千石
有馬遠江守 越前丸岡藩 5万石
桜井遠江守 摂津尼崎藩 4万石
南部遠江守 陸奥八戸藩 2万石
牧野遠江守 信濃小諸藩 1万5千石
牧野越中守 常陸笠間藩 8万石
細川越中守 肥後熊本藩 54万石
松平越中守 伊勢桑名藩 11万石
津軽越中守 陸奥弘前藩 10万石
さすがに陸奥守は見当たらず
0168人間七七四年
2008/11/09(日) 01:28:13ID:sLVxgrXl0169人間七七四年
2008/11/09(日) 02:08:13ID:9HxVXgbc0170人間七七四年
2008/11/09(日) 02:23:30ID:zIDU4Yra>>166
辛うじて御家人として採用されたレベルでも衛門、守が圧倒的に多いよ
0171人間七七四年
2008/11/09(日) 09:46:11ID:NnvbCNQQ0172人間七七四年
2008/11/09(日) 10:01:56ID:oscw5cFkもともとは「勝手に選べる自称の官位での人気不人気」の話だから、
割り当て?される公式の官位なら探せばいるだろう
0175人間七七四年
2008/11/09(日) 11:43:01ID:9HxVXgbc父:小山田越中守信有→兄:小山田出羽守信有→弟:小山田越前守信茂→断絶
0176人間七七四年
2008/11/09(日) 11:48:35ID:sLVxgrXl龍造寺関係で自称駿河守を名乗ったのは
小田駿河守政光 少弐一族だが龍造寺にて滅亡
蒲池駿河守統安 蒲池一族だが龍造寺にて滅亡
鍋島駿河守清房 鍋島直茂の父
0177人間七七四年
2008/11/09(日) 12:01:54ID:oscw5cFk桶狭間で今川軍の場所を知らせた人
0178人間七七四年
2008/11/09(日) 12:16:01ID:sLVxgrXl石井尾張守、石井和泉守、石井石見守、石井三河守、石井大隈守、
石井因幡守、石井伊豆守、石井肥後守、石井安藝守、石井越後守
同時期によくも附けたものだ
0179人間七七四年
2008/11/10(月) 23:07:54ID:vw58Ix1B個人的な印象では能登守、加賀守、大和守、佐渡守、美濃守、丹波守あたりが多いイメージ
0180人間七七四年
2008/11/13(木) 20:26:14ID:MiiNpOo8壇ノ浦で義経を追っかけ回し、最後は源氏の武将二人を道連れに
海に飛び込んだ平家の一門
0181人間七七四年
2008/11/13(木) 21:06:06ID:ysJugEBi0182人間七七四年
2008/11/13(木) 21:31:13ID:QK3cXt4t0183人間七七四年
2008/11/13(木) 22:08:54ID:FLCeVPYeダンジョン?
0184人間七七四年
2008/11/14(金) 01:59:43ID:+nrkCKuK0185人間七七四年
2008/11/14(金) 11:08:26ID:eC0Pp4WM0186人間七七四年
2008/11/15(土) 01:16:37ID:qhsNMM9l岡越前ぐらいしか知らん
0187人間七七四年
2008/11/15(土) 08:13:39ID:PTWH4L8K陸奥、越前、播磨、肥後が大国と称されているが、
やはり大国守の方が上中下国守より官位は上?
0188人間七七四年
2008/11/15(土) 09:25:27ID:qysllS+v相当する位階のことかな?
それならそうだよ。
だけど国司は上位の位階の人が就くことも多いからねぇ。
羽柴筑前守と明智日向守は位階どうなってたんだろ?
0189人間七七四年
2008/11/15(土) 09:55:14ID:PTWH4L8K羽柴は九州の中心地である大宰府、明智は島津を牽制するために
信長が官位を決めたらしいけど本当かな?
0190人間七七四年
2008/11/15(土) 12:03:00ID:Gqa9IoNQ特に意味はない。
0191人間七七四年
2008/11/15(土) 12:43:18ID:ZZzCyubR0192人間七七四年
2008/11/15(土) 13:03:43ID:5gttNngwそれに惟任、惟住は姓だから改名じゃなく改姓。
まあ言わんとするところはわからんでもないので、要するに揚げ足取りだなw
0193人間七七四年
2008/11/15(土) 13:08:23ID:5gttNngw東国の名族の姓(どんなのがあるのかよくは知らんけど)はスルーされてるところを見ると有意と見るべきだろうね。
0194人間七七四年
2008/11/30(日) 20:22:03ID:UX+ZUL2B0195人間七七四年
2008/11/30(日) 22:10:53ID:VWO/Dah9里見安房守義康
真田安房守昌幸
がいるわけだが。
0196人間七七四年
2008/11/30(日) 22:56:24ID:6ILQZ7Uw江戸時代でも、幕府公認でダブリがいたよw
0197人間七七四年
2008/11/30(日) 23:27:51ID:UUT75vwY0198人間七七四年
2008/12/01(月) 06:42:45ID:Mi+k4jD+0199人間七七四年
2008/12/02(火) 01:12:49ID:hwx6s3Ox0200人間七七四年
2008/12/02(火) 02:51:09ID:I+2FzBwC0201人間七七四年
2008/12/02(火) 03:55:06ID:KphK7Fvx0202人間七七四年
2008/12/02(火) 03:57:56ID:Xw7C+ne+0203人間七七四年
2008/12/02(火) 22:08:02ID:hwx6s3Oxどうかしてくれ
0204人間七七四年
2008/12/03(水) 03:58:26ID:I6n9WZPz書き方があれだったな
定員があったよね
で、「〜守」も複数の定員があるけど「〜権守」の方がより多くて、
後者も権官なのを略してる例がちょくちょくあるなと。>江戸時代
0205人間七七四年
2008/12/03(水) 18:03:06ID:U3PAB6G8何していいのかいまいちわからん。
0206人間七七四年
2008/12/03(水) 18:03:37ID:sH8QztwL0207人間七七四年
2008/12/03(水) 18:15:43ID:sH8QztwL少納言は璽の管理が職務だが、権官だからおまえの仕事はないな
まあ、おまえは学者のはずだから、せいぜい学問に励めよ
0208人間七七四年
2008/12/05(金) 19:58:34ID:MJvk0tn6わざわざ権守って名乗ってたのってこの人ぐらいでは?
0210人間七七四年
2008/12/06(土) 01:41:44ID:CZlJEjsvつーかその時代じゃ自称じゃなくてリアル官位では?
0211209
2008/12/06(土) 19:54:37ID:Br6Cq43V那須与一の先祖(須藤貞信)が権守を名乗り、一時は子孫の一部が名乗り、後に部下に姓として権守を与えた(と推測される)のが現在の権守姓の始まりと推測されている
って書かないとダメ?
下野権守ではなく、「権守」だけを名乗っているから正式では無いはず
ちなみに関ヶ原時の資料に権守姓が出てくるのがありますけど翻刻されてない
0212人間七七四年
2008/12/06(土) 21:45:40ID:zxAndZN30213209
2008/12/08(月) 07:35:04ID:OfT+knss丹波の波々伯部(ははかべ・ほうかべ)氏に権頭を名乗った武将がいた
明智光秀に従った丹波衆に波々伯部権頭って名前が出てる
0214人間七七四年
2008/12/08(月) 21:10:41ID:xQdMDqfx0215人間七七四年
2008/12/09(火) 00:22:24ID:tpAv8NYi上総介(と常陸介・上野介)の3つだけは国司が親王しか任じられなかったために、
臣下では次官の「介」が最高位だったから名乗ってる奴がいる
0216人間七七四年
2008/12/09(火) 11:14:41ID:CK/l9IJ50217人間七七四年
2008/12/29(月) 12:24:46ID:Xv/k9UTMまあ自分の家や一門より高い官位はやらないだろうけどw
あと自称の官位ではないけど、
小説などでは秀吉が亀井茲矩や山内一豊に「○○守と○○守どっちがいい?」なんて聞いてるシーンがあるが、
そんなもんで決めてたのかね
0218仙台藩百姓
2008/12/29(月) 14:02:49ID:Hn3Ytm/W0220人間七七四年
2008/12/29(月) 19:14:01ID:dGw8BvHv太宰大弐みたいなもんだろ
0221人間七七四年
2008/12/29(月) 20:11:54ID:iqtP/XeO琉球守かw
『千葉介』ってどうなんだ・・・?
0222奇矯屋onぷらっと ◆SRGKIKYOUM
2008/12/29(月) 20:43:22ID:MlGp23NN0223人間七七四年
2008/12/29(月) 21:09:22ID:iqtP/XeO↓
・千葉介=千葉介の下総介
ってことで良いのか。
0224奇矯屋onぷらっと ◆SRGKIKYOUM
2008/12/29(月) 21:20:37ID:MlGp23NN・千葉に本拠を置く下総の介官
・小山に本拠を置いた武蔵の大掾
問題ないな。
0225人間七七四年
2008/12/30(火) 00:42:22ID:v3sCt0k/0227人間七七四年
2009/02/11(水) 20:56:59ID:5HaKmUWj0228人間七七四年
2009/02/11(水) 21:00:35ID:m5m24Z/T0229中野区民憲章(トリ変え) ◆1Ixlm5F0XU
2009/02/18(水) 21:58:59ID:Az35Ydmi秀吉の官位についての初見は、
天正十二年十月三日にある従五位下左近衛権少将
公式文書にはこれが最初の記述
つまりこの時点で初めて秀吉は諸大夫に列したと見るべきだろjk
0230人間七七四年
2009/03/16(月) 21:47:28ID:ZCQuzLdU官職要解には平安時代までの話だろうけど
上総・上野・常陸の守は親王に限定されて
実際の職務は介が行うので、受領扱いで介を守ということもあった。
他国でも守に欠員があったりした場合には介を
国司の職務を執る(受領)ということで守と呼ぶことがあった、とある。
戦国時代には
本気で上総上野常陸の守を名乗る=無学
公的には介を名乗るけど私信で守を名乗る=故実に詳しい
ということになるのかな。
0231人間七七四年
2009/03/16(月) 22:02:20ID:oREXfTSC信長が筑前と読んでる一次資料ってあったっけ?知ってる限りでは藤吉郎とかしかない気がする。
資料があったとしても正式任官しているとは限らないが。
0232人間七七四年
2009/03/17(火) 01:35:07ID:33y2Z0EWこれも官位の自称ですかね?羽柴筑前、柴田修理みたいな感じの略称?
0233人間七七四年
2009/03/17(火) 02:31:31ID:IiiI9BiV0235人間七七四年
2009/05/05(火) 19:44:53ID:T9O8r6ZQ新免武蔵守藤原玄信
って名乗ってるんだし。
0236人間七七四年
2009/05/05(火) 23:13:46ID:Jy5mx/BQ島津豊後だの大久保大和だの自称官位から「守」だけ抜いたのを名前に代用してる
0237人間七七四年
2009/05/06(水) 00:49:36ID:ukT07/xP0238人間七七四年
2009/05/06(水) 13:17:09ID:A8TUpcdM本名が分かってない場合も多いしね。信長の馬廻の山口飛騨守とかそうでしょ。
0239人間七七四年
2009/05/06(水) 14:15:58ID:Pa6+aPUG■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています