織田信長がいなかったら誰が天下取っていた?part11
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
0001人間七七四年
2008/04/23(水) 16:15:04ID:ARUiZbH4ここでは「彼が存在していなかった場合、誰が天下を我が物にしたか?」を議論するスレです。
前スレ
織田信長がいなかったら誰が天下取っていた?part10
http://hobby11.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1204071521/
0226人間七七四年
2008/07/25(金) 15:16:44ID:AxqsQhI0ちゃんと読め 石高も大事だし、全国規模で活動するシステムもいる。
>総合的な経営力を備えた人でないと全国規模での戦争は無理だね。
0227人間七七四年
2008/07/25(金) 15:31:43ID:nr6KQZgm・今川家。義元当時40代、氏真も無能の人のような印象が強いが、文武両
道で可也の努力家。今川は足利政権の名門中の名門で後継者問題が度々起
こったが氏真には男子の兄弟が居らず、義元が50前後で院政を行えば可也
のものだと想像される。評価AA
・三好家。信長以前に既に内部崩壊はしてたものの、中央政界を20年間牛
耳ってた実質的な覇者。信長の上洛無ければ内部の権力闘争を制し天下人
を排出した可能性大。評価AA
・武田家。逆に評価としては下がる。信長以前に上杉、北条、今川、斎藤
と強敵が多く、後継者問題の不手際を甘味しても天下取りには手が届かな
い。評価C
・斎藤家。義龍死後もよく頑張ったと言えよう。しかし、やはり天下人の
素養が見えない。評価D
・六角家。信長の侵攻時には既に内部崩壊状態。信長如何に関らず低評価
は否めない。評価D
・朝倉家。何度か天下取りのチャンスに恵まれながらも成しえなかったの
は天下人の器に非ずと言えよう。但し、世代が代われば好条件ではある。
評価B
・上杉家。名門上杉を天才謙信に任せたのは素晴らしかったが、如何せん
謙信一代の威光で終わる。評価D
・毛利家。百万石規模の大名としては北条に次いで継承が成功した。輝元
の評価は芳しくないが、内政面、軍事面共にA評価されるべき人物である
地勢、軍事力等々、中央へ一番可能性が高かったと思われる。評価AAA
・島津家。もし信長が居なければ、中央政界も一つには纏って居ない可能
性が高い。九州を統一した後、海外の勢力を背景に中央政界に進出した毛
利家を打倒した可能は高い。但し後継に問題あり。評価AA
・北条家。残念ながら此方もやはり評価が下がる。武田、今川が健在成れ
ば、関東での一人勝ちは厳しい。評価C
・伊達家。名門伊達家に天才政宗が居れば、東北からの天下人も夢では無
いであろう。但し中央までの道のりには、多くの大大名がひしめき合って
いる可能性高し。評価A
0229人間七七四年
2008/07/25(金) 15:42:11ID:AxqsQhI0信長の祖父からの流れだね
0230人間七七四年
2008/07/25(金) 15:46:35ID:AxqsQhI0武田は、義信が継いだ場合と勝頼が継いだ場合では違ってくる。
別の歴史では義信が頑張ったかもしれない。
0231人間七七四年
2008/07/25(金) 15:56:19ID:/8ICJ4ip韓国人が嫌いな大学生
http://ex24.2ch.net/test/read.cgi/campus/1216951059/
ttp://www.election.co.jp/news/2004/news0714.html
地球市民に爆笑
これが在日朝鮮人でつ
0233人間七七四年
2008/07/25(金) 16:11:36ID:AxqsQhI0近畿は強力な英雄が生まれにくいのかな。
0234人間七七四年
2008/07/25(金) 16:13:48ID:nr6KQZgm確かにそれは解る。だけど現実問題信長が居なくても戦国時代が100年以上
続いたとは思えない。やはりあの時代に生きて居た人々が重要。
そう言った意味では例えば六角氏。物流の中心地近江を拠点とした京極氏
の名門傍流であり、管領代にもになった。だが結局はそれを生かしきれなか
ったのは個人の力量が足らなかったからだと思う。
>>230
武田の場合は義信が継いだとしても、織田が居ないと逆にクリアするハード
ルが高くなるって言うジレンマがある。スピード的に西国や関東以北には勝
てないと思うな。
0235人間七七四年
2008/07/25(金) 16:19:31ID:nr6KQZgm飽く迄も信長が居なければ誰が天下を取っていたかって言う評価だか
ら、徳川政権のような長期の安定政権って訳ではない。そう言った意
味で評価した場合、天下を取れる位置、軍事力、経済力、地盤が必要
な訳で、主家の上杉をクーデターで転覆させたような景勝では到底天
下を取れるだけのスピードも地力も無いと思うよ。
0236人間七七四年
2008/07/25(金) 16:32:02ID:nr6KQZgm確かに畿内は全国でも一、二の激戦区で移り変わりも激しい。
そんな中で三好は20年という長期間居すわった訳だ。
政権の安定度や権勢は極めて脆弱ではあったが、織田家の台頭が無ければ
全国でも桁違いであった。三好は織田の縮小版って感じなんだよね。
三好の内部分裂も言わば織田家の内部分裂(本能寺以後)って感じで、信長
さえ居なければ或いは纏まって行く可能性は高かったと思う。
0237人間七七四年
2008/07/25(金) 16:39:30ID:gPF8e09S信長がいない場合、美濃の内紛(道三・義龍、龍興・三家老)に介入できるのは信玄と義元だから、信玄が
美濃に行きたければ不識庵と信玄の和睦は可能性がある。
そうすると上杉は史実よりはやく西に動ける。その場合越前にいるのは朝倉だが、一向宗との関係を考える
と協同で加賀攻めは可能だろう。
その時点で朝倉と上杉が友好関係になれば将軍の名の元に共同で上洛はありえない話ではない。
朝倉浅井上杉で攻めるなら京・大和は落とせる。
0238人間七七四年
2008/07/25(金) 16:53:17ID:nr6KQZgmそれは僕の見解と少し違うな。
美濃は内紛は義龍の時代で可也精査出来てる。義龍が居なくなった後も龍興
は8年間美濃に居座れたのがその証拠だと思う。それに介入するなら、今川
や武田以上に朝倉だったと思う。
それに謙信の代で上洛は何度もしてるだろ?規模には諸説あるが、数千規模
の上洛もあった可能性が高い。ぶっちゃけ謙信は天下人には成らないと思う
ね。まぁ大内クラスには成りえたかも知れないが、謙信一代では無いって事
は上杉の天下人の可能性はD評価で妥当だと思うな。
0239人間七七四年
2008/07/25(金) 20:05:04ID:mPBHyNI+この評価のメンツをみても
武田上杉今川北条が同じ地域、時代でしのぎを削ってるんだよね
この地域の大名は不利ってことだな
武田に至ってはすべてと隣接しているから
上洛天下取りなんて不可能に近いでしょ
0240人間七七四年
2008/07/25(金) 20:12:38ID:NDqAnr41毛利は、当主が輝元なのに、なんで最高得点なんだよ?(www
0241人間七七四年
2008/07/25(金) 21:32:12ID:D3zYO/P+そこを責めるなら隆景あたりもひっくるめて責を追うべきだろ
0242人間七七四年
2008/07/25(金) 21:34:23ID:E/oW4nzE今日に御旗を立てる、と言うけど、旗を立てると天下を取る事になるのかな?
そうとすると足利幕府を潰した物が次の天下人となると言うこと?
どうすることを天下を取ると言うことなのかちっともわからない。
織田信長は何度も京都に行ってるし、天皇の前で馬を見せたと言う話しもある。
さらに足利義昭を京都追放したけど将軍になれなかった。
どうすれば天下を取る、と言うことになるのかまず尻体。
0243人間七七四年
2008/07/25(金) 22:27:12ID:hEowQb660244人間七七四年
2008/07/26(土) 00:43:21ID:74QoXQlXどんなに勢力を持つ人物でも「いかなる理由で権力を行使するのか」という問題に直面する
正当な理由を示せない権力、つまり非合法の権力では周囲の理解を得られないからだ
この問題を中国では「天の意思」で権力者が交代するという易姓革命で説明した
しかし日本では「政治・軍事に携われる権限をもつ役職」につくことで説明した
(元寇や幕末時など外交問題が勃発した際に、幕府が朝廷に意見を伺うのは、
外交に関する権限を将軍が持っていなかったためであり、日本の法体制上は自然なこと)
蘇我氏→大臣として権力を合法化
藤原氏→摂政・関白として権力を合法化
平氏→太政大臣として権力を合法化
源氏→征夷大将軍として権力を合法化
北条氏→将軍を補佐する執権として権力を合法化
(つまり彼らが権力を行使するには将軍が必要だった。だから源氏が滅んだ後も将軍を迎え続けた)
足利氏→征夷大将軍として権力を合法化
豊臣氏→関白として権力を合法化
徳川氏→征夷大将軍として権力を合法化
これら政治・軍事的権限をもつ役職に任命してくれるのが朝廷であり、そして天皇である
よって朝廷や天皇がいる京を確保しなければ
最終的に日本全体の権力者(=天下人)になることはできない
0245人間七七四年
2008/07/26(土) 00:56:16ID:QxABzeBX信長の上洛は京を抑えるより
堺を抑えること
堺を抑えるのは鉄砲量産より火薬の確保ね
あと真の目的は
商人と結ぶことで日本各地に情報を得られる、
自分に有利な情報(宣伝)を各地に流布することができる
一番効果を得たのが長篠の戦で
実際、武田方の重臣が多く打ち取られてはいるが
織田方の被害も相当なもので
圧勝どことか痛み分けで大した成果は得られてはいない
織田方にとっては武田と戦った事実があればよかった
あとは全国へ結果を着色し圧勝したと流せるから
勝てば官軍で情報戦を制するものが天下をとるんだよね
今も昔も同じことw
0246人間七七四年
2008/07/26(土) 01:29:19ID:t67OSFuY0247人間七七四年
2008/07/26(土) 04:37:27ID:rhG/FVFG0248人間七七四年
2008/07/26(土) 05:18:59ID:t67OSFuY0249人間七七四年
2008/07/26(土) 06:06:49ID:8sTTcA0Aどうすればとれたんだ?
天皇と通じ、現役将軍を追放、京都を掌握、商人を掌握、武田軍を打ち破り滅ぼす、京都周辺の大名を倒し周囲を掌握。
安土城を建設してその絶大なる力を誇示。各国の大名達にもこの頃にはうつけ者と言うよりは、とんでもない男が現れた、
位の存在にはなってきていた。
信長の死後、その事業を引継すぐに秀吉が天下をとれたところを見ると、本能寺で信長が死んでいなければ信長が天下を
取っていた可能性は絶大なのだろうか?
配下的存在には秀吉、家康が居たし。
それとも本能寺を切り抜けたとしても、秀吉の裏切りや、家康との関ヶ原があり得たんだろうか?
西軍信長、秀吉、光秀率いる軍勢、東軍家康率いる軍勢で、家康圧勝みたいな。
0250人間七七四年
2008/07/26(土) 06:36:46ID:t67OSFuY0252人間七七四年
2008/07/26(土) 10:35:37ID:nVUsXntt>圧勝どことか痛み分けで大した成果は得られてはいない
いい加減なこと言うな。武田は1万人の死者と負傷者も同じ程度。
中核の武将もほとんど死んでる。大損害なんだよ。力の均衡が完全に崩れた。
織田方は有力武将はまったく死んでないし。雑兵ばかりの損害。
経済的に有利な織田方は雑兵が多少死んでも代わりがいくらでもあるんだよ。
一方的な戦いだろうが。
0253人間七七四年
2008/07/26(土) 10:48:47ID:DP/lPdSkというか、信長は実質的には天下をとっていた。
秀吉や家康なんて比べ物にならないくらいの武力を誇った。
酒井忠次なんて、家康を殿様、信長を上様と呼んでいた。
「天下をとる=戦乱を終結させる」という意味なら、
信長は敵をバッタバッタと切り捨てる手法なので、島津や伊達を実力行使で滅ぼすまで
戦乱は収まらなかったかもしれない。
周りを抱き込んでみんなきのこる手法の秀吉や家康は、不十分ながらも戦乱を終結
させるスピードは早かったね。
0254人間七七四年
2008/07/26(土) 13:20:44ID:4q6zdDuMなんで信長は全てを滅ぼす、が前提なんだ?
史実でも信長は、自分に従って裏切らない勢力は取り込んでいる。もちろん、政権に危険を
及ぼさない程度にした上で。そしてこの処置は、別に信長だけでなく秀吉も家康もやっていること。
なのにどうして、信長だけは全てを滅ぼすなんて誤解がいつまでもまかり通っているんだか。
0255人間七七四年
2008/07/26(土) 14:27:41ID:lpQMHdiH→取ってません
>滅ぼさなければ戦乱をおさめられない
→秀吉、家康以下の無能となってしまいます
>このスレ
→信長は一切関係ありませんので信長の検証は他スレでどうぞ
0256人間七七四年
2008/07/26(土) 19:36:27ID:8sTTcA0A秀吉が信長を暗殺したのも、利用価値が無くなったからだろうね。信長が有力大名滅ぼしまくったし、
残りはもう信長無しでもやっていけるから秀吉は信長殺害を決意し、本能寺にて葬り去ったんだろうな。
で、秀吉は大した苦労もなくあっさり天下様になる。
だが秀吉が死ぬと今度は家康が天下様になる。
ようするに、利用されているようで人を利用したヤツが最終的には勝ち組ってヤツなんだろうね。
そもそもこのスレタイの「信長がいなかったら誰が・・・」と言うのもおかしい。
そもそも信長天下とってないんだから。
秀吉が天下を取ったんだから「秀吉が居なかったら」と言うのが正しいのではないだろうか?
0258人間七七四年
2008/07/26(土) 20:17:59ID:nVUsXntt柴田の下に前田、佐々を一時的に付けたように、譜代でも大大名は作らないはず。
でも自分についた、宇喜田、筒井、松永など50万石以下なら受け入れている。
家康も70万石止まりだろ。
0259人間七七四年
2008/07/26(土) 20:42:29ID:pY8+xL010260人間七七四年
2008/07/26(土) 21:39:20ID:bZEKV88K0261人間七七四年
2008/07/26(土) 21:40:24ID:bZEKV88K0262人間七七四年
2008/07/26(土) 22:24:23ID:t67OSFuY0263人間七七四年
2008/07/27(日) 18:46:47ID:HqyjGJny織田信長の検証スレはない。
何故なら、こういう流れになるから↓
1.信長の行動で疑問視する点を検証する。
2.すると一部の織田厨達が「なら〜も〜だから〜だなw」と他の大名をけなし始める。
3.そのけなされた大名のファンが抗議する。
4.一部の織田厨達は煽りをいれた知識で反論する。
結果、そのスレは織田信長を検証するスレではなくなる。
2でけなされた大名の検証討論に当分なる。
0264人間七七四年
2008/07/28(月) 01:20:36ID:mmalf1510265人間七七四年
2008/07/28(月) 21:23:15ID:A4wuBANn数年で、天下統一まではほぼ確定なわけで、
予想するのに面白いネタじゃないね。
海外進出とかいいだすと、IFがでかすぎて・・
0266人間七七四年
2008/07/28(月) 21:52:25ID:ikszlive6年かかっている。
0267人間七七四年
2008/07/28(月) 22:55:15ID:5XKkZHFo元親も、中央からすればたいしたことないし。
残る強敵は島津くらいか?1590年以前に統一できそうな感じだけど。
0268人間七七四年
2008/07/28(月) 23:04:37ID:pLd6KqL/秀吉だと6年だけど、信長はその秀吉をこき使うのだから
もっと早かったと思うよ。
1583〜4あたりで中国、九州、すぐに関東、奥州に向かえば
1585〜6あたりってのはどうだろう。
だから信長のイフは、天下取った後で、が面白い。
単に幕府で満足したか、外征に出たか、それとも・・
0269人間七七四年
2008/07/28(月) 23:41:27ID:5XKkZHFo断トツのスピードだろ。他家では真似は出来ない。
0270人間七七四年
2008/07/28(月) 23:43:40ID:9BVolS8Rつか織田の側から手を出すんじゃないかな、甲州崩れの後の対応はかなりアレだし
家臣相手でもないのに働きが悪いぞとか、贈り物を突っ返すとか
まぁ九州関東までなら織田のやる気しだいだが本能寺から5年位じゃないかな
あと外征は無いと思う、信長は秀吉に比べれば室町的だし、領地バブルも無いし
0271人間七七四年
2008/07/29(火) 01:27:40ID:y4ayOTlY0273人間七七四年
2008/07/29(火) 06:34:34ID:FADohgd7外征の論拠はフロイスと、秀吉の行動からの判断なんだけどね。
信長が幕府程度で収まるタマかな。
それと、室町的、というのはどうだろう。
天皇と綸旨で対立したり室町とはまったく違う対応もしている。
これは、信長と朝廷との論であって、いまだに友好か対立か
結論は出てないけど、対立説を中心に考えると義満ばりの
皇位簒奪、とかそういう可能性も十分に考えられる。
スレチになっちゃうかな。
0274人間七七四年
2008/07/29(火) 11:00:10ID:ZvyuizNQしかし実権はこっちに・・・という予定が、義昭が叛意を見せたので追放しちゃった。
その後も義昭に「許してやるから京都に戻って来い」的なものを送っているんだけど、
結局受け入れられず、室町幕府終焉をしちゃったんだよな。
というのをどっかで見たような気がする。
0275人間七七四年
2008/07/29(火) 13:30:55ID:brVUOdUG戻って来い、なんて言ったっけ?
一瞬、天皇、将軍、信長、っていうすごいやりとりがあって、
このあたりはもっと研究されるべきなんだろうけどね。
273が言う、キリシタン追放綸旨、って頃の話かな。
0276人間七七四年
2008/07/29(火) 18:21:20ID:wKlbwkFJ信長の横死によって全くわからないからどうしようもないが、少なくとも
安土城の構想と大阪城−桃山城構想は一貫していると考えられるか
ら、実際にああいう形での朝鮮出兵を行ったかどうかはともかく、案外
似通っていたのかもしれないね。
>>274
初耳だよな。
毛利にしても最初は持て余してたし、更に上杉や武田も必死で手紙乱
発したし、信長にしたらうっとーしいというか、家臣の手前も即刻首を落
としたかっただろう。
0277人間七七四年
2008/07/29(火) 20:20:43ID:LO5LebPX0278人間七七四年
2008/07/29(火) 23:09:08ID:y4ayOTlY0279人間七七四年
2008/07/30(水) 02:28:43ID:uo5OeJgY織田信行が天下をとってもいいかなと思う。
0280人間七七四年
2008/07/30(水) 02:43:45ID:rsDe6d0f能力次第でしょうね
もし
信玄家康みたいな才能だったら
織田が天下を取ったかもしれん
信長との違いは本願寺、宗教勢力の対応の差ぐらいでしょ
0281サイコメトリー
2008/07/30(水) 09:09:03ID:NTwcF8mZ悪い意味じゃないけど、信行でもって考えをしてしまえば、キリがないと思うよ。
戦国大名の領地拡大のポイントは、軍の戦闘力や戦略でなく機動力にあると思う。
つまり、タイミングに応じて臨機応変に軍を進退出来るか否か、戦術の一環では
あると思うが、信長はそれが非常に得手だった。信長不在で考えた場合でも、京
掌握を中心に自軍をより機敏に機動させる事が出来る者が一番天下に近いと思う。
0282人間七七四年
2008/07/30(水) 11:47:57ID:CrmNb8/2>>280
信長と信行は、生まれた国が同じだけだろ。能力・資質は段違いだ
家康みたいな才能だったら、信長のように中央の強豪を倒して大勢力を築くまで行かないだろう。
0283人間七七四年
2008/07/30(水) 12:21:16ID:40rzBZxf無駄をなくして、がむしゃらに働くバイタリティがない。
0285人間七七四年
2008/07/30(水) 18:12:58ID:aqSCiPzVなんか変な言い方。
ちなみに、信長は一騎がけとか無謀な行動が多くて
それと軍全体の機動力とかは全然別だよ。
信長が機動力に長けた、得手、なんてちょっと違うと思う。
0286人間七七四年
2008/07/30(水) 19:27:25ID:+mFXniOq季節に縛られにくい軍制と、経済力かね
0287人間七七四年
2008/07/30(水) 19:33:33ID:Ox31wdYKこのコテは時たま、いい事言うから困る
信長の凄い所は政治云々じゃなくて軍事行動、それも速戦
機動力というが行軍速度は並、何が早いかと言うと情報を得てから部隊を展開するのが頭抜けて早い
それによって長篠のように有無を言わさずに後詰決戦に持ち込めたりしたと
わかりやすく言うと秀吉の中国大返しを幾度もやっていたのが信長軍
関連して、昔は信長は兵農分離が出来ていて常備軍使って数個軍団で多方面作戦が出来たといわれるが
兵農分離も並程度で実際は与力をたらい回して兵力をやりくりしてた訳で、兵力の編成と再分配も早くて上手い、
それを可能にしたのは信長の決断力もあるが、トップダウンで命令を下せる合理的な軍制と
それの元になる中央集権の確立
その観点から見ると軍制・中央集権ともに立ち遅れていた毛利島津の西国勢は厳しく(長宗我部は論外)
先進国の東国勢は有利、特に自力で近代大名手前まで行った北条を押したいところだが
地理的に見てやっぱり今川が第一候補かなと思う、(第二候補はこっそり朝倉)
もちろん今川が追加21条のごとく第二第三の改革を推し進めていくのが前提だが
0288人間七七四年
2008/07/30(水) 20:39:50ID:rrxJOp9R下剋上が当り前の戦国時代には
たしかに優れた政治力よりも軍事力が優れてる奴が天下をとるね。
戦国前期の中部の旧大名
(北条、武田、上杉、今川など)
は政治力は優れてたけどちょっと平和ボケしてる。
でも政治力の無さすぎもダメだな、
織田信長は包囲されるは謀反起こされるはでちょっと政治力が足りない。
0289人間七七四年
2008/07/30(水) 20:49:34ID:rsDe6d0f外交政治をやり尽くして
最後にトドメを刺す行為が戦争だよ
戦争は事前の外交戦略でほぼ勝敗は決している
戦はただの祭りで自国の宣伝活動でしかないw
一番大事なのは
情報戦略
情報を流布することで
負け戦を勝ち戦にできるし
兵の数も誤魔化すこともできる
これもすべて政治外交なんだよね
戦国時代の経済は領土を広げればおいおい付いてくる
0290人間七七四年
2008/07/30(水) 20:51:59ID:40rzBZxf明智が丹波攻めてて後一歩で落城だったのが、信長の命令で本願寺攻めの援軍に回されるとか
使い方が荒い。
嵐で朝倉が油断してる所を奇襲とか、独裁だからスピードがあるしかなり無理して家来を使ってる。
0291人間七七四年
2008/07/30(水) 21:09:55ID:rrxJOp9R自分が言ってるのは領国支配能力。
織田信長はたしかに物凄い速さで勝ち抜いたけど
その後の事故処理?のようなことが余りうまくできてない。
それと信長の能力に家臣達が追いつかない。
0292人間七七四年
2008/07/30(水) 21:16:24ID:1mCV4VTwその失敗は、彼の長所からきてる必然のように見えてしまうからなあ・・
上で、事後処理がうまくないとか書かれてるけど、
速度を優先したが故に、根回しとか・・
いろんな調整に時間を全然かけてないんだよな・・
周りが敵だらけになったり、裏切りをあれだけ受けたのもその為なんだろうけど、
そんな事やってたら、30年であそこまではたどり着かなかっただろうなあ。
0293人間七七四年
2008/07/30(水) 21:34:58ID:rrxJOp9Rその典型的な大名が
毛利元就。
まあ毛利は頑張って四国平定だけど、
織田信長はあれだけの才能があったんだから中部と関東の平定は出来たかもしれない。
その後は織田信忠しだいだけど。
0294人間七七四年
2008/07/30(水) 21:47:03ID:1mCV4VTw逆に、信長が元就の孫(輝元のかわりに)として生まれてたら、
10年くらいで天下取っちゃってたかもしれん。
逆に国がデカイから、軍政改革とか中央集権化に手間取ったとしても、
20年くらいで。
0295人間七七四年
2008/07/30(水) 21:55:45ID:aqSCiPzV基本は、謀略、計略、そういうので相手を裏切らせたりするわけで
単純な軍事力とか機動力ってのはちょっとゲーム感覚だと思うよ。
味方の兵だって消耗品じゃないから下手に失ったら国力が低下
するだけ。
信長だってそういう諜略でずっと勝ち上がってきたわけだし
まともに戦った合戦では案外勝ちきり方がヘタクソ。
毛利とか今川とかは、別にどうしてそんなに評価されるのか
わからない。
中世的には支配能力があったかもしれないけど、戦国に入って
からは没落するのが当然みたいな評価だけどな。
0296人間七七四年
2008/07/30(水) 22:12:58ID:zWEbFpo20297人間七七四年
2008/07/30(水) 22:39:50ID:5AHSOotC信長は今川を破った寡兵を除けば
ほとんどの戦闘において圧倒的な戦力で敵を叩き潰している。
どちらかといえば戦術より数にものを言わした戦い方が基本。
0298人間七七四年
2008/07/30(水) 22:49:19ID:e6yb6Vsk逆だろ。信長は事前の調略その他を含めた準備が非常に用意周到だった。
信長の速戦を支えていたのは、行動に移るまでの徹底した事前の下処理があってこそ。
この好例が朝倉浅井滅亡戦。
>>297
よく言われるけどねそれ。実際に信長が数で圧倒する戦争をするのは美濃征服後。
それまでは、基本同数か寡兵で尾張美濃を征服した。
信長の後半を見ると確かに大兵による押しつぶしが多用されているが、そんなのは
大兵力を整えられる者なら誰もがやりたがる兵法の常道であって、多数の兵力が
揃えられるのにわざわざ小数にするマゾは普通いないよ。
信長は、少数の兵でも多数の兵でも指揮統率して戦える武将だってだけ。
0299人間七七四年
2008/07/30(水) 22:55:29ID:p5wKV7Pf関東に兵を出し北信で武田と対峙し北陸で一向一揆と戦えた
織田家は熱田津島湊を支配する事による収益でたかが尾張下四郡の半国
大名でありながら駿遠三の今川家と信秀の代より延々と戦を展開できた
毛利家は高橋を滅ぼし木材を押さえ、吉川に養子を送る事により鉄を支配し、
海の小早川を取り込むことにより木材鉄の流通路を確保し、赤間が関と鞆湊、
美保の関、石見銀山を確保することにより地方覇権型大名としては異様な
経済力を身につけた
阿波讃岐の三好は淀川水系を支配する事により何度でも畿内に蘇った
兵は米を食うし、武器を作るのには材料がいるし、米にも武器にも金がかかる
経済が成り立たなければ謀略も軍事もなにもない
金がない大名が無理をすればどうなるかは武田をみればわかる
0300人間七七四年
2008/07/30(水) 23:10:52ID:uo5OeJgY信長のようになれたような気がするんだけど。
まったく目がないってことはないんじゃないかな?
0301人間七七四年
2008/07/31(木) 06:50:36ID:4mNOb58k人望があったら織田信長のようにはならないだろ。
信長の能力はうつけ生活をしてあるようなものじゃないか?
0302人間七七四年
2008/07/31(木) 09:05:30ID:dJKC4hcSそうそう、信長が旧宗教勢力と戦ったのは経済的既得権を
かけての争いで、金が大事、みたいなのをわかってたのは間違いないだろう。
軍事面からばかり語られるのは残念なんだが、長命だった場合、どのような
経済的政策、中央集権的統括、をしていたか、これには興味があるところ。
たぶん、宣教師あたりの知恵を借りてたろうな。
最新の論では、信行が古参家臣、信長が新興家臣、みたいな対立から
その家督権争いが展開されてる。
津島湊の支配権を持ってたことといい、信長はうつけ、というのは
行動力もあるしお金も持ってる、若い家臣団から見たら素晴らしい若殿
だったに違いない。だから命がけでついていったのだろう。
このあたりを、金持ちのヤンキーの隊長、と言ったらボコボコにされたことがある。
でも馬で一騎がけとか、ほとんど族のトップとかわらないと思うのだが。
今だってバイク乗りが警官になって白バイ隊に配属されたりするもんね。
もう少しよく言えば、営業&警備部長に大抜擢された社長の息子、ってとこか。
0303人間七七四年
2008/07/31(木) 11:40:23ID:6SduS998軍事訓練でカカシの真似して鳥を狩ったり、かなりの早熟で独創的。
信行が家督ついでもそれなりに勢力拡大できると、上のレスあるけど
天才と普通の人では結果が全然違うよ。
0304人間七七四年
2008/07/31(木) 18:07:59ID:vSvDbphSもう一度、桶狭間の時点に戻して 再度、統一に挑戦したら
10中8,9 失敗しそう。
0305人間七七四年
2008/07/31(木) 18:11:05ID:lu1heXXz0306人間七七四年
2008/07/31(木) 18:14:16ID:vSvDbphS義元が上洛する事に北条も武田も了承していたわけだろう。
なら、 桶狭間さえなければすんなりと上洛でき 当時の将軍を
補佐していたと思われる。
ただ、室町体制で 昔ながらの管領制となり、徳川幕府のような
中央集権国家では無いだろうけど。
0307人間七七四年
2008/07/31(木) 19:08:07ID:EQuS3G60そんなもん誰だって同じだろ。
秀吉を本能寺の時点に戻してもう一度やり直させたら、やはり失敗に終わる可能性は大きくあるだろう。
家康を三方ヶ原の時点に戻してもう一度やり直させても、やはりどこかで失敗する可能性はある。
0308サイコメトリー
2008/07/31(木) 19:41:32ID:LT9au2hfこのスレはもう11段目には入っている分けですから、そろそろ定義を再確定し、
候補者を絞ったらどうでしょうか?
例えば、寿命(病死)で死んだ大名武将は省くとかさ。
0309人間七七四年
2008/07/31(木) 19:58:28ID:lu1heXXzら義元は上洛できたか否か?
0310人間七七四年
2008/07/31(木) 20:12:10ID:4ALh01gf0311人間七七四年
2008/07/31(木) 20:13:43ID:6SduS998もう一度戦国時代を繰り返せば、まったく違う人間が活躍してる。
池田家では長男戦死、次男輝政が相続する。
武田では、長男自殺、次が盲目などで4男の勝頼が相続。
結局運の良し悪しみたいな感じで、たまたま生き残った奴が出世してる。
能力では信長は飛びぬけてるし、堅実さ、安全性では家康が際立ってる。
でも、大半の武士はたまたま結果論みたいな感じでしかない。
畿内の先進地域を支配した者の中から、次の有力者が生まれる。
今川義元は、42歳で70万石。それから300万石以上に増やせるかはわからない。
金が増えれば贅沢になり、それ以上の向上心がなくなるかもしれない。
0312人間七七四年
2008/07/31(木) 20:21:00ID:P9jL24C2散々上で言われてるけど、
信長は、尾張、美濃に加えて、幾内を押さえて、
更に、宗教勢力と対立してまで、経済搾り取ってなお、
包囲網でギリギリだったんだよね?
信長みたいな天才でさえ・・
そう簡単にいくもんなのかな?
0313人間七七四年
2008/07/31(木) 20:34:23ID:spnj0Woi桶狭間の時点で義元に上洛の意思がなくても、
桶狭間で戦死しなければ、義元が数年以内に尾張を併合するのは確実だし、
信長と関係なく義輝暗殺事件は起こり、義昭は越前に逃げる。
朝倉が上洛しようとしないのは史実と同じだから、
結局、義昭は、尾張まで併合している今川に転げ込んで上洛を要請する。
0314サイコメトリー
2008/07/31(木) 20:35:09ID:LT9au2hf石高では計りえないのが、戦国時代(戦国に限らないか)
東北5国治めてる大名よりも、摂津の一地方治めていて、朝廷に通じていて
官位もらっている者の方が事実上、立場は上かな。
よく島津や伊達が極地を支配しながら、統一する可能性なんて話が出るが、
正直、信長の野望ゲーじゃなきゃまず無理でしょうね。
0315人間七七四年
2008/07/31(木) 20:36:16ID:CukUP2iv考察するのがはやりなの
0316人間七七四年
2008/07/31(木) 20:38:55ID:4ZexbWIS無理w
信長がいなくても
義元じゃ上洛できないでしょ
三国同盟結んで6年間なにやってたのってことw
織田を潰すなら信秀の代のがチャンスはあった
織田は斎藤と今川に挟まれ身動きとれない状況で疲弊してただろう
で斎藤、今川は全盛期、家臣団も整っていた
桶狭間の段階では検地を実施し領内は整備されてはいたが
いざ軍事となれば人材も乏しく上洛の期をのがしている
その間
信長は家中の問題を処理して
尾張を統一してるから
この時点で信秀の代より強国で
経済豊かな尾張は一国でも大大名なわけだなw
意外と義元は織田家を恐れ
半ば上洛を諦めてた可能性がある
0317人間七七四年
2008/07/31(木) 20:45:52ID:P9jL24C2義元の尾張侵攻のタイミングって、
ある意味ではベストタイミングだったんじゃない?
たしかに遅かったといえなくもないけど、だからこそ大軍ど動員できたわけで、
信長は尾張統一直後で、まだ大軍の動員なんか到底出来ない状況。
桶狭間が有名なのは、大逆転だったからな訳で、
逆に言うと、順当にいけば、まず信長は負けてたって事でしょ?
結果敵には、戦術的には致命的な大失敗をしでかした訳だけど、
戦略的には成功していた。
0318人間七七四年
2008/07/31(木) 21:27:22ID:4ZexbWIS桶狭間の前の段階で
織田が攻勢に出てて鳴海城がやばかった
この戦いは織田家に対する今川の反攻戦でしょ
決戦場も定かでなく
今川の兵も各砦の抑えのため分散していた可能性がある
で信長は今川本陣に対して数でゴリ押しってとこでしょ
これは奇襲じゃなく必然で
相手の領内に攻め込むのだから砦とかの抑えのため
兵を割くのは当たり前のこと
桶狭間はガチな局地戦だったんじゃない
戦前、外交政治戦の下準備の段階もなかったみたいだし
0319人間七七四年
2008/07/31(木) 22:20:51ID:YcNVjQqB信長の反抗が思いのほか激しかったから多少準備不足でも踏み切ったんだろ
発注した武具を一年前倒しして納入しろと、氏真の書状が残ってたはず
0320人間七七四年
2008/08/01(金) 09:41:13ID:oY/fVI/0最初に攻めたりしたのは信長のほうで、今川は別に上洛しようと
思って進入したわけじゃない。
あくまで反攻であり、それもかなりの局地戦に終始したはず。
なので、巷間言われてるほど直接軍の人数に差は無いし
奇襲なんて持ち出さなくても、そういうゲリラ戦に強かった信長
は、自信はあったはず。
313が義元が数年以内に尾張併合、ってのはなんの根拠?
信長がいなくても叔父とか信行あたりが津島湊の膨大な
利益を背景に強力な尾張国を作り上げてただろうし、
このあたりはイフのイフだから、確実、なんてことはいえないはず。
義元をやけに高評価してるけど、敵地の戦場で「緩々」するような
武将なら信行ぐらいでも十分に対等でしょう。
0321人間七七四年
2008/08/01(金) 11:11:18ID:BcioJJFr0322人間七七四年
2008/08/01(金) 12:27:00ID:T77hZsIG信行では、織田信友にも勝てなかっただろう。
まして村木攻めや桶狭間の真似ができるわけがない。
まあ、信友と抗争しているうちに、東から順調に今川に侵食される。
水野も早期に離反。
0323人間七七四年
2008/08/01(金) 14:56:28ID:n/B3x7g+厳しいぞ、相手は日本最強クラスなんだから。
ちなみに信行に勝った時の信長の武器は「大音声」だぞ。
あそこは何回見ても笑えるなー。
0325人間七七四年
2008/08/01(金) 19:56:26ID:1g2Yn+Ds■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています