織田信長がいなかったら誰が天下取っていた?part11
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0001人間七七四年
2008/04/23(水) 16:15:04ID:ARUiZbH4ここでは「彼が存在していなかった場合、誰が天下を我が物にしたか?」を議論するスレです。
前スレ
織田信長がいなかったら誰が天下取っていた?part10
http://hobby11.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1204071521/
0002人間七七四年
2008/04/23(水) 16:25:45ID:lFpRaZV8ただし、それ以降の今川戦記を楽しみたい人は↓のスレでどうぞ。
【三国】信長がいなかったら?外伝【戦記】
http://hobby11.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1205102912/
0003人間七七四年
2008/04/23(水) 16:41:04ID:lFpRaZV80004人間七七四年
2008/04/23(水) 16:41:46ID:0BzI/wvtこっちに廻されても迷惑です
0005人間七七四年
2008/04/24(木) 00:33:50ID:Q550n74cずーっと天皇陛下だよ。
0006人間七七四年
2008/04/25(金) 20:16:10ID:dx6lerXf0007人間七七四年
2008/04/26(土) 01:59:54ID:n5XeLzs80008人間七七四年
2008/04/30(水) 19:36:08ID:+/1HrPOY尾張の情勢に大きく左右されるのはもちろんだけど
弾正忠家に信長に対する信勝に該当する人物が居ないので林らの反乱は無く
また信勝に信長ほどの才幹は期待できない等の理由から
弾正忠家は健在ながらも尾張統一には至っておらず
かろうじて尾張の第一人者的立場、若しくは大和守家と並立と仮定すると
史実よりは今川に押され気味としても、とりあえず弾正忠家は勢力を保ったままなので
今川側はほぼ史実と同じように義元を総大将とした大規模な進攻を画策する可能性は高い
大軍を編成する準備期間はもちろん要るので、進攻可能になるのはほぼ同時期
ただ史実では信長が早期に国内をまとめ、今川に対する反抗体制を固め始めたので、
当初は1561年に進攻する予定だった作戦を、1年前倒しして1560年に進攻したのだが
信勝弾正忠家はそこまでの勢力を築けないと仮定してるので、
尾張進攻は今川の当初の予定通りに1561年なると考えられる
0009人間七七四年
2008/05/01(木) 02:23:31ID:NeJRRVNk>かろうじて尾張の第一人者的立場、若しくは大和守家と並立と仮定すると
それとは別に、岩倉に織田伊勢守家があって、
この3家に服属してない弱小勢力がゴマンと存在してるだろう。
そして今川に個別に調略されてるだろう。
信長がいなかったら、村木砦攻略戦もなく、三河国境の水野家はとっくに今川に降伏してるし、
鳴海・大高・沓掛の3城は活発になって、桶狭間あたりは完全に今川の支配下。
知多半島全域もか?
おそらく、今川の尾張併合は、1560年よりいくらか早くなるだろう。
0010人間七七四年
2008/05/02(金) 00:04:43ID:ONlvDgir継戦能力を喪失してしまった信長側は
その後今川の降伏勧告を受け入れ結局のところ撤収している
信長の後につながる性格や戦術の一端を見るという意味では重要な戦いだが
戦果的にはたいした物ではない
水野本家も家中の今川を村木に招き入れた勢力と対立してるのだが
簡単に今川について、元々今川方で今川の後援を受けた
その勢力に取って代わられる危険は冒したくないはずで
史実では砦を落としたものの鳴海・大高・沓掛はいまだ健在で
今川に半包囲された状況は変わらなかったが、水野氏は織田との同盟関係を維持したわけで
信勝が正攻法しか取れなかったとしても、水野氏救援の意思を行動によって示せれば
水野氏側の都合もあり、水野氏を繋ぎ止めておけると思う
0011人間七七四年
2008/05/02(金) 02:10:34ID:TsTNwSvw> 信長側はその後今川の降伏勧告を受け入れ結局のところ撤収している
はあ?なに言ってるの?
9時間にわたる猛攻で、降伏し、撤退して行ったのは今川勢だが。
この村木砦を落さなければ、緒川城と刈谷城を分断され、
水野家の都合がどうであれ、今川に降伏せざるを得なくなるのは明らかだったのだ。
救援のポーズだけでは足りない。
必ず、村木砦は落とさなければならなかった。しかも1日のうちに。
なぜなら、本城をあけて日数を重ねれば、尾張国内の敵が蜂起しかねない状況だったから。
信勝に信長と同じことができたとは思わない。
0012人間七七四年
2008/05/04(日) 22:31:30ID:Pnw5vnOi0013名無しさん
2008/05/06(火) 21:22:02ID:Zx6QQ9UZ>織田信長がいなかったら誰が天下取っていた?
ひとつ言いたいのは『足利将軍家を押し立て幕府復興を旗印に京都に上洛、
将軍の名において天下に号令する』と言うアイデアは信長の独創です。それ
まで誰も思いつきませんでした。他の大名は京都も将軍もほっといて
ひたすら周囲の拡大にいそしんでおり、その調子で行けば天下統一はもう
100年は遅れていたでしょう。ちなみに桶狭間の合戦は純粋に今川家が
織田家を滅ぼそうとした合戦で今川義元が上洛を目指していたと言うのは
後の創作です。そして徳川家康が今川家でいじめられていたと言うのも
後の創作です。いじめられていたのなら仕返ししますよね。でも家康は
個人的に自分をいじめていた者には仕返ししていますが今川家は大切に
扱っています。
0014人間七七四年
2008/05/06(火) 22:38:31ID:+xTwVRbQ0015人間七七四年
2008/05/06(火) 23:51:03ID:ssKX61lxスレが11になっても、目に見えて議論完成したのは
「今川が尾張を制圧する」くらい?
0016人間七七四年
2008/05/07(水) 00:04:21ID:u21qsdIV義元死ぬ前には尾張くらいは獲れるかなぁ、ってな感じだっけ?
0017人間七七四年
2008/05/07(水) 01:16:44ID:6i/WWNPz0018名無しさん
2008/05/07(水) 21:06:07ID:sFaHQ866もうひとつ信長は天下統一を目差したのは常識だがこの【天下統一】いや
当時の言葉で【天下布武】とは本当に日本統一のことだろうか?世界統一
ではないだろうか? こう言うと『なにバカなこと言ってんだよ』と言わ
れそうだが信長の300年前に当時知られていた世界のほとんどを統一し
た帝国があったモンゴル帝国だ。モンゴル帝国はモンゴル本土から10万
の軍隊を率いて世界を征服した。足りない軍隊は降伏した国の軍隊で補っ
た鎌倉時代の元寇でも襲来軍の三分の二は降伏した国の軍隊だ。そして信
長が日本を統一すれば20万の軍隊を動員できる。信長は日本統一とは一
言も言っていない。あくまで【天下統一】と言ったのだ。そして天下とは
天の下すべて、つまり天下統一とは全世界統一としか解釈できない。モン
ゴルに出来て日本に出来ないと言う理由はないと思う。
0019人間七七四年
2008/05/07(水) 21:26:31ID:ZWyC8dBm0020人間七七四年
2008/05/07(水) 21:41:11ID:awqVpmEJ0021名無しさん
2008/05/09(金) 21:09:19ID:ajYhMnM9とヨーロッパのナポレオンまでの戦記か? あと思いつかんなんかあるか?
0022人間七七四年
2008/05/09(金) 21:16:18ID:85TqtlY+とかなら多少切り口も変わってくるかもね
0023人間七七四年
2008/05/09(金) 22:33:02ID:1GHtYySK毛利だと思う
武田は今川との兼ね合い的に無いと思うし
今川は跡継ぎが跡継ぎだし桶狭間でうたれるくらいのやつが天下は難しいだろ
0024人間七七四年
2008/05/09(金) 22:42:28ID:E4Awdb7b0025人間七七四年
2008/05/09(金) 23:02:53ID:WI5kTQru本命に押せるんだがねぇ
0028人間七七四年
2008/05/10(土) 12:18:20ID:IX9KwxUs70年代前半〜後半
畿内を押さえ四国から備前にちょっかい出し続ける三好をどうするか
尼子再興系は史実ほどの脅威ではなさそう
70年代後半〜80年代前半
村上水軍との軋轢の始末
陰りの見えてきた大友から筑前豊前を完全に取り、博多〜赤間ケ関〜厳島〜鞆〜
塩飽〜堺に到る瀬戸内流通ルートを完全に押さえられるか
成功すれば博多〜赤間ケ関〜美保という日本海ルートも押さえている毛利は
もはや手がつけられないと思う
中国山地の鉄が武具・農具を充実させ、石見の銀と海上交易が富を産み続け
西日本経済は毛利の海を経由しないと成り立たなくなる
コップに注ぎ続けた水があふれ出すように山陰・山陽両道から畿内方面に伸びる
伸びざるを得ない
ここらで80年代後半に入り、伊東龍造寺大友を破った島津が北上してくる
0029名無しさん
2008/05/10(土) 20:47:26ID:B7CNKCk/【毛利が天下を取る】と言うのは、あくまでも毛利が天下統一を目差した
場合だろう。オレは違うと思う。毛利は中国から九州へ勢力を伸ばし、
さらに四国を抑えて瀬戸内の水軍を確保、その後はひたすら南下して沖縄
を取り台湾に拠点を築き(あくまで拠点、例えば台北とその周辺部)明国人
南蛮人と交易して富を増やしつつオランダと連合してスペインと戦い
フィリピンを攻略、ただしマニラ、セブなど交易の拠点のみを抑えて後は
現地人の自治に任せるか完全に放棄してしまう。あとシンガポールとインド
東岸に拠点を築けば大交易国家として大繁栄を謳歌できる。天下統一はどう
したかって? あんな貧乏な土地いらない。当時の日本は近畿以東は貧しく
貧しい割に武力があり制圧に金と手間がかかる割に実入りが少ない。京都と
近畿はどうしたかって? そんなとこ取れば東日本全体を敵にまわす。天下
統一にくらべはるかに楽な南下の方がいい、もちろん南下も苦労はあるだろ
うが天下統一の苦労にくらべれば比較にならない。
0030人間七七四年
2008/05/10(土) 22:02:55ID:viVTPCY4海洋国家は賛成だが向こう三軒両隣と仲良くしなきゃ船が城になっちゃうよ。
0031人間七七四年
2008/05/11(日) 01:27:07ID:ujK6tETUあの輝元に、そんな壮大なことができるわけがない
おそらく考えもしない。
0032人間七七四年
2008/05/11(日) 14:08:44ID:IDJbTqy/それも頓挫する可能性が極めて高い。
0033名無しさん
2008/05/11(日) 21:16:14ID:561Hwhop>それだけの力があれば軌道に乗った時点で極東の島国の統一もするだろうな。
なぜだ? >>29 でも言ったように東日本は貧しく貧しい割に武力があって制圧
に金と手間隙がかかる上手間の割に実入りが少ない。そんな金と暇があれば
東南アジアを制圧した方がいい、東南アジアは年2回米が取れる上インドネシ
アには香料がミャンマーにはルビーがある。東日本はそのままにして傭兵の
供給地としたほうがいい、東日本への働きかけは強力な統一勢力が現れない
よう干渉することだ。ちょうどイギリスがヨーロッパに統一勢力が現れない
よう干渉したように
>>31-32
それはそうだろうがオレは【毛利に天下を統一する力があった場合】を話して
いる。それを否定されたら【天下統一は信長→秀吉→家康、はい終わり】で
話の仕様がない。
0034人間七七四年
2008/05/11(日) 21:36:56ID:0iWP6rd9このスレの前提は、織田信長がいないほかはすべて史実と同じ条件だ。
各国の軍事力、経済力、各武将の能力、資質など
そんな別人みたいな輝元を想定したら、毛利が有利になりすぎだろう(w
0035名無しさん
2008/05/11(日) 22:05:07ID:561Hwhop当時スペインはフィリピンを植民地化し、さらに西日本に宣教師を送り込んで
いた『宣教師は布教活動に来たのであって日本征服などしない』と言うのは今
の常識だ。そもそも当時のカトリックの理屈では『世界は神様が作ったもので
、その神様は代理人として法王をお選びになった。よって法王は世界の支配者
であり、その法王がアジア・アフリカはスペインとポルトガルで分割統治せよ
と命じているのだからスペインのために日本を征服するのは正しい』とはスペ
イン人だけでなく改宗した日本人キリシタンにとっても常識だった。天下統一
が遅れれば日本の西半分ないしは全土がスペイン植民地になっていた可能性は
高い
0036人間七七四年
2008/05/11(日) 22:14:32ID:REKnFzb80037名無しさん
2008/05/11(日) 22:16:45ID:561Hwhop日本人がスペイン人の手先になって日本征服を手伝うのか?
と思うかもしれないが、イギリスのインド征服の主力はインド人傭兵であり
オランダのインドネシア征服の主力もキリスト教に改宗した現地兵だった。
当時『愛国心』という道徳は世界中のどこにも存在しない、当然日本にもない
日本人キリシタンにとって同じ仲間とは仏教徒や神道の日本人ではなく
【唯一の正しい神】を信じるスペイン人やポルトガル人だった。彼らにとって
【唯一の正しい神】の代理人である法王の命令に従ってスペインと共に日本を
征服する事は【疑う余地のない正義】であり【死後天国に行く最善の道】だっ
た。
0038人間七七四年
2008/05/11(日) 22:43:32ID:FOobrBWa0039人間七七四年
2008/05/11(日) 23:19:25ID:MKN1+TjR0040人間七七四年
2008/05/12(月) 02:14:23ID:ZlAS4tOQとくに、既存仏教の桎梏が新宗教が野火のごとく広がった
理由だから、十分あり得る。
ただ、その担い手として毛利ってのがありえんなwww
0041名無しさん
2008/05/12(月) 20:41:37ID:4G8wgtgyしれないってこと
0042人間七七四年
2008/05/12(月) 22:04:22ID:2g3JqqOQ0043人間七七四年
2008/05/12(月) 22:38:05ID:zhJFpmKh0044名無しさん
2008/05/13(火) 21:27:42ID:LK19PRTp>スペインがどういう地域を植民地化したか勉強してくるがよろし
キューバ、アステカ、インカ、フィリピン強力な統一国家を作っていた地域
もあれば数千人単位の部族ごとに分裂していた地域もある。高度な暦や神殿
を作った民族もあれば狩猟採集民もいた。
どういう地域ってどういう意味だ? 分かるように説明しるw
0045人間七七四年
2008/05/14(水) 01:05:14ID:p7no12zM日本…当時世界有数の鉄砲生産国
まあ日本くらい文明が発達したら完全な植民地化は難しいわな
つまりスペインの植民地化はただの弱いものいじめ
0046名無しさん
2008/05/14(水) 21:29:19ID:Lw+YWfHkタンがスペイン側にたって戦う。よって【日本植民地化の主力軍は日本軍】
このことを分かって欲しくて長々と当時のキリスト教のことを書き込んだん
だけど、ちなみにイギリスのインド植民地化の主力軍も鉄砲で武装したイン
ド人傭兵だった。現に北九州では大友宗麟始めとするキリシタン大名によっ
て領内の神社仏閣が破壊されている。武力によるキリスト教化は始まってお
り信長=秀吉による天下統一が遅れれば植民地化は避けられなかったのでは
ないか
0047人間七七四年
2008/05/14(水) 21:34:10ID:Let8W5d50048名無しさん
2008/05/14(水) 21:58:57ID:Lw+YWfHk兵器が優秀なら少数でも大軍に勝てる。ってのは産業革命以降、それ以前は
弓矢で結構鉄砲に対抗できた。現に弓矢と槍で武装した満州軍は大砲を持った
明軍に勝っているし、アメリカの騎兵隊は弓矢を持ったスー族などのインディ
アンに結構苦戦している。スペインがアステカ、インカを征服できたのは、ま
ずアステカだが、アステカに敵対する部族を味方につけそれと連合して戦った
この同盟部族がなければアステカ征服は愚かアステカにたどり着く前に食料が
尽きて野たれ死んでいただろう。インカ征服にはもちろん、かつて征服ないし
は同盟したインディオ軍を多数つれていた。さらにアメリカのインディアン討
伐にも多くの帰順したインディアンが参加している。つい数十年前の日本でも
『私の祖国は日本じゃないソ連だ』だの『いずれソ連が日本を【解放】する』
だのとほざく左翼がいた。戦国時代のキリシタン大名が『私の祖国は日本じゃ
ないスペインだ』だの『いずれスペインが日本を【解放】する』だの本気で
思って戦っても何ら不思議ではない。
0049人間七七四年
2008/05/14(水) 22:08:19ID:uSxRZNsq0050人間七七四年
2008/05/14(水) 22:55:01ID:p7no12zM0051人間七七四年
2008/05/14(水) 23:57:36ID:QhbVSUx7宗教においてもキリスト教が仏教に対して優位な訳でもない上に
キリスト教でも一向宗でも天皇教でも、
負の部分が大きくなったら捨ててしまう者が大部分な日本人を、
スペインの支配に都合の良いような宗教一色に染めるのがまず無理
つかネタなんだろうけど、一応言ってみるテスト
0052人間七七四年
2008/05/15(木) 11:09:10ID:FA7g1OgDその宗教を信じる事によりもたらされる技術ではなく、たまたまその宗教を信じていた
連中がもっていた技術と捉える
ナイスで便利な器機をたまたま持っていたのがキリスト教徒だったと認識する
この辺は飛鳥奈良の頃の仏教伝来と同じで、付随してもたらされた彫金建築技術など
への捉え方と同じ
0053名無しさん
2008/05/15(木) 19:55:01ID:3sw3lSJd>初めて見る鉄砲や馬を見ただけで逃げ出した奴らと日本を一緒にするなよ。
【初めて見る鉄砲や馬を見】て驚いたのは事実だが逃げてないぞ戦ってる。
だからこそアステカの都は双方の血で染まった。なぜならアステカは広範囲
に情報網をもっておりスペイン来襲以前に馬と鉄砲の威力を知っていた。
たしかに【見る】のは初めてだが【初めて知った】訳ではない。
0054名無しさん
2008/05/15(木) 20:01:20ID:3sw3lSJdちなみにこのスレは【織田信長がいなかったら誰が天下取っていた?】だと
思う。オレは毛利、武田、上杉などの戦国大名だけでなく
スペイン、ポルトガルの征服、足利幕府の再興、浄土真宗の石山本願寺など
戦国大名以外の選択もあると思って一例としてスペインを上げてみた。
0055人間七七四年
2008/05/15(木) 20:06:43ID:BX2IbI1uその
きもい
改行
やめろ
0056名無しさん
2008/05/15(木) 20:13:29ID:3sw3lSJd石山本願寺だと思う。日本人口の1割を信者とし中央集権の強固な組織を
もつ石山本願寺は条件次第では20万の大軍を組織できる。しかも裏切り
逃亡が常の戦国武士と違って絶対に退かない。【進むは極楽、退くは地獄】
のムシロ旗を掲げ『南無阿弥陀仏』を唱えて前進する狂気の軍団。あの織田
信長さえ完全勝利は出来ず信仰の自由と一切処罰無しを条件に和睦せざるを
得なかった。
0057名無しさん
2008/05/15(木) 20:14:50ID:3sw3lSJd0058人間七七四年
2008/05/15(木) 20:26:39ID:/3KiOhGGその辺もひっくるめて勉強し直して来い、イメージ優先で語られても困る
0059人間七七四年
2008/05/15(木) 20:38:57ID:oYU4J39T九州は難しいな。
おそらくは島津だろうが毛利も進出してくるだろうしな。
0060名無しさん
2008/05/15(木) 21:17:58ID:3sw3lSJd0061名無しさん
2008/05/15(木) 21:23:10ID:3sw3lSJd誰かが否定する。【正解】がないだけに永遠に意見→否定→意見→否定
の無限ループだな、だんだん虚しくなってきた。誰か人の意見に賛成する
とか人の意見を補強するとかないかな
0062人間七七四年
2008/05/15(木) 22:26:08ID:/3KiOhGG一向宗は一揆内一揆で地方の一向宗が本願寺から送られた司令官殺したりしたし
地方の一向宗は地域中核寺を中心に、本願寺とは別路線とったり
必ずしも一枚岩という訳ではなかった、あっちこっちに居るからデカイ勢力に思えるけど
それに宗教勢力自身の兵力というべき僧兵を持ってなかったりするから
中核になってる国人土豪層にそっぽ向かれたら終り、史実と同じようにね
大体江戸期になってほとんどの武士が便利だからって臨済宗に宗旨変えするよな
日本人に宗教でどうにかしようとしても無理
0063人間七七四年
2008/05/16(金) 00:23:35ID:kAisfqTkそもそも見ず知らずのスペイン・ポルトガル国王のために戦うキリシタン大名もいないだろ。
つまり文化的侵略も無理
0064人間七七四年
2008/05/16(金) 09:30:49ID:Tgyv4Thj(史実とはずれた点も多いようだがw)秀吉が中国攻めでなかなか降らない毛
利方に対し、
秀吉「毛利も早く降れば降るほどより良い条件で和議が結べるであろうに、
話のわからぬ者どもが多いw」
黒田「フフw、もうすぐ殿より上手の方がみえる。それから和議を結んだ方
が憎い筑前の顔を潰してやれる、という訳でw」
秀吉「わしより上手・・・、とは、右府(うふ)様がことかw」
「徳川家康」で確かこんなくだりがあった。
「右府様」っていう呼び方が格好良いよなあ(ミーハーかもしれんけどw)。
実際は近衛右府大将も右大臣も返上しているから、本能寺直前のこの段階では
厳密に言えば「前右府(さきのうふ)様」になるらしい。
でも現代でも会社で退任した専務、常務、部長などの肩書きがかつてあった人
達は現実にかつての部下から「元部長」とか、「前部長」とは言われないと思
うので(まあそういう例えが正しいかどうかはわからないけど)w。
それを鑑みれば、官位を返上した後でも返上以前同様に秀吉あたりの有力な組
下が「右府様」と呼んでいるあたりは凄くリアルっぽいし、気力と気迫に満ち
た山岡文体は、信長にこそ良く似合ってた気はする(山岡本人は徳川家康がダ
ントツに好きだったのは周知の事実だけどw、その次に信長が好きだったんじ
ゃないか、って気が個人的にはするなあ)。
0065人間七七四年
2008/05/16(金) 09:56:19ID:wLVV7KHyかの坊主が天下取りさまですな。
0066人間七七四年
2008/06/22(日) 12:20:07ID:PiH51Q8Q1568年に義昭は、60年代初期に尾張を併合していた今川を頼ってくる。
義元は、義昭を擁し(曖昧な立場にして)、前将軍の弔い合戦を名目に多くの
味方をつけて上洛する。
上洛後、義昭を監禁しつつ、世間に新しい将軍が決まるまで(前将軍の遺児が成長するまでとか)
副将軍家である今川家が代行を務めると宣言する。
反今川勢力をある程度抑える事ができた時点で、氏真を足利家の養子にし将軍にさせる。
0067人間七七四年
2008/06/22(日) 12:57:33ID:TTNUCPvo0068人間七七四年
2008/06/26(木) 01:19:01ID:vgl/CmWu0069人間七七四年
2008/06/26(木) 01:51:11ID:/m/YOZuI俺が結論出してあげるよ。
史実に登場してない武将が統一するか、五、六の大きな勢力が割拠し続ける。
0070人間七七四年
2008/06/26(木) 04:53:17ID:+4Cl4p2V相続に口を挟みながらだらだらと時間だけ流れていきそうな雰囲気だな。
結局は体力勝負になって弱いところから潰れていって、
飛び抜けた実力のある大名家が出現した時点で天下統一されるんじゃないの?
0072人間七七四年
2008/06/30(月) 00:16:30ID:S6B/yRFi信玄と謙信の生誕地が離れてさえすればこの2人のどちらかが天下を取っていたというのが
歴史研究家も認めていること
0073人間七七四年
2008/06/30(月) 01:01:21ID:qDkrRK0s戦国時代はかなり長引き、信玄は若き家康を滅ぼす。その後突然病で逝ってしまう。
後はややこしくなり想像が付かないが、最後は伊達政宗と誰かとの2大勢力の戦いで終結する。
その、伊達と誰か、その二人のどちらかが天下を取ったと思う。
0074人間七七四年
2008/06/30(月) 02:16:44ID:5wzOCiAH割拠状態が継続するのみ。
0075人間七七四年
2008/06/30(月) 07:43:26ID:CtN2KK7l麿でおじゃる、とか言ってる馬にも乗れず輿にのったデブで公家のような姿をしていた大名だろうが。
全く持って話にならない。織田信長が居なくても、有能な配下も居ないし、斎藤道三を突破出来るとも思えないし、
武田や北条が黙ってみているとも思えない。よしんば斎藤道三を突破しても、浅井朝倉が居る。
とてもではないが連戦できるような相手ではない。
そもそも今川なんて歴史的には信長に敗れたと言うだけで、それ以外何もしてない無能だろう。
ゲームでも著しく能力が低い使えないカス。
天下を取れるとすれば西は立花、東は武田、北は伊達だろ。ただ北は遠いし、西は激戦区過ぎて京に行く
暇もない。と言うことで武田が最有力。
事実武田は上洛を目指したときにあの徳川家康を絶滅させ、織田信長を絶滅させ、まさに破竹の勢いであった。
武田信玄こそが最有力だろう。
0077人間七七四年
2008/06/30(月) 07:50:59ID:CtN2KK7l誰それ?
0078人間七七四年
2008/06/30(月) 07:52:58ID:tJzXsjRU>>75がゲーム主観で書いてるのが分かった。
>>75の言ってる事は役にたたねえw
0080サイコメトリー
2008/06/30(月) 08:40:28ID:DE6kSndz先に謝るね。ゴメンね。悪く取らないで。
確かに武田軍及び武田信玄は良軍、良将です。でもね今川義元は東海一の
弓取りと言われ、1560年時点で東海のみならず近隣地域最大勢力を誇って
いたし、兵卒動員能力も桶狭間の通り。北条・武田・今川の三国同盟も今川
が最も優位な状況にあったからこそ、尾張侵攻が可能だったと思われます。
じゃ今川が天下統一出来るかって言われれば、それは分からんけど、勢力状況
地理的条件から考えれば、東日本で最も天下の近い大名なのは間違いないと思われます。
ちなみに信長の野望の能力値は、コーエーさんが勝手に決めた事で、どちらかと
いうとイメージ先行してる感が強いね。
0081人間七七四年
2008/06/30(月) 09:42:22ID:CtN2KK7lそんなことない。
確かに信長の野望や戦国無双、BASARAは好きだけど、毎年テレ東の10時間時代劇や、テレビ朝日でやった
天下を取った男豊臣秀吉や、大河ドラマ巧妙な辻や利家が待つとかも見てた。
結構歴史自体は好きな方ですよ。
もっともゲームから入った事自体は否定しませんけど、ゲームだけで話しをしているわけではない。
でも今川義元が凄いわけではないですよね?麿野郎が基礎を作ったわけではないでしょ?父親が作った
土地を引き継いで、調子に乗って世界征服の旅に出たらいきなり出発点の尾張で信長に完敗したんですよね。
ここからは難しい話になるけど、実は今川の配下にはあの徳川家康が居たと言われている。ようするにだ、
その事実から推測されるのは、今川義元が凄いのではなく、その裏では徳川家康が暗躍していたと考えられる。
後に天下を統一し江戸幕府を開いた実力から考えて、この頃からすでに江戸に近い駿河に目を付けていて、
江戸こそが幕府を開くに適していると考えていたんじゃないかな。そんな訳でこの頃から今川が邪魔になり、
配下のフリをして今川義元を操り戦死させてとも考えられる。
ようするに今川義元は徳川家康の傀儡であった。今川義元が東海一の弓取りと言われたのも、徳川家康の
尽力遭っての物ではないだろうか?
事実今川義元が何か戦功を上げたとか戦に勝ったとか、ましてや大将によくある妙な逸話なんかもない。
そこからしても今川義元は天下には遠く及ばない人物と考えられる。
0082人間七七四年
2008/06/30(月) 10:01:56ID:sBfYdjKH0083人間七七四年
2008/06/30(月) 10:03:18ID:sBfYdjKHどんな神童だよ、年考えてくれ
0084人間七七四年
2008/06/30(月) 10:11:32ID:ExWbdcI8/' ! ━━┓┃┃
-‐'―ニ二二二二ニ>ヽ、 ┃ ━━━━━━━━
ァ /,,ィ=-;;,,, , ,,_ ト-、 ) ┃ ┃┃┃
' Y ー==j 〈,,二,゙ ! ) 。 ┛
ゝ. {、 - ,. ヾ "^ } } ゚ 。
) ,. ‘-,,' ≦ 三
ゞ, ∧ヾ ゝ'゚ ≦ 三 ゚。 ゚
'=-/ ヽ゚ 。≧ 三 ==-
/ |ヽ \-ァ, ≧=- 。
! \ イレ,、 >三 。゚ ・ ゚
| >≦`Vヾ ヾ ≧
〉 ,く 。゚ /。・イハ 、、 `ミ 。 ゚ 。 ・
>>調子に乗って世界征服の旅に出たらいきなり出発点の尾張で信長に完敗
おまえは桶狭間より前には何も起こってなかったとでも思っているのかと
0085人間七七四年
2008/06/30(月) 10:17:47ID:78ICADz1島津が九州地方ほぼ全域と沖縄以西の南方地域四国の一部を統一
伊達が蝦夷東北地方全域を統一
北条が関東一円を統一
上杉・武田は史実並の領地を統一
今川は東海道全域と近畿の一部を統一
本願寺は北陸・近畿・伊勢に一大勢力を維持
0086人間七七四年
2008/06/30(月) 10:22:06ID:CtN2KK7l下手すれば本能寺とか日光東照宮とか、大きなお寺が日本を掌握した可能性もゼロではない。
0087サイコメトリー
2008/06/30(月) 10:45:11ID:DE6kSndzあなたの考えを暗に否定する分けじゃないけどね、徳川家康は昔から今川の人質
状態でとても自力で軍を起したり、意見出来る立場ではないよ。確かに今川の所領
は氏親から引き継いだ物だが、戦国お決まりの兄弟での骨肉の家督争いの上、勝利
して得た物であり、簡単な事ではなかった。
また、近隣国北条氏綱、織田信秀などの猛者には何度となく、苦渋を舐めさせられ
ながらも成長し盛り返し、最終的には大大名に成り上がった。wiki情報だと、約100万
石の所領があったと考えられていて、親から引き継いだ所領どころか、他に類をみない
太守になりえたのは、義元、雪斎等の実力にほかならない。
さらに言えば、自領の検地も早くから行い、その先駆者性も示し、有名な今川仮名目録
は以降の大名法度の基本となり、その才覚は疑うべくもないというのが結論です。
自分も信長の野望やその他のゲーム、歴史漫画から、戦国時代好きなって、今川義元
に対してもあなたと同じイメージを持ち続けていました。でも様々な本を読む様になって
知識を得て、本質が何かを探るのが、歴史の中で一番大切で面白い事だと分かりました。
でも今川義元好きかって言われれば、好きではないね・・・。
0088人間七七四年
2008/06/30(月) 11:22:54ID:CtN2KK7lすまん。何言ってるのかさっぱりわからん。
もう少し簡単に言ってくれ。
0090人間七七四年
2008/06/30(月) 12:37:46ID:CtN2KK7l何通りかの史書があってもその人物に対する内容が違っていたりもする。
真実は誰にも分からない。
史書なぞ一つの参考書でしかない。ゲームやドラマと大差ないさ。
よってオレが正しい。
0091人間七七四年
2008/06/30(月) 12:45:56ID:xA/FKfxP> 下手すれば本能寺とか日光東照宮とか
↑釣りならもう少し…
で、今川さんちは義元さんが生存中にどこまで所領広げられそうなの? 義元、雪斎以外に人材が… 2代目の蹴鞠タンになったら集めた人材が好き勝手しそうなんだけど
0092サイコメトリー
2008/06/30(月) 12:46:31ID:DE6kSndz簡単に言うと、上方かぶれのお歯黒野郎=今川義元って分けじゃなくて、
彼も若い頃から苦労して成り上がった戦国大名って事。
桶狭間の敗戦は、義元の油断って事よりも、信長の奇策+状況把握が完璧
だったと思います。(義元の有力参謀が死去したのも一因)
0093人間七七四年
2008/06/30(月) 12:54:04ID:tJzXsjRUまさか“本願寺”と“本能寺”を間違えたんじゃないだろ?
“日光東照宮”て徳川家康の墓じゃないか、
とっくに天下統一されてるじゃん。
0094人間七七四年
2008/06/30(月) 12:56:06ID:tJzXsjRUまさか川中島の戦いに“真田繁信”が参戦してたとか思ってんじゃないだろうな?
0095人間七七四年
2008/06/30(月) 13:00:39ID:tJzXsjRU訂正
信繁〇
繁信×
0096人間七七四年
2008/06/30(月) 13:14:20ID:3BFA5qif0097人間七七四年
2008/06/30(月) 13:28:13ID:CtN2KK7l本願寺ってなんだ?
本能寺ってのは信長が殺された寺だけど、鉄砲を取り扱っていたと言われている。
とするとものすごい武力を有していたと言うことになる。
金有る、武力もある、となると有力候補。
日光東照宮はいつから家康の墓になりましたか?
たしかに家康の墓地もあるが、家康の墓地って全国に複数有るらしいぞ。
それに東照宮はあれほど大きなお寺。あの家康が墓標と決めたほどならば
その信仰力、財力は計り知れない。
神社仏閣と言うのは戦国時代では大きな力をもった組織であったと言われてる。
と教科書で習った。
0098人間七七四年
2008/06/30(月) 13:31:26ID:3BFA5qifう〜ん、まことに金正日を神と讃えます?
0101人間七七四年
2008/06/30(月) 14:47:53ID:AIxmFwAOここはマニアが集まる場所だから、教えを乞うのには良い所。謙虚にな。
0103人間七七四年
2008/06/30(月) 15:17:29ID:6e00qoSr三好政権が崩壊し始める→だいたい1575年くらいまでの中央の動き。その後は知らん。
0104人間七七四年
2008/06/30(月) 15:46:41ID:Vys7odAg本願寺っていうのは仏教の一派、浄土真宗の寺の一つ。
南無阿弥陀佛と念仏をとなえると誰でも極楽にいけるということで庶民の間に広まった。
加賀の一向一揆や信長との石山合戦が有名で、本拠地のあった石山には後に秀吉が大坂城を築いた。
神君家康公なんて言葉あるけど、日光東照宮は家康を神格化するための墓。
家康がまだ存命中に自身で日光に決めたと思った。
絶大な権力を持つ徳川家にならって多くの大名家が各地に東照宮をつくった。
神社や寺が力を持っていたのは税で優遇されるなどの特権を持っていたため。
そのうち僧兵なんていう存在が出てきて、勢力としての一面も。
信長が宣教師を優遇したのは、自身が革新的な考え方をしていた、
外国の技術や品物が入ってくるということの他に寺社仏閣の力を削りたいという面もあるらしい。
さっと書いたので突っ込みどころあるかもしれんが、だいたいこんな感じで。
0105人間七七四年
2008/06/30(月) 23:25:27ID:27OuGOU90106人間七七四年
2008/06/30(月) 23:55:16ID:pYO7Ig5T今川義元が死んだあと、松永が三好を、秀吉が織田を、そして家康自身が豊臣を乗っ取ったように。
0107人間七七四年
2008/07/01(火) 06:47:44ID:m30uQSiAなぜあのような所へ布陣して食事するのか、これは名参謀が死んだとか
そんなレベルじゃないだれでもわかる常識だろ。
それに、信長の出陣についても諸説紛々、ただしいずれにせよ一直線で
数千の兵をすっ飛ばしていきなり桶狭間に出現しなければならないし、
謀略の臭いがくさくてかなわん。どの戦でも謀略抜きに語れない陰険な信
長だもんな。簗田政綱が沓掛貰ってるのに毛利新介が褒賞ちょびっとなん
てのも考えられないし、それ以外も不審な事が多すぎる。
陰険で凶暴な信長より、今川義元の方が遥かに戦国武将としては明るくて
豪快だと思うが。
0108人間七七四年
2008/07/01(火) 10:09:09ID:luV+y9NDあの時の桶狭間周辺は今川軍が殆ど攻略してたからな。
(織田軍の防衛拠点の丸根砦、鷲津砦を落してる)
(織田軍はわざと負け戦をし今川軍を油断させた)
(織田信長は清洲城から動かないと情報があった{信長の謀略})
0110人間七七四年
2008/07/01(火) 11:17:56ID:saldowGR0112人間七七四年
2008/07/01(火) 20:15:48ID:Qo0lPstaことが多すぎるもんな。
出自にしても、何故か寺の過去帳とかも破損してたり、非常に不審。
本当に嫡子なのかもわからん。
まあ、義元が上洛目的なんてのはあり得ない話だが、本陣場所、
向かおうとした(らしい)方向、それ以外の兵の布陣場所など、今川
の方にも不明なことが多すぎて、曖昧すぎる。
川中島もそうだが、当事者があまりにも記録に無頓着すぎたんだろ
うな。まあ、所詮は田舎侍の争いと言ってしまえばそうなんだが、中
国の記録と比べると精度や正確さの点であまりにも隔絶した差がある。
0113人間七七四年
2008/07/01(火) 22:09:16ID:kvHhHXP9それこそ怪しいのだという事が何故理解出来ないのか?
軍記物の類と日記や書状などと比べ、色々と検証されてきたからこそ
余計に不明瞭な部分が多くなったのだと何故理解出来ないのか?
0114人間七七四年
2008/07/02(水) 05:14:26ID:p/NVIHqJ研究者だったら笑えない話だが。
0115人間七七四年
2008/07/02(水) 07:29:23ID:xIgJFdOS0116人間七七四年
2008/07/02(水) 23:43:06ID:1jZ25BuV豊臣秀吉は農民ながらなぜか天皇より豊臣の名をもらえた。そして幼名は日吉丸で日の本を表している。
このことから秀吉は天皇の娯楽員の可能性が高い。
そうなると別に信長に仕えずともその権威で人を集めて出世することは可能だっただろうね。
安土城を一夜にして立て、あの徳川家康を破り配下としている。
結局才能的には秀吉が一番だろう。ただ跡継ぎに恵まれなかっただけ。
0117人間七七四年
2008/07/03(木) 00:06:22ID:5W69QcM40118人間七七四年
2008/07/03(木) 00:12:26ID:5W69QcM40119人間七七四年
2008/07/03(木) 06:03:58ID:Swr9ltG3最早衰微しきって大嘗祭すら満足に行えなかったみかどの綸旨に
そんな力があるわけないwww
ある程度群雄が勢力を広げあって、誰かが覇者になりかけたときに
初めて対抗勢力の形成の根拠となるだけ。
信長は仕事もせずになにかといえば金を要求するおじゃるどもに切
れて安土に天皇だけを引っぱろうとしたが、正解だろう。
天皇も、そういう腐った貴族層と切り離されたら単独ではなんの能力
もないから、事実上の軟禁と同じで、いずれは滅亡しただろう。
女の腐ったような日本の政治のあり方を変えるチャンスだったが、
惜しかったな。
0120人間七七四年
2008/07/03(木) 06:47:31ID:5W69QcM40121人間七七四年
2008/07/03(木) 08:16:12ID:gcEQQv9lとりあえず、
織田信長がいなかったら“羽柴秀吉”と言う人物は生まれなかっただろうな。
秀吉が徳川家康を破ったって
小牧・長久手の戦いの事を言ってるんじゃないだろうな?
0122人間七七四年
2008/07/03(木) 12:23:34ID:5W69QcM40123人間七七四年
2008/07/03(木) 12:27:04ID:5W69QcM40125人間七七四年
2008/07/03(木) 14:57:06ID:5W69QcM40126人間七七四年
2008/07/03(木) 16:35:03ID:QUnsPrBe0127人間七七四年
2008/07/03(木) 19:47:25ID:5W69QcM40128人間七七四年
2008/07/03(木) 22:30:05ID:xX3If+IK秀吉の出自で最初に出てくるのは秀吉が生前、大村由己に書かせた
「天正記」で、そこには秀吉の母は萩中納言の娘で下国して生んだのが
秀吉だったとなっている。これが所謂、「皇胤説」。
小瀬甫庵の「太閤記」では日輪がお腹の中に宿ったとしている。
それより更に後に書かれた「太閤素性記」には信長の鉄砲足軽だった
木下弥右衛門の子だと書かれている。
ルイスフロイスの「日本史」には美濃の百姓の子だと書かれている。
0129人間七七四年
2008/07/03(木) 22:40:35ID:5W69QcM40130人間七七四年
2008/07/03(木) 23:31:45ID:5W69QcM40131人間七七四年
2008/07/04(金) 18:59:41ID:nU1dH8qOうことだな。そこまでいけば四国ととるのはのはたやすい。九州は戦わずして
軍門に降るだろう。天下の三分の二以上制すれば残りの勢力を滅ぼすのもいと
簡単なこと。三好を滅ぼした松永久秀(信長に代わる人物をさがしたら久秀しか
浮かばなかった)畿内と四国をほぼ手中におさめ、政治の実権を握る。そして
東海から畿内にまで勢力を拡張しつつあった今川家と対峙。だが久秀は信長同様
家臣の裏切りによってか、あるいはそれ意外の理由によって破滅的な最期を免れ
ないだろう。その後は秀吉的な人物が台頭してくる。毛利を滅ぼすのは難しいが、高齢の元就が
死ねば、両川とて一枚岩ではなく、合戦によらずともかって毛利氏自身がそうした
ように乗っ取り、当主の謀殺という手段もある。まあその人物とは思いつく限り
では黒田如水か細川氏ぐらいしか思いつかんな。
0132人間七七四年
2008/07/04(金) 20:41:46ID:o6BbXP20大内義隆が全国制覇する気があったのなら
信長がいても
大内が天下とってたでしょ
0133人間七七四年
2008/07/04(金) 21:33:08ID:UFsKHEo30134人間七七四年
2008/07/05(土) 01:10:44ID:lbTxHMdRゲーム脳全開ですねW
0135人間七七四年
2008/07/05(土) 10:13:48ID:lF9IcPl/尾張や三河より近江の人材の方が優秀なのは皆さんのご存知の通り
0136人間七七四年
2008/07/05(土) 11:23:02ID:/dxFIlAK京都から2〜3国以内に拠点をもつ100万石級の戦国大名が天下を取る
畿内各国は伝統的に統率がとりにくい地域ないので、近江、美濃、播磨あたりが理想
0138人間七七四年
2008/07/05(土) 14:55:28ID:dIfx5g58vs信長でも散々長政の足引っ張りまくった暗愚だしな
0139人間七七四年
2008/07/05(土) 22:36:50ID:BjTNpWJi0140人間七七四年
2008/07/06(日) 00:12:38ID:8wJIJ2A10141人間七七四年
2008/07/07(月) 23:14:53ID:MNld1JrSがやや抜き出るが覇権を握る大名は登場しないということでOKかな?
おそらく織田信長がいなくても中、四国、九州と東北、関東の情勢は変わらず、
史実どおりの時期に史実どおりの大名が覇権を握ったことだろう。そうすると
東海から畿内の小大名はやがて圧倒的な軍事力と領土を持つこれら辺境の大名
により併呑されたいうのが結論だろうなたぶんw
0142人間七七四年
2008/07/07(月) 23:43:43ID:oNfoUjPYつーか内輪もめの真っ最中の三好じゃ、どうにもならなかったんじゃない?
0143人間七七四年
2008/07/07(月) 23:57:59ID:y9HRr0EOただ、ifを考えた場合、それぞれの大名に天下を取れなかった理由が少なからず
存在するわけで、そうなるとどの大名にも決定的な決め手にかけてしまう。
結局、ブロック化という結論以上の物にするには何かイレギュラーな出来事を意図的に
組み込まなければならず、そうなると仮想戦記のようになってしまう。
0144人間七七四年
2008/07/09(水) 22:17:08ID:JzQyXpJo0145人間七七四年
2008/07/09(水) 23:57:57ID:6Mwpqr2B0146人間七七四年
2008/07/10(木) 00:56:05ID:Bgreb0RJ0148人間七七四年
2008/07/11(金) 13:55:10ID:NDMDIpep0149人間七七四年
2008/07/11(金) 21:48:01ID:LYU28IC7がほとんど無に等しいから台湾まで進出したオランダが、ここに目を付けなかっ
たとは断言できない。琉球がオランダに屈服すれば西南日本の大名に緊張が走る
特に薩摩の島津にとって(恐らく史実でいう1630年頃まで戦国時代が続けば
九州支配を完成させていることだろう)東南アジアとの交易のルートを断たれる
ことになり相当な損失になるだろう。結局島津とオランダの戦争になり、双方とも
傷つくことになる。その時毛利はどうするか?もう一つ国姓爺の動向も気になるな
(沖縄の方が見ていたら悪く思わないでくださいね。あくまでIFですから)
0150人間七七四年
2008/07/12(土) 21:27:27ID:m4S9D3uuまず、琉球の武力は無に等しいというほどではないし、
仮に一時的に制圧しても普通に薩摩に追いやられるだけ、薩摩にとってさほど手ごわい存在でもない。
もっと言えば、別にオランダが琉球をとっても、
東南アジアとの交易のルートを断たれるなんて事にはならないでしょう。
そもそもオランダは貿易しに来ているわけだから、薩摩を締め出す意味がない。
薩摩の方で琉球直接支配をどうしても望むのでなければ、別に戦うことにならないと思うが。
0151人間七七四年
2008/07/20(日) 10:48:42ID:gqFez4B0信長がいなきゃ不識庵が余裕で天下ゲットだろ。
今川みたいに陸路とおらなくても若狭に船で上陸して一気に入京、叡山〜大和を押さえれば天下取れる。
0152人間七七四年
2008/07/20(日) 11:51:58ID:J/yIS9mv桶狭間や厳島みたいな驚きの事件は起きないわけだから
勝率が高い方が勝つと仮定しなくてはいけないので
今川が最有力になってしまった。
0153人間七七四年
2008/07/20(日) 17:02:23ID:cVGn31Ad勝頼でも確実に領土広げたかも。今川は氏真で駄目だろう。
自分にチャンスがあると思えば、毛利、武田、北条の2代目、3代目が史実よりも活躍する可能性はある。
0154人間七七四年
2008/07/21(月) 00:19:18ID:DW0u0/dO毛利だけは可能性ない。
0155人間七七四年
2008/07/21(月) 00:25:47ID:8A/cib0m0156人間七七四年
2008/07/21(月) 12:23:31ID:O8N46BB3経済力は凄まじかったらしいしな
織田と戦ってジリ賃になってたけど織田以外だったらありえないだろうしな
0157人間七七四年
2008/07/21(月) 15:00:27ID:PIJrzHho織田から毛利に寝返った大名多いけど、石見銀山の威力かな。
中国地方は鉄も取れてたはず。でも米の収穫は少ないか。
0158人間七七四年
2008/07/21(月) 15:10:29ID:8A/cib0m上杉も買っていた。
0159人間七七四年
2008/07/21(月) 20:07:35ID:FnopONupそして、輝元は史実で少なくとも2回、絶好のチャンスを取り損なっている。
ゆえに、毛利だけは可能性ない。
祖父から受け継いだもの、領土、銀山、海運など、どんなに条件がよくても、
当主の資質が、天下取りには、決定的に欠けている。
0160人間七七四年
2008/07/21(月) 20:46:44ID:8A/cib0m毛利が好む好まざるとに関わらず周りがほっとかないだろうな。
織田がいなければ河野支援など四国にももっと多くの手を回せる。
北九州を手放す事もなかったろう。
大友は力では毛利に勝ったためしがないし耳川でボロボロになるし…
財力もハンパじゃないし連合でも組まないと誰も毛利に敵対出来なくなる可能性は大いにあると思う。
0161人間七七四年
2008/07/21(月) 23:07:18ID:hc4Y6TNO大友織田秀吉等、同等かそれ以上の勢力相手にはとたんに足元がおぼつかなくなる
関ヶ原までも結局それが原因でgdgdだったし、他の大名は血を流して集権化進めてたのにな
0162人間七七四年
2008/07/22(火) 00:12:37ID:DwHPoEGI大友、秀吉は違うだろww
織田だけだろ
0163人間七七四年
2008/07/22(火) 00:14:19ID:x7fdW7Kp同盟関係だった三村を遠慮なく叩き潰したのは集権化狙いがあったのかな。
0164人間七七四年
2008/07/22(火) 00:34:12ID:5t3AKxnG包囲網の形成は既に不可能なあの状況で対等以上に渡り合えれば大したもんだがね。
そりゃあ、酷でしょ。
0165人間七七四年
2008/07/22(火) 00:52:01ID:e5NolHJo0166人間七七四年
2008/07/22(火) 00:53:05ID:/CP9K1Nc史実よりは強大になっているだろうと思うけど
まあ史実でも豊臣政権では小早川がいる間は徳川と並ぶ二強だったんだけどさ
0167人間七七四年
2008/07/22(火) 20:54:04ID:CKxyxZv2どれほど広い領土を持っていても、地位が高くても、
豊臣政権で、徳川と並ぶ二強とはおこがましい。まったく並んでない
輝元など、他の五大老と束になっても、家康ひとり制御できていない。
結果、防長2国を維持できたのは、ラッキーハッピー、身に余る幸運だった。
0168人間七七四年
2008/07/22(火) 21:12:15ID:x4hL42cR0169人間七七四年
2008/07/22(火) 21:12:25ID:/CP9K1Nc小早川が生きている間はそんなに差があるってほどではないかと
一族合わせて210万石であり西は毛利、東は徳川っていうお墨付がついてるくらいで
関ヶ原でもやる気はなかったが西軍の兵力は大半が毛利系の兵
0170人間七七四年
2008/07/22(火) 21:43:15ID:x7fdW7Kp西軍の兵力は大半が毛利系の兵でも存在感、存在価値はゼロ。宇喜田の方が活躍してる。
やる気がないのに、ホイホイ総大将に祭り上げられる輝元は馬鹿。
普通なら領土没収なのに2カ国安堵は運がいい。
0171人間七七四年
2008/07/22(火) 21:44:00ID:hPX3fHc5鉄砲が伝わるまで最強の騎馬軍団いたし
0173人間七七四年
2008/07/22(火) 22:03:38ID:XWQVHFEA祭り上げられたと言うか、輝元はやる気だったが部下が付いてこなかった
輝元の資質が、重臣の意見対立を抑えられなかった理由の主な要因では無く
当主の権力が弱いのは関ヶ原以降も続く毛利の体質
除封にならなかったのは浪人を余り増やしたくない徳川の政策で
毛利だけが運がよい訳でもない
つかレス元と話がずれてる
0174人間七七四年
2008/07/22(火) 22:43:40ID:DwHPoEGIでも輝元の代が最大版図を築いてるし、月山富田城包囲、四国遠征、九州遠征、備中兵乱、上月城、四国征伐、九州征伐、朝鮮出兵など毛利一族の動員力は他家を圧倒している。(その他にも万単位の軍事行動多々)
関ヶ原でも徳川は朝鮮に行かず力を温存してのあの大兵力。毛利は朝鮮で疲弊しているはずなのにあの大兵力。
問題は積極性。
毛利が天下人になる意思も積極性も無いと思うが自然とあのまま勢力拡大を続けたら足利将軍奉じて補佐ぐらいいきそうな気がする。(毛利の本当の意思とは関係なく)
あくまで中央での権勢であって地方では相変わらず戦乱は続くだろうが。
毛利が無理だと言う人の気持ちもわかる。が無理だというなら対抗馬を出してくれ。
わしには実際1570年代前半ですでに畿内に迫る毛利の対抗馬が思いつかんのじゃ。
武田、上杉、北条、今川あたりは誰か一人が突出して抜きん出るとは考えにくいし伊達、島津も年代遅いし…私も結局悩んでるww
0175人間七七四年
2008/07/22(火) 22:50:01ID:j+7n1B3B桶狭間が無ければ尾張は順調に侵食されただろうに、
何故今川が抜きん出る事が考え難いのかが理解できん。
つーか、まず改行を覚えろ。
0176人間七七四年
2008/07/22(火) 23:01:38ID:6FbxVdJl考慮にいれないといけないと思うが。
0177人間七七四年
2008/07/22(火) 23:56:21ID:Wb+pmJLk0178人間七七四年
2008/07/23(水) 00:31:40ID:rQupbyi2毛利がチャンスを棒に振る事が多かったので「無理するな」くらいの遺言が
後世の脚色でそういう事になった可能性もある
0179人間七七四年
2008/07/23(水) 00:40:39ID:UkSh1S9aだが息子が継げないでしょう。
今川ならば秀吉も家康も世に出ることは難しく、特に猿はほぼありえません。
家康はかなりチャンスはありますが、独立までそうとう厳しいことになるでしょうしね。独立さえできればいいをだけど。
ということで最終的には伊達政宗を推挙いたしまする。
0180人間七七四年
2008/07/23(水) 02:00:53ID:as4QLRaL0181人間七七四年
2008/07/23(水) 02:19:02ID:rQupbyi20182人間七七四年
2008/07/23(水) 02:27:07ID:2uukF51Tやはり天下獲りには色々足りないよな。
0183人間七七四年
2008/07/23(水) 03:35:29ID:as4QLRaL0184人間七七四年
2008/07/23(水) 03:41:45ID:UkSh1S9a全国支配となると伊達ぐらいでしょう。あとはならば武田かな?武田が滅びたなら真田もありかと。
0185人間七七四年
2008/07/23(水) 03:48:41ID:as4QLRaL0186人間七七四年
2008/07/23(水) 03:52:36ID:UkSh1S9a普通に考えれば武田勝頼ではないでしょうか?
0187人間七七四年
2008/07/23(水) 03:53:50ID:UkSh1S9a0189人間七七四年
2008/07/23(水) 09:35:07ID:OopoFjXi足利高氏に天下盗りの野望があったかどうか?
本人が断固としてやるパターンと,周囲に推戴されてやむなくやるパターンの両方あるんじゃない。
0190人間七七四年
2008/07/23(水) 13:06:09ID:22AoRcqw0191サイコメトリー
2008/07/23(水) 14:46:09ID:g9bZezdA思われます。
大きな分岐点はやはり
@今川義元がどこまで足元を固めながら、台頭出来るか。
A松永久秀や三好一派が大きな実権を握り、自軍を増強出来るか。
信長不在というより、桶狭間で信長が戦死した状況で考えてみると、上記A
パターンプラス、同盟者、協力大名がキーポイントになると思われます。
0192人間七七四年
2008/07/23(水) 17:01:46ID:OopoFjXi近江を固めた浅井と同盟者朝倉、さらに加賀越中をスルーして若狭に上陸した不識庵
この三者が京都奈良を攻略したら天下を取れる。
0193人間七七四年
2008/07/23(水) 18:01:44ID:5olsKrpuなぜ三者で天下を取るのよ。朝倉は怠け者じゃないのか?
適当なこと書くなボケェ。
0194人間七七四年
2008/07/23(水) 18:18:59ID:OopoFjXi将軍の存在があるから三者で天下盗りは可能
三者で将軍を担ぐのはできるだろ。朝倉が財力担当、浅井と上杉は戦闘担当、一向宗への共同対処
をとっかかりにして朝倉と上杉は連携出来る。
0195人間七七四年
2008/07/23(水) 18:28:55ID:kqSpd2cT0197人間七七四年
2008/07/23(水) 20:21:19ID:VZnRDgHn0198人間七七四年
2008/07/23(水) 20:37:50ID:rQupbyi2あの時期は一向一揆対策でそれどころでは無く、
しかも別の足利氏を囲ってるから、おいそれと乗り換えるわけに行かなかったのにな
0199人間七七四年
2008/07/23(水) 21:19:31ID:wWw2Siayという違いはあるにせよ、基本的にはどの大名も最終到達点は天下統一だった
という事にしなければ話が進まないという事になってたはず。
0200人間七七四年
2008/07/23(水) 22:55:53ID:UkSh1S9a武田信玄、斎藤義龍、織田信行
0201人間七七四年
2008/07/23(水) 23:01:15ID:rQupbyi2知ってる名前ただ挙げるのはもうやめれw
0203人間七七四年
2008/07/23(水) 23:18:25ID:UkSh1S9aまず織田信長がいない状態で朝倉に居候している義昭がどこを頼るかなんだが…
あの当時だと俺だったら上杉謙信なんだろうけど、時期的にどうなんだろう?
武田との抗争中なんだろうけど、義昭には権威はなかったのかな?まさか三好松永の勢力に義昭がいきなり助けを求めらるないだろうし、
謙信なら状況が許せば将軍家の為に死力をふりしぼると思うんだけど…
0204人間七七四年
2008/07/23(水) 23:23:04ID:DhrG30hz0205人間七七四年
2008/07/23(水) 23:48:56ID:OZVCu0CX三河から尾張、遠江、駿河と攻め武田と結び美濃、近江、山城でゴール。
三河幕府が始まりますww
0208サイコメトリー
2008/07/24(木) 18:09:37ID:03kNBfvfではないはず。足利義輝死去後に義昭が擁立される可能性も限りなく低く、
それに伴い、京を制していない地方大名が傀儡将軍を立てる事も出来ないと思われる。
0209人間七七四年
2008/07/24(木) 20:53:22ID:xFWnVM860210人間七七四年
2008/07/24(木) 21:03:35ID:GZK/kvL3よって島津。
0211人間七七四年
2008/07/24(木) 22:53:27ID:HsSGeKrO0212人間七七四年
2008/07/24(木) 23:33:03ID:EpcIzC5B地元は安定せず反乱されまくり
何度、関東行っても結局成果なし
何故そんな上杉使って天下取れると思ってるのか不思議でしょうがない…
0213人間七七四年
2008/07/24(木) 23:46:49ID:7dOJG0MS以下、意外に知られていない事実。上杉家文書群がソース。
実際義昭は謙信に「進退を任せるので武田北条と和睦して上洛を助けて欲しい」と何度も要請している。
そればかりか武田北条との講和をとりつけ、仲介には今川が立とうとしていた。
まるで架空戦記みたいだが、細川藤孝が奏者になっている。
でも北条はともかく武田が歩調を合わせず、もたついているうちに織田が義昭を上洛させてしまう。
そして武田が今川を攻めて破綻。
その残滓が越相同盟。
0214人間七七四年
2008/07/24(木) 23:52:21ID:7dOJG0MS上杉や武田じゃ幕府再興は無理だ主張する向きがあるけど、
当時の衰亡した幕府から見たら上杉しか頼りになる人材がいなかったのだから、
彼等が上杉を頼るのは不自然ではない。
結局は運もあるけど、実力不足で不発に終わったわけでね。
天下取りのチャンスは一応上杉にもあった。
武田にしてみればそれはまずいから、
のらりくらりと講和を先延ばしにしたんでしょうね。
0215人間七七四年
2008/07/25(金) 00:21:33ID:7znmo8jF足利義輝なんかは元就に大友と和解して早く上洛して欲しかったので何度も仲介役を自らかっている。
それを元就は断ったりしてるし、将軍を無下にはできないが結局は当事者の都合で決まる。
織田、上杉、武田、毛利、朝倉、六角、若狭武田…他にも将軍が頼りにしたのはいっぱいいるよ
0216人間七七四年
2008/07/25(金) 00:26:06ID:mPBHyNI+単純なものにはならないと思うね
ある一定の勢力が力を持ち各ブロックで国を築く
中央の三好とか細川あたりが朝廷と仕組んで
雄家連合国みたいなのができるでね
0217人間七七四年
2008/07/25(金) 00:54:31ID:7znmo8jF毛利、尼子の調停(義輝は吉川元春、小早川隆景兄弟に元就、隆元父子を説得するよう御内書を出してる)
伊達タネ宗、晴宗父子の内乱調停
武田、上杉の和平調停
スレ違いなのでこれくらいにしときます
0218人間七七四年
2008/07/25(金) 01:00:55ID:KRO7esbC毛利はなんで上洛しなかったの?
0219人間七七四年
2008/07/25(金) 01:08:25ID:D3zYO/P+0220人間七七四年
2008/07/25(金) 02:06:47ID:hEowQb66天下を取らなければ毛利家が滅亡するようなら天下取りにいったろうが、そんなことにはならないし、
上洛したってまったく意味がなく、かえって毛利家を危機に陥れるかもしれないことをよくわかっていたからじゃないの?
関ケ原後毛利家が取りつぶされなかったのは天下取りの野望がなかったからでしょう。
0221人間七七四年
2008/07/25(金) 06:49:20ID:7znmo8jF本国を留守にしての上洛に利がないと判断したのでしょう。
正しい判断だと思います。
0222人間七七四年
2008/07/25(金) 09:03:32ID:42pjWZaOそれでいて益々富み栄えた天下第一の富強大内義興
その隙をつくように出雲石見伯耆を地盤とする事に成功し、義興晩年に
おいて最大の敵となった尼子経久
大内との直接対決で世に大内崩れと言われるほどの大勝利をあげ、
一転し上洛を目指し播磨まで軍事的には侵攻に成功するも、急ぎすぎた
為か内部に不協和音が満ちた尼子
この大内尼子の間で文字通り生き残ってきた毛利にしてみれば
上洛というものは少しでも無理をして成し遂げようとするのは危険
紙に水が染み渡るように1国単位ではなく1郡、1村単位で切り取るもの
みたいな感覚を頭ではなく体で認識していたのではないかと思う
実際羽柴がくる前には伯耆〜播磨のラインまで毛利の影響力が
伸びていたようだし
0223人間七七四年
2008/07/25(金) 11:41:09ID:AxqsQhI0上杉に天下取りのチャンスなんてない。
晩年に越中、能登を取ったけどそれ以前は、70万石程度だったかな?
1800万石中に、信玄ですら130万石止まり。
2代目、3代目と有力大名家が発展して1600年以降にずれ込むだろ。
上杉みたいな地方の軍閥ではなく、信長、秀吉みたいな経済、流通、貿易など
総合的な経営力を備えた人でないと全国規模での戦争は無理だね。
0225人間七七四年
2008/07/25(金) 15:04:14ID:gPF8e09S信長だって家督相続時は何百万石も持ってない。
石高の多いやつが統一出来るというシステムならとっくの昔に大内とかが戦国時代を終わらせて
ないとおかしいだろw
0226人間七七四年
2008/07/25(金) 15:16:44ID:AxqsQhI0ちゃんと読め 石高も大事だし、全国規模で活動するシステムもいる。
>総合的な経営力を備えた人でないと全国規模での戦争は無理だね。
0227人間七七四年
2008/07/25(金) 15:31:43ID:nr6KQZgm・今川家。義元当時40代、氏真も無能の人のような印象が強いが、文武両
道で可也の努力家。今川は足利政権の名門中の名門で後継者問題が度々起
こったが氏真には男子の兄弟が居らず、義元が50前後で院政を行えば可也
のものだと想像される。評価AA
・三好家。信長以前に既に内部崩壊はしてたものの、中央政界を20年間牛
耳ってた実質的な覇者。信長の上洛無ければ内部の権力闘争を制し天下人
を排出した可能性大。評価AA
・武田家。逆に評価としては下がる。信長以前に上杉、北条、今川、斎藤
と強敵が多く、後継者問題の不手際を甘味しても天下取りには手が届かな
い。評価C
・斎藤家。義龍死後もよく頑張ったと言えよう。しかし、やはり天下人の
素養が見えない。評価D
・六角家。信長の侵攻時には既に内部崩壊状態。信長如何に関らず低評価
は否めない。評価D
・朝倉家。何度か天下取りのチャンスに恵まれながらも成しえなかったの
は天下人の器に非ずと言えよう。但し、世代が代われば好条件ではある。
評価B
・上杉家。名門上杉を天才謙信に任せたのは素晴らしかったが、如何せん
謙信一代の威光で終わる。評価D
・毛利家。百万石規模の大名としては北条に次いで継承が成功した。輝元
の評価は芳しくないが、内政面、軍事面共にA評価されるべき人物である
地勢、軍事力等々、中央へ一番可能性が高かったと思われる。評価AAA
・島津家。もし信長が居なければ、中央政界も一つには纏って居ない可能
性が高い。九州を統一した後、海外の勢力を背景に中央政界に進出した毛
利家を打倒した可能は高い。但し後継に問題あり。評価AA
・北条家。残念ながら此方もやはり評価が下がる。武田、今川が健在成れ
ば、関東での一人勝ちは厳しい。評価C
・伊達家。名門伊達家に天才政宗が居れば、東北からの天下人も夢では無
いであろう。但し中央までの道のりには、多くの大大名がひしめき合って
いる可能性高し。評価A
0229人間七七四年
2008/07/25(金) 15:42:11ID:AxqsQhI0信長の祖父からの流れだね
0230人間七七四年
2008/07/25(金) 15:46:35ID:AxqsQhI0武田は、義信が継いだ場合と勝頼が継いだ場合では違ってくる。
別の歴史では義信が頑張ったかもしれない。
0231人間七七四年
2008/07/25(金) 15:56:19ID:/8ICJ4ip韓国人が嫌いな大学生
http://ex24.2ch.net/test/read.cgi/campus/1216951059/
ttp://www.election.co.jp/news/2004/news0714.html
地球市民に爆笑
これが在日朝鮮人でつ
0233人間七七四年
2008/07/25(金) 16:11:36ID:AxqsQhI0近畿は強力な英雄が生まれにくいのかな。
0234人間七七四年
2008/07/25(金) 16:13:48ID:nr6KQZgm確かにそれは解る。だけど現実問題信長が居なくても戦国時代が100年以上
続いたとは思えない。やはりあの時代に生きて居た人々が重要。
そう言った意味では例えば六角氏。物流の中心地近江を拠点とした京極氏
の名門傍流であり、管領代にもになった。だが結局はそれを生かしきれなか
ったのは個人の力量が足らなかったからだと思う。
>>230
武田の場合は義信が継いだとしても、織田が居ないと逆にクリアするハード
ルが高くなるって言うジレンマがある。スピード的に西国や関東以北には勝
てないと思うな。
0235人間七七四年
2008/07/25(金) 16:19:31ID:nr6KQZgm飽く迄も信長が居なければ誰が天下を取っていたかって言う評価だか
ら、徳川政権のような長期の安定政権って訳ではない。そう言った意
味で評価した場合、天下を取れる位置、軍事力、経済力、地盤が必要
な訳で、主家の上杉をクーデターで転覆させたような景勝では到底天
下を取れるだけのスピードも地力も無いと思うよ。
0236人間七七四年
2008/07/25(金) 16:32:02ID:nr6KQZgm確かに畿内は全国でも一、二の激戦区で移り変わりも激しい。
そんな中で三好は20年という長期間居すわった訳だ。
政権の安定度や権勢は極めて脆弱ではあったが、織田家の台頭が無ければ
全国でも桁違いであった。三好は織田の縮小版って感じなんだよね。
三好の内部分裂も言わば織田家の内部分裂(本能寺以後)って感じで、信長
さえ居なければ或いは纏まって行く可能性は高かったと思う。
0237人間七七四年
2008/07/25(金) 16:39:30ID:gPF8e09S信長がいない場合、美濃の内紛(道三・義龍、龍興・三家老)に介入できるのは信玄と義元だから、信玄が
美濃に行きたければ不識庵と信玄の和睦は可能性がある。
そうすると上杉は史実よりはやく西に動ける。その場合越前にいるのは朝倉だが、一向宗との関係を考える
と協同で加賀攻めは可能だろう。
その時点で朝倉と上杉が友好関係になれば将軍の名の元に共同で上洛はありえない話ではない。
朝倉浅井上杉で攻めるなら京・大和は落とせる。
0238人間七七四年
2008/07/25(金) 16:53:17ID:nr6KQZgmそれは僕の見解と少し違うな。
美濃は内紛は義龍の時代で可也精査出来てる。義龍が居なくなった後も龍興
は8年間美濃に居座れたのがその証拠だと思う。それに介入するなら、今川
や武田以上に朝倉だったと思う。
それに謙信の代で上洛は何度もしてるだろ?規模には諸説あるが、数千規模
の上洛もあった可能性が高い。ぶっちゃけ謙信は天下人には成らないと思う
ね。まぁ大内クラスには成りえたかも知れないが、謙信一代では無いって事
は上杉の天下人の可能性はD評価で妥当だと思うな。
0239人間七七四年
2008/07/25(金) 20:05:04ID:mPBHyNI+この評価のメンツをみても
武田上杉今川北条が同じ地域、時代でしのぎを削ってるんだよね
この地域の大名は不利ってことだな
武田に至ってはすべてと隣接しているから
上洛天下取りなんて不可能に近いでしょ
0240人間七七四年
2008/07/25(金) 20:12:38ID:NDqAnr41毛利は、当主が輝元なのに、なんで最高得点なんだよ?(www
0241人間七七四年
2008/07/25(金) 21:32:12ID:D3zYO/P+そこを責めるなら隆景あたりもひっくるめて責を追うべきだろ
0242人間七七四年
2008/07/25(金) 21:34:23ID:E/oW4nzE今日に御旗を立てる、と言うけど、旗を立てると天下を取る事になるのかな?
そうとすると足利幕府を潰した物が次の天下人となると言うこと?
どうすることを天下を取ると言うことなのかちっともわからない。
織田信長は何度も京都に行ってるし、天皇の前で馬を見せたと言う話しもある。
さらに足利義昭を京都追放したけど将軍になれなかった。
どうすれば天下を取る、と言うことになるのかまず尻体。
0243人間七七四年
2008/07/25(金) 22:27:12ID:hEowQb660244人間七七四年
2008/07/26(土) 00:43:21ID:74QoXQlXどんなに勢力を持つ人物でも「いかなる理由で権力を行使するのか」という問題に直面する
正当な理由を示せない権力、つまり非合法の権力では周囲の理解を得られないからだ
この問題を中国では「天の意思」で権力者が交代するという易姓革命で説明した
しかし日本では「政治・軍事に携われる権限をもつ役職」につくことで説明した
(元寇や幕末時など外交問題が勃発した際に、幕府が朝廷に意見を伺うのは、
外交に関する権限を将軍が持っていなかったためであり、日本の法体制上は自然なこと)
蘇我氏→大臣として権力を合法化
藤原氏→摂政・関白として権力を合法化
平氏→太政大臣として権力を合法化
源氏→征夷大将軍として権力を合法化
北条氏→将軍を補佐する執権として権力を合法化
(つまり彼らが権力を行使するには将軍が必要だった。だから源氏が滅んだ後も将軍を迎え続けた)
足利氏→征夷大将軍として権力を合法化
豊臣氏→関白として権力を合法化
徳川氏→征夷大将軍として権力を合法化
これら政治・軍事的権限をもつ役職に任命してくれるのが朝廷であり、そして天皇である
よって朝廷や天皇がいる京を確保しなければ
最終的に日本全体の権力者(=天下人)になることはできない
0245人間七七四年
2008/07/26(土) 00:56:16ID:QxABzeBX信長の上洛は京を抑えるより
堺を抑えること
堺を抑えるのは鉄砲量産より火薬の確保ね
あと真の目的は
商人と結ぶことで日本各地に情報を得られる、
自分に有利な情報(宣伝)を各地に流布することができる
一番効果を得たのが長篠の戦で
実際、武田方の重臣が多く打ち取られてはいるが
織田方の被害も相当なもので
圧勝どことか痛み分けで大した成果は得られてはいない
織田方にとっては武田と戦った事実があればよかった
あとは全国へ結果を着色し圧勝したと流せるから
勝てば官軍で情報戦を制するものが天下をとるんだよね
今も昔も同じことw
0246人間七七四年
2008/07/26(土) 01:29:19ID:t67OSFuY0247人間七七四年
2008/07/26(土) 04:37:27ID:rhG/FVFG0248人間七七四年
2008/07/26(土) 05:18:59ID:t67OSFuY0249人間七七四年
2008/07/26(土) 06:06:49ID:8sTTcA0Aどうすればとれたんだ?
天皇と通じ、現役将軍を追放、京都を掌握、商人を掌握、武田軍を打ち破り滅ぼす、京都周辺の大名を倒し周囲を掌握。
安土城を建設してその絶大なる力を誇示。各国の大名達にもこの頃にはうつけ者と言うよりは、とんでもない男が現れた、
位の存在にはなってきていた。
信長の死後、その事業を引継すぐに秀吉が天下をとれたところを見ると、本能寺で信長が死んでいなければ信長が天下を
取っていた可能性は絶大なのだろうか?
配下的存在には秀吉、家康が居たし。
それとも本能寺を切り抜けたとしても、秀吉の裏切りや、家康との関ヶ原があり得たんだろうか?
西軍信長、秀吉、光秀率いる軍勢、東軍家康率いる軍勢で、家康圧勝みたいな。
0250人間七七四年
2008/07/26(土) 06:36:46ID:t67OSFuY0252人間七七四年
2008/07/26(土) 10:35:37ID:nVUsXntt>圧勝どことか痛み分けで大した成果は得られてはいない
いい加減なこと言うな。武田は1万人の死者と負傷者も同じ程度。
中核の武将もほとんど死んでる。大損害なんだよ。力の均衡が完全に崩れた。
織田方は有力武将はまったく死んでないし。雑兵ばかりの損害。
経済的に有利な織田方は雑兵が多少死んでも代わりがいくらでもあるんだよ。
一方的な戦いだろうが。
0253人間七七四年
2008/07/26(土) 10:48:47ID:DP/lPdSkというか、信長は実質的には天下をとっていた。
秀吉や家康なんて比べ物にならないくらいの武力を誇った。
酒井忠次なんて、家康を殿様、信長を上様と呼んでいた。
「天下をとる=戦乱を終結させる」という意味なら、
信長は敵をバッタバッタと切り捨てる手法なので、島津や伊達を実力行使で滅ぼすまで
戦乱は収まらなかったかもしれない。
周りを抱き込んでみんなきのこる手法の秀吉や家康は、不十分ながらも戦乱を終結
させるスピードは早かったね。
0254人間七七四年
2008/07/26(土) 13:20:44ID:4q6zdDuMなんで信長は全てを滅ぼす、が前提なんだ?
史実でも信長は、自分に従って裏切らない勢力は取り込んでいる。もちろん、政権に危険を
及ぼさない程度にした上で。そしてこの処置は、別に信長だけでなく秀吉も家康もやっていること。
なのにどうして、信長だけは全てを滅ぼすなんて誤解がいつまでもまかり通っているんだか。
0255人間七七四年
2008/07/26(土) 14:27:41ID:lpQMHdiH→取ってません
>滅ぼさなければ戦乱をおさめられない
→秀吉、家康以下の無能となってしまいます
>このスレ
→信長は一切関係ありませんので信長の検証は他スレでどうぞ
0256人間七七四年
2008/07/26(土) 19:36:27ID:8sTTcA0A秀吉が信長を暗殺したのも、利用価値が無くなったからだろうね。信長が有力大名滅ぼしまくったし、
残りはもう信長無しでもやっていけるから秀吉は信長殺害を決意し、本能寺にて葬り去ったんだろうな。
で、秀吉は大した苦労もなくあっさり天下様になる。
だが秀吉が死ぬと今度は家康が天下様になる。
ようするに、利用されているようで人を利用したヤツが最終的には勝ち組ってヤツなんだろうね。
そもそもこのスレタイの「信長がいなかったら誰が・・・」と言うのもおかしい。
そもそも信長天下とってないんだから。
秀吉が天下を取ったんだから「秀吉が居なかったら」と言うのが正しいのではないだろうか?
0258人間七七四年
2008/07/26(土) 20:17:59ID:nVUsXntt柴田の下に前田、佐々を一時的に付けたように、譜代でも大大名は作らないはず。
でも自分についた、宇喜田、筒井、松永など50万石以下なら受け入れている。
家康も70万石止まりだろ。
0259人間七七四年
2008/07/26(土) 20:42:29ID:pY8+xL010260人間七七四年
2008/07/26(土) 21:39:20ID:bZEKV88K0261人間七七四年
2008/07/26(土) 21:40:24ID:bZEKV88K0262人間七七四年
2008/07/26(土) 22:24:23ID:t67OSFuY0263人間七七四年
2008/07/27(日) 18:46:47ID:HqyjGJny織田信長の検証スレはない。
何故なら、こういう流れになるから↓
1.信長の行動で疑問視する点を検証する。
2.すると一部の織田厨達が「なら〜も〜だから〜だなw」と他の大名をけなし始める。
3.そのけなされた大名のファンが抗議する。
4.一部の織田厨達は煽りをいれた知識で反論する。
結果、そのスレは織田信長を検証するスレではなくなる。
2でけなされた大名の検証討論に当分なる。
0264人間七七四年
2008/07/28(月) 01:20:36ID:mmalf1510265人間七七四年
2008/07/28(月) 21:23:15ID:A4wuBANn数年で、天下統一まではほぼ確定なわけで、
予想するのに面白いネタじゃないね。
海外進出とかいいだすと、IFがでかすぎて・・
0266人間七七四年
2008/07/28(月) 21:52:25ID:ikszlive6年かかっている。
0267人間七七四年
2008/07/28(月) 22:55:15ID:5XKkZHFo元親も、中央からすればたいしたことないし。
残る強敵は島津くらいか?1590年以前に統一できそうな感じだけど。
0268人間七七四年
2008/07/28(月) 23:04:37ID:pLd6KqL/秀吉だと6年だけど、信長はその秀吉をこき使うのだから
もっと早かったと思うよ。
1583〜4あたりで中国、九州、すぐに関東、奥州に向かえば
1585〜6あたりってのはどうだろう。
だから信長のイフは、天下取った後で、が面白い。
単に幕府で満足したか、外征に出たか、それとも・・
0269人間七七四年
2008/07/28(月) 23:41:27ID:5XKkZHFo断トツのスピードだろ。他家では真似は出来ない。
0270人間七七四年
2008/07/28(月) 23:43:40ID:9BVolS8Rつか織田の側から手を出すんじゃないかな、甲州崩れの後の対応はかなりアレだし
家臣相手でもないのに働きが悪いぞとか、贈り物を突っ返すとか
まぁ九州関東までなら織田のやる気しだいだが本能寺から5年位じゃないかな
あと外征は無いと思う、信長は秀吉に比べれば室町的だし、領地バブルも無いし
0271人間七七四年
2008/07/29(火) 01:27:40ID:y4ayOTlY0273人間七七四年
2008/07/29(火) 06:34:34ID:FADohgd7外征の論拠はフロイスと、秀吉の行動からの判断なんだけどね。
信長が幕府程度で収まるタマかな。
それと、室町的、というのはどうだろう。
天皇と綸旨で対立したり室町とはまったく違う対応もしている。
これは、信長と朝廷との論であって、いまだに友好か対立か
結論は出てないけど、対立説を中心に考えると義満ばりの
皇位簒奪、とかそういう可能性も十分に考えられる。
スレチになっちゃうかな。
0274人間七七四年
2008/07/29(火) 11:00:10ID:ZvyuizNQしかし実権はこっちに・・・という予定が、義昭が叛意を見せたので追放しちゃった。
その後も義昭に「許してやるから京都に戻って来い」的なものを送っているんだけど、
結局受け入れられず、室町幕府終焉をしちゃったんだよな。
というのをどっかで見たような気がする。
0275人間七七四年
2008/07/29(火) 13:30:55ID:brVUOdUG戻って来い、なんて言ったっけ?
一瞬、天皇、将軍、信長、っていうすごいやりとりがあって、
このあたりはもっと研究されるべきなんだろうけどね。
273が言う、キリシタン追放綸旨、って頃の話かな。
0276人間七七四年
2008/07/29(火) 18:21:20ID:wKlbwkFJ信長の横死によって全くわからないからどうしようもないが、少なくとも
安土城の構想と大阪城−桃山城構想は一貫していると考えられるか
ら、実際にああいう形での朝鮮出兵を行ったかどうかはともかく、案外
似通っていたのかもしれないね。
>>274
初耳だよな。
毛利にしても最初は持て余してたし、更に上杉や武田も必死で手紙乱
発したし、信長にしたらうっとーしいというか、家臣の手前も即刻首を落
としたかっただろう。
0277人間七七四年
2008/07/29(火) 20:20:43ID:LO5LebPX0278人間七七四年
2008/07/29(火) 23:09:08ID:y4ayOTlY0279人間七七四年
2008/07/30(水) 02:28:43ID:uo5OeJgY織田信行が天下をとってもいいかなと思う。
0280人間七七四年
2008/07/30(水) 02:43:45ID:rsDe6d0f能力次第でしょうね
もし
信玄家康みたいな才能だったら
織田が天下を取ったかもしれん
信長との違いは本願寺、宗教勢力の対応の差ぐらいでしょ
0281サイコメトリー
2008/07/30(水) 09:09:03ID:NTwcF8mZ悪い意味じゃないけど、信行でもって考えをしてしまえば、キリがないと思うよ。
戦国大名の領地拡大のポイントは、軍の戦闘力や戦略でなく機動力にあると思う。
つまり、タイミングに応じて臨機応変に軍を進退出来るか否か、戦術の一環では
あると思うが、信長はそれが非常に得手だった。信長不在で考えた場合でも、京
掌握を中心に自軍をより機敏に機動させる事が出来る者が一番天下に近いと思う。
0282人間七七四年
2008/07/30(水) 11:47:57ID:CrmNb8/2>>280
信長と信行は、生まれた国が同じだけだろ。能力・資質は段違いだ
家康みたいな才能だったら、信長のように中央の強豪を倒して大勢力を築くまで行かないだろう。
0283人間七七四年
2008/07/30(水) 12:21:16ID:40rzBZxf無駄をなくして、がむしゃらに働くバイタリティがない。
0285人間七七四年
2008/07/30(水) 18:12:58ID:aqSCiPzVなんか変な言い方。
ちなみに、信長は一騎がけとか無謀な行動が多くて
それと軍全体の機動力とかは全然別だよ。
信長が機動力に長けた、得手、なんてちょっと違うと思う。
0286人間七七四年
2008/07/30(水) 19:27:25ID:+mFXniOq季節に縛られにくい軍制と、経済力かね
0287人間七七四年
2008/07/30(水) 19:33:33ID:Ox31wdYKこのコテは時たま、いい事言うから困る
信長の凄い所は政治云々じゃなくて軍事行動、それも速戦
機動力というが行軍速度は並、何が早いかと言うと情報を得てから部隊を展開するのが頭抜けて早い
それによって長篠のように有無を言わさずに後詰決戦に持ち込めたりしたと
わかりやすく言うと秀吉の中国大返しを幾度もやっていたのが信長軍
関連して、昔は信長は兵農分離が出来ていて常備軍使って数個軍団で多方面作戦が出来たといわれるが
兵農分離も並程度で実際は与力をたらい回して兵力をやりくりしてた訳で、兵力の編成と再分配も早くて上手い、
それを可能にしたのは信長の決断力もあるが、トップダウンで命令を下せる合理的な軍制と
それの元になる中央集権の確立
その観点から見ると軍制・中央集権ともに立ち遅れていた毛利島津の西国勢は厳しく(長宗我部は論外)
先進国の東国勢は有利、特に自力で近代大名手前まで行った北条を押したいところだが
地理的に見てやっぱり今川が第一候補かなと思う、(第二候補はこっそり朝倉)
もちろん今川が追加21条のごとく第二第三の改革を推し進めていくのが前提だが
0288人間七七四年
2008/07/30(水) 20:39:50ID:rrxJOp9R下剋上が当り前の戦国時代には
たしかに優れた政治力よりも軍事力が優れてる奴が天下をとるね。
戦国前期の中部の旧大名
(北条、武田、上杉、今川など)
は政治力は優れてたけどちょっと平和ボケしてる。
でも政治力の無さすぎもダメだな、
織田信長は包囲されるは謀反起こされるはでちょっと政治力が足りない。
0289人間七七四年
2008/07/30(水) 20:49:34ID:rsDe6d0f外交政治をやり尽くして
最後にトドメを刺す行為が戦争だよ
戦争は事前の外交戦略でほぼ勝敗は決している
戦はただの祭りで自国の宣伝活動でしかないw
一番大事なのは
情報戦略
情報を流布することで
負け戦を勝ち戦にできるし
兵の数も誤魔化すこともできる
これもすべて政治外交なんだよね
戦国時代の経済は領土を広げればおいおい付いてくる
0290人間七七四年
2008/07/30(水) 20:51:59ID:40rzBZxf明智が丹波攻めてて後一歩で落城だったのが、信長の命令で本願寺攻めの援軍に回されるとか
使い方が荒い。
嵐で朝倉が油断してる所を奇襲とか、独裁だからスピードがあるしかなり無理して家来を使ってる。
0291人間七七四年
2008/07/30(水) 21:09:55ID:rrxJOp9R自分が言ってるのは領国支配能力。
織田信長はたしかに物凄い速さで勝ち抜いたけど
その後の事故処理?のようなことが余りうまくできてない。
それと信長の能力に家臣達が追いつかない。
0292人間七七四年
2008/07/30(水) 21:16:24ID:1mCV4VTwその失敗は、彼の長所からきてる必然のように見えてしまうからなあ・・
上で、事後処理がうまくないとか書かれてるけど、
速度を優先したが故に、根回しとか・・
いろんな調整に時間を全然かけてないんだよな・・
周りが敵だらけになったり、裏切りをあれだけ受けたのもその為なんだろうけど、
そんな事やってたら、30年であそこまではたどり着かなかっただろうなあ。
0293人間七七四年
2008/07/30(水) 21:34:58ID:rrxJOp9Rその典型的な大名が
毛利元就。
まあ毛利は頑張って四国平定だけど、
織田信長はあれだけの才能があったんだから中部と関東の平定は出来たかもしれない。
その後は織田信忠しだいだけど。
0294人間七七四年
2008/07/30(水) 21:47:03ID:1mCV4VTw逆に、信長が元就の孫(輝元のかわりに)として生まれてたら、
10年くらいで天下取っちゃってたかもしれん。
逆に国がデカイから、軍政改革とか中央集権化に手間取ったとしても、
20年くらいで。
0295人間七七四年
2008/07/30(水) 21:55:45ID:aqSCiPzV基本は、謀略、計略、そういうので相手を裏切らせたりするわけで
単純な軍事力とか機動力ってのはちょっとゲーム感覚だと思うよ。
味方の兵だって消耗品じゃないから下手に失ったら国力が低下
するだけ。
信長だってそういう諜略でずっと勝ち上がってきたわけだし
まともに戦った合戦では案外勝ちきり方がヘタクソ。
毛利とか今川とかは、別にどうしてそんなに評価されるのか
わからない。
中世的には支配能力があったかもしれないけど、戦国に入って
からは没落するのが当然みたいな評価だけどな。
0296人間七七四年
2008/07/30(水) 22:12:58ID:zWEbFpo20297人間七七四年
2008/07/30(水) 22:39:50ID:5AHSOotC信長は今川を破った寡兵を除けば
ほとんどの戦闘において圧倒的な戦力で敵を叩き潰している。
どちらかといえば戦術より数にものを言わした戦い方が基本。
0298人間七七四年
2008/07/30(水) 22:49:19ID:e6yb6Vsk逆だろ。信長は事前の調略その他を含めた準備が非常に用意周到だった。
信長の速戦を支えていたのは、行動に移るまでの徹底した事前の下処理があってこそ。
この好例が朝倉浅井滅亡戦。
>>297
よく言われるけどねそれ。実際に信長が数で圧倒する戦争をするのは美濃征服後。
それまでは、基本同数か寡兵で尾張美濃を征服した。
信長の後半を見ると確かに大兵による押しつぶしが多用されているが、そんなのは
大兵力を整えられる者なら誰もがやりたがる兵法の常道であって、多数の兵力が
揃えられるのにわざわざ小数にするマゾは普通いないよ。
信長は、少数の兵でも多数の兵でも指揮統率して戦える武将だってだけ。
0299人間七七四年
2008/07/30(水) 22:55:29ID:p5wKV7Pf関東に兵を出し北信で武田と対峙し北陸で一向一揆と戦えた
織田家は熱田津島湊を支配する事による収益でたかが尾張下四郡の半国
大名でありながら駿遠三の今川家と信秀の代より延々と戦を展開できた
毛利家は高橋を滅ぼし木材を押さえ、吉川に養子を送る事により鉄を支配し、
海の小早川を取り込むことにより木材鉄の流通路を確保し、赤間が関と鞆湊、
美保の関、石見銀山を確保することにより地方覇権型大名としては異様な
経済力を身につけた
阿波讃岐の三好は淀川水系を支配する事により何度でも畿内に蘇った
兵は米を食うし、武器を作るのには材料がいるし、米にも武器にも金がかかる
経済が成り立たなければ謀略も軍事もなにもない
金がない大名が無理をすればどうなるかは武田をみればわかる
0300人間七七四年
2008/07/30(水) 23:10:52ID:uo5OeJgY信長のようになれたような気がするんだけど。
まったく目がないってことはないんじゃないかな?
0301人間七七四年
2008/07/31(木) 06:50:36ID:4mNOb58k人望があったら織田信長のようにはならないだろ。
信長の能力はうつけ生活をしてあるようなものじゃないか?
0302人間七七四年
2008/07/31(木) 09:05:30ID:dJKC4hcSそうそう、信長が旧宗教勢力と戦ったのは経済的既得権を
かけての争いで、金が大事、みたいなのをわかってたのは間違いないだろう。
軍事面からばかり語られるのは残念なんだが、長命だった場合、どのような
経済的政策、中央集権的統括、をしていたか、これには興味があるところ。
たぶん、宣教師あたりの知恵を借りてたろうな。
最新の論では、信行が古参家臣、信長が新興家臣、みたいな対立から
その家督権争いが展開されてる。
津島湊の支配権を持ってたことといい、信長はうつけ、というのは
行動力もあるしお金も持ってる、若い家臣団から見たら素晴らしい若殿
だったに違いない。だから命がけでついていったのだろう。
このあたりを、金持ちのヤンキーの隊長、と言ったらボコボコにされたことがある。
でも馬で一騎がけとか、ほとんど族のトップとかわらないと思うのだが。
今だってバイク乗りが警官になって白バイ隊に配属されたりするもんね。
もう少しよく言えば、営業&警備部長に大抜擢された社長の息子、ってとこか。
0303人間七七四年
2008/07/31(木) 11:40:23ID:6SduS998軍事訓練でカカシの真似して鳥を狩ったり、かなりの早熟で独創的。
信行が家督ついでもそれなりに勢力拡大できると、上のレスあるけど
天才と普通の人では結果が全然違うよ。
0304人間七七四年
2008/07/31(木) 18:07:59ID:vSvDbphSもう一度、桶狭間の時点に戻して 再度、統一に挑戦したら
10中8,9 失敗しそう。
0305人間七七四年
2008/07/31(木) 18:11:05ID:lu1heXXz0306人間七七四年
2008/07/31(木) 18:14:16ID:vSvDbphS義元が上洛する事に北条も武田も了承していたわけだろう。
なら、 桶狭間さえなければすんなりと上洛でき 当時の将軍を
補佐していたと思われる。
ただ、室町体制で 昔ながらの管領制となり、徳川幕府のような
中央集権国家では無いだろうけど。
0307人間七七四年
2008/07/31(木) 19:08:07ID:EQuS3G60そんなもん誰だって同じだろ。
秀吉を本能寺の時点に戻してもう一度やり直させたら、やはり失敗に終わる可能性は大きくあるだろう。
家康を三方ヶ原の時点に戻してもう一度やり直させても、やはりどこかで失敗する可能性はある。
0308サイコメトリー
2008/07/31(木) 19:41:32ID:LT9au2hfこのスレはもう11段目には入っている分けですから、そろそろ定義を再確定し、
候補者を絞ったらどうでしょうか?
例えば、寿命(病死)で死んだ大名武将は省くとかさ。
0309人間七七四年
2008/07/31(木) 19:58:28ID:lu1heXXzら義元は上洛できたか否か?
0310人間七七四年
2008/07/31(木) 20:12:10ID:4ALh01gf0311人間七七四年
2008/07/31(木) 20:13:43ID:6SduS998もう一度戦国時代を繰り返せば、まったく違う人間が活躍してる。
池田家では長男戦死、次男輝政が相続する。
武田では、長男自殺、次が盲目などで4男の勝頼が相続。
結局運の良し悪しみたいな感じで、たまたま生き残った奴が出世してる。
能力では信長は飛びぬけてるし、堅実さ、安全性では家康が際立ってる。
でも、大半の武士はたまたま結果論みたいな感じでしかない。
畿内の先進地域を支配した者の中から、次の有力者が生まれる。
今川義元は、42歳で70万石。それから300万石以上に増やせるかはわからない。
金が増えれば贅沢になり、それ以上の向上心がなくなるかもしれない。
0312人間七七四年
2008/07/31(木) 20:21:00ID:P9jL24C2散々上で言われてるけど、
信長は、尾張、美濃に加えて、幾内を押さえて、
更に、宗教勢力と対立してまで、経済搾り取ってなお、
包囲網でギリギリだったんだよね?
信長みたいな天才でさえ・・
そう簡単にいくもんなのかな?
0313人間七七四年
2008/07/31(木) 20:34:23ID:spnj0Woi桶狭間の時点で義元に上洛の意思がなくても、
桶狭間で戦死しなければ、義元が数年以内に尾張を併合するのは確実だし、
信長と関係なく義輝暗殺事件は起こり、義昭は越前に逃げる。
朝倉が上洛しようとしないのは史実と同じだから、
結局、義昭は、尾張まで併合している今川に転げ込んで上洛を要請する。
0314サイコメトリー
2008/07/31(木) 20:35:09ID:LT9au2hf石高では計りえないのが、戦国時代(戦国に限らないか)
東北5国治めてる大名よりも、摂津の一地方治めていて、朝廷に通じていて
官位もらっている者の方が事実上、立場は上かな。
よく島津や伊達が極地を支配しながら、統一する可能性なんて話が出るが、
正直、信長の野望ゲーじゃなきゃまず無理でしょうね。
0315人間七七四年
2008/07/31(木) 20:36:16ID:CukUP2iv考察するのがはやりなの
0316人間七七四年
2008/07/31(木) 20:38:55ID:4ZexbWIS無理w
信長がいなくても
義元じゃ上洛できないでしょ
三国同盟結んで6年間なにやってたのってことw
織田を潰すなら信秀の代のがチャンスはあった
織田は斎藤と今川に挟まれ身動きとれない状況で疲弊してただろう
で斎藤、今川は全盛期、家臣団も整っていた
桶狭間の段階では検地を実施し領内は整備されてはいたが
いざ軍事となれば人材も乏しく上洛の期をのがしている
その間
信長は家中の問題を処理して
尾張を統一してるから
この時点で信秀の代より強国で
経済豊かな尾張は一国でも大大名なわけだなw
意外と義元は織田家を恐れ
半ば上洛を諦めてた可能性がある
0317人間七七四年
2008/07/31(木) 20:45:52ID:P9jL24C2義元の尾張侵攻のタイミングって、
ある意味ではベストタイミングだったんじゃない?
たしかに遅かったといえなくもないけど、だからこそ大軍ど動員できたわけで、
信長は尾張統一直後で、まだ大軍の動員なんか到底出来ない状況。
桶狭間が有名なのは、大逆転だったからな訳で、
逆に言うと、順当にいけば、まず信長は負けてたって事でしょ?
結果敵には、戦術的には致命的な大失敗をしでかした訳だけど、
戦略的には成功していた。
0318人間七七四年
2008/07/31(木) 21:27:22ID:4ZexbWIS桶狭間の前の段階で
織田が攻勢に出てて鳴海城がやばかった
この戦いは織田家に対する今川の反攻戦でしょ
決戦場も定かでなく
今川の兵も各砦の抑えのため分散していた可能性がある
で信長は今川本陣に対して数でゴリ押しってとこでしょ
これは奇襲じゃなく必然で
相手の領内に攻め込むのだから砦とかの抑えのため
兵を割くのは当たり前のこと
桶狭間はガチな局地戦だったんじゃない
戦前、外交政治戦の下準備の段階もなかったみたいだし
0319人間七七四年
2008/07/31(木) 22:20:51ID:YcNVjQqB信長の反抗が思いのほか激しかったから多少準備不足でも踏み切ったんだろ
発注した武具を一年前倒しして納入しろと、氏真の書状が残ってたはず
0320人間七七四年
2008/08/01(金) 09:41:13ID:oY/fVI/0最初に攻めたりしたのは信長のほうで、今川は別に上洛しようと
思って進入したわけじゃない。
あくまで反攻であり、それもかなりの局地戦に終始したはず。
なので、巷間言われてるほど直接軍の人数に差は無いし
奇襲なんて持ち出さなくても、そういうゲリラ戦に強かった信長
は、自信はあったはず。
313が義元が数年以内に尾張併合、ってのはなんの根拠?
信長がいなくても叔父とか信行あたりが津島湊の膨大な
利益を背景に強力な尾張国を作り上げてただろうし、
このあたりはイフのイフだから、確実、なんてことはいえないはず。
義元をやけに高評価してるけど、敵地の戦場で「緩々」するような
武将なら信行ぐらいでも十分に対等でしょう。
0321人間七七四年
2008/08/01(金) 11:11:18ID:BcioJJFr0322人間七七四年
2008/08/01(金) 12:27:00ID:T77hZsIG信行では、織田信友にも勝てなかっただろう。
まして村木攻めや桶狭間の真似ができるわけがない。
まあ、信友と抗争しているうちに、東から順調に今川に侵食される。
水野も早期に離反。
0323人間七七四年
2008/08/01(金) 14:56:28ID:n/B3x7g+厳しいぞ、相手は日本最強クラスなんだから。
ちなみに信行に勝った時の信長の武器は「大音声」だぞ。
あそこは何回見ても笑えるなー。
0325人間七七四年
2008/08/01(金) 19:56:26ID:1g2Yn+Ds0327人間七七四年
2008/08/01(金) 20:30:41ID:gDQo1Lv3今川氏親を支えたのが早雲だからw
氏親の要請で早雲がわざわざ西三河までいって
松平と戦ったみたいよ
今川を戦国大名化させのも氏親で
今川の全盛期はこの代でしょ
なんだかんだで尾張まで影響力発揮してたらしいから
晩年、寝たきりで権威を振るうだけで
行動を起こせなかった
もし元気だったら尾張を平定してたかもね
0328人間七七四年
2008/08/01(金) 22:32:35ID:oJ5HNmFp誰が?
兵の地力では、並以下だと思うが。
それに当時の力関係は明らかに今川の方が上。
尾張は経済や石高はそれなりにあるが、それと人口や兵数が同じじゃない。
0329人間七七四年
2008/08/01(金) 22:43:33ID:JA6Fd8tWあまり細かい点には踏み込みたくないけど、兵の地力、というのは
どう判断するの?
信長VS義元限定だと、小数なのに負けたほうのほうが弱いのじゃないか、普通。
あと、尾張の経済ははっきりしてないが、信秀の時の内裏修理にとんでもない
金額を出してる。
これから判断して史料が無いだけで、尾張はかなりの国力と判断したほうが無難。
ちなみに伊勢神宮修理の時にもすごい献金してて、持続的なそういう富があったはず。
ちなみに公記にある桶狭間の45000人はさすがに信憑性がないと思うが
最近はどうなってる?
桶狭間の前には織田から軽く攻めてるし、一般で言われるほど今川がでかい、
というのは逆に信長を大きく見せようとする最近の俗説、という気がしないでもない。
ま、そんな大国なのに、あっさり「緩々」して負けたというなら、信長の有無にかかわらず
天下なんか取れなかった、というのが普通だろうけど。
0330人間七七四年
2008/08/01(金) 23:12:16ID:KeGAQZxX言われてるよね。
だいたい昔から思われてるのは兵力はバブリー過ぎない?
武田の全盛期でさえ2万がやっとだった。(これすら連合軍)上杉に至って
は終始8千程度軍勢で万を超える軍勢をだしたのは謙信の最晩年だけだ。
北条などの確りした動員記録の資料見れば兵2万なんてのはちょっと信じが
たいね。
0331人間七七四年
2008/08/01(金) 23:24:27ID:NEjO1xjA北条のものが、凄く精度が高く、量も膨大らしいね。
今川に関しては、大国かどうかは分からんけど、
先進的な国だったってイメージがあるけどな。
仮名目録のような、先進的な法をいち早く作成し、
海洋交易を含めた、経済主導体制を持ち、
後の江戸幕府の官僚団の母体になった、家臣団を有していたわけで。
0332人間七七四年
2008/08/01(金) 23:31:43ID:BcioJJFr0333人間七七四年
2008/08/02(土) 00:43:57ID:o8wgP6ib家柄の権威で一目置かれただけだろ
武田北条織田も徹底的に戦うのを避けてたかもね
0334人間七七四年
2008/08/02(土) 08:10:57ID:QGaIFYU2最大動員数で宣伝するのも常套手段だし、いくら同盟関係といえども少ないとはいえ
武田北条への備えもいるから非常態勢として砦に籠もるぐらいはするだろう。
全軍が前線に出てくるわけじゃないよ。砦全部落として清洲の前面に押し出してきたと
してもやはり2万全部は無理だろうし。
0336人間七七四年
2008/08/02(土) 11:03:08ID:P77IchqR0339人間七七四年
2008/08/09(土) 19:24:49ID:ayVJPQS+光秀のせいにして
0340人間七七四年
2008/08/10(日) 17:07:10ID:zDMaUKp+秀吉が光秀を利用した確立は高いだろうな。
現に光秀は中国方面に行こうとしてたんだし。
0341人間七七四年
2008/08/10(日) 17:30:46ID:tGCofQA20342人間七七四年
2008/11/02(日) 01:08:10ID:15suSBx9■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています