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武田家滅亡の原因は100%信玄が作ってる件その2

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0001人間七七四年2008/02/11(月) 21:26:56ID:XqRbQ7KP
立てた。
0064人間七七四年2008/02/19(火) 23:55:22ID:VXhfmrik
>>63
アホですか?
秋山の侵入が先なのになぜ背信行為とかになるのか意味不明。
人のレスを読め。
秋山の侵入が徳川に危機感を抱かせ、武田家に対する不信感を植え付けたって書いてあるだろう。
日本語がわからないのですか?
0065人間七七四年2008/02/19(火) 23:59:04ID:KggvdTXm
>>62
むかついたって・・・
岡崎派閥と浜松派閥の確執説じゃないの
0066人間七七四年2008/02/20(水) 00:03:10ID:UidaDws/
>>64
わかってるといってるだろう。
秋山の侵入の後で信玄は謝ったし兵も引かせた。
まずこの事実をちゃんと見ろ。
信長に対しても家康に遠慮して遠江に入るつもりはないと説明してる。
そして家康もこの時からしばらくは武田に対して不穏な動きは見せていない。
だが家康は信玄が4月24日に駿河から一端撤退してすぐに戻ってくる気配が
ないとみるや5月17日には掛川の今川氏真に対して武田の取り分である駿河に
戻してあげるから掛川城を渡せといっているんだよ。
これが武田が北条との戦いにかかりきりになっている状況を利用して自分の勢力拡大を目指そうとする
背信行為でなくてなんだという。そちらこそちゃんとレスを読め。
0067人間七七四年2008/02/20(水) 00:07:56ID:O6f9NGt9
>>66
だから、そんな言い訳が信用できないから家康が手を打ったんだろう。
配下の重臣が軍を率いて堂々と侵入するのは当主の命令がないと無理。
もし織田の明智が数千を率いて信濃に侵入すれば普通に同盟破棄だろうに、
なぜ武田になると基準が甘くなる?
0068人間七七四年2008/02/20(水) 00:13:57ID:UidaDws/
>>67
当時の遠江は武田の信濃におけるほど確定した家康の領土じゃないだろう。
そのまだ自分の領土じゃない領域に対して同盟相手の軍が一時的に入り
それに対して注意したら相手はすぐさま兵を引いて謝ってるんだぞ。
この間わずか5日。そして5ヶ月後にその同盟相手が駿河から兵を引いて
すぐに戻ってきそうにないと見るや敵対してる相手にその同盟相手の取り分である
はずの駿河に戻してあげるから掛川城渡せ、というのはおかしくないのか。
なぜここで徳川の行為はスルーされる。

ちなみに織田でいうなら織田が武田の西上前の同盟時に両属の遠山氏を完全に支配化に
組み込んでいるのは大抵甘くなるんだけどな。
0069人間七七四年2008/02/20(水) 00:15:09ID:UbZyVJph
>>52
横からだが
多分嘘というのは家康の(ほぼ)三河統一を66年としていることだと思う

>>66
謝って兵を引いたぐらいで不信感が消えるわけないだろう
国力が互角ならまだしも、武田と比べると半分程度の国力である徳川としては
いつ武田に攻められるか、そして攻められたら単独では勝てないのだから
何らかの安全保障を必要とするのは当然だと思うが
0070人間七七四年2008/02/20(水) 00:19:06ID:UidaDws/
>>69
その安全保障というのが武田が駿河から兵を引き、北条との戦いにかかりきりに
なっている状態を見て、今自分が攻めあぐねている掛川城にこもる今川氏真に
駿河にもどしてあげるから掛川城渡せ、と持ちかけて開城させることだと?
どう見てもこの行為は徳川が武田が北条との争いにかかりきりになっている状況を
掛川城を手に入れるために利用し、あわよくば駿河をもめざす為の配慮としか見えないんだが。
0071人間七七四年2008/02/20(水) 00:19:20ID:UbZyVJph
>>68
>なぜここで徳川の行為はスルーされる。
別に誰もスルーしてないと思うが

>組み込んでいるのは大抵甘くなるんだけどな。
意味がよくわからないが、何が言いたいんだ?
0072人間七七四年2008/02/20(水) 00:19:42ID:O6f9NGt9
>>68
>当時の遠江は武田の信濃におけるほど確定した家康の領土じゃないだろう
武田と徳川が同盟を結ぶ際に「大井川を境に」という取り決めはあったのに?
開き直りでしかないよそれ。
それを言うなら徳川が駿河に侵入しても問題ないだろうに、キミは「背信行為」と言う。
見事なダブルスタンダードじゃん。
0073人間七七四年2008/02/20(水) 00:22:08ID:vc9HElhc
>>68
約束破っても謝っておけばそれですべて済むとお考えで?
家康が対武田を考慮し実際に行動に移すのはすべて信玄の約束破りから。
0074人間七七四年2008/02/20(水) 00:22:09ID:UbZyVJph
>>70
安全保障というのは上杉との同盟の話のつもりで書いた
0075人間七七四年2008/02/20(水) 00:23:25ID:UidaDws/
>>71
スルーしていないかもしれないがかなり話の展開が飛んでいる。
掛川交渉はどう見ても家康の領土拡大の行動にすぎんだろうが。安全保障じゃなくて。

>>67が織田の例をあげたのでね。
織田がやってることも背信行為にあたるはずなのに大抵スルーされるか甘くなるという例だよ。
0076人間七七四年2008/02/20(水) 00:25:10ID:UbZyVJph
>>70
掛川に関してはこの時期には既に武田と徳川はほぼ敵対みたいな関係になっていたから
別に徳川が何しようと仕方ないんじゃないか?
でその敵対の原因は武田の盟約違反にあると

まあこの敵対関係は織田の仲介でいちおう小康状態になったけど
お互い相手を信用していなかったんだろうな
0077人間七七四年2008/02/20(水) 00:25:45ID:O6f9NGt9
>>75
>>73の「約束破っても謝っておけばそれですべて済むとお考えで?」はどう答える?
0078人間七七四年2008/02/20(水) 00:26:14ID:UidaDws/
>>72
ダブスタはそっちだろう。
信玄が無謬なんていわん。だけど徳川にも状況を見て自身の領土拡大を
目指そうとする意思は明確にあった。戦国乱世の常道。
武田が一回侵入したのも事実ならその後その問題が収束してるのも
武田がいなくなった状態を徳川が自身の領土拡大に利用してるのも事実というだけだ。
0079人間七七四年2008/02/20(水) 00:28:33ID:O6f9NGt9
>>78
信玄の侵入はきれいな侵入、兵を引けばすべてはなかったことに。
徳川の侵攻は汚い侵攻、すべては領土拡大を目指す行動。

ダブルスタンダードなうえ開き直ってる。
0080人間七七四年2008/02/20(水) 00:28:59ID:UidaDws/
>>77
これから答えるさ。こっちもリロードとかが追いつかないんでね。

>>73
ならばその行動が武田の謝罪と撤兵を受け入れ、5ヶ月も平穏に過ごし
武田がいなくなった後でその状況を自身の勢力拡大に利用しようという行動で
なければまだ説得力もあろうが。
0081人間七七四年2008/02/20(水) 00:29:50ID:UbZyVJph
>>75
話の展開が飛んでるのはあなたのほうじゃ
まず最初に武田の違約があったことを踏まえずに掛川の事例だけ抽出しても
意味ないと思うが

>織田がやってることも背信行為にあたるはずなのに大抵スルーされるか甘くなるという例だよ。
状況が違いすぎると思うが・・・
0082人間七七四年2008/02/20(水) 00:30:50ID:O6f9NGt9
>>80
だから、盟約破った時点で不信感が生まれたんだろう。
5か月も平穏と言うが、武田はすでに信用できない相手と考えてるからそのあとの行動に移ったんだろう。
0083人間七七四年2008/02/20(水) 00:31:21ID:UidaDws/
>>79
別に武田の行動を綺麗だなんていってないが?勝手にいうのはやめてもらおうか。
武田の行動が汚いというなら徳川の行動も汚い。
どちらも領土拡大を目指した背信行為のやりあい。
だけどなぜか徳川の行動はスルーされる。
そしてそんな相手が武田の後背を脅かす危険性についても。
0084人間七七四年2008/02/20(水) 00:33:51ID:O6f9NGt9
>>83
だから、先にやったのは武田だからだろう。
徳川が先に仕掛けたのなら盟約違反は徳川になるが、
先に盟約違反したのは武田だから、
そのあと徳川の行動を責めるのはおかしいじゃん。
なぜそんな簡単な社会常識も理解できない?
0085人間七七四年2008/02/20(水) 00:34:17ID:UidaDws/
>>81
だから踏まえてるといってるだろう。
進入の後で謝罪撤兵、信長へも家康に遠慮して遠江に入らないという申告してる事、
5ヶ月平穏だったこと、これらも踏まえずに掛川の事例もみないで
徳川の行動と危険性がスルーされるのはおかしいといってる。
0086人間七七四年2008/02/20(水) 00:35:56ID:UbZyVJph
>>80
武田はいきなり不意ついて襲った前科あるから、
徳川の行動はある意味当然だと思うが
0087人間七七四年2008/02/20(水) 00:36:16ID:O6f9NGt9
>>85
>だから踏まえてるといってるだろう。
これまで何人の人が「武田が先に盟約を破ったから」と言ってるのだけど、
そこは理解できる?
「先に盟約を破った」ということの意味は理解できる?
0088人間七七四年2008/02/20(水) 00:37:53ID:UidaDws/
>>82
謝罪も撤兵も受け入れ5ヶ月平穏で武田がわざわざ苦境にある状況で
動き出しているのにそれが何故徳川に野心はないといえる。

>>84
社会常識というならその相手が謝罪も撤兵もしてさらに5ヶ月の間には普通に
共同作戦も進行させて、その相手が苦しくなったのを見計らって
自身の領域拡大に利用してる行動が何故きれいだといえる。
優秀な戦国大名としての策謀だろう。
0089人間七七四年2008/02/20(水) 00:37:54ID:UbZyVJph
>>85
>5ヶ月平穏だったこと、
平穏だったか?
お互い他に主となる相手がいるため行動出来なかっただけじゃ
0090人間七七四年2008/02/20(水) 00:41:32ID:O6f9NGt9
>>88
だから「先に盟約を破った」という言葉の意味理解できる?
武田に不意をつかれたのは徳川。
戦略方針の転換とそのための準備は必要だろう。
そもそも徳川だって遠江の制圧が最優先問題だから、
武田に対する備えができても攻めることは無理だろう。

というか、なぜそこまで無理な擁護をするのか意味不明。
0091人間七七四年2008/02/20(水) 00:42:24ID:UidaDws/
>>86
状況利用して自身の領域拡大につなげてる時点で
当然とも思えないが。少なくとも安全保障という感じではないだろう。

>>87
理解もしてる。そしてその後の行程も理解してる。
さらには家康の掛川交渉における行動が綺麗とは言えないことも理解してる。

>>89
普通に書状のやり取りしてるように見えるが。
0092人間七七四年2008/02/20(水) 00:45:13ID:UidaDws/
>>90
なんかずれてるなあ。擁護じゃないんだって。
武田を汚いといいたいならそれでもいいと言ってる。
だけどどう見ても徳川の行動は安全保障の域を超えてる、
自身の領域拡大を目指した策謀だといってる。
準備期間がどうとかという問題じゃなくて武田が駿河からいなくなって
戻ってきそうにないのを見て動いてるだろうといってる。
0093人間七七四年2008/02/20(水) 00:46:39ID:O6f9NGt9
>>91
>理解もしてる。そしてその後の行程も理解してる。
>さらには家康の掛川交渉における行動が綺麗とは言えないことも理解してる。
理解してないじゃん。
武田が先に盟約を破ったのなら徳川だって律儀に守る必要はないだろう。
キミの「遠江はまだ完全に徳川家の領地じゃないから侵入オッケー」
という理屈が通用するのなら
「駿河はまだ完全に武田家の領地じゃないから交渉の材料に使うのはオッケー。どうせ空手形だし」
も問題ないはずだろう。
なぜそこでダブルスタンダード?
0094人間七七四年2008/02/20(水) 00:48:24ID:UidaDws/
>>93
いや、両方を対等に見て汚いというならそれでいい。
その二つが並列するなら問題ない。
ただ徳川も状況を利用してやれることはやろうとしてるという事を理解して
もらえりゃそれで十分。
0095人間七七四年2008/02/20(水) 00:51:29ID:UbZyVJph
徳川が安全保証の域を越えて本気で武田領を狙うというなら
1569年1570年の武田が北条(と上杉)と敵対している時期に
北条上杉と同盟して武田と敵対すべきだったのに
信長の和睦受け入れて武田とは休戦状態で自ら攻めこむようなことはしなかったからなー
(信長を配慮してか武田との国力の差からかはわからないけど)
0096人間七七四年2008/02/20(水) 00:54:06ID:O6f9NGt9
>>94
だから「先に盟約を破ったのは武田」という言葉は理解できる?
先に破った方が悪いに決まってる。
並列する問題じゃない。

というか、キミのその独りよがりのこじつけ理論としつこさは
上洛スレの武田厨にそっくりだな。
まさか本人?

だったらもう相手しない。
一人で妄想してろ。
0097人間七七四年2008/02/20(水) 01:01:46ID:UbZyVJph
>>91
普通に武田と徳川は敵対関係に入っていったって感じだと思うが
まさか兵を引いて謝ったからもとの同盟状態に戻ったとでも?

だいたい本当に秋山が見附あたりまで進出して徳川の兵と交戦したというなら
掛川にいる徳川は退路たたれて、
もし武田本軍が遠江に進出してきたら方位殲滅されかねない状況にさせられているのだから
徳川からすれば武田が本気で自分たちに敵対しようとしていると思われてもおかしくないんじゃ
秋山が苦戦したのか武田本軍が今川残党や一揆のせいで動けなかったから一気に徳川敵対へ
動くことが出来なかっただけとか考えている可能性もあるし
0098人間七七四年2008/02/20(水) 01:02:42ID:UidaDws/
>>95
そう。掛川交渉のあと、武田と徳川はしばらく平穏を保つ。
まあこの間は家康も信長の畿内戦に借り出されたりと忙しかったからな。
そんでしばらくは徳川も平穏だったのだけど1570年10月にいきなり
上杉と同盟しちゃうんだわ、これが。
北条との駿河争奪戦を有利に進めかけていた武田はこれを受けて
北条との戦いの最中に背後をつかれる事を避けるため
1571年に北条の駿河における要衝である深沢を攻略した後で
徳川遠征に出る事になる。
0099人間七七四年2008/02/20(水) 01:08:27ID:UidaDws/
>>96
並列するに決まっているだろう。
君自身が言ったんだろう。
武田の理屈が通るなら家康の理屈も通るって。
無理して切り離しているのはそっちだろう。

>>97
とりあえずそこまで急激とも思えないが。
0100人間七七四年2008/02/20(水) 01:19:59ID:UbZyVJph
>>94
両方対等にみるなら
最初に違約した武田は汚いこれだけは確実で
あとは武田も徳川も大名として当然の行動している程度にしかならないと思う

>>98
恐らく武田が駿河をほぼ占領し始めたため、武田に対して危機感を抱きだしたんだろう
69年後半や70年前半は武田は北条と激戦繰り広げていて徳川に構う余裕がないため
徳川の安全は保障されていたが、駿河での情勢が徐々に武田有利となってきて
また武田が徳川領に攻めこんでくる可能性が出てきたと
だから自分の安全を守るため取りあえず上杉と同盟を結んだといったところかな?

徳川は織田と武田が敵対するまでは武田が割と不利な状況になっても
積極的に武田領に攻めこむようなことはしていないし、
織田と武田の同盟も考慮していた可能性もあるから、専守防衛とまではいかなくても
自分の安全保障のための行動だったのかもしれん

もっともその徳川の行動は武田から見れば十分敵対行為に映るがな
北条上杉と敵対して不利な情勢だから今なら倒せると思って徳川が敵に回るという可能性は
十分考えられる、今は攻めてきてないけどいつ攻めてくるかわからないし、だったらと・・・

まあ一度不信感が生まれた以上はちゃんと婚姻とか人質をお互いに出すとかしないと
難しいんだろうな、徳川に他に攻める相手がいれば武田も安心できたんだろうけどさ
いくら信長が両者の間を取り持っても限界はあったんだろう
0101人間七七四年2008/02/20(水) 01:31:50ID:UbZyVJph
>>99
お互い敵対してからの行動は大名として当然の行動だろ

でも最初に盟約破ったのは武田でそれに関しては武田が悪いとなるんだから
並列するような問題じゃないと思うが
0102人間七七四年2008/02/20(水) 01:37:39ID:UbZyVJph
一応北条が駿河に出陣した時期と
秋山が徳川と激突した時期はかぶるから
北条が介入の姿勢を見せたから武田は今回は引いただけにも見えるからなー
徳川としては武田を信用するのは難しいと思う

また武田が北条との戦いに一段落ついたら次は自分じゃないかと警戒もするんじゃないかと
徳川が上杉との同盟を1570年後半まで待ったのは、精一杯の誠意かもしれん
0103人間七七四年2008/02/20(水) 11:08:47ID:T9NRAleD
縁組みしても平気で同盟を破る武田だから信用が無いだけだろう。
何の問題も無く共通の敵を持ってる間はいいけど、
いったん問題が生ずると「また裏切るのか」と思われるのが当たり前。
そもそも徳川の取り分となるはずの遠江の奥深くまで侵入して徳川と交戦した時点で言い訳ができない。
もし北条が介入しなかったらそのまま徳川を滅ぼした可能性もあるから、
徳川も情勢を判断するのに半年近く待ったんじゃないかな。
で、その結論は「武田は信用できない、保険をかけよう」と北条、上杉との連携を模索し始めた。
しかし、「信」が通字なのに信用の無い武田って一体・・・
0104人間七七四年2008/02/20(水) 14:34:50ID:mf4XHb45
>>103
内から向けられた信用を重視した結果外から向けられる信用を無くしたって事ではないかな
つまり近視眼的(ry
まぁそれ以前にこの時期の信玄ですら徳川滅ぼせるはずもなさそうでは?
信長は義昭と親密な時代だし更には北条と敵対して挟撃って事もある
信長とて婿が居て大義名分ある徳川を支援しないわけにもいかんだろうし経済的に信玄より豊かな大名が複数敵に回るのはかなりやばいと思うよ
外交に関する信用云々に関しては全て同意できるが
0105人間七七四年2008/02/20(水) 14:48:12ID:T9NRAleD
それが信玄が謝った理由でしょうね。
騙し討ちで徳川本隊を遠江で討つ作戦がうまく行かず、
北条が駿河に介入して来て信長も仲裁に乗り出した。
ここで徳川攻めを強行すれば織田、徳川、上杉、北条、今川残党による
武田包囲網が誕生してしまう。
0106人間七七四年2008/02/20(水) 20:07:29ID:cWkoaBKY
ID:UidaDws/はやたらと掛川交渉における徳川の領土拡大野心とやらをほざいているが、
この時代の大名なら領土拡大する野心を抱いて当然の事なんだがね。
そもそも武田との今川領を分け合う盟約が領土拡大の為のもので、
最初に武田側から盟約を破棄して進入してきた。
それに対して徳川も対武田外交を展開して対抗。
掛川交渉が武田との盟約違反だというが、武田が徳川領に侵入してきた時点で盟約は白紙なんだから、
武田に非はあれど徳川には非は全くない。
0107人間七七四年2008/02/20(水) 20:40:32ID:UidaDws/
>>106
非が全くないというのは語弊があるな。
盟約が白紙だというなら抗議もせずに戦いを挑むべきだったな。
抗議して相手の謝罪も撤兵も受け入れ5ヶ月放置しといてその同盟相手が
苦境にあって撤兵した時点でその状況をダシにして勢力拡大にしようしたのは
まぎれもなく背信行為だろうが。
0108人間七七四年2008/02/20(水) 21:07:54ID:cWkoaBKY
>>107
遠江平定は完了していない。武田による突然の背信行為。
武田は徳川の倍の国力。対武田同盟を上杉と結んでいない。
頼みの織田は畿内方面に夢中で当てにならない。
この様な状況でいきなり武田と全面戦争できるわけねえでしょ。
一時的にでも武田の謝罪を受け入れてその場を凌ぐ。
武田としたらまた隙あらば徳川領を掠め取ろうとするだろうし、
徳川としたらとにかくこの窮地を凌ぎたいという思惑でのことであって、
双方共に未来永劫この休戦が続くとは思ってねえだろ。
どうにかして一息ついたところで今度は武田が窮地に立っている。
徳川としたらこれは二度とこないかもしれない絶好の好機なんだから武田包囲網に参加するのも当然。
背信行為だとか非難するほどの信頼関係なんて武田・徳川間には全く無い。
片方が窮地に立てばもう片方はそこを衝いてくる。
史実では武田が窮地に立ったわけだが、徳川が窮地に立っていれば武田も迷わずそこを衝いてくるだろうよ。
それともあれか?信玄は徳川との休戦に安心しきって徳川に対する策なんて講じていなかった間抜けなのか?
最初の盟約時ならともかく、自分が裏切りかました後の一時的な休戦なんだから、
この休戦に安心しては駄目なんじゃないのかね?
0109人間七七四年2008/02/20(水) 21:28:08ID:UidaDws/
>>108
だから結局徳川は武田に撤兵を要求するしかなかったし現にそれをした。
それに対し信玄は謝罪して兵も引かせていることを考慮しろよ。
そのまま突っ込む選択肢だってありえた事を考慮しろ。
片方が片方の窮地につけこむ関係だというならそれは武田を非難するのもおかしくなるな。
武田の窮地に対して1569年の5月の時点で徳川がやったのは武田包囲網に
対する参加じゃなくて、武田が窮地に陥っている状況を利用した掛川開城交渉だ。
それで1570年10月に武田が駿河の戦いを優位に進めたのを見て行ったのが
上杉との同盟だ。
武田の窮地を自分の勢力拡大に利用して、武田が力を盛り返したから武田の敵と結んだ、
ただそれだけの事。
0110人間七七四年2008/02/20(水) 22:05:33ID:MD9KPYM8
謝罪すればそれですべてチャラになるなんて虫が良すぎじゃないか?
徳川は武田に殴られたから殴り返した。
現代の法律で言えば正当防衛で徳川は無罪、武田は有罪だよ。
「先に約束を破って攻め入った」ってことはそういうことなのだよ。
0111人間七七四年2008/02/20(水) 22:10:39ID:O6f9NGt9
ID:UidaDws/は武田に対する思い入れが強すぎて物事を客観的に見れなくなってる。
他の人も書いてあるが武田が盟約違反して遠江に深く侵攻した上、
徳川と交戦した時点で武田の盟約違反により同盟は白紙。
双方がその時すぐ戦争状態に突入しなかったのはそれぞれの事情によるもの。
武田は対武田包囲網の形成を危惧してとりあえずの撤兵。
徳川は国力差と援軍が望めないことを考慮する上の謝罪受け入れ。
で、武田が北条と再同盟して徳川も上杉と結んだら双方が戦争状態に突入した。

信玄にとって最初盟約違反して掛川攻め中の徳川本隊の背後まで侵攻した時に
一気に徳川本隊を捕捉せん滅して三河、遠江を真空状態にする考えだったんだろうけど、
秋山隊が予想外の抵抗を受けたし駿河の情勢が悪化したから実現しなかった。

かつての同盟国を次々と滅ぼした信玄が弱小勢力の徳川にわざわざ謝罪する理由も考えず、
他人の意見も全く受け入れず、ひたすらそれを持ち出して「徳川の領土の野心」
と頑固に突っぱねるID:UidaDwsの思考回路は素晴らしいというか幸せだな。
0112人間七七四年2008/02/20(水) 22:13:07ID:cWkoaBKY
>>109
片方が片方の窮地につけこむ関係てのは休戦してからの関係で、
最初に盟約を結んだ時の関係ではねえよ。
何かの誤解があって徳川領に侵入したのならともかく、
明確な侵攻意思を持って侵入したのだから武田に弁解の余地なんて無いだろ。
0113人間七七四年2008/02/20(水) 22:15:52ID:UidaDws/
>>110
だから、その場で殴り返してないだろうといってるんだよ。
現代の法律でいうなら相手が謝罪してその場から立ち去って
しばらく立った後で相手が窮地になったときに昔の事を持ち出して
殴り返すようなものだ。これは現代の法律でいえば正当防衛にはあたらん。
0114人間七七四年2008/02/20(水) 22:19:54ID:UidaDws/
>>111
>>徳川は国力差と援軍が望めないことを考慮する上の謝罪受け入れ。
>>で、武田が北条と再同盟して徳川も上杉と結んだら双方が戦争状態に突入した。

全然経緯が違うんだが。武田が北条と再同盟するのは1571年の末。
上杉徳川が同盟するのは1570年10月。
さらに武田の窮地を利用しての掛川交渉が1569年5月。
徳川は北条と武田が争っている真っ最中に武田に牙を向いているんだよ。
それから北条が駿河の薩垂峠に現れて武田と対峙するのは1569年1月23日。
秋山進入は1568年12月18日で信玄謝罪が1568年12月23日というのも
考慮しろ。
経緯を妙に改変する態度は気に入らない。
0115人間七七四年2008/02/20(水) 22:21:25ID:O6f9NGt9
>>113
その場で殴り返しなければ犯罪にならないってのか?
どんなトンデモ犯罪理論?
0116人間七七四年2008/02/20(水) 22:21:35ID:UidaDws/
>>112
だから言われたらさっさと兵を引いてるというのに。わずか5日だぞ。
そのまま突っ込む選択肢があったのは無視か。
0117人間七七四年2008/02/20(水) 22:22:33ID:O6f9NGt9
>>116
>そのまま突っ込む選択肢があったのは無視か
そのまま突っ込むと武田包囲網形成だから引いたんだろう。
0118人間七七四年2008/02/20(水) 22:25:03ID:UidaDws/
>>115
犯罪と主張し正当防衛を訴えるなら
その場で実力行使に訴えるなり警察に通報すべきだったろう。
警告して相手が謝罪して引いた後というなら示談になっているはずだが。
そして相手の窮地に付け込んでその相手の財産をダシにして自分の財産をふやそうと
するのは現在では詐欺や横領にあたるはずだが。
0119人間七七四年2008/02/20(水) 22:25:32ID:O6f9NGt9
つまりキミの考えはこうだ
>現代の法律でいうなら相手が謝罪してその場から立ち去って
>しばらく立った後で相手が窮地になったときに昔の事を持ち出して
>殴り返すようなものだ。これは現代の法律でいえば正当防衛にはあたらん。

犯罪被害者は警察に届け出れば「昔のことを持ち出す」ことになって
無効ってことだな。
武田厨去れ
0120人間七七四年2008/02/20(水) 22:30:10ID:UidaDws/
>>117
だから、北条本軍が駿河の薩垂峠にあらわれて武田と対峙するのは
1月末だといっているだろう。
北条はこの当時上杉との戦いで詰めの段階を迎えようとしていて
まさか関東の利権の多くを謙信に譲ってまで信玄に対することを選んでくるというのは
予想できがたいはずだ。
織田もこの時は三好残党と戦ったりしているはずだが。
上杉も本庄とかの相手がある。
当時の状況ではそんな性急に武田包囲網は出来がたい。
もう少し立てば別だろうが。その状況で武田は引いていることも考慮してくれ。
0121人間七七四年2008/02/20(水) 22:32:52ID:cWkoaBKY
>>118
戦国時代に警察に通報するとかありえねえだろ。

>そして相手の窮地に付け込んでその相手の財産をダシにして自分の財産をふやそうと
>するのは現在では詐欺や横領にあたるはずだが。
現在の価値観を戦国時代に当てはめすぎだろ。
下克上・生き残るためにドロドロの謀が日常茶飯事な戦国時代でも、
信頼は重要なこと。
その信頼を最初にぶち破ったのが武田。
信頼を破られた被害者の徳川としては休戦を結んだとはいえ、
時は戦国時代なのだからそれだけでは安心できない。
いつまた武田が休戦を破るかどうか不透明。
それならばと積極的に対武田の対策をすることが駄目なのなら、
戦国時代を生きていくのは不可能だろ。
0122人間七七四年2008/02/20(水) 22:33:06ID:UidaDws/
>>119
警察に届出せずに一端は謝罪を受け入れるふりをして
相手の窮地に付け込んでその相手の財をダシにして
自分の財産を増そうとするのは詐欺もしくは横領だろう。
武田が逮捕されるなら徳川も逮捕されるだろうな。
0123人間七七四年2008/02/20(水) 22:36:56ID:UidaDws/
>>121
最初に現在の価値観を持ち込んできたのはそっち。
戦国時代に現在の価値観をあてはめるのが無理というなら
そもそもやらんでくれ。
というか何度も言いたいのだが、1569年5月の掛川交渉は
対武田の対策じゃないんだよ。
武田の状況を利用しての勢力拡大のための交渉なんだよ。
徳川の本当の対武田対策は1570年10月の上杉との同盟なんだよ。
0124人間七七四年2008/02/20(水) 22:37:20ID:O6f9NGt9
>>114
>秋山進入は1568年12月18日で信玄謝罪が1568年12月23日

秋山が「侵入」したじゃなく秋山が見附を占領したのは12月18日。
で、信玄謝罪までの間に「家康が信玄に猛抗議」ということも抜けてる。

>それから北条が駿河の薩垂峠に現れて武田と対峙するのは1569年1月23日。

その前に1568年12月黄梅院を甲斐に戻したことが抜けてる。
時系列を順に並ばず肝心なところを軽く書いたり抜けたり妙に改変してるのはキミの方。
0125人間七七四年2008/02/20(水) 22:42:14ID:cWkoaBKY
現代の法律とかをあてはめるのはお互い止めにしようぜ。
大事なのは当時の価値観・常識を考えること。

武田と徳川が今川領を分け合う盟約を協定。
武田がいきなり盟約違反で徳川の領域に侵攻。
猛抗議と武田の謝罪と撤兵でとりあえず休戦。
信頼関係をぶち破ってきた武田に警戒心を抱いた徳川が対武田の外交を展開。
ちょうどその時期は武田家が苦境の時期。

窮地の時期に意趣返しをした徳川は当時だとどのように捉えられたのか?
最初に被害にあった徳川としたら当然の行為なのか、
それとも窮地の時期に意趣返しするのは卑怯千万なのか?
詳しい人いたら解説お願いします。
(一連のスレの流れに対して冷静かつ中立的でいられる人が条件です。)
0126人間七七四年2008/02/20(水) 22:44:43ID:UidaDws/
>>124
抜かしてないって。
>>109の時点で
>>だから結局徳川は武田に撤兵を要求するしかなかったし現にそれをした。
と徳川の抗議については触れているだろう。

その黄梅院の甲斐出戻りは12月23日以前だったか?
第一北条が全力で入ってこれるかは別問題。北条が上杉に対して利権の多くを譲る決断を
するのはまだ先の事。
0127人間七七四年2008/02/20(水) 23:02:18ID:mf4XHb45
>>125
盟約破りは当時でも大名としてはかなりのレベルでのタブー
これを1回してしまうと信頼という点から後々に響いてくる

また盟約破りをした相手に意趣返しをしないのもタブー
これをしないと周りの大名から軽んじられる為
たとえ国力差があったとしても何らかの形でやっておかないと馬鹿にされて滅亡フラグ成立

ぶっちゃけこの辺の外交関係は戦国時代に限らず現代も一緒なんだがな
0128人間七七四年2008/02/20(水) 23:02:56ID:UidaDws/
>>125
>>信頼関係をぶち破ってきた武田に警戒心を抱いた徳川が対武田の外交を展開。
>>ちょうどその時期は武田家が苦境の時期。

あーいや、ここの流れだけどうも皆ちがうんだ。
何度もいうが掛川交渉は徳川の対武田の外交じゃないんだよ。
武田の駿河をダシにした自己勢力拡大の交渉。

その流れを正確にいうなら、
武田が北条と戦っている間に武田に警戒心を抱いたらしい徳川が
敵である今川氏真に駿河をダシにして開城交渉し開城させる。
武田しばらくは北条と乱戦。徳川と武田領はしばらく平穏。
武田が駿河争奪戦を優位にしはじめた1570年10月に徳川が対武田の外交として
上杉と同盟。
これを受け武田が駿河の北条の要衝である深沢を攻略した後に1571年2月徳川領土に侵攻。

こういう流れになる。
0129人間七七四年2008/02/20(水) 23:07:26ID:O6f9NGt9
>>128
キミだけの妄想トンデモ理論を受け入れる人がいないからキミと違う見解になるの当たり前。

>何度もいうが掛川交渉は徳川の対武田の外交じゃないんだよ。
>武田の駿河をダシにした自己勢力拡大の交渉。
それの何がいけない?
武田が遠江に対する野心がすでにむき出しになってるのだから、
開城交渉に武田の駿河を口約束に使うのは別にいいだろう。

で、誰が極悪か一番の当事者に判断してもらえば一番分かりやすいのだが、
今川氏真が掛川開城後北条に渡ってから徳川に行って今川衆を率いて武田と戦ってた。
つまり、今川から見ても一番許せないのは武田。
0130人間七七四年2008/02/20(水) 23:11:06ID:cWkoaBKY
>>127
なるほど。確かに盟約破りをされたまま泣き寝入りするのは非常にまずそうだね。
他にも詳しい人いたら>>125への回答お願いします。

>>128
>あーいや、ここの流れだけどうも皆ちがうんだ。
>何度もいうが掛川交渉は徳川の対武田の外交じゃないんだよ。
>武田の駿河をダシにした自己勢力拡大の交渉。
今川の残党を武田にぶつけようとしたのは武田に対する対策でもあるでしょ。
そもそも武田が盟約を破らなければこの様な交渉もなかったのでは?
そりゃあ勿論掛川での氏真との交渉は勢力拡大が第一だろうけど、
同時に今川残党を使って対武田対策を行ったと考えるべきなんじゃないのか?
0131人間七七四年2008/02/20(水) 23:12:26ID:UidaDws/
>>129
>それの何がいけない?
>武田が遠江に対する野心がすでにむき出しになってるのだから、
>開城交渉に武田の駿河を口約束に使うのは別にいいだろう。

話がずれまくってる。
俺がいつも言っているのは徳川が掛川交渉したのは対武田の外交じゃないと
いう事。その他の問題はまた別の問題だな。流れをちゃんと認識しろといってる。

その氏真にしてみれば徳川は(口約束だけど)駿河に戻してあげるよ〜、とか
言ってるんだから北条に放逐された身としては身を寄せるしかないだろ。
結局家康も氏真に駿河なんて返さなかったのを忘れたか。
0132人間七七四年2008/02/20(水) 23:16:53ID:UidaDws/
>>130
さてどうだかね。
今川残党はもともと駿河において残ってるものは残って武田に抵抗してる。
そんでこの時駿河を放逐された今川氏真はそのまま北条に身を寄せ、
さらには北条において氏真は駿河の継承権を北条に譲る事を約束させられている。
もし徳川のいう事とはまるで違った形に氏真も北条も動いている。
徳川もそんな後の事まで期待してたかどうか。
0133人間七七四年2008/02/20(水) 23:16:55ID:O6f9NGt9
>>131
>俺がいつも言っているのは徳川が掛川交渉したのは対武田の外交じゃないと
だから対武田外交じゃないのって何が悪い?
徳川が掛川を落してはいけない?今川の心証を良くすれば対武田で共同戦線組めるかもしれないのに?
実際氏真が徳川で城主になって武田と戦った。

>結局家康も氏真に駿河なんて返さなかったのを忘れたか。
家康が駿河を手に入れたのは1582年武田征伐のあと。
そん時氏真が何してたのか調べてみろ。
0134人間七七四年2008/02/20(水) 23:21:59ID:UidaDws/
>>133
だからまずは認識のずれを修正しろと言ってる。
それがずれると話がいつも食い違う。
今川氏真が徳川に身を寄せたのがいつだと思ってる。
まず氏真は北条に身を寄せて北条に駿河を譲ることを約束させられた。
それにもかかわらず北条と武田が再同盟してしまうと居場所がなくなって
出ざるをえなくなり前に口約束をしてた徳川に身を寄せた。
氏真は本来徳川に身を寄せたくて寄せたわけじゃないんだよ。

京都にいたな。その気になれば呼び戻して還俗させ駿河に戻してやることもできたな。
でも家康はしなかった。つまりはそういうことだ。
0135人間七七四年2008/02/20(水) 23:25:22ID:O6f9NGt9
>>134
>でも家康はしなかった。つまりはそういうことだ。
氏真本人がその気がなかったはずだが?
氏真は京で僧になって公家と交流して文化人の生活に満足してたんだぞ。
そもそも京での生活を家康が援助してた。
一方同盟国を裏切りまくった武田は滅んだ、最後は重臣一族に尽く裏切られての滅亡。
つまりそういうこと。
0136人間七七四年2008/02/20(水) 23:30:48ID:UidaDws/
>>135
最後の2行の文章にまるで話の関連性がないな。無駄なあおりはやめておけい。

満足してたかどうかなんてわからんさ。機会があればもう一度駿河を持ちたい
気持ちはあったろうさ。でも徳川にしてみれば新しく得た駿河という大国を
いきなり氏真に丸ごとやるなんて出来るわけない。戦功あった家臣にやらないとな。
もともと約束実行が無理になるのは家康だって承知の上だったろうさ。
駿河丸ごとやることに比べれば氏真私人の京都での生活援助くらい安いもんだったろうさ。
0137人間七七四年2008/02/20(水) 23:38:45ID:O6f9NGt9
>>136
だから今川残党を対武田に使うための口実だから別にいいじゃない?
氏真を城主にしたし、城主やめて京に行った後も援助してたし、
関ヶ原のあと子孫と一緒に高家という身分にして今川家を守った。
戦国で旧主にここまでする方が珍しいぞ。
で、領民に重税をかけて、国が富むほど周辺国を略奪して同盟国を裏切りまくった
武田はどういう結末だったのかを見れば、
どれほど信用されないものなのかわかるはず。
0138人間七七四年2008/02/20(水) 23:49:30ID:UidaDws/
>>137
最初は今川の心証をよくして云々といってたのにそれかい。
今川残党を対武田云々というのは>>132にも挙げたけどその効果はかなり
怪しいぞ。
元々駿河の今川残党はそのまま武田に抵抗してるし、掛川追放された氏真は
北条に身を寄せて北条に駿河譲る約束させられているし、と家康の言ったのとは
まるで違った形に動いてる。家康もそこまで期待なんかしてないと思うが。

もと勢力の主である程度の血筋を持つものを保護するのは結構よくある事でもある。
後々そのコネクションがつかえる可能性があるから。
上杉とかそういった他国亡命者を重臣とかにしてるだろ。武田も真田とか使ってる。
徳川にしてみれば駿河の代わりと思えば生活援助は安いもんだし、今川の血筋を大切に
していることを示すのは駿河支配においても悪くない。

で、最後の3行は例によって関連性がない。武田の同盟国裏切りも戦国時代というのを
考慮すればよくある例の一つにすぎないんだが。重税も略奪も。
それで生き残った大名家も結構ある。武田が滅んだのはその他の諸要素の複合。
信用云々だけで戦国勢力が滅びるもんじゃないよ。
0139人間七七四年2008/02/20(水) 23:56:22ID:O6f9NGt9
>>138
>勢力の主である程度の血筋を持つものを保護するのは結構よくある事でもある。
よくあることだし駿河支配にいいならなぜ武田にそれができない?
徳川が駿河を手に入れたのは信長の武田征伐によるものであって氏真の功績ではないし、
建前上信長から拝領したものだから氏真に駿河を与えるのが筋違い。
それでも氏真を援助し続けた。
戦国で旧主が利用価値を失っても見捨てずに援助し続ける大名がどれだけいるか調べてみれば?

で、最後の3行だけどスレタイに沿ったものだから無関係ではない。
「武田が滅亡した理由は信玄の悪行」スレである以上、
同盟国を裏切ったり信用をなくしたことが武田の滅亡の主因と書いてて当たり前。

キミと違って武田厨でもマンセーでもないから。
0140人間七七四年2008/02/21(木) 00:04:03ID:ZehnsOCS
>>139
その勢力の主と自分の勢力が衝突しなければ優遇しない事もないんだが。
武田の場合はもろに被っちゃってるからな。

そう、結局の所、今川氏真を駿河の太守に戻すのはどうやっても不可能なんだよ。
信長云々が無くて徳川の独力で切り取ったとしても領土は手柄のあった家臣にわけねばならない。
家康が氏真にやった約束は結局の所実現不可能な自己勢力拡大のための方便に過ぎなかった。

そもそも旧主がいろいろあって出戻りするなんて事態がそもそも珍しいからな。
駿河統治における徳川のアピールとしては氏真保護は悪くないといってるでしょ。
利用価値がないわけじゃないんだよ。

無関係だね。この議論においては。スレタイも間違ってるし。
信用云々だけで戦国勢力が滅びるわけじゃないと言ってるでしょ。
この議論が終わった後で話す話題だと思うが。
0141人間七七四年2008/02/21(木) 00:06:38ID:EasfvWop
>>140
>無関係だね。この議論においては。スレタイも間違ってるし。
よく読め、スレタイは「武田家滅亡の原因は100%信玄が作ってる件その2」。
気に食わないなら上洛スレに戻れば?
0142人間七七四年2008/02/21(木) 00:08:22ID:ZehnsOCS
>>141
なんで上洛スレなのかよくわからないが。

今話されているのは1568年から1571年までにかけての
今川関連の話だろ?正直それとは筋違いな話だと思うが。
0143人間七七四年2008/02/21(木) 00:18:00ID:lIdVsuZk
何か進んでるなーと思えば、二人でヒートアップしてたのか。
まあ、おちつけ。
0144人間七七四年2008/02/21(木) 00:22:42ID:0uBdkmyN
同盟国に対して、一方的に違約して攻め入ったというのは十分に背信行為と言え
それに対して謝罪をするというのであれば言葉だけで謝罪をして良しとするのではなく
謝罪の意を述べた上で責任を取るところまでして初めて謝罪したと言えるのではないでしょうか?

秋山の遠州侵入については、
(1)秋山の切腹
(2)領土の割譲
(3)金品による賠償
この3つのうちの一つを実行してこそ、「謝罪した」と言えると思います。

(1)と(2)については実行していないことは明白ですが、
(3)について信玄は実行したのでしょうか?
もし金品による賠償もしていたのであれば、きちんと責任を持って謝罪したといえて
その後の家康の今川との駿河割譲策は家康の領土拡張の野望によるものと解せられ信玄の責任はないことになりますが
金品による賠償もなしに書状でだけ謝罪したのであれば、言葉でだけ謝ってみせて違約の責任は取っていないことになり
家康が信玄に不信を抱いて駿河を今川と取引して武田と事を構えたとしても
無理からぬことと考えます。
すると、信玄が家康への信頼回復を怠ったために家康を決定的に敵に追いやったこととなり
あわせて信長への警戒心を煽ったということになり、信玄の失策だったということになろうかと思います。

不勉強にて、私は信玄が家康に金品での賠償をしたという記録を見つけることができなかったのですが
その点について史料があるのでしょうか?
0145人間七七四年2008/02/21(木) 00:27:18ID:ZehnsOCS
>>144
正直な話、戦国時代においてそういう形で謝罪を表す例を私は知りません。
ましてその時その人物の領土でなかった場所での衝突において。
あなたの謝罪の例や違約責任の例はどうも近代民主国家の賠償事例について
語っているように見えるのは気のせいでしょうか。
0146人間七七四年2008/02/21(木) 00:32:42ID:EasfvWop
>>145
戦国時代でも責任者の切腹か処罰、謹慎を持って謝罪とする。
金品の補償も領土の割譲(城の譲渡)も前例がある。
0147人間七七四年2008/02/21(木) 00:35:49ID:ZehnsOCS
>>146
例を挙げてみてくれい。
それがこの時の事例に該当するのかどうかを検証しましょ。
0148人間七七四年2008/02/21(木) 00:41:30ID:EasfvWop
>>147
信玄が主張したように秋山が勝手に動いたとすれば、
秋山は軍令違反となり最低限謹慎以上の処分を受けなければいけないが、
それがない以上当主の黙認による軍事行動になる。

あと、このスレは「1568年から1571年までにかけての今川関連の話」
ではなく、武田滅亡の理由は信玄にあるかどうかを討論するスレ。
勝手に決め付けてはいかん。
0149人間七七四年2008/02/21(木) 00:43:29ID:ZehnsOCS
>>148
おーい、例を挙げてみてくれというたんじゃが。

でも実際のところ「1568年から1571年までにかけての今川関連の話」
になってしまっているわけで。
本来これは武田の滅亡がどうとかの問題とは関連しない議論な気もするが。
0150人間七七四年2008/02/21(木) 00:44:02ID:0uBdkmyN
私が知っている事例では、福島正則が家臣が徳川家の足軽に侮辱されて
自害した時に、その上司である旗本・伊奈図書の切腹を正則が要求したという
事件があります。
また、信長が同盟者家康の高天神城の救援に間に合わず、金品をもって償ったという
事例がありますね。

ちょっと、今回の事例に当てはまるかどうかは自信ないですけど、戦国気風のなかにそのような風習があったものと理解しているところです。
0151人間七七四年2008/02/21(木) 00:52:05ID:ZehnsOCS
>>150
福島の話はもはや治国の時代になってからのような気がするが。
独立勢力があい争う戦国真っ只中とは違うような。
治国の代において各勢力がまとまって秩序を守る事が必要な時代には
基本的に勢力内部の争いを収める喧嘩両成敗の原理も通用しそうですが
戦国時代に独立勢力同士でそういうのあるのだろうか。あったら戦国時代じゃ
ないような気もするが。

信長の徳川への金品贈答は援軍出せなかった事で高天神が攻略されて押され気味の徳川に
これを送るから軍資金にして頑張ってという意味だったような。
0152人間七七四年2008/02/21(木) 01:00:03ID:EasfvWop
>>149
甲陽軍鑑では対上杉、北条和睦のために典厩と梅雪の切腹と領地の割譲を高坂が提案した。
この時代では関係修復のために責任者の切腹は当たり前。
そもそも秋山は軍令違反なのに謹慎すら命じられないじゃ建前だけの謝罪であることは明白。
こんな三文芝居にだまされる大名はいない。
あと、スレ違いという自覚があればそろそろやめたら?
0153人間七七四年2008/02/21(木) 01:03:36ID:ZehnsOCS
>>152
でも実際切ってないでしょ。現実には。
梅雪も典廚も最後があれだから軍鑑は描写が冷たいんだ、これが。
そんで切らずとも上杉との和睦はうまく言ってたような気もするが。

やめたいのだけどねえ。これを理由にしていわれなき武田叩きが入るのでは
こちらもついついレスが……。
0154人間七七四年2008/02/21(木) 01:04:49ID:0uBdkmyN
福島の話は関が原の前哨戦の岐阜上陥落直後の話であり、治国の時代ではいのではないでしょうか。
0155人間七七四年2008/02/21(木) 01:09:49ID:ZehnsOCS
>>154
豊臣が一旦天下を治めてしまった後では基本的に治国の意識が発生してます。
惣無事令とかありますね。
関ヶ原も戦国乱世の独立勢力同士の離合衆参というよりは豊臣家という傘のもとでの
主導権争いという気分が結構あります。
0156人間七七四年2008/02/21(木) 01:10:30ID:EasfvWop
>>153
結局キミがしたのは武田擁護だけだろう。
そんなの最初からわかってる。
オレも武田が好きだし叩きたいわけでもなく、
なぜ失敗をしたかレスしたかだけだろう。
このスレでも「武田家滅亡の理由」だから、そこで武田の失敗を言って何もおかしくない。
そこを「叩き」ととらえるのはキミの思い込みの激しさから来た勘違いだけだろう。
0157人間七七四年2008/02/21(木) 01:11:44ID:EasfvWop
>>153
あと、実際切ってないから上杉との和睦が景勝の代になるまで実現しなかったんだろう。
肝心なところをわざとスルーするでない。
0158人間七七四年2008/02/21(木) 01:17:03ID:ZehnsOCS
>>156
いや、失敗なら失敗でいいんだが
どうも妙な方向で叩かれているというか。
ぶっちゃけこの今川関連の話って武田滅亡に関連あるのだろうか。

>>157
いや、違うのだ。謙信との和睦がならなかったのは
北条と上杉がそれぞれを拒否したからだ。書状もある。
武田はこの3者同盟を受け入れたいと言っている。
0159人間七七四年2008/02/21(木) 01:19:36ID:0uBdkmyN
清水宗治の切腹と土地の割譲も、敵対した人物に対する当然の処置と言えそうですが
同盟中敵対行為をとった秋山も敵対者として責任をとって切腹なりの処置があってもいいのではないですか?

>152さんの件についても、典厩と梅雪の切腹と領地の割譲を高坂が提案したという事実が挙げられており、
たとえそれが実現しなかったにせよ、真の和睦のためにはココまでしなければいけないという当時の基準だったと見做すことも
できます。
0160人間七七四年2008/02/21(木) 01:24:55ID:EasfvWop
>>158
だから切ってないからだろう。
話をループさせるなよ。

>ぶっちゃけこの今川関連の話って武田滅亡に関連あるのだろう
それならやめればいいだろう?
過去レス読んでわかったけど、そもそも話の発端は「武田家が東に行くべき」
というカキコに対してキミが「武田家に対して領土的野心を持つ徳川家が悪いから」
と時系列をごちゃにした意味不明な発言から始まったんだろう。
キミが意味不明な擁護をしなければ今川の話が出なかった。
スレ本題の武田家滅亡の原因に戻ればいいじゃん。
0161人間七七四年2008/02/21(木) 01:27:21ID:ZehnsOCS
>>159
清水宗治の切腹と土地割譲は数年にわたって相争い
食うか食われるかの状況で瀬戸際まで迫った毛利と織田における最終局面での
和睦策。実質的に敗北していた毛利の降伏に近い。
それでも毛利は最後まで清水の切腹を拒否していた。
武田と徳川の局面はここまでいってるのだろうか。

いや、その典厩と梅雪の切腹と割譲に関してもかなり眉唾。
実際は謙信は「勝頼となら和睦してもいいけど北条とは絶対いやだ。」といい
北条も「この三者和睦を妨げているのは上杉だ。」として拒否してる。
こういう背景の下にこの三者和睦は成立しなかったわけで。
当時の武田はぜひともこの三者和睦を結びたかったみたいだがこういうわけだった。
典厩も梅雪も最後がアレだから軍鑑はかなり筆が辛い。
0162人間七七四年2008/02/21(木) 01:31:30ID:ZehnsOCS
>>160
その北条上杉武田の三者和睦については>>161を参照の事。

東に行くべきゆうてもそもそもあの当時は信長の畿内覇権確立が迫りつつ
あったので東に傾いてる場合じゃないんだが。
実際北条との戦いが済んだらさっさと総力をあげての織田徳川戦にむかったわけだし。
そんで徳川に対してがどうので駄目だったみたいな言い方をされていや武田にもそれなりの
事情がですねえryという話になったわけで。
まあ明日があるので今日はもう寝るわ。
0163人間七七四年2008/02/21(木) 01:31:45ID:EasfvWop
>>161
だから、成立かどうかは別として当時の価値観では一度敵対したら
和睦するのに責任者の処罰が必要だということだろう。
それ以上話をずらさないでくれ。
キミの話はいつもこう言ってはああだと、脇道に逸れてはループ。
一個のテーマに絞って話せ。

キミが要求した「戦国時代の和睦に対する条件」は例として存在してるからそれでいいだろう。
成立しなくても結局「和睦するならそれをやらなければ」というのは当時の人間の価値観だから。
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