戦国大名の家柄や先祖について
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0001人間七七四年
2007/09/22(土) 18:18:53ID:NGagyTXy0203人間七七四年
2007/11/07(水) 18:00:44ID:9IJU2utA名もなき雑兵
0204人間七七四年
2007/11/08(木) 00:13:32ID:umrEO0/00205人間七七四年
2007/11/08(木) 00:51:45ID:3yJFaQvg0206人間七七四年
2007/11/08(木) 05:23:38ID:442HiKCBキリスト教信者な武将の末裔って、案外居るよ。
明治期の日本人牧師には、士族出身者が、多い。
当時の牧師の多くは、外国語を学んでいたりと、
高等教育を受けれる家の者が多いから。
0207人間七七四年
2007/11/08(木) 08:22:21ID:VFIqpnZH0209人間七七四年
2007/11/09(金) 21:32:05ID:UJTzRecU0210人間七七四年
2007/11/09(金) 23:23:14ID:K3yMztRi日本刀を畳に突き刺し斬ってや捨て斬ってや捨て
0211人間七七四年
2007/11/10(土) 00:18:25ID:FIzJYIdC0212人間七七四年
2007/11/10(土) 20:27:44ID:fk49JwRK部屋の中が文字通り死体の山。寄せ手が死体の山を掻き分けて義輝探してると
死体の間から刀でグサリ、死体の山に駆け上って義輝探すと足元からまたブスリ。
義輝一人討ち取るのに犠牲者700人を超えたという説もある。
0213人間七七四年
2007/11/10(土) 20:48:56ID:0oUI9fuKあっけなく死んでたんじゃないの
0214人間七七四年
2007/11/10(土) 23:21:56ID:/RsoqSHC近所にもっと残念な家がある。
本で武将の家紋調べて真似しようとして、
横に載ってた家紋と間違えて子孫だと主張w
0215人間七七四年
2007/11/11(日) 00:37:01ID:okf8aeKt0216人間七七四年
2007/11/11(日) 06:03:07ID:IT9lpXY4そういう墓穴堀さんが沢山いるのは事実だと思う。
でも中にはご先祖様が戦に参加した例もある。
○○家の者(兵隊)として旗印の下で戦った。
その後、仕えた家の関係者としてその姓を使うようになる。
掲げて戦った旗印に愛着がないわけがない。
だから旗印を家紋として使うようになる。
記録は曖昧になり、誇張されて傍流を名乗ってしまう。
が、実際は家来の末端、または戦に参加した農民。
つまり悪気はないが都合よく解釈しすぎている。
ここを見て早速「実はもう一つ家紋がありました」
と調べて嘘を重ねる墓穴梅さんも出てくるかも。
0217人間七七四年
2007/11/12(月) 18:14:15ID:LlE07gZN元々は家来だから家紋が旗印かもしれんけど
政略結婚で身内になってるらしいよ
0218人間七七四年
2007/11/12(月) 19:35:09ID:UHsn+hpY家紋が旗印なのは百姓足軽だけ。
大名と結婚するような重臣は自分の家紋があるからね。
0219人間七七四年
2007/11/12(月) 23:03:05ID:APcLD6RVオヤジの与太話鵜呑みにしてた(>_<)
0220人間七七四年
2007/11/13(火) 03:15:57ID:R6C98INW功を立てた家来が紋をもらって家紋にすることは確かにあったよ。
ただね・・・
それはまぎれもなく「大名の家紋」なんだなこれが。
よーするに正統なルートで「大名家と婚姻できるほどの」の家紋が「旗印」になる可能性は0パーセント。
旗印になる可能性は以下の2つ
@君のご先祖様は槍を持って背中に旗を背負って走り回った雑兵君
A完全な確信犯の「自称君」
あなたはどっち?
0221人間七七四年
2007/11/13(火) 06:36:33ID:FTlGdpZqを追加!
0222人間七七四年
2007/11/13(火) 15:41:15ID:AVNSloYo上杉家からもらった「竹輪に雀」が代表紋のように言われるが、
実は江戸時代を通じて藩主の身の回りの品に入ってた紋は
「丸に竪三つ引両」。伊達家内部ではこっちが正式な家紋だったようだ。
こういう細かい事情を調べずに家紋とか馬印、もっとひどいのは軍旗
なんかをパクって子孫だと主張するとおかしなことになる。
0223人間七七四年
2007/11/13(火) 16:43:33ID:R6C98INW一致しなければその時点であぼーん
実際に子孫なら、奇妙なほど一致するものですよ
特に年表は大事。
0224人間七七四年
2007/11/13(火) 18:45:59ID:E4uo0sGa家紋だけでも複数あるのが珍しくないよな。
菩提寺に行ってみると意外な家紋を発見することもある。
なのに全国の同姓さんが一番有名な家紋に集中しちゃうw
この事象から導き出される答えは「ほとんどが自称」しかない。
誰でも一度は目にするような資料からパクっちゃうんだからねw
たまたま現存する資料が示す紋が代表紋とは限らないのに。
家紋は一つだと思ってる無知君はそんな落とし穴には絶対気付かないw
情報の乏しい時代には自称し放題だったということだろうな。
>>223
「奇妙なほど一致する」にはかなり同意だな。
事実だと別ルートの情報がパズルの様にはまっていく。
一方、作り話は基本から脱線してるw
0225人間七七四年
2007/11/13(火) 19:37:12ID:R6C98INW実際、俺も経験者だからね。
家は戦国大名なんて大それたものじゃなくてちょっとした武将だったけど。
家紋はあまりアテにならんよな。
仮に子孫だとしても、昔は嫡流の家紋は嫡流の子孫しか継げなかったなんて情報もあるし。
まぁ逆にいえば、その嫡流の家紋が氾濫しているのは異常事態と言えるんだが。
0226人間七七四年
2007/11/14(水) 03:05:14ID:iFwhej15キリスト教は大名でもいるよ
浄土真宗は要するに一向宗だけど、主に弾圧していたのは信長とか上杉とかだな
武田信玄は一向宗の親玉と親戚だし。
家臣に一向宗禁止を出してた大名もいたけど(信長とか)、武田家を初め一向宗と仲のいい大名もいるからね。
そういう大名家の家臣で門徒の武将はいたはず
キリスト教もしかり
0227人間七七四年
2007/11/14(水) 07:25:08ID:/huEITs/自称してる人達はみんな本物を丸写しなんだなw
0228人間七七四年
2007/11/14(水) 07:25:13ID:9fs8443r宮内庁に戦前から務めてた侍従とか女官にもね
0229ちょっと訂正
2007/11/14(水) 07:31:48ID:/huEITs/○本家を丸写し
0230人間七七四年
2007/11/14(水) 08:22:28ID:6DQve2Mq0231人間七七四年
2007/11/14(水) 15:20:47ID:1S5EcjfI一部の大名の弾圧政策や信長との石山合戦が有名すぎるので偏ったイメージが定着しているだけ。
実際、家康の領内で起きた三河一向一揆の時は、
その後家康の参謀になったり天下取りの重要なカギになるような武将が家康を裏切って一向一揆に参加してる。
それに、滅びた大名家が放浪して帰農したりすると宗派を変えるパターンも多いから宗教はアテにならないよ。
0233人間七七四年
2007/11/14(水) 22:01:36ID:1S5EcjfI0234人間七七四年
2007/11/14(水) 22:05:26ID:1S5EcjfI元亀3年7月に禁教令を出した。
んですぐに撤回した。
0235人間七七四年
2007/11/14(水) 23:47:48ID:1S5EcjfI一向宗=創価学会
一向一揆=信者集団の公明党の選挙応援
本願寺顕如=池田大作
創価学会の信者は老若男女なんでもござれだろ。職種もさまざま。
一向宗も士農工商・老若男女なんでもござれ。
信仰心してれば身分関係無しに一揆に参加。
真宗に失礼だった。
0236人間七七四年
2007/11/15(木) 00:22:36ID:gAo9MBuK0237人間七七四年
2007/11/15(木) 10:03:24ID:3gsi3ZK/現代は層化に限らずどの宗教でも老若男女なんでもござれだし、職種もさまざまだと思うが。
真宗の本山は皇族が嫁いでくるとこだが、犬作のとこに皇女が嫁ぐことは永遠にないだろうよ
0240人間七七四年
2007/11/16(金) 00:56:16ID:8T2GZwQ+家紋が一緒だから先祖、とか言うのかね?
0241人間七七四年
2007/11/16(金) 05:19:00ID:WZTAUkEC「代々語り継がれてきた」と形容される父親作のフィクションが基本。
手の込んだオカルトと同じで、証明する材料も否定する材料もない。
が、煽てて詳しく語らせればいずれ綻びが見える。辻褄が合わなくなる。
そんな奴らに限って確実に家紋は一致させてくる。主張の中身はそれぞれ。
落ち延びてきた武将の子孫なのに鎧も刀もない。昔からの住民の証言は0。
慎重派は、簡単に足が付かないように「○○の家来の家来」とか言う。
最悪の評価を回避するために、最初から「上の下」または「中の上」を狙う。
「うちは昔から苗字を名乗っていたから」が秘密兵器になると思っている始末。
いずれにせよ、農民化するまでの事情を捏造していくことになる。
「戦から逃げて」は間違いなく農民。農繁期に逃げるのは基本中の基本。
0242人間七七四年
2007/11/16(金) 05:32:26ID:hSR891IJ戦国大名の子孫なんかいないんじゃないかってたまに思う
0244人間七七四年
2007/11/16(金) 07:26:28ID:INYxMZ2uほとんどが偽物≠本物はいない
うちの祖父は武家屋敷で育ってます。地元では有名です。
祖母も名家の出。母方の祖父母も同様。
名家は名家と縁組してきたので名家はどこも有名血統の集合体。
だから特定の武将の名前を強調する意味がありません。
特定の姓ばかり主張する連中は大概自称でしょうね。
ちなみに現在でも家紋は複数使い分けています。
うちの先祖の一人はよく自称に使われますよ。
確かにみなさん家紋で失敗してます。
生き残ったのは女系で女紋が主流になってるんですよね。
歴史資料に掲載されてる家紋を使ったのは養子の家系だけ。
養子の系統は近年になって絶えたはずなんですよね。
なぜか全国に親戚が発生し続けています。
香典貰えるなら全部認定しちゃいますけどw
0245人間七七四年
2007/11/16(金) 10:30:29ID:3Jv05r1q同家格同士で結婚してきたから、上流の家系はみんな繋がってるんだよ
逆に言えば、明治以前の親戚がしょぼかったら偽者だ
親戚や墓石は焼けたりしないからね
落ちぶれてても今だに県下に名前が通ってるもんだし、他県でも同じ階層の人なら通じたりする
元大名の家ならそんなもんだよ
0246人間七七四年
2007/11/16(金) 16:56:33ID:XToJ6xdq自分の系図を売ったりするのは普通にあったからねぇ。
系図もどの程度信憑性があるかはわからんですわ。
0247人間七七四年
2007/11/16(金) 23:41:17ID:crJqWvgl墓守だとかおやじがいってたよ
墓近くにあるし裏山が城だから、まあそおかなあなんておもてる
どうでしょう?ところで先祖ってどうやってしらべんの?
0248人間七七四年
2007/11/17(土) 01:02:44ID:05IX7NdL0250人間七七四年
2007/11/17(土) 01:12:14ID:8PNgOyTKググればそりゃでてきますけどね。ほとんどwikiかそれの孫引きばかりで。
しかし3月に顕如から白天目の茶碗を送られる。7月に家中に禁教令を出して信玄の
仲介で和議というのも奇妙なタイムスケジュールだな。
ほんとに史料を教えてくださいよ。家中に出したというのなら残っているでしょう?
現物が残っていなくて家臣の家にはそういった記録は残りますしね。
0251人間七七四年
2007/11/24(土) 07:12:43ID:JIZb+HU10252たられば君
2007/11/24(土) 09:59:42ID:LnBBC+6C0253人間七七四年
2007/11/25(日) 15:14:40ID:7Ed9RBxTあなた方のご先祖様はエライ人だ。
藤原鎌足だ!
0254人間七七四年
2007/11/26(月) 09:08:39ID:O88q9Ir/昔は武装農民だよな。で、争いに敗けた奴らは農民に固定。
なのに「武士だったけど帰農した」って言う奴ばかりw
0255人間七七四年
2007/11/26(月) 11:22:00ID:6qSLUhxH地侍層と有力農民層の区別は確かにはっきりしてなかったけど、
国人層から上の領主層と農民層は中世でも明確な区別はあったよ。
なんか中世は農民も武士も大して変わらんみたいな論調があるが、
そんなことはない。
身分概念としての侍と百姓は明確に区別されてた。
0256人間七七四年
2007/11/26(月) 17:02:38ID:gE3FaWsZ百姓は富豪だろうと武装してようと禄は貰っていない
0257人間七七四年
2007/11/26(月) 17:24:27ID:i0v9l9fr残念ながら○藤と名乗って自称藤原一族な人たちは沢山居ます
○藤=藤原一族と言うのは平安時代から有名だし
0258人間七七四年
2007/11/26(月) 18:30:12ID:bfmrL6Lc地侍は今風に言うと地主なんだよな。
自分の土地を小作農に耕作させて小作料を取る。
国人は領主だから取るのは年貢。この違いが大きい。
地侍層は戦国時代に国人領主や大名の家来になって
そのまま江戸時代には侍身分になったのも居るし、
村に残って江戸時代は庄屋なんかの村役人になったのも居る。
そういう意味で地侍は百姓と武士を繫ぐ存在と言えるのでは。
0259人間七七四年
2007/11/27(火) 20:17:56ID:9fzsmSis0260人間七七四年
2007/11/28(水) 08:55:41ID:DXlbJLyZ0261人間七七四年
2007/11/28(水) 12:59:31ID:jWVeAAax柴田君はやっぱり雁金なんだろうね。
でも、あれも旗印疑惑があるんだよね。
0262人間七七四年
2007/11/29(木) 06:45:43ID:HwLOHROb0263人間七七四年
2007/11/29(木) 19:03:48ID:0l8KMCT/区別はそれほどはっきりはしてないだろ
0264人間七七四年
2007/11/30(金) 02:10:27ID:EXwRokEm下がり藤の中に一が入ってる柴田藤。
0265人間七七四年
2007/12/02(日) 08:52:17ID:adQ1dYG40266人間七七四年
2007/12/05(水) 00:17:22ID:Wyu0Prhi0267人間七七四年
2007/12/05(水) 10:21:15ID:M2Xcu3vi勝家関連は福井の神社や墓が有名で、滋賀にある菩提寺がなぜかマイナー扱い。
菩提寺に柴田家の家紋として柴田藤が残ってるけど、情報として出回ってない。
0268人間七七四年
2007/12/09(日) 00:36:05ID:1LyxzXM30269人間七七四年
2007/12/09(日) 10:41:24ID:T9et8xZc働くか娘を売るかしか食う術もないし
0270人間七七四年
2007/12/12(水) 21:02:50ID:zr+jFEod0271人間七七四年
2007/12/21(金) 18:04:33ID:50cM6RpY0272人間七七四年
2007/12/21(金) 18:16:04ID:+inXMomF0273たられば君
2007/12/21(金) 20:29:27ID:ToqviJfc0274人間七七四年
2007/12/30(日) 06:02:19ID:Ttn/zDqo1番最初にある細木数子どう思う??のアンケートにご協力下さい。宜しくお願い致します。
0275人間七七四年
2008/01/01(火) 23:11:46ID:S5LCfBYSなんせ原点が足利氏と名越北条氏だろ
吉良や一色より二段ぐらい斯波の方が上だろ
0276人間七七四年
2008/01/02(水) 12:34:30ID:5tLE1FJw斯波氏は呼ばれ方も違うしな。吉良氏は霜月騒動で討たれてから
しばらく消息がハッキリしないし、その後もそんな特別高い地位に
いた気配は無さそう
0277人間七七四年
2008/01/02(水) 20:16:58ID:TPbt00d3江戸幕府成立時点の大身の大名のなかじゃ、源氏系で一番毛並みのよい大名か>最上
0278人間七七四年
2008/01/19(土) 19:59:13ID:XE14OHxi0279人間七七四年
2008/01/19(土) 21:20:01ID:dsEHg94x最上を認めるなら南部や島津、伊東、相良、黒田、池田、浅野、伊達、上杉、小山などを
認めなければならない。
0280人間七七四年
2008/01/19(土) 22:03:35ID:CUjhifuE宗家は毛利家に残ってる
0281仙台藩百姓
2008/01/19(土) 23:58:02ID:an610WsL0282人間七七四年
2008/01/20(日) 00:32:00ID:HOSfYsVA村上源氏としては結構毛並みよくないか?
あと結城。御落胤なんていうアヤシイ伝承もともかく、藤原秀郷の系列じゃなかったっけ。
0283奇矯屋onぷらっと
2008/01/20(日) 00:36:24ID:dR+N0JwU0284人間七七四年
2008/01/21(月) 00:13:43ID:QWxMp2WI黒田、池田、浅野ってそいつらに並べられるほどの名家?
小山は知らんけど。
>>280
「宗家」で思い出したけど、そういや対馬の宗氏も結構古い家柄だな。
0285人間七七四年
2008/01/21(月) 00:58:13ID:Ky0TnfXg新羅三郎義光から甲斐武田と常陸佐竹に分かれたんじゃなかったっけ?
九州じゃ小弐と島津とあと何処かは頼朝の隠し子が始祖って本当?
0286人間七七四年
2008/01/21(月) 03:33:17ID:G6WZR3FL0287人間七七四年
2008/01/21(月) 08:35:21ID:lyawqKpYそういう伝承が有るだけだな。
大友、島津共ポッと出なのに複数の国の守護に任命されるなど
かなり優遇されてるんで頼朝と血縁でもない限りおかしいって気もするが。
全く関係無いが旧大名家で今最も格が高いのは島津と徳川あたりか?
0288人間七七四年
2008/01/21(月) 10:03:45ID:eREhnTjI0289仙台藩百姓
2008/01/21(月) 10:28:19ID:kUFCYbi2徳川宗家、毛利家、島津家、水戸徳川家
0290昼寝営業マン
2008/01/21(月) 13:25:59ID:8q74MzM+0291人間七七四年
2008/01/21(月) 19:09:16ID:G6WZR3FL格っていうのは相対的な評価だろう
鎌倉幕府当初ならまだ義光から別れた甲斐武田や常陸佐竹は格が高いと言えるだろうが
室町幕府の頃になれば、当然足利家で特異な地位の斯波氏、足利氏に血が近い上杉氏などが格が高い
江戸幕府になれば徳川家に近いモンが格が高いんだよ
0292人間七七四年
2008/01/22(火) 01:06:32ID:a6yKiVn60293仙台藩百姓
2008/01/22(火) 12:02:59ID:eqpZmG2zいや、水戸徳川家も公爵家だお( ^ω^)
大名家で公爵になったのはこの四家
他に徳川慶喜家と島津久光家があるが明治になってから出来た家だから除外したお
0294人間七七四年
2008/01/22(火) 15:09:15ID:BLUQufmz水戸家は公爵家でありながら現代に男系で繋げなかった。
0295人間七七四年
2008/01/22(火) 15:13:37ID:RbCXyuTK0296人間七七四年
2008/01/22(火) 15:14:34ID:RbCXyuTK0297人間七七四年
2008/01/22(火) 17:30:25ID:rhHOTwRv弱い感じがする
集客数も尾張には及ばないみたい
0298人間七七四年
2008/01/22(火) 18:31:05ID:a6yKiVn60299人間七七四年
2008/01/23(水) 19:26:12ID:LlHVI1je> かなり優遇されてるんで頼朝と血縁でもない限りおかしいって気もするが。
それはないと思うなあ。
頼朝の置かれた状況を鑑みるにそんなことできそうも無い。
完全な後付だろう。
0300人間七七四年
2008/01/27(日) 03:36:50ID:vNJ/Nt8rたまたま島津、大友の初代の母親が頼朝の妾だったので、頼朝は彼らを重用し、自分の代官として九州の守護にした。
九州の武家は、元平家方だったので、御家人にしたものの頼朝は彼らを信用しておらず、
監視と抑圧を兼ねて、島津や大友という代官を送った。
だから九州の大名は、鎌倉時代以前からの在地のものと、鎌倉時代の頼朝の代官的な下り衆に大別される。
0301人間七七四年
2008/01/27(日) 09:48:43ID:EDk9EM0B都落ちして田舎者相手に粋がってるようだがチャンチャラ可笑しいね
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