戦国大名の家柄や先祖について
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0001人間七七四年
2007/09/22(土) 18:18:53ID:NGagyTXy0002人間七七四年
2007/09/22(土) 18:46:20ID:NYEfkuwb0003takeda
2007/09/22(土) 19:00:53ID:nWva+jZ90004仙台藩百姓
2007/09/22(土) 19:33:06ID:MWlBeHx6信玄←罪人の子孫
0005人間七七四年
2007/09/23(日) 01:22:04ID:IHuTlNPh0006人間七七四年
2007/09/23(日) 02:38:53ID:Qsl2VXNx0007人間七七四年
2007/09/23(日) 13:55:59ID:jsHPu0x60008人間七七四年
2007/09/23(日) 14:06:24ID:jN38lQdk阿蘇家も伝承が多くて正確なところは不明。
千家は神官で戦国大名ではない。
紀家も古代氏族であり、紀を苗字とした戦国大名はない。
0009仙台藩百姓
2007/09/23(日) 14:35:49ID:o9KU+hau0010人間七七四年
2007/09/23(日) 15:24:09ID:jsHPu0x6諏訪氏は阿蘇氏の支族
阿蘇家、千家、紀家 この三家の家柄が確かじゃないとすれば日本っていったい・・・
源氏や平家も本当はどこの馬の骨かわからないらしいし
0011人間七七四年
2007/09/23(日) 15:53:07ID:Hj7jbDa50013人間七七四年
2007/09/23(日) 15:58:10ID:93i1X2zs0014人間七七四年
2007/09/23(日) 16:07:06ID:mOkfllpnどこの馬の骨か分からんただの人間が
勝手にこの国の天皇を名乗って居座り続けてるだけだよ、荒っぽく言えば
隔離された島国だから2000年も崇め奉られてきただけ
大陸なら新たな王が登場するたびに殺されてる
そのどこの馬の骨か分からん天皇家のために国民は古代から振り回されてきただけ
0015人間七七四年
2007/09/23(日) 16:40:48ID:Hj7jbDa5アホ
0016人間七七四年
2007/09/23(日) 16:46:48ID:NvmLUVhr「武士と盗賊ってどう違うの?」
http://hobby9.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1190162061/
0017人間七七四年
2007/09/23(日) 17:40:39ID:qcRlMcrx一番名門の家柄はどれですか?
0018人間七七四年
2007/09/23(日) 17:41:40ID:UnBZwReE0019人間七七四年
2007/09/23(日) 17:45:42ID:riaP1IjF徳川が一番名門にきまってるだろ。
将軍家になれる唯一の家柄。
親藩でも特定の家しか徳川を名乗ることを許されず、他の家は松平となった。
0020人間七七四年
2007/09/23(日) 18:13:20ID:jsHPu0x60021人間七七四年
2007/09/23(日) 18:17:18ID:jsHPu0x6http://hobby9.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1180095303/201-300
http://love6.2ch.net/test/read.cgi/kyoto/1179839855/1-100
0022仙台藩百姓
2007/09/23(日) 18:58:09ID:o9KU+hau0023宇喜多直家信者 ◆W.uAGfax.c
2007/09/23(日) 20:42:23ID:QVGVdUZM0024人間七七四年
2007/09/23(日) 22:44:44ID:qcRlMcrx知りませんでした
0025人間七七四年
2007/09/23(日) 22:58:52ID:4utSyccP戦国時代に限れば今川家が一番名門の家柄だよ
今川家の本姓は源氏で、清和源氏の流れをくむ足利氏の傍流
将軍家足利氏に何かがあれば、その将軍職を引き継ぐ権利を持っていた名家中の名家
0026人間七七四年
2007/09/24(月) 12:07:17ID:DLBSTqldでも源氏の流れを汲む人がやけに多いな。ほんとかな?
0027人間七七四年
2007/09/24(月) 12:11:07ID:yEqwt6q30028人間七七四年
2007/09/24(月) 12:21:22ID:DLBSTqld0029人間七七四年
2007/09/24(月) 16:17:50ID:+vde6EHP0030人間七七四年
2007/09/24(月) 16:51:45ID:OqUttNGF乱立させんなよ
0031人間七七四年
2007/09/24(月) 17:44:36ID:IxC54sFN0032人間七七四年
2007/09/24(月) 19:12:30ID:+SCuC/Cf0033人間七七四年
2007/09/24(月) 20:24:34ID:DLBSTqld何で苗字が違う? 分家以外で苗字の違う場合はあやしいよ。
よくいるじゃん。源氏のマツエイ、平家のマツエイと爺ちゃん婆ちゃんが言ってたとか
言う人が
0034人間七七四年
2007/09/24(月) 20:39:00ID:ZAd+87Af0035人間七七四年
2007/09/24(月) 20:42:27ID:W2bZzbQf本気で言ってるのか?
と思ったら今川家が清和源氏流足利氏一門の吉良氏庶流の名家ってことすら知らない馬鹿か・・・
鎌倉時代から続く名家に向かって「ほんとかな?」って馬鹿すぎるwww
0036人間七七四年
2007/09/24(月) 21:44:03ID:IxC54sFN0037人間七七四年
2007/09/24(月) 22:17:03ID:+vde6EHPhttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%90%89%E5%B7%9D%E6%99%83%E5%8F%B8
0038人間七七四年
2007/09/24(月) 22:43:46ID:W2bZzbQf吉川晃司の場合、あくまで自称。
仮に本当だとしても吉川本流は明治まで存続して子爵になっているから
没落した傍系子孫でしかないなら、珍しくもなんともないしな。
つか吉川は、元春以前は毛利の血筋と関係ないから
その時代からの別れなら毛利元就の子孫ではない。
吉川晃司は広島出身だから、むしろその可能性のほうが高い。
※江戸時代の吉川の所領は現在の山口県
なにより国民皆姓で、好き勝手に名乗った苗字の可能性すらある。
国民皆姓の時は、それまで苗字を名乗れなかった農民は、
どんな苗字にすればいいか分からず、地元の名士の名字をパクったりした。
0039人間七七四年
2007/09/24(月) 22:45:23ID:He6TFIrXうちの先祖、今川の家臣だったんだが、確かに源氏だった。
しかも、その先祖は足利家とも関係していたらしい
0041人間七七四年
2007/09/24(月) 23:22:33ID:He6TFIrXただ戦後に一度没落していて、日本刀とか全部盗られてなくなったらしい。
今川の庶流というか、本家が潰れて落ち延びて今川家に仕えたクチ
0042人間七七四年
2007/09/24(月) 23:24:30ID:He6TFIrX0043人間七七四年
2007/09/24(月) 23:35:55ID:DLBSTqld日本人として常識ですか・・・ゴメン、あやまる。
0044人間七七四年
2007/09/24(月) 23:57:44ID:IxC54sFN0045人間七七四年
2007/09/25(火) 00:22:01ID:9gukd+36そうなんだ
教えてくれてありがとう
ちなみにスケートの織田は本当の織田信長の子孫なのかな?
無知ですまん
0046人間七七四年
2007/09/25(火) 00:25:42ID:lFhjNeHAスケートよりも政治家とかになってほしかったね。個人的には
0047仙台藩百姓
2007/09/25(火) 00:38:55ID:f8rMWuor信長は子供多いけど男系子孫は僅かだと思うお( ^ω^)
0048人間七七四年
2007/09/25(火) 00:42:32ID:lFhjNeHA家紋は分家ならアテにならんしなあ
0049人間七七四年
2007/09/25(火) 01:16:49ID:t6YRyHKt0050人間七七四年
2007/09/25(火) 02:00:50ID:lFhjNeHA0051人間七七四年
2007/09/25(火) 02:47:41ID:d6SeEMXT0052人間七七四年
2007/09/25(火) 15:39:49ID:9gukd+360053人間七七四年
2007/09/25(火) 16:16:11ID:lFhjNeHA苗字が同じならばそれっぽいし。
0054たられば君
2007/09/25(火) 17:17:52ID:DtlC0TMb0057人間七七四年
2007/09/25(火) 21:27:56ID:w8hNHMvN規則を作らなかったのは失敗だったな
先祖に騙されて「うちは○○の子孫だ」なんて本気でいう奴多すぎ
0058人間七七四年
2007/09/25(火) 22:41:36ID:brSp8abq学がない農民が宮司さんの氏をパクって鈴木と名乗ったせいだしな
0059人間七七四年
2007/09/25(火) 22:46:49ID:YKnEyuM9言えてる。勝手に名門の苗字を名乗って、その名門の家系図と墓を盗んだ外道を知ってる。
因みにそいつの昔の家柄は賤民のたぐいってことも地元の老人なら知ってる。
でもそいつら金持ちで地元の権力者と関係があるから皆だんまり。
0060人間七七四年
2007/09/25(火) 22:48:19ID:t6YRyHKt0061人間七七四年
2007/09/25(火) 22:59:36ID:YKnEyuM9とは思えない。その家系図は絶対誰にも見せんらしい。地元の教育委員会会長にさえ。
専門家が見たら書き換えたのがバレルからかな。しね
0062人間七七四年
2007/09/26(水) 00:24:53ID:0VQHm5Dg武士自体が苗字詐称してたりするからな。
徳川家とかもほんとは松平なのに、松平が、そのとき公認されてなかった
苗字(要するに農民苗字)だったからって、源氏の分家、徳川に改名。
0064人間七七四年
2007/09/26(水) 01:04:17ID:FrCfRk8O適当に決めちゃったのかなぁ
0065人間七七四年
2007/09/26(水) 01:30:02ID:PpsJRZFOただ名乗ってはいけなかった。
これは最近の研究で明らかになっている。
0066人間七七四年
2007/09/26(水) 02:52:44ID:FrCfRk8O一応、家紋もあるみたいなんですけど、こちらもいつ誰が作った家紋なのか分からないんですよねぇ。。
0067人間七七四年
2007/09/26(水) 08:19:21ID:a9hgQwEP全員が全員名字持ってたわけじゃないけどな
>>66
家紋はどんな家にでもある。
自分のルーツを知りたければ、菩提寺にでも池
0068人間七七四年
2007/09/26(水) 10:05:41ID:cPizdQ4L0069人間七七四年
2007/09/26(水) 11:48:53ID:V0pE0AI0ある家紋とかはその家のルーツに全く関係ないのがほとんど。
そこらじゅう違い鷹、並び鷹だらけ。
0070人間七七四年
2007/09/26(水) 18:43:57ID:9IvvDjhL0071人間七七四年
2007/09/26(水) 19:53:47ID:V0pE0AI0だいたい貴、武 以外が苗字を許されなかったのはいつから始まったのかな?
苗字があるのに名乗るのはXて、意味がわからんな〜。そいつらに苗字がある意味
は何?
0072人間七七四年
2007/09/26(水) 20:18:01ID:a9hgQwEP武士の名字は血筋を表し、支配階級であることを明らかにする為のもの
だから庶民の名字は家系存続でなく、集落とかそういうものを表す適当なもの
0073人間七七四年
2007/09/26(水) 22:16:04ID:+oduUYNj雁金紋ばかり有名だが、あれは戦場で使われた旗紋。
戦国時代の記録に旗紋が目立つのは当然だろう。
勝家の位牌が残る菩提寺に柴田の紋として藤の紋が示されている。
出自がはっきりしない柴田の一族は藤原系なのかもしれない。
0074人間七七四年
2007/09/27(木) 04:55:53ID:Y4tDfeEq家の源氏香紋の文字紋なんだけど
0075人間七七四年
2007/09/27(木) 05:05:56ID:Y4tDfeEqわかりずらいスマン
0077人間七七四年
2007/09/27(木) 11:23:29ID:GOK4CWPc0078人間七七四年
2007/09/27(木) 16:17:46ID:Y4tDfeEqなるほど。
ただうちのルーツは藤原北家という資料があるんだが、まったく同じ家紋を使っている氏族がいるんだけど、やはり藤原北家なんだよね。
関係あんのかなこれ
0079人間七七四年
2007/09/28(金) 10:49:28ID:B/goxFV/兵庫京都近江一帯に親戚が多い。寺は浄土真宗、ほんとに末裔なのかな。
墓も仏壇も小さいけど。
0080人間七七四年
2007/09/28(金) 15:18:12ID:IgyRJ7Zd正統本家だと主張されたら嘘つけ!となるけど。
0081人間七七四年
2007/09/28(金) 17:55:41ID:VvuoPU1U歴史に残る一族の子孫は、ほとんどが分家や庶流、傍流の子孫。
0082人間七七四年
2007/09/28(金) 19:12:43ID:slcTBpYQ0083人間七七四年
2007/09/28(金) 20:18:45ID:IgyRJ7Zd平家め。本姓が清和源氏の俺様が根絶やしにしてくれるわ。
確かに一族の本家は>>81の言うとおり、合戦に負けて根絶やしにされた。
家紋がなかなか威厳のあるものだったんだが、それも既に本家と一緒に亡くなり・・
うちの家紋、本家のものに変えようかなぁ
0084人間七七四年
2007/09/28(金) 20:36:35ID:sX5nOJU3平清盛の養子だったから平姓名乗った流れもあるけど
うちの流れは藤原姓使ってたから許しておくれ゚(゚´ω`*)゜。
保元・平治の乱じゃ源義朝方について、戦った家柄ですぜ
0085人間七七四年
2007/09/29(土) 00:08:15ID:L1rSjI4I田中太郎っていう人が清和源氏だったら、姓がかわるなら清和源氏太郎っていう名前が本当なの?
本姓ってなによ
0086人間七七四年
2007/09/29(土) 01:03:19ID:0lAp0kmb家紋、今は変えようと思えばすぐに変えられるんだろ?
0087人間七七四年
2007/09/29(土) 01:47:17ID:yWNulEUHどうやって変えるかわからんが
0088人間七七四年
2007/09/29(土) 05:56:13ID:GeRXeZna選んでくださいだってw
0089人間七七四年
2007/09/29(土) 07:14:32ID:zdaMnm4G和服を貸す際、お客の家紋を尋ねるか紋帖で確認する。
でも知らない人も多い。よってよくある蔦紋などを使う。
レンタル着物なんか殆ど桐紋だしね。
0090人間七七四年
2007/09/29(土) 12:39:23ID:IiHWtIj60091人間七七四年
2007/09/29(土) 12:55:52ID:PsKNrJ5Jヒント ラモス
0093人間七七四年
2007/09/29(土) 14:41:01ID:mpbh+A1n俺信長の家紋2つ3つ見たことあるんだけど。
0094人間七七四年
2007/09/29(土) 15:58:11ID:UVSpU1zp仏壇も無い渡来人かよ
0095人間七七四年
2007/09/29(土) 16:57:30ID:MFRL1s4Q奥州畠山の末裔
家紋は桐(細かい違いしらん)
臨済宗です
南部藩藩主の乳母を出したことあるそうです
その地方では昔からの豪族だったのは間違いないらしいが・・・・
ほんとかな? いやそれだけだw
0096人間七七四年
2007/09/29(土) 17:57:28ID:9QtSRg2/色々なケースがあるからね。事情はそれぞれ。
身内同士で戦うこともあった時代。同じ旗印を掲げられないケースもある。
一族の紋ではない戦い用の紋が別に用意されるのは当然。
母方との繋がりや影響力が強い場合、母方の家紋の併用もある。
身分の高い嫁をもらう場合、嫁の家の権威を利用しない手はない。
など、諸事情により複数使い分けられていた模様。>>73の話も関連するね。
現役中は出自を粉飾する必要もある。状況に有利な血統(家紋)を主張する。
で、死後に弔うのに使われてる家紋は一族共通のものかもね。
0097人間七七四年
2007/09/29(土) 20:10:08ID:LAiZMF4a0098人間七七四年
2007/09/29(土) 20:54:28ID:L1rSjI4Iその自慢口調が痛すぎるw
しかも、明智の家臣や今川の家臣の末裔が集まってきてるこのスレじゃ対して珍しくない普通の家系w
0099人間七七四年
2007/09/29(土) 21:03:25ID:L1rSjI4I0100人間七七四年
2007/09/29(土) 23:53:14ID:1IvdtViT0101人間七七四年
2007/09/30(日) 03:48:24ID:wSLWard1それより今年の年貢じゃが・・・
0102人間七七四年
2007/09/30(日) 09:02:17ID:nGmfZUhU0103こんな名無しでは、どうしようもないよ。
2007/09/30(日) 10:48:26ID:F0mjPHU4_. - .:.{ ヽ.:.:.:.:.:.>' ´ /
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ヽ||:.:.'.:.:.:.:.:.! 弋_り 弋_り ムィ.:.:.ハ:.:|
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∨:|ハ|ヘ.:| > ._| ___ |‐ ´ ヽ/ l.′
ヽハ. ヽ ', | 冂| | , ヘ
| \ | 〒' |、 / |
| \ ,. '´| f,ユ...」 ヽ' |
そんなの関係ねぇぇ・・・・・・
0104人間七七四年
2007/09/30(日) 12:00:05ID:5eH29Yjx関東以北で平、藤原の末裔と称してるのは殆どエミシだよ
さすがに源氏なんて言い出せないから
真ん中取って詐称してるだけ
0105人間七七四年
2007/09/30(日) 12:40:50ID:MaZdP1wr家系図もあるぞ。
確かにもとは関西ルーツなんだが、室町時代に関東に流れてきたという罠
0106人間七七四年
2007/09/30(日) 13:32:22ID:yYpLUIfWそもそも新天地を求めて差別階級の人がなだれ込んだ場所でもあるから蝦夷は
0107人間七七四年
2007/09/30(日) 14:17:35ID:MaZdP1wr0110人間七七四年
2007/09/30(日) 16:10:29ID:/lfR1gNs最終的に皇室にたどり着くんだろ?
0111人間七七四年
2007/09/30(日) 16:11:04ID:MaZdP1wr01121111111111111111
2007/09/30(日) 17:04:09ID:LNMGy8fIのは伊達と島津しかいないという事実
あとはひょっとこ出か途中で滅亡とか
伊達と島津は尊敬に値する家柄
0113人間七七四年
2007/09/30(日) 17:14:07ID:e0XIGs20日本家系協会wwww
うちにも葉書が来たぞ。
○○、△△、□□一族は源氏の末裔とかいうので
本を出したから買ってくださいとか言うのw
で、いくらとられたの?w
0114人間七七四年
2007/09/30(日) 17:19:26ID:MaZdP1wrいや、タダでくれた。
寺にある家系図、家紋、家にある甲冑、日本刀すべて見ても、不自然ではないんだよw
そんなに悔しいか?w
0115人間七七四年
2007/09/30(日) 18:45:12ID:wvIedgA6こんなところ信じてたら笑われるよ。
0116人間七七四年
2007/09/30(日) 18:46:34ID:yj/naxaS0117人間七七四年
2007/09/30(日) 19:06:45ID:MaZdP1wrとなると、なにを信用すればいいのかね。
0118人間七七四年
2007/09/30(日) 19:17:10ID:wSLWard10119人間七七四年
2007/09/30(日) 19:39:16ID:wvIedgA6寺にある家系図も全幅の信頼はおけない。
確実なのは、菩提寺にある過去帳だろう。
過去帳と自家系図を比べて、重なる人物は信用出来ると思う。
自家系図で怪しいのは、先祖を源平藤橘としていて、それらと結びつけているところ。
このあたりは、自家系図以外に史料がない場合は、参考程度に考えて、完全に信用しない方がいい。
ちなみに私の家の先祖は、源三位こと源頼政らしい。
頼政から家系図に書かれている祖父までの系譜を眺めると、実にうまく作ってあると思う。
0120人間七七四年
2007/10/01(月) 01:38:37ID:biAUq/Vj屋敷はないのか?
旧家なら地域では自他共に認める名門のはず。
周辺に家来の子孫がいるなら今でも別格扱いだろ。
0121人間七七四年
2007/10/01(月) 01:39:03ID:vrggFCv6金に困って売ったりってのも昔はよくあったそうな。
0122人間七七四年
2007/10/01(月) 03:02:08ID:ikADAclS生活に困って売ったところ多かったみたいだよ
だから家系図はほとんど信用してない。
どんな家だったのかは明治時代までの婚姻相手や墓、戒名を見ればだいたいわかるよ
あとは地元の人の認識。名門なら今でも名が通ったままだよ
0123人間七七四年
2007/10/01(月) 09:03:17ID:Tj5tyCdT屋敷というかどの程度の大きさが屋敷だ?
確かに石塀や蔵はあるな。ただうちの建物自体はそれほど大きくない。
本家は黒塀とちょっとした掘で囲まれてるけど。
周りは農家が多い地方なんだが、本家に行くとよく様づけで呼ばれてた記憶はある。
0124人間七七四年
2007/10/01(月) 11:02:29ID:vrggFCv6お墓は上杉の家来がもらった万年堂ってのがあるから確かなんだが、有名な名前ではないので
上杉の家来の家来みたいなもんだと思う。
でも、そういうのあると面白いね。歴史とか興味出るし、ひいきに出来る殿様もできるしね。
ただ今を生きる人たちも先祖(正式な家系という意味ではなく親戚縁類含めて)血筋をずっと、たどっていけば大抵、良いところの血がまじってるんじゃないのかな。
0125人間七七四年
2007/10/01(月) 16:08:26ID:oPGFP7EChttp://academy6.2ch.net/test/read.cgi/history/1163488146/
0126人間七七四年
2007/10/01(月) 21:29:16ID:NlXjrTSc祖先に持つ人もそれなりにいるのかね…
0127人間七七四年
2007/10/01(月) 22:21:34ID:B03/vm6Iびっくりした
0129人間七七四年
2007/10/01(月) 22:42:06ID:kwo2Sgul0130人間七七四年
2007/10/01(月) 22:43:19ID:B03/vm6Iえっ そうだったんですか
教えてくれてありがとうございます
0132人間七七四年
2007/10/01(月) 22:51:36ID:kwo2Sgulその次は?
0133人間七七四年
2007/10/01(月) 23:01:24ID:Gof7SKqeそれを言っちゃあ、お終いだw
江戸・明治の壁を越えて家系連続→確率20%
戦国・江戸の壁を越えて家系連続→確率1%以下
って程度だよね。現実問題。
天皇家以外は、ほぼ信用できんだろう。
0134人間七七四年
2007/10/02(火) 00:52:37ID:zvwqYrS0って、スレチだな
0135人間七七四年
2007/10/02(火) 02:06:38ID:f7982CjJおれなんて歴史に名前が出てこないんだぜ?
0136人間七七四年
2007/10/02(火) 09:42:55ID:GxfhAK8k佐竹
0138人間七七四年
2007/10/02(火) 14:03:16ID:uKmi8bC2でも実際天皇もドン百姓も同じでなんもかわらん。
そのドン百姓も子供の頃から天皇として育てられれば、同じになる。
同じであるこを痛いほど理解しているがため、よけいに地位、名声、選民意識、差別などの卑しい考えがが増大されるのだろう。
差別に縛られる者は己も差別される対象であることに気づけ。
それに気づいた者は何者からも支配されない。
0140人間七七四年
2007/10/02(火) 23:13:53ID:rikpUJp80141奇矯屋onぷらっと ◆O.K.H.I.T.
2007/10/02(火) 23:23:14ID:LyWt0S8h0143人間七七四年
2007/10/03(水) 00:25:31ID:CdWmrXnD0146人間七七四年
2007/10/03(水) 01:26:42ID:jIajQRgSそんなド田舎で勢力を維持した奴なんか尊敬できるかよw
せめて引き篭もりを克服して中央に出てきてからいえよww。
0148人間七七四年
2007/10/03(水) 14:49:33ID:CdWmrXnD阿蘇家は大和朝廷成立以前から存在する古い家であることはある程度認められてる
と思うぞ〜。もちろん千家家もそうだとは思うが
0149奇矯屋onぷらっと ◆O.K.H.I.T.
2007/10/03(水) 23:10:12ID:z6+dDvhD尾張国造まで遡れる家系なのに、途中で藤原氏の婿を迎えて家督が移行しているから。
んでその婿が藤原季範。源頼朝の外祖父。
0150人間七七四年
2007/10/04(木) 08:39:36ID:ZKHadJ1C「阿蘇家は大和朝廷成立以前から存在する古い家であることはある程度認められてる 」
認められていないよ。それこそが伝承のレベル。
阿蘇家は、俗に古いといわれる諸家の中ではかなり新しい方。
出雲大社の千家家や住吉大社の津守家の方がはるかに古い。
0151人間七七四年
2007/10/04(木) 18:17:18ID:1Ld6vyW1阿蘇より古い千とか津守とか紀にはまったく触れずに阿蘇だけをマンセーしてるとこが
どうも胡散臭い
0152人間七七四年
2007/10/05(金) 17:08:57ID:GZOExRmO0153人間七七四年
2007/10/05(金) 17:49:56ID:1NfT+6Vk0154人間七七四年
2007/10/05(金) 19:03:18ID:MyWVCgIh0155人間七七四年
2007/10/05(金) 19:03:53ID:LV2PUdc0韓国起源説と同じ理屈
0156人間七七四年
2007/10/05(金) 23:59:28ID:+5J8a0/y0157人間七七四年
2007/10/06(土) 00:03:32ID:ATViTZ4/わざと話を捻じ曲げてるのか?それとも人の話を理解できないほどの馬鹿なのか?
0158人間七七四年
2007/10/06(土) 00:30:42ID:JdEriU/uWikiには、もとより伝承の域をでないと書いてあるけどね〜
0159人間七七四年
2007/10/06(土) 03:25:31ID:PK5YaQrs0161人間七七四年
2007/10/08(月) 14:38:53ID:qBa+XZxb寺社も炎上したし
0162人間七七四年
2007/10/08(月) 16:23:23ID:U31QswNw他の古代名族はいつくらいから歴史があるの?
0163人間七七四年
2007/10/08(月) 20:38:31ID:Zuqq51Ry0164人間七七四年
2007/10/09(火) 23:42:53ID:potMuv5J家康かあっさりと松平を捨てたのは松平一族ではなかったのではないか?
僭称するほどの姓ではないが系図を弄った形跡があるのが気になる
0165人間七七四年
2007/10/10(水) 06:12:45ID:VT3XZ3SH0166人間七七四年
2007/10/10(水) 14:05:47ID:sgLfgE6O0167人間七七四年
2007/10/10(水) 14:11:39ID:B964qhdY0168人間七七四年
2007/10/10(水) 14:50:20ID:sgLfgE6O0169人間七七四年
2007/10/10(水) 16:58:46ID:oGz26LwK0170人間七七四年
2007/10/10(水) 19:02:00ID:PeiGqgp2よって織田信長は俗称で正式には津田信長です。
0171人間七七四年
2007/10/11(木) 16:33:23ID:HzmBeWdw0172人間七七四年
2007/10/14(日) 00:30:44ID:kgA71rl50173人間七七四年
2007/10/14(日) 02:11:13ID:zYSReuR70174人間七七四年
2007/10/15(月) 23:28:53ID:EmhGpsGz0175人間七七四年
2007/10/16(火) 04:20:03ID:Ye48aJdo松田聖子(蒲池法子)。
柳川城主で蒲池氏16代 蒲池鑑盛
鑑盛三男で塩塚城主 蒲池統安
蒲池統安の直系で、江戸時代は柳川藩家老格。
幕末の柳川藩家老格で上士の蒲池鎮之が松田聖子の高祖父。
※福岡県立柳川古文書館にて史料確認済。
0176人間七七四年
2007/10/16(火) 10:38:09ID:KaXEE3x70177たられば君
2007/10/16(火) 15:10:54ID:B/7g80td0178人間七七四年
2007/10/16(火) 16:54:57ID:7HwAq9xV出戻りとはいえ嫁いでるしね
0179たられば君
2007/10/16(火) 17:43:22ID:B/7g80td0180宇喜多直家信者 ◆W.uAGfax.c
2007/10/17(水) 02:54:46ID:G29oUbFT0181人間七七四年
2007/10/17(水) 05:39:33ID:2BL5A6lV女だから乙にしならんよ。
江戸時代では多くの武家は、娘の婿養子に名跡を継がせて家系を維持しているから。
>>178
立花道雪の娘のァ千代は女総領だが。
0182人間七七四年
2007/10/17(水) 06:39:38ID:VIsxTlVlしかも聖子は2回も姓が変わってるが
0183人間七七四年
2007/10/17(水) 08:18:21ID:2BL5A6lVそんな個人的なことはどうでもいいじゃん。
>>174の「戦国武将直系の有名人はいますか? 」に対するレスとして
聖子のことは書かれ、事実として間違いないのだから。
ただ、柳川藩の蒲池家だった松田聖子の生家の総領は、聖子の兄。
0185たられば君
2007/10/17(水) 09:52:13ID:Ofc2Cws10187人間七七四年
2007/10/17(水) 19:20:32ID:UzFFZi0F甲斐さんっていう爺さんが出てたんだが
やっぱり勘ぐってしまった
0188人間七七四年
2007/10/18(木) 15:08:56ID:IOEAt2A90189人間七七四年
2007/10/27(土) 17:53:59ID:3aYTZeOT0190人間七七四年
2007/10/31(水) 05:31:48ID:KsxR3O8g0191人間七七四年
2007/11/03(土) 18:55:35ID:humYiG8k1、「家紋は?」(家紋は、つじつま合わせに同じものにしていることが多いが、たまに旗印を使っているアホがいる。家紋が違えばその時点でウソ。)
2、「屋敷はあるの?」(戦後に取られたとかいうのはほぼウソ。名の成る武将の子孫は、みんな今でも地元の名士です。平戸出身者なら、95パーセントの確率でウソ。)
3、「あなたの家は何宗?」(浄土真宗やキリスト教であったら、よほどのことがない限り武将ではない 単なる武士ならば可能性はある)
4、「ご近所に様付で呼ばれたことある?」(武将の子孫であれば、近所からは●●様、と必ず呼ばれます。)
5、「あなたの出身地はどこ?」(よくあるのは中国地方の武将を、東北地方の人間が自称したりするパターン。毛利家とか。)
6、「あなた、その武将から数えて何代目?」(「〜代くらいかな?」とか言うのは、完全に嘘。名だたる武将の子孫が、何代目かはっきりしないなんてことは絶対にない。)
ちなみに、わたくしの先祖は地元の弱小藩の上級武士でしたが、
それでも近所からは様付け、屋敷有り、墓も屋敷の敷地内にあり、と、ほぼ満たしています。
なんの武将の子孫でもない、単なる弱小藩の藩士の子孫でも地元ではその程度の扱いは受けます。
著名な武将の子孫が、平戸出身者でなんの資産もないなんていうのは、ほぼ99パーセントありません。
0192人間七七四年
2007/11/03(土) 22:21:06ID:humYiG8k0193人間七七四年
2007/11/04(日) 01:09:26ID:PBl+9XFn0194人間七七四年
2007/11/04(日) 02:20:57ID:JA+gCoO/有名どころとか特に
0196人間七七四年
2007/11/04(日) 21:09:33ID:EVYHRRkH戦国武将は旗印が有名すぎて誤解されている。
家紋で辻褄を合わせて墓穴を掘る自称さん多過ぎ。
0197人間七七四年
2007/11/05(月) 04:29:00ID:FQj0aBmwみなさん楽しく書きましょう
0198人間七七四年
2007/11/06(火) 00:32:11ID:zZkH/LGP風林火山が始まったら急に「俺の家は山本勘助の子孫だ」と主張し始めた奴がいる。
単なる寝ぼけだと思ってほっておいたのだが、山本勘助の模造刀を通販で買いだして、
「これは俺こそが持つ資格があるんだ」と言い出したので、ついに
俺が「山本家は有名な海軍元帥の山本五十六の家(家老)が子孫だ。」
と教えたら、急に言わなくなった。
0199人間七七四年
2007/11/06(火) 00:37:58ID:zMh4K9fn0200人間七七四年
2007/11/06(火) 00:54:20ID:zZkH/LGPただ家を訪ねたことがあるが、たぶん小作人かなんかが先祖なドン百姓だと思う。
0201人間七七四年
2007/11/06(火) 17:49:22ID:O1m60jZ30203人間七七四年
2007/11/07(水) 18:00:44ID:9IJU2utA名もなき雑兵
0204人間七七四年
2007/11/08(木) 00:13:32ID:umrEO0/00205人間七七四年
2007/11/08(木) 00:51:45ID:3yJFaQvg0206人間七七四年
2007/11/08(木) 05:23:38ID:442HiKCBキリスト教信者な武将の末裔って、案外居るよ。
明治期の日本人牧師には、士族出身者が、多い。
当時の牧師の多くは、外国語を学んでいたりと、
高等教育を受けれる家の者が多いから。
0207人間七七四年
2007/11/08(木) 08:22:21ID:VFIqpnZH0209人間七七四年
2007/11/09(金) 21:32:05ID:UJTzRecU0210人間七七四年
2007/11/09(金) 23:23:14ID:K3yMztRi日本刀を畳に突き刺し斬ってや捨て斬ってや捨て
0211人間七七四年
2007/11/10(土) 00:18:25ID:FIzJYIdC0212人間七七四年
2007/11/10(土) 20:27:44ID:fk49JwRK部屋の中が文字通り死体の山。寄せ手が死体の山を掻き分けて義輝探してると
死体の間から刀でグサリ、死体の山に駆け上って義輝探すと足元からまたブスリ。
義輝一人討ち取るのに犠牲者700人を超えたという説もある。
0213人間七七四年
2007/11/10(土) 20:48:56ID:0oUI9fuKあっけなく死んでたんじゃないの
0214人間七七四年
2007/11/10(土) 23:21:56ID:/RsoqSHC近所にもっと残念な家がある。
本で武将の家紋調べて真似しようとして、
横に載ってた家紋と間違えて子孫だと主張w
0215人間七七四年
2007/11/11(日) 00:37:01ID:okf8aeKt0216人間七七四年
2007/11/11(日) 06:03:07ID:IT9lpXY4そういう墓穴堀さんが沢山いるのは事実だと思う。
でも中にはご先祖様が戦に参加した例もある。
○○家の者(兵隊)として旗印の下で戦った。
その後、仕えた家の関係者としてその姓を使うようになる。
掲げて戦った旗印に愛着がないわけがない。
だから旗印を家紋として使うようになる。
記録は曖昧になり、誇張されて傍流を名乗ってしまう。
が、実際は家来の末端、または戦に参加した農民。
つまり悪気はないが都合よく解釈しすぎている。
ここを見て早速「実はもう一つ家紋がありました」
と調べて嘘を重ねる墓穴梅さんも出てくるかも。
0217人間七七四年
2007/11/12(月) 18:14:15ID:LlE07gZN元々は家来だから家紋が旗印かもしれんけど
政略結婚で身内になってるらしいよ
0218人間七七四年
2007/11/12(月) 19:35:09ID:UHsn+hpY家紋が旗印なのは百姓足軽だけ。
大名と結婚するような重臣は自分の家紋があるからね。
0219人間七七四年
2007/11/12(月) 23:03:05ID:APcLD6RVオヤジの与太話鵜呑みにしてた(>_<)
0220人間七七四年
2007/11/13(火) 03:15:57ID:R6C98INW功を立てた家来が紋をもらって家紋にすることは確かにあったよ。
ただね・・・
それはまぎれもなく「大名の家紋」なんだなこれが。
よーするに正統なルートで「大名家と婚姻できるほどの」の家紋が「旗印」になる可能性は0パーセント。
旗印になる可能性は以下の2つ
@君のご先祖様は槍を持って背中に旗を背負って走り回った雑兵君
A完全な確信犯の「自称君」
あなたはどっち?
0221人間七七四年
2007/11/13(火) 06:36:33ID:FTlGdpZqを追加!
0222人間七七四年
2007/11/13(火) 15:41:15ID:AVNSloYo上杉家からもらった「竹輪に雀」が代表紋のように言われるが、
実は江戸時代を通じて藩主の身の回りの品に入ってた紋は
「丸に竪三つ引両」。伊達家内部ではこっちが正式な家紋だったようだ。
こういう細かい事情を調べずに家紋とか馬印、もっとひどいのは軍旗
なんかをパクって子孫だと主張するとおかしなことになる。
0223人間七七四年
2007/11/13(火) 16:43:33ID:R6C98INW一致しなければその時点であぼーん
実際に子孫なら、奇妙なほど一致するものですよ
特に年表は大事。
0224人間七七四年
2007/11/13(火) 18:45:59ID:E4uo0sGa家紋だけでも複数あるのが珍しくないよな。
菩提寺に行ってみると意外な家紋を発見することもある。
なのに全国の同姓さんが一番有名な家紋に集中しちゃうw
この事象から導き出される答えは「ほとんどが自称」しかない。
誰でも一度は目にするような資料からパクっちゃうんだからねw
たまたま現存する資料が示す紋が代表紋とは限らないのに。
家紋は一つだと思ってる無知君はそんな落とし穴には絶対気付かないw
情報の乏しい時代には自称し放題だったということだろうな。
>>223
「奇妙なほど一致する」にはかなり同意だな。
事実だと別ルートの情報がパズルの様にはまっていく。
一方、作り話は基本から脱線してるw
0225人間七七四年
2007/11/13(火) 19:37:12ID:R6C98INW実際、俺も経験者だからね。
家は戦国大名なんて大それたものじゃなくてちょっとした武将だったけど。
家紋はあまりアテにならんよな。
仮に子孫だとしても、昔は嫡流の家紋は嫡流の子孫しか継げなかったなんて情報もあるし。
まぁ逆にいえば、その嫡流の家紋が氾濫しているのは異常事態と言えるんだが。
0226人間七七四年
2007/11/14(水) 03:05:14ID:iFwhej15キリスト教は大名でもいるよ
浄土真宗は要するに一向宗だけど、主に弾圧していたのは信長とか上杉とかだな
武田信玄は一向宗の親玉と親戚だし。
家臣に一向宗禁止を出してた大名もいたけど(信長とか)、武田家を初め一向宗と仲のいい大名もいるからね。
そういう大名家の家臣で門徒の武将はいたはず
キリスト教もしかり
0227人間七七四年
2007/11/14(水) 07:25:08ID:/huEITs/自称してる人達はみんな本物を丸写しなんだなw
0228人間七七四年
2007/11/14(水) 07:25:13ID:9fs8443r宮内庁に戦前から務めてた侍従とか女官にもね
0229ちょっと訂正
2007/11/14(水) 07:31:48ID:/huEITs/○本家を丸写し
0230人間七七四年
2007/11/14(水) 08:22:28ID:6DQve2Mq0231人間七七四年
2007/11/14(水) 15:20:47ID:1S5EcjfI一部の大名の弾圧政策や信長との石山合戦が有名すぎるので偏ったイメージが定着しているだけ。
実際、家康の領内で起きた三河一向一揆の時は、
その後家康の参謀になったり天下取りの重要なカギになるような武将が家康を裏切って一向一揆に参加してる。
それに、滅びた大名家が放浪して帰農したりすると宗派を変えるパターンも多いから宗教はアテにならないよ。
0233人間七七四年
2007/11/14(水) 22:01:36ID:1S5EcjfI0234人間七七四年
2007/11/14(水) 22:05:26ID:1S5EcjfI元亀3年7月に禁教令を出した。
んですぐに撤回した。
0235人間七七四年
2007/11/14(水) 23:47:48ID:1S5EcjfI一向宗=創価学会
一向一揆=信者集団の公明党の選挙応援
本願寺顕如=池田大作
創価学会の信者は老若男女なんでもござれだろ。職種もさまざま。
一向宗も士農工商・老若男女なんでもござれ。
信仰心してれば身分関係無しに一揆に参加。
真宗に失礼だった。
0236人間七七四年
2007/11/15(木) 00:22:36ID:gAo9MBuK0237人間七七四年
2007/11/15(木) 10:03:24ID:3gsi3ZK/現代は層化に限らずどの宗教でも老若男女なんでもござれだし、職種もさまざまだと思うが。
真宗の本山は皇族が嫁いでくるとこだが、犬作のとこに皇女が嫁ぐことは永遠にないだろうよ
0240人間七七四年
2007/11/16(金) 00:56:16ID:8T2GZwQ+家紋が一緒だから先祖、とか言うのかね?
0241人間七七四年
2007/11/16(金) 05:19:00ID:WZTAUkEC「代々語り継がれてきた」と形容される父親作のフィクションが基本。
手の込んだオカルトと同じで、証明する材料も否定する材料もない。
が、煽てて詳しく語らせればいずれ綻びが見える。辻褄が合わなくなる。
そんな奴らに限って確実に家紋は一致させてくる。主張の中身はそれぞれ。
落ち延びてきた武将の子孫なのに鎧も刀もない。昔からの住民の証言は0。
慎重派は、簡単に足が付かないように「○○の家来の家来」とか言う。
最悪の評価を回避するために、最初から「上の下」または「中の上」を狙う。
「うちは昔から苗字を名乗っていたから」が秘密兵器になると思っている始末。
いずれにせよ、農民化するまでの事情を捏造していくことになる。
「戦から逃げて」は間違いなく農民。農繁期に逃げるのは基本中の基本。
0242人間七七四年
2007/11/16(金) 05:32:26ID:hSR891IJ戦国大名の子孫なんかいないんじゃないかってたまに思う
0244人間七七四年
2007/11/16(金) 07:26:28ID:INYxMZ2uほとんどが偽物≠本物はいない
うちの祖父は武家屋敷で育ってます。地元では有名です。
祖母も名家の出。母方の祖父母も同様。
名家は名家と縁組してきたので名家はどこも有名血統の集合体。
だから特定の武将の名前を強調する意味がありません。
特定の姓ばかり主張する連中は大概自称でしょうね。
ちなみに現在でも家紋は複数使い分けています。
うちの先祖の一人はよく自称に使われますよ。
確かにみなさん家紋で失敗してます。
生き残ったのは女系で女紋が主流になってるんですよね。
歴史資料に掲載されてる家紋を使ったのは養子の家系だけ。
養子の系統は近年になって絶えたはずなんですよね。
なぜか全国に親戚が発生し続けています。
香典貰えるなら全部認定しちゃいますけどw
0245人間七七四年
2007/11/16(金) 10:30:29ID:3Jv05r1q同家格同士で結婚してきたから、上流の家系はみんな繋がってるんだよ
逆に言えば、明治以前の親戚がしょぼかったら偽者だ
親戚や墓石は焼けたりしないからね
落ちぶれてても今だに県下に名前が通ってるもんだし、他県でも同じ階層の人なら通じたりする
元大名の家ならそんなもんだよ
0246人間七七四年
2007/11/16(金) 16:56:33ID:XToJ6xdq自分の系図を売ったりするのは普通にあったからねぇ。
系図もどの程度信憑性があるかはわからんですわ。
0247人間七七四年
2007/11/16(金) 23:41:17ID:crJqWvgl墓守だとかおやじがいってたよ
墓近くにあるし裏山が城だから、まあそおかなあなんておもてる
どうでしょう?ところで先祖ってどうやってしらべんの?
0248人間七七四年
2007/11/17(土) 01:02:44ID:05IX7NdL0250人間七七四年
2007/11/17(土) 01:12:14ID:8PNgOyTKググればそりゃでてきますけどね。ほとんどwikiかそれの孫引きばかりで。
しかし3月に顕如から白天目の茶碗を送られる。7月に家中に禁教令を出して信玄の
仲介で和議というのも奇妙なタイムスケジュールだな。
ほんとに史料を教えてくださいよ。家中に出したというのなら残っているでしょう?
現物が残っていなくて家臣の家にはそういった記録は残りますしね。
0251人間七七四年
2007/11/24(土) 07:12:43ID:JIZb+HU10252たられば君
2007/11/24(土) 09:59:42ID:LnBBC+6C0253人間七七四年
2007/11/25(日) 15:14:40ID:7Ed9RBxTあなた方のご先祖様はエライ人だ。
藤原鎌足だ!
0254人間七七四年
2007/11/26(月) 09:08:39ID:O88q9Ir/昔は武装農民だよな。で、争いに敗けた奴らは農民に固定。
なのに「武士だったけど帰農した」って言う奴ばかりw
0255人間七七四年
2007/11/26(月) 11:22:00ID:6qSLUhxH地侍層と有力農民層の区別は確かにはっきりしてなかったけど、
国人層から上の領主層と農民層は中世でも明確な区別はあったよ。
なんか中世は農民も武士も大して変わらんみたいな論調があるが、
そんなことはない。
身分概念としての侍と百姓は明確に区別されてた。
0256人間七七四年
2007/11/26(月) 17:02:38ID:gE3FaWsZ百姓は富豪だろうと武装してようと禄は貰っていない
0257人間七七四年
2007/11/26(月) 17:24:27ID:i0v9l9fr残念ながら○藤と名乗って自称藤原一族な人たちは沢山居ます
○藤=藤原一族と言うのは平安時代から有名だし
0258人間七七四年
2007/11/26(月) 18:30:12ID:bfmrL6Lc地侍は今風に言うと地主なんだよな。
自分の土地を小作農に耕作させて小作料を取る。
国人は領主だから取るのは年貢。この違いが大きい。
地侍層は戦国時代に国人領主や大名の家来になって
そのまま江戸時代には侍身分になったのも居るし、
村に残って江戸時代は庄屋なんかの村役人になったのも居る。
そういう意味で地侍は百姓と武士を繫ぐ存在と言えるのでは。
0259人間七七四年
2007/11/27(火) 20:17:56ID:9fzsmSis0260人間七七四年
2007/11/28(水) 08:55:41ID:DXlbJLyZ0261人間七七四年
2007/11/28(水) 12:59:31ID:jWVeAAax柴田君はやっぱり雁金なんだろうね。
でも、あれも旗印疑惑があるんだよね。
0262人間七七四年
2007/11/29(木) 06:45:43ID:HwLOHROb0263人間七七四年
2007/11/29(木) 19:03:48ID:0l8KMCT/区別はそれほどはっきりはしてないだろ
0264人間七七四年
2007/11/30(金) 02:10:27ID:EXwRokEm下がり藤の中に一が入ってる柴田藤。
0265人間七七四年
2007/12/02(日) 08:52:17ID:adQ1dYG40266人間七七四年
2007/12/05(水) 00:17:22ID:Wyu0Prhi0267人間七七四年
2007/12/05(水) 10:21:15ID:M2Xcu3vi勝家関連は福井の神社や墓が有名で、滋賀にある菩提寺がなぜかマイナー扱い。
菩提寺に柴田家の家紋として柴田藤が残ってるけど、情報として出回ってない。
0268人間七七四年
2007/12/09(日) 00:36:05ID:1LyxzXM30269人間七七四年
2007/12/09(日) 10:41:24ID:T9et8xZc働くか娘を売るかしか食う術もないし
0270人間七七四年
2007/12/12(水) 21:02:50ID:zr+jFEod0271人間七七四年
2007/12/21(金) 18:04:33ID:50cM6RpY0272人間七七四年
2007/12/21(金) 18:16:04ID:+inXMomF0273たられば君
2007/12/21(金) 20:29:27ID:ToqviJfc0274人間七七四年
2007/12/30(日) 06:02:19ID:Ttn/zDqo1番最初にある細木数子どう思う??のアンケートにご協力下さい。宜しくお願い致します。
0275人間七七四年
2008/01/01(火) 23:11:46ID:S5LCfBYSなんせ原点が足利氏と名越北条氏だろ
吉良や一色より二段ぐらい斯波の方が上だろ
0276人間七七四年
2008/01/02(水) 12:34:30ID:5tLE1FJw斯波氏は呼ばれ方も違うしな。吉良氏は霜月騒動で討たれてから
しばらく消息がハッキリしないし、その後もそんな特別高い地位に
いた気配は無さそう
0277人間七七四年
2008/01/02(水) 20:16:58ID:TPbt00d3江戸幕府成立時点の大身の大名のなかじゃ、源氏系で一番毛並みのよい大名か>最上
0278人間七七四年
2008/01/19(土) 19:59:13ID:XE14OHxi0279人間七七四年
2008/01/19(土) 21:20:01ID:dsEHg94x最上を認めるなら南部や島津、伊東、相良、黒田、池田、浅野、伊達、上杉、小山などを
認めなければならない。
0280人間七七四年
2008/01/19(土) 22:03:35ID:CUjhifuE宗家は毛利家に残ってる
0281仙台藩百姓
2008/01/19(土) 23:58:02ID:an610WsL0282人間七七四年
2008/01/20(日) 00:32:00ID:HOSfYsVA村上源氏としては結構毛並みよくないか?
あと結城。御落胤なんていうアヤシイ伝承もともかく、藤原秀郷の系列じゃなかったっけ。
0283奇矯屋onぷらっと
2008/01/20(日) 00:36:24ID:dR+N0JwU0284人間七七四年
2008/01/21(月) 00:13:43ID:QWxMp2WI黒田、池田、浅野ってそいつらに並べられるほどの名家?
小山は知らんけど。
>>280
「宗家」で思い出したけど、そういや対馬の宗氏も結構古い家柄だな。
0285人間七七四年
2008/01/21(月) 00:58:13ID:Ky0TnfXg新羅三郎義光から甲斐武田と常陸佐竹に分かれたんじゃなかったっけ?
九州じゃ小弐と島津とあと何処かは頼朝の隠し子が始祖って本当?
0286人間七七四年
2008/01/21(月) 03:33:17ID:G6WZR3FL0287人間七七四年
2008/01/21(月) 08:35:21ID:lyawqKpYそういう伝承が有るだけだな。
大友、島津共ポッと出なのに複数の国の守護に任命されるなど
かなり優遇されてるんで頼朝と血縁でもない限りおかしいって気もするが。
全く関係無いが旧大名家で今最も格が高いのは島津と徳川あたりか?
0288人間七七四年
2008/01/21(月) 10:03:45ID:eREhnTjI0289仙台藩百姓
2008/01/21(月) 10:28:19ID:kUFCYbi2徳川宗家、毛利家、島津家、水戸徳川家
0290昼寝営業マン
2008/01/21(月) 13:25:59ID:8q74MzM+0291人間七七四年
2008/01/21(月) 19:09:16ID:G6WZR3FL格っていうのは相対的な評価だろう
鎌倉幕府当初ならまだ義光から別れた甲斐武田や常陸佐竹は格が高いと言えるだろうが
室町幕府の頃になれば、当然足利家で特異な地位の斯波氏、足利氏に血が近い上杉氏などが格が高い
江戸幕府になれば徳川家に近いモンが格が高いんだよ
0292人間七七四年
2008/01/22(火) 01:06:32ID:a6yKiVn60293仙台藩百姓
2008/01/22(火) 12:02:59ID:eqpZmG2zいや、水戸徳川家も公爵家だお( ^ω^)
大名家で公爵になったのはこの四家
他に徳川慶喜家と島津久光家があるが明治になってから出来た家だから除外したお
0294人間七七四年
2008/01/22(火) 15:09:15ID:BLUQufmz水戸家は公爵家でありながら現代に男系で繋げなかった。
0295人間七七四年
2008/01/22(火) 15:13:37ID:RbCXyuTK0296人間七七四年
2008/01/22(火) 15:14:34ID:RbCXyuTK0297人間七七四年
2008/01/22(火) 17:30:25ID:rhHOTwRv弱い感じがする
集客数も尾張には及ばないみたい
0298人間七七四年
2008/01/22(火) 18:31:05ID:a6yKiVn60299人間七七四年
2008/01/23(水) 19:26:12ID:LlHVI1je> かなり優遇されてるんで頼朝と血縁でもない限りおかしいって気もするが。
それはないと思うなあ。
頼朝の置かれた状況を鑑みるにそんなことできそうも無い。
完全な後付だろう。
0300人間七七四年
2008/01/27(日) 03:36:50ID:vNJ/Nt8rたまたま島津、大友の初代の母親が頼朝の妾だったので、頼朝は彼らを重用し、自分の代官として九州の守護にした。
九州の武家は、元平家方だったので、御家人にしたものの頼朝は彼らを信用しておらず、
監視と抑圧を兼ねて、島津や大友という代官を送った。
だから九州の大名は、鎌倉時代以前からの在地のものと、鎌倉時代の頼朝の代官的な下り衆に大別される。
0301人間七七四年
2008/01/27(日) 09:48:43ID:EDk9EM0B都落ちして田舎者相手に粋がってるようだがチャンチャラ可笑しいね
0302人間七七四年
2008/01/27(日) 10:26:31ID:JlLkqyLb神奈川県民(笑)
0303人間七七四年
2008/01/27(日) 11:03:36ID:VrQuwyqG0304人間七七四年
2008/01/28(月) 02:40:07ID:CO0Wa2q+そんなことよりも、島津も大友も関東では無名弱小の武家だがら、
頼朝の代官的任務で九州の守護となったということが大事なんだよ。
九州の大名や武家は、だから「九州在地」系と、「関東からの赴任」系の二つに大別される。
0305人間七七四年
2008/01/28(月) 03:27:55ID:bo+0wY/o0306人間七七四年
2008/01/28(月) 09:05:41ID:/qrLbliG0307人間七七四年
2008/01/28(月) 20:39:29ID:CO0Wa2q+それは一般論にすぎない。
一般論はどこでも通用するが、何事も解明しない。
九州の在地系とは、鎌倉時代に守護として赴任してきた「下り衆」以外の武家。
松浦氏や菊池氏、大蔵党の諸氏、嵯峨源氏の諸氏がそう。
彼らもまた平安時代に都やその近辺から地方官として赴任してきたが、
九州で勢威を張った島津や大友など鎌倉時代の下り衆に対して、九州在地として区別される。
鎌倉幕府に反対した承久の乱に参加したのも、下り衆の下に置かれた、在地の武士たち。
彼らはまた、後には南朝方になり鎌倉幕府を倒すことになる。
0308人間七七四年
2008/01/29(火) 04:16:53ID:GModUGgC継体天皇以前からの天皇家の隠密諜報役割。
表に出た時は大友氏などなり
近衛の中の近衛。
継体天皇自体あきらかに諜報員達の情報の上に在るような気がする。
よって応神天皇を祀る鶴岡八幡は大伴宮司。〈ツルガ〉は敦賀となる。
古代から表舞台に立った時に数々の責任を負うが有事の際には何故か勢力がある大伴族。
その流れから伊賀甲賀だろうか。
戦国時代には播磨や豊後で快挙を見せる大名側近吉岡氏は、なぜか出目がハッキリしないのは隠密中枢からの派遣かも。
0309人間七七四年
2008/01/29(火) 11:17:17ID:E13lnJgB0310人間七七四年
2008/01/31(木) 03:34:18ID:rhVw/Y9+0311奇矯屋onぷらっと ◆JUU/.JUU/.
2008/01/31(木) 23:44:49ID:OgM+7f5c0312人間七七四年
2008/02/17(日) 15:56:46ID:Ril/YUEn0313人間七七四年
2008/03/20(木) 23:26:03ID:Ii26HGM60314キング
2008/06/03(火) 12:17:50ID:Exc1PcNJ使用禁止の言葉「門地」
http://japansconspiracy.hp.infoseek.co.jp/02/p004.html#page51
0315人間七七四年@全板トナメ開催中
2008/06/04(水) 00:17:02ID:/WA86LZK上洛未遂の尼子氏、飛騨国司偽装の三木氏、大名返り咲きの京極氏、風見鶏の朽木氏、報われないレジスタンス六角氏、目薬屋黒田氏。
みんなキャラ濃い。最高。
0316人間七七四年
2008/08/07(木) 16:16:55ID:jyNeAIVr伊達成宗:奥州探題就任
伊達尚宗:上杉氏から正室を迎える
伊達稙宗:再び奥州探題就任
伊達実元:上杉氏の養子となるが長尾家の妨害により失敗
長尾家
長尾景春:関東を争乱状態にして、管領上杉家の勢力を衰退させる
長尾邦景:上杉家をないがしろにし、専横を振舞う
長尾実景:越後守護家に謀反を起こす
長尾為景:上杉房能、八条定宗、上杉顕定らを殺害して上杉家を傀儡化
長尾晴景:上杉実元の家督継承を妨害
長尾顕景:上杉憲政、上杉憲重らを殺害して上杉を僭称
さらに上条上杉政繁を追放
どちらが上杉を継ぐに相応しいかは、バカでもわかるわな
0318人間七七四年
2008/08/16(土) 14:50:22ID:sW3qJP4w0319人間七七四年
2008/09/29(月) 15:44:23ID:Wtac7/YBさすが自称源氏だけあるわwwwww
0320人間七七四年
2008/10/06(月) 10:27:58ID:F2bKuIe+なんで「うちは○○の子孫」とか「僭称乙」とかの
どうでもいいお家自慢と化けの皮はがしであふれてるんだ?
子孫を語るんじゃなくて先祖をかたるスレじゃないのか?
0321人間七七四年
2008/10/09(木) 18:13:01ID:ZrJKyjBL0322人間七七四年
2008/10/09(木) 19:22:55ID:ohHnlta5ただの武士だけど、勘定方を務めて各資料に名前がきちんと出てくる俺の先祖の方が自慢できるわ。
0323人間七七四年
2008/10/09(木) 23:09:03ID:llXE0kcP一ページめによくわからないけど藤原らしいですよ?という歌を詠んでおいた
脇坂安冶の息子みたいなのがかっこいいよね
0324人間七七四年
2008/10/10(金) 00:17:50ID:JmTGVob+『北南 それとも知らず この糸の ゆかりばかりの すえの藤原』
0325人間七七四年
2008/10/10(金) 01:01:50ID:PhtgbFis僭称でも源氏や藤原と言える家なら先祖にその程度の人物はいるさ。
今で言ったら市の収入役程度の人物でそこまで自慢出来る君はある意味凄いけど。
0326人間七七四年
2008/10/10(金) 02:01:59ID:7Dnle5wf池田家の場合は他の戦国武将同様に、当時からそれなりの家系伝承は有していたっぽい。
ただ光政一流のセンスや気骨が幕府に家系図を提出する時にああいう物言いにさせた、
という感じがする。
0327人間七七四年
2008/10/10(金) 08:51:33ID:+Lr8Wa0Z自慢にもなんにもならないしなんでこんな流れの語り継いでるのか理解不能な家系を
後生大事にしてる家の生まれだぞ
まったくどうせうそっぱちなんだろうか僭称するならもっとスケールでかいのにしろっつーの
そうでないならこんな中途半端な家系ねつ造すんな
先祖わけわからん
その点戦国武将の連中は脇坂安元みたいな奴もいれば
どう考えても嘘だがスケールのでかいやつがいる
大名までなった人とずっと百姓だかなんだかしらんあ
社会的に雑魚だった俺の先祖と俺との血統の時点での器の違いを見せつけられるね
0328人間七七四年
2008/10/10(金) 09:35:30ID:zB0W+l/Fそういうやつの子孫ってことにしてるんだから、いなかったら困るだろw
0329人間七七四年
2008/10/10(金) 20:23:54ID:AkxHGV/t>>322は、自分の先祖かどうかも分からない偉人を誇るよりは、
きちんと自分の先祖だと分かってる人物を誇る方がいいと言ってるんだろ。普通の考えだろ。
それに、勘定方ってのを現在の市の収入役程度に置き換えるのもどうかと思うが。
現代はなろうと思えば何にでもなれる時代なんだから。
0330人間七七四年
2008/10/10(金) 23:54:39ID:PhtgbFis実際の先祖にってこと。
ってか足軽の称源氏すらいるんだから>>325は無視して。
>>329
うん、なんかイライラしてたんだ。
>>322ごめん。
あんな書き方したけど、勘定役は様々な役職の中でも特に能力が問われる立派な役職だと思うよ。
0332人間七七四年
2008/10/19(日) 19:17:39ID:gT4odjGHたった4,5代前の爺さん婆さんの時代のことだ
文字のない文化ならまだしも、文化レベルは相当高かったというのにね
士農工商の身分序列は明治に学者が作ったものってのが濃厚なんだろ?
0333人間七七四年
2008/10/20(月) 00:43:43ID:i+/7/4mT若いうちは興味わかない事は多いが、年を取って興味が湧いていざ調べようとすると
当時を知る人がすでに残っていなく、寺の記録などの最低限な物しか手の入らない
0334人間七七四年
2008/10/20(月) 23:20:32ID:/dNg4WJ8文化レベルが高かったと言うのも疑問があるけどな
8割が農民だし
0335人間七七四年
2008/10/21(火) 00:27:54ID:+lJpfX5h現代の基準での絶対評価なら低い
0336人間七七四年
2008/10/21(火) 15:30:49ID:ujTzs3ny0337人間七七四年
2008/10/21(火) 15:46:45ID:Ec9LxOGq0338人間七七四年
2008/10/21(火) 17:57:49ID:vlVmFiCg参考資料の大半が江戸や城下、宿場のものだろうし。
曾祖母(母の母の母、91歳)から聞いた話だが、父やその友達、近所の年輩の人は文字の読み書きが出来ないか苦手な人が多く、
義務教育を受けてる曾祖母やその兄弟が本の朗読をよく頼まれたんだと。
父の友達が来てる時はみんなからお小遣いが貰える上に褒められて嬉しかったそうな。
曾祖母の祖父の頃の話だが、、、
城下から近いが水害が非常に多くて稲作がろくに出来ず、予定されてる治水事業の反対派の演説に討ち入り、
家まで追いかけてフルボッコした挙げ句家を家財ごと火薬で吹っ飛ばし、
村民のうち六十人がまとめて逮捕されたくらいの貧しい地域だが、
曾祖母とその兄弟はみんな中等学校を卒業してるから、他の地域でも似たようなもんだと思う。
中等学校の進学率はたしか昭和頃で50%程度。
0339人間七七四年
2008/10/21(火) 18:13:43ID:ujTzs3ny文字読めるのなんて一部の地域の一部の人間だけ
0340人間七七四年
2008/10/21(火) 23:00:40ID:zNNUSQMv0341人間七七四年
2008/10/21(火) 23:02:12ID:zNNUSQMv0342人間七七四年
2008/10/22(水) 01:48:38ID:SKmtGFVc概ね同意だが、昭和頃(昭和の具体的にどの時期かは上のレスからは不明だが)に旧制中学への進学率は50%なんかないだろう。
戦後ですら昭和30年代初頭までは新制高校への進学率は3割台だったはずだ。
戦前は旧制中学以上を出ていれば、社会的には少なくともエリートの末端くらいの位置付けだった(例えば軍隊に入っても旧制中学卒業以上ならば将校になる資格を有する等)。
0343人間七七四年
2008/10/22(水) 09:15:04ID:uv51fFlYいやソースは忘れたが確かに50%となっていた。
俺も嘘くさいなと思ったから覚えていたんだ。
おそらく小学校高等科、青年学校、中等実業学校の専門課程を含んでいるんだろう。
そうなれば青年学校に行けば軍役を回避出来る時期があったからありえない話じゃないね。
俺の曾祖母も工業学校の女工専門課程修了で正規の卒業じゃないし。
で、二年で修了だから14歳から働きに出たんだが、初任給が小学校の校長より高くて、
3ヶ月に一度、田んぼを実家に買い与えてたんだと。
おそらくこういう短期で終えて技術が身に付く専門課程は相当人気があったんじゃないかな。
時代が下り過ぎてスレ違いだな。
0344人間七七四年
2008/10/22(水) 18:28:38ID:H8PwfDuuおそらく小学校高等科、青年学校、中等実業学校の専門課程を含んでいるんだろう
↑だったら最初からそう書けよ。中等学校の進学が50%とか書くからややこしくなる。
しかも一つの資料から答えを導き出すとか頭がおかしいとしか思えん。
どう考えてもその資料が間違えてるとしか思えないし。
しかも、14歳のただの労働者の給料がエリート中のエリートの校長より高いわけないだろ。
曾祖母と仲がいいのは結構だが、年寄りの話を鵜呑みにする事ほど馬鹿な事はないぞ。
0345人間七七四年
2008/10/22(水) 19:23:35ID:fXy8KAEz寺子屋に行着く君の思考回路が難解すぎて理解出来ない
誰もトップクラスだとは言っていない
世界中の農民を比較して、日本の農民は下から数えた方が早いと本気で思ってるのか?
0346人間七七四年
2008/10/22(水) 22:38:49ID:GBxlWots時代劇でなwwwwwwwwwwwww
0347人間七七四年
2008/10/23(木) 00:27:25ID:QbV9YD46それじゃ聞くけど、何をもって日本の農民の文化力を計ってるわけ?
0348人間七七四年
2008/10/23(木) 09:25:24ID:Wgy5fY8sだから総称の「中等学校」って初めに書いたじゃん。
給料に関しては、曾祖母の実家に行った際にその兄二人からも聞いたよ。
家族で一番稼いでて小学校の校長より給料が多かった、うちにある田んぼや土地の大半は曾祖母が買ったもの。と
当時最新の紡績機械の扱いを習得していて他の女工に指導する役目だったから高給取りだとも言ってた。
親の世代は文字の読み書きが怪しい人がゴロゴロいる時代なんだから、
技能者とそうでない人に現代以上の所得格差があっても当然でしょう。
スレ違いだからもうレスしないよ。
0350たられば君
2008/10/23(木) 13:21:03ID:tHP0YvOL昔の時代劇だと字を読んでくれる
「ご隠居さん」「坊さん」「通りがかりのご浪人さん」が
いたんだけど、最近は省略されがちみたいだね。
0351人間七七四年
2008/10/24(金) 01:09:32ID:JaVtnBbI自分は>>344ではないが、いくら何でも女工の給料が校長以上ってことはないでしょ。
女工の給料は年収で10〜20円。一番優秀な女工で年収100円。
一方の教師の給料はよく知らないけど、恐らく月給50円ぐらい。
小泉八雲が教師をしてた時の月給が100円で校長の2倍だったらしいから。
初任給が校長より高かったってのはひょっとして契約の事じゃないか?
5年で100円みたいな。当時は先にまとめてお金を払う会社もあったらしいし。
それと言い方悪いが、紡績業に勤めてる女性はただの駒で、技能云々ってのは関係ないよ。残念ながら。
土地にしても、どこの土地かは知らないが一部の都市部を除いて昔の日本の土地は安かったからね。
0352人間七七四年
2008/10/24(金) 01:16:05ID:JaVtnBbIどこの土地かは知らないがってのは>>348の土地の事ね。
0353人間七七四年
2008/10/24(金) 01:28:31ID:M59ajvCd戦前はちょっとした技能者の賃金は物凄い高騰してたぞ
戦争で労働力が失われるから、人手不足になる
人手不足なので、売り手市場になって、賃金を高くしても労働力を確保する
確保できなかったところはヘッドハンティングで確保しようとする
それを回避するために賃金を高くする
とまあこんな素敵なながれで、最終的に政府が賃金に上限を設定したか、なんだか、取りあえず賃金高騰抑制に乗り出すほどに
0354人間七七四年
2008/10/24(金) 02:24:34ID:RpLUrAiA中卒はエリート
所詮女工
どっちだよwww
>>351
三ヶ月に一度とあるから最低でも三ヶ月ごとに給料貰ってたんだろうな。
つか三ヶ月分の給料が校長より多かったところで自慢にならないししないだろ。
一口に女工と言っても小卒、女学校卒、工業学校卒がいるし、女子は中卒も理系も少なく、
より上位の大卒なんて極稀だから会社次第で高給取りは十分ありえると思うぞ。
小卒就職でまともな給料貰ってたとは思えないからそのぶんが現場主任的なその曾祖母に回ってきても不思議じゃない。
代わりの人材も今と違ってかなり少ないし。
あと公務員の給料は経済が反映されにくくて、その曾祖母が働きに出た頃だと業種によっては満州事変の特需があったんじゃないか?
よく知らんが。
0355人間七七四年
2008/10/24(金) 02:45:08ID:RpLUrAiAで女にも高給職が回ってくると。
紡績専門で二年ってことはそれなりに習う内容があったんだろうな。
暗記バリバリやらされてて今みたいなゆとり教育とは違うだろうし。
0356人間七七四年
2008/10/24(金) 11:38:21ID:PCxE21rO0357鉄道
2008/10/25(土) 03:51:42ID:qd1BFIUihttp://mofa9.hp.infoseek.co.jp/0202/6/157.html
「太郎」と「一郎」の対決。これは、よく考えれば長男同士の対決だ。
二代目、三代目だけではない、家督相続の時代になった。
0358人間七七四年
2008/11/12(水) 16:04:48ID:BwosdyoG0360人間七七四年
2008/11/12(水) 18:09:18ID:CG31avHDようやく近代化しつつある中国は
いつの間にそんなレベルが下がってたんだろな
0361人間七七四年
2008/11/14(金) 00:50:40ID:r/7cPiDr0362人間七七四年
2009/02/12(木) 04:50:46ID:M9pPdrzP代官を勤めた「旗本」だったことが判明した。
曾祖母(97歳)によれば曾祖母が若い娘さんだったときに
破産したそうだが。一方、父方は「百姓(しかも水呑)」の家柄だ。
この場合、俺はどちらの家柄の家の末裔を名乗ればいいか教えて欲しい。
0364人間七七四年
2009/02/12(木) 09:57:04ID:L6zvXZW00365人間七七四年
2009/02/13(金) 00:30:59ID:/cKMpP0s0366ご先祖様ごめんなさい
2009/05/09(土) 00:26:51ID:01Y6553Iまぁ、やっかみと妬み疑いの交錯する話だわな。
ただ、2ちゃんの住人として、ひねくれた視点で自分の先祖を調べる奴も結構いるだろう。
ただ、俺みたいに名家に繋がって凹む人間も居そうだ。
名乗らないょ恥ずかしいもん。
0367人間七七四年
2009/05/30(土) 08:55:23ID:ArlnywbX0368人間七七四年
2009/06/07(日) 20:56:29ID:flmzUdg0戦国時代に幕府領、朝廷領、寺社領合わせて五千貫文の代官で更に独自の領土もいくらかあったようだがあり?
江戸時代の代官と違って自立的で取り分も多いから幕藩小大名級の収入はあったし戦国大名の子孫を名乗っていいものだろうか。
時期が守護大名、奉公人から戦国大名への移行期なのと
後に滅びて現存する資料がほとんど無いからか小和田は国人として扱ってるが…
のぶやぼにも出てこないし…
0369奇矯屋onぷらっと ◆SRGKIKYOUM
2009/06/10(水) 07:07:53ID:IsnGr2O40370仙台藩百姓
2009/06/10(水) 13:51:14ID:8Acfk12B「自立的で取り分も多いから幕藩小大名級の収入はあったし」
↑これがハッキリ分かるような家なら十分に資料が残っていると言えるお( ^ω^)
0371人間七七四年
2009/08/18(火) 21:21:55ID:CynDWLsA憲政定景義央
吉良のみは風評被害だけど
0372人間七七四年
2009/08/19(水) 05:39:01ID:tM3iO+bq自分とこも先祖が武家で祖父母祖母が墓守をしてたんだけど二人共亡くなって、
火事で巻物や家系図やらがダメになったのもあって詳しい系図が分からないんだ。
祖父母の代で自分とこが宗家になったのは間違いないのだけど、
先祖墓近くの寺やその地域の市役所に電話で聞いて調べてもらうことってできるのかな?
個人情報やプライバシー云々言われるから直接行って聞いたほうがいいんだろうか?
因みに本家とは祖父母と祖母が亡くなった今、一切交流がなく居場所も生きているかも分からない………
父も一人っ子だから親戚という親戚もいない。
生きてたら祖父母の本家だけ。
0373人間七七四年
2009/08/20(木) 06:38:28ID:MDJUCWHd0375人間七七四年
2009/08/21(金) 01:40:29ID:sGNBOkfz先祖探しのテクニック、エピソードを語るスレ 14
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/history/1235929583/
ここいってみ。最近過疎ってけど
0377五百石
2009/08/25(火) 15:29:17ID:olnJm63zルーツがはやったときに、親父が松山まで言って先祖を捜してきたよ。
江戸時代はじめに木曽から移り住んでたこともわかったけど。
それから家紋は変わらないと思ってる奴がいるけど主家が変われば手柄さえあれば家紋の一部を
拝領することがあるので変更は十分にありえます。
0378人間七七四年
2009/08/27(木) 20:52:37ID:dT1cubJX血筋と共に気高い精神を継承し続けて行くことに意味がある。
真の名族は分家にまで品格を求めるものです。
本物の武家の血筋だとわかったなら、誇る前に学びなさい。
途切れてしまった品格を取り戻す努力なしに血筋を語るのは
上流の人間のすることではないのです。
0379人間七七四年
2009/08/27(木) 23:39:54ID:w3PCbBAq0380人間七七四年
2009/12/04(金) 10:55:51ID:Ihf4AVf3でも大友氏とも縁がある。
大江広元の義兄弟の中原親能の猷子。
中原親能が、頼朝の娘三幡姫の乳母父となっていた関係で、大友能直と大江広元も
中原親能と一緒に京都鎌倉を行き来していた。
0381人間七七四年
2010/01/15(金) 23:31:01ID:NeCJ83sg株みんなずーーっと同じ土地に住み続けて400年になる。
天正年間ごろから大槻姓を名乗りはじめたようで、国は丹波国天田郡。
これはこれでグッと来るものがあるよねw
0382人間七七四年
2010/01/27(水) 19:31:11ID:b+C/H/oS0383人間七七四年
2010/02/11(木) 00:07:57ID:IS8+WRf10384人間七七四年
2010/03/10(水) 14:29:26ID:NwATeZw0昔の墓とか残ってる?
0385月孔雀
2010/03/10(水) 18:20:19ID:uPrrOHar0386人間七七四年
2010/03/17(水) 00:14:00ID:Q2v4V9N9日本では「家柄」差別はないという。
http://akiba.geocities.jp/pxzuwp/0202/8/188_1.html
そもそも日本の行政では、「家柄」という言葉自体が存在しない。
0387仙台藩百姓
2010/03/17(水) 00:29:34ID:52NiAfie0388人間七七四年
2010/05/19(水) 17:57:22ID:k/FUaT68織田信成が織田信長の子孫って本当?【2代目】
http://hideyoshi.2ch.net/test/read.cgi/skate/1271421161/
〜 織田信長の子孫に関する小ネタ 〜
●金スマ出演時に用意した家系図は某家系図業者共通の装丁で、
安住アナの指摘どおり「昨日作ったばかりのよう」な代物。
代々受け継いだものでないことは明らかで、歴史学的な検証には耐え得ない。
歴史ヲタにはおなじみの業者で、日本史板では落胆と失笑の声が上がった。
●織田母がTV番組出演時に語ったエピソード
「嫁に来て間もない頃に桔梗の花を飾ったところ姑に叱られた。」
「桔梗は明智の家紋だから、織田家では桔梗をいけるのはご法度ご法度なのです」
⇒旧丹波柏原藩織田家(元大名家)の当主である
織田孝一氏(本名は織田信孝、フリージャーナリスト)によるコメント抜粋。
「家には(桔梗ご法度の)習慣はないです」 「彼は誰なのでしょうね」
0389人間七七四年
2010/05/19(水) 19:09:19ID:xkJX/nyY0390人間七七四年
2010/05/22(土) 01:15:21ID:cOFl8/j+武田厨ではないしそういう見方はなくして欲しいが、甲斐源氏は名門じゃないの?
源氏嫡流の源頼朝の家が断絶して、足利や新田が出たが新田よりも名門だと思う
足利は征夷大将軍を輩出してることを鑑みれば甲斐源氏よりも上だと思うけど。
常陸佐竹は血筋が大給松平氏みたいだからそういう議論にはならないけど。
0391仙台藩百姓
2010/05/22(土) 08:46:22ID:KSbOBbq+斯波、吉良、畠山、細川辺りの方が家格は高いお( ^ω^)
0392石狩藩百姓
2010/05/22(土) 21:22:15ID:jOmv+Z0J百姓君がいってるのは全部足利支流で足利の五光で名門になったやつらwww
そこと比べるのはおかしい。この人がいってるのは新田も嫡流なんだからwww
甲斐源氏も嫡流でいいのではないか?ときいているのではないのwwwww
「足利氏流」と「新田氏」での違うジャンルでの名門の比較もおかしいwwwww
あと、甲斐源氏の南部や武田は細川と比べると同列かそれ以下だけど、
吉良や今川と比べたら甲斐源氏嫡統の方が家格は上なんじゃないの?
約束しましたか?
0393人間七七四年
2010/05/24(月) 08:38:34ID:s0VJOb2fこんな感じだろ、だいたい。
でも実際はたいして差はないかもな。
形式上の話で。
お互い同列の大名として接してたかもね。将軍以外は。
0394仙台藩百姓
2010/05/24(月) 10:48:21ID:4vTQ7iq8南部もただの地頭程度だお( ^ω^)
0395人間七七四年
2010/05/24(月) 20:21:47ID:mF3bp1BO0396人間七七四年
2010/05/24(月) 21:00:51ID:mF3bp1BO足利が絶えれば吉良が継ぎ吉良が絶えれば今川なんてのがあるけど、
正直、吉良と今川は大差ないんでね?って感じ。
香宗我部は甲斐源氏嫡流の武田信義の嫡男の忠頼の長男の子孫で地頭、
それでもって四国でも土佐を二分三分するくらいは活躍してるから
守護で庶流の武田と同列ぐらいには入れときたいな。
上はしゃあなしに足利争い、下は主に河内源氏内での争いか。
0397人間七七四年
2010/05/24(月) 21:11:18ID:mF3bp1BO大忍庄の代官職も与えられてるが、上のは正直別格扱いである。
土佐は長宗我部(秦氏)とか安芸氏(素性不明)みたいなのがいるぐらいだし、
香宗我部氏はひょっとしたら中央では名門扱いだったのかもしれない。
0398人間七七四年
2010/05/25(火) 01:36:59ID:z7xQDxhB仲間は増え続けている
http://www.nicovideo.jp/watch/sm10565626
0399人間七七四年
2010/06/19(土) 06:16:25ID:of6F3OT6憲法に「門地」などという変な言葉を使う
http://akiba.geocities.jp/pxzuwp/0202/8/188_1.html
不可解な事が数多くあったが、全て「徳川一族」の支配する日本を考えるとき、
全てが解決した。
日本の問題は、徳川一族を権力から排除すれば、全て解決する。
だが、彼らは、全て偽善者であり、人を騙すことで400年生き延びている。
どうすれば、善良な日本人と、邪悪な徳川一族を区別出来るのか???
0400人間七七四年
2010/06/22(火) 00:38:52ID:Qv59xdrp戦になって雑兵として戦に行った。そしたらボロクソに負けて、先祖と
気を失った殿様とその殿様をおんぶしていた侍の3人だけとなって戦場から逃げた。
殿様をおんぶしていた侍が力尽きて倒れた拍子に殿様の意識が戻って、殿様
が私の先祖に「お前が私を助けたのか?」と言ったので、私の先祖は「そうですよん♪」
と、答えた。ほいで私の先祖は侍に取り立てて貰えた。拝領で貰えた家紋は、逃走中に腰に
いっぱいカタバミの葉っぱが付いてたからカタバミ。最後までその場に居た人が
3人だったから、剣が3本だそうな。
0401人間七七四年
2010/06/22(火) 02:03:35ID:y3qrFihF> 自称戦国武将の子孫に出会ったらこれを聞け!
井伊家の子孫です。
> 1、「家紋は?」(家紋は、つじつま合わせに同じものにしていることが多いが、たまに旗印を使っているアホがいる。家紋が違えばその時点でウソ。)
丸に橘。
> 2、「屋敷はあるの?」(戦後に取られたとかいうのはほぼウソ。名の成る武将の子孫は、みんな今でも地元の名士です。平戸出身者なら、95パーセントの確率でウソ。)
800坪の宅地をもてあましています。田舎だから大して金にならない。
現時点での保有不動産は、約43000坪。
> 3、「あなたの家は何宗?」(浄土真宗やキリスト教であったら、よほどのことがない限り武将ではない 単なる武士ならば可能性はある)
曹洞宗
> 4、「ご近所に様付で呼ばれたことある?」(武将の子孫であれば、近所からは●●様、と必ず呼ばれます。)
実家は開業医だったので、
祖父:大先生(おおせんせい)
父:若先生
俺:ぼん
漏れはお手伝いさん二人に育てられました。
おかげで実母苦手。
> 5、「あなたの出身地はどこ?」(よくあるのは中国地方の武将を、東北地方の人間が自称したりするパターン。毛利家とか。)
岐阜県美濃加茂市。井伊家庶流越前井伊家から分かれました。
> 6、「あなた、その武将から数えて何代目?」(「〜代くらいかな?」とか言うのは、完全に嘘。名だたる武将の子孫が、何代目かはっきりしないなんてことは絶対にない。)
親父が18代目。
0402人間七七四年
2010/06/22(火) 04:50:03ID:qcG4jAth0403人間七七四年
2010/06/22(火) 06:56:14ID:Qv59xdrpわ〜ぉ。
>>402
小笠原さんは「弓の先生」です。どちらもが家の格式を高める為の努力をしていたので、甲乙とかは付けられないですよ。
0404人間七七四年
2010/06/22(火) 09:46:30ID:qcG4jAthありがとう
御先祖がいつも脳筋や雑魚扱いされていたんでこういう観点の評価はうれしい
0407人間七七四年
2010/06/22(火) 16:09:49ID:Qv59xdrpはい。私は、小笠原さんを尊敬しています。♪
>>406
いいえ、戦国時代の上総国大名の里見義弘さんの家臣の酒井胤治さんの領地内の、名も無い百姓でした。私の先祖。
↓が、レス400番の話のご褒美に貰えた家紋です。
http://www.digistats.net/image/2008/10/himeji.gif
0408人間七七四年
2010/06/22(火) 19:47:40ID:y3qrFihF補足:菩提寺は瑞林寺。天井、灯篭に一族数百人の名前が書き連ねてある。漏れが死んだらここに名前が書かれ、当家所有の山の上に墓石が立てられ、埋められる。
江戸時代の俗称:「御柿庄屋様」(尾張徳川家の代官が常駐しており、年貢・諸役免除、堂上蜂屋柿の進上のみが義務。干し柿は尾張家、将軍家、朝廷に収められた。)
名字帯刀御免。(脇差だけでなく、大刀も。)
通称の通字は「鉄(旧字)」。曽祖父までは鉄之助(井伊家と共通。)
直系先祖は井伊直勝と聞いています。
で、その子供が結城松平家家臣。
0409奇矯屋onぷらっと ◆SRGKIKYOUM
2010/06/22(火) 22:12:01ID:VN6VQvEQ蜂屋なら蜂屋氏以外には岸・佐藤くらいしか旧家知らんかった。
0411奇矯屋onぷらっと ◆SRGKIKYOUM
2010/06/22(火) 22:58:06ID:VN6VQvEQ0413人間七七四年
2010/06/23(水) 03:40:46ID:Afd7Rqdn0414人間七七四年
2010/06/23(水) 04:02:03ID:KSfATtQN0415人間七七四年
2010/06/24(木) 05:48:49ID:llI7WBUn「門地」の使用頻度
http://akiba.geocities.jp/pxzuwp/0202/8/188_1.html
「家柄」の2000分の一であり、行政文書そのものが死文となる。
0416奇矯屋onぷらっと ◆SRGKIKYOUM
2010/06/24(木) 22:04:20ID:1/LKdtec0417人間七七四年
2010/06/27(日) 02:21:19ID:SpdvgBkx0418奇矯屋onぷらっと ◆SRGKIKYOUM
2010/06/27(日) 02:52:29ID:shFCBlZV0419人間七七四年
2010/07/24(土) 12:50:58ID:Bc030MKiその証拠は何一つすらも無いがかなり気になる
0420人間七七四年
2010/07/24(土) 15:59:33ID:ZY6ctZHK明治新姓でしょ?
0421人間七七四年
2010/07/27(火) 23:43:46ID:o75PDWn40422仙台藩百姓
2010/07/31(土) 09:15:23ID:Y2SoGSyF0423人間七七四年
2010/07/31(土) 18:30:21ID:eKZGrCpQもう知ってる事は、全部・書き尽くしましただ。
0424人間七七四年
2010/07/31(土) 19:10:37ID:oHlfv5ov0425仙台藩百姓
2010/07/31(土) 20:35:43ID:Y2SoGSyFなるほど( ^ω^)
まあ江戸大名なんかは家柄もなにもあったものじゃないおね( ^ω^)
武家の棟梁たる徳川将軍家自体が新姓を用いて由緒もなにもないし
キコリの家に入り込んだ乞食というのが実態に近いお( ^ω^)
0426人間七七四年
2010/08/15(日) 07:24:59ID:R4stU8pA0427人間七七四年
2010/10/13(水) 01:55:56ID:ndzFs9gR亀だが、鹿児島ならネタじゃないかも。
まず幕末以降で言えば、
鹿児島は廃仏毀釈が凄かったから、家系図紛失とか結構多い。
ついでに西南の役で、家族親戚の中も真っ二つだったところも多いから、
武士だらけの藩だったわりには、系図なしの比率が高い。
もっと遡っていうなら、島津家ドロドロ歴史のせいで、上級であったがゆえに巻き込まれ
没落した家も多い。
でもって、明治以降は上級藩士の流れを汲む家の子孫ほど、鹿児島を出て行ってるケースが多いから、
先祖辿りたくても辿れない人って多い。
自分の里の近所の家は、今は極平凡な家で婆さん1人住まいだが、
元は島津家のお姫さんが輿入れした上級藩士の家。
でも薩英戦争で家ごとお宝(系図も)全焼。
その家がそんな由緒の家だって知ってるのは、今じゃ自分とこの両親と自分の3人だけ。
自分が最後の生き証人w(順番から言えば)
その家だって、小さな家と周囲の空き地くらいしか残ってない。
武士と農民がハッキリ別れてた上級藩士の家ほど、戦後の農地解放でごっそり持っていかれてる。
15歳以上の農業従事者がいないと農地が認められなかったから。
だから今の時点で大名家以外でかなりの土地持ってるのは、
半農半武だった家が多い。
0428人間七七四年
2010/10/15(金) 21:06:56ID:wPp7f41S豪族の家系の俺にはスレチか
0429人間七七四年
2010/11/05(金) 00:24:45ID:JxEVIXLKいいかもんのすけと同じ「まるたちばな」っての
武家です
0430人間七七四年
2010/11/05(金) 04:41:40ID:P7/Ul2NUウチの家紋はこれを60度回転させて丸で囲った「丸に剣方波見」。
結城晴朝に敗れた実の兄貴の小山小四郎殿に従って埼玉柳生に落ちて帰農した。
0431430
2010/11/05(金) 04:44:43ID:P7/Ul2NU0432人間七七四年
2010/11/05(金) 15:56:23ID:2rPDd6xDだよなー
うちは農家の小作人だったらしい
はい最下層です
0433人間七七四年
2011/01/31(月) 20:16:58ID:+WpwqQcS毛利 厚木市
小早川 小田原市
吉川 静岡市
0434人間七七四年
2011/03/10(木) 10:30:09.97ID:KJ6HKLUo0435人間七七四年
2011/05/08(日) 21:07:23.57ID:5k188y+8>>足利>吉良=今川>斯波>香宗我部=武田>新田>細川>佐竹>南部ぐらいなんじゃないの。
鎌倉時代は
足利>=吉良、斯波>武田、小笠原>今川、細川、畠山、新田、佐竹、南部、山名、岩松、世良田
室町時代初期は
足利>吉良、斯波>今川>=細川、畠山>武田、小笠原>新田、佐竹、南部、山名
その後
吉良が徐々に落ちてきて、細川、畠山が上がって
足利>細川、斯波、畠山>山名>今川>武田、小笠原、佐竹>吉良、南部・・・・新田、岩松、世良田・・・
0436人間七七四年
2011/05/16(月) 01:33:59.80ID:BaODE3FS過大評価されているだけなのかそれとも本当に優秀だったのか?いくら下剋上の
時代でも人生下り坂でも無いのに暗殺されたのはこの人と信長だけだから
ちょっと興味あるお。
0437人間七七四年
2011/05/16(月) 10:52:56.67ID:ISOUhAdC個人的には大好きなんだけど……まあ、最近松平一族スレが立ったからそっちで聞いた方がいいかも
0438人間七七四年
2011/09/07(水) 10:48:18.61ID:FbDjpbDxhttp://toki.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1303368850/
0439人間七七四年
2011/09/08(木) 03:46:21.17ID:I+b0sbC3いいかもん なのか
0440人間七七四年
2011/09/19(月) 11:22:55.57ID:DSmutQ+t先祖が士族の娘の場合、「俺の先祖が武士です!」って
名乗っていいものなんだろうか
0441人間七七四年
2011/09/19(月) 12:22:04.87ID:pEtk225/せいぜい「武士からの血も入ってるけどね」ぐらいに止めといたほうが
まあ百姓や商人でも元をたどれば武士な家って結構あるから、
ちゃんと調べてみたら?
0442人間七七四年
2011/09/19(月) 15:37:18.88ID:/ADoIa4Nやめとけ
かえって勘ぐられるぞ。
金でどっかの系図でも買ったお肉屋さんとか靴屋さんにでも間違われたら、
御先祖も悲しむだろ?
0443人間七七四年
2011/09/25(日) 09:45:57.10ID:i0MYSSDjhttp://toki.2ch.net/test/read.cgi/news7/1302357674/
0444人間七七四年
2011/09/26(月) 14:10:52.42ID:DLPkPrtW■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています