秀吉は無能な武将
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
0090人間七七四年
2007/10/18(木) 04:36:24ID:tqLugZa7家屋数万を抱える日本最大の都市であった京が物流の中心でなかったらどこが中心なのか?
草津や大津が当時交通の要衝だったのは事実だが、そもそも何故それらが交通の要衝たりえたかといえば
背後に一大消費地である京を抱えていたからだろう
それゆえ京の七口の関所存続は信長の関所廃止政策の
根本的意義(関所廃止による物流の促進)を損なうものだと指摘したんだが、理解していただけただろうか?
>既存貨幣の流通により実体経済が機能している以上止むを得ない
秀吉は天下統一事業の最中である天正16年に後藤光次に命じて天正大判を鋳造させてる
勿論天正大判自体は超高額で製造枚数も少なく、一般の市場に流通するような代物では到底なかったが、
定量表記の通貨を中央政権が鋳造したという事実は日本の貨幣史上特筆に価する出来事だ
この天正大判の鋳造を受けて後の江戸幕府は慶長金銀の鋳造を行い近世貨幣体制を確立、
早くも慶長8年には永楽銭の流通を禁止するまで至っている
要するに既存貨幣の流通で経済が成り立っている以上現状是認はある意味当然の策で妥当な政策だと思うが、
根本的な解決策である統一貨幣の鋳造という政策にまで至ってないのは信長の手抜かりといっていいだろう
別にいきなり大量の統一貨幣を鋳造して旧銭を廃止しなくても、段階的に入れ替えていけばいいわけだからね
秀吉や家康みたいな後の天下人は既存の貨幣流通を容認する一方で着々と貨幣制度の整備を開始し、
(個人ではなく二人の業績だが)わずか二十年足らずでそれを完遂している
必然的に信長が貨幣統制に関してこれら二人より劣った評価になるのは仕方ないと思うが?
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています