>信長の専業武士団の創設によって初めて可能
家父長的奴隷制について少し解説しておくと、
太閤検地の画期的な点の一つに直接耕作者を検地帳の名請人にすることによって
国人(在地の有力地主)による中間搾取を排除するという一地一作人制への志向が挙げられるわけ
以上のような一地一作人制の施行により今まで身分的に半農半兵だった
国人層を明確に「城下にすむ武士」「農村に住む農民」という風に分けることが出来たわけ
(実態はそれほど明確なものではなく、依然として有力地主の
存在は黙認されたが、彼らが武力権を行使するのは固く禁じられた)
こういう過程を踏むことによって初めて近世身分制度が確立されたわけで、
信長の専業武士団(これもきちんと説明して欲しい単語だが)云々の話は兵農分離の大筋とは全く関係ない
配下の有力国衆に城下の屋敷を与えて住ませることを持って専業武士団の創設といってるのかもしれないが、
それくらいなら他の大名でもやってる

>武田や上杉の兵は農業兼業。よって軍事行動は農閑期に限定。
実際に武田や上杉は農繁期でも必要に応じて軍事行動を起こしています
もちろん農閑期と比べて動員兵力が少なくなったのは事実だが、それは信長も一緒
「半農半兵の武田・上杉と違い、常備軍を整備したのが信長の天下統一の秘訣」つうのは
わかりやすいが実態に即したものだとは到底言えない
谷口克弘みたいに信長の兵農分離神話に異議を唱える研究者は多い
つうかまともな研究者で未だに信長の常備軍云々言ってる人居ないんじゃないの