秀吉は無能な武将
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0120人間七七四年
2007/10/30(火) 10:38:02ID:LH7BScU7>要点は信長個人が朝廷権威を乗り越えることであり、信忠を始めとする織田諸将はこの限りではない
家康の場合も最高の官職でも何でもない右大臣の辞職だったんだけど?
家康の例だけで不満なら同時代では他に三条西公条(天文12年に右大臣辞職)、三条公頼(天文15年に左大臣辞職)、
今出川公彦(天文16年に左大臣辞職)、花山院家輔(天正2年右大臣辞職)、西園寺公朝(天正4年に左大臣辞職)、
豊臣秀頼(慶長12年に右大臣辞職)なんかが散位してる
官職を辞することが朝廷権威を乗り越えることなんて、戦国時代の公家社会に対して無知な、
全く根拠のない話だと上の連中を見たらわかるんじゃないの
あと信忠は織田家の家督を継いで自他共に認める織田家の後継者だったわけですが、
当時としては老人といっても差し支えない信長が、
自身の権力を委譲するべき信忠のことをまったく考えずに
「自分だけ朝廷権威を乗り越えればそれでいいや」なんて思ってたらアホでしょ
>確固たる理念理想無しに、強大な勢力を有していた有力宗教勢力と敵対する危険など冒しはしない
それは単に君の思い込みじゃん
確固たる理念理想を持って有力宗教勢力と敵対してた割に比叡山門徒に対して当初は及び腰の交渉をしてますね
で交渉が上手くいかないと逆切れで大量虐殺ですか
>宗教勢力の世俗への介入の否定・非武装化を完璧に具現化した
「完璧に」という単語はお情けで見過ごしてあげるが(江戸時代も宗教勢力は政治に一定の影響力を保有)、
信長の宗教弾圧が結果的に近世社会の成立に大きく貢献したことはちゃんと認めている
ここで自分が問題にしているのは信長の宗教弾圧が当初から確固たる理念があってのものかどうか
「信長は民の指示を失わず」もそうだが、君の書き込みは論点がずれてる
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