秀吉は無能な武将
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0001人間七七四年
2007/09/09(日) 10:25:10ID:Lq1A531Y織田の家臣時代華々しい武功を挙げて異常な出世ができたのも、竹中や黒田などの智謀を備えた参謀の存在や秀長の補佐のお陰。
豊臣政権初期から、軍事や政務を秀長や利休にまる投げし、その後は三成ら吏僚グループに遠隔操作され、彼らの政策を後負い追認するだけ。
秀吉が小田原征伐に出張ったのも、秀長が病の床に伏していたからにすぎない。
天下を取ってからは贅沢と女色に溺れ、堕落した生活に埋没。
一人も参謀や軍師を必要とせず、清貧な日常を送った天才信長と比べれば、その能力と品格の差は月とスッポンだ。
0002人間七七四年
2007/09/09(日) 10:30:13ID:vnVFvvdlただ、最下層の出身ゆえに、大多数の人間の気持ちをよく理解でき、それを
最大に利用したというのが勝利の要因だろう。
天才ほど人に媚びたりはできんもんだからな。
0003人間七七四年
2007/09/09(日) 16:34:27ID:J8pfazQm0005人間七七四年
2007/09/09(日) 17:05:08ID:RYyLXrP8やって当たり前のことはそつなくこなすって感じ。
0006人間七七四年
2007/09/09(日) 17:21:39ID:2HNOC4B50007人間七七四年
2007/09/09(日) 19:28:24ID:kpboLqri無謀な朝鮮は三成達に、全部他人任せ。
というレスを大分前にどっかで見たな。
0008人間七七四年
2007/09/11(火) 21:30:57ID:xCFFpJmx0010人間七七四年
2007/09/12(水) 01:04:52ID:mVCeuYL0ロンブーの淳のお気に入り武将
0011人間七七四年
2007/09/12(水) 11:22:58ID:aE8wHHOy秀頼も国松も種親は秀吉でない確率は高いと思うな
0012人間七七四年
2007/09/12(水) 11:28:20ID:P6xIRWOiそれを補完していたのは秀長。
秀長亡き後、秀吉ができうる唯一の豊臣家の維持発展の手法は、バカの一つ覚えの外征のよる領土拡張のみ。
だが、補佐役が誰もいなくなり、初の秀吉単独での戦の遂行で、秀吉本来の能力の底の浅さが露呈。
豊臣家は権力闘争による粛清により、薄っぺらで脆弱な組織と化し、渡海した譜代の家臣達は精神的経済的に消耗して仲たがいし、
対して、危険な外様大名連中はぬくぬく温存。
これじゃあ、豊臣の天下も短命に終わるのは当然だ。
0013人間七七四年
2007/09/12(水) 11:57:44ID:Y091IWzC0014人間七七四年
2007/09/12(水) 12:01:19ID:K+zXuwRiこんな奴にごぼう抜きにされて涙目の諸大名
0015人間七七四年
2007/09/12(水) 12:27:56ID:ourD+Nho0017人間七七四年
2007/09/12(水) 17:16:10ID:e/CMfWx50018人間七七四年
2007/09/12(水) 17:34:10ID:XElo/gdYだな。そんな秀吉が天下を取ってしまったんだから
逆説的に秀吉の有能さを語ってしまっている
自身の至らぬ能力を補う
有能な部下を如何に使いこなすかも主君としての才能
0019人間七七四年
2007/09/12(水) 23:04:32ID:mVCeuYL00020人間七七四年
2007/09/16(日) 21:53:30ID:Y03i9UOq0021人間七七四年
2007/09/19(水) 22:55:58ID:x88re3vz天下取りの能力は(幸運が味方したとはいえ)確かにあったが、天下を治める統治能力に問題があった。
天下取りの手法からして、単に所領安堵の吸収合併では統治構造自体が弱体化しがちだ。
天下取りの後、それを補正することもなく、新たな領土を求めて海外に侵攻し、見事に失敗。
そもそも秀吉には天下統一後の国家感などなかったんだから、致し方ないか。
0022武庫川女子大学総長 ◆gqBBZUnUPk
2007/09/20(木) 00:59:52ID:S8kjnLdcだから彼は北条氏を滅ぼすまでが華で、この翌年に秀長が死去してからは暴走気味になり、晩節を汚すこととなっちまったわけだ。
0023人間七七四年
2007/09/20(木) 01:14:20ID:TREVdXf6まで読んだ
0024人間七七四年
2007/09/20(木) 04:18:27ID:kVF7ChkLワロタww
0025人間七七四年
2007/09/20(木) 10:30:48ID:fFv5q1bCそれに気付き、実行に移す力を持っていたから成しえたこと。
さらに生前、重要家臣の誰一人として秀吉を裏切らなかった。
それは彼に人徳があったからであり、さらに権力・金の力を誰よりも知っていたからだ。
家臣が有能ならリーダーは馬鹿だという理論がどうして成り立つのか。
馬鹿には誰も付いてこない。
0026人間七七四年
2007/09/20(木) 14:36:28ID:6bYzKrjU0027人間七七四年
2007/09/20(木) 15:33:15ID:TREVdXf6あぁ回りに有能なやついないのか
0028人間七七四年
2007/09/20(木) 15:33:58ID:6bYzKrjU0029人間七七四年
2007/09/22(土) 11:44:09ID:BerMQ7Ss信長の実質的な正室は秀吉室の老女にして
信長の息子を切腹させて、その母を磔にして、
嫡流を利用した後、罰してお情けで御伽衆に加えて
信長の娘と姪と孫を多勢の側室の一人に加えて、寵を競わせて
こき使った信長をコケにしたんだから気分よか。
信長も果たせなかった天下人
待てば海路(かいろ)の日和(ひより)あり。を実証した。
0030人間七七四年
2007/09/23(日) 14:21:20ID:GPpqTSU20031人間七七四年
2007/09/25(火) 16:54:50ID:dICpGgR9実物に接するとなにかあるんだろ。
0032人間七七四年
2007/10/01(月) 22:33:34ID:00Kw0Igmこんな人他にいるか?
0033人間七七四年
2007/10/02(火) 06:27:36ID:lr8/B5U0劉邦、ナポレオンも同じ匂いがするね
0034人間七七四年
2007/10/02(火) 17:19:48ID:1eTT9bST0035人間七七四年
2007/10/02(火) 22:26:09ID:ikxOIxb00036人間七七四年
2007/10/03(水) 01:13:26ID:tZUgPA4e0037人間七七四年
2007/10/03(水) 07:59:40ID:4qBmxuFL>彼に人徳があったからであり、さらに権力・金の力を誰よりも知っていたからだ
>馬鹿には誰も付いてこない
単に恩賞目当てじゃねーの
過分な恩賞や領土を与えたからこその豊臣の脆弱な天下
0038人間七七四年
2007/10/03(水) 10:03:24ID:7UT0oTdz秀吉も劉邦も無能
0039人間七七四年
2007/10/03(水) 12:05:41ID:qvZsLzRa独裁者信長は危険視されるタイプ
0040人間七七四年
2007/10/03(水) 12:33:53ID:dbTVARwL1554? 織田信長につかえる。
↓ 台所奉行、薪炭奉行、普請奉行をこなす。
1565 信長の朱印状の副状に、木下藤吉廊秀吉と署名。
1569 京都奉行の任じられる。
1570 金ヶ崎の退陣で殿軍を命じられる。近江横山城の守備を命じられる。
1573 浅井氏の旧領江北三郡をもらう。
1577 中国平定の軍団長に任じられる。
織田家の中での地位の変遷を年表にしてみた。
0041人間七七四年
2007/10/03(水) 12:50:17ID:mbWFGTd4秀吉の実務家としての顔が抜け落ちた。
優秀な部下のおかげで天下が取れたのもあるだろうが、それ以前に本人が有能でな
ければそもそも多くの部下を持つ身分にはなれなかった(特に秀吉には譜代の臣とい
う者がいない)ことを忘れてないかい?
0042人間七七四年
2007/10/03(水) 13:40:22ID:fQYLNZA2信長は神をも凌ぐ世界史上最高の天才
世界を見渡しても対抗できるのは、せいぜい曹操、カエサル、ナポレオンがいるぐらい。
本能寺で倒れさえしなければ、中国、東南アジア、インドまで征服し、
モンゴル帝国以来の巨大な信長帝国が出現していた可能性が高い。
それだけの基盤を受け継ぎながら、朝鮮ごときでしくじった秀吉は、
無能と言うほかない。
0043人間七七四年
2007/10/03(水) 14:30:37ID:2nM/KvSZ>>42天下人の3人でいえば、抜群に織田が優れてるが、軍人としては上杉謙信の足元にも及ばんだろ。
実際ボロ負けしてるしねww
0044人間七七四年
2007/10/03(水) 14:53:47ID:mbWFGTd4読解力皆無?
0045人間七七四年
2007/10/03(水) 15:21:33ID:k/Oa6n8Y秀吉は無能だった
秀吉に敗れた明智、柴田、長宗我部、島津、北条も無能だった
秀吉に屈した徳川、伊達、上杉、毛利も無能だった
秀吉に出世で追い抜かれた前田も無能だった
秀吉を重用した信長も無能だった
信長に敗れた斉藤、浅井、朝倉、本願寺、三好、武田も無能だった
彼ら武家の顔色を伺いながら生きた商人、公家、宣教師、坊主も無能だった
彼らの馬鹿げた戦いに狩り出された農民達は救いようがないほど無能だった
そして、その子孫である我々もたぶん無能者なのだろう
0048人間七七四年
2007/10/04(木) 05:10:52ID:dEa8sicu言いたいことは分かったが
お前の言う孤高の天才織田信長はなんで無能な秀吉を重宝したんだよ
0049人間七七四年
2007/10/04(木) 05:36:34ID:OO6Q/mYG大信長帝国として発展するはずだったのに、
無能な秀吉が跡を継いだばかりに、全部潰されてしまった。
信長は日本を世界初の近代国家へ脱皮させるはずだったのに、
秀吉はその先進的な国家構想を全く理解できていなかった。
0050人間七七四年
2007/10/04(木) 10:49:07ID:+lgPTnPT暴君信長帝国として歴史におぞましい記録を残す可能性があった。
良心の発露による明智の勇気ある行動によって、その危機が免れ、
秀吉が天下を統一し、織田家支配を封印した。
その後を継いだ徳川の鎖国政策によって、
西洋列強の日本支配という魔の手を逃れ、日本独自の文化が隆盛した。
兵器を交えず、戦争のない平和な時代が250年以上続いた。
これは世界的に見ても驚異的なことである。
これをパックス徳川(徳川の平和)と言う。
0051人間七七四年
2007/10/04(木) 11:05:53ID:jHVkgeaJ0052人間七七四年
2007/10/04(木) 11:45:36ID:ZNZJxHjB本能寺で倒れなくたってあんなに謀反がある政権なんて信長の死後ボロボロだろ
0054人間774年
2007/10/04(木) 18:33:22ID:7MNzLNBO無能。無能。って言うが、少なくとも歴史上に有名な武将は有能だと信じるよ
0055人間七七四年
2007/10/04(木) 19:16:59ID:NbOTDVLB身体が資本だから健康管理を気をつけるのは戦国大名の基本、別に信長じゃなくてもしてる。
まぁ農民出の秀吉は権力握ってからは贅沢三昧やりたい放題だが。
0056人間七七四年
2007/10/04(木) 22:17:46ID:dJ0JqKbE結構贅沢もしているし、意外に女漁りも盛んだったり。
だいたい20人以上子がいるんだし。
信長はイメージでかなり得をしている。
0057人間七七四年
2007/10/05(金) 02:07:50ID:FZlRW+XI>少なくとも歴史上に有名な武将は有能だと信じるよ
歴史上有名だが、明らかに無能な武将
⇒朝倉義景、小早川秀秋、福島正則等々
0058人間七七四年
2007/10/05(金) 13:02:04ID:CXrmHSJ/(サン・フェリーペ号乗員の話)
「国王は征服しようと思う国にまず宣教師を送り込む。
そして住民の一部を改宗させるや否や次に軍隊を送り込み、改宗者と合同して易々と征服」
一向宗より遥かにタチが悪い。
秀吉はバテレン神父追放令を出し、
使節団を通じてポルトガル国王へ日本が神道と仏教の国であることを説明して、
宣教師のキリスト布教活動を批判している。
当時の国際状況を鑑みると、秀吉は結構有能だろ?
0059人間七七四年
2007/10/05(金) 15:54:14ID:xuJlmqKf信長や家康よりはましだっただろうが。
0060人間七七四年
2007/10/06(土) 02:54:24ID:NcXSYXiF0061人間七七四年
2007/10/06(土) 02:56:59ID:ILQkywDi0062人間七七四年
2007/10/06(土) 03:00:08ID:NcXSYXiF配役はやっぱり香川照之がベスト・・・
0063人間七七四年
2007/10/06(土) 16:34:55ID:IypfPvjJ0065人間七七四年
2007/10/10(水) 10:08:12ID:vksT/LEp>孤高の天才織田信長はなんで無能な秀吉を重宝したんだよ
秀吉は信長の最高意思決定に沿って、軍略を巡らし外敵を平らげる手駒として有能だっただけ。
信長死後の織田家内の内ゲバも、それまでの軍略政略の延長で乗り切ったにすぎない。
秀吉という武将は、ここまでの器。
その後は、織田の圧倒的軍事力を背景に、信長のトラウマに脅える非織田勢力に対し、恫喝と懐柔による位攻めで日本全土を制圧。
その手法に国家理念のカケラも無い。
国家ビジョンの薄っぺらさは、武田信玄や上杉謙信と似たり寄ったりの地方大名のレベル。
だから、誇大妄想に取り付かれて、国内統一戦と同じ感覚で、安易な外征による軍事侵攻拡張路線を強行して大失敗し、自ら政権の短命化を助長させてしまう間抜けぶり。
加えて、数少ない身内を悪戯に政争に巻き込む愚を犯し、政権組織を致命的に貧弱化させる思慮の浅さ。
つまり秀吉は、天下政権を円滑かつ機能的安定的に運営させるスキルが全く無かったってことだろ。
結論を言えば、武将としての総合力は、実弟秀長のほうが上なんじゃないの。
秀長が生存していた時の豊臣家は右肩上がりの隆盛を極めたが、彼の死後一転して斜陽の階段を下り始めた史実が、それを如実に物語っている。
もし天下統一直後の天正十九年に世を去ったのが秀吉で、秀長が生き残ったとしたら、豊臣家の末路はああも無様に終わらなかっただろうに。
0066人間七七四年
2007/10/10(水) 10:21:11ID:3Vwfm4GEその通り。
日本は天才信長に導かれて、全アジアを征服、
モンゴル帝国以来の巨大な信長帝国として発展するはずだったのに、
無能な秀吉が跡を継いだばかりに、全部潰されてしまった。
信長は、日本を世界初の近代国家へ脱皮させるつもりでいたのに、
秀吉はその驚くべき先進的な国家構想を全く理解できていなかった。
0067人間七七四年
2007/10/10(水) 11:12:42ID:fH3ZhPEO信長一匹ガキ大将だったっけ。
0068人間七七四年
2007/10/10(水) 18:03:03ID:2mjg0hzc0069人間七七四年
2007/10/10(水) 18:06:59ID:9u9ml2D30070人間七七四年
2007/10/10(水) 19:14:53ID:K+w2fjC0信長厨って誇大妄想がすげーなW
【日本史上の】 信長革命 【大転換点】
http://hobby10.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1191811194/
信長帝国の統治体制に関する考察スレ
http://hobby10.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1191511445/
0072人間七七四年
2007/10/11(木) 06:49:27ID:WzxQZDsN反論したいなら、個別具体的に間違っている箇所を指摘しろ
それさえできないのなら、だまってろ
0073人間七七四年
2007/10/11(木) 07:33:42ID:bZ1gDPyY0075人間七七四年
2007/10/11(木) 17:35:30ID:pNTR8XL7全部自分でやった、というのなら勝ちきらない戦の連続、秀吉や家康にフォローしてもらってなお
遠回り、結果寝首をかられる、という信長の一生はまさに自分の戦国武将としての限界を
表してることになるな。
ま、おおぼら一代とはなんか似ててユニークだな。
0076人間七七四年
2007/10/11(木) 22:21:31ID:RJn3oRS2八戸のぶながに匹敵するぐらい。
0077人間七七四年
2007/10/11(木) 23:22:28ID:fJexYmjO信長の持ってた国家理念って具体的に何だ?
天下統一半ばで家臣に殺されたということで幾分同情すべき点はあるが、
それまでに為された信長の諸政策を見るととても明確な国家ビジョンとやらを持ってたようには見えないが?
教科書などで特筆される楽市楽座は実際は大商人に対する妥協的な産物で徹底できてないし、
関所廃止も当時の物流の中心であった肝心の京の関所を撤廃してない以上有名無実のもの
海外貿易も殆どしてない、領内では貫高制と石高制の統一すらできてない
つうか流通してる貨幣すら禄に把握できず、何度も効き目の薄い撰銭令を出しては無視されてる
兵農分離も中途半端、検地や刀狩は大和や越前のような一部で限定的に為されただけで特筆には価しない
(越前の刀狩は一次史料自体が殆どなく、明智軍記みたいな後世の軍記物語や柴田勝家名君伝説が中心で実態不明)
信長が出来なかった上記のような政策を成し遂げ、
日本を近世封建制へ移行させたのが秀吉(とその後継者である家康)なんだが
戦上手だったということは認めるが、国家ビジョンという点では秀吉・家康の足元にも及ばないと思うぞ>信長
0078人間七七四年
2007/10/12(金) 00:22:23ID:0CxRf+CI0079人間七七四年
2007/10/14(日) 22:50:24ID:gqALSxvWもっと本質的な部分でこいつらに負けてるよね
家康や清正の人間としての器量とか存在感に明らかに負けている
明智や北条には完全勝利できても上記の連中には永遠に勝てない
0080人間七七四年
2007/10/14(日) 23:09:25ID:YAUrr5Jk0081人間七七四年
2007/10/15(月) 19:21:17ID:a4KWTsrG0082人間七七四年
2007/10/17(水) 13:59:46ID:PW8rOkmt>それまでに為された信長の諸政策を見るととても明確な国家ビジョンとやらを持ってたようには見えない
足利将軍家の否定、比叡山や本願寺などの有力宗教勢力との妥協なき抗戦、朝廷の官位体系からの離脱・・・
これらの施策が、明確な国家ビジョン無しで遂行可能なのか?
>国家ビジョンという点では秀吉・家康の足元にも及ばないと思うぞ
では秀吉、家康の国家ビジョンとは何なのか、根拠となる施策の具体例を明示した上で伺いたいものだ。
秀吉の政策は、その殆どが信長が端緒を開いた施策の延長もしくは応用なんだがな。
>楽市楽座は実際は大商人に対する妥協的な産物で徹底できてない
一切の例外を認めず一斉強行すれば、実体経済が齟齬を来たし、改革自体が頓挫すると思ったからではないのか。
短絡的な理想主義に走らず、現実を正確に見据えた柔軟な策が執れるからこそ、信長は天才なのでは。
家中環境を無視して外様衆を抜擢し、反感を抱いた譜代重臣によって追放させた武田信虎とはエライ違いだとは思わんか。
>関所廃止も当時の物流の中心であった肝心の京の関所を撤廃してない以上有名無実のもの
当時の物流の中心地は京ではない。
大津と草津だ。
局地的な京の七口の関所の存続が、何故他の地域での関所廃止の機能不全を意味するのか、説明願いたい。
>海外貿易も殆どしてない
大津や草津と同様、当時の国際貿易港の堺に代官を置き、支配下に治めている。
信長ほど南蛮貿易の恩恵を受けていた大名はいない。
0083人間七七四年
2007/10/17(水) 14:00:19ID:PW8rOkmt>領内では貫高制と石高制の統一すらできてない
数国単位では統一されている。
統一事業継続中であったため、その地方の慣習を是認した暫定措置なのでは。
秀吉による石高制の確立は、全国的統一政権樹立後。
>流通してる貨幣すら禄に把握できず
当時流通していた貨幣は、信長が関与していない大陸からの輸入銭だ。
しかも、それを模倣した私鋳銭も次々に鋳造され大量に出回り混在していたので、正確な把握など不可能。
>何度も効き目の薄い撰銭令を出しては無視されてる
既存貨幣の流通により実体経済が機能している以上止むを得ない。
天下統一事業の途上であったので、統一通貨の発行は時期尚早だ。
>兵農分離も中途半端
秀吉が行った刀狩による非武士階級の武装解除をもって完璧というならナンセンス。
当時は、農業に従事しない兵の常備軍化にこそ意味がある。
>検地や刀狩は大和や越前のような一部で限定的に為されただけで特筆には価しない
天下統一事業継続中を考慮すれば当然。
秀吉の刀狩令発布は、九州征伐を終え関東以西を制圧した翌年の天正十六年だ。
信長在世時とは環境が違う。
秀吉は、天正十年から検地を行ってはいるが、全国的な一律の手法が実施されたのは、政権が安定してからだ。
>信長が出来なかった上記のような政策を成し遂げ、
日本を近世封建制へ移行させたのが秀吉(とその後継者である家康)
天下統一に目処が付き政権が安定すれば、必然的に可能であったにすぎない。
秀吉は信長の施策が社会にある程度浸透し、機が熟した時に為政者となったからそう見えるだけ。
家康は言うに及ばず。
>戦上手だったということは認める
信長はどちらかというと戦下手。
戦術家・軍略家というより戦略家。
0084人間七七四年
2007/10/17(水) 19:57:00ID:cgQ1VCnoこれ以上何すりゃいいんだよ
0086人間七七四年
2007/10/17(水) 20:33:19ID:8ujpidYCだから無能というのは話が突飛しすぎではないか
0087人間七七四年
2007/10/18(木) 01:35:12ID:5+EfGvar83さんの意見に同意なんだけど、個々の対策なんかが信長の時点では機能してないことや
前例があること、後により発展してることを別の視点で見ると信長はすべてにおいて中途半端、
国家ビジョンみたいなものが見えてこない、そういう解釈につながってるのだろね。
これは個人で切ってしまってるからで、餅のたとえ話みたいに3人を通じて見るとよくその
長所短所が見えてくるように思う。
特に信長は軍事的な統一の真っ只中でそれが最優先だから、その視点をはずして単独で
経済政策とか考えると誤解をうむだろうな。
同じように秀吉家康もその時点での問題点にかなりうまく対処して信長以来のシステムの発展
完成に成功してるから決して信長より下とか、楽して餅食っただけ、みたいな評価も良くない
だろな。
0088人間七七四年
2007/10/18(木) 03:07:48ID:yQaL+LsY世界で初めて日本を近代国家にしようとしていた。
0089人間七七四年
2007/10/18(木) 04:35:26ID:tqLugZa7朝廷の官位体系からの離脱というのは信長が天正6年に右大臣を辞任してから無官状態を貫いたことを指してるんだと思うが、
右大臣みたいな高官を辞した後に無官になるのは当時としては別に珍しくもないごく普通のこと
事実後の話になるが徳川家康も慶長8年に右大臣、翌年に征夷大将軍を辞して散位している
そもそも有名な事実だが、朝廷から高官に就くよう打診された信長はその申し出を断る代わりに、
嫡子信忠(当時既に信長から家督を譲られ名目上は織田家当主)の昇進を希望している
極端な論者は「信長は朝廷の権威を否定し織田王朝を作ろうとしていた」とまで言うが、
もし官位を拒否することによって朝廷の権威を否定するなら後継者信忠の昇進を希望する理由がない
比叡山や本願寺との抗争は端的に言えば信長に反抗的な態度を採るから仕方なく締め上げただけに過ぎない
信長最大の暴挙に数えられる比叡山焼き討ちなんか特に顕著だろう
これなんか浅井・朝倉に露骨に肩入れしている延暦寺にせめて中立を守るよう懇願したが無視され、
それがため強硬手段を採らざるをえなかったというだけでしょ
結果的に彼ら有力宗教勢力の力を殺ぐことにより近世への転換に大きな役割を果たした事実は無視できないが、
当時の信長に今風に言う政教分離みたいな大層な政治上の志向が在ったかどうかは疑問
これは楽市楽座なんかとも関係するが、信長は大和支配に際し既存の座を認めるだけでなく、
新たに旧仏教勢力に座を作る権利を認めてすらいる
信長の宗教政策は極々穏当で妥当といっていいもの、別にその点を非難するわけじゃないが
(自分はむしろ評価してる)それを「妥協なき宗教改革」みたいな文脈で語るのは誤りだろう
0090人間七七四年
2007/10/18(木) 04:36:24ID:tqLugZa7家屋数万を抱える日本最大の都市であった京が物流の中心でなかったらどこが中心なのか?
草津や大津が当時交通の要衝だったのは事実だが、そもそも何故それらが交通の要衝たりえたかといえば
背後に一大消費地である京を抱えていたからだろう
それゆえ京の七口の関所存続は信長の関所廃止政策の
根本的意義(関所廃止による物流の促進)を損なうものだと指摘したんだが、理解していただけただろうか?
>既存貨幣の流通により実体経済が機能している以上止むを得ない
秀吉は天下統一事業の最中である天正16年に後藤光次に命じて天正大判を鋳造させてる
勿論天正大判自体は超高額で製造枚数も少なく、一般の市場に流通するような代物では到底なかったが、
定量表記の通貨を中央政権が鋳造したという事実は日本の貨幣史上特筆に価する出来事だ
この天正大判の鋳造を受けて後の江戸幕府は慶長金銀の鋳造を行い近世貨幣体制を確立、
早くも慶長8年には永楽銭の流通を禁止するまで至っている
要するに既存貨幣の流通で経済が成り立っている以上現状是認はある意味当然の策で妥当な政策だと思うが、
根本的な解決策である統一貨幣の鋳造という政策にまで至ってないのは信長の手抜かりといっていいだろう
別にいきなり大量の統一貨幣を鋳造して旧銭を廃止しなくても、段階的に入れ替えていけばいいわけだからね
秀吉や家康みたいな後の天下人は既存の貨幣流通を容認する一方で着々と貨幣制度の整備を開始し、
(個人ではなく二人の業績だが)わずか二十年足らずでそれを完遂している
必然的に信長が貨幣統制に関してこれら二人より劣った評価になるのは仕方ないと思うが?
0091人間七七四年
2007/10/18(木) 04:39:09ID:tqLugZa7規模で言うなら朱印船貿易を行った豊臣秀吉や徳川家康はおろか、
同時代の大友や有馬なんかと比べても微妙だと思うが
まあ切支丹に改宗までして奴隷貿易に精を出した九州の大名よりは信長の方を評価したいが
>秀吉が行った刀狩による非武士階級の武装解除をもって完璧というならナンセンス
太閤検地による家父長的奴隷制の否定、刀狩による近世的身分の確立こそが近世兵農分離の根幹だというのは定説でしょ
信長の常備軍云々の話こそナンセンス
つうか個人的には信長が常備軍を作ったという話は胡散臭いと思うんだが
武田や上杉あたりの兵制とどう違うのか具体的に指摘して頂きたい
0092人間七七四年
2007/10/18(木) 04:39:46ID:tqLugZa7>天下統一事業の途上であったので
>天下統一事業継続中を考慮すれば当然
やけに信長が天下統一事業の最中であったことを強調してるが、そんなことはこちらも十分に承知している
大事なのはその統一事業の最中に一体どのような改革事業がなされたか、ということだろう
秀吉の太閤検地や刀狩などに代表される豊臣平和令の布告、天正大判の鋳造や石高制への移行統一、
京の関所廃止や楽市楽座の徹底(脇田修のように秀吉の楽市楽座をそれまでの暫定的処置と区別して
特に「破座」と呼ぶ近世封建制の研究者も居る)など、豊臣政権の根幹といっていい基本政策は
全て秀吉の天下統一事業と並行して為されたものなわけだが
例えば天正10年の秀吉による山城国検地(さらっと流されてしまったが)、
これなんか秀吉が当初から明確な意図を持って改革に取り掛かっていたことの証明だろう
信長が永禄11年に上洛して天正10年に本能寺の変で倒れるまでの十余年
(義昭を追放して京を一元支配してから数えても十年弱)の間手付かずでいた山城の土地把握を
まだ織田家の一有力家臣でしかなかった秀吉は行ってるわけだ
それまでにほとんど手付かずでいた改革が天下統一を境として急に完遂されるなんて有り得ない話、
志半ばで倒れた信長に同情するのは結構だが、信長なら先送りにされてた改革を成し遂げれたはず、
なんてのは所詮はifの話、正直真面目に議論する気も起きないね
0093人間七七四年
2007/10/18(木) 10:04:46ID:ZWT91tQr秀吉ごときカスと比べるなど失礼極まりない。
0094人間七七四年
2007/10/18(木) 10:59:08ID:qzssU1gFその時の結論めいたものは、京の関所の廃止は既得権益組に対する影響が大きくすぐに
実行するのは問題があった、すぐに廃止しなかったことを信長の政策の意義を減じるものとする
のは時期尚早ではないか、安土に首都機能が移り京の政治的経済的意義が薄れるにつれて
京の関所も廃止したであろう、そんな感じだったような。
そこから信長は朝廷をどうするつもりだったか、京はどうなっていたか、国家ビジョンはあったか
そういう方向に論がまた広がってしまった感じだったな。
国家ビジョンという点においても、如何にして国内を治めるか、というよりどのような国家を
目指していたか、巷間言われる天皇家簒奪を超えた絶対王政を目指すようになっていたの
のではないか、そんな方まで広がってしまったような。
もちろん仮定だから結論は出ないのだけど、中途半端に見える各改革事業を見てると
国家ビジョンを持ってなかったのではなく部分的改革よりも根本的な解決に視点が
移りかけていた、そういう風にも解釈されてたかな。
フロイスに初めて会った時に質問攻めにしたり新しいものに対する関心は人十倍あったろうから
信長が何を目座していたか、永遠の謎ですますには惜しい話なんだけどね。
0095人間七七四年
2007/10/18(木) 11:16:07ID:qzssU1gF様々な統一改革に手をつけてるよね。
まるで変が起きて自分が次のトップに成りうることを予期していたようだ。
そしてそれを成就、成功してるというのもすごいことで、一体いつからそのような視点、発想を
持っていたのだろう。
キリスト教に対しても最初は信長の頃のままだったろうに、その危険性を察知するといきなり
豹変追放令を出してる。
あくまで機を見るに敏としたら素晴らしい炯眼で驚くばかりだし、すべてこの調子で変後に
統一を目指すものとして自覚行動してたとしたら大変な統一能力者だったことになる。
なので、変前からかなりそういう自覚があったのではないか、そういう風にも考えたいのだけどね。
山城国検地なんかは確かに重要な意味合いがあるものね。
0096人間七七四年
2007/10/18(木) 11:52:14ID:8e3nyEsf0097人間七七四年
2007/10/19(金) 04:06:40ID:BlX4h7Yn0098人間七七四年
2007/10/19(金) 06:01:25ID:roAkxHld0099人間七七四年
2007/10/19(金) 07:26:03ID:FiXUUgry0100人間七七四年
2007/10/19(金) 13:44:31ID:pB2G5gs/0101人間七七四年
2007/10/19(金) 19:04:11ID:sJdhr66p戦国で比べられる者なんていない
0102人間七七四年
2007/10/19(金) 22:08:30ID:B/JkEa9X秀吉、家康 > 超えられない壁 > 信長
の流れだったがw
0103人間七七四年
2007/10/20(土) 23:32:53ID:tPDkUIvJ0104人間七七四年
2007/10/21(日) 00:09:04ID:cMvRYNg1>右大臣みたいな高官を辞した後に無官になるのは当時としては別に珍しくもないごく普通のこと
>徳川家康も慶長8年に右大臣、翌年に征夷大将軍を辞して散位している
家康を引き合いに出すのは、全くの筋違い。
家康の征夷大将軍就任は、
関ヶ原での勝利により天下の実権を掌握した後、
豊臣家との主従関係を合法的に逆転させ、自己の政権の正当性を保証するためであり、
僅か二年で同職を退いたのは、
将軍職が徳川家の世襲であると豊臣家や諸大名に知らしめるためだ。
信長のように、天下統一途上で、しかも最高の官職でも何でもない右大臣の辞任とは、全く意味が異なる。
>官位を拒否することによって朝廷の権威を否定するなら後継者信忠の昇進を希望する理由がない
要点は信長個人が朝廷権威を乗り越えることであり、信忠を始めとする織田諸将はこの限りではない。
信長と信忠を同列に論じる事自体ナンセンス。
>比叡山や本願寺との抗争は端的に言えば信長に反抗的な態度を採るから仕方なく締め上げただけに過ぎない
>当時の信長に今風に言う政教分離みたいな大層な政治上の志向が在ったかどうかは疑問
比叡山や本願寺が信長に敵対したのは、世俗での既得権を信長に侵されたからだ。
比叡山衆徒との対立の根幹は、信長による寺領の押領だ。
確固たる理念理想無しに、強大な勢力を有していた有力宗教勢力と敵対する危険など冒しはしない。
>信長最大の暴挙に数えられる比叡山焼き討ちなんか特に顕著だろう
当時の比叡山の腐敗堕落ぶりは世間に周知のところであり、
よって焼き討ち掃討戦を実行しても、信長は民の指示を失わず。
>楽市楽座なんかとも関係するが、信長は大和支配に際し既存の座を認めるだけでなく、
新たに旧仏教勢力に座を作る権利を認めてすらいる
世俗に介入せず織田に敵対しない勢力を懐柔し、敵対宗教勢力の牽制に利用していただけ。
>「妥協なき宗教改革」みたいな文脈で語るのは誤りだろう
宗教勢力の世俗への介入の否定・非武装化を完璧に具現化したではないか。
0105人間七七四年
2007/10/21(日) 00:10:09ID:cMvRYNg1>家屋数万を抱える日本最大の都市であった京が物流の中心でなかったらどこが中心なのか?
その答えは、貴殿が既に述べている。
>一大消費地である京
巨大消費地の京を物流の拠点と混同するとは・・・
>京の七口の関所存続は信長の関所廃止政策の根本的意義(関所廃止による物流の促進)を損なう
この関所を廃止したのは秀吉だが、その時期は天正十年の清洲会議の後だ。
当時の秀吉はまだ織田家さえ掌握しておらず、柴田勝家とは冷戦中で、その基盤は極めて不安定だった。
支配領域は畿内とその周辺に限定され、信長の最大版図と比べるとあまりにも小さい。
そんな秀吉でさえ簡単に廃止できる関所など、その効果の程も高が知れている。
>秀吉は天下統一事業の最中である天正16年に後藤光次に命じて天正大判を鋳造させてる
勿論天正大判自体は超高額で製造枚数も少なく、一般の市場に流通するような代物では到底なかった
>定量表記の通貨を中央政権が鋳造したという事実は日本の貨幣史上特筆に価する出来事だ
実体経済で日常的な決済手段となり得なかった贈答品や論功行賞としての鋳造など、何の自慢にもならん。
>根本的な解決策である統一貨幣の鋳造という政策にまで至ってないのは信長の手抜かりといっていいだろう
秀吉は信長が持たなかった金銀鉱山を掌中に収め、日本全土を支配していたのに、通貨の改革には無力だった。
無能の謗りは免れまい。
その象徴が貫高制を廃した石高制への一本化だ。
>信長が貨幣統制に関してこれら二人より劣った評価になるのは仕方ないと思うが?
信長が世を去る直前の天正十年の社会は、あくまで暫定的な過程の一コマにすぎず、
当時の世の実態が、信長が目指した理想の最終形態だと考える事自体ナンセンス。
この時点の信長と、天下を制した秀吉、家康を比べるのもナンセンス。
しかも、天下を制してさえ実効的な貨幣の整備を行えなかった秀吉、家康こそ、
信長に劣る評価をされても致し方あるまい。
0106人間七七四年
2007/10/21(日) 00:12:01ID:cMvRYNg1>規模で言うなら朱印船貿易を行った豊臣秀吉や徳川家康
比較の対象は、同時代の非織田勢力であるべき。
それに天下を制した彼らの朱印船貿易とやらも、そう大したモンではない。
秀吉は自らの無謀な大陸侵攻により、東シナ海の交易ル−トを失っている。
これこそ秀吉の無能、政策の矛盾の最たるものではないか。
しかも家康に至っては、早々に交易の規模を縮小させている始末だ。
その後、朱印船貿易自体消滅。
この二人のどこに卓越した国家ビジョンとやらを見出せるのか、是非お聞きしたいものだな。
>同時代の大友や有馬なんかと比べても微妙だと思うが
大友や有馬と織田は、その経済力・軍事力において比較の対象にもならん。
>太閤検地による家父長的奴隷制の否定
???
誰かの受け売りか?
意味分かってる?
>刀狩による近世的身分の確立こそが近世兵農分離の根幹
秀吉が刀狩令を発布した天正十六年は、
既に関白に任官し、九州征伐も終わり、関東以東を除く国土を支配下に入れてからだ。
天正十年の信長と比較するのは筋違いだし、
信長の専業武士団の創設によって初めて可能だったことをお忘れなく。
>個人的には信長が常備軍を作ったという話は胡散臭いと思うんだが
武田や上杉あたりの兵制とどう違うのか
武田や上杉の兵は農業兼業。よって軍事行動は農閑期に限定。
織田は常備軍化した専業武士。いつでもいつまでも軍事行動可能。
0107人間七七四年
2007/10/21(日) 00:13:28ID:cMvRYNg1>統一事業の最中に一体どのような改革事業がなされたか、ということだろう
秀吉の太閤検地や刀狩などに代表される豊臣平和令の布告、天正大判の鋳造や石高制への移行統一、
京の関所廃止や楽市楽座の徹底など、豊臣政権の根幹といっていい基本政策は
全て秀吉の天下統一事業と並行して為された
>それまでにほとんど手付かずでいた改革が天下統一を境として急に完遂されるなんて有り得ない話
天下統一への軍事的・政治的道程は、既に信長によって敷かれていた。
しかも上記諸政策の殆どは、秀吉が関白に任官し、上杉や毛利も政権の傘下に入り、
全国に向けて惣無事令を発布できるまでになってからだ。
天下統一途上とはいえ、残された地域は九州と関東以東にすぎず、
既に中央政権としての体裁も基盤も整い、信長往時とは事情も環境も異なる。
>天正10年の秀吉による山城国検地(さらっと流されてしまったが)、
これなんか秀吉が当初から明確な意図を持って改革に取り掛かっていたことの証明だろう
信長が永禄11年に上洛して天正10年に本能寺の変で倒れるまでの十余年
(義昭を追放して京を一元支配してから数えても十年弱)の間手付かずでいた山城の土地把握を
まだ織田家の一有力家臣でしかなかった秀吉は行ってるわけだ
織田家の経済力は、商業資本からの莫大な運上金により他の戦国大名を圧倒的に凌駕しており、
よって土地の正確な把握など急務ではなかったにすぎない。
天正十年の秀吉の検地は、これから始まる織田家内での内紛(対柴田戦)を見据えての下準備だ。
だから早急に調べる必要があっただけ。
0108人間七七四年
2007/10/21(日) 09:39:11ID:DTmmeBd+秀吉や家康のようなカスと比べるのは失礼だろう
0109人間七七四年
2007/10/22(月) 12:11:46ID:nfEc8Ofn信長は国家ビジョンを持っていたか、という視点を忘れることなくもっと盛り上がってほしい。
堺や大津が物流の拠点であるのは確かだけど京は単に消費地である、というとこ
なんかいいですね。
個々の論点は同じことを違う解釈しているだけのようにも読めるので、結論部分ははっきり
してもらえるとさらに主張が明確になってより有効ですな。
落ち着いたら聞いてみたいこともありますしね。
0110人間七七四年
2007/10/22(月) 18:07:13ID:lNc4ZBsL0111人間七七四年
2007/10/23(火) 05:44:27ID:WUaBXLC7信長にとって秀吉や家康を含めた家臣団は、使える「駒」にすぎず、織田の諸将の誰も信長の天下構想を理解できてはいなかった。
信長からすれば、自分の卓越した考えを家臣達に披露しても正確に理解してもらえないと思っていただろうし、家臣などは自分の命令通りに行動し成果を挙げてくれればいいだけの存在だったのだろう。
0112人間七七四年
2007/10/23(火) 08:07:02ID:IGWdK+Dc0113人間七七四年
2007/10/23(火) 08:18:53ID:IGWdK+Dc0114人間七七四年
2007/10/23(火) 11:50:03ID:FdAcpmLyそれはそうだろうね。
部分的に怪しげなことを言ったりはしてるし。
国家ビジョンと言った場合に国内統治の方法とか子孫繁栄の手段とかを指すのが普通だろうけど
信長の場合はそれを超えたところに最終目的があったのではないだろうか、というのが議論が
かみ合わない理由のひとつにみえる。
例えば経済政策は具体的に成功してないけどまだ国内統一もしてない乱世の時点でそれを
国家ビジョンがないとか無能というのは違うだろうし。
なので自らは朝廷の権威外に出た信長がどうして子供や武将のためには位等を欲したか
これは重要な論点なんだろうけど、単純にその時点で自らの権力の突出性をしめす、
武将たちにはその位等を与えるのはまだ国内統一の段階で必要と判断していた、という
ことでいいのではないかな。
妄想で悪いが統一に成功してたら自らが与える権威を制定してたかもしれないね。
とすると旧権威を与えていた団体さんをどうしてたか・・
0115人間七七四年
2007/10/27(土) 00:21:18ID:vDPTi70m信長が暗殺される46歳まで、というより柴田勝家を滅ぼした47歳まで一度も考えた事さえ無かったのに、
唐突にそんな大それた事、頭に思い浮かぶはずも無い。
秀吉はただ天下を統一して日本を一時支配しただけ。
ひたすら拡大路線を追及するだけの単純志向は、流石は下賤の出だ。
0116人間七七四年
2007/10/27(土) 01:20:12ID:fHO/arwzなぜ秀吉は嫌われるのか
http://hobby10.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1173961178/l50
「秀吉は残忍」としっかり学校で教えろ!
http://hobby10.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1183155742/l50
悪代官秀吉
http://hobby10.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1174632673/l50
秀吉と家康はどちらが悪者か? その2
http://hobby10.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1171970930/l50
信長と秀吉はどちらが悪者か
http://hobby10.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1177584817/l50
豊臣秀吉=金正日(笑)
http://hobby10.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1179490823/l50
糞猿秀吉を三傑からはずすべきだ
http://hobby10.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1179571458/l50
秀吉は無能な武将
http://hobby10.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1189301110/l50
豊臣秀吉は日本史最悪の暴君
http://ex21.2ch.net/test/read.cgi/warhis/1182325269/l50
0117人間七七四年
2007/10/27(土) 01:21:40ID:fHO/arwz扶桑社以外の教科書では豊臣秀吉は天下を統一した英雄ではなく、韓国を侵略した大悪
人として描かれています。伊藤博文もわが国の近代化を進めた初代総理大臣というより
も、韓国侵略の張本人で暗殺されても当たり前という雰囲気です。さらに聖徳太子を「厩戸
皇子うまやどのおうじ(聖徳太子)」とわざわざ表記する教科書が現れました。また、吉田
松陰は「安政の大獄で処刑された人」とあるだけで、明治維新への功績が説明されること
などはありません。
誰も知らない教科書の中の英雄たち
沙也可、シャクシャイン、ラクシュミー=パーイー、李舜臣、安重根、柳寛順。これらは7社
の教科書に出てくる英雄ですが、ほとんどが知らない人ばかりで、読み方さえ分からない
というのが正直なところです。7社の教科書では、善玉と悪玉がはっきり色分けされていま
す。すなわち、中国・韓国が善玉、日本が悪玉、一揆・反乱・打ちこわしなどの指導者が善
玉で、支配者(朝廷・幕府・政府・国家など)が悪玉と描かれています。歴史はこんな単純な
善悪二元論で説明できるのでしょうか。
http://www.tsukurukai.com/02_about_us/02_maso_01.html
0118人間七七四年
2007/10/27(土) 08:27:43ID:rF4ydu8G↓これらのスレと、立ててる人が同じだったりしてねw
【世界史】第六天魔王・織田信長【最高の英雄】
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/whis/1179062226/
織田信長 vs 曹操 vs カエサル
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/whis/1181506549/
織田信長公が現代の日本政府を築いた
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/history/1182171203/
中国英雄は、誰一人として信長に及ばない
http://hobby10.2ch.net/test/read.cgi/chinahero/1179742923/
おまえらは信長に対して失礼すぎる
http://hobby10.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1192939486/
信長帝国の統治体制に関する考察スレ
http://hobby10.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1191511445/
【日本史上の】 信長革命 【大転換点】
http://hobby10.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1191811194/
板名を信長板に変えろ
http://hobby10.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1193239817/
0119人間七七四年
2007/10/30(火) 10:36:44ID:LH7BScU7せっかくだから自分の考えを改めて述べさせていただく
こちらも長文レスで返すが、おそらく部外者にはつまんないだろうから
ID:cMvRYNg1以外は読まなくて良いよ
0120人間七七四年
2007/10/30(火) 10:38:02ID:LH7BScU7>要点は信長個人が朝廷権威を乗り越えることであり、信忠を始めとする織田諸将はこの限りではない
家康の場合も最高の官職でも何でもない右大臣の辞職だったんだけど?
家康の例だけで不満なら同時代では他に三条西公条(天文12年に右大臣辞職)、三条公頼(天文15年に左大臣辞職)、
今出川公彦(天文16年に左大臣辞職)、花山院家輔(天正2年右大臣辞職)、西園寺公朝(天正4年に左大臣辞職)、
豊臣秀頼(慶長12年に右大臣辞職)なんかが散位してる
官職を辞することが朝廷権威を乗り越えることなんて、戦国時代の公家社会に対して無知な、
全く根拠のない話だと上の連中を見たらわかるんじゃないの
あと信忠は織田家の家督を継いで自他共に認める織田家の後継者だったわけですが、
当時としては老人といっても差し支えない信長が、
自身の権力を委譲するべき信忠のことをまったく考えずに
「自分だけ朝廷権威を乗り越えればそれでいいや」なんて思ってたらアホでしょ
>確固たる理念理想無しに、強大な勢力を有していた有力宗教勢力と敵対する危険など冒しはしない
それは単に君の思い込みじゃん
確固たる理念理想を持って有力宗教勢力と敵対してた割に比叡山門徒に対して当初は及び腰の交渉をしてますね
で交渉が上手くいかないと逆切れで大量虐殺ですか
>宗教勢力の世俗への介入の否定・非武装化を完璧に具現化した
「完璧に」という単語はお情けで見過ごしてあげるが(江戸時代も宗教勢力は政治に一定の影響力を保有)、
信長の宗教弾圧が結果的に近世社会の成立に大きく貢献したことはちゃんと認めている
ここで自分が問題にしているのは信長の宗教弾圧が当初から確固たる理念があってのものかどうか
「信長は民の指示を失わず」もそうだが、君の書き込みは論点がずれてる
0121人間七七四年
2007/10/30(火) 10:41:09ID:LH7BScU7そもそも巨大消費地≠物流の拠点だと思い込んでいるのは何故?
普通にこの二つの特性は両立しうるものでしょ
現在でも札幌・仙台・東京・名古屋・大阪・広島・福岡みたいな
中核都市はその地方における物流の中心じゃん
戦国時代の京は巨大な人口を抱え、西陣織(戦国時代の絹織物の過半を占めた)
みたいな工業が発達し多数の商人を抱えた日本最大の都市、
更に言えば君の好きな草津や大津から京に入る物資の殆どは七口の一つである「大津口」(粟田口とも)を漏れなく経由するわけだ
京の七口の関を経由して京に搬入される&京から搬出される資材&工業製品と
草津や大津みたいな中継地点を通過して京に入る物資、どちらが多いかちょっと考えたらわかるでしょ
>実体経済で日常的な決済手段となり得なかった贈答品や論功行賞としての鋳造など、何の自慢にもならん
秀吉の天正大判鋳造が近世貨幣制度整備の嚆矢となった、
つうのが日本貨幣史の定説なのに、一人でそんなこと言って空しくないか?
>秀吉は信長が持たなかった金銀鉱山を掌中に収め、日本全土を支配していたのに、通貨の改革には無力だった。
信長も天正6年には生野銀山に奉行を置いて直轄領化してるわけだけどね
ちなみに生野銀山は豊臣政権の金山銀山収入の八割を占めた一大鉱床、
残りの二割分秀吉には及ばないだろうが、天下人秀吉と決定的な差があったわけではない
秀吉が通貨の改革には無力だったってそれは信長のことでしょw
秀吉の政策に無理やりケチつけようとするんじゃなくて積極的に信長の良いところ挙げようよ
0122人間七七四年
2007/10/30(火) 10:43:08ID:LH7BScU7意味不明
石高制への統一と貫高制への統一、それぞれ長所と短所は有るが少なくとも
石高制と貫高制のちゃんぽんに比べて劣っているなんてことはないでしょ
>天下を制してさえ実効的な貨幣の整備を行えなかった秀吉、家康
秀吉と家康が確立した近世貨幣制度はその後
二百年以上その時代に合った手直しを受けながらも存続したわけなんだが・・・
信長ならきっと天下統一した暁には凄い通貨制度を整えたんだろうね
現実は無意味な撰銭令乱発するだけで何一つ実効的な手立てを打ててないけどw
>天下を制した彼らの朱印船貿易とやらも、そう大したモンではない
秀吉や家康がやっていた朱印船貿易は信長のちまちました南蛮貿易とは
その規模・収益において桁違いです
秀吉の唐入りのせいで東シナ海の交易ルートを失ったなんてのは見当違いの批判、
そもそも大内家が滅ぼされて以降、倭寇などの中央政権の統制の及ばない
海賊による密貿易が中心だった当事の日本(つうか秀吉ね)に失うべき東シナ海の交易ルート自体が存在しない
つうか唐入りの目標自体日明貿易復活を断られたため独自に東アジアの交易権を得ようとしたのが目的だという説(田中義成、辻善之助)もあるくらいなんだが
結局朝鮮すら手中に収めることが出来なかったことは秀吉のマイナス評価だろうが、
秀吉の政策自体が矛盾していたわけではない
家康が早々に交易の規模を縮小したってそれこそ何の話やら
大方慶長14年の大船建造禁止令のことを言ってるのだろうが、
この法令の対象となったのは江戸幕府の潜在的敵国である西国諸大名で、
彼らが朱印船貿易で財力を蓄えるのを阻止するのが目的、
江戸幕府自体は対外貿易を寡占することによって以前に勝る収益を挙げてますが?
朱印船貿易が消滅したのは寛永12年のことで秀吉・家康の両人とは関係のないこと
>大友や有馬と織田は、その経済力・軍事力において比較の対象にもならん
南蛮貿易の貿易量の話をしてたのに何故急に経済力や軍事力の比較になるのかわからん
信長の南蛮貿易が九州の切支丹大名に及ばないことをわかってるからこういうことを言うのかね
0123人間七七四年
2007/10/30(火) 10:44:47ID:LH7BScU7家父長的奴隷制について少し解説しておくと、
太閤検地の画期的な点の一つに直接耕作者を検地帳の名請人にすることによって
国人(在地の有力地主)による中間搾取を排除するという一地一作人制への志向が挙げられるわけ
以上のような一地一作人制の施行により今まで身分的に半農半兵だった
国人層を明確に「城下にすむ武士」「農村に住む農民」という風に分けることが出来たわけ
(実態はそれほど明確なものではなく、依然として有力地主の
存在は黙認されたが、彼らが武力権を行使するのは固く禁じられた)
こういう過程を踏むことによって初めて近世身分制度が確立されたわけで、
信長の専業武士団(これもきちんと説明して欲しい単語だが)云々の話は兵農分離の大筋とは全く関係ない
配下の有力国衆に城下の屋敷を与えて住ませることを持って専業武士団の創設といってるのかもしれないが、
それくらいなら他の大名でもやってる
>武田や上杉の兵は農業兼業。よって軍事行動は農閑期に限定。
実際に武田や上杉は農繁期でも必要に応じて軍事行動を起こしています
もちろん農閑期と比べて動員兵力が少なくなったのは事実だが、それは信長も一緒
「半農半兵の武田・上杉と違い、常備軍を整備したのが信長の天下統一の秘訣」つうのは
わかりやすいが実態に即したものだとは到底言えない
谷口克弘みたいに信長の兵農分離神話に異議を唱える研究者は多い
つうかまともな研究者で未だに信長の常備軍云々言ってる人居ないんじゃないの
0124人間七七四年
2007/10/30(火) 10:47:46ID:LH7BScU7京の七口は古来から朝廷の支配下として公家衆の重要な収入源になっていた、
それが故に信長ですら手出しが出来なかったつうのが有力な説(脇田修ほか)だが
事実これを廃止した秀吉は公家衆から猛烈な反発を受けている
後年の薄家との対立(秀吉の命令を無視して諸国の牛から
役銭を取ろうとした薄諸光の謹慎・切腹処分)なんかその最たるものだと言っていい
七口の関の重要性については既に上でで述べた
物流の量でいうなら大津や草津みたいな京までの一中継地点とは比べ物にならない
これは上の朝廷政策とも関係してくるが、七口の関を廃止できなかった信長が
「朝廷権威を乗り越える」なんて戯言もいいとこだね
>土地の正確な把握など急務ではなかった
七口の関廃止にしてもそうだが秀吉に出来て信長に出来なかったことを大したことないというのはやめませんか?
戦国時代の土地調査(検地)は名請人の確定、田畑の生産高の把握、年貢や賦役・軍役の設定など戦国大名にとって重要な施策、
それを急務でないというなら信長は他に余程重要な法令を施行してたんですね?
中途半端な楽市楽座令や無意味な撰銭令がもしかしてそうですか?
君の書き込みを見てると、秀吉の勢力がまだ小さかった頃になされた政策を
「全盛期の信長以下の所領だった秀吉が出来たんだから大したことない政策」、
秀吉が関東以西を制圧した頃になされた政策は
「全盛期の信長以上の所領を持ってるんだから出来て当たり前、
信長も本能寺の変が無ければそれくらいやった」
なんて根拠なく決め付ける傾向があるね
別に君が信長にどんな妄想を抱こうが勝手だが、歴史考証で大事なのは
「上で挙げたような秀吉の改革を、何一つとして現実の信長は実行できなかった」という事実です
0125人間七七四年
2007/10/30(火) 21:58:14ID:ZZCsNMZq有能無能の定義自体がナンセンス。
もしも、合戦で槍働きが出来ねば無能というのなら、秀吉以外でも無能な武将はいくらでもいた。
「人誑し」と言われる対人折衝の能力こそ彼の持ち味だ。
それに、無能というのなら幕末の西郷隆盛だってある意味では事務手続きしかできない無能人だぜ。
それぞれの得意不得意が違うのだ、自分だけの下らん定義を振り回したって虚しいだけだよ。
0126人間七七四年
2007/10/30(火) 22:49:59ID:ygvHw8BYだから信長は天才であらねばならないのよ
0127人間七七四年
2007/11/01(木) 15:50:22ID:bd7RnSIz同意なんだけど、信長が秀吉の行った改革を実行出来なかった、というのはあくまでそういう事実に
留めておいた方がいいですよね。
つまり信長の頃は改革を実行するより、統一に向けての武力行使の方が重要でその真っ只中でもあったわけだから。
それと「朝廷権威を乗り越える」というのはそういう関所廃止みたいな政策から判断するのじゃなくて
信長に帝位廃止の意図があったかどうかでしょう。
武力統一の後に信長がそこまで踏み込んだかどうかはまた別の視点から判断するべきではないかな。
重要な改革や政策を打ち出していない、と統一後の信長が朝廷をどうしようとしていたか、は別問題であって
後者に限って言うとあくまで推論であり結果は永遠の謎だけど、その推論的結論は決して生前の
中途半端な政策や施策からのみ判断されるべきではない、と思いますね。
0128人間七七四年
2007/11/02(金) 00:10:15ID:pPhxWkt1それはあくまで、実弟の秀長や黒田孝高など有能な腹心の存在あったればこそ。
秀吉の武功に占める秀長の貢献度はかなり大きく、
副将たる秀長の武勲は全て秀吉のものとされていたから、
秀吉の武将としての能力は、かなり底上げされた過大評価だと見るのが妥当だろう。
秀吉がいかに底の浅い天下人だったかは、
秀長亡き後の失政(唐御陣の大失敗&関白秀次粛清)で証明されている。
天下統一後、成長から安定への政策転換ができず、
外征による歯止めの無い領土拡張膨張政策を続行させ、
政権の後継者問題という戦国の世の基本的な御家騒動の種を自ら悪化させて、
政権の求心力を急速に喪失せしめた無能ぶりは呆れ果てるばかりだ。
自身の死後の豊臣家譜代の家臣同士の敵対は、全て秀吉の失政に起因するものであり、
上記の失政がなければ、家康に付け込まれることもなく、豊臣家は安泰だった。
もし秀長が秀吉少壮の頃から加勢してなければ、
とてもじゃないが秀吉は織田家内で異例の出世などできなかったし、
ましてや天下人など到底不可能だったろう。
0129人間七七四年
2007/11/02(金) 04:19:42ID:1BeJ+Vy7秀吉のようなゴミなど比較にならない
0130人間七七四年
2007/11/02(金) 20:43:21ID:8bFAEY74黒田官兵衛や小一郎秀長が居なければ他に誰か適当な人材を探すだろう。
人を扱い、その才覚を引き出すのも人の上に立つ者の重要な要素だぜ。
信長との比較で言えば、信長が秀吉の立場、つまり下層階級からのし上がれたかどうか。
まさか、そんな程度の事すら考えたこと無いの?
信長でなければいやしい身分の秀吉をあそこまで取り立てて使いこなす事もなかっただろうが。
別に、信長より秀吉が劣っていたとは言わないよ。
信長には信長の、秀吉には秀吉の、家康、信玄、毛利元就とそれぞれの持ち味がある。
まさかアナタは、信長が拳王様みたいに、なにもかも自分一人の力でやってたとでも思うのかいw
0131人間七七四年
2007/11/03(土) 02:58:17ID:kl2lTM4Q>家康の場合も最高の官職でも何でもない右大臣の辞職だったんだけど?
家康が天下人たらんとして欲した官位は征夷大将軍であり、
右大臣など付随的な官職にすぎん。
家康は右大臣の辞職と同時に、将軍職も退いたのか?
答えはNOだ。
>家康の例だけで不満なら同時代では他に三条西公条(天文12年に右大臣辞職)、三条公頼(天文15年に左大臣辞職)、
今出川公彦(天文16年に左大臣辞職)、花山院家輔(天正2年右大臣辞職)、西園寺公朝(天正4年に左大臣辞職)、
豊臣秀頼(慶長12年に右大臣辞職)なんかが散位してる
論点分かってる?
有史以来、朝廷官位体系から離脱した者など腐るほどいる。
論旨は天下人たる信長や家康が、自己の政権構想に朝廷官位をどう関連づけたかだ。
公家や斜陽の没落大名の事例など、どうでもいい。
>官職を辞することが朝廷権威を乗り越えることなんて、戦国時代の公家社会に対して無知な、
全く根拠のない話だと上の連中を見たらわかるんじゃないの
信長は公家ではない。
信長のように、天下統一途中で朝廷官位体系から離脱して以後顕職に就かなかった例はない。
朝廷官位体系内に留まって、朝廷権威を乗り越える事などできないのは、子供でも分かる。
>当時としては老人といっても差し支えない信長
天正十年当時で四十九歳だった信長は、心身頑強で全く老いの兆候さえ見せてはいなかった。
>自身の権力を委譲するべき信忠のことをまったく考えずに
信長が官位体系から離脱した事と、織田家の家督問題は全く関係ない。
信忠は織田家内で、信長の後継者として磐石の立場を確立していた。
>「自分だけ朝廷権威を乗り越えればそれでいいや」なんて思ってたらアホでしょ
自分の息子達や家臣団を、自分と同等の超越的絶対権力者としての高みにまで引き上げようなんて思ってたらアホでしょ。
0132人間七七四年
2007/11/03(土) 02:59:05ID:kl2lTM4Q>>確固たる理念理想無しに、強大な勢力を有していた有力宗教勢力と敵対する危険など冒しはしない
それは単に君の思い込みじゃん
貴殿の言葉をそっくりそのままお返しする。
それは単に君の思い込みじゃん。
単に君が無知なだけ。初歩的な知識さえ頭に入ってないのだから話にならん。
信長は、俗権と癒着する宗教勢力を宗教の腐敗とみなし、忌み嫌っていた。
よって武力蜂起して敵対する延暦寺を焼き討ちし、
一向一揆を皆殺しにするなど、徹底的に弾圧した。
>確固たる理念理想を持って有力宗教勢力と敵対してた割に比叡山門徒に対して当初は及び腰の交渉をしてますね
で交渉が上手くいかないと逆切れで大量虐殺ですか
確固たる理念理想をもって宗教勢力の既得権を剥奪したからこそ、
比叡山は信長に敵対し浅井朝倉軍に加勢したわけだ。
それに中立を守らないと報復すると事前通告している。逆切れではない。
当時織田軍は苦境下にあり、逆境を脱するために譲歩を提示しただけ。
それが何か問題でも?
>>宗教勢力の世俗への介入の否定・非武装化を完璧に具現化した
「完璧に」という単語はお情けで見過ごしてあげるが
ではお尋ねするが、
信長死後、秀吉は一度でも宗教勢力と武力衝突したのか?
答えはNOだ。
>江戸時代も宗教勢力は政治に一定の影響力を保有
定見の無い為政者に近づいて、虚言を吹き込んだ如何わしい坊主連中の虚業だど、どうでもいい事だ。
彼らは幕府内で確たる役職に就いて幕政に参画していたのか?
答えはNOだ。
貴殿の言葉をそっくりそのままお返しする。
君の書き込みは論点がずれてる
>ここで自分が問題にしているのは信長の宗教弾圧が当初から確固たる理念があってのものかどうか
貴殿の言葉をそっくりそのままお返しする。
それは単に君の思い込みじゃん。
では信長が当初から確固たる理念がなかったとして、
いつ、どういうきっかけで宗教弾圧を始めたのか、お教え願いたい。
>「信長は民の指示を失わず」もそうだが、君の書き込みは論点がずれてる
信長がいかに民衆から反感を買う行為を嫌っていたかも知らんのか。
織田軍の軍律の厳格さは、その最たるものだ。
信長は比叡山を攻撃しても、民意を失わないと判断したからこそ焼き討ち掃討作戦を通告通り実行したのだ。
0133人間七七四年
2007/11/03(土) 02:59:48ID:kl2lTM4Q>そもそも巨大消費地≠物流の拠点だと思い込んでいるのは何故?
普通にこの二つの特性は両立しうるものでしょ
現在でも札幌・仙台・東京・名古屋・大阪・広島・福岡みたいな
中核都市はその地方における物流の中心じゃん
そもそも巨大消費地=物流の拠点だと思い込んでいるのは何故?
上記七都市は、一大消費地だぞ。各都市内の卸売市場と混同してないか。
大津は琵琶湖の南部に位置する湖港だ。
当時の海運は日本海ルートが主流で、畿内に入る物流ルートは敦賀で陸揚げされ琵琶湖を利用した南下輸送だ。
草津は東海道と中山道の分岐点にある陸上物流の拠点だ。
信長は堺を含めた三大拠点を直轄領にして巨額の運上金を吸い上げたわけだ。
よって京は物流の拠点でも何でもない。
>戦国時代の京は巨大な人口を抱え、西陣織(戦国時代の絹織物の過半を占めた)
みたいな工業が発達し多数の商人を抱えた日本最大の都市
当時の日本最大の商業都市は堺なんだけど・・・
堺の経済力は京とは比較にならんでしょ。
>京の七口の関を経由して京に搬入される&京から搬出される資材&工業製品と
草津や大津みたいな中継地点を通過して京に入る物資、どちらが多いかちょっと考えたらわかるでしょ
そりゃ草津や大津でしょ。
マジで京だと思ってるわけ?
>秀吉の天正大判鋳造が近世貨幣制度整備の嚆矢となった、
つうのが日本貨幣史の定説なのに、一人でそんなこと言って空しくないか?
>秀吉が通貨の改革には無力だったってそれは信長のことでしょw
秀吉は全国の金銀鉱山を没収、あるいは鉱山収益の一部を運上金として上納させ、
大量の金銀を手中に収めたのに、実際やった事は贈答用の貨幣の鋳造ってんだから、笑わせる。
貨幣の品質や供給量不足は改善されず、通貨改革には全くの無力、無能。
秀吉の金銀貨幣の鋳造が貨幣史に残っているのは、
堺や博多の豪商が交易の決済手段として勝手に流用していたからにすぎん。
秀吉とは何ら関係がない。
0134人間七七四年
2007/11/03(土) 03:01:34ID:kl2lTM4Q>>その象徴が貫高制を廃した石高制への一本化だ
意味不明
前回述べた趣旨は、秀吉は通貨の改正に無能無力だったからこそ、
銭で納税する貫高制を廃し石高制に統一したという事だ。
当時は米の方が通貨より価値が安定していて換金性もあったからだ。
それが『意味不明』とはいったい・・・
>石高制と貫高制のちゃんぽんに比べて劣っているなんてことはないでしょ
貫高制か石高制かのどちらかに一本化しなければならないという意見こそナンセンス。
(>>77の>領内では貫高制と石高制の統一すらできてない、を参照)
銭と米の相場が安定している地域では貫高制を採用し、
そうでない地域では石高制を採用しても何の不都合もない。
>秀吉と家康が確立した近世貨幣制度はその後
二百年以上その時代に合った手直しを受けながらも存続したわけなんだが・・・
信長ならきっと天下統一した暁には凄い通貨制度を整えたんだろうね
現実は無意味な撰銭令乱発するだけで何一つ実効的な手立てを打ててないけどw
中央政権が統一通貨を発行したのは、家光治世時の寛永通宝って知ってる?
秀吉や家康は近世貨幣制度とやらに全く関与してないんだけど・・・
秀吉に至っては、信長より遥かに条件の良い立場と環境下にいたのに、
信長が局所的に行っていた貫高制さえできない無能ぶり。
>信長のちまちました南蛮貿易
当時、南蛮貿易の拠点だった堺の隆盛ぶりも知らんのか・・・
>その規模・収益において桁違いです
では、秀吉や家康は信長と比べてどれほど桁違いに凄いのか、具体的にお示し願おうか。
0135人間七七四年
2007/11/03(土) 03:02:48ID:kl2lTM4Q>秀吉の唐入りのせいで東シナ海の交易ルートを失ったなんてのは見当違いの批判、
当事の日本(つうか秀吉ね)に失うべき東シナ海の交易ルート自体が存在しない
東シナ海の位置を把握してるか?
当時、博多の商人の主な収入源は、朝鮮や明との交易だった事も知らんのだな。
秀吉の大陸侵攻により、朝鮮は勿論朝貢関係にあった明とも交易は停止だ。
その明との交易ルートこそ東シナ海だぞ。
だから貿易商は、航路を東南アジアに向けざるを得なかったわけだ。
>つうか唐入りの目標自体日明貿易復活を断られたため独自に東アジアの交易権を得ようとしたのが目的だという説(田中義成、辻善之助)もあるくらいなんだが
結局朝鮮すら手中に収めることが出来なかったことは秀吉のマイナス評価だろうが、
秀吉の政策自体が矛盾していたわけではない
秀吉は朝鮮との折衝役だった小西行長からの報告も待たずに、一方的に大陸に軍事侵攻してるんだが・・・
貴重な交易相手を失い、一方で南西に交易相手を求める。
これを政策の矛盾と言わずして何と言うのか、他に適切な言葉が思い浮かばん。
是非貴殿にお教え願いたいな。
>家康が早々に交易の規模を縮小したってそれこそ何の話やら
大方慶長14年の大船建造禁止令のことを言ってるのだろうが、
この法令の対象となったのは江戸幕府の潜在的敵国である西国諸大名で、
彼らが朱印船貿易で財力を蓄えるのを阻止するのが目的
だったら何で、江戸幕府の潜在的敵国である西国諸大名に、当初は交易を許可したんだろうな。
家康は底抜けのバカなのか?
>江戸幕府自体は対外貿易を寡占することによって以前に勝る収益を挙げてますが?
そもそも大船保有を禁止する事自体、交易の縮小化に他ならない。
しかも交易できるのは、一部の幕府の御用商人のみと規模も縮小。
こんなしみったれた政策、重商主義の範疇にも入らん。
国家ビジョンの片鱗さえ無い。
>>大友や有馬と織田は、その経済力・軍事力において比較の対象にもならん
南蛮貿易の貿易量の話をしてたのに何故急に経済力や軍事力の比較になるのかわからん
信長の南蛮貿易が九州の切支丹大名に及ばないことをわかってるからこういうことを言うのかね
貴殿は貿易の恩恵は経済力や軍事力に直結しているという初歩的な事さえ理解できんらしいな。
堺は日本最大の商業都市であり、南蛮貿易の拠点だ。
その経済力は、当時の日本の港や都市の中でも群を抜いていた。
信長はそこに代官を置き、急速に台頭してきた新興商人の今井宗久らと密接な関係を築き、
巨万の富と軍需品を入手していた事も知らんのか・・・
九州の切支丹大名が信長の南蛮貿易に及ばないことをわかっていないからこういうことを言うのかね。
0136人間七七四年
2007/11/03(土) 03:04:01ID:kl2lTM4Q>今まで身分的に半農半兵だった国人層を明確に
「城下にすむ武士」「農村に住む農民」という風に分けることが出来たわけ
そんなの当の昔に、信長がやっている。
>(実態はそれほど明確なものではなく、依然として有力地主の
存在は黙認されたが、彼らが武力権を行使するのは固く禁じられた)
こういう過程を踏むことによって初めて近世身分制度が確立された
調べるの大変だったでしょう。
>信長の専業武士団(これもきちんと説明して欲しい単語だが)云々の話は兵農分離の大筋とは全く関係ない
配下の有力国衆に城下の屋敷を与えて住ませることを持って専業武士団の創設といってるのかもしれないが、
それくらいなら他の大名でもやってる
地主階級の武士は農事などしないから、そんなの当たり前。
兵農未分離の戦国大名では、一般の兵まで城下町に移住させてしまえば、
農業従事者が消滅する事になる。
よってそんな事はできない。
だが織田は違う。
農業から切り離された完全な専業兵士だ。
だから信長は居城の劇的な移転も可能。
信玄のように常に甲斐の躑躅ヶ崎館から出陣し、
遠征していても、またそこに戻って来るという効率の悪い軍事行動をしている守旧派など、
一生かかっても天下取りは無理。
0137人間七七四年
2007/11/03(土) 03:04:40ID:kl2lTM4Q>実際に武田や上杉は農繁期でも必要に応じて軍事行動を起こしています
もちろん農閑期と比べて動員兵力が少なくなったのは事実だが、それは信長も一緒
半農半兵の武田では、農繁期に軍事作戦をすれば、その間誰が農作業するんだ?
大先生にご教授願いたいな。
農業生産高が途絶えれば国は滅ぶ。
因みに川中島の戦い全五回は全て農閑期だ。知ってたか?
しかも激戦となったのは、四回目の永禄四年の戦だけだ。
他は、対陣か小規模抗戦のみ。
織田軍が石山本願寺を五年も攻囲していたのを知ってるか?
兵農分離してなければ、そんなの到底不可能だろ。
そこの司令官だった佐久間信盛がだらだらと無為に日々を過ごし、
怠慢無能を理由に織田家を追われたのは有名な話だ。
>「半農半兵の武田・上杉と違い、常備軍を整備したのが信長の天下統一の秘訣」つうのは
わかりやすいが実態に即したものだとは到底言えない
では織田軍の実態とやらを「わかりやすく」大先生にご説明願おうか。
>谷口克弘みたいに信長の兵農分離神話に異議を唱える研究者は多い
つうかまともな研究者で未だに信長の常備軍云々言ってる人居ないんじゃないの
つうかまともな研究者で未だに信長の兵農分離は神話だと云々言ってる人居ないんじゃないの。
やたら谷口克弘とやらにご執心のようだが、他の専門家や研究者の著述でも読んで比較でもしてみたらどうなんだ。
一個人の偏った意見だけを鵜呑みにしてるようでは・・・
0138人間七七四年
2007/11/03(土) 03:06:15ID:kl2lTM4Q>京の七口は古来から朝廷の支配下として公家衆の重要な収入源になっていた、
それが故に信長ですら手出しが出来なかったつうのが有力な説(脇田修ほか)だが
事実これを廃止した秀吉は公家衆から猛烈な反発を受けている
京に7か所あった関所の関銭は皇室に入らず、山科言継の懐に入っていた。
この人物は、信長の父信秀の代から織田家との所縁深く、
足利義昭の将軍宣下の儀にも参画している。
つまり信長の貴重な朝廷人脈の一人だったわけだ。
だが、秀吉にとっては、旧主の人脈などどうだっていいから、彼の特権を奪ったわけ。
ところで、この関所廃止に反発したっていう公家衆って、いったい何人で誰なんだ?
>後年の薄家との対立(秀吉の命令を無視して諸国の牛から
役銭を取ろうとした薄諸光の謹慎・切腹処分)なんかその最たるものだと言っていい
これって天正十三年の話だろ。
天正十年の関所廃止とは全然関係ない。
どういう意図でこの文を引用したのか、
ここは一つ大先生のご意見を伺いたい。
>七口の関の重要性については既に上でで述べた
別に重要でも何でもない。
織田家さえ掌握していない時の秀吉でさえ簡単に廃止にできるんだから。
>物流の量でいうなら大津や草津みたいな京までの一中継地点とは比べ物にならない
物流の量でいうなら大津や草津は、京みたいな一都市とは比べ物にならない
0139人間七七四年
2007/11/03(土) 03:06:46ID:kl2lTM4Q>七口の関を廃止できなかった信長が「朝廷権威を乗り越える」なんて戯言もいいとこだね
七口の関を廃止した秀吉は、朝廷権威を乗り越えられず、
というか始めから朝廷権威に依存しっ放しで、
その権威を借りなければ全国統一さえできなかったんだが・・・
大先生はこれに関して、どうお思いで?
>七口の関廃止にしてもそうだが秀吉に出来て信長に出来なかった
信長はできなかったのではなく、そうしなかっただけ。
その理由は上記参照。
>戦国時代の土地調査(検地)は名請人の確定、田畑の生産高の把握、年貢や賦役・軍役の設定など戦国大名にとって重要な施策、
それを急務でないというなら信長は他に余程重要な法令を施行してたんですね?
商業資本からの利益還流と刺出検地からの収入だけで、当時の織田家の経済力は他を寄せ付けないほど圧倒的。
秀吉のように農民を酷使し収穫物を収奪する必要もなかった。
信長ほど民に善政を敷いた為政者はいない。
>中途半端な楽市楽座令や無意味な撰銭令がもしかしてそうですか?
その時その時の状況に応じて、臨機応変に改革を広げていっただけ。
でも猪突猛進の強行策こそ素晴らしいとの含みのある大先生のご意見はご立派の一言です。
撰銭令に関しては以前述べたので、参照の事。
>秀吉の勢力がまだ小さかった頃になされた政策を
「全盛期の信長以下の所領だった秀吉が出来たんだから大したことない政策」
その通り。
>秀吉が関東以西を制圧した頃になされた政策は
全盛期の信長以上の所領を持ってるんだから出来て当たり前
マトモだったのは、秀長の生存時まで。
その後は、失政の連続で、自ら豊臣家滅亡の種を撒き散らす無能ぶり。
>信長も本能寺の変が無ければそれくらいやった
なんて根拠なく決め付ける傾向があるね
では本能寺の変が無ければ、信長の天下は秀吉の治世に劣るという、
大先生のご見解を拝聴させていただきましょうか。
>別に君が信長にどんな妄想を抱こうが勝手だが、歴史考証で大事なのは
「上で挙げたような秀吉の改革を、何一つとして現実の信長は実行できなかった」という事実です
以前述べたように、天正十年六月一日時点での世が、
信長が目指した理想の社会でも何でもなく、
単なる一通過点にすぎないという意見、再読願う。
当時は信長の天下統一の総仕上げの真っ最中だ。
世は更に劇的に変わる気運だった。
0140家老典葦 ◆cjzqPVpeh6
2007/11/03(土) 03:43:04ID:uh8ZG+r7陰湿、変態、根暗の三拍子揃った、愉快犯的な犯罪者タイプ
一生小者で終わる、恥ずかしい人生が見えてるなw
0141人間七七四年
2007/11/03(土) 09:58:50ID:kl2lTM4Q陰湿、変態、根暗の三拍子揃った、愉快犯的な犯罪者タイプ
一生小者で終わる、恥ずかしい人生が見えてるなw
0142人間七七四年
2007/11/03(土) 12:35:02ID:dKtuYMit秀吉のようなゴミと比較するのは失礼だ
0143人間七七四年
2007/11/03(土) 21:17:17ID:04tuM8n00144人間七七四年
2007/11/03(土) 22:08:08ID:46FxhBAB秀吉や家康のようなゴミなど比較にならん
0145人間七七四年
2007/11/04(日) 12:03:05ID:3TnymAp6>黒田官兵衛や小一郎秀長が居なければ他に誰か適当な人材を探すだろう
彼らに匹敵する有能な人材が他に誰かいたか?しかも秀吉の家臣になりうる範囲でだ。
つまり彼らの代わりになる人材なんていねーんだよ。アホか。
>人を扱い、その才覚を引き出すのも人の上に立つ者の重要な要素だぜ
それをやったのは信長。秀吉は彼らの才能を拝借しただけ。勘違いも甚だしいぞ。
>信長との比較で言えば、信長が秀吉の立場、つまり下層階級からのし上がれたかどうか
秀吉はのし上がれたのは信長の慧眼あったればこそ。秀吉なんて織田家じゃなかったら一生うだつの上がらない下民のまま。
信長は織田の近親者との熾烈な争いに全て打ち勝ってるじゃねーか。それが答えだろ。
>信長には信長の、秀吉には秀吉の、家康、信玄、毛利元就とそれぞれの持ち味がある
武将としての総合的な能力が話の趣旨じゃねーのか。
信長や秀吉、家康の家臣だった連中全員にもそれぞれの持ち味があったっつーの。マジでアホだな。
>まさかアナタは、信長が拳王様みたいに、なにもかも自分一人の力でやってたとでも思うのかいw
>別に、信長より秀吉が劣っていたとは言わないよ
お前の意見は単に日本全土を支配したか否かという結果論からの導出にすぎん。
全ての政策立案、軍事戦略を一人で考え判断し、実行は家臣にやらせた信長。
全ての政策立案、軍事戦略を参謀や副将から知恵を拝借した上で判断を下した秀吉。
その彼らが全員いなくなったら、やる事為す事全て失敗の秀吉。
信長と秀吉、どっちが有能か明らかだろーが。
0146人間七七四年
2007/11/04(日) 14:00:20ID:HMH6X7wlカエサル、ナポレオン、チンギスハーンと並ぶ四大覇王の一人
秀吉や家康のようなゴミと比べるなど失礼極まりない
0147人間七七四年
2007/11/04(日) 18:33:22ID:lHX62euZ天下までとったわけだし、ここの部分で有能ならそれで良いんじゃないの?
補佐役に人材がいないと上手くいかないってのと、補佐役を上手く使えるってのは
両立しなくてもおかしくないしさ
0148人間七七四年
2007/11/04(日) 21:39:02ID:rxd0zfoX0149人間七七四年
2007/11/05(月) 19:29:08ID:pisAcBMO0150人間七七四年
2007/11/06(火) 05:02:50ID:BfCbBjS6具体的に秀吉の政策立案、軍事戦略のどれが参謀の発案によるものか是非指摘していただきたいな
史実の秀吉は信長に勝るとも劣らない超ワンマン大名、
実際に豊前宇都宮氏謀殺を実行した如水や賤ヶ岳の戦いの秀長、
九州征伐先遣隊の仙石秀久らに秀吉は事細かな作戦を出して、それらが書状という形で現存してるわけで
(秀久はその秀吉の指令を無視して島津に撃滅されてるんだから世話ない)
太閤記に端を発する両兵衛や小六みたいな優秀な軍師に支えられた秀吉像ってのは、
儒学者の小瀬甫庵が自らの理想である古代中国の王者像を無理やり秀吉に当てはめただけの虚像に過ぎない
0151人間七七四年
2007/11/06(火) 23:25:33ID:/1aB5Fzo猿
0152人間七七四年
2007/11/06(火) 23:29:48ID:/1aB5Fzoガイウス ユリウス オクタウィアヌスって名乗ったぞ おい
0153人間七七四年
2007/11/08(木) 02:05:46ID:I6bRCqBA秀吉が自分の政策立案、軍事能力に不安を感じていたからこそ、竹中重治、黒田孝高らの智謀備えた参謀を必要としたんだろうが。
秀吉の行為自体が答えだっつーの。
逆に自己の能力を過大評価して唐御陣を強行したら大失敗。
秀吉は誰かのサポート無しでは、脱線したり暴走したりする駄目人間だというのは、史実が証明してるっつーの。
>史実の秀吉は信長に勝るとも劣らない超ワンマン大名
>豊前宇都宮氏謀殺を実行した如水
>賤ヶ岳の戦いの秀長
秀吉の政策立案、軍事能力の有無とは何の関係の無し。
またアホの一端を覗かせやがって。
>九州征伐先遣隊の仙石秀久らに秀吉は事細かな作戦を出して
単に戦の指南をしただけだろ。
かなりの戦の場数を踏んでいる秀吉なら、これくらいできて当然。
わざわざ自慢するほうが間抜け。
>儒学者の小瀬甫庵が自らの理想である古代中国の王者像を無理やり秀吉に当てはめただけの虚像に過ぎない
秀吉を自らの理想に無理やり当てはめて虚像をつくり上げてるのはお前だっつーの。
0154人間七七四年
2007/11/08(木) 02:34:02ID:Y2wjcqHd秀吉ごときカスと比べようとはおこがましいわ!
0155人間七七四年
2007/11/08(木) 02:45:30ID:jHokWMMB現場にはこと細かく指令
失敗には容赦しない
相当やりにくい面があったのかな
0156人間七七四年
2007/11/08(木) 04:54:48ID:isWHdG4X結局何一つ具体的に指摘できてないじゃん
黒田はともかく竹中が秀吉の参謀なんて太閤記の創作信じ込んでる時点でアホだけどw
史実の竹中は信長から秀吉に付けられた与力に過ぎない
つうかその太閤記の記述を丸々信じるなら竹中は信長よりも秀吉の方を高く評価してたことになるけどな
お前は本当に低脳だなw
0157人間七七四年
2007/11/08(木) 05:15:19ID:I6bRCqBA>史実の竹中は信長から秀吉に付けられた与力に過ぎない
だから与力に付けられて何をしてたかっていえば、秀吉の知恵袋の役割を果たしてたんだろーがよ。
単に表面的名目的な関係だけに視点置いて実質を理解してない間抜け。アホ杉。
>黒田はともかく竹中が秀吉の参謀なんて太閤記の創作信じ込んでる時点でアホだけどw
勝手に自分の都合のいいように歴史をもてあそび史実を歪曲してるお前がアホ。
>太閤記の記述を丸々信じるなら竹中は信長よりも秀吉の方を高く評価してたことになるけどな
半兵衛が秀吉の参謀になる背景くらい頭に入れとけ。
0158人間七七四年
2007/11/08(木) 05:21:35ID:Av1gKgB+笑わないから言ってみw
0159人間七七四年
2007/11/08(木) 05:30:15ID:I6bRCqBA笑わないから言ってみw
0160人間七七四年
2007/11/08(木) 05:31:53ID:isWHdG4X嘗て浅井家に仕えてた関係で堀秀村ら浅井家臣の切り崩しに奔走したつうのが
同時代史料から確認できるほぼ唯一の竹中の功績
当時の秀吉にとって竹中の人脈は確かに便利なものであっただろうが、
大事なのは人脈であって竹中の知略が重宝されたわけではないだろ
他に竹中の知恵者らしい働きって何よ
まさか稲葉山城を十数人で乗っ取ったことだなんて言わないよねw
いくら低脳ちゃんでもさ
0161人間七七四年
2007/11/08(木) 05:46:18ID:I6bRCqBAまたお前お得意の歴史の歪曲か。
初歩的な知識さえない無知な愚か者の戯れ言。
お前のバカは底無しだな(笑)
0162人間七七四年
2007/11/08(木) 05:59:25ID:so8wreqt0163人間七七四年
2007/11/08(木) 06:08:30ID:I6bRCqBA知恵遅れの哀れな奴
0164人間七七四年
2007/11/08(木) 06:31:20ID:isWHdG4Xただの罵倒レスを脊髄反射で返すので精一杯か
0165人間七七四年
2007/11/08(木) 06:48:58ID:Av1gKgB+ごめん、笑わないって約束したけどやっぱり笑ってしまうわw
「○○は××だった、何故ならそうではないと否定した史料が存在しないから」ってどんなアホ理屈だよ。
そんな理屈が成立するなら秀吉は天皇の御落胤だとか本能寺の変は切支丹の陰謀だったとか、
言った者勝ちの何でもアリになってしまって歴史学自体が成立しなくなってしまうw
で、改めて聞くが半兵衛が秀吉の知恵袋だったという同時代史料は何?
0166人間七七四年
2007/11/08(木) 06:49:13ID:I6bRCqBA>>160の
>嘗て浅井家に仕えてた関係で堀秀村ら浅井家臣の切り崩しに奔走したつうのが
同時代史料から確認できるほぼ唯一の竹中の功績
これ自体真っ赤な嘘じゃねーか。
竹中氏は半兵衛の父の代から美濃の斉藤氏に帰属してるつーの。
最低すぎねえか、お前。
0167人間七七四年
2007/11/08(木) 06:57:27ID:I6bRCqBAお前、竹中半兵衛関連の著述を少しでも読んだことあるのか?
文句があるなら、最低限の関連記述を読んでからにしろや。
お前の主張は、単に無知の恥さらしだっつーの。
支離滅裂な散文書き連ねて、お前の論拠の無さを誤魔化そうとする姑息さは見苦しい限り。
とにかく竹中半兵衛の初歩的な知識くらい頭に入れてこい。ガキかよ、お前。
0168人間七七四年
2007/11/08(木) 07:08:21ID:I6bRCqBA>>156の奴の的外れな話のすり替えから始まってるんだろーが。
このバカが諸悪の根源。
0169人間七七四年
2007/11/08(木) 07:15:08ID:Li+G//Te0170人間七七四年
2007/11/08(木) 07:21:37ID:I6bRCqBAお前、読解力ねーのか。底なしのバカかよ。
0172人間七七四年
2007/11/08(木) 08:13:57ID:I6bRCqBA読解力ゼロ
0173人間七七四年
2007/11/08(木) 11:48:12ID:Y2wjcqHd信長は宇宙最強の天才
秀吉は最低のカスだ
0174人間七七四年
2007/11/08(木) 22:28:22ID:dxXZqidY基地外が一人騒ぐ様は見ていて滑稽だ。
0175人間七七四年
2007/11/09(金) 03:45:18ID:62MxDv7jお前のお祖父さんやお父さんが勤めていた織田家
に対して少しは敬意を払えよ
0177人間七七四年
2007/11/09(金) 10:13:19ID:MpRv5ubU0178人間七七四年
2007/11/10(土) 00:17:08ID:DH83JogU0180人間七七四年
2007/11/11(日) 23:08:43ID:kxmwccqB>>176の書き込みが
ID:I6bRCqBA でないのに勘違いしているバカぶりには、痛すぎて笑える。
0181人間七七四年
2007/11/11(日) 23:32:14ID:7jffBdiXID:kxmwccqB=ID:jLdJJA+1=ID:I6bRCqBAなのは明白。
なぜならばID:I6bRCqBAに同意する人間などこの世にいないから。
幼稚な釣りに本気になって書き込みをする姿は最高に笑える。
0182人間七七四年
2007/11/11(日) 23:48:21ID:kxmwccqBなぜならばID:I6bRCqBAに同意する人間などこの世にいないから
自分の妄想を妄信し事実を錯誤するバカっぷりは最高に笑える
お前と同類のバカなどこの世にいねえよ
己の幼稚さに気付かずひたすら釣りに励むバカ
0183人間七七四年
2007/11/11(日) 23:50:30ID:7jffBdiXいちいち釣られるなよ。バカだなぁクスクス
0184人間七七四年
2007/11/12(月) 00:04:00ID:FuhExBAvやっと己の間違いと愚かさに気付いたか。バカが。
バツが悪くて便所の落書きでお茶を濁して話のすり替えか。
いかにも幼稚でバカなお前らしい姑息なやり口だな(笑)
0185人間七七四年
2007/11/13(火) 09:43:46ID:WxSB4h9v寡兵で10倍の敵を打ち破ることもすれば、数万の大軍を自分の手足のように
動かし、それでいて、伝統的な権威にも礼を欠かさない。
ただ、惜しむべくらくは精神的に弱いのと、松永久秀が(ry
0186人間七七四年
2007/11/19(月) 14:44:51ID:ofTyeOWK普通にやることをやれば家康を討ち取れたものを、家康に良い様にやられっぱなし
あれが秀吉の地じゃねーの
賤ヶ岳の戦いで秀吉が勝てたのも、前田利家の戦線離脱のおかげだし、
軍略だけを見れば秀吉と勝家はそう大差無い
政変の時は、秀吉のようなワルが悪謀で政敵を上回り、最終的に勝つってことさ
それは家康にも言えることだが・・・
0187人間七七四年
2007/11/19(月) 15:12:27ID:WwyM/2tcお前前田利家の戦線離脱は自分から進んで離脱したのと思ってるの?
大河ドラマの『利家とまつ』をそのまま信じてるの?
だったら相当なアホだな
0188人間七七四年
2007/11/19(月) 15:18:36ID:ofTyeOWK自発的にやったに決まってんだろ。多発的にやったとでも?頭病んでんな、完全に。
0189人間七七四年
2007/11/19(月) 16:19:52ID:vv+Dp2WP岐阜とか長浜とか他の地方も評価しろよ…
0190人間七七四年
2007/11/19(月) 16:36:14ID:qYVtoHFdただ賤ヶ岳は兵数違いすぎるからどちらも評価すんの難しくないか?
前田のチョンボが勝家秀吉両方とも想定外の可能性あるし
0191人間七七四年
2007/11/19(月) 16:58:58ID:ofTyeOWK話すり替えるな
お前の論法だと、関ヶ原の敗者である石田三成を論じてる時に、それ以前の三成の業績も評価しろって言ってるのと同じ
バカバカしい限りだ
0192人間七七四年
2007/11/19(月) 21:01:29ID:+khXHdYm0193人間七七四年
2007/11/19(月) 21:03:44ID:aAzMuBlz0194人間七七四年
2007/11/19(月) 21:25:04ID:of9bz9020195人間七七四年
2007/11/19(月) 22:35:59ID:7sCjwq/Zあれは相手が悪かったとも言える
秀吉が諜報にざるだった前提を入れても、家康の行動は異常
0196人間七七四年
2007/11/19(月) 23:18:31ID:tCe2Tk2cきわめて有能な武将でしょう。無能なら信長が重用せんでしょう。
0197人間七七四年
2007/11/20(火) 00:03:34ID:uiY0l+yA0198人間七七四年
2007/11/20(火) 10:03:07ID:hMAj4tI+立場が逆だったら、信長は秀吉のような出世は無理かもね。
0199人間七七四年
2007/11/20(火) 11:18:05ID:3CUa/wbvこの1事実をもってして、秀吉がいかに天才か分かろうという物だ
アホには到底このような事は不可能だ
0200人間七七四年
2007/11/21(水) 00:49:48ID:j8xlDmhQ0201人間七七四年
2007/11/22(木) 20:54:02ID:dwKbvERS0202人間七七四年
2007/11/23(金) 00:14:58ID:JCdplJH2>乞食から天下人になったのは、後にも先にもこの男のみだ
この1事実をもってして、秀吉がいかに天才か分かろうという物だ
秀吉が天下人になれた奇跡は信長の存在あっての事。
加えて絶好の時期に信長が消えてくれたお陰でもある。
0203人間七七四年
2007/11/23(金) 02:29:52ID:Gz81PuCj信長のような変わり者以外、誰が秀吉みたいの重用してくれるんだよ。
誰の下でも、あそこまで成り上がれたと本気で思ってるのか。
秀吉の一番の運のよさは、信長が同時期、あの場所に存在していてくれたこと。
強運だったのは、認めるけど、武将としては微妙じゃね。
天下人としては、もっと微妙だけど。
0204人間七七四年
2007/11/23(金) 03:24:12ID:Dy6zd7M1秀吉は信長の方に才能を見出したから、今川を見捨てて信長に仕えたんだろうが
秀吉は人を見る才覚があったって事だ
運でも奇跡でもなんでもない
0205人間七七四年
2007/11/23(金) 03:46:27ID:8VEEJXRh0206人間七七四年
2007/11/23(金) 20:16:17ID:Gz81PuCjだから、今川を見捨てたもなにも、今川じゃ出世できないだろ。
いくら優秀でも、見せる場がなければどうにもならない。
一生足軽のまま抜け出せてねえよ。
それに、信長に使ってもらっても、信長が普通の武将だったら、
織田家は尾張すら統一できたかどうかのレベルだし。
他の国に淘汰されて、やっぱり一生足軽じゃねえか。
0207人間七七四年
2007/11/23(金) 21:53:31ID:Uu+F7yoH秀吉が有能だった事は相反しないよね
信長の部下であったことと秀吉が有能だった事の両方があって
天下を取れたって事でいいんじゃね?
0208人間七七四年
2007/11/23(金) 23:18:16ID:TZQSzGpI信長のように部下を軽視する人間が主君だから秀吉が目立っただけ
0209人間七七四年
2007/11/24(土) 07:16:00ID:TFVgvduHそんなことを言い出したら、信長にしても、今川義元が田楽狭間で休息をとってくれたおかげ、
最も苦しいところで武田信玄が死んでくれたおかげ、等等きりがないですよ。
それに何々のおかげ、何々のせい、といっても、秀吉はそれを好機ととらえ、全力でことに
あたったから天下をとれたのではないですか。英雄と凡人との差はそこにもありましょう。
0210人間七七四年
2007/11/24(土) 07:33:31ID:t0OzwZa+お前未だにそんな事信じてるのか?(ゲラゲラ
0211人間七七四年
2007/11/24(土) 07:57:32ID:TFVgvduHその指摘はあるだろうと思いましたが、私はたとえ話として従来の通説を
挙げただけです。
それと、早朝からいちいち人の揚げ足をとってゲラゲラって、むなしくないですか?
0212人間七七四年
2007/11/24(土) 12:32:15ID:UkQ2Q/QLかえって早く出世して義元を下克上でやっつけちゃえばいいんだから、結局もっと早く簡単に天下を
取ってたかもしれない。
やっぱり秀吉自身がすごいと思うけどね。
ほんで少し思うのは、光秀だって細川たちが味方について山崎の戦いで秀吉に勝ってたら
短期間だったかもしれないけど天下人になってたかもしれない。朝廷のウケはいいし。
そうなると秀吉同様、そこらの馬の骨系が天下人になってたわけで、やっぱり実力、時代
そういう観点からいろいろ考えてしまうけどね。
ほんでそういう馬の骨を重用した信長もすごくて、部下を軽視した、どころではないけど。
成り上がり大賞では、秀吉、将門、あと誰がノミネ〜トされるかな。
0213人間七七四年
2007/11/24(土) 17:34:21ID:X/E4DA4r0214人間七七四年
2007/11/26(月) 00:17:08ID:c1zIzooB>秀吉は信長の方に才能を見出したから、今川を見捨てて信長に仕えたんだろうが
秀吉は人を見る才覚があったって事だ
運でも奇跡でもなんでもない
お前アホか。
秀吉が信長に仕えたくっても、信長にその気がなけりゃオジャンじゃねーか。
能力本位で人材登用した信長こそが偉いに決まっている。
秀吉はその実力主義の恩恵を受けただけ。
信長以外に秀吉をあそこまで引き立ててくれる大名など、当時の日本のどこを探したっていねーよ。
0215人間七七四年
2007/11/26(月) 02:20:53ID:FXBzgra1信長が重用したって秀吉以外の連中は天下取れなかったじゃんか
0216人間七七四年
2007/11/26(月) 04:16:56ID:a4DhgHqO0217人間七七四年
2007/11/26(月) 12:44:10ID:y3UFmaE4秀吉ってかなり際どいよね。
あの中国大返しも尋常じゃないし、光秀の毛利への密書が間違って、なんていかにも創作と言うか
あり得ないだろうし。
直接黒幕ってことはないにしても、光秀同様そういう意識、可能性、
をかなりの高確率で持っていたのではないかな。
変後の統一もかなりうまくやってて、これはある程度天下人になるというのを想定してないと
出来ないくらいだと思うし。
そう考えていくと黒幕とかとは別にして、信長、秀吉、家康、というのは結果的に同じような戦国統一の
収拾をつけたたような気がする。
0218人間七七四年
2007/11/29(木) 23:11:15ID:0y7HvL5a家康はとったじゃん。織田家家臣ではなかったから、信長亡き後、すぐに
はひきつげなかったけど。
織田家家臣内で勝ったのが秀吉だった、それは認めるけど、まるでどうやって
も天下取れた様に考えるのはどうかな。
稀有の幸運児、だったのは確かだが。
あと、秀吉がすごいと思えないのは、その後の暴君、暗君振りがあるからだよ。
本当に凄く賢い優秀な英雄なら、あのていたらくはなんなんだ。
0219人間七七四年
2007/11/29(木) 23:50:02ID:0y7HvL5a>そのまま今川にいて普通に桶狭間で今川が勝ってたら かえって早く出世して
どうやって、格別に能力主義でもない今川で百姓が出世できるの。
誰の下でも、秀吉が出世できたと、どうやったら思えるんだろう。
今川は大企業なんだから、中卒が大出世はできない。
大卒がわんさかいるんだよ。重役も。
織田はベンチャー、しかもカリスマ社長のワンマンだから、社長の一声で
秀吉君もチャンスをもらい、出世できたんだ。
重役陣に文句言われても聞かないぐらいのワンマンうつけだからできたこと。
本能寺黒幕秀吉説もよく聞くけど、むしろ信長死んで、一番危機感じたの
秀吉じゃないかな。
信長という水戸黄門の印籠のような後ろだてがなくなったら、どうなるか
。妬まれて当然だったしね。
周りはみんな敵と思って、やられないため、やるしかなかったんだと思う。
実際、一番得をしたのは事実だけど、そんなに楽々とも思えないし。
0220人間七七四年
2007/11/30(金) 01:39:18ID:NeG30s4F>家康はとったじゃん
じゃあ信長「も」偉いが秀吉「も」偉い、家康「も」偉いって考えればおk
>あと、秀吉がすごいと思えないのは、その後の暴君、暗君振りがあるからだよ。
本当に凄く賢い優秀な英雄じゃないけど天下を取る位には有能なんだろ
0221人間七七四年
2007/11/30(金) 10:31:51ID:Nrge7xOI朝鮮撤兵時に「かの男さえ殺さなければ今頃明国迄・・・」と秀吉の苦言が残されてる資料あるらしいが
何の資料か知ってる人いませんか?
一体誰の事なんだろうか
0222人間七七四年
2007/11/30(金) 14:08:18ID:HrU1UlNG>逆に言えば秀吉がいなければあそこまで、勢力拡大できなかった
そうか?本能寺までは別に他の人間で間に合ったような人物だと思うが。
0223人間七七四年
2007/12/02(日) 03:24:43ID:S1YDGnbM天正十年にもなると、もはや織田に対抗できる大名など日本のどこにも存在せず、
光秀が命令通り備中へと向かっていれば、年内に全国統一できた公算は大きい。
そんな状況下で突然信長があの世に逝っちまったから、
秀吉としては織田家を乗っ取りさえすれば、それで天下を取れたも同然。
だが小牧長久手の失態は無様すぎる。
この戦に後の唐入りの大失敗の萌芽が見て取れる。
マジ無能だわ。
ま、秀吉など天下統一目前まで仕上げた信長の足跡を踏み台にして、
織田の看板を豊臣に書き換え、安易な天下統一をしただけ。
おかげで本来なら滅ぼされていたはずの毛利や上杉は生き残っちまった。
豊臣政権など外様大名の単なる連合体にすぎん。
尤も、そんな手法でしか秀吉は天下を取れなかったがな。
ま、家康よりマシか・・・
0224人間七七四年
2007/12/02(日) 03:54:00ID:LXNmodPK味方ばっかり削らせたもんなあ。あの負け戦は、無いよ。
子飼いの連中の心が離れても不思議じゃない。
0225人間七七四年
2007/12/02(日) 10:59:51ID:38hiEw+V秀吉にしてみれば徳川不参加は冷遇のつもりだったと認識してるが…なんせ朝鮮くらいは攻め取るのは確実と思ってたようだし
家康自身は無謀な戦争と確信して不参加を希望したんだろうけど
0226人間七七四年
2007/12/02(日) 12:54:45ID:d+KHs2+Qまさに天才的仕事人だったと思う。トップの為政者を続ける器ではなかったんだろうが。
0227人間七七四年
2007/12/03(月) 14:05:03ID:UIU+Hp1u0228人間七七四年
2007/12/03(月) 16:20:46ID:DMr/MeYH逆に何で当時ですでに小瀬甫庵に信長記を書かせたり、太閤英雄伝説みたいなものが
作られたのかちょっと疑問だったが、本人や周囲がやっぱり自覚してたような
気はするけどね。「織田家の天下をかすめ取った」って言われてもしょうがないし
まぁ、武を少々誇張して言いふらせる、ライバルや気に入らない人間を
けちょんけちょんに言うのは外交や軍事上、乱世ならどこもやってたし
理解できるが、天下人が太平になりつつ時代に大々的に民衆向けにやると
なるとちょっと意味合い変わってくるな。
0229人間七七四年
2007/12/03(月) 20:50:59ID:hPmIbHg1家康 レベル6
秀吉 レベル3
0230人間七七四年
2007/12/03(月) 21:31:35ID:01Q7WSzW0232人間七七四年
2007/12/06(木) 20:03:28ID:TbqPSzCG0233人間七七四年
2007/12/07(金) 23:59:08ID:2v8JISNcこの点、信長が信忠に実績を積ませ後継者に相応しい権威付けをしていたのとは大違いだ。
秀吉の秀次への扱いは場当たり的で稚拙この上ない。
あれじゃ秀次が可愛そうというものだ。
0234人間七七四年
2007/12/08(土) 00:29:34ID:upA02QpKそれが天下人になったら足元も見えなくなるさ。
0235人間七七四年
2007/12/08(土) 06:17:50ID:7xKsT35r0236人間七七四年
2007/12/08(土) 18:40:01ID:bCLPrloC自分が罪人として処罰した人に対して天皇がその死を惜しみ色んな物や言葉贈ったりされると
他の宮家とも付合い難くなるし威厳もおちるわな
0237人間七七四年
2007/12/09(日) 02:43:01ID:ncUxBruN関白はあくまで公家連中の親玉だしさ。
何で武家の親玉である将軍にならなかったんだろ。
武家政権のお約束、将軍様になってたら少しは違ってたんじゃないか。
源氏以外はなれなかったって言われるけど
朝廷は、信長に関白職か将軍職を与えようとしてたとも聞くし。
0238人間七七四年
2007/12/12(水) 21:43:10ID:gI0lIDiM0239人間七七四年
2007/12/13(木) 11:49:38ID:3Pw0vQ1o後々家康が将軍職を手にして260年の江戸幕府を作ったのを見るとなぁ…。
0240人間七七四年
2007/12/15(土) 13:24:18ID:8WxJETn5↓
豊臣氏が関白について公卿政権を打ち立てる
↓
豊臣氏のせいで関白の権威が地に落ちる
↓
徳川氏が征夷大将軍について武家政権を打ち立てる
なんのことはない、みんな過去の悪夢を断たんとしてるだけ。
0241人間七七四年
2007/12/15(土) 13:33:13ID:OTQB0akO0242人間七七四年
2007/12/16(日) 00:54:36ID:g8621+gn長期的ビジョンがなかった証しだ。
秀長がいなければ子飼いの大名を餌付けでしか飼い馴らせない策の無さ。
自分から武断派を政権中枢から遠ざけといて、
その不満の捌け口を自らの誇大妄想とリンクさせた外征に求め大失敗。
0243人間七七四年
2007/12/22(土) 08:34:21ID:lnpAbSlJ戦略に関してさえも竹中や黒田に全てを頼ってたわけではなくあくまで相談役や助言者、また他国への外交として位置していた。
秀吉本人が編み出した戦略も多く残されている。
また関白時代においての300人を達っする愛人においても、あれらは各国の武将が娘ゃ妻つまり人質を差し出すことで秀吉に従う意を見せただけ。晩年含む秀吉本人の精力は薬に頼らなければいけないほど弱かったとされる。
0244人間七七四年
2007/12/22(土) 09:03:30ID:e0+zqg7z0245人間七七四年
2007/12/22(土) 12:53:56ID:n2MDyMZ/かと言って、他の奴なら、上手くできたかとなると、全くの保証はないけどな。
あくまで可能性として論じることができるだけで。
長期の内戦の終結に伴う社会経済的な未曾有の混乱を鎮めるのは、容易いことではない。
0246人間七七四年
2007/12/23(日) 00:38:11ID:Lchuevk5天下がおさまったとき余った軍事力に困り外に向け外征するのはどこの国でも大抵同じ。
外征したからと言って別に豊臣の経済力や軍事力が落ちたわけでもなく大名の国力が落ちただけだし。
0247信玄
2007/12/23(日) 02:05:40ID:hQAMbJa5それは素直に認めよう。
だが、晩年の朝鮮侵略は微塵の大義も無い人類史上稀にみる悪行であった。
当代一流の儒家惺窩が理想とした国家、神の半島、朝鮮。
何の落度もなく平和に暮らしていた朝鮮義民を踏み躙った秀吉の罪は余りにも大きい。
倭戦国時代の天才を求めるなら、それは李舜臣(イ・スンシン)提督だろう。
寡兵で、劣悪な装備でありながら、倭賊を大破撃滅した漢。
島津義弘、黒田如水、加藤清正を退け、小早川隆景を討った神采。
その才は人類史上でみても絶人の域に達している。
日露戦争の大英雄、東郷平八郎曰く、
「私はネルソンに較べられるかも知れない。
しかし、李舜臣提督には遠く及ばないだろう。」
嗚呼、李舜臣よ。
おお、世界三大提督の一人よ。
0248人間七七四年
2007/12/23(日) 02:26:15ID:rMiHnges外征は明治新政府で西郷が提案して拒否って西南の役だし、不満をそらす為に大久保も台湾出兵しとる。
徳川政権下でも清帝国が拡大する中で鄭成功支援するか真剣に検討された。
0249人間七七四年
2007/12/23(日) 04:03:47ID:rMiHngesしかし日本を統一した秀吉は明帝国からの離脱…名実ともに独立を宣言したのが朝鮮の役の本質。
鎌倉時代のモンゴルの侵略への報復的意味合いもあった。
0250人間七七四年
2007/12/23(日) 09:50:01ID:hQAMbJa50251人間七七四年
2007/12/23(日) 19:00:01ID:dDM8YrHS0252人間七七四年
2007/12/23(日) 20:03:45ID:rMiHnges0254人間七七四年
2007/12/23(日) 20:14:33ID:rMiHnges0255信玄
2007/12/23(日) 20:18:23ID:k8/hoaXgお主の主張はおおむね正しいのう。
まあ、所詮は島レヴェル。
無能でも島の統治くらいは何とでもなるのじゃろうて。
秀吉程度の才幹じゃと、島の酋長にはなれても、神の半島では通用しないじゃろうなあ。
一生奴隷のまんまじゃろうなあ。
あんな人非人をトップとして担ぎあげた島族の頭の構造を疑うわいのう。
>>252
ふうむ。
おぬし、嫉妬じゃな?
「SHITTO」じゃな?
チョッパリでも、SMAPの草なぎ氏みたいに朝鮮に対する尊崇の心を抱き続ければ、名誉鮮民になれるぞい?
0257人間七七四年
2007/12/23(日) 20:36:02ID:rMiHnges0258人間七七四年
2007/12/23(日) 21:17:10ID:ooAOZMkj0259人間七七四年
2007/12/23(日) 23:20:45ID:IB52klIQ0260人間七七四年
2007/12/23(日) 23:36:30ID:jt97+jiC何百年前の歴史的人物にwwww
0261信玄
2007/12/24(月) 00:00:42ID:bzSyHEyL神鮮には「恨(ハン)」と云う清冽な情が在る。
確かに四百年前の事柄ではある。
しかし、無辜の義民が故なくして弑せられた無念を決して忘れることは出来ぬ。
朝鮮義民の魂の力、刮目せよ。
白村江、壬申倭乱、第二次世界大戦。
全て神鮮民が小日本島に大勝利を収めておる。
0262人間七七四年
2007/12/24(月) 01:05:15ID:JHuCEi7h0263人間七七四年
2007/12/24(月) 02:15:15ID:a0IGlkeK0264人間七七四年
2007/12/24(月) 09:48:31ID:eH/7k8Sj0265人間七七四年
2007/12/24(月) 10:09:03ID:jSdqVzKF秀吉はベンチャー会社の初代社長向きの人材でしたからね
市場が十分に有り常に拡大路線をとれる場合に有効な指導者だった
しかし市場が飽和状態になると拡大の矛先が無くなり事業が回転しなくなる
そうなるとこの手の指導者は視点をつい海外に向けたくなる。
そごうやダイエーやコロッケころちゃんの指導者みたいにね・・・
でも結局アウェー(海外)では風土や思想の違いで戦略が上手く行かない
で、最終的に失敗するんだよな
本来は国内市場が飽和状態になる前に初代は引退して次世代に譲って
戦略の方向転換をするべきなんだよね・・・
秀吉の最大の不幸は後継者(経験&判断力の有る)が居なかった事だ
李舜臣が最強かどうかは微妙だな・・・
戦闘中に戦死しちゃう大将は少なくとも有能ではないから。
戦闘終了まで生き残ってもらわないと部下が困る
0266人間七七四年
2007/12/24(月) 10:41:27ID:6qeGXqY+胸はれないから必死なんだなw
0267人間七七四年
2007/12/24(月) 12:00:04ID:04yOinvcなぜならまだまだ諸大名から個々の士まで出世欲と言うか領土欲が旺盛だったからだ。
0268人間七七四年
2007/12/24(月) 13:08:35ID:04yOinvc日本人奴隷売買とか九州では常識だったが秀吉は激怒したしな。
領主層にもキリスト教が浸透して長崎とか領土まで進呈する始末。
日本が植民地になるかならないか相当にヤバァイ岐路にあった中で秀吉自らがキリスト教信者になっちまって厚遇でもした日には…諸外国ではそういう例もあったからね。
0269信玄
2007/12/24(月) 14:28:31ID:bzSyHEyL朝鮮国定の歴史教科書では大高麗と大唐が同じ領土面積として記されておるのを知らんのかいのう。
朝鮮が中央に居り、その左右に中国と小日本島が従っておる。
これが在るべき亜細亜の姿じゃ。
日本はただただ貢いでおればよいのじゃ。
日本から中国に6兆円のODA援助じゃと?
そんなちっぽけなことでは誰も感謝などせぬわい。
それより韓国の新大統領の公約を知っとるかい。
北朝鮮への太陽政策費は、歴史問題的に、以降は全額日本の負担を厳命するそうじゃな。
たったの5兆円じゃ。
日本は過去に亜細亜へ与えた大きな悲しみを謝罪し、誠意ある対応をしてもらいたいのう。
0270人間七七四年
2007/12/24(月) 14:43:42ID:04yOinvc単に日本への依存症じゃねーか。はやく経済的自立しろよ半植民地君w
0271人間七七四年
2007/12/24(月) 20:49:36ID:/lmLxuMY織田の3番目か4番目の席次に過ぎない一介の部将が、信長死後割拠状態で何時滅んでもおかしくない立場から
雲散霧消してたかもしれない旧織田勢力を糾合するにとどまらず、
わずか8年で天下統一まで成し遂げてしまった
勢い余りすぎ
大返しに代表されるが何よりスピードが桁違いすぎる
信長が統一まで漕ぎ着けてたとしてもここまで早かったかどうか
運が味方したと言われることもあるが、むしろ信長が死んだ状況は織田家臣にとっては人生最大級の大ピンチだったはずだ
それが運がよかったとさえ思われるのは、秀吉の天下取りまでの手際があまりにも鮮やかで、本能寺の尻拭いが容易とすら
錯覚させるほどだからだろう
冷静に考えたら常人には無理な芸当だ
秀吉が無能だとしたら、信長と譲って家康元就あたり以外はみんなそれ未満だろう
信長とタイプは違うが秀吉もまた天才型武将の一つの形だろう
0272人間七七四年
2007/12/26(水) 09:46:33ID:7HVLHOVk0273人間七七四年
2007/12/26(水) 09:49:59ID:XzKF9cBA0274人間七七四年
2007/12/26(水) 11:06:12ID:YUR6eCIc0276人間七七四年
2007/12/26(水) 21:47:50ID:GDzGuH/R信長が土台になったんだろな
あと、戦を避けた懐武将の柔がうまかったんだな
もうひとつ、軍師の黒田官兵衛が機を見るに敏だったから
0277人間七七四年
2007/12/27(木) 02:20:56ID:WklFuDUTここは統一後の方針の問題だが
0278人間七七四年
2007/12/27(木) 13:25:42ID:atAAQeJq0279人間七七四年
2007/12/27(木) 14:12:43ID:VY7FPhOj秀吉を声高に高評価する人間は多いが具体的に何がどう優れていたか
ソースを提示して丁寧に論ずる人は見たことない。
0280人間七七四年
2007/12/27(木) 19:26:21ID:BSj8X8K50281人間七七四年
2007/12/27(木) 19:38:21ID:D1OUTlXuどこの時代に一人で天下取った奴がいるのかね?
0282人間七七四年
2007/12/27(木) 19:42:26ID:+yZZwsMW>>1
半島汚血人種や支那人をあれだけ大量殺戮したから秀吉こそ英雄!!!
それだけの人材が集まったって事は
大将の器ではあったんだろ〜な。
0284人間七七四年
2007/12/27(木) 19:57:37ID:1/1YljbCこれといった特化した部分は無くとも全体的に能力が高アベレージで実績が文句無しにすごいんじゃないかな
0285人間七七四年
2007/12/27(木) 19:59:45ID:D1OUTlXuお前が思う優秀な武将を晒してから発言しろよ
0286人間七七四年
2007/12/28(金) 01:10:33ID:H3A8RP3+言えないってことは結局胸晴って言える功績はなく、
後世誇張したり、つくられた、城の補修やら墨俣やら金ヶ崎やら
小谷城の無理攻めとか運がよかった大返しやら無理に
誇張やりする以外ないのね。
0288人間七七四年
2007/12/31(月) 15:02:04ID:b8IqXy9m>天下がおさまったとき余った軍事力に困り外に向け外征するのはどこの国でも大抵同じ。
日本では豊臣政権以前に外征に乗り出した政権はないんだけど、それをどう説明するんだ?
>外征したからと言って別に豊臣の経済力や軍事力が落ちたわけでもなく大名の国力が落ちただけだし。
外征に大失敗して、政権の求心力も落としてるようじゃ、どうしようもねえだろ。
0289信玄
2008/01/01(火) 02:36:08ID:PCf28Lzmセヘ ポッ マニ パドゥセヨ!
今年も共に高め合って神鮮を盛り上げようぞ!
>>278
>秀吉が無能なら、戦国に有能な者は一人もいなくなっちゃうなw
確かに倭蛮には有能な者は一人もおりゃせん。
有能な者は唯一人、東郷平八郎も認めた朝鮮の至宝、李舜臣提督あるのみじゃ。
>>282
おぬしの親はどうゆう教育をしておるのじゃ。
親の顔を見てみたいわい。
大抗日開放戦役で朝鮮、中国に与えた深い悲しみと痛みを知れい!(パソコンの前で思わず絶叫)
0290人間七七四年
2008/01/01(火) 14:47:50ID:ed1ZQS9eさすがに秀吉が君主としては置いても武将としてまったくの能無しと公言する奴はアンチでもそうは居なかろう。
鬼実績の羽柴秀吉が無能なら、武将で有能な奴なんてそれこそ一人も居なくなっちゃうもんなw
0291人間七七四年
2008/01/02(水) 17:48:18ID:jAzx2mgI0292人間七七四年
2008/01/02(水) 20:25:07ID:icy7BXCz0293人間七七四年
2008/01/02(水) 21:46:05ID:CtrYnB710294人間七七四年
2008/01/02(水) 22:33:07ID:icy7BXCz0295人間七七四年
2008/01/03(木) 03:25:57ID:PVvXsc8M>日本では豊臣政権以前に外征に乗り出した政権はないんだけど、それをどう説明するんだ?
日本がそれ以前に外征した政権は確かにないが
倭寇が他国で大暴れしてたので、他国から倭寇を鎮めるよう日本朝廷に再三依頼が来てる
だが当時の日本は倭寇すら抑える力がなかったし、 外征を行なえる国力もなかった
ある程度の日本国土を押さえ、外征を行なえる力を得とくした秀吉を
俺は評価してもいいと思う
0296人間七七四年
2008/01/03(木) 03:25:58ID:kNA9A19Jkwskw
0297人間七七四年
2008/01/03(木) 11:32:28ID:hU4b3tSl太閤秀吉の朝鮮征伐
大日本帝国の朝鮮支配
毎回日本が圧勝でしたが何か?
あんた自力防衛できなくて他国に救援を頼むに頭を九回床に叩きつけて頼んでるくせにw
0298信玄
2008/01/04(金) 00:03:53ID:qBklE+uO>>295
六本指秀吉はその侵略行為が大問題なのじゃ。
家康を見てみい。朝鮮を篤く敬っておるから、「実は家康は朝鮮人だった」などと素敵なスレが立っておる。
日本が朝鮮に対してコンプレックスを抱き続けている事はようく分かっておる。
秀吉のようにコンプレックスの裏返しで妬んだりせずに、家康のように敬虔に朝貢すれば良かったのじゃ。
家康>秀吉は絶対的確定じゃ。
>>296
ふぉふぉふぉ。
大抗日開放戦争で敗れて朝鮮を盟主とする連合国に占領統治された島はどこじゃったかのう?(ニッコリ)
>>297
三韓征伐は倭が朝鮮に憧れて侵略しようとしただけで、圧勝なぞしとらんぞい?
チョッパリ得意の捏造炸裂かのう?(ニッコリ)
秀吉ww 存在そのものが哀れよのう。
鬼島津義弘も、深謀黒田如水も、虎殺加藤清正も、束になって懸っても李舜臣提督には敵わなかったのじゃ。
流石は李舜臣提督。東郷平八郎も尊敬する訳じゃ。
大日本帝国ww 「大」って小日本めがww
しかも敗れて占領されてるしww
いやいや、笑った。笑ったわい。
おぬしのユーモアのセンスにはリアルコリアンも脱帽じゃ。
ありがとうのう。
0299人間七七四年
2008/01/04(金) 00:54:04ID:fpAbmK5O寝言は寝て言えwこのチンカスがww
0300信玄
2008/01/04(金) 01:42:21ID:qBklE+uOあんまりワシを怒らせない方がいいぞい?
ワシを追い詰めると亀田大毅みたいに何をするか分からんぞい?(にやり)
0301耳焼き
2008/01/04(金) 02:17:20ID:JqKkzPAE急ぎなんで話ぶった切ってしまってるかも知れませんが、新年なので
許して下さい。
質問があるんですが、秀吉は初め、蜂須賀小六の家臣だったんですか?
それとも蜂須賀小六が秀吉の家臣だったんですか?
墨俣の一夜城あたりの話なんですが。
だれか教えて下さい。あけましておめでとうございます。
0302人間七七四年
2008/01/04(金) 22:49:29ID:ejv9kHEh0303人間七七四年
2008/01/05(土) 11:44:59ID:YoSbi1zm0304人間七七四年
2008/01/13(日) 07:53:40ID:bY44i7UM家康より戦場での諜報能力が低いとは話にならん。
国内統一を果たした後、子供のような幼稚な発想で大陸侵攻を強行し大失敗したのは無能の証し。
政権強化に傾注するならまだしも、政権弱体化を自ら主導するとはアホとしか思えん。
晩年の豊臣政権は中身スカスカで、外様大名を政権中枢に取り込まなければ持たない体たらく。
だから家康にいいように付け込まれ、滅亡まっしぐら。
0305人間七七四年
2008/01/13(日) 08:06:09ID:kNFclGW40306人間七七四年
2008/01/13(日) 11:43:15ID:MfFPDk/w0307人間七七四年
2008/01/13(日) 13:31:25ID:Sfz5mOx3言う事にイチイチ熱くなる必要はありませんよ。
あの人たちは世界一恥ずかしい民族なんですから。
0308人間七七四年
2008/01/13(日) 14:14:23ID:DnE0OxON0309人間七七四年
2008/01/13(日) 22:52:01ID:rGmtDiRX2chオカ板の前世スレで、細々と自分の夢を語る所から、物語は始まった・・・
【戦国・前世】415・お市総合【日月・ひふみ】
http://hobby10.2ch.net/test/read.cgi/occult/1200010173/
なにがガチでどれがネタなのか?
おまいらにはこの世界に渦巻く嘘と真実を見抜くことができるか!
0310人間七七四年
2008/01/15(火) 09:17:25ID:OvAuXeEN無能とまではいわんが、ただ、ジャイアンみたいに
「おまえの手柄は俺の物、俺のミスはおまえの物」なイヤな
やつだったのかもね、と感じることはある。
小牧長久手の失態も講談では「秀吉は当時まだ、後継者とは
認められておらず諸将の申し出を渋々了承した」と書かれてるが
丹羽宛の書状には自分の作戦案であることがばっちり。
でもって結果失敗は他人のせいw
まぁ、本人がこう書けと言ったわけでないのでなんともいえんが。
0311人間七七四年
2008/01/20(日) 01:58:33ID:HtkSa8Ii0312人間七七四年
2008/01/20(日) 10:32:46ID:A80sPz6m御先祖の名を騙って、キムチ臭い電波を撒き散らされるのは迷惑千万でしょうに。
0313人間七七四年
2008/01/30(水) 03:04:15ID:M/0UcWti昭和天皇が斎藤義龍と被って見えてしょうがないです
以上 あと
アインシュタインが織田信長と被って見えてしょうがないです
ロバートオッペンハイマーが豊臣秀吉と被って見えてしょうがないです
0314信長
2008/02/03(日) 08:56:13ID:97M+9vVBって家光の妹らしい
0315人間七七四年
2008/02/08(金) 16:04:46ID:13h88qDLあまりに過大評価され過ぎだろ。
0316人間七七四年
2008/02/09(土) 09:00:48ID:19V7wa22秀吉、家康は単に醜い権力争いをしてただけ。
器があまりに違いすぎる。
0317人間七七四年
2008/02/09(土) 12:05:34ID:qLPO2t6I本能寺が無くても信長があのまま統一できてたかは全くわからんよ。
史実でも信長が三好と同列の一発屋ではなく天下人の先駆けとして評価されてるのは、まさに秀吉が仕事を引き継いで天下統一まで漕ぎ着けてあげたから。
本能寺で信長の流れが途絶えてたら、信長は専横のあまり家臣に殺された間抜け以上でも以下でもないよ。
秀吉は逆に過小評価されているとすら思うね。
まあ要するに、天下人に優劣・上下を付けようとする考えは愚劣だって事。
持ちつ持たれつでしょこの人達。
0318人間七七四年
2008/02/09(土) 12:10:00ID:Cr4Qrm0Hてことはまた元の群雄割拠に逆戻り?
ならなおさら信長が惜しまれることになると思うが。
0319人間七七四年
2008/02/09(土) 20:09:24ID:1u/2hGu4秀吉、家康は単に醜い権力争いをしてただけ。
器があまりに違いすぎる。
0320人間七七四年
2008/02/16(土) 15:17:09ID:B1U9S0n0>本能寺が無くても信長があのまま統一できてたかは全くわからんよ
ま〜た根拠の無い妄言か・・・やれやれ
秀吉贔屓の連中は思慮が浅くて困る
天正十年光秀が命令通り備中戦線に向かってれば、年内に天下統一事業は完了だ
常識だろ
当時上杉と毛利さえ片付ければ、大規模戦闘はもはや無いと言ってもいい
毛利は織田からの新手の援軍を投入されたらジ・エンド
上杉は柴田、森長可、一益らに三方から攻められジ・エンド
残りの地域は戦意喪失して、戦することなく無条件降伏
>信長は専横のあまり家臣に殺された
それが光秀謀反の理由とでも?
根拠は?
0321人間七七四年
2008/02/18(月) 18:19:34ID:xxLfIsyf0322人間七七四年
2008/02/19(火) 07:31:05ID:KjhBuWKs親族や譜代家臣のように無条件に自分に忠誠を尽くしてくれる存在に乏しかった秀吉にとって、
外様を褒めることによって少しでも人心を繋ぎとめようとしてたんじゃないの
利家とか宗茂あたりにはそれなりに効果が有ったようだぞ>秀吉のお世辞
生前散々律義者だと煽ててた家康には利かなかったみたいだがw
0323MATT
2008/02/23(土) 09:24:20ID:U2UaLF+Zどこが月なのでしょー??ま、秀吉をほりだしたのは、すごいがな。
天下統一した人を無能としたら、誰が有能だ?
農民から天下人へ。すごいとしかいえないな。
こんな出世したら、朝鮮も手に入ると思うのも当然。
誰でもそう思うだろう。
何考えてるか分からん信長殺した光秀と、明るく陽気な秀吉さん。
秀吉のとこに来るのは当然のことだ。
月は秀吉、すっぽん織田が、正解だろ。
天下人となる器があったのは、秀吉ただ一人。
0324人間七七四年
2008/02/23(土) 11:38:25ID:Ps3NlLAHまあ、息子が出来なくて番頭に店を譲り渡す羽目になるかもしれないが。
多少若い内に金が貯まったら道三みたいにやれない事も無いかも知れない。
0325人間七七四年
2008/02/23(土) 13:02:50ID:dh2KagFn太閤殿下は日本史始まって以来の大出世。世界にも漢の劉邦と明の朱元しょうなみ。信長は大名の息子のボンボン
0326人間七七四年
2008/02/23(土) 13:09:37ID:NkiTUNwDお前たちはなぜ誹謗する?
日本史上、いや東洋史上でこれだけの偉人が他にいるか?
それでも日本人か?
信長を否定している奴はきっと韓国人だろう。
0327人間七七四年
2008/02/23(土) 13:10:36ID:oPCuA4iB人は誰でもけなされるより褒められた方がうれしい。
だからみんなついて行ったんだよ
0328人間七七四年
2008/02/23(土) 13:16:08ID:uYbJJICV0329人間七七四年
2008/02/23(土) 13:36:17ID:73mwQXiaそれを根拠の無い妄言というなら逆に信長が統一できてたというのも大差無い根拠に乏しい妄言と考えそうなもんだが、並の頭を持ってたらね。
長文の割に中身も頭も足りないレスだな。
0330人間七七四年
2008/02/23(土) 13:39:29ID:73mwQXia0331人間七七四年
2008/02/23(土) 13:41:59ID:37+TCqor逆ならわかるんだけどな
偽もいいところ
0332人間七七四年
2008/02/23(土) 14:48:06ID:oWz9Sumk0333MATT
2008/02/23(土) 15:32:22ID:MWgDzENxただ、秀吉と信長に月とすっぽんほどの差はないって言いたかっただけ。
てか、どちらかといえば、秀吉のほうが上では?と思っただけじゃん。
あと、秀吉が無能と思った人はおかしい。
天下統一したってことから、有能って分かんないわけ??
0334人間七七四年
2008/02/23(土) 15:41:42ID:oWz9Sumk0335人間七七四年
2008/02/23(土) 16:51:41ID:/BU72xz8劉邦は
「わしが天下を取って、項羽が天下を失った理由を言ってみなさい。」と言った。
これに答えて高起と王陵が
「陛下は傲慢で人を侮ります。これに対して項羽は仁慈で人を慈しみます。
しかし陛下は功績があったものには惜しみなく領地を与え、天下の人々と利益を分かち合います。
これに対して項羽は賢者を妬み、功績のある者に恩賞を与えようとしませんでした。
これが天下を失った理由と存じます。
0336人間七七四年
2008/02/23(土) 16:52:13ID:/BU72xz8「貴公らは一を知って二を知らない。
策を帷幕の中に巡らし、勝ちを千里の外に決することではわしは張良に及ばない。
民を慰撫して補給を途絶えさせず、民を安心させることではわしは蕭何に及ばない。
軍を率いて戦いに勝つことではわしは韓信に及ばない。
わしはこの三人の英傑を見事に使いこなした。
しかし項羽は范増一人すら使いこなせかった。
これがわしが天下を取った理由だ。」
と答え、その答えに群臣は敬服した。
0337人間七七四年
2008/02/23(土) 17:56:14ID:/vuphiBk秀吉:その花を摘み取っただけ
家康:摘み取られた花を回収しただけ
誰が一番偉大か一目瞭然だろ
織田の圧倒的軍事力経済力を継承すれば、相当のアホでない限り天下統一できるっちゅーの
秀吉が無能だという動かぬ証しは、
同一民族間の国内統一戦と他民族間での海外侵攻の意味合いを理解できなかったことだ
彼の地の事情には全くの無知で、
単純に軍事侵攻すれば領土を獲得できると考えた愚かさは、織田信雄並だろ
明を宗主国と仰ぐ朝鮮に、明国侵攻の道案内をさせようとするとは馬鹿丸出し
後に清を半ば植民地化した列強の手法を参照すれば、
秀吉の戦略がいかに愚劣で幼稚か、子供でも分かるっつーの
0338人間七七四年
2008/02/23(土) 18:22:58ID:/BU72xz8有能とか無能とか、何のことを言っているのかな?
能力の内容を定義付けしないで有能とか無能とかって、
「お前の母ちゃんデベソー」レベルの罵りあいにしか見えん。
わざわざ、能力の内容について、もっと定義づけしないと分からんという例まで出したのに・・・
0339人間七七四年
2008/02/23(土) 18:48:54ID:/vuphiBk>能力の内容を定義付けしないで有能とか無能とかって
政治理念や国家思想、政治行政軍事手腕全般だ
幼稚園からやり直して来い
脳が機能不全か?
0340人間七七四年
2008/02/23(土) 18:55:04ID:/BU72xz8国家思想も能力ではない
政治行政軍事手腕全般では抽象的過ぎて
話にならない。
馬鹿であることと能力が無い事はイコールではない。
そんな事も分からんのか?
0341人間七七四年
2008/02/23(土) 19:07:41ID:/vuphiBk政治理念も国家思想も卓越した能力だ
それを否定するのはどこかの知的障害者くらいだ
政治行政軍事手腕全般は自分で確認しとけ、ボケ
知的障害者に一々説明する手間などかけていられるか
織田信雄=馬鹿=武将として無能=どこかの知的障害者
0342人間七七四年
2008/02/23(土) 19:14:58ID:/BU72xz8>政治理念も国家思想も卓越した能力だ
これでは意味が通じないだろう。
せめて、「れっきとした」ぐらいにしておいてくれw
高度な政治理念を構成する力も国家思想を構成する力も能力のうちの一つだが、
政治理念と国家思想そのものは能力ではないだろw
0343人間七七四年
2008/02/23(土) 19:24:48ID:/vuphiBkお前の釣りに付き合ってやったサービス料を貰いたいくらいだぜ
誰も相手にしてくれない可愛そうな野郎だから、ちょっと相手にしてやったら喜んでんじゃねぇぞ
0344人間七七四年
2008/02/23(土) 19:38:33ID:uYbJJICV能力…仕事を成しうる力
思想はソフト的な物、能力はハード的な物
2つはまったくの別物
黒を白だと通したいなら、自費出版で辞書を出して現有の辞書を駆逐して、持論完全否定という現実を塗り替えなさい
0345人間七七四年
2008/02/23(土) 20:26:35ID:/vuphiBk知的作業の発想力、独創力も能力の一つだ
そんな事も知らん間抜けな頭の不自由な奴
幼児教育からやり直せ
0346人間七七四年
2008/02/23(土) 20:49:31ID:/BU72xz8たぶんね、文章は落ち着いて書いた方がいいよ。
だって、
×ちょっと相手にしてやった ら 喜んでんじゃねぇぞ
○ちょっと相手にしてやった からって 喜んでんじゃねぇぞ
だと思うんだ。
あと、ものの見事に、>>344に従って「力」付けてんじゃねーよww
0347人間七七四年
2008/02/23(土) 23:10:16ID:uYbJJICV自分の日本語の不自由さに気が付いたんだろ
胎教からやり直すべきだよな
0348人間七七四年
2008/02/23(土) 23:20:22ID:J2Wnsv/gどちらもヘボイモ失せ仰せなさいイカ野郎
0349人間七七四年
2008/02/24(日) 00:42:05ID:pvh4QKxy0350人間七七四年
2008/02/24(日) 02:03:14ID:WjDXLQ/z巨大宗教勢力、石山本願寺の俗世利権と介入を断固否定し、徹底抗戦したのも信長ただ一人
他の大名(毛利、上杉、武田・・・)は、信長に対抗するために石山本願寺の傘下に入ってしまうヘタレぶり
つまり戦国時代とは群雄割拠ではなく、信長VS石山本願寺との天下を巡る主導権争い
秀吉なんぞ強敵石山本願寺が骨抜きにされた後、織田に押しまくられて疲弊していた外様大名を、
信長が残した軍事力で懐柔しただけ
そんなの光秀だってできる(もし秀吉の立場だったら)
何の理念もなく、とりあえず諸侯を糾合して天下統一したはいいが、
その後国家の方向性を見出せず、何の大義名分も無い最悪の渡海侵略を強行し大失敗
秀吉の有能は信長の部下としての機能と、9割方信長成し遂げた天下統一事業の詰めの引継ぎまで
後はボロボロの失態の連続
0351人間七七四年
2008/02/24(日) 06:33:35ID:0AwuNtMm>信長様の天才性を否定しようとする奴は、朝鮮人と同レベルだぞ。
信長の天才性がどうあれ、このスレの誰一人天才性の否定などしていないぞ。
>>350
天下統一後の秀吉に反対する奴はいないな。
人間目標を達成してしまった後なんて大概はそんなものかもしれん。
だが、統一事業完成までは有能そのものだろう。
交渉能力−人材管理能力−運−戦略眼−営業力
こういったものに反論する奴はいないだろ。
こう書くと、信長と比べたくなる厨房が沸いてくるが、
信長と比較する必要が無いところまで比較してどうする?
0352人間七七四年
2008/02/24(日) 09:07:20ID:BXY6Xjbr秀吉、家康のレベル 0.000000000000000000000000000000000000000000000001
0353人間七七四年
2008/02/24(日) 09:27:02ID:0AwuNtMm0354人間七七四年
2008/02/24(日) 10:35:15ID:0A8cSgmW0355人間七七四年
2008/02/24(日) 10:49:17ID:0AwuNtMm朝鮮系の人間は秀吉が嫌いなんだよ。
0356人間七七四年
2008/02/24(日) 11:17:36ID:wZhVNxDy0357人間七七四年
2008/02/24(日) 12:50:55ID:0A8cSgmW英雄楠木と並んで江戸〜戦前は大人気だったからな秀吉は。
0358人間七七四年
2008/02/24(日) 13:01:04ID:0A8cSgmWその反動で信長をやたらマンセーし始め大量虐殺した挙げ句に家臣に殺された強圧男が改革者・政教分離の天才とか論理を飛躍させて言われるようになっただけ。
0359人間七七四年
2008/02/24(日) 13:19:24ID:0AwuNtMm秀吉が政権システムを構築し切れなかった事、
唐入り戦略の不透明性。秀次事件の処理の仕方。
等々、あまり評価し辛い点が多いと思うが。
というかお前ら・・そんなに信長の話したいなんて、本当に信長好きなんだな。
0360人間七七四年
2008/02/24(日) 13:22:56ID:FZRbY6e7お前たちはなぜ誹謗する?
日本史上、いや東洋史上でこれだけの偉人が他にいるか?
それでも日本人か?
信長を否定している奴はきっと韓国人だろう。
0361人間七七四年
2008/02/24(日) 20:06:14ID:WFAnr1OAあと、誹謗している人間は特定しておけ。
アンカーをつけろ。お前たちって誰だ?
0362人間七七四年
2008/02/24(日) 23:59:53ID:eD+Hm/YG0363人間七七四年
2008/02/25(月) 00:56:52ID:olidab9Eだからこそ、「流れ」というか空気の読めない>>362が宇宙最強の阿保に見える。
0364人間七七四年
2008/02/25(月) 06:42:49ID:Np7W6/pK0365人間七七四年
2008/02/25(月) 08:26:38ID:iIj8W4g70366MATT
2008/02/25(月) 23:20:01ID:AeGUbVf7こんな単純な事実が分からないはずないよね?皆さん。
農民から、信長に認められるようになり、天下人になったということ。
能力がなかったらできるはずなし。
つまり、信長も、秀吉も、家康も有能。
短所だけでなく、長所もみてあげる必要があるじゃんよ。
0367人間七七四年
2008/02/25(月) 23:38:24ID:olidab9E言いたい事は分からんでもないが、
何 の 能 力 か を ハ ッ キ リ 言 え
それが無いと、「彼は有能だ。なぜならば、有能だからだ」といっているのとほぼ変わらなくなる。
秀吉が才に恵まれているとは思うが、彼に如水ほどの戦略眼があるとは思えないし、
小一郎ほど人望に恵まれているとも思えない。だが、彼は天下を取った。
彼に何があったからだ?
そこに踏み込まないと、話が超低レベルになる。
0368人間七七四年
2008/02/26(火) 00:01:26ID:o96ESEBE0369人間七七四年
2008/02/26(火) 00:07:07ID:EtQP9Fq+俺は>>366じゃないけどとりあえず人に取り込む才能があったんじゃない?
人をおだてて満足させる能力があった→その才能を活かして出世・優秀な人材の発掘
0370人間七七四年
2008/02/26(火) 06:24:58ID:U8mS5jhF0371人間七七四年
2008/02/27(水) 18:29:59ID:3fcOcZA4この板も、信長板に名前を変えるべき。
0372人間七七四年
2008/02/27(水) 20:03:11ID:4pyxKZcp0373人間七七四年
2008/02/27(水) 20:12:57ID:o7cs3o1h>>371は自分自身も含めてがゴミ同然の人間と言っているだけ。
>>371に全部は同意できないが、>>371がゴミ同然の人間だということには俺は激しく同意できる。
0374人間七七四年
2008/02/28(木) 10:38:17ID:dLi4z6Lu信長厨による簒奪への恨みだったのか……
0375人間七七四年
2008/02/28(木) 13:21:37ID:LfVl2yrI0376MATT
2008/02/28(木) 21:52:54ID:jU6KBSEC信長なんかぜんぜんでない。
0377人間七七四年
2008/02/28(木) 22:14:48ID:BzVjVvT8友達少ない学生かニートかフリーター?
なんか考える事が暗すぎるよ
0378人間七七四年
2008/02/28(木) 22:28:39ID:XLDhZO760379人間七七四年
2008/02/28(木) 22:40:42ID:jnNCThNC妬みもいいかげんにしろ 自分の先祖は誰なんだ!田吾作だろ!
その子孫の貴様は鼻ほじくって血が出てティシュ突っ込んどけ
0380人間七七四年
2008/02/29(金) 03:02:53ID:/uDWqYPTまんこーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
0381人間七七四年
2008/02/29(金) 22:51:45ID:Olrneq0Hって川口探検隊みたいな感じで俺は好きだぞ!
0382人間七七四年
2008/03/01(土) 04:51:19ID:TvauCoFKhttp://hobby10.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1191511445/
1 :人間七七四年:2007/10/05(金) 00:24:05 ID:9TtXvg4/
信長は本能寺で倒れさえしなければ、朝鮮を一蹴、明を征服して、
東南アジアにまでまたがる巨大帝国が生まれた可能性が高いわけだけど、
実際には、どのような政治体制で、どの武将をどの国に配置したのかについて、
推測考察するスレ
3 :人間七七四年:2007/10/05(金) 01:08:28 ID:9TtXvg4/
信長は天才だし、当時の日本は世界最強の軍事力を誇っていた
実際、朝鮮で日本軍は数十倍の兵力差がありながら明軍に勝っている
東南アジアには大した国はないし、実質はスペイン、ポルトガルとの戦いだが、
両国とも本国から遠く離れて戦争はできない
信長なら、モンゴル帝国以来の巨大な信長帝国を築いていたことは確実
0383人間七七四年
2008/03/02(日) 00:13:46ID:nWz6sZQq秀吉家康に注目してやれ
0384信長
2008/03/02(日) 00:57:05ID:nWz6sZQq申し訳ございません
私を見かけたらぶん殴ってください
私を見かけたら十分反省させるようにお願いします
0385人間七七四年
2008/03/07(金) 02:17:01ID:54ie3iv+勘違いも甚だしい
秀吉なんて、信長が積み重ねた実績と成果にちゃっかり乗っかって漁夫の利を得ただけ
既に織田による天下統一は確実だったわけで、秀吉の天下統一など、信長の実績と成果の惰性でしかない
秀吉は基本的に信長の呪縛の下でなければ能力が生きない武将(それは光秀も同じ)
小田原征伐までは、信長が敷いた天下統一事業のレールの上を走ってればよかったが、
日本全土を統一して、秀吉本来の内実が問われる段階に移行すると、見事に馬脚を表した
0386人間七七四年
2008/03/07(金) 09:14:52ID:eSa7XfZ9オマエが低脳だよアホ
0387人間七七四年
2008/03/07(金) 10:36:34ID:eSa7XfZ9赤化中国も最近は聖徳太子が架空の人物説が勢いを増してきて隋帝国との対等外交を消去しようとしたりと工作ばっかだなw
0388人間七七四年
2008/03/07(金) 11:26:19ID:MBx7lS2A聖徳太子≒蘇我馬子説なら 国書の件も消去はされない。
0389人間七七四年
2008/03/07(金) 20:43:29ID:TlGTSfJs0390人間七七四年
2008/03/07(金) 23:26:24ID:eSa7XfZ9別に失敗じゃねーし。
海外植民地の拡大へむけた動きは世界の常識
むしろ江戸幕府の鎖国が大失策。
0391人間七七四年
2008/03/08(土) 00:40:36ID:9cr+j9hV0392人間七七四年
2008/03/08(土) 01:11:04ID:9cr+j9hV小早川加藤小西が世にあらば
今宵の月をいかに見るらむ
0393人間七七四年
2008/03/08(土) 03:31:48ID:X1R2Z+Or朝鮮の貧しさを侮りすぎたな
ドラクエでいうと、トラマナなしでバリア床を歩かされるようなもんだ
0394人間七七四年
2008/03/08(土) 05:44:06ID:+iaDIiRVやはりうんこだらけだったのかな?
ところで、統一時の秀吉の直轄地の石高っていくらくらいだったんだろう?
信長の場合家臣は所詮家臣で中央集権の構造に近いものがあるけど、
秀吉の場合各地の勢力に頭下げさせたが力はあまり削いでいない。
家康が関東から締め出したのとは大きな違いだ。
0395人間七七四年
2008/03/08(土) 10:58:39ID:ZqZNqONN李瞬臣は大局で言えばまったく戦況に影響なかったし。
明軍は妥協して和平したがってたし。
明は朝鮮で強盗集団になってたしな。
日本は陶磁器などの技術者をGETできたしな。
両班の統治よか朝鮮南部で日本式統治してれば朝鮮人の支持を得たと思われ。
当時イエズス会が支那攻略の橋頭堡としてスペインの銀の流通をはるかに越え世界の三分の一の生産をした石見銀山を支配したがってた時代。
秀吉はスペインの野心に対抗しようとして武威を示していた。
0396人間七七四年
2008/03/08(土) 11:40:01ID:wl66gr4U秀吉みたいなカス猿と比べるな
0397人間七七四年
2008/03/08(土) 11:48:49ID:VK80x1lR信長からは鼠と言われてたみたいだし。
0398人間七七四年
2008/03/08(土) 11:59:07ID:X1R2Z+Or下朝鮮を維持してどんなメリットがあるんだ?
ただの不良債権だろ
0399人間七七四年
2008/03/08(土) 12:06:45ID:ZqZNqONN日本人による貿易独占
0400人間七七四年
2008/03/08(土) 22:06:23ID:ONmeEyyg0401人間七七四年
2008/03/08(土) 22:28:21ID:eUGQ92Yjその点だけで考えても、秀吉は十分優秀と言える。
0403人間七七四年
2008/03/08(土) 23:34:05ID:MgcKWXEt大陸からの荷とか、朝鮮青磁や白磁とかか?
後、一部の漢方の材料とか。
大陸からのも、港通すよりかは抜け荷は通りやすくなるんでね?
0404人間七七四年
2008/03/09(日) 11:26:01ID:zOG741EQそれでなくとも外国人に自国を支配される屈辱感ってのは大変なものがあるわけで、
反乱に備えて釜山に数万の大軍を常時駐屯させておかなきゃならんだろ。
対馬海峡の制海権維持にも注意しなくちゃいけないし。
それだけのリスクを抱えてなお朝鮮を植民地化することにメリットがあるとは思えない。
19世紀末はロシアの脅威と言う逼迫した事情があって、国防ラインを上げるために
大陸・朝鮮に進出したという事情もあった。
16世紀末の日本にそのような脅威はない。
0405人間七七四年
2008/03/09(日) 12:53:01ID:lC/4HGyC貿易だけで巨万の富が稼げた東アジア貿易で各地の港を支配する事は重要。
まさに植民地戦争のスタート地点だ。世界史的流れでは鎖国してる場合じゃない。大海軍建設と資源獲得競争だよ。
秀吉が南朝鮮を支配成功してれば今頃は誰も疑問に思わず日本領になってたかも知れん。そもそも秀吉のは神功皇后の三韓征伐以来の失地回復戦争だぞ。
いまの中国だって清の旧領を引き継いでるしな。
日本の植民地政策が弱いのは支配の原理に宗教が媒体として利用されない事だ。
0406人間七七四年
2008/03/09(日) 17:52:36ID:mtTZnLvD長崎から釜山を経由して天津・上海・香港などを相手に貿易するというのであれば
釜山港を確保する意味は大きい。確保のための労力は並大抵ではないが。
史実の時点で日本軍は朝鮮人から反感買いまくってるし、
いったいどうやって朝鮮を支配するつもりなのか、そのへんの
説明がないと「日本の未来はバラ色だったのに!」なんていわれても納得できん。
0407人間七七四年
2008/03/09(日) 19:52:46ID:Y2vbzgRD黒字転換する前だから余裕で不良債権だったけど
0408あ
2008/03/09(日) 21:34:19ID:3Z/8qedj指6本って。
ヤクザは、得するぜ!!!!!!!!!!
0409人間七七四年
2008/03/10(月) 01:42:14ID:JNWs1/OT>人の手の指は6本が優性遺伝で5本が劣性遺伝
これは関係ないだろ・・・
0410人間七七四年
2008/03/10(月) 12:27:25ID:KIAtEHrb0412人間七七四年
2008/04/22(火) 04:25:52ID:EGEKpO410413人間七七四年
2008/05/11(日) 17:35:14ID:DGSPWqMC0414人間七七四年
2008/05/12(月) 22:45:44ID:FUFXwSfk血税を何億圓投入したか、日帝の国家予算はいくらか
知ってて言ってます?
回収するまでに何十年養うつもりなんですか
0415人間七七四年
2008/05/12(月) 23:19:25ID:GKzCZJ5Z俺は、秀吉は信長の後を継いだって感じ。
ちなみに、俺は信長好き。
0416人間七七四年
2008/05/13(火) 21:45:04ID:gBcgWn01信長以外の織田家の武将<秀吉であることは事実。
0417人間七七四年
2008/05/14(水) 01:37:26ID:nvGNfGHa信長>秀吉>家康≧元就≧謙信、氏康って感じだろう
0418人間七七四年
2008/05/14(水) 04:27:47ID:JXmXCGuxさんまに性格がそっくりなんだよ
0419人間七七四年
2008/05/14(水) 14:09:25ID:qugVj7Y30420人間七七四年
2008/05/14(水) 15:52:24ID:/x6UnVn40421人間七七四年
2008/05/14(水) 16:56:27ID:Rrh8HyX60422人間七七四年
2008/05/16(金) 16:28:44ID:tNpQ23wP0423人間七七四年
2008/05/18(日) 06:52:11ID:lhFhJM/c大陸派兵断行は失敗したが、他に光る手腕を見せている
人間、誰だって一長一短はあるものだ
0424人間七七四年
2008/05/18(日) 07:11:55ID:uyPjmX47「人たらし=性格GOOD」という安易なイメージは払拭されるべきだと思う
「人たらし≠性格GOOD」の典型だろjk
0425人間七七四年
2008/05/18(日) 11:23:23ID:5PGagpa4記号の持つ意味考えて使えよ
0426人間七七四年
2008/05/18(日) 12:06:54ID:IadWknSc0427人間七七四年
2008/05/18(日) 13:03:02ID:eEcaN8Vj0428人間七七四年
2008/05/19(月) 04:08:00ID:gxYvufJC>>424をよ〜く読むといろんな意味にとれなくもないが、
総じてなんて勝手に言葉つけたす当たり、君もよく考えて書き込みなよ
0429人間七七四年
2008/05/19(月) 18:49:02ID:bAass34Yなんて話は聞いた事がないから興味深い発言だな
0430人間七七四年
2008/05/20(火) 02:49:18ID:NO1ZjjD1「人たらし=性格GOOD」…人たらしということは性格が良い
「人たらし≠性格GOOD」…人たらしということは性格が良いわけではない
どこら辺に”総じて”が入るんだ?と思った
0431人間七七四年
2008/05/21(水) 18:31:53ID:EHw/7XVn堺屋太一は豊臣家の膨張体質が外征の誘因だと主張しているが、
天下統一の過程で外様大名の領土拡張意欲を否定してるわけだし、
政権中枢から外された武断派の意向など、取り立てて気にすることもない
やっぱ絶対的独裁者となった太閤秀吉の命令に誰も逆えなくなったというのが真相だろう
0432人間七七四年
2008/05/21(水) 20:08:09ID:GVot4SGH0433人間七七四年
2008/05/21(水) 21:18:44ID:hPlcI6ADまぁでもなんつっても光秀に感謝だな。
0434人間七七四年
2008/05/23(金) 11:51:39ID:oLGD6r0W前者は新しいものを考える天才、後者は人を惹きつける天才。
家康は凡将とまでは言わないが才能は先のふたりには遠く及ばない。
せいぜい丹羽長秀レベル。
0435人間七七四年
2008/05/23(金) 14:12:37ID:OxmMn/zq既存の政策の中から、その時の状況に応じて的確な政策を選び、実行した感が強い。
天才というより秀才タイプだろう。
0437人間七七四年
2008/05/25(日) 02:47:02ID:S7LfxUBD0438人間七七四年
2008/05/27(火) 19:50:51ID:g0d+fbuM正解
0439人間七七四年
2008/05/28(水) 00:44:25ID:dNa7drqo0440人間七七四年
2008/05/28(水) 00:49:34ID:dNa7drqo秀吉は戦を嫌がるから上記の2人と極力関わりあいを持たないように
生きていけばいい
0441人間七七四年
2008/05/28(水) 01:28:40ID:dNa7drqo0442人間七七四年
2008/05/28(水) 05:02:48ID:ffDpMyz40443人間七七四年
2008/05/28(水) 12:45:59ID:IDfDm2Xh0444人間七七四年
2008/05/29(木) 07:32:47ID:WA5HE4d+0445人間七七四年
2008/05/29(木) 16:19:04ID:c9GoPFaUだね。ここでだべってる俺らより100%有能。
>>1
有能なブレーンや利休を利活用し、委任して事に当たらせたのも彼の実力のひとつ。
だからこそ秀長死去以降は行動にブレーキが掛からなくなった。
秀吉ひとりで天下を取れていた分けじゃないが、有能なブレーン達を配下に出来た
事自体で、すでに実力がある。
自分は決して秀吉好きではなく、むしろ光秀好きだが、素直に秀吉とそのブレーン
達の有能さは認めてます。天下の覇者にあんた無能って誰が言えるのよ。
0446人間七七四年
2008/06/14(土) 17:06:15ID:Sk7lfZn8家康→二世お坊ちゃま大名に恫喝を加えてヘタレさせただけ。
よって秀吉は優秀。
0447人間七七四年
2008/07/10(木) 23:52:51ID:8e1+xs8cスペインとポルトガルを東南アジアから駆逐、 インドにも進撃して、
モンゴル帝国以来の巨大帝国を築いていたことは間違いなかった
巨大な信長帝国が実現するはずだったのに、それを台無しにした糞猿秀吉は許せない
0448人間七七四年
2008/07/13(日) 11:24:19ID:7KeKfeMy0449人間七七四年
2008/07/20(日) 03:49:00ID:2jVRSSBU大阪夏の陣ですら本陣敗走で脱糞した家康が同じ立場なら
奇襲されて首をとられるのではないか。
0450人間七七四年
2008/07/26(土) 02:56:20ID:74QoXQlX征伐前の数年の間に切り取ったもので地盤茂呂杉だったじゃん
島津以上に強大な豊臣軍が迫ってきたら雪崩を討つように寝返られるのは必至だし
実際そうなったけど?
0452人間七七四年
2008/11/04(火) 14:24:02ID:AxnQDeoJ0453人間七七四年
2008/12/19(金) 18:00:34ID:6fMME9eZ0454人間七七四年
2009/01/11(日) 17:54:49ID:BU661Xcz0455人間七七四年
2009/01/12(月) 23:25:15ID:n1JRYCVV0456人間七七四年
2009/02/16(月) 08:18:29ID:0oqcE/nm有効な作戦を真似るのが無能とは言わんがな
0457人間七七四年
2009/03/28(土) 15:29:53ID:8y8M6ZEM本能寺がなけりゃとかいうが、タラレバの話だ。
信長は所詮天下統一できる器じゃなかった。
天下統一できる器だったなら現にしているだろう。
そうであったなら秀吉は忠臣であったし、家康も忠義の盟主で終わってただろうよ。
それができなくてコケたから秀吉や家康がケツ拭いたんだろが。
明智や柴田、丹羽、前田、滝川、織田の倅達、或いは変後の家康その他上杉や毛利、伊達、北条と
かいった面子では戦国に逆戻りだろが。
その危機を一気に回避して織田統一、天下統一に引き戻しただけで名采配だろ。
信長は所詮道三の拡大版にすぎない。
力だけでは天下は取れないことを証明しているまさにいい手本だ。
それを改正して秀吉は天下統一をしたのだよ。
0458人間七七四年
2009/03/28(土) 15:42:59ID:8y8M6ZEM秀吉の中国大返しに秀吉黒幕説とかいうが、あの状況下で(後の天王山、清洲会議、山崎の合戦、小牧の戦いといったハイリスク後の織田家内統一)
を考えると直接或いは間接的にも謀反とか有り得んだろ。
毛利とか徳川、上杉、北条、長曾我部、島津、伊達に囲まれているし、逆に死亡行為だぞ。
それは当時いかに信長という男が周りからいつ殺されてもおかしくないくらい怨みをかっていたかを知っていたからこそのもしも時を考えていたように思う。
それほど信長という男は酷い男だったことは秀吉のその後の動きから容易に察することができるのだが。
信長のやりかたでは天下統一は無理。或いはできてもすぐに瓦解するよ。
本能寺までよく持ったもんだ。そこまでいったほうが奇跡なくらいだ。
遅かれ早かれ殺されていたよこの男は。
信長は秀吉統一の端緒を開いたに過ぎない男。理解できたかな?
0459人間七七四年
2009/03/28(土) 15:51:31ID:8y8M6ZEM秀吉の晩年が酷い暗君だと?
秀吉の名歌 露と消えし我が身かな。難波のことも夢のまた夢。
知らないのか?
信長の敦盛 人間五十年よりすばらしいぞ。
遊んだんですよ!彼は。
0460人間七七四年
2009/03/28(土) 15:54:39ID:8y8M6ZEM秀吉の晩年が暗君だと?
秀吉の名歌 露と消えにし我が身かな。難波のことも夢のまた夢。
知らないのか?
信長の敦盛 人間五十年よりすばらしいぞ。
天下で遊んだんですよ!彼は。
0461人間七七四年
2009/03/28(土) 16:36:48ID:Zo+jv0DQ0462人間七七四年
2009/03/28(土) 22:25:01ID:wXva602A0463人間七七四年
2009/03/28(土) 23:30:28ID:Bcnu2Qhr0464まさお
2009/04/04(土) 17:18:34ID:EH4UgAuO戦死者13万〜14万(中国語、英語Wiki)
実の息子かわいさに養子を殺し、しかもその妻妾子供(普通は幼い女の子位は
助けるもんだ)皆殺し。
淀城 名護屋城 伏見城 石垣山城 方広寺大仏 朝鮮半島に作らせた13個
所の御座城・・・趣味としか思えない大土木工事。
上記の政策を支えるのに必要な重税(いわゆる2公1民)・・・。
・・・暴君だもんな。
0465人間七七四年
2009/04/04(土) 18:42:56ID:je6UAMVI0466人間七七四年
2009/05/09(土) 18:56:30ID:6u7ANRQh■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています