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【裏切り】朽木元綱【名将】

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0001人間七七四年2007/09/07(金) 16:19:42ID:WT0Ni3Mk
決して地味ではない語れ
0151人間七七四年2008/08/12(火) 17:53:16ID:El3kx9KP
>>148
『室町中・後期における近江朽木氏の系譜と動向』というやつですかね?
0152人間七七四年2008/08/13(水) 05:11:36ID:b78rX89J
系図ヲタが投下してた。世代に疑問があるらしい。
http://etc7.2ch.net/test/read.cgi/nanminhis/1200069092/782
0153人間七七四年2008/08/14(木) 18:47:26ID:wksgVz1E
>>152
具体的にはどのあたりに疑問が存在するのでしょうか?
0154人間七七四年2008/08/14(木) 20:59:46ID:soVqhp1H
朽木村。。。。
朽木ってそんなにすごかったの。
バスで高校やからド田舎やと思っていたのに
高島市には朽木高校が必要。
滋賀県の県庁所在地が朽木になってもいいのではないか。
0155人間七七四年2008/08/17(日) 12:24:43ID:ES3qDQ7a
大袈裟なw
0156人間七七四年2008/08/27(水) 15:21:27ID:H21+eIYP
やはり朽木プレイ
0157人間七七四年2008/08/27(水) 19:08:09ID:mLdium+j
井野場
0158人間七七四年2008/08/30(土) 13:46:56ID:bOxp4feu
ttp://homepage1.nifty.com/t-kubo/Japan/koutai/kukki.htm
>近江佐々木氏の一族で六角家の祖泰綱、京極家の祖氏信の兄高信が近江国高島郡高島を領し
>高島氏を名乗り、高信の次男頼綱の子頼信が同郡横山荘を与えられ横山氏を、氏綱が田中荘を
>与えられて田中氏を、そして末弟の義綱が朽木荘の地頭職を得て朽木氏を称したのにこの系統
>は始まります。

とありますが、田中氏というのは田中吉政に繋がるんでしょうかね?
0159人間七七四年2008/08/31(日) 17:44:42ID:MbIDddJy
近江高島氏が俳優の高島忠夫につながってるのは有名だけど田中は知らないなあ。
田中なんてあちこちにいるから関係なさそう。
0160人間七七四年2008/09/01(月) 19:47:25ID:5MLh1FVF
>>139
朝倉攻めには元綱の従兄弟(元綱の母は飛鳥井雅綱の女)にあたる
飛鳥井雅敦が同行していたからなぁ。
織田方がその血縁を利用したと考えられるよね。
0161人間七七四年2008/09/03(水) 12:56:24ID:y9hP7v3Q
>>158
出自は相当怪しいみたいで一定しない。
芋百姓出身というのが正しいのでは?
0162奇矯屋onぷらっと ◆SRGKIKYOUM 2008/09/04(木) 00:11:48ID:tAUZI6+I
芋かどうかはともかく、百姓でいいな。
0163人間七七四年2008/09/04(木) 15:16:53ID:DmDFo5cv
>>162
そこに反応?
0164人間七七四年2008/09/05(金) 14:03:27ID:PSVUdYIg
>>160
近衛前久もそうだけど、何で公卿ってのは何かにつけて従軍したがるんだろうな?
0165奇矯屋onぷらっと ◆SRGKIKYOUM 2008/09/06(土) 01:39:20ID:0g9FCRon
従兄弟→義兄弟扱いできる公家 を擁することで得られる官軍ポジション。
0166奇矯屋onぷらっと ◆SRGKIKYOUM 2008/09/06(土) 01:40:17ID:0g9FCRon
官軍ポジションを与えることで得られるのは経済的援助。
0167人間七七四年2008/09/06(土) 22:15:22ID:heBOpChr
>>165
しかし、飛鳥井レベルで官軍になれますかね?
0168奇矯屋onぷらっと ◆SRGKIKYOUM 2008/09/06(土) 22:29:09ID:0g9FCRon
>>167
そこに将軍家が乗っかれば問題ないでしょ。
0169人間七七四年2008/09/07(日) 04:45:21ID:zLg+tFuw
>>168
大義名分という点では、最初から足利将軍家の旗印を掲げた平定戦ですから、
わざわざ公家を介在させる理由は無いでしょう。
接待ゴルフではありませんが、レジャー半分の戦見物ではないでしょうか。

ところが、浅井が敵方につくという不測の事態に直面した際、陣中の誰かが
飛鳥井と朽木の婚姻関係に着目したと。
となると、その誰かというのは松永久秀あたりと思われます。

漫画だと木下藤吉郎が万が一に備えてネゴシエーションしていたという筋が
多いわけですが。
0170人間七七四年2008/09/10(水) 00:00:29ID:q4JQeDWc
朽木さんは、勧農政策に熱心で、城から苗やら農具やら貸し与えてたそうな。
それで、朽木荘の住民は、領主との信頼関係を損ねると言う事で、徳政令が出ても
自分たちには適応しないでほしい、と、申し立てしてたりする。
0171人間七七四年2008/09/10(水) 15:11:14ID:cskoEvRg
旗本身分でもそこは在地領主だからね。
知行地に足を踏み入れることの少ない他の旗本(知行取)に比べると
統治がきめ細かい。
0172人間七七四年2008/09/13(土) 01:44:13ID:31RgzDSs
>>169
そもそも朝倉攻めは建前上、武藤友益を討伐するということで幕府、朝廷が許しを
与えているわけだが。
飛鳥井雅敦や日野輝資などが従軍したのもそのため。
0173人間七七四年2008/09/15(月) 00:33:08ID:UB3AVUgq
飛鳥井宝光院
0174人間七七四年2008/09/17(水) 23:14:30ID:BcvLBzNn
>>173
朝倉方でしたよね。
0175人間七七四年2008/09/20(土) 15:52:37ID:qot11TNd
朝倉氏滅亡後はどうなったんだろ?
0176人間七七四年2008/09/21(日) 22:22:32ID:rxaM+Zfm
分家のほうが家光の時代に若年寄にまでなって宗家を逆転してるんだね。
0177人間七七四年2008/09/23(火) 04:14:43ID:nCR+AyEC
>>176
分家が本家を家格・石高で上回った例としては、飯野保科家の例があるね。
保科正之が会津に転封になる際、義兄・正貞に保科家累代の宝物類を引き渡し、
飯野保科家を宗家とした経緯があるので。
0178人間七七四年2008/09/23(火) 11:35:45ID:PVmbkiBX
堀家もそうだな>分家が本家を
0179人間七七四年2008/09/26(金) 00:23:58ID:brxhXxiH
>>177
>義兄・正貞

廃嫡されたよね、確か。
0180人間七七四年2008/09/27(土) 13:35:12ID:q2E7kNJ6
駆け込み寺ならぬ
戦国駆け込み谷
0181人間七七四年2008/10/01(水) 19:28:51ID:txrJ8etc
>>179
武田見性院と保科家の関係に加え、正直の後室が家康の異父妹という家系。
これは当然、利用されるでしょ。
0182人間七七四年2008/10/01(水) 22:46:50ID:1Kbaflbf
「剣豪将軍義輝」という大変面白い小説があるのですが
その中に義輝の剣の師匠役として朽木鯉九郎という人物が出てきます。
実在した人物なのかはわかりませんがなかなかいいキャラです。
0183人間七七四年2008/10/04(土) 01:20:48ID:WH76WNMm
朽木 鯉九郎

近江・朽木谷を領する朽木稙綱の子、次男・藤綱か四男・輝孝であろう
将軍・足利義輝に仕え御部屋衆となる、松永久秀・三好三人衆らに攻められた義輝と共に討死
ttp://kazusanosukede.gozaru.jp/busyou/busyouitiran-ka.htm
0184人間七七四年2008/10/05(日) 01:57:29ID:OxfyhCov
「BLEACH」という大変面白い漫画があるのですが
その中に朽木白哉、朽木ルキアという兄妹が出てきます。
実在した人物なのかはわかりませんがなかなかいいキャラです。

0185人間七七四年2008/10/05(日) 03:46:33ID:ByVI+pDC
>>183
その久秀とも元綱は通じているんだよねぇ。。。
0186人間七七四年2008/10/08(水) 11:20:39ID:/p88S2Je
>>185
久秀云々というよりは信長軍の有する大義名分を重んじたんでしょう。
将軍家は越前出兵を是認しているわけですから。
0187人間七七四年2008/10/15(水) 00:32:18ID:RuVhJhZU
状況的に浅井に味方しても得るところは少なかっただろうし。
0188人間七七四年2008/10/15(水) 00:54:46ID:SoQqHFA0
結局佐々木一族で鎌倉以来の本領を守り切ったのは
ここだけか…厳しい世界だ
0189人間七七四年2008/10/16(木) 09:06:38ID:e6UY54EV
それ故、名将と言うべきでしょう。
0190人間七七四年2008/10/16(木) 11:50:37ID:vTBbecB2
史学関係者の間では評価高いね。
戦国期では三傑の次ぐらいの評価が定着している。
0191人間七七四年2008/10/18(土) 01:10:15ID:KhnO9kjy
朽木白哉

四大貴族「朽木家」の二十八代目当主、護廷十三隊六番隊隊長
ttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%BD%E6%9C%A8%E7%99%BD%E5%93%89
0192人間七七四年2008/10/21(火) 18:20:32ID:iMBw8At+
>>191
架空の人物はどうでもいいです。
0193人間七七四年2008/10/24(金) 18:21:30ID:z5I6INbs
>>190
そんなバカなw
0194人間七七四年2008/10/25(土) 03:31:52ID:Y5tZKOCW
>>190
そりゃ朽木文書のおかげでご飯食べさせて
もらってる史学界が評価しないのも
さびしい話ですな
特に応仁の乱で京都焼け野原なった
資料乏しい中世史はね
0195人間七七四年2008/11/01(土) 23:48:55ID:bG73Y9R9
もう少し見直されても良さそうね
0196人間七七四年2008/11/03(月) 00:41:24ID:RKVg9yMB
家康に関ヶ原後に「朽木なぞいてもいなくてもどうでもいいから
改易しなくてもいいよ」って言われたってのは本当なんかね?
0197人間七七四年2008/11/03(月) 21:02:01ID:x6Je5ok7
>>196
戦力的には微々たるもの。
いてもいなくても大差は無いしねぇ。
但し、若狭と京を結ぶ街道筋を押さえていた土着豪族だけに
利用価値有りと判断したのでは?
0198人間七七四年2008/11/03(月) 22:22:32ID:lGEO+S+l
家康の名家好き病がでたんだろう
信長・将軍たすけたり忠義厚いと判断したとか
0199人間七七四年2008/11/03(月) 22:24:50ID:lGEO+S+l
この人めっちゃ長生きですな
0200人間七七四年2008/11/03(月) 22:24:56ID:YCB29JZU
> 家康の名家好き病

誰だって天下安定させるためには、旧勢力もある程度保全しないといけなくなるっつーの。
家康が信長や秀吉以上に名家好きだって言う論拠が欲しいわ。
0201人間七七四年2008/11/03(月) 23:37:32ID:x6Je5ok7
>>198
朽木氏って名家か?
だったら、本家筋にあたる佐々木六角氏を何故保護しなかったんだ?
という話になるしねぇ。
そもそも家康が名家(主に源氏)を高家として遇したのは、徳川政権の
「源氏の棟梁」という表看板と系図詐称の辻褄合わせでしょ。

木曾の山村氏のように、万石以下の在地領主(代官)として街道筋を
治めさせておくか・・・という程度の存在でしょ。
朽木氏は在地の交替寄合だったしね。
0202人間七七四年2008/11/05(水) 22:25:54ID:i6Ea1ytk
ちょうど丹後、若狭に姻戚かつ与力の京極家を
配置させてるから多少の恩(鎌倉以来の本領安堵)を
売って街道筋の保全を勘案したんじゃないかな
下手に潰してしまうと後々災いの種になるし
山越えは土地勘ないと今でも遭難してるしさ
0203人間七七四年2008/11/06(木) 02:52:07ID:clyEMUGw
>>202
信長時代から存在感としてはかなり薄めだったしね。
金ヶ崎の時には役に立ったけど・・・それだけという感じもする。

まあ、全国支配の段階になると街道の保全管理が重要課題になってくるので
とりあえず潰さずに使うか・・・と。
0204人間七七四年2008/11/08(土) 21:26:36ID:3jfIMHyj
>>200
回答は無いようですね。
0205人間七七四年2008/11/11(火) 22:59:44ID:5Jul7b7J
礼法、作法に通じた武家で
伝承できた家が重宝されたのかな
家康公将軍任官で配膳役してることから推測する
0206人間七七四年2008/11/13(木) 03:52:17ID:0vIZayDF
>>205
意外なところに顔を出すものだな。
0207人間七七四年2008/11/16(日) 03:49:15ID:k0V2lzWM
>>205
朽木元綱の嫡子・宣綱が、家康の太政大臣任官の儀式にて配膳役を務めているね。
征夷大将軍に任じられた時となると・・・誰?
0208人間七七四年2008/11/17(月) 23:26:29ID:EwqcUGxk
将軍、大臣勘違いじゃないの?
ただ朝廷、公家とのやりとり作法は
江戸時代でもわざわざ高家取り立てて
指導してもらうくらいだから
稀少だったかもしれないね
室町幕臣系かなり明智光秀に与して悲惨な結果なってるし
0209人間七七四年2008/11/18(火) 11:38:22ID:8009mpa2
>>208
明智と朽木の繋がりってのもよく分からないね。
0210人間七七四年2008/11/18(火) 12:12:11ID:lqqeJdsw
>>209
明智と朽木に直接の上下関係はなかった(と思う)けど
所領がご近所さんだし、なにかと繋がりはあったんじゃないかな
こんな曖昧な繋がりじゃだめか^^;
0211人間七七四年2008/11/18(火) 13:21:34ID:xybM7AhT
明智か…謎だらけでわかんないや(汗)
ただ幕臣奉行衆、奉公衆どうしの絆は強かったみたいだな
幕臣系いっぱい抱えた細川家も
参勤交代の折りは朽木に挨拶は欠かさなかったとか
どこかのサイトでみたんだけど…
細川家一流の交際術かもしれないけどね
0212人間七七四年2008/11/18(火) 13:42:39ID:qYuSc1P5
>>211
次第にその価値も薄れたんだろうけどな。
0213人間七七四年2008/11/18(火) 13:56:44ID:xybM7AhT
>>212
細川家も有数の貧乏大名で有名だし
幕閣との付き合いで
手がいっぱいだっただろうしね
0214人間七七四年2008/11/19(水) 07:08:20ID:dVd8PmfR
朽木家も分知を繰り返したから、財政的には厳しかったんだろうね。
0215人間七七四年2008/11/19(水) 19:01:21ID:X12q8jYO
大身旗下が実際は武士階級では
一番余裕があったみたいじゃない
交代寄合基本的に無役だし
吉原で身を崩すのはこの階層が多いよ
0216人間七七四年2008/11/21(金) 10:59:30ID:k5z1uGQz
>>215
しかし、知行取というのは凶作で収入激減なんて事態もあり得るからね。
そのあたりは蔵米、切米取りの方が安定している。
それでも基本的にベースアップがない階層だけに、市場経済の前には無力だったはず。
0217人間七七四年2008/11/22(土) 21:22:51ID:r85TmFn6
朽木の場合、山間で新田開発が難しいから
鯖街道の商業税と木材座からの運上なんかがメインか
ただ飛騨の匠を抱えた飛騨奉行がかなり蓄財できる
美味しいポストだったみたいだったから
朽木もそんなに悪くないと思うよ
0218人間七七四年2008/11/23(日) 18:58:18ID:XUOATh7f
>>217
安定収入ではあるけど、といって生産性が劇的に上昇する性格のものでも
ないしねぇ。
0219人間七七四年2008/11/23(日) 19:33:10ID:kC0H/L0f
気候温暖、土地が豊かで開拓余力が有り
物流の動脈拠点で物資が豊富
換金特産物にも恵まれた
豊かな領地なんてあったのかいな
何かしら問題は抱えてるじゃまいか?
0220人間七七四年2008/11/23(日) 23:26:29ID:u7eUPSog
>>219
尾張〜駿河くらいまではなかなかそんな感じでは?
0221人間七七四年2008/11/24(月) 17:20:49ID:1pqaF6yv
>>220
濃尾平野と異なり、三河〜駿河というのは山と海に挟まれた土地だからなぁ。
0222人間七七四年2008/11/25(火) 23:40:01ID:RXUuETFk
東海、関東大名はいいよな
でかい治水工事なんてほとんど外様の大名に
外注してもらってんだから
本来ならもっと豊かになってないといかんが
そんな話聞いたことないな
0223人間七七四年2008/11/27(木) 18:50:33ID:GtyGun5N
関東はまだしも三河、遠江あたりは農耕面積がそんなにあるわけじゃないしねぇ。
0224奇矯屋onぷらっと ◆SRGKIKYOUM 2008/11/27(木) 23:42:39ID:zrioAXz8
なんだかゲームマップを見ながらの書き込みに見える。
0225人間七七四年2008/11/29(土) 18:51:34ID:7TAN3Ir/
>>217
米が取れない地域は、それ以外の収入を増やすしかないからなぁ。
朽木谷の場合は街道の通行権、商業権、林業に対する課税だけに安定的だったのかな。
0226人間七七四年2008/12/01(月) 22:29:03ID:czrcFTjv
京都様様だな
大都市近くはそれなりの旨味があるからね
0227人間七七四年2008/12/02(火) 17:58:37ID:bMPsKUZr
>>226
当時の京はどれくらいの市場規模を持っていたのかな。。。
0228人間七七四年2008/12/02(火) 17:59:29ID:Xw7C+ne+
江戸以前は日本唯一の十万都市じゃないの?
0229人間七七四年2008/12/03(水) 01:37:35ID:C0HJSLTX
>>228
問題は江戸期だね。
0230人間七七四年2008/12/03(水) 02:47:32ID:bAxKNm7T
寛永十一年の洛中は410,089。
その後微減していって正徳五年で三十万くらいになる
0231人間七七四年2008/12/04(木) 14:05:03ID:h85b7aFv
>>230
市場としては縮小傾向だったのね。。。
0232人間七七四年2008/12/04(木) 14:22:54ID:78PWIz5U
武家社会の恩恵が受けられるところじゃないしねぇ。
むしろ、なぜ大都市で居られ続けたのかがよくわからんくらいだ。
まあ、それでも朽木さんとこにとっては十分広い市場だったんじゃないかしら。
0233人間七七四年2008/12/05(金) 06:32:16ID:UTVrxvV8
>>232
京だけでなくその周辺への流通もあるのでは?
0234人間七七四年2008/12/07(日) 00:36:50ID:xqQ7HyBB
前に福知山城に行ったとき、城内の展示物や説明文を見ていたら、結構はっきりした口調で
「関ヶ原の恩賞で福知山に転封されてきた有馬氏は苛政を行い領民を苦しめた。
その後、数代を経て福知山城主となった朽木氏は善政を行い領内を発展させた。」
という意味のことが書かれていた。

朽木と京極は、近江の名家同士で豊臣期の所領も近いけど、つながりあったのかな?
関ヶ原で、当初は大谷の北陸攻めに加わり、機を見て東軍に寝返りと同じ経緯をたどっており、
京極の裏切りが朽木元綱に影響を与えたのかと少し思った。
0235人間七七四年2008/12/07(日) 16:27:53ID:M61moVS1
近隣勢力同士、互いに影響し合うことはあるでしょ。
実際、元綱の嫡子・宣綱の室は高吉女(マグダレナ)だし、宣綱の次子・高通が京極高知の
女婿になっているくらいで。
0236人間七七四年2008/12/12(金) 01:33:58ID:NcntzUJN
婚姻は年齢的に関ヶ原前?
0237人間七七四年2008/12/15(月) 00:28:39ID:NtUdrOEo
元綱と言えば、関ヶ原の役後、嫡子・宣綱と共に瀬田橋の修造奉行に任命され、
これを無事成功させている。
父子が家康、秀忠に近侍できたのはこの瀬田橋の修造が評価されたからとも
言われている。
0238人間七七四年2008/12/17(水) 12:57:39ID:wP5h2QQW
越前とか伊勢の太閤検地してたり
豊臣直轄領の代官してるから
民政に精通してたタイプだったんでしょう
0239人間七七四年2008/12/18(木) 22:10:29ID:opQBxiET
>>238
あれ?罷免されなかったっけ?
0240人間七七四年2008/12/22(月) 03:28:30ID:mFls7xd8
>>238
武功は聞かないなぁ。
0241人間七七四年2008/12/22(月) 09:00:18ID:v0FMutYU
一族に三好三人衆に義輝が殺された時、討死したやついなかったっけ?
0242人間七七四年2008/12/22(月) 16:04:59ID:rrwcNB2j
宮本昌孝の小説には朽木鯉九郎という人物が出て来るけど
モデルは晴綱の弟の直綱や輝孝辺りかな。
0243人間七七四年2008/12/23(火) 17:16:18ID:EBa1vkON
>>242
少し前に出てました。
>>http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1189149582/182-184
0244人間七七四年2008/12/24(水) 01:54:19ID:SS6ed8tx
>>240
三好勢が京の足利義昭を襲撃した際、防戦にあたったとされているが
それ以外はあまり聞かないね。
関が原後、忠節を示すために戦ったという記録はないのかな?
02452422008/12/24(水) 15:31:48ID:nbzakFlr
>>243
thx
>>241宛のレスのつもりでしたが、やはり三人の誰かがモデルなのでしょうね。
0246人間七七四年2008/12/25(木) 20:04:58ID:PiCC4RgE
>>244
兵力が兵力なので。。。
0247人間七七四年2008/12/28(日) 17:17:37ID:jfRSnrf3
佐和山城攻撃に参加しているが、果たして軍功と言えるものかねぇ。
0248人間七七四年2008/12/31(水) 06:02:06ID:n0N53Yjp
関ヶ原での足取りと追うと・・・

伏見城攻撃に参加
     ↓
大谷吉継の軍勢に加わる
     ↓
京極高次を西軍に誘うも失敗
     ↓
関ヶ原本戦にて東軍に寝返り、大谷吉継を攻撃
     ↓
佐和山城攻撃に参加

何かフラフラしてますなぁ・・・
0249人間七七四年2008/12/31(水) 07:00:47ID:4NSdVyME
近江にあって東軍につくってのは判断は、まぁ無理だよな
だからそこ京極は家康に手厚く迎えられたわけだけど……
0250人間七七四年2008/12/31(水) 07:29:14ID:PCq7/6RT
むしろ東軍についた京極の方が英断ですわな。
しかも、あまり籠城戦に適さない大津城で集中攻撃に耐えなければならない。
朽木が同じことをしたらサッサと蹂躙されて終わり。
西軍に加わったのはある意味、妥当な判断ですよ。
脇坂のように裏工作をしていれば、本領の2万石をそのまま安堵されていたのでしょうけど。
0251人間七七四年2008/12/31(水) 15:56:49ID:IBEKTPJH
「磯野家の野望」では、磯野家重臣ですよ>元綱
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