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【裏切り】朽木元綱【名将】

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0001人間七七四年2007/09/07(金) 16:19:42ID:WT0Ni3Mk
決して地味ではない語れ
0050人間七七四年2008/01/30(水) 18:22:43ID:O92E9LOF
〜村数と年貢〜

江戸期を通じて朽木知行所内の村高には、なにほどの変化もなかった。
あっても100石とか、100石以下が大部分を占めたのは、もともと田畑が乏しい地理的条件
によったからであろう。
この時代の村数を「朽木文書」によってみると、

旧朽木荘(市場・岩神・穴ケ瀬・宮前・坊・野尻・上柏・下柏・古川・大野・村井・栃生・椋川・
麻生・横谷・轆轤・地子原・雲洞谷・平良・小川・荒川)21か村
旧針畑荘(能家・桑原・古屋・中牧・小林・生杉・庄屋・小入谷)8か村
旧三谷荘(角川・保坂・途中谷・山中・大杉・轆轤・天増川・梨ノ木・椋川・自在坊・六ツ石・
水谷・追分)13か村
合計42か村になる。

これらの村々は平地の村とは違い山林関係の生業の割合が強く、この傾向は特に麻生・
地子原・雲洞谷から西の村々で大きいものがあった。年貢は村高の40〜50%に及んだが、
自然条件に災いされることもあったから、川成などで差し引かれることが多かった。その他
山方年貢として四二寸米・川狩米・茶年貢・油草代米・薪代米・みそ米代などがあった。
0051人間七七四年2008/01/30(水) 18:23:31ID:O92E9LOF
〜林業と木地屋〜

中世から引き続き、何といってもこの地域を特徴づけてきたのは林業であった。
しかし、安曇川を下る筏は琵琶湖への出口の南船木港(安曇川町)に材木座が置かれ、
木材を特権的に取り扱い、運上・座役銀などの租税・手数料に当たるものを取り立てた。
炭焼にも市場・岩神の問屋支配があり、これを、仲介しないと炭の売り立ては堅く禁じら
れていた。
なお、轆轤周辺は麻生木地山ともいった。
かなり古くから轆轤師(のちの木地屋)が集結して、朽木氏の庇護を受けながら椀・盆など
木器の木地を生産した。中世〜近世を通じての経歴は、著名な木地屋根元地と伝承され
る近江小椋谷の「蛭谷氏子狩帳」「大岩助左衛門日記」などに記録をとどめている。
岩神には数軒の塗師屋もあったが、そこで彼らの木地に漆工したのである。
朽木盆はその製品の中で、黒地に朱で十六菊を描いたものが、特に*「菊盆」*と呼ばれ
て著聞した。
0052人間七七四年2008/02/03(日) 19:36:00ID:+zdGoOYm
>>49
>朽木知行所

知行所ということは旗本扱いですね。
事実、万石未満なのでそういう分類なのは当然ですが、一般に旗本は知行所における
行政監督をしない場合が多かったようですね。
幕府がそれを嫌ったというのが主な理由ですが、実際には代官が主にそれらを担当し
ていたようです。
その点から見ても、直接知行地の行政監督を行い、在地領主であり続けた朽木氏と
いうのはその枠組みからは外れていたのですね。
0053人間七七四年2008/02/03(日) 20:52:51ID:E4YYH2oA
>>52
朽木家は参勤交代をする「交代寄合(大身旗本)」だね。
0054人間七七四年2008/02/05(火) 08:16:11ID:AGMpB2U0
ttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%A4%E4%BB%A3%E5%AF%84%E5%90%88
交代寄合の一覧
(須原屋版「文化13年武鑑」による)


[編集] 表御礼衆
菅沼家      三河設楽郡新城領主   帝鑑間詰 元丹波亀山藩藩主
竹谷松平家   三河宝飯郡西郡領主   帝鑑間詰 元吉田藩藩主
榊原家      駿河有度郡久能領主   帝鑑間詰 久能山東照宮門番 家督時に五位諸大夫任官 
                                 本家筋にあたる。
本堂家      常陸新治郡志筑領主   柳間詰
生駒家      出羽由利郡矢島領主   柳間詰  元高松藩藩主
山名家      但馬七味郡村岡領主   柳間詰  屋形号
松平(池田)家. 播磨神崎郡福本領主   .柳間詰.. 鳥取藩松平(池田)相模守家分家 
                                 元播磨山崎藩主・元因幡鹿奴藩主 初代松平
                                 (池田)輝澄は徳川家康娘・督姫男
平野家      大和十市郡田原本領主  柳間詰   賤ヶ岳の七本槍の家系
木下家      豊後速見郡立石領主   柳間詰  日出藩分家
山崎家      備中川上郡成羽領主   柳間詰  元丸亀藩分家
最上家      近江蒲生郡大森領主   柳間詰  元山形藩藩主・屋形号
戸川家      備中都宇郡撫川領主   柳間詰  元庭瀬藩藩主
竹中家      美濃不破郡岩手領主   柳間詰
溝口家      陸奥岩瀬郡横田領主   柳間詰  新発田藩分家
朽木家      近江高島郡朽木領主   柳間詰  福知山藩本家筋
近藤家      遠江引佐郡気賀領主   柳間詰  元井伊谷藩藩主
金森家      越前南条郡白崎領主   柳間詰  元郡上八幡藩藩主分家
五島家      肥前松浦郡富江領主   柳間詰  福江藩分家
伊東家      日向郡賀郡飫肥領主   柳間詰  飫肥藩分家
0055人間七七四年2008/02/05(火) 08:16:44ID:AGMpB2U0
四衆
那須衆
那須家      下野那須郡福原領主   .柳間詰   .元烏山藩藩主
福原家      下野那須郡佐久山領主  柳間詰  . 那須衆
芦野家      下野那須郡芦野領主   .柳間詰  . 那須衆
大田原家    ..下野那須郡森田領主  . 柳間詰め  大田原藩分家・那須衆

美濃衆
高木(西)家    美濃養老郡多良領主  柳間詰  美濃衆
高木(東)家    美濃養老郡多良領主  柳間詰  美濃衆
高木(北)家    美濃養老郡多良領主  柳間詰  美濃衆

信濃(伊那)衆
知久家      信濃伊奈郡阿島陣屋領主  ..柳間詰   伊那衆
小笠原家    ..信濃伊奈郡伊豆木陣屋領主 柳間詰   勝山藩分家 伊那衆
座光寺家   .. 信濃伊奈郡山吹陣屋領主  .柳間詰   伊那衆
三河衆
松平家      三河加茂郡松平領主     柳間詰   松平家庶長子家 三河衆
中島家      三河渥美郡大崎領主     柳間詰   三河衆 備中松山藩板倉家類家

四州に準ずる家
米良家      日向児湯郡米良領主     柳間詰    無高  肥後菊池氏後裔・肥後
                                         .人吉藩主相良家の扶養
0056人間七七四年2008/02/05(火) 08:17:26ID:AGMpB2U0
その他
須原屋版には、記載のない交代寄合

四州に準ずる家
岩松家      上野国新田郡新田庄内120石 新田義貞の末裔 明治の華族令で、男爵を授かる。
0057人間七七四年2008/02/07(木) 18:22:39ID:Stp6E0BB
>>54-55
また微妙なお家柄ばかりですね。
0058人間七七四年2008/02/08(金) 14:11:04ID:kB9SgvPY
よく調べたと思うよ>>54-55
0059人間七七四年2008/02/11(月) 02:36:38ID:HmyIZDlg
朽木陣屋:滋賀県高島市                   平成19年9月探訪
旗本交代寄合、朽木家96百石の陣屋跡  江戸期を通して領有した

ttp://homepage2.nifty.com/edononagori/070905%20074.jpg
陣屋址の中心へ
ttp://homepage2.nifty.com/edononagori/070905%20073.jpg
陣屋井戸
ttp://homepage2.nifty.com/edononagori/070905%20075.jpg
堀の一部
ttp://homepage2.nifty.com/edononagori/070905%20076.jpg
ttp://homepage2.nifty.com/edononagori/070905%20079.jpg
朽木家菩提寺の興聖寺
ttp://homepage2.nifty.com/edononagori/070905%20078.jpg
朽木街道界隈は東海自然街道になっている

ttp://homepage2.nifty.com/edononagori/kutikijinya275igai.html
0060人間七七四年2008/02/18(月) 00:32:53ID:hbUeZPHv
朽木家は鎌倉時代に桓武平氏直系である池殿家の所領を継承している。
0061人間七七四年2008/02/19(火) 14:26:29ID:EUoJIIcO
池殿領は久我に流れたんじゃなかったっけ?
0062602008/02/25(月) 00:32:51ID:tjPJoPvu
と東大の佐々木先生が言ってるよーん。
0063人間七七四年2008/02/28(木) 15:42:48ID:o2lVYb7z
朽木家ってやたら分家が多いよね。
0064人間七七四年2008/02/29(金) 16:17:49ID:XxoZSC2A
関ヶ原寝返り組みのうち、脇坂は事前に藤堂を通じて連絡があったみたいだけど、
元綱はどうだったんだろう?戦後、代官してた蔵入地を召し上げられてる。
0065人間七七四年2008/03/01(土) 05:03:53ID:m+Jmq04C
とくになにもしてなかったよ

脇坂→事前通告で安泰
朽木→通告なしで召し上げられるも名家ヲタの家康の意向で復活
小川、赤座→わりとどうでもよかったのでまとめてあぼん
0066人間七七四年2008/03/01(土) 06:43:09ID:K9zlCA3G
>>63
分家しておけば、一族断絶のリスクは減る。
どうせ、大名じゃない大身旗本なんだから。
0067人間七七四年2008/03/01(土) 12:14:08ID:LEk4cK7s
>>65
逸話としては「あ?朽木なんていてもいなくても大局に影響ないし」みたいなことを
言われたというのがあったが、実際には家康の名門好きが影響したんだろうね。
小川みたいなやつは家康好きじゃなさそうだし。

それにしても、この4人は所領が残った2人はその後幕閣を輩出している一方、改易された2人は
直後に病死と溺死だもんな。明暗が分かれた感がある
0068人間七七四年2008/03/02(日) 18:17:44ID:faS9i9wP
>>65
改易⇒家名存続という流れではないのでは?
単純に減封。
代官領+所領の一部を召し上げられたという話。
0069人間七七四年2008/03/03(月) 18:40:02ID:HP1Fga1/
小川って微妙だよなぁ。
六角を裏切り、明智を裏切り、ついには西軍まで裏切ったのだから
家康に信用されるはずがない。
おまけに出自も不明。
こりゃ処分対象だわな。

朽木と祖を同じくする六角は、佐々木に改姓して幕臣になっているし、
(別に血統を違える藤原北家の六角氏が幕臣になっているが)
やっぱり宇多源氏の末裔、旧幕府奉公衆という格式がポイントだった
のかな。
0070人間七七四年2008/03/04(火) 03:27:50ID:u3tfd9qj
はぁ?
0071人間七七四年2008/03/05(水) 16:29:18ID:nB9aFwkK
信長の野望ならば、迷わず朽木谷館&朽木元綱でプレイ。
家臣ゼロの一城主から始まる戦国世渡り物語。
天下を穫るなんて夢のまた夢、時の権力に靡き続けるのが
朽木プレイの醍醐味。
0072人間七七四年2008/03/07(金) 01:20:06ID:/xvBgTYo
>>71
山間の豪族だけど一応、幕府の奉公衆だったしね。
0073人間七七四年2008/03/08(土) 04:56:36ID:1l6EeZqh
↓は妥当なのでしょうか?
――――――――――――――――――――――――――――――――
朽木元綱(蒼天録データ)

重視/幕府・名声
思考/保守鳩派
出身/近江
出自/国人
兵科/足軽 長槍
特技/哀願
策戦/混乱 誘導
能力/政治58 統率37 知略62
義理/19
野心/57
――――――――――――――――――――――――――――――――
0074人間七七四年2008/03/15(土) 18:36:00ID:is17D+JI
>>73
混乱はよく分からんな。
道案内=誘導?
三好軍に対して防戦したこともあるから統率は40台くらいでいいんじゃね?
0075人間七七四年2008/03/16(日) 14:21:09ID:+K5m+650
前線に送るよりも内政・謀略向きだね。
0076人間七七四年2008/03/16(日) 15:51:15ID:EBo78/Xb
>>71

隠岐氏とか宗氏でプレイできないんだっけ?
0077人間七七四年2008/03/17(月) 03:06:04ID:sQOlcXHT
>>76
登場しないものはプレイしようがないですよね。
自分で登録する以外には。
0078人間七七四年2008/03/17(月) 06:45:05ID:S68WhB5F
隠岐氏でプレイ→他国に攻め込まないままでゲーム終了
0079人間七七四年2008/03/18(火) 03:33:10ID:bPnXCEWH
>>78
ちょっとこのスレの方向とは合わないんですが・・・。
0080人間七七四年2008/03/20(木) 18:21:17ID:KQuhXRqb
>>73
何となく引き籠るにはちょうど良い能力って気もしますが。
幕府の奉公人なら使者の適性有りかも。
0081人間七七四年2008/03/24(月) 05:14:37ID:f1fuIDBW
元綱、嫡子の宣綱と長命だよね。
宣綱なんて地震で倒壊した屋敷の下敷きにならなかったら、
さらに長生きしていただろうし。
0082人間七七四年2008/03/28(金) 06:28:32ID:qhq2Fx5A
嫡流が分知を繰り返して5千石弱の交代寄合になったのに対して、庶流が大名家。
そういう事例って他にどれくらいあるのでしょうか?
0083人間七七四年2008/04/08(火) 16:23:22ID:zviEJtsc
>>73
それほど武功があるわけじゃないし、特徴は捉えてるんじゃない?
0084人間七七四年2008/04/09(水) 04:58:39ID:kapRpCjJ
松永弾正とはどういう間柄だったのかね?
0085人間七七四年2008/04/10(木) 11:20:01ID:2/b1o248
三好時代どちからというと三好と朽木は敵対関係だろうな。
0086人間七七四年2008/04/11(金) 22:45:53ID:fMSa34Up
去就こそ注目されたけど、元綱自身、永禄11年に三好一党が京都本圀寺の足利義昭を
攻めた際、信長軍が岐阜から到達するまで防戦した過去がある。
信長が義昭を奉じている限りにおいては敵対する理由が無い。
浅井に従っていたとしても、足利>>>>>>浅井という判断をしたのは当然のことでしょう。
0087人間七七四年2008/04/24(木) 14:48:40ID:w7pLCVaH
誰が将軍の旗印を握っていたのか、だよね。
0088人間七七四年2008/04/29(火) 12:46:31ID:lH/0zlc8
鯖街道age
0089人間七七四年2008/04/30(水) 21:44:24ID:8ilNq9AY
味わい深いスレですね。
0090人間七七四年2008/05/10(土) 23:59:22ID:EBubWHFM
>>69
俺も小川は冷遇する。
あいつはキリシタンか?
0091人間七七四年2008/05/23(金) 02:53:10ID:TD9JVrz9
>>90
能力もそうだが、人格的にも裏切りやすいしな。
調略されやすいのも問題だ。
0092人間七七四年2008/05/29(木) 12:26:37ID:UVJCm6AX
四将の中では

脇阪>>>朽木>>>(越えられない壁)>>>小川・赤座

になるのか?
0093人間七七四年2008/05/29(木) 15:15:22ID:i4VUOfE8
小川のウィキは子孫が編集したオナニー捏造ばかりで吐き気がした
0094人間七七四年2008/05/29(木) 20:59:30ID:j3xApcHE
>>67
なんだっけ、『風になびくススキ』だかなんだかだっけ?
0095人間七七四年2008/05/29(木) 21:23:13ID:uUBcACK7
>>93
禿同 あれは酷すぎだと思う

実際小川って織田家ではどのくらいの扱いだったんだろ
0096人間七七四年2008/05/30(金) 08:29:46ID:AdHU0vKy
いつの間にか小川スレにwww
0097人間七七四年@全板トナメ開催中2008/06/05(木) 14:19:28ID:ivkaTTwK

だがそれが(・∀・)イイ
0098人間七七四年@全板トナメ開催中2008/06/05(木) 19:02:01ID:oB1uQSp2
赤座は前田利長に仕え、7000石を給され、松任谷城代を勤めたが、越中大門の出水の検分の際、濁流を渡河中に落馬、溺死している
0099人間七七四年@全板トナメ開催中2008/06/05(木) 21:39:57ID:4cxEvzrF
>>98
大谷刑部の祟りだな。
0100人間七七四年@全板トナメ開催中2008/06/05(木) 22:00:17ID:/liSss8K
武士は祟らない。戦闘員だから、いついかなる場所で死んでも現世に恨みを残さない。
これが古来よりの武家の作法である。

もし大谷行部が祟るというのなら、彼は武士にあるまじき不心得者である、と言う事だ。
0101人間七七四年@全板トナメ開催中2008/06/05(木) 22:04:37ID:3qoIj2k/
死んだ者は祟らない。
死んだ者を恐れ祟りを生み出すのは生きている人間だ。
0102人間七七四年@全板トナメ開催中2008/06/07(土) 13:45:21ID:foXUd8LK
何のこっちゃ?
0103人間七七四年@全板トナメ開催中2008/06/07(土) 14:47:26ID:uPFcXl8E
宗教談義スレ?
0104人間七七四年@全板トナメ開催中2008/06/07(土) 20:57:53ID:1WqnlT24
武士が祟らないのは決まりごと。
101はその辺を理解出来ず陳腐な宗教論に転化している。
0105人間七七四年@全板トナメ開催中2008/06/08(日) 00:20:42ID:tarJ/2SX
なんか嫌なことでもあったん?
0106人間七七四年@全板トナメ開催中2008/06/08(日) 19:13:41ID:ixKNPD/+
朽木さんは何度か足利将軍をかくまってるね。
0107人間七七四年2008/06/09(月) 15:34:24ID:6XgdX/Qx
義晴が享禄元年〜天文三年
義輝が天文二十年〜二十一年、天文二十二年〜永禄元年というところか
0108人間七七四年2008/06/09(月) 16:01:20ID:+FYAIIOb
追い出している側も将軍を殺そうとはしていないよね、この頃は。
0109人間七七四年2008/06/10(火) 12:15:50ID:eSCtX3LO
赤座って大阪の陣のとき豊臣方についたんじゃなかったか
0110人間七七四年2008/06/10(火) 15:09:00ID:Dpl/BEs3
>>109
脇坂・朽木らと共に寝返り
→前田家臣
0111人間七七四年2008/06/10(火) 15:11:56ID:eSCtX3LO
なるほど。しかし前田家も裏切り者をよく召抱えるな
0112人間七七四年2008/06/10(火) 16:00:00ID:ScW7tn8m
「返り忠」も武士の習いだ。
0113人間七七四年2008/06/10(火) 16:20:53ID:7AugmIPX
3回裏切ってこそ一人前の武士と言われた時代だしな。
0114人間七七四年2008/06/10(火) 16:26:30ID:ScW7tn8m
まあ、主君でもなんでもない三成に対して、忠義を成せって言うのも変な話だしな。
それに前田も賤ヶ岳の時勝家を裏切ってるわけで。
0115人間七七四年2008/06/11(水) 00:37:00ID:KLEKcvjl
>>109
慶長11年(1606)に溺死したんじゃないの?>赤座
0116人間七七四年2008/06/11(水) 08:45:36ID:DVYdp7Lv
>>100 104
「武士」「祟り」で検索してもかなりの事例がヒットするんだが、
武士は祟らない、というのは何処の話なんだ?詳細希望。 
0117人間七七四年2008/06/11(水) 17:54:51ID:nMSf9oQM
脇坂の末裔が同級生だった。少し好きだった
0118人間七七四年2008/06/12(木) 04:02:49ID:q2NIcsuO
その人が悪いんじゃない。
時代が人をそうさせるのでは?
0119人間七七四年2008/06/12(木) 10:46:27ID:ogzvB5/t
別に悪くはないだろ。誰が悪いかといえば敗色を濃厚にした西軍が悪い。
0120人間七七四年2008/06/13(金) 01:16:30ID:49SIypQ2
>>117
スレ違いだが、高校の先輩に犬山城主のご子息さんがいたな。
0121人間七七四年2008/06/13(金) 01:23:22ID:/xf4BHbr
>>120
君の先輩は戦国期に高校時代を送ったのか?
0122人間七七四年2008/06/13(金) 01:40:17ID:Z2Xx4Yxj
>>121
君は日本語を読めない人間だな
0123人間七七四年2008/06/13(金) 17:01:57ID:cZG4meL+
・犬山城は最近まで個人所有だったことを知らない。
・江戸時代ならいざ知らず、犬山城の所有者を「犬山城主」と呼ぶことに違和感がある。

のどちらかだろう。
0124人間七七四年2008/06/15(日) 10:29:10ID:duuVRLtj
犬山城(家)の主(あるじ) = 犬山城主
江戸時代と違った意味で、犬山城主じゃない?。
0125人間七七四年2008/06/16(月) 12:30:37ID:AAzJSweH
江戸時代は尾張徳川家の付け家老(準大名格)だっけ?
0126人間七七四年2008/06/16(月) 13:51:01ID:5RKGIbKt
成瀬さんだっけ?
0127人間七七四年2008/06/16(月) 19:28:55ID:sWHBmaw5
ttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%8A%AC%E5%B1%B1%E5%9F%8E
>近現代
>明治の廃藩置県で廃城となったが、明治24年(1891年)の濃尾地震で天守の一部や櫓・城門などが
>こわれたため、明治28年(1895年)に城の修復を条件に旧犬山藩主成瀬正肥に無償で譲渡された。
>平成16年(2004年)3月時点で日本で唯一の個人所有の城であったが、同年4月に財団法人犬山城
>白帝文庫に移管されている。
>
>2006年(平成18年)4月6日、日本100名城(43番)に選定され、2007年(平成19年)6月から全国規模
>の日本100名城スタンプラリーが開始された。

財団法人犬山城白帝文庫 理事長 成瀬 淳子
(第12代犬山城主成瀬正俊の長女)
ttp://www.inuyamajohb.org/gaiyou/images/dairi.jpg
ttp://www.inuyamajohb.org/gaiyou/index.html
0128人間七七四年2008/06/18(水) 05:14:46ID:NbCvhmCH
>>127
世が世ならお姫様?
0129人間七七四年2008/06/19(木) 12:09:13ID:nUQhdezg
>>127
可愛い、結婚したい。
0130人間七七四年2008/06/20(金) 01:41:32ID:NxQqKpgv
>>129
結婚しても、財団化した以上は城主にはなれんけどね。
0131人間七七四年2008/06/24(火) 01:42:09ID:qpiF/vWV
朽木宗家の御末裔はどこで何してるんだろうね?
0132人間七七四年2008/06/29(日) 23:04:39ID:q9NMFd8a
>>131
福知山の朽木家は子爵に叙せられたが。。。
0133人間七七四年2008/07/02(水) 04:13:08ID:S8rEVCU+
>>132
大名家の爵位は珍しくないっしょ。
0134人間七七四年2008/07/05(土) 00:15:50ID:P+8g+q8t
朽木と言えば鯖のなれずし。
見た目は↓だが、けっこうクセになる。
0135人間七七四年2008/07/09(水) 08:09:50ID:y2R/V9ee
見た目が↓?
それは俺のことか?(^^ゞ
0136人間七七四年2008/07/13(日) 19:33:41ID:0eXG6aVc
元綱の武功ってどんなもの?
0137人間七七四年2008/07/15(火) 05:15:19ID:LXto4UcS
>>136
信長不在を突き、三好三人衆が京の義昭を襲った際、防戦に努めた。
あとは関ヶ原か。
0138人間七七四年2008/07/17(木) 18:01:53ID:ksLBRxxF
御料所age
0139人間七七四年2008/07/17(木) 20:22:33ID:+40ZAqYm
足利将軍や信長を匿ったりしたよね
求められると嫌と言えない性格だったのかな〜
0140人間七七四年2008/07/17(木) 20:24:07ID:q86cL6uf
>>139
> 求められると嫌と言えない性格

妙にいやらしい
0141人間七七四年2008/07/23(水) 00:52:58ID:E8YLAs7n
狡猾だよね。
信長軍の朽木谷通過を許したのは、

@信長が足利将軍家の旗印を握っていた
A梟雄・松永弾正を使いこなす信長の器量を見込んだ

という2点が考えられる。

しかし、その判断力も関ヶ原ではやや鈍ったのかも知れない。
豊臣政権という絶対の存在、それに東西両軍の軍事的拮抗。
大谷吉継という抑え役が目の前に立ち塞がっていたこともあるのだろうが。
0142人間七七四年2008/07/25(金) 02:26:54ID:vG4RfHPH
>>141
それでも、息子を徳川将軍家に仕えさせて幕閣にまでなってるんだから、
立ち回りと言う点ではかなりの才覚をもっていると思う。
0143人間七七四年2008/07/25(金) 08:11:17ID:v5dv92iE
三成厨が朽木を批判するのを見ると笑えて仕方がない。
0144人間七七四年2008/07/25(金) 21:06:05ID:agzlzgJ2
ぬる木ぽと綱
0145人間七七四年2008/07/27(日) 08:40:49ID:BoKmNSCn
>>142
リカバリーが巧かったね。
しかし、家光に厚遇されたと聞くと……
0146人間七七四年2008/07/27(日) 23:00:52ID:LzjjNjk0
>>143
どんな批判です?
別に「豊臣家に忠誠を誓う=三成に忠誠を誓う」ことではないのに。
寝返ったことが許せないなら、東軍大名は総じて批判されるべき。
0147人間七七四年2008/07/27(日) 23:30:38ID:O9CAkoCd
>>146
読み違えしてない?
0148人間七七四年2008/07/29(火) 01:51:25ID:JwCfgDIu
朽木氏といえば、足利義晴の内談衆を勤めていたりするな。

西島太郎氏の戦国期室町幕府研究や朽木氏の研究論文をまとめた
著書が出ているが・・・・・やはり高い。
0149人間七七四年2008/07/31(木) 23:43:04ID:bb6adfe4
あの狭い朽木谷の高台の館に征夷大将軍が住んでいたとは驚愕
0150人間七七四年2008/07/31(木) 23:56:39ID:qK6BraY+
一度将軍が逃げ込んで以来、そう言う変な「格」が出来たからね。
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