石川の伊達出仕の件のソースは伊達日記だったか、相生集だったか忘れたが、
「弾正も政宗にご奉公するようにという清顕の意」ってな記述があったと思うが?
「清顕の死後は政宗に属すが、白石若狭(宗実)の配下とされたことを恨んで謀反」
というのが定説というか、このままの記述があったはず
これでも政宗の配下ではないと?

>>325で初めて相馬による乗っ取り謀略という言葉が出てるが、
俺がいつ相馬が乗っ取りを謀ったと断定してるんだ?
こういう可能性だってあるのに、それを無視して〜という意の記述しかしてない
そもそもあらゆる可能性を考慮すべきは言うまでもないことなのに、
全ての事象に対して決まったスタンスを持っていなければならないというような論理は理解出来んな
資料に基づいて語る以上、資料そのものが存在しない事象については、注意しなければならないのは当然だ
解らないことを推理するのはいいが、証拠がない以上は推定に過ぎず、断定は出来ない
これを逃げなどというお前の頭の方が心配だ


俺のスタンスとやらは単純明快だよ
相馬一行が三春で田村家臣に攻撃されたのは、政宗の陰謀である とは認められない
伊達が石川弾正を皮切りに田村を侵略しようとした とは認められない
田村家中の動揺に不信感を抱き、後継問題に介入したことは侵略行為だ というのは半分認める

で、早くソースを提示して、政宗による相馬一行襲撃と、田村侵略を立証してくれよ