秀吉の命令で金山が、
奥羽に惣無事令の周知徹底のために最低3回は通達に回っている。
奥羽の戦の和睦にも惣無事令が適用されている。
それなのに石川が知らないってのは有り得ない。
そもそも秀吉から石川宛の文書がないから、懇意の佐竹からの情報と言う形をとって遠慮して書いてあるが、
実際には多賀谷や片倉など家臣筋にまで通達が来ているのに石川に来ないと考える方が不自然だ。
葦名は本戦でも大半の軍が伊達との戦いを傍観して参戦しなかったのに片倉軍が瞬殺され、あっという間に14才の義広が突撃と言う最終段階まで圧倒され、伊達は敗北寸前に追い込まれた。
風向きが変わり、葦名兵の目に砂ぼこりが入るようになったから伊達はやっと勝てた。