>>162
言ってる意味がわからん。だから何?
>>163
また佐竹に接するエリア(北条までビビるのだから石川・岩城・二階堂・白河らも当然に惣無事令にビビる)
伊達以北では北条とつるんでる気になっている伊達が暴れているので
惣無事令が北条や佐竹周囲ほど深刻に受け止められていない。
相馬や岩城らも戦いたくないが止むを得ず戦っている。
これは豊臣大名佐竹とて同じ。牽制の為の出陣はしてる。それは伊達田村が惣無事令を守らない事が原因で
秀吉にもちゃんとそう説明をして逐次状況説明は欠かしていない。
1593年あたりから数年間は最上と小野寺が抗争←秀吉に臣従した豊臣大名同士の争いじゃん。
>>165
南部はその代償として花巻領や九戸領を秀吉から得る事に成功。
>>166
ひとたび数ヶ月誤魔化すために偽りの降伏したからと言っても、
降伏すれば介入され、まったく伊達の意向を無視はできなくなるのは道理。
その状況を脱する為に小田原で弁明する意図で参陣しようとしたが
政宗が秀吉の前に何言われるか恐れて参陣させないようにした。
>>169
葦名に関しては義広に器量なしとして蒲生をいれたに過ぎない(肥後の佐々の改易と同じ)
伊達は土下座したもののすべての努力が無駄になり天正18年から天正12年時点まで完全リセットで、
休むヒマもない戦の連続で無理してきた家臣団もタダ働きになり労多くして益ナシになり面目を天下に失った。