◆◆ 但馬の戦国時代について ◆◆
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0001人間七七四年
2007/09/03(月) 22:13:52ID:A5luq1hn0202人間七七四年
2009/11/30(月) 12:48:24ID:ps2fqJyV今川駿河守頼貞、桃井盛義、吉良貞家、仁木讃岐守頼勝、長駿河守道全あたりは
どうでしょう?
0203人間七七四年
2009/12/11(金) 09:20:06ID:Kt4G5/DE説もあるんですが、その辺どうなんすかね?
0204人間七七四年
2009/12/13(日) 17:57:41ID:AwhX90RF電話帳には伊達も朝倉もあるけどね〜^。
0205人間七七四年
2009/12/15(火) 00:29:33ID:iLdHLoSp垣屋は山名四天王の筆頭ですね。
>>204
朝倉は但馬が本願地(本貫地)ですからね。
伊達は小佐郷の一族の後裔なんでしょうか?
0206人間七七四年
2010/01/03(日) 14:47:33ID:sfdfLA410207人間七七四年
2010/02/14(日) 10:49:56ID:fDOudjlp0208人間七七四年
2010/03/20(土) 21:00:38ID:El+ozp2I0209人間七七四年
2010/04/18(日) 07:26:11ID:SD22qkXJ0210人間七七四年
2010/05/04(火) 20:45:23ID:eTZOylI2ちがうよ!
0211人間七七四年
2010/05/04(火) 21:10:35ID:iwwnPk8h渡邊大門著『中世後期山名氏の研究』
第一章 戦国期山名氏権力と守護代(19〜57頁)
第二章 戦国期山名氏の発給文書について(59〜89頁)
第三章 戦国期山名氏の内書と副状(91〜121頁)
第四章 戦国期山名氏の官途授与と将軍(123〜138頁)
第五章 南北朝期における但馬守護
― 長氏の動向を中心に ―(139〜157頁)
第六章 『山名家譜』所収の但馬国「円通寺文書」について(159〜171頁)
第七章 文明十五年における山名氏の播磨国侵攻について
― 十五世紀における守護権力の一考察 ―(173〜197頁)
論一 山名是豊関係文書について
― 花押形状の分析を中心に ―(199〜207頁)
付論二 早稲田大学中央図書館特別資料室所蔵
山名氏関係史料について(209〜215頁)
付論三 宿南保『城跡と史料で語る 但馬の中世史』(217〜221頁)
結(223〜238頁)
0212人間七七四年
2010/05/04(火) 21:13:33ID:eM1yII270213人間七七四年
2010/05/20(木) 21:15:52ID:moNeCLjw坂田真=マコリーノ=マルタ共和国の観光通w
検索してみろ、コイツが「( ゚Д゚)<でいし皿蕎麦はウマい!」って
何年にも渡って毎日どういう動機で書き込みしてたのか想像してみろw
人間とはなんなのか、分からなくなるwwwww
坂田真は大阪府と京都府の府県境に住み、通勤はおそらくJR島本駅?
会社は大阪市内、年齢は40代の独身w
収入は人並みにあるみたいだが、その年で結婚もせず食べ歩きが趣味とか
ホモ?若しくは著しく魅力に乏しい変人だろうねえw
まあ、はっきり言えばマルタはすばらしいとか、高尚なこと言ってても
ただの50ガラミの独身のド変態だw
40超えて人並み以上の収入があるのに結婚できん奴ってやっぱり
なんか裏にはげしいド変態なサイコな面があるんだなあって妙に納得w
坂田マコリーノよ、こんなことしとらんでハヨ結婚せえよwwwww無理だろけどw
0214人間七七四年
2010/07/19(月) 21:08:39ID:E7EZpg/b0215人間七七四年
2010/09/18(土) 15:41:02ID:8ADiITyW0216人間七七四年
2010/12/07(火) 23:25:46ID:iQ1Fae6Bでも杉原っていうのはいなかった。
0217人間七七四年
2011/01/03(月) 18:26:44ID:To+njutw0218人間七七四年
2011/10/07(金) 10:49:37.82ID:LgeKScnE0219人間七七四年
2012/04/01(日) 15:56:32.34ID:2aQi2qiA0220人間七七四年
2012/04/08(日) 16:37:49.62ID:006DBO4H0221人間七七四年
2013/05/26(日) 15:37:13.46ID:Kev0upH3羽柴秀吉軍との間で激しい戦いが行われた防己尾城1581年(天正9年)織田信長の命を受けた羽柴秀吉による鳥取城攻撃の際は毛利氏に与し、居城・防己尾城に拠って羽柴軍を迎え撃っている。秀吉軍の防己尾城攻撃は合計3回行われたが、
定勝は湖水が入り組んだ地形を巧みに生かしたゲリラ戦法で、
いずれの時も秀吉軍を撃退している。特に2度目の攻撃の際は、秀吉自慢の千成瓢箪の馬印を奪取するほどの大勝だった。
しかしその後は秀吉軍の長囲による兵糧攻めにあって落城する。城を出た吉岡氏一族は帰農した。
また、この一族から池田氏の藩政時に登用された者もいたが、明治維新以後は大阪などへ移住したため、鳥取県には吉岡温泉郷などの地名は現存するが、吉岡姓は少ない。
0222人間七七四年
2013/06/01(土) 08:47:29.14ID:crOfVRdj但馬山名氏家臣。
官途は美濃守。但馬朝来郡物部城に拠る。
1575年、織田氏に対抗するため山名氏と毛利氏との間の和約締結に
尽力した。
0223人間七七四年
2013/09/01(日) 11:00:56.38ID:dv8bhmd+渡邊大門著『中世後期山名氏の研究』
第一章 戦国期山名氏権力と守護代(19〜57頁)
第二章 戦国期山名氏の発給文書について(59〜89頁)
第三章 戦国期山名氏の内書と副状(91〜121頁)
第四章 戦国期山名氏の官途授与と将軍(123〜138頁)
第五章 南北朝期における但馬守護
― 長氏の動向を中心に ―(139〜157頁)
第六章 『山名家譜』所収の但馬国「円通寺文書」について(159〜171頁)
第七章 文明十五年における山名氏の播磨国侵攻について
― 十五世紀における守護権力の一考察 ―(173〜197頁)
論一 山名是豊関係文書について
― 花押形状の分析を中心に ―(199〜207頁)
付論二 早稲田大学中央図書館特別資料室所蔵
山名氏関係史料について(209〜215頁)
付論三 宿南保『城跡と史料で語る 但馬の中世史』(217〜221頁)
結(223〜238頁)
0224人間七七四年
2013/09/22(日) 16:26:07.84ID:AnC5gjXE備中高松城の水攻めを羽柴秀吉に献策したのは黒田官兵衛とのこと。
大河ドラマにちなんで備中高松城の水攻め復元模型を製作した。
http://mirai660.net/castle/
0225人間七七四年
2013/11/03(日) 12:16:51.66ID:7V71N04R0226人間七七四年
2013/11/04(月) 09:44:07.03ID:qkWdgj+B0227人間七七四年
2013/11/22(金) 14:43:42.31ID:A6clBTET出石(いずし)そばうまかった
0228人間七七四年
2013/11/24(日) 18:09:55.77ID:JdA0rXbs戦国期山陰の海賊。前歴不明であるが、但馬城崎郡の出身。
永禄12年(1596)6月、尼子再興をはかった尼子勝久・山中幸盛に
応じて隠岐に渡島し、さらに出雲忠山に上陸した。
元亀元年(1570)10月、尼子の船手大将として満願寺城を攻める。
天正元年(1573)、西方から山陰に進出した吉川元春に降伏。
同9年、山陰進出の豊臣秀吉が吉川経家の鳥取城を陥落させた際、
海賊行為のゆえに近隣の丸山城で自刃を命ぜられ、
10月24日、佐々木三郎右衛門らと自刃.
0229人間七七四年
2013/11/25(月) 13:44:33.19ID:jja7QeOi0230人間七七四年
2014/01/26(日) 18:23:44.33ID:7elr5IWY夜は餃子の王将で和田山ラーメンとビール飲んだな。
日が落ちてきたので竹田城を降りる時に小学校の裏側に出る道を選んだら以外と道のりが長くエラい勢いで山林が暗くなり急いで降りましたw
0231人間七七四年
2014/01/28(火) 18:36:34.55ID:/N1sF45F0232人間七七四年
2014/02/07(金) 23:29:47.70ID:BvMT0myEじっぷら、新スレ立ちました
【玉子】出石そばをたべよう 792枚目【とろろ】
http://kohada.2ch.net/test/read.cgi/liveplus/1391095723/
( ゚Д゚)<でいし皿蕎麦はウマい!
0233人間七七四年
2014/10/19(日) 16:54:26.81ID:Bsw3rRdA0234人間七七四年
2015/07/12(日) 00:52:13.91ID:AY5GSKdr0235人間七七四年
2015/11/14(土) 09:08:03.72ID:d/fMgx43■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています