戦国時代の髪型・装束・風習
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0001塩ビ形兜
2007/07/10(火) 21:59:40ID:q0U87XTi装束は繊細でデザイン性が高いが、実際はダイナミックでシンプルなモノが多い。
みんな直垂だが、裃はもっと後じゃろうか?
あとは茣蓙を敷いてない・膝立て座りをしない・女は眉を”マロ眉”にしてない…
などなどあるが、その他には何があるじゃろうか?
0002人間七七四年
2007/07/10(火) 22:00:50ID:nXpshcy20004人間七七四年
2007/07/10(火) 22:12:49ID:nXpshcy2「晴信殿」→「大膳大夫殿」
とか?普通、名前は使わないよな。
0005人間七七四年
2007/07/10(火) 22:59:37ID:Agk4qpSY諱は死後に呼ぶ名称で、生前にそれで呼ぶ事は失礼になる為
普段は、字や官位名で呼び合ってたみたいね。
0006人間七七四年
2007/07/11(水) 07:13:35ID:4u3wOXoi分かりにくいだろうから、名前が使われるのも理解できる。
0007人間七七四年
2007/07/11(水) 13:23:22ID:xT5tHgK30008人間七七四年
2007/07/11(水) 17:43:08ID:7WxMyYx0義信とかはね。
0009人間七七四年
2007/07/12(木) 20:38:23ID:s+Gqc6PK他がみんなちゃんと剃ってただけに。
0011人間七七四年
2007/07/13(金) 11:22:26ID:/ER3ApDf0012人間七七四年
2007/07/13(金) 11:24:27ID:uWHLoYvB0014人間七七四年
2007/07/13(金) 15:13:12ID:xK9vrB2iいつから月代やくのが一般的になったかは気になるがw
着物の流行に地域差は大きかったんだろうか?とか
考え出すと疑問はつきない。
0015人間七七四年
2007/07/13(金) 17:01:13ID:aoiSNoZWあと帯も前止め。
0016人間七七四年
2007/07/13(金) 22:47:59ID:ya7JNQhS特に女性とか。
0017人間七七四年
2007/07/14(土) 00:10:38ID:rHbTwx1j0019人間七七四年
2007/07/14(土) 11:01:05ID:n1qXEQwY0020人間七七四年
2007/07/14(土) 11:10:54ID:js20RIyj0021人間七七四年
2007/07/14(土) 15:56:23ID:zXqrvews違う種の髷してるよね。江戸時代に見るアノ形状の… アノ形の髷って何て言うの?
0022人間七七四年
2007/07/14(土) 17:06:35ID:KbGpTQ7Bそういえば名称知らないなぁ。
江戸時代の女の髷は種類もすごいし
時代差・身分差は勿論、地域差もあるし
(結ってある髷の形で既婚・未婚はおろか士農工商のどの出身かまで分かったという)
もちろん、名前の種類もいろいろと。資料も手元にあるが・・・。
002422
2007/07/14(土) 22:00:41ID:KbGpTQ7Bきにすんなw
あとネットで見られる参考資料
http://www.cosmo.ne.jp/~barber/kamigata.html
女子の髪型については庶民の分しか反映してないのがアレだが。
0025人間七七四年
2007/07/15(日) 00:40:35ID:lUKtdY5A実際は肖像画のお市や淀殿のようなオールバックだったんじゃないの?
0026人間七七四年
2007/07/15(日) 16:22:14ID:FtskhBfO0027人間七七四年
2007/07/15(日) 19:43:29ID:g2JefKnK平安中期から江戸時代初頭まで女性は一律「垂髪」(つまりワンレン)とひとからげにされているが
実際は前髪のととのえ方とか括り方で流行はあったようですね。
たぶんドラマの予算がない(源平合戦も戦国時代も使っているヅラが一緒)だからじゃないかと推測。
>>26
お市の方が肖像画通りのちゃんとした腰巻姿で出演したところ見てみたいです。
みんな適当な打掛でごまかすんだから。しかも真夏のシーンなのに。
0028人間七七四年
2007/07/16(月) 10:58:09ID:Nhbg/t/X「蜘蛛巣城」「影武者」「乱」とか見たけど、女性の装束や眉なんか肖像画みたく再現してたぜ。
「影武者」で、信玄の葬式のシーンでは飾り付けや衣装が全部白やったな。
昭和初期まで葬式は”死者が先祖になる晴れの日”って事で、白い喪服や飾り付けをしてたらしいが…
0029人間七七四年
2007/07/16(月) 14:56:05ID:NZ3HUK+x地域があるし神道だと普通に白だったりもする。
勿論神道でも黒を着る人も少なくないけど。
0030人間七七四年
2007/07/17(火) 12:05:42ID:6wQyBuKl欧米では黒ずくめ=喪服で、欧米化推進中の明治政府が宮中関係の葬祭行事から黒喪服を奨励した。
やがて民間にも普及。
でも、かなりの田舎に行くと今でも白づくめの裃を喪主が着るところとかあって、TVで見るとびっくりする。
横溝正史の映画みたいでちょっとひくw
ちなみに欧米で結婚式=真っ白となったのは「ゼクシィ」などに依れば意外にもビクトリア女王の結婚式からとのこと。
戦国時代ネタじゃないけど、昔ながらの豪華な霊柩車は首都圏京阪神ではほぼ滅亡したね。
0031人間七七四年
2007/07/17(火) 17:17:07ID:HAzj56zN0032人間七七四年
2007/07/20(金) 08:45:33ID:/Mkmg+jI0033名無しさん@そうだ選挙に行こう
2007/07/29(日) 05:14:37ID:5eBCqSSs0034人間七七四年
2007/08/02(木) 23:59:34ID:FNjuNz3U男でもおはぐろするのがハイソサエティの象徴だったようだが>戦国武将
0035人間七七四年
2007/08/03(金) 00:03:25ID:0A3TeX2lメニューでも用意しろつーの
0036人間七七四年
2007/08/11(土) 12:50:50ID:agnfUdPM男が髷を結い上げるのを女も模倣したそうだ。
当時は歌舞伎の元祖の出雲のお国が男装して一世風靡したり若衆歌舞伎が人気呼んだり
女は男性ファッションを模倣しまくりで、今は女性ファッションがリードしてる現代と真逆だね。
「田夫物語」でも美しい若衆に綺麗な格好させて花見や月見に連れ歩くのは風流で趣があり、
女はみっともなくて連れて行けないといってる。
でも襤褸の着物に荒縄を帯代わりに腰に巻き男に目配せする女は浅ましいとはキツイ。
戦国時代は女は栄養状態も悪いからちんちくりんで労働で真っ黒に日焼けして
戦乱で綺麗に装う暇もなかったんだろう。
上流階級の若衆は色白で絹をまとい優雅に和歌なんか詠んで殿と遊びくらしていた
のかな。
平和な江戸時代になってようやく女もおしゃれする余裕出てきたのだろう。
0037人間七七四年
2007/08/19(日) 04:22:53ID:9C+k1FRn0038人間七七四年
2007/08/19(日) 09:04:51ID:wJ6ZnDD20039人間七七四年
2007/08/19(日) 09:26:59ID:F0amaN6s安土桃山時代の垂髪に腰巻姿に描かれていることがあったけど後者が正解?
0040人間七七四年
2007/08/19(日) 10:10:03ID:k/BEnRqk火が髪に引火しないようにしないためって理由じゃなかったっけ?
0041人間七七四年
2007/08/19(日) 11:18:35ID:j4xVH0th作品によって色々な変遷を採用してるよ。
考証学者でも難しい時代なんだと思うけどね。
どういう過渡が正解とは言い切れないんじゃないのかな。
垂れ髪から大奥全員いっせいに髷になる作品もあるし、
春日含む奥女中はみな髷で、崇源院は垂れ髪なんて作もあった。
0042人間七七四年
2007/08/19(日) 14:38:57ID:hWrdwb05稚児髷も安土桃山時代のヘアーの絵によると後ろを膨らましたりいろいろ
バラエティーにとんでるね。
着物はもともとユニセックスな衣装だから性別がボーダーラインだね。
昔の絵巻で僧兵が武装して並んでいてその前に垂れ髪の若者の一団が着飾って
武装して並んでいて僧兵の一人が前に並んでいる人物のひとつに結った髪を
手にとってじっと見てる様子が描いてある。
学者は初め女性が武装してるとおもったが今は僧院だし稚児たちだと言う事らしい。
別の絵巻には武士が他の武士の眉を道具で整えてやっている。
中世は男色がいかに盛んだったかわかるね。
その垂れ髪を女も結うようになり結髪が250年の間にいろいろ変遷して
幕末になるとあの見慣れた形になるんだね。
丸顔の日本女性が一番美しくみえる髪型だね。
0043人間七七四年
2007/08/20(月) 08:57:50ID:CU0+DG2B藤原道長や清少納言の時代は平安初期の朝服と変わらなかったらしいね。
平安初期の小野小町は十二単姿で描かれていることが多いけど実際はこんな格好だったかも。
ttp://www.kobe-photo.com/img2/jidai2_77.jpg(時代祭の写真)
0045人間七七四年
2007/10/19(金) 12:20:51ID:C2sTad5U月代を焼くのが普通になったのはいつ頃からなんだろう?
『独眼竜政宗』の再放送を先日見ていたのだが
政宗が月代ヅラをかぶりだしたのはラストから数えて2回目ぐらい?から。
実際はもうちょっと早くから月代作っていたような気もするんだがなぁ・・・
0046人間七七四年
2007/10/19(金) 12:22:06ID:C2sTad5U0047人間七七四年
2007/10/26(金) 21:27:45ID:RiwP0QOO政宗や元就や信玄・謙信・義元らも方言でしゃべってないとおかしいんじゃない??
0048人間七七四年
2007/10/26(金) 21:43:41ID:MyaZmHkxま、それはともかくとして
大河ドラマでは
・島津は必ず鹿児島弁
・秀吉(+出演のある場合は大政所も)は必ずみゃーみゃー
ぐらいで、後は皆様共通語ですよね。
信長もみゃーみゃー言ってないとおかしいのに。
もっとも多国の大名で話し合うときは能狂言言葉だったかも。
0050人間七七四年
2007/11/04(日) 17:34:13ID:/lzeqIum上流階級の標準語がどんな風だったか非常に気になる。
0051人間七七四年
2007/11/05(月) 01:15:10ID:Nbjn+SO4水戸黄門じゃ桑名でもみゃーみゃー言ってたが…。
赤味噌を食う地域は全部みゃーみゃーだと思ってやがるな。
0052人間七七四年
2007/11/05(月) 14:35:47ID:9wZiROSWまーその辺まで正確にやろうとしたら
「平家物語」は戦国時代の発音だとフェイケモノガタリだし、
現代人から見ると何言ってるかわかんね、なドラマになるだろうから
仕方ないっちゃ仕方ない。
0053人間七七四年
2007/11/14(水) 16:09:30ID:vVl3M/4o当時はダテでなくてイダテと読んでいたと書かれてたなぁ。
0054人間七七四年
2007/12/15(土) 11:30:12ID:bUdvU6ak殿が評定やら政務する時って、略服のままだったのかな?
「葵」とか見てると、大坂城に出仕してるのに家康・輝元・利家らは略服のまんまって…
直垂か裃を着てたんじゃないのかな??
>>53
ほうほう。一般庶民には正確な読みは広がってなかったのかな?
0055人間七七四年
2007/12/15(土) 15:30:34ID:xJeNh5OO取っ組み合いの喧嘩になったとか聞いた事あるんだけど、
実際大名と家臣の間ってどんな関係だったのかな?
0058人間七七四年
2007/12/21(金) 21:58:13ID:Q3uPl+NO「やんぬる哉」とか。
0059人間七七四年
2007/12/21(金) 23:20:40ID:sl37jLxCその一方で葵スリーアミーゴスは外来語使いまくり、タイムワープしまくりだけど。
0060人間七七四年
2007/12/22(土) 15:06:13ID:JIUBGPXa0062人間七七四年
2007/12/23(日) 23:56:32ID:GfaifQD3江戸幕府成立後割と時間がたってからです。
身分の高い女性ほど遅くまで垂髪でした。千姫やら春日局やらお江与の方やらが
髷を結っているのは時代考証が間違っています。
0063人間七七四年
2007/12/24(月) 10:11:45ID:niFxF51O本当かな?上流階級は慣例を重んじるから安易に変えたりしないのかな
0064人間七七四年
2007/12/24(月) 12:35:58ID:0rZeqZtZ十二単(唐衣裳五衣)は礼服なので特別な行事がないと着ませんよ
江戸時代中期以降は公家の娘でもふつーの着物。
ただし、公家・武家・商家・農家などで服装には異なる既定があって材質や模様、衣替えの時期も違っていた。
0065人間七七四年
2007/12/29(土) 20:34:47ID:LaClHBGT結髪にしたんじゃなかったっけ。
大河の春日局だと、家康があぼーんして秀忠に政権が移行した途端、
おふくもお江与も結髪になってて違和感覚えた。
千姫だけは垂髪だったけど。
0066人間七七四年
2008/01/04(金) 01:04:44ID:kk4rBHcZ火がつくとすごい勢いで燃えあがったのだ!
と妄想してみる。
0067人間七七四年
2008/01/06(日) 19:50:52ID:QjGpI28f0068人間七七四年
2008/02/07(木) 23:48:26ID:7/1Xgao3垂髪で、左右のサイドの髪をすこし肩あたりの横から斜め後ろ下に垂らしてから
真中にもってきてまとめて丈長をかけ、下を何箇所か元結で結んで垂らしている髪型。
平安式の垂髪よりも好きだ。
0069人間七七四年
2008/02/08(金) 00:08:55ID:+0C09urU>時代考証がまちがってます
>違和感を覚えた
自分はそのへんのところは、もう大目にみることにしている。
きりが無い。
0070人間七七四年
2008/02/10(日) 05:57:50ID:AlN22exXそれは十二単ではなく多分うちぎ(変換できず)姿のことだと思われ。
袴つながりで戦国時代の女性も袴姿が主流だったらしい。
座り方も正座ではなく立て膝座り。
0071人間七七四年
2008/02/10(日) 12:34:11ID:5eiK8xjAコレは正解。ちなみにうちぎは「袿」と書く
>戦国時代の女性も袴姿が主流だったらしい
コレはダウト。女性の袴は戦国時代には公家でも公式行事にしか着られない物となる。
江戸時代の中期以降になると大奥の制度が諸大名にも普及し、正月は大名正室は袿袴姿が正装となる
コレは将軍の正室には公家出身者が多かったことが理由でしょうな
>立て膝座り
コレは正解。安土桃山時代の着物は今の着物と違って前幅の割合が広め
なので立て膝座りでも裾がひらひらしてあそこが丸見えということはなかった。
高台院の肖像画などを見ても膝の部分が縦にぷくりと膨れている
0072人間七七四年
2008/02/11(月) 12:57:46ID:yFNKFt6Qフロイスは正座(足を揃えて後方に向け云々)のことをを指摘しているからなあ。
戦国時代にも正座はあったとみるべきじゃね?
0073人間七七四年
2008/02/11(月) 21:48:13ID:hbupUSrUでも高野山(だっけ?)に残っている勝頼親子3人が描いてある絵では
北条夫人は袴はいてるよ?どうみても公式行事の場ではなくて
もっとくだけた感じの場。
確かこの絵が当時のものという裏づけのひとつに彼女の袴姿に
立膝姿というものが衣装考証にあっているというのがあったと思う。
着られないものになったといってもあれだけバラバラになっていた
戦国時代だもん、京都でそうだからといって袴に限って全国的に
そう統一されるのってちょっと無理があるから家によっても
また違っていたのかもね。上流夫人になると移動は輿だったとはいえ
よほど深窓の女人でなければ馬に乗ることもあっただろうし。
袴も種類があるから種類によってはOKだったんじゃない?
>>72
立膝座りは女性に限った話。だから正座を否定してる訳じゃないと思うよ。
0074人間七七四年
2008/02/11(月) 22:52:17ID:du4b+/uFこの絵か?
http://www.reihokan.or.jp/syashin/images/photo_03.jpg
小さいので、詳細が分かりにくい・・・
0075人間七七四年
2008/02/12(火) 01:56:09ID:JfrItcIEフロイスのは、(高貴な)女性の座り方の話だよ。
まあ誇張して書く事が多い奴だから、鵜呑みには出来ないけど。
0076人間七七四年
2008/02/12(火) 23:26:36ID:7/y6O7re勝頼、北条夫人、信勝の三人の肖像は
生前の勝頼の意志で、武田壊滅後高野山に上げられた経緯がある。
>この絵が当時のものだという裏づけの一つに
・・・衣裳考証があっている
その衣裳的に云々以前に、当時のものだという根拠があるのだが。
高野山内に残る遺品目録に「寿像」とあり、
何年何月に、誰が持ち込んだか等の書状も残っている。
>北条夫人は袴はいてるよ
うーん、すまないけど自分の目には袴には見えない。
柄が入っているので、やはり小袖に思える。
袴の描き方とは違うように見えるけどね。
0077人間七七四年
2008/02/13(水) 17:37:55ID:1by5GJvG横から失礼だけど考証を行ってその根拠が確かなものかどうかを
確かめるという過程がある。考証もせず何でもかんでも
認めるというのは危険なこと。73も裏づけの一つときちんと
説明しているのだから指摘するほどのことでもないような。
北条夫人の袴について自分はテレビで以前やっていたのを
見た記憶があるのだが・・・。
0078人間七七四年
2008/02/13(水) 18:42:35ID:HOmy2/cP柄入り袴って例がない、というか実はもんぺなのかも知れないw
だいたいこの肖像画自体が家族3人が列記されるなど異例の寿像だしね
0079人間七七四年
2008/02/13(水) 18:42:58ID:HOmy2/cP0080人間七七四年
2008/02/13(水) 20:12:45ID:1by5GJvG別に白黒付けたくてレスしたわけじゃない。
0081人間七七四年
2008/02/13(水) 22:01:13ID:wMMMhloD悪気があった訳ではないと思うから。
ちょっと話はずれるが、
袴と言えば当時の袴は今の袴と違って股の下が縫いつけられていなかったというが、
あれは男(具足)限定なのか、それとも女性の袴も含めて全部そうなのか、
わからないのだが、知ってる人いますか?
0082人間七七四年
2008/02/16(土) 08:44:58ID:Hl0/i8Wg当時の女性の袴が残存してないから謎 絵画史料ではそこまで分かる物はなかったと思われ
ちなみに公家の女性の袴(ねじまち袴)は股の下が縫いつけられているのだが
トイレはどうしたのか気になるところである。
豪華な漆器製のおまるを使っていたとか聞いたことはあるがどこから差し入れしたんだ?
0083人間七七四年
2008/02/16(土) 12:28:09ID:bb7I05YH0084人間七七四年
2008/02/16(土) 21:45:15ID:PI4T8vVO女性が内掛けを普通に着ないで、腰の所で上半身部位を帯に折り入れてる(?)
何か”ヤッコ凧”みたいな状態の着方は日常だったの?
0087人間七七四年
2008/02/17(日) 13:50:30ID:rNbq61jN高級武家女性の夏の正装とされる
http://www.iz2.or.jp/fukushoku/buso_img/103-a.gif
形を変えつつ江戸時代まで武家女性の夏の盛装となって残ったが
http://www.iz2.or.jp/fukushoku/kosode_img/127-a.gif
幕末を迎えるより前に廃絶したらしい。
008884
2008/02/17(日) 18:22:09ID:au3hsIhBよく知らんのだから、しょうがないでしょうよw
>>87
サンクス。
一昨年の「功名が辻」の、北ノ庄落城の回で大地真央が
腰巻状態で正座してるシーンが、一瞬だが映った。
「やっと再現したかw」と思ったけど、45年の大河の歴史で再現したの
アレだけだったんかな…
0089人間七七四年
2008/02/23(土) 23:05:10ID:dnsWndm9髪にかけているアレね)って白がいちばん多いけど、紅とか絵柄の入った物とか
もあるよね?
あれってどういう基準で選んでいるのかしら?
大河ドラマでは、大名の正室格の姫君が白、側室以下の者は白以外というパターン
が多いような気がするけど。
0090人間七七四年
2008/02/25(月) 13:40:28ID:BV6bAhV/女性の着物についてです。
友禅の発祥は江戸時代とどこかに書いてあった記憶がありますが
この時代、文様を染め抜いた反物(小紋等)ってもうあったんでしょうか?
あったとして「織り」じゃなく「染め」の着物って
普段にも用いられるものだったんでしょうか?
具体的にはある程度以上の身分の女性が、染めの着物を着ていたかどうかを
知りたいのですが……
あと、この頃にも着物を仕立て直す際には「洗い張り」とか
してたんでしょうか?
0091人間七七四年
2008/02/25(月) 22:14:21ID:qUbfwzBx手間がかかるため大名や富裕な町人など金持ちしか着られなかった模様
0092人間七七四年
2008/02/26(火) 00:59:50ID:v9/tkGBCありがとうございます。
仕立て直し・洗い張りについてもご存じの方があれば
教えて頂けると助かります。
多分仕立て直しは普通に行われていたのではないかとは
思うのですが……
0093人間七七四年
2008/02/26(火) 01:21:44ID:a2mOMmkdそしてなんというか、妙に女の子ちっくな服がたくさん……
いや、単なるおしゃれさんだよな。そのはずだ。うん。
0094人間七七四年
2008/02/26(火) 10:18:09ID:IgcaraWP謙信が神格化されていたとはいえ、新潟→会津→米沢という怒濤の転封の中で
アレをなくさずに引っ越しできたのはすごい。
かなり派手なのは
「安土桃山時代だから」
「尾張のお猿さんだって当時の屏風を見ると派手な服を着ています。まして謙信様なら(ry」
と よ い よ う に 考えるようにしましょうw
・・・でも、謙信様、出家の身だったのに派手な服はOKだったのかな?
>>92
仕立て直しは た ぶ ん あったと思う。
仮定でしか言えないのは、ともかく衣類は残存例が少ないから。
いま残っているのは上の謙信の例のように特別な人物の衣服を寺社仏閣に奉納したものなど、かなり特殊なのだ。
当時は布は今とは比べ物にならない貴重品だったことを考えると
仕立て直しを重ねてぼろぼろになるまで着古したと考える方が普通だろう。
0095人間七七四年
2008/02/26(火) 16:22:50ID:eWutXr6r仕立て直しという例ではないが、
戦国を生きた女性の語り聞き伝えという、有名な「おあむ物語」で
子供の頃に作った小袖を、丈が短くなっても着続けたという描写が。
おあむは決して下層武士の娘でもないのにそう伝えている。
新調できる層なんて極くわずかだったのだろう。
武家の娘であれ、庶民であれ、裁縫は必須。
上層階級は家臣に下げ渡す衣類も多かったと思うが、
普通は雑巾にするまで布は活用する。
幕末になるけど、
和宮が幼少時代、母実家の橋本家にいた頃は
当時の中級公家にありがちな「お手づまり」で
着物はほとんど仕立て直しだったという記録が残っている。
0096人間七七四年
2008/02/26(火) 23:08:03ID:em0PzNWlそうだよね……>布は超貴重品
当時は紙衣とかも用いられたんでしたっけ。
実際布は雑巾になるまで使い倒す、というのは
古い時代のみの話ではなく、昭和も戦前はそうだったですよね。
0097人間七七四年
2008/02/26(火) 23:51:35ID:a2mOMmkdそもそも「洗い張り」ってものが良くわからんのですが
洛中洛外図などの風俗画では、おばちゃん層がほぼ決まって
反物状の布を干しているように思う。
ひょっとしてあれを洗い張り……と呼ぶのだろうか。
こんな感じ。
ttp://www.asahi-net.or.jp/~fv2t-tjmt/daihyakuichidai
0098人間七七四年
2008/02/27(水) 01:34:19ID:oZeSIBZv乾すときも、板に張り付けたり、ハンモック状態にしてサイドを竹ひごなどで張ったり
当時の洗剤はアルカリ性である灰や、
サポニンが含まれてるクロモジやノササゲなど。他に叩き洗いなど
朝鮮では白を重んじてたので、さらに人尿をつかってた
0099人間七七四年
2008/02/27(水) 01:41:35ID:oZeSIBZv摂っても魚由来だから、脂汚れは比較的簡単に落ちてたと思われ
石鹼使用は明治から
0100人間七七四年
2008/02/27(水) 12:01:32ID:B+M3GrU8今「風と雲と虹と」のDVD見てるんだけど、あの時代も然る事ながら
昔のしゃべり言葉は、どんな風だったんだろう??
0101人間七七四年
2008/02/27(水) 17:24:55ID:h9Sh6OPJ宣教師の書いた『日葡辞典』
ただし、発音は九州の方言を反映している可能性が高いようですが。
0102100
2008/02/27(水) 18:36:03ID:9HG8mxp90103人間七七四年
2008/02/29(金) 00:52:08ID:s/LpNI1/東北に親の田舎が有るんだが、婆さんと喋るときには通訳が必要になりますw
0104人間七七四年
2008/03/01(土) 08:15:07ID:NSQ/moCW訂正:クロモジ→ムクロジ
すまぬ、ちなみにムクロジは袈裟を洗うために仏教と一緒に来日し、
戦後辺りまでは使用してました。
現在でも旧河川などに生えてる所もあります。
0105人間七七四年
2008/03/01(土) 11:26:18ID:3wweDoXDそうだよね……黒文字が石鹸代わりになるのかと
すげえびっくりしてたとこだ。
0106人間七七四年
2008/03/01(土) 13:01:21ID:2F0Xq/XY0107人間七七四年
2008/03/01(土) 13:05:43ID:2F0Xq/XY0109人間七七四年
2008/03/05(水) 22:08:50ID:U3sFYXJQ0110人間七七四年
2008/03/05(水) 22:51:44ID:OikdcoOC0111人間七七四年
2008/03/05(水) 23:22:05ID:U3sFYXJQ0112人間七七四年
2008/03/06(木) 00:57:39ID:BxtwH6J/「馬甲には金箔を張り付けろ、剥がれてたら処罰(意訳」
0113人間七七四年
2008/03/10(月) 14:07:02ID:ZnjHkrtZドラマとか見ていると幼い頃から許嫁が決まってて
顔も見ずに輿入れ、みたいな描写がままあるけど
あらかじめ紹介されて行き来して、みたいな
「おつきあい期間」はなかったのかね。
0114人間七七四年
2008/03/10(月) 16:38:45ID:4V+ZJqy4結婚相手は政略結婚のため、諸般の事情で土壇場で相手変わることもあったと思われる。
下っ端の武家なら結婚前に顔ぐらいは見たことあったかモナー
つか夜這い結婚だったりしてw(秀吉とねね(おね)はこれだったといわれている)
0115人間七七四年
2008/03/10(月) 16:56:14ID:dD/jTQcrあと近親婚が圧倒的に多いし、家同士が社会的な運命共同体でつき合いが深いので、
顔見知りだった可能性は相当高いと思うぞ。
戦国期の中小武士だと、
やはり婚家同士の繋がりを期待する場合もあるけど、
利家みたいに家が没落した幼なじみを娶る場合もあるので、
比較的自由が利いたと思う。
大身になると家臣とはいえ政略婚が多くなるだろうけどね。
0116人間七七四年
2008/03/12(水) 10:49:33ID:9akCCcDn大名クラス同士の結婚で婚前に顔をあわせてる(と思われる)人って
京極高次とお初(幼少の頃ともに小谷城内で過ごす、北ノ庄でも面識?)
宇喜多秀家と豪姫(秀吉の養子養女同士)
くらいしか思いつかない。まぁこの人たちの場合は特殊か。
0117人間七七四年
2008/03/15(土) 00:20:05ID:d5ctTWCF戦国時代とはいえやっぱりある程度以上の格の家だと
政略結婚が普通なんだね。
まあ自由恋愛はないかな?と思ってたけど、
格下の家へ娘を嫁に出すとかもないんだ。
こういう風俗って小説やドラマ見てもあまり描かれてないし
本当よくわからないことばっかりだ。色々教えてくれてありがとう。
0118人間七七四年
2008/03/17(月) 20:59:00ID:aSn5fa1Y0119人間七七四年
2008/03/17(月) 23:48:46ID:bf12IUP/というか結構メジャーな手段だよね。
0120人間七七四年
2008/03/18(火) 07:44:23ID:stXISh+u信長の場合は褒美って感じだよな
そのあたりにはあまり恋愛は混じり得ない気がする
0121人間七七四年
2008/03/26(水) 12:23:15ID:MMIdHQFOこの時代(というか今でもそうだけど)、
墓地(草場?)は村や町からは離れた場所にあった、でおkですか?
また古くは風葬が行われていたそうですが、戦国時代の主な方法は
やはり土葬でしょうか?
0122人間七七四年
2008/03/26(水) 23:37:35ID:mKQD9BDW細川幽斎なんかは荼毘に付されてる。
0123人間七七四年
2008/03/27(木) 13:18:53ID:5FIJLJpz0124人間七七四年
2008/03/27(木) 16:01:11ID:DgSvKxoEそうでもないのかな。
そういやこの時代、信仰ってどのくらい盛んだったんだろう……
0125人間七七四年
2008/03/27(木) 16:41:27ID:b1PTXM85京ではその一向宗と互角に争った法華宗
戦国時代後期に海外より乱入したキリシタン
今の日本人よりずっと信仰熱心です
熱心が過ぎて今のイスラム過激派より危険かも知れない 本当に(ry
0126人間七七四年
2008/04/09(水) 00:46:59ID:2iXO1UIlこの当時の婚礼って花嫁の輿は夕刻に出立だよね?
これ遠方の場合もやっぱり夕刻出立?
だとすると夜を徹して歩くの?
それともどっかでやっぱり一泊するの?
その時打掛は着っぱなし?
0127人間七七四年
2008/04/22(火) 04:28:35ID:imzn78XM当時の結婚については地域や身分によってバラツキがあったといわれている。
主な種類は嫁入り婚、婿入り婚、足入り婚など。
結婚式自体も一日ではなく三日間。自分が読んだ本によると
武家に多かった嫁入り婚の場合、
初日は夜に相手方の家に入って身内近しい親類だけが集められ
彼らの前で杯を交わしてそのまま床入り。
二日目は仏壇参りしたり一門衆や重臣などへ披露目と挨拶。
三日目に今で言う披露宴にあたるものがあって身内や一門以外の人に
お披露目でこの時嫁ぎ先が用意した色のある着物に初日以降初めて
袖を通す。(これがお色直しの本当の由来らしくそれまでは白い着物だけ
だったらしい)
なぜ三日かというと平安時代の婿入り婚の風習(3日通って結婚したと
みなされる)の名残らしい。
花嫁の輿が夕刻に経つというのは結婚式が夜行われたためだから
遠方などはそれに限らず。ただ、夕刻〜夜に入るのが習慣だったため
きちんと調整はなされていたようだよ。
夜は凄く危ないから歩かない。山賊などに襲われたら洒落にならない。
だから夜は宿を手配したりしてそこに泊まって、明るくなったら
また移動の繰り返し。
打掛についてはそういう記録がないからよくわからんけど
遠方に行く場合は輿に乗る時でも旅衣装だったともいわれるし
腰巻みたいな着方もあったし打掛といっても当時の打掛は
江戸以降の打掛と違ってかなり軽く仕立ても袖が短めだから
長く着ていてもそんなに苦痛ではなかったんじゃなかろうか?
輿の中で袖を落とすぐらいのこともできるだろうし。
0128人間七七四年
2008/04/25(金) 15:47:19ID:O8cvH4Fcこのスレちょっと前に専ブラでエラー出てたから
落ちたのかと思ってた……
>初日は夜に相手方の家に入って身内近しい親類だけが集められ
>彼らの前で杯を交わしてそのまま床入り。
>二日目は仏壇参りしたり一門衆や重臣などへ披露目と挨拶。
>三日目に今で言う披露宴にあたるものがあって身内や一門以外の人に
>お披露目でこの時嫁ぎ先が用意した色のある着物に初日以降初めて
>袖を通す。
もし良かったらどの本か教えて貰えますか?
自分が読んだ「中世武家の作法」では
婚礼の夜は新郎新婦と給餌の侍女だけとあり
舅や一門との対面は三日目と読めた。
色直しについては同じ。
時代が違うのかも知れないね。
0129人間七七四年
2008/04/25(金) 21:49:13ID:E/idthjs俺も興味有るから、是非127には返答して欲しい。
0130人間七七四年
2008/04/27(日) 18:59:50ID:rspcRDLP0131人間七七四年
2008/04/30(水) 00:04:48ID:s0NZgXK+http://www.nobunagaou.com/hidari/siro/1i/img/024.jpg
このスレ住人的には九鬼水軍ハワイ発見説を提唱しておくかw
0132人間七七四年
2008/05/06(火) 23:28:47ID:V2dBm9mH>>131
俺には「あ〜は」に見えるw 『永ちゃん信者説』も入れてくれw
0133人間七七四年
2008/05/06(火) 23:47:14ID:6k25sZSR習慣的なレズはいなかったんでは無かろうかと予想
もちろん真性のレズな方はいつの時代でもいらっしゃるかと思います。
0134人間七七四年
2008/05/07(水) 21:29:43ID:MBqVhdaC0135千葉御寮人 ◆/f5P9yVF6Y
2008/07/28(月) 01:11:51ID:Mu4N5H+wおかしくない?
庶民ならともかく、将軍家に生まれたような身分の高い姫が江戸時代初頭の頃に
既に髪を結いあげているなんて変だと思う。
0136人間七七四年
2008/07/28(月) 12:12:42ID:5atP7jH9http://www.city.joso.lg.jp/uploads/photos0/17.jpg
0137人間七七四年
2008/07/29(火) 06:01:07ID:XPxuX4ny中性的でかわいいね
0138千葉御寮人 ◆/f5P9yVF6Y
2008/07/31(木) 19:15:45ID:a6oGl1FCありがとう。人形の姿は本当にこれとそっくりだね。
もしかするとこの絵もお市の方の肖像画や伝淀君画像の絵みたいに
没後に描かれたものなのかな
0140人間七七四年
2008/11/04(火) 03:03:57ID:lvSfAtDW(荒縄かなんかでこすりおとしてたのかなって勝手に想像していた)
へらみたいなのなら、これでウンコをこそいでたんだなって想像しやすいのだが
なんか割り箸みたいだった。あれで肛門まわりのウンコをきれいにそぎ落とせるのか?
バランス崩したら肛門にブッスリ刺さりそうだ。
有名な武将でお尻棒を使っていたとなると、紙で尻を拭けるのは天皇や将軍くらい?
0142人間七七四年
2008/11/07(金) 01:23:17ID:ewBf79HG戦国時代の人もあんな感じにゆっくり喋っていたのかな?
0143人間七七四年
2008/11/07(金) 17:44:43ID:/OHXV1hu棒ペーパーは籌木ちゅうぎ、ですね。飛鳥時代には使われていたようです。
モモソヒメが夫が蛇である事に気づいて驚いて腰を抜かしたところ箸でアソコを突いて死んでしまった。
と古事記にあるが、これは籌木ではないかとする説があるそうですよ。
>>142
武士はゆっくりはしゃべってなかったのでは?
早飯早グソが理想ってくらいですから。
0144人間七七四年
2008/11/08(土) 01:21:56ID:phj29gQm例えば都会の人のほうが、あるいは金融業界の人のほうがそうでない人に比べ
話すスピードが速くなりがち(個人的な印象ですが)
というわけで馬が最速だったこの時代、今から比べるとゆっくりした話し方だったのでは…
0145人間七七四年
2008/11/08(土) 17:58:33ID:SNGJxExE武家に限らず農村・街の様子も知りたいです
本屋で図説を見付けても、平安・江戸ばかりで切ないorz
0146人間七七四年
2008/11/08(土) 22:17:34ID:krpK2Y6pところが、能は現在の3倍速で上演されていたという説がある。
当時の日記等を見ると、今では考えられない程大量の演目を一日でこなしており、
その上演時刻等から計算するとそのスピードになるそうな。
しゃべり方も現在の平板口調ではなく
当時の京言葉のアクセントであったという。
こちらは能を習っていたとある田舎者がいちいちアクセントをメモっていたことから
判明したそうな。
で、そんな「秀吉の見た能を再現する」て企画の映像を見てみたんだが
かなりノリノリな舞台。正直な第一印象としては
ttp://www.hikkoshi-sakai.co.jp/cm/
↑の最下段左の「エレベータ篇」だった。
秀吉が好きそうではある。
0147人間七七四年
2008/11/08(土) 23:41:46ID:qOkrVdaC0148人間七七四年
2008/12/02(火) 01:36:06ID:6k9AU0yFあと、やっぱり京言葉が標準語だったんだね
今の劇でも一般的には方言を使わないようなもんということだよね
その映像見てみたいなあ
0149人間七七四年
2008/12/06(土) 23:21:24ID:A6mqTnKs昔、ケーブルTVでやってた「放送大学」で見たんだが
ちょっと調べたところ、当面再放送やweb配信の予定は無いようだ。
「秀吉が見た能 〜卒都婆小町の復元〜」
でググると若干資料が出てくるけど
販売ビデオは\20,00だとか……
(それと上演スピードは今の3倍速ではなくて2倍らしい。嘘を言ってスマン)
0150人間七七四年
2008/12/12(金) 17:11:35ID:cTeOYcltブログなんかに載っている感想をみると、娯楽的要素が強く感じられるようだね
楽しく観られるものの感性はそんなに変わってないのかもね
再放送を待つとしよう…
0151人間七七四年
2008/12/28(日) 19:11:55ID:LTpbX4Vf0152人間七七四年
2008/12/30(火) 18:08:43ID:fCHwHQi1こちらは秀吉セルフプロデュース能「柴田」の台本
ttp://www.kanazawa-bidai.ac.jp/~hangyo/utahi/text/yob16.txt
どんなもんかと思って読んでみたら
エンターテイメントであり、かつ政治的プロパガンダでもあり、その上
死者への鎮魂をテーマとしつつお市の方萌えまでもが織り込まれた恐るべき芸術作品だった。
てんか様スゲーよ。
0153人間七七四年
2009/01/15(木) 23:59:57ID:FTkBYL6Jでもいまいちおもしろいと思えないんだよね…
歌舞伎は結構な割合で楽しく観れるんだけど
0154人間七七四年
2009/01/18(日) 13:17:55ID:vB2+C35y言葉や風俗なら断然、狂言のがよくないか?おもろいし。
能も演目次第では全然つまらんのは確か
立ち回り系の五番目物や源平系はたいてい面白いが
0155人間七七四年
2009/03/27(金) 22:16:30ID:0YXSHewQ0157人間七七四年
2009/03/29(日) 02:28:05ID:XCFH8vSE3倍速というのは興味深い。
自分的には、現代のあのゆっくりさは勿体つけてる・・・というか、
武家の式楽となり、民衆には無縁のものとなったこともうけ、
高尚で幽玄の世界を強調しようと、だんだん遅くなったのでは?
などど憶測。
でも同じ芸能のなかの平家琵琶だけど
薩摩などではなく古い曲調を伝承しているとされる流派を聞くと
もうとーっても遅い遅い。現代能楽なんてまだ早く感じるくらい。
「祇園精舎の鐘の声」だけでも1分間以上かかったするので
やはり昔々の芸能はそういうモノだったのだろうか・・・とも思う。
0159人間七七四年
2009/07/22(水) 20:41:42ID:ZNOpOFaH鎧直垂のほうが金銀の糸使って豪華に見えるぐらいですかね。
構造や材質の違いみたいなのはあるのかな。
この写真のは鎧直垂ですか?
http://deai.mokuren.ne.jp/up/src/up0744.jpg
0160人間七七四年
2009/07/23(木) 04:04:58ID:8JGMJkyq鎧直垂は通常の直垂に比べて、運動性を良くする為袖口が狭くなっている。
その画像はおそらく鎧直垂だね。
0162人間七七四年
2009/07/25(土) 03:22:09ID:/eDLlJ+l色んな時代の衣裳の変遷を人形にしてて考証的にも優れてたんだけど
今はすっかり源氏物語の世界のみになっちゃったから、残念。
いや、あの源氏の世界を表現も素晴らしいんだけどね。
0163人間七七四年
2009/07/25(土) 10:28:36ID:A4fCxlZCこれって大鎧の下に着る奴?それとも当世具足の下着?
0165人間七七四年
2009/07/25(土) 12:38:26ID:2O4W36Dz0166人間七七四年
2009/07/26(日) 08:10:22ID:u1BkhfKdそれ以前には上半身だけを覆う服は、日本にはなかったように思うのだが。
0167人間七七四年
2009/07/26(日) 23:29:26ID:/Ghimxaf0168人間七七四年
2009/07/26(日) 23:48:09ID:2veQVmo10169人間七七四年
2009/09/10(木) 20:06:29ID:9mAFEbD30170人間七七四年
2009/09/10(木) 21:16:07ID:3XCFTtFy鎧の違いがよくわからないね。
しかし源平の戦って関ヶ原の約四百年前?
関ヶ原の四百年後は今だから、それを思うとすごい。
0172クソババア
2009/09/30(水) 00:39:38ID:WqI8/bQiいつから垂れ髪が結いあげた髪型いわゆる日本髪に変わっていくのか。
織豊期〜江戸中期頃の絵巻物なんかを見ると、過渡期だったみたいで、
庶民の中にも垂れ髪の人と簡素な結髪の人が混在してる。
もっと時代が下っても、普段は結っていても改まった場では垂れ髪だったり
するらしくて、面白い。
0173人間七七四年
2009/09/30(水) 01:25:46ID:PHkTvMbkただ、戦の時に兜をかぶる頭が蒸れないためで、戦が終わればまた伸ばした。
一般庶民が剃りだしたのはいつ頃なんだろうか?
農民とかも現代人が髭を剃る感じで頭剃ってたのか?
あと、幕末の写真見ると武士の2〜3割位は総髪だよね。
総髪はどんな位置づけだったんだろ?
0174人間七七四年
2009/09/30(水) 01:33:30ID:uSEJmET2本番NGですか?
0175人間七七四年
2009/09/30(水) 03:36:17ID:OCBB9Ev5> 一般庶民が剃りだしたのはいつ頃なんだろうか?
江戸時代。武士の風俗が庶民にまで広まった。
あと総髪に関しては、それこそ人それぞれって感じだったらしい。
ただ、月代は手入れに手間がかかるので、月代をそっていたほうが「きちんとした身なり」と
見られたのは確からしい。
0176人間七七四年
2009/10/05(月) 23:29:56ID:u1Len+A8袖は短くて小さいし・・・
ああいう点を忠実に再現してる創作物ってあんのかしらん
0177人間七七四年
2009/10/06(火) 00:07:52ID:ZqPIOsMo平安時代(?)の直垂を着せてるそうなんだけどそれってあり?
>上杉家の人々は、他家の武将たちとは少し違い、流行遅れの直垂を着て正装している。
>ちなみに、彼らが着ている直垂は平安時代のもので、独自の文化を大切にし、流行に
左右されない家風が表現されているのだ。
http://www9.nhk.or.jp/taiga/topics/catalog04/cata04_01.html
いくら文化の変化が緩慢な時代だからって四百年前の服装できるもんか?
流行遅れとかってレベルじゃないよね・・・
0179人間七七四年
2009/10/06(火) 08:44:24ID:/GHU4nUMhttp://blog.shop.ishidaya.biz/images/hitatare2.jpg
裾に白い紐を通したのは、義経が陣中で用いたということから
「義経袴」というそうだけど、それなら平安時代の武士階級が
すでに普段着てるのも変だな。
0180人間七七四年
2009/10/07(水) 14:35:38ID:krlH7wVoちょい亀レスだがルイス・フロイスの手記から。
日本では娘達は両親に断りも無しに幾日でも外出する。
尼僧院は殆どが淫売婦の巣窟となっていて、彼女等は時々陣立てに出かける。
日本の女性は処女の純潔性を重んじない。
それを欠いても名誉を失わず、結婚にも支障がない。
フロイスには日本はフリーセックス大国に見えたんだな。
0182人間七七四年
2009/10/10(土) 01:58:20ID:VVuPhLJJ0183人間七七四年
2009/10/10(土) 11:16:25ID:ofqIiZVX「たち君」
客引き役と二人一組で商売する。小屋もあったが川原などでもした。
「つじ君」
路地に粗末な小屋を構えて商売した。現代の「ちょんの間」である。
「白拍子」
巫女さんの衣装を着た。もともとは舞妓だったが生計が苦しかったため、
体を売った。プレイの前に舞いを見れる特典付。
「比丘尼」
尼さん売春婦。尼僧院は現代の風俗店に近い。
戦場へ出張サービスも度々おこなった。
「傀儡師」
人形使いだけでなく一般の大道芸人。
金に困ると芸の後で男を誘う。
「朝妻船」
琵琶湖の近くの朝妻湊に小船を持っていた。
誰にも邪魔されずにゆっくりプレイできる。客に身分の高い武将が多く、
現代の「会員制秘密クラブ」
0184人間七七四年
2009/10/10(土) 11:58:01ID:ofqIiZVX「御陣女郎」
集団で戦場を渡り歩き仮店舗を造って営業した。
一晩でできるだけ多くの武将を相手にするため、脱衣のスピードはもちろん、
男を速くイカセル性のテクニックはすごかったという。
くの一が修行のためにここに身を置いて修行したとか・・・・
で、戦場で貧乏な一般雑兵はどうしたかというと、「春画」を持参した。
この画は縁起をかついで「勝ち画」と呼ばれるようになった。
0185人間七七四年
2009/10/10(土) 12:06:09ID:hpLivnCfと聞こうとして必要無いことに気がついたw
0186人間七七四年
2009/10/10(土) 12:31:27ID:LlvEMopDその風俗については
大河板でも「あまりに変すぎ」って意見が一致したのでは。
>>183
そういう売女の呼称や特徴は「戦国時代」と限ったもんではないんじゃ。
傀儡は平安時代からあるものだし、白拍子は平安末期から江戸時代までに
見られるけれど衣裳も形態も変化している。
0187人間七七四年
2009/10/19(月) 18:09:09ID:fhbd5hAU0188人間七七四年
2009/10/20(火) 12:46:16ID:3MEPjaNs応仁の乱終了からと言う人もいると思うが
0189人間七七四年
2009/10/20(火) 13:17:47ID:MvQOQF3R広義では応仁の乱から大阪の陣まで。
「国内戦争の終焉」と言う事で、島原の乱までを戦国の範疇に入れる見方もある。
0190人間七七四年
2009/10/20(火) 14:44:05ID:uM/WjTYx辻が花みたいな美しい着物を期待してただけに結構ショックだった。。。
0191人間七七四年
2009/10/20(火) 15:09:50ID:3MEPjaNs未亡人になってからのものだから娘が着るようなものじゃない
0192人間七七四年
2009/10/20(火) 15:21:04ID:uM/WjTYx140cmって、小さっ!
でも確かに着物のほうも大きめの子供サイズぐらいだったかも。
あの時代はおはしょりしなかったらしいし、そんなもんなのかねぇ。
にしても、未亡人になってからの着物とは知らなかった。
旦那さん亡くして落飾したら、ずっと尼さんの格好で過ごすのかと思っていたお!
0193人間七七四年
2009/10/20(火) 16:51:03ID:srj5C+yvめっちゃ地味でバッチい着物
何百年も歳月をへてきた衣裳なんだから
保存状態の良いものこそが少ないと思うけどね。
0194人間七七四年
2009/10/20(火) 16:56:01ID:i2LeNSF8落飾(髪の毛を短く切る、千姫の頃ならまだおかっぱか?)なら櫛かんざしが出来なくなるだけで
服はそれほど気にしなくてもよい
あと、2,3点気になる点を上げると
・慶長年間にはどす黒い色が流行った。朝鮮出兵と関ヶ原、大坂の陣の陰鬱な世情がきものにも出たらしい。
・天然素材だから退色もする
0195人間七七四年
2009/10/20(火) 17:30:28ID:uM/WjTYx確かに。。よくある、裂状態で残ってるようなのじゃなくて、小袖の形を完全に留めてたから
かなり保存状態はよかったのかな?柄は確かかなりおおぶりな水葵の模様で、なんか
デザインも全く垢抜けてないというか、間が抜けててイモくせー感じだった。
数センチ四方の桃山小袖の裂はすごく繊細な文様&綺麗な色だったんだけどねー。
>>194
剃髪・落飾でそれぞれファッションに違いがあったなんて、知らなかった。勉強になるわ。
てっきり、尼さんの姿で頭巾の下は尼そぎみたいなヘアスタイルしてんのかと・・・
どす黒い色というのは慶長小袖だよね。淀殿の肖像画で着てるようなきちゃねー色&宇宙っぽい幾何学模様の(笑)
0196人間七七四年
2009/10/20(火) 20:00:25ID:i2LeNSF8自分で書いといて何だが
かぶり物の下に髪の毛が見えている肖像画もあったような
ttp://www.geocities.jp/tomokane4/sub/image4/fukui-kanegasakijyou-33-0605.JPG
もしかしたら髪の毛の剃り跡かも知れないんだけどw
そういえばお江与の方の肖像画と言われている物は尼姿なんだよな
アレ髪の毛じゃなくてかぶり物だし 謎だ
ttp://img2.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/df/e6/rekihaku2009/folder/63141/img_63141_4207207_0?1248429423
>どす黒い色というのは慶長小袖だよね。
そうです
で、検索中にこんなの見つけたのだが
>>190が見たのはこれ?
ttp://pds.exblog.jp/pds/1/200809/12/49/b0009849_21193534.jpg
0197人間七七四年
2009/10/20(火) 20:02:33ID:i2LeNSF8こちらのブログに載っていた物なのでブログの記事を読んで下され
ttp://blogs.yahoo.co.jp/rekihaku2009/archive/2009/07/24
0198人間七七四年
2009/10/21(水) 12:18:13ID:GtOvlpcrなるべく手ごろな価格で……
0199人間七七四年
2009/10/21(水) 14:08:32ID:16+ulZD6これおそらく歴女向けなんだが
戦国ファッション絵巻―戦国の魅力、いにしえのファッションで徹底解説! (マーブルブックス)
http://www.marbleweb.net/books/sengock/
表紙のイラストとかに反して(失礼)、考証は偉くしっかりしていて、この時代の服装に関する入門書としては
かなりいい線行ってる。
0201人間七七四年
2009/10/21(水) 17:19:45ID:VyS7es3V末端の言葉尻を咎めるようで、申し訳ないんだけど
>間が抜けてて芋クセー感じ
>きちゃねー色
自分の感想を素直に書いてるんだろうけど、
年月を経ている布地、何百年も前の意匠、なのだから
現代人がそういう風にあまり品のない言葉で語るのも失礼かと。
>>198
京都の風俗博物館の出版物。(通販で手にはいると思う)
または京都書院のアーツコレクション「日本の女性風俗史」
こてれは再現行列の衣裳を撮影したもので
モデルの化粧など違和感もあるけれど当時の着つけなども
できるだけ再現しようと務めているようなので、お薦めする。
あとは図書館で歴史・風俗の棚にいけば色々あるよ。
0202人間七七四年
2009/10/22(木) 23:03:23ID:U6Mku+GO自由な感想や批評を気楽に言い合えるんじゃないか。
0203人間七七四年
2009/10/22(木) 23:20:53ID:3o7O4+RM思い違いもはなはだしいですよ。
今もその失われた過去を敬う人間がいるのです。
見下すことが気楽さではありませんからね。
0207人間七七四年
2009/10/23(金) 00:03:14ID:YPabc/3b物事の良否を判断するための知識が足りないのに、それを被判断物に責任転嫁しているだけ。
0209ID:U6Mku+GO
2009/10/23(金) 01:01:03ID:e5UbA9qS>その物のたどった歴史を無視して批判したいだけ
根拠は?
価値基準がおかしいなんて、何上から目線で決めつけてんの?
他人の価値観を平気で否定できるあなたの価値基準(笑)のほうが余程おかしいです。
>>206
どこからどこまでが批判で、どこからどこまでが失礼?
そんなこといったい誰が決めたの?所詮は主観的なもんでしょう。
>>207
私が「知識が足りない」とか「責任転嫁しているだけ」という設定はどこから
捏造したのかな?根拠無しのレッテル貼り&印象操作のガスライティング乙。
0210人間七七四年
2009/10/23(金) 01:39:56ID:E70OwLUO「華やかな文様も多い当時にしては朴訥な印象を受けるが」とか
も少し語彙の使い方を勉強しても良いように思う。
(こういう言いまわしも、「嘘クセー」とか言われちゃうのだろうか)
>めっちゃ地味でばっちい とか、>きっちゃねー とか
>芋クセー とか、即物的であんまりな言葉だと
往時の上層階級の女性の衣裳についてのレスにそぐわない気がするのは確かだ。
0211人間七七四年
2009/10/23(金) 02:21:00ID:YPabc/3bそのものを評価するだけの知識が君に無いのは丸解りだぞ。
評価するにもきちんと知識、見識と言う者が必要。キミはだた即物的に「感想」を
言っているだけ。たとえて言えば幼児が、ダイヤモンドとガラス玉を、同じ透明だからと言う理由で
同価値と言っているのと同じ。
0212ID:U6Mku+GO
2009/10/23(金) 03:38:09ID:e5UbA9qS>そのものを評価するだけの知識が君に無いのは丸解りだぞ。
だから、そう判断するに至った根拠は何?ただのレッテル貼りは迷惑なんですけど。
>キミはだた即物的に「感想」を言っているだけ。
そもそも、わたしは単に「現実のしがらみのない自由な感想や批評」を肯定する書き込み>>202をしただけなんですが。
誤解しているようだが、上のほうで昔の着物をきちゃない色とか書き込んでいるのはわたしとは別の人だよ。
あんたは自分の妄想が生み出した敵をわたしと思いこんで執拗に攻撃してる、
滑稽な現代版ドン・キホーテだよ。さっさと気付け。
0213人間七七四年
2009/10/23(金) 05:05:39ID:LsPxVsA90214人間七七四年
2009/10/23(金) 10:17:22ID:fWIHQylxと、話をややこしくするだけでまったく関係ない横槍を入れてみる
0215人間七七四年
2009/10/23(金) 10:51:22ID:Hv+3Yr5X0216人間七七四年
2009/10/25(日) 12:11:54ID:4a0F/UKr烏帽子をかぶらずに髪をそのまま露出するのは、被差別の地位にあるものだった。
室町末期に月代を日常的に剃る習慣が一般化して、烏帽子をかぶることが廃れた。月代は烏帽子のかわり。
髪の毛を露出することに対するタブーがあったらしい。
0217人間七七四年
2009/10/25(日) 12:23:25ID:Wa3iWJyV剃る、と言う方法は戦国後期からだったようだよ。
それまでは、髪を抜いていた。
それで焦って下手に抜くと頭が血だらけになったというが、
剃るなんてことは当時コロンブスの卵だったわけだな。
0218人間七七四年
2009/10/25(日) 12:25:14ID:Ujrm56zx博打に負けて裸体になった男性が、烏帽子だけはつけてる中世の絵画資料があったね。
なぜ頭髪がタブーだったのか、気になるところです。
説得力ある仮説などは出ているのかな。
0220人間七七四年
2009/10/25(日) 13:23:13ID:Wa3iWJyV自分が読んだのは「日本史雑学」だったか「雑学日本史」だったか、
あと武器甲冑関係の本にも同じことが載っていた。
おそらく当時の日記なんかで分かったんじゃないかな。
それから面白い話でこんなのもあった。
騎馬武者は出陣する時は、皆顔一面を白く塗り口紅と頬紅をつけていた
(ちょうど志村けんの馬鹿殿)
TVや映画では、それではあまりにも異様な雰囲気なのでやらないようだ、と。
0221人間七七四年
2009/10/25(日) 14:42:59ID:T/aeJPNk平安時代の貴族は寝るときも烏帽子をかぶっていたようだ
かぶり物は飛鳥時代に中国(あの頃は隋かな)の風俗が伝わってから日本でも固定したが
中国思想の浸透と関係あるのだろうか?
>>220
島津忠良が
「たしなみある武士たるもの化粧は欠かせない物」
と明言してるみたいね
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-1459.html
0222人間七七四年
2009/10/25(日) 16:25:37ID:oICP9TT8中世世界においては中国でも西アジアでもヨーロッパでも、当然の世界的常識だった。
中東では今でも、ターバンなどで頭を隠しますな。
0223人間七七四年
2009/10/25(日) 19:31:44ID:YwSF+UPtルイス・フロイス著、岡田章雄訳注『ヨーロッパ文化と日本文化』ではないでしょうか?
以下、引用。
>われわれの間では男たちは髪を刈っており、禿頭にされると侮辱されたと考える。日
>本人は毛抜きを用いて、自分で、毛の残らないように、全部抜いてしまう。そのこと
>は苦痛と涙を伴う。
また、同書注が引用する『慶長見聞集』に曰く。
>愚老若き比関東にて、をのこの額毛頭の毛をば鬚剃にてもそらず、けつしきとて木を
>以てはさみを大にこしらへ、其けつしき頭の毛をぬきつれば、かうべより黒血流れて
>物すさまじかりし也
0224人間七七四年
2009/10/25(日) 21:48:00ID:BtPzHXzX0225人間七七四年
2009/10/26(月) 15:21:46ID:1U6RpSMV0227人間七七四年
2009/10/26(月) 22:21:17ID:a9BoAhfe■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています