>>654
最大の激戦といわれる第四次川中島の戦いのわずか2ヵ月後に、
信玄謙信ともに上野に兵を出し再び対峙し、武田は上野の豪族を降伏させたりしている。
つまり実際には、川中島の戦い直後ですら軍を動かせないほどの消耗はしていなかったということ。

それに熟練の重臣が死ぬのは確かに痛手だが、どこの家にも跡取りは通常いるのだから、
恒久的な国力低下には結びつかない。多少なりとも領土が増えて知行宛行が出来るなら、
それは国力増強になり、長期的には以前よりも勢力を増すことが出来る。
つまり、戦略的に勝ったといえる。

実際、武田が川中島や上野での多年に及ぶ戦の末得た土地は、
少なくとも20〜30万石くらいにはなるはず。
上杉との抗争以前の武田領が、せいぜい50万石くらいだったことを思えば、
武田家にとってはかなり意味があったといえるでしょう
まあ、毛利や織田のような拡大に比べると見劣りするのは致し方ないが。