村上逃亡から一次川中島の戦いへの流れについても、
村上義清は1553年4月に本拠地を捨てて越後に逃亡しているが、
長尾影虎の援護を受け、その同じ4月の内に間髪入れずに反撃し、
一度は小県まで取り戻している。
また、その後影虎自身も信濃に侵攻して、筑摩郡や小県郡に攻勢をかけている。

結局どうにか村上義清こそ再度追い払うことに成功したが、
その状況で、一時的にでも北信濃まで領有したというのは、
むしろ過剰な武田贔屓による偏った見方と言うべきだと思う。