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毛利元就と武田信玄を比較検証するスレ その5

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0001人間七七四年2007/06/30(土) 20:18:43ID:q1CeW9qR
過去スレ

毛利元就と武田信玄を比較検証するスレ その3
http://hobby9.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1179091146/

毛利元就と武田信玄を比較検証するスレ その4
http://hobby9.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1180706357/l50
0396人間七七四年2007/09/04(火) 18:32:50ID:xMvkuWc4
>>389
いやだから甲斐より近畿のほうがはるかに重要だっていってるじゃん?
本願寺がどれだけの勢力かわかっていってるのか?
強い弱いとかどうでもいいけど戦略上本願寺を倒して他の勢力にあたるってのが
当然の判断だと思うんだが違うのか?それとも武田が弱いと思うならなんで本願寺と武田の二方面作戦を
展開しないんだ?っていいたいわけか?

たいした敵がいないからステップにしないも何も奥州の大名とかもう結構織田に媚売ってるから戦もなにも
しないでも降伏してくる大名が大多数だよ。小田原攻めてる秀吉に挨拶してくるのと同じ状況に関東や奥州はなりつつある。

思ったんだがお前は武田の強さを妄想しすぎてないか?
長篠の戦以前ならそれもぎりぎり説得力をもったかもしれんがな。
1581年時に徳川単独で高天神をぼこぼこにされるようじゃなぁ
0397人間七七四年2007/09/04(火) 18:39:37ID:fe5OnljJ
>>395
そうなのか?
付城、陣城の素速い築城で
相手の城の目の前に強固な城をつくり、城としての機能を無くす戦術ってのは
上方のいくさ職人の戦い方だったと思うけどなあ

武田、北条は自給戦用の城のイメージしかないぞ
0398人間七七四年2007/09/04(火) 19:23:50ID:FC9y+gyA
元就は野戦の名手だよ。
初陣から、桶狭間なみの、大逆転の大勝してる。
0399人間七七四年2007/09/04(火) 20:19:50ID:a6bfP+uR
信長が本当に弱い相手を場当たり的に攻めるなら
桶狭間後美濃を攻めずに三河や北伊勢へ行っただろうし
美濃攻略後、上洛などせずに、飛騨や伊賀に攻めただろうし
上洛後も、三好や朝倉を攻めずに他の勢力相手したかもな

武田が強いから攻めなかったのではなく重要度が低いからと考えるのが妥当だろうな
長篠後は徳川だけで十分抑えられるような相手だし
0400人間七七四年2007/09/04(火) 20:26:41ID:QsUHhDrJ
>>397
付け城・陣城くらい誰でもやってる。毛利北条武田作ったものだって当然残っている。
上方の職人なんて江戸時代にできたフィクションにすぎない。
織田の付け城が素早くて堅固で凄かったんだっていうのはただのイメージでしょ。
0401人間七七四年2007/09/04(火) 21:44:52ID:fe5OnljJ
>>400
あんまスレと関係ないが検索かけたらこんな意見もあるらしいよ


攻撃・守備拠点としての機能を果たす要塞である付城を、本城級城郭の周囲にごく短期間に多数構築
して敵対勢力を孤立させるという戦法は、戦国末期から織豊期にかけて全盛となった。
 織豊期の戦争は、一時的な勝敗を問題にするのではなく、占領地域を領国に編入し、さらには敵対
勢力の息の根を止める殺戮戦へと質的に変化した。付城群を有効に活用した戦術は、それに照応するものであった。
 信長をはじめとする天下人達には、付城戦を遂行する資本と技術が蓄積されていた。付城戦には、
敵城を包囲する付城群が配置され、それらをつなぐバリケードとして逆茂木や土塁が普請され、
堀が伴うこともあった。したがって水攻めも、その一形態に属する。


兵の強さを競うのではなく経済面と技術で勝ちやすきに勝つのが新しい戦い方だったんではないかとおもうんよ
反対に真田にしろ、家康の小牧長くてにしろ野戦での勝利だが
そういった小が大に勝つようないくさは東国の野戦の流れをうけたものかなと。
まあ、経験値がものをいうわけで野戦がすたれていけば野戦上手な系譜もすたれるわけで
結局一時的な気風にすぎないものだろうけど
0402人間七七四年2007/09/04(火) 21:49:28ID:a6bfP+uR
小牧長久手は付城群の戦術じゃないか?

付け城を突破しようと不用意に兵を機動させたことで別働隊が敗れたんじゃないかと思うが
0403人間七七四年2007/09/04(火) 21:55:48ID:fe5OnljJ
そら、戦術は広まるもんだから相手もまねてくるだろうよ。
結局、付城戦術と野戦采配と調略いりみだれが戦国末期の様相だろうけど
やっぱ野戦は一番難しいんではないかな
様式化されにくいし、かといって誰でも経験次第で学ぶことができる
0404人間七七四年2007/09/04(火) 22:12:36ID:a6bfP+uR
>>403
広まると言うか
小牧長久手に関してはどっちも織田系列だから
0405人間七七四年2007/09/04(火) 22:32:59ID:5ikIotVq
毛利の内政に関する良書って何かある?
今川・武田・北条と多少法整備や集権化の進んだ地方大国が好きだけど毛利さんの傘連判も気になって来た。
0406人間七七四年2007/09/04(火) 22:39:22ID:trbMikw9
だいたい野戦なんて物は信玄クラスの武将からすれば愚者の戦法だと一笑しそう
なのに、何故か信玄謙信厨は野戦好きが多いんだよな。

信長は野戦を出来るような用兵のシステムを作って、島津は野戦の戦法を昇華し
毛利は弱小ゆえの野戦をして、信玄謙信厨は軍記物で野戦を演出した(藁
0407人間七七四年2007/09/04(火) 22:49:40ID:trbMikw9
>>405
毛利は基本大内の政治を継承した見たいね。隆元は五奉行制などして中央集権に
したかったみたいだが、これは隆元の死で失敗している。まぁ元々失敗したと思
うね。
0408人間七七四年2007/09/04(火) 22:59:48ID:QsUHhDrJ
>>401
そりゃ築城技術の問題ではなくて物量、そしてそれをどう扱うかの問題じゃないか。
しかもそもそも武田の築城技術をきかないってレスに反論したのにどんどん論点ずれてる。

毛利元就の月山富田城攻めは陣城群によって補給線を維持しようとする尼子方に対して
毛利がさらに包囲するように陣城群を築いて補給線を断ったという、まさに陣城対陣城の戦いだよ。
0409人間七七四年2007/09/04(火) 23:36:23ID:fe5OnljJ
>>408
いや築城技術だよ、一夜城だとか短期間に城をたてられるのは
物量だけじゃないでしょ
田舎と比べて都市部には技術者が多かったってのもあるし
経済力をそぐための付城戦略が有効な都市が多かったていうのもある
需要もあったし人材もおおかったんでしょ

武田は治水整理はやっているが土木建築=築城技術とはいえない
そういったのは技術者一人が命令すればことたりるが
陣城構築は現場の職人の習熟が不可欠。

毛利にしても同じ月山戸田城は持久戦だが、たしか4年ぐらいかかってるだろ
要するに織田との違いは機動力というか職人芸的陣城構築の速さにある。
ちがいをいうなら、
戦線の膠着から必要性としてでてくる陣城(というか塹壕)が旧来の戦い
陣城をつくってから、守勢の相手方が城攻めしているかのような
攻めづらさを与えるのが新しい戦術。
0410人間七七四年2007/09/04(火) 23:40:59ID:a6bfP+uR
かかった時間を言うなら石山本願寺丹波八上播磨三木と
月山富田城とじゃさしたる違いは無いと思うが
0411人間七七四年2007/09/05(水) 00:01:16ID:YzYO5249
たしかに
本願寺と尼子のゲリラ的抵抗はにてるなあ
紀伊の勢力はまだ残ってるし信長はあの地域を完全にものにしたとは言い難いか
0412人間七七四年2007/09/05(水) 00:04:34ID:50hvnl8F
>>409
流石は信玄謙信厨、臆する事無く反論に一夜城を持ってくるとは…
しかも月山富田城を間違えるのは有りとしても、戦国時代に築城の名手とされた
馬場信春の事を全く知らない。本当に武田好きの人から見ても痛すぎる限りである。
0413人間七七四年2007/09/05(水) 00:22:31ID:YzYO5249
>>412
別に一夜でつくったとは言ってないがな
一夜城が完全な虚構というには織田方の陣城戦略は
三木城攻めにしても顕著じゃないか
いうなれば織田方の戦略思想が一夜城という形で現れていると思う

それと馬場信春は土木建築に詳しかったとしても
戦場でそれを活かすという考え方がなかったんじゃないかって言ってるの
武田は金山もってるし治水も築城もしてるから
お抱えの土木建築集団はいたろうが、
えっちらおっちら穴掘り、縄張りでしょ
そういうのは職人の業じゃなくて、一人のブレーンがいて
あとは労役のなにも知らない派遣農民がやってたってことでしょ
0414人間七七四年2007/09/05(水) 01:18:22ID:4jbAeyM9
わかったわかった。俺が逐次投入するのでどんどん論点がずれて無駄なレスが増えちゃうんだな。みんなすまん。

>>388では論点が畿内となっていたものがいつの間にか織田、そして戦国後期に摩り替わっている。
とりあえずは論点を『畿内は攻城戦とか陣城戦』に戻して話させていただくと
陣城群作戦は毛利がやる以前に大内もやっていたし、それに対抗しうる尼子方の支城、陣城もあったので、
(つまり、双方とも築城技術が発達していた)
この点、旧態依然どころか織田に先行していたし、城の技術は山陰山陽では十分に発達していたといえるだろう。
東国についてはまず武田と北条の築城技術というのはその特徴がはっきりしている。城ヲタなら見ればこれは武田流だなとわかる。
武田流築城術やそれに近い言葉でググればいくらでも出てくるよ。
一例を挙げれば丸馬出で、これは真田氏にも引き継がれて大坂城の『真田丸』になっている。
畿内の、織豊系城郭においても武田流築城術は十分に通用したどころかその弱点を見事に補っている。
これを見ても畿内に比べて東国の技術が劣っていたとはいえない。

>>401
繰り返すが最初のコピペはそれは織田と戦国後期の話であって畿内の話ではないね。
>反対に真田にしろ、家康の小牧長くてにしろ野戦での勝利
もう出てるけど小牧長久手は陣城使いまくってるね。
で、真田が野戦で勝利?真田は岩櫃城など堅城を攻略しながら勢力を伸ばしたし、
第一、第二上田城合戦はその名の通り上田城が舞台。当てはまるのは天正壬午の乱くらいだね。

>>409
付け城で包囲するのって相手の拠点を奪わなきゃいけないんだから、単に城を築くスピードでけりがつくわけじゃないんだけど。
毛利元就は最初の拠点を得てから支城網が整備されていた月山富田城の包囲を一年で完成している。
対して織田の付け城作戦の嚆矢である小谷城攻めでは最初の拠点を得てから包囲まで三年かかっている。
最初の拠点を得て小谷城の動きを封じたのが偉いというならそれもそうだが、横山城は別に信長が築いたものではないし、
そのための陣城作りなら武田信玄も西上野でやっている。
築城技術者の黒鋤は半農だ。瓦師に関しては確かに都市部に技術者が多くて、織田が積極的に取り入れたもの。
だが陣城にはあんまり関係がないだろう。石垣の技術者にしても太田金山城のように石垣城は関東のほうがはやい。
これも陣城にはあんまり関係ないけどね。

>>413
武田のお抱えの職人の半分以上は築城職人。
0415人間七七四年2007/09/05(水) 19:44:02ID:DWK/pd0z
あんま流れと関係ないが

>上杉・武田の様に軍記物の中だけの野戦だと、勝った筈なのに何も得る物が無かったような結末にしかならない

これ真理だよねー
創作物で上杉・武田は野戦の天才と美化されてるもんだから
「じゃあ何で、そんなショボイ勢力のままなの? 勝ったのに状況変わらんの? 無意味な戦に勝っただけ?」
って疑問がちらついて、フィクションと割り切って楽しめないとこがあったりする。
毛利は逆に、史実で野戦が最強レベルだったのに
明らかに上杉・武田以上に凄い結果を残してるもんだから
「毛利元就は戦の天才ではなく謀略の天才」
みたいな描き方なんだよね。
謀略>戦術ってのは間違いではないと思うが
どーもフィクションにおいては

上杉・武田=戦闘の天才
毛利=謀略の天才

って感じにキャラ分けされてる希ガス
なんか織田も「戦では上杉武田に勝てないが謀略では上だった」みたいな描かれ方多いしな。

戦は下手な部類だが謀略を駆使して生き残った武田の、政治家としての泥臭い執念や
逆境を跳ね除けて連戦し、どうかこうか広大な領土を獲得した毛利の軍人としての傷だらけの生き様とか
たまには史実に近い物語も目にしてみたいなー、と思う今日この頃。

…いや、毛利のフィクションのイメージは
「三本の矢」繋がりでホームドラマかなw
0416人間七七四年2007/09/05(水) 19:51:33ID:YzYO5249
>>414
支城網と付城・陣城は考え方がちがうよ。
前者は、防御から何重にも壁をかこむ、城塞思想
後者はひとつには経済封鎖的拠点として、ふたつには
敵方の城に対するカウンターとしてのもの、
戦術・戦略両面を考えた攻城思想によるもの

しかし、概して地方の付城は戦線の膠着からくるもので
防衛・しかも多めに見ても戦術面にかぎられる。
それは、築城に時間がかかったし、経済封鎖というまで
経済の振興がなかったから。
だから、戦後に意味をなさなくなる臨時的なものが多くなる

>織田の付け城作戦の嚆矢である小谷城攻め
信長は美濃攻めに際して
小牧山城を築城してるが、これも美濃を経済的に圧迫させるためだった
て言われてるよ。陣城も一夜城に代表されるように
相手領地に城をくさびをうってじわじわ経済封鎖かけて
疲弊したところを攻めるってのを織田家はやってますよ。

あと、畿内って話だけど、織田からはじまって織田の家臣の割拠の時代って
意味だからね。織田が絡むまでの畿内は
戦というより将軍を擁したクーデターの連続だし
戦い方は西国といっしょ
0417人間七七四年2007/09/05(水) 19:54:28ID:YzYO5249
もひとつ。武田にしてもなんにしても築城職人と言えば聞こえはいいが
たんなる土木作業を生業としているだけの人だよ
彼らが組合をつくって自治性をもったのが〜衆とよばれる。
そういうのって結局在地性が強く、融通がきかないもん
戦場に陣城普請にでばってきたのかどうか不思議だな。
要するに、馬場がそういうお抱えとの折衝をまかされてて
いくらか部下にもらってたってところだろ。
その職人の多さと需要の多さから畿内の築城職人部隊は
武田のはるか上をいっていたってところじゃない。

さいご。小牧長久手と上田城はいづれも守勢の戦いじゃん
しかも勝敗を決したのは野戦でしょ
城を攻めあぐねることと大敗はちがう
野戦の要は用兵
0418人間七七四年2007/09/05(水) 20:11:56ID:UVmb2VQY
>>415
フィクションにおいての上杉武田の扱いには司馬御大ですら苦労してる

「如何に信玄が戦の達人であろうと甲斐一国を受け継ぎながら
 他の国一つを奪うのに生涯を捧げるような男だ。
 信長とは次元が違う」

次元が違うも糞も戦の達人って前提が嘘なんだから
実際に戦が激強だった信長や元就と比べて残した功績が少ないのは不思議でもなんでもないw
0419人間七七四年2007/09/05(水) 20:13:29ID:YzYO5249
野戦ても、戦場に来てはじめて作戦たててるようじゃ下の下
大切なのは状況判断、そこからの帰結として情報収集
そこで初めて戦場の決定、誘導、地形の理、采配、統率、用兵、兵種
といったものが現実を帯びてくるわけで
いい道具はもちろんのこと、道具を適材適所する目ありきだわな。

元就は、状況判断というより、
意図的に自分の望む状況に誘導するってのが他とちがうんじゃないか
有能なビジネスマンでも、有能な社長でもなくて
有能な詐欺師に近い。
0420人間七七四年2007/09/05(水) 20:25:12ID:DWK/pd0z
>野戦ても、戦場に来てはじめて作戦たててるようじゃ下の下

やー当時の技術で、そこまでハードル上げるのは酷じゃない?
戦国時代における野戦なんて、よほど重要な決戦でもない限り大半は遭遇戦な訳だし
(川中島ですら、遭遇戦説が有力として浮上してる)
毎度毎度「作戦」なんて大層なもんを考案してる方が少数派でしょ。
だからこそ「数の絶対性=兵数の多い側が少ない側に勝つという鉄則」があった訳で
信長の桶狭間が有名となり、信玄の研石崩れが有名となる訳。
信玄なんかも、その「数の絶対性」を確立して戦場に挑むという意味での「戦の達人」だったんだから。

元就の厳島合戦みたく
「少数で多数に勝つ為に、情報操作して敵の大軍を指定の戦場へと誘導し、援軍を引き込んで殲滅する」
なんて例が特殊過ぎるだけw
元就自身にとっても、生涯で有田合戦に並ぶ大戦果なんだから。

野戦で状況判断して作戦を立てれるだけで名将でしょ、充分に。
0421人間七七四年2007/09/05(水) 23:50:59ID:k0dHu2J+
>>420
>信玄なんかも、その「数の絶対性」を確立して戦場に挑むという意味での「戦の達人」だったんだから。

それは信長や元就も、当然の如くやっているわけ。
というか、どちらかといえばそっちの方が多い。
信長や元就の凄いところは、それプラス、寡兵でも強かったわけで。
野戦ではほぼ負け知らず。
村上程度に野戦でボコにされた、信玄とはレベルが違うと思う。
信長の稲生合戦、元就の有田合戦のような真似は、信玄では逆立ちしても出来ないだろう。
0422人間七七四年2007/09/05(水) 23:56:25ID:50hvnl8F
>>420
だよな。
信玄の凄さは戦上手って言うより、そこに行くまでの過程の凄さだよ。
ぶっちゃけ甲斐、信濃なんて言うのは経済の流通から外れた地で地形、気候、物資
の全てに措いて不足してる筈なのに当時の流通の要だった上野や東海道を攻め取っ
たし、物量戦で敵に遅れを取る事は無かった。これは対織田に対してもそうだった
から凄い。しかも普通なら滅亡するような大敗退の後でも躍進を続けた。
そこら辺の事はスルーして軍記物の戦話ばかりするから嫌われるんだよ信玄厨は。
0423人間七七四年2007/09/06(木) 00:24:26ID:GahSI4q/
古来の中国の諡にしても「文」は「武」より上。
強い君主なんて本来二流扱いだろうに、多くの歴史好きな人は強い君主像を求め
るんだよな。信玄が生きてたら嘆くぞ…まぁしかし、そこら辺が信玄の限界だっ
たとも言える。実際は病気がちで超一流の政治家で文化人だった信玄が虎のよう
なイメージで、政治家としては殆んど実績のない軍人の元就が文民政治家のよう
な扱いを受けている。流石は日頼様は死後の徳でも圧勝です><
0424人間七七四年2007/09/06(木) 05:35:41ID:JfTblpov
信玄が超一流の政治家で文化人のソースってなんですか?

外交では頭下げる事ができないで結局周囲を敵だらけにした外交無能ってイメージしかないし
敵だらけにしたばっかりに戦しまくりで金山を堀尽くして
華々しい戦果を上げたとされる三方原でも徳川重臣を打ち取れてない
長男を抹殺して不和の種を撒いて約束破りはお家芸
0425人間七七四年2007/09/06(木) 06:49:26ID:Manoqn7Y
>結局周囲を敵だらけにした外交無能ってイメージしかないし
その中でも領土を失わず、上杉北条に逆包囲網仕掛けたのは評価出来ると思うが。
というか周辺を敵だらけにするのは急に大きくなった大名の宿命だろ。
>金山を堀尽くして
ソースは?
>三方原でも徳川重臣を打ち取れてない
忠勝の叔父とか元忠の弟みたいな中堅は結構死んでる。
というか合戦で指揮官が討ち取られることなんて滅多にないし、10%の討ち死にはかなり大きい。
>長男を抹殺して不和の種を撒いて約束破りはお家芸 結果論。
0426人間七七四年2007/09/06(木) 08:34:54ID:yEcQYYcJ
>>425
駿河失陥してるじゃん
しかも上杉北条は結びついてるし
0427人間七七四年2007/09/06(木) 09:01:26ID:JfTblpov
周囲を敵だらけにしたのは領土を拡げた宿命じゃなく信玄のやり方が悪いからだろ
っで信玄が超一流の政治家のソース速くだせよ(´・ω・`)
0428人間七七四年2007/09/06(木) 09:58:48ID:YJ172+Et
>>427
甲州法度次第を見ればわかるが

逃亡者が出ると同じ村の人間に負担が来るから
逃亡者が出ないように村人が相互に監視しあい
法度で逃亡者は何処までも追いかけると規定し
よその土地から来た農民がいたら訴えるように通告して
逃げても掴まるようなシステム
逃げ出して掴まって村に戻された村人は村八分にされると
それが怖いから誰も逃げ出さない
若しくはみんなで相談して逃げるしかない
でもそのような相談していたら密告しろ黙っていたら同罪にすると
このように効率的な収奪システムを構築したことは
統治者として政治家として超一流であった証拠になると思う
0429人間七七四年2007/09/06(木) 12:05:25ID:0VUlsnmr
ワロタwww
0430人間七七四年2007/09/06(木) 15:29:43ID:u+5eupbj
超一流、と言われると疑問が残るが(少なくとも信長や氏康よりは下だろ)
一流の政治家、というのは間違いないだろう信玄。
甲州法度についても「古代から前例のあるやり方。大半は今川の物真似」なんて指摘もあるが
それでも効率的な収奪システムってのは確かな訳だし。

外交については意見分かれるとこだね。
前半生はプラス、晩年はマイナスだから。
上杉相手に勝てないと悟って織田に懇願して和平結ぶなんて
イメージじゃ「信玄は信長に土下座外交して情けない」とか思う人もいるかも知れんけど
実際の成果として停戦出来るなら外交的な成功として文句ないところ。

もちろん元就は元就で軍事的才能のみならず政治力もあるのも付記しておく。
(こっちは朝廷への献金とか民政とは違う分野な功績が多いけど
0431人間七七四年2007/09/06(木) 16:09:47ID:0VUlsnmr
>>430
一流の外交官は将来を見据えて今の立場なんて捨ててでも利を取るって物だ。
別に信長に頭を下げたことを責める奴はいないだろ。信長も朝倉に頭下げてるし。
0432人間七七四年2007/09/06(木) 16:50:22ID:bfqBwiYC
>>431
頭を下げた事で信長は○○を恐れていた、なんてイメージだけが一人歩きしている
信玄が信長に出した書状のほうはイマイチ知れ渡ってないね
0433人間七七四年2007/09/06(木) 17:38:31ID:u+5eupbj
つーか国力差を考えれば信玄が信長に媚びへつらってたのは当然だよね。
それを情けないだとか言うのはおかしいと俺も思う。
信玄は対面に捉われる二流の男でなく、優秀な男だったんだから
見栄なんて捨て去って実利を取った。それは賞賛すべき事。

逆に信長の方が、近畿制圧後も信玄(つか周囲の大名ほぼ全て)にも低姿勢だったのが
珍しいっていうか凄いと思うよ。
信長包囲網の際にも、その外交手腕が功を制して敵の各個撃破に成功した。
一番の強敵である朝倉と正面衝突の際にも、致命的な挟撃を受ける体勢にはならずに
遅めのタイミングで裏切った信玄が脇腹を突いても、頼みの朝倉との連携が取れずに手詰まりだった。
0434人間七七四年2007/09/06(木) 18:22:24ID:yEcQYYcJ
>>428
どこの大名もやってると思うがね、人の固定は
そもそも、飢饉で農民が蕨で食いつないでる状況で新たに新税を課す奴のどこが一流の政治家なんだ
それで結局農民が逃げて行ってるのに
0435人間七七四年2007/09/06(木) 18:35:18ID:gW2y3OM3
たまに講談的な本やHPで甲州法度次第は信玄の国造り国内統治の基本姿勢を示しているとか
書かれてるとこあるけど
甲州法度次第じゃ
税に関して農民との話し合いには応じない、但し村の人口の過半が死ぬか逃亡した場合に限り
一度だけ話し合いに応じるとかなっていて
民に対しては凄まじい基本姿勢なのに、その部分はスルーして
最後の信玄自身に対する規定だけ持って素晴らしいとか称えているんだよな
0436人間七七四年2007/09/06(木) 19:00:24ID:JfTblpov
>>433
武田のどこが見栄を捨てて利をとった低姿勢なのか?
上杉にも北条にも最後まで強行を貫いて上洛を遅れさせただけではないか
最後は上杉に見栄を張りすぎた事を悔やんで死んでいった訳だか
0437人間七七四年2007/09/06(木) 19:43:39ID:u+5eupbj
>>433だけど
俺が主に評価してるのは「織田に仲介を頼んで上杉との講和に成功した件」について。
この一件に関しては、信玄は明らかに見栄を捨てて利を取ってると思う。

信玄自身の基本姿勢に関しても、見栄よりは利を取ってると思うんだけどなぁ。
対上杉に関してだって、見栄もへったくれもない講和破りかまして何度も攻め込んでるし
今川は同盟国だし血縁関係にもある、という嫡子の訴えを退けてまで
「駿河所領」という利を求めて、当時の価値観においてですら最悪の裏切りをやってのけてる。
上洛が遅れただとかは「利を得られなかった」だけであり「利を求めなかった」ではないと思う。
むしろ領土欲などの利に目が眩むばかりに上杉北条らと敵対関係のまま
大局的な視野で物が見れなかったのだろうし
信玄自身、世間で言われるような「戦国最大最強の大名」でも何でもなく
「一地方で栄華を誇った100万石越えの大名」に過ぎないのだから、それが間違いとも言い切れない。

信玄という男は見栄(義理)を捨てて利(領土欲)を求めすぎたばかりに
結果的に武田本家衰退の遠因を作り、派手に散っていったのが特徴であり
それが分を弁えた手堅い成功者の元就などとは違った独特の魅力なのだと思うが、どうだろう?
0438人間七七四年2007/09/06(木) 19:51:06ID:oPORp9Y/
武田は死兵 ひもじさがうんだパワーが戦国一
0439人間七七四年2007/09/07(金) 09:00:47ID:S9UPNxzX
見栄と義理とはちょっと違うだろう。
甲陽軍鑑の話だからあまりあてにはならないが、晴信と景虎との対決の初期のころに
家臣たちが進言して
「越後は大国で景虎は強い。たとえ晴信公が勝っても落着は遅くなるだろう。景虎とは
和睦するように」と言ったという。
これに対して信玄は
「もっともだが、若い景虎が大国を持っているのに恐れて和解したら、信濃の他の部分を
短期間に取れても、近国他国では晴信が弓矢では景虎に負けたと取り沙汰するだろう。
これでは末代まで武田の家の恥だ」
と言って退けたという。(品二十九)

信玄が謙信との対決を続けた理由には>>436も言っているようにこういう見栄や意地が
あったんじゃないかと思う。講和破りは義理の問題でこれはまた別の価値判断かと。
0440人間七七四年2007/09/07(金) 13:17:50ID:9sq12lw1
信長が上洛とか畿内平定ばっか考えてるなら美濃平定後伊勢なんか攻めなくていいし。
飛騨なんて山がちで糞みたいな取り柄ないとこと上野や信濃、駿河を一緒にすんなよ
畿内とるのがそんなに重要なら畿内に大きな勢力を誇った三好とかなんであっさり撃退されたのか?
って話だ。信玄とかも諏訪から信濃北部向かうより伊那口から美濃方面むかって
畿内へいった方がいいじゃん。いくら畿内とっても国力がともなわければ三好みたいに
退治されるだけだろ。畿内方面優先に進行してない大名なんていくらでもいる。
尾農二カ国時代の織田が武田に正面から戦い挑んでも国力的に全然及ばないし勝てないだろ
つうか本願寺って摂津と加賀だけだろ?一向宗は確かに厄介だろうけどそんなに大騒ぎする
程か?石山は攻めにくくて厄介かも知らんが。実際畿内が小大名がひしめいている
感じだから攻めやすかっただけで一つのまとまったでかい勢力だったら畿内なんてむかえないだろw
武田は御館の乱起きて北条と決裂するまで長篠以降も全然徳川に城取られてないじゃん
緩衝地帯越えて敵を攻めてる例なんていくらでもあるし(中国地方とか)
同盟者の領地越えてる例なんて朝倉攻めとかまさにそれじゃん
0441人間七七四年2007/09/07(金) 13:29:30ID:9sq12lw1
奥州の大名が信長に通じてきたのは信長が強大になってからだろ
その前なら東国進出する選択肢選んだって何も損はないし天下は西日本
だけじゃないんだから東西バランス良く勢力伸ばそうとするだろ 奥州だっていくらでも豊かな土地はあるしな
実際秀吉も東の家康は手ごわいとみて始めに御しやすい西日本から攻めたんだろ
毛利を二万程度でやっつけられる秀吉に寡兵で勝てるほどの野戦上手の家康を
野戦で完勝してる時点で武田と毛利の力差がありありと読み取れる。
長篠であそこまで完敗したのにその後なかなか三河や遠近江も取り返されず
七年も家が保てるってだけですごい。
普通なら毛利みたいにすぐ裏切りが続出して追い込まれるか朝倉みたいに
すぐ潰されるかどっちかだろ
0442人間七七四年2007/09/07(金) 13:35:53ID:9sq12lw1
440.441は>>399>>392>>396
0443人間七七四年2007/09/07(金) 14:09:36ID:bSxjNQ91
>>大きな勢力を誇った三好とかなんであっさり撃退されたのか?
そりゃ三好に統率力のある実力者がいなかったからだろ。

>>伊那口から美濃方面むかって 畿内へいった方がいいじゃん。
そんな狭い道をどうやって大軍を通していくのか?
今川が存在しているのにその道を通る危険性は?
信濃から岐阜に攻め込んで補給は追いつくのか?

>>畿内方面優先に進行してない大名なんていくらでもいる。
すべての大名が天下統一を狙って行動しているとでもお思いなのでしょうか?

>>一向宗は確かに厄介だろうけどそんなに大騒ぎする程か?
少なくとも武田なんかより遥かに恐ろしい相手だろ。
領内で騒ぎ起こされるは敵勢力と組んで対抗してくるわでやりたい放題。
実際信長軍主力が攻めに転じてる際に五分以上に戦えたのは本願寺だけなんだけど?
動員数も他の勢力と比べ物にならない。信長の弟も戦死させられている。

>>館の乱起きて北条と決裂するまで長篠以降も全然徳川に城取られてないじゃん
脅威の重みはどう考えても 本願寺>武田 相手にする優先順が違っただけ。

>>実際秀吉も東の家康は手ごわいとみて始めに御しやすい西日本から攻めたんだろ
大友が『関白秀吉』に助けを求めたから西を優先したんだろ?
これを達成できなかったら大友の救援を達成できなかったと関白の名が折れるからな。
それに臣従していた大国毛利が西にいるのもでかい。実際毛利は主力の中核として参加している。

>>奥州だっていくらでも豊かな土地はあるしな
あったところでっていう。そんな偏狭のど田舎に積極的に中央政権がすすむ必要もない。

>>普通なら毛利みたいにすぐ裏切りが続出して追い込まれるか朝倉みたいに
外様中の外様の宇喜田や南条が裏切ったところでそこまで激しい動揺はねぇよ。
武田みたいに主力が派遣されましたってだけで外戚がころころ裏切るような糞体制のどこがすごいのか。
0444人間七七四年2007/09/07(金) 14:14:15ID:SuuLX8mT
おいおいマジレスしてやんなよ
可哀想なゲーム厨なんだろwwwwwww
0445人間七七四年2007/09/07(金) 22:37:21ID:NXlQtNSN
>>440
>>尾農二カ国時代の織田が武田に正面から戦い挑んでも国力的に全然及ばないし勝てないだろ
尾張・美濃2カ国の時代という事は武田は駿河を手に入れていない時代という事か
どういう風に考えたら織田が武田に国力的に全然及ばないし勝てないのかな
石高でも織田>武田だし、経済面で見たら織田>>>武田じゃねえかw
0446人間七七四年2007/09/07(金) 23:05:21ID:r57PzUUN
>>445
尾張美濃二カ国時代ということは、信長は北伊勢数郡がプラスされます。
68年の上洛以前なら北伊勢八郡になります。
0447人間七七四年2007/09/08(土) 07:58:42ID:X+E2Tmds
>>440
>畿内とるのがそんなに重要なら畿内に大きな勢力を誇った三好とかなんであっさり撃退されたのか?
信長が上洛した時は三好は大混乱の後だったからなー
それでも延々と1575年ぐらいまで畿内で抵抗していたけどな、
畿内が一段落したのでようやく本腰挙げて徳川支援したら長篠であっさり勝利と

>武田は御館の乱起きて北条と決裂するまで長篠以降も全然徳川に城取られてないじゃん
二俣諏訪原と重要拠点を奪われて駿河に攻めこまれているが

もう少し歴史の勉強をしたら
0448人間七七四年2007/09/08(土) 09:26:58ID:6178EAAh
>>440-441って例の馬鹿殿か
0449人間七七四年2007/09/08(土) 18:19:23ID:dR+X/JKp
馬鹿晒しage
0450人間七七四年2007/09/09(日) 18:30:07ID:ZO/HoQCP
・不利な側面ばかり強調し利点は語らない
飛騨なんて山がちで糞みたいな取り柄ないとこと上野や信濃、駿河を一緒にすんなよ

・関係ありそうで関係ない話を始める
畿内とるのがそんなに重要なら畿内に大きな勢力を誇った三好とかなんであっさり撃退されたのか? って話だ。

・無知丸出しの極論を取る
信玄とかも諏訪から信濃北部向かうより伊那口から美濃方面むかって畿内へいった方がいいじゃん。

・不条理な過小評価により間接的に他を貶めようと図る
一向宗は確かに厄介だろうけどそんなに大騒ぎする程か?

・ゲーム脳
東国進出する選択肢選んだって何も損はないし天下は西日本
だけじゃないんだから東西バランス良く勢力伸ばそうとするだろ 奥州だっていくらでも豊かな土地はあるしな

・釣りとしか思えないマジレスをする
毛利を二万程度でやっつけられる秀吉に寡兵で勝てるほどの野戦上手の家康を
野戦で完勝してる時点で武田と毛利の力差がありありと読み取れる。
0451人間七七四年2007/09/09(日) 20:46:02ID:rxX0nURE
ワロタwwwwwww
0452人間七七四年2007/09/09(日) 22:42:18ID:L8CNrB0E
>>440-441はその身をもってこのスレを盛り上げてくれた英雄
0453人間七七四年2007/09/09(日) 22:53:27ID:hOEheXax
畿内は経済力・石高とも圧倒的、ここを無視して天下は有り得ない。

一向宗は烏合の衆の伊勢長島勢させ信長の一門衆を大量に討ち死にさせている。
本願寺勢の要、雑賀孫一は僅か7万石で信長の10万の軍勢を跳ね返した。
0454人間七七四年2007/09/09(日) 23:01:41ID:gRiba44M
なんで毛利対武田関連のスレが多いの?

元就と信玄は戦国時代を代表する二大英雄だからかな
0455人間七七四年2007/09/09(日) 23:33:07ID:ZO/HoQCP
信長相手じゃ完敗するけど元就辺りなら勝てんじゃないかなと儚い希望を抱いた
信玄儲さんが立てちゃうんじゃないかな
0456人間七七四年2007/09/10(月) 00:18:26ID:PrP3vnq9
スレタイみればわかるだろ
元就厨が建てたのがw
元就単体じゃスレが保てないから
信玄を利用しただけ
0457人間七七四年2007/09/10(月) 03:44:49ID:gFKcnb/s
とりあえず>>456は初代スレから読み返すの推奨
0458人間七七四年2007/09/10(月) 12:12:49ID:ZbNViNxA
つうかこの毛利厨北条スレで煽りまくってた基地外だろ
お前調子のっとんなよ煽りしか脳ないならROMって社会性を身につける事を推奨する。
こんな都合いいタイミングで単発ID が何人もわらわら現れて相手を貶めるレスするわけねぇだろボケw

どー考えて毛利雑魚ですからwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww

そんな雑魚毛利を擁護するお前の脳ミソ死んでますからwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
死んで来い自演毛利厨
0459人間七七四年2007/09/10(月) 12:18:57ID:D8GfRHMf
信玄の場合、三国同盟を組んでいたから北上以外選択肢が当時なかったからっていうのもあるだろうな
西の美濃攻撃は、地理的に難しいし
今川はまだ桶狭間の打撃の前で、東海随一の大勢力
北条には政戦双方の達人である氏康が健在
当時の謙信は、まだ越後一国を統率できるかどうかというレベルだった
対決する場合一番楽なのは謙信
0460人間七七四年2007/09/10(月) 12:29:27ID:ZbNViNxA
>>443
>そりゃ三好に統率力のある実力者がいなかったからだろ
だろ?ようは畿内持ってても雑魚は雑魚
>そんな狭い道をどうやって大軍を通していくのか? 今川が存在しているのにその道を通る危険性は?
>信濃から岐阜に攻め込んで補給は追いつくのか?
謀略でも使えばいいだろうが 今川は同盟者だし中継地点もどこにでも
作れ後に岩村とったくらいだしな
>すべての大名が天下統一を狙って行動しているとでもお思いなのでしょうか?
国力挙げないといえがたもてんだろうが畿内重要なら畿内目指せばいいだけ
天下目指して立って信玄みたいに今川との同盟破る等して畿内目指してる例
いくらでもある
>少なくとも武田なんかより遥かに恐ろしい相手だろ。
妄想乙本願寺なんて上杉や毛利に依存して堅固なとこ篭って
一向宗どもを使って荒らしまわってただけじゃねぇか
自力では大した戦力にはならん雑魚近畿勢www
>領内で騒ぎ起こされるは敵勢力と組んで対抗してくるわでやりたい放題。
>実際信長軍主力が攻めに転じてる際に五分以上に戦えたのは本願寺だけなんだけど?
他勢力に依存して堅固なとこ篭ってた割にはあっさり終わりましたね
>動員数も他の勢力と比べ物にならない。信長の弟も戦死させられている。
信長の弟が捨て駒にされたか弱かっただけだろうね
>脅威の重みはどう考えても 本願寺>武田 相手にする優先順が違っただけ。
妄想語ってんじゃねぇよボケ 根拠もねー癖に武田を滅ぼせなかった事に
都合いい理屈つけとんな馬鹿がwwwwwwwwwwwwwwww
>大友が『関白秀吉』に助けを求めたから西を優先したんだろ?
東国で助け求めた勢力はなかったんかね?佐竹とか
>それに臣従していた大国毛利が西にいるのもでかい。実際毛利は主力の中核として参加している。
東国だって臣従してきた所はあるだろ 東国侵攻先延ばしにする意味なんてない
西国中心思考の妄想をほどほどにしとけよ毛利厨
0461人間七七四年2007/09/10(月) 12:35:32ID:ZbNViNxA
>あったところでっていう。そんな偏狭のど田舎に積極的に中央政権がすすむ必要もない。
んなもん九州とかも一緒だろうがw西日本中心妄想はやめろ
>外様中の外様の宇喜田や南条が裏切ったところでそこまで激しい動揺はねぇよ。
外様だろうがなんだろうが味方が次々減ってんのにそれを未然に防ぐ対策や
裏切る前に攻勢にでれない時点で弱すぎる
>武田みたいに主力が派遣されましたってだけで外戚がころころ裏切るような糞体制のどこがすごいのか
お前ちゃんと理解してねぇな 武田は軍役負担で国人の不満が最高潮に達してたの
三方面に敵抱えてたからな 毛利なんぞ織田とたいした会戦もせず
裏切り続出の雑魚集団とはわけが違う
0462人間七七四年2007/09/10(月) 12:41:45ID:ZbNViNxA
>信長が上洛した時は三好は大混乱の後だったからなー
信長だって後に包囲網組まれてますね
>それでも延々と1575年ぐらいまで畿内で抵抗していたけどな、
中央追い出されて残党になっただけですね
>畿内が一段落したのでようやく本腰挙げて徳川支援したら長篠であっさり勝利と
お前ちゃんとわかってる?織田徳川方にも甚大な被害でてるだろうがw
二倍くらいの兵力さと高性能の鉄砲があり普通なら勝負にすらならなさそうだが
織田サイドの多大な死傷者、やはり雑魚毛利とは格が違う
あげ足とってよろこんでんじゃんぇよぼけwwwwwwwwwwwwwwww
0463人間七七四年2007/09/10(月) 12:50:27ID:yVlvRuPy
三方に敵ってそれは武田自ら敵にまわした相手ばかりじゃないか
0464人間七七四年2007/09/10(月) 12:52:07ID:ZbNViNxA
岩村の遠山家は武田方に通じてただろうがw
そこから西に向かえばいいだけだろw
手取川で織田を退けた謙信や三方が原で戦巧者の家康に大勝、長篠でも多大な損害を
相手に与えた武田
一方いいところなく家康にボロ負けする秀吉にやられまくる毛利
どー考えても武田、上杉>>>>>>>>>>>>>>>>>>毛利ですからwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
東国大名>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>西国大名はガチですからwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
西大名厨の痛い基地外妄想野郎は発言を控える事をお勧めします
西日本の戦闘力はウンコw
0465人間七七四年2007/09/10(月) 14:04:06ID:H8Oxs9kO
スレもりあげ頑張ってるのは分かるけど
正直、あんた背中がすけてるぜ?
0466人間七七四年2007/09/10(月) 16:52:47ID:SqTxEGKh
夏休みで暇だし大学友達いないし釣りでもしてみるか!

まで読んだ
0467人間七七四年2007/09/10(月) 18:26:49ID:XcDkLyLS
家康にぼろ負けの秀吉・・・か。
久々にこの一文を見たわ。っというか久々にメガトンって奴の登場でつか?
0468人間七七四年2007/09/10(月) 20:26:44ID:FKuF/Y4Q
いや、あいつは w じゃなくて w だったはずだが。
0469人間七七四年2007/09/10(月) 21:53:16ID:SqTxEGKh
   大   爆   笑

とかな
0470人間七七四年2007/09/11(火) 00:07:40ID:g2whOFlS
なんでこの手のヤツって似かよるんだろ
0471人間七七四年2007/09/11(火) 00:31:36ID:OMb013rB
戦国の不文律
上=武>徳>北条>里見
杉=田>川>豊臣>島津>龍造寺>大友=毛利>尼子>大内
0472人間七七四年2007/09/11(火) 00:42:34ID:bQS6dnIU
ランクスレで思いっきり語って罵倒されてこい
0473人間七七四年2007/09/12(水) 21:41:29ID:kFLXVfG/
ランクスレで語れるほどの知識も無いだろw
0474人間七七四年2007/09/14(金) 01:12:24ID:1zI53cM5
泣けるぜ
0475人間七七四年2007/09/15(土) 22:00:26ID:IwbBTAsa
毛利元就って確かに傑出した大名だとは思うが、やっぱ物足りない。
よく2つの大国に挟まれながらそれらに打ち勝って勢力を伸ばしてきた
っていわれてるけど、若い時の元就はそれら大内尼子の傘下にいたおかげで
生きながらえてきたわけだし、実際元就が本格的に行動(中国統一)を
起こした時ってすでに52歳の老練であり、相手の大国の大名は若輩者ばかり
陶晴方にしたって家中内部を散々元就にかき回されるような武将だった。
つまり皮肉るわけではないが元就はどこか勝って当たり前のような気がする。
いくらわずかな手勢で大軍を倒したっていっても、相手の武将がアホではあんまり
意味がないような気もする。


逆に武田信玄や上杉謙信などは、同等の力量をもった相手ばかりに打ち勝ってきた。

0476人間七七四年2007/09/15(土) 23:48:17ID:JYqoOxG/
相手がアホて…
0477人間七七四年2007/09/15(土) 23:49:25ID:eiX8Jrp0
>>逆に武田信玄や上杉謙信などは、同等の力量をもった相手ばかりに打ち勝ってきた。
同等の力量をもった相手ばかりに打ち勝ってきた?
wwwwwwwww
0478人間七七四年2007/09/16(日) 00:12:22ID:csXxbiz5
>いくらわずかな手勢で大軍を倒したっていっても、相手の武将がアホではあんまり
>意味がないような気もする。


この意見には一理あるな、村上義清等は傑出した武将かもしれないが
相手がアホの信玄だからな。わずかな手勢で倒しても意味無いよなぁ。
0479人間七七四年2007/09/16(日) 00:56:25ID:rPPQYpL+
元就の主な戦
有田合戦:対武田 安芸の国人衆を糾合し、毛利方の約4倍の兵力の武田を撃破
高橋討伐:対高橋 安芸・石見に一大勢力を持つ有力国人高橋氏を滅ぼす
郡山篭城:対尼子 尼子は中国8ヶ国の国人衆を大動員も毛利軍に連戦連敗
晴久侵攻:対尼子 尼子晴久の大軍を備後にて撃破
折敷畑山:対陶氏 陶先鋒の宮川軍(毛利全軍と同等の数)を殲滅
厳島合戦:対陶氏 毛利軍の4倍の陶晴賢の大軍を奇襲殲滅
防長攻略:対大内 1万の地侍の一揆軍・大内軍・尼子軍と3正面を同時に戦い勝利
出雲攻略:対尼子 背後から大友の侵攻を受けながら2正面作戦に勝利
0480人間七七四年2007/09/16(日) 04:13:15ID:F4IyKv33
信玄も勝頼に三本矢教えてれば……内紛が起きそうだ
0481人間七七四年2007/09/16(日) 12:06:20ID:yzzfHJEO
倒してはいないが信玄が戦略勝ちを治めてきた相手(強豪編)
村上義清・・・・・老練な戦巧者、これを見事信濃から追い出す
上杉謙信・・・・・信玄と近い世代で大国を築きあげる
北条氏康・・・・・同じく

毛利元就が倒してきた相手(強豪は無し)
陶晴方・・・・・・クーデターを起こし、敵の度重なる謀略を見抜けないアホ
大内義隆・・・・・上のアホに家を取られましたボンボン馬鹿ボン
尼子晴久・・・・・上のアホと大差無いほどのボンボン馬鹿ボン、家督を継いでから
         たいして進歩無し
0482人間七七四年2007/09/16(日) 12:19:36ID:O9zBt7fc
贔屓もいいところだな。西国無双と呼ばれた男をアホ呼ばわりか。強豪は無し?とりあえずその無知をなんとかしてから書き込んでください、よろしくお願いします。
0483人間七七四年2007/09/16(日) 12:48:53ID:csXxbiz5
元就は安芸の半分に満たない国人領主から中国を掌握した男だもんな。
信長くらいじゃないと比較対象にならないだろ、せめて氏康。信玄じゃ論外
0484人間七七四年2007/09/16(日) 13:10:19ID:d+9VS6uh
>>481
その言い方じゃあ、村上も上杉も敵の度重なる謀略を見抜けないアホ、ってことになるわけだが。
しかも、石高もどっちも武田より下だし。
にも係わらず武田は村上に二回敗退、上杉には勝ちきれず。
もちろん北条氏康には全く勝っていない。

なんか武田家の哀れさを強調しているようにしか見えないわけだが、そういう意図?
0485人間七七四年2007/09/16(日) 13:22:27ID:5jrfyMGS
村上って
すぐれていたより
完全に信濃の地位を確立してて
地盤を気づいてたってとこでしょ
んで敵対する勢力も武田しかなく地の利を生かしたゲリラ戦法で
武田を苦しめた
信濃じゃ武田は信虎の代とかで恨まれまくりっと
0486人間七七四年2007/09/16(日) 13:29:47ID:d+9VS6uh
村上は別にゲリラ戦なんかしていないが。
0487人間七七四年2007/09/16(日) 13:43:13ID:yzzfHJEO
>>484
こりゃあかんわ、何でそういう解釈になるんかなあ?(笑)
君リアルで散々馬鹿にされてるんやろうね何かにつけて(笑)

戦に大事なのは、指揮官の能力=兵法>>>>>>>>>>軍勢の数

こんなのは小学生でもゲーム脳でも理解出来ることやのに(笑)
信玄は未熟な時期から強敵と渡り合ってきた、信濃平定も相模への威嚇攻撃
も駿河平定も全て強敵に勝手のもの。
元就は未熟な時期は大国の傘に隠れていただけであり、その後は若輩者にしか
勝っていないだけ。
0488人間七七四年2007/09/16(日) 13:49:45ID:yzzfHJEO
信玄の功績

川中島で謙信を敗走させ信濃をほぼ手中にし、飛騨越中上州にまで
勢力をのばし謙信への備えとする戦略勝ち
駿河攻略を氏康と争い、包囲網を逆に氏康に仕掛け相模と駿河で戦に
勝ち、そして駿河を先に平定する戦略勝ち、氏康は小田原から出撃
するのが遅れてしまう(三増峠が先に終わった為)


元就の功績

・・・・・・・・・・何もないね、ただひたすら若輩者がおさめる国を
掠め取っただけ
0489人間七七四年2007/09/16(日) 13:50:14ID:Wp7Fz6uu
戦いは数だよ、兄貴
0490人間七七四年2007/09/16(日) 13:54:31ID:DL7k3+Kg
>487はナポレオンに喧嘩を売った
0491人間七七四年2007/09/16(日) 14:00:06ID:rPPQYpL+
信玄が大苦戦させられた相手
村上義清・・・・・僅か10万石程の弱小領主、謀略にもかかりまくり
上杉謙信・・・・・親から越後を受け継いだだけでその国内でも果てしない謀反の嵐
北条氏康・・・・・謙信相手には防戦一方、しかし信玄相手なら野戦で真っ向勝利

毛利元就が倒してきた相手
武田元繁・・・・・元安芸分郡守護、大内に真っ向から反抗し5000の兵を集める
陶晴賢・・・・・・歴戦の武勇の士、数百年続いた大内を正面から攻め滅ぼす
大内義隆・・・・・名門大内の最盛期を築き上げ、山口を西の京と言われるまでに発展させる
尼子晴久・・・・・尼子の最盛期を築き、室町幕府をして恐れせしめ介入させた
0492人間七七四年2007/09/16(日) 14:33:03ID:Oy023CNA
中国地方のマイナー争乱言われても他地域から見たらアンゴラの内戦ぐらいだしな
0493人間七七四年2007/09/16(日) 15:57:55ID:bE1TRDzH
>>487-488
今日は日曜日だしちょっと消防でも釣ってやるか。
まで読んだ。
0494人間七七四年2007/09/16(日) 17:30:47ID:yzzfHJEO
>>491←←まさしく西のはずれの田舎大名マンセー君wwwww

義隆や晴久なんてそんな高評価に値する大名ではないwww
ただひたすら滅亡を自らの手で招いただけのボンボン馬鹿ボンボンですww
ちなみに若い時の元就が信濃を攻略していたら間違いなく滅亡させられてましたね
家中をまとめきれてない当時の毛利であれば、敵の謀略に引っかかること間違いなし
山岳地帯で村上相手に勝てる見込みなんてゼロですねwww
いや、野戦で謙信にも勝てないだろうし、氏康あたりが互角じゃないか?
しかしいまだに氏康が信玄に勝ったなんて妄想を抱いてるとは恐れ入った(笑)
小田原撤退と見せかけてのおびき出し作戦なんて芸当は元就には出来ないだろうから
当然その厨にも理解出来るわけがないwwwwwwwwww
0495人間七七四年2007/09/16(日) 17:41:29ID:yzzfHJEO
毛利厨が信玄と比較したい時の特徴(これは世間でも散々馬鹿にされてる)

わざわざ老練になった元就と若い晴信時代の信玄を比較して
元就は寡兵で勝った、信玄は寡兵に負けたと都合よく比較することしか出来ません
砥石城攻めは真田の功績とかいっておきながら、最初はその真田のせいで負けたという
ことに関してはスルー。
大内の傘下で戦が出来るにも関わらず、武功は元就のものと勘違いする始末ww
何より寡兵で負けるような敵しか回りにいなかっただけであり、レベルが低すぎる中国地方は
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