門司を奪ったのは結構デカいと思うが。
毛利が中国西端を押さえてるのは変わらずに
それと繋がる九州北端を支配するのを、九州探題の大友が認めた形での和議締結だからね。
中国〜九州間における制海権において毛利が優位に立つし
なんといっても無視できないのが、その影響力。
重臣の高橋やら旧大内派の豪族やらが元就と内通して蜂起した事件だってあったんだから。
九州に毛利の勢力を残したままの和議が大友にとってどれだけのマイナスであった事か。

戦費に関しては毛利も大友も同様だし
どう考えても大友の方がマイナスは大きかったんでないかな、と。
ま、俺の主張としちゃ「毛利の判定勝ちに近い引き分け」だったんだけど
>>240の言う「痛み分け」が一番正解かもね。
「毛利と大友を比較すれば、毛利はプラス、大友はマイナス」と言ってみたところで
「毛利も戦費に見合う程のプラスではなかった。結果的に見ればマイナス」なのには反論できない。