毛利元就と武田信玄を比較検証するスレ その5
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0001人間七七四年
2007/06/30(土) 20:18:43ID:q1CeW9qR毛利元就と武田信玄を比較検証するスレ その3
http://hobby9.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1179091146/
毛利元就と武田信玄を比較検証するスレ その4
http://hobby9.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1180706357/l50
0171人間七七四年
2007/07/06(金) 21:40:14ID:3XrTVuhJだからこそあんな調略が成功したんだよ。
磐石の態勢の大友には劣勢だったことがそれを示してる。
0173人間七七四年
2007/07/06(金) 23:06:45ID:U6Jjd5RGそれいったら諏訪氏や小笠原氏は有能だった先代の死後衰退が始まっていたと言えるし、
今川なんてあからさまじゃん。
0174人間七七四年
2007/07/07(土) 00:26:21ID:UiNEKTpiまぁ謙信と義元と信長くらいしか大名の名前すら知らないんだろうけど
0175長門 ◆q8GdomS4XA
2007/07/07(土) 03:10:14ID:5OwPGXnb>>磐石な大友
ズコー
ヽ(・ω・)/
\(.\ ノ
大友家臣とか内乱起こしまくりなんだけどねww
九州への毛利の干渉も大友にまとまりがなかったからでは?
弱体化・混乱
大内→陶への政権交代はある意味奇跡に近いくらい混乱を最小限に食い止めれてると思うがどう思うか俺は聞きたい。
しかも大内・大友との争いを無くす一石二鳥な戦略は見事。
尼子も粛清の影響を感じられないし。寧ろ次代の暗愚が致命的。
今川氏真が出てきたと例えるのがよいかな。氏真に失礼だけど。
0176人間七七四年
2007/07/07(土) 10:38:47ID:TtjOf2adこれは上野と同じだが、緊要地かつ古くからの名族が根を張る場所へのアプローチは難しいね
今日こっちの味方でも明日はあっちにつく、なんていう傾向が凄く大きいから
0177人間七七四年
2007/07/07(土) 13:12:08ID:J3ixyXejあれは普通に晴賢スゲーと思ふ
0178人間七七四年
2007/07/07(土) 14:47:49ID:Eu8jO7y5それに、弱体化してたから〜みたいな事いうやつ頭悪いのでは?
弱体化につけこんで勝利するのは見事な戦略だよ
武田信玄が勝てる戦に勝つ主義も見事なものだ。正々堂々やったらどうとかって、ガキみたいなこと言うなよな
0179人間七七四年
2007/07/07(土) 15:29:32ID:azu6AxKMそりゃー一方的に嬲り殺されたのだからしかたないが
0180人間七七四年
2007/07/07(土) 16:34:45ID:Jz7v/mR/まるで、武田厨が対織田のことを持ち出されると沈黙しちゃうと同じだよな。
そりゃー一方的に嬲り殺されたのだからしかたないが
0181人間七七四年
2007/07/07(土) 16:50:58ID:azu6AxKM武田は対織田徳川で結構善戦してますよ
もっとも信長を追い詰めたといっても過言ではない。
何人も有力武将を討ち取っているし
一方の毛利は秀吉に何人も重臣討ち取られているw
0182人間七七四年
2007/07/07(土) 16:55:59ID:7NKx/5DN武田なんて長篠1回で織田に高坂以外の重臣皆殺しにされたからな しかも高坂が生き残った理由が参軍しなかったから
武田厨の妄想力は凄いな
0183人間七七四年
2007/07/07(土) 17:12:56ID:azu6AxKM0184人間七七四年
2007/07/07(土) 17:23:03ID:+0omzwDNそれまでの城主が家族人質にとられて降伏を
決めたけど重臣達から総反発くらって夜逃げ・・・
重臣が毛利に新しい城主を寄越してくれと懇願
最初は別の人を送る予定だったけどごねられて
経家送る事になった。
秀吉としては、鳥取城落としたと思ったのに
降伏した城主が家臣に追われて夜逃げしてくるんだから
当てが外れたと思っただろうな。
0185人間七七四年
2007/07/07(土) 17:26:52ID:7NKx/5DN城主の山名豊国はなかなかの人物で時流も読めていたが(普通に考えて妻子人質に取られたから裏切るはねーよ)他がバカで逃げ出した
吉川経家が来た時には兵糧が織田方にだいぶ売られていた そして兵糧攻め
秀吉は切腹すること無い と止めたらしいけど当時の人にとって城を落とされて国にノコノコ帰るのは恥だからな
0186人間七七四年
2007/07/07(土) 17:29:24ID:azu6AxKM元春なんて秀吉にビビッて鳥取城に救援にいけないんだもんな
0187人間七七四年
2007/07/07(土) 17:36:53ID:Jz7v/mR/もっとも信長を追い詰めたのは明智光秀でしょ。
その次は、今川義元かな。
浅野長政も金ヶ崎できわどいとこまでいった。
なんせ信長が京に帰還したとき、従う者はわずか10名って話だからな。
あと姉川の戦いもあるし。
他にも長島の一向一揆がもあるし、信玄なんてその次以下じゃね?
0188人間七七四年
2007/07/07(土) 17:40:09ID:7NKx/5DN信長を追い詰めたランキング
1位:今川義元(文句無し!)
2位:朝倉義景(国力4倍の差がある織田を何度も追い詰めた)
3位:本願寺(朝倉とどっちを上にするかは迷うところ)
0189長門 ◆q8GdomS4XA
2007/07/07(土) 18:03:23ID:5OwPGXnb正直な話し最盛期の大友にそんな簡単に勝てる訳ないだろ。
信玄がやらなかった大国同士の戦だぞ?
義元・氏康が最大期の時に信玄が比較的短期でこいつらの領土奪うのは難しいだろ?
あの「一時期」の宗麟の采配は元就を越えてるよ。
あの「一時期」の輝きがあるからこそ宗麟は言いたくないがゲームでかなり評価高いんじゃないか?
因みにこの時期は龍造寺も大友に降ってる、阿蘇・伊東・相良は親大友って事で九州じゃ無敵だよ。
一応九州探題だしね…。格も名も大友が遥かに上。
尼子の蜂起がなければ九州の戦国史はもっと面白かっただろうね。
>>181
毛利も織田に善戦してますよね?海戦では一度圧勝してる訳で。
本願寺を支えた訳で少なくとも織田をかなり苦戦させてるよね。
>>183
また輝元次代の話し?
勝頼時代の武田親族も可哀想なのがいっぱいいますね
>>186
高遠見捨てた勝頼はアホっていってるのと同レベル
0190人間七七四年
2007/07/07(土) 19:57:18ID:vl7+AAJR0191人間七七四年
2007/07/07(土) 20:05:04ID:Jz7v/mR/そのころは勝頼自身が見捨てられてたしな
0192人間七七四年
2007/07/07(土) 23:46:21ID:5ZOfFVYn最終的には豊前筑前の一部を領する程度になったとはいえ
信玄が上杉から奪った北信濃、北条から奪った駿河とそれほど変わらない
なのに元就が大友を滅ぼせなかったことをもって勝てなかったと言うのであれば
武田も北条上杉に勝てていないと言うことになるのに
0193人間七七四年
2007/07/08(日) 08:25:04ID:kalVcAz2ちゃんと吉川は鳥取城に救援の部隊を派遣してるぞ
鳥取城の籠城戦が始まったのが7月10頃で7月下旬に
嫡子元長を派遣してる。
秀吉も毛利の援軍の足止めする為に部隊を派遣して対抗してる
元春は元長の増援要請をうけて9月下旬に出陣してる。
鳥取城の落城が10/25だから救援部隊到着まで
鳥取城が持たなかった。
0194人間七七四年
2007/07/08(日) 09:50:35ID:Ptq02DtH0196人間七七四年
2007/07/08(日) 14:15:32ID:8p1iSF+i何が無敗だよ。雑魚じゃん
0197人間七七四年
2007/07/08(日) 14:16:17ID:8p1iSF+i曹操=信玄
0199人間七七四年
2007/07/08(日) 16:19:28ID:IHHpRnVXその武将が直接戦場にいなかった戦いはカウントしなかったりとか
で、貶めたい武将を対象計算にするときは、本人がいない負けでも加えるとw
信玄の勝率九割、信長七割説なんか露骨なまでにその例
0200人間七七四年
2007/07/08(日) 16:27:27ID:8p1iSF+i0202人間七七四年
2007/07/08(日) 17:31:50ID:ajYAk1we一度なら相手のまぐれともいえるけど、何度もやっちゃってるからなぁ
後世の、徳川マンセーのために余禄で過大評価されちゃってる武田家
ある意味ストレートに評価されない不幸がついてまわる
0203人間七七四年
2007/07/08(日) 18:01:22ID:8p1iSF+i家康を追い詰めた武将なんて他にいないわけだし
0206人間七七四年
2007/07/08(日) 20:11:01ID:xGRJGbN0上田原の戦いが2倍以上の兵力差?長野にボコボコ?
捏造ならもっとうまくやりなww
>>205
合戦の結果は当然だがその兵力差にもかかわらず合戦に引きずりこんだ手腕こそほめるべき。
もともと家康は篭城しようとしていたのだしな。
0207人間七七四年
2007/07/08(日) 20:31:16ID:r5OCIhQE織田と同盟してんだから黙って見てるわけにはいかないだろうが、家康はむしろ信長に
びびっていた
0209人間七七四年
2007/07/08(日) 21:24:39ID:O7l6yCFh小田原でもあのまま引っ張り出して叩けば、そのまま駿河どころか伊豆相模も手に入ったぞ
箕輪城も同じく、何年もかける必要なかったのにな
結局武田の挑発に乗った徳川部隊の突出が原因なんだから、それを制御しきれなかった徳川の失点でありこそすれ、別段武田を褒めるようなことじゃない
それとも徳川のこのときだけえげつない挑発でもしたのか?
あんまり思いつかないが
0210人間七七四年
2007/07/08(日) 22:14:33ID:xGRJGbN0>なら野田城でも引っ張り出して叩けよって話し
小田原でもあのまま引っ張り出して叩けば、そのまま駿河どころか伊豆相模も手に入ったぞ
そういうのを屁理屈と言うんだよww
>結局武田の挑発に乗った徳川部隊の突出が原因なんだから
三方ヶ原台地での話しなら、あの時点で撤退できるわけねーだろw
その前の浜松城から引っ張りだした話だよ。
それとも浜松城から勝手に出陣した部隊でもいたのかよwwそんなの初耳だけどな
0212人間七七四年
2007/07/08(日) 22:27:25ID:Y20PL0sX信長の言うとおりにしてたら遠江での支配力低下は必至
別に信玄が引っ張り出したわけじゃないww
0213長門 ◆q8GdomS4XA
2007/07/08(日) 22:33:17ID:guj7cIC0織田に籠城策を勧められても領主としては一戦やって領主の立場を見せる必要性があるわけだ。
只でさえ一向一揆を経験して領民の統制に躍起に成っているのにこれを
見過ごしては例え信長の作戦は成功して武田に勝っても後に禍根を残すことになる。
ここでは上手く家康をボコった信玄は中々ここでは上手くやったと思うが。
家康もちょっとどつくつもりが……って感じだったと思うが。
0214人間七七四年
2007/07/08(日) 22:57:11ID:kalVcAz2数が劣ってるのに包囲殲滅しようと鶴翼の陣で攻撃かけたからな
丘の上で魚鱗の陣に陣立てを変えて待ち構えられてるとは
思わなかったんだろうなw
0215人間七七四年
2007/07/08(日) 23:44:32ID:XodJD+ge>三方が原は戦略的に見てみたら家康の判断は妥当
それこそ屁理屈だろ。
単騎で命からがら逃げなきゃならんくらい、
ヘタすりゃ死んでたわけだから、無謀というべき
0216人間七七四年
2007/07/09(月) 00:33:08ID:Mz4cUA8g出撃して武田と戦おうという姿勢を見せたのは政治的には正しい判断。
しかし深入りしすぎて多大な被害を出してしまったのは戦術的に失敗。
0217人間七七四年
2007/07/09(月) 07:15:11ID:JBfz7kvkだから戦術的には負けたんじゃないか
ただ、三方が原は武田の大勝といっているが実際のところ死んだ武将は織田の平手ぐらい
家康は死にかけたけど、重臣クラスは全く死んでない(酒井、石川、本多あたりは普通に生きてるし)
大勝というなら長篠みたいに重臣皆殺しにするか、一乗谷のように相手大名まで勢いで殺してしまわないと
0218人間七七四年
2007/07/09(月) 09:35:14ID:T4n0uarM武将貶めるレスは全部メガトンだ。ちゃんしたレスしろよ、できないならROMってろよ
0219山形義光
2007/07/09(月) 09:46:40ID:LRaIueEYあれはどうなの?
0220人間七七四年
2007/07/09(月) 11:22:41ID:/sddX87Zさすが毛利厨、敵方を取り込むことせず殲滅がデフォ。
尼子残党を農民使って鉈や鎌で惨殺、怨霊がその土地に居座り
津山事件を誘発したのも全て毛利の仕業
0221人間七七四年
2007/07/09(月) 12:51:29ID:JBfz7kvkあんなの実際にあったわけないだろ
兵士は農民だし 大体そもそもわざわざ陣形とかいうのを使う必要もない
0222人間七七四年
2007/07/09(月) 12:53:56ID:T4n0uarM0223長門 ◆q8GdomS4XA
2007/07/09(月) 13:00:41ID:9WIGhSmp実際使われるのは2、3種って話しらしいが。
それとゲームみたいに劇的な効果は無いってことだね。
0224人間七七四年
2007/07/09(月) 13:04:35ID:JBfz7kvkでもそれ以上のはまず無い
カクヨクの陣っても長篠の織田みたいに横に長く軍を並べてるぐらい
後付けで魚鱗だのカクヨクだの呼んでるだけ
0225人間七七四年
2007/07/09(月) 15:11:50ID:UQMK5Swi降伏した義兄・諏訪頼重を騙し殺した信玄と一緒にするなw
0226山形義光
2007/07/09(月) 15:13:51ID:LRaIueEY0227人間七七四年
2007/07/09(月) 15:56:47ID:41OIblZN>>179
対大友は戦術的には毛利が勝ってるだろ。
終盤は特に毛利方が連勝してんぞ。両川を投入した成果だろうが。
和議締結に関しては、本領の中国にて尼子残党の蜂起があったのが大きいし
毛利の九州への侵略失敗を全て大友の功績とするのは疑問が残る。
大友の勝ちと主張するにしても、戦略的に見た場合での結果論だろ。最終的に婚姻結んで和睦してんし。
ま、外交手腕では普通に宗麟>元就だったんだろーと思うがね。
なんせ戦場での負けによって奪われた九州の領土を、外交によって奪い返したってんだから
宗麟の駆け引きに関する能力は図抜けてる。
尼子残党の蜂起、足利将軍家の権威、と利用出来るものは全て利用して毛利の弱みに付け込んでるからな。
こと戦術に関してなら、門司城における小早川隆景の活躍なんかは見事だよ。
隆景は本質においては政治家だったんだろうけど、軍略もスゲーよな。
0228人間七七四年
2007/07/09(月) 16:38:56ID:B4iYE1T9あれはサッサと大友と和睦して、内乱鎮圧に取り掛かった元就の判断も褒めるべきだとオモ
所詮九州は戦で一時的に奪った土地、和睦して大半を返してもプラス5がプラス1になるだけ。
だらだら未練を残さずに奪った領土を返上し、内乱鎮圧にも成功して失う物の無かった毛利は戦略的にも負けたとは思えない。
戦で負けてた宗麟が外交によって引き分けに持ち込んだって所だろ。
元就が明確に敵対した大勢力、尼子、大内、大友の中で元就に滅ぼされなかったのは大友だけ。それで十分。
0229人間七七四年
2007/07/10(火) 03:10:37ID:9Y1yyzaE元就が九州に攻め込んだ目的ってご存知?博多がほしかったんだよ。
で、元就は博多を手に入れることができたのかな?
戦略と戦術、戦争と戦闘の違いを理解してからどうぞ。
0230人間七七四年
2007/07/10(火) 06:58:02ID:HovTYsuG戦場においては毛利が勝利し領土を侵食していたからこそ、和議の段階で大友に返還する領土を有していた訳で。
戦前との領土比較を行えば、毛利は北九州の要地である門司城を奪い取ってる。
それは大友から見ればマイナスの結果であり、毛利から見ればプラスの結果。
「とにかく博多を奪えなかったら負け。博多さえ守れば他の領地奪われていても勝ち」なんて事はないだろ。
大友は領土を失ってるが、毛利は大部分を返還してもなお領土を増やしてる。
俺に言わせりゃ毛利の判定勝ちだが(もちろん博多まで手に入れてりゃ完全勝利だ)
失った領土の大半を取り戻し、和議を結んだ大友の外交戦術を考慮して引き分けが妥当だろう。
0231人間七七四年
2007/07/10(火) 08:35:21ID:wdTTL7lw桶狭間以来のゴタゴタで実質壊滅状態の今川はともかく、既存の敵に加えて徳川北条を敵に回したら大ピンチになることぐらい、わかるよね
信長に「あなたに見捨てられたら信玄は滅亡です」と講和仲介願い出したけど、単独講和能力すらなくなってたわけ?
0232人間七七四年
2007/07/10(火) 09:31:48ID:KuR65Rsg軍事の吉川、政治の小早川といった風に差別化されるのは主に隆元の死後の話で
生前は両川共に軍事方面で活躍してる。
0233人間七七四年
2007/07/10(火) 09:42:13ID:XN0FwW+90234人間七七四年
2007/07/10(火) 10:12:51ID:HovTYsuG(邪推だが、元就が大事な嫡男を戦死させぬように、この役割につかせた可能性もあり)
隆元の死後は、隆景がその任を帯びる事となり、吉川元春が単独で戦線を支えるような形になった。
隆景は自らが「縁の下の力持ち」を代行する事で、初めて隆元の存在が如何に重要であったのかを身に染みて感じたという話。
0235人間七七四年
2007/07/10(火) 10:13:15ID:jBMxbnms脅威度数は、島津 > 鍋島 > 秋月 > 毛利 こんなところ。
0236人間七七四年
2007/07/10(火) 10:27:36ID:HovTYsuG尼子大内残党 > 大友
だったからこそ、九州で獲得した領地の大半を返還してまで和睦し
尼子大内残党とサシで向き合う必要があった訳で。
0237人間七七四年
2007/07/10(火) 11:22:35ID:+rxgzqXv何年ごろの脅威だ?
島津なんて元就が生きているころは大友の眼中にあったかどうか怪しいものだと思うが
鍋島は竜造寺の家臣だし、秋月は毛利の支援を受けたから大友に抵抗できたようなものだし
0238人間七七四年
2007/07/10(火) 11:24:23ID:KuR65Rsg海を隔てた外の大国より、内に抱えた豪族のが厄介という。
織田の脅威度数でもトップは浅井朝倉では?
0239人間七七四年
2007/07/10(火) 12:06:08ID:9Y1yyzaE他の領土も、ほとんど大友に奪回されてますが。
個々の局面でみれば毛利の勝利は多い。戦術の勝利だが。しかし最終的には
大友は目的を達成し、毛利は目的を達成できなかったばかりか、何年もかけて
築いてきた戦果を全て失った。
大友にとっては防衛戦争で、毛利にとっては侵略戦争。戦争の途中経過では
領土を蚕食されたが最終的にはほぼ取り戻した大友と、多年の侵略でもわずかな
領地しか得られなかった毛利。
もう一度いいますが、戦争と戦闘の違いというものを学んでください。
そして、宗麟にせよ元就にせよ、大名に求められるのは戦闘で勝つ能力以上に、
戦争で勝つ能力です。(前者も持ち合わせていれば言うこと無いが)
極端な話、戦闘でいくら勝っても戦争で負けた例なんて歴史上いくらでもある。
世界史だったらレパント海戦とか、日本史でも長久手合戦なんてありますね。
0240人間七七四年
2007/07/10(火) 12:26:09ID:hG1nFdF6>>239
戦争を、お互いの王を取り合う将棋のように、単純だったら、あんたの言う通りなんだが…。
毛利大友双方の痛み分けというのが、オレ流の見方なんだけどね。
毛利は、勿論、博多どころか、出費以上の戦果を獲得したとは言えないし。
大友も、防衛戦の費用は、マイナスで、おまけに、門司を取られたんだからね。
費用対効果で考えれば、どちらもマイナスなんだよな。
>>230が言いたいのは、そういうことじゃない?
0241人間七七四年
2007/07/10(火) 12:27:08ID:uVd78HhAそんな価値観を持ち込むのなら、あらゆる戦争が不法私戦になる罠
0242人間七七四年
2007/07/10(火) 12:46:43ID:diEdrhVf外交とかの戦略を駆使して相手を追い詰めて
最後に戦闘してトドメをさすのが戦争だな。
戦闘は戦争の課程ってことか
じゃある程度、戦闘をする前に勝敗は決している
0243230
2007/07/10(火) 13:51:43ID:HovTYsuG毛利が中国西端を押さえてるのは変わらずに
それと繋がる九州北端を支配するのを、九州探題の大友が認めた形での和議締結だからね。
中国〜九州間における制海権において毛利が優位に立つし
なんといっても無視できないのが、その影響力。
重臣の高橋やら旧大内派の豪族やらが元就と内通して蜂起した事件だってあったんだから。
九州に毛利の勢力を残したままの和議が大友にとってどれだけのマイナスであった事か。
戦費に関しては毛利も大友も同様だし
どう考えても大友の方がマイナスは大きかったんでないかな、と。
ま、俺の主張としちゃ「毛利の判定勝ちに近い引き分け」だったんだけど
>>240の言う「痛み分け」が一番正解かもね。
「毛利と大友を比較すれば、毛利はプラス、大友はマイナス」と言ってみたところで
「毛利も戦費に見合う程のプラスではなかった。結果的に見ればマイナス」なのには反論できない。
0244人間七七四年
2007/07/10(火) 14:19:09ID:KuR65Rsg大友はそれ以上のマイナス
つか戦場で負け続きだった癖に「和睦したけりゃ領土返せ」で埋め合わせする宗麟の外交術は神。
元就は元就で連勝してたから将軍家からの仲裁も一度は拒否したのに
尼子残党が蜂起したら、これまでに切り取った領土を返してでも引き上げなきゃならんかったんだもんな。
戦術=毛利>大友
外交=大友>毛利
0245仙台藩百姓
2007/07/10(火) 16:42:05ID:h7PPF1fvそんな大友も島津には軽くボコられてあっと言う間に瀕死
その島津も豊臣相手には無様に逃げ惑うばかりでした
所詮猿山で大将気取りの田舎者ですお(≧ω≦)ブププーッ
0246宇喜多直家信者 ◆W.uAGfax.c
2007/07/10(火) 17:00:20ID:gJh/PzzM友好関係にあった三村を捨ててまで宇喜多と結ぶ。
謀反も許す。毛利はどうも宇喜多に弱いし甘い。
0247宇喜多直家信者 ◆W.uAGfax.c
2007/07/10(火) 17:01:47ID:gJh/PzzM0248人間七七四年
2007/07/10(火) 17:36:30ID:hG1nFdF6もしも、本能寺の変の際に、直家が生きていたら
板立てたら、結構伸びるんじゃない?
天下取りは無理でも、中国地方東部の大大名になるんじゃない?
0249人間七七四年
2007/07/10(火) 17:52:18ID:nXpshcy2いや、明善寺合戦とかを評価してないわけじゃないんだが
実際、どの程度暗殺によって勢力拡大したかは知らんが、同じ暗殺で比較される松永久秀と比べると
そういった面で見劣りする。
0250人間七七四年
2007/07/10(火) 18:07:35ID:HovTYsuG直家なんか、それこそ下克上の典型みたいな成り上がり方した英傑だしね。
両川ですら宇喜多の暗殺の魔手から危うく逃れたという逸話も残ってるくらい。
ただまぁ、何かと対応が甘かったのは織田に対する防波堤的な意味合いも大きかったと思うんだが、どうだろう。
「こりゃ勝てん」と判断するや否や、さっさと裏切って織田に臣従してる辺りが流石だけどね。
信者も認めてる通り、元就とはちっと活躍期が違う人物だけど。
ところで>>245みたいなコテ名乗ってる奴が「田舎者」とか抜かすのって
やっぱコンプレックスの裏返しなんだろな。いと哀れ。
0251人間七七四年
2007/07/10(火) 18:10:25ID:Q6Y2a3Lv日本人を生きたまま焼き殺されて謝罪も要求できない国とマスコミ
(あなたはアジア系アメリカ人によって日本が恐喝されている事実をご存知ですか)
原爆問題で大臣たたきをしているマスコミや広島長崎は、
加害国のアメリカには抗議らしい抗議をしていない。
正義の使い方が間違っている。
謝罪と賠償金を要求すべきであろう。
人を生きたまま焼き殺すなど、
従軍慰安婦の人権問題など比較できないほどの人権侵害である。
アメリカが従軍慰安婦問題で、中国韓国系移民の力によって政治力を振るって日本から賠償金を脅し取ろうとする美人局的行為をしているのとは雲泥の差だ。
原爆問題で日本がおよびごしなら、百年たっても日本は、アジア系アメリカ人によって賠償金を脅し取られるであろう。
原爆による人権侵害の提起は、アメリカが韓国の手先となって日本に行おうとしている謝罪と賠償金に対する牽制になるのだ。
0252宇喜多直家信者 ◆W.uAGfax.c
2007/07/10(火) 18:15:02ID:gJh/PzzM中央であんなことやってたらたちまち滅ぼされる。
また、暗殺は生涯の敵をつくる。最後まで反抗した三村が一例。
スレ違いすまぬ。
0253人間七七四年
2007/07/10(火) 18:33:57ID:xCBSm88Q曹操だったら川中島、つまり決戦クラスの戦いを何度もしたりせずに一発で制するからね。
>>229>>239
ゲーム的発想だな。
勝利条件を最初に定めて、それを満たせば勝ちという単純思考。
戦国において勝利というのは相手の土地を取らなければ意味がない。
防衛でも勝利と言える場合もあるが、その時は相手に大きなダメージを与えなくては意味がない。
多年の戦闘により大友も被害を被ったのだから、土地を取り返せてよかったねのレベル。
俺もこの前曹操云々言ってた様に(>>169)、結局大きな戦には勝って領土をどんだけ拡大できたが君主にとっては重要だとは思っている。
その点ではあんたと同意見だが、大友が勝利には賛成できない。
0254人間七七四年
2007/07/10(火) 19:05:00ID:nXpshcy20255人間七七四年
2007/07/10(火) 19:36:07ID:HovTYsuG三国志の英傑に例えるにしても、流石に信玄=韓玄は酷い。
益州を制した劉焉辺りが近いんじゃないか。
軍事的なイメージで言えば公孫瓚でも良い。
ってか俺も>>204みたく
「なんで韓信やねん。用兵の天才という意味なら元就のがよっぽど韓信に近いだろ」
と早合点しかけたな。
項羽と謳われた武田元繁も討ち取ってるし、元就。
国士無双ならぬ西国無双と呼ばれた陶晴賢を打ち破った毛利元就だが、意外とコレといった異名は無かったりする。
なんつーか倒した相手の異名が凄すぎて、それより凄いの付けられんかったんかね。
幼少の頃は安芸の麒麟児なんて呼ばれてたって話もあるけど、これもスケールが小さすぎる異名だから立ち消え。
甲陽軍鑑あたりじゃ山本勘助が「毛利元就これ即ち当代随一の英傑なり」とか言ってたけど、これも異名とは呼べない。
稀代の謀将とか、調略の鬼だとかいうのは後世のイメージから来るもんで、実際は戦場での働きの方が目立つ人だしな。
ちょっと寂しい。
0256人間七七四年
2007/07/10(火) 19:44:43ID:KuR65Rsg0257人間七七四年
2007/07/10(火) 19:58:30ID:9Y1yyzaE戦争とはなんのためにやるのかを知ってください。
例えるなら太平洋戦争のようなもの。日本は過程では大進撃して領土を大きく拡げ、
個々の戦場をみれば日本軍が勝利した会戦も多くあるが、最終的な戦争の勝敗は
問答無用に反論のしようもなく日本の負け。まあ毛利はそうなる前に講和で痛み別け
くらいで手打ちさせたが。
得失利益で考えればどちらも結果マイナスなのはその通り。しかし、戦争とは政治上
の目的を達成するための手段というのは紀元前から言われていること。
英仏百年戦争の勝利者は、フランスでしょう。たとえその過程で領土を半分以上
奪われ、多大な被害をだして収支すれば大マイナスだとしても。
0258人間七七四年
2007/07/10(火) 20:00:17ID:vjZhqiJV侵攻を開始しただろうな、尼子攻めのように
周りの豪族やら家臣やらを調略しつつじわじわと、
元就の寿命が来たのと織田の脅威で
二度と九州に目を向ける余裕が無くなってしまったけど。
0259人間七七四年
2007/07/10(火) 20:15:58ID:KuR65Rsg喩えが下手だね。
近代の国家間同士の戦争と
戦国大名同士の陣取り合戦とじゃ全然意味合いが違う。
毛利は大友に連勝してたのに、後方の内乱が原因で撤退を余儀なくされた形。
その弱みにつけ込んだ大友の外交手腕は見事だが
それでも豊前の一部は毛利に譲らざるをえなかった。
それだけ毛利が大友から勝ち取っていた領土が大きかったという事。
毛利の戦略目標が博多占領と断定するなら、大友の政治上の目的とは何だ?
九州探題としての防衛戦で、要地の門司を奪われたのは負けじゃないと?
毛利の判定勝ちと言われても仕方ない結果
0260人間七七四年
2007/07/10(火) 20:32:23ID:HovTYsuG俺個人の主張もあらかた書き終えた後なんで誘導↓
毛利と大友の北九州攻防戦を語ろう
http://hobby9.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1172121280/
0261人間七七四年
2007/07/10(火) 20:42:47ID:xCBSm88Q韓玄だとは思ってないですよw
>>257
日本軍の場合は敵の反撃によって押し返されたが毛利の場合は違うでしょ?
それに太平洋戦争は攻撃に出た時点でツーク・ツワンクに掛かったわけで、戦略負けしている。
パターンが違う物を比較に出しても・・・
こっちも例を出そうかな。
毛利の九州攻めでの講和は、攻城戦で門以外の入り込んだ城の一部を返したようなもの。
毛利は九州という城の内部にいつでも攻め込める状態にできたので勝利と言える。
0262人間七七四年
2007/07/10(火) 20:46:20ID:xCBSm88Q毛利と大勢力との戦いと武田の大勢力との戦いを比較することにはじまって、今毛利の戦闘能力を検証しているのだから問題ないのでは?
0263255
2007/07/10(火) 20:51:48ID:HovTYsuG直接253に文句をつけてた訳じゃないよ。誤解させてしまったのなら申し訳ない。
大友毛利比較に関してだけど、>>260で誘導したスレでは
結果で勝ち負けがどうこうだけじゃなく、それぞれの合戦の内容なども語られていて面白い。
未見の人は一読するのをオススメ。
0264人間七七四年
2007/07/10(火) 22:16:57ID:ecrlJS//0265人間七七四年
2007/07/10(火) 22:28:59ID:KuR65Rsg0266人間七七四年
2007/07/10(火) 22:33:56ID:0Istod90日頃から気をつけてない信長でも本能寺の変までしぶとく生き続けてたんだ
普通の大名を暗殺できるわけないだろ 天翔記じゃあるまいし
0267人間七七四年
2007/07/10(火) 22:35:42ID:ecrlJS//0268人間七七四年
2007/07/10(火) 22:59:29ID:xCBSm88Q毛利じゃなくて宇喜多主体にしたらスレ違いだぞ。
0269人間七七四年
2007/07/10(火) 23:17:25ID:9Y1yyzaE大友の政治目的>領土を毛利から取り返すこと。博多を確保すること。
毛利の政治目的>九州の旧大内領とくに博多を手に入れること。
で、どちらがより大きく達成できたでしょう?
特に、博多の一歩手前まで進出していながら、最後に大敗してそれまでの
戦果をふいにしたことを思えば、敗戦とするしかないでしょう。ただ、それ
までの勝ち分が大きかったので、その貯金のおかげで門司は確保できたけど。
認識が違うのでこれ以上続けてもどうにもならないと思いますが、戦争と
いうのは領土のとったりとられたり以上のことが求められます。地方領主
レベルならそれでいいですが、大名ともなれば何故、どうして、なんのために
その土地が必要なのか、という観点から行われるものでしょう。私は元就は
大名としても非常に優れた人物だと思っていますので、ほとんど領地は取り
返され、戦略上の要地ではあってもわずかな領地が増えただけで「勝った!」なんて
思うようなちっちゃい小物とは思いません。
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