>>218
人質の御坊丸(勝長)を信長に返した件については
勝頼の弱腰の側近達の保身策というか、当時天下布武を
成し遂げつつあった信長の心証を少しでも良くしようと
の配慮だったのかもしれない。そしてそれが逆に信長から
して見れば、あの猪武者の武田四郎が、焼くなり煮るなり
好きにしてよいはずの人質を帰してくるとは、まさに
「コレガ塩カ」と甲州征伐を決断させたと司馬爺か誰かの本に
描かれていたような。