■■武田勝頼 総合スレッド パート2■■
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0001人間七七四年
2007/06/26(火) 05:39:02ID:IewQWofV前スレ
武田勝頼は愚将ではない
http://hobby9.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1169113631/
0002宇喜多直家信者
2007/06/26(火) 05:41:21ID:DY6XfkJQ0003勘助
2007/06/26(火) 06:24:53ID:661eAAyI勘助をお許し下さりませ〜o(T□T)o
0004人間七七四年
2007/06/26(火) 06:42:47ID:dzET7Se1こんなやつを評価するのは戦の勝った負けたしか見ない戦争馬鹿だけだな
0005人間七七四年
2007/06/26(火) 12:41:00ID:CUGeG+PGタヌキだけでも潰したかったんじゃないの
0006仙台藩百姓
2007/06/26(火) 13:11:37ID:sxzjMtV50008人間七七四年
2007/06/26(火) 14:10:27ID:PVl3HC1L数ヵ月後には信長も死んでいる
0009人間七七四年
2007/06/26(火) 14:31:52ID:BbS+UkGA0010人間七七四年
2007/06/26(火) 14:43:25ID:NlkZ3QKS自分からその関係を破棄しなければならない状態に追い込まれる事が多い
武田が織田と同盟しても長続きはしない
0011人間七七四年
2007/06/26(火) 15:09:06ID:NlkZ3QKS上洛直後から足利義昭追放までの織田家がまさにこの状態で
武田よりももっと規模が大きかった
急激に広がった領土を少ない兵力で走り回らなければらなかった
織田と武田の差は、織田は最終的に維持できたが武田はできなかったという部分だけ
ただの結果論でしかない
0012人間七七四年
2007/06/26(火) 15:19:49ID:z53IVEy20013人間七七四年
2007/06/26(火) 16:41:50ID:v64g3tXo個人的な印象では、勝頼は最強クラス(信長、信玄等)
より少し下の名将クラスだと思う。
まず長篠の戦い、御館の乱、新府城建設以外は特に問題ない事から
愚将ではないと思う。
内政に関してもWikipedia読んだ感じだと、進んだ考えを持っていた
と思う。結果的に失敗してるけど長篠の戦いで重要な家臣大部分失い
支持力低下、さらに内政改革を支える優れた家臣がほぼ壊滅してる状態
等を考えるといい考え持っていても形にするのは難しいと思う(信長ぐらい?)
手足となる名将不足は徳川、北条戦や外交にも大きく影響してると思う。
勝頼が優れてると仮定しても手足がなければ(足りなければ)どうしようも
ないんじゃないかな・・(名将で権力ありそうなのは高坂ぐらいだった
と思うし・・ 武田の当時の状態の場合権力ないと名将といえども
腕は振るいづらそう。)
戦略に関して優れてるかはわからないけど局地戦においては十分強そう。
問題は@長篠、A御館の乱、B新府城建設だけど @については どんな
名将も一度や2度は自分の知る限り負けてるし、武田が負けじゃなく大敗に
なった理由は一部の将が勝手に撤退したからじゃないのかな? 仮に彼らが
残ってたら砥石崩れや上田原の戦いレベルの負けになったんじゃないかな
と思う。(この場合、武将の犠牲が史実よりかなり抑えられると思うので
その後の内政や外交、又は徳川戦がいい結果になったんじゃないかな)
どんな名将でも勝手に離脱する部隊が出たら 勝てる戦でもまず勝てないと
思う。勝手に離脱したのが勝頼自身の責任じゃない限り大敗の責任は勝頼
じゃないと思うし、負け自体はどんな名将でもあるので長篠だけで勝頼を判断
するのは難しいんじゃないかと思う。(それに勝算はまったくなかったのかな?
最近、本屋で勝頼の漫画(作者忘れた)読んでみたんだけど、全軍で総攻撃に出て
右翼か左翼、敗れれば混戦に持ち込んで引き分けか勝利持ち込めないかな?
混戦に持ち込めば大軍の方が不利じゃないのかな・・(混乱しやすそうだし
陣地篭ってる事から大軍の利点 生かしづらそう 実際はどうなのかわからず
作者の影響と想像の話だけど)
それに陣地を破られたショックもでると思うし、姉川の戦いから織田は
相手が一丸となってくると弱い気がする。(イメージだけど)
それに 聞いた話だと一部の将はすぐ死んだけど柵(三つ目)をやぶったとか
いってる。これが真実なら全軍総攻撃すれば敵陣破れる可能性あったと
自分は思う。
それと、家康、信長出てきた時点戦いをさける事は難しいんじゃないかな。
敵の大将、しかも信玄が生きてたころより情勢が信長有利な状態で。
さらに勝頼の権力が多分高くなかった事考えると・・(逃げたら一部の将
除いて全体的には低下しそう。
まぁ この辺はますます詳しくないのでここらで終了。
A、Bはウィキペディアみた感じAは結果的に失敗だけど考えとして
は間違ってないと思う。Bは失敗だと思う。
にわかじこみの知識で変な文章だったら申し訳ない。
そして長文 すまない。
暇な時にまた見に来ます。では〜
あの信長も勝頼を高そうな評価してる事考えても名将の下か
中レベルはありそうな気がします。
0014人間七七四年
2007/06/26(火) 16:50:30ID:kGMBkxzc0015人間七七四年
2007/06/26(火) 17:02:40ID:TzHRf/z1北条を巨大化させたら余計大失敗だろ
0018人間七七四年
2007/06/26(火) 17:58:28ID:ePGCwt9T0021仙台藩百姓
2007/06/26(火) 19:32:02ID:sxzjMtV5御館の乱で景勝側に転じた事自体が失策だっとは思えないお
0022人間七七四年
2007/06/26(火) 19:46:21ID:kGMBkxzc>>21
結果論でないというと何?景虎と景勝だったら景勝の方が賢いとかそういう問題?
0023人間七七四年
2007/06/26(火) 19:54:29ID:aomDeLTt9月には徳川の攻勢が激しくなったため両者から手を引き
北条もそのころになってようやく景虎の援軍を本格化させたが雪の季節になって
すぐ撤退
そしてその後の雪解けまでに景虎が討たれてしまう
ここで北条が自分こそ半年ほど武田にだけ戦わせておいた癖に
景虎が死んだのは武田が積極的に支援しなかったせいだと言い出して武田と断交
基本的にはこんな流れでしょ
景勝は武田の中立を書状で武田が自分に付いたと宣伝しまくっているけど
武田は景虎と景勝和睦後は中立を守っている
0025人間七七四年
2007/06/26(火) 21:34:02ID:dvmaRKzV仮に御館で北条が勝ち越後を北条が抑えても鎮圧に八年かかった新発田の乱のごとく反乱が頻発し
しばらく同盟中の武田には手が出せんだろな
多少の時間の先延ばしかもしれんが少なくとも武田が広大な戦線で多方面作戦を犯す愚は避けられる
0026人間七七四年
2007/06/26(火) 21:50:02ID:3XAdfNZT北条が協力すれば、鎮圧に8年もかからないかもしれない。
それに逆に武田は、西にしか領土が拡大できなくなる。
木曽から抜けるにせよ、東海道を進むにせよ、結局は長篠と似たような状況に陥りそう。
0027人間七七四年
2007/06/27(水) 03:41:13ID:JJkwE2aC北条についても「失敗する」という結果しか起こりえない状況で失策もクソもあるのだろうか
よく考えてもらいたい
0028人間七七四年
2007/06/27(水) 05:28:18ID:/moFvAunこの局面で体制を固めて生き残ることより拡大することを重視するというのは
最終的に史実どおりほとんど敵に回して四方八方から袋叩きになると思うが
0029人間七七四年
2007/06/27(水) 05:46:32ID:iy9aESoT0030人間七七四年
2007/06/27(水) 07:34:40ID:4nKuanT7というか、史実では御館の乱で揉めたなんていっても、実際のところ北条とは目立って争ってないだろう。
仮に景虎支援継続の場合、金すら得られずにより困難を極めたと思うが。
体制を固めるっていうけど、戦をしなければ固まるってものじゃない。見返り、領地なり金が要る。
栄えた商業都市でもなく、冬は閉ざされる貧しい領地の武田は、拡大を続けることで体制を維持してきた。
外部からの収入をなくしては、現実的に体制を固めるどころか維持すら不可能。
しかし、領地を得るために兵を起こす余力はなく、金もない。
御館の乱からわずか2年余りの高天神城落城が、如実にジリ貧で手詰まりだったことを現している。
0031人間七七四年
2007/06/27(水) 18:46:38ID:fYWg89zkそれは思った。北条に兵だけ貸すって言われてもな…
>>27
どういう過程を経て失敗するのか?
その失敗とは滅亡?
0032人間七七四年
2007/06/27(水) 20:01:33ID:2A+5obU1>どういう過程を経て失敗するのか?
>その失敗とは滅亡?
その後の上杉家と北条家を多少なりとも知っていれば
わざわざそのような低知能な質問をすることはないはずだが
0033人間七七四年
2007/06/27(水) 20:17:34ID:sO8WuU+70034人間七七四年
2007/06/27(水) 23:36:41ID:fYWg89zk面倒くせえな、お前みたいな奴は。
聞きたいのは、27の言う「失敗」が景勝側に寝返った場合とどのように違うのか。
それを受けて「いや間違っている、北条についた方がよかった」、「景勝側に寝返ったのは正しい」と言う議論をしたいだけなのだが
0036人間七七四年
2007/06/28(木) 18:45:39ID:0ZiwAXlE信忠は松姫に惚れていたのでなんとかなる可能性はある。
以前の知恵遅れの知的障害のアホみたいに「当時の人質の意味担保」だとか言うなよ?
現代の意味を使っちゃいけないなんてよくわからない定義を出すなら当時の言葉しか使うな
0037人間七七四年
2007/06/28(木) 19:22:26ID:6Z7U/mcO0038人間七七四年
2007/06/28(木) 21:17:09ID:re8epyts信忠は信長にほされて信長の直接指揮で武田滅亡。勝頼は部下から他大名まで
全ての侮蔑を買って惨めに死亡ってとこだな。
0039人間七七四年
2007/06/28(木) 21:19:46ID:8d9YXLrO0040人間七七四年
2007/06/28(木) 21:51:39ID:MCZ0NDkg0041人間七七四年
2007/06/28(木) 22:00:53ID:A3MQuKe10042人間七七四年
2007/06/28(木) 22:05:37ID:8d9YXLrOここで信長がどう動くか。自らが退く性格かな…?
0043人間七七四年
2007/06/28(木) 22:16:07ID:0ZiwAXlE実際には殺さないな。
人質は無事だから意味があるのでそのことはよく松姫にも言うだろ。
義信殺した武田に松姫一人どうにか出来ないのかと思いたい。
0044人間七七四年
2007/06/28(木) 22:22:23ID:MCZ0NDkg0045人間七七四年
2007/06/28(木) 23:55:45ID:lrpW3zNj0046人間七七四年
2007/06/29(金) 02:48:50ID:Rcc40gOA0047人間七七四年
2007/06/29(金) 20:53:33ID:SwHCxQ9Dだけど信長に対して不満が高まって、また新たな内紛が始める。
0048人間七七四年
2007/06/29(金) 22:50:19ID:bC0i5b2Pされて攻撃を手控えるようなタマでは信長の叱責どころか配下武将からも「あのボンボン
大丈夫か?」と不安視されるだけ。
どう好意的に考えても、信長に「若殿を叱って目を覚まさせてください」となるな。
新たな内紛?なにそれ?しいて挙げれば後継者の地位が動揺して兄弟相克が始まるくらいか?
こんなことで信長に対する不安なんて生じるはずもない。
0049人間七七四年
2007/06/30(土) 02:52:02ID:R0sqeQrj判断材料ひとつにはなるんだな。
世界史でもよくある事例だ。戦国時代でも情による君主の路線変更は。
戦国時代しか知らないんだからそういう好意的にとか希望的観測にしか過ぎないことを事実のようにかけるんだよ。
むしろ信忠が武田との利を信長に示せばokなだけで敵方というか和睦希望を敵方には出来ないな。
0050人間七七四年
2007/06/30(土) 13:24:19ID:Ajgk+3kf勝頼の最後を考えると土屋昌恒以外に有名所で殉じた奴いねーのかな?
0051人間七七四年
2007/06/30(土) 13:52:19ID:r7ZqXFybええと、信長は家臣の心を掴めなかったから死んだんだよね?
それに、当主に不満がある家臣が世継ぎを祭り上げるなんてのは良くあること。
0052人間七七四年
2007/06/30(土) 14:04:30ID:HIm7yauz名前が変わった理由ってなんなの?
3代当主 源清光(源義清の子)
4代当主 武田信義(源清光の子)
0053人間七七四年
2007/06/30(土) 14:07:20ID:Rbc1gSlqは?
0054人間七七四年
2007/06/30(土) 14:09:03ID:r7ZqXFyb常陸国武田郷(今はひたちなか市)ってとこがあって、源義清がそこに配流されたときに「武田冠者」って名乗った。
0055仙台藩百姓
2007/06/30(土) 14:37:30ID:wNejzw3E常陸佐竹郷を本拠としたのが佐竹氏
大概地名に由来するおね
稀に逆もあるけど
0056人間七七四年
2007/06/30(土) 16:03:20ID:n9hhYCfZ姓は源、苗字(名字)は足利やら武田やらとなる。もしくは族名と家名というか。
足利尊氏は正式には「下野国足利の住人、源尊氏」となる。
0057人間七七四年
2007/06/30(土) 16:23:53ID:r7ZqXFyb補足すると、源というのは天皇から与えられた「姓(本姓)」。
足利やら武田やらは、同族が増えてどの「源」かわかりづらくなったためにつけた「苗字(名字)」。
基本的に戦国武将はみんな「名字」で記憶されてる。
0058人間七七四年
2007/06/30(土) 19:26:43ID:Ajgk+3kf甲斐の逸見庄(今の北杜市高根)に住み着いて逸見冠者清光と呼ばれていた
0059人間七七四年
2007/07/01(日) 16:52:32ID:HstWZMILその後上野下野方面に領土を削っていけばよかった。
0060人間七七四年
2007/07/01(日) 17:12:57ID:xpiZ9IH/内乱が起きて武田家崩壊だわな
0061人間七七四年
2007/07/01(日) 17:16:57ID:HstWZMIL小大名しかいないし。
0062人間七七四年
2007/07/01(日) 18:51:11ID:h5j+QMP6>織田上杉徳川北条と和睦
っていうのが不可能だから。
0063人間七七四年
2007/07/01(日) 19:11:42ID:ITaRXETRそれも力関係によっちゃ臣従みたいな同盟になりかねない
0064人間七七四年
2007/07/01(日) 19:27:17ID:HstWZMIL織田と和睦すればあとはなんとかなる。
北条とは和睦済みだろ。
あとは関東をジリジリ削っていけばいい。
0065仙台藩百姓
2007/07/01(日) 20:18:32ID:CMdmr2dB織田徳川と組んで北条ぶち殺しにかかるならいいけど
織田との和睦なんてありえるとは思えないお
結局残された手段は上杉・武田・北条の同盟しかないお
0066人間七七四年
2007/07/01(日) 20:24:44ID:HstWZMIL西上野もってるからいくらでも反北条を攻撃できたが
0067仙台藩百姓
2007/07/01(日) 20:48:01ID:CMdmr2dBそんな事したら北条悲願の関東統一の
邪魔者以外の何者でもないお(;^ω^)
0068人間七七四年
2007/07/01(日) 21:36:45ID:palyRAyh0069人間七七四年
2007/07/01(日) 22:20:20ID:HstWZMIL駿河譲れば良いだろ。
0070人間七七四年
2007/07/01(日) 22:30:49ID:ilA78xVZ0071人間七七四年
2007/07/01(日) 23:38:29ID:H4OO0C4S0073仙台藩百姓
2007/07/02(月) 00:38:34ID:3QyFK5GR龍造寺隆信…討ち死にし龍造寺家は鍋島に取って代わられる
松浦鎮信…無事生き残る
武田晴信…轢き逃げで逮捕
有馬晴信…岡本大八事件で死罪
0074人間七七四年
2007/07/02(月) 02:42:47ID:lPa4MJkrこいつら最後には武田家を見限って櫛の歯の抜けるが如くポロポロ離反し、
挙句の果てには勝頼を土民どもに襲わせ山奥で野垂れ死にさせたくせに
旧きを温めるとは良く言えるよなw
まさに人面獣心の所業
ま、こんな会の最高顧問を喜んでやってる武田家宗家もアレだがなww
0075人間七七四年
2007/07/02(月) 08:28:44ID:3z3+ZDWS邦さんや英さんと親しい方ですかな?
どのように喜んでいるのか一門末裔の家人として
是非ともお聞かせ願いたい。
0076人間七七四年
2007/07/02(月) 13:51:56ID:ceUMhqhu0077人間七七四年
2007/07/02(月) 14:38:23ID:qrRmwISZ0078人間七七四年
2007/07/04(水) 16:07:16ID:KhWNAUK20079人間七七四年
2007/07/06(金) 14:29:37ID:ZTaE/osu0080人間七七四年
2007/07/07(土) 01:15:35ID:3gCRP26S出た、ご子孫さま方に近いお方w
そういう風な口調で、たかが2ちゃんごときで
出自をひけらかしていらっしゃると、
人間性を疑われますよ。
0081人間七七四年
2007/07/07(土) 03:32:10ID:dEXQr5rG宗家当主親子を通字の信を抜きに気軽に呼べる親類で在らせられるならば
喰いつかなくてもご自身のほうが詳しいのでは〜?
とか知りもせず煽ってみるテストw
ぶっちゃけ旧温会ってどんな人が集まって何をやっているんですか?
参加条件とかもある?教えてエロい人!
0082人間七七四年
2007/07/07(土) 20:11:59ID:vMzscIFY75氏の文面から見るとデタラメはいくないと
皮肉込みで遠まわしに言っているように
自分は読めたたんだが違うのか?
喜んで顧問務めてアレだなんて某家の末裔さんみたく
バンバン出る人ならまだわかるけど
トリビアで見た限り武田宗家って
そういう感じじゃなさそうだし。
会って直に目にしてるならともかく
そうでないなら失礼な書き方だなと
全く関係ない自分も感じたぐらいだから
普段から付き合いがあって人となりを
知っている人ならそりゃカチンとくると思うぞ。
0083人間七七四年
2007/07/07(土) 20:53:53ID:dEXQr5rG80の中の人も言ってるけど所詮「たかが2ch」ごときなんで
ネタニマジレス(・∀・)カコワルイ!!
っていうか74の言う「こんな会」ってのは否定しないのねww
0084人間七七四年
2007/07/09(月) 00:31:40ID:wYpJLXJI武田なんとか会の人も一緒に暴れてたからね。
>75は「邦さんや秀さん」とか親しげな呼び方をしてて
何ともが痛い・・・
0085人間七七四年
2007/07/09(月) 10:57:26ID:Ey29PjIB周りの敵が悪すぎるよね
0086人間七七四年
2007/07/12(木) 12:27:21ID:FR6P8PlMやはり太郎に家督を譲るべきであった〜
さすれば!兵部も無駄死にさすことも無かった‥
0087人間七七四年
2007/07/12(木) 21:32:04ID:6wp/iGhH0088人間七七四年
2007/07/13(金) 01:05:46ID:vHfWV2Tc0089人間七七四年
2007/07/20(金) 05:12:30ID:jJKt/OBI0090名無しさん@そうだ選挙に行こう
2007/07/29(日) 01:46:07ID:E24WhD4fままでよかったじゃん。北条と保ってたほうがまだマシなんじゃ?
北条が裏切って織田徳川と組んだら、越後からも攻められるから
更に悲惨になるかなw
0091人間七七四年
2007/07/31(火) 00:40:59ID:oTVfJoBZ北条は後詰出さないし、越中に織田が攻め込んでいるし
駿河に徳川が攻め込んでいる
だから武田は中立という立場をとったのだと思う。
可能なら景勝景虎を和睦させて織田を抑えてほしかったのかもしれないが
徳川と争っている以上上杉家の内乱に深く関わりたくなかったんじゃないかと思う、
北条が景虎を支援して短期間に戦いが終わるのであれば武田も景虎についた
可能性もあると思うが
0092人間七七四年
2007/07/31(火) 06:09:17ID:lhWP2x7n貧すれば鈍すという
当時の武田は自転車操業状態を繰り返していて
目の前のことだけで手一杯、少し先を見ることができなかったと聞く
例えて言うなら借金漬けの人が催促された借金を返すため更なる高利貸しに金を借りてしまう状況に近いかと
0093人間七七四年
2007/08/08(水) 21:00:57ID:eZdPFlTvというのも勝頼についておもしろい記述があるんだよ。
天正7年の話で浅間文書(浅間大社関係の文書集みたいなもの)や
富士宮市史関係の本にあったんだが要約すると
この年勝頼が大社に詣でた時神立山(本殿裏のちょっとした小山)の
杉が突然煙を出すというオカルトな事が起きた。それを見た勝頼が
近くにいた吉田守警斎にどうしてなのかを尋ねて守警斎が
神様からの何かしらの暗示でしょうみたいな返事をしたら
その時勝頼は自分と手向いあっているのは信長だけだけど
まげて彼に屈せれば自分も国も安全なのはよくわかっているが
たとえ自分が死ぬことはあっても信長には屈しない。
でも北条が信長に屈したら自分は挟まれて必ず滅亡するのは必定。
この事を神様は自分らに諭すためにこうやって知らせて
くれているんだろう。でもどんな事情であれもう致し方ないんだよ
と言ったんだそうだ。この勝頼の考えについての評価は
賛否両論だろうけど一体何が彼をそこまで頑なにしていたんだろうな
いちよこれは神社の記録にもあることだから逸話の類よりかは
信用できる話だと付け加えておく
0094人間七七四年
2007/08/08(水) 23:49:41ID:dBQP4zYRなんつうか勝頼って一人の人間で見れば相手が信長でも
信念を曲げない意志の強い奴で好感なんだけど
国を治める立場の人間として見ると個人感情>国の維持が
強いダメダメな奴で好感は持てないんだよな。
そこまでわかっていたなら己の感情はさておき
まずは領民のために頭を下げるのが当主だろって感じかな。
信繁みたく一武将なら本当に猛将というかいい武将で
評価も悪くなく終われたんだろうけど。
そういえば守警斎の返事って確か和歌だったと思うけど
和歌の意味合いが本当は信長に降ることを考えながらも
他の人間の手前?信長を責めるような行為をしている
それこそが愚かなことだという解釈ができなくも
ないらしい。それで勝頼は上のような返しをしたという
結論なんだけど。郷土史家が書いた本でそんなようなことを
読んだ記憶がある。
0095人間七七四年
2007/08/09(木) 20:26:21ID:FRZxzv3R謹んでご冥福をお祈りします
0096人間七七四年
2007/08/09(木) 23:56:51ID:c9liLNIiああ、それじゃお役所勤めの人が当主になるのね。
0097人間七七四年
2007/08/10(金) 00:53:08ID:eoG1D44l相当な武田家オタじゃないと知らないと思うよ
0098人間七七四年
2007/08/10(金) 00:57:51ID:6WsSBvIk0099人間七七四年
2007/08/10(金) 11:49:59ID:rJ4HcdLb叩きスレではないんで叩きやりたいなら
別板池田でFA
0100人間七七四年
2007/08/10(金) 19:29:54ID:eoG1D44l0101人間七七四年
2007/08/10(金) 19:51:17ID:rJ4HcdLb0102人間七七四年
2007/08/10(金) 20:10:02ID:DMTZphXm0104人間七七四年
2007/08/11(土) 10:23:47ID:HmlWXwi9>>93-94
そういう記録が残っていたとは以外な発見。
返事の和歌の原文が読んでみたい。
(ググッてみたけど出てこなかった)
浅間大社や富士宮市には他にも勝頼関係のものはない?
あるなら盆休みに富士山観光がてら調べに行こうかなと
思っているんだが…。勘助とも関係があるようだし
有名なやきそばも食ってみたいかな。
0105人間七七四年
2007/08/12(日) 01:14:00ID:JGpeWUpf今のは二代目らしいけど。この桜の下は絵馬をかける場所だけど前に
打倒!信長。 今川氏真
という絵馬を見つけた時は腹抱えてワロタ。
どこにでも必ずいるんだよね。こういう輩…。
0106人間七七四年
2007/08/14(火) 01:37:19ID:C48BjjX/図書館行って調べてきたぞ
>返事の和歌の原文が読んでみたい。
千早振る神心より成す業を 何れの神かよそにみるべき
身は社、心の神をもちながら、よそを問うこそ愚かなりけれ
>浅間大社や富士宮市には他にも勝頼関係のものはない?
太刀や甲冑ならあるけど確か普段は浅間さんではなく
国立美術館に貸し出していたとオモ。
仮に浅間さんに戻っていたとしても非公開。
ただ、浅間さんには本殿裏にちょっとした森があるのだけど
この森自体もともと境内にあったのではなく勝頼が植樹させた
のが基礎となってできあがったいう話がある。
この森は一部を除いて散策できるから良かったら足場悪いけど
歩いてみるといいよ。この頃かなり暑いから池で涼むのもすすめる。
それと浅間さんのすぐ西隣(徒歩1分ぐらい)が中央図書館だから
ここの郷土史コーナーのカウンターで浅間さん関係の記事を集めた
ファイルを借りてみるといいかもしれん。
岳南新聞に掲載された信玄父子と浅間大社の関わりについての記事が
読めるよ。ついでに駿河記に編纂された氏真や氏政発給の文書コピーも
確かこのファイルにあったと思う。
ちなみに図書館前に富士見石という史跡があって信長が
甲斐攻め後富士宮に寄った時にこの石に腰掛けて
富士山を見物したという口伝があるんだそうだ。
やきそばについてはとりあえず神社のまん前にある
お宮横丁のすぎ本のでも食っておけ。
ここなら間違いはないから暑いさなか移動しなくても
それなりの味が楽しめる。他に比べて少し高いけどな。
0107人間七七四年
2007/08/14(火) 19:50:45ID:mKy1lLuf事を矮小化してないかな。
武田はやはり名門甲斐源氏というプライドがかなり強い。
この意地をはった結果の滅亡は、たとえ信玄だろうが信虎だろうが信繁だろうが、
同じ選択をしたんじゃないだろうか。
0108人間七七四年
2007/08/14(火) 21:11:58ID:U8WKDGuT名門の意地ねぇ?
まだその権力基盤からして織田に下れば瓦解するとか、既に北条徳川が織田と親しくなってるから武田の扱いがつらくなると踏んでいたとかのほうが説得力あるがね
0109人間七七四年
2007/08/14(火) 21:19:47ID:MIqf5UEoよけいに対外的に強硬な態度をとらざるを得なかったのでは。
0110人間七七四年
2007/08/15(水) 00:29:29ID:h/1jbVAx>武田はやはり名門甲斐源氏というプライドがかなり強い
どうしてそんな事が分かるんだ?
>>93-94の逸話を基にすると
家臣団の諌めを聞かない強硬者だ
ダメと判っているものを敢えてやるのは・・・
>>109
家臣団と反目してまで強硬な態度に出る理由が見つからない
勝頼が自分に権力を集中しようとして失敗しただけ
それを重ねて滅んだだけ
0113Y ◆nzdGjBH722
2007/08/15(水) 15:43:39ID:MeqZZIwl織田軍による攻撃という説もあるよな?日程的に織田軍も攻撃可能だが、
誰か詳細知ってる人kwsk
0114人間七七四年
2007/08/18(土) 08:02:20ID:9JF1tNry仮にこの俺が継いでも徳川幕府に藩として生き延びるのがやっとだったと思う
0117人間七七四年
2007/08/22(水) 04:52:58ID:J45BdSc+ある意味、信玄の頃から既に自転車操業だったとも言えないか?
国人領主の盟主的立場上、彼らの欲求を満たすための外征だった訳でしょ
お家の構造改革をできず、古い中世的な体質のまま膨張しちゃった
0118人間七七四年
2007/08/25(土) 01:49:16ID:cBuvH7wk凄い自身と自負だ。キン肉マン思い出したw
0119人間七七四年
2007/09/25(火) 19:39:42ID:Ml1Ub+RYまさか勝頼が出るとは夢に思わなんだ。
0120人間七七四年
2007/09/26(水) 07:13:49ID:/Wk4UWJe0121人間七七四年
2007/09/27(木) 08:21:43ID:tU/eIABcそういや俺、武田勝頼という人物に興味持ったきっかけがPHPの真田昌幸読んでからなんだ。面白そうだったら買って読んでみようかな。
0122人間七七四年
2007/09/27(木) 17:54:12ID:KXZc9Tfc0123人間七七四年
2007/10/03(水) 00:33:41ID:UH5+2rMD0124人間七七四年
2007/10/03(水) 01:46:10ID:tlzNzssTってかあまりこれはって戦果無いと思うが
高天神だって、信玄がちょこっと攻めて落とせなかったというだけで、大して重要じゃないし。
これが秀吉が全力で攻めて落とせなかった城って言うと凄いとかなりそうだけど
0125人間七七四年
2007/10/03(水) 03:34:33ID:b/y/OjpTぶっちゃけ、取り立てて大きな戦をしていないのに、あれだけ領地を広げているのが凄い。
大きな戦=犠牲もそれなりに出るってことで、そういう状況下にしなかった点が評価できるような。
信玄の有名所だと、上田原、川中島、三方原あたりになると思うけど、
どの戦においても、犠牲に見合った対価を得られてないし。
0126仙台藩百姓
2007/10/03(水) 12:18:09ID:r8wponb10127人間七七四年
2007/10/03(水) 12:51:30ID:zT6/GRaR信長の東の盾として生き残るのが鉄板。
0128人間七七四年
2007/10/04(木) 16:08:48ID:frzdyDgyあれだけってどれだけ?
美濃恵那郡と東遠江の一部と北上野ぐらいじゃ
あまり広げたとは言えないような・・・
大勢力相手に広げている点では評価できるけど
0129人間七七四年
2007/10/08(月) 14:01:22ID:SssVkzAz0130人間七七四年
2007/10/08(月) 14:22:53ID:cHvMauld0131人間七七四年
2007/10/12(金) 06:08:00ID:w9zazekzその時に武田家の滅亡は決まっていたのかもしれないね。
0132人間七七四年
2007/10/15(月) 05:47:33ID:GzDIIkJo0133人間七七四年
2007/10/16(火) 18:27:23ID:WOZMKiPk古い中世大名の体質から脱却できなかったのが痛い
勝頼は尻拭いさせられただけじゃ
0134人間七七四年
2007/10/17(水) 21:02:15ID:q7G0IdWj0135人間七七四年
2007/10/18(木) 19:05:09ID:rLiGsVbA押して引いてじゃなくて
押して押してが勝頼の戦
0136人間七七四年
2007/10/18(木) 23:18:57ID:W6ij68qI0137人間七七四年
2007/10/19(金) 01:50:31ID:J1EeS0Td信玄が晩年一色藤長に宛てて、義昭の一字と然るべき官位を
下さいという書状を送っている。
ところが、信玄は死ぬし、公方は追放されるわの中で、
信長が朝廷をほぼ掌握しちまったからかなあ?
0138人間七七四年
2007/10/19(金) 02:25:54ID:PxVJ+MzJ0139人間七七四年
2007/10/19(金) 03:44:04ID:J1EeS0Td首を晒されたときの記事があるらしく、そこには「武田左京
大夫」と勝頼を書いているらしい。
で、対景勝の書状には大膳大夫と書いてあるので、あるいは
叙任されていたのかも知れない。
今ググったら記事が出てきた。
0140人間七七四年
2007/10/19(金) 12:49:29ID:jex5wIIa0141人間七七四年
2007/10/19(金) 21:56:04ID:TOtZpWXf親が使ってた官位を家督継いだ子がそのまま名乗るって普通だろ?
0142人間七七四年
2007/10/22(月) 21:34:47ID:5sKDtdi4もし偏諱を受けていたら…武田家当主は代々『信』の字を受け継いでいったらしいから『信昭』『昭信』ってトコ?
PHP文庫の勝頼を読んでみた。後半、信玄死後あたりからが少し薄かった気がするなぁ。表紙画の勝頼はすげえカッコ良いね。
0143人間七七四年
2007/10/24(水) 01:19:22ID:eGnqc3oe0144人間七七四年
2007/10/28(日) 00:18:47ID:WvkkyC0W0145人間七七四年
2007/10/31(水) 09:43:56ID:13kKySfPこの時代拝領した字は上につけるのが普通だから昭信。
あるいはより格の高い「義」を拝領して義○かな。
0147人間七七四年
2007/10/31(水) 14:38:15ID:h6zXaS0D0148人間七七四年
2007/10/31(水) 18:53:24ID:mij2Vfi8昭を拝領するなら武田の当主としての拝領になるので諏訪家の「頼」より武田家の「信」を優先させて昭信、
義なら義信になるところだが兄と同名だし不吉なので義頼、あるいは義○ってとこだろう。
0149人間七七四年
2007/11/01(木) 14:07:53ID:Wgbx7Rbaファビョること火の如く 働かないこと山の如し
0150人間七七四年
2007/11/02(金) 18:16:24ID:MUWaLwrx信玄死後信廉が家督を継ぐ予定だったとの
説が書いてあるけど出典はあるのかな?
0151人間七七四年
2007/11/04(日) 12:48:44ID:gAYsrJDYしばらくたっても根拠出さないなら、編集しちゃっていいんじゃね
0152人間七七四年
2007/11/05(月) 15:14:10ID:xo2aJNtZ0153人間七七四年
2007/11/05(月) 23:37:36ID:CUV3j9Ys0154人間七七四年
2007/11/06(火) 00:06:55ID:3YJRHEVy何それ?
信廉が跡目を継ぐ予定だった?
まー、どこからそんな与太説がwww
>>152
・生母の諏訪御料人が薄幸の美女という印象を残している。
(大河ドラマ「風林火山」での配役は、たまたまな事)
・(信勝、北条夫人とともに描かれている)高野山の肖像画が、
わりとのっぺり顔。
・愛情あふれた側室への手紙、祖母(麻績または小見氏)への孝養・・・
等から、情に篤い男だったのだろうという推測
・北条夫人の願文から確かな夫婦愛が感じられ、
きっと良い男でもあったに違いない・・・という推測。
・生まれながらに負の遺産をしょった悲劇の武将という印象
こんな事から男前推測がおこり、作家たちも踏襲しているのかと。
0155人間七七四年
2007/11/06(火) 15:22:21ID:VYkrozhF0156人間七七四年
2007/11/10(土) 21:50:53ID:BqZSOeRj0157人間七七四年
2007/11/10(土) 22:42:44ID:0ezsjlU4でも以後の秀吉・家康との関係性となると…
足利義昭みたく、頭を丸めて伺候するか勝頼が見られたかも。
0158人間七七四年
2007/11/10(土) 22:54:57ID:JPh2rLVM勝頼の首があがるまでは信長父子や光秀は、京都に戻らないだろう
少なくとも信忠は戻れない
本能寺の変は起きない可能性がある
0159人間七七四年
2007/11/12(月) 02:27:13ID:z19IE/yj(この場合、真田が裏切るというよりも、
迎撃が困難と判断してさらに逃亡。
……昌幸って確かに謀將だけど、「裏切」ってしたことないので、
勝頼を信長に売り渡すことは実はあまりないような気がする)
0160人間七七四年
2007/11/12(月) 04:02:35ID:3TcvVNvwそれはない
0161人間七七四年
2007/11/12(月) 04:02:44ID:ipJLtnKvまさか上杉に限って落ち延びるなんてこたねーだろ。
0163人間七七四年
2007/11/12(月) 04:04:23ID:yGDV4OYWなんでそういう発想が出るのか理解に苦しむ
0165人間七七四年
2007/11/12(月) 04:07:52ID:c8Rvvx6Yそれはない
0168人間七七四年
2007/11/12(月) 04:27:39ID:d4sDjgIWさすがにそれは言いすぎだと思ったwww
0169人間七七四年
2007/11/12(月) 04:36:42ID:AFb2ngaJ0170人間七七四年
2007/11/12(月) 04:48:19ID:/C4uql18親が泣いてるぞ
0172人間七七四年
2007/11/12(月) 08:02:24ID:Jr7OzfVv大昔の突撃を真似てやってみたんだろうが
基本的にゆとりなんで面白くもできなかったんだろ
なかったものとして扱うべきだな
0173人間七七四年
2007/11/12(月) 10:45:46ID:8fMpHUi3>後継ぎでさえなかったのに(笑)
ん?勝頼のこと指しているのだとしたら、
陣代説をいまだに嬉しそうに書いてるお前のほうが(笑)
0174人間七七四年
2007/11/12(月) 12:58:25ID:6NKl/NcT義信あぼーんの時点で跡継ぎとみなされてたなら、
勝頼から信頼みたいな武田の惣領っぽい名前に変えててもいいと思うんだが。
終生勝頼のままだったってのはどうなのか。
結局最後まで「諏訪」四郎扱いだったんじゃないの?
実態は武田の惣領だったとしても。
0175人間七七四年
2007/11/12(月) 20:42:59ID:Jr7OzfVvちょっと調べたらあった
0176人間七七四年
2007/11/19(月) 14:32:52ID:I8bAIjV30177人間七七四年
2007/11/21(水) 17:04:29ID:+U37eYN8勝頼は『武田』の姓と『諏訪』の姓を使い分けていて(双方の家の当主を兼ねていたらしい)
諏訪神社の宮司職の時には『諏訪四郎勝頼』ないし『諏訪大祝勝頼』を名乗っていたという話がある
0178人間七七四年
2007/11/23(金) 01:46:11ID:cdyYbXwc諏訪四郎神勝頼を名乗っていたのは
高遠城時代の記録しか残っていないと思う。
また、宮司職など神権を任されてたわけでもない。
義信事件のあと、甲府に呼ばれてから諏訪の名乗りはしてないはず。
そして、>諏訪の当主 は勝頼ではないよ。
0179人間七七四年
2007/11/30(金) 13:50:22ID:yjTXwONn実際、弟もそうしてるし。
0180人間七七四年
2007/11/30(金) 15:25:38ID:200DjTGp0182人間七七四年
2007/12/03(月) 17:48:49ID:dRWCjsCG0183人間七七四年
2007/12/09(日) 18:36:22ID:A9XcPd5Q0184人間七七四年
2007/12/10(月) 14:00:03ID:t0WHEUXy信玄は頑固に謙信と戦いすぎ。
信長のようにさっさと頭を下げる柔軟な姿勢がとれれば暴れまわって疲弊する事もなかったはず。
0186人間七七四年
2007/12/11(火) 21:13:30ID:Iv9A5xvj泥沼になったのは不運なだけだろ。
大きな被害が出たのは4回目だけだし、その4回目も霧で偶然鉢合わせになっちゃったから、戦わざるを得なかっただけ。
武田も上杉も、お互いに被害が甚大なるくせに、得られそうな利益は少ない衝突に望むつもりはなかったろ。
0187人間七七四年
2007/12/13(木) 03:22:02ID:/Psw6bGT0188人間七七四年
2007/12/19(水) 22:29:19ID:JMQitAu+武田信玄に負けて信濃を追われた豪族達が上杉謙信に泣きついたから
武田と上杉は川中島で戦った。
武田が無駄だったのは北条との戦いだろ。
0190人間七七四年
2007/12/30(日) 01:11:56ID:qQsxB9re0191人間七七四年
2008/01/01(火) 23:11:06ID:OQLJe48W0193人間七七四年
2008/01/02(水) 09:21:05ID:RvQmuN6m従来の無能説ではなく、時代の変革、人間関係に苦しむ当主として
やったら良いと思うのだが。
0194人間七七四年
2008/01/02(水) 13:01:12ID:kmnlZEBf0195人間七七四年
2008/01/02(水) 13:24:44ID:C6wSJa+G天地人での武田家滅亡は淡々と描かれてるからどんなもんかなぁ
菊姫もほとんど登場しないし。
同じ直江兼続を題材にしたものでも江宮隆之の小説なら武田家滅亡とその時の菊姫の心情を事細かに描いているんで武田ファンにとってはこっちの方が良作かと。
0196人間七七四年
2008/01/02(水) 13:30:24ID:5tLE1FJw文章読む限りじゃ勝頼も今イチ思慮の足りぬ感じだったしな。
つうかあの小説は大河の原作になりうるとは思えん程の出来だしな。
0197人間七七四年
2008/01/02(水) 16:54:58ID:y1/Zr7P+0198人間七七四年
2008/01/03(木) 00:33:59ID:sEhtMELkもちろんベースとしては描くだろうけど。
米沢では勝頼は妹想いの良い兄貴として通ってるし菊姫自身も賢夫人として慕われてるから。
原作だと菊姫は兼続を恨んで亡くなる設定だが、そうなると秀吉の時代に人質として京に登った時に侍女として動向した兼続の妻お船の方の立場が「?」となっちまう。
事実は景勝、兼続、菊姫、お船の方の4人は本当の兄弟みたいに仲が良かったといわれてるだけに良い関係に描いて欲しいもんだ。
0199人間七七四年
2008/01/03(木) 08:39:07ID:t9D64Ele0200人間七七四年
2008/01/03(木) 17:16:07ID:JjzVLNLw強すぎる大将
0201人間七七四年
2008/01/04(金) 14:56:10ID:L2VrcHco「天地人」って主役の兼続以外は(謙信をのぞき)
みな思慮が浅いか、頭脳明晰なら容姿が不細工だよね。
で、兼続は長身の美丈夫で眉目秀麗、頭脳明晰・・・wなの。
0202人間七七四年
2008/01/07(月) 10:26:58ID:GkuofaXS0203人間七七四年
2008/01/07(月) 12:57:05ID:QBXQnZWy0204人間七七四年
2008/01/10(木) 12:25:38ID:/cBXN/9Y0205人間七七四年
2008/02/02(土) 22:20:38ID:IwM7o6Qn0206人間七七四年
2008/02/02(土) 23:05:15ID:FzIapa9Rお前は聖教新聞読んでるな
0208人間七七四年
2008/02/10(日) 12:15:55ID:1AKxfIKD0209人間七七四年
2008/02/14(木) 17:47:05ID:6HNm+My+0211人間七七四年
2008/02/27(水) 12:21:58ID:Mgh4W/4xそれいいNE!!!
ただ、多くの人には支持されなさそうだ。
0212人間七七四年
2008/02/27(水) 18:21:54ID:9z9uP2Pt堂々日本史では改革のために試行錯誤していたのが
再三取り上げられていたけど、
その時では通説通りで後退した感じだからなぁ。
0213人間七七四年
2008/02/28(木) 01:00:51ID:4epr24JT意外に共感する人は多いんじゃないか?
今の世の中見ても、何もかも成功してる人間なんて一握りしかいない訳だし
最後は時代の波に飲まれてしまったけど、置かれた状況下で必死に抗う姿を
取り上げて欲しい
>>212
長篠以降、急速に中央集権化を目指してたらしいよな
家中の保守勢力の後退で、勝頼が動き易くなったはいいが…犠牲がでか過ぎた
これが信玄の頃だったら、真の意味での戦国大名化するチャンスだったろうが…
勝頼の時には、そこまで周囲と時間が待ってくれなかった
0214193
2008/02/28(木) 22:04:31ID:z122MMMB>>213
>これが信玄の頃だったら、真の意味での戦国大名化するチャンスだったろうが…
信虎は中央集権化を目指した結果、追放され信玄が祭り上げられた。
もし信玄が中央集権化を目指したら同じ事になったと思う。
板垣、甘利が死んでからは、信玄の独自色が出せるようになったけど
穴山、小山田などが未だ健在だったからねぇ。
>>213
>>>212
>長篠以降、急速に中央集権化を目指してたらしいよな
そうなんだよね。家康が信玄に負けて信玄から学んだように
勝頼は信長に負けて、信長から学んだ。しかしそれができる時間が無かった。
せめて御親類衆が死んで、譜代家衆が生きのこれば。
0215人間七七四年
2008/02/29(金) 23:13:22ID:eE03kdgS勝頼の無理な戦役で国が疲弊してきた時には、諸氏皆もう既に
武田家に対する忠義もなくなってたでしょう。
自営業者が大企業に良い条件で吸収されたけど、
その親会社が倒産しそうになった時に
我が身をどうするかというような問題であって。
でも、もし大河で武田勝頼をやってくれるなら、実力と天運とは全く関係ない事
そして、負けると分かっていても主君に対する忠義の為に、死に狂いの働きを
した仁科五郎、土屋惣蔵など忠臣の、壮絶なる最後も描いて欲しいと思う。
0216人間七七四年
2008/02/29(金) 23:32:27ID:HVMxubc5ライブドアオートとか弥生とライブドア本体の関係ってことか。
そういう視点からみれば確かに小山田にとって武田と心中する義理はないかもしれない。
0217人間七七四年
2008/02/29(金) 23:57:23ID:EIktd9Ze特別に裏切り者扱いされるのも不条理かも。
仁科は勝頼の弟、土屋は勝頼の側近だったのだから特別か。
0218人間七七四年
2008/03/01(土) 09:16:51ID:QcnD/3Qx織田へ送り返す案は弟に論されたが
結局最後には織田へ贈りかえした
なぜ、人質として最後まで取っておかなかったのかな?
0219人間七七四年
2008/03/01(土) 09:22:13ID:QC+A9Zp6勝頼をして殺すには惜しい侍よと思わせた
0220人間七七四年
2008/03/01(土) 21:30:47ID:la3M2xfw0221193
2008/03/01(土) 22:30:50ID:ZKTKc3fu>信虎が統一したとはいえ、元来甲斐は土豪の割拠する地だったのだから
>勝頼の無理な戦役で国が疲弊してきた時には、諸氏皆もう既に
>武田家に対する忠義もなくなってたでしょう。
勝つことで軍団を纏めることができた。
それが出来なくなったとき崩壊したのが武田軍団。
信玄のときは敵が小規模だった(信濃等)から良かった。
しかし勝頼のときは、周囲は大名ばかり。
勝頼は、勝機が薄くても戦わざるを得ない環境だった。
豪族の連合体で成り立つ武田軍団は時代遅れとなってしまった。
勝頼は不幸だったと言わざるをえない。
0222人間七七四年
2008/03/01(土) 22:32:31ID:ZKTKc3fu>信虎が統一したとはいえ、元来甲斐は土豪の割拠する地だったのだから
>勝頼の無理な戦役で国が疲弊してきた時には、諸氏皆もう既に
>武田家に対する忠義もなくなってたでしょう。
勝つことで軍団を纏めることができた。
それが出来なくなったとき崩壊したのが武田軍団。
信玄のときは敵が小規模だった(信濃等)から良かった。
しかし勝頼のときは、周囲は大名ばかり。
勝頼は、勝機が薄くても戦わざるを得ない環境だった。
豪族の連合体で成り立つ武田軍団は時代遅れとなってしまった。
勝頼は不幸だったと言わざるをえない。
0223人間七七四年
2008/03/01(土) 22:43:31ID:Qj7PioL/0224人間七七四年
2008/03/01(土) 22:59:39ID:LCHDXdno0226人間七七四年
2008/03/01(土) 23:44:38ID:Ah/s7q6Z間抜けだなw
0227人間七七四年
2008/03/02(日) 01:05:51ID:WbULzXh2豊臣秀長の大和郡山とかはまだ豪族連合だよな
0228人間七七四年
2008/03/02(日) 01:10:20ID:mHLEOHau0229人間七七四年
2008/03/02(日) 05:50:27ID:XbJNxo4w0230人間七七四年
2008/03/02(日) 09:27:17ID:WKeNK8pF0231人間七七四年
2008/03/02(日) 14:54:20ID:WbULzXh2長篠はいけても、越後救援や度重なる上野出兵は無理だろ
0232人間七七四年
2008/03/02(日) 20:48:55ID:k/Upuodm勝頼の守役って誰?
0233人間七七四年
2008/03/02(日) 23:30:16ID:jU5e3Mff0234人間七七四年
2008/03/03(月) 01:45:33ID:cF/t2X0F跡部は年齢的に若すぎるか
0235人間七七四年
2008/03/04(火) 10:41:13ID:V9x1gaMg0236人間七七四年
2008/03/04(火) 17:45:32ID:bqLbdJUf黒川金山をほとんど採り尽くして代わりにと取ってみればただの山w
0237人間七七四年
2008/03/04(火) 18:00:38ID:UcuCW9US0238人間七七四年
2008/03/04(火) 18:20:57ID:IYzxt2g6なかった あのまま尾張に雪崩れ込めば織田は尾張だった
0239人間七七四年
2008/03/04(火) 19:50:02ID:p/g6/YoS0240人間七七四年
2008/03/04(火) 20:21:21ID:jcESBM2X0241人間七七四年
2008/03/04(火) 20:42:11ID://PcSUp9鳴り響いてたんだよ 指揮官の死亡率が高いのもそれを物語ってる希ガス
上田原でも村上と痛み分けだし事実追撃もできなかった
砥石は追撃してきたものの結局反撃されて退却してるし 織田の手取り川のような
惨敗よりまし
0242人間七七四年
2008/03/04(火) 21:09:40ID:Mb64b7VC死亡率なんて低い方がいいに決まってんだろ
0243人間七七四年
2008/03/04(火) 21:18:07ID:mXtgryGN戦いもせず逃げるだけで河で溺死とか情けなさすぎるし
0244人間七七四年
2008/03/04(火) 22:30:37ID:hzilUBpEあのまま信玄が生きていたら、局地戦では信長に勝ったと思う。
しかし農民兵である武田軍は種まきの時期に甲斐に帰り、
信玄死亡→勝頼になってもめる→勝頼が信長に敗北→史実と同様
になったと思うな。
0245人間七七四年
2008/03/04(火) 23:02:02ID:V1PWLv/b0246人間七七四年
2008/03/04(火) 23:07:15ID:tVAgGtO00248人間七七四年
2008/03/04(火) 23:18:04ID:IDdA0PDm0249人間七七四年
2008/03/05(水) 04:10:43ID:o1Uv0qNk武田勢が尾張になだれ込んだ際、織田を離反する面子がどれだけ
出るのか次第。いかに大勢力でも、離反する面子が出てくると
あっという間に瓦解するからね。武田のように…
離反者が出なかったら、尾張でにらみ合いをしたあとに
甲斐に引き上げ、そのうち信玄の寿命が尽きて…という感じになる。
0250人間七七四年
2008/03/05(水) 12:39:51ID:U3sFYXJQいまだに
「農兵は農繁期の出兵ができない」
って勘違いをしているのか
武田軍の戦歴を見るだけでもそんなことはないって気づけよ
0251人間七七四年
2008/03/07(金) 22:19:15ID:wXkcY/kg人質の御坊丸(勝長)を信長に返した件については
勝頼の弱腰の側近達の保身策というか、当時天下布武を
成し遂げつつあった信長の心証を少しでも良くしようと
の配慮だったのかもしれない。そしてそれが逆に信長から
して見れば、あの猪武者の武田四郎が、焼くなり煮るなり
好きにしてよいはずの人質を帰してくるとは、まさに
「コレガ塩カ」と甲州征伐を決断させたと司馬爺か誰かの本に
描かれていたような。
0252人間七七四年
2008/04/06(日) 16:09:33ID:ls0FcRjn0253人間七七四年
2008/04/08(火) 11:29:54ID:t5WrqJOYダメな親父が重税かけて金山ほとんど堀尽くして、その金で好き放題やって敵ばっか作って、終いにはとんでもない怪物にケンカ売るだけ売って勝手に死んじまったんだもん
若い勝頼がその後の疲弊した武田家なんてまとめれるわけないっしょ
みんな離れてっちゃうよそりゃ
お互いダメな親父もつと苦労するね
by家康
PS滅ぼしてゴメンね。でも後でまた作ってあげたから許してね
0254人間七七四年
2008/04/08(火) 22:53:40ID:HZP5tfNMというか勝長を殺そうとしたとか弟が止めたって確証あんのけ?
確か勝長はむしろめちゃ大事にされていたんじゃなかったっけ?
0255人間七七四年
2008/04/10(木) 23:32:50ID:ijCV/On1まてまて、家康は信玄をダメ親父とは思ってないだろ。
家康が唯一野戦でボコられた相手だから自分の自尊心を保つ為に
信玄を実際以上に美化したって話もあるが、基本家康は信玄信者だった筈では・・・
現代の信玄スーパーチート化の原因も、家康が尊敬して止まない信玄に対する
批判的な書物を江戸幕府が取り締まったせいで信玄美化の記録だけが残ったせいだろ。
0256人間七七四年
2008/04/11(金) 00:35:36ID:cnpnpLxw0257人間七七四年
2008/04/11(金) 06:25:13ID:BLGSOLcz0259人間七七四年
2008/04/12(土) 01:59:29ID:OHrxaZEs0260人間七七四年
2008/04/12(土) 12:58:08ID:OHoByaqT0261あ
2008/04/15(火) 05:46:16ID:S44LIvk6なさけねええええええええええええ
島津じゃありえんな。
0262人間七七四年
2008/04/15(火) 06:47:02ID:uqF7A2fZ武田史や戦国時代の予備知識はもちろんだが、
その前に、小学校中学年レベルあたりの国語の知識からやり直せ。
0263人間七七四年
2008/04/15(火) 18:47:38ID:x5tOmxbT0264人間七七四年
2008/04/15(火) 20:40:46ID:8yep50cM秀吉にボロ負けして、あっさり降伏した島津がどうしたって?
0265人間七七四年
2008/04/15(火) 20:53:13ID:kUy5YHIP南、西に敵がいないし、まわりがキモ付とかで大敵があまりいないからじゃない?
0266人間七七四年
2008/04/15(火) 23:15:46ID:OhTTvRQE結果的にはちょっと攻めただけで武田は自壊したけど
勝算があったにせよ、勝頼、景勝は攻めるより降伏させた方が合理的だと思うんだが
0267人間七七四年
2008/04/16(水) 02:01:13ID:hfwpbhXn0268Y ◆VqSh5C7CR6
2008/04/16(水) 03:46:58ID:r2XhLqsu0269人間七七四年
2008/04/17(木) 12:06:06ID:zcLgxP+9勝頼は信長からの同盟提案を蹴っているし(必ずしも本人の意思ではなかったようだが)。
あ、御坊丸を返したことを言っているのか?
景勝にいたっては織田と交渉した形跡すらない。
0270人間七七四年
2008/04/18(金) 12:00:19ID:NZkbN6hP本能寺の変が起きた後に五大老筆頭も夢ではなかったな
0271人間七七四年
2008/04/18(金) 12:15:45ID:RQTpNUJB>勝算があったにせよ、勝頼、景勝は攻めるより降伏させた方が合理的だと思うんだが
武田勝頼の領国→織田信忠の領国
こちらの方が有益かと思われますよ。
それに本能寺の変の時点では徳川家康と北条氏直もいるから、
上杉景勝や毛利輝元なんか残しておいても無意味。
でも勢力が小さかったなら生き残れたかもしれないね。
0272人間七七四年
2008/04/19(土) 01:11:36ID:F4TjQRhvあの時点じゃもう不要か。
0273人間七七四年
2008/04/20(日) 11:54:58ID:WR+YBZUNだったら生き残れたかもしれないが、大勢力のまま降伏されても扱いに困るし
降伏する理由も薄いし、大きな戦力差がついて確実に潰せる勢力を生かす理由も無い
0274人間七七四年
2008/04/20(日) 12:37:03ID:25n90pum0275人間七七四年
2008/04/20(日) 16:01:09ID:xbfoc0Tx御坊丸を返したことについては上杉から
武田はこれで織田と和睦したのではないかと疑念をもたれたらしく、
それに対して跡部勝資が弁明した書状が残っている。
それによれば返還は佐竹の発案、仲介によるもので、武田と織田の和睦自体も佐竹が「媒介」していた。
跡部はこの過程を詳しく書いていて、上杉側に織田との和睦交渉に対する理解を求めている。
この武田・佐竹の同盟を甲佐同盟、織田との和睦交渉を甲江和与(実際に上述書状にある言葉)として
丸島和洋氏が論文を書いている。
0276人間七七四年
2008/04/21(月) 10:08:44ID:QEsKjh8h実際、佐竹は北条が甲斐にきたときは何もしないし。
0277人間七七四年
2008/04/21(月) 18:05:27ID:OUB4FwFR>実際、佐竹は北条が甲斐にきたときは何もしないし。
上杉も援軍を派遣することができず。
魚津合戦がありますから致し方がありませんが。
佐竹的には北条=徳川=織田の同盟を瓦解させることができればよかったかと。
あわよくば北条vs武田が長引くことを期待かな?
甲越同盟もそうですが勝頼は踊らされている感があります。
0278人間七七四年
2008/04/21(月) 23:18:43ID:QEsKjh8hドキュソだよなw
0279人間七七四年
2008/04/21(月) 23:59:23ID:LnKjFU+b上野は由良・長尾以外のほとんどを抑えたし、由良・長尾も一時は佐竹に通じる動きを見せて氏政も悩んでいた。
ただ、一緒に上野を攻めるはずが、佐竹は小山を攻略して帰ってしまったなんてこともあったみたいだけどね。
一応この後にも一緒に攻めることになったけど。
佐竹は信玄の駿河攻めの時期に使い捨てにされたことがあったからね。
それでも義重は信玄と親交を保っていはいたが、
やはりいざというときに無理にでも助けようという気はなかっただろう。
0280人間七七四年
2008/04/22(火) 00:09:32ID:hKfnZYA60281人間七七四年
2008/04/22(火) 01:05:40ID:RALZqm9I甲相同盟が復活した時点で武田信玄と佐竹義重の関係は解消されていますよ。
御館の乱により対北条戦略として武田勝頼と佐竹義重の同盟が成立します。
この時点で考えれば佐竹家・上杉家・武田家の三国同盟が成立します。
佐竹家は北条家と抗争中。
上杉家は家臣の謀反と織田家と抗争中。(上野・北信濃は武田家に割譲)
武田家は上野・駿河・遠江に侵攻し北条家や徳川家と抗争。
0282人間七七四年
2008/04/22(火) 12:53:11ID:RLt+/3k20283人間七七四年
2008/04/25(金) 02:58:25ID:3bqSmU6F0284人間七七四年
2008/04/25(金) 03:05:43ID:6hS2Xsq1徳川に降伏してどうするんだ?
あの時期の徳川に、助命をどうこうできる決定権なんてない。
織田軍に引き渡されて、決めるのは結局、信長。
0286人間七七四年
2008/04/25(金) 05:46:00ID:6hS2Xsq1徳川は駿河以上に軍を進めてないし、甲斐はすでに織田の軍勢が入ってたわけで。
織田の軍勢から逃げて、駿河まで逃げられるなら、もっと別の選択肢があるだろ。
0287人間七七四年
2008/04/25(金) 06:23:10ID:AGei+z6F0288人間七七四年
2008/04/25(金) 06:23:39ID:AGei+z6F0289人間七七四年
2008/04/25(金) 12:13:45ID:sZGzdC3y0290人間七七四年
2008/04/25(金) 12:59:09ID:iS0J/3TF普通は小山田が裏切るとも思えないよ
0292人間七七四年
2008/04/25(金) 15:44:35ID:AGei+z6F昌幸より小山田を頼るのはおかしくない。
女もいたから雪の山越えをして岩櫃城するのは厳しいと考えるのも当然。
0293人間七七四年
2008/04/25(金) 16:39:48ID:+xB9oNKY0294人間七七四年
2008/04/25(金) 23:03:46ID:anMXPOu60295人間七七四年
2008/04/25(金) 23:59:04ID:FwH3natKやっぱり長篠後は速やかに信長に降るのが一番のような。
信勝は信長の甥になるわけだから、その頃なら甲斐一国ぐらいは安堵されそう。
0296人間七七四年
2008/04/26(土) 00:59:12ID:vYmtLLno0297人間七七四年
2008/04/26(土) 11:06:44ID:vmgLKNg5ただでさえ負けて当然勝頼の評判も総大将だから失墜してるだろうし
腹切らせたらそれはそれでばらばらになってたきがする。
0298人間七七四年
2008/04/26(土) 11:43:34ID:pSRedAKf0299人間七七四年
2008/04/26(土) 12:17:50ID:8/JGTu0w0300人間七七四年
2008/04/26(土) 14:54:41ID:efjU4pLn穴山は腹切らせないまでも処分しないと。
今でいえば職場放棄なんだから、長篠からの離脱は。
命懸けで戦った山県が落命したのに、逃げ帰った穴山がその後釜ではみな納得しないのでは?
0301人間七七四年
2008/04/26(土) 17:44:52ID:HXFsGIba0302人間七七四年
2008/04/26(土) 19:22:22ID:vYmtLLno完全に戦国大名化しきれなかった豪族連合の限界が見えるな
0303人間七七四年
2008/04/26(土) 20:09:12ID:6KYIkC61最期を迎えなければならなかったのは無念だっただろうな。
景徳院の墓所は現在修理中らしく場所が少しずれている。
寺の予算不足で工事も滞りがちだとかorz 地方はどこも財政火の車だろうが
武田の名前を観光に多く使ってるんだし、何とか予算援助を希望。
0304人間七七四年
2008/04/26(土) 20:54:16ID:HXFsGIba信豊は勝頼より後に撤退したっていう逸話もあるが疑わしいよな
逍遙軒でさえ穴山と同じ頃に撤退してるんだし
まあ逍遙軒は特別勝頼と仲が悪かったっていう話もあるけど
0305人間七七四年
2008/04/26(土) 23:37:31ID:r+Ydl367悲しいね。親戚一同が救ってくれないなんてさ・・・。
0306人間七七四年
2008/04/27(日) 17:51:23ID:+8gJSTOHhttp://etc7.2ch.net/test/read.cgi/ticketplus/1208920780/
0307人間七七四年
2008/04/27(日) 18:07:06ID:diNZ8kEW0308人間七七四年
2008/04/27(日) 18:11:13ID:kNYDJ/CC地元の人は「なんであんな奴の小説を書くんだ」って反応だったらしいが今も勝頼は嫌われているのか?
0309人間七七四年
2008/04/27(日) 18:42:55ID:kYmrGzPe神君勝頼公の悪口を言う者はほとんどいません。
0310人間七七四年
2008/04/27(日) 22:04:34ID:Gc00yTvL逃げてただけだろ?
0311人間七七四年
2008/04/27(日) 22:06:57ID:aPSBzc3x0312奇矯屋onぷらっと ◆SRGKIKYOUM
2008/04/27(日) 22:12:39ID:9wezbneb0313人間七七四年
2008/04/27(日) 22:42:19ID:lKIOsYra形だけでも隠居して家督を継がせておくべきだった
0314人間七七四年
2008/04/28(月) 00:03:33ID:ayDnqNlF0315人間七七四年
2008/04/28(月) 00:06:55ID:5EeS0zxB0316人間七七四年
2008/04/28(月) 00:12:05ID:zcrIGw7Z>形だけでも隠居して家督を継がせておくべきだった
それができれば武田義信は死なずにすんだんですよ。
参考
永禄元年頃 今川義元、氏真に家督を譲る。
永禄二年頃 北条氏康、氏政に家督を譲る。
0317人間七七四年
2008/04/28(月) 03:10:01ID:nQG7oimX自分は勝頼好きだけど、
甲州市のその祭りと新府の勝頼関連祭りは
ただの『山梨の一地域の町(村)おこし&地元のイベント」的な
ビンボ臭いイベントでしかないと思う。
残念ながら4月の信玄公祭りなどとは規模も集客も違いすぎ。
0318人間七七四年
2008/04/28(月) 07:19:28ID:Rp4lR5jJまあそうなんだけど、数年前に勝頼公祭りに行ったが
あれはあれでまったりとしていい祭りだったよ。小ぶりなりに。
しかし勝頼、北条夫人、松姫などがいるのはいいとして
最期の時点ではすでに敵だった北条氏政がいるのはいただけない。
0319人間七七四年
2008/04/28(月) 22:40:13ID:jOJ59Rd9親族衆のうち、まともに戦いらしい戦いをしたのが仁科五郎くらいだしね
あとは一条信竜あたりか
0320人間七七四年
2008/04/29(火) 01:21:49ID:Yvsd/Le90321人間七七四年
2008/04/29(火) 01:31:15ID:R0wwQbx3佐竹だって,少し遡れば山入一揆で大変だったような…
親類衆から裏切り者を出さないまま滅んだ例の方が希有じゃないかね?
0322人間七七四年
2008/04/29(火) 04:35:34ID:daDSYSEy0323人間七七四年
2008/04/29(火) 09:33:26ID:Gsd6Msf+0324人間七七四年
2008/04/29(火) 20:32:01ID:8CbJMztQ0325奇矯屋onぷらっと ◆SRGKIKYOUM
2008/04/29(火) 20:46:56ID:UB9oKm0A0326人間七七四年
2008/04/29(火) 20:55:17ID:kr426kvt側室腹で一度諏訪家を継いだ出戻りじゃだめぽ。
0327人間七七四年
2008/04/29(火) 21:05:22ID:ZixC1Ozh0328人間七七四年
2008/04/29(火) 21:10:36ID:8CbJMztQ朝倉家がいい例だろ。
0329人間七七四年
2008/04/29(火) 21:41:30ID:MXPG+rhFこと。親類は即効逃げてるしな。
0330人間七七四年
2008/04/29(火) 21:42:32ID:Gsd6Msf+武田と朝倉は似ているな
それだと物語としては面白みがないから
小説とかだと早い段階から崩壊の兆しを見させてるけど
0331人間七七四年
2008/04/29(火) 22:48:23ID:R0wwQbx3http://ja.wikipedia.org/wiki/朝倉義景
これが本当だとすると、裏切った重鎮の景鏡との軋轢もなんとなく想像できるな
勝頼は信玄の子ではあるけれど、梅雪との関係に似ていて興味深い!
0332人間七七四年
2008/04/29(火) 23:55:17ID:yqWAlvCe人間は居なかったのかね?何度か信長側からも働きかけはあったはずだが本人が意固地に耳を貸さなかったのかな?
0333人間七七四年
2008/04/30(水) 00:28:04ID:GtYswWEe最後まで殉じた土屋昌恒の家は取り立てられ老中にまでなっているあたりがいいよな。
仁科盛信も現代まで名を残してるし。
0334人間七七四年
2008/04/30(水) 00:37:39ID:gjAyVGMi近年の書状研究によると早い時期から勝頼や跡部による和平交渉も行っていたらしい
どうにも信長側から勧告があっただけではないようだ
>>333
遁走した保科が後にあの会津藩だなんて信じたくないよな
血は繋がってないとはいえ
0336人間七七四年
2008/04/30(水) 02:04:32ID:JjiRG/6B0337人間七七四年
2008/04/30(水) 12:32:01ID:CBSTj8uD高遠城で副将として華々しく奮戦した昌行とか天目山で勝頼と運命をともにした一族もたくさん居るのに
0338人間七七四年
2008/04/30(水) 16:19:00ID:bSVP95Pn0339人間七七四年
2008/04/30(水) 16:28:58ID:kRLZqhi7しかも手口がねぇ。自ら手引きしたのにな。
0340人間七七四年
2008/04/30(水) 17:11:07ID:bSVP95Pn0342人間七七四年
2008/04/30(水) 18:07:49ID:kRLZqhi7真田はやれることはやれたが、勝頼は後悔だらけでは?
0343人間七七四年
2008/04/30(水) 18:46:37ID:7XmbV6jI持ちたる者で早くから和睦の使者を出したりしたが受け入れられず滅亡=勝頼
未練が残るのは勝頼の方だろうなあ。
0344人間七七四年
2008/04/30(水) 21:02:41ID:gjAyVGMi0345人間七七四年
2008/04/30(水) 21:46:58ID:kRLZqhi7ギャンブルで途中まで勝ちながら最後は何もなし…。
こういうのは最も堪える。
勝頼も勝ってる頃を思い出しながらやり切れない氏だったのだろう。
0346人間七七四年
2008/04/30(水) 22:09:09ID:dfWx5ZJE絶頂期でちょっとした油断ですべてが水の泡
桶狭間の義元よりひどい
0348人間七七四年
2008/04/30(水) 23:42:42ID:wnkdbInC0349人間七七四年
2008/05/01(木) 01:26:54ID:Meczfp33遺書を書くようなモンなのかな?
0350人間七七四年
2008/05/01(木) 01:40:01ID:iyKjRpU40351人間七七四年
2008/05/01(木) 08:00:42ID:tfuPfpwg0352人間七七四年
2008/05/01(木) 13:13:21ID:jvNzeop50354人間七七四年
2008/05/01(木) 22:20:24ID:iuvypqZ4石田の小山田
0355人間七七四年
2008/05/01(木) 23:42:42ID:LF99lIqs新田次郎
0356人間七七四年
2008/05/02(金) 01:53:14ID:MplCM43t従兄の信茂と共謀して、信茂が殺される時には逃げて(諸説あるが)
でも娘の悲劇のお陰でそれほど悪くは言われてないんだよな
0357人間七七四年
2008/05/02(金) 03:43:44ID:WH9w9xrM0358人間七七四年
2008/05/02(金) 11:18:46ID:WH9w9xrM0359人間七七四年
2008/05/02(金) 12:45:18ID:xzGcyso/信茂の場合は、家老級の重臣だからなぁ。
しかも新府城から誘い出して、人質の母親を奪い返し、笹子峠を封鎖して死に追い込む・・・ってなやり口が余りにもね。
0360人間七七四年
2008/05/02(金) 21:56:48ID:fzM9nIfHあげ
0361全板トナメ戦国板の投票日は5/3!
2008/05/02(金) 22:37:28ID:NFfon+AX明日5/3日は戦国板の投票日だよー
選対スレ
http://hobby11.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1205796433/
投票方法
http://hobby11.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1205796433/477
0362人間七七四年
2008/05/02(金) 23:02:19ID:WH9w9xrM0363人間七七四年
2008/05/03(土) 04:28:15ID:7GnFwwcj0364人間七七四年
2008/05/03(土) 11:36:22ID:ezzHu4WS0365人間七七四年
2008/05/03(土) 12:16:19ID:gwwjFzT1拡大し続けるしか、体制を維持することができなかった
0366人間七七四年
2008/05/03(土) 12:28:08ID:75zyTHfA信長に拒否されて滅亡の道を辿ってしまったわけだが。
ところで和睦を求め始めたのは長篠の戦い以降のこと?
0367人間七七四年
2008/05/03(土) 12:55:41ID:gwwjFzT10369人間七七四年
2008/05/03(土) 15:38:42ID:flAMtcl+そのソースってある?
0370人間七七四年
2008/05/03(土) 15:44:04ID:75zyTHfA流し読みだったからはっきりとは覚えてないが「武田信玄と勝頼」とかいう新書に書いてあったんだけど、じゃあその後の事かな?
ごめん、よくわからないや。
0371人間七七四年
2008/05/03(土) 16:08:20ID:P5YDtvlrその後、景勝と勝頼が降伏路線に出るけど、信長は北条に肩入れしたと
0372人間七七四年
2008/05/03(土) 16:20:11ID:LmqDSno7戦国大名もどきだからな。武田は
0373人間七七四年
2008/05/04(日) 01:22:21ID:gGJzajzfどうせ飲めないような無理難題を吹っかけて潰しに掛かるだろ。良くて甲斐一国だけ安堵するとか悪けりゃ自分の息子を
送り込んで乗っ取りとか平気でやるよ。その時運良く和睦できてたとしてもつかの間の平穏でしかない。
徳川だっていずれ天下統一後は相当領地召し上げられてたんじゃないの?、
0374人間七七四年
2008/05/04(日) 01:30:26ID:VVrpA1pCそれでもいいから降りたいと最後の望みをかけて勝長を返したのか
0376人間七七四年
2008/05/04(日) 06:57:49ID:A9ncC6hB0378人間七七四年
2008/05/04(日) 14:06:10ID:gGtnvz9Sその所業や性格ってのが、たいてい誤解に基づいて捏造された人物イメージなんだよ。
筒井、三好、宇喜多など、もとは敵対していたが降伏してからは忠実に仕えているもの
たちはいくらでもいる。
逆に、どれほど頭を下げても認められずに滅ぼされた大名なんて、どれほどいる?
もちろん、それまでの関係を考慮してだが。
0379人間七七四年
2008/05/06(火) 14:45:35ID:/m9jdrggもし北条が徳川に侵攻してきたら、武田も価値があるけど。
0380人間七七四年
2008/05/06(火) 15:51:21ID:rSYoxHFR信長もわかってたから勝頼景勝じゃなくて北条を選んだんだろうなあ
0381人間七七四年
2008/05/06(火) 21:36:00ID:RMWNNv9o幽閉されて両家とも乗っ取られたがな。そうなると武田が同じ運命になることも
普通にあり得る。
0382人間七七四年
2008/05/06(火) 21:59:13ID:h+Z1yV1n0383人間七七四年
2008/05/14(水) 11:33:19ID:3SBFUIZo0384人間七七四年
2008/05/15(木) 02:18:35ID:YXKfmquS義信が家督継げば道楽できたかもな。
0385人間七七四年
2008/05/15(木) 20:08:31ID:T/T0a+3u0386人間七七四年
2008/05/15(木) 20:14:36ID:gkBEHb7A信豊が勝頼クラスの戦能力を持っていれば、勝頼もかなり違った状況にあったはず。
0387奇矯屋onぷらっと ◆SRGKIKYOUM
2008/05/16(金) 01:03:57ID:m9OT98si0388人間七七四年
2008/05/16(金) 01:22:16ID:azJxW17b0389人間七七四年
2008/05/16(金) 01:32:39ID:j8tyftpZ盛信の首だけ、どこにいったかわからないっぽいけど、誰かご存じ?
0390人間七七四年
2008/05/16(金) 11:28:36ID:rGAV8I4k0391人間七七四年
2008/05/16(金) 17:56:00ID:Ay6ffyA/0392人間七七四年
2008/05/21(水) 11:52:09ID:/nBPEJEV0393人間七七四年
2008/05/21(水) 12:15:16ID:eMBvsPU00394人間七七四年
2008/05/21(水) 12:40:13ID:cQ8RZUgsヤフーの辞書だと
「主君が幼少のとき、家族または老臣などで軍務・政務のすべてを統括した役職」
現代で言うならば後見人という所だろうか?
勝頼の立場って、連立政権の少数与党の総裁代行に、総理の職務を引き継げと言うようなもんだわな。
0395人間七七四年
2008/05/21(水) 18:10:48ID:/nBPEJEVそんなのに任じられても困るわな。
0396人間七七四年
2008/05/21(水) 18:53:20ID:eMBvsPU0老臣って馬場くらいしかいないだろ
0397人間七七四年
2008/05/21(水) 21:13:44ID:/nBPEJEVハア?
老臣なんてたくさんいるだろ。
0398人間七七四年
2008/05/21(水) 23:35:14ID:eMBvsPU0他はまだ50歳前後くらいじゃないの?
0399奇矯屋onぷらっと ◆SRGKIKYOUM
2008/05/22(木) 00:07:16ID:rJBp8qus0400人間七七四年
2008/05/22(木) 00:14:54ID:yDQ0LyvE0401人間七七四年
2008/05/22(木) 00:53:49ID:lgtSdE4lでも、勝頼が継いだ時点ではいわゆる四名臣は健在だったけどな。
0402人間七七四年
2008/05/22(木) 03:59:54ID:PM80D3vy0403人間七七四年
2008/05/22(木) 10:47:50ID:3IzgyDFH信虎社長の下で同業の小山田家具などを傘下企業として取り込み県No.1となる
だが強引な経営に不満が高まり、取締役会でのクーデターにより信虎社長は追放され、
その息子であった晴信専務が取締役会の支持を受け新社長に就任
新社長の下で隣県の諏訪産業、小笠原家具、海野林業、村上土木などを吸収合併する
その後も、黒川ゴールドなどが大ヒットした事による追い風を受けながら業績を拡大しつつ
西上野、信濃、甲斐、駿河、東遠江に影響力を及ぼす
なお晴信社長就任時のいきさつなどから代表取締役の権限はこの規模の会社としては
それほど大きくはない。更に四菱会(親族による非公式団体)の経営面での干渉及び
影響力が異常に強いのが(株)武田の特色でもある
(株)武田の経営
晴信代表取締役−甲斐本社小山田常務・穴山専務・信廉常務
______|_____________________
| | | | | |
西上野支社 北信支社 中信支社 南信支社 駿河支社 東遠江支店
内藤専務 高坂常務 馬場専務 勝頼常務 山県専務 本社直轄
※小山田常務は(有)小山田家具の代表と兼務
※穴山常務は晴信社長一族とは代々の血縁関係
※信廉常務は晴信社長の弟
晴信社長は西遠江・三河・尾張・美濃の吸収合併を見据えて、社運を賭けた大設備投資を行う
これにより黒川ゴールドなどで蓄えた内部留保をかなりの規模で取り崩すもその賭けは成功…
したかにみえた
が、ここで晴信社長死去
次代社長に南信支社長であり息子でもある勝頼常務ではなく勝頼常務の息子信勝を指名
勝頼常務には信勝成人までの代表取締役「代行」としての権限が与えられる
ただでさえ四菱会といううるさい親族団体を抱えていた(株)武田の混迷がここに始まる
0404人間七七四年
2008/05/22(木) 12:35:00ID:lgtSdE4l0407人間七七四年
2008/05/23(金) 12:26:11ID:Fm/TD0ENまともな研究者が真剣に取り組んでいる「武田勝頼のすべて」の巻等で
(有名w作家なので一応尊重?)、いまだに陣代説を語る御大www
0408人間七七四年
2008/05/23(金) 14:30:01ID:Ohnza5Yv煽ってるだけで内容なしの糞レスよりよほどいいよ
0409人間七七四年
2008/05/23(金) 18:38:59ID:35Imut1t実は黒川ゴールドって信虎が軌道に乗せたらしいね
その恩恵を晴信は受けていたと
勝頼は黒川が枯渇し始めた頃に家を継いだから、散々苦労させられた
しかし商人を重用するなど、領主として有能な面を覗かせている
晴信って財源(黒川以外の)を産み出すのは下手だったのかなぁ
0410人間七七四年
2008/05/23(金) 22:34:27ID:/k42KHxB0411人間七七四年
2008/05/23(金) 23:35:15ID:HzYYMlvS越後の青そのように、甲斐にも特産物となるようなモノがあればな…
流通ルートだって、駿河取るまでは思うようにならんかったろうね
0412人間七七四年
2008/05/24(土) 01:06:21ID:yar/L6oO0413人間七七四年
2008/05/24(土) 01:12:41ID:Z+kt8yL30414人間七七四年
2008/05/24(土) 10:01:34ID:2tiNxP390415人間七七四年
2008/05/24(土) 11:46:48ID:58dtpuo50416人間七七四年
2008/05/24(土) 12:41:02ID:weVFvEyq商人に帯刀を許すなど厚遇して関係を強めていった
そのおかげで破綻しかけていた武田の財政は立ち直った、が
時既に遅かった〜とNHKでやってた
何も無い所から領地を豊かにする才能は
勝頼>信虎>>>信玄なのかもしれない
0417人間七七四年
2008/05/24(土) 14:32:20ID:EwTVjHy8>>416
重商主義は長篠以降の話だっけ?
中央集権化と合わせて、もっと早くに実現できていればね
0418人間七七四年
2008/05/25(日) 09:16:23ID:5U7Uc9RZ内容の真偽は別としても甲陽軍艦で高坂が諫言したように
戦わずして逃げた梅雪を切腹、駿河遠江は氏政に進呈、要所に土着する
木曽を配置換え等等。これで当分の間は織田も動けなかったろう。
0419人間七七四年
2008/05/25(日) 09:52:08ID:yhcJIFNh戦費・人員を直接拠出するのは国人土豪だろうよ。
武田軍の田舎な構成ならなおさら。
彼らが貧乏では、宗家がいくら潤ってもあんまり意味無いのでは?
しばらく戦しないのが一番の財政策のような。
0420人間七七四年
2008/05/25(日) 11:15:00ID:7zXZIc9Eそれこそこれでもかってくらい発行してた気が
0421人間七七四年
2008/05/25(日) 14:06:08ID:ABkIVopq後詰を辞めて見殺しにしたのが高天神。
後詰を辞めたら、高天神のように
国人土豪が勝頼のもとから離れていくだけだよ。
0423人間七七四年
2008/05/26(月) 23:32:48ID:nTPrxXTP0424人間七七四年
2008/05/26(月) 23:45:15ID:BDuMokzT多分、木曾勢は織田軍の支援も受けてたと思う。
木曾の裏切りの判明から鳥居峠への武田軍の展開には時間がかかった筈で、
その間に織田方が遠山家から鉄砲隊を派遣するだけでも随分と違う。
鳥居峠に鉄砲隊が展開したら、攻め上がる側の武田は不利だ。地の利は木曾方にある。
0425人間七七四年
2008/05/27(火) 02:13:25ID:/Yhfv33wでかくなっている勝頼の代で討伐失敗したのだから、支援がなかったとは考えにくくはあるね。
0426人間七七四年
2008/05/27(火) 05:07:20ID:nyYsCdLGいくらなんでも木曽が単独で、というのは考えづらい。
てか、勝頼じゃなくて信豊だろ、討伐の指揮執って失敗したのは。
0427人間七七四年
2008/05/27(火) 07:59:18ID:2iIZmbA9先陣だけで潰せると思ったのか
0428人間七七四年
2008/05/27(火) 11:35:42ID:4tR1sR6m一度負けただけならいいのだが、弱小相手に負けてはな。
支援あったにせよ、本来はその支援先にかたなあかんのやから。
0429人間七七四年
2008/05/27(火) 19:50:55ID:877n48Vf<<戦国時代>>板は6/4日出陣
http://2ch.gepper.net/tour/t2/a9.html
詳しくは選対スレへ
http://hobby11.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1211037643/
0430人間七七四年@全板トナメ開催中
2008/06/04(水) 06:55:31ID:8DiBScybマピオンの地図見ながら信忠の侵攻ルート追ってったんだけどね、武田軍はヤバいわ。
”スレッジ&ハンマー”が完成しちまう。
木曾谷、鳥居峠は国道19号線沿い(金床)
一方信忠の侵攻ルートは、中央自動車道沿い(ハンマー)。
平谷(下条家)、飯田(小笠原家)と裏切者が出たため、武田軍は別な穴から入られてるんですな。
木曾谷に引き付けられてる間に本隊に諏訪まで行かれてしまう。
「後方を絶たれる」恐怖に鳥居峠侵攻軍は崩れ、そこに逆撃を喰らったようだな。
0431人間七七四年@全板トナメ開催中
2008/06/04(水) 14:36:45ID:qb95gSKi教科書みたいに理想的な戦い方だな
0432人間七七四年@全板トナメ開催中
2008/06/04(水) 15:39:10ID:sCyuRfUi旧軍も桶狭間や川中島を講義しているより、信忠軍の
甲斐侵攻を教えていた方がなんぼ為になった事やら。
0433人間七七四年@全板トナメ開催中
2008/06/04(水) 16:51:48ID:0vrYaruX織田と武田とで勢力差がありすぎて、あまりにも順当な勝利なので
戦訓にならないと判断したんじゃない?
0434人間七七四年@全板トナメ開催中
2008/06/05(木) 11:09:39ID:dP7g6coc金床理論のお手本みたいって点には否定しないけど
0435人間七七四年
2008/06/12(木) 16:57:45ID:+cXXoa5T木曾侵攻はもう無理と諦めるとしても、鳥居峠はひいて押さえの兵を配置しておけば、
まあ木曾単独で侵攻は考えなくてもいいとして(そこまで手当てする余裕がないとも言えるが)、
それで勝頼本隊は南下して高遠あたりで信忠軍を抑える。
まあ相手にはまだ信長本軍も控えているので、最終的には結果はたいして変わらなかった
可能性は高いが、それでも史実のようにロクな抗戦も出来ずに軍は裏切り逃亡の末に崩壊
して消滅。勝頼一行は行き場もなくして山中を彷徨った挙句自決なんて惨めな結末も、少しは
変わったんじゃないかね。
正直、大大名の滅亡としては尼子や朝倉や北条よりひどいというか。言葉は悪いんだが、
恰好悪いというか、絵にならないというか。
0437人間七七四年
2008/06/12(木) 17:24:32ID:26uzhTz/その時歴史が動いた
だと諏訪で二万の兵で最終決戦の予定だったが、穴山裏切りの報せで空中分解したことになってたな。
0438人間七七四年
2008/06/12(木) 18:25:31ID:7UFTO3Xaあれほどの総崩れは無かったろうね
たとえ結果は同じでも名誉が違った
0439人間七七四年
2008/06/12(木) 20:00:02ID:32F63FeO勝頼だって、徳川のために作ったつもりはないだろうに。
0441人間七七四年
2008/06/12(木) 23:08:51ID:e/SUmls1新兵ばかりでは浮き足も立ちやすい
0442人間七七四年
2008/06/13(金) 09:19:13ID:Q2txMGM8武田の農民兵が「上杉相手の時はお互い百姓だからほどほどでやれたが織田の侍は本気でくるからやり辛いわい」
と語っていたよ。
0443人間七七四年
2008/06/13(金) 15:23:47ID:MKtICq4V織田軍=兵農分離された近世大名のイメージじゃない?
まあ織田の侍が本気なのは圧倒的な兵力差があるからでしょ。
信玄や氏康、秀吉、家康もそうだが戦は勝てる算段がついてからやる、
生産人口をムダに減らしたくないからね(博打うつ時もあるけど)。
織田だって士分をいたずらに減らしたくはないわな。
0444人間七七四年
2008/06/14(土) 10:44:58ID:G5cc7Gkd「勝兵は先ず勝ちてしかる後に戦いを求め、敗兵は先ず戦いてしかる後に勝ちを求む(孫子)」
まぁ、長篠では撤収すると徳川家による奥平家への後詰の成功となるから北三河に手が出せなくなる、
織田家による徳川家への後詰の成功となって内応工作
(築山殿事件が巷間に言われている物であったとしての話だが、他にも工作はあっただろう)が没になりかねない、
だから目の前に信長が出てきたのに食いついたのも、判らなくもないんだが、
軍の中枢を占める人材を丸まる喪失するほどの敗北を喫してはな・・・。
敵が三倍の戦力と判っていて、しかも野戦陣地を構築している前に飛び込んでいったのなら勝頼は超越バカ呼ばわりされても文句は言えんが、
ひょっとして諜報網が機能してなかったんじゃないのか? 長篠へは急な出兵だったらしいし。
山家のパンピーが、勝頼の賦役や税金が高すぎて「また武田の支配下に落ちるのは嫌だ」と間者を狩り立ててたり、
実際には通っていた軍勢を知らん振りしていたり、梅雨明けの時期を武田方には誤魔化して伝えたり・・・。
で、鳶の巣山砦に敵が兵力を分派したと聞いてチャンスとばかりに設楽が原で交戦を開始。
実際に交戦してみると敵は大軍だった。
しかも天気は曇り後晴れで鉄砲が火を吹きまくり。指揮官達が狙撃されまくって士気崩壊、壊走したところを追撃食らって大打撃と・・・。
0445人間七七四年
2008/06/14(土) 13:27:33ID:BLhv7tX4「豪族達をつなぎとめるという政治的な意味では必要な判断だった」
とか言って褒めるというか弁護するのなら、長篠での勝頼の判断も同じこと
言って弁護するべきだと思うんだよね。
0446人間七七四年
2008/06/14(土) 17:42:34ID:adCzHBng>長篠へは急な出兵だったらしいし。
普通、後詰の織田・徳川軍が武田軍に仕掛けるのが常識。
それが織田・徳川軍は長篠城を前に止まって布陣したもんだから
勝頼は「相手は勝つ自信が無いのだろう」と思ったのだろうね。
>ひょっとして諜報網が機能してなかったんじゃないのか?
>実際に交戦してみると敵は大軍だった。
信長公記には「敵に見えないように軍を配置した」とあるのだから
この説はあるかと思う。
>しかも野戦陣地を構築している
「空堀跡が見つかった」とあるけど、これって本当???
野戦に空堀を造るのは画期的な手法なのに絵巻や資料には空堀は一切出てこないんだよね。
0447人間七七四年
2008/06/14(土) 21:21:08ID:MSwqjYrM0448人間七七四年
2008/06/14(土) 21:36:10ID:pWCNWDkWそれとも美濃に進出してた1574あたりか
0449人間七七四年
2008/06/14(土) 21:46:58ID:D6ExMClZという本に、実際の設楽原に掘ったり建てたりして実験した結果が載っている。
筆者は火縄銃の研究者で、撃つ技術も高い人。
前面に土を盛り火縄銃を撃ちまくると、硝煙で撃つ側の姿はほとんど見えなくなるそうである。
筆者は空堀より土塁を重視しているな。
0450人間七七四年
2008/06/14(土) 23:58:57ID:ofhDruLEそう、漏れも読んだ。
三段撃ち否定してたやつでしょ?
0451人間七七四年
2008/06/15(日) 00:05:46ID:l1fkfK0/尼子北条はともかく、朝倉は一族の重鎮が裏切ったり将兵の大半が
逃亡したりと類似してるな。朝倉は転換点となるほどの大敗北は
していないはずだが、もしかしたら長篠がなかった場合の武田の
運命だったかも。
0452人間七七四年
2008/06/16(月) 16:10:18ID:5RKGIbKtまだ読んでないな、その本
で、その本では鳶ケ巣山砦の落城はどの位の影響を武田方に与えたか書いてある?
個人的には退路を断たれた格好になりにっちもサッチモ行かなくなって止むを得ず設楽が原に軍を
進めたように思っていたんだが、つか、そうさせるように織田方が仕組んだ、と
0453449
2008/06/16(月) 18:56:12ID:JEbLqKc8兵站の切断、突破口のための決戦、という流れで重視してます。
あと武田軍、および勝頼の勇戦を大変評価しているのが印象的。
「まるで城攻めだった」と言われたほどの野戦築城を前に、硝煙で見えない相手を
あれだけ傷つけたのは武田ならでは、と。
野戦築城というアイディアがなければ、本当に織田軍が負けたかもしれないな。
0454人間七七四年
2008/06/16(月) 22:50:19ID:yh6ru+Q5>野戦築城というアイディアがなければ、本当に織田軍が負けたかもしれないな。
同意ですね。
野戦築城+千丁の鉄砲を相手に6〜14時まで戦ったのだから。
死者も武田1千に対して連合軍が6百。
武田軍が白兵戦に強かった証拠だと思う。
ただそれだけに何故、雨が降っていて鉄砲が使えず、
馬防柵が完成していない
時に突撃をしなかったのか?
これだけは分からん。
0455人間七七四年
2008/06/16(月) 23:52:07ID:KovY1hMi0456人間七七四年
2008/06/17(火) 00:01:13ID:Ajd9j6wq0457人間七七四年
2008/06/17(火) 00:26:36ID:as61aobn0458人間七七四年
2008/06/17(火) 01:04:07ID:EvH045Lzかつて自分がそれをやった信長は野戦陣地という対策を立てていたてとこかね
0459人間七七四年
2008/06/17(火) 19:25:44ID:OmYi1gwV鳶ケ巣山砦を奪還して退却、というのも一つの良識としてあったろうし。
連合軍が随分な大軍であることも、ためらわせるものがあったろうしなあ。
しかし長篠城を諦め、武田の威信を損じ、莫大な兵糧や軍資金が無駄になるのは…
逃げたら逃げたで追撃してくるのは必定だし…
「ベストメンバーで出張ってることだし、いっそやってみる」
という決断に至るのは、なかなか難しい。
0460人間七七四年
2008/06/17(火) 20:45:11ID:Ajd9j6wq0461人間七七四年
2008/06/18(水) 02:34:54ID:i+6+3yxT0463人間七七四年
2008/07/16(水) 11:40:17ID:99laRbfu0464人間七七四年
2008/07/16(水) 14:54:43ID:HK2ziRqV信長公記の原本は、鉄砲の数が300で後から書き加えた形で0がひとつふえて3000になってるらしいね。だから、やっぱり三段撃ちは難しそうだよね
0465人間七七四年
2008/07/16(水) 19:00:16ID:SRWKYXdX0466人間七七四年
2008/07/16(水) 19:28:07ID:MeF5z4XU一千が三千だろ
三段も後付けだろ
事実何かの実験で三段で撃つよりも各々で手当たり次第に撃つほうが効果的だったって結果が出てなかったか?
いずれにせよ柵で守られて一千の鉄砲でバンバン撃たれ、柵までたどり着いても柵を超えようとしたら槍で突かれたらひとたまりもないわな
砦を築かれて、そこに千の鉄砲を配置されて、そこに誘い込まれた時点でアウトだよ
引こうにも倍以上の敵に背を向けたら追撃されてやはり壊滅的な被害を覚悟しなけりゃならんしな
0467人間七七四年
2008/07/18(金) 08:42:31ID:IVj9yNaS一発逆転、総力決戦のまたとない好機とはいえ、不利な要素がありすぎだよなぁ
0469人間七七四年
2008/07/27(日) 11:17:01ID:M2b9xcrW0470人間七七四年
2008/08/04(月) 23:31:26ID:5Ry6cjfq後ろに引けなくなったのでは?としていたな
0471人間七七四年
2008/09/05(金) 18:35:33ID:+eM2bkiK0472人間七七四年
2008/09/07(日) 14:31:25ID:ll/1WWnM0473人間七七四年
2008/09/07(日) 17:11:39ID:0gMwbRaJ(桶狭間の今川軍の数4万5千とかありえない)
もある
だが文献としては超高く見られてる。
甲陽軍艦は本当のこと
(今川軍の数2万と真実に近いことが書いてある)
もあれば、嘘もある
だが文献としては超フルボッコ。
何…この違い…
0474人間七七四年
2008/09/08(月) 12:21:39ID:VSUx0d3R絶対視みたいにされすぎ。
0475人間七七四年
2008/09/19(金) 23:16:22ID:+O+m3r130476人間七七四年
2008/10/03(金) 14:40:48ID:LoQN1KxL0477人間七七四年
2008/10/03(金) 17:54:23ID:gTYHOGzz甲陽軍鑑には、長篠の戦のさなか、武田信豊と穴山信君が
勝頼を置いて勝手に戦線離脱したという内容があったけど、
本当だとしたら壊滅的な打撃を受けたのてそのせいかもしれんよね
柵の付近までいって討たれたのは山県と土屋くらいだともいうし・・・
0478人間七七四年
2008/10/05(日) 11:54:06ID:ugs5CDQI勝頼はこの穴山信君を暗殺しておくべきだった
そして真田昌幸を駿河において徳川に対させて
たら、面白かったのに
0479人間七七四年
2008/10/05(日) 13:50:10ID:qR+bLqki0481人間七七四年
2008/10/09(木) 16:50:19ID:TEtQkXZW0482人間七七四年
2008/10/11(土) 03:17:38ID:OI3NAnFS0483人間七七四年
2008/10/11(土) 17:53:55ID:yZZu5Olc0484人間七七四年
2008/10/12(日) 08:07:04ID:ZoZahXSK上野攻略を任されるくらいだから、史実でも北信はある程度、任されていたと考えていいと思う。
だから、駿河をそれなりに任せられても、あり得ないってほどではないかなぁ。
任せられるっていうのが、どの程度かにもよるが。
0485人間七七四年
2008/10/12(日) 13:55:54ID:nmGxSgRt昌幸だとほぼ完全に譜代扱いで、普通に任せられるんじゃないかと。
0486人間七七四年
2008/10/12(日) 20:12:31ID:99LGNv8Dその辺は長年の積み重ねの分野だし
0487人間七七四年
2008/10/12(日) 23:27:45ID:NyUlxXxo0488人間七七四年
2008/10/13(月) 14:42:03ID:1Od5up/A0489人間七七四年
2008/10/13(月) 15:02:54ID:fUJVaAec山県・穴山と真田では同格と呼べない
0490人間七七四年
2008/10/15(水) 21:16:04ID:ALYtiIBN0491人間七七四年
2008/10/16(木) 00:12:06ID:lPECdEQ8穴山などの場合、河内に確固たる地盤を持ってるようなやつだし。
真田が大きく引き立てられたってのは、そういう連中への対抗策という
面もあろうし
0492人間七七四年
2008/10/17(金) 14:44:10ID:XK1E0BS6代々真田領にいて、幸隆の代でその周辺地域を市場開拓しただけでw
真田は北信州、西上州でナンボ。昌幸自身も動きたかないだろう。
アレコレ理由つけて拒みそうw
0493人間七七四年
2008/10/17(金) 20:25:04ID:/AKaq2C60494人間七七四年
2008/10/18(土) 03:18:48ID:+q9OnxMI0495人間七七四年
2008/10/19(日) 23:03:31ID:0eOMvPfK0496人間七七四年
2009/01/17(土) 17:14:25ID:SGyR3qVuよくわたしの領土防衛の夢を見事に打ち砕いてくれました…
夏目吉信ら影武者5人の反応がありませんね…あなたたちが殺したんですか?
どうやったのかは知りませんが、これはちょっと意外でしたよ…
それにしても、あと一息のところでふんどしが糞まみれになってしまうとは…
信長公には残念でしたが、わたしはもっとでしょうか…
はじめてですよ…
このわたしをここまでコケにしたおバカさん達は……
まさかこんな結果になろうとは思いませんでした…
ゆ…
ゆるさん…
ぜったいにゆるさんぞ甲斐の山猿ども!!!!!
じわじわと絵師を呼んでくれる!!!!!
後の戒めにするからな覚悟しろ!!!
0497人間七七四年
2009/01/19(月) 13:32:24ID:gDf/SJAg天下に隠れもなき名将?だったかな・・・ちょっと気になる
0498人間七七四年
2009/01/19(月) 18:23:43ID:ubakCsPs先代の影追いかけてる奴等居たら、足手まといデス
0499人間七七四年
2009/01/19(月) 21:02:48ID:dMtebRz7どうにもなりまへんがな。
0501人間七七四年
2009/01/19(月) 22:29:41ID:cnSg23Ac0502人間七七四年
2009/01/21(水) 00:24:14ID:4ZCPpuue0503人間七七四年
2009/03/11(水) 23:34:28ID:QdHhOcO+0504人間七七四年
2009/03/20(金) 01:37:56ID:M6hsfE+W0505人間七七四年
2009/04/12(日) 05:33:38ID:zvxiUx5G0506人間七七四年
2009/04/12(日) 11:30:57ID:YqloaKgP0507人間七七四年
2009/04/12(日) 12:31:52ID:3gzFrFYx勝頼が新府城を急造したが間に合わなかった。
武田は築城術に優れていたのだから、居城を築いておくべきだった。
侵略しまくってイケイケになっていて足下固めなかったツケを勝頼が払わされた。
0508人間七七四年
2009/04/12(日) 12:38:15ID:YqloaKgPあそこを居城にすれば良かった
0509人間七七四年
2009/04/12(日) 12:48:55ID:3gzFrFYxそれはアリかもな。
戦国大名は皆侵攻方向へ本拠を移転しているからな。
伊達 出羽→陸奥
北条 伊豆→相模
徳川 三河→遠江→駿河
織田 尾張→美濃→近江
三好 阿波→摂津
長蘇我部 土佐→阿波
0510人間七七四年
2009/04/12(日) 13:14:39ID:JBjUicnE領土各地に等間隔で行ける甲府から動く意味はないな
諏訪に移動するくらいなら甲府でいいし
0511人間七七四年
2009/04/12(日) 19:17:29ID:4lTl6Llrだとすりゃ、んなとこに拠点は移せんと思うが
0512人間七七四年
2009/05/03(日) 02:45:48ID:+MsO3p/90513人間七七四年
2009/05/20(水) 15:26:00ID:Ov3lWK4f0514人間七七四年
2009/05/23(土) 15:05:04ID:1Gz6cUuD0516人間七七四年
2009/06/29(月) 22:22:23ID:dEdjZeqaで倒産に導いた感じだねー
0517人間七七四年
2009/06/30(火) 01:39:54ID:FPnNMCeQパイオニアのイメージだな
ちょっときらりと光る技術は持っていたが上手くいかせずに、
しかも時代の流れに飲み込まれて没落
0518人間七七四年
2009/07/09(木) 01:12:15ID:vyrnkcKQ戦国時代の戦国大名。日本史上、有数の暴君。
あと少しで信濃統一を果たすところまでいくが上杉に阻まれる
同盟や和睦をやぶるなど謀略を尽くして領土を拡大し、奪った領土からの略奪により家臣や国内をまとめあげた。
しかし、国境を接する弱小豪族をすべて倒したあたりから領土拡大に急ブレーキがかかる。
このような相手国からの略奪によって家臣や国内の領民の不満を封じこむやり方は、領土拡大のペースが落ちると家臣や国内の不満を生むこととなった。
息子である勝頼は家臣や領民の不満を封じるため、無理な拡大路線を強いられることとなった。
また、信玄の度重なる外交に関する不義により武田家の他国への信用性はゼロに等しいこともあった。
その結果、勝頼は、他国との連携作戦もできずにやがて孤立していくこととなる。
結局、勝頼は父親の残した大きな負債を払拭することができなかった。
そして、武田家は一回の合戦で戦闘力を失い、たった一ヶ月で滅亡した。
織田信長が倒した戦国大名の中では武田家はもっとも労を要しない相手だった。
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/ ヽ
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武田信玄(基準値)
統率68 武勇56 知略82 政治72
毛利元就(適正値)
統率98 武勇72 知略115 政治89
徳川家康(適正値)
統率102 武勇88 知略100 政治115
豊臣秀吉(適正値)
統率105 武勇65 知略110 政治120
織田信長(適正値)
統率120 武勇105 知略105 政治105
北条氏康(適正値)
統率95 武勇82 知略89 政治110
上杉謙信(適正値)
統率92 武勇99 知略68 政治95
信玄が信長よりスタートに恵まれない → だがのウソ
信虎は甲斐を統一し、信玄は労せずそれを丸ごと承継。
一方、信秀は尾張統一に失敗し、今川の戦いにも敗北。家督相続をめぐる争いもあり、信秀の領土で信長が承継したのは名護屋城とその近辺だけ
信玄は信長とちがって、同格とばかり戦って領土を広げた → だがの妄想
一国にまとまらない信濃の豪族という格下との戦いに勝利して領土を広げただけ。同格の上杉やと北条との戦いでは領土拡大の
スピードは目に見える勢いで低下。上杉の謙信の出奔事件の合間をぬった和睦を反古にしての領土拡大や、氏康の病気をねらって
領土を拡大するものの、両国の間の第三国のわずかな領土の領有を得たにすぎない。、結局、上杉や北条といった同格の相手の領土は奪うことができなかった。
0519人間七七四年
2009/07/09(木) 01:15:17ID:fD4rsKRRどこが暴君だってんだ。
普通に同格相手に勢力を拡大してる。嘘をつくなよ。
>>家臣や国内の不満を生むこととなり息子の勝頼は拡大路線をつらなけらばいけないこととなる
ソースよろしく。でてこないだろうけど。
>>度重なる外交への不義により武田家への他国の信用性はゼロに等しく、勝頼は父親の残した大きな負債を払拭することが
>>結局できなかった
これもソースよろしく。普通に勝頼は関東諸侯やら上杉やらと結んでる。
信玄死亡時は北条が同盟国。長篠と御館を押し付けるのはおかしすぎ。
>>一回の合戦で戦闘力を失い、たった一ヶ月で滅亡した。
武田滅亡は長篠の7年後だが、7年が1か月か。すごいすごい。
長篠直後で勝頼が援軍に行けない状態でも岩村城を5か月かけても落とせなかったくせに。
武田が崩壊したのは長篠と御館で北条や徳川との多方面作戦での疲弊。
その間たくさん戦ってる。
>>信長が倒した戦国大名の中では武田家はもっとも労を要しない相手だった。
随分苦労してるがな。
画像が畠山じゃねえか。
その基準なら信長さまは統率40代きりそうだな。
知略はぼろぼろだな。
>>信玄が武田よりスタートに恵まれない
そもそもこの文章がおかしいと思わんのか。
信長と書きたかったんだろうが実際恵まれてないんだが。
だから笠原上杉、長尾上杉、北条、織田徳川、上田原後の信濃連合
十分戦ってる。
いい加減妄想はやめとけ。
とりあえず根拠となる資料を出して立証してもらおうか
>>信虎は甲斐を統一し、信玄は労せずそれを丸ごと承継。
毎年餓死者が続出する貧国甲斐と信虎を追放した事で国人統制の問題もあった。
>>一方、信秀は尾張統一に失敗し、今川の戦いにも敗北。信秀の領土で信長が承継したのは名護屋城とその近辺だけ
はいはいうそうそ。
信秀はもとから尾張で最強の実力者。弾正忠家の実力は20万石以上。それに加えて津島熱田の経済力を有してる。
信長は普通に継承してる。信長がそむかれたのはその素行から。
上杉からは5年で西上野20万石とってるし、北条からは2年で駿河15万石とってるが。
>>謙信の出奔事件の合間をぬった和睦を反古にしての領土拡大や
その後で第4回川中島で撃退も成功。西上野も攻略してる。
>>氏康の病気をねらって
氏康が病気になるのは武田が駿河の大部分を手に入れたあとだといってんだろ。低脳が。
>>両国の間の第三国のわずかな領土の領有を得たにすぎない。、結局、上杉や北条といった同格の相手の領土は奪うことができず。
北条は駿河の継承権を譲り受けてる。西上野は上杉の領土。
普通に北信濃・西上野・駿河と50万石を軽く超える領土を得てるんだが。
とりあえず資料だしてくれや。お前の妄想の。
あ、なんとなくだけど、これからお前の要領で
信長さまの紹介文書いてあげるから。
0520人間七七四年
2009/07/09(木) 01:16:51ID:fD4rsKRR織田信長
日本史上、有数のキチガイである戦国大名。
同格の斎藤義龍にとても勝てず、幼君にも何度も負けてるすさまじい戦下手。
ただ桶狭間で敵先陣と間違えて本陣突っ込んだり、手も足もでない斎藤義龍が早死にし
信玄謙信がちょうどいいタイミングで死に、畿内に勢力の真空が生まれていたという
非常な幸運に恵まれてはいた。しかし素行が悪すぎた為、家臣や味方に生涯裏切られ
最後は息子ともども重臣にころされ、織田家は完全に崩壊した。
信長死後誰も織田家を守ろうとせずみんなで自分の勢力拡大に走った面からも
いかに慕われていなかったかがわかる。
戦国でもっとも短期で崩壊した大名であろう。
武田信玄(基準値)
統率68 武勇56 知略82 政治72
これを基準とした場合の信長の能力地
織田信長
統率40 武勇50 知略52 政治45
信秀の領土で信長が承継したのは名護屋城とその近辺だけ→キチガイ織田厨のウソ
信秀はもともと尾張最強の実力を有しており、晩年には三河と美濃の領域は失ったが
尾張国内の力は顕在。信長は普通にこれを継承しており、後で素行の悪さでそむかれた。
実際継承時は弟も林も柴田も佐久間も平手もおじも従っており、名古屋周辺だけなんて
ありえない事がわかる。
信長は信玄より戦が強い→キチガイ織田厨のウソ
実際信長は生涯において格下相手に負けまくっている。
その敗戦数は数十に達する。根っからの戦下手。
秀吉・家康の天下は信長のおかげ→キチガイ織田厨の大ウソ
信長死後、織田家は完全に崩壊しており、秀吉はその旧織田家の勢力争いを勝ち抜き、
さらに多くの大名を倒して天下を統一した
秀吉は織田の一族でも何でもなく、もちろん信長から禅譲などしてもらっていない。
秀吉の天下は彼の実力によるもの。家康に至ってはなにをかいわんや。
0521人間七七四年
2009/07/09(木) 17:10:44ID:usB7sTU+0522人間七七四年
2009/07/22(水) 03:42:34ID:lLz2cn+j0524人間七七四年
2009/09/16(水) 20:30:38ID:P9RfMnxe中古で買うしかないかと思ってたから、ラッキーだったわ。
0525人間七七四年
2009/09/17(木) 19:07:12ID:U01VFJAr中古で買ったのがあるけど乱丁してるんだよな…買うか
0526人間七七四年
2009/09/18(金) 11:16:55ID:fJmDHaz4速攻、その足で買いに行ったよ。
0527犬山
2009/09/24(木) 19:54:51ID:RmAUYeJh武田軍のなかからそっくりさんさがす→
援軍来ないと叫ばせる→長篠城士気低下
総力あげて長篠城攻める→長篠城落城
織田徳川軍設楽原に到着→武田軍長篠城に籠城
こんな流れは無理だったでしょうか
0528人間七七四年
2009/09/24(木) 21:19:10ID:bn73vD+hマイナーな本だけど秋山信友を主人公にした「城将」も良かったなぁ。
0529人間七七四年
2009/09/25(金) 07:19:12ID:Pwxs3cdbだからどこら辺が嘘なのかを資料あげて説明してね。
今まで一度も説明できてないよ、君。早くしてね。
君の場合は根拠ひとつない妄言でしょ。
0530人間七七四年
2009/09/30(水) 17:59:03ID:1VbLmfdM信長公記では、3万 VS 1万5千になってます。なぜ、こんなに兵力比が違うのか?
0531人間七七四年
2009/09/30(水) 21:39:46ID:9yhm/nTt0532人間七七四年
2009/10/18(日) 21:44:04ID:eM8xy+EH0533人間七七四年
2009/11/04(水) 03:44:19ID:oqOBSUMw勝頼 土佐生存説のかたへ
どうぞおもいだされますよう
0534人間七七四年
2010/01/01(金) 16:25:06ID:xhlwtKRN0535人間七七四年
2010/01/11(月) 03:41:42ID:RceDyabE0536人間七七四年
2010/02/19(金) 10:17:32ID:rvLnTUVC武田勝頼、土佐に来ていた?
2009年05月04日11時00分
戦国武将、武田信玄の四男、勝頼の落人伝説が残る吾川郡仁淀川町大崎でこのほど、講演会「武田勝頼は土佐に来た」が開かれた。
「武田勝頼土佐の会」(岡林照寿会長)の主催。
岡林会長が集めた家系図や勝頼の墓とされる史跡の写真などを示しながら約四十人の歴史愛好家に講演。
勝頼の子孫に当たるという武田清美さん(69)=静岡市=も来場し、耳を傾けた。
勝頼は天正十(一五八二)年、織田信長との戦いに敗れ三十七歳で自害したとされ、山梨県甲府市の法泉寺に祭られている。
一方、同町には勝頼につながる史跡が数多く残っており、落ち延びて現在の同町大崎に居住し、
慶長十四(一六〇九)年に六十四歳で没したとも伝えられている。
講演を聴いた武田さんは「勝頼公が高知に来ていたとは夢にも思わなかった」。ただ、武田さんが家系図を調べたところ一、二代、名前が抜けているところが
あるといい「講演を聴いて土佐の地に来ていた可能性もあるのではないかと思えてきた」と話していた。
0537人間七七四年
2010/04/21(水) 06:54:58ID:eM3H5w0C秋山好きだから、読んでみたいけど、手に入らないなぁ。
0538人間七七四年
2010/07/08(木) 23:41:43ID:aoWKMRJt0539人間七七四年
2010/07/10(土) 03:00:18ID:JwSJT2wwその後小笠原を塩尻峠で破って勢力を回復
勝頼は長篠で重臣を失って中央集権化のチャンスを得たものの・・・
仁科信盛が武田信繁のポジションになれるくらいの立場だったらな
武田信豊でも良いんだが
正直なところ長篠で穴山、信廉あたりが無傷で残ったのは痛かったな
0540名無しさん@そうだ選挙に行こう
2010/07/10(土) 15:02:38ID:yFQRlTAB0541人間七七四年
2010/07/14(水) 22:22:29ID:t8UCHneg長篠でも真っ先に退却して崩れる原因作ってるし
0543人間七七四年
2010/07/17(土) 12:18:13ID:5sFyoG100544人間七七四年
2010/07/17(土) 12:41:26ID:09ZJNqj60545人間七七四年
2010/08/02(月) 13:46:21ID:ud26FlNV上洛の時に働いてるじゃんww
三方ヶ原で大活躍してるよ、と言うよりじつは既にこの時の采配は
勝頼が取っていたとも言う説があるぐらい深く関わってる。
0546人間七七四年
2010/08/02(月) 19:12:01ID:DMxH+E4C駿河で今川と北条ボコって三方ヶ原で徳川壊滅させて
信玄配下じゃ間違いなく最強。織田だけはかんべんな
0547人間七七四年
2010/08/02(月) 20:50:08ID:R75JXSSL三増峠で北条を襲撃して戦況をひっくり返したのも山県
確かに勝頼もこの戦いでは2番手で奮戦してはいるがね
山県は駿河攻め先陣も承り、第4次川中島では上杉勢に押される武田勢の中で
別働隊到着前から上杉勢一の勇将柿崎の部隊を敗走させて存在感を見せ
三方ヶ原でも最初は崩されたけども、体勢を立て直して酒井隊撃破
(というか、この戦いではむしろ馬場美濃が凄い。あっさりと徳川勢の片翼をつぶしてる。)
東美濃攻防では山県一手で信長を追い払い、
信玄生きてる時も、信玄死後の徳川領侵攻でも、山県一手で徳川をたびたび破ってる
長篠でも華々しく奮戦して戦死
0548だ
2010/08/10(火) 09:36:05ID:wfRjTL6m秀吉も勝頼評価しとったぜ
俺なら勝頼を生かして関東方面平定する先鋒を任せたってね
躑躅ヶ崎館見に行って来たんだけど
滅ぼされただけあって何も無かったw
武田人気でお客さんはそこそこ来てたけど
0549人間七七四年
2010/08/10(火) 22:24:56ID:OiPJVnVW0550人間七七四年
2010/08/16(月) 21:15:47ID:GMXtfW/l0551人間七七四年
2010/08/16(月) 22:18:13ID:a06lmkaWどう見ても総指揮はとってないとオモワレ
最前線で暴れてるし、手勢も千に満たないし、その寡兵で持って徳川勢に突撃してかき回した役割だから
どう見ても総指揮はとってない
途中から信玄が甘利隊を投入して横槍を入れさせ
徳川勢に止めを刺してる記述からも
どう見ても総指揮は信玄
0553人間七七四年
2010/08/24(火) 14:12:35ID:d0HHkx5F0554人間七七四年
2010/08/24(火) 23:24:57ID:JiZx1oGF5尺に満たない、とかいう表記だとしたら身長140センチ代って事になるから
そこまで小さいわけでもなさそうな
0556人間七七四年
2010/08/25(水) 08:07:41ID:bNjVViTg男の150センチ台とかごろごろいたよん
0557人間七七四年
2010/08/27(金) 04:20:45ID:Wfjdi25b現代で考えると、日本人の平均身長は171。160台はゴロゴロ居るだろうが、
140〜150台となると、爆笑の田中裕二が154だから。。。それ以下と
いうと見つけるのさえ難しいと思う。
0558人間七七四年
2010/08/27(金) 10:19:17ID:j3OXdzDg0559人間七七四年
2010/08/27(金) 14:53:12ID:2XcVRDr9ケンじゃねーか。
0560人間七七四年
2010/09/12(日) 09:23:22ID:1hCTNmTg高天神辺りで後詰めで動いて決戦できてればな
まぁいつものように徳川が逃げるんだろうけど
北条と同盟が続いてれば駿河の兵だけで撃退できたんだろうけどな
信玄の死と謙信の死で完全に詰んじまったな
0561人間七七四年
2010/09/12(日) 12:55:32ID:1msS+wx2http://takenosuke.blog32.fc2.com/blog-entry-71.html
【驚き3】勝頼の外交
長篠の戦い以後、実は信長からも破格の条件で和睦の使者が来ていたそうです。
当時の信長は、毛利・本願寺・上杉といった強国を相手にしなければならず、できるだけ敵を増やしたくなかったのでしょう。
しかし信長との和睦を断り、北条との同盟を結んだ勝頼。この選択が、後の武田家滅亡のキーポイントの一つになってしまいます。
0562人間七七四年
2010/09/13(月) 10:56:38ID:hnwTnhtZ松姫を信忠に輿入れさせるとして信長没後は信忠の義兄として少しは重宝されるのだろうか
あと確実に対上杉の先鋒にされる訳でその部分もどうかな
まだ謙信生きてる状況で川中島の再戦はかなりやばそう
勝頼には戦上手の重臣が残って無く、すぐに撤退するような御親類衆しか残ってない
北条は織田の勢力が武田にまで及べばあえて敵対はしないだろう(対上杉で共同戦線張るだろうし)
まぁ考えようによっては主攻正面を北信濃に限定できるから生き延びる上では上策かもね
0563人間七七四年
2010/09/13(月) 14:43:13ID:V9ep3S0n0564人間七七四年
2010/09/13(月) 14:47:49ID:4/oXXAle0565人間七七四年
2010/09/13(月) 14:55:44ID:hnwTnhtZ信長は早めに家督譲ってるからね
信長が死んで信忠の時代になればその辺りの旧臣は立場的に厳しくなるかもね
徳川に至っては武田と織田が和睦した結果完全に三河・遠江に押し込まれて武田と織田の支援要員と化してそうだし
信忠の室に妹が居るのはかなり大きいかもね
0566人間七七四年
2010/09/13(月) 18:00:21ID:V9ep3S0nなるほど、たしかに信忠の義兄という立場だからね
戦って織田を倒すのは無理でも、同盟国として織田があれば強力だ
徳川とは構える必要ないから上杉、北条にほとんどの戦力を向けられる
0567人間七七四年
2010/09/13(月) 18:50:35ID:YW3Dfu6qそのネタは甲陽軍鑑が元ではないか?
甲陽軍鑑の全てを否定はしないが、
甲陽軍鑑しかない話を信じるのは少しどうかと思う。
0568人間七七四年
2010/09/13(月) 23:47:25ID:veztxHaN龍勝寺殿は養女とはいえ信長の娘扱いで勝頼の室になったんだから。
0569人間七七四年
2010/09/13(月) 23:52:46ID:/rW04BWt養女はやっぱ実子に比べると弱いよ。
0570人間七七四年
2010/09/14(火) 01:01:59ID:+YAVmlIB0571人間七七四年
2010/09/14(火) 02:40:27ID:B+KWACDH0573人間七七四年
2010/09/15(水) 10:48:24ID:IdNrW0l0なんでよ。信長はやばい状況なら過去にも敵対中の義昭や浅井・朝倉と和睦図ろうと何度もしてきたわけだが。
逆に信長だからこそあの時点ならやりそう。謙信死後はまったくその必要は無いけど
0574人間七七四年
2010/09/15(水) 12:39:11ID:I9cBmCXg甲斐信濃駿河安堵で家康と同格の親類扱いとか
0575人間七七四年
2010/09/15(水) 12:45:59ID:2k83dhFzその代わり上杉と北条を一手に引き受けることになりそうだけど
0576人間七七四年
2010/09/15(水) 14:05:13ID:n1RFS6Mi少なくとも上杉が生存中は
上杉はさっさと滅亡しそうだけど
0577人間七七四年
2010/09/15(水) 14:12:53ID:2k83dhFz北条と一緒に上杉包囲網ですかね
さすがに謙信詰んだかもでも上杉滅亡して越後は織田領、北条も織田と結ぶとなると
武田も徳川と一緒で領土拡張の道完全に閉ざされますね
0578人間七七四年
2010/09/15(水) 14:38:28ID:t5PJ9na2で、真田と穴山と小山田は独立
勝頼は諏訪、松本、佐久と甲斐1国安堵、そのあとは信忠与力として上杉攻めの先鋒ってとこか
0579人間七七四年
2010/09/15(水) 14:39:56ID:2k83dhFz0580人間七七四年
2010/09/15(水) 15:01:51ID:FIBIbsz9テラ奴隷ワロスwwwww
0581人間七七四年
2010/09/15(水) 15:06:43ID:vpbE6+Vj降伏なら甲斐1国+駿河半分と信濃南東部の安堵、信忠と松姫の婚姻、
事前に和睦なら駿河の1部+信濃の2〜3部位を譲ってって越後攻めに使用。
まあ、これ位か?
0582人間七七四年
2010/09/15(水) 15:10:50ID:Z5lFXX9q0583人間七七四年
2010/09/15(水) 15:58:15ID:I9cBmCXg最低でも甲斐信濃は安堵じゃないと納得できないだろ
0584人間七七四年
2010/09/15(水) 16:02:50ID:2k83dhFzでないとどう考えても国内まとめられないw
0585人間七七四年
2010/09/15(水) 16:46:50ID:Dia9zSsM北条も同盟仲間入りし、上杉包囲網で謙信倒したとする
その後、信長から言いがかりで甲斐、信濃、駿河を召し上げ
0586人間七七四年
2010/09/15(水) 18:44:10ID:IdNrW0l00587人間七七四年
2010/09/15(水) 20:32:24ID:HY9i90o1事実なら、信長公記なりでも、ちょっとは触れていそうなもんだけどなぁ。
触れるだけで、「天下の面目を失った」の辺りの説得力も増せるし。
時勢読み間違えた格好の例に挙げられるはず。
0588人間七七四年
2010/09/15(水) 21:13:19ID:+GIwvj+sそれ以降では同等レベルになった。
その状態で和睦をする必要があるか?
0590人間七七四年
2010/09/16(木) 01:40:22ID:u2Ii5hTe徳川が逃げたら追わない追えない状況。
0591人間七七四年
2010/09/16(木) 02:25:49ID:WUsNlBiDアホかw追って籠城されて持久戦になったら
北条と織田にに別方面から進行されるorされてるから追えなかっただけだろうよ
つーか織田厨は巣に帰れ
0592人間七七四年
2010/09/16(木) 04:39:15ID:YrNGQKJr高天神じゃなくてもいいけど長篠以降もう一度決戦できなかったのかねぇ
そこで負けてれば諦めも付いただろうに
0593人間七七四年
2010/09/16(木) 15:00:23ID:Om4iO6qv石高でも圧倒してるし、北条と衝突する前は徳川単独じゃ全然対等じゃないでしょ
徳川も分かってるから武田領にちょっかいかけるしか出来てないし
0594人間七七四年
2010/09/16(木) 15:16:36ID:1PI0HOni織田に喧嘩売ったあげくケリ付けずに信玄死亡
浅井・朝倉滅亡、室町幕府滅亡
謙信が死亡→北条と手切れ
打つ手はなかったんだろうか?
0595人間七七四年
2010/09/16(木) 15:32:18ID:Z+ZPHXQZ長篠で勝てばどうにか。あのレベルでの決戦での敗北は織田方にかなりの
動揺を引き起こす。謙信も動いてくるだろうし。
0596人間七七四年
2010/09/16(木) 15:36:04ID:1PI0HOni信玄なんか基本的に自分より優勢な敵と戦ってなかったし(塩尻峠除く)
退路絶たれたのは後の話でそもそもなぜ設楽が原に進出したのか
0597人間七七四年
2010/09/16(木) 16:07:07ID:u2Ii5hTeそれまでは北条徳川織田相手に勝ち戦ばかり。しかも自身が活躍しての実のある自信で
長篠後も対北条は常に優勢だし、徳川は会えば逃げるしで事実強かったんだろ。
上田原砥石川中島のどれかを経験してればまた違ったかもしれん。
あとは信玄の政策をそのまま受け継いでるから、信玄の焦りは勝頼の焦りで、
状況はますます悪くなってた訳だから、焦りは相当なものだと思う
この2つが合わさった結果と見てる。
0598人間七七四年
2010/09/16(木) 16:18:59ID:Om4iO6qv対徳川の兵しか引き連れて来てなかったんだから。
負け戦の経験が無かったのが拙かったよな。
0599人間七七四年
2010/09/16(木) 16:31:05ID:iq4ueMNw氏政は鬼怒川対陣後反北条連合勢の調略と侵攻を受けて兵が広範囲に拡散してただけ。
81年になると駿河伊豆国境地帯の城を落とされ甲斐にも攻め込まれ上野でも北条方の調略を受けている。
0600人間七七四年
2010/09/16(木) 16:32:40ID:u2Ii5hTeそのリスクへの対応は前もって考えてるんじゃない。じゃなきゃただ鉄砲玉だ。
元の戦い方が違うから信長のようにやれと言われてもちと難しい。
0601人間七七四年
2010/09/16(木) 16:57:46ID:lkfIQUoe普通に長篠さっさと落として撤退すれば良かったんだろうね
信長が動いたことは当然ラッパから情報来てるんだろうし
0602人間七七四年
2010/09/16(木) 16:59:20ID:DP1O756/0603人間七七四年
2010/09/16(木) 17:13:36ID:/92+2+qZ立場的に難しくないか?
只でさえ諏訪の血筋で親族の抑えが効かないのにそこで退却したら当主の権威が失墜するんじゃ
0604人間七七四年
2010/09/16(木) 17:16:03ID:lkfIQUoeその理由で突っ込んだことになってる小説多いよね
まぁ突っ込むならなぜ野戦陣地出来る前に突っ込まなかったのかというのも謎だけど
0606人間七七四年
2010/09/16(木) 19:40:31ID:ZvrNglIR連合軍の馬防柵を「撤退のための柵」と見誤ったと思う。
また長篠城を攻める部隊に1千、監視のための砦に1千残しているから
長篠城が陥落
→連合軍撤退
→追撃戦
という作戦だったと思う。
しかし連合軍の別働隊が砦を攻撃したので
前に出るしかなくなり、惨敗したと思う。
0607人間七七四年
2010/09/16(木) 19:43:02ID:ZvrNglIR長篠の戦以降は武田は徳川の領土、城を奪えていないんだよね。
(その逆はあるが)
信長からすれば、それで充分でしょ。
徳川単独で武田の防波堤になるのだから。
その間、信長本隊は別方面に展開できるのだからね。
0608人間七七四年
2010/09/17(金) 02:43:09ID:V6yutDVK詳細についての議論は事実判明後でよいかと
0609人間七七四年
2010/09/17(金) 11:48:54ID:bWPO0raV0610人間七七四年
2010/09/17(金) 13:04:53ID:IVyeNsnm御館の乱で景虎支持を貫いて景勝滅ぼしてから甲越相三国同盟で対織田戦に臨めば
あとは史実通りに本能寺が起きてくれればそこまでは生き延びられそう
0611人間七七四年
2010/09/17(金) 13:20:26ID:/WejxqdR北条に包囲されるのを恐れたんでしょ
実際北陸方面から織田が進出してきてるし余裕で裏切りそうだが
史実通りが一番マシだったのかも
0612人間七七四年
2010/09/17(金) 14:01:01ID:P8XKUu2C最後の大敵武田が滅んだが故の、信長の油断と光秀の決起と考えると
武田が滅びなければ本能寺も無い
・景虎支持
北条が動かない以上単独で景虎を支援しなければならない。
重臣の多くの支持を得ている景勝との戦いは泥沼化必至。
駿河で徳川が自由の跋扈。
・三国同盟
関東攻略を後回しにしてまで北条が武田を助けるとは今までの行動から考えにく、
焼け石に水程度の援軍では意味がない。
越後も体制が整うまでは戦力として期待できない。
徳川を全力で攻めて、徳川が織田に援軍要請。織田が近畿を後回しにして攻めて来て終了。
三国同盟を脅威に感じた織田が、近畿を後回しにして攻めてくればその時点で終了。
北条が手のひら返したらもっと終了。
0613人間七七四年
2010/09/17(金) 14:33:46ID:/WejxqdR結局高天神見殺し+新府城築城が最後の決め手だったね
武田は外征してなんぼの組織だし
0614人間七七四年
2010/09/17(金) 16:50:44ID:eFx2mHoa0615人間七七四年
2010/09/17(金) 16:56:17ID:cRktw96u0616人間七七四年
2010/09/17(金) 16:59:44ID:cRktw96uしかし、所詮は撤退戦なので、地形的にも早々上手く行ったとは思えない。
敵前逃亡したと、これでもかと流布されるだろうことも痛い。
0617人間七七四年
2010/09/17(金) 17:21:29ID:k1p9QIgy0618人間七七四年
2010/09/17(金) 17:31:27ID:cRktw96uもしそうなら、最初から決戦が目的だったわけで。
決戦が目的でおびき寄せたけど、思ったより織田勢が多数出張ってきたのが計算違いだったら情けないな。
0619人間七七四年
2010/09/17(金) 19:03:50ID:DxbgPLE9何処まで本当かは知らないけどこの時期徳川も武田に寝返ろうとする動きもあったらしいし
長篠を見殺しにしてれば後の高天神みたいになって徳川が瓦解してたかもね
0620人間七七四年
2010/09/17(金) 19:06:48ID:k1p9QIgy読み違えた可能性はある。けど、謙信の七尾城攻略 -> 手取川の戦いのように
城を落とした上で撤退していく織田・徳川勢を討つというほうが成功率はるかに高いから、
わざと落とさなかったというのはちと考えにくい。
0621人間七七四年
2010/09/17(金) 19:13:25ID:DxbgPLE9対陣したまま武田がしびれ切らして撤退したところで長篠奪い返して終わりのような
0622人間七七四年
2010/09/17(金) 19:39:31ID:YmiQZJct0623人間七七四年
2010/09/17(金) 19:44:08ID:cRktw96uソースは把握してないけど、食糧庫が落ちてから結構な日数持ってたんじゃなかったっけ、決戦までに。
食糧庫を奪うくらい深部まで、本格的な攻撃から短期間で攻め込んでおいて、兵糧攻めに切り替えとも、ちょっと納得しづらく。
規模はともかく援軍が来ることくらいは考慮していて当然な情勢なのに。
0624人間七七四年
2010/09/17(金) 20:16:53ID:k1p9QIgy長篠城は寡兵でも鉄砲を大量に持ち込んで防戦に務めていて、まるで高橋紹運の
岩屋城の戦いのような状態だったんでそ。
それなら、食料庫落としたことだし、あと数日で開城するだろうと見ていても
おかしくない。
0625人間七七四年
2010/09/17(金) 20:24:50ID:k1p9QIgy浅井・朝倉、長島一向一揆、三好三人衆を滅ぼしたとはいえ、
まだ本願寺、越前一向一揆は健在なので、3万人を前線に
へばりつけておくことは難しい。もちろん、武田にも同じことが
言えるけど、織田に比べれば周辺状況はまだマシじゃない?
もっとも、徳川軍8000人がいるから、三方ヶ原のように3000人だけ
援軍として残しておけば、1.5万人の抑えには十分だろうけど。
0626人間七七四年
2010/09/17(金) 20:36:14ID:GPCeeOO3武田の場合長篠は策限から距離あるし織田徳川は三河の領域だから後方連絡線も短いから
先に武田が撤退すると思うんだよな
おっしゃるとおり徳川に2人くらい武将付けて対陣させれば追撃の心配もなく撤退も出来ると思う
0627人間七七四年
2010/09/17(金) 20:42:45ID:cRktw96u決戦が視野に入っていたとしていいなら、「無理に落とそうとはしなかった」ってところなんだろうかね。
決戦で勝てば開城しただろうし。
流石に援軍を計算しないで、散々良いところまで攻めておいて、のんびり兵糧攻めとは考えづらい。
城を落とすのが主目的なら、被害は出ても決戦前に最後の一押しで落城させて士気を高め、後方の憂いを消した方が賢明だろう。
0628人間七七四年
2010/09/17(金) 20:59:02ID:k1p9QIgy補給線に関しては高天神を落としたおかげで、駿河、遠江のルートも
問題なく使えるから、それほど問題にならないんじゃないかなぁ。
>>627
岩屋城のように死兵を相手にして1000人クラスの損害が出たら、
決戦どころじゃなくなるからねい。
0629人間七七四年
2010/09/17(金) 21:12:35ID:jkaZyIa0なして?
北条にしてみれば武田が防波堤になってくれればそれで十分
関東制覇・関東独立王国を狙う北条からすれば
織田とかが自分のテリトリーに入るのは防ぎたい
武田と上杉はその格好の防波堤になる
武田にとっても、背後の北条が同盟国であれば
後方を気にせずに戦える
上杉とも同盟なら北も安全
後は織田と徳川を地形を抑えて戦えば
史実よりも十分に戦えるはず
最後の武田崩れは北条を敵に回した結果三方面に敵を抱えて
数年間戦った事で疲弊したものだって忘れてない?
三国同盟なら敵を織田と徳川に絞れて、しかも織田は西側で忙しいから
徳川が相手なら高天神を攻略されることにもならない
0630人間七七四年
2010/09/17(金) 22:06:46ID:YuFryxuj0631人間七七四年
2010/09/17(金) 23:46:59ID:C71gvyBF長篠城を攻めるが中々おちない。
→標的を吉田城に変えて、吉田城を攻めるが落ちない
→長篠城を再度攻める
→織田・徳川連合軍と決戦で惨敗
となっている。
一旦は長篠城から吉田城に変えているのは
徳川をおびき出す戦略だったと思う。
つまり後詰決戦をしたかったのだろう。
0632人間七七四年
2010/09/18(土) 07:25:07ID:camtxa9k0633人間七七四年
2010/09/18(土) 07:39:46ID:+tkpV3LTそれなら1.5万で十分だわ
でも最初の見込みが外れたなら撤退するのが重要だわな
0634人間七七四年
2010/09/18(土) 08:04:06ID:O19ZTvoy0635人間七七四年
2010/09/18(土) 09:57:13ID:08qmnP1e0636人間七七四年
2010/09/18(土) 13:24:30ID:WuB/rIRr武田は徳川、織田領に攻めるのか?
織田・徳川に対しては長篠の戦以降、
二俣城、諏訪原城、岩村城を奪われたが
それらを再奪取する?
上杉と同盟すれば北信濃の部隊を徳川・織田方面に振り向けられるが。。。
国力を考えたら、戦略的に行き詰っていると思うが。
0637人間七七四年
2010/09/18(土) 13:27:48ID:YP8R4PrH0638人間七七四年
2010/09/18(土) 13:56:55ID:O19ZTvoy掌握するのにどれだけ時間がかかるんだって話だ。
0639人間七七四年
2010/09/18(土) 15:33:32ID:i7YDNBYbその時期に徳川を全面的に攻めたら甲州崩れの時の信忠軍に信長軍と徳川軍を
足したくらいを相手にする事になる。死期が早まるだけにしか思えない。
0640人間七七四年
2010/09/18(土) 19:14:19ID:03QbuSKS下手に占領すると軌道に乗せる前に織田がなだれ込んでくる
実際景勝と同盟を結んだおかげであっちはあっちで死にものぐるいで抵抗したわけで
北条は最初から武田との手切れ前提で御館の乱に対処した感があるよね
0641人間七七四年
2010/09/18(土) 21:34:15ID:f2lJVpGDそれだったら上杉が武田と和議したり同盟したりせんと思うが…
>>639
余裕こいてというか
戦線が広がりすぎて部下に任せざるを得なかっただけな気がする
結局部下達をあちこちに派遣した結果生まれた信長近辺の空白が
本能寺につながっていくわけで
>>640
北条と武田の手切れって時系列で見ると結構時間かかってる
北条にしてみれば、悲願の関東制覇の為に隣の武田は同盟国であったほうが望ましかったはず
事実勝頼と敵対した事で、関東の敵に向けて兵力を展開していた北条は苦戦をしいられる事になり、関東制覇が遠のいてる
0642人間七七四年
2010/09/18(土) 21:44:55ID:O19ZTvoy0643人間七七四年
2010/09/18(土) 22:35:12ID:f2lJVpGD0644人間七七四年
2010/09/18(土) 23:34:32ID:i7YDNBYb本能寺では2000の精鋭部隊を率いて京に宿泊してるのに空白と言うか
領国各地に無駄な大兵を配置して、さらに身辺にはいつも万の軍勢を置いとけと?
0645人間七七四年
2010/09/19(日) 07:42:37ID:h8WfFff80646人間七七四年
2010/09/19(日) 08:05:23ID:5YpIG4Ma0647人間七七四年
2010/09/19(日) 08:08:54ID:h8WfFff8それは今に続くと
0648人間七七四年
2010/09/20(月) 09:00:23ID:+QCsAU1o0649人間七七四年
2010/09/20(月) 11:48:03ID:IsjUgjl8北条・上杉・徳川の切り取り合戦は、あまり知られていなくとも。
0650人間七七四年
2010/09/20(月) 17:35:42ID:B9gesPjFその後、長篠城を落とし徳川を降伏させる
その後、織田北条上杉による武田包囲網
0651人間七七四年
2010/09/20(月) 19:41:12ID:3seIrOKg信長自ら出張って敗北するとダメージはデカイだろうけどさ
徳川が脱落してもそこからがまた長い
0652人間七七四年
2010/09/20(月) 19:44:04ID:JfEQnlfuゲームじゃねえんだからよ、
越後進出なんて現実的に考えて不可能だろうがw
織田・徳川への対処で精一杯なのに、距離的にも遠い越後にちょっかい出す余裕なんかないだろ
武田にそんな余裕があるなら
北条が景虎を支援して越後乗っ取ってるわ
0653人間七七四年
2010/09/20(月) 19:50:39ID:JfEQnlfu織田が徳川を見殺しにすることが、まずあり得ないと思う
尾張、美濃が危険にさらされることは絶対阻止しなければならん
0654人間七七四年
2010/09/20(月) 20:08:48ID:3seIrOKg0655人間七七四年
2010/09/20(月) 20:18:40ID:1KtV9qh/御館に乗じて越後切り取りってどんだけバカなんだ。
織田、徳川、上杉、北条全部敵にまわして四面楚歌だろ。
それに越中の織田勢を忘れてないか?
上杉につけいる隙があるなら、真っ先に織田の北陸方面軍が優勢に事を進み、越後掌握の主導権を握ること間違いなし。
武田が越後に入る前に織田が取っちゃうよ。
0656人間七七四年
2010/09/20(月) 20:21:56ID:3seIrOKg0657人間七七四年
2010/09/20(月) 20:29:54ID:JfEQnlfuは?同じことだろ?
じゃあ一回負けたら「もう諦めます」ってなるのか?
徳川がやられないように全力で支援するにきまっとるやん
徳川が滅ぶようなことがあれば、織田は尾張・美濃にも兵を割かねばならなくなり
間違いなく苦しくなるんだからその状況だけは避けるだろ
0659人間七七四年
2010/09/20(月) 21:54:06ID:JfEQnlfu具体的にどうやったら徳川が滅ぶのか、そっちのが聞きたいんだけど
そんな馬鹿な質問してる奴から
ろくな回答が返ってくるとは思えんけど
0660人間七七四年
2010/09/20(月) 21:56:27ID:1/d90aZ9織田徳川と雌雄を決する必要ねーしw
時間かければかけるほどジリ貧なのは織田wwwww
0661人間七七四年
2010/09/20(月) 21:59:24ID:PuHw4RY50662人間七七四年
2010/09/20(月) 22:36:59ID:1KtV9qh/逆だろボケ
勝頼にとっては、あそこで織田徳川を叩いておかねば、未来はなかった
信長みずからノコノコ出てきたのを絶好のチャンスと見たんでしょうな
0663人間七七四年
2010/09/20(月) 22:38:25ID:1/d90aZ9信長の総力を引き付けてるだけで良かったんだよw
それが最大の成果だったのにな
0664人間七七四年
2010/09/20(月) 22:41:52ID:1KtV9qh/くそぼけwwwww
そもそもあれは織田の総力じゃなかっただろうが
ひきつけてるだけで成果ってわけわかんねぇwwwww
0665人間七七四年
2010/09/20(月) 22:53:53ID:PuHw4RY50667人間七七四年
2010/09/20(月) 22:58:14ID:LWgQBYFLたった2千で、しかも信長近辺は100人に満たないってどういうことなんだか
明智が動いたとき、誰も対応できる戦力が信長の近辺にいなかったのは喜劇というかなんというか
0668人間七七四年
2010/09/20(月) 23:05:10ID:LWgQBYFL長篠防衛に失敗したら多分威信的な問題で徳川はもう限界
長篠直前でさえ武田に寝返ることを検討してるくらいだから
0669人間七七四年
2010/09/20(月) 23:05:34ID:lSRlu3qq信玄の遠征時には長篠城よりも更に南の野田城まで落としていいたのだから
支配地域だけで見るなら徳川戦はまだまだこれからって感じだろ。
また史実の武田並の敗戦主要武将の戦死ならともかく、
第四次川中島後すぐに上野に転戦したようにこの時代の戦死率はやたら低いのか
結構あっさり次の軍事行動が起こせる。
0670人間七七四年
2010/09/20(月) 23:11:46ID:lSRlu3qqありゃ単に信長が近習だけ連れて京に来ただけで、
信長直属軍は信長の京での折衝には必要が無く、信長の京での用事が終わった後の中国遠征に
間に合うように動いていただけで、軍が足りなかったわけじゃない。
0671人間七七四年
2010/09/20(月) 23:17:04ID:VqLlcyuuこれも織田厨のせいか
0672人間七七四年
2010/09/20(月) 23:24:48ID:1KtV9qh/おーい
信長を長篠にひきつけるだけで何の利益があるのか説明しろ
勝頼は長篠で信長を叩いておくべきだと判断したから対決に踏み切ったんだろ?
時間をかければ織田のほうがジリ貧になるという根拠をちゃんと説明しろよ
どう考えても逆にしか思えないのだが
0673人間七七四年
2010/09/20(月) 23:32:41ID:1KtV9qh/厨とかカスだな貴様
別にどっちかの肩を持ってるわけじゃねーし真実を追求したいだけだから
単なる妄想であったり、現実的にあり得ない話をするバカには腹が立つだけ
0674人間七七四年
2010/09/20(月) 23:38:51ID:lSRlu3qqじり貧なのは武田だろ。
織田は武田に引き付けられてもこの時点じゃ武田と本願寺以外難敵はいないし、
地道に畿内の支配を固めていけばいいだけ。
武田が弱体化しなければ織田が上杉や毛利と敵対するのもまだ先になるだろうし、
単に織田の勢力拡大を遅らせる程度にしかならないんじゃ。
>>664
総兵力ではないけれども明智磯野なんかの畿内方面の抑えといった連中と、
新参というか家臣なのか従属勢力との中間みたいな荒木筒井三好細川といった連中以外の大半、
総力と言ってもいいんじゃね?
兵力は石高から考えると抑え気味だったみたいだけど。
0676人間七七四年
2010/09/21(火) 01:07:45ID:itkFr8FV>>徳川がやられないように全力で支援するにきまっとるやん
と思い込みで言っておいて
>>具体的にどうやったら徳川が滅ぶのか、そっちのが聞きたいんだけど
>>そんな馬鹿な質問してる奴から
>>ろくな回答が返ってくるとは思えんけど
長篠での勝敗及び戦果(=被害)が逆になったらどうなるか?という前提で
>>全力で支援するにきまっとるやん
言い切ってるね
被害状況が逆転し指揮官級が大量に戦死と言う状況の中でどうやって即応性のある支援をするのか?
その間に長篠城はもちろんとして、吉田城あたりまで落とされ岡崎と浜松の間を分断されたら
徳川も降伏か滅亡か?の状況になるのではないか?
国力差は依然として大きいわけだから、自軍を立て直し
戦略的に優勢な状況を作り直すための時間稼ぎに徳川を見殺すって選択肢も十分にあり得ると考えたんだけどな
それをなんで
>>徳川がやられないように全力で支援するにきまっとるやん
と言い切れるのか不思議に思ったんだけどね
0677人間七七四年
2010/09/21(火) 02:18:23ID:csUdALfa織田は? 短期決戦をしたかったのは織田側で武田じゃない。
0678人間七七四年
2010/09/21(火) 02:47:42ID:hVDzsvk0おいてきたんだ?
0679人間七七四年
2010/09/21(火) 02:58:02ID:AKkYRssOまあ、あくまで長篠で武田が勝ったとした場合の話だから
信長家康が史実の勝頼の様な惨敗をして、なおかつ長篠城が落城したならば、徳川は三方原で敗戦、高天神で敗戦、長篠で敗戦の三連敗になるからね
さすがの徳川もこうなれば武田に降伏するのではないかという想像
0680人間七七四年
2010/09/21(火) 06:07:18ID:DBPlnTNp支配地域だけで見ても意味がない
そんな事いったら1582年の武田崩壊や織田崩壊はありえない事になる
問題は威信や国内統制力
徳川は既に信玄時代から武田に敗北することたびたびで
勝頼時代でも城を救援できずに見殺しにすること何度も
そして長篠直前には主城浜松まで蹂躙されてる
そして長篠の時には今度だめだったら武田に寝返ろう、とか言い出す始末
長篠でまけたら徳川の威信はもうアウトだろう
>>670
結局のところその中で最大の軍事力が明智だったっていうので
後は推して知るべしだよな
>>673
お前はどっからどう見ても厨にしか見えんが
真実を追究したい、というより
はじめから信長勝利がきまってて
それに無理やり諸事情を当てはめてるだけだろ
0681人間七七四年
2010/09/21(火) 06:10:03ID:DBPlnTNp上杉はわからんが、毛利はもう少し時間がたてばありえそうだ
足利が転がり込んできて、浦上・宇喜田の問題が解決したなら
史実どおり毛利は織田との対決になだれ込みそうだな
0682人間七七四年
2010/09/21(火) 07:06:37ID:hPN/KYOa長篠の結果が逆だったら?という仮定が無理矢理すぎて現実味がないからその先のは妄想でしかないんで、語る意味がないかなと
負けは負けでも、織田的にはそこまで甚大な被害ではなかった、というケースを想像しての話なんで
徳川を見捨てざるを得ない状況なんて よっぽどのことだと思うし、毛利だの上杉だの相手にしてる場合じゃないだろ
0683人間七七四年
2010/09/21(火) 07:31:23ID:McIIDQAN検討してたわけじゃないだろ
あれは信長に援軍を出させるための外交修辞に過ぎない
高天神の件もあったことだし
多分って(笑)絶対限界だと言える根拠がないなら、それを力説してもダメじゃんw
威信がなくなるなんて憶測に過ぎないし
0684人間七七四年
2010/09/21(火) 08:05:22ID:DBPlnTNp検討してたろ
あれで信長が援軍出さなきゃ、もう徳川としても断行するしかない
てかお前の言ってること自体に根拠がないだろ
お前の言ってることは大抵憶測で絶対の根拠なんて出したことすらないだろ
徳川自身が武田に寝返るとか言い出してるのに
それを見ないで何いってんだか
てか徳川家臣が武田に呼応して徳川をのっとろうとして発覚し
鋸引きの刑にあうのもこのころだぞ
徳川もいろいろ大変な状況だ
0685人間七七四年
2010/09/21(火) 10:51:17ID:iydW1n010686人間七七四年
2010/09/21(火) 10:58:51ID:yHvIK6Te信玄なら3000位でもいいからかき集めて後詰めしてただろうな
0687人間七七四年
2010/09/21(火) 11:13:53ID:+qx+xja2その程度も知らないなら無理して書き込まなくてもいいから。
0688人間七七四年
2010/09/21(火) 12:41:32ID:+GwwvNdO何を言ってるんだお前は?真性のバカだな
オウム返ししかできないのかw まずお前の説の根拠を言えよw
俺はそれに突っ込んでるだけなんだからよ
>>684なんて何の根拠にもなってないから
0689人間七七四年
2010/09/21(火) 19:03:49ID:1kBR7XNcたいして変わらないんじゃないか?
どっちにしても織田は大軍だし、数倍の軍に勝てる可能性は低い、
織田徳川連合にそれなりの被害が出ているとするのは長篠日記とかの後世の作品だし。
雨が降って鉄砲が使えないとしても、雨のせいで武田の突撃は鈍るだろうし陣地に篭っている織田は有利。
武田が撤退時は雨で川が増水していたら撤退がより困難になっていた可能性だって出てくる。
0690人間七七四年
2010/09/21(火) 19:39:39ID:+qx+xja20691人間七七四年
2010/09/21(火) 22:56:48ID:7rJIHDeF内藤隊が徳川の三の柵を突破して20数人が雪崩れ込んだけど
打ち返したとかいう書状が残っていなかったけ?
0692人間七七四年
2010/09/21(火) 23:01:30ID:7rJIHDeF徳川は武田に押されていたのは事実。
だが取られた城は山城だけなんだよね。
吉田城、浜松城、岡崎城、掛川城といった
主力の城は健在。
それに何よりも長篠城の奥平が武田から徳川に寝返った。
「徳川は滅亡寸前」とは言いすぎではないか??
0693人間七七四年
2010/09/21(火) 23:03:07ID:itkFr8FV>>長篠の結果が逆だったら?という仮定が無理矢理すぎて現実味がないからその先のは妄想でしかないんで、語る意味がないかなと
と考えるなら
>> 徳川がやられないように全力で支援するにきまっとるやん
は矛盾してる
>> そんな馬鹿な質問してる奴から
>>ろくな回答が返ってくるとは思えんけど
と言っておきながら、前提条件が受け入れられないなんて
はなから議論にならないし思い込みと感情論でしかない
つまりは典型的なダブルスタンダードだ
無意味だと思うなら最初からレスするな
0694人間七七四年
2010/09/21(火) 23:07:00ID:gC9Kp7xO0695人間七七四年
2010/09/22(水) 07:21:11ID:16Y8ejsQ>>684は文章からしてバカ丸出しだし、
無知のくせに強引な自論を展開するような奴だからな
鋸引きとか、山岡荘八の小説ネタを持ち出してる時点で
史実と創作の区別もつけられない、つけようともしない阿呆だという事が分かる
すべて自分の都合に合わせてるだけ
0696人間七七四年
2010/09/22(水) 08:08:41ID:zOMbiW3j結局、なにか史料とかで残ってるの?
信康が武田とどうのやらも含めて、小説とか想像レベルでしか知らないんだけど。
0697人間七七四年
2010/09/22(水) 14:56:31ID:DeTMpwFw、、、なわけないよね
真田が上田城や真田丸で実際に寡兵で大軍を防いでいるわけだから、、、仮に長篠で武田が真田的作戦をとって、織田が突撃していれば、、、大打撃をあたえられたかも
0698人間七七四年
2010/09/22(水) 14:59:50ID:ROVVeC/Pその前に勝頼自ら出陣しての決戦にも興味あるけど
0699人間七七四年
2010/09/22(水) 17:16:56ID:5/oH2fGCそれお前だろ
俺はちゃんと根拠出してるのに
お前は適当な妄想言ってるだけ
結局お前はいつもどおり自分がやばくなるとそうやって
質問返しににげるだけ
無様極まりないな
>>692
高天神とかも攻略されて東遠江は武田の手に落ちてるな
てか長篠直前では浜松まで武田に攻められて蹂躙されてるのに何いってんだ?
奥平が寝返ったのは1573年のことだろ
長篠直前に寝返ったわけでもなんでもないぞ
武田が高天神の救援が出来ずに威信が下がったように
徳川はもう長篠のころには威信的には限界だな
寝返ってくれた奥平まで助けられなかったらもうおしまい
>>695
いや、それ完全にお前だから
大賀事件のことが山岡の創作だと思ってる時点で馬鹿そのもの
三河物語が典拠だろ
知識もなく頭も悪いのもここまで来ると立派だな
>>696
そりゃあ「お前は」しらんだろうな
毎回思うが、ろくに資料も読まないで小説漫画程度の知識しかないお前が知らないからって
世間にも存在しないと思うのやめないか?お前が知ってることのほうが少ないだろうが
家康が武田に寝返ろうとした件は甲陽軍鑑にも後改正三河風土記にもあるんでな
0700人間七七四年
2010/09/22(水) 17:51:59ID:YFBlZqjSどっちも信憑性低い
つか軍鑑とか何で徳川のそんな内部事情知っているんだよ
0702人間七七四年
2010/09/22(水) 17:58:18ID:aU4Nztn/0703人間七七四年
2010/09/22(水) 18:06:08ID:YFBlZqjS>威信的には限界だな
これ今まで何度も見ていていろんな人間が反論しているの見てきたが
説得力が無いという以前にある程度でもいいから威信が限界に達する具体的な基準あるのか?
それが無いようでは一個人の心象でしかないぞ
まともな人間なら誰も納得しないんじゃないか?
>>702
いや一応軍鑑は江戸時代の創作じゃなく
春日に繋がる武田の誰かがまとめた物だから
ただこの部分は完全に江戸時代の創作だろう
徳川と織田は対等だったとみせたい作者の意向か
0704人間七七四年
2010/09/22(水) 18:37:16ID:5/oH2fGCどっちも信憑性低いってなんだ
もう一方は徳川方の記述で
軍鑑は後に徳川に入ったことからもわかる要素はある
>>703
少なくとも武田崩壊や織田崩壊、の基準で見れば
徳川はもうぼろぼろだろ
追い詰められ威信を喪失した大名が領土的に見ればある程度あっても
崩壊をきたすのはよくある事
領土的にいうなら1582年の段階で武田崩壊なんかありえんだろ
0705人間七七四年
2010/09/22(水) 20:19:59ID:zOMbiW3j「お前の」勝手な判断より、>>700のがよほど全うだな。
どっちの史料も、>>700と考えと同様、鵜呑みにできねーわ。
軍艦を全否定は間違いだが、軍艦鵜呑みは無理。
0706人間七七四年
2010/09/22(水) 20:59:11ID:h0l3nfCWボロボロという割には豪族の裏切りが無いのだが。。。
(俺が知らないだけ??)
武田滅亡直前は酷かったけどね。
長篠の戦の時も武田軍は一旦、吉田城を攻めている。
でもビクともしなかったんだよね。
やはり岡崎城、吉田城、浜松城、掛川城が健在な限り
徳川の地盤はまだ固いと思うね。
この4城のうち1つでも落とされると危ないと思うが。
0707人間七七四年
2010/09/22(水) 21:16:49ID:xVjFoVtSなんとか勝頼直卒1.5万で信忠軍団と決戦ならどうなっただろうか?
場所的には塩尻峠あたり?
これで負ければ武田ファンも納得だったと思うが
0708人間七七四年
2010/09/22(水) 21:33:33ID:aU4Nztn/単純に高遠後詰決戦だろ
0709人間七七四年
2010/09/22(水) 22:17:05ID:xVjFoVtS0710人間七七四年
2010/09/22(水) 22:47:23ID:L7F4aJBY改正三河後風土記の元となった三河後風土記は所謂偽書の疑いがある作品、
平岩が書いたとなっているが実際には17世紀半ばの作品、信憑性には問題がある。
軍鑑にある記述だが他の人も指摘しているように何故徳川の内部事情をという疑問が付き、
後世に徳川の家臣の誰かに聞いたとするならその時はもう織田家は衰退しているので、
徳川を顕彰するために創作した可能性が高い。
また軍鑑のその部分の記述で家康が若狭姉川などの陣で信長に協力してきた〜とあるが、
姉川合戦という表現は同時代には使われていない、
徳川における姉川合戦の16世紀での呼び方は一次史料では江北の戦いとなっている。
この逸話が江戸時代に作られた可能性を示す証拠の一つ。
他に二木氏などが述べているように本気で裏切るつもりなら信長にわざわざそのことを漏らすはずがない。
0711人間七七四年
2010/09/22(水) 23:04:35ID:L7F4aJBY武田崩壊の時はその直前まで武田はまだ北条相手には互角に戦い北条から武田に寝返るようなこともあった、
威信を喪失しているとは言えない、これで喪失しているなら何故北条から武田にということになる。
織田800万石徳川50万石北条150万石に対し武田は100万石で、国力比は10倍ほど。
これほど差がある場合を例として挙げるなら、豊臣対長宗我部や豊臣対島津、豊臣対北条などが似たような国力比であるが、
どれも豊臣と戦う前に威信を喪失したり追い詰められたりなどはしておらず、それでいていざ戦うことになると短期間で決着がついている、
武田も含めて彼らが負けた原因は事前の威信喪失などではなく圧倒的な国力差に過ぎない。
このような条件での崩壊をこの時期の武田徳川間に当てはめようとするのはおかしい。
>>703の言うある程度の基準として挙げるなら、
国力比が10倍ほどもあれば事前の威信など関係なく崩壊する可能性が高い、という基準があると思う。
但しゲリラ戦や本願寺系の一揆や、地域に根差した勢力の根絶などの場合はその基準が上手く当てはまらない場合があるかと思う。
将軍家相手に戦った六角、豊臣征討軍相手に粘った九戸、滅ぼされかけたのに何故か蘇る浅井や小田など。
0712人間七七四年
2010/09/22(水) 23:59:59ID:L7F4aJBY徳川は武田以外敵がいなく織田の援軍あり、武田は徳川以外に織田上杉に抑えの兵を置く必要あり。
徳川は会戦及び小競り合いで基本的に負け続け、東海道沿いの重要な城は抑えているもののいくつかの支
城を奪われている。
また本拠地である岡崎は無事なものの、重要な城である吉田浜松掛川いずれも城下まで攻められたりして
いる。
これぐらいの状況で他の大名はどうだったか基準を考えるため例を挙げてみる。
織田浅井は国力比は5対1ぐらいあるが、織田は敵だらけ浅井は朝倉の援軍あり、
浅井は会戦及負け、坂田郡を奪われたため領土を分断されたのが1570年、
分断された領土の南側を失ったのが1571年、本拠地である小谷に攻め込まれ出したのが1571年、
本拠地から1キロほどの場所に砦を作られたのが1572年、滅亡が1573年。
北条里見は1560年以降国力比は3対1ぐらいあるが、北条は敵だらけ里見は敵は北条のみ。
里見は決戦で負けたのが1564年、本拠地を奪われたのが1565年、この段階では国力比は更に開いている。
しかしそこから盛り返して戦い続けた。
短期間で滅んだ今川の場合は武田80万石徳川30万石に対し今川30万石で国力比は4対1近くある。
北条の救援があったりしたがそれを踏まえても極短期間で滅んでいる。
ある程度の基準を作ろうと思ったらもっとサンプルが必要だが、結論からいえばこの時の徳川の状況ではまだまだわからないが妥当じゃ。
状況から言えば浅井みたいに徳川より更に酷い状況であっても威信が限界に達することなく抵抗し続けたし、
里見のように抵抗するどころか一時的に盛り返したような例もある。
扇谷上杉なんかも国力差のある北条相手に本拠地河越城奪われてからも暫く抵抗し続けた。
長篠合戦で家康討取って織田にも被害与えれば河越っぽくなるのか?
もっとも山内上杉は河越の時点では北条よりも小勢力な点で織田とは異なるが。
逆に圧倒的なほどの国力差があるわけでもないのに、今川朝倉柴田蘆名みたいに短期間で一気に滅亡した例も少数ながら存在するが、こちらはやはり珍しい例かと思う。
少数ながら他の大名の場合を考えてみたがとりあえずこの時点での徳川では威信が限界に達するというのは難しいかと思う。
0713人間七七四年
2010/09/23(木) 00:01:48ID:Ii3cBAVGもうちょっと要約しようぜ
0714人間七七四年
2010/09/23(木) 00:09:49ID:gFg00Zr/数郡レベルの勢力だったりすると上で挙げた小田氏みたいにやたら粘る例もあるし、
あっさり降服したりする例もあるので。
>>713
最初はもっと長文だった。
簡単に言えば1575年の徳川よりも更に酷い状況だった浅井や里見は抵抗出来ているので、
この時点で徳川の威信が限界に達するというのはおかしい。
武田滅亡は圧倒的な国力差が原因、
なのでそれを以てこの時点での徳川が崩壊するという理屈はおかしい。
但し例外もあると。
0715人間七七四年
2010/09/23(木) 03:09:28ID:Cg92Bjeqなんとか頑張って読みましたよ
いろんな例があるけれど長篠直前の徳川の場合はバックに織田がいたからというのが威信を失わずにすんだひとつの要因かも知れない
ただし、長篠で織田徳川が負けたならば徳川的には限界に達する気はしますが
0716w
2010/09/23(木) 04:11:32ID:MAYSH71I0717人間七七四年
2010/09/23(木) 08:47:29ID:WPKIJnIUそして浜松落とされたら佐和山落とされた浅井と似たような感じになると
浅井を基準に考えるなら徳川はまだまだこれからと考えるのが自然だな
逆に今川朝倉なんかを基準に考えると長篠で織田徳川が負けたならそのまま岡崎まで追撃して
徳川滅亡となってもおかしくないと
0718人間七七四年
2010/09/23(木) 14:41:32ID:et46IhwRどちらにあてはまるか一目瞭然では?
0719人間七七四年
2010/09/23(木) 16:24:19ID:dChgbQTw対して勝頼は1万5000を率い塩尻峠を経由して信忠軍の背後に迫る
勝頼を迎撃すべく高遠に5000を残し2万5000で対峙した信忠
ここに戦国最後の大激戦が始まる・・・
0720人間七七四年
2010/09/23(木) 17:02:13ID:v2RekGCW0721人間七七四年
2010/09/23(木) 17:05:57ID:eeizV4pi0722人間七七四年
2010/09/23(木) 17:08:13ID:ljvBskgN0723人間七七四年
2010/09/23(木) 17:32:53ID:dChgbQTw杖突峠経由進んでももう織田軍が要所は押さえてると思う
0724人間七七四年
2010/09/23(木) 17:42:35ID:qO7l9hBh結局、武田は兵数が少ない状況で戦わざるをえないのか(w
史実の長篠の戦と同じように別働隊を作られ終わりの気がする。
0725人間七七四年
2010/09/23(木) 18:00:08ID:9q4dQaBu>ただし、長篠で織田徳川が負けたならば徳川的には限界に達する気はしますが
だから限界じゃねえっつうのw
本当バカすぎるなお前はw
0726人間七七四年
2010/09/23(木) 18:04:26ID:dChgbQTw焦る信忠を河尻秀隆が諭すも信忠はそれを一蹴
先鋒の木曽義昌と森長可に突撃を命じる
さすがに木曽は武田軍の強さを知っており慎重に戦うも若い森が突出、
武田の小山田信茂、土屋昌恒に討ち取られ木曽も崩れる
勢いに乗る武田軍が新手を繰り出し遠山友忠、毛利長秀隊を圧倒
この状況を見て河尻と滝川は体制立て直しの時を稼ぐため出撃
これをみた勝頼は総攻撃を下令
敗走する先手とそれを防ごうとする滝川、河尻の軍は混乱の中で壊走状態に
この機を逃さず高遠城の仁科、小山田昌行も打って出て信忠の退路を断つべく進撃
織田軍総崩れとなり信忠はたった3騎で逃げるも駒ヶ根付近で討ち死に
0727人間七七四年
2010/09/23(木) 18:21:11ID:ljvBskgN0728人間七七四年
2010/09/23(木) 19:37:58ID:v2RekGCW信玄が大事な跡取りに付けるくらいだから
実際は違うんだろ?
0729人間七七四年
2010/09/23(木) 19:44:25ID:ljvBskgN0730人間七七四年
2010/09/23(木) 19:55:12ID:EnF2csOf0731人間七七四年
2010/09/23(木) 20:45:09ID:qO7l9hBh>織田800万石つーけどその動員力全てを武田に向けることはできないだろうし
武田も全軍、織田にぶつける事は出来ないよね。
0733人間七七四年
2010/09/23(木) 21:41:10ID:Di1bDrIS二人ともそれほど有能ではなかったの?
0734人間七七四年
2010/09/23(木) 21:50:48ID:N0JkUPxAでも木曽の征伐には信豊に五千与えて先発させてるんだよね
0735人間七七四年
2010/09/23(木) 21:55:13ID:giFuXiq00736人間七七四年
2010/09/23(木) 21:58:12ID:Cg92Bjeq0737人間七七四年
2010/09/23(木) 22:03:48ID:N0JkUPxA信繁的ポジションは仁科盛信の受け持ちな訳で
0738人間七七四年
2010/09/23(木) 22:04:45ID:Di1bDrIS長篠では、むしろ譜代が勝頼を庇ってことごとく討ち死にしてるのに対して、一門はさっさと逃げ帰っちゃってるし
0739人間七七四年
2010/09/23(木) 22:10:06ID:giFuXiq0一門は後方なのでさっさと逃げ帰れる
一門が何故か前線に出てきたりする織田とは違う
蒲生は総大将が前線に出たりするが
そういった部隊配置だったら一門衆も死んでたんじゃね
0740人間七七四年
2010/09/23(木) 22:13:49ID:N0JkUPxA勝頼泣きたかっただろうな
0741人間七七四年
2010/09/23(木) 22:23:04ID:qO7l9hBhそこら辺の事情は史実に近い気がする。。。
0742人間七七四年
2010/09/23(木) 22:24:12ID:Di1bDrISでも信豊のほうが何かと重用されてなかったか?
仁科は 高遠で奮戦した件しか知らないな
>>739
勝頼をほっといて先に逃げ出した、っていう言い方されてない?
0743人間七七四年
2010/09/23(木) 22:29:57ID:N0JkUPxA仁科はまだ若かったからね
勝頼と10歳くらい離れてるし
ただあの忠義は信頼できるかなと
仁科継いでたんで諏訪から武田のを継いだ勝頼の気持ちもよく分かったのかもね
信豊は勝頼とほぼ同年齢で箕輪城攻略とか一緒にやってるんだけど案外そういう所で上下関係が希薄だったのかなと
信繁が残した教訓とか見ると信豊が守ってるようには思えないのは残念
0744人間七七四年
2010/09/23(木) 22:59:35ID:ljvBskgN甲州と駿河を勝頼。北信濃と上野を信豊。南信濃を信廉が、
それぞれ責任者になるという統治形態だったらしい。
重用されてないどころかNo2やね。
0745人間七七四年
2010/09/23(木) 23:06:54ID:ljvBskgN葛山信貞らの信玄子弟や穴山と同等の扱いやね。
0746人間七七四年
2010/09/23(木) 23:20:51ID:inva04lzいや、信豊は重用されてると言ってるけど。
駿河の担当は穴山梅雪じゃないか?江尻の城代かなんかを任されてた気がする。
信廉も結構な待遇を受けてるけど、武将としての評価は微妙だよね。
その辺詳しい人いない?
0750人間七七四年
2010/09/24(金) 00:01:23ID:oKHVbKo70752人間七七四年
2010/09/24(金) 00:32:03ID:oKHVbKo7武田崩れ起こしたなおまい
0753人間七七四年
2010/09/24(金) 16:53:31ID:ztnR51+I0754人間七七四年
2010/09/24(金) 17:14:43ID:EJT4lawY0755人間七七四年
2010/09/24(金) 17:28:03ID:+EI1RJ1v0756人間七七四年
2010/09/24(金) 18:18:01ID:MUYVI7ad0757人間七七四年
2010/09/24(金) 18:19:37ID:iwcdWpNR0758人間七七四年
2010/09/24(金) 18:26:20ID:/LTY5rDd信長だって暇じゃないし、武田の旧領大部分制圧すれば滝川達に任せて引き上げるだろ。
大勢には影響は無いから本能寺は起きる訳だからその時こそチャンスだな。
0759人間七七四年
2010/09/24(金) 18:26:39ID:MUYVI7ad0760人間七七四年
2010/09/24(金) 18:35:57ID:RDWWxo5D勝頼主従は新府城から真田とともに岩櫃に逃走
ケース1 本能寺が起きない:岩櫃又は逃げ込んだ上杉領で滅亡
ケース2 本能寺が起きる :一気に旧領を回復する
0761人間七七四年
2010/09/24(金) 18:43:48ID:egS1sl82家康か信長に勝頼を中々の猛将らしいと言わせてたことに意外性を感じた
児童本だから酷い扱いなんだろうな、と思ってたんだが…
0762人間七七四年
2010/09/24(金) 18:47:27ID:RDWWxo5D猪武者扱い
実際は政治的手腕もなかなかで少なくとも平均以下ということはないと思うが
0763人間七七四年
2010/09/24(金) 18:51:06ID:/LTY5rDd0764人間七七四年
2010/09/24(金) 18:53:42ID:RDWWxo5D家康と因縁の対決とか面白そうだけど
野戦指揮では勝頼>>>家康だしねぇ
0766人間七七四年
2010/09/24(金) 19:11:06ID:+EI1RJ1vそこまでの過程をすっ飛ばして、いきなり豊臣政権下ってそれはないだろ
生き延びるとしたら織田家と対立してないし、
大老になるには、織田・豊臣政権の間に それ相応の勢力を維持していなければならんだろうが
残念ながら武田家が大大名として生き残る流れはまずあり得ないでしょ
0767人間七七四年
2010/09/24(金) 19:23:29ID:MUYVI7ad0768人間七七四年
2010/09/24(金) 19:23:35ID:ztnR51+I織田が滅亡するなんて誰も考えていなかった時期に
武田一門でもない真田が篭城してどうするw
0770人間七七四年
2010/09/24(金) 20:00:47ID:iwcdWpNR三方原の家康も戦にまけたが信玄が死んだ
たしかに実力もさることながら運も必要だね
運がある勝頼。
お館以前→謙信、北条と同盟後、謙信が上洛戦を開始。そのまま死なずに越前になだれ込む。
勝頼も時を同じく遠江、三河に侵攻。
織田徳川を上杉武田で滅ぼす。
0772人間七七四年
2010/09/24(金) 20:16:15ID:Rpx+V54Z城代の上のクラスの話です。
信豊の上杉の取次ぎや、信廉の下条氏への指示や高遠に入った盛信の後見もその一環と
長篠以降真田らの城代や国人領主に多くの権限を委譲して効率の良い国家運営を目指しますが
その際に大名権力の低下を招かないための措置と解釈出来ます。
信豊については信玄指揮下では勝頼と行動を共にし活躍していますが
勝頼政権下では勝頼の名代として軍を率いることが多く、
御館の先発隊、長篠救援戦、黄瀬川防衛、木曽討伐等々の総大将と
甲州崩れ直前まで、武田の副将と呼ばれるの相応しい活動です。
また軍鑑では穴山嫡子に与える約束だった勝頼女を仲のよい信豊に与えたため
穴山との仲がこじれたとあります。関係は最後まで良好だったといえるでしょう。
典厩家については黒田氏の考察が詳しいと思います。
信廉については、柴辻氏は留守居役、本陣守備が主な働きだったから
武功が伝わっていないとしています。
長篠時は兵力差を補うためか信廉らも前線に投入されましたが、
激戦後に中央から崩れたのも致し方ないことだったのかもしれません。
0773人間七七四年
2010/09/24(金) 20:39:54ID:6v3ip5uBバカか?
武田は甲斐を追われるまで追い詰められてたんだぞ?
もし岩櫃に逃れて生き延びたとしても、武田家の勢力は完全に削ぎ落とされたも同然じゃん
越後の大部分を支配下に置き、有力大名としての体裁を保ったまま
本能寺の変を迎えた上杉とは明らかに状況が違うだろうが
0774人間七七四年
2010/09/24(金) 22:59:09ID:RDWWxo5D横レスだが上杉的には信濃進出するために勝頼を利用した方が大義名分もあると思うけどな
川中島以北を勝頼に任せるとか有りだと思うんだが
0775人間七七四年
2010/09/24(金) 23:41:21ID:ztnR51+I0776人間七七四年
2010/09/25(土) 00:00:11ID:ZBtFgh1d「武田勝頼を通し地域交流」てデカイ見出しで
「由布姫・勝頼諏訪の会」発足の記事取り上げてる。
さっきファックスしてもらった。
―土佐や韮崎との深まり期待、長篠以後の人生検証、
由布姫含め地域おこし―
諏訪では勝頼の評価が低いが、もっと評価されるべき、と書いてある。
それにしても地方紙とは言え新聞1面トップの見出しに
勝頼の名前がくるのは、これが最初で最後では。
ttp://www.nagano-np.co.jp/modules/news/article.php?storyid=19148
0777人間七七四年
2010/09/25(土) 00:22:39ID:Jeh2BzjE0778人間七七四年
2010/09/25(土) 01:28:43ID:aO88wHTV高梨の間違いですかぁ?
0780人間七七四年
2010/09/25(土) 02:12:30ID:jbIZahRv酷い年貢徴収してたみたいだしもう一度受け入れられるかは微妙かもね
0781人間七七四年
2010/09/25(土) 02:21:17ID:HVOK3bcH0782人間七七四年
2010/09/25(土) 03:40:50ID:bnyc0zIa皆、日和見で都合のいいほうへつくもんだよ
0783人間七七四年
2010/09/25(土) 06:55:07ID:9quc5JbL角質っていうより、木曽の領地が美濃に隣接してて
織田の圧迫をモロに受けてたからでしょ
信濃に攻め込まれるときは、真っ先に木曽から潰されるのは予測できるので
もっとも緊張感を感じていたと思うし、武田に身を捧げて死ぬなら寝返ったほうがいいと考えたんでしょう
起訴氏が武田についたのも、信玄の代になってからだし
美濃に通じる重要な抑えとなるので政略的に一門衆とはなったが、それほど忠誠心もなかったんじゃないかな
あと神父城造営の賦役増大と重税に不満を募らせていたらしいけど、それは表向きの理由では
0784人間七七四年
2010/09/25(土) 06:59:55ID:9quc5JbL今川、織田、武田、徳川と次々に寝返ってる
0785人間七七四年
2010/09/25(土) 09:53:18ID:sCdaCfTX三方が原で大敗してボロボロ(滅亡寸前とか書くと変なのが沸くから書かない)
だった徳川にあのタイミングで寝返ったんだからな。
0786人間七七四年
2010/09/25(土) 10:45:55ID:p+0NoY8M結局武田もまともな司令塔がいなければ機能しないということ
武田氏滅亡後の甲斐信濃なんて真田以外空気だしな
0787人間七七四年
2010/09/25(土) 11:19:20ID:TB+217wS0788人間七七四年
2010/09/25(土) 13:42:19ID:/ZuRYWidそんな状況だからこそじゃねえの。
優勢の武田に付いたままなのと、劣勢の徳川に味方に付くのじゃあ、後に徳川が伸びた時の遇され方が違うだろう。
0789人間七七四年
2010/09/25(土) 14:33:29ID:tzrJgV9F長篠後にようやく重い腰を上げたと思ったら速攻で便所で死亡w
使えねえアル中童貞ホモジジイw
0790人間七七四年
2010/09/25(土) 14:34:18ID:tzrJgV9F誤爆した
0791人間七七四年
2010/09/25(土) 16:08:52ID:xIB53hWt謙信が死ぬ直前に準備してた戦は関東だしな
あいつは何がしたかったんだ?
わざわざ謙信のために三河まで兵を出した勝頼も「えっ?」って感じだろうな
0792人間七七四年
2010/09/25(土) 19:17:26ID:fZajGIc8そのために空いた席次や職制の穴ってどうなったん?
たしか春日が戦死した重臣の子弟の継嗣に関して言及してた様な気もしたけど、
俺はそれ以上はわからないんで、ちょっと気になってる
御存知の方がいるなら教えていただけないだろうか
0793人間七七四年
2010/09/25(土) 21:48:11ID:Jeh2BzjE深志城代 馬場信春→馬場昌房
朱印奏者 土屋昌続→土屋昌恒
居ない場合は信玄時代同様に他の重臣がスライド
箕輪城代 内藤昌秀→板垣信安
江尻城代 山県昌景→穴山信君
戦死や穴埋め派遣でより手薄になった政権中央の分は
地方城代に多くの権限を委譲して政務の負担軽減。
0794人間七七四年
2010/09/26(日) 00:31:13ID:v/umOa5w取り寄せることにした。
永久保存だ!
サンクス
0795人間七七四年
2010/09/26(日) 00:37:15ID:kJ0IomXU0796人間七七四年
2010/09/26(日) 00:42:06ID:CXjU4UaP天地人の勝頼はあまりにも酷すぎた
0797人間七七四年
2010/09/26(日) 00:43:50ID:AAA6tdLg0798人間七七四年
2010/09/26(日) 00:46:51ID:fGxJAxLr0799人間七七四年
2010/09/26(日) 01:56:35ID:Ki6TRUeBだ、誰が食べたの?
0802人間七七四年
2010/09/26(日) 18:19:51ID:pwgsoC/J0804人間七七四年
2010/09/27(月) 00:53:03ID:HYnSerLuうん。でも新聞のトップ見出しが
武田勝頼なら記念として
0806人間七七四年
2010/09/27(月) 19:43:07ID:xAiMQMqW0807人間七七四年
2010/09/27(月) 20:19:27ID:blP1v3Nb0808人間七七四年
2010/09/27(月) 22:29:58ID:YjS9QcUl0809人間七七四年
2010/09/27(月) 22:31:19ID:Ww3NaM9P義信傘下で諏訪勝頼のままの方が幸せだっただろうね
0811人間七七四年
2010/09/28(火) 21:11:00ID:dqLbAlGi血縁じゃなくて、生活環境的に。
ほとんど甲府と中部・関東戦線の行ったり来たりの人生で、諏訪にはほとんど寄ってない。
0812人間七七四年
2010/09/28(火) 22:27:14ID:t4+eQeRb高遠諏訪氏を継いだんじゃね?とか言っとるな
領地は高遠、側近は甲衆、旗本は高遠衆、諏訪に長期滞在した痕跡も無し。
ふむん。
0813人間七七四年
2010/09/29(水) 01:26:25ID:l50UR9mM歴史新聞じゃなくて一般紙なら
「価値」あるなあ。俺も見たくなってきた。
どこかにアップされないかな。
0814人間七七四年
2010/10/01(金) 10:07:51ID:JmhY/PYa新聞が届きました。
「勝頼を通し地域交流」は横の
見出しでデカ!たぶん菅さんの
所信表明演説より大きいです。
勝頼が天下を取った気分です。
0815人間七七四年
2010/10/01(金) 14:33:52ID:T+Fsw8M0井上靖の「風林火山」のほうが新田次郎「武田信玄」より
発表がずっと早かったんだし、
中井貴一の大河放送前は、観光面でもずっと由布姫路線だった。
しかし、「武田信玄」が放送されるやとっとと湖衣姫路線に。
で、直近の大河として「風林火山」が放送されたのだから
由布姫路線でいくのは観光誘致上、知名度的に仕方なしと思われる。
甲府の信玄公祭りのパレードも、湖衣姫になったり由布姫になったり
諏訪や岡谷だって、一時は「湖衣姫、由布姫の里」とか併記してたんじゃ?
観光業者や商工関係者は話題になりさえすれば、何でもイイんだろうな。
>>807
諏訪四郎神勝頼。
少なくとも、諏訪信仰の根本地である諏訪地方を
意識した名乗りではあるね。諏訪社の保護も熱心にしているし。
あっ、でも812さん書き込んでいるような
平山優さんの記述も興味深く読んだよ。
0816人間七七四年
2010/10/01(金) 17:16:47ID:E2SjW/Jo山梨や諏訪より米沢での評価が高いというか好かれている感じ。
景勝に宛てた菊姫をよろしく頼むといった書状を見ると妹思いの面倒見の良い兄貴だったんだとしみじみ思う。
0818人間七七四年
2010/10/01(金) 21:45:04ID:TiMvh9J50820人間七七四年
2010/10/12(火) 13:15:24ID:OhtFEq8x勝頼の直筆の書状らしきものがあると、東北の人間がこの板で騒いでいたような
叩かれまくって来なくなってしまったようだけど
0821人間七七四年
2010/10/14(木) 02:41:48ID:G6W4UYes0822人間七七四年
2010/10/17(日) 21:40:04ID:kKHgFWMz次々と倒されていった・・・
しかし、3段の柵を突破して徳川・織田方
を小混乱に陥れた隊(小幡)があるとのことです。
0823人間七七四年
2010/10/17(日) 21:49:25ID:3UkNoDO70825人間七七四年
2010/10/17(日) 22:43:27ID:KoX0C09x0826人間七七四年
2010/10/17(日) 22:56:23ID:riBY6w1U0827人間七七四年
2010/10/19(火) 17:20:00ID:CWq93ttg0828人間七七四年
2010/10/19(火) 20:59:37ID:XtA6n7590829人間七七四年
2010/10/19(火) 22:05:44ID:lxD0w9h7あれ、武田は何も柵に向かっていかないで回り込めばよかったんじゃないの
敵が柵に退路断たれる形になったら再起不能に近いダメージ与えられたのに
0830人間七七四年
2010/10/19(火) 22:07:00ID:lxD0w9h7アンカー消し忘れてた
0831人間七七四年
2010/10/19(火) 22:17:23ID:XZswFyto0832人間七七四年
2010/10/20(水) 00:36:44ID:UpcivUc9だけど淡々と滅びに向かってる四郎勝頼がせつないんだよな
0833人間七七四年
2010/10/20(水) 08:28:38ID:3lpZwmpC小山田に関しては、比較的好意的だったような。
0834人間七七四年
2010/10/20(水) 13:47:12ID:agrKALQf視点も良かったし、それが活きるように人物造形とかしっかり書き込まれてて、本の中で
実際に歴史が再現されてる感じ
長篠で武田軍が敗れていく悲しさは格別だった
武田というスレタイに興味持ってこのスレ来た未読の人にはぜひ薦めたい本
0835人間七七四年
2010/10/20(水) 20:51:55ID:CnFNgVAVほんと>>833と同じ感想、穴山が嫌いになったわ。
武田信廉は正直よく解らない曖昧な人だった印象。
勝頼以外の武将で魅力を感じたのは、高遠城血染めの桜に出てきた盛信だな。
読んでて思わず泣いてしまったわ。
0836人間七七四年
2010/10/20(水) 21:17:46ID:3lpZwmpC両方、後年、家が存続してるし、一方は老中にまでなっているのが興味深い。なんと忠臣蔵にまで出てきている。
一方の穴山、木曽、小山田の末路と比較すると、尚更のこと痛快。
さらに知っていくと、諏訪頼豊、石田小山田、小宮山友晴あたりにも男気を感じてくる。
対して、信豊や信廉ときたら……
0837人間七七四年
2010/10/20(水) 21:54:42ID:nHqt66yG0838人間七七四年
2010/10/20(水) 23:20:52ID:lLes+s/50839人間七七四年
2010/10/20(水) 23:45:19ID:agrKALQfうろ覚えだけど、生前従ってた連中が子飼い含めてみんな忘恩の徒に化す惨状を嘆いて
家康に言わせていたものの気がする
新田の勝頼に出てくる仁科盛信がまさにそれと思ったな
まあ盛信は血筋だけれど
0841人間七七四年
2010/10/21(木) 11:53:17ID:fJULm7mq目が見えない兄とか居るとかは聞いた事あるけど。
0842人間七七四年
2010/10/21(木) 12:00:10ID:28keo7E1川中島四次合戦で平野部で軍勢激突してる時に謙信は山の中に居たままとでも思ってるのかな
0843人間七七四年
2010/10/21(木) 12:30:23ID:xiKGnl5Qまず敵の目の前で陣を移動させるなんてことが可能か
仮に南側に移動するとして連子川をどう渡るか川を渡る途中で攻撃されたらどうするか
連子川を越えないと南側には移動できないが全軍が連子川を越えると(柵の南西辺りに布陣)
武田は退路を遮断されやすくなる特に時間かけると酒井等の別動隊によって完全に退路が無くなる
かといって半数が連子川を越えるようにすると(柵の南)陣が連子川で分断されることに
また南側に布陣する場合は武田は背後に豊川を背負うことになって不利
敵前で一部の部隊だけ移動するとしたら各個撃破されやすくなるだけ
しかも武田の方が兵は少ない織田みたいに敵に見えないように布陣しているわけでもない
部隊の移動を秘匿できるような状況でないなら分派行動は危険なだけでは
0845人間七七四年
2010/10/24(日) 01:23:25ID:uMDO5SZ7大河板の「勝頼を大河に」スレにも居る人だよね・・・
>>841
>目の見えない兄
信玄次男の龍宝(竜宝)、母は三条氏、海野氏の名跡を継いで
海野二郎とも名乗ったとの説もあるけど、
普通は盲目のため半聖半俗の出家として「お聖道様」と呼ばれていた。
現在の武田信玄の末裔ということになってる武田家(高家武田家)は
龍宝(天目山の悲報を聞いたのち甲府市内の寺で自害)の血筋ってことで
非常に有名な人物なのだが。
盛信の下にいる、勝頼の異母弟は、
・葛山十郎信貞、天目山行きには同道せず、
甲府に侵攻してきた織田軍に誅された。
・安田三郎信清、これは武田瓦解後僧となって高野山の居たのを還俗し
菊姫のつてもあり上杉家に士官したことで知られた人物。
0847人間七七四年
2010/10/24(日) 07:31:14ID:KTLPYu2b単純に勝頼代の武田家が好きな人にとって、
書いたことが基本路線なんだと思う。
0848人間七七四年
2010/10/24(日) 13:56:40ID:4QqK4FXh勝頼と不仲だったのか、信長に降って許されるという甘い見通しだったのかね
0849人間七七四年
2010/10/24(日) 14:08:58ID:K5smnxaS0850人間七七四年
2010/10/24(日) 14:46:25ID:KTLPYu2b甲斐から離れて、北上した形になるからねぇ。
碓氷峠を越えて、関東に逃れられる場所に退いたようにも。
0851人間七七四年
2010/10/24(日) 14:51:46ID:KTLPYu2b長篠の前科がある分、玉砕覚悟で小諸に籠もろうと単純には受け取れない人が多そう。
0852人間七七四年
2010/10/24(日) 15:47:28ID:K5smnxaS0853人間七七四年
2010/10/24(日) 18:04:44ID:RcEXEfrP0854人間七七四年
2010/10/24(日) 19:09:43ID:4/v5N+Hv史実だねい。親族衆よりか外様のほうがよほど信頼できることが判明。
武田崩れの際も、外様とはいえ親族衆の木曽が真っ先に裏切り、
これまた親族衆の穴山が裏切り、最後の最後にはまたまた親族衆の
小山田が裏切り…だからなぁ
0855人間七七四年
2010/10/24(日) 19:38:00ID:RcEXEfrP長篠とかでは最後まで奮闘したり経歴は悪くなかったのに最後に汚点を残してお家断絶。
上州吾妻に逃げてたらまた変わった歴史が見れたかもしれない。
0856人間七七四年
2010/10/25(月) 12:12:48ID:wn2V3Ltg攻められても7万までなら撃退できる。(北条VS矢沢より)
0858人間七七四年
2010/10/25(月) 16:03:28ID:5gf0kgkA信長が勝頼を残したまま真田を許すなど考えられん
0859人間七七四年
2010/10/25(月) 16:15:44ID:+wk3m0Tw匿ってくれる当てがあったのかな
0860人間七七四年
2010/10/25(月) 16:30:09ID:5gf0kgkA0861人間七七四年
2010/10/25(月) 17:57:15ID:ILyh0veD生き残っても最終的に徳川が幕府開いたら処断されそうだな
豊臣時代に上手く取り入っても朝鮮の役で死ぬか大阪の役で死ぬかどっちにせよダメな予感
0862人間七七四年
2010/10/25(月) 18:46:09ID:5t4/V3cV家康は信玄を崇拝してたし、勝頼も長年戦ってきた好敵手と思ってそうだから信長のような冷酷な対応はしなさそうだけどな。
景勝とか西軍に付いた敵にも割と寛大だったし氏真も高家として取り立ててるし。
秀吉も名門に甘いから信長さえ消えてくれれば無問題だろ。
0863人間七七四年
2010/10/25(月) 18:50:00ID:wn2V3Ltg勝頼VS信長は結果的に引き分けと言えるのではないだろうか。という勝頼最強説。
0864人間七七四年
2010/10/25(月) 19:00:12ID:ILyh0veD一応信勝のみ逃げたときの話ね
滅亡寸前まで追い込まれた武田家を保護することによって大物ぶりを発揮か
あり得そうだな
ただ家康配下の元武田家臣との関係が微妙だね
0866人間七七四年
2010/10/25(月) 23:35:32ID:CpeDYEZXそれでも男なら駄目か?
0867人間七七四年
2010/10/26(火) 09:55:35ID:z98vp4ER>信勝に陸奥に逃げるように命じたんだよな。
それは何か史料として残っていて、裏付けもできること?
何の本に載っているのだろう?
>>866
滅びた主家の姫君が武州にのがれ、嫁ぎもせずに剃髪得度していれば
近辺にいる旧家臣は崇敬や気遣いは見せただろうが
でも実際に何か支援したかというと目立つのは大久保長安の保護くらいでは。
旧武田家臣が何かしたかという史料はあまり見たことがない。
後北条が壊滅するまでは北条氏照の保護があったからね、
松姫とともに八王子に落ちた家臣が周囲を守ってもいたし。
武田旧家臣は徳川の家臣団に組み込まれて、郷士同様の身になった者もおり
生きていくのに精一杯だったのだろう。
江戸時代になって、仁科盛信の子孫が信松院に寄進をしたりしたが
それはやはり血筋から行ったことだな。
0868人間七七四年
2010/10/26(火) 17:32:27ID:Jn003Myo「武田勝頼公」という甲冑着が
入り口に展示してあります。
小山城の近くにあるので。
その小山城の下がトンネルになっており
「備前守隊道」と武田家の家紋と
一緒に記されています。
0869人間七七四年
2010/10/27(水) 01:18:13ID:M5ZmTOim小規模に整備されてあったが、堀は良かった
それから高天神城跡に行って泣けたわ
掛川城なんかよりよっぽど良かった
0870人間七七四年
2010/10/27(水) 14:53:02ID:O2xDV64E(これは信玄が今川家との同盟を破って嫡男・義信を死に追い込んだから)
周辺が敵ばかりという拡大された戦線・国内における今や乏しい金の産出量という状況に置かれた勝頼は本当に憐れだよなあ・・・・
明智城・高天神城を落としても焼け石に水だったし、これじゃあどんなに優秀な武将でも滅亡は免れなかったはず・・・・
0871人間七七四年
2010/10/27(水) 15:25:16ID:pcaafVCY数の上でも鉄砲の性能や装備の上でも勝るであろう織田徳川相手に突撃
御館の乱では北条・伊達・葦名とともに景虎支援をせず、景勝に買収されただけでなく、
北条家に対して土下座外交すれば同盟維持できたかもしれんのに駿河伊豆国境や
上野方面で公然と喧嘩をふっかけ、四方を敵に回して猪突猛進
これによって武田の軍役は急増し国人の疲弊と不満は頂点に達する
新府城もあの状況でやるのは…としか。
能力どうこうを超えて基地外すぎるな。
0872人間七七四年
2010/10/27(水) 16:19:24ID:os6+1E9F0873人間七七四年
2010/10/27(水) 19:12:12ID:kjLhuKnYそれが重要なのは分かるけどさ
0874人間七七四年
2010/10/28(木) 00:11:58ID:cNfRBoAc中立のまま帰ってるよ。景勝に味方したわけじゃない。
で、自分も見捨てて帰ったのは棚にあげて北条がいちゃもんつけて同盟破棄したんで、それなら関東攻めちゃるわー、となった。
んで、結構北条を押してるんだよね。
0877人間七七四年
2010/10/28(木) 02:11:31ID:ego0N9j4武田にだけ血を流せと言わんばかりのまるで属国のような扱いっぽかたっんでしょ?
新田小説しか知らないけど。
0878人間七七四年
2010/10/28(木) 06:03:14ID:qaX7RRWj勝頼としては甲相越同盟で側背固めたかっただろうね
そうすれば織田徳川に専念できたのに
結果は2正面作戦という最悪の結末だから
0879人間七七四年
2010/10/28(木) 08:05:46ID:PntTTMSI金と領土景勝から貰って、その上坂戸方面で北条軍の景虎支援の妨害までして
中立はないだろ。
最初は佐竹ら関東諸将と勢いよく関東へ侵攻するも81年になると結局高天神城、興国寺等落とされ
上野で臼井氏らの離反をまねき甲斐にも攻め込まれる始末
アホすぎる
北条は鬼怒川対陣で忙しかったから援軍が遅れただけ。勝頼が弁明をして景虎支援をやめるならともかく
自主的に敵に回して北条がいちゃもんつけたも糞もない
95%勝頼の外交センスの欠如の故だ
0880人間七七四年
2010/10/28(木) 08:10:44ID:lQaqEWPN冷静な状況判断能力に欠けた荒武者だろ
0881人間七七四年
2010/10/28(木) 12:32:24ID:9yLJPclgそんなにマイナーかねぇ勝頼
0882人間七七四年
2010/10/28(木) 13:59:49ID:yBHXTQip0883人間七七四年
2010/10/28(木) 19:35:03ID:Qbf5E6/5武田は春から夏にかけて北信濃を実効支配して
北条も夏秋に越後侵入のため上野を実効支配
足場を固めているわけでもあるので仕方がないとは言っても
越後遠征中の武田からすれば気に入らない行動ではあるな
そして武田は景勝との停戦和睦時に実効支配している土地を上杉に認めさせている
が別に景虎と縁を切ったわけでもないし景勝を支援しているわけでもない
景勝は武田が味方についた支援してくれると盛んに内外に宣伝しているが
武田に対しては支援してくれ味方してくれと頼んでいる
同時期景虎も武田が支援してくれたと書状に残しているこれも宣伝かもしれないけど
なので夏秋の段階では武田は越後から手を引いた中立ぐらいの立場
景勝と同盟という関係へとなっていくのは翌年の話
また北条が関東で忙しいと言っても
武田だって徳川との戦いが忙しいしその上遠征中に駿河を攻められている
お互い相手の事情を考えず自分の利益を優先させた結果お互いに相手に疑心を抱いて
その疑心が更なる疑心と行動を招いて仲互いしていったってところじゃ
0884人間七七四年
2010/10/28(木) 20:01:10ID:9yLJPclg勝頼が北条との同盟を再考するのはしょうがない面もある
和議を斡旋してなんとか小康状態を保ったのに武田と入れ替わりに
やっと北上した北条軍は雪が降りそうなので帰りますじゃ
何のために危険を犯して越後入りしたか分からないからな
0885人間七七四年
2010/10/28(木) 20:16:45ID:eiC9GnFS北条方上野国人を調略したり駿河伊豆国境に城を築いて公然と敵対行動取ったり完全に自爆。
北条の上野実行支配は景虎支援のため上野の上杉方諸侯を調略したというだけでいわば当然の事をしたまでで
別に武田に喧嘩うる行動とは全くいえない
勝頼が景勝から金と上野と北信濃を貰ってしかも婚姻関係を結んで和睦し
兵を引いた上に北条軍が坂戸に来たらそれを妨害するなどもう滅茶苦茶
氏政は武田との同盟を重視する方策を信玄時代から取り続けた武田贔屓な人だが
流石に勝頼の一連の身勝手な行動に嫌気が差したんだろう。
0886人間七七四年
2010/10/28(木) 20:21:51ID:9yLJPclg0888人間七七四年
2010/10/28(木) 20:25:43ID:jfBD59rV0889人間七七四年
2010/10/29(金) 11:15:12ID:Q8kcqnJL0890人間七七四年
2010/10/29(金) 16:24:20ID:A+CoYnPP0891人間七七四年
2010/10/29(金) 16:58:08ID:rxA8berD勝頼は長篠・御館・新府築城・無理な中央集権化など武田家を滅茶苦茶にした馬鹿
0892人間七七四年
2010/10/29(金) 21:12:02ID:Q8kcqnJL0893人間七七四年
2010/10/30(土) 01:35:09ID:QNSGw0QF諏訪藩主とか信州探題とかいう馬鹿スレをたてたみたいだな。
0894人間七七四年
2010/10/30(土) 15:39:13ID:+yPKwwsX>上野に積極的に外征したり北条方上野国人を調略したり
これは北条と完全に敵対したあと
>駿河伊豆国境に城を築いて
これは1579年2月だから合ってはいるけど北条も同じように国境を固めている
更に言うならその前に北条と徳川が交渉を始めたから武田としては仕方がないといえる
>勝頼が景勝から金と上野と北信濃を貰ってしかも婚姻関係を結んで和睦し
金はともかく残りの条件も微妙
上野は貰っていないし北信濃も武田が実効支配しているところを認めたに過ぎない
婚姻関係も実際に結ぶのは1579年9月
金にしても1579年4月の段階でまだ支払済みになっていない
>兵を引いた上に
兵を退いたのはある意味仕方がない
徳川は3月9日田中城攻撃一旦退いた後に3月13日小山城攻撃
5月4日駿河攻撃田中城攻撃、7月横須賀城築城
8月22日持舟城攻撃9月4日牧野原へ帰還
持舟城に至っては安倍川挟んで駿府の対岸の城
武田はよく我慢したというべき
>北条軍が坂戸に来たらそれを妨害する
北条の妨害はしていない武田は単にどちらにも味方しなかっただけ
0895人間七七四年
2010/10/30(土) 18:08:02ID:If771voe>これは北条と完全に敵対したあと
直接交戦する前ならまだ弁明の余地はあった。
>これは1579年2月だから合ってはいるけど北条も同じように国境を固めている
>更に言うならその前に北条と徳川が交渉を始めたから武田としては仕方がないといえる
これも同様で北条との関係が悪化する行動を取ったことに変わりはない
>金はともかく残りの条件も微妙
>上野は貰っていないし北信濃も武田が実効支配しているところを認めたに過ぎない
>婚姻関係も実際に結ぶのは1579年9月
>金にしても1579年4月の段階でまだ支払済みになっていない
実際もらったかどうかよりもそういう約束を景勝とした事が問題
こういった条件を元に兵を引くといった契約関係は同盟の始まり
一般書籍類などでもこの時点の関係を甲越同盟としている物あり
>北条の妨害はしていない武田は単にどちらにも味方しなかっただけ
北条氏政が8月に入って上野へ着陣、氏邦を越後上田に出陣させ(石川孫四郎氏所蔵文書)(小森沢文書)
9月には景勝の坂戸攻撃が開始されるが武田軍が妻有まで救援のため出陣したため(石川孫四郎氏所蔵文書)(小森沢文書)
北条方はそこで前進を阻まれ、さらに降雪によって身動きがとれなくなり、ついに12月上旬
『来春無三出勢に及』ぶとして兵を引いた。河田長親も北条の帰陣と時期を一にして
能登越中の諸将を率いて能庄に着陣し景勝方の立場を明確にした。
ようは勝頼の馬鹿な行動で北条も景虎もわりを喰っただけのこと。
0896人間七七四年
2010/10/30(土) 18:17:06ID:gv24R6KA自身の与党増やすべきだろうに、あまりに戦略眼欠けてる
まあ潰れるべくして潰れた家だ北条って
0897人間七七四年
2010/10/30(土) 18:19:54ID:If771voe氏政の目標は関東で土台を固める事だから佐竹方反北条連合との対陣をなおざりにせず
しかも遅れてはいるもののちゃんと行動はしている
何もしなかったように語る馬鹿がいるがな
まあ葦名も伊達も武田も動くから北条が多少遅れても勝てると思ったんだろう
0898人間七七四年
2010/10/30(土) 21:03:23ID:jagUgXxGその頃の芦名宛書状も調停関連で一貫して中立の態度を崩してなく
妻有進出は北条に対する北上阻止行動かどうか疑問
0899人間七七四年
2010/10/30(土) 21:18:23ID:MI8VpDz3いくつか偏っている点があるな。
>こういった条件を元に兵を引くといった契約関係は同盟の始まり
和睦停戦でこういった条件というのは普通にある、第二次川中島で和睦したが同盟の始まりになったか、
またこの和睦が北条との敵対を招いたか、というと答えは否。
>9月には景勝の坂戸攻撃が開始されるが武田軍が妻有まで救援のため出陣したため(石川孫四郎氏所蔵文書)(小森沢文書)
武田が景勝の援軍として妻有に出陣したといううのは景勝側の捏造、
武田は景勝景虎の和睦を取り持とうとしただけ、9月19日の書状でも何とか和睦させられないものかと言っている。
更に言うなら6月の武田が景勝に味方した、武田は景勝の要請を聞いてくれるというのも捏造、
死んだ春日の名前を使っているのも宣伝のためか、
ただその宣伝を真に受けるとまではいかなくても影響を受けて武田が景勝に味方していると
思った人間は多いと思うが。
>北条方はそこで前進を阻まれ、さらに降雪によって身動きがとれなくなり、ついに12月上旬
北条方はまだ魚沼侵攻に手こずっている状況武田は直接は関係ない。
ただ北条は武田を警戒して動きが鈍ったが景勝側は武田の中立を信じて武田を無視して動いている。
武田北条が悪いというよりここは景勝を褒めるべきかと思う。
0900人間七七四年
2010/10/30(土) 21:36:11ID:QSvaQLfW東国の戦国合戦でははっきり北条方の行動阻止と書かれてるし郷土資料類も同様の記述
ソース元もちゃんとある
>>899
>和睦停戦でこういった条件というのは普通にある、第二次川中島で和睦したが同盟の始まりになったか、
>またこの和睦が北条との敵対を招いたか、というと答えは否。
第二次川中島で婚姻関係の約束や領土割譲や金銭の譲渡契約なんてあったか?
一時的和睦の川中島とこれを一緒くたに語るのはおかしいな
>武田が景勝の援軍として妻有に出陣したといううのは景勝側の捏造、
ソースは?東国の戦国合戦ははっきりこの記述を採用してる
>武田は景勝景虎の和睦を取り持とうとしただけ、9月19日の書状でも何とか和睦させられないものかと言っている。
その行動と北条の北上阻止とは矛盾しない。勝頼ができもしない和睦調停を持ち出して北条の邪魔をしたから決裂になった。
>更に言うなら6月の武田が景勝に味方した、武田は景勝の要請を聞いてくれるというのも捏造、
>死んだ春日の名前を使っているのも宣伝のためか、
だからソースは?何か著作名を教えてくれ。
>ただその宣伝を真に受けるとまではいかなくても影響を受けて武田が景勝に味方していると
>思った人間は多いと思うが。
武田が景勝に買収されたから北条と決裂になったなんて常識。これ否定してるのは君だけだよ
>北条方はまだ魚沼侵攻に手こずっている状況武田は直接は関係ない。
坂戸方面の攻撃は9月に行われている。これは黒田基樹氏市村高雄氏など共通してるし
勝頼マンセーの一部の馬鹿学者が北条が何もしなかったとか妄言はいてるだけだから語る余地もない
>ただ北条は武田を警戒して動きが鈍ったが景勝側は武田の中立を信じて武田を無視して動いている。
>武田北条が悪いというよりここは景勝を褒めるべきかと思う。
北条は鬼怒川対陣のせいで援軍が遅れたが景勝は武田を買収したため北条・葦名・伊達などが国中が攻め込み大敗する窮地を
脱したという意味で優れているのは確かだが勝頼がアホすぎたのも確か
0901人間七七四年
2010/10/30(土) 21:54:16ID:P1yBnCU5勝頼は酷い結果もたらしたもんだ。
0902仙台藩百姓
2010/10/30(土) 22:13:26ID:Xh9D4Ck9どんな外交と戦略で生き残れたのだお?( ^ω^)
0903人間七七四年
2010/10/30(土) 22:16:01ID:P1yBnCU5徳川を攻略
御館の乱で北条や上杉を敵に回さない
新府築城しない
これだけ。
0904人間七七四年
2010/10/30(土) 22:31:28ID:ZF0fxPw5> 長篠の陣地突撃をしない
領土拡張政策放棄したら国人領主が離れるでしょ。
> 徳川を攻略
織田が黙っているとおもう?
> 御館の乱で北条や上杉を敵に回さない
上杉景虎が御館の乱に勝利するだろうけど・・・
東側が全部北条勢力圏になるというのは極めつけにマズイでしょ?
> 新府築城しない
滅亡が見えてきたころの施策だから・・・・
0905人間七七四年
2010/10/30(土) 22:35:26ID:P1yBnCU5信長の大軍が来たら直接対決避けるか勝頼方有利な地形や戦闘状況で戦えばいいだけ
わざわざ大軍がぬかるんだ地面の中相当堅固な陣地に向けて寡兵で突撃する馬鹿はそうそういるまい
北条勢力圏増えた方が織田と北条の敵対する可能性が高まるから好都合
北条の肥大化を織田が見過ごすわけないし景虎が継いだから即上杉家自体が北条の物になるわけでもない。
0907人間七七四年
2010/10/30(土) 22:38:07ID:P1yBnCU5重臣クラスたくさん討ち死にする大敗を喫するよりはマシ
一回兵引いたくらいで離反が起こるなら織田なんて対斉藤で離反されまくってたはずだしな
0908人間七七四年
2010/10/30(土) 22:51:26ID:ZF0fxPw5そもそも長篠って退路を塞がれていたわけだから・・・
突撃の前に負けが決まっていたとおもう。
乾坤一擲の突撃も已む無しでしょ。
>>903のムチャクチャなところは、長篠ヤメロというわりには
それ以上にハイリスクな徳川攻略を主張するところじゃん?
0909人間七七四年
2010/10/30(土) 22:55:29ID:kHBLxZ43わざわざ大軍がぬかるんだ地面の中相当堅固な陣地で鉄砲構えて待ち構えてるのに向けて寡兵で突撃しても
勝頼や一門衆らは退却できたわけだしこの後すぐに軍事行動起こす力も残ってたんだから
普通に退却可能だろうな。そもそも砦を攻略阻止する戦略眼の欠如も勝頼に問題あり
徳川攻略は織田がでてきたら兵ひけばいいだけ
0910人間七七四年
2010/10/30(土) 23:32:30ID:jagUgXxG追いかけてきたら?
0911人間七七四年
2010/10/30(土) 23:47:17ID:20zxaOM+存続は可能だったかな?まあ名門のプライドが許さないだろうけど。
0912人間七七四年
2010/10/30(土) 23:49:59ID:ZF0fxPw5どこにもないからムリだろ。
一番攻め滅ぼしやすい敵対勢力なんだから・・・
0913人間七七四年
2010/10/31(日) 00:20:16ID:6Ndt/X1i地形を生かして迎撃すりゃいいじゃね
>>912
木曽が離反して離反の連鎖が起きなかったら武田領侵攻なんて不可能だろうな
何せ史実で自爆のあった長篠以外、岩村&高遠攻囲戦、東美濃攻防戦上村合戦、三方が原と
圧倒的大軍で寡兵の武田に大敗&大苦戦&大損害なんだから
勝頼が馬鹿じゃなくてもう少しまともに戦えてたら織田なんぞボロカスに負けてただろうな
0914人間七七四年
2010/10/31(日) 00:46:42ID:wd9pAtKSゆとりゲーム脳はこれだから困る
0915人間七七四年
2010/10/31(日) 01:11:09ID:0dEqRmWP陣地攻略で織田・徳川陣営にも多大な損害を与えているからこそ、あの程度の追撃しか受けなかったと考えるべき。
0916人間七七四年
2010/10/31(日) 01:24:57ID:5qcFQs2F酒井隊に攻撃仕掛けて織田徳川本体を陣地から引っ張り出してたら
勝算はあったのだろうか。
それともやっぱ挟撃されるほうが厳しいもんなんすかね。
0917人間七七四年
2010/10/31(日) 02:18:44ID:47adVUzv武田方は雨でぬかるんだ地面の中まるで城みたいな陣地に大量の鉄砲や
大軍が待ち構えてる中突撃して戦ったんだから織田徳川より遥かに多く損害でてるはずだろ
>>916
陣地から引っ張りだすかその前の砦を落とされないようにするのが上策だろうな
0918人間七七四年
2010/10/31(日) 03:32:09ID:0hzVzTDR「裏切り者叩きに行ったら敵の後詰めで大軍来たんで一戦もせずに帰りました、サーセンwww」
なんてやったらどうなるやら
0919人間七七四年
2010/10/31(日) 03:53:39ID:pBxd2yv3あそこまで接近してて後ろ向けたらおもくそ追撃されて
(ついでに長篠城兵や別働隊にも追撃されて)結局史実に近い損害出す罠
あの場面で最善の選択は
援軍到着前に長篠城落としてさっさと撤退(可能であれば
次善は長篠攻略が間に合わなければ、援軍到着前に撤退
長篠で受けた損害が無ければその後の歴史も変わるので
>>御館の乱で北条や上杉を敵に回さない
>>新府築城しない
は想定する意味がない
0920人間七七四年
2010/10/31(日) 07:32:41ID:EwfAG9RY城落としても織田が来たんでさっさと撤収なんてしてたらジリ貧じゃね
へたれ扱いされてる朝倉以外には織田本土内に切れ込める奴が存在しないからな
0921人間七七四年
2010/10/31(日) 09:25:14ID:LpD9NMEB届く気がするけどね。
0922人間七七四年
2010/10/31(日) 09:30:32ID:EwfAG9RY>>909で言うとおり木曽路抜けた寡兵で長篠どころじゃない堅固な要塞に突撃することになるぞ
0923人間七七四年
2010/10/31(日) 10:24:50ID:1qirpvRU>>御館の乱で北条や上杉を敵に回さない
長篠を回避したら謙信が史実より長生きするのかよ?
0924人間七七四年
2010/10/31(日) 12:00:00ID:djdJ0mra0925人間七七四年
2010/10/31(日) 16:26:49ID:pBxd2yv3なんでそんなに近視眼的なんだよ
長篠の戦いが発生せず長篠城のみ攻略して撤退してたらと想定すれば
関東・甲信越・東海のパワーバランスが変わるだろう
1、三河、遠江における徳川と武田のパワーバランスは武田優勢のままである
(高天神・長篠を取られてる分、徳川方は三方原直後より劣勢。ちなみに史実では、長篠を契機に攻守が逆転した)
2、有能な家臣団が健在(史実の長篠で受けた損害が発生してない)
という状況の中で謙信の能登侵攻が始まり織田対上杉の戦いが発生する
恐らく、勝頼も織田の主力が対上杉に向けられてる機をついてさらに徳川への攻勢を強める可能性が高い。(想定されるのは吉田城攻略)
その状況下で謙信病死→>御館の乱が発生しても、武田家中の意見も変わるし勝頼の判断も変わってくるだろう
0926人間七七四年
2010/10/31(日) 16:47:08ID:cl9AH7xC> なんでそんなに近視眼的なんだよ
> 長篠の戦いが発生せず長篠城のみ攻略して撤退してたらと想定すれば
> 1、三河、遠江における徳川と武田のパワーバランスは武田優勢のままである
> (高天神・長篠を取られてる分、徳川方は三方原直後より劣勢。ちなみに史実では、長篠を契機に攻守が逆転した)
ああ、織田援軍が来る前に長篠城を落としていたらね。
それが出来なかったのが滅亡の始まりか。
織田軍3万が来たあとで長篠城だけ落とすってムリだろ。
0927人間七七四年
2010/10/31(日) 17:12:49ID:/4iBQjPq撤退してくれればいいけど、決戦を決意されたら結局は長篠城放棄して逃げ帰るような
羽目に陥るのが問題だなぁ。
0928人間七七四年
2010/10/31(日) 17:18:28ID:cl9AH7xCそれはあんまり問題にならないんじゃない?
戦闘目的が奥平への懲罰だから。
当然撤退前に首はねて一族郎党根絶やしで目標達成。
0929人間七七四年
2010/10/31(日) 17:36:58ID:T1qku8Ji志賀の陣のあたりで武田が動ければ話はちがったけど
信玄が動いたのは浅井朝倉が滅亡寸前になってから。
その時点で勝負はついてた。
0930人間七七四年
2010/10/31(日) 18:08:15ID:/4iBQjPqたしかにそれなら対徳川だけを考えれば優位を保つことが出来るとはいえ、結局はジリ貧でそ。
それまでの対徳川の優位と言っても高天神を除けば、大きく徳川方を削ることは出来ていない
わけだし、東美濃の織田方に至っては…
もちろん、謙信の能登・加賀侵攻に合わせて攻勢をかける余力ができるので、
なんとかなる可能性もあるけど。
0932人間七七四年
2010/10/31(日) 18:41:39ID:wd9pAtKSバタフライ効果で信長近辺にも影響が出て、馬揃えで馬に蹴られて死ぬかもしれん
んで信忠ショック死、責任取らされる光秀反乱でがたがたになり、武田大勝利という未来図もww
まぁ実際には大差ないだろ、日本統一が信忠時代にずれ込むくらいか
0933人間七七四年
2010/10/31(日) 19:41:37ID:G2aWValTつかして良いくらい信盛は可哀相な末路を辿ったように思える。
0934人間七七四年
2010/10/31(日) 21:09:33ID:0hzVzTDR「ケツまくって隠棲するか、命懸けて手柄挙げるかどちらか選べよ、おう早くしろよ」
と言われて自分で引っ込んだからなあ
0936人間七七四年
2010/11/01(月) 22:39:37ID:0r1yaGboワザワザ武田最前線の長篠城に奥平が配された段階で
攻めなければ、離反しても咎がないわけで家臣の離反を招く
わけだから攻めるしかなかった。
この段階で勝頼には長篠を落とすしかなかったけど・・・
長篠城は寡兵だけど当時としては重武装だったわけで、
完全に罠にハマってしまった。
やっぱり織田到着前に犠牲を厭わずに総攻めで長篠城を
落とすしか選択肢はなかったろうね。
0937人間七七四年
2010/11/02(火) 00:54:17ID:pjM+cM560938人間七七四年
2010/11/02(火) 01:52:20ID:+6ROXEN00939人間七七四年
2010/11/02(火) 03:03:07ID:+D+2IIHSせめて長島が頑張ってる間に状況を変えるべきだった。
0940人間七七四年
2010/11/02(火) 03:28:25ID:BG/Ikj8Dまあイチかバチかやるしか無かった
ここで逃がせば次は織田軍5万で来襲するかもしれん
0941人間七七四年
2010/11/02(火) 10:34:56ID:RBS5J1h+落としたら小田が先のように引き返して決戦できないから攻撃の手を緩めたというような描写がある
詳しい人にとってあれって現実味はどうなの?
0942人間七七四年
2010/11/02(火) 10:54:58ID:DdomJ89+負けたことはなかったのだし、かつて信玄も深沢矢文で北条に決戦を
呼びかけているのだし。
ただ、わざと落とさなかったとなると疑問。あまりにもリスクが高すぎ。
0943人間七七四年
2010/11/02(火) 12:19:20ID:pjM+cM560945↑
2010/11/02(火) 18:43:31ID:3H9sJIrs0946人間七七四年
2010/11/02(火) 19:36:35ID:j+Tgeuz6長篠城を落とす様に主張してなかった?
0947人間七七四年
2010/11/02(火) 20:06:07ID:Tol72hD3長篠の城を攻めるが落ちない
→吉田城に向かい、吉田城を攻めるが落ちない
→再度、長篠城を攻める
→後詰の織田・徳川連合軍と決戦
となっている。
吉田城を攻めたのは徳川をおびき寄せるため
と解釈しても問題ないだろう。
長篠の戦で決戦を挑んだのは規定路線ではないか?
0948人間七七四年
2010/11/02(火) 20:41:40ID:lDUZJm7W信玄没後〜長篠前夜までで織田との差が開きつつある
今後は兵質勝負に持ち込めないくらいの動員力の差が出来てしまう
よって時は今!
あえて織徳連合よりも過小の兵力でもって敵地に乗り込みしかも敵城を落とせずに
もたついている・・・ように見せかけることによって織田軍に野戦決戦を強要し勝利を得る
ってなプランだったように記憶している
で、織徳連合が野戦築城を始めた時に攻めるべしという意見も出たが今攻めるとまた
織田信長に逃げられるのであえて様子見
雨季真っ只中なので鉄砲についてはそれほど脅威ではない
佐久間寝返りについては半信半疑ではあった
当日、何故か雨がやんでしまった。降りそうだけどずっと降らなかった
今こそ勝機!と言う時に御親類衆が勝手に退却を始めた
こんな展開じゃなかったっけ?
0949人間七七四年
2010/11/03(水) 10:05:54ID:AMfeJyU9江戸時代の『紀伊国物語』
佐久間が長篠で長坂跡部に黄金を送って内通の約束と勝頼への取成しを頼んでいる
0950人間七七四年
2010/11/03(水) 10:08:36ID:AMfeJyU9長坂跡部はこれを真実と思い勝頼への取成しを約束する返書を返してきた
0951人間七七四年
2010/11/03(水) 13:55:03ID:Oa6kSp0bこれだけ国力に差がついてても数々の謀略、馬防柵、大量の鉄砲で武装してよほど武田軍が怖くてびびってたんだろうね。
ドラマとかだと余裕で勝ったみたいな描写がされてるけど、家康の要請で仕方なく出て来たけどこれでも負けるかもって戦々恐々だったんじゃないの?
0953人間七七四年
2010/11/03(水) 19:06:11ID:/yTZ2qap実際、劣勢にもかかわらずかなりの損害を与えてるよね<武田軍
武田軍の強さをでっち上げとか主張する人は、長篠での武田軍の実力を考慮してから発言して欲しい
0955人間七七四年
2010/11/03(水) 20:25:17ID:eWCEReYr三河もビビる甲州兵は気持ち5倍くらい?
0956人間七七四年
2010/11/03(水) 20:25:48ID:drcVZcmA0958人間七七四年
2010/11/03(水) 21:04:21ID:sfYj+oba0959人間七七四年
2010/11/03(水) 21:20:53ID:/yTZ2qap相手を見て、寡兵でもなんとかなると判断した場合なんだろうけどね。
0960仙台藩百姓
2010/11/04(木) 08:16:20ID:qJFJqhmpまして信長は目の前でそれを目撃しているわけだから慎重になるのが当然と言えるお( ^ω^)
むしろまだまだ慎重さに欠けていたと言わざるを得ないお
信長も年取ってもうろくして来ていたのだおうね( ^ω^)
0961人間七七四年
2010/11/04(木) 08:25:09ID:e77rvnFz0962人間七七四年
2010/11/04(木) 22:32:41ID:OtyTxL87新田次郎全集武田勝頼2巻と武田信玄3巻計525円
今週末読書に励むよ!
0963人間七七四年
2010/11/05(金) 00:49:36ID:OEvEv2mp0964人間七七四年
2010/11/05(金) 01:30:18ID:KWlF2jl00965人間七七四年
2010/11/05(金) 01:52:18ID:f6XxuNeH信玄と勝頼を500円でコンプできたのは恵まれてる
お得すぎる
0966人間七七四年
2010/11/06(土) 12:30:57ID:VSdDSieO勝頼公が名将の扱いでなかったら抗議したい
0968人間七七四年
2010/11/06(土) 17:05:17ID:eSTEvMb8ttp://www5f.biglobe.ne.jp/~t_effort/mitsumono/index.html
面白そうだからぜひとも買わせて貰う。
0969人間七七四年
2010/11/06(土) 17:43:49ID:VSdDSieO調べてみたのだが、これのことかな?
こんなのがあったなんて知らなかったw
ttp://www.assemblage.co.jp/asm/software/CpNE/NS_CN.html
>>968
それだね
0970人間七七四年
2010/11/06(土) 19:01:31ID:a2dDAndfそれそれその作品!!
プレステの非エロ版だと『Screen』って名前なんだけど、そっちには『真・高遠城の戦い』か何かが収録されてないんだけども。
前世ネタは重大なネタバレではないんだけども、そのゲームだと主人公は高遠城で徹底抗戦する。
このライターの作品は割と勝頼や盛信ネタを割と出す。
0971人間七七四年
2010/11/08(月) 11:39:07ID:Zq5LRmzv0972人間七七四年
2010/11/13(土) 01:43:05ID:AUe/NT1G有終の美
武田らしく
0974人間七七四年
2010/11/16(火) 23:32:55ID:uJWKjFdc0975人間七七四年
2010/11/21(日) 15:54:26ID:TOEJ9fYd小山城の中間に住んでおります。
甲斐の武田氏がここまで制圧し
徳川氏と抗争していたことに
今でも違和感があります。
0976人間七七四年
2010/12/08(水) 12:59:34ID:NZUlog/8山梨から高天神まで移動するだけで大変だよ
今なら1日もかからないけどね
0977人間七七四年
2010/12/08(水) 22:03:50ID:htwbHuEm0978人間七七四年
2010/12/10(金) 21:01:59ID:+aFobhaB0979人間七七四年
2010/12/10(金) 21:05:30ID:+aFobhaB0980人間七七四年
2010/12/10(金) 21:13:33ID:+aFobhaB0981人間七七四年
2010/12/10(金) 21:16:46ID:+aFobhaB0982人間七七四年
2010/12/11(土) 08:56:49ID:BfdQdq8+0983人間七七四年
2010/12/11(土) 12:07:05ID:Wyq1Sg0V静岡県吉田町は
人口3万人に満たない
小さな町ですが、
高速道路のICがあり、
大手企業の工場もあり
財政的に豊かです。
自治体が城を山を
切り開いて復元しました。
0984人間七七四年
2010/12/11(土) 16:27:55ID:O/WsiDei0986人間七七四年
2010/12/12(日) 15:07:19ID:NzNaEl5G0987人間七七四年
2010/12/12(日) 17:18:44ID:TaS8c8f2レス数が950を超えています。1000を超えると書き込みができなくなります。