○鎧は信長の時代までは小札の腹巻、胴丸が中心。秀吉の時代で伊予札の丸胴(ただし小田原では五枚胴とかが発生)。
○当世具足は江戸時代になってから登場した。胴に樽型の曲線があるのは西洋鎧の影響。それ以前の胴は直線的。

このへんの記述は


「くそく(具足)、はらまき(腹巻)、おけかはとう(桶側胴)、くさすり(草摺)十けん(間)」六さけ(下げ)、………
のとわ(喉輪)つね(常)のこと(如)し、一、かふととうなり(甲頭形)、しころ(??)五さけ(下げ)、
まみ(眉庇)ほしかふと(星兜)のことく(如く)、めんほう(面頬)とひはなことゞヽく、… 」

『石川孝雄家(甲府市)文書』
(穴山信君(1541〜82)が元亀二年(1571)に吉三に宛てた具足注文)

と矛盾しないのだろうか