当世具足★★★鎧について語ろう★★★大鎧
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0001人間七七四年
2007/06/08(金) 17:33:55ID:P1ntm8y4鎧かっこよすぎ。
種類とかいろいろ教えてくれ。
0042人間七七四年
2007/06/20(水) 23:04:20ID:xvlULFqD0.6mmだっけ?実際の胴は3mmくらいあったそうで、
本物の重量感を味わうにはどこの甲冑がいいんだろ?
0045人間七七四年
2007/06/24(日) 18:40:47ID:1WDVy1ad0046人間七七四年
2007/06/24(日) 23:32:23ID:pM/VcWxe0048人間七七四年
2007/06/25(月) 22:20:44ID:BOzxWnHi室町時代末期〜安土桃山時代(戦国時代末期)
に出現した鎧の形式を総称して「当世具足」と言う。
0049人間七七四年
2007/07/06(金) 22:22:59ID:a3XtfEQ5古墳時代にも面鎧があったというのは本当なのかな。
0050人間七七四年
2007/07/07(土) 00:20:56ID:NuE9seUC源氏八領とか武田家の「盾無」とか
俵藤太の「平石(避来矢)」は兜だけ残ってると聞いてますが。
戦国武将の愛刀なんかは調べやすいんだけどな…
0051人間七七四年
2007/07/07(土) 07:27:50ID:2MlNFHNMよく兜鉢や胴の裏に銘が刻んでるのを見ますけど、銘を刻むのが普通だったかは自分にはわからないです。
「義道」とだけ刻んであるのもあれば、「○○国住明珍○○作之」と刻んであるものも。
篭手に銘があるものもありますね。
0052人間七七四年
2007/07/07(土) 22:17:30ID:eUlgOr7L鎧は札や威絲など細かい部品を組み立てて作るため、
最終的に組み立てた総合甲冑師の銘というのは通常入りにくい。
が、札や兜鉢など金属部分を担当する部品製作の職人や
全部自前で制作する派は銘を入れる事が出来た。
明珍派は元々鍛冶職人で部品製作の家だったため、
部品から自前で作った明珍の銘は残り易く、
組み立てを主にやっていた岩井派などは銘が残りにくかった。
江戸時代には実用品というより工芸品になったため
銘を入れる事が多くなった。
というような話を読んだ事がある。
0053人間七七四年
2007/07/08(日) 21:36:39ID:MSYdcA4V弓を引きやすくするためそうしていたと聞いた。
中には指が分かれておらず手全体を覆う鎖手袋や、指先まで鉄片をつけているものもあるけど。
0054人間七七四年
2007/07/08(日) 23:20:30ID:IfKXREfA総面は室町時代初期くらいに出現したらしい。
面具の一番古い記録が平安時代の末期らしく、
古墳時代にはなかったと考えるのが妥当では
0055人間七七四年
2007/07/09(月) 16:18:34ID:dt30Mn0O0056人間七七四年
2007/07/10(火) 00:47:45ID:3yAbInPnなるほど、太平記のころなのか・・・
打物戦が多かったからなのかな。
>>55
現存しているのは平安時代前期のものと言われる沢潟威鎧。すでに大まかな大鎧の形式を備えている。
十世紀半ば、937年の平将門の乱の頃には大体出来ていたみたい。
大鎧の簡略版として胴丸も近い時期に発生したそうだ。
0057人間七七四年
2007/07/10(火) 18:06:56ID:ubwxeec50058人間七七四年
2007/07/10(火) 23:40:37ID:AQAckw4H0059人間七七四年
2007/07/11(水) 00:49:47ID:bJVmBMvW0060人間七七四年
2007/07/11(水) 04:52:15ID:Mxcarr4f0061人間七七四年
2007/07/13(金) 02:26:50ID:gQlWi72a0062人間七七四年
2007/07/13(金) 07:15:19ID:xUIosehOインドかどっかにあった気もする
0063人間七七四年
2007/07/13(金) 12:19:22ID:gQlWi72a中国のはかろうじて三国志のゲームやらなんやらで見るけど、あれはデザイン自体がフィクションだからなぁ。
あんまり暑い国だと甲冑よりむしろ裸に近いイメージがあるし。
裸で戦ってて、顔だけ面頬で守る発想になるのかな?
やっぱり知り得る限り日本の甲冑が一番カッコイイな。
0064人間七七四年
2007/07/14(土) 21:20:43ID:Jpw4CL2mワンルームマンションじゃ置く場所ないんだな
0065人間七七四年
2007/07/14(土) 21:28:11ID:bozFkjtJ0066人間七七四年
2007/07/15(日) 02:16:45ID:3kOpWZX70067人間七七四年
2007/07/15(日) 21:59:51ID:YBYAdzKr0068人間七七四年
2007/07/16(月) 00:50:44ID:nqgWNbUf昔の侍は甲冑着てウォーキングして体鍛えてたみたいだし
0070人間七七四年
2007/07/16(月) 12:10:46ID:RbMjtq2I0071人間七七四年
2007/07/16(月) 17:18:10ID:okha3RHt「あ、ヨロイの人だ!」
「これ!見ちゃいけません!!」
0072人間七七四年
2007/07/17(火) 08:53:19ID:TVKvPPLb0073人間七七四年
2007/07/17(火) 13:24:09ID:jxlmmSAR0074人間七七四年
2007/07/19(木) 01:14:08ID:gXOIEcx50075人間七七四年
2007/07/19(木) 11:17:33ID:4fvOOnKZちょっと硬い素材の衣服だってだけじゃん。
0076人間七七四年
2007/07/19(木) 21:58:15ID:9RKXV57Y0077人間七七四年
2007/07/20(金) 16:01:38ID:9HdVcJWM0078人間七七四年
2007/07/23(月) 01:00:53ID:E2NFib6k0079人間七七四年
2007/07/24(火) 10:15:11ID:qrXiaSao0080人間七七四年
2007/07/25(水) 07:51:04ID:u05rC4h0大鎧は重量があまりにあるため、革と鉄の小札を組み合わせて綴ったものが多いが、木を使うこともある
南北朝時代以降総鉄製の鎧があらわれだし、戦国時代以降の当世具足は装飾部以外鉄製のものが大半
歩卒が身に付ける胴丸なども革製が多かったが、鉄砲の普及により鉄のものにとってかわった
足軽の陣笠は和紙を塗り固めたものでかなり丈夫だそうだ
0081人間七七四年
2007/07/25(水) 10:25:04ID:09Q/0S7X0083名無しさん@そうだ選挙に行こう
2007/07/29(日) 01:23:19ID:RqPpMZiY0085人間七七四年
2007/08/09(木) 06:48:51ID:M0t6+wET0086人間七七四年
2007/08/09(木) 08:11:16ID:HrMAZbPE0087人間七七四年
2007/08/09(木) 22:57:17ID:QEcf4aqa0088人間七七四年
2007/08/10(金) 21:28:40ID:godI1Edw0089人間七七四年
2007/08/16(木) 05:58:42ID:HO5LeDvD0090人間七七四年
2007/08/17(金) 05:27:15ID:D2DFzUpY0091人間七七四年
2007/08/20(月) 21:42:41ID:ugC4PE7J0092人間七七四年
2007/08/20(月) 22:05:27ID:x+2d7BLA本物の重量感が欲しいんだよな〜。
0093人間七七四年
2007/08/20(月) 22:28:43ID:ugC4PE7J丸武から鎧送られてきたら厚さはかってるべ
0095人間七七四年
2007/08/20(月) 23:50:02ID:ugC4PE7J質が良かったらもっと
高額のも買おうかと思ふ。
0096砂岩か耳ね ◆oWrjcNwAas
2007/08/21(火) 00:05:29ID:XDPQl5fR「質が良い」というのは、やはり防具として堅牢であること!
良ければ刃物で切りつけたり、鉛玉を打ち込んだりしてみて。
0097人間七七四年
2007/08/21(火) 00:11:08ID:PzMFYa5m0098人間七七四年
2007/08/21(火) 20:07:33ID:nrNPqhau0099人間七七四年
2007/08/23(木) 23:02:06ID:DPH/FfAL0100人間七七四年
2007/08/24(金) 22:49:47ID:5jHHCz5o正直防御力が高すぎてなかなか死にそうにない感じ。
0101人間七七四年
2007/08/25(土) 04:27:44ID:eQu9mqHy0102某研究者
2007/08/25(土) 17:50:47ID:xELlJb/6短甲が廃れたのは不可解だが
皮の札鎧の数を供給する事を優先したのかだが
精鋭部隊は鉄の短甲や明光鎧の様な物を着た方が
良かったと言う事は無いのかだが
0103某研究者
2007/08/25(土) 17:54:18ID:xELlJb/6ミトン式に近い篭手も
一応有るが
組み討ちには不向きかも知れぬし
此れは完全に指先を覆えるのかどうかだが
此れは江戸時代の物では無いのかだが
0104某研究者
2007/08/25(土) 17:59:48ID:xELlJb/6正直防御力が高すぎてなかなか死にそうにない感じ。
プレートアーマーでは無い札鎧だから
上から殴れば
可也衝撃を受ける訳だろうか
0105某研究者
2007/08/25(土) 18:03:12ID:xELlJb/6>明光鎧は南北朝から唐朝にかけて流行したもの。
明光鎧より短甲の方が
胴体全体が一体化しているので
防御力は高いかも知れぬが
明光鎧も唐以降は余り見ないが
此れが廃れたのは
ブリガンダインの様な鎧や札鎧を多用する
北方蛮族進入の影響なのだろうか
0106某研究者
2007/08/25(土) 18:23:49ID:xELlJb/6短甲を装備してこの様な格好で
騎乗して居たのかだが
6世紀には短甲は廃れたと言う
事だろうか
0107某研究者
2007/08/25(土) 18:30:44ID:xELlJb/6>最近、韓国の池山洞(チサンドン)32号墳から日本製と考えられる鉄製よろい(横矧板鋲留式短甲)が出土して注目されています。
>5世紀後半には、日本の鉄製品を逆輸入するほどに鍛冶技術が向上したことを知ることができるのです。
朝鮮で出土する短甲と言うのも良く有るが
此れは基本的に日本製なのか
どうかだが
短甲を輸入していたと言う事は
札鎧より優秀と見て居たのか
どうかだが
0108人間七七四年
2007/08/25(土) 18:37:08ID:oLrUU3jt馬上での動きやすさを考慮して変化したと言われているけど
歩兵も挂甲にとってかわっているのは不思議といえば不思議
0109某研究者
2007/08/26(日) 12:09:16ID:e3H2ZjJEイラン等の兜にも面具と言うのは
有った訳だろうか
0110人間七七四年
2007/08/26(日) 14:22:13ID:SrXWevsF0111人間七七四年
2007/08/26(日) 18:02:23ID:ECtXpi9/ところで102〜107はナニモノなのだろうかなのだが。
0113人間七七四年
2007/08/26(日) 20:41:55ID:ECtXpi9/0114人間七七四年
2007/08/27(月) 11:33:22ID:HBRgAxsxこれでスレ住人を尊重して空気を読んでくれればなんだが、
それでは某研氏じゃなくなっちゃうのかも
0115人間七七四年
2007/08/30(木) 00:22:40ID:60ZUFojV一方的に言いたいこと言って満足してるだけ。
つまり、会話が全く成立しないコテ。
0116人間七七四年
2007/09/03(月) 02:01:14ID:omCdm6Gfよろい届きましたか?
0117人間七七四年
2007/09/03(月) 15:54:21ID:S9dzHsOB0118人間七七四年
2007/09/05(水) 20:51:28ID:oLENCFXL到着したらうpキボン!
0119人間七七四年
2007/09/05(水) 21:39:29ID:ZvUSF12aヤフオクで買おうと思っても
終了間際に一気に値が上がるし
0120人間七七四年
2007/09/14(金) 02:25:30ID:xlFE/rBt0121人間七七四年
2007/09/16(日) 15:21:14ID:k66boAsq0122人間七七四年
2007/09/17(月) 12:24:38ID:7gnZQqsIドラマで使ってるのは売ってないのかな?
0123人間七七四年
2007/09/17(月) 13:50:29ID:JrhCy9Exサイズ指定さえすれば、街の幟とか売ってる所で
つくってくれるんジャマイカ?竿は知らんけど。
あと、雑兵や足軽、下級武士が背負ってる背旗は
たぶん、お前さんが思ってるほど大きなものじゃ無いぞ。
0124人間七七四年
2007/09/20(木) 20:56:54ID:yopb+sxW小学生の頃から惚れてたわ
0125人間七七四年
2007/09/20(木) 21:26:40ID:ug+zUGCn仏胴のペロンとした曲線は実に美しい。
0126人間七七四年
2007/09/21(金) 02:27:10ID:9YSXMwKg小札を綴り皮札を混ぜるのは軽量化と動きやすさを向上はさせたが、
挂甲→大鎧→胴丸・腹巻と続くラメラーアーマーの系譜は
工程の煩雑化と防御力の低下を招いたと思うんだけど・・・
防御力より機動力を重視していたんだろうな
0127人間七七四年
2007/09/21(金) 04:14:59ID:9YSXMwKgちなみにヨーロッパでは、鎧を黒く塗るのは
磨き上げる余裕もない浪人騎士のすることと思われていたそう
日本は湿度が高いからそれどころじゃーないのかもしれないが
0128人間七七四年
2007/09/21(金) 19:54:33ID:3lIPWEr7なーんか技術の分断があったぽいよなー。
なんらかの理由で鎧製造技術者が皆殺しにされたんじゃあるまいか
0129人間七七四年
2007/09/24(月) 16:02:15ID:NyZcJJP70132人間七七四年
2007/09/26(水) 19:00:29ID:l3a7Exf50133人間七七四年
2007/10/04(木) 10:06:23ID:tp0BrSfK>>131
エドワード王子が黒い鎧を着ていたのと言うのは伝説で、それを裏付ける証拠は何一つ無い。
黒太子と言う名前も彼の死後かなり経ってからつけられた物。
0134人間七七四年
2007/10/04(木) 23:22:37ID:Q0/SDeKw0135人間七七四年
2007/10/05(金) 00:23:58ID:xUjYPE2E是非、黒鎧であって欲しい。
0137人間七七四年
2007/10/05(金) 14:20:50ID:WPGWMk+9ttp://www.city.kobe.jp/cityoffice/57/museum/meihin/elements/041-4.jpg
0139人間七七四年
2007/10/05(金) 16:40:08ID:BfBN68cm0140人間七七四年
2007/10/06(土) 13:08:10ID:u479+1HPttp://ambitious.lib.hokudai.ac.jp/hoppodb/photo/image/l/0B027560000000001.jpg
ttp://ambitious.lib.hokudai.ac.jp/hoppodb/photo/image/l/0B027560000000002.jpg
0141人間七七四年
2007/10/08(月) 12:40:36ID:ett2ADeE■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています