当世具足★★★鎧について語ろう★★★大鎧
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0001人間七七四年
2007/06/08(金) 17:33:55ID:P1ntm8y4鎧かっこよすぎ。
種類とかいろいろ教えてくれ。
0010ザビエル(゜ゝ゜)つ†
2007/06/08(金) 22:41:42ID:9Q6vDVH3南蛮具足は鉄砲に対して、従来の鎧にくらべて、高い防御性を持っていたそうです。
ですが、南蛮人の体型に合わせて作られたものをベースにした大きく、重い鎧なので、日本人は使う人を選びました。
一般兵にまでは回らなかったようですね。
0011人間七七四年
2007/06/08(金) 23:44:07ID:WWFJsbLuブリキのオモチャみたいな鎧兜が展示してあったのでしげしげ見てると
そこのジー様館長が
「君ら若い人達は昔の人がテレビや映画で見た大鎧みたいな豪華で重たい
鎧兜を着て戦ったと思ってるようじゃが、本当に戦う時には軽いこんな鎧兜
を着ていたんじゃ〜」と長々と話してくれた
ま〜足軽でもお貸し道具なんかがあるからよ〜わからんけど
0012人間七七四年
2007/06/09(土) 05:17:55ID:uOon+ZyMこれは徳川家康が、この当世具足(南蛮胴)が本当に防弾効果があるのか否かを試す為、実際に家康自身が着用する前に火繩銃で試し撃ちをして安全性を確認した痕跡で、実戦で着いた弾痕ではないとか
その他には、火繩銃が出回り始めた戦国時代に於いて、胸筋(ご丁寧に乳首付きw)や腹筋を模して、遠くからでは一見まともに鎧(胴丸)を着けていない様に見えてしまう『仁王胴』が出てきたとか
(※ソースは某局のテレビ番組の『世界不思議発見』より)
0013人間七七四年
2007/06/09(土) 06:06:51ID:IEdloWqq0014仙台藩百姓
2007/06/09(土) 07:52:33ID:3hnLZ469つまり家康はデブだったから
でかい南蛮胴がぴったりだったと言う事かお( ^ω^)
0015人間七七四年
2007/06/09(土) 08:08:28ID:TjezfxVI日光東照宮所蔵品
紀州東照宮所蔵品(弾痕アリ)
榊原康政拝領品
渡辺守綱拝領品
後、加藤嘉明が拝領した南蛮兜
>>14
筋肉質という但し書きは必須だね
0016人間七七四年
2007/06/09(土) 09:24:13ID:JzKzDfH+日本人の体格に合わせるために国内生産された和製南蛮胴はたくさんある。
0017仙台藩百姓
2007/06/09(土) 10:15:09ID:3hnLZ469ていうか晩年の家康の鎧は全部横長なんだおうね
( ^ω^ )
普通の人なら二人入れそうだお( ^ω^)(^ω^ )
0018人間七七四年
2007/06/09(土) 10:37:04ID:TjezfxVIさぞかし立派な体格だったのでしょうな
渡辺守綱の拝領した南蛮胴を着た甲冑絵をみると、全然痩せた体格に合っていないんだよねこれが
0019人間七七四年
2007/06/09(土) 10:56:10ID:4him/Ezw足も鉄靴で装甲していたり。
0020人間七七四年
2007/06/09(土) 22:39:52ID:4him/Ezw胴丸とか腹巻より防御力が高そうだ・・・
ttp://image.space.rakuten.co.jp/lg01/75/0000141975/21/imgd9727275ghpo4s.jpeg
0021人間七七四年
2007/06/10(日) 01:30:59ID:yb1k7pN+江戸時代の初期に
火薬の装量を減らした火縄銃で撃ってわざと弾痕を付けて
鎧の強度を誇るのが流行った。
これを「様具足(ためしぐそく)」と言う。
博物館とかに何の説明も無く弾痕付きの鎧が展示してあって
実戦によるものかと誤解されるが、ほとんどはわざと付けた弾痕。
0022人間七七四年
2007/06/10(日) 02:22:15ID:Wc/b4tbb0023人間七七四年
2007/06/10(日) 03:03:16ID:LwZxmokZ0024人間七七四年
2007/06/10(日) 10:54:26ID:5Pe+MT7lベコーンと凹んでた。ありゃ兜なきゃ即死だな。
0025人間七七四年
2007/06/13(水) 20:30:20ID:pm+BWj/q刀や槍くらいではびくともしなかったんだろか?
0026ザビエル(゜ゝ゜)つ†
2007/06/13(水) 20:53:46ID:zTT7aAQJ0027人間七七四年
2007/06/14(木) 01:13:55ID:8hsJf/JF500万ぐらいでいいのが買えるよね?
0028ザビエル(゜ゝ゜)つ†
2007/06/14(木) 01:21:50ID:88T0OsOuよりどりみどりhttp://store.yahoo.co.jp/yoroi/c9f0beadb3bba5b7a5eaa1bca5ba.html
0029人間七七四年
2007/06/14(木) 03:17:53ID:LOseepHc見てて思ったが、威しの糸をふんだんに使ってる具足は値が張る気がする
仏胴や桶側胴みたいにシンプルなのは比較的安いっぽいし
これすごいね
http://www.yoroi.co.jp/topics/2006/nannbann/nannbann.html
0030ザビエル(゜ゝ゜)つ†
2007/06/15(金) 01:45:34ID:ct4x/uBa0031人間七七四年
2007/06/16(土) 01:45:38ID:WQo1Gv1m0033人間七七四年
2007/06/16(土) 13:01:39ID:tF9Mw9ev0034人間七七四年
2007/06/17(日) 01:31:13ID:OiKNLusb0035人間七七四年
2007/06/17(日) 10:14:57ID:xKbhPJPN0036人間七七四年
2007/06/18(月) 03:18:31ID:VJDUoNsuhttp://www.yoroi.co.jp/topics/ujisato/ujisato.html
0037人間七七四年
2007/06/19(火) 22:54:48ID:hR66hvdi鉄の表面に銀箔を押したものはあるね。
遺物を見るとくすんでて地味だけど、
新品のころはギンギラギンだっただろう。
0038人間七七四年
2007/06/20(水) 00:17:41ID:xvlULFqD錆び止めに漆を塗らない金物は刃物くらいでしょ。
0039人間七七四年
2007/06/20(水) 22:22:55ID:uKbA9HHg仏壇を見れば判ると思うが、漆+金箔は非常に好まれたけど
漆+銀箔の仏壇って無いでしょ。
0040人間七七四年
2007/06/20(水) 22:23:26ID:eSubgjtzttp://tabiudo.net/tenaka.html
0041人間七七四年
2007/06/20(水) 23:02:36ID:WPkz1xsj銀箔押しの兜や立物なんていっぱいあるよ。
0042人間七七四年
2007/06/20(水) 23:04:20ID:xvlULFqD0.6mmだっけ?実際の胴は3mmくらいあったそうで、
本物の重量感を味わうにはどこの甲冑がいいんだろ?
0045人間七七四年
2007/06/24(日) 18:40:47ID:1WDVy1ad0046人間七七四年
2007/06/24(日) 23:32:23ID:pM/VcWxe0048人間七七四年
2007/06/25(月) 22:20:44ID:BOzxWnHi室町時代末期〜安土桃山時代(戦国時代末期)
に出現した鎧の形式を総称して「当世具足」と言う。
0049人間七七四年
2007/07/06(金) 22:22:59ID:a3XtfEQ5古墳時代にも面鎧があったというのは本当なのかな。
0050人間七七四年
2007/07/07(土) 00:20:56ID:NuE9seUC源氏八領とか武田家の「盾無」とか
俵藤太の「平石(避来矢)」は兜だけ残ってると聞いてますが。
戦国武将の愛刀なんかは調べやすいんだけどな…
0051人間七七四年
2007/07/07(土) 07:27:50ID:2MlNFHNMよく兜鉢や胴の裏に銘が刻んでるのを見ますけど、銘を刻むのが普通だったかは自分にはわからないです。
「義道」とだけ刻んであるのもあれば、「○○国住明珍○○作之」と刻んであるものも。
篭手に銘があるものもありますね。
0052人間七七四年
2007/07/07(土) 22:17:30ID:eUlgOr7L鎧は札や威絲など細かい部品を組み立てて作るため、
最終的に組み立てた総合甲冑師の銘というのは通常入りにくい。
が、札や兜鉢など金属部分を担当する部品製作の職人や
全部自前で制作する派は銘を入れる事が出来た。
明珍派は元々鍛冶職人で部品製作の家だったため、
部品から自前で作った明珍の銘は残り易く、
組み立てを主にやっていた岩井派などは銘が残りにくかった。
江戸時代には実用品というより工芸品になったため
銘を入れる事が多くなった。
というような話を読んだ事がある。
0053人間七七四年
2007/07/08(日) 21:36:39ID:MSYdcA4V弓を引きやすくするためそうしていたと聞いた。
中には指が分かれておらず手全体を覆う鎖手袋や、指先まで鉄片をつけているものもあるけど。
0054人間七七四年
2007/07/08(日) 23:20:30ID:IfKXREfA総面は室町時代初期くらいに出現したらしい。
面具の一番古い記録が平安時代の末期らしく、
古墳時代にはなかったと考えるのが妥当では
0055人間七七四年
2007/07/09(月) 16:18:34ID:dt30Mn0O0056人間七七四年
2007/07/10(火) 00:47:45ID:3yAbInPnなるほど、太平記のころなのか・・・
打物戦が多かったからなのかな。
>>55
現存しているのは平安時代前期のものと言われる沢潟威鎧。すでに大まかな大鎧の形式を備えている。
十世紀半ば、937年の平将門の乱の頃には大体出来ていたみたい。
大鎧の簡略版として胴丸も近い時期に発生したそうだ。
0057人間七七四年
2007/07/10(火) 18:06:56ID:ubwxeec50058人間七七四年
2007/07/10(火) 23:40:37ID:AQAckw4H0059人間七七四年
2007/07/11(水) 00:49:47ID:bJVmBMvW0060人間七七四年
2007/07/11(水) 04:52:15ID:Mxcarr4f0061人間七七四年
2007/07/13(金) 02:26:50ID:gQlWi72a0062人間七七四年
2007/07/13(金) 07:15:19ID:xUIosehOインドかどっかにあった気もする
0063人間七七四年
2007/07/13(金) 12:19:22ID:gQlWi72a中国のはかろうじて三国志のゲームやらなんやらで見るけど、あれはデザイン自体がフィクションだからなぁ。
あんまり暑い国だと甲冑よりむしろ裸に近いイメージがあるし。
裸で戦ってて、顔だけ面頬で守る発想になるのかな?
やっぱり知り得る限り日本の甲冑が一番カッコイイな。
0064人間七七四年
2007/07/14(土) 21:20:43ID:Jpw4CL2mワンルームマンションじゃ置く場所ないんだな
0065人間七七四年
2007/07/14(土) 21:28:11ID:bozFkjtJ0066人間七七四年
2007/07/15(日) 02:16:45ID:3kOpWZX70067人間七七四年
2007/07/15(日) 21:59:51ID:YBYAdzKr0068人間七七四年
2007/07/16(月) 00:50:44ID:nqgWNbUf昔の侍は甲冑着てウォーキングして体鍛えてたみたいだし
0070人間七七四年
2007/07/16(月) 12:10:46ID:RbMjtq2I0071人間七七四年
2007/07/16(月) 17:18:10ID:okha3RHt「あ、ヨロイの人だ!」
「これ!見ちゃいけません!!」
0072人間七七四年
2007/07/17(火) 08:53:19ID:TVKvPPLb0073人間七七四年
2007/07/17(火) 13:24:09ID:jxlmmSAR0074人間七七四年
2007/07/19(木) 01:14:08ID:gXOIEcx50075人間七七四年
2007/07/19(木) 11:17:33ID:4fvOOnKZちょっと硬い素材の衣服だってだけじゃん。
0076人間七七四年
2007/07/19(木) 21:58:15ID:9RKXV57Y0077人間七七四年
2007/07/20(金) 16:01:38ID:9HdVcJWM0078人間七七四年
2007/07/23(月) 01:00:53ID:E2NFib6k0079人間七七四年
2007/07/24(火) 10:15:11ID:qrXiaSao0080人間七七四年
2007/07/25(水) 07:51:04ID:u05rC4h0大鎧は重量があまりにあるため、革と鉄の小札を組み合わせて綴ったものが多いが、木を使うこともある
南北朝時代以降総鉄製の鎧があらわれだし、戦国時代以降の当世具足は装飾部以外鉄製のものが大半
歩卒が身に付ける胴丸なども革製が多かったが、鉄砲の普及により鉄のものにとってかわった
足軽の陣笠は和紙を塗り固めたものでかなり丈夫だそうだ
0081人間七七四年
2007/07/25(水) 10:25:04ID:09Q/0S7X0083名無しさん@そうだ選挙に行こう
2007/07/29(日) 01:23:19ID:RqPpMZiY0085人間七七四年
2007/08/09(木) 06:48:51ID:M0t6+wET0086人間七七四年
2007/08/09(木) 08:11:16ID:HrMAZbPE0087人間七七四年
2007/08/09(木) 22:57:17ID:QEcf4aqa0088人間七七四年
2007/08/10(金) 21:28:40ID:godI1Edw0089人間七七四年
2007/08/16(木) 05:58:42ID:HO5LeDvD0090人間七七四年
2007/08/17(金) 05:27:15ID:D2DFzUpY0091人間七七四年
2007/08/20(月) 21:42:41ID:ugC4PE7J0092人間七七四年
2007/08/20(月) 22:05:27ID:x+2d7BLA本物の重量感が欲しいんだよな〜。
0093人間七七四年
2007/08/20(月) 22:28:43ID:ugC4PE7J丸武から鎧送られてきたら厚さはかってるべ
0095人間七七四年
2007/08/20(月) 23:50:02ID:ugC4PE7J質が良かったらもっと
高額のも買おうかと思ふ。
0096砂岩か耳ね ◆oWrjcNwAas
2007/08/21(火) 00:05:29ID:XDPQl5fR「質が良い」というのは、やはり防具として堅牢であること!
良ければ刃物で切りつけたり、鉛玉を打ち込んだりしてみて。
0097人間七七四年
2007/08/21(火) 00:11:08ID:PzMFYa5m0098人間七七四年
2007/08/21(火) 20:07:33ID:nrNPqhau0099人間七七四年
2007/08/23(木) 23:02:06ID:DPH/FfAL0100人間七七四年
2007/08/24(金) 22:49:47ID:5jHHCz5o正直防御力が高すぎてなかなか死にそうにない感じ。
0101人間七七四年
2007/08/25(土) 04:27:44ID:eQu9mqHy0102某研究者
2007/08/25(土) 17:50:47ID:xELlJb/6短甲が廃れたのは不可解だが
皮の札鎧の数を供給する事を優先したのかだが
精鋭部隊は鉄の短甲や明光鎧の様な物を着た方が
良かったと言う事は無いのかだが
0103某研究者
2007/08/25(土) 17:54:18ID:xELlJb/6ミトン式に近い篭手も
一応有るが
組み討ちには不向きかも知れぬし
此れは完全に指先を覆えるのかどうかだが
此れは江戸時代の物では無いのかだが
0104某研究者
2007/08/25(土) 17:59:48ID:xELlJb/6正直防御力が高すぎてなかなか死にそうにない感じ。
プレートアーマーでは無い札鎧だから
上から殴れば
可也衝撃を受ける訳だろうか
0105某研究者
2007/08/25(土) 18:03:12ID:xELlJb/6>明光鎧は南北朝から唐朝にかけて流行したもの。
明光鎧より短甲の方が
胴体全体が一体化しているので
防御力は高いかも知れぬが
明光鎧も唐以降は余り見ないが
此れが廃れたのは
ブリガンダインの様な鎧や札鎧を多用する
北方蛮族進入の影響なのだろうか
0106某研究者
2007/08/25(土) 18:23:49ID:xELlJb/6短甲を装備してこの様な格好で
騎乗して居たのかだが
6世紀には短甲は廃れたと言う
事だろうか
0107某研究者
2007/08/25(土) 18:30:44ID:xELlJb/6>最近、韓国の池山洞(チサンドン)32号墳から日本製と考えられる鉄製よろい(横矧板鋲留式短甲)が出土して注目されています。
>5世紀後半には、日本の鉄製品を逆輸入するほどに鍛冶技術が向上したことを知ることができるのです。
朝鮮で出土する短甲と言うのも良く有るが
此れは基本的に日本製なのか
どうかだが
短甲を輸入していたと言う事は
札鎧より優秀と見て居たのか
どうかだが
0108人間七七四年
2007/08/25(土) 18:37:08ID:oLrUU3jt馬上での動きやすさを考慮して変化したと言われているけど
歩兵も挂甲にとってかわっているのは不思議といえば不思議
0109某研究者
2007/08/26(日) 12:09:16ID:e3H2ZjJEイラン等の兜にも面具と言うのは
有った訳だろうか
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