トップページsengoku
981コメント364KB

戦国時代の食事4膳目

■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
0001人間七七四年2007/05/15(火) 16:51:22ID:gSxi7CsM
戦国時代の食事3膳目
http://hobby9.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1167143245/
戦国時代の食事・2
http://hobby8.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1163347244
戦国時代の食事
http://hobby8.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1150323475

関連(?)スレ
日本の権力者の食事
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/history/1127185950/
食物と酒、嗜好品の歴史 23皿目@世界史板
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/whis/1173628312/
0567人間七七四年2008/08/22(金) 07:17:36ID:evul0PNH
>>566
どだろね
いわゆる「一面に広がる水田」ってな場所は基本的に「いい場所」だから、
そういうところでは米メインに作付、山間部や山際、隘路部等条件が悪い所では
大麦や雑穀中心に作付してたんだと思ってたけんど
0568人間七七四年2008/08/22(金) 10:35:10ID:aJ1pl6CA
>>567
逆だろ。

水田の開発は、山際から始まった。
山から流れ出るわずかな水を灌漑用の池に貯めて、低地へと水田を広げていった。
それ以外は、手頃な小川の近くとか、湿地帯とかが水田に利用されていた。


現代の日本人が、水田が広がっているとイメージするような大きな川(一級河川・二級河川でも大きな川)の
近くは十分な高さの堤防を築けず、大雨が降るとすぐに流されてしまうので水田には利用されにくかった。
また、ちょっと標高が高い場所は、近くに湧き水でも湧いていない限り、ほとんど畑として利用されていた。
また、中世の荘園(相模)の古文書を調べた結果では、耕地のほぼ半分が畑だった。

結局、大きな河川の周辺部の平野とかちょっと標高の高い土地がが水田として利用されるようになったのは、
江戸時代以降の堤防や水路の建設の結果だ。
0569人間七七四年2008/08/22(金) 10:51:05ID:r/BHPQOe
そんだなぁ
50人くらいデブを集めればいいだ
0570人間七七四年2008/08/22(金) 10:58:38ID:evul0PNH
>>568
なるへ、じゃあ稲も麦も同じ所か・・・
0571人間七七四年2008/08/22(金) 12:08:23ID:vStky/Df
魚沼ぷろじぇくとX ...w

>厳しい寒さと水はけの悪い土地。
>なかでも山あいの魚沼地方では農民自身が食べるコメを
>確保することすら困難であった。

>平野部の水田は、入れば腰まで沈む湿田で、
>山に囲まれた魚沼地方は、新潟のなかでも飛び抜けて貧しかった。
>土地は見るからにやせていて、よほど腰を据えた土地改良を
>施さないと、まともな収穫は期待できそうになかった。
http://www.papy.co.jp/act/books/1-15378/
0572人間七七四年2008/08/22(金) 12:54:00ID:vStky/Df
>>563訂正
小農のうち、三反以下が約8割。
現在は三反で8〜12俵(480〜720kg)
江戸期三反3〜4俵(180〜240kg)
五割納税で90〜120kgが手元に。

江戸期の平均米消費量が一人あたり175kg
家族構成の平均が約5人(祖父母、父、母、子)
豊作で120kg手元に残っても
一人あたり約24kgの米で一年間。

ここから、さらに農耕具・衣服・諸々金子に換える必要もある。
0573人間七七四年2008/08/22(金) 23:17:51ID:JkUCwiJt
見沼代用水も吉宗以降の話だしな。
それまでは三成がすっころんだ沼地だな。
05745682008/08/22(金) 23:18:58ID:aJ1pl6CA
越後なんかは、戦国時代の石高は、30万石の後半。
江戸時代の新田開発で、100万石になり、戦後の食糧難の時代に
湿地帯を大規模に干拓してさらに米の生産量を増やした。
0575人間七七四年2008/08/22(金) 23:24:06ID:O656db92
春から秋は水田で稲作、収穫後水を抜いて秋から春に小麦育てる、
ってのは子供の頃よく見た気がするけど(30年くらい前)、
最近はやってないのかなあ。
05765682008/08/22(金) 23:39:39ID:aJ1pl6CA
当然やっていたと思うよ。
あと畑では、雑穀も栽培していた。
0577人間七七四年2008/08/23(土) 00:08:02ID:vZTMOCqM
近所のスーパーで手に入る食材で献立をつくることはできるかな
インスタントも可
0578人間七七四年2008/08/23(土) 11:00:51ID:cBN4may8
全国統一後、太閤検地が行われ
有力農民の加地子得分権の没収、
作徳分は農民に、残りは全て領主に納めるようになり
小農民の自立が進む。

>>562
>慶長12年の農民層
>5石以下小農15.2% 5〜20石中農72.7%
>明治4年には
>小農66.9% 中農24.3%

これらと
http://www2.ttcn.ne.jp/honkawa/images/1150.gif
この人口推移をみると
関ヶ原の1200万人から江戸末期の3000万人という人口激増。
米の取れる量は増えたが、人口もそれ以上に増え、
さらに自立による小農の割合が増えたことで

戦国時代の農民の方が江戸時代の農民よりも
収穫量は少ないが食事的には豊かだった、
という見方もできるのかな?

戦国時代の自立できない貧農の割合はどうなんだろう?
0579人間七七四年2008/08/23(土) 22:00:29ID:zHYIzmiI
江戸時代中期の記録には、下級武士でも、月に2,3回は豚や牛の料理を食っていたようだ。
現代で考える以上に、明治以前でも肉食は一般的だった模様。
0580人間七七四年2008/09/05(金) 15:27:02ID:ecbeUZF/
肉食の件ちょっと信じられぬ。
0581人間七七四年2008/09/05(金) 15:31:56ID:WNzSzu0A
江戸時代の料理された形跡のある犬の骨とか結構出土してるらしいよ
0582人間七七四年2008/09/05(金) 16:18:38ID:RnYqIGNC
>>580
常食していたかどうかは微妙だが、
食っていたのは間違いない。
0583人間七七四年2008/09/05(金) 16:36:55ID:pkMeJIpz
江戸を楽しむ―三田村鳶魚の世界という本の「江戸の食生活史」に肉食のことが記されていました。

そこでは、江戸考古学の成果として、新宿区三栄町遺跡で、いのしし、しか、きつね、かわうその骨が
大量に出土していることがまず紹介されています。これは食用にされたものだそうです。
昨日は天然記念物カモシカが出てきましたが、今度は日本で絶滅が危惧されているかわうそです。
江戸時代の人が実にいろんな肉を食べていたことが分かります。

次に、寺門静軒の『江戸繁昌記』のなかに、「山鯨のこと」として肉食のことが記されていることが紹介されています。

肉はねぎがよく調和する。一人の客にひとつのなべを用意して、火鉢を連ねて配置してある。
上戸は酒を飲み、下戸はそれでご飯を食べる。なべの値段は小が50文、中が100文、大が200文。
近年は肉の値段があがり、うなぎと匹敵する。

獣の種類は、いのしし、しか、きつね、かわうそ、おおかみ、くま、かもしかなどがあって、店頭に積み重なっていた。

『江戸繁昌記』は、このように江戸にあった肉食の専門店について細かな描写がなされています。
ただし、肉はそう高価ではなく、どちらかといえば下層の素行の良くない者の食事と想定できるそうです。
ttp://d.hatena.ne.jp/rekisinojyubako/20051230
0584人間七七四年2008/09/05(金) 16:48:10ID:CsQ5r9mn
基本的に>>582に同意なんだけど、
江戸時代の食事事情と、戦国時代のソレは別物な気がするんだ……

一七世紀初頭、日本の山は伐採されまくって禿げ山になり、大洪水が起こってた。
そこで寛永六年(1666)幕府が「諸国山川掟」をだして治山政策を始めた。
この結果、日本の山の産物はすべて幕府の管理下になり、付随して野生肉も勝手にとれなくなったのね。
で、その代替に”鶏”の飼育消費が全国に広まったのよ。牛馬もその流れに沿って消費し始められたのだと思う。

だから、江戸時代である事が戦国時代でも同様だった、かは言いにくいと思う。
0585人間七七四年2008/09/05(金) 17:06:37ID:+4ovTxG/
昨日、たわけの語源は田分け。

田んぼを子ども達に分けたために小さくなり
結果貧乏に、ってのをTVでみていて

>562


>慶長12年の農民層
>5石以下小農15.2% 5〜20石中農72.7%
>明治4年には
>小農66.9% 中農24.3%

を思い出したw
0586人間七七四年2008/09/05(金) 17:29:17ID:RnYqIGNC
>>584
>551
宣教師の証言では不足でしょうか?
0587人間七七四年2008/09/05(金) 17:50:28ID:CsQ5r9mn
>>586
…>551はおいら書いたの……

いや、江戸時代の事例では戦国時代の事を論じられないような気がする、って感想です。
0588人間七七四年2008/09/05(金) 20:38:16ID:pkMeJIpz
日本人が一番肉を食わなかったのは、むしろ室町時代だったらしいね。
0589人間七七四年2008/09/06(土) 00:05:44ID:sT/G47pj
戦国時代の握り飯には海苔は巻いてあったんだろうか。
中身には梅干しや塩鮭とか入っていたんだろうか。
ツナマヨはなかったことだけは分かる。
くだらないことだが前々から気になっていたんだ。
0590人間七七四年2008/09/06(土) 04:58:15ID:n3NQWsZR
>>589
当時(室町時代)の”おにぎり”は、兵や畑仕事の携帯食の他に、招待客に出された記録が残ってます。
でも現在のコンビニで売ってるおにぎりとはちょっと違うかも。

昔話「おむすびころりん」などにでてきますが、形は丸く(楕円で一合半くらいの大きく)握るのが一般的でした。
白飯の記述もありますが、混ぜご飯を使ったものも多かったよう。
おあむ物語の中では菜飯をおにぎりにしてるし、和歌山の郷土料理めはり寿司は昔のおにぎりの生き残りだと思います。
また徳川家康が味噌をつけた焼きおにぎりを食べた話があるので”焼きおにぎり”も昔からあった形かと。

で、板海苔が出来たのは江戸時代元禄の頃、それ以前の海苔は佃煮。
だからおにぎりに海苔は巻いて無かったはずです。

ただ難題は、”おにぎりの具”をいつから入れ始めたか、はよくわからないのですよ。
室町時代には”まぶす”もしくは混ぜご飯を使っているので、具を入れる必要がなかったようです。
個人的には白飯おにぎりが一般的になった江戸明治時代以降じゃないかとは思うのですが……

中国福建省にある「草包飯」は具として肉を入れますし、具を入れる習慣は中国から伝わったものかもしれません。
それなら戦国時代に行われていた可能性は十分にあります。
0591人間七七四年2008/09/07(日) 06:00:44ID:su7QFa4Z
>>590
ほー、混ぜご飯の握り飯が既にあったんか。
思ってたよりも美味そうなもん食ってたんだな。
海苔の佃煮はあったが板海苔はなかった等、知らんことばかりだ。
握り飯の具を入れたかどうかは分からんのですね。
いや、詳しくありがとう。
0592人間七七四年2008/09/07(日) 18:51:23ID:dflrH4XY
少なくとも我輩は猫であるでは梅干し入りのおにぎりの話が出てくるな。
0593人間七七四年2008/09/07(日) 20:48:07ID:BT+LsTAa
>>592
西郷隆盛が、弁当はでっかいお握りと漬物だけだったとか云々
0594人間七七四年2008/09/23(火) 19:04:21ID:liRfUKXK
混ぜご飯と云うのも、現代人の感覚とはちょっと違うんだろうな。
その方がおいしいとかいうより米の節約とかかさ増しのためという
意味合いが、強かったんだろう。
0595人間七七四年2008/09/23(火) 20:05:28ID:70BpwSDy
美味しんぼでカテ飯なんてのがあったな。味巡りの高知だったか。
0596人間七七四年2008/09/23(火) 22:16:47ID:A0jHFiMU
梅干の紫蘇を混ぜ込むのは今でもあるけど、多少の防腐効果も見込めて便利そう。
今でもできるんじゃないかな?
0597人間七七四年2008/09/23(火) 22:17:29ID:A0jHFiMU
ごめん。今でも→当時でも
0598人間七七四年2008/09/24(水) 09:55:27ID:yktbUPQK
>>595
宮城だったと思う。
0599人間七七四年2008/09/24(水) 16:15:56ID:WMcx9BM6
戦国時代じゃ大抵のところで、出陣の時に振舞われると言う、炊き込みご飯の話が伝わってるな。
魚とか肉とか野菜とか各家によって色々。
0600人間七七四年2008/09/24(水) 19:02:21ID:5Z19maEA
教えて欲しいのう
0601人間七七四年2008/09/25(木) 00:28:09ID:bG4v7grP
>>599
どんなのがある?
0602人間七七四年2008/09/25(木) 11:32:06ID:sVjCEimA
出陣前の御馳走というと、上杉謙信の“お立ち飯”が有名だけど、
これは、豪勢なおかず+白飯(おかわり自由)、だから、>599とはちょと違うな……
0603人間七七四年2008/09/25(木) 18:45:33ID:p21IMNAW
北条に、魚やら野菜やら混ぜた飯があった気がする。
0604どんぐりころころ2008/10/07(火) 22:54:22ID:/PuMIwwT
どんぐりの偉大さが最近脚光を浴びるようになってきました。

ドングリと文明 偉大な木が創った1万5000年の人類史 ウィリアム・ブライアント・ローガン

これまで、人類史最大の謎のひとつは、「狩猟採集文化」から「農耕文明」にどうやって
進化したのか、ということでした。10数万年前、アフリカで誕生した現生人類は、数万年
前にアフリカを出たのち、氷河期のあいだに、ヨーロッパ、アジア、オセアニア、そして南北
アメリカ大陸へと進出します。そのとき人類は、まさに「マンモスを狩る」狩人でした。ところ
が、氷河期が終わった1万5000年前から1万年前にかけて、人類は世界各地で突然、定住
生活をはじめ、そして農業を発明します。狩猟をやめ、定住し、農業をはじめたのはなにが
きっかけだったのか?

本書は、そんな人類のミッシングリンクをみごとに埋めてくれます。狩猟生活と、農耕生活
のあいだにあったもの。それは、それは、北半球の温帯に広く分布する木。OAK(オーク)。
カシあるいはナラ。すなわちドングリの木、だったのです。氷河期の末期から、人類はドン
グリ林に定住し、ドングリの実を蓄え、栄養たっぷりで保存の効くドングリを食料とし、これ
を蓄え、あるいはパンを焼き、一方こちらを飼料として豚などの家畜を育て、ドングリの木を
素材に家をつくり、柵をつくり、船をつくり、橋をつくり、大聖堂をつくり、武器をつくり、現在の
人類の定住生活の礎としたのです。

本書によれば、ドングリの木をベースにした文明は、日本やアジア独自どころか、ヨーロッパ、
中近東、アフリカ北部、アジア、北米の温帯すべてに普遍的に存在する、まさに狩猟文化
と農耕文明のあいだをつなぐ、きわめてメジャーな文明システムだったのです。狩猟文化
で獲物をとりつくした人類は、ドングリ林が無償で供給してくれる栄養価の高いドングリの
実と、さまざまな加工ができるドングリの木(オーク材)に頼り、世界各地で定住生活を始め
ました。この定住生活の仕組みから、作物を人工的に育てる農業が次に発達したのだ、と
いうのです。
0605どんぐり2008/10/07(火) 22:55:17ID:/PuMIwwT
偉大などんぐり文明は世界中に存在したようです。
東北だけじゃあないんです。
0606千葉御寮人 ◆/f5P9yVF6Y 2008/10/08(水) 00:10:03ID:Oi+u9blY
>>604
カシ類は、いわゆるOak(オーク)じゃないよ。どんぐりではあるけど。
0607人間七七四年2008/10/08(水) 03:03:00ID:ujOy2eFt
ぜんぜん戦国時代じゃないし、どんぐり系は放置してあげて……


昔受けたネタを今でもいけると思ってる売れなくなった芸人さんのことは、そっと……
0608人間七七四年2008/10/08(水) 19:17:03ID:l8iM3sul
どんぐりなんぞでも、大学で研究するものでしょうか?
0609人間七七四年2008/10/11(土) 03:33:48ID:37JHzw/n
昭和天皇が何の専門家か調べてみろ
世の中にはどんなマイナーなジャンルでもすげえマニアックなやつがいる事がわかるから

それを考慮すれば、どんぐりみたいなポピュラーな題材なら掃いて捨てる程いることぐらい容易に想像出来るだろ
0610人間七七四年2008/10/11(土) 10:34:40ID:tsUjnAuZ
坊っちゃんの寒月君がドングリのスタビリチーがどうのこうのって
0611人間七七四年2008/10/11(土) 16:00:41ID:+tmKid7e
アメフラシかウミウシが御専門でしたかな?
活きた研究対象を料理番に頼んで調理させたが一切れ口に運んで
「これは食べるもんじゃないねえ」と仰せになったとか。
運ばれてきた皿の上の軟体動物にナイフを入れた途端、青い液体が流れ出るのをご覧になって後悔されたが自分から調理を頼んだ手前、口付けない訳にはいかなかった。と後に述懐されたのをどこかで読みましたw
0612人間七七四年2008/10/12(日) 21:45:07ID:kHyVA+PC
戦国時代に「鮭」って刺身で食べられてたんでしょうか?
戦国ちょっと良い(悪い)話スレで話題なんですが…
詳しい方が居ますか?
0613人間七七四年2008/10/12(日) 21:55:12ID:Of4bCR+f
昔は大トロ捨ててたとか・・・バチあたるぞ・・
0614人間七七四年2008/10/12(日) 21:57:08ID:XqREZkHH
大トロ捨ててたってのはみたな。あんな美味い物を…。
まぁ大量には食べようとは思わないもんだけど。
0615人間七七四年2008/10/12(日) 22:00:07ID:3uy/jsBP
腐りやすいんだよ>大トロ
0616人間七七四年2008/10/12(日) 23:07:08ID:4DPufV73
>>611
陛下、林○和という人物がおります。
0617人間七七四年2008/10/13(月) 05:01:17ID:P9eiV9RO
>>612
室町時代の料理書「四条流庖丁書」のなかでは”刺身”というのは、
魚だけでなくクラゲ山鳥など、”生ものを薄く切って盛りつけ調味料につけて食べる”調理法になっています。
まぁ戦国時代には、庶民にも”刺身”という調理法が広まっていたと思われます。

さて”鮭の刺身”についてですが、そのものの記述は残念ながら無いと思います。
当時の料理の本場は京都、鯉鮎鮒などが主流だったためです。

ですが当時でも”新鮮な生魚”があれば、それで刺身を作ったことは間違いないでしょう。
現在では寄生虫の問題があって刺身にしない魚も、当時は普通に刺身や膾で食べられていました。

また鮭自体の流通形態も多くは塩漬けでしたが、
大阪の役で 包囲されている大阪城に生鮭がたくさんあった(官本当代記)
なんて話もあるので、生での流通もあったようです。

このように大都会にまで生鮭があるのですから、鮭の刺身、は十分あり得ることだと思います。
ただ、当時の記録に残る刺身膾の多くは白身魚で、鮭はこの部類ではありません。
ですから、本当に庶民の食べ方だったのかもしれませんね。
0618人間七七四年2008/10/13(月) 09:05:29ID:/Qx/yw7C
>>617
詳しくご説明いただき、ありがとうございました。
大変参考になりました。
0619人間七七四年2008/10/13(月) 10:26:29ID:ybHiNtSr
さいとうたかをの武田信玄で太原雪斎が
「肴は鮭のなますを所望いたす!」と言ってたな。
0620人間七七四年2008/10/13(月) 22:50:45ID:gM4pFkXK
「刺身」は元々「切身(きりみ)」って呼んでたが、
武士の時代になると、身を切るとは縁起が悪いから
「さしみ」と呼び始めた…って本当?さしみも縁起
悪そうだよね。
0621人間七七四年2008/10/13(月) 22:56:00ID:/AzWYN/d
>>620
例の、関東は鰻を割く時腹からだと切腹のようで縁起が悪いので背開き、と同じく、ただの都市伝説でしょ。
0622人間七七四年2008/10/13(月) 22:59:59ID:vMBOVL1w
>614
マグロの刺身が高額になったのは昭和の戦後だよ。
それまでは猫にやっても食わないぐらい不人気だったみたい。
0623スッポン2008/10/13(月) 23:27:28ID:dPv7qds3
赤身は食していた。トロは捨てていたらしい。
0624人間七七四年2008/10/14(火) 00:16:11ID:RaWpS4U9
関東の背開き関西の腹開きって都市伝説なん?

マグロは赤身のほうが旨いと思う。個人的には。
0625人間七七四年2008/10/14(火) 02:54:13ID:OfTvjFjh
味云々より保存性なんだろうなぁ。みんなすぐに駄目になることを知ってて危険だから人気がない。
それに、結構すぐ油が溶けてどろどろになる。食べられたとしても見た目が悪い。夏場は特に。
これじゃ売れないわ。
保冷技術や運輸技術のあった昭和になって初めて味が認知されたってところじゃないかな。
0626人間七七四年2008/10/15(水) 11:48:21ID:dsNZQlh3
輪島さん、好きな食べ物は? 3、2、1、キュー!

マグロ!
0627人間七七四年2008/10/21(火) 00:25:57ID:M+5TFVHN
料理、菓子、酒 江戸時代の美味い物について語れ2
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/history/1223053977/
0628人間七七四年2008/10/22(水) 21:45:26ID:z2Paa4Qx
>>612
あんまり関係ないかもしれないけど、「美味しんぼ」の中で海原雄山が
「鮭は生食してはならないと平安時代から言われていた」てなことを言ってた
0629人間七七四年2008/10/23(木) 15:43:09ID:oGmxOrHi
鮭に限らず、魚の生食は中毒しやすかったんじゃないかな。
冷凍技術ないし、寄生虫だってあるだろうし。

川の上流(山岳地帯)ではヤマメをサケと呼んだりするって聞いた頃あるけど
ホントかな?
上流ではヤマメ、下流では鮭を取り尽くしちゃうから、名前が被っても
気が付かなかったって。
0630人間七七四年2008/10/27(月) 18:37:10ID:1DMv3eC+
>>625
油っ気の多い部分を食することに日本人が慣れていなかったからだと聞いたことがある。
肉食が盛んになることで味の嗜好に変化が生じ、トロのような油の多い部分を受け入れる素養が出来たとか。
0631人間七七四年2008/10/27(月) 19:09:47ID:wJqWXHxJ
>>630
牧畜民や狩猟採集民だと、たいていどこの地域でも脂は甘くて最高のごちそうになるんだが
(言語自体、「うまい」という単語が「甘い」と同じだったりする)
さすがに日本は農耕がマジョリティなだけあるね
漁労や採集もたくさんしていたとは思うけど
0632人間七七四年2008/10/27(月) 19:21:37ID:wm9Xwmmw
ただし目黒のさんまの話からしても魚の油の旨みを理解できなかったわけじゃないんだろうね。
「油の乗った〜」って言い方はそれほど最近のものではないと思うし。
でもトロは油が過剰すぎるからねぇ。正直、油の塊食ってる気分が抜けない。
0633人間七七四年2008/10/27(月) 19:34:00ID:ot/4oYJ3
トロは冷蔵冷凍設備が(ry
何度目だ
0634人間七七四年2008/10/27(月) 21:10:12ID:JB3fEMlq
鮪はやっぱ赤身っすよね
0635人間七七四年2008/10/28(火) 01:03:16ID:j+Fdfr9L
宇喜多秀家も飛び魚食ってたのかな?
http://www.town.hachijo.tokyo.jp/kakuka/kyouiku/kondate-syuu/kondate-top.html
0636人間七七四年2008/10/28(火) 03:16:05ID:vAIFOI93
>>631
メニューとしては、室町戦国は”揚げ物”が広まってる。だから嫌いなわけではないと思うよ。

トロは↑にもあったけど、保存手段がなかっただけだと思うな。
江戸時代には、ねぎま鍋つーものもあったしね。
0637人間七七四年2008/10/28(火) 15:58:50ID:jRr9WVe+
広く食べられてはいたけれど、油の強い魚はどれも下魚扱いされてたみたいだね

主に江戸の話だけどここ結構おもしろいよ↓
ttp://www.kabuki-za.com/syoku/bkindex.html
0638人間七七四年2008/11/02(日) 18:42:18ID:EjMoFCs9
やっぱ白身の魚は蒲鉾とか練り物になってたんだろうね。
それを秀吉が竹に巻きつけて竹輪にしたって言うし。
山間部じゃ川魚に、山椒魚とか食べてたらしいしね。
山椒魚って美味いらしいけど、食べた人居ますか?
実物見たけど、食欲は湧かない…
0639人間七七四年2008/11/02(日) 19:22:45ID:XFd/3WR+
>>638
練り物ってかなり手間と暇が必要な調理法だぞ?
干物や煮物みたいな当時のスタンダードであった調理法に言及しないで
敢えて練り物を挙げるってなにか根拠はあるの?

そもそも今でいう赤身の魚(マグロ、カツオなど)って
沖合いの回遊魚でなじみがないとまではいわないけど
近世以前は基本的にで手に入りにくいどちらかというとレアな食材なんだが。
06406382008/11/02(日) 19:46:32ID:EjMoFCs9
いや、赤身の魚の話題ばかりで、鯛とか鱸とか
ヒラメとか戦国時代はどうだったのかな?って
思いまして。白身魚の話は家康の鯛の天麩羅と、
秀吉の竹輪くらいしか知らないもので…
申し訳ない。
0641人間七七四年2008/11/02(日) 20:18:18ID:0QvAEebv
徳川慶喜が戊辰戦争で江戸に逃げ帰ってから
鮪やら鰻やら食べてたエピソードがあるな。
家康みたいに食あたりで死のうとしたのかも知れんな。
0642人間七七四年2008/11/02(日) 22:10:18ID:dB2bk0Q3
かまボコは、笹カマボコみたいなのが元々だったみたいですよ。
15世紀には製法は各地に広がっていましたが、その材料はナマズ。
もともと川魚で作っていたのです。

当時の料理の材料の格として、海より川魚のほうが上等とされてたこともあり、
白身魚の方が一般に好まれたようです。
ヒラメは野菜とまぜて”みぞれ膾”レシピも残っており普通に使われたよう。
鯛、塩鯖も好まれたようですが、赤身の魚の記録はあまり残っていません。

というのも海魚が盛んに使われ出したのは、江戸に食文化の中心が移ってから、
戦国時代は、海の赤身魚は単純に”好み”として食さなかった、
…と考えるのが無難だと思います。
0643人間七七四年2008/11/03(月) 17:03:42ID:xzaFCs91
最近活性化したね。
0644人間七七四年2008/11/03(月) 17:12:34ID:8sIwQSrJ
過去スレよみたいな
0645人間七七四年2008/11/03(月) 19:05:28ID:z8+7r2UW
魚の臭みって脂からくるように思うので
冷蔵技術が無いころは鮮度が落ちて
脂の多い魚は更に臭くなり勝ちで好まれなかったのかも・・・
と妄想してみたが
ワスレテクダサイ
0646人間七七四年2008/11/03(月) 20:45:08ID:g+v2SZyJ
>>644
過去スレを纏めると
どんぐりと兎ソーセージ
0647人間七七四年2008/11/03(月) 21:10:28ID:NPxbgoSs
>>646
ものすごくわかりやすい説明でワロタw
0648人間七七四年2008/11/03(月) 21:13:06ID:vVRr85OI
荒らしとの攻防か
06496382008/11/03(月) 21:39:47ID:lRedDpOX
>>642
詳しく教えていただき、ありがとうございます。
大変参考になりました。
0650人間七七四年2008/11/03(月) 22:05:55ID:JwqPIDdg
食にスポットを当てるとおもしろいねえ。
ヘルシー
0651人間七七四年2008/11/03(月) 23:59:10ID:Bxi64+DJ
>>646
兎ソーセージはオレ、オレ!!
…スレチだから引き上げただけなんだけどなぁ……

ちなみに兎肉は平成15年度622トン16年度は773トン日本に輸入されています。
これらがどのように日本人のお口に入っているかは……
禁煙輸入量が減っているのは、中国鳥インフルエンザの禁輸のせいで、
製造過程で兎肉の使用から増粘類添加物などに変わってきてるからなんですよ。

参考↓
http://www.maff.go.jp/aqs/tokei/pdf/19chikusanbutsu-5y.pdf
0652人間七七四年2008/11/04(火) 00:08:51ID:yOa/G4xa
戦国時代って言うと「湯漬け」って印象が強いけど、日常的に食べたのですか?
戦国時代は好きだけどそういうのは知らないニワカなので教えて下さい
0653人間七七四年2008/11/04(火) 00:09:21ID:2t5QLpBw
ソーセージ生産量は1ヶ月で250000トン

http://lin.lin.go.jp/alic/month/dome/2008/mar/doukou.htm
0654人間七七四年2008/11/04(火) 00:19:54ID:tSLmcVKv
湯漬けも何も、
白米を日常的に食べるほうが少数派。
0655人間七七四年2008/11/04(火) 00:22:12ID:Df36VSqJ
大名でも、夏場は麦飯ってのが珍しくないしね。
0656人間七七四年2008/11/04(火) 01:32:23ID:2t5QLpBw
年間だったか
700t/25万t=約0.3%
1本20gのソーセージに0.06g
0657人間七七四年2008/11/04(火) 02:31:23ID:1rTyBL3Y
>>651
犬の餌なんじゃね?
0658人間七七四年2008/11/04(火) 09:41:19ID:Ai5slrxO
>>652
おあむ様が
「お兄ちゃんが鉄砲を持って狩りに行く時は(いつもの雑炊だとお弁当にできないから)
お母さんが菜飯を作ってくれた。だから『お兄ちゃん、……狩り、いかないの?』
と勧めることがちょいちょいあった」といってる。
300石取りの比較的上級の武家の娘でもこんなもんだ。

ちなみに服に関しても「13才の時に花染めの帷子をつくってもらった。
17歳ぐらいまで着物はこれ一着だったから
大きくなってからは丈が足りずすねがでて恥ずかしかった」って話がある。
審議や意図はともかく関東仕置時代の滝川一益が
「ごめん、今一張羅洗ってちゃってて裸なんで乾くまでちょっとまってて///」
って言ったって話もあるし衣食に関しても江戸時代以降の感覚とは相当差があると思う。
0659人間七七四年2008/11/06(木) 01:33:43ID:DXncR7wC
服なら北条や伊達は派手そうだな。
0660人間七七四年2008/11/06(木) 04:36:04ID:cr8hlJAd
>>653、656、657
いえいえ。現代の日本でも兎肉は口にするよ、って発端なので、消費されてる事実指摘だけを。
というか、兎肉入りソーセージはうまいですよ。ぜひ見かけたら食べてみてください。
昭和の時代にはけっこう見かけたのですが、今の人は食に興味がないんでしょうかねぇ……


そういや、なぜか戦国時代の日本人は”腸詰”を作らなかったんですよね。

劉若愚の明宮史の中に腸詰めの記述があり、日本も室町戦国時代で様々な文化を輸入してたはずなのに、
日本には腸詰めが入った記録はありません(長崎の卓袱料理にすら痕跡無)。

当時の鷹狩りの獲物と言えば雉子、だったので、当時の肉は雉子だったんですけど、
戦国時代には”鍋物”という食べ方がなかったので、
肉は焼くか干すか汁にするかローストビーフみたいにするか、ぐらいしかレシピが残っていません。
魚では練り物(ミンチ)が始まった時代なのに不思議な気がします。

そういや串焼き(今でいう焼鳥)も、戦国時代に記録ないんですよね。魚や豆腐にはあるのに。
なんか文化的理由があったのかなぁ……
0661人間七七四年2008/11/06(木) 08:06:24ID:7DsLWJaS
普通に肉をさばいて食べるよりもう一手間掛かってるから
肉食文化の積み重ねがなければ腸詰めは厳しいんじゃないかしらね
ドイツあたりでは豚一頭つぶして農民一家の
冬の保存食のために腸詰め作りみたいな感じだそうですけど
0662人間七七四年2008/11/06(木) 23:19:06ID:vGXQylfc
ドイツ軍にはソーセージとかを前線ですぐに用意するために特殊な加工用車両まであったらしいからね
アメリカ兵はドイツ軍の補給部隊を攻撃して、食料を鹵獲した場合ソーセージはみんなほしがったらしい
アメリカのより味がよかったのが理由らしいが。
角瓶ってウイスキーの昔のCMで徳川家康の好物は焼き鳥だった。とかいってたようが記憶が・・・・・
信長はアワビの煮物とかいうバージョンもあったが。
0663人間七七四年2008/11/07(金) 04:30:12ID:ZKw41LVq
>>662
「宗五大艸紙」(1528)に
「春の鳥にはなんてんの葉をかんながけに敷きて焼鳥にして出し、亭主鷹の鳥のよし申されば、
箸を手に持ちながらゆび二つにてつまみてくうべし…」
…という記述があるので、こちらの方の”焼鳥”じゃないかと。鷹狩好きでしたし。

ただ、家康が死んだのは元和2年(1616)、で”肉を串にさして焼く”焼き鳥は寛永20年(1643)の料理書に出てきます。
死ぬときまで食物は新しもの好きだった家康が、”焼鳥”を食べた可能性は十分大きいかも……
0664人間七七四年2008/11/09(日) 12:04:15ID:wNrmsbw3
>>657
兎は高級食材

>>660
現代の日本人が兎の肉を口にする機会はほとんどありません
兎肉入りのソーセージなど生産されてもいません
何度もしつこいぞウソつきめ
0665人間七七四年2008/11/09(日) 15:08:48ID:o+Je2mNw
>660
丸大のやっすいソーセージには10年くらい前まで入ってたよ。
今現在は口にする機会は無いかも知れんが、

現在生きている日本人のほとんどは食べる機会はあった。

食ったことはあるだろ。 ゆとり乙
0666人間七七四年2008/11/09(日) 15:11:01ID:reRFq9+L
スレチで引き上げたんだったら二度とでてくんな池沼
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています