戦国時代の食事4膳目
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0312人間七七四年
2008/05/14(水) 16:52:49ID:Y2V3U72Q稲作だけに関して言えば、青森県垂柳遺跡で籾が見つかり弥生時代には行われてます。
基本、東北各地でも米は農民が作りたいから作って広まってるんです。
”秀吉以後の話は別にして” ← 強調しときますね。
それに、おいらの言いたいのは”今まで米作りされていなかった土地に水稲作が広がった”
つまり”耐冷品種”で今まで米が作られなかった寒い土地(例えば山の谷のように水温が低い場所)での稲作が広まった現象が、
室町戦国時代にかけて全国で起こったが、東北でも同様であった、なので、
一部地域特定しての話じゃないのですが……実際に米生産量も上がってはいますし。
つか、なにを主張されているのでしょう?
おいらの知識を確かめてるだけ?
>戦乱で輸送が滞った例なら1400年あたりの文書で確認できるよ
土佐日記に「海賊がはこびって土佐から都への流通が止まってるよ、困ったな」
みたいな話が載ってますが、そんなレベルでの話じゃありませんよね?
南部藩飢饉の話は、江戸時代では全国での流通が完全に把握されていたために、
政治的な理由で流通の阻害(完全な食料の停止)が起きたのです。
それほど完全でなければ餓死者数万は出ないかと。
そこらは大塩平八郎がなぜ乱を起こしたか、の理由でもありますが。
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