戦国時代の食事4膳目
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0001人間七七四年
2007/05/15(火) 16:51:22ID:gSxi7CsMhttp://hobby9.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1167143245/
戦国時代の食事・2
http://hobby8.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1163347244
戦国時代の食事
http://hobby8.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1150323475
関連(?)スレ
日本の権力者の食事
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/history/1127185950/
食物と酒、嗜好品の歴史 23皿目@世界史板
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/whis/1173628312/
0002人間七七四年
2007/05/15(火) 16:55:38ID:2uN4VwA00004人間七七四年
2007/05/15(火) 19:00:28ID:+/sZkiAO0005人間七七四年
2007/05/15(火) 22:16:41ID:uXEk5h7K0006人間七七四年
2007/05/16(水) 23:51:37ID:ITnf5DHK0007人間七七四年
2007/05/21(月) 01:00:47ID:YkTGcslW直家が最初に標的としたのは、浦上氏重臣の松田氏であった。
まず、松田氏の重臣・宇垣氏を暗殺させた後で、松田氏の城に奇襲をかけて、その領地を奪ってしまった。直家の謀略が花開いた瞬間でもあった。 しかし、急激な勢力の拡大は貧窮をもたらした。
能家時代の旧臣、所領以上の兵卒を集めていたため、常に兵糧が乏しく、秀安、貞親、利勝らをはじめ家臣の者達はみな自ら耕作し、それを兵糧とし城内に蓄え、ときには敵地に夜盗、辻斬りのたぐいまでして兵糧を蓄えたという。それでもなお兵糧が不足すれば、
直家はじめ家臣一同が、1ヶ月に数度は失食と称して絶食したという。
直家らしくないエピソードだ。
0008人間七七四年
2007/05/21(月) 02:37:00ID:QVHT+V/m0009人間七七四年
2007/05/22(火) 17:28:15ID:habLOl8Wこれが秀家なららしくない、となるのだが
0010人間七七四年
2007/05/22(火) 21:53:26ID:x9CgqQLA直家以外にそういう話は、伝わってる?
0011人間七七四年
2007/05/23(水) 01:18:18ID:kczLu9x8兵糧不足の不満を抑えるためのポーズだったんだろうな。
0012人間七七四年
2007/05/23(水) 19:06:50ID:0EV1yl+H0013人間七七四年
2007/05/30(水) 01:26:07ID:/ny+BLTu0014人間七七四年
2007/05/30(水) 12:13:29ID:HO2Wb30E0015人間七七四年
2007/05/30(水) 13:02:21ID:h+ZT/Tpaでは名古屋人はどうやって飯を食っているのか?
その秘密は「スガキヤのラーメンフォーク」
みんなスガキヤからかっぱらって常に持ち歩いてる。
鶴舞公園や名城公園では愛妻弁当やコンビニ弁当をラーメンフォークで食べてる人をごく当たり前に見かける。
スガキヤのラーメンフォーク
http://www.d4.dion.ne.jp/~m_mimura/LOVELOG_IMG/20051025c01a6314.jpg
新品ならYオークションで1本千円以上するとても高貴な品。
0016人間七七四年
2007/05/30(水) 15:37:06ID:HO2Wb30E0017人間七七四年
2007/06/01(金) 21:36:20ID:1wMMB1Db0018人間七七四年
2007/06/01(金) 22:56:06ID:e3kLDcfpちゃんと知ってる名古屋人はちょっと値の張る「竹の割箸」をつかう。
で、竹の割箸はちょっとやそっとじゃ壊れにくいから、回収して、洗って、また使うわけだ。
俺は名古屋人だからな。
お前のように憶測でモノを言われても困る。
それに、名古屋は公園で飯をまず食わない。
浮浪者が存在するからだ。
0019奇矯屋onぷらっと ◆O.K.H.I.T.
2007/06/01(金) 23:06:36ID:C9jGGs4W0020人間七七四年
2007/06/02(土) 01:27:57ID:t0cm/FwN0021人間七七四年
2007/06/02(土) 02:01:35ID:tRESOtVRセブンイレブン店員乙
0022人間七七四年
2007/06/02(土) 02:16:51ID:r0AdywVw0023人間七七四年
2007/06/02(土) 14:22:01ID:Wyv3Qw+aそうだよ。あのスガキヤだよ。
ヘビで出汁取ってたって噂も出たあの会社。
0024人間七七四年
2007/06/02(土) 16:40:26ID:rfPrCwqUスガキヤには割り箸は常備されている。
0027人間七七四年
2007/06/04(月) 20:04:23ID:Inzmtzou名古屋居住歴があって、すがきやラーメンを食べたことの無い人。
まず一人目。
0028奇矯屋onぷらっと ◆O.K.H.I.T.
2007/06/04(月) 22:13:45ID:lTOG/Xmb0029人間七七四年
2007/06/04(月) 23:48:31ID:B1g83RRY0030奇矯屋onぷらっと ◆O.K.H.I.T.
2007/06/04(月) 23:56:38ID:lTOG/Xmb0031人間七七四年
2007/06/06(水) 12:48:03ID:Zd1JtwBx目のところが真っ暗になる瞬間があり、かなり気持ち悪い。
0032人間七七四年
2007/06/06(水) 13:14:15ID:dm9dgyiI産湯は八丁味噌の味噌汁で、スガキヤラーメン主食に育ち
止せばいいのにブスとハデ婚
トヨタで働きがめつく貯金
0033人間七七四年
2007/06/06(水) 14:53:36ID:7bEzj8oL0034人間七七四年
2007/06/06(水) 18:14:15ID:x5GfRTZ20035人間七七四年
2007/06/06(水) 20:05:06ID:Zd1JtwBx貯金だけが勝ち負けの要素ではない。
0036奇矯屋onぷらっと ◆O.K.H.I.T.
2007/06/06(水) 20:44:10ID:gBU3fKds0037人間七七四年
2007/06/07(木) 00:29:10ID:2oGmSBbp精神病院、老人ホーム、墓まで揃えてるんだよな。
トヨタで稼いだ金はトヨタに戻るようになってる。
中京地区は村社会だな。
0038奇矯屋onぷらっと ◆O.K.H.I.T.
2007/06/07(木) 00:38:19ID:HY3gWJG80039人間七七四年
2007/06/07(木) 07:51:52ID:2ByuyeXH水を切らないんですよ。どこの店でも。わざとやってんのかなあれ
うすめてんのかな
0040人間七七四年
2007/06/10(日) 07:05:18ID:+DeuPd65・吸物
・焼き魚
・野菜の煮物
・漬物
・梅干
・緑茶
これぞ武士のメシ
0041人間七七四年
2007/06/10(日) 07:09:32ID:+DeuPd65・シリアル
・スープ
・ベーコンエッグ
・ソーセージ
・サラダ
・フルーツ
・コーヒー
These're American!
0042人間七七四年
2007/06/10(日) 22:32:55ID:6FieOY1F湯を切らないのは、調理の簡略化のため、マニュアル通り。
薄くなるのは想定済みで、スープは濃ゆ目、というのはいかがか?
0043奇矯屋onぷらっと ◆O.K.H.I.T.
2007/06/10(日) 22:47:06ID:oNo3qiLe0044人間七七四年
2007/06/10(日) 23:24:07ID:osHUVeRr切ってある程度乾かないとつゆが麺に絡まないからなんだけどね
0045人間七七四年
2007/06/11(月) 01:09:06ID:7vdspvao0047人間七七四年
2007/06/11(月) 22:23:47ID:OLaJ3rzQグリーンピース抜けてる
0048奇矯屋onぷらっと ◆O.K.H.I.T.
2007/06/11(月) 22:30:59ID:mGqjDZsE0049人間七七四年
2007/06/12(火) 12:15:36ID:vIYApy6X名古屋の通常のうどんよりは、味噌煮込みうどんの方が良かった。
0050人間七七四年
2007/06/17(日) 02:33:20ID:B+hH1bQP今日、近所のスーパーに行ったら鮎の刺身が売ってました
地元の川で養殖されたものらしいです
見た目もあまり美味そうでもないんだけど
これ、安全なんですかね?
0051人間七七四年
2007/06/17(日) 03:26:13ID:TJd6mBTRその川の苔は良い香り?
0052名無し三等兵
2007/06/17(日) 07:50:35ID:jdIUmZ3S0053人間七七四年
2007/06/17(日) 16:23:11ID:yMQ/U7Weだから刺身って言ってもめざしぐらいのサイズの鮎を
無理やり刺身にしてるんですよ
なぜか頭もつけて売ってる
近所のスーパーわけが分からんw
0054人間七七四年
2007/06/17(日) 22:17:36ID:QSKO9A9B0055人間七七四年
2007/06/18(月) 00:25:35ID:BiMX1WMj季節外れってのは寄生虫がいたり
脂がのっていなかったりして
良くないんだよね。
0056人間七七四年
2007/06/18(月) 01:45:16ID:dz77q1WSだから今だったら鮎や鱧が出てくるんでないのかな。
0057人間七七四年
2007/06/18(月) 02:12:40ID:oeZQX3wL0058人間七七四年
2007/06/18(月) 02:47:30ID:5pyglRQtちょっと前はボラの刺身を売って
ちなみに山口県ね
0059人間七七四年
2007/06/18(月) 02:48:12ID:5pyglRQt0060名無し三等兵
2007/06/18(月) 08:31:06ID:8G0ccA9e0061人間七七四年
2007/06/18(月) 09:32:55ID:xWHsimEj虫がいるからね
0062人間七七四年
2007/06/19(火) 01:18:02ID:oSvc+JSq店によるだろうね。
俺の行く店は高いし美味くないからと敬遠してる。
おかげで、旬のものを安く美味しく食える。
0063人間七七四年
2007/06/19(火) 18:47:13ID:t8a6Wrpvでもハウス=味が乗っていないと思って皆敬遠するんだよね
0064人間七七四年
2007/06/20(水) 01:00:05ID:vP6QqK7v金積めば季節に関係無く美味い物食えるってのはあるけど、
味以上に高くつくなら、敬遠するほうが客としてはありがたい。
鰻は冬・鰹は秋の方が美味いし安かったりするね。
0065人間七七四年
2007/06/23(土) 04:19:52ID:3FVgZ8qa0067人間七七四年
2007/06/23(土) 18:25:29ID:Vs5EA2Yvと言っても江戸時代の話をするヤツが多かったか
0068人間七七四年
2007/06/26(火) 00:39:15ID:YJ+YrXi7次のスレも途中まではまともに動いていたぞ。兎がどうたら言い出す奴が出る前は。
0069人間七七四年
2007/06/26(火) 01:01:29ID:CByGGN0v0070人間七七四年
2007/06/26(火) 02:33:45ID:pYbNh49+69 :人間七七四年 [sage] :2007/06/26(火) 01:01:29 ID:CByGGN0v
次のスレ?
0071人間七七四年
2007/06/27(水) 14:53:46ID:TndXV5hZ炭水化物過多
動物性蛋白質でしか摂取出来ない必須アミノ酸の欠乏
味噌汁だけでは絶対に植物性蛋白質も不足している
ビタミン、特にB群の絶対的不足
→メタ確実?
恐らく、筋肉も発達せず、骨もそれに伴い脆弱化するのは確実だろう
絶対、ある程度の肉類は食せねば魚介類のみでの摂取では動物性蛋白は不足する
0072仙台藩百姓
2007/06/27(水) 15:00:24ID:n9ghssMU問題ないんじゃないお?( ^ω^)
0073人間七七四年
2007/06/27(水) 16:13:37ID:TndXV5hZアドルフ・ヒトラー
自称超能力者の低レベル・マジシャンのユリ・ゲラー
0074人間七七四年
2007/06/27(水) 18:07:03ID:eNFlkeVE0075人間七七四年
2007/06/27(水) 18:45:40ID:dpBF8vUoそもそも、そんなもの無いんだが…。
それはさておき。
別に魚介類だろうと量を食えれば問題ないし、魚肉は食えずに十分な獣肉を食える状況は想定しづらい。
それに、米飯のみであっても、大量に食えれば問題ない(カロリー過多は否めないけれど、運動量も多いと思う…)。
精白米を食うことは少なかったと思うから、ビタミンBも問題ない。
別に鳥獣の肉を食っていた事を否定する気もないけれどね。
007675
2007/06/27(水) 18:51:11ID:dpBF8vUo「今朝のおかずは菜っ葉だけ」と言った武将の話もあるから。
0077人間七七四年
2007/06/28(木) 00:13:07ID:jbkvUijh「菜っ葉だけ」とわざわざ書いているという事は
当時の武将の常識的な食事として「おかずが菜っ葉だけ」という状態が
通常の状態ではないという事だよね
>>71
米に含まれる成分は炭水化物だけじゃないよ
それと、肉を食べないと栄養が不足する、魚では補えないっていうのは
何かの新しい宗教?
君が住んでいる国では唐辛子を異常に摂取するから頭のおかしい人が多いよね
0078人間七七四年
2007/06/28(木) 00:59:36ID:DsxJUpk/>当時の武将の常識的な食事として「おかずが菜っ葉だけ」という状態が
>通常の状態ではないという事だよね
Yes.
倹約を勧める直江兼継に、今朝の朝食は〜、と自慢したらしい。
時期的には安土桃山ぐらいかもしれないし、結構上級の武将かもしれないけれど。
0079人間七七四年
2007/06/28(木) 01:51:18ID:fNgDKbbo魚だけでも特に問題は無い。むしろ健康的
0080人間七七四年
2007/06/28(木) 02:06:20ID:kLmPxWzr動物性蛋白質でしか取れない必須アミノ酸はトリプトファンで極めて重要なアミ
ノ酸
セロトニン合成に必要不可欠
トリプトファンが摂取できないと鬱病になり易くなる
それに動物性蛋白質は植物性蛋白質よりより多くの必須アミノ酸があり、蛋白質
自体も良質だ
豚肉はビタミンB群も豊富
しかも動物性は植物性より消化が早い
唯一、問題は脂肪が多いことだが、武者のように運動量が常人より多ければ問題
はない
0081人間七七四年
2007/06/28(木) 09:12:27ID:eUA0sQXcその間に動物性たんぱく質は有毒物質を作るんであまり良い事ないんだよ
0082人間七七四年
2007/06/29(金) 12:12:47ID:Ul4modBwジャイナ教徒のように宗教的に肉食を禁じているならともかく、肉食をしない民
族はまれ
もともと人類が進化したのは肉食をしたから
大きな脳の活動を支えるには高カロリーで消化の早い肉食が適しているからだ
草食の猿人も現れたが、猿人の段階で全て滅んだ
別に進化する必要性がないからだ
欧米の一般人に肉食が普及し始めたのは19世紀後半の冷凍船の開発と労働者賃金
の上昇によってである
むしろアジア、アフリカの遊牧民や極北のイヌイットの方が肉食がほとんど
0083人間七七四年
2007/06/29(金) 14:36:28ID:pppqyzy9実際に米・味噌・野菜・魚介類中心の食生活で
肉体労働し健康的に過ごしてきた老人が日本には幾らでも存在しているわけで。
昼飯はテンコ盛のご飯と漬物だけって食生活でも過酷な重労働に耐えてきたわけで。
先の大戦時、内地の庶民よりは肉を食する機会は多かったとはいえ
多くの日本軍人は米・味噌・野菜中心の食生活で大陸踏破したわけで。
0084人間七七四年
2007/06/29(金) 18:39:57ID:Ul4modBw大陸で鶏や鶏卵を略奪して食っていたとかいうエピソードは従軍兵の話とかで良
く出てるし、まだ補給がまともな時は部隊で動物性蛋白は採らせていたはずだが
0085人間七七四年
2007/06/30(土) 04:16:20ID:gSPgMV1N動物性たんぱく質をエネルギーに変えるのは時間がかかるし体力を使うから
従軍などの重労働には向いてないんだよ
0086人間七七四年
2007/06/30(土) 04:39:48ID:nJ2JgLu5炭水化物摂取過剰なかつての日本や
肉類・乳製品ばかりで新鮮な野菜なんてまず食わない遊牧民とか
現代栄養学ではありえねー世界なんだろうな
0087人間七七四年
2007/06/30(土) 06:33:39ID:WP6PnKht例えばイヌイットは狩猟で獲たカリブーの最初、胃の内容物を食う
ビタミンの補給だな
0088人間七七四年
2007/06/30(土) 07:26:58ID:zLfI+g2iここを見る限りでは、トリプトファンは米飯にそこそこ含まれる。
ttp://www4.ocn.ne.jp/~katonet/syokuhin/aminosan/a-kome.htm
そりゃ、肉・魚類には総蛋白量で圧倒的に劣るだろうけれど。
誰も話題に出さないけれど、以前特命リサーチ200Xで、ほとんど肉食しない部族の話があった。
繊維質を多くとり、それを元に腸内細菌がアミノ酸かタンパク質かを産生、人がそれを吸収しているとの事。
食生活を変えれば腸内の細菌叢は変わって、半年ほどで適応できるらしい。
0089人間七七四年
2007/06/30(土) 13:20:45ID:WP6PnKht俺のダチが暫く連絡取れずに心配して奴のアパートに行ったら
鼻からカップ麺のソバ出してぶっ倒れていたよ
病院連れていったら栄養失調だと
友人曰く金なくて1ケ月カップ麺だけで暮らしていたと言ってた
カップ麺は明らかに米より栄養価は高いがな
0090人間七七四年
2007/06/30(土) 13:35:28ID:+kFRv89z0091人間七七四年
2007/06/30(土) 13:45:42ID:t3XgRvBH必要な栄養って、タンパク質だけじゃないからね。
ビタミン、その他も食物からとらなきゃ(体内で作れないもの、がビタミンの定義の一つだから当たり前だけど)。
0092人間七七四年
2007/06/30(土) 13:54:44ID:t3XgRvBH生活の様式を指導してあげて。
0093名無し三等兵
2007/06/30(土) 15:01:20ID:Pvpc8sdp○カップ麺は明らかに米よりカロリーは高いがな
0094人間七七四年
2007/06/30(土) 15:57:41ID:WP6PnKht米に含まれるビタミン等他の栄養素なんか実際は微量
米食の減少に憂慮したJAの吹聴した戯言を鵜呑みにしてはいかんな
米ばっかり食ってたから日本人は脂肪遺伝子を他民族より多く持つようになった
ダイエットにしろ、アスリートで筋肉を増やしたいにしろ
米を含む炭水化物の摂取量は半減するのは常識
米なんかよりバナナの方が多糖質食品としては他の栄養素も断然豊富
特にカリウムはダントツ
雑兵物語見てみなよ
平時でも時々、狩猟で鳥獣を狩って足軽である父親が食らっているじゃないか
009590じゃないけれど
2007/06/30(土) 17:18:01ID:t3XgRvBH肉食を主張したい(それは否定しないよ)なら、ビタミンの問題はほとんど関係ないだろ。
菜っ葉を食べるほうが手っ取り早いし、
主張の主張の問題点として、>>75の繰り返しになるけれど当時精白米はほとんど食わないようだし。
素朴な食事の問題という意味では、タンパク質不足の問題が圧倒的だろう。
0096人間七七四年
2007/06/30(土) 19:41:42ID:th0ssj4jやはり「米=炭水化物100%」と勘違いしてたんですか、やれやれ
それじゃ「カップめんのほうが栄養がある」なんて
キチガイ発言をするのも無理もないわ
0097人間七七四年
2007/06/30(土) 20:01:56ID:edpQY2GM0098人間七七四年
2007/06/30(土) 22:13:57ID:E0BfIoC6オレなんか幼少期に血の繋がっていない人に嫌々ながら育てられたので
物凄く貧乏な生活をしてたんだよ
ご飯と少量の卵焼きだけとかご飯とふりかけだけとか
成長期にそういう食生活をしていながら
栄養失調どころか背が低いなりにもちゃんと育った
米には炭水化物以外の栄養素が意外と多く含まれているからなんだよ
まあ、学校給食のおかげもあるけど
0099人間七七四年
2007/07/01(日) 04:23:21ID:IBgeaXQ70100人間七七四年
2007/07/01(日) 06:27:35ID:pFi6LjH+味はめちゃくちゃ落ちてない?
0101人間七七四年
2007/07/01(日) 06:49:13ID:8M6+NeOe間違いなく鶏卵の味は落ちてますw
スーパーに売ってる安い鶏卵、なんか黄身が薄味で変に生臭い感じがする
0102どんぐりころころ&肉食キラー
2007/07/01(日) 07:23:36ID:w7q7cjcM泣ける。
お前が今、幸せならうれしいな、俺は不幸だが。
0104名無し三等兵
2007/07/01(日) 08:11:30ID:Tbk9yyWK010599
2007/07/01(日) 10:50:11ID:IBgeaXQ7肉の味に関しては、地鶏と通常の肉の差ははっきりわかるけど。
0106人間七七四年
2007/07/01(日) 20:00:57ID:ErIn6Ktm30年前からスーパーの卵しか食ってないなら分かるわけない
俺も分からん
0107人間七七四年
2007/07/01(日) 21:15:45ID:5akY53Meたまに会うと産みたての卵をくれるんだけど
卵の中にゴミが入ってるし殻が激しく薄くてすぐ割れるよ
大きさもバラバラで、大きいヤツは双子の確率が激しく高いよ
スーパーで売ってるヤツのほうが高品質だよ
0108人間七七四年
2007/07/01(日) 22:45:02ID:PzCw6zRf0109人間七七四年
2007/07/02(月) 00:00:25ID:eVKNC2AZ回虫かもしれんね。生食禁止。
>玉子の中にゴミ?どうやって入るんだ??
卵の殻は卵管移動中に形成されるから、混入物はその時に
0110人間七七四年
2007/07/02(月) 01:32:54ID:P27EUiJ+肉とか卵買ってみ。
0111人間七七四年
2007/07/02(月) 01:54:14ID:c2g9ZHUo仕入れが高いか安いかの違いだけ
0112人間七七四年
2007/07/02(月) 02:01:47ID:c2g9ZHUo高い金出せば旨いもんが手に入るのは当然の事
最近卵の味が落ちたと言う話には関係ないわな
そゆこと
0114人間七七四年
2007/07/03(火) 03:44:14ID:aW8tqOi20115107
2007/07/03(火) 20:06:03ID:3dGLc0UM見た目は殻になりそこなった物体の破片って感じがする
0116人間七七四年
2007/07/04(水) 01:03:59ID:rcJO0Dlr,..-―`:::::::::゙ー`::\ノ)
/:::::::::、、:::::、、:::、、:::::::::::ノ
/::::::::::::,,-、,::,,_:::::,,_;;..-、::ヘ
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|::| `!/ ` | i | べ 来 の
レi、_ } .| <. ら そ 生
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ヽト __ノ .| な な ま
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-―'| ヽ、 / |`ー-- | よ だ は
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0117人間七七四年
2007/07/05(木) 22:02:19ID:cv6Asj1F米と味噌とちょっとの野菜でオッケーな宮沢賢治みたいな生活をするには
玄米をしこたま噛んで食べなきゃダメだ。噛むのはともかくあれは炊くのがたいへんだ。
0118人間七七四年
2007/07/05(木) 22:07:47ID:cMb5lGcV江戸では薪は貴重品だったから、玄米ではなく
白米を炊くようになったと言うな。
そんなに玄米を薪で炊くのは、大変なのか?
0119人間七七四年
2007/07/06(金) 04:44:17ID:svyxNUJO戦国の頃は武士は玄米を蒸して食べてたってほんと?
0120人間七七四年
2007/07/07(土) 00:05:25ID:dpT/avMu七分搗きの米は、本当に黒味がかっていた…。
食味は白米とほとんど同じだったけれど。
0121人間七七四年
2007/07/07(土) 09:53:39ID:nbGKuFdJ0122人間七七四年
2007/07/21(土) 09:00:41ID:opOrwiQO平時、武士は五合の玄米を一日に二回に分けて食べた。朝と夕で、出陣時以外は中食はとらない。
出陣となると白米を食べた。
0123人間七七四年
2007/07/21(土) 09:28:52ID:1hvjaCMO雑穀じゃねえの
消化の極めて悪い玄米なんか食って激しい運動なんかしたら腹下すじゃねえ?
0124人間七七四年
2007/07/21(土) 09:44:27ID:opOrwiQO> ほんとに玄米かよ
> 雑穀じゃねえの
普段から熱量をとって体力を強化してたんだとさ。
> 消化の極めて悪い玄米なんか食って激しい運動なんかしたら腹下すじゃねえ?
だから出陣となると白米だったんだってさ。
0125人間七七四年
2007/07/21(土) 11:33:40ID:T2aSHhd8日本人は米ばっか食べるから米は日本人の重要なタンパク源だよ。
魚や大豆と一緒に食べるとタンパク質の補足効果ってのもあるしね。(アミノ酸合成の関係で)
それに>>122にあるけど一日に米五合ってかなりの量だよ。
米だけで3000キロカロリー近くも食ってるし、現代人ならこれだけでも体重増えてく人も多いと思うよ。
それからタンパク質量だけど一般的な成人なら大体1g/1kg(体重)くらい必要って言われてるけど、米五合も食べたらタンパク質40〜45gにもなる。
動物性タンパク質こそ不足してるものの、当時の人の体格考えたら十分でしょ。
そもそも栄養失調って言うのは栄養が足りないのもあるけど、バランスが悪いことも含まれるんだぜ。(摂りすぎとか)
お前ら自分の昨日食ったものの一日の総摂取カロリー、タンパク質、脂質、炭水化物計算してみろよ。
脂質摂りすぎな奴や炭水化物ばっかの奴とかいろいろいると思うぞ。
因みにタンパク質:脂質:炭水化物の理想のエネルギー比は25:15:60で、大体、タンパク質1g=4kcal、脂質1g=9kcal、炭水化物1g=4kcalくらいになってる。
0126人間七七四年
2007/07/21(土) 12:09:17ID:F12JIh3P牛を食わなかっただけだろ・・・
0127人間七七四年
2007/07/21(土) 14:06:34ID:bBLQE4Zk食ってたようなイメージがある
0128人間七七四年
2007/07/21(土) 14:56:15ID:1hvjaCMOそれに蛋白質にしろ、ビタミンにしろ穀物の含有量は微量
肉魚野菜はちゃんと摂取しないと偏食でおかしくなるよ
0129人間七七四年
2007/07/21(土) 16:13:32ID:7QzKUtejカマボコは高級品で滅多に食べられなかったんじゃなかったっけ
だからこそ安くなった今でもおせちの中にちゃっかり入ってる
0130人間七七四年
2007/07/21(土) 20:03:39ID:yumpLNaP0131人間七七四年
2007/07/21(土) 21:32:30ID:yRIMfNrH0132人間七七四年
2007/07/22(日) 01:43:51ID:E/X7UT7Qカマボコ・チクワは確実に高級品だろ。
今だって本物は高いぞ。
0133人間七七四年
2007/07/22(日) 02:12:46ID:2eJ8XEOX0134人間七七四年
2007/07/22(日) 03:00:54ID:iIKdFxJT魚としては利用価値のないスケトウダラを使っているから安い
0137人間七七四年
2007/07/23(月) 16:53:57ID:oRW7nHCA0138人間七七四年
2007/07/23(月) 18:24:21ID:SuLZOZus知識はあるが口が悪い。残念
0139人間七七四年
2007/07/23(月) 18:52:05ID:W2mHiMt5カルシウムを摂取するときはそのカルシウムの2分の1のマグネシウムが必要
穀物だけ食ってるとコラーゲンが絶対的に不足し低温時、腱が切れやすくなるし
カルシウム不足は深刻で疲労骨折をしやすくなる
炭水化物の摂取量を減らす低インシュリンダイエットでは上記のような障害には
まず陥った人はいない
自分は総格やってたとき、体重を変えず体脂肪を減らし、筋肉量を増やすために
炭水化物を意図的に摂取を激減させ蛋白質やビタミン、カルシウムなどの摂取を
増やして練習中の怪我、特に靭帯関係の怪我とかほとんどしなくなった
勿論、クレアチン、グルタミン、BCAAのサプリは使ったが
0140人間七七四年
2007/07/23(月) 21:23:16ID:aINqMQVeそれは体重1kgあたり2.2gを超えるような蛋白質摂取を行なう場合の問題。
基本的に炭水化物を減らして蛋白質摂取を増やし、書いているような問題
が解決したとしたらそれは蛋白質の過剰摂取が原因だ。蛋白質の過剰摂取
ではカルシウム流出のほかに血中の尿酸値やアンモニアが増加する。
高尿酸値血症は通風、高アンモニアは尿毒症→脳障害に繋がる。また、糖質
不足は蛋白質→糖質への変換のため肝臓に負荷がかかり、結果引き起こされる
低血糖は糖質を唯一のエネルギー源とする脳、角膜の機能低下を招く。
米飯だけでは必須アミノ酸12種類のうち2種類がどうしても足りないが、
大豆を摂取すればこれを補完できるし、大豆にはビタミンB群が豊富だ。
必須アミノ酸の観点でいえば肉食が極端に少ない近代以前の日本人の食生活
でも充分生きていけるし、コラーゲンは体内で合成される。カルシウムは
煮干などから、マグネシウムなどは山野の木の実から補充でき、しかも
これらは現代人以上にかつての日本人は摂取していた。ビタミンB群欠乏症
の脚気も主に上位階級や江戸居住者のような白米に偏った連中の問題で、
稗、粟、蕎麦など雑穀を多く取る農民や戦国期の武士にはあまり見られない。
カロリーの問題にしても、かつては車も洗濯機も掃除機もなく、ただ普通に
暮らすだけでも現代人とは比較にならない運動量=それを支える熱量が必要
になる。そのうえ、過酷な農作業やら、甲冑を身に付けた上で1日数10kmも
徒歩あるいは走って移動し、さらには白兵戦までこなしていたわけだから、
欧米食料メジャーが宣伝した動物性蛋白信仰は見直されてしかるべきだ。
実際ヒクソン・グレイシーが試合前に山篭りしたときの食料品リストには
牛肉はなく、ツナ缶や豆腐などが主な蛋白源だったそうな。
0141人間七七四年
2007/07/23(月) 23:16:32ID:mMT3s+ttでもそれを喰らって我ら綿々と続いてきたわけだから「バランス最悪」なわけでもないし。
たまにバカが「和食は完璧超人ほかは糞」的なとんでもをいいだしたりするから反動で
「こんなにバランス悪かった」みたいなことを言われるようになるし、その逆もしかり。
0142人間七七四年
2007/07/23(月) 23:35:54ID:SuLZOZus今現代の人間の生活から当時の栄養なんたら考えるのは有意義だけど、
これじゃないと間違ってんだよ!ボケ!!みたいに固執するのはよくないね。
0143人間七七四年
2007/07/24(火) 04:35:58ID:XFKJzJ+q0144人間七七四年
2007/07/24(火) 15:39:44ID:C5L/qs2Y0145人間七七四年
2007/07/24(火) 22:20:12ID:K31+lJnFまあ触れなきゃ普通に百姓でも米は食えてたんだろうな。
他奢だからこそ他奢禁止令もでる。
商業の発展が生産者をして米を食いにくくさせたと。
0146人間七七四年
2007/07/24(火) 23:36:18ID:RgXhgWam0147人間七七四年
2007/08/08(水) 00:21:56ID:SSeEOmLY0148人間七七四年
2007/08/08(水) 00:26:08ID:5ZCBfvu/0149人間七七四年
2007/08/08(水) 00:57:56ID:DHcfJD2J0150人間七七四年
2007/08/08(水) 01:14:10ID:H7OZa+tF0151人間七七四年
2007/08/08(水) 02:06:32ID:kK6uZNby一緒に何を食べてたかにもよるんじゃない?
謙信みたいに酒と梅干しなんて組み合わせならさすがに体に悪いんじゃないのかね。しかも北陸のあの寒いとこでさ。
0152人間七七四年
2007/08/08(水) 08:02:17ID:CRica8Ylどこか忘れたが、ある山間民族は自生するイモが主食で、
現代科学の観点では深刻な栄養失調状態の筈だが、
自らの体内で必要な栄養を合成して健康を保ってたとか。
バランス云々はあくまでも現代の科学者の飯のたn、もとい理想論で、
偏った食事してても人間適応しちゃうみたいだよ。
0153人間七七四年
2007/08/08(水) 09:33:11ID:UQy+MIpL0154人間七七四年
2007/08/08(水) 14:41:25ID:hy/lmppvそれはパプアニューギニアの原住民達だな。彼らの主食はサツマイモで、家畜の
豚も年に2〜3回のお祭りでしか食べない。当然不足するのは蛋白質なんだが、
彼らは腸内に特殊なバクテリアを持っているため、そのバクテリアがイモの
糖質から蛋白質を分泌してくれるそうだ。ちなみに、このバクテリアは現地に
自生しているらしく、日本人でも現地で半年も過ごせば原住民同様に適応できる
ということだった。
ただし、いまのところビタミンCを合成してくれるバクテリアはいないので、
長期間にわたって豆や麦の類ばかり食ってると間違いなく壊血病になる。
糖質過多による脚気の原因であるビタミンB系も同じ。
ちなみにサツマイモはビタミン結構豊富だし、果物、木の実の類は彼らは
日常的に森で摂取していると桃割れ。
ただし、とにかく些細な研究データを持ち出して「○○がガン予防!」と
誇張するは論文書かなきゃ給料でない研究者の苦し紛れ、というのは禿同。
0155人間七七四年
2007/08/10(金) 05:48:38ID:G+lcwcot見た事がある。案外適応するのは難しい事でもないんじゃないの。
0156どんぐりころころ&肉食キラー
2007/08/10(金) 07:09:16ID:rEv4kU9R3000キロカロリーとっても、背は低いまんまなんだな。
やっぱ、背が高くなるためには、肉か牛乳がひつようなんだろうか。
0157人間七七四年
2007/08/10(金) 07:17:59ID:56EuA/T90158人間七七四年
2007/08/10(金) 10:30:15ID:FDPH/AJG0159人間七七四年
2007/08/10(金) 19:01:44ID:QKZe3vZW0160人間七七四年
2007/08/11(土) 03:35:11ID:pJYRcdRV人間の集団生活の中から、別の人間集団に移るだけなら、基本的に可能だろうね
人間関係と、変化のストレスの克服ぐらいか
0161人間七七四年
2007/08/12(日) 17:27:16ID:KQlcoEqQ大人用傘ぐらいの杯に継がれた酒を飲み干すのは大変だぞ
0162人間七七四年
2007/08/12(日) 23:48:16ID:WyX147+T0163人間七七四年
2007/08/13(月) 07:48:52ID:pZ45/rhW0164人間七七四年
2007/08/14(火) 01:16:16ID:IFEtAIDd0165人間七七四年
2007/08/15(水) 23:32:12ID:Lk0daw2u0166人間七七四年
2007/09/11(火) 15:28:32ID:OcE0yvhp0167人間七七四年
2007/09/18(火) 09:12:47ID:l+ejaSFe水でも厳しいな
0168人間七七四年
2007/09/19(水) 00:44:04ID:OpBvm9Mpビールと同じ量の水を飲むのは苦痛だぞ。
0169人間七七四年
2007/09/19(水) 20:57:54ID:afFgKCub0170人間七七四年
2007/09/19(水) 21:56:05ID:DM24H1vM0171人間七七四年
2007/09/22(土) 07:17:07ID:tr/IhN75大食いの白田でもあそこまで胃の中に水分入らないって
0172人間七七四年
2007/09/23(日) 01:59:08ID:97KNhuhj酒は三升入りの盃を六杯半。
0173人間七七四年
2007/09/23(日) 02:09:47ID:kqvqqlFt瓶ビール1ダース
0174人間七七四年
2007/10/08(月) 22:37:42ID:dIk78O8Oあれは諸藩の大名の触書を元に作られた偽作説があるから
0175人間七七四年
2007/10/09(火) 12:55:58ID:ub6Jqe5khttp://hobby10.2ch.net/test/read.cgi/army/1191901934/
0176人間七七四年
2007/10/14(日) 04:31:33ID:punC0fN30177人間七七四年
2007/11/01(木) 14:45:45ID:C16B4HEZ0178人間七七四年
2007/11/08(木) 11:47:58ID:gz82mXDY0179人間七七四年
2007/11/26(月) 17:34:58ID:Qc+rGhcY0180人間七七四年
2007/11/26(月) 21:02:17ID:YW0uP2jc0181人間七七四年
2007/11/26(月) 21:44:36ID:nZZLs1dA0182人間七七四年
2007/11/30(金) 10:27:28ID:DgPIgjMN0183人間七七四年
2007/11/30(金) 21:47:00ID:htANK7iK少なくとも歴史が始まった時代以降に
東北地方の主食がどんぐりだったという史料はないのだが
0184人間七七四年
2007/12/01(土) 08:12:59ID:LMXkTBSN0185人間七七四年
2007/12/01(土) 15:05:00ID:IhzJovpB東北地方にドングリ依存の集落があったというだけ。
0186人間七七四年
2007/12/01(土) 17:01:00ID:kaB/xjI4日本中のどこにでもあるんだけどな
0187人間七七四年
2007/12/01(土) 23:41:29ID:1FTWn4rW0188人間七七四年
2007/12/02(日) 12:36:53ID:LIXLQy2U人間が主食に出来るほどのどんぐりがあるとは知りませんでしたw
ていうかありえねーwww
0189人間七七四年
2007/12/03(月) 01:51:16ID:LnmxIwWH米を食べずにどんぐりを主食としていたって
米作りは「趣味」ですか?稲は「観賞用」ですか?
0190人間七七四年
2007/12/03(月) 08:08:58ID:bIL88VSL0191人間七七四年
2007/12/03(月) 22:20:51ID:oyc8xf7g何それ?
0192人間七七四年
2007/12/09(日) 01:58:51ID:WP43Mpwj0193人間七七四年
2007/12/13(木) 07:18:59ID:Ptq2mPED東北人はこの事実に誇りを持って、もっと、どんぐりの国をアピールしたらいいと思う。
0194人間七七四年
2007/12/13(木) 08:09:56ID:3Pw0vQ1oお偉いさんが殆ど江戸に持っていって金に換えてたそうじゃん
だから一般人は貧しくて江戸にわざわざ出稼ぎに来てたとか
0195人間七七四年
2007/12/13(木) 10:30:43ID:oAkRtSA+0196人間七七四年
2007/12/13(木) 15:58:08ID:qY06NcLC南部藩などは米を作る事に固執しすぎて冷夏で大飢饉を発生させた
その時に江戸から大量の米が南部藩に送られた
0197名無し三等兵
2007/12/15(土) 17:41:06ID:XDD7r23R0198人間七七四年
2007/12/30(日) 06:27:33ID:JLHmzejwあきらかに、ゆがんだ洗脳のせいだ。
所詮、米は外来植物。
本物の日本人にとって、米は間違った食物だ。
やはり、日本人に一番あった食物は稗だとう。
稗こそが日本人の源流、日本人の魂の食物だと思う。
それがいつの間にか、間違った洗脳で米にすりかえられてしまった。
日本史上最も有名な女王、卑弥呼も卑の字が入ってるし。
稗こそ、日本人にとって故郷となる作物だ!!
日本の歴史における、稗の役割の再評価も必要だ。
0199人間七七四年
2007/12/30(日) 07:29:20ID:pbJnpDwM元々日本に住んでいた民族は稲作をしていなかったが
後から入ってきた民族が稲作と共に日本に流入し
元々いた民族と融合したのが現在の日本人なんだよ。
だから「米は日本の食物ではない」という意見はありえない。
しかもそれは有史以前の話であって、それから2000年ぐらいは稲作やってるんだから
「間違ってる」もクソもない。
次に魏志倭人伝に出てくる日本の1地方の女王である「卑弥呼」についてだが、
これは個人名ではなく「日巫女」または「日皇女」という地位の名前であり、
当時の日本には文字がなく、「ひみこ」と聞いた中国人が勝手に「卑弥呼」と当て字をした。
当時の日本は中国から見たら未開の卑しい国であり、なおかつ中国では伝統的に
よその国に卑しい文字を充てる事が多い。
「卑弥呼」の場合も当て字する際に卑しい文字を3つ並べた。
「倭(わ)」という国名も「邪馬台(やまと)」という国名も
全て卑しい意味を持つ文字を充てている。
0200人間七七四年
2008/01/02(水) 14:46:03ID:vjg09Yu9だから台じゃなくて壱の方が正しいという説もある。
でも邪馬壱国じゃあヤマトにならないから顔真っ赤にして否定するんだよな。
0201人間七七四年
2008/01/02(水) 17:54:51ID:PICv8bov僻地とかそういう意味あいがあると聞いた事があるけど
0202人間七七四年
2008/01/04(金) 17:51:29ID:BEwPX37R日本の自然にマッチした、もっとも、日本人にあった、主食だ。
もう、お米はいらない。
0203人間七七四年
2008/01/04(金) 18:22:31ID:RHWfHPPY自分はお米大好だからな
0205人間七七四年
2008/01/17(木) 19:28:56ID:/tJL6WIW0206人間七七四年
2008/02/05(火) 16:26:12ID:E6Aa03b60207人間七七四年
2008/02/16(土) 19:18:06ID:bpHnOxHf御飯1合 いわしの煮付け2ひき 野菜サラダ(150g キャベツ&レタス&スライス
トマト) パック入りミニトマト かぼちゃの煮物(100g) プロセスチーズ
バナナ2本 ブルガリアヨーグルト
平日の朝食
御飯1合 みそ汁(即席) 納豆2パック キャベツ(100g) 豆腐1丁
戦国時代よりは栄養バランス取れてるかな?
0208人間七七四年
2008/02/23(土) 08:04:20ID:DNeuvG6jドングリ食ってたっていいじゃん、馬鹿にされることではないよ
俺はドングリだけで過酷な時代を必死に生き抜いた北東北の民に敬意を抱く
0209人間七七四年
2008/02/24(日) 03:40:39ID:boanVQad相手にして欲しくてまたそんなウソを・・・トホホ
0210人間七七四年
2008/03/11(火) 14:58:15ID:iOUfsjAw0211人間七七四年
2008/03/13(木) 20:08:45ID:dBymePWl稲作に適していなかった東北地方で貨幣としての価値を求めて無理に米を作って
冷夏で米が取れなくて大飢饉になった南部藩の話とかは作り話なのかとw
0212人間七七四年
2008/03/31(月) 15:51:53ID:BVnqMwBv0213人間七七四年
2008/04/07(月) 03:00:28ID:0bAzjaEp現実に米が獲れなくて大勢餓死したんだから
餓死した連中の主食は米だろうがカス
0214人間七七四年
2008/04/23(水) 05:06:32ID:ImxJVZ6Hどんぐりが偉大な食物であることを、しっかり認識しときさえすれば。
0215人間七七四年
2008/04/23(水) 06:35:49ID:rZlJCG7p0216人間七七四年
2008/04/23(水) 18:32:20ID:MBfKqBFcほう、石油が無くなったら餓死しまくる俺達の主食は石油なのか
0218人間七七四年
2008/04/26(土) 13:33:14ID:/NgIOg6y三日間トップバリュ製品で過ごしたら食費が9000円も浮いた。
1週間でパンクしない自転車が買えるよ。
君もやってみなよ。
1日目 朝食 トップバリュヌードル 78円
昼食 トップバリュヌードル 78円
夕食 トップバリュヌードル 78円
2日目 朝食 トップバリュヌードル 78円
昼食 トップバリュヌードル 78円
夕食 トップバリュヌードル 78円
3日目 朝食 トップバリュヌードル 78円
昼食 トップバリュヌードル 78円
夕食 トップバリュヌードル 78円
飽きたら腐るほどある他のトップバリュ製品を買えばいいだけ。
バランスのよい食事でダイエットにもなる。
ジャスコお客様感謝デー マジでおすすめ。
http://www.aeon.jp/jusco/miyuki/
0219人間七七四年
2008/04/27(日) 00:05:37ID:iGRYC6E2「どんぐりを食べてたら餓死しなかった」のなら
主食はどんぐりじゃなかったんだろうがカスw
>>216
石油を食べて生きているのならそうなるなw
ていうか頭大丈夫か?
0220人間七七四年
2008/04/27(日) 08:46:49ID:7tqwMwD10221人間七七四年
2008/04/27(日) 11:02:32ID:kiS2zAE6本来なら、その地方の気候に合った穀物や天災に備えて救荒作物を作っておくべきところを
無理に米を作らせたので、不作に陥ると、米どころか普段食べる雑穀や救荒作物さえ足らなくなって
飢餓が発生するんだな。
米が取れていれば、税金を払った後に残った米を現金化して、必要なものを買うことも出来るけど
不作だと不可能だからね。
0223人間七七四年
2008/04/27(日) 15:49:03ID:fKI8pkZb信州・・・蕎麦、イナゴ
山陰・・・しじみ
0224人間七七四年
2008/04/27(日) 16:47:39ID:9eSGT8/zどこでも採れるものだし
0225人間七七四年
2008/04/27(日) 18:07:38ID:6pgfw5Gn具体的な土地の名前を挙げんと具体的には挙げられないよ。
具体的な作物の名称を知ってどうするの?って事もあるし
ぐぐれば?という話もある。一般的な救荒作物くらい調べられるだろう?
たとえば、麦、蕎麦、稗、粟。
日本書紀には五穀のほかに桑、芋、梨、栗、カブなんかの栽培を奨励されたとか出てくる。
東北地方だと梨が救荒作物として昭和初期まで利用されてきたという話を読んだことがある
0226人間七七四年
2008/04/27(日) 20:19:15ID:cKsuouedだけ?
>>225
いや、流れからしてトーホグゥの各地だろ
知ってどうするって、それこそお前が知ってどうするんだよって事なんだが
知的好奇心とでも言うべきかな
一般的な救荒作物はググれば出てくるが、戦国時代のトーホグゥのそれについてしっかりと調査したところなんか早々でてこないよ
ググって直ぐ出てくる程度なら、それこそ提示してくれればいいのに
で、でてきたのが日本書紀?話を読んだことがある?
すばらしい情報(笑)をありがとう
0228人間七七四年
2008/04/28(月) 00:54:43ID:Jnooa4nyまともなソースも無く物事を主張して、姉妹には自分で調べろというほうが遥かに見苦しいが。
0229人間七七四年
2008/04/28(月) 03:39:06ID:FmWPmiD5実際に記録に残っている最大の飢饉の話だが、
江戸時代は米に貨幣としての価値があるために南部藩(青森県の一部)では
寒冷地で米作りに適さない地域にも関わらず米一辺倒の農業政策を行っていた。
それで冷夏になって米がほとんど取れず、幕府が大量に援助米を送っても大量の餓死者を出した。
米以外の農産物を作っていてそれで人口分の食糧になっていれば餓死者は最小限に抑えられたはず。
ソースもクソもなく史料に残っている歴史的な事実だよ低学歴クン。
0230人間七七四年
2008/04/28(月) 03:47:48ID:FmWPmiD5山陰、信州、東北など
平地が少なく寒冷な地域はそばが名物。
讃岐や小豆島や五島列島などの
平地も水も少ない地域はうどんやそうめんが名物。
ちなみにそばは「五穀」の中に含まれていない。
そばは五穀=米、麦、粟、稗、豆以下の扱いであり
五穀に挙げられる雑穀さえも取れない地域の最後の穀物がそば。
0231人間七七四年
2008/04/28(月) 05:42:47ID:dfgEsg9C味は正直言って不味いが健康という意味で五穀はかなり見直されてきているのだが
そもそもうちの近所じゃあんまりうってねーよ
0232人間七七四年
2008/04/28(月) 22:39:11ID:sz7scBcR元々熱帯地方の植物である米は他の作物よりも冷夏の影響を受けやすいだろうね
冷夏でどんぐりも不作になって、どんぐりを主食にしている熊が食べる物がなくなって
里に降りて農作物を荒らすっていうニュースが数年前にあったけど
アホが言うように人間がどんぐりを主食として食ってたとしたら
その地方の熊は食べ物がなくて生きて行けなくなるだろうな
0233人間七七四年
2008/04/29(火) 04:22:54ID:A62tTeHbで、米が主食だったというソースはまだかね?
0234人間七七四年
2008/04/29(火) 11:21:24ID:E5E9qEpE中卒?
0235人間七七四年
2008/04/29(火) 11:58:14ID:mskOguYR0236人間七七四年
2008/04/29(火) 12:56:29ID:jM+xkmH0おそらく>>229あたりを根拠に据えているんだろうが、これから推測することはできるが、明確な証拠じゃないだろう
日記とかに、一月のうち半月は米食べてました、飢饉のときはそれが一日に減りましたとか書いてたなら十分なんだが
>>229が全て事実だとして言える事は、
米はカネとしての価値があった、米作りに適さない土地だった、米作りを基本にした、冷夏で打撃を受けたら幕府が援助「米」を提供した
これだけなんだよ
いくつか疑問に思うのもあるが、それはおいておくとして、これらをつなげるとこうなる
米を作っていたのはそれが高価だから
しかし、もともと米作りに適さない土地であるが故に、冷夏の被害を受けやすい
そのため、冷夏による飢饉で幕府が援助しても餓死者がでた
単純に米を「食べるもの」としか見てないが、「売るもの」と見た場合どうだろうか
米を「食べるもの」としてみれば、彼らの食生活が極端に米に比重を置いていたことになる
米を「売るもの」としてみれば、高価なものだから、それだけ少ない穀物で、他の大量の穀物を購える
1グラム十円のものを食べるより、それを売って、百グラム十円のものを買って食べたほうが腹が膨れる
幕府が援助米を送って徒労に終わったみたいだが、米を「食べるもの」としてみれば、主食が欠乏して餓死ということになる
米を「売るもの」としてみれば、普段食べていた米以外の安い穀物を買うための、米が欠乏したから餓死したということになる
高い米を売って安い穀物を買うのだから、必要な米の量は少ない
幕府はそれを元に「食べるもの」として米を援助した
しかし、あくまで売る場合に必要な量であって、それは食べる場合に必要な量ではない
一キロ一万円のものを売って、百キロの食べる穀物を得て生活していたのに、一キロ一万円のものを粥にして援助すると、99キロ足りない事になる
ついでに、飢饉が発生して安い穀物であったものの価格が急騰すれば、それだけ売買で得られる穀物が減少するから、飢饉に拍車がかかる
と、米を主食としていなかったという見解に立っても、>>229との整合性は取れると思うが、
そんな大量の穀物が実際にどこから来ていたのか、穀物以外でも構わないんだが
また実際にそれほどの価格差があったのか
と、色々と疑問はある
逆に、米を食べるものとした場合の疑問も
米が貨幣に匹敵する価値を見出されていたのならば、それをうって安い穀物を買うという流れのほうが自然ではないか
何故それをしなかったのか
0237人間七七四年
2008/04/29(火) 14:31:35ID:Gf5rtL5r現行政府が困るからな
昔のほうがよかったとかそれほどでもなかったいわれると自分の権威の低下につながる
だから江戸以前の日本人は一部の特権階級に搾取され人民市民は不幸だった
だから今の人もそれよりいいんだから多少は我慢てしないと統治に不都合
0238人間七七四年
2008/04/29(火) 15:18:57ID:jM+xkmH00239人間七七四年
2008/04/29(火) 17:04:46ID:AriD9Ng0>>>229が全て事実だとして言える事は、
>米はカネとしての価値があった、米作りに適さない土地だった、米作りを基本にした、冷夏で打撃を受けたら幕府が援助「米」を提供した
>これだけなんだよ
だからぁ、>>229の1つの発言に必死で噛み付くんじゃなくて
ちゃんと歴史的な事実を調べてから書こうよ低学歴クン。
こんな低学歴の低脳はこのスレでお前1人だけだぞ、みっともない。
0240人間七七四年
2008/04/29(火) 17:20:50ID:jM+xkmH0つまり>>229で提示した事象は不完全なものであるという事だね
それで偉そうに持論を展開していたと
補完すべく、即ち米を主食としていたという推測に限定できるだけの事象を教えてくれるか、高学歴の>>239様
提示できないなら君が忌避している低学歴の俺と大差ない知識という事になるがね
0241人間七七四年
2008/04/29(火) 18:34:49ID:AriD9Ng0まずは図書館にでも行ってみたら?
0243人間七七四年
2008/04/29(火) 20:14:53ID:NHcFr4Y+お前の言ってる事って
「飛行機が飛ぶ原理が分からないから飛ぶというソースを出せ」
「飛行機の構造から揚力が生まれる仕組みまで全部このスレに書け」
「書けないのなら飛行機は空を飛ばないし空を飛んでる飛行機は全部CGだぜ」
って言ってるようなもんだ
0244人間七七四年
2008/04/29(火) 21:24:43ID:jM+xkmH0CGだとまでは言ってないがな?
CGである可能性も示唆した上で、両者の観点から見た場合の疑問を提示している
これを解消してくれればそれで納得できるんだが、>>241こんな体たらく
0245人間七七四年
2008/04/29(火) 21:58:27ID:NHcFr4Y+お前の言ってる事って、要点だけじゃ理解出来ないから
図書館にある資料を探し出して全部2ちゃんねるに書き出せ
そうじゃないとオレは何も信じない、っていう
相手に無理難題をおしつけてやれなきゃオレ様の勝ち!っていう
精神病患者みたいなもんでしょ?
0246人間七七四年
2008/04/29(火) 22:21:57ID:kLACPj5r自分の藩だけじゃなく他の近隣の藩の主食分まで補えるほどの
充分な量の雑穀を作っている藩があって、
なおかつその藩がよそから米を買って主食にしていないと
「自分の所では米だけを作って、それ売って雑穀に換えて主食にしていました」
説は成立しないのだが、
南部藩の周辺=東北地方は慢性的な不作だからそんな藩はありえない。
基礎知識なw
0247人間七七四年
2008/04/29(火) 22:49:21ID:j6gUC5I5米や雑穀の売買の相手や数量を明記していないし
何の史料にも基づいていないから放置でよろしい
0248人間七七四年
2008/04/29(火) 23:20:31ID:A62tTeHb0249人間七七四年
2008/04/29(火) 23:22:16ID:j6gUC5I50250人間七七四年
2008/04/29(火) 23:25:17ID:A62tTeHbとか
米と雑穀の生産量出して下さいよ
0251人間七七四年
2008/04/29(火) 23:25:52ID:A62tTeHb0252人間七七四年
2008/04/29(火) 23:34:03ID:j6gUC5I50253人間七七四年
2008/04/29(火) 23:38:10ID:mskOguYR片や二言目には低学歴
ていどひくいなあ
0254人間七七四年
2008/04/29(火) 23:45:01ID:HYOSJEQg日本には米を原料にした日本酒やせんべいがあるわけで、
麦やサツマイモを作って主食の代用にしていた九州地方には
麦焼酎や芋焼酎や麦味噌なんかが「食文化」として残っていたりするわけだが、
東北地方には雑穀を主食にしていたという食文化が一切残っていないんだよね
せいぜいソバぐらい?でもソバって農地を荒らすから主食にするほど生産できないんだよね
0255人間七七四年
2008/04/30(水) 08:21:32ID:aff19qTe何度も言わせるなよ
疑問を提示している、それを否定してくれればいいだけだ
それすらできないやつらが米を主食にしていたのたまっているわけだが
>>246
お前のその説にも無理がある
なぜ東北地方に限定しているのか
米穀は戦国時代でも畿内〜関東の遠隔地取引が行われていた
勿論、年貢じゃないぞ
なぜ東北のその地に同じことが言えないのか
>>254
それは米が極端に余剰して、且つ豪商が存在した場合に成立する
酒は倉庫業者から発展するのが多いんだが、それだけ米が蓄積されているという前提が必要
東北は米作りに向いてないし、冷夏の被害も受けやすいんだろう?
にも関わらず、米作を押し付けられて、その他の雑穀なんか作る余裕が無かったんだろう?
そんな状況で食べ物が余剰するとは考えにくい
余剰するほどなら飢饉なんぞおこりゃしない
0256人間七七四年
2008/04/30(水) 12:54:30ID:J1bA82r7松江藩ではそばを作る事と食べる事を藩主が推奨して
自ら「割り子そば」という食べ方を発明して自分で食べてみせた
それが地元で定着して島根県西部地方の名物になった
という風な雑穀の食文化が東北地方にはほとんど残っていない
東北地方にも全国各地に残っているのと同じレベルで
栃餅の文化がわずかに残っていたりはするが
これは米がない時の非常食・代用食的な扱いで主食とはいえない
何も残っていないのに「東北地方の主食は米じゃない」と主張するのなら
脳内妄想だけでは不十分で、それなりの文献やソースが必要
0257人間七七四年
2008/04/30(水) 16:07:00ID:aff19qTeその松江藩みたいな事例が東北にあればいいんだけどな
無いんだろ?
うがった見方をすれば、雑穀など米以外が常食となっていて、敢えて記録に残すものもいなかったという説明も出来るよな
ウンコした事を日記に書かないだろう?
下痢だとか、便秘だとか、そういうイレギュラーな事象でなければ記録には残りにくい
米が主食だったという決定的な根拠も無ければ、主食じゃなかったという決定的な根拠も無い
提示された事実からの推論も、どちらにでも解釈できる事を示したし、どちらの解釈にも疑問点があることも示した
だからどちらかの疑問を解消するか、推論を片方に確定させる事象を教えて欲しいんだが、未だに出てこない
米作りに向いてなくて、冷夏の被害を受けやすい、そんな危うい作物に全てを賭けるほどバカじゃないと思うんだがね
それは支配層も、被支配層も
支配層からみれば、農民が減少すれば農村が荒廃して収入が減る
0258人間七七四年
2008/04/30(水) 17:14:02ID:4nW5qJDX>敢えて記録に残すものもいなかったという
とすればそれなりの食文化が残っているはずなんだけどね。
>米が主食だったという決定的な根拠も無ければ、
>主食じゃなかったという決定的な根拠も無い
違うね
東北地方の場合も一応米が主食だったんだけど
多くの農民は主食であるはずの米が食べられず
雑穀や木の実を主食の代わりに食べていた。
だから、主食=米だが、常食=米ではないという事で
>米作りに向いてなくて、冷夏の被害を受けやすい、
>そんな危うい作物に全てを賭けるほどバカじゃないと思うんだがね
実際バカだったんですよ。
藩の負債の返済のために無理して貨幣価値のある米を作って
逆に冷害で米が取れず(4年連続で収穫量が0だった事もある)返済どころか逆にさらに負債を抱える
という悪循環が南部藩だったんですよ。
後に雑穀に切り替える事も推奨したんだけどすでに手遅れだったとかで。
0259人間七七四年
2008/04/30(水) 19:08:55ID:aff19qTeでもそういう食文化は聞いた事ないんだよな
しかし、醸造所もそれほど無いだろう?
越後のどぶろくあたりは有名だが、栄えてた都市だしな
主食と常食の定義か、なるほど
厳密な定義知らないから、goo辞書のお世話になった
まずは主食
>日常の食事の中心となる食品。日本では、米飯・めん類・パンなどの類。
続いて常食
>主食・副食として、日常普通に食べること。また、その食物。
日常的に献立に上らないなら、どちらの定義にも合致しない
他に定義の仕方があるなら教えて欲しい
なるほど、南部藩がバカだというお前の見解は理解できた
と、同時に米が大層高価なものだということの証左でもあるな
ますますそんなものを食べていたというのはなあ
それも収穫が不安定な作物で、おそらく西国では余剰している米以外の作物の行き先もなぞになるな
0260人間七七四年
2008/05/01(木) 00:01:25ID:XwkXyyZK飢饉で米が不足したら餓死するくらい米ばっか食ってたソースまだ?
0261人間七七四年
2008/05/01(木) 01:22:53ID:din/c90wどこかの宗教か洗脳か何かかな?
例えば、連続テレビ小説おしんで描写されている
明治時代の東北地方の山形県の寒村の場合
農民は米に大根を混ぜて粥状態にして量を増やした物を食べていた
この場合の主食は米で、大根は量を増やすための混ぜ物
平民は米に麦を混ぜて食べていたのでこれも主食は米
江戸時代ならもう少しマシな生活をしていたと考えられる
南部藩の場合は極端な米政策で穀物は米しかほとんど作っていないのだから
米がなければ食べられる穀物などないわけだ
0262人間七七四年
2008/05/01(木) 01:26:10ID:din/c90w東北地方に「雑穀や木の実を主食にしていた」という記録や食文化が残っておらず
せいぜい「飢饉や非常食で栃餅を食べました」程度の話しか残っていないため
米以外の物を主食にしていたとは考えられないので、それで充分なソースになるけど
反論があるならその手のキチガイ文のゴリ押しじゃなく、ちゃんと反論をどうぞ
0263人間七七四年
2008/05/01(木) 01:45:53ID:sybd3re4江戸と大阪以外にも東北でも相場立ててれば地元で米が廻ったかもしれないのに。
0264人間七七四年
2008/05/01(木) 02:54:56ID:din/c90w江戸の街は東北地方から攻められる事を想定した街づくりをしてるしね
東北に米が蓄積されるシステムは幕府の体制と矛盾しちゃうのよね
0265人間七七四年
2008/05/01(木) 06:35:49ID:Y/4gDoWk今やそれ以前と比較して深刻な寒冷化の時代だったから、
寒さに弱い稲作が東北でも盛んだったってのは少し考えにくいかな。
現代ですら冷夏の年は不作になるのに、
その平均気温が当時は当たり前だった訳だし。
0266人間七七四年
2008/05/01(木) 07:31:55ID:Yq307EIG夏の季節風の影響を受けない出羽では江戸期から稲作が盛んだった。
庄内平野や横手盆地には稲作や米の流通にちなんだ地名が多く残ってる。
0267人間七七四年
2008/05/01(木) 09:46:10ID:VplnZgI4なんという体たらくか
0268人間七七四年
2008/05/01(木) 09:58:42ID:imPo9Mv10270人間七七四年
2008/05/01(木) 18:28:12ID:VplnZgI4大学時代に試したぞ、カネがなかったからな
いけない事はない
ちょっと押しつぶして、フライパンでこんがり焼いてとすれば問題ない
0271人間七七四年
2008/05/01(木) 20:07:55ID:jm4UtfEuソース=現代の東北人の主食は米であり、なおかつ
戦国時代以降の東北地方に「主食が米じゃなかった時代があった」という痕跡がない。
つまり、米以外の穀物を「米の代用」「非常食」として食べていた記録はあっても
「主食として食べていた」という記録もないし、
主食として食べていたら残っているであろう食文化も全く残っていない。
また、幕藩体制化での南部藩は雑穀を作らずに米ばかりを作らせたという記録も残っており、
米以外に食べられる穀物を栽培していない。
米といっしょに大根や麦を混ぜて炊いて量を増やしたという話はあっても
米以外の穀物を主食にしていたという話はない。
よって、戦国時代以降の東北地方の主食は米だった事が確定してる。
0272人間七七四年
2008/05/01(木) 20:35:17ID:VplnZgI4アンカーは>>270より>>267のほうが良いと思うんだがどうだろう?
なるほど、その記録の名前を出せばそれでいいじゃないか
0273人間七七四年
2008/05/01(木) 21:41:52ID:Kou21FCsいちいち名前とかついてんのかなぁ?
0275人間七七四年
2008/05/02(金) 00:19:05ID:HmuoAms00276人間七七四年
2008/05/02(金) 08:19:52ID:if752TRP0277人間七七四年
2008/05/02(金) 08:25:14ID:if752TRP0278人間七七四年
2008/05/02(金) 08:49:17ID:T66rIBOyほら早くしろ
ほれほれ
0279人間七七四年
2008/05/02(金) 11:01:39ID:YzJ8fUwcつまりソレまでは気温が下がる山間地では水稲無理だったんだけど、
その赤米のおかげで一気に米の生産量が山間部で増え東北にも広がった
……というのが作物学的な見方かなぁ。
なので「戦国時代には東北地方では米作は一般化してきた」、これは確実。
で、中世ヨーロッパでの作付面積の60%が大麦だけど、「主食は小麦」と一般的に言われるので、
まずは「主食の定義」決めてくれないと、話は始まらないな。
>>265
江戸時代の米作事情で主食論議は難しい、ような……
戦国時代には米は”食(作)物”だけど、江戸時代には”お金”の意味合いが強く別格になった。
(例えば焼酎も戦国時代は米だけど17世紀になってからは米以外で作るのが普通となった)
そして東北の飢饉がひどくなる(餓死者が増える)のは米がプランテーション的に作られるようになってからなのよね。
0280人間七七四年
2008/05/02(金) 15:30:09ID:if752TRP農林水産省に聞いたら米だとさ
0282人間七七四年
2008/05/02(金) 16:53:28ID:5e+nWICP久方ぶりなまともな批判だ
主食の定義なんだが、過去レスに拠れば
>東北地方の場合も一応米が主食だったんだけど
>多くの農民は主食であるはずの米が食べられず
>雑穀や木の実を主食の代わりに食べていた。
>だから、主食=米だが、常食=米ではないという事で
なんて珍妙な定義があるぞ
この勢いだと人肉も主食になりそうだが
「多くの農民は主食であるはずの人肉が食べられず、穀物を変わりに食べていた。だから主食=人肉だが、常食=穀物ではない」
議論の核は諸物資の流通と収奪の関係になると思うがどうだろうか
実際生産されていても、それが年貢になったりすれば、農民の口には入らないわけで
その不足分を補う何かが推論されれば、米以外が主食という事になると思うが
>>281
ないなあ
逆に米以外を主に食べていたという記録ならあったんだが
いい加減名前教えてくれないか、自分で調べろって言い続けるだけじゃなくてさ
0283人間七七四年
2008/05/02(金) 18:02:06ID:silgDtz/またいつもの発狂がはじまったw
0284人間七七四年
2008/05/02(金) 21:39:53ID:5e+nWICP風呂で思い出したから補足しておく
まず
>そんな大量の穀物が実際にどこから来ていたのか、穀物以外でも構わないんだが
これは領外という非常に大雑把なくくりだが、たしかに東北に運ばれてたことを示唆する法令があった
次に
>また実際にそれほどの価格差があったのか
大麦が米穀の半額
多少の変動はあるが、大豆は米穀と同じぐらいの価格
勿論価格自体は年によってちがうが、おおまかな傾向がこんな感じ
以上「日本米食史」からの調査結果でした
0285人間七七四年
2008/05/02(金) 22:46:20ID:zvlSVvGB江戸時代に農民は米が食べられなかったという話はおかしい。
米に貨幣としての価値があり売買されていて権力者やお金持ちに集中したとしても
米は結局は食べ物なので、最終的に全て人の口に入って消費されるはずである。
なので高値で売買されたとしても結局は農民の口に入ったはずだ。
だから農民が米を食べられなかったなどという話はありえない。
という珍説なんだけど、
・当時米が日本国民の総人口分をまかなえるほど作られていたかどうか
・権力者やお金持ちの手元で余って破棄される事はないのか
という部分の考察が完全に抜け落ちてる。
0286全板トナメ戦国板の投票日は5/3!
2008/05/03(土) 00:33:39ID:SfXmwtBz今日5/3日は戦国板の投票日だよー
選対スレ
http://hobby11.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1205796433/
投票方法
http://hobby11.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1205796433/477
0287人間七七四年
2008/05/03(土) 01:59:46ID:rpMG4j83それ故、歴史的に米を好んできた日本人の主食で他の作物が上がるのはナニだと思うのだけど…
>>220
>餓死するような最下層の奴らの主食が米だった
昔からビンボー人のことは記録に残らない。それ故、今の状況から推察するしかないのだけど…
インドなどの米作地帯はほとんどが零細小作農なんだけど、去年の米が無くなったら↑のような早めに熟成したものや未成熟なものを穂刈して”収穫時”まで食いつないでる。
だからこの人たちの主食は米、といえるよね。
たぶん当時の小作農も同じ状況だったんじゃないかな。
米作が主で主食が米じゃない、と否定する根拠の方が薄いと思う。
0288人間七七四年
2008/05/03(土) 02:02:43ID:rpMG4j83>>299
>幕府が大量に援助米を送っても大量の餓死者を出した。
南部藩は外様なので幕府は無関心だった。それ故の餓死者。
同じ東北でも南部藩のとなりの天領では米が平年の5倍程度の価格で買えた。
あと米沢藩は松平なので幕府は援助してる。それ故餓死者一人も無し。
基本”飢饉”は、あるところから無いところへ穀物が輸送されないことでおきることが多い。これは江戸時代も同じ。
政治の問題なので、江戸時代の例を出すのはちょっと本論(主食)から外れると思う。
>>236
>米が貨幣に匹敵する価値を見出されていたのならば、それをうって安い穀物を買う
江戸時代、大規模な飢饉が起きると基本どの藩も穀物の輸出を止めた。藩内の物価の高騰を抑える意味があるのよね、これは。
それ故”金があっても買えない”が事実だったと思う。
最近中国が穀物輸出を止めて、日本でちょっと困ったことになったけど、あれと同じ現象だな。
0289人間七七四年
2008/05/03(土) 11:09:44ID:8QW0TW2L戦国時代東北日本と、そのインドの差は
・戦の存在
・品種改良の問題
・ヤマセの存在
・非生産階級による強力な収奪
同じとはいえない
せめて近世か、がんばっても近代の日本を参考にしないと
>>288
飢饉の問題は米が主食という問題とは関係がないと思うがね
米か、その他の穀物か、或いは米を売って他の穀物を買って食べていたにせよ、
米が不作で食べるもの(米がそれ以外のもの)が無くなって飢え死にするという構図に関しては異論はない
ついでに言うと、>>236は>>229の前提に立ってるからね
読んでみればわかるが、>>229はトンデモない事言ってる
0290人間七七四年
2008/05/04(日) 02:13:32ID:3a1iJ/zJ戦国末期や江戸時代の東北地方における状況と似た、カースト制かつ大地主制で作物が米のインドを出したわけです。
これは”戦国江戸時代の東北農民の主食は米”についてであって”飢饉”とは別の話で。
>>288は、江戸時代の飢饉について、”あまりにひどい”言及なので、書き込んだだけで、
たぶん同じ立場かと思います。
0291人間七七四年
2008/05/04(日) 05:46:54ID:mTcL+B5G日本史の区分上では安土桃山時代は近世
0292人間七七四年
2008/05/04(日) 09:05:17ID:dv0SwivI>>287については戦国時代との相違を言ったまでだけど
で、その作られた作物が、江戸時代でも4〜5割が年貢になって取り上げられて、さらに戦国時代なら戦乱で輸送が滞る
さらにヤマセやら品種の問題で満足に収穫ができない事もある
だから、インドの例を戦国期日本のそれにそのまま当てはめるには無理があると
>>291
それが?
0293人間七七四年
2008/05/05(月) 01:49:14ID:1h0hcArh犬HKがソースとか斬新だな
0294人間七七四年
2008/05/05(月) 02:46:57ID:SrDCagVq論点がよくわかりませんが…
インドには災害の問題がないと?品種のどのような違いに注目されてるのですか?
それらが戦国時代東北の小作農と現代インドのソレとの相違に関わるとは思いにくいのですが。
そして東北で米作付中心に変化したのは、鎌倉末期室町時代に農民自身の手で稲作が広まったのです。
政策(強制)的に米作りが広がったわけではありません。
ただ江戸時代(というか秀吉以降)に藩の政策で”強制的に米が作れるとことはすべて水田にした(プランテーション化)”ことが
以降の飢饉をひどくした原因ではあり、れは1993年の大凶作と同じ性質の問題でしょうから、
主食(好む作物)とは別の問題として論議すべきだと考えます。
>さらに戦国時代なら戦乱で輸送が滞る
これも気になります。具体的に数年にわたって輸送が滞った例はあるのでしょうか?
0295人間七七四年
2008/05/05(月) 07:09:21ID:1h0hcArh0296人間七七四年
2008/05/05(月) 08:16:35ID:kq8H838o恒常的に米作りに適していない土地であれば、米作りを広げようにも広がらない
突発的に米作りができないような状況が生まれたとしても、それが長期的視野にたって利益になれば、米作りは広まる
ヤマセは恒常的な発生が見込めるし、江戸はプチ氷河期なんだっけ?
品種が異なれば収穫量も異なるし、当然剰余米も変わってくると思うけど?
主食を好んで作る物という定義にしたの?
>>282で挙げた珍妙な定義とどっこいどっこいだと思うけど
東北のどの地域に米作りが広まったのかな?
一地域に広まったとして、それを東北全土に適用するのは強引だよね?
戦乱で輸送が滞った例なら1400年あたりの文書で確認できるよ
河川輸送じゃなくて海上輸送だけど
強力な権力が押さえつけでもしなければ、河川による内陸輸送でも似たような状況の存在は想像に難くない
0297人間七七四年
2008/05/12(月) 09:05:02ID:Ttt4+rsCそして、この食糧危機の時代、日本人の未来はどんぐりに託される。
0298人間七七四年
2008/05/12(月) 09:07:24ID:Ttt4+rsCなんというすばらしい響きを持つ名前だろう。
はるか縄文からの呼び声が気こえる。
どんぐり、この言葉が日本人の縄文のDNAを呼び覚ます。
はるかなる時を越えて。
どんぐり・・・ ころころ・・・
0299人間七七四年
2008/05/12(月) 09:24:46ID:vtfIuIWR日清製粉からあげ粉♪
0300人間七七四年
2008/05/13(火) 13:30:39ID:rKZ4NGgc「・当時米が日本国民の総人口分をまかなえるほど作られていたかどうか
・権力者やお金持ちの手元で余って破棄される事はないのか 」
当時の人口を2000万人とすると単純に年間一人当たり90升(一石=100升)
支配者階級(武士・裕福な商人・庄屋など人口の15%)が一日五合食えば、
年間540万石を食う。
残りは約1300万石。
兵糧の蓄えで半年分としても、1000万石以上残る計算。
飢饉はあっても700万石はのこる計算。
あながち珍説とは言えないと思うよ
0301人間七七四年
2008/05/13(火) 14:19:45ID:QKGpthbH0303人間七七四年
2008/05/14(水) 03:09:56ID:/cA9hc++0305人間七七四年
2008/05/14(水) 07:24:55ID:5Y6geCtV0306人間七七四年
2008/05/14(水) 08:05:28ID:ocNG8Z6l0307人間七七四年
2008/05/14(水) 10:50:46ID:YJKToCdG0308人間七七四年
2008/05/14(水) 12:26:17ID:af15M5ok0309人間七七四年
2008/05/14(水) 13:09:05ID:yvjLTgJA戦国時代もどんぐり食ってただろうなぁ。
米が足りなきゃどんぐり雑炊とか。
>>304
戦国期の米の加工品って酒が主かな?
0312人間七七四年
2008/05/14(水) 16:52:49ID:Y2V3U72Q稲作だけに関して言えば、青森県垂柳遺跡で籾が見つかり弥生時代には行われてます。
基本、東北各地でも米は農民が作りたいから作って広まってるんです。
”秀吉以後の話は別にして” ← 強調しときますね。
それに、おいらの言いたいのは”今まで米作りされていなかった土地に水稲作が広がった”
つまり”耐冷品種”で今まで米が作られなかった寒い土地(例えば山の谷のように水温が低い場所)での稲作が広まった現象が、
室町戦国時代にかけて全国で起こったが、東北でも同様であった、なので、
一部地域特定しての話じゃないのですが……実際に米生産量も上がってはいますし。
つか、なにを主張されているのでしょう?
おいらの知識を確かめてるだけ?
>戦乱で輸送が滞った例なら1400年あたりの文書で確認できるよ
土佐日記に「海賊がはこびって土佐から都への流通が止まってるよ、困ったな」
みたいな話が載ってますが、そんなレベルでの話じゃありませんよね?
南部藩飢饉の話は、江戸時代では全国での流通が完全に把握されていたために、
政治的な理由で流通の阻害(完全な食料の停止)が起きたのです。
それほど完全でなければ餓死者数万は出ないかと。
そこらは大塩平八郎がなぜ乱を起こしたか、の理由でもありますが。
0314人間七七四年
2008/05/15(木) 00:37:36ID:qbMt+9Vc0315人間七七四年
2008/05/15(木) 00:46:12ID:J88AAqYN南部藩に限って言うと
米は慢性的な不作、時々凶作で飢饉発生、
一番酷い例だと4年連続収穫量0の時があったぐらいだから
流通とかどうとか以前の問題
0316人間七七四年
2008/05/15(木) 19:26:02ID:kDBu4rXDいくら凶作でも1、2石くらいは採れるわ
0317人間七七四年
2008/05/15(木) 21:16:51ID:KsTsOf4P極端な話、北極に水田を作って米を作って
凶作でも1、2石くらい収穫できるかっつーの
0318人間七七四年
2008/05/15(木) 22:04:33ID:kDBu4rXD収穫出来ないなら例えにすらならん
0319人間七七四年
2008/05/15(木) 22:48:21ID:qbMt+9Vc0321人間七七四年
2008/05/15(木) 23:45:02ID:8e7/QI1C0322人間七七四年
2008/05/16(金) 06:42:07ID:70aXf7FN0323人間七七四年
2008/05/16(金) 18:12:25ID:wRdUHiMF0325人間七七四年
2008/05/16(金) 23:21:37ID:160WKphqその「凶作もクソも育たない」という環境が
東北地方で4年連続で発生したって事だよ
これで分かったかな?
0326人間七七四年
2008/05/16(金) 23:30:03ID:WX1r7GUqそれはもっともだと思うし、水穂の方が味も収穫量も上だと思うけど、
実際問題治水の問題で水田が出来ない地域が多そう。
水の取り合いするぐらいなのに、「水田始めました☆」とか言われたら襲われそうだなぁ
0327人間七七四年
2008/05/17(土) 00:00:48ID:7IkLU1F7この世の終わりかと気が狂うのもいるだろう。
栄養失調で髪も抜け落ちそうだ。
0329人間七七四年
2008/05/17(土) 02:02:53ID:QVe8nAaE秋田県の平野部のどこかの地域は東南アジアのような湿田で
腰まで泥水に浸かって激しい重労働だったそうな
で、農民達はどうしても乾田が欲しいっていうんで
作られたのが八郎潟なんだってさ
0330人間七七四年
2008/05/17(土) 02:08:01ID:QVe8nAaE食べる米がないどころか、稲作をするための種もみ自体もないって事で
それをよそから借りてきて借金が出来て、それでも米が獲れなくて
また種もみ借りるため借金して、っていうのが4年も続いたんだから
米を作るのを完全にあきらめるくらいの事をしても良かったと思うんだけど
当時の米経済ではそうは行かなかったんだろうね
米に農産物以外の価値しかないんだったらあきらめてたと思う
0331人間七七四年
2008/05/17(土) 02:59:18ID:P+wIgjEd0332人間七七四年
2008/05/17(土) 11:54:47ID:ZF0DUh2k0333人間七七四年
2008/05/17(土) 14:03:06ID:fci1hKVEごもっとも。
でも東北で数万もの餓死者があった飢饉に言及すると江戸時代の南部藩がどうしても、、、
>>322
平安時代でも米生産の主流は水稲に変わっていましたよ。
>>330
>よそから借りてきて
これが出来なかった当時の事情は、大塩平八郎の乱などを調べられるとわかるかと、、、
江戸時代はある意味特殊な経済事情があるのです。
0334人間七七四年
2008/05/18(日) 18:19:19ID:gNgSopqn戦国期に東北で稲作が、それも水田によるものが広まっていったと言いたいんだろ?
俺がしてるのは米が主食かそうでないか、だが
まずお前の仮説の問題点
弥生時代と戦国時代ではあまりに時代が隔絶しているという事
説明するまでも無いな
西日本で起こった事を東日本に適用するには強引に過ぎると言う事
これも説明は必要ないな
局地的に、具体的に言うなら川の近くの平野で水田が行われたとしても、非常に小規模であるということではないのかという事
これは後で触れよう
海上輸送、南部藩飢饉、大塩、これらはお前の主張である、戦国期に東北に米作りが広まっていたor広まったとは関係が無い
さて、水田が小規模に展開していたと言ったが
まず、水田作りに必要なのは水、そして水を確保するための用水路
用水路を計画的に建設しないと、大規模な水田というのは見込めない
計画的に用水路を建設しうる存在と言うのは、大名なりの巨大権力による安定した統治
しかし、当時の東北にはそれが存在しない
よって水田が広がっていたとしても非常に小規模
また当時の寒冷な気候を考えれば、東北への影響と言うのは西国のそれよりも大きい
赤米でなんとか寒さに耐えていたとしても、生育に必要なのびしろとでも言うべき余裕分が少ない
また赤米は収穫量が少ないし、天候不順による生産の減少も米生産に対するインセンティブを低下させる
なので、東北全土に広まったとは考えにくい
局地的には広まってるかもね
0335人間七七四年
2008/05/18(日) 22:36:44ID:AEA84+Vs全滅しなかったって事は、他の作物を作っていたんだろうね。
0336人間七七四年
2008/05/18(日) 23:21:03ID:CBLfJMwH0337人間七七四年
2008/05/19(月) 02:01:01ID:Uvpnuetp>俺がしてるのは米が主食かそうでないか、だが
農民が好きで喰いたくて自ら長年つくって広まった作物、は主食以外のなんといえば良いのでしょう?
つか江戸時代の事に言及するのは、
小氷河期に入った江戸時代中期でも商売になるから餓死者を出しても米作りがおこわなわれてた事実を上げ、
それよりは暖かかった室町戦国時代に米が作れないわけがない、といいたいだけですね。
で、江戸時代の飢饉の被害がひどいのは、全国規模の飢饉がくると穀物流通が止まるから、ということで。
”まずお前の仮説の問題点”
>弥生時代と戦国時代ではあまりに時代が隔絶しているという事
これは「弥生時代にはあった稲作が東北では戦国時代までに一度途絶えた」ってこと?
…ソコは略しちゃダメですよ!! ぜひ”説明”してください!!
>計画的に用水路を建設しうる存在と言うのは、大名なりの巨大権力による安定した統治
ジャワの高地や日本各地に残る棚田(千枚田)という存在をご存知ですか? その成立の仕方とか?
それとは別に、室町戦国時代になぜ新田開墾するだけの勢力が存在しない、と思われるのですか?守護地頭荘園の存在は?
>赤米は収穫量が少ないし、天候不順による生産の減少も米生産に対するインセンティブを低下させる
”耐寒品種”だから気候が寒い時代に寒い地方で広まったのですよ?
”水温が低い土地”に広まったというのが、正しい表現でしょうが、他の品種では実りさえしないのです。
というのも、稲が実るには累積温度……って面倒なので、略。
しかし現在絶滅した”耐寒性赤米”品種について、かなりお詳しいようですが、
情報元をご教授していただけるとうれしいのですが。
>なので、東北全土に広まったとは考えにくい。局地的には広まってるかもね
室町戦国時代にかけて、東北の人口は増大しているんですが
”水稲の広まり”による農業生産増加以外のなにが原因だと思われますか?
0338人間七七四年
2008/05/19(月) 02:23:12ID:Uvpnuetp米は日本人の魂ですから!!
>>335
>4年連続で稲が育たない状況だったのに全滅しなかったって事は、他の作物を作っていたんだろうね
全滅しなかった理由の第一は、”商品としての米”はなかったが、食べるところは残っていた、かもしれません。
米での冷害というのは、稲本体が枯れるわけではなく結実しないことで起こります。
つまり熟した実(商品として出せる米)が取れないため(年貢にも使えず)藩の記録上は収穫ゼロですが、
田自体には未成熟な青米やくず米はあるわけです。
記録として「稲株の粥」なども残っており、商品には出せない食物は飢饉でも存在したかと。
第二に、お金がなくて買えなかった、だけかもしれません。
飢餓が来ている当時、幾人もの旅行者がその地に行って見聞録を残しているので、
高い値段さえだせば食事はできる状況があったと推測されます。
(極端な例では隣接する天領では十分な米や作物がありました)
当時は定免法だったので収穫がなくとも税は払うことになり、年貢に出せる米がなければ借金になりました。
つまり無収入なのに4年分所得税を納めらたら食費無くなって餓死してしまった人が数万、なのかもしれませんよ。
0339人間七七四年
2008/05/20(火) 14:14:19ID:oZefyWLa>>336
米は日本人の魂ですから!!
これは無理やりなすりこみだよ!!
だめだよ、こんな嘘言っちゃ。
はるか古代、縄文人の魂はどんぐりだったよ!!
そしてそれは、今の日本人のDNAにも刻み込まれている!!
正真正銘の日本人なら、どんぐりに郷愁を感じるはずだ。
百歩譲っても、稗だな。
さてはお前日本人じゃないな、大陸からの侵略者の末裔だろ。
この成りすましが!!
0340人間七七四年
2008/05/20(火) 14:27:30ID:1eZ+Fz/j0341人間七七四年
2008/05/20(火) 14:33:18ID:1DlY4CIl0342人間七七四年
2008/05/20(火) 16:13:27ID:m7Sa/EeY池沼君曰く
南極みたいに物理的に米の収穫が不可能な過酷な環境だったらしい
米を作るのは山にマグロ釣りに行くくらい無駄な事だったんだとさ
0343人間七七四年
2008/05/20(火) 18:38:57ID:ySFAvzMN縄文時代の東北地方では、遺跡を発掘した結果
栗の木が人工的に栽培され栗の実が食用とされていた事が分かったのだが
ありもしない「どんぐりが主食だ云々」のソースをそろそろいい加減出してくださいな
>>342
キチガイ発言はお花畑板でどうぞ
0344人間七七四年
2008/05/20(火) 21:00:40ID:m7Sa/EeY0345人間七七四年
2008/05/20(火) 21:42:26ID:ySFAvzMNどこにそんな発言が?
0346人間七七四年
2008/05/20(火) 23:46:13ID:WkLaKMDf0347人間七七四年
2008/05/21(水) 03:00:54ID:djZJIcidそれは単なる仮説だが・・・
しかも間違った仮説!!
縄文時代の主食は栗じゃないどんぐりだ、このスレッドの前のほうのスレッドで散々話しただろ。
http://news24.2ch.net/mnewsplus/
縄文人の末裔の一派と考えていいんだろうか・・・
0348人間七七四年
2008/05/21(水) 07:08:44ID:7+jERo+q>一番酷い例だと4年連続収穫量0の時があったぐらいだから
この糞池沼は
北極で稲作するのと同義な環境だから一石、二石すら採れなかったと断言までしてるだろ
0349人間七七四年
2008/05/21(水) 07:30:46ID:7+jERo+q全ての可能性を調べつくし、収穫量は0だという事を証明するのはほぼ不可能はずなのに、何を根拠に0だと主張しているのか?
農家一軒一軒隠し田も含めた田んぼ一反一反虱潰しに家捜しするほど南部藩は暇と人材と財が満ち溢れてたんですね
0なんて主張はどんぐり以下な池沼の妄想以外の何物でもないだろ
0350人間七七四年
2008/05/21(水) 10:23:01ID:yWQgjAI7横から見てて面白いレスしてくれよ。
0351人間七七四年
2008/05/21(水) 20:34:34ID:fRgVUqn9もうアホかとw
じゃあアレか?
一粒獲れたら米俵にされて「収穫量は1粒」と公式記録に掲載されるのかwwwww
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0352人間七七四年
2008/05/21(水) 20:35:25ID:fRgVUqn9>1粒も取れる環境ではなかった
どこにそんな発言が?
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0353人間七七四年
2008/05/21(水) 20:53:33ID:6NiUWile0354人間七七四年
2008/05/21(水) 21:03:29ID:9JieSK0l早急に下記の文言を全否定するためのソースを出してください
今日中によろしく
盛岡藩
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
[編集] 飢饉
古来、この地方では飢饉が非常に多く、その度に多大な死者を出していた。
特に、慶長5年(1600年)から盛岡藩が廃藩置県された明治3年(1870年)までの
270年間を通じて断続的に飢饉が続き、その間に、
記録に残っているだけでも不作が28回、凶作が36回、大凶作が16回、水害が5回あった。
特に沿岸部(閉伊・九戸・三戸地方)においては、やませと呼ばれる冷風による被害が甚大で、
天明3年(1783年)から天明7年(1787年)にかけて起った全国的な大飢饉(天明の大飢饉)では
収穫が0という惨状であった。
また、藩経営が潤滑に進まなかったため備蓄が少ないばかりか、
農地も農作物も無いという状態に陥ったことから、
死者がさらに増えた原因であるとされている。
0355人間七七四年
2008/05/22(木) 02:51:39ID:z/5hYjXs0356人間七七四年
2008/05/22(木) 12:49:24ID:UEExrYlP一次資料まだかよ
0357人間七七四年
2008/05/22(木) 19:04:48ID:+UvmDueY0358人間七七四年
2008/05/22(木) 19:34:47ID:HCfhxaHBもうアホかとw
じゃあアレか?
一粒獲れたら米俵にされて「収穫量は1粒」と公式記録に掲載されるのかwwwww
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0359人間七七四年
2008/05/23(金) 05:39:40ID:bQL75Mayww
wwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
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wwwwうえっwwwwwうえっwwwwwwwwwwwwwwww
0360人間七七四年
2008/05/23(金) 07:59:26ID:yhw2aOu1秋の収穫を楽しみにしている
0361人間七七四年
2008/05/23(金) 12:39:47ID:1woSlCit収穫量0って書いてある一次資料早く出せよ北極君
0362人間七七四年
2008/05/23(金) 15:58:50ID:bLInd1Cpもうアホかとw
じゃあアレか?
一粒獲れたら米俵にされて「収穫量は1粒」と公式記録に掲載されるのかwwwww
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キチガイのID:7+jERo+qさんは
早急に下記の文言を全否定するためのソースを出してください
今日中によろしく
盛岡藩
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
[編集] 飢饉
古来、この地方では飢饉が非常に多く、その度に多大な死者を出していた。
特に、慶長5年(1600年)から盛岡藩が廃藩置県された明治3年(1870年)までの
270年間を通じて断続的に飢饉が続き、その間に、
記録に残っているだけでも不作が28回、凶作が36回、大凶作が16回、水害が5回あった。
特に沿岸部(閉伊・九戸・三戸地方)においては、やませと呼ばれる冷風による被害が甚大で、
天明3年(1783年)から天明7年(1787年)にかけて起った全国的な大飢饉(天明の大飢饉)では
収穫が0という惨状であった。
また、藩経営が潤滑に進まなかったため備蓄が少ないばかりか、
農地も農作物も無いという状態に陥ったことから、
死者がさらに増えた原因であるとされている。
0363人間七七四年
2008/05/23(金) 16:57:40ID:gbRaJ6SX0364人間七七四年
2008/05/23(金) 17:01:40ID:5nX5W8XX早急に下記の文言を全否定するためのソースを出してください
今日中によろしく
盛岡藩
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
[編集] 飢饉
古来、この地方では飢饉が非常に多く、その度に多大な死者を出していた。
特に、慶長5年(1600年)から盛岡藩が廃藩置県された明治3年(1870年)までの
270年間を通じて断続的に飢饉が続き、その間に、
記録に残っているだけでも不作が28回、凶作が36回、大凶作が16回、水害が5回あった。
特に沿岸部(閉伊・九戸・三戸地方)においては、やませと呼ばれる冷風による被害が甚大で、
天明3年(1783年)から天明7年(1787年)にかけて起った全国的な大飢饉(天明の大飢饉)では
収穫が0という惨状であった。
また、藩経営が潤滑に進まなかったため備蓄が少ないばかりか、
農地も農作物も無いという状態に陥ったことから、
死者がさらに増えた原因であるとされている。
0365人間七七四年
2008/05/23(金) 19:00:27ID:FXJMD4p2つまり、結論は主食は米だと?
それで議論の奉公がかなり違って来るんだが
で、主食の定義は好んで作るか否かということだね?
0367人間七七四年
2008/05/24(土) 04:11:36ID:bhbHg3WJいろんな事情で主食であるはずの米が食べられずに米の代わりに雑穀を食べる
飢饉の時には雑穀も食べられないので緊急避難的に木の実なども食べる
この場合、主食はあくまでも米であって雑穀や木の実じゃないわな
だから、結論としては「主食は米」で正解
0370人間七七四年
2008/05/25(日) 03:02:22ID:CWNoFPd2あらわれたせいでどうでもいいような主食論争に・・・
関西人死ね馬鹿関西人
0372人間七七四年
2008/05/25(日) 08:38:14ID:xgxkB6Umだから、偉大な食物である、どんぐりを馬鹿にするなって!!
0373人間七七四年
2008/05/25(日) 09:49:09ID:A9sjy/eVしかも今みたいに中国はじめ輸入品でなく純国産だしw
0374人間七七四年
2008/05/25(日) 10:20:10ID:2kjNvSgY無論、漢方は医食同源なので食事にも相当に気を遣った筈だけど。
0376人間七七四年
2008/05/25(日) 17:31:18ID:qEAPpKV9この重要な言葉の定義をおざなりに議論なんぞ出来ん
なんでか、定義次第でどうとでも逃げられるから
議論の初歩の初歩だ
従軍慰安婦の問題でも調べれば直ぐに分かるさ
0377人間七七四年
2008/05/25(日) 17:35:33ID:lkIfq8dw使わなければよろしいのでしょう?
0378人間七七四年
2008/05/25(日) 17:39:17ID:qEAPpKV90379人間七七四年
2008/05/25(日) 17:45:24ID:lkIfq8dwまずはおめえが定義して手本を見せろよ
0381人間七七四年
2008/05/25(日) 23:02:33ID:Qv/WWMPT・論拠を伴った反論が出る→議論になる
・広辞苑を覆すような論拠を伴った反論が無理→議論の余地なし
どんな馬鹿でも一人で出来る作業だろ
主食について無責任に「俺はこう思う」みたいな鼻糞以下の意見なんか求めて何になるんだ
無意味な井戸端会議にカタルシスを感じる婆かお前は
0383人間七七四年
2008/05/26(月) 00:29:36ID:gDSn1ibAどんな馬鹿でもわかるだろうがひとりで一人でやったところで意味はありません
0385人間七七四年
2008/05/26(月) 02:16:42ID:0SOT9KGL先に”主食の定義”とかたたき台出すのが普通じゃないか?
そうじゃないと、話は始まらない気がするんだか。
(…しまった、ただのヤバイ人を引き留めちゃったかな……)
0386人間七七四年
2008/05/26(月) 02:26:00ID:eDyVY/7C戦国時代の東北の主食は米だとみんなが納得していると思うんだろう?
つまり、主食の定義、意味には「みんな」の中で共通認識が存在するわけだ
その共通認識を示せばそれで終わるわけだが
すでに共通認識として存在する概念について聞いているのに、たたき台も何も必要なかろう
何故にここまでかたくなに定義を示せないのか理解できない
0388人間七七四年
2008/05/26(月) 03:25:21ID:UF7MB4E0キチガイにもほどがあるんではないか?
0389人間七七四年
2008/05/26(月) 08:12:04ID:eDyVY/7Cなぜ「なら」なのか理解に苦しむ
「みんな」の定義はググって出てきたもので一致しているのか?
ググって出てくる定義はおそらく同じではないぞ
>>388
確かに定義「づけ」してくれはおかしいな
定義を教えてくれ、のほうが適格だな
0390人間七七四年
2008/05/26(月) 08:37:28ID:eDyVY/7C主食とは、主に炭水化物を多く含んでいるもので、ごはん・パン・麺・パスタなどを指します。
主食とは、人々が日常的(にちじょうてき)にもっとも多く利用する食べ物のことで、一般(いっぱん)には、穀物(こくもつ)とイモ類(サツマイモ、ジャガイモ、キャッサバ)が代表的(だいひょうてき)です。
主食とはご飯やパン、めん類などがそれにあたり、主に糖質の供給源となり、最近の日本人の食事で不足しているのがこの主食です。
主食とは主に食べる物という意味である。主にとは50%以上、60〜70%くらいが当然である。
試しにググって見たら、一ページでこれだけあったぞ
さて、どれで「みんな」の認識は一致しているんだ?
0391人間七七四年
2008/05/26(月) 09:43:55ID:+pkcVN0u0392人間七七四年
2008/05/26(月) 12:07:25ID:cXVS/+Swなんだ、自分で出来るじゃんか
えらいえらい
0393人間七七四年
2008/05/26(月) 17:28:33ID:zz6Xs8rZ0394人間七七四年
2008/05/26(月) 17:42:26ID:EQ1NyLi7それが理解できない本物の知的障害者なのか?
それとも辞典すらひけない脳筋なのか?
定義の意味すら理解出来ない只の馬鹿なのか?
なんにせよ頭悪いな
0395人間七七四年
2008/05/26(月) 17:57:46ID:EQ1NyLi7議論にすらならない主張をし合って主食の定義についての結論が出ると思ってんの?
主食でぐぐって出てくる事柄がバラバラです。しかし、スレで議論すれば定義付けが出来ます?
主観を統一なんて出来るわけないじゃん
ぐぐっても気付けないの?
何で真面目に無意味な呼び掛けをするの?頭悪いの?
0396人間七七四年
2008/05/26(月) 18:52:31ID:PAtldLHK0397人間七七四年
2008/05/26(月) 20:30:54ID:O18uJ/Yeとだけ言っておく。
0398人間七七四年
2008/05/26(月) 20:38:25ID:O18uJ/Ye西洋では別にパンが主食って感じでもないらしいし。
東北みたいな極端に食糧不足のところでは、
カロリーをとりやすい炭水化物性の雑穀を中心にするにしても、
結局あるものは何でも食べたのかも。
0399人間七七四年
2008/05/26(月) 20:53:01ID:eDyVY/7Cそうそう、個人の意見なんて人によって変るのよ
俺が提示したように主食の定義も色々あった
そこで俺は特に>>337の定義を求めて、彼に聞いたわけだ
そしたら外野のお前らがギャーギャー騒ぐ事騒ぐ事
そんなギャーギャー騒いでるお前らの中から「皆に共通認識がある」と言ってきたものがいたわけだ
で、イマはその「皆の共通認識」における主食の定義を聞いているわけだ
わかった?
広辞苑の定義なんぞ殆ど無意味なのよ
>>395
まあ>>394へのレスで十分か
個人によって意見が変わる、だから本人に聞いていたんだが、外野のお前らが噛み付いてくると
議論において定義と言うものがどれほど大事かも理解できずに、罵倒だけは一人前だな
0400人間七七四年
2008/05/26(月) 22:08:16ID:7VVAHwk/0401人間七七四年
2008/05/26(月) 23:38:44ID:0SOT9KGL主食は日本独自の言葉だけど、だからといってナンセンス扱いは西欧かぶれっぽい気もするよ。
たとえば”うま味”なんてのも、同様日本独自だし。
>東北みたいな極端に食糧不足
飢饉だから一時的に食糧不足なだけで、縄文時代から人が住み着いてる豊かな土地なんだけどなぁ、東北は。
0402人間七七四年
2008/05/27(火) 00:04:17ID:+vuvTzuv酒田は米どころとして有名だしね
0403人間七七四年
2008/05/27(火) 00:44:09ID:xA6vJt1x一個人に聞くなら定義でもなんでもねーだろ
命題はそいつは主食についてどのような認識をしてるかだろ
端的に言うと単なるそいつの主観だ
俺の危惧通り定義って単語の意味が理解出来てなかったのか
0404人間七七四年
2008/05/27(火) 01:03:05ID:rE6E8rag一個人に聞くなら定義でもなんでもない?
なんでまた
言葉にはさまざまなニュアンスが含まれる
それを限界まで切り詰め、一つの意味に修練させたものが専門用語ってやつだ
この限界まで切り詰める作業が、定義にあたる
個人がどうとか関係ないんだが
お世話になってるgooによる定義
(1)ある概念の内容やある言葉の意味を他の概念や言葉と区別できるように明確に限定すること。また、その限定。
「用語を―する」
つまるところ、議論していて「さまざまなニュアンス」で逃げられたらうっとうしいから意味を絞れってことだな
だから議論する際には必要不可欠なステップ
0405人間七七四年
2008/05/27(火) 01:07:09ID:rE6E8ragそうそう追記
個人にも聞いてるが、「みんなの共通認識」に基づいた主食の定義も聞いてるのよ
分かりやすく書いてあげると
1、>>337の定義する主食とは何か
2、「みんなの共通認識」が定義した主食とは何か
この二つだね
俺の言う外野、即ち>>337以外に聞いているのは2だ
0406人間七七四年
2008/05/27(火) 01:12:31ID:+vuvTzuv「主食が米以外の物だった」という一次ソースが出せないから
「主食の定義は何か」と論点をずらして逃げてるだけ
定義もクソもなく「東北地方の主食は米ではなかった」というソースを出せば済むだけの話なのに
出せないから毎日発狂してる
0407人間七七四年
2008/05/27(火) 01:17:56ID:DQgiAfzA…じゃぁあんたは、せっかくレスしてくれた>>337を放置してるのかよ……
>>337の定義っぽいのは2行目ででてるじゃん。
0408人間七七四年
2008/05/27(火) 01:25:13ID:RU3XgvBpいやさ、主食としての米は大切だと思うし大好きだけど、
特定の食料を食事の中心に置けない環境では別の考え方をすべきかな、と思って。
0409人間七七四年
2008/05/27(火) 01:25:53ID:tXXUfVH90410人間七七四年
2008/05/27(火) 03:09:29ID:DQgiAfzA>特定の食料を食事の中心に置けない環境
ここ、kwsk。 そこらの認識が、他の人とちょっと違うようだよ?
0411人間七七四年
2008/05/27(火) 09:06:52ID:rE6E8rag>>303
当時の人間がそういっているわけだが
ちなみにソテロか何かの宣教師だ
逆に米が主食だという「一次ソース」はどこに?
>>407
定義っぽいものじゃなくて、定義を求めているわけだが
というか>>394が言っているように、個人の認識だから他人がとやかく言えることじゃないねえ
それともご本人で?
0413人間七七四年
2008/05/27(火) 17:22:01ID:DQgiAfzAあんたは「主食ってのはおかしい定義だ」っていいたいのか? それならスレ違い。
ちなみに、おいら的な定義は「摂取カロリーの大部分を依存し、かつ食文化の重要な要素である」かな。
だから「戦国時代の日本人の米が主食」と推察されるソースは、当時の生産量や取引などの経済資料、
ルイスフロイスの日本史などの記録に残る食習慣等、総合的に見て判断ですね。
だいたい、「現代の日本人の主食は米」ってのも、生産量やら摂取基礎カロリーだけではなく
”食文化”が重要な判断要素には入ってるよね。
あと、”カッコよくてクールな論客な俺様”が「一次資料はどっかでよんだ脳内記憶」みたいなレスは勘弁してくれ。
腹筋が壊れる…
0414人間七七四年
2008/05/27(火) 20:01:06ID:877n48Vf<<戦国時代>>板は6/4日出陣
http://2ch.gepper.net/tour/t2/a9.html
詳しくは選対スレへ
http://hobby11.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1211037643/
0415人間七七四年
2008/05/27(火) 20:43:52ID:rE6E8rag米が主食なのかという事に疑問を持っているわけだが
それの議論の為に主食の定義が必要だと言っている
なるほどなるほど
食文化の重要な要素か
これならもう議論できんわ
それから、ソテロは耶蘇教会報告書みたいなのの書簡に永禄年間の報告のヤツにあったんだが、メモがどっか行った
「日本教会史」ロドリゲス、「イエズス会日本通信」ビレラ、いずれも米が民衆にいきわたっていなかったと書き残している
「地方凡例録」でも二期作、二毛作用いて、雑穀で食いつないでも赤字で、農閑期に内職しないと家計が破綻すると分析している
「おあん物語」にも米が垂涎の食い物として捕らえられている
「近世農民生活史」には飛騨の人間が米は正月と盆にしか食えず、それも祖先の霊に備えたものの残りを頂いている様子が記されている
ちょっと時代は下るが、大正時代の政府調査ですら麦と米が相半ばして食べられ、貧民は米なんか食えないと報告している
ところで、お前がその定義において米が主食だと主張する史料を、一次史料を教えてくれるか?
なんでも文化史までも網羅して研究したんだろう?
当時の史料の残存性に難のある生産量やら取引量やらまで調査して
楽しみだ
0416人間七七四年
2008/05/28(水) 01:13:29ID:/7X+JNu+ああ、ごめん、北国は貧しいかなっていう、ちょっとまえの近代的発想と、このスレを読んでのカンソウから言ったまで。
0417人間七七四年
2008/05/28(水) 01:34:25ID:ffDpMyz4僕の腹筋が大変な事になってますので是非教えて下さい
>>405
釣りにしてはしつこいな
本物の馬鹿なのか、本物の知的障害者か?
本質が理解出来てないのに定義定義言ってるのは何故だ?
1、は一個人が持つ認識の再確認であって共通認識ではない
単なる俺イズム
故に個人の定義に何の価値もない
2、については上で教えてやっただろ?
主観での認識に共通性を求めるのは非効率的どころか純粋に無駄でしかない
何故なら、ベストな解が出る事は絶対にないからだ
故にベターである広辞苑を載せろ
0418人間七七四年
2008/05/28(水) 01:41:55ID:WQwfXl7v>食文化の重要な要素
>米が主食だと主張する一次史料
おい、当時主食という言葉が無かった以上そんな史料は有り得ないだろ。
それに「食文化」ってのは食に関する文化のことで、
>>415に挙げてある「米食えなくてアワヒエ食ってた」なんて状況も文化様式に含まれる。
米はその要素の一つなんだから「米が食文化の重要な要素」なのは正しい。
そうなると、>>413の定義では米と雑穀は両方とも主食ってことになるな。
全肯定なんだから敢えて新史料・新情報を>>413に要求する必要は元々無いわけだ。
一方、お前さんは>>413の定義においてさえ「米が主食でない」と部分否定する立場なんだから、
逆に「米は主食でない」事をお前さんが史料で示すべきだと思うぞ。
0419人間七七四年
2008/05/28(水) 01:41:56ID:ffDpMyz4東北が貧しいのは戊辰の懲罰で先送り+朝鮮併合に伴う朝鮮開発に
予算が吸われまくりで明治政府に東北を開発して貰えなかったから
0420人間七七四年
2008/05/28(水) 04:30:20ID:IfROW7Ugとりあえず根拠示してくれてありがとう。
「日本教会史」ロドリゲス、「イエズス会日本通信」ビレラの話は、九州の貧乏な人の話で、
「行き渡ってなかった」ということは、逆に「一般には行き渡っていた」という解釈が正当かもよ?
ちなみに報告当時、九州では米を使って焼酎作るほど米の生産量は十分だったし、
東北地方で米味噌が発達したところからも、米を加工用に回すだけの生産量は全国的に十分あったのよ。
で、同じ時期の記録なら、ルイスフロイスの日本史では宣教師の日本滞在中の食事は
米の煮たものと小魚と記述(質素な食事の例として)されてるけど、
あなたの意見に従うならイエスズ会宣教師は庶民と同じ食事じゃなく贅沢してた、と読み取るのかな?
「おあん物語」は、「あさ夕雑水をたべて。おじやつた。」って記述じゃん。
粥じゃなくて兄貴の弁当の握り菜飯がくいたかった、って話で「米は主食」ほうを強化する例出されて驚いた。
「地方凡例録」は寛永六年、江戸時代の制度的農民搾取の報告書で、
制度的に税金取りすぎで農民は米作ってるのに米食えないよ、何とかしようよ、って話じゃない、どうみても。
「人は米を食うべき」と為政者も考えていたからこそ、こういう報告書が幕府で取りあげられたんじゃないの?
そこには「米は主食」という一般認識があった証拠にみえるのだけど。みんな米喰おうよ、と全員思ってたとしか。
近世農民生活史の飛騨の話は、米がとれない山里でも米食が重要視された例じゃない。
おいらの意見(日本人は米食を捨てられない)の方を強化する根拠にしか見えないよ。
つか団栗くんもそうだけど、なんで田が出来ないところの例を持ってして一般化するのかな?
つか、全部の根拠に逐一反論してみましたが、いかが?
再反論、お待ちしております。
0421人間七七四年
2008/05/28(水) 21:10:28ID:MtG5Jz4S0422人間七七四年
2008/05/28(水) 22:27:04ID:cHMB/yJsもう議論する期のないお前はどうでもいいんだわ
本人が答えてくれたし
>>418
現在で言う主食の概念に相当するものが何かと言う議論だったんだが
答辞にその言葉が存在するか否かなぞ問題ではなかった
米以外の穀物「も」主食だったなんて主張読んだ事ないが?
>>420
俺はもうお前と議論するつもりは無いから
あんな定義で議論できるとは思えん
それはそうと、お前の説を補強する当時の生産高やらの史料は?
0423人間七七四年
2008/05/29(木) 02:02:35ID:A1N9r9qc逃亡wwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
0424人間七七四年
2008/05/29(木) 03:21:17ID:qFEpWe/K自分で出した資料の解釈についての異議を無視したら、
出した資料についてなんもも知らんと白状してるようなもんだぞ?
いくらカッコつけても”アホ”にしか見えないよ?
それに”討議拒否”されてるおいらに「おまえも資料出せ!」って要求は一貫してなくない?
>あんな定義で議論できるとは思えん
おいおい。「”主食の定義”だしたら相手してやる!」、ってカッコよくいったから、
わざわざ書いたのに、この仕打ちかよ。
じゃ、あんたが討議できる「主食の定義」だしてくれよ。おれたちに”秘密”にする意味あるのか?
0425人間七七四年
2008/05/29(木) 04:14:01ID:Tts1L1C6フルボッコで基地外君涙目wwww
0427418
2008/05/29(木) 06:05:37ID:ZTQ6wyo5>米以外の穀物「も」主食だったなんて主張読んだ事ないが?
確かに読み返したら話のピントがずれまくってるな・・・。
悪い、通りがかりで十分読んでなかった。
えーとな、みんなが共通認識するところの「現在の主食の概念」として>>413が提示した
「食文化の重要な要素」云々を>>415で即却下した理由を言ってくれ。
ひとまずここの住人は>>413の定義で満足してるみたいだが。
あと、お前さんは終始定義の事を言ってるわけだから、
>だから「戦国時代の日本人の米が主食」と推察されるソースは、当時の生産量や取引などの経済資料、
>ルイスフロイスの日本史などの記録に残る食習慣等、総合的に見て判断ですね。
>だいたい、「現代の日本人の主食は米」ってのも、生産量やら摂取基礎カロリーだけではなく
>”食文化”が重要な判断要素には入ってるよね。
この件は主食を定義する以前の話で、反応しちゃいかんと思うがな。
0428人間七七四年
2008/05/29(木) 08:22:13ID:9F1+OVAB0430人間七七四年
2008/05/29(木) 13:43:22ID:QVKLzNIU0431人間七七四年
2008/05/29(木) 14:46:48ID:Tts1L1C60432人間七七四年
2008/05/29(木) 20:35:24ID:+s8RgvGA0433人間七七四年
2008/05/30(金) 04:37:26ID:IGtZHBA/”自分の出した根拠の錯誤を指摘されたのに反論しない人”相手に本気でレスしても無駄な感じなので……
「戦国時代の庶民は米喰ってた」は>>420の前半で十分よね? おいらの一番言いたいのはそのことだし。
なんかオチもついちゃったけど……妄想半分で。
雑穀を主食?にする文化では基本製粉してから麺やパンにして食べるのよ。古代ローマ軍も個人で石臼もって遠征してた。
でも、日本で一般農家に小型の回し挽き臼が広がるのは江戸時代に入ってから。
つまり戦国時代の一般庶民には製粉手段がないから雑穀を積極的に使う食習慣はなかった、と推測できるかも。
基本”米に混ぜるもの”として雑穀の存在があったように思えるんだ。
それに米に早稲晩稲が増え二毛作や二期作が可能になったり、赤米(大唐米)という耐寒品種も広まる
農業革命が起こった時期だった戦国時代は、かなりな”米の時代”だっと言えるんじゃないかなぁ。
1560年あたりで年貢が銭から米納に変わった(浦長瀬隆「中近世日本貨幣流通史ー取引手段の変化と要因ー」)
事も指摘されてるから、戦国時代の庶民の生活はかなり米中心で豊かだった、と思うんだ……
でも飢饉はけっこう頻繁に起きたらしい。たぶん冷害に対する農業技術とか未発達なのが原因だと思うけど。
ここらは江戸時代になって急激に発達(農業書の普及)するんだけど、火山噴火一発で天明の飢饉が起きちゃうのよねぇ。
平成の米不足の時もそうだけど、人間って本当に天災には無力だよなぁ。
0434人間七七四年
2008/05/30(金) 05:59:17ID:HAJ6S5N4味付けとかどんな料理があったかとか誰の好物は何でとか兵糧の種類とか味とか
面白そうな話題いっぱいあるだろ
なんでずっと米食ってますいた、いいえケフィアですJKとかくだらねえことで争ってんだよ
ボクはもう堪忍の限界です!!僕はぷんぷん怒っています!!!
0435人間七七四年
2008/05/30(金) 08:19:21ID:ka8JYL1x0436人間七七四年
2008/05/30(金) 12:19:29ID:V7vEnFS6議論する余地は開始が応仁の乱からか、明応の政変からかくらいしかない
0437人間七七四年
2008/05/30(金) 19:27:33ID:XeznkgHX「戦国時代の東北地方の主食は米ではなかった」と主張しているアホが
一次資料を請求されて窮したために起こした論点ずらし作戦です
もうその辺でいいでしょう、助さんや
ここからは「戦国時代の主食は米ではなかった」「どんぐりだった」を
袋叩きにするターンです
0438人間七七四年
2008/05/30(金) 22:34:57ID:V7vEnFS60440人間七七四年
2008/05/31(土) 13:48:00ID:tOsdtx2R0441人間七七四年
2008/05/31(土) 14:42:03ID:RCtg9yr8お、まだいたんだ。当時米が豊富だったと考えるおいらの根拠をとりあえず3つ上げるね。
1)米加工品が増えた(米焼酎、麹、味醂etc..の始まり)
2)一六世紀半ばに中国からの悪銭の流入で、銭の代わりに通貨として米が使われたこと
3)銭決済が普通だった一五世紀終わりに京都に幕府公認の米場座ができ、諸国の米が集まり、米の卸売り市場が確立したこと(各地から運ばれた記録あり)
これに付随する一次資料は膨大になるから割愛。あなたならすぐ探せるでしょ?
なんか異論があったら、”資料”つけていつでもよろしく。
0442人間七七四年@全板トナメ開催中
2008/06/01(日) 04:40:43ID:KC9DcfPsとりあえず芋がら縄ってうまいのか?2打に使ってた縄食えるのか精神的に
壁掘るとでてくる干物も同様。富岡城にはクジラが埋め込まれていて島原の乱のときに
掘り出して食ったから落ちなかったつ-のはマジカ?
あと日本昔話だと飯が三食鍋の中の汁物なんだがあれうまいのか
栄養的に大丈夫なのか腹壊すんじゃないのかとか
話題いろいろあるだろ!
米粘着は死ね東北馬鹿にしたいならよそでやれ
米あったよ粘着も死ね二人でスレたててやれ
どっちもぐちゃみそになって山犬に食われろ
0443人間七七四年@全板トナメ開催中
2008/06/01(日) 05:21:39ID:QnpiNsLl当時からすりゃそれが当然なんだから
壁を掘ったり縄齧ったり煮たり湯で戻したりして食うのも平気じゃないのかね
つか別にそれを常に食ってるわけじゃなくて
非常時に食うものだろうし、食えるもの食わなきゃ死ぬような状況だったら食うだろ
栄養とかも別に今みたいに食品成分表とかあるわけじゃないから
概念も違うだろうし、現代を基準にしてもなんだかなぁ…って感じじゃなかろうか
鍋の中の汁物は普通にうまそうだと思ってた
0444人間七七四年@全板トナメ開催中
2008/06/01(日) 05:41:55ID:GAlcZ3VM0445人間七七四年@全板トナメ開催中
2008/06/01(日) 09:13:53ID:y9e9ij5+>あと、”カッコよくてクールな論客な俺様”が「一次資料はどっかでよんだ脳内記憶」みたいなレスは勘弁してくれ。
0446人間七七四年@全板トナメ開催中
2008/06/01(日) 11:16:43ID:QwesyEL10447人間七七四年@全板トナメ開催中
2008/06/01(日) 13:47:16ID:2XwyLntuこれも糠味噌だったのか?
0448人間七七四年@全板トナメ開催中
2008/06/01(日) 14:33:41ID:VtpwoFN/米が豊富=主食足り得る
一次資料まだ?
紙が食えるとしたら一万円札食うの?
俺ならティッシュ買って食うけど
0449人間七七四年@全板トナメ開催中
2008/06/01(日) 14:38:45ID:VtpwoFN/鯨埋めるより鯨の質量分の鰯埋める方が安くて簡単かつ便利
後は解るな?
0450人間七七四年@全板トナメ開催中
2008/06/01(日) 19:07:01ID:3PHyDmgd「現在で言う主食の概念」の定義とやらがまだ共有されてない
>>413のは皆が文句言ってない中でお前さんだけがロクに説明も無く一蹴した
0451人間七七四年@全板トナメ開催中
2008/06/01(日) 20:30:01ID:Xqms6FM8アホすぎ。・゚・(ノ∀`)・゚・。
0452人間七七四年@全板トナメ開催中
2008/06/01(日) 20:31:07ID:Xqms6FM8アホすぎ。・゚・(ノД`)・゚・。
0453人間七七四年@全板トナメ開催中
2008/06/01(日) 20:36:40ID:Xqms6FM8米が豊富にあり、加工品に廻すほどの余裕が当時の社会にあったとしても
「その豊富であり余る米が貧乏人にまで行き渡っており
それでもなお余っているから加工品になる」と考えるのは間違い
貧乏人に行き渡らないが加工品になっていると考えたほうた妥当ではないか
現代社会でも食糧は豊富にあって大量の食べ残しが廃棄されている反面
年金や安月給で食うのがやっとという人も大勢いるし
時々食えないから犯罪を犯して刑務所に入って食わせてもらうとか餓死する人もいる
0454人間七七四年@全板トナメ開催中
2008/06/01(日) 21:01:53ID:H0c7Qq/jコテつけろ
0455人間七七四年@全板トナメ開催中
2008/06/01(日) 21:10:42ID:QV9jKQOSお察しします
0456人間七七四年@全板トナメ開催中
2008/06/02(月) 03:05:29ID:0s2x9v7Qお前みたいな馬鹿でも理解出来るように書いたら長くなったから、今回だけ文に句読点と改行付けてやる。
広義には辞書。主食論の発端は「主食だった米が食えなくなって餓死した」なんだから、私的な広義での
主食論なんていらない。ここでの狭義は「カロリーベースの大半をしめる」。
じゃなきゃ「主食の米が食えなくなって餓死」しないからな。
「主食だった米が食えなくなって餓死した」って主張の唯一の論拠として「餓死するくらい底辺の農民です
ら米ばっかり食ってた」ってのを裏付ける資料が絶対条件。
米を沢山作ってたことを裏付ける一次資料出されても、そんな当たり前な事は誰も否定してないんだから、
無意味なソースはいらないんだよ。
調味料としての利便性と、米を売るより分がいいから米の加工品を作ってた以外の解釈があるのか?。
今より厳しい格差社会なのに、どういう思考回路があれば「米が余ったから加工してました」になるんだ?
俺のスタンスはゆとりの極論馬鹿が好きそうな「当時の主食は米」でも、「当時の主食は米ではない」でもな
く、「経済力に見合った物を食べていた(=ピラミッドの階層毎に違う)」だ。
米を主食にしていたやつもいるだろうよ。滅多に米を食べることもなく死んでいったやつもいるだろう。
米の絶対量が減ったら米をそれなりに食ってた奴らも食事の質を雑穀に落として食いつなぐだろう。
雑穀が主な食事だった貧しいやつらにとってはその物価も上がって迷惑だよな。
それこそ生き死にの問題だ
0457人間七七四年@全板トナメ開催中
2008/06/02(月) 03:32:51ID:mgjykQSZこの場合の主食は「米」で、米の飯の分量を増やすためにあるのが「大根」。
大根の分量が米よりも大幅に上回っていても、主食はあくまでも「米」。
大根は主食ではなく、あくまで米を含んだ飯の量を
増やすためのアイテムという扱い。
同じように、農家や下級市民が食べる「麦飯」も主食は「米」であって、
「麦」は米を含んだ飯の量を増やすためのアイテム。
麦の量が米を上回っても主食はあくまでも「米」であって麦ではない。
その辺をカロリーベースで理解しようとすると何も分からなくなる。
0458人間七七四年@全板トナメ開催中
2008/06/02(月) 03:40:58ID:mgjykQSZ主食として食べるための「食糧」と、
自分の家で貨幣として使ったり納税としての「貨幣」の両面の意味があったわけだ。
全てを年貢(貨幣)として収めるつもりで米を作っていたわけではない。
半分くらいは自分の家族が食べたり使ったりするために作っていたわけだ。
この時点で米は完全に「主食」で間違いない。
しかし、不作や凶作で充分な米が取れず、ほとんど自分の口に入らない。
じゃあ替わりに何か別の物で食いつなぎましょうか、という話になると、
それでも主食は「米」であって、別の食品は「米の代替品」でしかなく
あくまで米の代替品なので「主食」という地位ではないわけだ。
0459人間七七四年@全板トナメ開催中
2008/06/02(月) 05:16:10ID:hMSRV+Jl>「その豊富であり余る米が貧乏人にまで行き渡っており」
>>420に書きましたが、当時のイエスズ会の評判や活動かんがえると、日本滞在中の宣教師の食事が米なのは、
一般的庶民も米を食するのが普通だった、と考えて良いのではないでしょうか。
日本史の記述では、当時も貧富の差無くキリスト教徒になったようですから。
つか、いくつかの根拠をあわせて「当時の主食は米」と主張しているつもりです。ご確認ください。
>>456
>「主食だった米が食えなくなって餓死した」
このスレ抽出したけど、だれもそんなこと言ってないような。
戦国時代で餓死者が出た例すらあがってないのに、そんな話どこからでたのでしょう(南部藩は江戸時代の話です)。
つか「戦国時代では摂取カロリーベースで考えた場合大部分を米が占めない」層の存在の根拠が知りたいですね。
当時の農業技術書も商取引も米稲作の記録がほとんど、普通は”主農作物=主摂取カロリー”と考えるのだけど。
>今より厳しい格差社会
土一揆とか頻発して地侍とか国侍とか半農半武士が国の基礎になってた時代、なんですが……
雑穀をいろいろ加工して喰うようになった江戸時代と、戦国時代は別の話。
どう読んでも、ここを区別しているように見えないのは、あなたの幻惑話術に私がはまっているのでしょうか??
>>433に小型挽き臼の話を書きましたが、戦国時代の農村では製粉することは一般的ではありませんでした。
ソバ(そばがき)うどん(切麦)ソーメンなとの麺類は、当時はお寺の食べ物でした(お茶用に石臼があったため)。
つまり、庶民が煮る炊くしか調理しなかったのは、それで十分食べられる食文化を持つ作物”米”を主にしていた傍証であると思います。
>無意味なソースはいらないんだよ。
”変なソース(>>415)”出したちゃったからって、根拠をおろそかにして自暴自棄に”邪気眼”にはしるのはどうかと……
つか、いいかげん私も一度書いたことを繰り返し書くのもめんどくさいのですが……
私の根拠に不明な点があれば、ぜひ突っ込んでください。お待ちしております。
0460人間七七四年@全板トナメ開催中
2008/06/02(月) 05:28:03ID:4Vfh6+rm0461人間七七四年@全板トナメ開催中
2008/06/02(月) 06:07:03ID:ZJWUWervんなとこ日本の一角だろ。
0462人間七七四年@全板トナメ開催中
2008/06/02(月) 22:45:15ID:fk4rWGiU都市部は米食えた
じゃないの?
0463人間七七四年@全板トナメ開催中
2008/06/02(月) 23:54:10ID:ux3NRpScちょっと日給よすぎ?
0464人間七七四年@全板トナメ開催中
2008/06/03(火) 00:09:55ID:HKCknErL0465人間七七四年@全板トナメ開催中
2008/06/03(火) 00:33:24ID:rVfs8tHnちなみに敦賀の大工らしい。
0466人間七七四年@全板トナメ開催中
2008/06/03(火) 01:13:38ID:N5U1fnnp中世の聖職者と1番数が多い身分層の貧民が同じ食生活だ?頭に蛆でも湧いてんのか?
ん?抽出?>>213
カロリーベースの大半?当時の食事は平均で何キロカロリー食べての?で、米はそのうちの何キロカロリー?
大半って断言した数的な根拠は?
半農半武士が礎?人口の何%?朝鮮みたいに支配者層が人口の大半だったの?
今よりは格差がないとする反論にすらならない無意味な論点逸らしするくらいなら死んだら?
区別?一貫して「南部藩の餓死した貧民の主食が米だったソース出せ」を崩してないが?
後発のお前が勝手に戦国時代に論点ずらして噛み付いて来ただけだろ
資料?なにそれ美味しいの?主食の多様性の立ち位置の俺が、主食≠米な立ち位置で資料なんか出すわけねーだろ
戦国期?通貨価値が薄いから江戸期よりは「食う量/収穫量」の割合で考えると米食えただろうな
で?どのくらい食ってたの?
一般論化出来るだけの客観的な数字が資料にないからこその立ち位置なの理解出来てる?
主食=米派と主食≠米派の二元論しか考えられないくらい知能が低いの?
≒←こう言う記号見た事ある?
一般論として断言出来るだけのソースがないのに断言するのは浅はかすぎる
の思考の元にソース出せって指摘してんだろ
限定条件すらない一般論において物的証拠がないものは曖昧にすべし
何故ならいくら掘り下げても妄想(=数的根拠がない論理展開)がソースの自己満足にしかならないから
統計学的数字があるなら資料名とその数字を提示した上で好きなだけ主張しなよ
ソース出せ=自分と真逆の立ち位置としか認識出来ない知的障害者には理解出来ないか
哀れ
0467人間七七四年@全板トナメ開催中
2008/06/03(火) 01:29:28ID:N5U1fnnp稲作という歴史的事実から考えて「米が1番多い」くらいに留めておけば噛み付かなかったのに
米以外認めないっていう無根拠な思想の押し付けが気に入らない
0468人間七七四年@全板トナメ開催中
2008/06/03(火) 01:33:18ID:Pj+s8WTTソース出せとか言ってる阿保は半島出身だろ。
0469人間七七四年@全板トナメ開催中
2008/06/03(火) 02:02:27ID:zqIameYV>死んだら
>知能が低いの
>知的障害者
お里が知れますなあ
0470人間七七四年@全板トナメ開催中
2008/06/03(火) 02:54:59ID:Bv8ZN2qr0471人間七七四年@全板トナメ開催中
2008/06/03(火) 03:13:48ID:6PoHjNit0472人間七七四年@全板トナメ開催中
2008/06/03(火) 03:34:09ID:i3YTqba30473人間七七四年@全板トナメ開催中
2008/06/03(火) 10:19:51ID:Bv8ZN2qr自分は何も提示せず駄々をこねるだけで
相手に証拠を要求出来るほどの発言も努力も何もしていない
0474人間七七四年@全板トナメ開催中
2008/06/04(水) 00:41:46ID:Ju5t+/vP見習いの分も含まれてるかもしれないしね。
0475人間七七四年@全板トナメ開催中
2008/06/04(水) 23:08:44ID:ZeYk+fVT支倉常長をお忘れ無く。東北にもキリスト教布教は行われていました。
>>466
だれも「米しか喰ってない」なんていっとらんのになぁ……
「米が主食」って、そういう意味に取られる方が想定外。
つか、「いつ俺がそんなこと言った!?何時何分何秒!?」みたいな反論は想定外です。
どうやったって、当時の状況は推論するしかありませんし。
で、戦国時代の農民の人口は90%近くあったと思われるので、あなたの言われる”貧民層”って農民のことですよね?
戦国時代の農民の多くは自作農(検地でも耕作に税金が課せられるようになった)だったんですけど。
>中世の聖職者と1番数が多い身分層の貧民が同じ食生活
あと イエスズ会が当時日本にあった既存宗教より高潔で清貧だった、と当時の記録にあるのは、
贅沢をしなかったからですよ。つまり庶民と同じレベルの食事をしてたんです。
なんというか、基本的に一六世紀の常識が欠けておられませんか?
0476人間七七四年@全板トナメ開催中
2008/06/05(木) 00:52:48ID:3xi/bpzR戦国時代に?
0477人間七七四年@全板トナメ開催中
2008/06/05(木) 23:48:33ID:/liSss8K織豊時代も広い意味で戦国時代に入るだろ。
0478人間七七四年@全板トナメ開催中
2008/06/06(金) 00:48:38ID:T1hRw9qI0479人間七七四年@全板トナメ開催中
2008/06/06(金) 00:54:04ID:nYZP3+snということは豊織時代といっても、まあいいんじゃね?
0480人間七七四年@全板トナメ開催中
2008/06/08(日) 03:17:42ID:i5pyYfqeご存知、インスタント味噌汁の素。戦国時代の兵士御用達の携帯食でござる
味噌を溶かした少量のダシ汁で芋がらを煮詰めるだけでいいよね?
ダシ汁を使うのも贅沢かもしれないが、せっかくなら美味しいのを備蓄したい
0481人間七七四年@全板トナメ開催中
2008/06/08(日) 03:31:55ID:5soa1Tnw0482人間七七四年@全板トナメ開催中
2008/06/08(日) 09:29:27ID:39un0aFr0483人間七七四年@全板トナメ開催中
2008/06/08(日) 10:47:16ID:5soa1Tnw0484人間七七四年@全板トナメ開催中
2008/06/08(日) 11:02:59ID:s/ItF2dT本来は、芋茎で縄を編んで、それを味噌煮にして乾燥
させた物らしい。
う〜む、なんか味が薄そうな気が。
0485人間七七四年@全板トナメ開催中
2008/06/08(日) 11:42:32ID:8+pP33Iahttp://www.kanbutu.com/syokuzai/imogara.html
0486人間七七四年@全板トナメ開催中
2008/06/08(日) 12:29:45ID:zWFXTyrE味噌汁につけましたって感じじゃなくて液体味噌につけましたって感じなら濃いんじゃね
0487人間七七四年@全板トナメ開催中
2008/06/08(日) 12:55:30ID:8+pP33Ia「味噌汁につける」とか「液体味噌」とか何言ってんの?
0488人間七七四年@全板トナメ開催中
2008/06/08(日) 13:51:36ID:GUa54ydphttp://bijindo.seesaa.net/article/49261462.html
0489人間七七四年@全板トナメ開催中
2008/06/08(日) 18:35:30ID:i5pyYfqeそれはぼったくってる気がする
田舎の市場とか行けばアホみたいに安く売ってる
0490人間七七四年
2008/06/09(月) 06:01:48ID:Or2L0SPE麦米味噌は一七世紀初めから、といわれているので、当時の味だと豆味噌しか……
八丁味噌は桶狭間の合戦で使われたらしい(戦陣にぎり)から、それ使うと良いかも。
ただ現在より思いっきり塩分が多かったと思うけど……
0492人間七七四年
2008/06/09(月) 09:46:38ID:tKwDGupu当時は大豆が貴重品で、大豆味噌は戦時にしか口に出来なかったとか…。
武田信玄が「じんだみそ」を開発したんだよね?
0493人間七七四年
2008/06/09(月) 13:45:02ID:2kbJSVJQ朝6時から夜の0時まで働いてもピンハネされまくって月20万円なかったとのこと
貧困に喘ぐ人達と、左手団扇の金持ちの格差が生み出した不幸とも言える
殺害された7人は、
元・歯科医(74)、東京藝術大学(21)、東京電気大学(19)、一流企業のサラリーマンとか、
実家がお金持ちな人ばかりだったのは、神のイタズラか?
0494人間七七四年
2008/06/09(月) 16:03:08ID:Or2L0SPE大宝律令に「未醤」が載ってるけど、豆味噌って鎌倉時代頃禅寺で作られた粒豆味噌(塩辛納豆)
が始まりじゃないのかな。すり鉢って元々この豆の粒つぶすものだよね。
一六世紀中盤には各地に豆味噌どころは出来てるし、
陣立味噌なんて、一般に豆味噌作りのノウハウが広くあった証拠だと思うけど。
ぎゃくに直接食用とする”ぬかみそ”の記録ってどうなのかな。
朝鮮の役の記録にあるから戦時食ではあったと思うけど。
糠って精米時にでるから、平時は玄米食だった戦国時代に糠は生産量少なかった気がするのだけど……、
(戦時食は白米だったから、そのときには糠がでるので”ぬかみそ”を同時に作るのはわかるのだけど)
昭和の初めまで九州に残っていた陸稲の”焼きごめ”製法も、
籾ごと蒸す→杵でついて風で脱穀精米一気にやる→乾燥してアルファ米化、
で、糠が出来る余地がないのよねぇ(これは麦雑穀類も同じなんだけど)。
だから”糠”は白米(戦時食)作る以外にはでることが少ないだろうに、
それが豆より広く一般食に使われていた、はどうなんだろ……
確かに、高級品だ、って否定は出来ないんだけど当時でも自家製豆味噌作ってるからなぁ…
0495人間七七四年
2008/06/12(木) 22:33:45ID:Q0Yghj+6ここまで話題がコメばっかりとか異常だったからな
0497人間七七四年
2008/06/21(土) 17:38:24ID:XaVSc/e7この頃の日本は刺身を食うとき山葵醤油ではなく辛子醤油が一般的だったみたい
焼き魚にも煮物や漬物にも黄色いからしが大活躍していた
醤油や味噌や酢と混ぜて微妙な味の調整をするらしい
昔の食い物でようやくヨダレの出る話が聞けたお
0498人間七七四年
2008/06/28(土) 20:06:45ID:Fti5zHSp0499人間七七四年
2008/06/28(土) 21:53:27ID:L1qR8WyI信長・秀吉・家康の親戚関係にしろ、目新しいものは無かったな。
0500人間七七四年
2008/06/29(日) 03:05:36ID:edcdVlfY純粋な赤みそ買ってきたんだが、芋がらが手に入らない
焼き味噌作ろうと思ったがどう見てもう
0501人間七七四年
2008/06/29(日) 07:29:16ID:NdJ5moSO0502人間七七四年
2008/06/29(日) 07:37:31ID:faMBLYoR梅雨を過ぎてからやることをおすすめする。
0503人間七七四年
2008/06/29(日) 12:20:07ID:kZ6HF1530504人間七七四年
2008/06/29(日) 18:43:09ID:1JDlt3uh0505人間七七四年
2008/06/29(日) 18:45:36ID:7uFjw0/M0506人間七七四年
2008/06/29(日) 19:42:48ID:C99tWJgi0507人間七七四年
2008/06/29(日) 21:51:40ID:QJjV+wHz北陸では山葵なんてのは最近普及したとか。
ソースはうちの母親。
練りワサビが一般化しないと流通が厳しいのかも。
0509人間七七四年
2008/07/15(火) 15:34:12ID:sWLR08TL0511人間七七四年
2008/07/23(水) 16:47:46ID:6Sp4iF060512人間七七四年
2008/07/23(水) 20:13:54ID:a/We4+KAわさび醤油とコメがあれば他には何もいらん
0513人間七七四年
2008/07/24(木) 03:47:10ID:Wvz1hIr40514人間七七四年
2008/07/26(土) 00:44:38ID:yTtBifyb0515人間七七四年
2008/07/26(土) 04:47:03ID:hcCkzCE00516人間七七四年
2008/07/26(土) 13:51:48ID:KfV248hiなので辛子醤油は戦国時代からのもの。
ワサビは江戸時代に栽培が始まるまでは野生のモノしかなかったので戦国時代では薬や珍しい山菜の扱い。
うどんそばも、一般に普及したのは江戸時代。
じゃぁ戦国時代の代表的麺というと、それは”素麺(そーめん)”
当初は、主食と言うより”酒のつまみ”扱いだけど、
関ヶ原直前に大名が集まったときに前田家が素麺をふるまった記録があり、
その時には”軽食”の認識で出されるようになったのかも。
…と思いながら、素麺を食うと今の時期はうまいなぁ……
0519人間七七四年
2008/07/26(土) 23:29:15ID:A93EH8520520人間七七四年
2008/07/27(日) 06:30:05ID:zdkNC+Zz0521人間七七四年
2008/07/27(日) 09:01:00ID:KCGa84Lo0522人間七七四年
2008/07/28(月) 19:59:30ID:T6VWegbC0523人間七七四年
2008/08/03(日) 19:51:47ID:oUc22IZ7当時は何で食ってたのでしょうね?
(今でこそ“鰹だし・・・”とか色々あるけど)
個人的には「酢の物」として食ってたのではと思ふ。
0524人間七七四年
2008/08/03(日) 21:03:24ID:1XnCHJrP当時の素麺は製法も調理法も現在とほぼ同じで、冷やしや煮麺も記録されてますよ。
で、つけ汁の元になる、出汁、醤油、味醂は戦国時代にはありました。
出汁については、昆布はもちろん鰹だしも同様、室町時代に一般化しました。
ただし、当時の鰹節は現在でいうなまり節(カビ処理は江戸時代での発明)だったろうかと。
醤油は金山寺味噌を搾った汁で当初は自家製自家消費でしたが
戦国時代初めに商業化され京大阪に出荷された記録があり、
また紀州湯浅の醤油は豊臣秀吉の保護下で販路を広げました。
味醂は中国の紹興酒が源流という説もありますが、室町時代には焼酎とともに博多の産物として記録されています。
以上、つけ出汁については現在とそう変わらないかと思われます。
薬味はネギ生姜茗荷大葉は当時でも一般的かと。
0525人間七七四年
2008/08/03(日) 21:30:25ID:E6jiV7KX0526人間七七四年
2008/08/03(日) 21:49:47ID:tEMpNmuW湖沼や海、河川が近ければ自家製の魚醤やアミのだしを使ったり
味噌やたまりやどぶろくを組み合わせたり薄めたりして
地域ごとに食べやすい調味料と薬味を合わせて適当に食べていたのではないかと
0527人間七七四年
2008/08/04(月) 04:35:01ID:MT4Caldz0528人間七七四年
2008/08/04(月) 18:52:52ID:fwajqjD/>>526
もちろんその通りで
>(今でこそ“鰹だし・・・”とか色々あるけど)
…とあるので、現在と同じ調味料が当時に存在したことを言いたかったのですよ。
室町時代に今の和食の五味の基礎は確立したので、味付けに関する限り、
当時と現在ではそう違いはないかと、自分は思ってます。
”都風””田舎風”なんて区分も当時ありましたしね。
ま、付汁の中身までは今じゃよくわからないんですが、
”にゅうめん”について”味噌や醤油で煮たもの”という記述はあるので、
当時の味付けに醤油は広く使われていたかと思います。
醤油の元になる”なめ味噌”は戦時食として鎌倉時代から作られており、
それを絞った自家製の”原醤油”が使われたのかもしれません。
0529523
2008/08/04(月) 20:45:43ID:b5pWLJmPご教授ありがとうございます。
それ以前に、自分でもっと調べるべきだった・・・素麺茹でて出直します・・・。
0531人間七七四年
2008/08/05(火) 04:50:38ID:3/lRJ6R/どんな食通だよw
今の時代、まともな素麺でもそんなに高くないだろ。
味醂だって、手間が省けた分かなり安くなってる。まともな物でもだよ。
当時と同レベルの物使っても、原価一杯1000円も絶対にいかない。
比較にならんと思うよ。
0532人間七七四年
2008/08/06(水) 00:24:34ID:WwmPZX/j0533人間七七四年
2008/08/06(水) 01:13:16ID:BQB/tq7W高級な味醂で1,8lで2500円くらい。レシピによればめんつゆ一人分にたいする味醂の量は2,5ml
切り上げても3,5円。砂糖は和三盆をかなり多めに使っても6円。
醤油に馬鹿みたいな高級品使っても一人分だと100円程度。
もっと高い素麺でもよかったな。1000円なんてとんでもなかった。
0534人間七七四年
2008/08/06(水) 19:13:53ID:k5I+CNvc>豆腐
連歌師宋長の日記に「焼いた豆腐でお酒飲んだよ」の記録あり、
京都だけではなく全国で食されていた模様。
田楽、冷や奴以外に、油揚げも基本的な食べ方で製法も現在と同じ。
>麩
鎌倉時代から全国の禅寺関係から普及。基本煮物の具か揚げ物として食されていた模様(当時の呼び名で「あぶらあげ」)。
千利休が焼いてお菓子にして出した話があり、それ以降全国に”焼麩”が流行。
ただし生麩は江戸時代の発明、普通に庶民が材料として使い始めたのは江戸中期以降らしい。
>コンニャク
986年医心方に「搗き砕いて灰汁で煮ると餅状になり、味をつけて茹でてたべる」の記述有り。
江戸時代にはなるが1709年大和本草に「製造法がが3、4種ある」とあり、
戦国時代でもかなり一般的な食べ物と推察される。
室町時代に、豆腐、麩とあわせて「あぶらあげ」の材料の記録あり。
>納豆(スーパーの糸引く奴)
起源は東国の郷土食(各地に伝説有)らしいけど、御伽草子”精進魚類物語”の中に、
わらの中から涎流しながら出てくる「納豆太郎糸重」なる擬人化あり。
戦国時代には全国で一般化していた模様。
>かまぼこ(竹輪)
1522年祇園祭に足利義晴が食したメニューの中にあり。当時は吸い物や煮物の具に使った。
現在の板付きカマボコが普及したのは秀吉の時代。それ以後、板のないものは「竹輪」と呼ばれるようになった。
ちなみに当時の最上の原料はナマズ。
0535人間七七四年
2008/08/06(水) 19:18:25ID:k5I+CNvcでもまぁ、室町時代の”山の幸”の中に猪鹿兎野鳥肉はあり、ごちそうとして肉は食われていたらしい。
…これは現代も同じか……
>鶏肉
平安時代から”キジ肉”の代替品として使われていた。
実は鶏肉や卵が一般化したのは江戸時代。江戸幕府が資源保護のために野鳥を保護したため、代替として鶏飼育が一般化したため。
戦国時代以前の鶏は、食用というよりペット(つか闘鶏)のために飼育されていたらしい。
>鶏卵
鶏卵が他人の目を気にせず気兼ねなく食べられるようになるのは江戸時代。
でもカステラの材料だったり、鶏じゃないウズラの卵は薬として扱われていたり”黙って食べていた”様子あり。
>豚肉
日本で養豚が始まったのは7世紀。でも政治(宗教)的理由で戦国時代には沖縄以外養豚するところは無かった。
南蛮人渡来以後、長崎で行われたり薩摩の国で奨励されたりしたので、戦国末期には食していた可能性は無くはない。
ちなみに暴れん坊将軍の好物は豚肉。江戸時代の豚肉は今の超高級松阪牛クラスの扱いか?
>山羊肉
日本への伝来は15世紀。九州や沖縄で”食肉用”として飼育されていた。
現在でも屋久島山羊やトカラ山羊などとして残っている。
ただし乳は利用しなかった(初めての乳用山羊はペリーが自分で飲むために持ってきた)。
>兎肉
山の幸の一つ。徳川家でも正月料理の一つだったり、普及していたけれど、かなりな贅沢品と思われる。
>鯨肉
当時の常識は「鯨は魚」。イルカも鯨と区別していなかった模様。
0536人間七七四年
2008/08/06(水) 19:21:32ID:k5I+CNvc>牛肉
食べる習慣無し。秀吉が宣教師を追い出す理由の一つが「牛なんか喰いやがって!」だったり。
>牛乳(つか乳全般)
奈良時代に酪・酥・醍醐(乳製品)が薬として使われて記録有り。
が、それ以後幕末まで”乳牛飼育”の記録無し、牛は農業労働力として飼われていた。
戦国時代(つか幕末まで)は家畜の乳を利用する習慣が日本にはなかっただけなのかも。
0537人間七七四年
2008/08/07(木) 03:17:51ID:tM9jR2Qo○ 当時食用確実なもの
カブ 大根 レンコン ゴボウ 生姜 ニンニク らっきょう 紫蘇 山椒 セリ 茗荷 タデ ワサビ(葉) ウド タラの芽
カタクリ ワラビ ゼンマイ ふき(ふきのとう) からし菜 春菊 水菜 ネギ ワケギ ニラ レタス ウド 食用菊 ゴマ
キュウリ ナス ちしゃ菜 里芋 山芋 エンドウ豆 もやし ミカン ゆず リンゴ 柿 ブドウ
△ 戦国時代から江戸初期に伝来したと思われるもの。
スイカ ニンジン ジャガイモ トウガラシ ホウレンソウ トウモロコシ カボチャ 煙草 セロリ
× 江戸以降のもの
サツマイモ インゲン タマネギ 白菜 キャベツ 苺 三つ葉 ワサビ(茎)キャベツ パセリ 小松菜 高菜
タケノコ カリフラワー ブロッコリー オクラ ピーマン アスパラガス トマト インゲン豆 枝豆 そら豆
ピーナッツ メロン バナナ パイナップル レモン
0538人間七七四年
2008/08/08(金) 14:39:44ID:XhhMFDRN>農民は全人口の80%
>農民たちは米を作りながら、日常的に米を主食とするのは困難。
渡部忠世
>日本人は「米食民族」ではなく、厳密には「米食悲願民族」
柳田国男
> 一八七八年(明治一一年)の報告書を見ると、全国農山村の米の消費量は全食糧の三分の一にもおよんでいない。
>以後兵士その他町の慣習を持ち帰る者が多くなると、米の使用量は漸次増加している。
>とはいえ明治時代には農民はハレの日以外にはまだ米を食っていなかったといってよろしい。」
0539人間七七四年
2008/08/10(日) 10:58:24ID:g0j+1haq江戸時代だが、井伊の彦根藩は毎年将軍家に牛肉を献上していたんで
戦国時代にまったく食べてないとは考えにくいんだが
0540人間七七四年
2008/08/10(日) 18:28:57ID:1b9xUSBDところがそれを井伊直弼が止めて、牛肉大好きだった水戸藩主が
その件で井伊直弼とぶつかって、以後彦根藩と水戸藩の仲が悪く
なったとか。
0541人間七七四年
2008/08/10(日) 20:53:29ID:79LQ+dGq0542人間七七四年
2008/08/11(月) 09:50:54ID:4GVpUMXA0543人間七七四年
2008/08/12(火) 00:08:56ID:LD/vlyMS美味いの安いの早いの〜
0544人間七七四年
2008/08/12(火) 11:04:54ID:W0suJOsK0545人間七七四年
2008/08/12(火) 13:34:34ID:3SJsyg4Lご指摘の彦根藩の牛肉味噌漬け献上の記録は1781年からで江戸時代の豚肉食の流行と重なり、
全国的な野生肉の採集禁止に伴う家畜肉への”薬食い”への変化、という江戸時代特有の可能性、
また”痛み牛馬(怪我をして使えなくなったもの)”を製品化していたので、
江戸時代ですら”農業的に牛肉を生産して出荷していなかった”のは確実、
それに対し、豚山羊は戦国時代から”食肉用として飼育”されていた違いがあり、
その差を見て「牛馬を食べる習慣無し」と判断しました。
が、ご指摘の通り「絶対食べなかった」という記録はありません。
逆に”積極的に食べようとした”記録もないので、
今となってはよくわからないところですかねぇ。
0546人間七七四年
2008/08/12(火) 14:57:57ID:W0suJOsK>平安時代に編纂された『続日本書紀』ですでに
>「耕運、輓用、食用に適す」と紹介され、
>古来より優秀な血統として認められています。
http://www.tajima-beef.jp/about/himitu.html
0547人間七七四年
2008/08/12(火) 15:13:16ID:W0suJOsKhttp://www.matsusakaushi.jp/child/rekisi/index.html
解説・松阪牛の歴史
古代には日本でも牛などの肉食が行なわれていましたが、平安時代に仏教が定着すると、その影響で肉食は途絶え、牛は専ら役牛として用いられました。
0548人間七七四年
2008/08/17(日) 21:11:04ID:ac0kZuVv0549人間七七四年
2008/08/18(月) 06:01:06ID:vymxVNaX0550どんぐりころころ
2008/08/19(火) 19:11:37ID:fqvo4ZxN少しさびしい。
主食がどんぐりだったことについては、黒歴史にしようとするやつらまでいるし。
0551人間七七四年
2008/08/19(火) 20:16:08ID:GoGiYtV0昔がいつのことかわかりませんが、戦国時代の日本人は普通に動物肉を食っています。
秀吉がイエスズ会に「汝らは何故に牛や馬を食べるのか」と質問状を出したその内容に、
「多数の鹿、野猪、狐、雉子、大猿その他の動物」を集めておくから牛肉は食うな、
と言う事が書かれており、それに対し副管区長の答えは
「我らの出身国においては、馬肉とか、日本人が食べる他の動物、すなわち大猿、猫、鼠、狐、その他これに類する動物を食べる習慣はない」
さらに、宣教師以外のポルトガル人については、
「ただし、日本人が彼らに肉を売りに来る以上、彼らが牛肉を用いることを止めるかどうかは保証の限りではない」
(完訳フロイス日本史4十六章)
…と記述されています。つまり当時の肉の禁異は牛に限られていたかと思われます。
0552どんぐりころころ
2008/08/20(水) 01:12:10ID:1E2vJpaDだから、そんな事いくら言ったって、牧畜もやってない当時の日本で、野生動物の肉だけで、十分な量の食肉が供給できるわけないだろ。
当時の日本人は、食いたくても、肉なんて食えない。
0555人間七七四年
2008/08/20(水) 12:34:52ID:YaaNMbhV平安時代の貴族は贅沢しすぎて脚気とかになるが
庶民はどうなのかはわからない。
わからないが、
平民が貴族と同様な贅沢をしていなかったくらいは想像がつく。
想像はつくが、じゃあどれくらいの頻度でどれだけ何を食べたかは
どんな議論をしてもわからん。
0556人間七七四年
2008/08/20(水) 13:24:59ID:1E2vJpaD正確にはわからなくても、いろんな要素から、推定していくのが学問じゃ。
縄文時代の人口は最大で30万、つまり、自然の恵みに頼った生活ではこれが限界。
山の幸、海の幸、木の実その他の食料で確保できるのは30万人分だけだ。
それ以外は農耕で養うことになる。
平安時代の人口は600万人くらいか。
当時の農耕で作っていたものが庶民の食料になる。
0557人間七七四年
2008/08/20(水) 16:44:27ID:NDi/CUmk>山の幸、海の幸、木の実その他の食料で確保できるのは30万人分だけだ。
矛盾しすぎワロタww
0558人間七七四年
2008/08/20(水) 17:13:18ID:YaaNMbhV貴族は農作物以外を食っていたとも読めるが?w
全人口の一割に満たない貴族が五割以上の農作物を
摂取していたんだよ?
残り九割の庶民の食料事情が貴族以下なんてのは学問以前。
0559人間七七四年
2008/08/21(木) 01:06:54ID:ySDxplEB食っていたわけじゃないし。
0560人間七七四年
2008/08/21(木) 09:12:41ID:spC78vrQ50人くらいデブを集めればいいだ
0561人間七七四年
2008/08/21(木) 12:17:43ID:zJGKwPyV農民84%・武士7%・商工8%・その他3%
84%の農民のうち地域差があるものの
貧農層は65〜80%近くを占める。
豪農・大百姓は全農民の2〜4%
中以上の農民が約20%
中以上の農民の朝食
『日野の歴史と文化』
>三沢、高幡・南平など各村の
>朝食時ヒキワリ(碾割)メシの雑穀配合割合
>万延元年頃「常食の混合割合」
>「米15%、麦65%、粟20%」
武州多摩郡小野路村名主による『小島日記』
>麦7・8割に米2・2割
0562人間七七四年
2008/08/21(木) 12:23:05ID:zJGKwPyV慶長12年の農民層
5石以下小農15.2% 5〜20石中農72.7%
だったのが
明治4年には
小農66.9% 中農24.3%
と収穫高は増えているものの小農中農の数が
逆転してるのがおもしろいね。
小中農あわせて90%近くの農家で
わずか30%ほどの土地しか所有していないとかw
0563人間七七四年
2008/08/21(木) 12:38:50ID:zJGKwPyV三反で8〜12俵(480〜720kg)
五割納税で240〜360kgが手元に。
江戸期の平均米消費量が一人あたり175kg
家族構成の平均が約5人(祖父母、父、母、子)
一人あたり約35gの米で一年間。
ここから、さらに農耕具・衣服・諸々金子に換える必要もある。
0564人間七七四年
2008/08/21(木) 12:45:24ID:zJGKwPyV○>麦7・8割に米2・3割
×一人あたり約35gの米で一年間。
○一人あたり約35kgの米で一年間。
0566人間七七四年
2008/08/22(金) 06:11:44ID:43V9afQH麦の割合がそれだけ高いということは、麦も相当な収穫高、作付面積があったということだよねえ。
これが不思議なんだけど。
日本といえば水田の風景という感じだけど、昔の日本は、麦の作付面積も米と同じくらいあったのかなあ。
0567人間七七四年
2008/08/22(金) 07:17:36ID:evul0PNHどだろね
いわゆる「一面に広がる水田」ってな場所は基本的に「いい場所」だから、
そういうところでは米メインに作付、山間部や山際、隘路部等条件が悪い所では
大麦や雑穀中心に作付してたんだと思ってたけんど
0568人間七七四年
2008/08/22(金) 10:35:10ID:aJ1pl6CA逆だろ。
水田の開発は、山際から始まった。
山から流れ出るわずかな水を灌漑用の池に貯めて、低地へと水田を広げていった。
それ以外は、手頃な小川の近くとか、湿地帯とかが水田に利用されていた。
現代の日本人が、水田が広がっているとイメージするような大きな川(一級河川・二級河川でも大きな川)の
近くは十分な高さの堤防を築けず、大雨が降るとすぐに流されてしまうので水田には利用されにくかった。
また、ちょっと標高が高い場所は、近くに湧き水でも湧いていない限り、ほとんど畑として利用されていた。
また、中世の荘園(相模)の古文書を調べた結果では、耕地のほぼ半分が畑だった。
結局、大きな河川の周辺部の平野とかちょっと標高の高い土地がが水田として利用されるようになったのは、
江戸時代以降の堤防や水路の建設の結果だ。
0569人間七七四年
2008/08/22(金) 10:51:05ID:r/BHPQOe50人くらいデブを集めればいいだ
0571人間七七四年
2008/08/22(金) 12:08:23ID:vStky/Df>厳しい寒さと水はけの悪い土地。
>なかでも山あいの魚沼地方では農民自身が食べるコメを
>確保することすら困難であった。
>平野部の水田は、入れば腰まで沈む湿田で、
>山に囲まれた魚沼地方は、新潟のなかでも飛び抜けて貧しかった。
>土地は見るからにやせていて、よほど腰を据えた土地改良を
>施さないと、まともな収穫は期待できそうになかった。
http://www.papy.co.jp/act/books/1-15378/
0572人間七七四年
2008/08/22(金) 12:54:00ID:vStky/Df小農のうち、三反以下が約8割。
現在は三反で8〜12俵(480〜720kg)
江戸期三反3〜4俵(180〜240kg)
五割納税で90〜120kgが手元に。
江戸期の平均米消費量が一人あたり175kg
家族構成の平均が約5人(祖父母、父、母、子)
豊作で120kg手元に残っても
一人あたり約24kgの米で一年間。
ここから、さらに農耕具・衣服・諸々金子に換える必要もある。
0573人間七七四年
2008/08/22(金) 23:17:51ID:JkUCwiJtそれまでは三成がすっころんだ沼地だな。
0574568
2008/08/22(金) 23:18:58ID:aJ1pl6CA江戸時代の新田開発で、100万石になり、戦後の食糧難の時代に
湿地帯を大規模に干拓してさらに米の生産量を増やした。
0575人間七七四年
2008/08/22(金) 23:24:06ID:O656db92ってのは子供の頃よく見た気がするけど(30年くらい前)、
最近はやってないのかなあ。
0576568
2008/08/22(金) 23:39:39ID:aJ1pl6CAあと畑では、雑穀も栽培していた。
0577人間七七四年
2008/08/23(土) 00:08:02ID:vZTMOCqMインスタントも可
0578人間七七四年
2008/08/23(土) 11:00:51ID:cBN4may8有力農民の加地子得分権の没収、
作徳分は農民に、残りは全て領主に納めるようになり
小農民の自立が進む。
>>562の
>慶長12年の農民層
>5石以下小農15.2% 5〜20石中農72.7%
>明治4年には
>小農66.9% 中農24.3%
これらと
http://www2.ttcn.ne.jp/honkawa/images/1150.gif
この人口推移をみると
関ヶ原の1200万人から江戸末期の3000万人という人口激増。
米の取れる量は増えたが、人口もそれ以上に増え、
さらに自立による小農の割合が増えたことで
戦国時代の農民の方が江戸時代の農民よりも
収穫量は少ないが食事的には豊かだった、
という見方もできるのかな?
戦国時代の自立できない貧農の割合はどうなんだろう?
0579人間七七四年
2008/08/23(土) 22:00:29ID:zHYIzmiI現代で考える以上に、明治以前でも肉食は一般的だった模様。
0580人間七七四年
2008/09/05(金) 15:27:02ID:ecbeUZF/0581人間七七四年
2008/09/05(金) 15:31:56ID:WNzSzu0A0583人間七七四年
2008/09/05(金) 16:36:55ID:pkMeJIpzそこでは、江戸考古学の成果として、新宿区三栄町遺跡で、いのしし、しか、きつね、かわうその骨が
大量に出土していることがまず紹介されています。これは食用にされたものだそうです。
昨日は天然記念物カモシカが出てきましたが、今度は日本で絶滅が危惧されているかわうそです。
江戸時代の人が実にいろんな肉を食べていたことが分かります。
次に、寺門静軒の『江戸繁昌記』のなかに、「山鯨のこと」として肉食のことが記されていることが紹介されています。
肉はねぎがよく調和する。一人の客にひとつのなべを用意して、火鉢を連ねて配置してある。
上戸は酒を飲み、下戸はそれでご飯を食べる。なべの値段は小が50文、中が100文、大が200文。
近年は肉の値段があがり、うなぎと匹敵する。
獣の種類は、いのしし、しか、きつね、かわうそ、おおかみ、くま、かもしかなどがあって、店頭に積み重なっていた。
『江戸繁昌記』は、このように江戸にあった肉食の専門店について細かな描写がなされています。
ただし、肉はそう高価ではなく、どちらかといえば下層の素行の良くない者の食事と想定できるそうです。
ttp://d.hatena.ne.jp/rekisinojyubako/20051230
0584人間七七四年
2008/09/05(金) 16:48:10ID:CsQ5r9mn江戸時代の食事事情と、戦国時代のソレは別物な気がするんだ……
一七世紀初頭、日本の山は伐採されまくって禿げ山になり、大洪水が起こってた。
そこで寛永六年(1666)幕府が「諸国山川掟」をだして治山政策を始めた。
この結果、日本の山の産物はすべて幕府の管理下になり、付随して野生肉も勝手にとれなくなったのね。
で、その代替に”鶏”の飼育消費が全国に広まったのよ。牛馬もその流れに沿って消費し始められたのだと思う。
だから、江戸時代である事が戦国時代でも同様だった、かは言いにくいと思う。
0585人間七七四年
2008/09/05(金) 17:06:37ID:+4ovTxG/田んぼを子ども達に分けたために小さくなり
結果貧乏に、ってのをTVでみていて
>562
の
>慶長12年の農民層
>5石以下小農15.2% 5〜20石中農72.7%
>明治4年には
>小農66.9% 中農24.3%
を思い出したw
0587人間七七四年
2008/09/05(金) 17:50:28ID:CsQ5r9mn…>551はおいら書いたの……
いや、江戸時代の事例では戦国時代の事を論じられないような気がする、って感想です。
0588人間七七四年
2008/09/05(金) 20:38:16ID:pkMeJIpz0589人間七七四年
2008/09/06(土) 00:05:44ID:sT/G47pj中身には梅干しや塩鮭とか入っていたんだろうか。
ツナマヨはなかったことだけは分かる。
くだらないことだが前々から気になっていたんだ。
0590人間七七四年
2008/09/06(土) 04:58:15ID:n3NQWsZR当時(室町時代)の”おにぎり”は、兵や畑仕事の携帯食の他に、招待客に出された記録が残ってます。
でも現在のコンビニで売ってるおにぎりとはちょっと違うかも。
昔話「おむすびころりん」などにでてきますが、形は丸く(楕円で一合半くらいの大きく)握るのが一般的でした。
白飯の記述もありますが、混ぜご飯を使ったものも多かったよう。
おあむ物語の中では菜飯をおにぎりにしてるし、和歌山の郷土料理めはり寿司は昔のおにぎりの生き残りだと思います。
また徳川家康が味噌をつけた焼きおにぎりを食べた話があるので”焼きおにぎり”も昔からあった形かと。
で、板海苔が出来たのは江戸時代元禄の頃、それ以前の海苔は佃煮。
だからおにぎりに海苔は巻いて無かったはずです。
ただ難題は、”おにぎりの具”をいつから入れ始めたか、はよくわからないのですよ。
室町時代には”まぶす”もしくは混ぜご飯を使っているので、具を入れる必要がなかったようです。
個人的には白飯おにぎりが一般的になった江戸明治時代以降じゃないかとは思うのですが……
中国福建省にある「草包飯」は具として肉を入れますし、具を入れる習慣は中国から伝わったものかもしれません。
それなら戦国時代に行われていた可能性は十分にあります。
0591人間七七四年
2008/09/07(日) 06:00:44ID:su7QFa4Zほー、混ぜご飯の握り飯が既にあったんか。
思ってたよりも美味そうなもん食ってたんだな。
海苔の佃煮はあったが板海苔はなかった等、知らんことばかりだ。
握り飯の具を入れたかどうかは分からんのですね。
いや、詳しくありがとう。
0592人間七七四年
2008/09/07(日) 18:51:23ID:dflrH4XY0594人間七七四年
2008/09/23(火) 19:04:21ID:liRfUKXKその方がおいしいとかいうより米の節約とかかさ増しのためという
意味合いが、強かったんだろう。
0595人間七七四年
2008/09/23(火) 20:05:28ID:70BpwSDy0596人間七七四年
2008/09/23(火) 22:16:47ID:A0jHFiMU今でもできるんじゃないかな?
0597人間七七四年
2008/09/23(火) 22:17:29ID:A0jHFiMU0599人間七七四年
2008/09/24(水) 16:15:56ID:WMcx9BM6魚とか肉とか野菜とか各家によって色々。
0600人間七七四年
2008/09/24(水) 19:02:21ID:5Z19maEA0602人間七七四年
2008/09/25(木) 11:32:06ID:sVjCEimAこれは、豪勢なおかず+白飯(おかわり自由)、だから、>599とはちょと違うな……
0603人間七七四年
2008/09/25(木) 18:45:33ID:p21IMNAW0604どんぐりころころ
2008/10/07(火) 22:54:22ID:/PuMIwwTドングリと文明 偉大な木が創った1万5000年の人類史 ウィリアム・ブライアント・ローガン
これまで、人類史最大の謎のひとつは、「狩猟採集文化」から「農耕文明」にどうやって
進化したのか、ということでした。10数万年前、アフリカで誕生した現生人類は、数万年
前にアフリカを出たのち、氷河期のあいだに、ヨーロッパ、アジア、オセアニア、そして南北
アメリカ大陸へと進出します。そのとき人類は、まさに「マンモスを狩る」狩人でした。ところ
が、氷河期が終わった1万5000年前から1万年前にかけて、人類は世界各地で突然、定住
生活をはじめ、そして農業を発明します。狩猟をやめ、定住し、農業をはじめたのはなにが
きっかけだったのか?
本書は、そんな人類のミッシングリンクをみごとに埋めてくれます。狩猟生活と、農耕生活
のあいだにあったもの。それは、それは、北半球の温帯に広く分布する木。OAK(オーク)。
カシあるいはナラ。すなわちドングリの木、だったのです。氷河期の末期から、人類はドン
グリ林に定住し、ドングリの実を蓄え、栄養たっぷりで保存の効くドングリを食料とし、これ
を蓄え、あるいはパンを焼き、一方こちらを飼料として豚などの家畜を育て、ドングリの木を
素材に家をつくり、柵をつくり、船をつくり、橋をつくり、大聖堂をつくり、武器をつくり、現在の
人類の定住生活の礎としたのです。
本書によれば、ドングリの木をベースにした文明は、日本やアジア独自どころか、ヨーロッパ、
中近東、アフリカ北部、アジア、北米の温帯すべてに普遍的に存在する、まさに狩猟文化
と農耕文明のあいだをつなぐ、きわめてメジャーな文明システムだったのです。狩猟文化
で獲物をとりつくした人類は、ドングリ林が無償で供給してくれる栄養価の高いドングリの
実と、さまざまな加工ができるドングリの木(オーク材)に頼り、世界各地で定住生活を始め
ました。この定住生活の仕組みから、作物を人工的に育てる農業が次に発達したのだ、と
いうのです。
0605どんぐり
2008/10/07(火) 22:55:17ID:/PuMIwwT東北だけじゃあないんです。
0606千葉御寮人 ◆/f5P9yVF6Y
2008/10/08(水) 00:10:03ID:Oi+u9blYカシ類は、いわゆるOak(オーク)じゃないよ。どんぐりではあるけど。
0607人間七七四年
2008/10/08(水) 03:03:00ID:ujOy2eFt昔受けたネタを今でもいけると思ってる売れなくなった芸人さんのことは、そっと……
0608人間七七四年
2008/10/08(水) 19:17:03ID:l8iM3sul0609人間七七四年
2008/10/11(土) 03:33:48ID:37JHzw/n世の中にはどんなマイナーなジャンルでもすげえマニアックなやつがいる事がわかるから
それを考慮すれば、どんぐりみたいなポピュラーな題材なら掃いて捨てる程いることぐらい容易に想像出来るだろ
0610人間七七四年
2008/10/11(土) 10:34:40ID:tsUjnAuZ0611人間七七四年
2008/10/11(土) 16:00:41ID:+tmKid7e活きた研究対象を料理番に頼んで調理させたが一切れ口に運んで
「これは食べるもんじゃないねえ」と仰せになったとか。
運ばれてきた皿の上の軟体動物にナイフを入れた途端、青い液体が流れ出るのをご覧になって後悔されたが自分から調理を頼んだ手前、口付けない訳にはいかなかった。と後に述懐されたのをどこかで読みましたw
0612人間七七四年
2008/10/12(日) 21:45:07ID:kHyVA+PC戦国ちょっと良い(悪い)話スレで話題なんですが…
詳しい方が居ますか?
0613人間七七四年
2008/10/12(日) 21:55:12ID:Of4bCR+f0614人間七七四年
2008/10/12(日) 21:57:08ID:XqREZkHHまぁ大量には食べようとは思わないもんだけど。
0615人間七七四年
2008/10/12(日) 22:00:07ID:3uy/jsBP0617人間七七四年
2008/10/13(月) 05:01:17ID:P9eiV9RO室町時代の料理書「四条流庖丁書」のなかでは”刺身”というのは、
魚だけでなくクラゲ山鳥など、”生ものを薄く切って盛りつけ調味料につけて食べる”調理法になっています。
まぁ戦国時代には、庶民にも”刺身”という調理法が広まっていたと思われます。
さて”鮭の刺身”についてですが、そのものの記述は残念ながら無いと思います。
当時の料理の本場は京都、鯉鮎鮒などが主流だったためです。
ですが当時でも”新鮮な生魚”があれば、それで刺身を作ったことは間違いないでしょう。
現在では寄生虫の問題があって刺身にしない魚も、当時は普通に刺身や膾で食べられていました。
また鮭自体の流通形態も多くは塩漬けでしたが、
大阪の役で 包囲されている大阪城に生鮭がたくさんあった(官本当代記)
なんて話もあるので、生での流通もあったようです。
このように大都会にまで生鮭があるのですから、鮭の刺身、は十分あり得ることだと思います。
ただ、当時の記録に残る刺身膾の多くは白身魚で、鮭はこの部類ではありません。
ですから、本当に庶民の食べ方だったのかもしれませんね。
0619人間七七四年
2008/10/13(月) 10:26:29ID:ybHiNtSr「肴は鮭のなますを所望いたす!」と言ってたな。
0620人間七七四年
2008/10/13(月) 22:50:45ID:gM4pFkXK武士の時代になると、身を切るとは縁起が悪いから
「さしみ」と呼び始めた…って本当?さしみも縁起
悪そうだよね。
0622人間七七四年
2008/10/13(月) 22:59:59ID:vMBOVL1wマグロの刺身が高額になったのは昭和の戦後だよ。
それまでは猫にやっても食わないぐらい不人気だったみたい。
0623スッポン
2008/10/13(月) 23:27:28ID:dPv7qds30624人間七七四年
2008/10/14(火) 00:16:11ID:RaWpS4U9マグロは赤身のほうが旨いと思う。個人的には。
0625人間七七四年
2008/10/14(火) 02:54:13ID:OfTvjFjhそれに、結構すぐ油が溶けてどろどろになる。食べられたとしても見た目が悪い。夏場は特に。
これじゃ売れないわ。
保冷技術や運輸技術のあった昭和になって初めて味が認知されたってところじゃないかな。
0626人間七七四年
2008/10/15(水) 11:48:21ID:dsNZQlh3マグロ!
0627人間七七四年
2008/10/21(火) 00:25:57ID:M+5TFVHNhttp://academy6.2ch.net/test/read.cgi/history/1223053977/
0628人間七七四年
2008/10/22(水) 21:45:26ID:z2Paa4Qxあんまり関係ないかもしれないけど、「美味しんぼ」の中で海原雄山が
「鮭は生食してはならないと平安時代から言われていた」てなことを言ってた
0629人間七七四年
2008/10/23(木) 15:43:09ID:oGmxOrHi冷凍技術ないし、寄生虫だってあるだろうし。
川の上流(山岳地帯)ではヤマメをサケと呼んだりするって聞いた頃あるけど
ホントかな?
上流ではヤマメ、下流では鮭を取り尽くしちゃうから、名前が被っても
気が付かなかったって。
0630人間七七四年
2008/10/27(月) 18:37:10ID:1DMv3eC+油っ気の多い部分を食することに日本人が慣れていなかったからだと聞いたことがある。
肉食が盛んになることで味の嗜好に変化が生じ、トロのような油の多い部分を受け入れる素養が出来たとか。
0631人間七七四年
2008/10/27(月) 19:09:47ID:wJqWXHxJ牧畜民や狩猟採集民だと、たいていどこの地域でも脂は甘くて最高のごちそうになるんだが
(言語自体、「うまい」という単語が「甘い」と同じだったりする)
さすがに日本は農耕がマジョリティなだけあるね
漁労や採集もたくさんしていたとは思うけど
0632人間七七四年
2008/10/27(月) 19:21:37ID:wm9Xwmmw「油の乗った〜」って言い方はそれほど最近のものではないと思うし。
でもトロは油が過剰すぎるからねぇ。正直、油の塊食ってる気分が抜けない。
0633人間七七四年
2008/10/27(月) 19:34:00ID:ot/4oYJ3何度目だ
0634人間七七四年
2008/10/27(月) 21:10:12ID:JB3fEMlq0635人間七七四年
2008/10/28(火) 01:03:16ID:j+Fdfr9Lhttp://www.town.hachijo.tokyo.jp/kakuka/kyouiku/kondate-syuu/kondate-top.html
0636人間七七四年
2008/10/28(火) 03:16:05ID:vAIFOI93メニューとしては、室町戦国は”揚げ物”が広まってる。だから嫌いなわけではないと思うよ。
トロは↑にもあったけど、保存手段がなかっただけだと思うな。
江戸時代には、ねぎま鍋つーものもあったしね。
0637人間七七四年
2008/10/28(火) 15:58:50ID:jRr9WVe+主に江戸の話だけどここ結構おもしろいよ↓
ttp://www.kabuki-za.com/syoku/bkindex.html
0638人間七七四年
2008/11/02(日) 18:42:18ID:EjMoFCs9それを秀吉が竹に巻きつけて竹輪にしたって言うし。
山間部じゃ川魚に、山椒魚とか食べてたらしいしね。
山椒魚って美味いらしいけど、食べた人居ますか?
実物見たけど、食欲は湧かない…
0639人間七七四年
2008/11/02(日) 19:22:45ID:XFd/3WR+練り物ってかなり手間と暇が必要な調理法だぞ?
干物や煮物みたいな当時のスタンダードであった調理法に言及しないで
敢えて練り物を挙げるってなにか根拠はあるの?
そもそも今でいう赤身の魚(マグロ、カツオなど)って
沖合いの回遊魚でなじみがないとまではいわないけど
近世以前は基本的にで手に入りにくいどちらかというとレアな食材なんだが。
0640638
2008/11/02(日) 19:46:32ID:EjMoFCs9ヒラメとか戦国時代はどうだったのかな?って
思いまして。白身魚の話は家康の鯛の天麩羅と、
秀吉の竹輪くらいしか知らないもので…
申し訳ない。
0641人間七七四年
2008/11/02(日) 20:18:18ID:0QvAEebv鮪やら鰻やら食べてたエピソードがあるな。
家康みたいに食あたりで死のうとしたのかも知れんな。
0642人間七七四年
2008/11/02(日) 22:10:18ID:dB2bk0Q315世紀には製法は各地に広がっていましたが、その材料はナマズ。
もともと川魚で作っていたのです。
当時の料理の材料の格として、海より川魚のほうが上等とされてたこともあり、
白身魚の方が一般に好まれたようです。
ヒラメは野菜とまぜて”みぞれ膾”レシピも残っており普通に使われたよう。
鯛、塩鯖も好まれたようですが、赤身の魚の記録はあまり残っていません。
というのも海魚が盛んに使われ出したのは、江戸に食文化の中心が移ってから、
戦国時代は、海の赤身魚は単純に”好み”として食さなかった、
…と考えるのが無難だと思います。
0643人間七七四年
2008/11/03(月) 17:03:42ID:xzaFCs910644人間七七四年
2008/11/03(月) 17:12:34ID:8sIwQSrJ0645人間七七四年
2008/11/03(月) 19:05:28ID:z8+7r2UW冷蔵技術が無いころは鮮度が落ちて
脂の多い魚は更に臭くなり勝ちで好まれなかったのかも・・・
と妄想してみたが
ワスレテクダサイ
0646人間七七四年
2008/11/03(月) 20:45:08ID:g+v2SZyJ過去スレを纏めると
どんぐりと兎ソーセージ
0648人間七七四年
2008/11/03(月) 21:13:06ID:vVRr85OI0649638
2008/11/03(月) 21:39:47ID:lRedDpOX詳しく教えていただき、ありがとうございます。
大変参考になりました。
0650人間七七四年
2008/11/03(月) 22:05:55ID:JwqPIDdgヘルシー
0651人間七七四年
2008/11/03(月) 23:59:10ID:Bxi64+DJ兎ソーセージはオレ、オレ!!
…スレチだから引き上げただけなんだけどなぁ……
ちなみに兎肉は平成15年度622トン16年度は773トン日本に輸入されています。
これらがどのように日本人のお口に入っているかは……
禁煙輸入量が減っているのは、中国鳥インフルエンザの禁輸のせいで、
製造過程で兎肉の使用から増粘類添加物などに変わってきてるからなんですよ。
参考↓
http://www.maff.go.jp/aqs/tokei/pdf/19chikusanbutsu-5y.pdf
0652人間七七四年
2008/11/04(火) 00:08:51ID:yOa/G4xa戦国時代は好きだけどそういうのは知らないニワカなので教えて下さい
0653人間七七四年
2008/11/04(火) 00:09:21ID:2t5QLpBwhttp://lin.lin.go.jp/alic/month/dome/2008/mar/doukou.htm
0654人間七七四年
2008/11/04(火) 00:19:54ID:tSLmcVKv白米を日常的に食べるほうが少数派。
0655人間七七四年
2008/11/04(火) 00:22:12ID:Df36VSqJ0656人間七七四年
2008/11/04(火) 01:32:23ID:2t5QLpBw700t/25万t=約0.3%
1本20gのソーセージに0.06g
0658人間七七四年
2008/11/04(火) 09:41:19ID:Ai5slrxOおあむ様が
「お兄ちゃんが鉄砲を持って狩りに行く時は(いつもの雑炊だとお弁当にできないから)
お母さんが菜飯を作ってくれた。だから『お兄ちゃん、……狩り、いかないの?』
と勧めることがちょいちょいあった」といってる。
300石取りの比較的上級の武家の娘でもこんなもんだ。
ちなみに服に関しても「13才の時に花染めの帷子をつくってもらった。
17歳ぐらいまで着物はこれ一着だったから
大きくなってからは丈が足りずすねがでて恥ずかしかった」って話がある。
審議や意図はともかく関東仕置時代の滝川一益が
「ごめん、今一張羅洗ってちゃってて裸なんで乾くまでちょっとまってて///」
って言ったって話もあるし衣食に関しても江戸時代以降の感覚とは相当差があると思う。
0659人間七七四年
2008/11/06(木) 01:33:43ID:DXncR7wC0660人間七七四年
2008/11/06(木) 04:36:04ID:cr8hlJAdいえいえ。現代の日本でも兎肉は口にするよ、って発端なので、消費されてる事実指摘だけを。
というか、兎肉入りソーセージはうまいですよ。ぜひ見かけたら食べてみてください。
昭和の時代にはけっこう見かけたのですが、今の人は食に興味がないんでしょうかねぇ……
そういや、なぜか戦国時代の日本人は”腸詰”を作らなかったんですよね。
劉若愚の明宮史の中に腸詰めの記述があり、日本も室町戦国時代で様々な文化を輸入してたはずなのに、
日本には腸詰めが入った記録はありません(長崎の卓袱料理にすら痕跡無)。
当時の鷹狩りの獲物と言えば雉子、だったので、当時の肉は雉子だったんですけど、
戦国時代には”鍋物”という食べ方がなかったので、
肉は焼くか干すか汁にするかローストビーフみたいにするか、ぐらいしかレシピが残っていません。
魚では練り物(ミンチ)が始まった時代なのに不思議な気がします。
そういや串焼き(今でいう焼鳥)も、戦国時代に記録ないんですよね。魚や豆腐にはあるのに。
なんか文化的理由があったのかなぁ……
0661人間七七四年
2008/11/06(木) 08:06:24ID:7DsLWJaS肉食文化の積み重ねがなければ腸詰めは厳しいんじゃないかしらね
ドイツあたりでは豚一頭つぶして農民一家の
冬の保存食のために腸詰め作りみたいな感じだそうですけど
0662人間七七四年
2008/11/06(木) 23:19:06ID:vGXQylfcアメリカ兵はドイツ軍の補給部隊を攻撃して、食料を鹵獲した場合ソーセージはみんなほしがったらしい
アメリカのより味がよかったのが理由らしいが。
角瓶ってウイスキーの昔のCMで徳川家康の好物は焼き鳥だった。とかいってたようが記憶が・・・・・
信長はアワビの煮物とかいうバージョンもあったが。
0663人間七七四年
2008/11/07(金) 04:30:12ID:ZKw41LVq「宗五大艸紙」(1528)に
「春の鳥にはなんてんの葉をかんながけに敷きて焼鳥にして出し、亭主鷹の鳥のよし申されば、
箸を手に持ちながらゆび二つにてつまみてくうべし…」
…という記述があるので、こちらの方の”焼鳥”じゃないかと。鷹狩好きでしたし。
ただ、家康が死んだのは元和2年(1616)、で”肉を串にさして焼く”焼き鳥は寛永20年(1643)の料理書に出てきます。
死ぬときまで食物は新しもの好きだった家康が、”焼鳥”を食べた可能性は十分大きいかも……
0664人間七七四年
2008/11/09(日) 12:04:15ID:wNrmsbw3兎は高級食材
>>660
現代の日本人が兎の肉を口にする機会はほとんどありません
兎肉入りのソーセージなど生産されてもいません
何度もしつこいぞウソつきめ
0665人間七七四年
2008/11/09(日) 15:08:48ID:o+Je2mNw丸大のやっすいソーセージには10年くらい前まで入ってたよ。
今現在は口にする機会は無いかも知れんが、
現在生きている日本人のほとんどは食べる機会はあった。
食ったことはあるだろ。 ゆとり乙
0666人間七七四年
2008/11/09(日) 15:11:01ID:reRFq9+L0668660
2008/11/09(日) 17:04:51ID:vta37CtK>>664
少なくとも伊藤ハムのポールウィンナーでは数年前まで使用してたようですよ。
(レスの前に、たまには、ググってくださりたく……)
ttp://itoham.mediagalaxy.ne.jp/CGI/pole/bbs.cgi?page=10
● 原材料について ぴー [関西] 2007/10/28(Sun)22:03:31
ポールウインナーにウサギが入っていると聞いたのですが、本当ですか?
<略>
● 今は使用していません。 管理人 [関西] 2007/10/30(Tue)10:12:09
現在のポールウインナーにはウサギの肉は入っておりませんが、数年前は使用していました。
<略>
0669人間七七四年
2008/11/09(日) 17:05:03ID:gZUrmdJehttp://www.itoham.jp/CGI/pole/bbs.cgi?page=40
ほとんど関西でしか流通してないらしいので自分含めて関東の人間には馴染みがないけど。
0671人間七七四年
2008/11/09(日) 17:08:20ID:OWCsPTMi0672人間七七四年
2008/11/09(日) 17:48:39ID:4ZvfhH/M0673人間七七四年
2008/11/09(日) 17:49:24ID:reRFq9+L0674人間七七四年
2008/11/10(月) 03:24:09ID:pW9HuYWQ70年前には人肉ソーセージも存在した事実から、ソーセージ=人肉並みに暴論
“兎ソーセージの生産量か消費量出せよ"って言ったら逃げやがったのに蒸し返しやがって
0675人間七七四年
2008/11/10(月) 20:58:31ID:MryhtY9o足利将軍家の献立の記録では、水鳥は椀物に山鳥は焼き物にすると
調理法が決まっていたんだよ。
それが美味いかどうかと言うよりも、そう調理するものだという
一種の作法に近い捉え方だったんじゃないか。
0676660
2008/11/11(火) 04:14:28ID:uvnO4Cr0>“兎ソーセージの生産量か消費量出せよ
それって、数年前の伊藤ハムのポールウィンナー生産量以上ある、で、すむ話じゃ??
(その数字をご自身で調べられないから”ない”のだ!!……とは、おっしゃりませんよね)
0677660
2008/11/11(火) 04:38:32ID:uvnO4Cr0…たしかに”作法”なのですが……
朝鮮にもスンデがありますし、日本だけ幕末まで腸詰めしなかったのは、
やはり日本独自の”作法”の影響なんでしょうかねぇ…
0678人間七七四年
2008/11/11(火) 15:48:33ID:xhQHJFuG当時の日本ではそれに使うような香辛料は手に入らないか、高価だったんでは。
で、もともと肉食文化も積極的な発展してなかった時代だし、保存食として
わざわざ高価な香辛料つかった肉の腸詰めを選択する必要がなかったんでは。
朝鮮の役の時、虎を狩って塩漬けにして秀吉に送った話があるけど、
肉の保存方法もせいぜい塩漬けレベルだったんじゃないかと。
0679人間七七四年
2008/11/11(火) 15:51:26ID:lJWcy4myあと燻製すればいい。
0680人間七七四年
2008/11/11(火) 19:30:56ID:s6nwoyDC0681人間七七四年
2008/11/14(金) 19:50:41ID:E4/1+eE5郷土料理でも乾し肉(牛、猪、鳥)ってないよね?
肉を保存する必要が無かった…って思える。
0682人間七七四年
2008/11/14(金) 21:40:41ID:w7qFfGer暮れに鰹節が届いたり、見舞いでそうめん貰ったり。
0683人間七七四年
2008/11/14(金) 21:44:04ID:RYYZqBY30684人間七七四年
2008/11/14(金) 22:14:28ID:w7qFfGer八朔とは関係ないが、見てた本の中に松茸八十五本とあって涎れが出たw
0685660
2008/11/14(金) 23:22:15ID:Au/8nbp8干し肉ですが、「うつほ物語」(平安後期)に”雲雀の乾鳥”喰ってる描写ありますよ。
雉子の干肉も、平安時代から天皇の御膳に出されていたようです。
燻製は、秋田名物の「いぶりがっこ」(干し大根の燻製)が、室町時代に始まったらしいです。
またいつ始まったかわかりませんが、イワナの焼き干しも最後に燻蒸する
(とは言っても囲炉裏の煙でいぶすのですが)過程があるので、
少なくとも戦国時代には”燻蒸”という加工法は日本に存在した気がしますね。
0686681
2008/11/15(土) 21:43:20ID:zW988mLp燻製なら昔からありましたね。
最近、猟師を代々されている方と話す機会があった
のですが、昔は干し肉はあまり作らなかったそうです。
理由は「昔の猟師は米と味噌が主食。干し肉よりそっち
の方が腹がふくれるし、保存も良い。猟師にとって獲物
は金の換わりだから、保存食にするなんて稀。遠方に運
ぶときは塩漬け、近所に配るなら味噌漬けが喜ばれたみ
たいよ。」
との事でした。燻製については「一応習ったけどまずい
から」あまり作ったことは無いとの事。戦後は特に必要
もないからってうかがいました。
米食重視の日本人には、干し肉は合わないのかも…
たしかにビーフジャーキーをおかずにご飯、ってきつい
かもしれません。考えてみると、郷土料理ってご飯のおかず
に合うものが多いような気がしますね。
0687人間七七四年
2008/11/17(月) 21:27:53ID:woz2JHzJ0689人間七七四年
2008/11/23(日) 20:25:11ID:ljN6d1W3弥生時代に人口が増加したのは稲作の伝来とか想像がつくけど
縄文が分からない
0690人間七七四年
2008/11/23(日) 20:40:35ID:LBEqfrMS0693660
2008/11/27(木) 16:24:53ID:ps0wDQSzhttp://www2.ttcn.ne.jp/honkawa/1150.html
原因は小氷河期と疫病の蔓延、って元には書いてあるな。
でも2000年の間に人口26万から8万、たった18万人の変化なんて
単純に余所に移民しただけな気がしないでもない……
>>692
マジレスするのもなんだけど、ギャートルズは晩氷期(一万年くらい前)が舞台だと思う。
0694人間七七四年
2008/11/28(金) 14:14:05ID:cnKudAu23割りしか生き残れなかったと言うと大事。
0695人間七七四年
2008/11/29(土) 20:57:04ID:wuF/idg8違うよ。
江戸自体の初期ぐらいまでは、味噌のほうが醤油よりよく使われていた。
水戸光圀が家臣に振舞ったうどんも味噌ダレで食べていたし。
0696人間七七四年
2008/12/03(水) 01:00:25ID:6+Qne8ae0698人間七七四年
2008/12/08(月) 21:14:49ID:AWlRoCUm0699人間七七四年
2008/12/12(金) 20:36:03ID:nyiiiBo2豆腐もそこそこ高級品な上にそれを揚げなきゃならん
0700人間七七四年
2008/12/15(月) 00:08:37ID:UJoWGjBxお米豆知識。
0704人間七七四年
2008/12/21(日) 12:40:09ID:HJ84/qNw古米は乾燥しているので、同じ量を枡で計って炊いても、古米のほうが多く水を素って膨らんで、
量が多くなるから、だそうな。
0705人間七七四年
2008/12/21(日) 23:43:29ID:ft97EsDO0706人間七七四年
2008/12/22(月) 01:00:04ID:PbbngATF飢えてる時はたとえ木の破片や土であっても口に入れて咀嚼すれば何もしないよりは延命出来るらしい。
0707人間七七四年
2008/12/22(月) 22:20:38ID:z5e+54ax調理法も関係あるんじゃねえの。
現代人は米だけで炊いて食べるのが普通だけど。
当時の人間は、雑穀・その他の野菜を加え、味噌で味付けした
雑炊がデフォだったろう。
だとすれば、古米の臭みもそれほど気にならないということに
なるだろうし。
0708どんぐりころころ
2008/12/26(金) 19:09:46ID:5eBocYr10709人間七七四年
2008/12/26(金) 20:54:41ID:oxtYon1t腹はふくれるけど、腹持ちは悪いかも。
すぐ腹が減ると思う。
そういえば「はだしのゲン」でも雑炊に
箸が立たない…って落胆する場面あった
けど、戦国時代も似たようなもんかな?
0710人間七七四年
2008/12/29(月) 14:18:56ID:IBlnG3+c0711人間七七四年
2008/12/29(月) 14:42:05ID:fOwoVBv1戦国ちょっといい話4
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1228227497/567-568
> 明応の政変で失脚した前将軍、足利義稙が、明応九年(1500)大内義興を頼って山口へと亡命してきた時、
> 義興は大歓迎をし、丁重にもてなしました。
> どれほど喜んだか、義稙を屋敷に迎えた際の、歓迎の宴会でのメニューから見てみましょう。
0712人間七七四年
2008/12/29(月) 21:06:54ID:GNxy/yn60713660
2008/12/29(月) 22:25:27ID:pbVuyLP7これは式三献と本膳料理ってやつですな。
初献から三献までは酒を飲む「式三献」、それが終わったら”場所を移して”飯喰うのよ。
だから三献と供御(本膳)には場所と時間的差があるわけで、
連続して出された、という感じじゃないと思うよ。
ここでは”供御”になってるけど、これは今で言う本膳と二膳で、
このときご飯と汁物が出たから”供御”つまり御飯って書いてあるんだと思う。
で、二膳以降は全部酒のつまみ、つまり酒盛本番になってるわけですな。
0716人間七七四年
2009/01/26(月) 15:17:35ID:86AzcPMP0717人間七七四年
2009/01/26(月) 17:50:44ID:3AaH0gaU0718人間七七四年
2009/02/06(金) 00:23:47ID:hscWy0OR0719人間七七四年
2009/02/06(金) 11:03:44ID:38kStnl+0720どんぐりころころ
2009/02/19(木) 10:34:31ID:LDQy8qMrさすが飽食の時代現代。
0721人間七七四年
2009/02/19(木) 10:40:18ID:TQrG3Igq0722人間七七四年
2009/02/19(木) 16:52:47ID:hc2wPL0e平時には猟とかいって鳥捕って食ってるね
0723人間七七四年
2009/02/19(木) 17:56:30ID:Xd1IVSLlお兄ちゃんに今日は猟に行かないの?って聞くおあむ萌え
0724人間七七四年
2009/02/19(木) 18:00:54ID:RAmW4BFX弁当というより厨房一式移動させてるw
0726人間七七四年
2009/02/20(金) 06:05:24ID:Ek+bP9Xs兄貴の名誉のために言っておきたい。
0728人間七七四年
2009/03/06(金) 20:39:56ID:ttv+FX2Iここんとこ早かったけど、また元に戻ったってカンジ
もしや、アルトネリコ3の開発が始まって忙しくなったか?・・・・・そうであると信じたい
0729人間七七四年
2009/03/06(金) 20:40:50ID:ttv+FX2I0730人間七七四年
2009/03/06(金) 21:10:02ID:BSQeyY1m弁当箱とか生活に使う物はあんまり残ってないんじゃないかなぁ……
大名道具の”野弁当箱”あたりが該当するかと
まぁ一度鷹狩りは綱吉に禁止され、吉宗が復活した経緯があって、
江戸時代末は美術品のような道具を携帯していったけど、
信長家康の時代のように”軍事演習”の意味合いが強い時代では
必然戦争に行くときと同じ用意をしてたんじゃないかなぁ……
0732人間七七四年
2009/03/26(木) 14:17:39ID:HmQ5AlDp一度訪れてみたい
0733人間七七四年
2009/03/26(木) 19:37:06ID:GIsSVPf1秋季特別展
戦国ふぁっしょん-武将の美学-
今から蓄財に励んでおきませう
0734人間七七四年
2009/04/14(火) 14:47:22ID:cuvCFLSc0735人間七七四年
2009/04/17(金) 00:03:14ID:35CNf9OQ米すげぇな
0736人間七七四年
2009/04/17(金) 00:39:12ID:W8zG7ey10737人間七七四年
2009/04/18(土) 05:52:50ID:J4jEL4gzでも、もっといい贅沢はないだろうか?
>>711みたいに沢山は揃えて贅沢って感じではなくて、この一品!って感じのもの。
0738人間七七四年
2009/04/18(土) 06:25:52ID:z/Qf0UZv焼麩とか落雁とか松風とか羊羹とか戦国時代に発明されて流行したよ。
0740人間七七四年
2009/04/18(土) 08:10:38ID:J4jEL4gz>>738
そうだよね。和菓子は砂糖使ってる時点で戦国の高級品。
羊羹はもちろん蒸し羊羹。できれば精白糖ではなく黒砂糖にこだわりたいところ。
焼麩は言われてみて気づいた。グルテンを取り出すのは大変。その上小麦粉をかなり
必要とする。なるほど高級品だわ。買ってこよう。
>>739
当時、鯨は諸侯同士の贈答品だしね。今は別の理由で高いけど。
味噌煮込みはいいな。やや辛めに作って酒のアテにしようかな。
最初の澄み酒を南都諸白とする説を採るなら、一緒に飲む酒は
純米酒が最良だろうか。純米吟醸酒は当時はまだ無理そう。
0741人間七七四年
2009/04/18(土) 11:45:57ID:wugDJGBY大杯でぐいぐい飲むのはその薄さから出来るもの
どぶろくなんかだと当時の主流だと思うが、どうかな
0742人間七七四年
2009/04/18(土) 22:29:56ID:J4jEL4gzどぶろくは主流だけど、高級ではなかったのではないかな?
低級酒だと自宅で作ったどぶろくがあるね。当時は麹売りもいたし。
0743人間七七四年
2009/04/18(土) 23:10:56ID:4dqAolWv和風カクテルだと思って試してくれw>日本酒の割り
どぶろくはまさに自家製だろうね
麹売りつーか、麹の座もきちんとあって麹町が形成されていたのではなかったかな?
庶民にも普通に精製できてたんだろう
うまいかは謎だがw
0744人間七七四年
2009/04/18(土) 23:51:20ID:J4jEL4gzさっき清酒のお湯割りやったら、まあ飲めるレベルだった。
ただ、どうせやるなら焼酎のがマシw当時も焼酎はあったが、高級じゃなかったね。
夏場なら日本酒オンザロックが戦国の最高の贅沢と思う。
ちなみに現代でも麹は普通にスーパーに売っている。
知り合いがどぶろく造ってて飲んだ事あるが、発酵が進みすぎてたかやや酸っぱい。
まあ、悪くなかった。絞らなかったせいもあるが、食感と酸味はヨーグルトに近かった。。
0745人間七七四年
2009/04/19(日) 15:35:45ID:ZubxzB4y真夏に氷なんぞ…
0746人間七七四年
2009/04/19(日) 16:16:53ID:zffEzE/s氷室というものがある。上流階級にだけ許された贅沢ってやつだね。
戦国のころは町衆も持っていたと聞く。
江戸時代には戦国以前よりは普及するらしいよ。
0747人間七七四年
2009/04/19(日) 17:01:44ID:ivrxdDH2ググったら跡も残ってるんだな
東北以北の国じゃオンザロックはあったかもしれないな
0748人間七七四年
2009/04/19(日) 20:21:30ID:QWyceQ9x近世小氷期のおかげか。
0749人間七七四年
2009/04/19(日) 23:35:00ID:S3QIELp4ttp://www.asahi.com/food/news/TKY200904190081.html
0750人間七七四年
2009/04/19(日) 23:58:26ID:AU3TS5xe> 「戦国武将・朝倉義景が室町幕府15代将軍・足利義昭を京都から招いたときの料理」
将軍招いた席に黒豆ご飯は出さないだろ。あれは白いご飯であることに儀式的な意味があるんだから。
0751人間七七四年
2009/04/20(月) 01:11:40ID:lpJ6TUbl平安時代の記録に残っている酒は、保存の問題から
現在のどぶろくよりも、糖度と粘度がかなり高い甘いものだった。
それを漉して飲んでいたそうだ。
そんなわけで、水で薄めたほうが飲み易いという事情もあったのかも。
余談だが、明治の頃までは、一般庶民(農民)にとっては、酒は買う物ではなく
作るというのが、一般的だった。
0753人間七七四年
2009/04/20(月) 01:50:00ID:rK3p9U7l『あれは食事の時に飲む葡萄ジュース。醸造したのは保存のためであって、飲んで酔うためではない。
ワインを飲んで酔っ払うのは下品なこと』
って訳で、酔わないように水や海水で割って飲んでたんだな。
生で飲むのは蛮族の所業、と考えられていたんだよ。
そんなものだから古代ローマではビールは流行らなかった。
大麦は食べ物であって飲み物ではなく、ましてや酔うために飲むものなんて下品。て訳
0754人間七七四年
2009/04/20(月) 02:43:22ID:Hls65+hoおおおおおおためになった。ありがとう。
酒造技術の問題で薄いのだとばかり思っていたよ。
じゃあ当時は大人扱いでもまだ体が大人になりきれていない子供が儀式なんかで飲むときは
大人が気を使ってかなり薄くしてあげていたのかな
もしそうだとしたらやっと長年の疑問がすっきりする。
ずっと疑問だったんだよなー。
前髪上げたからって酒に耐えられる体じゃないはずなのになあ、と。
0756人間七七四年
2009/04/20(月) 06:55:04ID:QcJzuVf/甘酸っぱい酒はそれとは異なり、
完全に発酵しきっていないことによる甘みと乳酸菌由来の酸味によるもの。
0758人間七七四年
2009/04/20(月) 11:49:28ID:vxF5CAXW0759人間七七四年
2009/04/20(月) 18:14:58ID:lpJ6TUblちなみに古代ローマでは、主食は大麦をお粥にして食べるのが主食だった。
パンは、もともと兵士のための食事として、食べられていた。
そんなわけで、パン=貧乏人の食べるものという固定観念から、
パンが主食になるまでに、結構時間がかかった。
0760人間七七四年
2009/04/20(月) 20:44:45ID:Hls65+ho>>751のオススメ史料とか、差し支えなければ教えてもらえないかな
こういう生活に関わる細かいことはなかなかいい書物が見つからない
数は多いんだが、そのぶんハズレもよくひくんだ
0761人間七七四年
2009/04/20(月) 21:44:19ID:MeRtnQc/>>760
まず、酒についてだが、NHK教育の番組。
07 6/7 歴史に好奇心 あの人は何を食べてきたか
豊島秀範 平安時代の貴族食
二木謙一 足利義政の食事
青木直巳 水戸光国の食事
放送時に出ていた酒は、トロリとしていた。
ローマについては
「トルマルキオの饗宴」青柳正規著・中公新書・
ローマ時代の衣食住とその文化的・歴史的背景がわかる。
さくっと読める。
大麦をお粥に魚醤をかけて食べていたそうだ。
0762人間七七四年
2009/04/20(月) 21:54:34ID:ZxDxFQIb日本の戦国時代では魚醤はいまひとつ一般的ではないように思う。
現在と同じく地域食的な印象を受けるんだが。そこんとこどうよ?
当時の醤油といえばたまり醤油だったろうと思う。
味噌の汁から採ったそうだし、現在の物とは全然違うと思うけれど。
0763人間七七四年
2009/04/20(月) 21:59:31ID:Hls65+hoわざわざありがとう!
NHKだったのか!映像で見られたのはいいなあ。
これをヒントにまた色々調べてみるよ。ためになりました。
0764人間七七四年
2009/04/20(月) 22:09:07ID:MeRtnQc/Amazonのトルマルキオは、とんでもないことになってた。
新書の新品が、一万八千円になってた。
0765人間七七四年
2009/04/30(木) 07:58:22ID:Olqyj/agttp://www.asahi.com/food/news/TKY200904280354.html
微妙に関係あるかなと思って。
0766人間七七四年
2009/05/15(金) 17:09:21ID:MBxl2A710767人間七七四年
2009/05/15(金) 17:24:07ID:ZA4zSfkI0768人間七七四年
2009/05/15(金) 19:58:38ID:zOcmRwkN精米歩合とか、木灰濾過法がないとか、米そのものが違うとか、違いはあるだろうけど。
0769人間七七四年
2009/05/28(木) 13:44:26ID:nZTUKUba当時、精米歩合50%以下の酒が造られていたとは思えない。(米がもったいないから)
アルコール度数も8〜10%だったと何かで見たな。日本酒としては、かなり弱い。
呑み口が一番近いのは、月桂冠のにごり酒だったんじゃないかと密かに思っている。
それか、逆に白川郷のように日本酒度が高いベタベタ甘々かどちらか。
0770人間七七四年
2009/05/29(金) 08:47:46ID:gOq7mzPA0771人間七七四年
2009/05/31(日) 11:05:03ID:fgXf+xfe前、日本テレビの県民番組で雑草を食べる山形県民ってのがあった
これは、飢饉や農閑期の時に雑草を食べることで凌いで来た名残ではないだろうか?
どんぐりが主食だったんならやっぱり現在でも何らかの名狩りが残っているはず
0772人間七七四年
2009/05/31(日) 12:56:22ID:t7o0V1yO日本中に生えてるし
多分昔はもっと広く食べられていたんじゃなかろうか
0773人間七七四年
2009/06/01(月) 09:30:42ID:F64t95Kn現代まで残る料理、無くなる料理ってあると思う。
最近は健康食の流行で雑穀米とか麦飯とか、けっこう
あたりまえだけど。
昔の人に「団栗で作った餅、雑草入りの飯、白米。
毎日食べるならどれが良い?」って言えば間違いなく
白米だろうし。
それでも残ってる郷土料理(米関連)は、やっぱり歴史的な
意味合いが強いんだと思う。習慣とかね。
0774人間七七四年
2009/06/18(木) 15:17:05ID:BjCUwj6T0775人間七七四年
2009/06/25(木) 18:01:02ID:8q3sbDQ/作る材料が手に入らなくなったから、じゃないかなぁ……
例えば戦国時代の魚の代表はナマズだったんだけど、
これも不味いなんてことはなく(今でも専門店あある)市場に出なくて食べられないだけ
「美味い」という感覚は幼児期に確立するから、
口にする機会がない食材(そして料理)が失われてるだけな気がする
0776人間七七四年
2009/06/25(木) 21:11:28ID:oo7vo6fB手に入らない食材だよね
0777人間七七四年
2009/07/11(土) 15:41:39ID:a/iaRBvx0778人間七七四年
2009/07/11(土) 17:38:22ID:TnXIhpzf0779人間七七四年
2009/07/11(土) 22:30:46ID:hWCSTz2x0780人間七七四年
2009/07/15(水) 02:03:44ID:KWIKSQjn鶴は一般人が獲ってはいけない鳥だったが
明治になって解禁されてから激減した
0781人間七七四年
2009/07/29(水) 00:16:45ID:G1zPYPnUとは言え、その分増えたものもあるからな。
0782人間七七四年
2009/07/29(水) 01:52:10ID:y3UfHl7j今は殆どがベトナムから輸入したナマズを使っているそうな。
0783人間七七四年
2009/07/29(水) 11:06:21ID:0gwZEVoe0784人間七七四年
2009/07/29(水) 11:26:45ID:9ZzZd+xVならない限り味の差はわかんないじゃないかね?
0785人間七七四年
2009/07/30(木) 06:14:36ID:CrqB9r64そういやイギリスの料理でキッパーっつーのがあって、要するにニシンの薫製で朝食の定番なんだけど、
ロンドンにいた時「○○地方の奴らは何百年も前からこれにミルクや砂糖を入れて食うんですよw」
ってアパートのおばちゃんが言ってたの思い出した
きちんと聞いてたら地域食文化なのかなんなのか調べれただろうに残念だ
てかきもいよ何だよ魚の薫製に砂糖とミルクってよ
0786人間七七四年
2009/07/30(木) 22:33:14ID:iCQj4gSFキッパーやタラの薫製をミルクで煮て臭みをとってフィッシュパイやフィッシュケーキにすることはよくあるそうだ
スコットランドあたりかな?
あと、キッパーをおかずにミルクと砂糖を入れたポリッジで朝食というのもよくある
0787人間七七四年
2009/07/31(金) 01:35:44ID:uIIAR36S「甘くする」って、そう珍しい調理法じゃない気もする
多くは江戸時代からだと思うけど日本でも甘いおかずって多いような
煮物にみりんとか酒粕漬とかは戦国時代以前からあったんじゃないかな?
0788人間七七四年
2009/07/31(金) 05:30:15ID:y08fjDes日本語のうまいも語源はあまいかららしい
0789人間七七四年
2009/08/02(日) 09:58:29ID:q19phA8Gうええって最初思ったけど、すき焼きも砂糖ぶっかけて焼くもんな
スレからは逸れるけどイギリスのマーマイトとアメリカのルートビアだけは
双方に2年づつ住んでた経験あるけど最後までってか今でもなじめなかった
湿布薬飲んでるみたいでなあ・・・ルートビア
0790人間七七四年
2009/08/02(日) 12:26:34ID:XjzZcWFQ庶民食は第一に糖分摂取、疲労回復が大事なんだろうね
0791人間七七四年
2009/08/15(土) 13:44:30ID:lklTQJ7K0792人間七七四年
2009/08/29(土) 17:37:39ID:dRqFptAZ「家康ライス」に石田三成のニラ雑炊…。岐阜県垂井町のタルイピアセンター・歴史民俗資料館で、
戦国武将が好んだ食事を中心に集めた企画展「戦国武将の勝負飯」が開かれ、当時の食事情や
武将の人柄が分かると好評だ。
事実が確認できない部分もあるが、できるだけ文献に基づき再現。食品サンプルを展示し、
武将のエピソードも紹介している。同館学芸員の長田貴誉子さんは「“戦国ブーム”の今、
食の面から武将の素顔を知ってもらう機会になれば」と話している。
倹約家で麦飯ばかり食べていた徳川家康。家臣が気遣って編み出したのが、白米の上に
少しの麦飯を載せた「家康ライス」。しかし家康は「今は戦乱の世。わしだけがどうして
ぜいたくできようか」と言ったと伝えられる。
石田三成のコーナーでは、処刑前に食べた「最後の晩餐(ばんさん)」としてニラ雑炊を展示。
関ケ原の合戦で家康率いる東軍に敗れ逃走、追っ手に捕らえられた三成が「腹をこわしているので」と
リクエストしたとされる。
ほかにも上杉謙信や伊達政宗など戦国武将11人が好んだ食べ物を紹介している。
企画展は9月6日まで。入場無料。
http://www.sanspo.com/shakai/news/090829/sha0908291650018-n1.htm
家康が怒って食わなかったものを、何故に家康ライスと名付けるのか?意味が解らん。
0793人間七七四年
2009/08/29(土) 18:29:46ID:Tg9hv387ttp://www.sanspo.com/shakai/photos/090829/sha0908291650018-p1.htm
0794人間七七四年
2009/08/29(土) 22:39:29ID:14mCwe9Hそしてその上にとろろを載せて食べたい
てかそんなのより政宗のレシピでも再現した方が
0795名無しさん@そうだ選挙に行こう
2009/08/30(日) 08:00:16ID:I0YqhvKq0796名無しさん@そうだ選挙に行こう
2009/08/30(日) 12:22:46ID:0cZEFM+S室町時代の料理書には、鶴って食材に名前あがってないんだよね
>大鳥は白鳥、雁、雉子、鴨、この他のものは供御に備えずなり
>小鳥は鶉、霍、雀、鴫、この他のものは供御に備えずと云々
「海人藻芥(1420)」
家光の時代になると将軍御用達になるし料理本に名前が挙がるし
この時点では鶴の食用は確実にあるんだけど
0797名無しさん@そうだ選挙に行こう
2009/08/30(日) 12:58:01ID:YrsG7rU60798名無しさん@そうだ選挙に行こう
2009/08/30(日) 14:38:47ID:EWG63z1k> 室町時代の料理書には、鶴って食材に名前あがってないんだよね
どんな料理書を読んでるんだ?
室町期の式三献に鶴料理は必ずあるぞ
0799名無しさん@そうだ選挙に行こう
2009/08/30(日) 16:30:41ID:0cZEFM+S鶴が特別な食材になった時期(>>795)の話ですよ
少なくとも15世紀では”正式な食材”になってなかったわけで
”珍味”から”庶民が食えない極上品”に変わった時期は戦国時代だと思うのですが
そのとき「鶴の禁令」が出てたかどうかは、ちょっと疑問かと
0800名無しさん@そうだ選挙に行こう
2009/08/30(日) 17:36:22ID:EWG63z1kジョアン・ロドリーゲス「日本教会史」
0801人間七七四年
2009/09/09(水) 16:09:38ID:zX7g35ui0802人間七七四年
2009/09/20(日) 16:24:37ID:nprC4Tns0803人間七七四年
2009/09/20(日) 17:25:07ID:RFlnCZ3Fttp://portal.nifty.com/2009/04/01/koneta/6.htm
0805人間七七四年
2009/09/26(土) 17:00:12ID:w2OPX3Qk戦国当時に淡水魚の中で最上と言われるだけはあるね。
でも、当時は砂糖で甘露煮なんてやらなかっただろうなぁ。
飴ではやったかもしれないけど。
当時は鯉といえば味噌で炊くのが主流?
刺身も聞いた事があるけど。
0806人間七七四年
2009/09/28(月) 19:40:47ID:1Gbtpxl+鯉かいい当てていたそうだ。
0807人間七七四年
2009/10/03(土) 21:51:16ID:u4Ds/QP00808人間七七四年
2009/10/03(土) 23:57:40ID:EC4VgCVv日本史板にいけ
0810人間七七四年
2009/10/04(日) 02:57:35ID:slzpeVjX0811人間七七四年
2009/10/09(金) 08:08:43ID:SW6tnRyd0813人間七七四年
2009/10/09(金) 09:37:21ID:SW6tnRyd消化に悪くなかったのかな?
0814人間七七四年
2009/10/09(金) 11:31:55ID:WN0eMudG0815人間七七四年
2009/10/09(金) 13:09:16ID:SW6tnRydなるほど。だから廃れたんだな。
戦みたいな緊急時に間に合わないようじゃ武士の飯としては失格だ。
0816人間七七四年
2009/10/09(金) 14:37:38ID:6tixYvL7強飯という調理法、全然廃れてないような……赤飯おこわなんて最たるものだし
世界的に見れば、蒸したり(強飯)茹でたり(湯取り)する調理法は今でも各地で行われてるよ
日本で今のような炊飯が一般的になったのは江戸時代からで、
戦国時代なら「ご飯を炊く」ことが非日常(ハレや戦用)で、平時はお粥(雑炊)だったしね
(だいたいは米に混ぜものして食べてた)
0817人間七七四年
2009/10/09(金) 14:42:43ID:aIXlL4e10818人間七七四年
2009/10/09(金) 15:44:40ID:WN0eMudG今ではどこも「炊く」ようになった。
これは戦後、日本の電気炊飯器が広まったため。
0819人間七七四年
2009/10/11(日) 04:07:41ID:R0ggB+as0820人間七七四年
2009/10/26(月) 16:01:07ID:fMBFGtg20821人間七七四年
2009/10/28(水) 06:08:08ID:C9sbJLsE単なる伝統なのか何らかのメリットがあるのか?
0823人間七七四年
2009/10/28(水) 16:47:31ID:2g0/I5GW原材料(米だけでなく他の雑穀でも)蒸すよ
カビはやすから消毒必須なんじゃないかな
0824人間七七四年
2009/11/09(月) 16:35:18ID:L4mHAZn70825人間七七四年
2009/11/10(火) 01:43:00ID:vIcAR9pd今つーのがイマイチわからないけど、炊飯器は姫飯ですな
0826人間七七四年
2009/12/31(木) 13:42:42ID:DfSUZFK10827人間七七四年
2010/01/24(日) 23:32:18ID:LCTLH8OI0828人間七七四年
2010/01/26(火) 09:20:50ID:SWI/4ofZ人間にとって一番基本的な事である「食」について
考察し各時代・各地域・各層でまとめた資料ってのは意外とありそうでない・・・
散文した資料を各自で付き合わせて推測を出すしか無いって現状なのか。
戦国はおろか江戸期、明治、昭和初期・中期の食文化でさえも
忘却されてしまいかねない時代だからなあ・・・。
0829人間七七四年
2010/01/28(木) 01:23:11ID:Mm+9W1bk牛飯を府内の町人に振舞ったという話があるんだが。
すると姫飯だった可能性が高いなあ。
0830人間七七四年
2010/03/13(土) 06:59:32ID:UNKRLSjy0831人間七七四年
2010/03/15(月) 19:16:25ID:sLz+Ofas姫飯にしても強飯にしても、よほどの身分かお祝い事の時にしか行われていなかった、と思われ
0832人間七七四年
2010/04/01(木) 22:38:00ID:xinX/RD3地元新聞の記事で「失われた郷土食・鯉の洗い」を特集していた。
戦前までは農閑期の水田や溜池で鯉を育て食用する光景は各地で見られた。
海から遠く離れた山村において新鮮な魚介類はそう口にする機会も無く
村祭り・婚礼の席でしか食えない鯉の洗いは最高の食材だったと。
0833人間七七四年
2010/04/01(木) 23:13:58ID:4UHqMfziあとは出産後に妊婦が食う。
0834人間七七四年
2010/04/01(木) 23:25:46ID:yEj/cLpj”あらい”って調理法には、冷水や氷で身をしめる、という段階があるので、最近の調理技術と思われ
日本では鎌倉時代から、魚の身を薄切りにして食べる、って調理は記録に残ってて
最初は酢で味付けする(膾)が主流だったんだけど、戦国時代末には醤油が広まり以降魚の膾は廃れることに
でも信長が鮒の膾大好きだった、なんて話もあるから、まぁ戦国時代は鯉でも刺身は酢で食ってたんでしょうなぁ……
>>805
鯉料理なら>>711の将軍歓待の膳に様々な調理法が載ってるよ
0836人間七七四年
2010/04/01(木) 23:37:51ID:4UHqMfzi当時、誰でも簡単に作れる調味料の一つだ。
0837人間七七四年
2010/04/02(金) 04:32:10ID:r22yyXZi(酢飯ができたのも江戸時代、日本古来の飯寿司は酢を使わないで直に乳酸発酵させて作りました)
というのも伝統的な方法では、独自の酢酸菌で管理発酵させる上に熟成に数年かかる、などなどの理由があって
ちなみに現在の静置発酵で作られる黒酢の場合、熟成完成までに3〜5年、出荷時に仕込みの30%程度の不良が発生するっていうから
昔も同程度以上の生産性だったでしょうなぁ……
昔は不純物が多くて粘度が高いものが主流だったらしいですが、
ただ、材料が違うもの(米酢、酒酢、梅酢、果実酢)他の調味料を混ぜたもの(酢味噌、わさび酢、辛子酢、ぬた酢)
なんてのがあって、一概にこう使われた、とは言いにくいかも……
0838人間七七四年
2010/04/02(金) 05:13:07ID:gDcozx4x一昔前までは鯉、鮒、鯰、泥鰌などあらゆる河川・湖沼・泥田に生息する魚も
メジャーな食材だった筈なんだよなあ
海から離れた内陸部はもちろんだが大小河川が入り組み湿地帯が広がっていた
下流域の平野部でも盛んに食されていただろうな
0839人間七七四年
2010/04/02(金) 05:13:16ID:sadopaGS酒の発酵を止めなきゃ酢になるって話と本格的な醸造酢を作る話とを混同しちゃいかんよ。
高級品もあったというべき。庶民はそういう本格的なものとは別に楽しんでいたと思うよ。
0840仙台藩百姓
2010/04/02(金) 17:56:25ID:PaMbsgcM0841人間七七四年
2010/04/04(日) 19:53:17ID:4BvG067V番茶さえもめったに飲めなっかただろうし。
0842人間七七四年
2010/04/10(土) 01:31:18ID:AesJ1iD50845人間七七四年
2010/04/10(土) 06:04:20ID:ukYBwUkA0847人間七七四年
2010/04/10(土) 13:15:38ID:hgq93uTc室町時代の日記(コレだと都の公家や知識人の話になっちゃうけどI)見ると、
お客さんが来たとき出した物は、塩おにぎりとかソーメンとか焼餅とかあるね
大名も普段は同じようなもの食ってたとしたら、なんか今でもけっこう美味そうな気がするけど……
0848人間七七四年
2010/04/12(月) 02:09:57ID:eNUeKEYL0849人間七七四年
2010/04/12(月) 02:40:55ID:3QhHgOC9酢酸発酵で作った酢を一緒にしてる人がいる希ガス
前者はそりゃ酒をほっとけば出来てたと思うけど
そんなの調味料に使ってたのかいな?
0850人間七七四年
2010/04/12(月) 14:35:01ID:ees48gsC0851人間七七四年
2010/04/12(月) 17:08:05ID:crUZpQbg昔の方がなんでも食べ物が旨かったってことになる訳でもないんかね?
0852仙台藩百姓
2010/04/13(火) 08:10:05ID:I7Bwxa2i0853人間七七四年
2010/04/13(火) 12:04:42ID:SsHI6puRまあ、保存技術が貧弱だからどうしても
「新鮮な物を、出来たてのうちに。」が基本の時代だから。
そのかわり、ネタの選択肢が狭いってデメリットもある。
地方の名物も、実際にそこまで行かなきゃ食えない代物だろうしね。
0854人間七七四年
2010/04/13(火) 12:15:01ID:sdcRd+tu0855人間七七四年
2010/04/13(火) 12:48:08ID:hYjaF1Em野菜を煮れば甘味が出てくる。
砂糖なんぞ使わなくてもね。
煮物に砂糖が使われるようになったのは、確か戦後になってからじゃないかな。
贅沢品だった砂糖が安く大量に手に入るようになり(米軍の賞味期限切れなど)、
戦時中の貧困の反動もあって甘さを追及するようになった。
0856仙台藩百姓
2010/04/14(水) 00:07:58ID:WWXiYiiV今だって輸入ストップすれば直ぐに食事に美味さを追求するような余裕はなくなるお( ^ω^)
因みに甘味は蜂蜜や果実を料理に使ったようだお
勿論今と違って年中あるものではないから季節限定だけど( ^ω^)
0857人間七七四年
2010/04/14(水) 00:24:24ID:uQjdyyri0858人間七七四年
2010/04/14(水) 05:45:31ID:D8rQ/3Yq0859人間七七四年
2010/04/14(水) 06:44:16ID:zipLZci80860人間七七四年
2010/04/14(水) 06:58:48ID:D8rQ/3Yqアメリカは入れすぎ
東南アジア諸国も如何なものか
日本人がビックリするような砂糖の入れ方をする国は結構ある
0862人間七七四年
2010/04/14(水) 11:23:23ID:SyuR8I2n0863人間七七四年
2010/04/14(水) 20:51:02ID:rWLU2H/j遡って読み返してみたがうろ覚え・思い込み・出鱈目だらけじゃないか
0864人間七七四年
2010/04/14(水) 21:20:52ID:kI8DPxWw0865人間七七四年
2010/04/14(水) 22:42:15ID:tIS0cy+J0867人間七七四年
2010/04/15(木) 11:43:06ID:07hfO/dcttp://www2.ttcn.ne.jp/honkawa/0442.html
日本は世界平均より低い
0868人間七七四年
2010/04/15(木) 11:55:39ID:AbPOh8s3キリッ
0869人間七七四年
2010/04/15(木) 12:39:07ID:7vN4zZlJ0871人間七七四年
2010/04/16(金) 14:21:35ID:9R3dRsqQそれに感化されたんだろ。
0872人間七七四年
2010/04/16(金) 16:51:12ID:2dIiahGG「日本で味に深みを増すために調理の味付けに甘みが重視されることが一般化したのは江戸時代から」
…と言っちゃってもいい気はする
>>711のリスト見ても、甘いもの(水飴とか干果とか)は箸休め?的な扱いでまとめてスイーツ枠で出されてるし
戦国時代の味付けに対する甘味料の扱いは、今ほど盛んに使われてた、とは考えにくいとは思うんだよなぁ……
0873人間七七四年
2010/04/16(金) 17:09:52ID:dLVTnelh料理の味付けには使わなかったのかな?
0874人間七七四年
2010/04/16(金) 17:57:02ID:ykUWnv4T0875人間七七四年
2010/04/16(金) 18:13:43ID:9R3dRsqQ江戸初期には茶会でワインが甘味として出されてた記録がある。
0876人間七七四年
2010/04/17(土) 01:01:03ID:wl8EFTEM刺身とかキノコ、山菜自然でとれたものは昔(500年前)の方が
美味しいだろうね地球が科学部室(←なぜか変換できない)で汚染されて
ないし。でも牛とかは品種改良されてるモノの方が美味い。
魚でも養殖物はエサいっぱい食ってるし美味くなるように育てられて
出荷だから養殖物は除外しといて
0877人間七七四年
2010/04/17(土) 02:08:01ID:XvutxMfA現代人の味覚は脂質や柔らかさに特化されてるので、当時の食材は不味い部類になると思うよ
例えば、今日本で栽培されてる山菜は”アクを少なくしておいしくした”品種、あと蔬菜の味は土で決まるし
とりあえず今の時期なら川土手にはえたタラの芽とスーパーのそれを比較してみるとわかりやすいかも
キノコってのも戦国時代には栽培されてなかったのよね、なのでとりあえず椎茸の話をすると
道元の本に、中国ついたら日本の干椎茸を探しに禅僧が来た、ってあるくらい昔から有名だったんだけど
栽培に関しては17世紀に入って有馬藩が始めた記録が最初、もちろんドンコとかの品種確立も最近なので
当時の椎茸は、たぶん現在の一番安いクラスくらいだったと思われる
まぁ これは好みとか食い方で向き不向きはあるから、味は何とも言えないかな
魚に関しては、戦国時代は白身魚ばっかり食ってて、今主流のマグロなんてどうだったか不明
つか戦国時代は”山が荒れた”時期とも重なるので(魚養林とか有効なら)微妙だったかも知れないよ
0880人間七七四年
2010/04/18(日) 22:43:24ID:uvQKCohrマグロは、一応食べていたよ。
大友館の発掘で、マグロの骨が出てきている。
当時どんな扱いかはわからないが、戦前までは下魚という扱い。
0881人間七七四年
2010/04/18(日) 22:51:39ID:JISZwdd8冷凍技術の発達まではとても流通に適さない魚だった。
0882人間七七四年
2010/04/19(月) 14:29:03ID:wCl4nrOq当時の椎茸は松茸より高価…と言うか貴重品。
栽培法が確立されるまでは「幻の茸」だったんだぜ?
なんと当時は屋久島あたりにしか椎茸菌が存在せず、
風で海を越えた菌が九州や四国あたりで偶然に付いた物
しか無かったんだよ。
0883人間七七四年
2010/04/22(木) 22:24:52ID:3xxE0VBZ0884人間七七四年
2010/04/23(金) 02:03:54ID:SsOIqj5d0885人間七七四年
2010/04/23(金) 03:28:32ID:KVGDyovq原木にシイタケ菌が付くかどうかは偶然に頼るしかなく
シイタケ栽培は博打みたいなものだったんだそうな
シイタケが出来れは大儲け、失敗すれば破産的な
0886人間七七四年
2010/04/23(金) 20:11:03ID:uF3WQl7rばあちゃんが裏山でホタギ使って椎茸栽培してるから簡単なんだと思ってたよ
0887人間七七四年
2010/04/23(金) 21:33:01ID:dMVIRqzAhttp://www.bunka.pref.mie.lg.jp/rekishi/kenshi/asp/hakken/detail.asp?record=278
0888仙台藩百姓
2010/04/27(火) 23:43:59ID:XYQkYiCc特に昔は流通の都合上その傾向が大きかったはずだお
松茸といえば船尾昭直が白川義親に松茸十本進上申候と書状にしたためているけど
安物だったらわざわざ十本ばかりを主君に献上するとも思えないし
この地域ではそれなりに価値のあるものだったと推測されるお( ^ω^)
0889人間七七四年
2010/04/28(水) 00:50:42ID:PtxoAc2u人工栽培を試みるなんて、どーみても見えでも松茸高級品だったとしか
0890人間七七四年
2010/04/28(水) 03:56:14ID:myDSTUqT0891人間七七四年
2010/04/28(水) 22:38:58ID:9A+e/R8m刑務所受刑者が一番飢えるのはタバコでもアルコールでも無く「甘み」
0892人間七七四年
2010/04/30(金) 16:56:06ID:Y803bDIY昔の高級キノコ、といえばなんといってもマイタケ。
戦国時代の武士は食ってたのかな?
0893人間七七四年
2010/04/30(金) 21:54:22ID:r28TeYaXまつたけも養殖が簡単に出来るようになれば一気に安くなんだろうね
0894人間七七四年
2010/05/08(土) 22:20:10ID:9Pc3kFwR0895名無しさん@そうだ選挙に行こう
2010/07/10(土) 22:43:49ID:/gFCywoc0896名無しさん@そうだ選挙に行こう
2010/07/11(日) 09:29:30ID:VsEZ8h850897人間七七四年
2010/08/20(金) 15:11:26ID:H62E6uITポリポリ
0898人間七七四年
2010/09/20(月) 00:20:40ID:IEBJP7Bm0899人間七七四年
2010/09/28(火) 23:05:08ID:DMJ0iv5N0900人間七七四年
2010/09/29(水) 01:30:58ID:pp1wgm+9あれじゃ
・カルシウムの絶対的不足→重量あるものの装着・装備困難→疲労骨折多発
・動物性タンパク質の絶対的不足→動物性でしかとれない必須アミノ酸の不足→筋断裂の多発
・炭水化物過多→肥満体型
・ビタミンの絶対的不足→鳥目、壊血病、くる病などの多発
・塩分過多→ナトリウム過多→水分摂取量増大→多汗症、疲れやすい体質
になるはず
0901人間七七四年
2010/09/29(水) 05:47:25ID:/Z4P1IAN0902人間七七四年
2010/09/29(水) 05:50:49ID:RuX26v9F0903人間七七四年
2010/09/29(水) 06:02:49ID:KnIBmzyY穀物と豆類で全てのアミノ酸を賄えるんだが
動物からしか取れない→植物には合成できないアミノ酸 って事になるが
必須アミノ酸って『対象の動物が自力で合成できないアミノ酸』の事なんだぜ
植物は全てのアミノ酸を合成できる
0904人間七七四年
2010/09/29(水) 09:45:36ID:aLtoD6dm>>900
・カルシウムを多く含む野菜や海草は多いよ、昆布とか切り干し大根とか
植物のシュウ酸(カルシウム吸収阻害)はアク抜き(表皮に集中してるので皮をむいても)で対処できるし
・玄米(白米じゃないよ)+豆(米で不足するリジン、トリプトファン補給)で必須アミノ酸はカバーできてるよ
加えて干物魚(出汁でも堅節つかうし)だからバランス食と言えなくもない気が……
・現在の肥満要因の一つは炭水化物じゃなく脂質やタンパク質過多のような、完全菜食で肥満は珍しいと思う
・朝鮮の役で始めて鳥目や脚気が問題になったくらいだし、当時の常食ならビタミン不足はほぼなさそう
・食事のほとんどが植物性なので、カリウム過多で腎臓やられないようナトリウム摂取は多めでないとヤバイ気はする
0905人間七七四年
2010/09/29(水) 10:24:07ID:KnIBmzyYカロリーの過剰摂取だな。余分なエネルギーが脂肪細胞に蓄えられるのが肥満
日本人は脂肪細胞が少ないんで、欧米人のように太りだす前に糖尿病で死ぬ
そもそも太るだけ食べられる人達は少数派。
毎日食事できるだけでありがたがる人たちは肥満なんかしないしね
0906人間七七四年
2010/09/29(水) 19:20:14ID:KNVx7FvC今とは比較にならない程の労働があるから、
カロリーや塩分はむしろ適切な部類なんだろう。
現代人基準に考えたらダメだよ。
0907人間七七四年
2010/10/03(日) 21:23:01ID:cxaFyJzk>室町時代の僧侶の暮らしが徐々に判明してきた大山寺(大山町大山)の
>僧坊跡発掘調査で、炭化米の塊が多数見つかり、研究者の関心を集めている。
>分析を依頼された国立歴史民俗博物館の住田雅和研究員(植物考古学)は
>「押しずしの可能性が高い」と指摘。
>確認されれば国内初のすしの遺物で、食文化史上の貴重な史料となる。
http://mainichi.jp/select/wadai/news/20101002mog00m040020000c.html
0908人間七七四年
2010/10/30(土) 00:23:50ID:zC8OEOf/現代栄養学で考えたら
モンゴルの騎馬民族やアラスカのイヌイット達はどうして生き延びれたかになるんだな
日本人は穀物、野菜だけでも体力維持できる体質ができてた
モンゴル人やイヌイットは肉類、乳製品だけで
体力維持できる体質ができてたとしか言いようがない。
0909さ
2010/10/30(土) 04:25:44ID:ll4p7Kggもちろん戦場食としての話だけど
0910人間七七四年
2010/10/30(土) 04:56:13ID:MNV3IkSa通常食ではハチの子なんてどだろ
長野も有名だけど九州高千穂とか全国で今でも食べる習慣残ってるよ
0911人間七七四年
2010/10/30(土) 05:27:54ID:+eDNYNfW史料ないだろかね
0912人間七七四年
2010/11/01(月) 00:10:55ID:igG49gvi塩とミルクを入れてね。
0913人間七七四年
2010/11/01(月) 16:22:43ID:GWSBmuas弥左衛門家で行われた結婚式のメニュー
・前菜
お茶
吸い物(花鰹・そうめん・芹)、数の子、蕗
冷酒
肴として、田作、イカ、昆布、
膳を変えて
吸い物、葱の酢味噌和え、玉子焼き、イナゴ、刺身
錦糸玉子、タコ、芹、しいたけの盛りつけ
・本膳
皿料理(千切り大根、刺身、岩茸、鳥、なます)、肴(栗、スルメ、人参など)
汁(田作、大根)、猪口[小さくて深い椀](こんにゃく等)、飯
・二の膳
平[浅くて平たい椀](椎茸、ゴボウ、鱒、スルメ、青板[昆布を干したもの]、ちくわ)、飯
組合(エビ、切り身、イナゴ)、清酒、汁、奈良漬
・三の膳
タコ、ぜんまい、エビ、刺身、蓮根、九年母の果実(みかんの一種)、玉子、羊羹、
はも、しらす、吸い物
ご馳走のメニューの中にもイナゴが当然のように入っているのだな。
それだけ一般的な食材だったのだろう。
0914人間七七四年
2010/11/01(月) 18:25:36ID:OlwlksCm結構豪勢だな
0915人間七七四年
2010/11/01(月) 23:11:28ID:ixvxbpr2今の俺らが食べても十分満足できそうだ
0917人間七七四年
2010/11/02(火) 01:03:09ID:CES0qY+wそもそも信濃なのに、かなり海産物が入ってるじゃないか。
0918人間七七四年
2010/11/02(火) 01:34:20ID:+QjFxaiU虫はもともと漢方だから、昔は食するのは問題にならなかったと思う
ちょっと気になるのは”鯉”がないよね、ここには なぜだろう?
0919人間七七四年
2010/11/02(火) 08:37:00ID:upgYfq8V0920か
2010/11/02(火) 18:12:38ID:dfCD0Zsd動きがトロいからよく捕まえて食べてたと思うんだけど
かたつむりも
0921人間七七四年
2010/11/02(火) 18:14:45ID:1O1eDS2U0922人間七七四年
2010/11/02(火) 20:07:45ID:+QjFxaiU日本在来のタニシは小さいから食用に適さない、とはいってもヒメタニシですら3.5cmくらいにまではなるし
もともと”薬食い”という習慣があってタニシもカワニナもハチもイナゴもその区分だから
「喰わなかった」と考える方が無理があるとは思う
カタツムリは記録には無いけど、徳島のほうだと戦前まで壺焼き風にして喰ってたらしい
新潟地方では蛇も干して「川ウナギ」と称してたり、とりあえず「食えるものはみんな食ってた」
って考えていいんじゃないかなぁ……
0923人間七七四年
2010/11/02(火) 20:08:22ID:v0KNtd6q0924人間七七四年
2010/11/03(水) 01:04:06ID:Yzw8403C時代にもよるだろうな
江戸時代も後半になれば、上層以外の農民も普通に衛門兵衛使ってそう
っていうかうちのご先祖がそうだった(知る限り普通の自作農だが名前が七右衛門)
0925腹へった
2010/11/19(金) 05:04:52ID:k6fJl2Yq0926人間七七四年
2010/11/19(金) 09:13:05ID:fvvyUeMR問題が難しすぎる、あなたの質問は「日常的に食ったか」だろうか?
それとも「口にする人たちがいたか?」だろうか?
↑なら答えは「違う」だけど、↓なら「そういう文化はある」としか
たとえばマタギは平安時代から記録が残る漁師集団なんだけど、獲物の一つは冬眠あけのクマ
クマは昔から薬として胆(胃腸強壮)骨(打撲)血(貧血)ペニス(強壮)とか万能なので
一般では薬だろうけど、マタギという集団(というか山の集落)では食用だったと思われ
マタギの獲物にはサルカモシカウサギ等々だけど、狸狐カラスを食べる方法ものこってる
犬の記録はないのだけど、江戸時代のゴミ溜め遺跡から骨が出てきたらしい
おもうに戦国時代でもクマも犬も「薬」として口にされていたんじゃないですかね
0927か
2010/11/19(金) 10:00:32ID:k6fJl2Yqなるほどね
ちなみに私の質問は一般的に食したか?って意味でした
薬ね
熊は寄生虫やら発見されて食わなくなっていったのもあるかも
犬は平安時代だかの天皇が食ってはいけない動物に挙げてたって話を聞いた時がある
中国、韓国では犬汁を食うけど、日本人は早い時期から犬を食わない様になってったんだと思った
薬とは凄いな
0928人間七七四年
2010/11/19(金) 11:59:52ID:81te0VaA「我等若き頃迄は、御當代の町方に於て、犬と申すものはまれにて、見當り不レ申候。
若したまさか見當り候へは、武家町方共に下々のたべものには犬にまさりたる物は無レ之とて、
冬向になり候へば、見掛け次第に打ち殺し、賞翫仕るに付まゝの義に有之事也」
(江戸の町方に犬はほとんどいなかった。
というのも、武家方町方ともに、下々の食物としては犬にまさるものはないとされ、
冬向きになると、見つけ次第撃ち殺して食べたからである。)
0929腹へった
2010/11/19(金) 12:59:22ID:k6fJl2Yq綱吉将軍時代だけは食えなかった程度で
また酒のつまみのゲテモノ系は普通に食ってたんだろう
しかし戦国人はフグに毒があるのを知ってたのかな?いつからフグを食う様になったんだろう?
最初に食った奴って偉いと思う
0931人間七七四年
2010/11/20(土) 00:31:42ID:z/V1M9Rb骨とか発掘されてる
0933人間七七四年
2010/11/20(土) 19:29:08ID:oC5yWlAbすごいな
トリカブトの根なんてのも既に大昔から毒と認知されてたのかな?
0934人間七七四年
2010/11/20(土) 19:51:02ID:Su8fwZWP天然の毒でも成分抽出があまいとパンチの効いた効果は得られん
ものがほとんどだしなぁ
0935人間七七四年
2010/11/20(土) 20:20:21ID:scsbGySZ(今でも山菜は灰汁抜きとかするでしょ?)
だんだん改良され毒を持たない作物が広まってくると毒持ちの食物(彼岸花とか)は食われなくなるんだけど
河豚とかコンニャクとかは”うまいからやめられなかった食物”なんじゃないかなぁ
0936人間七七四年
2010/11/20(土) 20:52:49ID:8+VpKZjf0937人間七七四年
2010/11/20(土) 21:54:18ID:K6Iyrzw7Wikipediaに載ってるのに・・・。
>なおウナギの血液にはイクシオトキシンという毒が含まれるため、生で食べることはできない。
>ただし熱を加えると変性し毒性が消えるので、加熱調理した分には危険はない。
>生でも血液を完全に抜いて酢でしめれば刺身で食べることもできる。
0938人間七七四年
2010/11/20(土) 23:30:13ID:VhyCgBms0939戦国39
2010/11/21(日) 08:16:27ID:58V133ofあんな見た目がキモいのを最初に食った奴はエライと思ふ
0941人間七七四年
2010/11/22(月) 00:18:13ID:JoDLyCQsうちの爺さんが30数年前に庭にかすみ網仕掛けてスズメとってたな
かすみ網の狩猟許可は取ってなかったんじゃないかな?
羽根をむしっている現場を見たことあるけど、商売になるほど取れない。
夕飯や晩酌の肴の足しになるかなって程度。
一応、スズメは狩猟免許を取得して現場の都道府県に狩猟登録申請だせば狩猟できる。
0942腹へった
2010/11/22(月) 06:42:34ID:PzT3ofrhカエルも美味い
0943人間七七四年
2010/11/23(火) 02:28:52ID:obxclC790944仙台藩百姓
2010/11/23(火) 07:42:42ID:OhtI8o/E0945人間七七四年
2010/11/23(火) 09:47:14ID:yKpDTOpu0947人間七七四年
2010/11/24(水) 03:27:30ID:BiRQM624日本の野鳥はどれでも許可なしで捕ると皆違反
ドバトはレース鳩と区別つかないのでこれも違反
かすみ網とりもちは害獣駆除や調査以外ほとんど許可は下りない
猫に取ってもらうのが一番早いのかもね、取り上げるとき「フガーフガー!」怒るけど……
0948人間七七四年
2010/11/24(水) 12:38:25ID:jnEEUFprじつは犬以外の動物を使った狩猟は「自由猟具を使った狩猟」に当たるんでやはり狩猟許可が必要。
ちなみに犬の使用は禁止されてたりする。
良いのは「猟銃免許を所持した者が猟期中にが猟銃を所持している状態で犬を使う」こと。
0949人間七七四年
2010/11/25(木) 03:27:51ID:HlFjpto50950人間七七四年
2010/11/25(木) 23:34:43ID:E8Kw+kzyただ小さいから一羽では満足出来るレベルでないが。
0951人間七七四年
2010/12/05(日) 01:31:25ID:+cKbARHm謎だな。食に関しては日本食と中華はまるで違う。
0952人間七七四年
2010/12/05(日) 23:10:09ID:sEuDBL++和食は水の料理
0953人間七七四年
2010/12/05(日) 23:14:18ID:fIKBb2zk0954人間七七四年
2010/12/06(月) 00:03:45ID:WmJfqNVb中華といった場合は日本人向けに作り変えられたものね
0955人間七七四年
2010/12/06(月) 00:14:42ID:v/XQq2RD卓袱料理のように「大皿に盛って各人で取る」なんて中国の作法だし
なにを持って「入ってこなかった」といいたいのか、さっぱりわからん……
つか日本料理と言われてるものの多くが江戸時代に成立したんだし
今の中華料理だって清の時代に確立したものが多いぞ(麻婆豆腐とかオイスターソースとか)
「結論が先にありき」で話を始めては、なんの進歩もないぞ
0956人間七七四年
2010/12/06(月) 18:24:05ID:5JxVVSid0957人間七七四年
2010/12/09(木) 11:47:06ID:e6hb7uaH0958人間七七四年
2010/12/10(金) 07:29:59ID:Z/nQP34J戦国時代に”茶”漬けはない、あるのは湯漬けか出汁づけ
当時のお茶の飲み方は、東方案内記(1596)に食事後抹茶を点てて飲む習慣がある、と記されてる
ほうじ茶(AD1654中国から隠元禅師が伝えた)や煎茶(AD1738永谷園の創始者が発明)は江戸時代元禄以降に広まったもの
よって、ぶぶ漬けなんて言葉は戦国時代には存在しないので板違い
0959人間七七四年
2010/12/10(金) 08:08:41ID:btFwBN2f「お茶」の事でもあるが、お湯が先。
白湯(さゆ)も「ぶぶ」って言うな。
「ぶぶ漬け」は「湯漬け」の事で、冷や飯を暖めて食べる方法。戦国期でも珍しくない。
よって、ぶぶ漬けは戦国にもあるので安心する事。
0960人間七七四年
2010/12/10(金) 08:22:34ID:Z/nQP34J>「ぶぶ漬け」は「湯漬け」の事
ぶぶ漬け、と言う言葉自体が明治以降のものだと思ってたんだけど、それ以前に記録された例があるのかな?
0961人間七七四年
2010/12/10(金) 10:42:52ID:btFwBN2fさぁ?聞いた事無いけど
ちなみに>>958の意見「ぶぶ漬けなんて言葉は戦国時代には存在しない」を否定していないので安心するように。
私が言っているのは「湯漬け飯」の事。湯漬けと解釈すればいいよねって話。
「ぶぶ」の説明を補足すると「飲み物」全般を表す幼児語。お茶だけを差す言葉ではない。
自分、幼児期に「おぶ」って使ってたし
ぶぶ漬けに関しても、お茶漬だけではなくも湯漬けに使っている例がある。
念のためもう一度書くけど、君の書き込みを否定しているわけではない。安心されたい。
ああ、「板違い」っつーのはいかがなものかと思うが、あくまでも私的な考えなので気にしなくても良い。
0962人間七七四年
2010/12/10(金) 10:48:00ID:btFwBN2fちょっと調べてみたが、「ぶぶ漬け」、京茶漬けだな。
この料理は砕いたアラレ(ぶぶあられ)や海苔、抹茶をトッピングしてお湯をかける。
永谷園のお茶漬けがぶぶ漬けそのものだな。
この「ぶぶ漬け」は江戸期が成立時期。
ただ、各家庭でいろんなバリエーション、それこそ湯漬けそのものもあるんで、色々調べてみるのも楽しいと思う。
0963人間七七四年
2010/12/14(火) 21:23:01ID:+kQHv/IG0964人間七七四年
2010/12/17(金) 20:25:14ID:tQHUrvlf書き込んだ日にレスが無かったので板そのものを見ていませんでした…。
ぶぶ漬けという名称が無かったのであり、その食べ物自体は存在したんですね?
いわゆる湯漬け、京茶漬けなどがに当該するという事ですね?
例えばこれは戦国時代などには食べられていたものでしょうか?
http://cookpad.com/recipe/342419
戦国時代に食していたと思われるぶぶ漬けを再現したいと思っているんです。
0965人間七七四年
2010/12/18(土) 00:05:23ID:fjzjBnkgカツオブシは製法が変わってるから全く同じものは無いかも
0966人間七七四年
2010/12/18(土) 12:06:52ID:pUmeozLb(でもなまり節も本格的に広がったのは江戸期以降なんだよね)
出汁については、当時確実に一般化してた煮干しを使ってみたら?
ちょうどお雑煮の季節だから、いりこ出汁だけでなく、あごやあゆ、ホタルイカなど
いろいろな煮干しが店頭に出てるよ
0967あ
2011/01/24(月) 16:49:23ID:1dG9E86N0968人間七七四年
2011/01/24(月) 21:16:15ID:hISFmMrXまぁ日本独自の3パック100円の糸引きのほうは御伽草子(室町時代成立)の中で擬人化されてる
だから戦国時代には全国で喰われてたと思われ
0969人間七七四年
2011/01/25(火) 08:45:00ID:Th824GKL当時は主にどんな味付けで納豆食べてたんだろう
0970人間七七四年
2011/01/25(火) 09:50:02ID:snbleWsrまた江戸時代だけど、松尾芭蕉の句に「納豆切る 音しばし待て 鉢叩」てなのがあり、
昔はそのまま食卓に出されず、潰して暖かい”汁”にしてたのが一般的と思われ
(もともと寺料理では大豆はすり鉢で潰すのが基本調理法だったしね)
当時の汁ものの味付けは、基本味噌と出汁(煮干)なので、たぶん納豆汁もそこらじゃないかな
0971あ
2011/01/25(火) 10:32:46ID:XoT8C56S0972人間七七四年
2011/01/25(火) 22:13:30ID:gRzjDFUB「一休納豆」で汁を作って食べてたのを思い出した。
今日では「大徳寺納豆」の名で知られる糸を引かない種類の納豆で、たぶん戦国時代の
兵糧としても使われたのではないかと思う。
0973人間七七四年
2011/01/26(水) 02:19:37ID:1du+eD9tこれは↑にも書いたけど”季節もの”、庶民の食べ物ね
ソレとは別に中国から伝わった麹菌で作る塩辛納豆てなのがあったのね、大徳寺納豆はそれ
で遠州の方ではコイツ”浜納豆”とよばれて珍味扱い、今川義元、豊臣秀吉、徳川家康も好んだ
(幕府に献上もされてる)つまりかなりな高級品、戦時食としてはちょっと不適な感じはする
つか戦時食なら同じ素材でもっと簡単に早く多量にできる保存食、味噌つくっちゃったんじゃなかろうか
0974あ
2011/01/27(木) 10:11:16ID:bZkNbuIMチーズやらヨーグルトはまだ無いだろうか?遊牧民からの経由で蝦夷には古くからある気はするが、戦国庶民がヨーグルトを食べたなんて想像出来ない。
0975人間七七四年
2011/01/27(木) 10:58:01ID:t31LKgcQ延喜式の時代にはもう日本でも知られてたのですが
庶民が食べられるものではないですけど長屋王の好物として知られてたりします
0976あ
2011/01/27(木) 13:56:51ID:bZkNbuIM長屋王は氷室を使っていたって事はチーズやら保管してたんですかね。ヨーグルトはやはり明治以降っぽいけど。
やはりでも戦国では贅沢品だね。アイヌの山岳民族は乳製品作ってそうなんだけど。
0977人間七七四年
2011/01/27(木) 17:02:45ID:mnUimzi70978人間七七四年
2011/02/06(日) 20:41:57ID:Te+zE3dVhttp://toki.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1296992418/
0979人間七七四年
2011/02/06(日) 20:45:15ID:Te+zE3dV元々、中世初期に兵衛府や衛門府の下級の地位を金で買えるようになったので上流庶民に広がったはず
0980人間七七四年
2011/02/06(日) 21:51:42ID:Te+zE3dV>今川義元、豊臣秀吉、徳川家康も好んだ
地理的関係もあるのでは?
遠州は今川・徳川領だし、秀吉も松下氏に仕えていたのが史実なら住んでいたこともある。
0981人間七七四年
2011/02/08(火) 04:40:36ID:mfUHRh5B塩辛納豆(中国でいう豆支)は、もともと滋養強壮(薬)として作られてたんですよ
遠州では大福寺が有名ですが、大きい寺(大徳寺や天竜寺が有名)ではだいたい作られてました
すり鉢、っていうのはもともとこの塩辛納豆を潰す道具だったりします
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