織田信長がいなかったら誰が天下取っていた?part6
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0001人間七七四年
2007/05/12(土) 20:08:55ID:QsSa0DFfここでは「彼が存在していなかった場合、誰が天下を我が物にしたか?」を議論するスレです。
前スレ
織田信長がいなかったら誰が天下取っていた?part5
http://hobby9.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1174052463/
過去スレ
織田信長がいなかったら誰が天下取っていたと思う?
http://hobby8.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1154509666/
織田信長がいなかったら誰が天下取っていた?part2
http://hobby9.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1160592334/
織田信長がいなかったら誰が天下取っていた?part3
http://hobby9.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1169606468/
織田信長がいなかったら誰が天下取っていた?part4
http://hobby9.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1171721957/
0558人間七七四年
2007/08/05(日) 17:05:42ID:KE/UcV6Rそういう終わりにするのかw お前には期待してなかったが予想通りで残念だ。
ソースの一つも挙げれないなら、俺の言う豪族の当主が戦死しても大勢に影響ないという事になるな。
大名の死は別。
>>557
するどいな。注意書きで永禄5年5月の誤りとなっていた。
残念ながら出兵した面子までは分からない。ただ出兵した事実のみ載ってる。
ソースについてはこいつ>>556に聞いていた事。
0559人間七七四年
2007/08/05(日) 17:47:29ID:KE/UcV6R>>軍艦単独で資料と?
手元には軍鑑以外無かったが、下のサイトに詳しく書いてあるよ。
ttp://www.pst.ne.jp/~ichimiya/his/23.htm
松平記、三河物藷は軍鑑の内容と近い。寛政重修諸家譜、徳川実紀は年代が異なるが。
0560人間七七四年
2007/08/05(日) 18:09:30ID:BXpEW9pB別に永禄六年後半から翌七年前半までの時期でないならその可能性を否定しない
遠州錯乱の混乱期はそのあたりだからな
キモは一向一揆に付け入れなかったのは遠州錯乱によるもので氏真がどうこうというもんではないってこと
どっちにしても依拠した資料名だしたのは褒めちゃる
0561人間七七四年
2007/08/05(日) 18:23:42ID:0L3Aw9tV0562人間七七四年
2007/08/05(日) 18:24:00ID:KE/UcV6Rその後の混乱はこの結果を受けての事でもある。
氏真の実力外の問題ではない。同齢の元康はもっと難しい事をやってのけてる。
そもそも離反のきかっけは氏真の家臣偏重が起因。重臣の死による混乱では断じてない。
つまり義元がどの段階で死ぬか分からないが、今川家は遅かれ早かれ衰退する。
0563人間七七四年
2007/08/05(日) 19:31:04ID:fScZDOgk現実はそれなりの実績も出していたしたぶん違うと思うけどね
0564人間七七四年
2007/08/05(日) 19:47:43ID:min4s8An重臣の死があったら、後継者をめぐって必ず大小の混乱は有る。
もし、今川が相続を認めた人物に納得しなければ、自分を認めるべく今川
じゃない織田・武田等に擦り寄るはず。
逆に、混乱が見当たらなかったとしたら、氏真が抑えたという事になって
暗君という評価を見直すのだが、それは無いだろう。
家臣偏重には同意。ただ、義元が10年長生きしたと計算して足すと
天正10年前後となって、氏康・信玄も死んでいてその頃の天下がどうなっているか見当つかない。
0565人間七七四年
2007/08/05(日) 19:50:52ID:BiKmWZN4桶狭間による今川家の重臣達の戦死が今川家に与えた影響は大きいとしてるんだろうに。
0566人間七七四年
2007/08/05(日) 19:55:21ID:BiKmWZN4慎重な考察が必要と思うけどなあ。
自分はそのへんは知らないのでなんともいえんけど。
0567人間七七四年
2007/08/05(日) 19:55:33ID:KE/UcV6R事実と照らし合わせて説明してくれたら2,3のレスで済んだ事なんだけどね。
0568人間七七四年
2007/08/05(日) 20:13:03ID:5eSFQDc5上段の兵の動員の話と、下段の結論の重臣の死の話が結びついてないと思うんだが。
当主が戦死しても跡継ぎが、跡継ぎが若くても親戚が、代りに兵を出すだろ。
遠州錯乱も押さえ込んでるし、>>557で相模に今川が兵を出してるってくらいだし
今川が重臣が死んで兵を動員できないなんてことは無いんじゃないのか?
0569人間七七四年
2007/08/05(日) 20:54:46ID:GZ8bTGkO国人とくに知行の大きい国人領主の大名家における存在の大きさを書きたかった
だけですわ。稚拙な物言いで惑わせてすまません。
0570人間七七四年
2007/08/05(日) 21:13:24ID:bInP7eqT相続問題かは忘れたが桶狭間直後
朝比奈と誰かととか朝比奈と三浦と小島とかが所領争いしてはいる
>>566
三浦の重用という話しは軍鑑ぐらいしか載っていない
また軍鑑も
今川は強大で氏真は肝の座った勇敢な大将だったが
先代からの家臣を退け三浦なんかを重用したため
ついに国が滅びるようなことになってしまった、
今、武田家では跡部長坂が重用されているがそんなことでは(ry
みたいな書かれ方で
跡部長坂を非難するためそんな話しを作ったのではないかと言う気がする。
>>568
遠州錯乱を抑えこんだりするので精一杯だったのかもね
桶狭間直後に北条に送った援軍は300人程度だったというし
家康討とうと思っても遠江での反乱の対処でそれどころじゃなかっただろうし
0571人間七七四年
2007/08/05(日) 21:17:18ID:pgAk4gwQ一緒に居合わせた、幹部連中も多数死去。
後を継いだ、氏真君は、縄張り争いの残務整理や、幹部連中の入れ替え、補充が大変で、オヤジの仇討ちも出来なかったって、ことでっか?
氏真擁護派が、資料を駆使して、氏真は暗君ではなかった。あの状況では仕方がなかったと言うのは、頭では理解出来るのだが…。
武勲がものを言う戦国時代で、オヤジの弔い合戦一つ出来なかったってのは、致命的なんだよな。
0572人間七七四年
2007/08/05(日) 21:25:24ID:KE/UcV6R適当な事を言わないでくれ。それじゃ俺が嘘を言っていたみたいじゃないか・・
「武家時記」を読んでみな。小倉内蔵助と三浦右衛門が権力を得て国政を仕切っていた事は書かれている。
また、えこひいきによって国政が乱れた事を「武野燭談」という書物に家康が指摘した逸話が書かれている。
0573人間七七四年
2007/08/05(日) 21:33:39ID:BXpEW9pBおそらく遠州錯乱の発端である飯尾逆心を生じさせたのは松平討伐の停滞にあるとはおもうが、そもそも松平討伐の停滞の要因は桶狭間による軍事力の低下にある
「離反」が誰の離反か分からないからなんともいえないが、大名の領国支配、軍事行動における国人、小領主の存在を軽く見てるだろ?
ところで松平がしたもっと難しいことってなんだ?
義元がまた桶狭間みたいな死に方しなけりゃ、多少の混乱はあれど、遠州錯乱にまでは陥らない
>>570
ついでに天野氏、匂坂氏、さらに寺社間でも生臭い闘争をしてる
0574人間七七四年
2007/08/05(日) 21:43:16ID:KE/UcV6Rあの時点で三河以外の何が問題だったと言っている? 復讐戦を促されはしても
泣く泣く軍事行動が起せなかった旨の記述は知らんのだ。
>>「離反」が誰の離反か分からないからなんともいえないが
文脈から察して欲しかったが三河衆のこと。
>>ところで松平がしたもっと難しいことってなんだ?
岡崎5万石からの独立。と今川家との戦での勝利。
不運な形とはいえ今川家を継いだ氏真より楽だったと思うかい?
0575人間七七四年
2007/08/05(日) 22:06:46ID:BXpEW9pB何がもんだい?復讐戦?既述を知らない?
全く意味が取れない
三河はもともと反今川がかなり強い地域
今川の軍事力という箍が外れて、さらに松平の独立を見て、「三州悉錯乱」に陥ってるから
独立に関してはそれ以前から西三河権益をある程度認められているという下地があるからどうかとおもうが、勿論容易なことじゃあない
今川との戦に関して言えば、何回か言ってるが、今川はまともに軍事行動起こせない状況だし、今川氏真の認識でも相当深刻な状況だから
まあ今川のほうが深刻だろうな
0576人間七七四年
2007/08/05(日) 22:13:42ID:KE/UcV6R>>全く意味が取れない
んじゃもう一度分かりやすく。
>>松平討伐の停滞の要因は桶狭間による軍事力の低下にある
「軍事力の低下」の判断は何処からの判断だ?どこにそういった記述があった??
俺はそういう事が書かれた文献を見たことない。
復讐戦はもちろん先代の義元の事。織田領へ攻め込まなければならないと元康も
促している。
とりあえず、
>>何回か言ってるが、今川はまともに軍事行動起こせない状況だし
これは何の文献で判断したのか教えてくれれば良いよ。
0577人間七七四年
2007/08/05(日) 22:48:52ID:nvDAml9F0578人間七七四年
2007/08/05(日) 22:57:23ID:YsPnxl031・2戦戦って武田をある程度叩いてから、
北信濃の一部を割譲させる代わりに武田信玄と軍事同盟を結ぶ
その後は北陸日本海ルートで上洛する
武田は東海道側の今川や織田を倒して上洛するルート
足利幕府を再興して、謙信・信玄・細川で三管領体制の復活だよ
0579人間七七四年
2007/08/06(月) 00:12:36ID:4cp7Hpziたいしたことないという意見をみるけどあれなんかどう考えたらいいのか。
0580人間七七四年
2007/08/06(月) 02:43:09ID:0+VKAV5C明らかな矛盾である。
この点が、はっきりしないと、>>576氏が納得出来ないように、家康のような積極的な仇討ち支持派を懐柔出来ない。
また、このスレの本旨に戻れば、義元が例え、濃尾を制し、上洛出来ても、天下が安定してなければ、氏真では器量不足だと感じる。
0581人間七七四年
2007/08/06(月) 06:36:38ID:4cp7Hpziそれに相模への北条への援兵と尾張への織田に対する出兵というのを同一視してるのもなんとも。
0582人間七七四年
2007/08/06(月) 07:45:44ID:sxcCu7H70583人間七七四年
2007/08/06(月) 09:17:46ID:LqpvQ/+rご丁寧にどうも
軍事力の低下は桶狭間で国人連中が多数死んでること、二万五千ともいわれる軍勢の一割程度を喪失したこと
付け加えて桶狭間でろくな戦果がなかったこと、そして上記の喪失により、松平が今川支配から抜け出したこと、同調して東三河でも反今川が活発になったこと
復讐戦というより西三河で所領拡大したいから援兵送れ程度だろうな
今川が援兵に来れば、松平にとっては西三河での権益を拡大できる、来なければ松平は独自判断で行動していくしかない
もう桶狭間の翌年から松平と今川の確執は始まってるから、その関係改善の狙いもあったんだろう
まともに軍事行動起こせてないのは遠州錯乱以降な
>>580
桶狭間直後から松平は岡崎城に拠ってあくまで今川方として織田と戦ってる
ところが桶狭間の翌年正月に将軍から今川ー松平の和睦調停を行ってることからも二者間の確執は既に始まってる
この状況で尾張に出兵しようとおもうか?
北条への援兵は三河の守りを固めてから兵を出してる
0584人間七七四年
2007/08/06(月) 09:38:49ID:M5U4knK7本人にその気がまったくないことだと思うよ。
信長がいなかったら桶狭間が起きてなかったから、義元がどこまで行けたかってのがミソだろう
義元一人で小田原攻めまで終わらせないと、氏真が多少有能でも天下取りはしなかったと思うな
もしくは家康に持ってかれるんじゃねぇかな、講談的に考えて
0585人間七七四年
2007/08/06(月) 10:21:50ID:vYQNoN600586人間七七四年
2007/08/06(月) 11:43:31ID:0+VKAV5C要は、氏真では器量不足で、組織をまとめ切れなかったっと言う事だな。相模に出兵する余裕が有るなら、三尾国境辺りで、示威行動するなりすれば、元康の裏切りを遅らせる事ぐらいは出来ただろね。
要は、武勲がもの言う時代で、親父の仇討ちも出来ず、家臣の不満解消も利益保全も行えないと舐められたのが、滅亡の元って事かな…。
それが、桶狭間の敗戦が遠因だとしてもだな。
>>583の論で行くと、元康は隙あらば、自己利益追求と独立を狙っていたみたいだから、氏真じゃあ、どっちみち、謀反を招いてたんじゃない。義元が上洛してたとしても、戦国時代は舐められたら終わりを理解していない氏真だからね。
0587人間七七四年
2007/08/06(月) 12:30:18ID:r0UfiyTX沸いて出ますよ(w
0588人間七七四年
2007/08/06(月) 12:31:06ID:XTRVA0x/0589人間七七四年
2007/08/06(月) 12:32:34ID:QBkSc+t/0590人間七七四年
2007/08/06(月) 12:45:15ID:H+oejppY支配力・統制力に疎と密ができるのは当然だろうな
彼らの多くは本貫地から離れての赴任組みたいなもんだから、すぐに代役を当てるのは難しい
親今川に残った豪族に牽制させるのが精々でしょ
氏真自身は、花蔵の乱時代からの確執がある遠江の飯尾氏あたりの警戒でせいぜい
0592人間七七四年
2007/08/06(月) 13:23:07ID:PC+g6+74織田の間者だよ、きっと!
0593人間七七四年
2007/08/06(月) 13:50:50ID:2Qmw44FPあながち間違ってないぞ。史書にまで同じ事を書かれているんだからな。
諸将を統率する能力無く、密告者や寵臣の言葉だけを信じて、感情が激しく、賞罰も当てを得てなかったそうだw
今川→松平裏切りリスト
1561年 松平家広・松平清善・西郷正勝・菅沼定勝・菅沼定盈・菅沼定忠・菅沼正定・奥平貞能・設楽貞通、
1562年 飯尾乗連・奥山貞澄、
1565年 牧野成定、
1569年 天野真景・・など
少なくともこいつ等は未だ巨大な今川家を見限って、小勢力に過ぎない徳川を選んだ
0594人間七七四年
2007/08/06(月) 14:06:42ID:Rim8eSnQ朝倉家の食客な義昭が単独、もしくは朝倉の力を借りての幕府再興が出来たとは思えん。
畿内で言えば三好&松永&六角の傀儡幕府がどこまで勢力を広げられるか、じゃないか?
0595人間七七四年
2007/08/06(月) 14:09:58ID:PS/2d2J1武田は今川を裏切って滅ぼしたから、それを正当化するために悪く書く
最盛期の今川家についても「雪斎に頼りすぎ」とか書いてあるし
0596人間七七四年
2007/08/06(月) 14:22:37ID:2Qmw44FP翁物語・武家事紀・武野燭談を図書館で探して読んでみな。軍鑑以外にも氏真の事がちゃんと書かれているから。
0597人間七七四年
2007/08/06(月) 14:34:44ID:NU5SCaLoで、今川のお陰で復帰できたのに息子は見事に相手の足元見て裏切った
三河物語では三河城代なんかの今川武士を散々悪く書いていて、今川から受けた恩はすっぱりとスルー
まぁ、今川ほど過小評価される大名はちょっと無いよね
織田、徳川、武田といった有名所寄りの立場から書いた本の殆どからアレ扱い
0598人間七七四年
2007/08/06(月) 15:15:30ID:2Qmw44FP>>軍事力の低下は桶狭間で国人連中が多数死んでること、
>>二万五千ともいわれる軍勢の一割程度を喪失したこと
義元が戦死した時、朝比奈(家老)・三浦(家老)・葛山・斉藤・岡部・由比・福島・庵原などの
当時の今川を代表する武勇自慢の人等が、一戦も交え無いまま撤退してる。
弔い合戦をするだけの戦力はあったはずだよ。
長篠敗北後の武田なんかは各方面への守備兵をさく必要があったから、再建に苦労したのを
想像できるが、氏真はほぼ全軍を向ける事が出来たはずじゃない?
0599人間七七四年
2007/08/06(月) 15:28:28ID:KTXppSBJとはいえ氏真のように2年間以上も黙っている奴は少ないと思うけどね。竜造寺政家なんかも弔い合戦が出来なくて落ちぶれていったし、ある種相続の試練みたいなもんか。
0600人間七七四年
2007/08/06(月) 15:38:25ID:bKfURd8b苗字だけだからよくわからんが、過去レスに出ている討死武将の名と同じ連中ばかりじゃんか
本当に戦力があったのか?
0601人間七七四年
2007/08/06(月) 16:06:55ID:SsnWnKtI現実問題としてその程度の出兵能力しかないんじゃ三河の騒動抑えるのは無理じゃないか
数年たってからはある程度大規模の兵力を派遣しているけど、その時は三河だけでなく遠江でも
反乱起きて徳川討つどころじゃないし
>>596
武家事紀の公的な部分ならともかく逸話の部分はあんま当てにならないと思うが
あと武野燭談みたいな逸話集は所詮逸話集であってあまり参考にはならないと思う
というかみんなスルーしてるように史料としては信頼性無いんじゃ・・・
>>598
耳川敗戦後の大友とかと比べると勝頼は非常に優れていると思う
というか大友が酷過ぎるだけかな?
0602人間七七四年
2007/08/06(月) 16:19:58ID:J4PgBOU8スルーというか見たことないから会話に入れないだけじゃないの?
噂は誇大吹聴されるものだが、政治に失敗した事は事実だろうな。
0603人間七七四年
2007/08/06(月) 17:42:07ID:W21Blxdw義元が後見の元で氏真が舵をとれば、家臣の偏重も無いだろ。
毛利家なみには上手く行っていたはず。
0604人間七七四年
2007/08/06(月) 18:00:21ID:Prbf5AFw氏真は、恩有る義元が殺されたというのに、義元の首を取り戻す事もせず、さっさと
撤退した、朝比奈・三浦・瀬名・葛山・飯尾という重臣達に不信感を持ったんだよ。
そこから溝が広がっていったんじゃないかな。
0605人間七七四年
2007/08/06(月) 18:13:59ID:0+VKAV5C例え数百でも、三河で、孤軍奮闘している友軍を絶望させない為に、援軍を出すべきだったんじゃないかな…?
日に日に、敵が増えていく状況では、数百でも、心強い味方だ。
今川は、三河の友軍を見捨てない。
三河は今川の領地であり、必ず死守すると宣言する事によって、謀反を躊躇させる効果も期待出来た。
三河で孤立しても、今川は助け(る余力が)ない。三河で謀反しても、今川は征伐(軍を派遣)出来ないと、思われるより、マシだったんじゃない。
結果的には、三河を捨てたことが、今川没落のターニングポイントになったんだろうから。
0606人間七七四年
2007/08/06(月) 18:56:14ID:RldevF/M将軍の調停があったというの特に興味深いな。
永禄4年の正月の調停があったとすれば永禄3年5月の桶狭間直後
岡崎に入城したあたりからもう対立が始まったということか。
さすが家康。腹黒いことだ。義元のあだ討ちなんてやっぱし名目だったんだな。
0607人間七七四年
2007/08/06(月) 19:49:37ID:LqpvQ/+r>要は、氏真では器量不足で、組織をまとめ切れなかったっと言う事だな。
あの状況をまとめきれて有能という評価を下すことは出来ても、まとめきれないから無能という評価はできない
>相模に出兵する余裕が有るなら、三尾国境辺りで、示威行動するなりすれば、元康の裏切りを遅らせる事ぐらいは出来ただろね。
時系列ぐらい把握してから発言しろ
それに既に松平との確執は始まってるといってるだろ
>要は、武勲がもの言う時代で、親父の仇討ちも出来ず、家臣の不満解消も利益保全も行えないと舐められたのが、滅亡の元って事かな…。
>それが、桶狭間の敗戦が遠因だとしてもだな。
氏真個人の資質云々ではなくな
>>>583の論で行くと、元康は隙あらば、自己利益追求と独立を狙っていたみたいだから、氏真じゃあ、どっちみち、謀反を招いてたんじゃない。
義元がまた桶狭間みたいな討たれかたしたらそうなるやもしれんな
>義元が上洛してたとしても、戦国時代は舐められたら終わりを理解していない氏真だからね。
仮にお前の言う舐められたら終わりということで全てを片付けるのならば、上洛して圧倒的な権力を手中にした今川という存在を舐めてかかるばか者が家康ということか?
>>593
菅沼は義元の時代から、奥平も義元の時代から、飯尾も義元が否定し得ないほどの地域権力として頭角を現してた
天野は同族間抗争から松平に流れた
単純に石高しかみなけりゃ圧倒的な今川になるが、混乱の状況を加味すれば拮抗とまでは言わないが、それほど差はない
というかお前も国人連中の反乱に基づく混乱の影響を軽く見すぎ
>>598
松平との関係もあれば討ち死にした国人の面倒もみなくちゃならん
早急に軍など起こせるか
>>599
桶狭間の翌年だか翌々年だかに三河に兵を出してる
>>605
具体的に友軍って誰をさして言ってるんだ?
0608人間七七四年
2007/08/06(月) 20:03:49ID:KTXppSBJ0609人間七七四年
2007/08/06(月) 20:15:45ID:vYQNoN600610人間七七四年
2007/08/06(月) 20:17:18ID:oJCp+vSQ被害はでてるのははっきりしてるんだし。
それに桶狭間は本陣が強襲されて義元が死んでるから、この被害人数の多くは
今川の直臣旗本衆ではないだろうか。大名家の力の基盤たる直臣層に被害が多くでた
ということの深刻さは考慮すべきではないかな。
0611人間七七四年
2007/08/06(月) 20:26:07ID:BRzVF7YH0612人間七七四年
2007/08/06(月) 20:47:27ID:KTXppSBJ0614人間七七四年
2007/08/06(月) 20:54:05ID:KTXppSBJ0616人間七七四年
2007/08/06(月) 21:15:28ID:0+VKAV5C何、自分勝手に、氏真の器量に酔ってるんだ。
鎌倉の頼朝、室町の尊氏、江戸の家康ら、天下人は皆順風満帆な人生を送っているとでも思っているの?
あの状況をまとめ切れなかったのは、天下人として器量不足だと言ってるのだが、わ・か・る?
義元が圧倒的権力者で、その相続が氏真に順調に行われれば、なんの問題はない。
ただ、多くの外様、周囲の外敵に、お前の大好きな氏真君は、舐められない保証は何にもないの。
実際、氏真君は、お前さんの言うように、桶狭間後、ソッコーで、三河者に見限られてんだろ?
桶狭間後、日を置かずに、三河にでも入ってれば、話は別だがね。
三河は、桶狭間後、ソッコーで、全土一斉に、謀反されたんだよな、友軍も、親今川もいないんだから。
0617人間七七四年
2007/08/06(月) 21:41:17ID:Prbf5AFwいないんじゃないか。
ソッコーって、5年間の間でという意味だよね。
0618人間七七四年
2007/08/06(月) 21:43:46ID:y752GWtJどうやったらそう読めるんだろ。俺の日本語理解力では無能でないよ
といいたいだけのように見えるんだけど。
0619人間七七四年
2007/08/06(月) 22:13:04ID:LqpvQ/+r無能であると言うことには反論してるが、特別有能だと主張したことは一度たりとてない
色々な負債を抱えて今川の権力者になったから滅亡したが、義元がある程度道筋つけて他より有利な状態で今川の権力者になれば当然天下に一番近いとはおもうが
イレギュラーな事態が発生すればどうなるやらわからんが、そのイレギュラーな事態は俺にもお前にも想定することは不可能
当然今川は徳川家康という存在を内包して拡大していくだろうが、徳川は桶狭間に起因しての可能性を勝ち取って独立できたもの
実際の今川での松平の支配関係をみれば、北条でいう成田、氏邦、氏照らにあたる
松平以上に権力を与えられて、ほぼ大名として扱われていたこの三者が氏康の死去に際して反乱したか?北条が拡大をしている時期に裏切ったか?
>ただ、多くの外様、周囲の外敵に、お前の大好きな氏真君は、舐められない保証は何にもないの。
氏真が圧倒的権力継承するから「問題ない」んじゃないのか?
>実際、氏真君は、お前さんの言うように、桶狭間後、ソッコーで、三河者に見限られてんだろ?
ただ単に他人と違う言葉つかって悦に入りたいのか知らんが、具体的に言え
三河者が誰を指すんだ
>桶狭間後、日を置かずに、三河にでも入ってれば、話は別だがね。
それが無理だとさんざん言ってるだろ?
ゲームじゃないんだからな、国人との関係を再編しなければ軍事行動なんかおこせるか
>三河は、桶狭間後、ソッコーで、全土一斉に、謀反されたんだよな、友軍も、親今川もいないんだから。
ほう、全土一斉に、ソッコーで謀反されたのか
しかも俺が言ったみたいだな
じゃあ、俺のレスの中から全土いっせいに、ソッコーで謀反されたとしてる箇所を抜き出して教えてくれるか
手間かけさせるが、悪いな
言うのは最後にする
具体的に、友軍とは、誰か、示せ
0621人間七七四年
2007/08/06(月) 23:06:55ID:Q+ahdxpxちょっとまて氏真って参戦していたっけ?
>>605
北条への援軍は政治的に仕方が無い気がする
でも1560年の時点で加茂郡に出兵していたと思うが・・・
氏真が出兵するのはもう少しあとだけど
他に1560年8月あたりに朝比奈一族の誰かが三河に在陣しているという書状があったと思う
0622人間七七四年
2007/08/06(月) 23:11:14ID:W21Blxdw松平上野介政忠(宝飯郡長沢の城主)
松平善兵衛正親(額田郡伊賀の城主)
葛山播磨守信貞(駿河駿東郡竹下に住す)
飯尾豊前守乗連(敷知郡引馬の城主)
三浦左馬助義就
松井左衛門佐宗信(遠江豊田郡二俣の城主)
井伊信濃守直盛(遠江引佐郡井伊谷の城主)
浅井小四郎政敏
<以下本軍の将士>(本軍は2名を除いて全員死亡)
由比美作守正信
石川新左衛門康盛
関口越中守親将
斎藤掃部助利澄
庵原美作守元政、庵原右近忠春、庵原将監忠縁、庵原彦次郎忠良
朝比奈主計頭秀詮
西郷弾正左衛門正勝(三河八名郡五本松の城主)、西郷内蔵助俊員(宝飯郡篠塚の城主<正勝の弟>)
富塚修理亮元繁
高井蔵人実広
富永伯耆守氏繁
牟礼主水泰慶
四宮右衛門佐光匡
長谷川伊賀守元員(駿河益津郡花沢の城主)
松平摂津守惟信
加藤甚五兵衛景秀
島田左京進将近
沢田長門守忠頼
二和田雲兵光範
金井主馬介忠宗
平山千之丞為行
長瀬吉兵衛長行
平川左兵衛秋弘
福平主税忠重
蒲原宮内少輔氏政
久能半内氏忠
吉田武蔵守氏好
葛山安房守元清
江尻民部親良
松平兵部親将
伊豆権平元利
岡部甲斐守長定
藤枝伊賀守氏秋
岡崎十兵衛忠実
村垣大蔵頼員
五味三郎右衛門
落合長門
尾上彦太郎
鈴木主水助重純
0623人間七七四年
2007/08/06(月) 23:13:26ID:W21Blxdw<井伊直盛の士>(全員死亡)
小野玄蓄
田中善三郎
奥山彦市郎
奥山太郎次郎親秀
小野源吾
上野惣右衛門、上野源右衛門、上野彦市郎
多久郷右衛門
気賀庄右衛門
御厨又兵衛
市村信慶
牧野市右衛門
上野孫四郎
奥山彦五郎
袴田甚八
<松平元康の麾下>(丸根攻撃兵の内)
三浦平三郎
江原孫三郎(幡豆郡江原城主の子)
松平五郎兵衛忠良(政忠の弟)
松平喜平宗次(額田郡宮石に住す)
松平伝一郎重利(重吉の子)
榊原摂津守忠直(忠政の兄)
高力新九郎重正(清長の叔父)
贄掃部氏信(宝飯郡生田に住す)
筧又蔵正則
<ついでに織田家>
飯尾近江守定宗(尾張中島郡奥田の城主)
佐久間大学助盛重(愛知郡御器所に住す)
岩室長門守重休(小姓)
佐々隼人正政次(成政の兄)
千秋加賀守季忠(熱田神宮の神官)
織田与三郎宗政(信平の子)
0624人間七七四年
2007/08/06(月) 23:19:48ID:0+VKAV5Cお前さんほどの知識人が、わざわざ、オレごときに聞くぐらいだから、三河はソッコーで、全土一斉謀反で、友軍も、親今川もいないんじゃねーのか?
それとも、オレを試してんの?
で、この次は、何とかの一つ覚えのソース出せー!!コラーッ!!ってか?
氏真君に、天下人の器量云々に関しては、一昨日の晩から昨日、一生懸命レスしてた奴と、IDが日付が変わって違うので、オレの勘違いかもしれない。素直に謝る。
まあ、氏真君が天下を目指すんなら、どんなイレギュラーが起こるかは、誰にもわからんが、必ず起こるのは確かだな。
平々凡々な人生にも、波風はたつ。ましてや、天下取りなら、すげー波乱万丈だろな。
それを、氏真君は、乗り越えられないだろね。
勘違いしてゴメンね、氏真君の弁護人さん。
0625人間七七四年
2007/08/06(月) 23:39:52ID:W21Blxdw>>622-623 に両軍の戦死者だけ書いてあげたよ。↓これ
>>つまり根拠の無い空論だな。今川方の誰の戦死が具体的に
>>どう影響出たのかがまったく抜けてる。
これにバシっと答えてやれば?
0626人間七七四年
2007/08/07(火) 01:09:54ID:T7hubtiUだって史実で天下人と言える人間は信長秀吉家康の3人だけじゃん。
逆に考えればこの3人以外には天下の器量は無かったと言える。
もし天下の器量を持っているのなら信長がいようがいまいが天下取るだろう。
つまり、信長がいない場合天下取る可能性があるのは秀吉と家康、信長いないのにその2人が
取れるわけねーだろという意見はもっともだがその辺は無視する。
秀吉と家康が取れないなら他の奴も当然取れない。だって史実で取ってないから。
小国分裂期が長引いて朝鮮半島のような状況になる。
0627人間七七四年
2007/08/07(火) 02:00:18ID:UsTv86Gv満天下を糾合するとか、普通の大名には思いつきもしないはず
思いついたところで、無理無理って気になると思うわけよ
特に、土着の大名にはほとんど無理な発想だと思う。
○○地方の雄はいるけど、二つ以上掛け持ちになってる人ってたぶんいないよね。
(まぁ分け方に拠るだけかも知らんが)
信長はいきなりそこを突破してるわけで、それがこの人の異常で凄いところだ。
秀吉は、土着の大名じゃないから、信長の発想を自然に引き継げたんだと思う。
家康は、完成した規定路線の継承だよね。
天下取りってのには、そういうどこにキッカケがあるか判らない飛躍が必要な発想だと思うわけで
いわゆる実力だけの問題じゃないんじゃないの? と思います。
上杉謙信なんて、仮に最高に上手くやっても足利幕府立て直しちゃうだろうしな
0628人間七七四年
2007/08/07(火) 02:30:56ID:zqOMFWwV「ちょうせんのようになんかならないよ、だってしじつでなってないから。」
おたくが言ってんのはこのレベル、小学生だってもうちょっとましなレスつける。
0629人間七七四年
2007/08/07(火) 03:15:14ID:sjZTtqVC武田や長尾、三好もそうだし、毛利や北条に至っては領国保全を国是としてた感がある。
「天下」を示したのは信長が嚆矢だと思うが、
その信長にしても美濃を領有してから思い立ったものだと思うし。
0630人間七七四年
2007/08/07(火) 14:21:45ID:LRhlkgR7おれはID:LqpvQ/+rじゃないが、朝比奈泰能、井伊直盛、松井宗信、三浦義就、庵原忠春、山田元益、岡部元信らは
忠義も勇気もある人物と評されてたみたいよ。ただ知略では大源雪斎に及ぶものは居なかったと。
崇孚の死後は今川家に軍師という者はいなくなったんだと。ワンマン政治に近かったって事かな?
秀吉死後の豊臣と考えれば良いかもね。徳川に調略されていく武断派とかそのままだし。
あの豊臣でもボロボロになったから、氏真に支える事ができるかどうか・・
0632人間七七四年
2007/08/07(火) 15:14:17ID:9msHO6Ae>お前さんほどの知識人が、わざわざ、オレごときに聞くぐらいだから、三河はソッコーで、全土一斉謀反で、友軍も、親今川もいないんじゃねーのか?
お前が最初に俺がそう(ソッコー云々)いったと言うから、俺のレスから該当箇所を抜き出せといったわけだが
な?挙げられないだろ?
妄想するのは勝手だが、それを元に人に独自理論展開して「どうだ!」っていうのはやめてくれ
>で、この次は、何とかの一つ覚えのソース出せー!!コラーッ!!ってか?
お前の勝手な妄想と、お前が理解してくれりゃ別に問題ないさ
>まあ、氏真君が天下を目指すんなら、どんなイレギュラーが起こるかは、誰にもわからんが、必ず起こるのは確かだな。
>平々凡々な人生にも、波風はたつ。ましてや、天下取りなら、すげー波乱万丈だろな。
>それを、氏真君は、乗り越えられないだろね。
おまえ自身が圧倒的今側権力を継承すれば問題ないといってただろう
もう前言撤回か?
>勘違いしてゴメンね、氏真君の弁護人さん。
とんでもない、煽ることしか出来ない無知な人よ
>>625
その挙げてくれた奴らの死そのものが証明になるんじゃないか?
俺以外にも国人と大名の関係の重要性について指摘してるのはいるし、別に俺だけの独自解釈ってわけでもないだろう
>>627
信長も天下統一なんて考え出したのは朝倉浅井滅ぼして、武田を長篠で破った頃だろ
0633人間七七四年
2007/08/07(火) 15:21:39ID:UsTv86Gv機内にいると将軍担げてマジお得www
ぐらいで終わんなかったところがけっこうすげぇと思うんだけど、そうでもない?
0634人間七七四年
2007/08/07(火) 15:31:56ID:zatKogO0全然言う事利かなくて邪魔ばかり、挙句の果てに
暗殺して次の奴を担ごうにも、
将軍職を持ったまま逃げ出してしまってどうにもならない
でも、自分は天下に号令をかけるに十分な経済力と軍事力を保有している。
そんな状態なら、次にやることは決まっていると思う。
0635人間七七四年
2007/08/07(火) 16:10:51ID:LRhlkgR7諸将が討ち取られたという事より、100万石の親方様が20万石前後の信長に負けた
という事実だろうね。
人材としては鵜殿長照、庵原元景、朝比奈元長、堀越義久、瀬名氏俊などもまだ
残ってるし中枢部全滅って訳では無い。と思う。
そもそも氏真が家督を継いで国を守っているんだから中枢部が機能しなくなる訳ないか。
0637人間七七四年
2007/08/07(火) 18:27:55ID:zH17LWsp言われてみると、あれは殺して当たり前な気がしてきた。
氏真も、機会があれば将軍殺してただろうね、きっと
0638人間七七四年
2007/08/07(火) 18:38:40ID:S3u9reO6ttp://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20070807-00000505-yom-soci
0639人間七七四年
2007/08/07(火) 20:52:17ID:Icsf0xLP所領争いとか起きたよ
>>635
それもあるけど
そもそも1559年の義元書状によると
1560年度分の軍需品などの収入を先に借り上げることで桶狭間の用意をしているから
氏真が後継いだ年は一部の収入が無いことになる
更に桶狭間の合戦によって尾張にあったそれなりの領土を失った上、
負け戦であっても戦功に応じて報酬を支払わなければならなくて
例えば岡部元信に遠江の勝間田・桐山郷・内田・北矢部を与えたりとか
戦死者の縁者、例えば松井宗恒にも松井宗信の桶狭間他の戦功に報いて所領宛がったり
まあ現存しているのは感状を与えるというものが多いが
多くの家臣にしてみれば負け戦とはいえ、出兵してそれなりに犠牲を出したのに感状一枚では
割りにあわないと考えて今川家から心が離れたものも多いかもしれないな
あと桶狭間の年に富士山噴火で運が悪かったってのもあるか
長篠の戦死者との違いは
長篠は外様だけでなく譜代層含む重臣の大半戦死だが
勝頼本隊や一門衆などはほぼ無傷に対し
桶狭間の戦いは義元本隊及び譜代に被害が集中し
外様層は比較的被害が少ない
大名の権力の源泉の一つでもある大名家自身の軍事力の喪失が統治体制に与える
影響は大きいと思う
長篠後の勝頼と氏真は単純に比較するのは難しいんじゃ
0640人間七七四年
2007/08/07(火) 23:02:33ID:LRhlkgR7なので恩賞については軍鑑にあるようなエコヒイキが無ければ、滅亡の原因じゃない。
なんども言われているように「大名家自身の軍事力の喪失が統治体制に与える影響」
これを説明できない限り、氏真の能力不足を否定できない。
例えば、朝比奈泰朝等の鷲津攻撃兵2千、三浦備後守等の援兵3千、岡部信元の鳴海方面軍7百、浅井政敏等の沓掛城主兵1千5百
合計約7千2百程の余力は残している。
本軍5千は全滅(負傷も含む)に近いと思われるが、葛山信貞(討死)等の清洲方面軍5千は全滅という程じゃないだろう。
松平元康等の丸根攻撃兵2千5百を除いてもこれだけ居る訳さ。
金欠というなら、対等に戦った織田や松平はどうなんだって話になる。
0642人間七七四年
2007/08/08(水) 01:17:48ID:b+Nm3R4K・家督相続に同情すべき余地あり
・今川本軍の壊滅で大規模な軍編成をしなければならなかった(可能性あり)
・今川家の政治の中枢を担う人材が死に絶えた(可能性あり)
・豪族当主の戦死により各地で家督相続の混乱(可能性あり)
・わずか20万石前後の織田に完敗した事による威信の失墜
・家臣の偏重で内部から反発を食らう
・論功行賞でえこひいきなどあり(可能性あり)
・実入りの無い敗戦によって財政が破綻しかけていた(可能性あり)
・弔い戦を促されるが、1562年の三河攻めまで2年間兵を一切動かさない
・三河衆の蜂起を収める事ができず、これを機に反乱が相次ぐ
・武田の背反行為に上杉と結ぶ
・最後は今川家の老臣にも見放されて一戦もできずに滅ぶ
0643人間七七四年
2007/08/08(水) 06:33:41ID:RrM88cFg0645人間七七四年
2007/08/08(水) 08:05:36ID:b+Nm3R4K兵を出している以上、軍事力の喪失の理由にならない。
0646人間七七四年
2007/08/08(水) 10:01:27ID:/+cou/l50647人間七七四年
2007/08/08(水) 10:31:13ID:b+Nm3R4K0648人間七七四年
2007/08/08(水) 11:17:24ID:YYhWMBy3元々は、「桶狭間が無くても今川家は没落・原因は氏真の暗愚」という極論から発生したこと
0649人間七七四年
2007/08/08(水) 11:32:43ID:b+Nm3R4K逆に絶対に大丈夫と言い張る奴の頭はどうかしてるよ。
0650人間七七四年
2007/08/08(水) 14:01:44ID:L/VbvsyVあそこで、一太刀でも浴びせてたら、悲運の英雄なんだがな。
三好長慶、宇喜多直家、尼子山中主従、なんかも、先代で大打撃、もしくは滅亡の憂き目に遭ってるけど、挽回、または最期まで、復讐心と御家再興の気概を失っていない。
桶狭間の悲運は認めるけど、不当な評価だとは思わない。
0651人間七七四年
2007/08/08(水) 14:48:30ID:v2gf7TyD徳川が今川を滅ぼした武田と対峙していた頃亡命先の小田原から戻って実質傀儡だが徳川と共闘していたとかな
なんだかんだで鹿之助も一時の恥より主家再興を優先した人だし
氏真が一時の恥を忍んでまで再興を考えたかどうかは知らんが滅亡後も色々あったのだろうとは思う
0652人間七七四年
2007/08/09(木) 00:08:04ID:Ku6JokzT0653人間七七四年
2007/08/09(木) 00:24:08ID:OFATM40w秀吉と前田慶次さながらの緊迫したやりとりだったらどうしよう
0654人間七七四年
2007/08/09(木) 00:33:32ID:Js4AKdAX尼子経久 出雲から追放→富田城奪取→山陰・山陽の覇者
長宗我部盛親 改易→寺子屋の先生→大阪の陣で大活躍
山野辺義忠 改易→備前国に配流→水戸藩の家老&黄門様の先生
でも返咲けなかった人が無能かというと難しい所だな。
竜造寺政家・大友宗麟・毛利輝元・足利義昭・六角定頼・滝川一益・村上義清・上杉憲政・武田勝頼・北条氏直・今川氏真・・
0655人間七七四年
2007/08/09(木) 01:22:40ID:P89ic1jw大事なのは家名の存続であってこの時代親の敵討ちなんて重要じゃないと思う
親を殺した相手に仕えるなんてよくある話しでしょ
>>654
三好長慶 宇喜多直家 長宗我部国親 真田幸綱 竜造寺兼家
秋月種実 筒井順慶 九鬼嘉隆とかも返り咲いたに入るかな
0656人間七七四年
2007/08/09(木) 02:05:59ID:VUM9gVI/もう少し粘ってれば、秀吉から伯耆一国を与えられたとの説もある
もう天下を狙うのは無理だけどな
徳川とのパイプもあるので、江戸幕府でそれなりの地位は築けたかも
0657人間七七四年
2007/08/09(木) 04:11:55ID:sBqd7XUN■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています