【勝ち組に人気】 徳川家康 公について語る
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0001人間七七四年
2007/05/12(土) 00:37:19ID:iQK/9HcM幼少期の人質時代の屈辱。信長との同盟を守りきった律儀さ。
武田信玄との決戦で大敗北し、脱糞すら揉消さずに
人生の戒めとした「しかみ像」 小牧・長久手での熟練した軍略。
豊臣政権下での着実な勢力伸張。そして文句なしの関が原での勝利。
天領400万石の圧倒的な徳川幕府。天下泰平250年。江戸は世界最大
の都市の一つとなった。
東京が首都となったのも、家康が始原。
次期一万円札の肖像は是非、神君家康公にしてもらいたい。
0002人間七七四年
2007/05/12(土) 00:52:30ID:IPHiY64Q0003人間七七四年
2007/05/12(土) 00:55:09ID:r8JMYVCX∨ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
゜.∧∧.``)
⊂(゚Д゚⊂⌒`つ≡(⌒;
 ̄ ̄
......ズザーーーーーッ
∩∩
〜|∪| (""
ヘノ ノ (⌒("
((つ ノ⊃≡≡(⌒;≡
 ̄ ̄ ̄(⌒(⌒;
ズズズズズ
0005人間七七四年
2007/05/12(土) 02:15:42ID:GZHWev+R0006人間七七四年
2007/05/12(土) 06:13:07ID:uz2mLXDM0007人間七七四年
2007/05/12(土) 07:15:56ID:8LOm5lAu0008ザビエル(゜ゝ゜)つ†
2007/05/12(土) 07:21:23ID:AmXPcK4X0009人間七七四年
2007/05/12(土) 12:09:39ID:jsof8/mX【東照】 徳川家康 【大権現】
http://hobby9.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1158481651/
0010人間七七四年
2007/05/12(土) 13:20:02ID:A/mTQGlj起業家なんかは信長や秀吉を好むし
政治家も家康が好きと言う人は聞いた事ない
人の上に立ちたがる人は目立ちたがり屋だし
子供っぽいところが強い人が多いから
痛快な生き方を好むのだよ
0011人間七七四年
2007/05/12(土) 18:31:41ID:sEbnM0XOんなわけない、勝ち組は、反面教師にするのが短期間で組織が瓦解した秀吉と未完で終わった信長。
0012人間七七四年
2007/05/12(土) 18:32:37ID:sEbnM0XOお前が物を知らないだけだ。
0013仙台藩百姓
2007/05/12(土) 19:47:08ID:UpJtwWir年収700万前後
30年ローンで家建てて
パパ一城の主になっちゃったぞ〜
って感じの生涯の事なんだお( ^ω^)
0014人間七七四年
2007/05/12(土) 20:20:50ID:1O68YT2W0015人間七七四年
2007/05/12(土) 21:18:05ID:4mYPoCMp>最大の都市の一つとなった。
「最大」の都市「の一つ」
0016人間七七四年
2007/05/12(土) 23:18:01ID:/VpAtKTL00171 実は三河者
2007/05/12(土) 23:37:01ID:exW2MylIアイキャッチの都合上勝ち組にしてしまったけど、
非ベンチャー系の役員クラスのつもりでした。
ベンチャー系には家康公=トヨタ的な着実な戦略は少ないと思う。
信長・秀吉あたりが人気ありそう。
0018仙台藩百姓
2007/05/13(日) 01:37:33ID:1osEaE1r家康ごときを一緒にするとはどういう了見だお(#^ω^)ピキピキ
0019人間七七四年
2007/05/13(日) 20:59:01ID:PTJxz6oe0020人間七七四年
2007/05/13(日) 21:57:23ID:4RmwGVkl天皇現人神時代は秀吉
江戸時代は徳川君主神の時代
信長が一番戦争強いけどね
0021人間七七四年
2007/05/13(日) 23:06:57ID:mA82shKa戦の強さなら
家康>秀吉>信長
0022人間七七四年
2007/05/14(月) 00:32:58ID:A8XO62sj0023人間七七四年
2007/05/14(月) 05:19:08ID:hpg43nSn0024人間七七四年
2007/05/14(月) 06:36:02ID:t4NQd8je有史以来不変の事実
結果がともわない強さに価値はない
0025人間七七四年
2007/05/14(月) 06:48:01ID:t2CJ8DCn続きは三戦板でやりましょう。
http://ex21.2ch.net/warhis/
http://hobby9.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1167304387/554
0026人間七七四年
2007/05/14(月) 09:20:07ID:yV+N0zOm信長の石王砦の戦いとか桶狭間の戦い知らんのか?
秀吉なんか多勢に無勢の争いしかできん
徳川は小牧長久手があるけどさ
0027人間七七四年
2007/05/14(月) 10:29:15ID:t4NQd8je0028人間七七四年
2007/05/14(月) 12:32:57ID:ulJ6AplV紙幣の肖像は写真がある人物の方が望ましいらしい
0029仙台藩百姓
2007/05/14(月) 18:07:35ID:5An23Mw7家康は三河一国支配するのがやっと
遠江すら完全に支配する事ができなかったお( ^ω^)
背後には強大な織田がいて
家康は勝頼一人相手にしていればよかったのに
本能寺の後秀吉は直ぐさま光秀を討ち
瞬く間に旧織田領を支配下に置き天下統一を成し遂げたお
一方、本能寺の変後
領国へ逃げ帰った家康は(この時秀吉はまだ備中高松)
オロオロしながらも光秀討伐軍を組織して出陣した
しかし、前日既に光秀死んでますから(≧ω≦)ブブーッ
更に三日ぐらいして光秀が死んだの知って引き返す
で、空白地の甲斐信濃で家事場泥棒をし
長久手で池田親子と戦って秀吉に臣従
家康の戦国大名時代は終了しましたお
家康は非常に凡庸でござるお
とてもじゃないが信長や秀吉とは
比較できないでござるお( ^ω^)
0030人間七七四年
2007/05/14(月) 20:47:52ID:kg6TJQ0m>家康は勝頼一人相手にしていればよかったのに
雑魚数匹よりも、貧乏だけど強い武田1匹の方が大変だ。
>信長の石王砦の戦いとか桶狭間の戦い知らんのか?
>秀吉なんか多勢に無勢の争いしかできん
二人とも基本的に多勢でしか戦わないだろ。
>徳川は小牧長久手があるけどさ
松平家は互角以上の相手とばかり戦ってる(´・ω・`)
0031人間七七四年
2007/05/14(月) 21:01:47ID:ng939ZbB0032人間七七四年
2007/05/14(月) 21:18:37ID:t4NQd8je肖像画を写真に撮ればいい話
0033人間七七四年
2007/05/14(月) 21:25:49ID:9ZTZnw0x信長の野望とかで、信長に準じる能力値になってるのは事実に合わないだろう。
パラメータをうまく細分して、足利義昭タイプ+戦術能力ぐらいにするべきだな。
0034仙台藩百姓
2007/05/14(月) 23:48:32ID:5An23Mw7家康は戦乱の世の中を自力で切り開ける器量はないお
松平単体では家康が一生掛かっても
一国切り取る事も叶わないお
むしろ生き残れたかも怪しいお
今川から独立後なんて兵に食わせる飯にも事欠く有様
兵糧確保に苦しみ一向寺から米を借用し踏み倒し(又は略奪)
一揆起こされてすったもんだ
信長が周囲の切り取りだけで満足するような男であったら
松平ごときは真っ先に餌食になっていたお
つうか氏真は何やってたんだお?
0035人間七七四年
2007/05/15(火) 00:01:50ID:8+5hUJkw余計勢力強くなったんじゃないの?
0036人間七七四年
2007/05/15(火) 03:12:23ID:/zib+wBD信長は目立たないところで造反されまくり、粛清の嵐だったし、秀吉は子飼いというべきものは
身内以外には実質的に皆無だったしな。
0037人間七七四年
2007/05/15(火) 15:07:12ID:w9w9BNuQ織田家はIT業界みたいに烏合の衆団。
最近、謙信の義が気になるけど、どうなんだろう?
0038仙台藩百姓
2007/05/15(火) 16:40:54ID:fsaiJJ+5徳川家臣は愚直で小さな人物しかいないと( ^ω^)
人物らしいのは天海ぐらいで
あとは手堅い正直者ばかり用いた
信長などは才子ばかり集めたからあんなハメになったが
家康はただ正直なだけの者を用いたから徳川家はもった
至極いい工夫だと( ^ω^)
0039人間七七四年
2007/05/15(火) 16:54:49ID:2uN4VwA00040人間七七四年
2007/05/15(火) 17:04:17ID:w9w9BNuQ0041人間七七四年
2007/05/18(金) 22:35:58ID:YpAbg41c0042人間七七四年
2007/05/19(土) 13:01:59ID:VJFkMUvo『豊臣秀吉の政治は、苛政であった。秀吉は庶民から高率の租税を取り立てたり、無理な
朝鮮出兵を行ったりした。
農民も中下層の商工民も、将来に希望のもてない生活を強いられていた。これに対して秀吉らの
大名や一部の豪商は、人々がうらやむ、きらびやかな生活をしていた。
関ヶ原合戦で徳川家康が敗れていたら、支配層は豊臣政権の方針を継続し、庶民を踏みつけて贅沢を
むさぼり続けていたであろう。
しかし、江戸幕府の政治目標は、これと正反対のものであった。江戸時代の支配層は、庶民が
あれこれ工夫して豊かになる事を奨励した。国が富んできても、幕府は租税を安いままにしておいた。
戦いをなくして治安を護り、教育を普及させ、産業を育成、流通路としての街道や航路を整備する。
このような幕府の政策によって農民も商工民も、仕事に精を出して日常生活を楽しむようになっていった。
家康をはじめとする将軍や大名は、武士に倹約を命じた。江戸時代に士農工商と呼ばれる身分制はあったが、
それは職業の区別に過ぎない。
武士身分の者だけが贅沢な服を着て豪華な物を食べているそばで、ぼろをまとった農民や商工民が
食うや食わずの暮らしをしている−こういった風景は、近代以前のヨーロッパではありふれたものであったが、
江戸時代の日本には無い。江戸の町などの料理屋や屋台では、武士が町人の側で町人と同じものを
飲食していた』
0043人間七七四年
2007/05/19(土) 16:30:17ID:scVxT4630044人間七七四年
2007/05/19(土) 21:35:25ID:0na5lIxz0045人間七七四年
2007/05/19(土) 23:55:28ID:XEgLVvMv>>42はやっと統一政権が誕生したもののまだまだ戦国の余風で政権・民衆共に不安定だった過渡期の織豊政権と、
長年の平和で幕府も安定し、税金も安くなって民衆にも余裕が出てきた江戸時代中期以降を比べてるのが無理やりすぎる
江戸時代と現代を比べてどうこう言うようなもの、まともな歴史学者が書いたものとは思えないな
0046人間七七四年
2007/05/20(日) 00:09:46ID:LK2m+5zu急速に伸ばすことができたんだと思う
やはり天下統一という目標になくてはならない人物は秀吉か
侵略者として織田秀吉の右に出るものはどう考えてもいないと思うんだが
0047人間七七四年
2007/05/20(日) 00:44:35ID:UQyXa8gb飢饉以外ではある程度余裕あったらしいよ。
国営ねずみ講みたいなのには一揆で反論するくらい
当時はしたたかな民族だったらしい。
0048人間七七四年
2007/05/20(日) 00:52:19ID:U8q0GlZ3同意
0049人間七七四年
2007/05/20(日) 01:05:21ID:Bj9FhI8x直轄地のみで後は各地の諸侯が決める事
0050人間七七四年
2007/05/20(日) 01:08:21ID:LaPbKmfX0051人間七七四年
2007/05/21(月) 20:09:13ID:CDE0tIqIトヨタは勝ち組だと厨のお前でも思うんだな。
トヨタは家康ファンの巣窟だぞ。家康ファンじゃないトヨタの社員も無論いるが
やっぱり、トヨタに家康ファンは多いと実感する。
豊田グループ傘下の各社の歴代社長の多くは山岡荘八の徳川家康はみな読んでいる。
なぜそれを知っているかと言うと、俺は山岡荘八の徳川家康を読むよう
愛知県の社長さんから進められた静岡人だからだ。
無論途中で読むのを止めたけどな。長いんだよ。
0052人間七七四年
2007/05/21(月) 23:04:34ID:UN8edt9y大企業の社長みたいな社会的立場の高い人に家康ファンが多いと誇るな
これは信長ファンや秀吉ファンは勿論、
他の戦国武将ファンには見られない稀有なこと
0053人間七七四年
2007/05/22(火) 01:49:43ID:Z7gyBQ4L地味だけど毎年努力をし、失敗を教訓として生かしながら
藤堂高虎などの例のように、忠勤を励む者には義をもって接し
強い者には素直に従いつつ機を伺って、ついに天下を取ったのだ。
0054人間七七四年
2007/05/22(火) 23:51:35ID:R++j7cUg秀吉死後はいくら平和を願っていただのなんだのといっても
糞狸としか言いようがない。
0055人間七七四年
2007/05/23(水) 01:38:49ID:PmcePDkC家来筋のサルめに臣従したように見せかけてただけだ。
茶々に乗せられた晩年のサルがバカなだけかも知れんけど。
0056人間七七四年
2007/05/23(水) 07:06:11ID:uwG2YbHh社会人になった今は家康の生き方に魅かれる。
0057人間七七四年
2007/05/23(水) 08:10:49ID:cN6pG+vd0058人間七七四年
2007/05/23(水) 11:00:18ID:IMYrxDfQ0059人間七七四年
2007/05/23(水) 14:08:43ID:B4e+IkIs0060人間七七四年
2007/05/23(水) 15:05:06ID:ZWmwT1wJ0061人間七七四年
2007/05/23(水) 18:59:41ID:YGQ0tuyW平和を維持するためには各地に大大名が多くいてはいけない
秀吉は長期的な政治構想を持たず妥協を繰り返し戦国に終止符を打てなかった
だから家康が頑張って大大名の領地を削り安定した平和を実現させた
石田や豊臣がヒステリーに駆られて反乱を起こしても妥協せず全力で鎮圧するところが家康の立派なところだよ
0062人間七七四年
2007/05/23(水) 19:04:39ID:dXEJudBd0063人間七七四年
2007/05/23(水) 19:11:22ID:OnFhMBcp0064人間七七四年
2007/05/23(水) 22:53:34ID:9DKe7EpI>>61 長期政権を脅かすようなやつだけは
排除せざるを得なかったんだろうね。
秀吉の国替え政策とかは下手だったの?
0066人間七七四年
2007/05/25(金) 07:33:49ID:tFdAxmZb1年前に放送された戦国自衛隊みたけど、毎回駄作だな。
ジリ貧なのに勝ち組に便乗して身の安泰を図らないとか
無能な指揮官が多過ぎ。
0067人間七七四年
2007/05/25(金) 08:37:32ID:+XYypBDz0068宿題の人
2007/05/27(日) 19:37:44ID:UEKGKu9K東軍に協力して普通に大手柄立てて、
江戸期での身の安泰を図るんじゃないの?
身分制社会なのに直接話したり、本陣叩かずにバカみたいに
足軽と斬り結んだり、、、見ていて不愉快に成った。
(途中からねとげーしながら見たけど)
0069人間七七四年
2007/05/27(日) 23:15:28ID:vp9JJZ3s軍人の本領は劣勢を戦術的手法をもって覆すことであり、戦況が悪いから、と
上層部(司令部)の意見を無視して自分の安泰を図ったり戦略転換したりする事
ではない。
司令官として、政治家として、一人間として批判するならまだしも、指揮官と
して無能、という評価はおかしいぞ。
0070宿題の人
2007/05/28(月) 01:56:48ID:GOZx+WqR自部隊の温存が最優先では?
0071人間七七四年
2007/05/29(火) 07:01:37ID:luAZh3aB戦後の日本という国、マスコミやら教育者からすれば、
戦前、戦後を区別しなければ現体制の前の体制である徳川家康を評価できない。
戦後の敗戦からの平和志向からは朝鮮出兵した豊臣秀吉も評価しにくいだろう。
戦後は新しいものが求められ今までの権威を打破するという価値観の中で織田信長は高評価を得たんじゃないかな。
あとは司馬遼太郎という昭和を代表するような大衆作家が信長好きの家康嫌いだったのも大きいかと思う。
楠木正成の例でもその時代によって人気が出たり、下がったりがあるし、
マスメディアがそうゆう操作をすることもあるんじゃないかな。
0072人間七七四年
2007/05/29(火) 09:36:30ID:v6l4vZ5E0073人間七七四年
2007/05/29(火) 10:08:01ID:SRtHLG+Vワンマン社長のどこが良いんだか、とは思うけどな。
0074仙台藩百姓
2007/05/29(火) 12:42:46ID:GhKoEYaD家康も天下取れたわけだから
家康を肯定したいなら信長を否定する事はできない
お( ^ω^)
0075人間七七四年
2007/05/29(火) 13:17:27ID:CA77w7bO天下を取るまでは
0076人間七七四年
2007/05/30(水) 00:25:09ID:P6kjt/B20077人間七七四年
2007/05/30(水) 01:10:16ID:Ueg1LdR3「日本はいまだに華のある人間一人をスターに持ち上げて個人主義を称揚するアメリカの影響が抜けきれていない。
組織というものは一人の力で動いているものではない。現にスター選手ばかり集めても機能しないものだ。」
0079人間七七四年
2007/05/30(水) 09:12:29ID:iCcpEn4Mそのしわ寄せは、太平洋戦争の敗戦など現在まで引きずっている、
0080液晶会社への質問者
2007/05/30(水) 11:50:14ID:VyHsT2Xs>桶狭間の時の義元の上洛説はとっくに否定されてるが。
大軍引き連れて行ったのは確かだろうし、
都に執着してたのも事実だろうから、
天下取りには走ってたろ。
0081仙台藩百姓
2007/05/30(水) 14:24:11ID:fnkremwV覇権を握りかけた時は老年の域に達していたお
義元や家康では生きてるうちに
戦国時代が終わる事はなかったおね( ^ω^)
0082液晶会社への質問者
2007/05/30(水) 15:09:55ID:VyHsT2Xs0083人間七七四年
2007/05/30(水) 15:49:42ID:HO2Wb30E〜だろうし
論になってねー
0084人間七七四年
2007/05/31(木) 22:00:52ID:mmkmuMf7東照宮が建物ばかり豪華なのはなにゆえ?
0085仙台藩百姓
2007/06/01(金) 02:43:58ID:S/TksoPF確かにあれだけ豪奢な建築物が並び立つ中
肝心の墓所が雨ざらしと言うのは何とも不可解だお
西方を除き、国内で墓所に屋根付ける風習はないが
宗教的に屋内墓所を禁じているとは聞いた事ないお
単にそういう発想がなかったのか
何かしら意味合いがあったのかは謎だお
調べてみる価値はありそうだお( ^ω^)
0086人間七七四年
2007/06/01(金) 18:47:49ID:4CFT9qZe0087人間七七四年
2007/06/01(金) 23:20:35ID:kLEiDPnz桶狭間の時の上洛など考えられない。
小瀬甫庵の話を面白くするための創作と見るべき。
大体信長が義昭を擁して上洛した時と違って
京には将軍義輝がいる。
今川が足利の支流とは言え現職の将軍を押しのけて
政権などとは考えられない。
それに信長1人を倒せば上洛できるというものでは
なかろう。京まではその他にも立ちふさがる大名が
何人もいる。
0088人間七七四年
2007/06/01(金) 23:28:11ID:iqvFEW/8西へ西へと勢力伸ばしたかったのは事実だろ。
>立ちふさがる大名が 何人もいる。
成上りの信長ですら刃向かわなかったんだから、
今川家なら臣従する方が多くないか?
>>86 激しく同意!
0089人間七七四年
2007/06/02(土) 00:21:10ID:PhlLCnPo何でもかんでも都合のいいように歴史を書き換えられると考えるのが間違い
まあ歴史の捏造が好きな民族はいるが
0090人間七七四年
2007/06/02(土) 00:55:57ID:qMZwzjuz戦場で洩らすことってそんな珍しいことじゃないらしいぞ
とくに初陣なんかでは。
しかめ図を絵師に自己申告で描かせなければ後世には伝わらなかったことだし。
キミも戦争に行ったら恐怖で洩らしたりしてなw
0091人間七七四年
2007/06/02(土) 13:35:38ID:0YXErt9i兵数にもかなり差があるのに
0092人間七七四年
2007/06/02(土) 18:21:35ID:xHlrs4Iwそのとおり。
うちの爺さんが大陸で従軍した時、耳のすぐ傍を弾がピュンっと飛ぶ音が聞こえて
ちびったそうな。
(「弾の音が聞こえたってことは、まだ生きてるってことだ!シャキっとせい!」と
古参兵に怒られたらしい)
このエピソードは脱糞した事より、そんな黒歴史を自分への戒めとしてちゃんと
後世に遺した家康が立派だと思う。
0093人間七七四年
2007/06/02(土) 20:02:25ID:5fWu7w/t諸侯の手前、弱虫と思われたらそれこそ離反が続出しかねんくて
ビビって城で篭っていられる状況じゃなかったらしいぞ。
0094人間七七四年
2007/06/03(日) 00:01:59ID:j6ZQWN4A本当に臆病な人間はビビるような状況に陥ると何も出来なくなる。
0095仙台藩百姓
2007/06/03(日) 00:43:17ID:6o69H3jB大敗して追撃にビビって糞漏らしたんだお
と言うか初陣とかの話しならともかく
家康みたいな三十路のオッサンがビビって
糞漏らした話しは聞いた事ないお( ´ω`)
まして雑兵ならともかく
大将が糞漏らしたなんて前代未聞だお( ´ω`)ヤレヤレ
一番安全な場所にいる大将がビビってたら
敵と必死に戦ってる兵の立場がないお
糞漏らしの為に死んだ家臣も憐れなり
命預けた相手が糞撒き散らして逃げ惑ってるなんて
笑い話しにもならんお( ´ω`)ハーヤレヤレ
0096人間七七四年
2007/06/03(日) 01:25:35ID:j6ZQWN4A語尾に「お」とか付けてるヲタクは戦場で動く事すら出来ないと思う・・・
なんだかんだ言っても幕府の創始者なんだから、一時代の日本の顔なんだよ。
日本人はそれをわかっている。
部落の人には家康は評判悪いらしいがな。
0097仙台藩百姓
2007/06/03(日) 01:59:21ID:6o69H3jBそれにしてもピザウンコ君は俗っぽくて英雄性皆無だおね
三大欲求垂れ流しって感じだし
何故人物像をもっと捏造しなかったのか謎だお
て言うかある程度捏造してこれだからね
ある意味凄いお(≧ω≦)ププッ
0098人間七七四年
2007/06/03(日) 02:10:10ID:j6ZQWN4A歴史の資料の感じ方も個人の主観だからなぁ
オレは家康に仙台藩百姓が言うような印象は持っていないからしょうがないじゃんw
ガキの口喧嘩するつもりもないし。
おやすみ
0099仙台藩百姓
2007/06/03(日) 02:57:53ID:6o69H3jB大好きなスカトロ大将軍が枕元に立つといいね
0100人間七七四年
2007/06/03(日) 08:26:29ID:HSJxXvf3あと三方ヶ原の出陣だが、織田との関係上そうせざるを得なかった、
という見方をする人が誰もいないのが、少々意外。
0101人間七七四年
2007/06/03(日) 08:58:21ID:LhlJpexA信長の「命令」を無視して出撃してボコボコにされて、
更に信長の部下失ってるわけだから信長も気を悪くしたろうな
0102人間七七四年
2007/06/03(日) 10:00:16ID:LJynA941信長のもう要らない家臣リストの下のほうに名前が載ってたと思われw
0103人間七七四年
2007/06/03(日) 10:37:22ID:9UgO+BBWでもないだろ
家康が不審な動きしないか監視する役目だったはずだから
信長としては信玄が死んでくれたからそのくらいの犠牲で済めば御の字
0104仙台藩百姓
2007/06/03(日) 12:01:08ID:6o69H3jB徳川との外交を担っていた連中だお( ^ω^)
当然の人選であり信長の誠意でもあるお
0105人間七七四年
2007/06/03(日) 19:38:42ID:i4yuhS9Q0106人間七七四年
2007/06/03(日) 19:48:00ID:GRux9MUgこれは分からんでもないな、、、
どうして武田をやり過ごした後織田と挟み撃ちするか
罠があるのが分かり切ってるところ(一番有利なところ)以外で
出撃しなかったのか、、、
>徳川との外交を担っていた連中だお( ^ω^)
監視じゃないんだ、、、
0107人間七七四年
2007/06/03(日) 20:57:08ID:GRux9MUg今川の軍師ってどういうこと?
0108人間七七四年
2007/06/05(火) 00:45:14ID:BCGZo77l0109人間七七四年
2007/06/05(火) 14:12:52ID:fmeBNFLO人質時代の家康に読み書きや史実兵法も教えたみたい
0110人間七七四年
2007/06/05(火) 20:17:18ID:xq1978HV高僧?なのに軍師とか良いのかな?
0111人間七七四年
2007/06/05(火) 20:18:31ID:NcVYbN560112人間七七四年
2007/06/05(火) 20:47:11ID:ZLhd5EKJ0113人間七七四年
2007/06/05(火) 21:16:41ID:xq1978HV坊さんが社長になったら、「金儲けに走るな!」って思わないか?
人殺しの手伝いだぞ。
0114人間七七四年
2007/06/05(火) 21:40:17ID:0usqIXDi0115人間七七四年
2007/06/06(水) 16:58:43ID:zT3zB9kkだろうが宗教的にはNG。
でも入道の身(仏道に帰依した人)でありながら大名やってた武田信玄、
大友宗麟などもいれば、殺人行為(宗教戦争)を「御仏への道」と煽った
本願寺もいるし家康の参謀として名高い天海や崇伝もいる。
正直「何を今更」って感じ。人間である以上現世の理屈に従い都合よく
解釈して自分なりの幸福を追求する、どの立場にいてもそれは変わらん。
僧の場合それが結果的に「人のため」「後世のため」になった人が聖人
で、そうならなかった人が「生臭坊主」として名を残す。
0116人間七七四年
2007/06/06(水) 19:59:08ID:uRSeK6rO0117人間七七四年
2007/06/06(水) 22:12:07ID:7g2fzhB7竹中半兵衛とかもそう思われてるが
実際は違う。
0118人間七七四年
2007/06/07(木) 02:50:10ID:JJBla47oけど「軍師」という言葉が存在しなくても大将の側で侍って戦略・戦術に関して助言する
参謀・幕僚・顧問みたいなブレーン的存在は当然居ただろう
0119人間七七四年
2007/06/07(木) 10:17:18ID:pns294Qk現代で高僧ってどういう人の事?
0120人間七七四年
2007/06/07(木) 10:27:36ID:C9hHyGsh0121人間七七四年
2007/06/07(木) 19:46:45ID:AM8CJmAY人物であり、同時に優れた知識を有する人物の事を指す。
当時、背景のない秀才がまともに勉強しようと思えば寺に奉公に出るのが
最も手早い手段だった。弘法大師の奇跡、などと語り継がれている事例も、
ほとんどが外国の技術を導入した功績を神聖化したもの。
0122人間七七四年
2007/06/08(金) 00:04:58ID:iVO4Sq2y0123人間七七四年
2007/06/08(金) 04:04:37ID:DcwfKkjk普通に考えて
家康自体制度厳しくしすぎたと思う
0124人間七七四年
2007/06/08(金) 04:48:54ID:3gEMjGYH秀吉=アウグストゥス
家康=ティベリウスで一つよろしく
0125人間七七四年
2007/06/08(金) 10:07:33ID:3Sq9kLZb秀吉=カエサル
家康=アウグストゥス
信長=董卓
秀吉=曹操
家康=司馬懿
信長=フィリッポス
秀吉=アレクサンドロス
家康=プトレマイオス
0126人間七七四年
2007/06/08(金) 10:19:43ID:Ycy2IwWl0127人間七七四年
2007/06/09(土) 12:40:05ID:ziFjYcPL0128人間七七四年
2007/06/09(土) 19:26:44ID:LNxIBhdgそれを利用して粛清を進める謀臣や
偽子を使って乗っ取りを企てる姦婦など
腐った連中が蔓延する破綻政権を打倒して平和を勝ち取った家康ほど偉大な武将はいない
あまりに偉大な功績すぎて理解が出来ない人間が多いんだよ
0129人間七七四年
2007/06/09(土) 20:42:39ID:OGq4iBPt信長?
>それを利用して粛清を進める謀臣や
三成?
>偽子を使って乗っ取りを企てる姦婦など
淀?
0130人間七七四年
2007/06/12(火) 01:56:16ID:LbHxD+rn0131平山貴士
2007/06/12(火) 05:09:01ID:S/lmm9h3すなわち東のアマテラス
日光東照宮は東の伊勢神宮
東叡山寛永寺は東の比叡山延暦寺
関東のみなさん!
関東の鎮守、家康公を崇拝しましょう!
(ここで、この書き込みするのをずっと待ってました!)
東国バンザイ!
0132人間七七四年
2007/06/12(火) 19:32:20ID:z3T5Z7rE人間、ある程度知恵がつくと、勝者をいかに敗者と言い張り、
敗者をいかに勝者と言い張るか、屁理屈こねて、
「俺は一般人とは見方が違うんだぜ」
と悦に入るものなのです。
その後それがいかに無意味な事か気付く人と、
一生そのままの人がいます。
あと、こういうこと言われると一発で火病になり、
言葉の最初に「ハッ」最後に「www」を付けて煽ります。
0133三河者
2007/06/12(火) 20:09:43ID:FnzAhpdfずっとうまく行っているのかが不思議ではある。
0134人間七七四年
2007/06/12(火) 23:43:03ID:i9PVKuD6正確には大抵の人は
戦国時代に詳しくなれば、なるほど
家康が嫌いになるんじゃない
0135人間七七四年
2007/06/12(火) 23:59:36ID:qGor7GEL俄かが家康を非難している事柄なんて全然たいした問題ではないことが分かるだろ
むしろ家康は優しすぎるくらいだ
0136人間七七四年
2007/06/13(水) 00:37:06ID:Ed4HT9SFどうして嫌われるんだよバカ。
0137人間七七四年
2007/06/13(水) 00:45:09ID:ojivVJPw日本人は判官贔屓の気質じゃけんのう
0138人間七七四年
2007/06/13(水) 04:09:28ID:quAgmBkf出来る子」の敵)だからだな。ついでに小説なんかで悪役にされがちなので
俄戦国通が批判材料を仕入れやすいってのもある。
よく見られるのは司馬なんかの影響を受けて家康嫌いになった奴が戦国時代
当時の常識やら実際の経歴なんかに触れて印象を改めるパターン。
ええ俺のことですとも。
0139人間七七四年
2007/06/13(水) 07:24:50ID:O6dC5isD竜馬は誰だろう?
0140人間七七四年
2007/06/13(水) 09:38:18ID:OXOzRz35源頼朝、足利尊氏、徳川家康が一般層に評価されない日本はいまだ自虐史観から抜けきれていない。
>>139
信長は天才だと思うが、制度の人であって情の人ではないような気がする(政治面)。
0141人間七七四年
2007/06/13(水) 10:07:47ID:ojivVJPw今川義元なんて東海一の弓取りとしての側面を見直されてる真っ最中じゃん
秀頼や淀なんかも最近人物像の見直しが盛んだよね
家康は普通に大人物で成功してるからちょっとの瑕疵が叩きに繋がるんだと思う
0142人間七七四年
2007/06/13(水) 10:28:22ID:ojivVJPwとにかく信長は何もかもが派手すぎたせいで
その陰に埋もれて判官贔屓されるほどの存在感が義元にはないのかも
信長にやられちゃった人Aみたいな感じで
0143人間七七四年
2007/06/13(水) 10:45:21ID:izk9OUt3戦国時代は信長のイメージが強烈すぎて秀吉や家康レベルでもその陰に隠れちゃうってのは有りそう
自虐史観とはちょっと関係ないんでないの
左翼さんは一般的に江戸時代評価してないしな
0144人間七七四年
2007/06/13(水) 12:39:57ID:O6dC5isDその方が新しい知識になる。 浅井長政とかどうだ?
0145人間七七四年
2007/06/13(水) 13:24:48ID:vAqI5uzn0146人間七七四年
2007/06/15(金) 03:50:30ID:SYIU1aq+何故か?
織田の敵対者に対する冷遇と徳川の封建主義が有り得ないくらい
好きなのだ
格差をどんどん浸透させどんどん嫌いな政敵を更迭する
これってどっかの誰かさん栗卒
0147三河者
2007/06/17(日) 22:26:47ID:eF50ecc90148人間
2007/06/17(日) 23:49:14ID:dbqGrriW安倍は家光タイプ
村山は伊達
0149人間七七四年
2007/06/18(月) 07:59:03ID:Kviiwvgc0150三河者
2007/06/19(火) 20:49:17ID:Mb+Yc/tH家康公は「私はそのような立派なものは持っていませんが
自分のことを大事に思って、死地へも飛び込んで行ってくれる
500騎ばかりの家臣がおりますので、その者達を大切にしております」
と言ったので秀吉がしゅんとした。
数字とか内容合ってる?
0151人間七七四年
2007/06/19(火) 22:22:44ID:rxB/ygqH0152人間七七四年
2007/06/19(火) 22:46:31ID:fpcWDb/Y0153人間七七四年
2007/06/19(火) 23:02:27ID:1px5Sg/p0154駆除
2007/06/19(火) 23:15:45ID:Mb+Yc/tH0155人間七七四年
2007/06/20(水) 01:06:21ID:ceNvXb/N家康くらい空気読める男が秀吉に面と向かってこんなこと言うわけないと思う
0156駆除人
2007/06/20(水) 09:36:37ID:5WmBAHcR0157人間七七四年
2007/06/20(水) 10:52:52ID:Kx/NEGK3家康を大人物とするための後世の虚像だって話じゃないの?
まあ、当時多少とも秀吉に意見できる数少ない人間であったことは確かだろうが
0158人間七七四年
2007/06/20(水) 11:09:12ID:yxfViIir0159仙台藩百姓
2007/06/20(水) 12:23:50ID:sPvYUXGu0160三河者
2007/06/20(水) 22:45:43ID:lT1v9XXb0161人間七七四年
2007/06/21(木) 02:45:30ID:JxB47Ak50162人間七七四年
2007/06/21(木) 14:08:42ID:8qR93vx80163人間七七四年
2007/06/21(木) 14:24:57ID:JxB47Ak5弾圧は信長以上とも言われている。
フィルタになってた秀長が死んでから目立つようになったワケで。
明治のころの徳川を貶める政策の中で、庶民派のように位置付けられて持ち上げられた
ことも関係している。。
0164人間七七四年
2007/06/21(木) 15:07:47ID:Zi8umdeZ江戸時代=貧農が圧迫された暗黒時代だと定義付けたのは
戦後の左翼さんだと思うけどな
明治時代のアンチ徳川の流れはぶっちゃけそれまでの幕府体制で
おおっぴらに言えなかった批判が噴出しただけだと思う
0165446
2007/06/21(木) 15:10:36ID:8qR93vx8長浜城下では減税してなかったか?
>寺社勢力に対する弾圧は信長以上とも言われている。
具体例が思い付かない。
>庶民派のように位置付けられて持ち上げられた
東照宮案内所で30分くらい、しつこく「なぜ秀吉も合祀されてるのか?」って
聞いたけどつまらn回答しかなかった。 勘ぐった答え的にはどうして?
0166人間七七四年
2007/06/21(木) 16:09:03ID:+/hdUDFU>ことも関係している。。
こういう陰謀史観的な考え方ってどうなんだろう
秀吉自体の人気は江戸時代から庶民の間では高かったし
七回忌のときなんかは秀吉の時代を懐かしむ声が京の町にあふれたというけど
政府による徳川否定はあったのかもしれないけど
秀吉を持ち上げる声全部がそれに基づくものとは思えないんだけど
0167人間七七四年
2007/06/21(木) 17:46:46ID:2gYWf08Q正解
0168人間七七四年
2007/06/21(木) 18:41:36ID:UgPZvozZ> 政府による徳川否定はあったのかもしれないけど
> 秀吉を持ち上げる声全部がそれに基づくものとは思えないんだけど
そりゃあ秀吉によって利益を得ていた特権商人とそれに繋がる連中は秀吉を持ち上げるだろ。
0169人間七七四年
2007/06/21(木) 19:51:05ID:vtEauhY4太閤記の類がいくつも書かれて
講釈、浄瑠璃、歌舞伎などの題材に好んで使われた
立身出世の象徴として良くも悪くも親しまれていた
まがりなりにも秀吉は家康の主君であったし
幕府も秀吉には批判的な事をあまりしなかった
代わりに三成をいけにえとしたわけだが
0171アパッチ映像の人
2007/06/21(木) 20:34:18ID:xM/f3pNP0172人間七七四年
2007/06/21(木) 21:03:20ID:+/hdUDFU質素堅実な徳川の治世は京人からは評判悪かったと何かで読んだことがある
まあ当時は秀吉みたいな無駄に派手なのが喜ばれたのかもね
ちょっと前まで戦乱渦巻く殺伐としたご時世だったわけだから
0174人間七七四年
2007/06/21(木) 21:18:05ID:Zi8umdeZ聚楽第に秀吉を批判する落首が貼られ、秀吉が激怒したのは有名な話
けど関ヶ原で家康が徳川政権を立ち上げたら今度は幕府の政治を批判して秀吉の政治を懐かしんでるんだから笑えるw>京人
彼らは現行政権にとりあえず文句を言いたかっただけである可能性が高い
0175人間七七四年
2007/06/21(木) 21:21:34ID:87XTF/We今いきなり首都が移転して消費経済の中心が例えば仙台や広島あたりに
なったら首都圏在住のみなさんは文句言わないのかな?
自分たちの損になることをする奴は悪者、そういう庶民の感覚が働いた
だけ。「文句言いたいだけ」なんて幼稚極まりない分析はチラシの裏に
でも書いてろカボチャ頭。
0176人間七七四年
2007/06/21(木) 21:32:22ID:Zi8umdeZ不用意な発言だった
悪かったよ
0177アパッチ映像の人
2007/06/21(木) 21:39:22ID:xM/f3pNPそもそも関東国替えは秀吉が押し付けたんだろ(-_-メ)
国替えさえなかったら今頃土地成金だったのに(´・ω・`)
0178人間七七四年
2007/06/27(水) 09:33:41ID:YkefIkav0179人間七七四年
2007/06/27(水) 12:23:28ID:pHQcsSDU急ぐべからず。
このお言葉いいですな〜 惚れた!
0180人間七七四年
2007/06/27(水) 14:08:06ID:CPCnst5D反論もクソも「消費経済の中心地」の移動を「首都移転」に例えたのを
額面どおりに受け取って「遷都は明治でしょー」とか言っちゃう人に何
を言えとw
ついでにいうと「関東は秀吉が押し付けた」と「秀吉死後、家康が幕府
を江戸に定め、そこが経済の中心となった」は全く関係ない。
反論どころか論にもなってない書き込みでなんでそこまで調子乗れちゃう
わけw?
0181仙台藩百姓
2007/06/27(水) 14:16:44ID:n9ghssMU凡人らしい言葉だお( ^ω^)
運よく天下が転がり込んで来た人間だから言える事だおね
乱世を切り開く人間なら草履片足下駄片足の心構えこそ肝要
0182人間七七四年
2007/06/27(水) 16:21:41ID:YkefIkav「心に望み起こらば、困窮したる時を思い出すべし」が
私のケチの人生哲学になってますよ!!
>額面どおりに受け取って「遷都は明治でしょー」
なんの解決策も出さずに、ただ批判しあう小学生と同じレベルでしょ>民衆
>「そこが経済の中心となった」は全く関係ない
国替えが無くても先祖代々に渡って作り上げた三遠駿などを捨てて
江戸へ本拠地を移したであろう根拠をお教えください。
>運よく天下が転がり込んで来た人間だから言える事だおね
↑こういうのを話にならないというのでは?
盛り上がってうれしいけど。
0183仙台藩百姓
2007/06/27(水) 17:59:09ID:n9ghssMU節約は大いに結構であるがケチは使い物にならぬお( ^ω^)
0185人間七七四年
2007/06/27(水) 19:50:35ID:CPCnst5Dなあ・・・全然全くこれっぽっちも反論になってないし議論がろくにかみ合って
いないんだが、釣りか?
正直その読解レベルで日本人やってられるとは本気で思えないんだけど。
0186人間七七四年
2007/06/27(水) 22:48:58ID:3oC58Tmg気ままに幼女を抱いて東南アジアまで趣味の御香を買いに行かせ鯛の天ぷらを食べ過ぎて腹を壊す
前半生とは別人みたいだ
0187177
2007/06/27(水) 22:49:23ID:dUhmzEeC>ケチと節約は別物である
その辺の定義は面倒だからこの際放っておいて、
献上品とかには金を惜しまなかったと思うから
死に金を使うのが嫌いだったのではないか?
0188人間七七四年
2007/06/27(水) 23:49:30ID:PJUOhe+C同意
0189人間七七四年
2007/06/28(木) 00:31:09ID:G3R2sxNeまさにその通りだな。
皇国史観の揺れ戻しで共産主義的史観がもてはやされた時代だからな。
最近はまたその反動で庶民がいきいきと生活していた江戸時代が流行だな。
最近では主体的な学説になった慶安の御触書なかった説とかその一つだな。
0190人間七七四年
2007/06/28(木) 00:37:43ID:+QalAux8死ぬ前にそんな小さな贅沢くらい良いだろ。
>気ままに幼女を抱いて
男が元服するくらいの年代じゃないの?
70の爺さんが女子高生と結婚するのはムカつくけど問題ないじゃん。
0192人間七七四年
2007/06/28(木) 00:48:30ID:G3R2sxNeなぜなら遷都令が出されておらず天皇家の遷都に関わる儀式も行われていないからだ。
崩して言うと法的には天皇家は京都から東京に旅行に行っている状態になっている。
>>187
信長が富士山を見るために遊覧旅行をした際に家康は領内を通過する信長を接待するために
かなりの出費をしたらしいから単なるけちとは違うと考えて良い。
0193仙台藩百姓
2007/06/28(木) 01:52:29ID:bn9ohmDx法的に見れば首都は設置されていない
と言うのが正しいお
0194人間七七四年
2007/06/28(木) 01:53:29ID:+QalAux8>天皇家の遷都に関わる儀式も行われていないからだ
遷都に必要という根拠も無いのではないか?
元服して無くても選挙権あるのと同じで。
0195人間七七四年
2007/06/28(木) 10:20:57ID:Dhc6TCDwキメェww
0196人間七七四年
2007/06/28(木) 13:36:46ID:xDBY9+Kjみても、必要と感じたら大盤振る舞いが出来る男。本人がそれを嫌がってた
かどうかは別として。
ケチというのは使うべきときに出し惜しみをする小物、という印象が個人的
にあるので、家康はケチという言葉には当てはまらないと思う。
0197人間七七四年
2007/06/28(木) 14:27:00ID:RdW5vt7E秀忠率いる徳川本隊さえ間に合ってれば福島なんぞにあんなでかい顔させなかった、と思ってそう
0198人間七七四年
2007/06/28(木) 16:34:25ID:XGO7MdII2回戦で精鋭部隊で確実に勝とうと思っていたのでは?
自身でさえ手こずる真田に秀忠を向かわせたのが
怪し過ぎると思ってる。
0199人間七七四年
2007/06/28(木) 17:14:30ID:p1F+INJG信之がこっち付いてるし、調略も楽だろうと高括ってただけかもしれん
0200人間七七四年
2007/06/28(木) 17:25:08ID:XGO7MdII「3日で決着つかなかったら、多目の押さえを置いて、絶対素通りしろ」
とか言うはずじゃないのかな?
ってか、「こうなったらこうする」的な
事前打ち合わせって無いもんなの?
0201仙台藩百姓
2007/06/28(木) 19:40:53ID:bn9ohmDxいつどこで決戦するかなんて決まってないのだから
素通りしろだなんて指示がでるわけないお(;^ω^)
0202人間七七四年
2007/06/29(金) 01:07:12ID:fHVIhQz4面倒臭いからまとめてレスするが、だから「天皇家中心に見ると」と書いているw
その上であえて書くが
仙台藩百姓が言う事は一理あってそう言う説もまた成り立ちうるが
>>194の考え方はおかしい。それまでの首都移転の法律的根拠であった遷都の詔も何もなく
近代的な首都を置くと言う新しい法律もなくてはただ単に首都機能が移転したと考えるのが普通。
でなければ何を持って遷都=首都移転の根拠になるのか分らない。
これ以上は割愛するが遷都=首都機能の移転と言う事ではない。
そもそも日本の場合首都の定義も曖昧だったりするから話はもっと難しくなる。
0203人間七七四年
2007/06/29(金) 03:52:59ID:EPAO/yMc>いつどこで決戦するかなんて決まってないのだから
「真田だけは相手にするな」で住むじゃん。
0204人間七七四年
2007/06/30(土) 04:43:24ID:OZMtt+xpこれをなんとかしたほうがいい
0205人間七七四年
2007/06/30(土) 21:15:56ID:YWhE2euN全然違ってくるじゃん。
創業数年は信長タイプで行って、急成長した後は
潤沢な資金で家康公タイプで土台を固めれば好ましいでしょ。
0206人間七七四年
2007/07/01(日) 00:08:23ID:UuEeieCY信長・秀吉・家康と天下人の系譜が続いたから家康はなんか守成の三代目みたいなイメージがあるけど、
現実は一代で覇業を成し遂げた創業の覇者なわけで
実際に江戸幕府の土台を固め、政権を安定させたのは家康本人よりも秀忠・家光やその幕閣たちの功績の方が大きい
0207人間七七四年
2007/07/01(日) 03:32:34ID:c/Wh/KYR金は遠国の外様に、権力は隣国の譜代に与えるって考え方は
中々思いつくもんじゃないと思う。
0208人間七七四年
2007/07/01(日) 12:25:06ID:61xPEezZ家康の発案じゃなくて元は秀吉のものだったんだけどね
畿内や甲府・尾張・北九州みたいな重要な拠点に譜代衆を配置し、近隣の外様大名に睨みを利かす、
というところなんて後年の幕府がそのまま参考にしたんじゃないかと思う
ただ豊臣政権の場合秀吉が秀次を粛清したことにより実質的後継者の座が空白になり、
結果秀頼成人までの繋ぎとして五大老みたいな有力外様大名の合議制に移行せざるを得なかった
卓越した政権構想が有っても政権執行者にミスが有れば台無しになるという例の典型
0209人間七七四年
2007/07/01(日) 15:18:06ID:CIqb0E70いやいや、秀吉のそれと家康の構想は似ているようでやや違う。秀吉の
やり方は富と権力の分離というよりは前時代の室町政権的。
「富と権力の分離」というのは、支配者側が絶対権力と絶対財力を有して
ないと簡単に突き崩される構造を持っている。後年権力を朝廷に奪われ、
財力を雄藩に脅かされた幕府が簡単に崩壊したように。
分離型政権を築くつもりなら、秀吉は「豊臣家」の固有資産を強化すべき
で、間違っても諸侯に力を与えるべきではなかった。
0210人間七七四年
2007/07/02(月) 00:45:17ID:GCbvVeWN0211人間七七四年
2007/07/02(月) 01:21:53ID:+fRmz5UX0212人間七七四年
2007/07/02(月) 01:50:13ID:GCbvVeWN0213人間七七四年
2007/07/02(月) 03:31:24ID:us3GLTfp外様大名に政権任せる羽目になって結果家康に簒奪されたからな
秀吉は天下統一に当たってその統一事業をスムーズに行うために有力外様大名にはかなり妥協したが、
天下を統一してからは当然ながら外様大名の権力削減に動いてる
丹羽長重・織田信雄・大友吉統・蒲生秀行・宇都宮国綱みたいな外様をバンバン改易or減封して
直轄領に組み込んだり譜代に分け与えたりと政権強化に動いてる
江戸幕府も家康死後に秀忠や家光が頑張って徳川家の直轄領を増やしたことを考えると、
結局は政策の質じゃなくて後継者の差が出たとしか言えないと思う
まあ秀吉は自分で秀次粛清してるんだから世話ないが
0214人間七七四年
2007/07/02(月) 03:36:41ID:GCbvVeWN武官ばかりの政権では戦争したがるし。
0215人間七七四年
2007/07/02(月) 12:48:28ID:+fRmz5UX> 居なきゃ居ないで織田幕府のNO2でしょ。
何だ織田幕府ってw
0216人間七七四年
2007/07/02(月) 21:18:16ID:Dyr6XMHe明智を討つのでは?
0217人間七七四年
2007/07/03(火) 00:17:02ID:xLbTa82j織田家の歩みは史実と相当ずれることになる。
0218平山貴士
2007/07/03(火) 01:26:05ID:Dlypxyjq丹羽長重は「関が原」の段階では
まだ100万石以上あったんじゃないでしょうか?
西軍について前田利長と戦って
それで減らされたんじゃなかったんでしょうか?
0219人間七七四年
2007/07/03(火) 03:29:50ID:rVzS1a8Y一番運がいい男だと思う
0220人間七七四年
2007/07/03(火) 10:22:20ID:8BoqxIGW>織田家の歩みは史実と相当ずれることになる。
確かに予測不能なたらればかもね。
>まだ100万石以上あったんじゃないでしょうか
丹羽ってどこで何してたっけ?
0221仙台藩百姓
2007/07/03(火) 14:13:25ID:kyi1nX/8並以下の能力と超幸運で天下取った
の間違いだおね( ^ω^)
0222人間七七四年
2007/07/03(火) 16:23:35ID:z7ideBktもし秀吉に信長、家康並に子が居たら家康は天下取れなかったろうし
家康が秀吉並に子が産めない悲運を持ってたら400年も幕府が続かなかったろう
0223人間七七四年
2007/07/03(火) 16:29:56ID:tMXD1Aeo「徳川300年の平和」みたいに多少鯖読みする例は良くあるが流石に100年以上の水増しはちょっと・・・
0224人間七七四年
2007/07/03(火) 19:58:20ID:yXOS22g1逆に家康はより楽に天下をとれる
さらに子供が複数いて傍系が残るなら
諸大名もためらいなく大坂の陣を戦える
0225人間七七四年
2007/07/03(火) 21:22:20ID:5yUd/YYEワロス
>秀吉に子供が多くいたらその分身内の処刑と粛清が増えるのだから
実際ありそう
0226人間七七四年
2007/07/03(火) 21:49:51ID:tMXD1Aeo0227仙台藩百姓
2007/07/03(火) 21:57:02ID:kyi1nX/8秀吉が20代や30代で世継ぎが生まれていればよかったのだお
もしくは最後まで生まれないか
0228宇喜多直家信者 ◆W.uAGfax.c
2007/07/03(火) 22:01:34ID:3pdTdky2裏切るという事はないだろうし、秀頼と違い自ら戦場で戦える。
0229人間七七四年
2007/07/04(水) 00:11:15ID:0O1SY5RJ0230人間七七四年
2007/07/04(水) 00:25:01ID:MtqljuCkうむ
家康公も乗馬と水泳は大事だとか
0231人間七七四年
2007/07/04(水) 00:56:53ID:HOW56scA食事も粗食だった家康が何で晩年ああまで肥満してたか謎だ
若年の頃は痩せてたから太りやすい体質だったというわけでもあるまいに
0232仙台藩百姓
2007/07/04(水) 01:49:27ID:iRx6Satlいい年して食い過ぎで寝込むようなジジイだし
実態は独裁者に有りがちな
食い意地の張った強欲なデブジジイと言うわけだお( ^ω^)
0233人間七七四年
2007/07/04(水) 02:12:13ID:oZeJAROeこの前の番組的には、正室に世継ぎが居るだけで万事解決
みたいな感じだったけどな。 実際血縁養子いっぱい居たでしょ。
>家康が秀吉並に子が産めない悲運を持ってたら
ってかサルのほうがレアケースでしょ。
>秀吉に子供が多くいたらその分身内の処刑と粛清が増えるのだから
年食ってから嫡子が出来たから、おかしく成っちゃっただけでしょ。
>むしろ家康みたいに邪魔な息子は殺す、他家に養子に出す
やむにやまれぬ事情があっただろ!!(-_-メ)
0234人間七七四年
2007/07/04(水) 13:12:41ID:rHVxQSIU面白ければ漫画でもいいけど・・・
0235人間七七四年
2007/07/04(水) 13:37:19ID:xi7zDgsD0236人間七七四年
2007/07/04(水) 13:42:57ID:rHVxQSIU0237人間七七四年
2007/07/04(水) 13:51:12ID:HOW56scA横山御大らしく、派手さは無いが原作を手堅く纏めてる
それなりの大きさの図書館なら置いてあるはず
0238徳川家康
2007/07/04(水) 14:09:22ID:rwCblCUx0239人間七七四年
2007/07/04(水) 14:21:39ID:rHVxQSIU徳川家康もあったなんて知らなかったです。読んでみます。
ありがとうございました!
0240仙台藩百姓
2007/07/04(水) 14:42:04ID:iRx6Satl0241人間七七四年
2007/07/04(水) 15:12:01ID:xi7zDgsD0242人間七七四年
2007/07/04(水) 15:39:59ID:rwCblCUx0243平山貴士
2007/07/05(木) 00:38:38ID:gCvxzoGT丹羽長重・・・関が原以前 越前小松120万石
関が原以後 二本松10万石
だったと思います。
0244平山貴士
2007/07/05(木) 00:43:03ID:gCvxzoGT「葵 徳川三代」の中で家康が
「サナダ虫」の病気で倒れるシーンがあります。
病気を克服してから太り始めたとか・・・
0245仙台藩百姓
2007/07/05(木) 05:00:35ID:67pKf6XC丹羽長重の小松時代は12万石
関ヶ原後は改易
天正13年に長秀が死に長重が家督を相続したが
即行で減封されたお
1585年府中123万石相続
↓
1585年後瀬山15万石に減封↓
1587年松任4万石に減封
↓
1598年小松12万石に加増
↓
関ヶ原で西軍加担の為改易
1603年に赦されて古渡1万石
以後、江戸崎2万石→棚倉5万石→白河10万石
1637年、白河にて死去
結構浮き沈みの激しい人だお( ^ω^)
でも棚倉城、白河城と
後は子の代だけど二本松城と
なかなかの名城を3つ遺してているお
だが、戊辰の役じゃどれもあっさり落城してるけど(≧ω≦)プッ
もっとも城の構造云々じゃなく
中に篭ってた無能幕閣のせいだけどね(≧ω≦)ピッ
0246人間七七四年
2007/07/05(木) 08:39:54ID:tC8ZgEta>病気を克服してから太り始めたとか・・・
栄養捕っちゃう虫が居なくなれば、昔でも太ったんじゃないの?
>1603年に赦されて古渡1万石
>以後、江戸崎2万石→棚倉5万石→白河10万石
羽柴秀吉からは大事にされてたんじゃないの?
それにしても無一文から10万石とかどうしてそんな
もったいない事するんだろう → 幕府。 使い道あったのか?
0247人間七七四年
2007/07/05(木) 12:27:41ID:0TSNPZ31いるがただこの人寝取っただけだ
真の天下人秀吉さんからね
0248人間七七四年
2007/07/05(木) 13:27:21ID:g+Xo95VB何が言いたいのかよくわからん
0249人間七七四年
2007/07/05(木) 13:32:24ID:VckjC+zV0250人間七七四年
2007/07/05(木) 15:24:17ID:tC8ZgEta0251人間七七四年
2007/07/05(木) 17:42:04ID:0TSNPZ31これらは中国の王朝ですがあの広大な中国を300年以上
支配してきた名君もいるって事を徳川オタはしっかり認識しておけ
0252人間七七四年
2007/07/05(木) 17:54:22ID:0TSNPZ31唐王朝の初代王、中国を300年も統一
0253人間七七四年
2007/07/05(木) 20:26:29ID:SBnJg/sh合併で大企業に吸収された元中規模企業社長が権謀をめぐらして大企業を
ついに乗っ取ることを「棚ぼた」ってんならこの世に難事など何もない。
>>251
なにがいいたいんだ、ただの中華オタか? だとしたら戦国板はお里が違う。
そして「300年以上支配してきた名君」という言い方はおかしい。
「名君」は個人を指す言葉。「300年〜」にかけるなら「王朝」「政権」など
が相応しい。日本語が出来るようになってから書き込もうな。
0254人間七七四年
2007/07/05(木) 20:55:18ID:4psSQhgQ一概に名君と言っても良いと思う。
プランニングを他人がしていても、
それを容れたのは君主だろうから。
0255人間七七四年
2007/07/05(木) 23:58:59ID:0TSNPZ31所詮
小さな島国ジャパンの戦国だから大したもんじゃない
江戸後期になると幕府って大乱交現場になるし
どっかの藩のが権力もってて今の天皇制と変わらない
位
政治的に意味のない政権だったんじゃない?
誰もが言うが大奥のせいで幕府が潰れた
0256平山貴士
2007/07/06(金) 00:25:44ID:M2UeVG+eよくご存知で。勉強になりました。
0257人間七七四年
2007/07/06(金) 00:49:03ID:VKPH8sYQ別に家康がなにしたからと言うわけじゃないしな
基本的に前時代の政策を施行しただけだし
あとは後世の人々が上手くやっていったわけで
家康の功績みたいに言うのは間違っている
0258人間七七四年
2007/07/06(金) 04:42:33ID:UQULMUVS250年間大規模な反乱も外国による侵攻もお家騒動による内乱もほとんど
起こってない「長期政権」がどこの国でいつ存在したのか詳しく。
「いっぱい」ってんだから5や10はあげれるよなあw
>>257
そうだね、三菱の今日の隆盛もトヨタの海外展開も全部後継者がやった
ことで、創始者の功績じゃないよねーw
・・・馬鹿じゃねえの? 全部家康の功績にすんのは間違いだが、基本の
資産を築いた人物の功績を無視していいわけねえだろ。
0259人間七七四年
2007/07/06(金) 10:16:37ID:0yHNHVnRたくさんある気がするんだけど、それを否定されると相手する気が無くなる。
>誰もが言うが大奥のせいで幕府が潰れた
なんで歯止めが利かなかったんだろう? 吉宗とか。
0260人間七七四年
2007/07/06(金) 11:14:46ID:tfTXM2CP同意
秀忠、家光の功績を無視しすぎ
0262人間七七四年
2007/07/06(金) 12:47:39ID:0yHNHVnR組織がしっかりしていたのなら、なぜ豊臣政権になったのかが分からんしな。
0263人間七七四年
2007/07/06(金) 12:52:17ID:9og4f9J4島原の乱以降、キリシタンが蜂起していないことから見ても
宗教戦争とは言いがたいよなぁ
0264人間七七四年
2007/07/06(金) 13:11:21ID:VKPH8sYQ徳川が直接政策を施すのはほんの一部
江戸時代の発展はあくまで幕府+三百諸侯によるもの
0265人間七七四年
2007/07/06(金) 15:07:52ID:0yHNHVnRロシアは微妙だけど。
あ、島原の乱か。 あれのキリシタン率って低いの?
0266人間七七四年
2007/07/06(金) 18:56:34ID:UQULMUVSじゃあ挙げてみて。二個や三個はなしな、一応「ほとんど」って>>258は
言ってるわけだし。
ま、「大規模」か否かは主観に過ぎないし大名の領国の一揆を徳川政権の
責任にしていいものかは悩みどころだけど。
0267人間七七四年
2007/07/06(金) 19:19:17ID:jdz83ycL島原の乱
シャクシャインの乱
禁門の変とそれに続く長州戦争
慶安・承応の変や大塩平八郎の乱みたいな騒擾事件、
生野・天狗党・天誅組みたいな幕末の尊皇攘夷派の小規模武力決起は抜かした
0268人間七七四年
2007/07/06(金) 20:26:42ID:qze17Ckg確かにやらなくていいことやりまくった秀吉とは違う
天下は天下の人の天下にして己一人の天下にあらず、というくらいで
家康一人が目立つことは好ましいことではないな
0269人間七七四年
2007/07/06(金) 20:35:49ID:ZrOOWhUp0270人間七七四年
2007/07/06(金) 20:40:40ID:PEVaTNjRどこも欧米勢力の圧力がかかったら駄目になると思うのだが。
逆に言えば、徳川だって外部からの圧力がなければもっと続いた可能性があるということです。
0271人間七七四年
2007/07/06(金) 20:57:03ID:hbGKnfjhなんで徳川幕府はトヨタみたいに構造改革しやすくなかったんだろう?
0272人間七七四年
2007/07/07(土) 19:22:00ID:DsbqjoFU250年より長く続いた東ローマ、漢朝とかの方が優秀だろ
江戸幕府はちょっと内乱が起きたらあぼーんして、打たれ弱すぎ
0273人間七七四年
2007/07/07(土) 21:02:11ID:Q6iP5WCR前近代的な外圧はたいしたことないだろ
0274人間七七四年
2007/07/07(土) 21:37:12ID:BQ037Knbあー、それにしても常時改革的な組織って難しいな。
トヨタが地元だけどどうすごいのか分からん。
0275人間七七四年
2007/07/07(土) 21:53:53ID:bsG2QP2L特に江戸幕府みたいに極力外圧を排除した政権だと尚更
トヨタだって後100年経つとどうなるかわからん
0276人間七七四年
2007/07/07(土) 22:52:05ID:Oh205kBS0277人間七七四年
2007/07/07(土) 23:36:29ID:BQ037Knb経営の鉄則を守ってるから大丈夫らしいよ。
バブル期に踊らずに「あそこはバカだ」って言われてた銀行が
たった5年後には「経営判断は正しかった」とか言われてるし。
0278人間七七四年
2007/07/08(日) 01:51:49ID:16/A4kJi親族で独裁行為をやり過ぎたから
0280人間七七四年
2007/07/08(日) 12:46:43ID:iD8G5XK00281人間七七四年
2007/07/08(日) 22:12:30ID:wPSGanAh0282人間七七四年
2007/07/09(月) 00:11:38ID:NiWdE9wW信長や秀吉とはちょっと違うわな。
0283人間七七四年
2007/07/09(月) 02:12:56ID:GWEuy2zP0284人間七七四年
2007/07/09(月) 02:15:52ID:h/Bn+1qf0285人間七七四年
2007/07/09(月) 17:56:40ID:x4c3cSZN主君の顔色を窺う佞臣がやたら力を持つようになる
0286人間七七四年
2007/07/09(月) 20:00:33ID:R7H1v3b70287282
2007/07/10(火) 09:56:41ID:m2dR2IqJ信長の場合は新参の重臣とかたくさん居たけど
家康公には居ないと思う。 半蔵くらいか?
0288人間七七四年
2007/07/10(火) 13:06:20ID:2jFKYOcu服部を新参とするなら井伊とか奥平とか旧今川系の武将は全部新参
(一応譜代扱いではあるけど)だよ。
もともと三河一国も無いような土豪の出なんだから新参の重臣(どの
辺から重臣なのかは微妙だけど)がいないわけ無いだろ。
0289282
2007/07/10(火) 13:19:03ID:m2dR2IqJ家臣筋だったら新参じゃないと考えて!!
0290仙台藩百姓
2007/07/10(火) 16:06:26ID:h7PPF1fv徳川も家康の代に召し抱えた新参者が多いお
田舎の小大名から天下人になったのだし
安祥以来の譜代衆じゃ全くの人手不足だから当然だけど
0291人間七七四年
2007/07/10(火) 20:29:30ID:rvTqks1s0292人間七七四年
2007/07/10(火) 20:32:53ID:c/xeXmLX今川一門と解釈して、28神将
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BE%B3%E5%B7%9D%E4%BA%8C%E5%8D%81%E5%85%AB%E7%A5%9E%E5%B0%86
で全く家臣筋ですらなかった者は誰がいる?
0293人間七七四年
2007/07/10(火) 20:33:55ID:c/xeXmLX頼朝を尊敬しているから、「ご恩と奉公」という
互いに支えあう家だったんじゃない?
0294仙台藩百姓
2007/07/10(火) 23:56:20ID:h7PPF1fvだからこれだけの大所帯なのに恐ろしく地味な面子
0295人間七七四年
2007/07/11(水) 00:47:06ID:0HW62pbz主君家康に諫言しまくり
まあこのせいで晩年政権の中枢から遠ざけられてしまうわけだが
0297人間七七四年
2007/07/11(水) 09:46:31ID:t/pRBvDpところで、伏見城の戦いで380人も自決ってなんで?
最後まで戦って三河武士の意地を見せ付ければ良いのに。
捨て石だったって本当?
0298人間七七四年
2007/07/12(木) 05:06:25ID:XmrE2bsZただ、雇い入れた甲賀衆の家族が、攻め手に人質として取られて内応→開門→
場内総崩れ→乱戦で雑兵に首を取られるは武士の恥辱!→集団割腹
って流れだった気がする。
そいや、元忠の首を取ったのって、雑賀孫市って説があるよね。
捨て石だとしても、70越えた足の悪い爺様に、武士としての死に場所を与えてやれるのは
なかなか出来ないことだと思う。
0299人間七七四年
2007/07/12(木) 10:24:59ID:kh8myEfz卑怯者め!!
0300人間七七四年
2007/07/12(木) 21:44:40ID:W23nRjVB死に場所ってのがよく分からん。
忍びのくせに捕まるなよと言いたい。
0301人間七七四年
2007/07/12(木) 23:16:42ID:/lx/SlLY長篠合戦図屏風に描かれている家康公の近くに
「五」と描いてある旗指物がありますが、あれはどういう意味のものですか。
なぜ、「五」なのかも教えてください。
お願いします。
0302人間七七四年
2007/07/13(金) 00:05:28ID:ildl8WPt元は松平家に使えていた近藤家の旗指物が「五」で、その近藤家が伝令を担当していた
ことから、その旗印になってるらしい。
「五」の元々の意味は、“五番隊”ってことだったっけか?
岡崎の郷土史家の自費出版本に、この話が載っていた気がする。
0303人間七七四年
2007/07/13(金) 22:44:50ID:RvdGYV8O競合させる主義の徳川家なのに、、、
0304人間七七四年
2007/07/13(金) 23:49:57ID:xF7M7Boaもともと三河の土豪出身で、本領のみなら百人ちょい動員するのが精一杯
だったんだぞ、徳川(松平)家。
そもそも徳川家が特別競合主義だったなんて初耳だけど。
0305人間七七四年
2007/07/14(土) 00:37:54ID:dikAxumJ同じ役職で競わせて三権分立みたいにしてたらしい。
0306人間七七四年
2007/07/14(土) 04:12:31ID:6Vjiq7fB小学生か? 「三権分立」の意味わかってる? 格好いい言葉使いたいだけ?
行政・立法・司法の三つを互いに介入できない形で独自権力とし、権力の
私物化および主権者からの剥離を防ぐ、ってものなんだが。
同じ役職が互いに不介入で独自の権力を保有し相互に牽制しあう???
ついでに岡崎奉行とかのことを言ってんならあれは別に競争させようと
複数名おいたんじゃなくて、それぞれのコネクションと才能を生かす形
で担当を決めただけ、競争というより分業主義。
0307人間七七四年
2007/07/14(土) 15:32:42ID:FApt3/mU似通ってるからマイルドに競争する。
0308人間七七四年
2007/07/15(日) 13:33:36ID:DUtA4eop信康事件は、責任を信長に転嫁するという歴史の偽造に
及んだと桐野作人が書いている。
谷口克広と同じ意見なわけだが、これはすでに3月号の
「徳川四天王」にも書かれていたんだな。
だがなぜか信長の関与はないという根拠に「当代記」が
挙げられていなかったが。
いずれにしても「信長公記」には写本によって信康事件の
記載があったりなかったりは余り知られていなかったこと
だろう。
0309人間七七四年
2007/07/15(日) 22:28:50ID:Ljjt0XSS真田って独立が好きなら、なんで武田に臣従したんだろう?
てか信玄ってあんなに暴君だったの?
0310人間七七四年
2007/07/16(月) 14:10:27ID:85pVxgt3剣術、砲術、弓術、馬術、水術等の武術について一流の域に達していた。剣術は、新当流の有馬満盛、
上泉信綱の新陰流の流れをくむ奥山神影流剣術の奥平久賀に師事、文禄2年(1593年)に小野忠明を
200石(一刀流剣術の伊東一刀斎の推薦)で、文禄3年(1594年)に新陰流の柳生宗矩(柳生宗厳と立ち
会って無刀取りされたため宗厳に剣術指南役として出仕を命ずるも、宗厳は老齢を理由に辞退)を召抱え
る、など、生涯かけて学んでいた。ただし、家康は「大将は戦場で直接闘うものではない」と息子にいってい
たといわれる。水術についても、69歳の時、駿河の川で見事な泳ぎぶりを家臣に披露している。馬術も、室
町時代初期の大坪慶秀を祖とする大坪流馬術を学んでいる。
また、力も強く、70歳の時に総長4尺7寸(1.4m)の火縄銃で鳶を撃ち落としている。
ただの狸爺ぢゃなかったんだな・・・・・・・・・
0312人間七七四年
2007/07/16(月) 17:48:37ID:9Umlai6v0313人間七七四年
2007/07/16(月) 18:00:37ID:9Umlai6v明智のようにズバっと叛旗を翻し立ち向かうのではなく、ネチネチと工作して
自分を正当化しつつ主を裏切る手口とか、もう胸糞悪い。
権力掌握までの手口が三国志の物語に出てくる董卓や
水滸伝の物語に出てくる高俅とかに類似しているw
0314仙台藩百姓
2007/07/16(月) 19:39:56ID:S2KHYOPN大坂で討ち取られて徳川が衰退していたら
日本史上最凶の大奸賊になっていたおうね( ^ω^)
0315人間七七四年
2007/07/16(月) 21:13:33ID:h+7aX9Ir典型的な視野狭窄アンチだなあ・・・。何で家康けなす奴は一様に
「秀吉の簒奪はいい簒奪」って認識なのか。
「ネチネチと工作して 自分を正当化しつつ主を裏切る手口」
↑これ秀吉のことじゃねw
0316人間七七四年
2007/07/16(月) 21:34:37ID:9Umlai6vだよなw
臣下の分際で主家を陥れる工作をし、権力を欲しいままにしようとする家康に対して
立ち上がった反家康同盟が関が原の西軍だし。
臣下の分際で主家を陥れる工作をし、権力を欲しいままにしようとする董卓に対して
立ち上がった反董卓同盟と全く同じ構図だしw
0317人間七七四年
2007/07/16(月) 21:56:41ID:9Umlai6v秀吉と家康は根本的にちがうし
信長が本能寺で斃れた後の混乱を収束し、信長の天下統一事業を引き継いで
応仁の乱から続く戦乱を終わらせることの出来る人物は秀吉しかいなかったけど、
家康は秀吉が築いた天下泰平の世に、私利私欲で権力を得る工作をし、
火のないところに火を起こして、天下を盗み取っただけだなw
0318人間七七四年
2007/07/16(月) 22:05:16ID:Eh2gy+0pその主君の威光を利用して好き放題に諫言し自分の派閥で天下を意のままにしようとする三成
こいつらが日本を安定した統治国家にしようとする家康の行動に危機感を抱き
以前のような権力を欲しいままにしたいとの欲望から暴発を起こしたのが関が原の西軍だろ
だがほとんどの大名は無理矢理巻き込まれただけで豊臣と三成の策謀には辟易していた
だから家康はこの悪党どもに勝利することができたんだよ
0320人間七七四年
2007/07/16(月) 22:29:22ID:9Umlai6v0321人間七七四年
2007/07/16(月) 22:33:37ID:9Umlai6v0322人間七七四年
2007/07/16(月) 22:41:13ID:fjli5o5l信長が統一の足固めをしたのだからそれを受け継げば誰でも統一することだけはできる
秀吉は信長の模倣を繰り返して天下をとったが信長の模倣が通用しなくなるとどうすればいいのか分からなくなり
とりあえず朝鮮出兵を模倣したが案の定失敗した
そして秀吉が死んだ時日本は泰平どころか長年に渡る出兵で疲弊と混乱に陥っていた
そこから真に天下を統一しゆるぎない泰平を勝ち取った家康の業績は秀吉とは比較にならない
0324人間七七四年
2007/07/16(月) 23:18:13ID:8eMj9IUN家康が一身をなげうって豊臣政権のために尽くす必要があるな。
家康が優れた政権構想と政治手腕を持っていればいるほど、
それはできない相談だっただろう。
0325人間七七四年
2007/07/17(火) 00:17:10ID:GI46NhoYこじつけにしかみえないものだな。家康が戦乱後の権力闘争に勝利したことは間違いないが
実際問題として、家康の動機は天下統一などのためではないだろう。
0326人間七七四年
2007/07/17(火) 00:21:25ID:YhCdR8Aa秀吉の晩年は戦乱を呼んだけど、家康公晩年の無理は太平を生んだ。
エサで釣る事しか出来なかった豊臣政権より
地味でうまみは少ないけど、真面目に尽くせば報われる徳川家が
長期政権向きではある。
0327人間七七四年
2007/07/17(火) 00:33:50ID:GI46NhoYそこから少々の権力簒奪戦があれど、安定の時代に移行するのは
どこの国の歴史を見ても同じだから太平が家康の手柄ということもないけどね。
個人的にはあまり評価に値するようなところの無い人物だな。
0328人間七七四年
2007/07/17(火) 00:49:26ID:ppZot70cなんで片方持ち上げるために片方貶める必要があるのやら
0329人間七七四年
2007/07/17(火) 01:29:46ID:YhCdR8Aa信長も秀吉も憎むべき存在だからじゃないの?
>少々の権力簒奪戦があれど
意義や規模から、実質的な史上最大の内戦では?
0330人間七七四年
2007/07/17(火) 04:45:47ID:EpLdoV3yなんで?
嫡男信康を自刃させられたからか?
それは近年かなり怪しいとされてるんだが。
0331人間七七四年
2007/07/17(火) 10:18:15ID:JjkmcZ1I0332人間七七四年
2007/07/17(火) 11:36:45ID:VAfGBaZC大義名分で語るなら
深刻な派閥抗争が勃発しているのに豊臣が解決しようとしないので家康自身の手で派閥抗争を鎮圧する必要があった
朝鮮出兵で疲弊させられたのに恩賞がでないことが武断派の不満を爆発させているので領地の大規模な再編が必要だった
侵略に失敗した以上は周辺国との国交回復が必要であり豊臣政権のままでは不可能だった
ちょうど家康は兵を渡海させていなかったので徳川政権を建てれば国交回復が可能となるので政権を変更した
つまり全て豊臣の無為無策を家康が肩代わりして解決しただけのことだ
0333人間七七四年
2007/07/17(火) 11:43:18ID:ppZot70c0334人間七七四年
2007/07/17(火) 14:00:33ID:SzfzayLw色ボケエテ公がぐっちゃぐっちゃにしてくれやがった日本を取り巻く
外交状況を取りまとめて朱印船貿易を奨励したのは誰だと思ってんだ
この物知らず。
家康が嫌いなら嫌いで構わんが知りもせずに不当に貶める奴は歴史を
語る価値も権利もない。
0335人間七七四年
2007/07/17(火) 15:07:10ID:e5gYIy3K0336人間七七四年
2007/07/17(火) 15:10:05ID:cDp2j71B秀吉はともかく秀頼は居なかった事になってる。食糞公が主家を滅ぼしたなんて
都合が悪すぎるから)のに、家康厨は何をほざくのやら。
0337人間七七四年
2007/07/17(火) 15:18:38ID:jYMQRlCkほんとうにうんこ漏らしたの?
0338人間七七四年
2007/07/17(火) 15:26:46ID:EvXu/ivO見事だったと言うべきか。
0339人間七七四年
2007/07/17(火) 15:29:32ID:cDp2j71B食べてみせたが、あまりの苦さに顔をひん曲げたところを絵師に描かれたというが。
家臣「とっ殿!!wそれは何でござりまするか?www」
家康「!!!・・・こ、っこれは焼き味噌じゃ!!」
家臣の笑い声が聞こえる中、無我夢中で取り繕うとして、口に入れた所
家康「(げっ!!・・・にがぁ!!・・・)」
顔をしかめる家康をその場にいた絵師があまりに滑稽なありさまだったので
絵に描き示した、というのが真相か?
0340人間七七四年
2007/07/17(火) 15:37:18ID:/MoGk8fB絵の家康は確か左手で右足を押さえた格好だった。
震えを止めるためにそうしてたらしい。
食ったなんて話は聞いたことが無い。
0341人間七七四年
2007/07/17(火) 19:03:02ID:VAfGBaZC三成や淀が家康を亡き者にしようと企んだ時点で主家がどうとかは関係ない
家康には当然に正当防衛の権利が発生する
だいたい豊臣は主家と口先では言いながら家臣を守る気概など欠片もなく
気に入らない連中は粛清し放題するくせに劣勢になると家臣を手の平を返して自分に無償奉仕するのが当たり前と傲慢に言い放つ
見捨てられて当然の屑野郎なんだよ
0342人間七七四年
2007/07/17(火) 19:17:17ID:hdCovVK1豊臣ほど状況をわきまえず政権に執着した例はないだろう
おかげで家康はえらい悪者だ
0343人間七七四年
2007/07/17(火) 20:33:01ID:xomeGAAjそんな事あったっけ? どこの外様?
時代の移り変わりを分かろうとしない淀政権が、従わずに
潰されただけだろう? 織田家だって豊臣に臣従してるし。
0344人間七七四年
2007/07/17(火) 21:41:20ID:cDp2j71Bないとはいえ、家康の墓暴きは許される行為ではないだろう。
その残した羽柴氏さえ、羽柴の姓は使用禁止、木下のみ許すというのはちょっとな。
0346人間七七四年
2007/07/17(火) 22:57:17ID:xomeGAAj淘汰されるべくして淘汰されたんじゃないの?
城を建ててそこに住むスレ建てたから、来てね。
http://hobby9.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1184672900/l10
0348人間七七四年
2007/07/18(水) 10:46:03ID:oEjjXRLg0349仙台藩百姓
2007/07/18(水) 18:28:10ID:fAf3/JcK0350人間七七四年
2007/07/18(水) 19:49:57ID:mrJlNYkWもしかして百万石の書付の嫉みか?
0351人間七七四年
2007/07/18(水) 20:44:05ID:zZagkKMk信長は天下に手をかけ
秀吉は天下を手に取り
家康は天下を盗んだ
0352人間七七四年
2007/07/18(水) 23:25:05ID:NGvxLrGT取り潰すべきだったな。
…が、いきなり改易というのは器量を疑われるので三〜五万石くらい捨扶持を与えて
諸侯の身分を情けで保たせてやれば良い。
後世の人間だから言えることだが、家康は日本史上始まって以来、最悪の大奸物
だったわけだし。
0353人間七七四年
2007/07/18(水) 23:33:10ID:mrJlNYkW長期戦になるので時期に戦乱の世の中に戻っておしまい。
0354人間七七四年
2007/07/18(水) 23:40:00ID:NGvxLrGT250万石ってのは与力領や万石を食んでいた家臣の領地をあわせての話でしょ。
大名レベルの家臣にはもちろん策を弄して引きこみくらいやるでしょ。
北条の領地そのまんまだったわけだが、北条征伐のときに戦乱の世の中に戻ったかね?
全国統一時の羽柴家と徳川家では力の差があまりに大きすぎる。
0355人間七七四年
2007/07/19(木) 08:50:57ID:Pc5cF8wY妄想の域を出ない。内治を軽視した秀吉の失敗。
0356人間七七四年
2007/07/19(木) 13:43:13ID:r8WZuRgN天下人秀吉に少しでも歯向かえば北条家のように瞬殺だ罠
0357人間七七四年
2007/07/19(木) 14:58:19ID:/P88VIIJ0358人間七七四年
2007/07/19(木) 15:36:05ID:M8NrrgGK諸侯さえ引くほどの理不尽な事があるわけで、
それにより決死の徳川軍5万を打ち負かすには、
通常の2〜30万もの大群で立ち向かわなければ成らない。
降伏派が多数の北条などとは比べ物にならん。
関東転封は石高が増えるから、泣く泣く了承したのでは?
0359仙台藩百姓
2007/07/19(木) 15:53:17ID:R+iKGndY三河衆だけなら100万いようとたいしたことないが
関東移封の頃までには他家の旧臣がかなりの数いたから
徳川も侮れないかもね( ^ω^)
0360人間七七四年
2007/07/19(木) 16:51:55ID:dSJKZhjo家臣は嫌がったが、家康は乗り気だったみたい
家臣団を再編する機会だし
災い転じて福となすのが得意だな家康は
0361人間七七四年
2007/07/19(木) 17:58:42ID:HKAHjfLK「敵」を討伐するのと服従した家臣を謀殺するのの違いもわからんのか?
大体おまえは「奸物」だのなんだのと思想を持ち込みすぎて痛々しい。
幕末の木っ端志士かっつーのw
0362仙台藩百姓
2007/07/19(木) 17:59:59ID:R+iKGndY0364人間七七四年
2007/07/19(木) 20:11:48ID:csuXeW5B>三河衆だけなら100万いようとたいしたことないが
かなり強いだろ?
>関東移封の頃までには他家の旧臣がかなりの数いたから
臣従すれば面倒見る典型だな。
>家臣団を再編する機会だし
石川数正って本心で寝返ったってのが通説なの?
0365人間七七四年
2007/07/19(木) 20:37:01ID:j1U1AVsS内部から崩れるだろ。特にそういった調略にかけては戦国有数のやり手の秀吉だぞ。
移封されて間もない関東の兵力なんて秀吉にすれば崩すのはわけない。
関東衆にしたって、やってきて間もない新領主にしたがって天下人とわざわざ
二回目の戦をして自家を潰す危機にさらすのは馬鹿らしいと思う奴だって出てくるだろう。
250歩譲って元三河衆が江戸史観並みに精強でも、秀吉は直接対決をかわして
真綿で閉めるように、大兵力で相手を圧していく戦略をたいてい採るからな。
佐竹、上杉は家康につく義理もないし、風見鶏の伊達はそんな状況で家康につく道理も無い。
家康はせいぜい東海道の旧領で一揆を煽動する位しか手が無く、八方塞でおしまい。
小牧長久手の頃とは秀吉の地位と兵力が段違いだし、雑賀、長曾我部等の後方撹乱の友軍もいない。
0366人間七七四年
2007/07/19(木) 21:11:13ID:bdVFN03p秀吉はなぜそうしなかったのか書かなきゃな。
0367人間七七四年
2007/07/19(木) 21:17:39ID:KHxKZj4h0368人間七七四年
2007/07/19(木) 21:48:47ID:LcmJt+E1からだろうな。
当時は「律儀な内府」などと言われていた訳で、諸将達もまさか後に
国家安康君臣豊楽のようないちゃもんを付けて戦争を吹っかけて主家
を滅ぼした挙句、秀吉の墓暴きまでするなどとは夢にも思われなかっただろう。
奸物と言われるのはそのあたりからだろうな。
0369人間七七四年
2007/07/19(木) 21:58:01ID:7/TFaQcR0370人間七七四年
2007/07/19(木) 22:06:18ID:HKAHjfLK「加増」と「国替えの代償に加増」では話が全然違う。当時の常識から
考えれば、東海→関東では「収入倍にしてやるからちょっくら途上国の
支社長になってくれや」って言われるようなもん。しかも業績不振なら
クビになるという確信つき。おまえなら嬉しいか?
>>368
逆だ。まさか大名達は幼君秀頼が事実上の実力者である家康に喧嘩
売るなんて思わなかった。織田家の後継者がほんの十数年前に実力
不相応な野望を抱いて改易されてんだから。
0371人間七七四年
2007/07/19(木) 22:11:53ID:a2M3wmj1問題なのは小牧後に家康が上洛を拒否したのは駆け引きの範疇なので相手も交渉の余地がある
だが淀や秀頼が強硬な態度を取り続けるのは駆け引きなんて思考は欠片もなく
完全に感情に任せた暴走にすぎないので相手には交渉の余地がない
家康としては駆け引きとして軽く揺さぶりをかけた程度のことでも
豊臣は馬鹿なので理解できずすぐに浪人を集めて武装し決戦を叫びだす
家康だろうとなかろうとこういう馬鹿母子とは話し合いで解決を模索することが不可能なんだよ
0372人間七七四年
2007/07/19(木) 22:31:21ID:BttblxEt大問題だよ!w
当時すでに徳川家が豊臣家の権勢を大きく上回っていたことは自他共に認める事実
その状態で難癖つければそれは「駆け引き」なんてレベルですまないのは自明の理
対等でない、明らかに格下の相手に天下の覇者がそんな態度を見せれば、
それは明確な意思表示ととられて当然だし周囲だって旗幟を鮮明にしなければならなくなる
家康は自分から直接的な行動をとるのではなく、
豊臣と周囲の諸大名に自分の望む行動をとるように選択の余地なく采配した
そこが家康の政治力の凄さであり、巧みさ
国家安康は単なるケチ臭い難癖なんかじゃなく、戦国の巨人・徳川家康が
豊臣家を詰ませるために打った生涯最大の一手だよ
つーか国家安康を家康の責任じゃないとか、家康をナメてる発言としか思えない
0373人間七七四年
2007/07/19(木) 22:39:30ID:5WwZYqbZいつまでも「秀頼公は天下人じゃ、上様じゃ」と勘違いしてる大坂がすべて悪い
0374人間七七四年
2007/07/19(木) 22:48:00ID:j1U1AVsS秀吉はなぜそうしなかったかって、家康をかってたからだろ。
もしもの為の抑えとして東海道に恩顧大名を敷いてるけど、
前田にだってはじめは堀、秀政死後は堀家を越後に移して北国口に大谷・青木その他、
近江にそれ以上の守備を敷いてるし、毛利にだって宇喜多で大阪への入り口塞いで
四国に蜂須賀・生駒・加藤、背後の九州にも恩顧大名を敷いてる。上杉には蒲生。
別に家康だけ警戒してただけじゃなくて、大身の外様なら備えを敷いておいて当然。
はじめっから逆らうとわかってたら、余力があるのに放っておく馬鹿が天下人になれるわけ無い。
秀吉は基本的には、相手を滅ぼす事自体が少ないし、家康は律儀で売ってたからな。
家康は使えるし、信用に足ると思ってたんだろう。
相手にかなわないから服従、となったときの家康の狸っぷりは絶対だ。
信長だって後に河尻を殺されて甲信を奪られるなんて夢にも思わないで、家康を信頼してただろう。
0375人間七七四年
2007/07/19(木) 22:48:58ID:LcmJt+E1明智光秀みたいに、関ケ原の戦い直後に大坂城を攻めこんで力づくで
大坂羽柴家を滅ぼしたってのならまだしも、臣下であることを利用して
卑劣な工作をした後に難癖つけて潰すなんて秀吉でもやってないことを
平然とやる時点で支持のしようがないわな。
0377人間七七四年
2007/07/19(木) 22:55:30ID:P8Fbbp7A臣下云々は家康が征夷大将軍に任じられて以降、名実共に無意味です
豊臣家のみはそう考えていなかったようですが
0378人間七七四年
2007/07/19(木) 22:59:20ID:LcmJt+E1まあ実力主義ではあるのだから、事実上はそうなのだが、家康は羽柴家の大老職を
辞任したわけでもなく、出奔したわけでもないので形式上は主家であることには
かわりないです。
0379人間七七四年
2007/07/19(木) 23:11:51ID:j1U1AVsSついでにその秀信を高野山に追放して病死させた大罪人じゃ。
・・・そんなことあるか、ボケ
0380人間七七四年
2007/07/19(木) 23:16:42ID:o7SO82bf形式上も家康の官位の方が上
豊家なんていう私的なものより朝廷からの指名というものが上ということぐらい理解できるよな?
0381人間七七四年
2007/07/19(木) 23:30:05ID:csuXeW5B>>365 もっともだな。 なんでだろう。
>収入倍にしてやるからちょっくら途上国の 支社長になってくれや
北条領が途上国なわけないだろ。 せいぜいアジアの新興国。
>旧領プラスで関東だ
被ってた領地あったか?
0382人間七七四年
2007/07/19(木) 23:34:51ID:LcmJt+E1それは微妙。大坂羽柴家は関白になる資格のある家柄。
秀頼が関白就任すれば、征夷大将軍よりも位は上だよ。
秀頼左大臣就任も秒読みだったので、当時の状況からすれば微妙な状況
だったというし。
なんせ当時の家康自身が大坂羽柴家は幕府の命令の対象外として扱ってた。
それに、家康自身が大老職を返上した形跡もない。
0383人間七七四年
2007/07/19(木) 23:39:22ID:LcmJt+E1織田家や徳川家は大坂羽柴家に臣下の礼をとっている。
当時の秀吉は関白で、天皇の代理人。朝廷の人間そのものなので
その臣下の礼というのは私的なものではない。
0384人間七七四年
2007/07/19(木) 23:40:33ID:csuXeW5B家康公が源流なのかな。。。
日本史上最古のなし崩し戦略天下人って誰?
0385人間七七四年
2007/07/20(金) 00:07:23ID:V0Z6A5tS>被ってた領地あったか?
意味不明
>>382
>秀頼が関白就任すれば、征夷大将軍よりも位は上だよ。
すればな
したか?
>秀頼左大臣就任も秒読みだったので、当時の状況からすれば微妙な状況
>だったというし。
就任したならな
したか?
>なんせ当時の家康自身が大坂羽柴家は幕府の命令の対象外として扱ってた。
当時の家康がどう扱うかと、形式上の立場の上下は関係ない
>それに、家康自身が大老職を返上した形跡もない。
朝廷の格付けの前にはたいした事じゃないといってるのを読めなかったのか?
>>383
一回でレスしろ
>織田家や徳川家は大坂羽柴家に臣下の礼をとっている。
私的なものは公的な認証の前には小さなものって書いてるのを読めなかったのか?
>当時の秀吉は関白で、天皇の代理人。
関白宣下の年号と家康が上洛した年号を書き出してみろ
>朝廷の人間そのものなので
>その臣下の礼というのは私的なものではない。
朝廷の人間だから私的なものでは無いって関連性がわかんねえな
禁裏で「羽柴家に服従します」といったなら分かるが、違うだろ
0386人間七七四年
2007/07/20(金) 00:40:30ID:kVWmg/NR>>376が
「旧領プラスで関東だ」
といったのに対し、「旧領プラス」って旧領(東海道)からどかされた
ので、「かぶってないだろ(東海は家康領じゃなくなっただろ)?」と
いう趣旨の発言だろう。日本語ダイジョウブ?
俺も>>376の発現には首を捻らざるを得ない。>>370への返信にしては
意味がわからん。もしかして東海+関東が徳川領だと思ってるのか?
>>381
基盤的にはそうなんだけども、テロリスト(北条浪人)を大量に抱えてる
状態から考えて、不安定という意味で「途上国」という括りにした。
0387人間七七四年
2007/07/20(金) 00:43:57ID:TF/8M6QT0388人間七七四年
2007/07/20(金) 01:15:11ID:RVZwcBxg漏れ的には、
1.遠国だとあからさまだから、中央に近いけど実質生産性に乏しい地域を選択する。
2.国数は、移封前の5カ国と同等かわずかに多くする
3.石高も、移封前と同等かわずかに多くする。
それらにより、外様大名が抱くかもしれない不審感や不公正感を緩和する
以上の方針の下、
プランA:
丹波、但馬、因幡、丹後、若狭、美作、伯き、隠岐 (山陰道8州)
○3カ国加増の昇進に見せかける 京都の近くであると恩を売る
○首府は、篠山城か鳥取城か?求心力のある首府とはなりえない
○毛利と豊臣と宇喜田に挟まれた形になる
○畿内経済圏から外れた山陰に閉じ込める効果
プランB:
越前、加賀、能登、越中、飛騨、若狭、丹後 (北陸道7州)
○2カ国加増、近国配置、石高増加により昇進に見せかける
○首府は、越前府中か、金沢か?
○石高は稲作地帯を含むため高くなり、プランAよりリスクがある
○だが、真に価値のあるのは、「越前、加賀、越中」の3国だけという罠
○山に隔てられた豪雪地帯なので、機動力を奪うことができる
プランC:
駿河、甲斐、信濃、飛騨、上野、下野 (中部6州)
○徳川が根を張る三・遠2州を召し上げ、飛騨・上野・下野を与える
○首府は明らかに駿河
○上野・下野・飛騨の3国は、駿府から遠く、実際の一円支配は困難
○上野・下野以外の北条跡地には、豊臣の縁故大名を入国させる
○しかし、中部は戦国時代の枢要な地域であるため、リスクは大きい
みんなはどうすればよかったと思いますか?
0389人間七七四年
2007/07/20(金) 04:36:00ID:vnutGU+0それを言うなら信長は秀吉が自分の死後、子たちを
ああもないがしろに扱うとは思ってもみなかったろう。
家康だけの問題ではない。河尻は、森・滝川らが新領地を
失っても本領に逃げて命は助かってるのに彼は命まで落として
しまったことで他と異なるが。
信孝は信雄をそそのかして自刃に追いこむし、
その信雄も国替えを拒んだために改易。
こう書くと必ず「秀吉が仕えていたのは信長本人で
織田家でない」などと擁護論が出るが。
0390人間七七四年
2007/07/20(金) 07:24:16ID:V0Z6A5tS最初はそういう話だったってことだ
加増じゃないなんて結果見れば明らかだろうが
当初はそういう話だったから家康も乗り気だった
加増と「言われりゃ」って書いてるし
それが事実だともなんとも言って無い
0391人間七七四年
2007/07/20(金) 08:47:07ID:X6Ay++cbむしろ、「秀吉もやってんだから別にいーじゃん」って感じに
家康を貶めるようなお前の論調が気に入らない
0392人間七七四年
2007/07/20(金) 08:55:11ID:fbd6op+3ハア?
誰がいつどこで「駿遠三に加えて関東をくれてやるでよー」って言った
わけ? ソースは?
それが事実だとしてどうして三河衆は反対したワケ? どういう時系列
でうごいてんの?
顔洗って歯ぁ磨いて夢から覚めてから書き込めや、な?
0393人間七七四年
2007/07/20(金) 12:11:05ID:eikNDn7Qなるほど!!
>>389 「秀吉が仕えていたのは信長本人で織田家でない」
だってサルなんだもん。 仕方ないかもね。
>>「駿遠三に加えて関東をくれてやるでよー」って言ったわけ? ソースは?
>旧領プラスで関東だ だから加増
これが「旧領からプラス(旧領より増えてる)関東だ」と言う意味であれば
「だから加増」と言うのは重複するから必要ない。
「昇給でいくら上がったの?」って聞くようなもの。
0394人間七七四年
2007/07/20(金) 12:11:19ID:V0Z6A5tS>誰がいつどこで「駿遠三に加えて関東をくれてやるでよー」って言った
>わけ? ソースは?
豊臣秀吉以外に誰がそんなこといえるんだ?
ソースなんて聞いてどうするんだ?
お前に文書当れる能力あるのか?
あるというならためさせてもらうが
>それが事実だとしてどうして三河衆は反対したワケ? どういう時系列
>でうごいてんの?
俺はその三河の人間達が反対したなんていつの頃か知らんからなんとも言えんが
三河だけしか挙げてないてところがミソだな
>顔洗って歯ぁ磨いて夢から覚めてから書き込めや、な?
いやなことがあったのか知らんが、とりあえず落ち着いて書き込め
0396人間七七四年
2007/07/20(金) 12:26:19ID:sNpJ5TuMだが、なんでおまえら江戸時代の倫理観をこの時代に持ち込む?
そのころの君主なんて、部下以上の実力があって部下を保護してやって恩賞をくれて何ぼ。
赤子の主君を立てて殉じるなんて、涙は誘えても、メシは食えんし家族や部下達の将来も潰すことになりかねん。
だいたいからして、儒教的倫理観がひろまったのは江戸の平和な時代の話だ。
秀吉が秀信以上の実力者になってのし上がるのも時の摂理にあってれば、
家康が秀頼にとってかわったのもしかり。
ただ、秀吉は秀信を保護したけど(もうちょっと大領くれてやってもよかったが)、家康はやり方がな・・・
0397人間七七四年
2007/07/20(金) 14:15:47ID:GTswu10H実績はともかくとして
0398人間七七四年
2007/07/20(金) 14:28:09ID:rQmgL75p自分的徳川家康
http://www.uploda.org/uporg913681.jpg
0399人間七七四年
2007/07/20(金) 15:18:35ID:TF/8M6QT0400人間七七四年
2007/07/20(金) 16:01:27ID:/Zd4jLMlブヒブヒ言いながら腰抜かしてるシーンにワロタ
0401人間七七四年
2007/07/20(金) 16:08:45ID:eikNDn7Qそしたら桶狭間でバカ殿信長に着いて行った連中はどうなる??
ある程度は家に仕えて、その主家が潰れたら強い主家に乗り換える
ってのが普通の武将なんじゃないの?
諏訪勝頼にだって着いてったし。
>>394 は >>394 で日本語を解説してやってるんだから、とっとと読め。
0404人間七七四年
2007/07/20(金) 17:38:11ID:sNpJ5TuM三河の一向一揆で家康と相対して、ぶるって逃げただけの蜂屋某とかはいってる位だし。
そんなに人材少なかったっけか?
0405人間七七四年
2007/07/20(金) 19:02:48ID:qin1cV4bありえないって思ってる。
全国版の1つ前からやってたけど
ここ5年は複雑で面倒だから、やるの止めた。
ユニバーサルデザインで面白くは出来んもんなのか。
0406人間七七四年
2007/07/20(金) 19:14:03ID:fbd6op+3試す必要なんて無いから言ってみな。「秀吉が、いつ、どこで」
東海プラス関東をくれてやるっていったわけ?
その言いっぷりだと確実な証拠つかんでるみたいだから言って
ごらんよ。俺自身には資料を当たる手段は大学の史学科かネット
ぐらいだけれども。
「おまえに言っても仕方ないから言わない」とかは無しな。それ
だと「だったら素人の集まる戦国スレなんかにきてんじゃねーよw」
としか返せないからさ。
0407人間七七四年
2007/07/20(金) 19:33:34ID:sLhsWUX3総動員兵力は10万以上。こんな危険な香具師に
そんな愚かな事は秀吉はしないにきまってるだろw
0408人間七七四年
2007/07/20(金) 19:41:55ID:V0Z6A5tS必要ないかどうかは俺が決めることだ
別スレの話だがな、やたら北条厨北条厨言う奴がいてな
そいつから資料提示を求められた
疑問に思ったから、そいつの主張に関する資料の提示と引き換えに、こっちも文書名教えてやるといった
そうしてもひたすらこっちに資料提示を要求するだけで結局一切資料名を示さなかった
文書に当る能力もない、自分の主張の基となる資料についても挙げられない奴がソースについて知ったところで仕方ないと思わないか?
とりあえず、豊臣秀吉が徳川家康に最初から「転封」という態度で臨んだのかがなんていう資料で分かるのか教えてくれ
できれば該当する部分の前後も添えてな
挙げられるよな?
0409人間七七四年
2007/07/20(金) 20:29:05ID:qin1cV4b甲信地方でも含まれてたっけ?
石川数正が松本だけど、豊臣家臣だし。
0410人間七七四年
2007/07/20(金) 20:48:59ID:fbd6op+3ハア・・・
「だったら素人の集まる戦国スレなんかにきてんじゃねーよw」
対話する気がないなら犬とでも話してろ。
0412人間七七四年
2007/07/20(金) 21:41:34ID:EAQeLgLAスルーくらいできるようになれよ・・・
0413人間七七四年
2007/07/20(金) 23:37:52ID:V0Z6A5tS仕方ないか
自分が提示できないから相手も出来ないだろうと短絡的に考えちゃうんだろうな
これだけじゃID:fbd6op+3と大差ないからパスつけてあげといた
パスはID:fbd6op+3が転封の根拠となる資料提示できたら教えようか
何ヶ月かかるか楽しみだな
ttp://gendama.mad.buttobi.net/up/img/1074.zip
0414人間七七四年
2007/07/21(土) 01:32:37ID:C1QiLziE気違いの相手をしちゃダメ!
0415人間七七四年
2007/07/21(土) 01:55:02ID:P1DBTu5v>そしたら桶狭間でバカ殿信長に着いて行った連中はどうなる??
桶狭間の頃に信長をバカ殿と思ってた家臣なんていないだろ・・・
0416人間七七四年
2007/07/21(土) 03:32:15ID:pkPnETi4後陽成天皇を同席させた席で諸大名(某脱糞狸含む)に忠誠をちかわせてたはず>秀吉
仮に秀吉が征夷大将軍ならその家臣との主従関係は単なる私的な関係だろうが、征夷大
将軍と違い、関白は天皇の代理人でれっきとした朝廷の人間なのだから、私的なものに
はなり得ない。朝廷が格付けしたものとなる。一度かいているはずだが、読めなかったのか?
だから大坂羽柴家は徳川家の主筋にあたることは1615年あたりでもはっきりしている。
それを謀反で倒したのが徳川家だ。
0417人間七七四年
2007/07/21(土) 04:51:15ID:9dVjXg6b朝廷なんて期間に過ぎない。
神の代理人でもなくて公共の組織でもない。
むしろ天皇家が司る団体に過ぎない
日本人が海外からjapなどと
見下される原因は天皇を神だと勘違いして絶対の存在だと思っているからである。
それならば糞狸なんて書いている痴呆信者は
秀吉自らが設定した大義名分である朝廷による認定を尺度とした判断基準の変更を
考えていない。
つまり朝廷での地位は1615年当時あくまでも家康>>>>>>秀頼であり
朝廷を豊臣が大義名分とするのならば家康に屈服しなければならないのである。
100年前の定義でこうだとかほざいちゃう人たちなんだろうな?
奴隷は永久に奴隷と。
歴史的奴隷それが痴呆信者。
0418人間七七四年
2007/07/21(土) 06:21:16ID:hQXzsKzzどうでもいいが、日本人がJAPと言われるのは天皇関係ないよ
ただ単に肌が黄色いから。特に絶対的レイシズムに侵された馬鹿な奴なんて天皇うんぬん
考える程頭回らないから。
0419人間七七四年
2007/07/21(土) 09:07:03ID:FNG5gJF/蜂屋は、「信教のために敵対したとはいえ、家康には槍を向けられない」ということで後退した
しかし、それを汚しと追ってきた別の武将は投槍の一撃で射ち殺している
ただ逃げたわけじゃなく、(後世好みの、だが)忠義と武勇を兼ね備えていた
内藤正成(武田軍をも恐れさせた弓の達人として有名だが、1万石も貰えなかった)といい、神将はどっちかっつーとエピソード主体選抜っぽい
0420人間七七四年
2007/07/21(土) 11:21:20ID:422TaQq/>桶狭間の頃に信長をバカ殿と思ってた家臣なんていないだろ・・・
それ以前に満足な戦績出してたっけ?
>それを謀反で倒したのが徳川家だ
織田家臣秀吉と言うのは、どの時点で放棄したんだろう?
まさか官位で追い抜いたからと言う感じなのか?
0421人間七七四年
2007/07/21(土) 11:27:15ID:Fn1rNC1qしかも大将の林美作を自ら討ち取っている
桶狭間の出撃前に雑談に興じる信長に対する悪口が
「運の末になれば知恵の鏡も曇るか」
とむしろ期待を裏切られた表現になっている
馬鹿殿扱いは過去の話だろう
0422人間七七四年
2007/07/21(土) 13:19:37ID:xD6NG109関白は政務に関して天皇に助言する機関。
征夷大将軍は天皇から軍事指揮権を与えられた存在。
朝廷の人間っていう意味がイマイチ分からないが、征夷大将軍に任じられた時点で明確に豊臣秀頼よりも、徳川家康のほうが上位。
徳川家康に豊臣秀吉が朝廷の存在をタテに臣下の礼をとらせたからそれを絶対というなら、
征夷大将軍に任じられて明確に豊臣秀頼より上位におかれた徳川家康に豊臣秀頼は忠誠を誓わないとな。
>朝廷が格付けした
んだから。
>>420
織田信長は西三河に調略しかけたりして(それも実際に成功してるっぽい)今川の西三河支配の牽制に成功してる。
それを家臣に言ってるかどうかは知らないが、十分だ。
0423人間七七四年
2007/07/21(土) 14:07:44ID:P1DBTu5v関白は朝廷の最高権威
征夷大将軍は武家の最高権威
武家は朝廷に帰属しなくちゃならんから立前上は関白の方が上なのよ
まあ俺は家康が秀頼に従うべきだったとは思わんけど
何か勘違いしている風なので一応
0424人間七七四年
2007/07/21(土) 15:05:23ID:xD6NG109将軍が関白豊臣秀吉より上と言ってないだろ?
豊臣秀頼より上とは言ってるが。
0425人間七七四年
2007/07/21(土) 16:12:45ID:TKQjtcm2わけだから、武家にとっては、
将軍>関白
望めばかなう足利義満は関白になろうとはしなかった。
0426人間七七四年
2007/07/21(土) 16:27:56ID:Ft3HBMaX> しかし、それを汚しと追ってきた別の武将は投槍の一撃で射ち殺している
こんなん、ただたんにビビッて逃げたけど、後付でつけただけにも聞こえるがな。
だいたい投槍で追っかけてきた武将を殺したってのからしてウソくさい。
当時の人間より骨格の発達してる現代の陸上競技選手が充分に集中して溜めて
投げ槍したってだったそんなスピードの出るもんじゃないぞ。素人だってかるくよけれる。
武装して追いかけてくる方が、逃げてバランス崩しながら投げられた槍に当たって死ぬなんて。
乱戦の中、死角から降ってきたならまだしも、やすい時代劇の殺陣でもなきゃ、ありえん。
この逸話自体、後ででっち上げられただけのありえない講談だろ。
内藤にしたって一本の矢で三人射殺したとかあるけど、武装した相手に物理的にどうやったら可能なんだよ。
ゲームじゃないんだから・・・ それともなにか、内藤の弓の腕前は.44マグナム並みか?
徳川十六神将なんてそんなウソ臭い講談でぬりかためられただけ講談集めただけの徳川史観の賜物だろ。
0427人間七七四年
2007/07/21(土) 17:02:32ID:WsmB4Ltq秀吉が将軍になれなかったから関白になったと言うのは
江戸時代に流布されたデマ
将軍の権威付けと秀吉を貶める為のもの
源氏じゃないと将軍になれないと言う風説もね
0428人間七七四年
2007/07/21(土) 20:06:12ID:0FYQJQ9Nそもそもこのデマを信じている人に尋ねたいのは、将軍になるよりも関白になる方が
簡単だと思っているんですか?ということ。
0429人間七七四年
2007/07/21(土) 20:11:03ID:e+XATfax/ _|ノ ├〈,.-― ;. _ ,ゞ--'、:\___lヽ.
,':∨::\ /´ ̄  ̄`ヽ ヽ/´ `ヽ、-.、 \::::::::::',
見 違 |、_;/ / /´ ,. 、 、 \. \ \―| 同
.え. う ’、 / / ,. / / ,ハ ',. ヽヽヽヽ \ヾ/ じ
.る 板 \_/:/:/:./ , / .,' / // | l | , l: | ', ',. ! l :',!| 板
不 に |/:/::/:/:/:! l | { /|:! l l } !ノ|::,!l | :| |::|:::::::|ノ に
思. コ |:/l/:/:::,|::|:{イ⌒lヾゝ ノノイ⌒lヽ|:::!::}:;!::l::::::/ コ
議. ピ |::/|/l::/l';:{ヾlー''! lー''!/リノノ/::/:l::/ ピ
な. ペ || |:/リ、|::l;ゞ ̄´´ ,. ` ̄" ハ:lリノノノ' ペ
ギ す リ |' __,⊥!、 " " r===、 " " /ノノ || す
ガ る '/´\:: : \ ヽーノ /`ーァ-、 ヾ、. る
バ と _ / li : . ',.`ヽ、 _ ,.イ´ /.ノ::l| ヽ \____. と
イ .お /'/ |l ヽ `Y´ / './ . :l| |、 / /. そ
子. っ \l |l, \\_!_/ ‐ ´ 、!| | |\ ̄´ の
コ ぱ | /; ´ ` ‐ , ヽヾ ! \| ま
ピ い | / ヽ::/ `ヽ | ま
ペ が. | ,' ` ', ! だ
゜ .ポ. | |::: ヾ ヾ .:| .| け
ロ | '、:::.:.. . ― . .:.:::,' ! ど
リ ',. \_:::.: : :_二二二:_: : : : .:.:.:.:::/ ,' `
と ':、 ト、 ̄ ´.:.:.::::::::::.:.:.:.` ―┬ '′ /
\ |l ヽ l| /
0430人間七七四年
2007/07/21(土) 21:20:12ID:O+mAsse3>信長は弟との争いの稲生原合戦で、700の兵で1700の信勝軍を破り
>しかも大将の林美作を自ら討ち取っている
>織田信長は西三河に調略しかけたりして(それも実際に成功してるっぽい)
>今川の西三河支配の牽制に成功してる
情報ありがとう。
ある程度の戦績出してる信長に、義元が少しばかり油断してしまったわけね。
0431人間七七四年
2007/07/21(土) 21:39:21ID:xD6NG109油断もなにも、西三河は今川にとって物凄く不安定な地域だぞ。
和睦交渉にまで話が持ち込まれてるあたり、互角にやり合ってたんだろう。
0432人間七七四年
2007/07/22(日) 00:01:34ID:TmUm3UpA0433人間七七四年
2007/07/22(日) 00:03:10ID:4uZmJjtd関白は武力を持たない五摂家がたらい回しにしている事務職
将軍は武力で這い上がったものが就任して断絶しない限りはその一族が独占する軍事職
関白は本来軍事を管理する職ではないし
天皇を補佐する代理人というのは一見凄そうだけど代理人である以上は幼児はなれないし
常に就任資格を有する五摂家がいる以上は空白が生じると蓋をされてしまう危険性がある
また政治に関しても朝廷に奏上する形式をとるため京かその周辺しか本拠地にできない
秀吉以外関白になろうとしなかったのは難しいからじゃなく天下を継続するという観点からは
関白は不都合が多い職でありそれなら自分の自由が利く将軍の方が天下の継続には便利だからだ
秀吉は実子がいなかったので継続性を考えず短絡的に関白を選択しただけ
0435人間七七四年
2007/07/22(日) 00:54:11ID:S11xMdYt大坂羽柴家は征夷大将軍よりも上の関白をだせる家系であって、武家の
最高権威である征夷大将軍に従う義務はないだろう。
0436人間七七四年
2007/07/22(日) 01:07:33ID:AVPJVsif関白は公家も武家も含めての頂点
ただ、地位はトップでも武力を持たなかった
そこで秀吉は武家と融合させ
武家関白政権を創り出そうとしていた
そして豊臣と言う新たな姓を創り
武家関白は豊臣氏のみの世襲とする事にしようとした
これによって恒久的に公家と武家の頂点であり続けようしたわけである
だが、肝心の豊臣氏を継承する一族が極めて少ないと言う
抗がい難い不運の為に頓挫してしまったけど
頼朝や秀吉の政策パクっただけの家康より
余程画期的で優れていたよ
0437人間七七四年
2007/07/22(日) 03:49:14ID:12dYERdL0438人間七七四年
2007/07/22(日) 04:50:58ID:w/28VfOu秀吉の関白を骨抜きにしてしまうのに将軍が有効だったのは確か
0439人間七七四年
2007/07/22(日) 07:24:14ID:k4jN81d2誤解してるようだが、権威の所在は関白という役職にあるのであって
摂関家という家にあるのではないよ。
近衛家の嫡男で将来関白就任が約束されたような人物でも
若い頃はそれなりに低い位の役職に就くのが当たり前なわけで
となれば他氏族の人物の下で働くこともあったろうよ。
まあ、周囲は気を使うだろうけど。
0440人間七七四年
2007/07/22(日) 10:53:30ID:L/y5yhtl榊原康政や本多忠勝に10万石強しかくれてやらず、幕政にも
参画させなかったことかな。譜代大名を大切にしろよ。
0441人間七七四年
2007/07/22(日) 11:10:43ID:UXZ2aPiwんなことはない
井伊なんかは二代目直孝以降、歴代当主が大老や宿老クラスとして参画している
榊原家もたまに出したりと
文治派への転換ができなかった家が置いていかれただけ
0442人間七七四年
2007/07/22(日) 11:15:10ID:aXqwHWJ6比率的には上杉景勝家臣、直江兼続と同じ位でそれが徳川家には3人もいるんだぞ
後、榊原康政や本多忠勝の幕政不参画は単に年齢的な隠居が主因
徳川家は定期的に人材を入れ替えているのが特徴
0443人間七七四年
2007/07/22(日) 17:33:11ID:Jr40KDw00444人間七七四年
2007/07/22(日) 18:48:03ID:g0Qkrd7M0445人間七七四年
2007/07/22(日) 19:35:04ID:HkeGn5Ck将軍位なんてじっさいは三位くらいだってどっかできいたような・・・
他にも確か鎮西大将軍とか征狄大将軍とかなかったけ?
関白ってのは天皇の代行者だぞ。少なくとも建前上の官位としては将軍なんて比べ物になるわけなかろう。
まあ実際には江戸期には朝廷と武家の実質上の力関係が逆転していたけど。
征夷大将軍てもともとは名前の通り東方の武家の総指揮官であって、
別に武家全体の棟梁ってわけじゃないんじゃなかったっけ。木曾も坂上田村麻呂も違うし。
もともとはただたんに鎌倉に居座った源頼朝がまだ律令制上の(つまり統治者として建前の)
官位が無かったから征夷大将軍って位を利用しただけで。
だから官位的には薩長は将軍家の組下じゃないのかな?よくわかんないけど。
0446人間七七四年
2007/07/22(日) 19:46:30ID:AVPJVsif全国一つ一つの切取らなくてはいかなかった信長は
全て自分で指揮するのは不可能
だから方面軍を編制して委任したが
当然大部隊を動かす司令官にはそれなりの力を与えねばならない
地方大名の家臣が城一つや二つ取るのと違い
大名を潰して国単位で攻めとるのだから功績も絶大
信長もそれに報いなくてはならない
0447人間七七四年
2007/07/22(日) 20:51:15ID:aXqwHWJ6鳥居家は24万石までいったぞ。その後、無嗣断絶の所を特別に許された代わりに3万石に減らされたが
因みにその後に不祥事起こして取り潰しの所をまた特別に許され、一万石に減らされてる
(直ぐに3万石に復帰)
大久保も長安事件でも忠隣の孫は2万石で存続を許された後、随時加増されその子忠朝は旧領小田原
で11万3000石を領す様になってる。
それなりの理由とアフターケアは行ってる
0448人間七七四年
2007/07/22(日) 21:39:25ID:j5EdFMZnそして各々をけん制させる配置にしてるんだ。
>頼朝や秀吉の政策パクっただけの家康より
パクってうまく行くんならそれで良いだろ ( ´,_ゝ`) ぷ
0449人間七七四年
2007/07/22(日) 21:43:40ID:0z8yrqbu(明治政府は打倒した政権の創始者として狸親父などと
呼んでイメージを下げたが)
結構暗黒面もあるんだな。
実は家康自身の決断だったらしい信康・築山殿殺害、
今川の人質時代に大変な苦労をしたのがオーバーということ
以外、桶狭間後の動きも従来言われてたのとは違うとか。
今川氏真に弔い合戦を勧める一方、各地で織田方と戦っていたが、
いつまで経っても織田と戦わない氏真に愛想を尽かし、信長と
和睦・同盟することにしたというのがこれまでの説明だったが、
実は桶狭間の後、ほとんど間を置くことなく今川を敵として
戦っていたという。
そして信長の死後の半ば強引な甲信併合。
家康って腹黒いとは言わないが結構したたかな人物だったの
だろうな。
そんな家康を持ち上げたのは本人というより江戸時代の
御用学者だが。家康に関するウソは本人がついたウソも
あるが御用学者のついたウソも多そうだ。
0450人間七七四年
2007/07/22(日) 22:10:12ID:S11xMdYtそんなことはほぼ常識だろう。
秀吉は元々の身分が卑しく将軍になれなかったが、家康はなれたっても
よくよく考えてみれば普通に歴史を習った者の感覚からでもおかしい。
将軍より関白のほうが位が上なのであり、家柄で将軍になれないならより
ハイレベルな関白にもなれないはずだろってこと。
まあ天下人になった結果を残してでも狸親父とかいろいろ言われるくらい
だから、大坂夏の陣であのまま真田隊に討ち取られ、徳川が弱体化していた
ら日本史上稀に見る大奸物として扱われていただろうな。(まああの時に死亡した
説もあるが)
元々が松永久秀みたいな人物ならそこまでいわれなかっただろうが、当初は律儀
者として評価が高かったのが、秀吉が死んだ後豹変し、国家安康君臣豊楽の難癖
をつけて無理矢理滅ぼしたってのが反動にきているのだろう。
0451人間七七四年
2007/07/22(日) 22:18:46ID:j5EdFMZn0452人間七七四年
2007/07/22(日) 23:14:11ID:4uZmJjtd戦争狂の豊臣が滅びてくれたおかげで日本は泰平を謳歌できましためでたしめでたし
これ以上でも以下でもないことを騒ぎすぎなんだよ
0453人間七七四年
2007/07/23(月) 00:32:10ID:eQ3/skWjおかげで島国根性丸出しで文明も江戸期はほとんど発展しなかったし。
日本を弱体化させた政権でしょ。普通に考えたら。いわば奴隷の平和だな。
0454人間七七四年
2007/07/23(月) 01:02:23ID:24P/g2uU0455人間七七四年
2007/07/23(月) 02:49:34ID:3LcPbdox関が原みたいなのが1発起きれば、かなり収まる。
まあ地震は頻発した方が良いけどさ。
0456人間七七四年
2007/07/23(月) 10:07:18ID:l5/Hq/mt秀吉亡き後の豊臣政権は天下を治めてない。
三成と加藤や福島は反目しあってるし、関が原も政権内の内紛。
江戸時代にほとんど発展しなかったというデンパ情報は誰に聞いたんだよ?
低能丸出しだな。
0458人間七七四年
2007/07/23(月) 10:16:48ID:IABg4WH7しかし秀吉死後真っ先に誓約を破ったのは家康本人
一時は前田利家らと戦争になりかけた
内紛の種を撒いたんだから、混乱を収拾した善意の第三者ではない
0459人間七七四年
2007/07/23(月) 10:39:14ID:DqqS8+at0460人間七七四年
2007/07/23(月) 10:51:24ID:gsgZXEtv特に突っ込むことは無いと思うが
>>450
山岡荘八の徳川家康のおかげで多少持ち直したものの、
現在でも家康を奸物だと見る人は少なくない
0462素早くない夜景撮り
2007/07/23(月) 12:04:14ID:Z40cV4Nu0463人間七七四年
2007/07/23(月) 13:13:45ID:nnm4LK/00464名無しさん
2007/07/23(月) 13:56:21ID:iwF7xnPP一応は主家に当たる豊家を断絶しちゃったからな・・・。
しかし秀吉死後のとんでもない豹変ぶりにちょっと引いちゃった。
それまで家康は忍耐と律儀の人って思って英雄視してたから・・・。
やっぱ小説とかいろいろよんでみるといろいろわかって面白いな歴史って。
超ニワカの独り言でした
0465人間七七四年
2007/07/23(月) 14:56:02ID:Z40cV4Nu色々やりたい事やるのと同じだろ。
結果として幸せになった人間の方が圧倒的に多いんだから善政だし。
>島国でなければ鎖国できないんだけどね
このグローバル世界での国連非加盟国は、当時で考えれば鎖国と同じだろ。
0466人間七七四年
2007/07/23(月) 18:34:34ID:jfEeKUKI崇伝の日記なんかだと、夏の陣で千姫が秀頼の助命嘆願してきたときに、
家康はそれを認めようとするんだが秀忠が強硬に反対して秀頼を救えなかった、なんて書かれてる
まあこの話も家康の秀頼殺しの罪を秀忠におっ被せようとする創作かもしれないけど
0467人間七七四年
2007/07/23(月) 20:06:10ID:Y6Okvx7B普通の武家なら傍系が残っているから戦で滅びたと思われても傍系を立てて残るが多い
ところが豊臣は秀吉が秀頼以外を殺しまくり自分で絶滅寸前にしている
さらに残った淀と秀頼は脳みそ空っぽなうえに精神分裂病の疑いがあるほど支離滅裂な性格をしている
これではいくら家康が15年も目を瞑って待ってあげてもこいつらはより病状が末期症状になるだけなので倒して解決せざるをえない
せめて秀吉が人並みの心をもって一人くらい助けていれば豊臣家も残れたろうに
0468人間七七四年
2007/07/23(月) 20:58:36ID:Tz7TJlQXむしろお前が大丈夫かと
0469人間七七四年
2007/07/23(月) 21:07:02ID:R8sp3wvpこの場合「嫁を返すからから、助けて」だもんなぁ。
しかも、部下は殆ど戦死、城は落城。これで助けてくれというのはムシが良すぎる。
後、大坂城の攻城法は純軍事的にはあれだけの人員が守る巨城を、あの短期間で落とした
手腕はどれだけ評価されても足りない位である。
0470人間七七四年
2007/07/23(月) 21:24:57ID:Tz7TJlQX若年の頃遠江掛川城や犬居城を攻めあぐねたことからそう言われてるのかもしれないけど、
どっちも苦戦はしたけど最終的には開城させてるしな
小田原の陣で北条氏の支城群落とす手際なんてむしろ名人と言っていいくらい
逆に野戦はそうでもないけど
0471人間七七四年
2007/07/23(月) 21:28:49ID:eQ3/skWj日出と足守に大名として。立石に準大名、近江に旗本の形にな。
血脈も浅野家に入っているはず。
家康が羽柴家の存続をおねの養子、羽柴利次に認めたのはちょっと意外。
まあ家康とおねの死後は羽柴の名乗りを許さず、木下に改めさせたのはアレだが…。
江戸時代、幕府の公文書にも「豊臣朝臣木下**」と正式に名乗りを認めたの
は徳川氏にもなにか含みがあったのかな?
0472人間七七四年
2007/07/23(月) 21:31:29ID:8R9YCmyn>秀頼は脳みそ空っぽなうえに
秀頼自信の出来は良かったんじゃないの?
取巻きの影響を受けなくなる前に処理したかったんだよ。
てか身内殺しまくった豊臣家に止めさしただけ。
0473人間七七四年
2007/07/23(月) 22:19:48ID:NZW6xdil山岡荘八の「徳川家康」でもそういう筋書きになってたな。
確かに家康が自分が亡くなった後豊臣が力を盛り返すのを
心配して自分が生きてる内に豊臣家を潰そうとしたというのも
一理あるが、家康の死後豊臣と相対するのは秀忠だからな。
家康より秀忠の方が豊臣を滅ぼしたかったというのも
あるかも知れん。
0474人間七七四年
2007/07/23(月) 22:29:22ID:nnm4LK/0秀忠が2代将軍になった時点で完璧に終了だって気づけよ。
実力以上に妙にプライドだけ高いヤツらの最期なんてあんなもんだろう。
0475人間七七四年
2007/07/23(月) 23:17:18ID:eQ3/skWj天下を制圧した代償としては安い物だろ。維新後に東照宮を破却されなかった
だけありがたく思うんだな。
0476人間七七四年
2007/07/23(月) 23:45:58ID:a/rfJax6つかありがたく思うんだなって何様だよ、お前w
0477人間七七四年
2007/07/24(火) 00:11:41ID:qqhUwVse思い切り勘ぐった答えでも良いから教えて!!
0478人間七七四年
2007/07/24(火) 00:57:15ID:S3I0ZTGk自分の考えでは江戸幕府を滅ぼした明治政府が家康の祟りを恐れて
秀吉や頼朝を同時に祀ることで家康の怨霊を押さえ込もうとしたんじゃないかな、と
井沢臭くてスマンw
0480人間七七四年
2007/07/24(火) 01:22:37ID:NAVFTx9N淀殿が自ら人質となって停戦を申し入れたのを家康が許さなかったという説もある
秀頼が頑として認めなかったという説もあるけど
0481人間七七四年
2007/07/24(火) 02:10:49ID:yiHxHaA50482名無しさん
2007/07/24(火) 06:09:05ID:43wj6YBtま、政治的な戦いに舞台が変わったってのもあるけど。
そういった意味で戦乱中に死んだ信長が残虐?な行為をしてたとしても
醜くなく、カッコよく見えるのは戦乱中の戦略だったからかな?
政治的な攻防は一方的過ぎるとただの弱いもの苛だもんな・・・
関が原後〜大阪の陣なんて徳川方の謀略が凄すぎて豊臣方がかわいそうに見えてしまう。
やっぱ名勝負みたいになるためには好敵手が必要なんだなって思ったよ
こう考えると三成はよくやったよ・・・
0483人間七七四年
2007/07/24(火) 08:10:50ID:/3R6VP1Hこれってどう見ても捏造なんだよね(当初は藤原を称していたし、系図を吉良氏から買ったことも公然の秘密だった)
実際は三河に何人もいた土豪の出が、勢力を広げていったレベル
つまり秀吉よりはまだマシ、といった出自
家康が系図捏造で源氏長者になれるのなら、秀吉がその気になればやっぱり系図買いでも何でもして将軍にはなれたんじゃないの?
でもその気がなかったと
家康が将軍を望んだのは、豊臣政権で構築された武家官位制度から脱却して親豊臣派諸侯を名実ともに政権から隔離する目的があったからだろう
0484人間七七四年
2007/07/24(火) 08:48:39ID:8xWnQyU9前の政権の主の墓まで破却するって、お前の発想は中国人だな。
0485人間七七四年
2007/07/24(火) 09:26:50ID:CIF4evf2清康・広忠が暗殺された現場にそれぞれ居合わせて、犯人を二回とも討ち取ったといわれる武勇の士
仇討ちは当時評価にならなかった?(傍にいたのなら防げよ!みたいな)
それとも家康が本格的に独立する前に戦死しちゃったから?
0486人間七七四年
2007/07/24(火) 10:40:12ID:kKb1i4MF>秀頼は豊臣の嫡流ではないぞ
側室だから?
>運動が健康に良いことを意識した日本でおそらく最初の人物
でも薬マニアなのに食事は質素なんだよな。
0487人間七七四年
2007/07/24(火) 11:30:12ID:ggjFSFGL0488仙台藩百姓
2007/07/24(火) 13:14:44ID:w0BqaTWC正確に言うと久能山と日光の二つは要らないから
片方を壊すと新政府で決定したお
日光は外国から35万円で買い取りたいと言う話しがあった
それで大久保利通が一応徳川家の方に
そういう事になったから好きな方を選べと言ってきたお
勝の反対で結局お流れになったけどね
0490人間七七四年
2007/07/24(火) 14:01:04ID:JNiCZCP2人質としての役割があった秀吉のそれとどっちが悪質かは知らんがw
0491人間七七四年
2007/07/24(火) 14:06:20ID:B0mercZd0492人間七七四年
2007/07/24(火) 15:19:46ID:kKb1i4MFおまいら働き盛りの頃と、年食ってからどっちのほうが
めちゃ若い女欲しい? ものすごく我慢してたんだよ!
0493人間七七四年
2007/07/24(火) 19:03:47ID:LMg5okGWその頃は15歳前後で結婚するのが普通なんだから、
13歳というのはちょっと若い程度じゃないか。
0494人間七七四年
2007/07/24(火) 19:15:58ID:V7IrPGrmせいぜい23才の娘か。
0495仙台藩百姓
2007/07/24(火) 19:32:53ID:w0BqaTWC普通は夫の方も同じ歳ぐらいだけどね( ^ω^)
政宗公も12歳の愛姫娶ったけど政宗公も13歳だったお
家康は正室が年増だったからロリになったのかもね(≧ω≦)
0496宇喜多直家信者 ◆W.uAGfax.c
2007/07/24(火) 19:41:58ID:tXSITDDh0497人間七七四年
2007/07/24(火) 20:48:08ID:ggjFSFGL十分な子孫を持ち世継を定めた家康が多数の童女を毒牙にかける
その不潔さ淫猥さは度が過ぎている
0498人間七七四年
2007/07/24(火) 21:00:16ID:YQX8zv6F0499人間七七四年
2007/07/24(火) 21:52:03ID:V7IrPGrm0500人間七七四年
2007/07/24(火) 23:43:27ID:B/GB6eRbおしどり夫婦と呼ばれがちな秀吉とねねや利家とまつも実は10歳近く年が離れているわけだが?
ちなみに結婚した時点の年齢は秀吉が24歳でねねが14歳、利家が22歳でまつが12歳だ
もちろん他の側室とはそれよりさらに年齢差がある
0501人間七七四年
2007/07/25(水) 02:12:08ID:TqPt6F51人質というなら秀忠あたりの側室にしても良かったわけで
政治ではなくやっぱ肉欲絡み・・・?
0502人間七七四年
2007/07/25(水) 03:08:12ID:1dde5cNr家康みたいな軍人上がりの政策が通用したのは島原の乱までじゃないか
明治天皇が家康だとすれば今上天皇は吉宗か?
とにかく家康の考え方や政策のみじゃ250年も続くと思えん
0503人間七七四年
2007/07/25(水) 08:05:56ID:nBnT2KcR誓約を破り、何人もの立場の弱い相手に無理難題吹っかけて、最後には義理の孫を攻め殺す
勿論家康側には家康側の言い分があるし、後世の評判のために覇権を見逃すほどお人好しであるわけがないんだが
0504人間七七四年
2007/07/25(水) 08:38:02ID:a1ZSFn86余計に悪評がでるだろ。そりゃ仕方ない。
0505人間七七四年
2007/07/25(水) 08:46:03ID:ooQrH3xK当たり前じゃん。バカじゃねえの。
世界中探したってそんな政治家はいねえよ。
0506人間七七四年
2007/07/25(水) 09:46:40ID:fm5zUDVcまあ大奥があんなん成っちゃったのは不思議では歩けど。
0507人間七七四年
2007/07/25(水) 09:47:48ID:dxDzbwYH0508人間七七四年
2007/07/25(水) 11:00:59ID:bHhuQCda0509人間七七四年
2007/07/25(水) 13:09:29ID:fm5zUDVc続いてんじゃなくて現代しかも、経営の見本として通用してるって事。
0510人間七七四年
2007/07/25(水) 13:38:46ID:WPRGwBwi有名なカンバンだって、あれは創業者がやったもんじゃないし。
明らかに違う例だよなぁw
0511人間七七四年
2007/07/25(水) 13:49:29ID:Ei7ic3cc0512人間七七四年
2007/07/25(水) 15:20:50ID:A1IiFC5j0513人間七七四年
2007/07/25(水) 15:21:40ID:fm5zUDVc0514人間七七四年
2007/07/25(水) 15:31:27ID:S9T4A+hyちなみに秀忠は遺言として「良いと思ったら自分の作った法でもどしどし変えろ。それが孝だ」と遺言した
徳川幕府の組織だって改変著しい(有名な大老とかの職制だって、家光期に成立)
0515人間七七四年
2007/07/25(水) 18:29:49ID:w8eFNvIjうぉっさすが
確か家康も子孫?が政治を乱したら他のものが治めろ、とか言ってたような。
関係ないけど、家康ってなんか教育上手そうな気がする。
0516人間七七四年
2007/07/25(水) 19:38:32ID:Au0NNwCYもし秀忠に天下をすべる器量無ければわしの死後国許に帰って兵を挙げよ、
って逝ったという逸話か
正直あのエピソードは嘘臭い
豊臣家を滅ぼして朝廷を抑え付けて諸大名の力を削ぐなど、
長年戦い続けてやっと徳川の平和の基礎を築き上げた家康が
臨終の席でそんな生半可に悟ったようなこと言うはずが無いと思う
大方羅山あたりの腐儒が考えたことだろ
0517人間七七四年
2007/07/25(水) 20:23:53ID:xJubcK9a通じる部分があるのではないか?
0518人間七七四年
2007/07/25(水) 20:57:01ID:dboBbsti0519人間七七四年
2007/07/25(水) 21:28:16ID:C++7YREG全然生半可な悟りではない
むしろ豊臣はもはや天下人たりえないから潰したと自分の行動を正当化するもの
0520人間七七四年
2007/07/25(水) 22:46:52ID:mGmSysIH秀吉自身もそれに乗って処刑や戦争の繰り返しなんだから
どう考えても天下人たりえないだろ
家康は単に豊臣の撒き散らしたゴミを片付けただけ
0521人間七七四年
2007/07/25(水) 23:05:55ID:a1ZSFn86付けてでも無理矢理取り潰して、捨扶持で一万石くらい与えてればよかっただ
ろうが、油断しちゃったな。
信長が討たれた直後の家康の行動をもうちょっと思慮すべきだった。
河尻は家康に殺されたようなものだし、そこんとこもう少し考えれば本音が
どういう人間なのかはわかりそうだが。しかも表向きは律義で通しているんだか
ら余計に信用ならんだろうに。
>>320
たりえないっていっても現実天下をとっちゃったんだから仕方ねえだろ。
三成の横暴? そんな歴史事実はない。
0522人間七七四年
2007/07/25(水) 23:06:03ID:27+3l7ISご自由に利用してください。
http://www37.atwiki.jp/sengokuita/pages/17.html
0523人間七七四年
2007/07/25(水) 23:14:45ID:xJubcK9a0524人間七七四年
2007/07/26(木) 00:00:56ID:gKY71UuZ文禄の役
小西とグルになって偽講和を画策
それに反対した清正を諫言で失脚させる
他にも大友吉統や黒田如水を諫言で葬る
慶長の役
蔚山城の戦いにおいて清正や幸長を助けに行った蜂須賀や小早川の領地を召し上げ
さらに篭城に耐えた清正や幸長の戦功を揉み消し
揉み消しに協力した福原直高にはわざわざ加増までさせる当てつけぶり
1度や2度ならずここまで繰り返せばどう見ても三成による横暴だよ
だから家康に天下を渡しても三成を倒そうと考える大名が多く生まれた
0525人間七七四年
2007/07/26(木) 00:04:04ID:t++LoNfX徳川史観ならそうなるわな。
目も当てられねえなw
0526人間七七四年
2007/07/26(木) 00:12:01ID:0+bGe5bA軍令に違反した清正吉統如水のことを秀吉に報告するのは職務柄当然のことじゃね?
偽講和画策は擁護しがたい悪行だが、実際に小西と宋氏の工作にどの程度三成が関わってたかは不明だしな
つうか家康の話しろよ
0527人間七七四年
2007/07/26(木) 00:25:50ID:t++LoNfX人間の最もたるものが当初は三成とされていたからな。徳川史観ではね。
それが豊臣を潰した奸臣だっと宣伝できるから都合がいいのだろう。
(豊臣を潰した奸臣は家康だったわけだけど)
三成の評価に付いては一歩引いて聞く必要がある。
0528人間七七四年
2007/07/26(木) 00:32:45ID:0+bGe5bA自身は小禄で甘んじて身の保全を図ったということを考えると、
やはり秀吉=三成の失敗を見てる分家康=正信主従は賢かったと思う
大久保一派の粛清みたいなえげつないことしてる分本多一族の方が
下手したら三成よりも強権を握ってた可能性はあるが
0529人間七七四年
2007/07/26(木) 00:36:36ID:g8xDxEAd赤穂浅野みたいな清々しい家臣団って無いもんかな。
バカ殿で大変だったけど。
0530人間七七四年
2007/07/26(木) 00:54:18ID:mpUg6rV60531人間七七四年
2007/07/26(木) 02:16:36ID:aZdqD5Cl度量衡を統一し全国一律に検地を行い
大名達の力を石高により把握し管理
大規模な刀狩りにより身分の明確化を狙う
諸大名に屋敷を与え、大坂・伏見に詰めさせた
石高制、身分制度、参勤交代など
幕藩体制の基礎は豊臣政権から受け継いだも
幕府自体は当然ながら鎌倉幕府を参考に造られたもの
0532人間七七四年
2007/07/26(木) 02:48:38ID:bR3FGQul0533人間七七四年
2007/07/26(木) 10:31:44ID:TG1YhrOI0534人間七七四年
2007/07/26(木) 11:44:15ID:aTXl0Agi>幕府自体は当然ながら鎌倉幕府を参考に造られたもの
鎌倉幕府は何を参考?
0535人間七七四年
2007/07/26(木) 19:05:15ID:clThyqEn豊臣政権が悪だと気付いたからこそこんな場所で政治をすることに恥を感じて
世を正すため新政権を建てたんだろ
0536人間七七四年
2007/07/26(木) 19:54:26ID:r1qIy8T30538人間七七四年
2007/07/26(木) 21:15:02ID:zp5N90leトップの政治が手の施しようがないくらいダメダメなとき
それに取って代わるというNo.2のきわめて重要な責任を忠実に果たしたけどな
今は自民党の政治がダメでも民主党は取って代われてないが
0539人間七七四年
2007/07/26(木) 21:46:53ID:t++LoNfX0542人間七七四年
2007/07/26(木) 22:13:30ID:TMLXIuj3強い者が偉いのが戦国時代、邪魔する奴は主筋でも叩き潰す
つう理屈ならそれはそれでアリだろうが、
世を正すため悪の豊臣政権を倒したなんて子供じみた理屈は幾らなんでも勘弁な
0543人間七七四年
2007/07/26(木) 22:28:27ID:r4LGispd俺は家康のあくどいところも含めて、日本史上の英傑の
一人として好きだけどな。信長・秀吉もね。
このスレ見てて、中国後周の世宗、宋の太祖・太宗と続く
3代の皇帝を、信長・秀吉・家康に譬えている説を思い出した。
(順番は逆だが)
宋の太宗も家康も、潔癖症な人たちからはよく嫌われるな。
0544人間七七四年
2007/07/26(木) 22:44:10ID:gKY71UuZ0545人間七七四年
2007/07/26(木) 22:59:54ID:t++LoNfX都合が悪かったんだろうなw
なんせ「権現様」とやらが己の主筋を滅ぼしておいて「君臣の道とは〜」なんて
やっても説得力皆無だしな。
0546人間七七四年
2007/07/26(木) 23:05:33ID:r1qIy8T3ホリエモンみたいに。
0547人間七七四年
2007/07/26(木) 23:13:48ID:gKY71UuZ何言ってんのお前?バカ?
豊臣羽柴秀頼という人物がいたことは江戸時代でも記録されている
豊臣羽柴秀頼が天下人として記録されていないというなら関白にもなっていないのだから当然だろ
0548人間七七四年
2007/07/26(木) 23:37:44ID:t++LoNfX記録に残されている事とタブーとして事実上触れない事とは別なんだが?
理解できる?
0549人間七七四年
2007/07/26(木) 23:41:35ID:r1qIy8T3おまいらの雲の上の存在のさらに上行かれたらムカつかないか?
無理があるんだよ。 私は淀の豊臣家ぶっ潰し作戦だったと思ってるけど。
0550人間七七四年
2007/07/26(木) 23:46:25ID:KmYirEsc番付では織田一族が差添人、豊臣一族が行司役と徳川以前の天下人である二家は別格の扱いをされてるが、
そこに記されてる豊臣家一族は秀吉を筆頭に秀長、秀次、秀康、秀勝で何故か秀頼の名前が無い
幕府に阿ってか知らんが何となく秀頼のことは触れない方がいいんじゃないか、という空気は有ったっぽい
0551人間七七四年
2007/07/27(金) 00:06:35ID:KjI8aE87前政権の悪口として貶められている部分はあるが
それは幕府がタブーにしているのとは違うだろ
秀吉が利用した三法師だっていないような扱いをされることが多いが
それは織田に気を使っているというより自分でなにも成し遂げていない地味な存在だからであり
秀頼だって同じようなものだから無視されがちなだけだろ
0552人間七七四年
2007/07/27(金) 00:34:08ID:au2DuBdh0553人間七七四年
2007/07/27(金) 08:44:07ID:S32XppzQそれを諌めも改善もせず、結局悪政の当人が死んだ後、罪の無い女子供を殺したから江戸時代の言論統制が無くなった後評判ガタガタなんだろう
家康自身が口実にしたのも、その政治改善云々ですらなく釣鐘の文言にケチつけてというものだからな
「国家安康」の一節への難癖は有名だが、「右僕射(官位の漢風名)源朝臣」のところにまで林羅山が「これは源(徳川)を射るという呪い」とかもう何でもありw
0554人間七七四年
2007/07/27(金) 10:06:19ID:iHqYCjutいつまでも秀吉のご恩にむくいろの一点張りではどうにもならん。
現実問題として、大名は家臣を食わせていかねばならない。
0555人間七七四年
2007/07/27(金) 10:07:15ID:q8kIi+RK0556人間七七四年
2007/07/27(金) 10:16:24ID:CdNl890rなんだろうねって
家康の画策じゃん
関ヶ原で豊臣の名で戦って、恩賞名目で領地を奪い取ったんだろ
だいたい家康が汚いことの正当化になるのか、それ?
食い詰め浪人を大量発生させたのは家康の大量改易のせいだぞ
0557人間七七四年
2007/07/27(金) 10:25:10ID:E3IXgTNk0558人間七七四年
2007/07/27(金) 10:33:53ID:TzdWwvNa0559人間七七四年
2007/07/27(金) 10:46:09ID:JXg3Pgy8信長秀吉利用して天下取り
頼朝も義経利用して天下取り
こういった性質は卑怯だ
0560人間七七四年
2007/07/27(金) 10:54:50ID:l7h2SILk諌めてるし比較的秀吉の癇に障らない程度に被害を小さくしてるぞ。
家康に助けられた、という秀次事件連座大名は多いし、小田原征伐
でも北条氏を絶やさぬよう働きかけたり政宗の助命嘆願してる。
独裁政権でそれ以上の働きなんて出来ようがないし、朝鮮出兵の戦後
処理などから見ても家康以上に豊臣政権運営で働いた大名はいない。
同時に家康以上に豊臣政権をぶち壊した大名もいないが。
罪も無い女子供>分不相応な野望を抱く不穏分子のどこに罪がないと
いうのか。実力で劣れば悪となる時代を現代の価値観で裁くなよ。
江戸時代の言論統制が無くなった後評判ガタガタ>神君家康公神話は
基本的に明治以降も崩れてない。江戸幕府、という体制に対する批判
は常にあったが。江戸期を暗黒史観に染めたのは悪役を欲した小説家
と戦後の洗脳教科書。
0561人間七七四年
2007/07/27(金) 11:24:19ID:m/higH7w>家康ほど家臣の裏切りが少なかったのは珍しい
石川数正はどうして出奔したの?
>秀吉生存時に裏切った家臣なんていたっけ?
財産ばら撒くサルをおだててただけだろ。
反徳川連中は、地道に忠節を尽くせば報われる徳川家的社会ではなく
どういう社会が理想なの(′・_・`)?
0563人間七七四年
2007/07/27(金) 11:34:04ID:8aBRD/tj「日本史上もっとも恥ずべき口実で戦を仕掛けた挙句、寄せ集めの浪人衆にボコボコにされた最悪の人物」となってただろうな
幸い、ギリギリ助かったお陰で前半だけの悪評ですんだが
0564人間七七四年
2007/07/27(金) 11:42:44ID:XlZT2tzDまあそれ言い出したら「朝鮮出兵が成功してれば秀吉や小西や三成は神」とか言えるからな
>>562
反徳川じゃなくてアンチ家康でしょ
社会がどうとかではなく家康個人の性情が劣悪だ、という話をしているわけで
個人的には現代的な倫理観に当てはめれば極悪人なのは間違いないと思うけど、
戦国大名として、政治家としては尊敬すべき偉大な人物だったと思いますよ
そしてそれは、秀吉にも言えることではある
晩節汚しまくったけどな
0566人間七七四年
2007/07/27(金) 11:47:58ID:8aBRD/tjみたいないのより、人間臭い家康が面白いんだけどね
真田が大坂入りしたことを聞いて、「父か子か!?」とガタガタ震えて
家臣に「父は既に死んでますがな」とツッコまれて安心したところとか
0567人間七七四年
2007/07/27(金) 12:55:33ID:En9uosZiまぁ、結果は杞憂で二代目秀忠らの政治手腕もあって、彼らが幕府を倒すのは250年も後だが
秀吉といい、天下人といえど安心して死ねない時代だったんだなぁ、とこういう話を見るとちと切なくなる
0568人間七七四年
2007/07/27(金) 13:17:29ID:m/higH7wたんにあまり情報の無い数正の事を便乗したかっただけ。
大賀弥四郎とかはもっと情報少ないし。
>社会がどうとかではなく家康個人の性情が劣悪だ
じゃあガラポンしなかったら、平和に収まったのか?
>個人的には現代的な倫理観に当てはめれば極悪人
そんな意味の無い事して楽しい?
0569人間七七四年
2007/07/27(金) 13:22:26ID:whW4T1Zy「秀頼が鹿児島に逃げて生き延びた」とか大名から庶民までの真田マンセーを見るに、めんと向って文句言えない鬱憤をそういう形で晴らしてたんだろうね
徳川に正論を言ったら潰される御時世の産物が、「幸村」という変名が本名より有名だという現象
0570人間七七四年
2007/07/27(金) 13:23:37ID:ljdgSQ8N0571人間七七四年
2007/07/27(金) 13:26:56ID:q49WKh3D石川の子孫ってどうなった?
0572人間七七四年
2007/07/27(金) 13:30:37ID:iFvNkVjZ0573人間七七四年
2007/07/27(金) 13:43:21ID:2cEOaGy+明治時代の国定教科書でも家康のことはベタ誉めだからな
徳富蘇峰や山路愛山みたいな明治の文筆家も家康を賛辞している
「明治政府の汚い印象操作が現在にまでつづく家康不人気の原因」なんて主張する輩は一体何が根拠なのか
江戸幕府がせっせと織田や豊臣貶めてたから明治政府もやったに違いないなんて思ってるんじゃなかろうか
0575人間七七四年
2007/07/27(金) 16:47:03ID:PCQkLzV5君の手にかかれば義経生存説があるから鎌倉幕府は駄目幕府、楠木生存説
があるから室町幕府は駄目幕府、信長生存説があるから豊臣政権は駄目政権
になって既存の政権全てがダメダメになっちゃうよw
0576人間七七四年
2007/07/27(金) 17:53:05ID:A1jx62Y1それ以降京童の噂にも上がってないぞ
つうか被支配層が支配層に対して多少の不満を持つのなんて至極当然のことで、
幕府に少し含むところの有る民衆が秀頼みたいな旧政権の遺物がどこかで生存してる(といいなあ)、
みたいな与太話で気晴らししてたってだけでしょ
大して深い意味があるわけじゃない
0577人間七七四年
2007/07/27(金) 22:24:03ID:D+Dd6YrH>神君家康公
金日成マンセーみたいでキモイんですけど
0578人間七七四年
2007/07/27(金) 22:37:56ID:NlLJUAuc北の国とか多分今でも民衆は江戸時代レベルの生活してるんだろうな
平均寿命50歳無いし、身長低いし
0581人間七七四年
2007/07/27(金) 23:53:38ID:HmlLRqm6科学力の差を除けば江戸時代の方がはるかに良い生活を送っている
北朝鮮と比較するなら奈良時代レベルまで戻らないと比較にならん
0582人間七七四年
2007/07/28(土) 00:29:07ID:/W7oV+he明智光秀の例から考えて戦国の時代でも主殺しはタブーだったのは明白。
その人物が本当に神に値する人物なのかは生前の行いをみればよくわかることだ。
一時とは言え、収まっていた天下を私欲で再び戦争の世に戻したのは家康。
しかも醜悪な難癖をつけて。
それが神?ww
運も実力のうちという価値観から、事実上、信長や秀吉と違って単に天下を簒奪
しただけの家康も評価されているだけだ。
0583人間七七四年
2007/07/28(土) 00:37:50ID:WzUBeS9m秀吉が自分の意思で戦争を続けて天下泰平を放棄したのだから取られても文句は言えない
0584人間七七四年
2007/07/28(土) 00:40:46ID:OOPh73E80585人間七七四年
2007/07/28(土) 01:00:22ID:2ee8BqY7美しい難癖ってあるか?
相手を窮地に追い込むためにはごく普通だろ
0586人間七七四年
2007/07/28(土) 02:43:02ID:uaVtpnwT会社が不景気になったら社長殺して乗っ取るのか?
家康の罪を正当化するのならば、この世は無秩序と化す
家康の行いを真似られたら
いつ寝首を掻かれるか分かったものじゃない
家康自身それを恐れていたから朱子学などを取り入れた
己の罪は権利で揉み消して
周りには道義を押し付ける
家康も所詮横暴な独裁者に過ぎない
0587人間七七四年
2007/07/28(土) 03:21:28ID:wKjZonC5江戸時代の刑罰では金十両(約60万円)盗めば死罪でした。だから現代でも
60万円以上盗んだ人は死刑にすべきです。
↑
過去の価値観を現代に持ち込む滑稽さを理解してくれ。
0588人間七七四年
2007/07/28(土) 04:52:01ID:bH5/ZDOe日本人がヒーローに望むのは悲劇的要素だから。
よく取り沙汰される主家潰しにしたって秀吉も同じことやってるわけだし。
むしろ秀吉のほうが完全に家臣だった分アレだと思うけど。
まあ日本人の半官贔屓は他の民族と比べて度が高いと思うね。
0590人間七七四年
2007/07/28(土) 08:39:28ID:i8Ou6yWC関ヶ原じゃ豊臣譜代頼み・大坂の陣は劣勢の相手に相当苦戦させられているし
爽やかさとかいう要素とは兎角無縁だからね
0591人間七七四年
2007/07/28(土) 09:07:29ID:iM6po4cQ秀吉叩いてる連中に理屈説いても叩くのやめられないのと一緒
まあ、中にはどっちか叩くことでどっちか正当化できると勘違いしてる困ったチャンも居るみたいだが・・・・
0592人間七七四年
2007/07/28(土) 10:56:56ID:vTN/croF多くの人は信長、秀吉の狂気じみた天才性には反応するが、
家康の重苦しく長い人生には反応しにくい
0593人間七七四年
2007/07/28(土) 12:38:45ID:N2HvccOG大坂の陣の前の真田でガタガタの件といい、確かに小市民的一面がある
これらの逸話がマジだったとして、だが
0594人間七七四年
2007/07/28(土) 12:55:50ID:rV/rMLjy気が立って使い番に切りつけたというのは
家康の侍医の記録からのものでしょ
後世の幕府の記録よりも余程信用できるはず
そういう短気で小心なところは家康という人物に確実に有ったと思う
0595人間七七四年
2007/07/28(土) 12:59:55ID:WzUBeS9m君の言う親や社長が無謀な侵略戦争に死ぬまでのめり込み
気に入らない奴らを処刑しまくっていたら
新しい組織を作って刷新するのは現代の観念でも悪ではない
豊臣厨は家康以外は全員豊臣政権に満足していたように考えているが
豊臣恩顧でさえ豊臣政権に我慢できないほどの不満を抱いていたから崩壊した
そういう不満を爆発させたのは全て秀吉の責任であり家康の責任ではない
むしろ不満の爆発を瞬く間に解決してくれてありがとうと豊臣は家康に感謝すべきだろう
0596人間七七四年
2007/07/28(土) 13:03:42ID:rV/rMLjy0597人間七七四年
2007/07/28(土) 13:09:04ID:/W7oV+he根拠もなく家康擁護はキモイ。
0598人間七七四年
2007/07/28(土) 13:28:08ID:pMMKoKgC豊臣恩顧はみな豊臣政権に満足していた家康一人の私欲で潰された
徳川派
豊臣恩顧も大部分は耐えられない不満を抱えており恩顧が自分の意思で不満を爆発させた
家康は機能麻痺になった政権から別の政権を建てただけ
この認識の差は埋まらないな
0599人間七七四年
2007/07/28(土) 20:20:29ID:vTN/croF0600人間七七四年
2007/07/28(土) 20:44:21ID:W+rQZJV0戦国の雄で、そこがまた魅力でもある、というスタンスだと思う。
ただ、なぜか秀吉のマイナスは「個性(司馬遼太郎の影響か?)」として
扱われることが多いのに、家康のマイナスは「史上最大の〜」「古今に
比類なき〜」「陰湿で暴虐」等々プロパガンダ風味に味付けされるのが
気に入らないのではないかな、と。
0602人間七七四年
2007/07/28(土) 23:18:31ID:AwBYEuasだったら策略は大成功だな。
>徳川厨は親が弱ったら殺して財産奪うのか?
>会社が不景気になったら社長殺して乗っ取るのか?
長期低迷を招いたワンマン社長は、大半が退陣してますが何か?
>まあ日本人の半官贔屓は他の民族と比べて度が高いと思うね
赤穂浅野家臣なんて、バカ殿のせいで割に合わない戦いさせられたのにね。
>君らスレのレベル下げてるからさっさと消えてくれないか
じゃあまず初めにキミが、レベルを上げるような発言をしてくれまいか?
0603人間七七四年
2007/07/28(土) 23:25:42ID:bKwt+yHi0604人間七七四年
2007/07/28(土) 23:34:24ID:AwBYEuas言われたくないと思っただけで、、、
0605人間七七四年
2007/07/28(土) 23:34:44ID:/W7oV+he家康もある程度の批判の覚悟はしていたのだろう。
でなきゃ、石田三成を豊家を滅ぼした奸臣なんて宣伝する必要もないし
大坂夏の陣で豊臣恩顧の諸大名を積極的に使ったりしないだろ。
(豊臣恩顧の大名を共犯にすることで、批判の分散を図ったんだろうが。)
0606人間七七四年
2007/07/29(日) 00:16:30ID:XmrqppUNその評価は間違いないけどね
むしろ最近は三成を必要以上に美化しすぎといえる
奉行として三成と同じ仕事をした人間は他にもたくさんいるのに三成だけが恨みを集中されているのだから
三成自身に人間としての問題があったのだろう
0608名無しさん@そうだ選挙に行こう
2007/07/29(日) 00:42:19ID:SFlZm/fC0609名無しさん@そうだ選挙に行こう
2007/07/29(日) 04:29:48ID:njVmI+XM江戸時代の三成評はそれどころじゃないからな
秀吉に仕えるや否や千利休や蒲生氏郷、豊臣秀次などの政敵を次々と殺害、
秀吉の奉行となり朝鮮出兵で加藤清正などの武功を讒言で陥れ、
挙句の果てに淀君と密通して秀頼を産ませ秀吉死後は天下を奪うために豊臣家に背いた、つうような感じ
まあ三成を貶めたのは家康じゃなくて幕府にへつらう江戸時代のチンカス御用学者だけどな
家康自身は三成の遺族を助命したりと割と三成には好意的
0610名無しさん@そうだ選挙に行こう
2007/07/29(日) 05:26:41ID:aL7YuGBU0611名無しさん@そうだ選挙に行こう
2007/07/29(日) 06:08:48ID:Bxv1iJ7E徳川も260年くらいだしあんま大差ないと思うぞ
0612名無しさん@そうだ選挙に行こう
2007/07/29(日) 06:14:58ID:Bxv1iJ7E江戸時代264年
なのに何故江戸幕府は長期政権と呼ばれるのかわからん
0613名無しさん@そうだ選挙に行こう
2007/07/29(日) 06:16:12ID:5eBCqSSs0614名無しさん@そうだ選挙に行こう
2007/07/29(日) 08:30:04ID:Rw7Rhc0q0615名無しさん@そうだ選挙に行こう
2007/07/29(日) 08:40:08ID:yUyZ99ul0616名無しさん@そうだ選挙に行こう
2007/07/29(日) 08:55:28ID:RHjxWrGR0617名無しさん@そうだ選挙に行こう
2007/07/29(日) 08:56:41ID:EoO0uWAt室町幕府は最初は朝廷が南北に割れ、中期以降は戦国の時代。
江戸幕府は島原の乱以後目立った内乱もなく幕末近くまで
太平の世。全然違うと思うが。
0618名無しさん@そうだ選挙に行こう
2007/07/29(日) 12:12:47ID:Bxv1iJ7E4代目から文治政治になったらしい
0619602
2007/07/29(日) 13:54:26ID:G5Z1Rm4d敵ながらアッパレと思うが、違う解釈ある?
0620名無しさん@そうだ選挙に行こう
2007/07/29(日) 15:16:52ID:xDRbKb/D0621名無しさん@そうだ選挙に行こう
2007/07/29(日) 16:04:05ID:tG5lpwy1「全て元に戻す」といって一揆勢を解散させた
しかし、戦後になると約定を破って寺院を潰してまわった
抗議されると「だから元の野原に戻すといったんだ」と嘯いた
家康がこの手の難癖を使うのは昔から
単に、織田や豊臣政権に寄生している間は大人しくしていたに過ぎない
本来は謀略の人だよ
0622名無しさん@そうだ選挙に行こう
2007/07/29(日) 16:37:40ID:TPVe9ynL斬首だと思っていたが。
0623名無しさん@そうだ選挙に行こう
2007/07/29(日) 17:03:55ID:aMH+y4GS柿を食べて死ぬような運なら
ここから逃げ出して、家康を倒すなんて事はできないと思う
0624名無しさん@そうだ選挙に行こう
2007/07/29(日) 17:29:07ID:XpF48o4f斬首だよ。
0625名無しさん@そうだ選挙に行こう
2007/07/29(日) 19:23:06ID:Rrw6hVsK何か逸話残して死にたかったんだろ
0626名無しさん@そうだ選挙に行こう
2007/07/29(日) 19:42:51ID:6pHH7DZt0627名無しさん@そうだ選挙に行こう
2007/07/29(日) 20:08:17ID:KHVSnqVS0628名無しさん@そうだ選挙に行こう
2007/07/29(日) 20:12:41ID:KWWY108R■■■■死■■■■■死■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■
■■■死死■■■■■死■■■■■■■ねねねねねねねねねねねね■■
■■死死■■■■■死死死死死死■■■■■■■■■■■■■ねね■■
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0629人間七七四年
2007/07/29(日) 20:36:21ID:XbPcXseeわろた。
「一番初めにニワトリが鳴いたら起こせ」って言っておいて
ありえないくらい早く鳴いて戦に勝ったのって、何て戦?
0630人間七七四年
2007/07/31(火) 06:31:36ID:DB2aSwb4信長の家臣ではないが、信康事件の記載もある。
考えてみれば信康切腹が信長の命令ではないという新説が
書かれた一般向けの本ってこれまで余りなかったんだな。
これで多くの人に知られるといいが。
0631人間七七四年
2007/07/31(火) 10:52:05ID:a3yATGC80632人間七七四年
2007/07/31(火) 22:52:04ID:8z+yWRo9例えば伯父である水野信元の死。
真相ははっきりせず、ある徳川氏創業記には佐久間信盛
の讒言を信じた信長に死を命じられたとしている。
ただ家康に岡崎城に呼び出され、そこで切腹したのは
正しいようだ。
かつて彼が今川から織田方へ鞍替えしたために家康は母と
生き別れに。
家康は後年これを恨んで信元を殺したのではないか。
信康事件とまさに同じ構図。もっとも信長のせいにした
のは家康自身ではなく御用学者かも知れないが。
0633人間七七四年
2007/08/01(水) 00:41:03ID:wBhDDzWk0635人間七七四年
2007/08/01(水) 21:38:49ID:0GPIXbIl水野信元の最期
>真相ははっきりせず、ある徳川氏創業記には佐久間信盛
>の讒言を信じた信長に死を命じられたとしている。
>ただ家康に岡崎城に呼び出され、そこで切腹したのは
>正しいようだ。
自害したとする資料もあるようですが、水野勝成について書かれた
本では、「信元は、信盛の讒言により失脚し、家康に助けを求めようと
したが、石川数正・平岩親吉によって(だまし討ちにあい)殺害された」
というように書かれています。
家康により切腹に追い込まれたのが正しい…と思われるのは何ゆえ
ですか?
とはいえ、信元が死んだ結果、自身の配下であった忠重が水野家を
継いだ(そして、その子・勝成は四天王亡き後の徳川最強の将)わけ
ですから…
単なる恩讐以上のものがあったのでは、というのは面白い見方ですね。
0636人間七七四年
2007/08/01(水) 21:59:42ID:pnN7NbqY0638人間七七四年
2007/08/01(水) 23:26:07ID:MqGPBfupわし等は武士じゃからしかたあるまい。
0639人間七七四年
2007/08/02(木) 00:03:50ID:++F73Jzn635でござる。ご教示いただき、かたじけのうござる。
>636 殿
違和感を抱かれましたかな?某とて、どこででもかような口調な
わけではございませぬぞ。この板には、ネタ系のスレも多々ある
ゆえ、時々かような具合になる次第で。
0640人間七七四年
2007/08/02(木) 04:24:16ID:xduqzZad0641人間七七四年
2007/08/02(木) 04:44:28ID:xduqzZadピカソとかダヴィンチに被るな
0642人間七七四年
2007/08/02(木) 21:49:41ID:jtBcE38g寝返らずに地下牢でひたすら勝利を信じていた武将居たよね?
誰だったっけ? 駿河か遠江だったと。
0643人間七七四年
2007/08/02(木) 22:16:02ID:MtKeexRz0644人間七七四年
2007/08/03(金) 12:05:43ID:m+Brriq30645人間七七四年
2007/08/03(金) 15:02:47ID:hKTUfZ8y0646人間七七四年
2007/08/05(日) 23:13:34ID:bBNQnIOz0647人間七七四年
2007/08/06(月) 00:16:38ID:nNeilctl松永久秀みたいならまだしも、実際は律義の皮を被った狸だったわけだから。
0648人間七七四年
2007/08/06(月) 01:58:12ID:qs6+TKcL坂崎出羽以外は。
敵対した場合はどういう対応なのか言い表しづらいけど。
0649人間七七四年
2007/08/06(月) 11:04:55ID:MFz113sr軍事同盟者に一言の断りもなしに共通の敵と勝手に和睦したり(謙信)、
父の代からの同盟者を謀略でヌッ殺したり(信玄)、譜代の家臣を一方
的に追放したり(信長)してる人たちでいっぱいだったのが戦国時代。
第一お前の理屈では「私は人殺しです」と看板ぶら下げて人を殺せば
無表示で人を殺すよりマシ、となる。阿呆か?
ま、たいした知識もないのに「史上最大」とか使うなや。
0650人間七七四年
2007/08/06(月) 11:10:33ID:GWfZFgE8>父の代からの同盟者を謀略でヌッ殺したり
諏訪?
0651人間七七四年
2007/08/06(月) 11:31:00ID:JiVU/XB9大丈夫か?
0652人間七七四年
2007/08/06(月) 20:58:14ID:mHxkNmkk0653人間七七四年
2007/08/07(火) 01:00:18ID:nLunYWuN豊臣政権というのは唐はもちろん天竺まで征服すると息巻いて
6年間も朝鮮出兵をやり続けた武断独裁政権であり秀吉は死ぬまでそれを捨てていない
ところが失敗した途端に自分は話し合いを重んじる文治政権だなどと図々しい嘘をつく
当然酷使された武断派は怒りを抑えられないし
戦国の苦労を誰よりも経験している家康からすれば
豊臣の戦争や政治をなめきった態度を許すことはできない
家康が本当の意味で律儀だからこそ豊臣に戦争の代償を払わせたうえで
戦争が起きることによる痛みを分からせようと使命に燃えたわけだ
だから関ヶ原も大坂の陣も家康が真の律儀者であるから発生したのであり
律儀の意味を取り違えている君みたいな人間はそういう頓珍漢な発言をしてしまうわけだ
0654人間七七四年
2007/08/07(火) 01:22:48ID:xGJjt/Qn家康が私利私欲で天下を簒奪したのも、原因は秀吉に家康を今一歩見ぬく力が
足りなかったからだろう。すくなくとも河尻の件で家康の真の人間性がどうい
うものかわかったチャンスはあったのだから。
天下統一後、朝鮮など相手にせず、家康に難癖をつけてでも潰すべきなのをし
なかった自己責任だろう。
結果、羽柴の血筋は(公式には)秀保と秀次のものしか残っていない。
それは仕方がない。
だが、家康がまるで神の如く語るのは片腹おかしいからやめれw
0655人間七七四年
2007/08/07(火) 01:49:17ID:4ezsqnpkお前いつもの基地外だろ
相変わらず意味不明な理屈だなw
「自分は話し合いを重んじる文治政権だなどと図々しい嘘をつく」
誰のこと逝ってるの?
0656人間七七四年
2007/08/07(火) 02:08:31ID:g5i5TCmi家康の私利私欲が天下万民のそれと合致したんだから別に問題はない
それまで野心を露わにしないで大人しくしているのはそう誰にでもできることではない
0657人間七七四年
2007/08/07(火) 08:32:17ID:517vlP0V最低限来年までの食い物と、米作るための資源以外は全部年貢取り立て
農民はお茶を飲むことすら禁じられた
秀吉も重税路線だったし、天下三傑のうちで一番過激な印象がある信長が実は唯一軽税路線だったという不思議
0658人間七七四年
2007/08/07(火) 09:14:44ID:0OsSx7gaそう書くと酷いようにも見えるが、
飛鳥時代あたりからずっと農民がたらふく米に飯を食えてた時代なんて無い。
逆に言えば江戸時代というのは最低限農民を食わせていくことができてた時代。
支配階級の武士層も贅沢なんてできてない。
「食わねど高楊枝」な連中が大半。
世界レベルで見ても江戸期の農民が過酷な扱いをされてたわけじゃない。
むしろ兵役という負担が皆無だった分マシとも言えるだろ。
0659人間七七四年
2007/08/07(火) 09:49:38ID:517vlP0V太閤検地でさえ除外対象になった山林や原野・家屋寺社すら課税対象となったからだ
このため、家を焼いたり身投げしたりする農民僧侶が続出した
幕府政権の安定は、名も無い民の血と涙により支えられていたのだ
もっとも時代が進むにつれて農民の副生産物生産がさかんになり、実質的な年貢は(当然地方差は顕著だが)一割か二割程度にまで軽くなったところもある
0661人間七七四年
2007/08/07(火) 10:52:03ID:JH/N11RZ違うっていうのなら「慶長の苛法は捏造」とか「本当は軽かったんだ」とかの証拠を提示すべきだろう
0662人間七七四年
2007/08/07(火) 11:11:48ID:lzqdXvHbこれまでの税率は下がっていないのかとか?
夫役控除はなされているのかとか?
後、屋敷への課税は前々から行われているよ。
0663人間七七四年
2007/08/07(火) 11:36:35ID:xjfUG/4f自分で確信すらできてないもので、それでも家康を弁護したい?
史観とかなんとか以前に態度がおかしいべさ。
0664人間七七四年
2007/08/07(火) 11:54:01ID:lzqdXvHb現在、学会では年貢割符帳を基にした租税の体系的な研究が行われ、これまでの貧農史観
が覆される事態が頻発しています。
ただ、あまりにも資料が膨大な為、現時点においては断言するのは危険とみなされ、教科書
でもぼかした表現が多用されています。
このような現状で慶長検地は苛烈だったと断言するのは危険ではないかと思いますが、如何に
いや、本当に租税に関しては生半可な知識で語っちゃいかんよ
0665人間七七四年
2007/08/07(火) 11:57:39ID:4xa0KAgLだったら逆に苛烈じゃないとかいってもいけないことになるじゃないかw
手持ちの材料がないからって議論があるとか誤魔化すぐらいなら、最初から言わなきゃいいのに
0666人間七七四年
2007/08/07(火) 12:03:16ID:lzqdXvHbだって、「苛烈だ」と断言するんだもの
そういう決め付けは危険だと言うことを知っといたほうが良いという事
裸の王様が好きならそれでもいいけど
0668人間七七四年
2007/08/07(火) 13:09:44ID:rKb4mBT3農民は自分の奉仕する道具でしかなかった、と思っていても当時の価値観としては別に奇異に当たらない
信長は、乞食を助けた逸話があるがこれはそれこそ特異例
0670人間七七四年
2007/08/07(火) 13:34:18ID:rKb4mBT3普請で大名の懐を苦しくして、僧侶の位も幕府が統制し、という具合に
こういう強権的な力ではじめて戦国は終焉を終えた
力だけが全ての時代を終わらせたのは力
0671人間七七四年
2007/08/07(火) 13:40:21ID:X1m8bGTZそして天領の農民は諸藩に比べて恵まれていたわけだが。
妄想君、気持ち悪い。
0672人間七七四年
2007/08/07(火) 13:50:45ID:/ptd1QOE>すくなくとも河尻の件で家康の真の人間性がどうい
>うものかわかったチャンスはあったのだから
「信長死んで、おまえ危ないぞ」って忠告を使者斬って無視されたら
誰かて打ち殺しに行くと思う。
>>661 当時は年金も相続税も無いし、税率は高いけど
減税時みたいに課税対象が少なかったから、
「消費税30% 但し一般衣食住費は除く」みたいで
実質的にはしんどくなかったらしいぞ。
0673人間七七四年
2007/08/07(火) 13:52:59ID:Zk4VPPXq側近の本多正信も「農民を治めるには法がある。一年分の食糧と種籾以外は全部年貢で取ってしまうのが良い」と書き残している
「百姓は菜種油と同じ。絞れば絞るほどでてくるよ」と勘定奉行も発言
これが為政者達の本音だろう
当時は今と違って政治家は底意を隠す必要もなかったし
0674人間七七四年
2007/08/07(火) 13:57:37ID:Zk4VPPXq派遣とか待遇悪い底辺正社員とかを酷使している層が自分たちと重ね合わせてマンセーしてるってことかw
今は本音をいったら株価直撃な時代だしね
0675人間七七四年
2007/08/07(火) 14:19:42ID:NsHKvGRzあれが幕府の公式見解ってわけでもあるまいて
まあ当たらずとも遠からずだと思うけど
0676人間七七四年
2007/08/07(火) 15:15:54ID:/ptd1QOE0677人間七七四年
2007/08/07(火) 15:57:34ID:gT4BKrP8今だって官僚は搾り取れるだけ取ろうと考えてるだろうし、
農民だって大規模でやってるところ以外は補助金貰ってやっとだろ。
しかも当時と違って機械化作業になってるのにこれだからな。
0679人間七七四年
2007/08/07(火) 18:22:05ID:JT7uz/Aa「ひどい!」「重税!」「庶民のことなんて考えてないんだ!!」とかねえ。
基地外日教組のやりくちとかわらん。
0680人間七七四年
2007/08/07(火) 19:51:21ID:QhNCGo8l現代と変わりないって最大級の侮辱だと思う
>>679
俺も全く同意
以前、別スレで現代の倫理観持ちだして信長や秀吉ケチョンケチョンにしてた人間がいたが、
正直ここで家康叩いてる人間も同程度だと思うよ
0681人間七七四年
2007/08/07(火) 21:18:34ID:zMYZAOUO農民が虐げられたから江戸時代を酷いとか
そういうレベルの低いこと逝ってる江戸時代苛政派居なくね?
むしろ現在と無理やり比較して意味不明なこと逝ってるのは擁護派のように見えるが
0682人間七七四年
2007/08/07(火) 21:25:44ID:crLylWTaでも世界史持ち出すのだけは止めて欲しい。 中学生並だから。
0683人間七七四年
2007/08/07(火) 22:40:45ID:vwzSYwr90684人間七七四年
2007/08/08(水) 00:59:12ID:mSbzfo+dそれも家康公の深慮遠謀
新時代への種を残しておいたんだよ
0685人間七七四年
2007/08/08(水) 01:18:05ID:H7OZa+tF家康ってそこまで頭が働く人かな
本多大久保等の優秀なブレーンに恵まれたのが大きいと思う
0686人間七七四年
2007/08/08(水) 01:59:53ID:mj6JVS20織田信長と柴田勝家の関係みてもわかるじゃん
カリスマと優秀なブレーンが揃ったからこそ幕府が開けるわけだし。
運だけで天下取ったとかいうけど、そんな甘い社会はないのは考えればわかるのにね。
自分らの回りに運だけで出世した人間いないだろ?と思う。
0687人間七七四年
2007/08/08(水) 06:36:36ID:UgtpijHR関ヶ原の時の多数派工作や初期江戸幕府の運営など
従来は家康の優れた謀略・政治能力の表れだとされてた事績もブレーンの発案によるもので、
家康個人の頭から出たものじゃない、つう指摘なのかもしれないが、
そういうことはどの大名にも言えるしな
0688人間七七四年
2007/08/08(水) 08:05:23ID:IORuD652幕府が差別し続けてきた連中ってキリシタン大名の多い九州四国中国地方
の連中なわけで連中から見たら江戸幕府=北朝鮮にしか見えないんだろうな
鎖国も参勤交代も全て連中から見たら迷惑でしかないだろ
逆に東日本では家康評判良いですよ
西日本では悪いと思うけど
0689人間七七四年
2007/08/08(水) 09:53:22ID:WlZRnxp0それでも毛利はお家が存続できて感謝感激だろう。
代わりに吉川広家をそれなりの処遇で。
0690人間七七四年
2007/08/08(水) 10:27:54ID:o5xCiOxa相対的に見れば事実でしょ
アンチも擁護も変なのが居すぎる
0691人間七七四年
2007/08/08(水) 10:49:26ID:65nEZy5oおまいらは一部の一発屋だけが優遇される世の中がいいんか?
私は正直者がバカを見ない世の中が理想。
>自分らの回りに運だけで出世した人間いないだろ?
大成功ベンチャーって、時流に乗ってる事業をイケイケ経営
してる会社がやたら多いけどな。
0692人間七七四年
2007/08/08(水) 10:58:08ID:o5xCiOxaいやだから減税という事実にはかわりないだろw
その態度自体がおかしいってばさ
だいたい信長の減税は、関所廃止とか既得権益者に厳しいものだぜ
0693人間七七四年
2007/08/08(水) 11:11:25ID:YYhWMBy3だいたい会社経営ってそれ自体がリスクを負うし大変なことだろうに
なんでこう他人を嫉妬ミエミエで貶めようとする奴が沸くんだ?
しかも戦国板で家康や信長に仮託してってなんだw
0694人間七七四年
2007/08/08(水) 11:27:52ID:65nEZy5o基盤のない保険・証券が、激安にしてのし上がるのと同じ。
>時流を見るのも才能
リストラ・高齢化という誰でも分かるキーワードで
イケイケやってたまたまうまく行った経営者が評価され過ぎ。
0695人間七七四年
2007/08/08(水) 11:44:04ID:HAWShxLx城下町優遇政策を採ったのは事実だがその反面村落はアップアップだったようだぞ
0696人間七七四年
2007/08/08(水) 12:34:21ID:mj6JVS20他人の批判だけはイケイケの勢いでするんだよな〜
オマエはどんだけのもんなの?って思う。
0697人間七七四年
2007/08/08(水) 12:42:33ID:fAGvomDt同意。
信長の場合、清洲、岐阜、安土と本拠地を度々変え、そのたびに商人や
大工などの町人を大量に召募する必要があった。よって、比較的税率を
軽くし、関所の撤廃などで物流を激しくすることで、新城下町の成長に
拍車をかけたかった、ってとこ。
そういう対象外だと別に秀吉家康に比べて税が軽いというわけでもない。
太閤検地前だから隠し田などで結果的に税が軽かった可能性はあるけれど。
0698人間七七四年
2007/08/08(水) 13:37:13ID:bTuuSMX5「天領は他の大名の領地より税率が安い、だから徳川の政治は農民に優しい」
みたいな論調を良く聞くけどさ
幕府は幕府で各大名に参勤交代みたいな負担を課す政治を行ってんだから
各大名の税率が天領より高くなる(実際は場所それぞれだが)
ってのは理屈としては当たり前な訳で
それを「徳川は他の大名より農民に優しいです」みたいな論調で言うのはどうかと思うけど
0699人間七七四年
2007/08/08(水) 14:13:23ID:65nEZy5o商業と街道の発展と財力消耗を促したんだ。
>時流見てイケイケでやる度胸もなさそうなヲタクが
イケイケ自体間違っているんだから、当たり前。
0700人間七七四年
2007/08/08(水) 15:06:19ID:mj6JVS20いや、イケイケとか慎重とか行動パターンに善悪つけてもw
時流を読んで、イケイケで行くか慎重に行くかって事を判断するのが上に立つ人間だと思うけど。
なにか一つのパターンを正しいことや悪いこととして固執してたら駄目なんじゃないか?
イケイケのイメージの信長も慎重な時には慎重だったし、
慎重で自ら行動しないイメージの家康も、三方が原、関ヶ原ではギャンブルしてるし。
そこまで言うならなにが正しいの?教えてくれよ
0701人間七七四年
2007/08/08(水) 22:02:30ID:U7AGEwOu例え一時的にマイナス成長に成るのを覚悟して体制を整えるけど、
ほとんどの急成長組織は、それがもったいなくてやらない。
みんなの周りにも居なかったか?
たま〜に遊びほうけてた受験生が志望校受かって
「そんな暇無い」って全く遊ばなかった受験生が滑り止め校にだけ合格とか。
ビジネスは8割の精度で進めて行くのが高バランスだと思うけど
ベンチャーは6割以下の精度でイケイケする。
そういう組織疲労(制度疲労か)を時々修繕して
8割精度に近付けながら経営していく組織は長期高成長できるけど
6割のままで突き進んでいく会社は、ほころびからマイナス成長から
抜け出せなくなるっぽい。
0702人間七七四年
2007/08/09(木) 07:30:55ID:t2arCh4j0703人間七七四年
2007/08/09(木) 08:31:35ID:RWyrfTJJ0704人間七七四年
2007/08/09(木) 09:29:56ID:Cq4ochNK0705人間七七四年
2007/08/09(木) 10:56:10ID:/Kfp3hmhこれのソースは?
信長の政策については例えば国単位で出した国掟が残っているが
これだって本年貢以外取るな、どうしても必要なら相談しろ程度だぞ
聞いたことない
0706人間七七四年
2007/08/09(木) 14:12:03ID:ZNVgOM/h太閤検地では見逃されていた一歩程度の空き地にも石盛がつけられ
もう使われていない寺社跡すら対象になった
土地あたりの石盛も太閤検地より高めなところが多い
常陸国・多賀郡の記録だと、太閤検地で700石弱だった村の石高が1000以上にまで跳ね上がっている
0707人間七七四年
2007/08/09(木) 21:50:47ID:yiAMehYI脇田修の「織田信長」という新書で信長の農村政策を取り上げた章が有ってそこからかな>ソース
その章では信長直轄領の近江安治村という小規模な村落の年貢や夫役をいちいち細かく書いてるが
(縄・藁などの資材供給、安土城普請への夫役、合戦の陣夫役など)、
正直自分は専門家じゃないので、他国や前後の支配者と比べて
信長の農村支配が相対的に厳しかったかどうかは判断がつきかねる
ただ1582年には年貢が払えず領主や隣村から年利四割の高率で借米・借銭をしていることから、
織田政権最晩年には安治村の惣の財政が崩壊寸前だったつうことは間違いない
この頃から百姓の農村からの逃散、そして優遇政策を採られていた城下町への流入の傾向がはっきりしてきており、
次代の秀吉はその対策に追われることになったとも脇田は指摘してる
0708人間七七四年
2007/08/09(木) 23:22:02ID:jSfT1qgI明治大正はもっと暗黒時代
0709人間七七四年
2007/08/09(木) 23:26:25ID:IONLLZRU対処できなかったのかが気に成る。
0710人間七七四年
2007/08/10(金) 08:28:48ID:qmUZq6nE幕臣出の勝海舟が氷川清話で戦国大名を論じている箇所があるが
信長については「民政に意を用い、賦税を軽くし」とまず民政を挙げている
フロイスもこの点はベタ誉めだしな
0711人間七七四年
2007/08/10(金) 16:21:05ID:TrhqitNq織田政権下において城下町優遇政策が採られていたというのは周知の事実
城下町を一歩離れた郊外の農村の実態に関しては連中は何も知らない
0712人間七七四年
2007/08/11(土) 04:35:50ID:peZldHKVそのおかげで、年中戦いつづける戦闘集団を維持出来たのは確かだが。
0713人間七七四年
2007/08/11(土) 11:39:58ID:7h1OQ/WM都市への人口流入が起こって農村の労働力が減ってしまう傾向が発生する
これは「蛇が自分の尾を飲み込むようなもの」と表現されるジレンマ
信長も人返し令をしばしば出しているように、頭の痛い問題
秀吉、家康やその後の幕府が農民を徹底して土地に縛りつけようとしたのも、止むを得ない面がある
常態化していた借財による納税禁止なんかもね
本多正信発言と伝わる「農民に余計な財を持たせるな」とかもそういう観点からなら到って正論
0714人間七七四年
2007/08/11(土) 11:50:46ID:Bxgbao1l0715人間七七四年
2007/08/11(土) 11:58:50ID:7h1OQ/WMそれは間違い
フロイスは日本史において、当時の日本の農村の様子も記録しているから城下町しか知らなかったとはありえない
そもそも、フロイスは九州と近畿を行き来していて、一所に留まっていたわけではない
予断だけで安土限定とするのは乱暴
0716人間七七四年
2007/08/11(土) 12:32:31ID:TXtg0+df本能寺の変と、その後の混乱で史料が失われたからかね?
国掟なんかは信長公記でも確認できて、これは年貢以外とるな、賦役かけるな関税廃止しろっている凄く民衆負担が軽くなる指令だけども
戦乱で荒れた新領地を復興させるための特別措置という可能性もある
秀吉や家康の時代だと、浮動人口の整理という難題が浮上した
戦国期だと、こういう連中を戦力として活用する道もあったわけだが、それが終わると治安を乱す非生産人口は厄介モノでしかない
(朝鮮出兵はこの手の人口の口減らし説、というのもあるぐらい)
農民が財力をつける→それを背景に領主、はては幕府に反抗するという芽を摘むための重税政策だったんじゃなかろうか
一方で幕府は代官の不法には直訴を認めているし
0717人間七七四年
2007/08/11(土) 20:56:33ID:k6ykouA3人力だからそうなるだろうね。 同意!
>それを背景に領主、はては幕府に反抗するという芽を摘むための重税政策
最近の日本人はどうして反抗しなくなったのか分からないよね。 > 年金とか。
>一方で幕府は代官の不法には直訴を認めているし
それはしらなんだ。
0719人間七七四年
2007/08/12(日) 19:31:38ID:HsrIlVjB教科書かなんかでみたのでは秀吉時代は二公一民が普通だった気がするんだが。
なんとなくネタを投下してみる
>「水戸宰相頼房を副将軍と免許賜うべく候そのいわれは、将軍国政上よこしまなるときは、将軍老中諸役人評定せられ、水戸より指図を以って、尾州,紀州両家を見立て、相続を奉文すべく、万一両家にその任に応ぜざるときは、
なんれの諸侯の内、天下を治鎮いたすべき品量を奉聞候は、水戸家に限るべし」(公家法度第十四目)
「淳和奨学院別当職、関東将軍へ任ぜられし上は、上は三親王揺家をはじめ、公家並びに諸侯と雖も、
悉く支配致し候。国益一切知らせべく、政道奏聞に及ぼす候。四海の鎮め致し難きときはその罪将軍にあるべし」(公家諸法度一条)
0720人間七七四年
2007/08/12(日) 20:16:45ID:4rcpu5BZ徳川幕府もこの路線を継続していて、かなり厳しい作物の制限を課している
民が家を焼き、身を投げて離散するような政治を敷いたのは十分酷いと思うが
まぁ一番被害を受けたのは昔の寺社跡すら課税対象にされた坊さん達かもしれんが
0722人間七七四年
2007/08/12(日) 20:47:54ID:4rcpu5BZ幕府によって酒・豆腐・木綿・菜種等の製造や作付けが禁じられているよ
奨励されたのは年貢に取り立てる米を食いつぶさないための雑穀作りぐらい
0723人間七七四年
2007/08/12(日) 20:53:36ID:Usr4q7wF0725人間七七四年
2007/08/12(日) 22:28:21ID:5IZVKy0n本業でのノウハウがコアになる多角化なら効率良いけど。
>>最近の日本人はどうして反抗しなくなったのか分からないよね
>GHQの占領政策
教育?
0726人間七七四年
2007/08/13(月) 00:39:52ID:WIgrqzB/山岡荘八著「史談家康の周囲」
家康信者の代名詞の様な人だが、それまでの家康観を知らないわけじゃないだろうし、北島正元著の「徳川家康」なども読んでる上でだから、そこまで適当ではないと思う。
0727人間七七四年
2007/08/13(月) 11:54:51ID:C6ECyNCn家康期の農民にはなりたくないな
太閤検地ですらスルーされた一歩一尺の空き地すら課税対象にされたんだぜ>慶長検地
0728人間七七四年
2007/08/13(月) 13:06:26ID:rbq18KKA阿呆か
0729人間七七四年
2007/08/13(月) 15:34:50ID:gQP3WrR1脱税を厳格にされて文句言うなとは思うけど。
0730人間七七四年
2007/08/13(月) 15:50:17ID:CtNEmukOその課税自体適切かどうか考えないとな
0731人間七七四年
2007/08/13(月) 16:05:40ID:alZ/du9z今度はそのエネルギーを対外侵略に向けるケースが多いんだけどね。
家康はその辺上手くやったんじゃないの。
国内生産だけで全人口を食わせていくことに成功してるんだから。
歴代将軍の暮らしなんて、西洋の王侯貴族にくらべりゃ質素なもんだ。
0732人間七七四年
2007/08/13(月) 16:13:47ID:alZ/du9z農民の暮らしが江戸期よりよくなってたとはとても思えないがね。
0733人間七七四年
2007/08/13(月) 16:56:19ID:1DjrtnXQ0734人間七七四年
2007/08/13(月) 17:30:33ID:MIwCFlx6贅沢と言っても砂糖とかいうレベル。
もちろん庶民には手が出ない物だがね。
タージマハルみたいな宮殿を建ててやったとかなら大変だが。
0735人間七七四年
2007/08/13(月) 19:16:36ID:ew8AdnHdだから、租税ネタは危険だから止めときなさいと言うとるのに
最近じゃ資料に書かれている石高は取れ高でなくて、年貢高と言われているんだし
これ一点で従来の認識がひっくり返るんだぞ
0736人間七七四年
2007/08/13(月) 20:20:43ID:j7qPEvjW使ってない空き地とかにどうして石盛(生産高)がつけられて課税対象になるのが脱税対策なのかと
0737人間七七四年
2007/08/13(月) 20:26:54ID:oup5BzImゴキブリと言えば、アース製薬の「ゴキジェット」ってのが世間で幅を利かせてるが
俺は他人になんと言われようと昔から金鳥派、正しくは大日本除虫菊株式会社って言うんだがな
ここの会社の「水性コックローチ」ってやつが良いんだよ、ジェット噴射量がゴキジェットの比じゃねぇし
直撃噴霧や狭いスキ間への噴射に便利なロングノズルと広角噴射の通常ノズルの2ウェイ噴射を採用
すばやいゴキブリを逃がしません。しかしこれを使うのは真の金鳥派じゃねーんだな実は
真の金鳥派は「キンチョール」これマジ最強、どの辺がすごいのか?それはな、歴史の重みだよ
「キンチョール」が誕生したのは1934年、キンチョウの夏、日本の夏というキャッチフレーズと共に
日本の害虫を100年近く格闘してきた、このプライドと歴史の重さをスプレーする度に感じるんだよ
しかし最近アース製薬がまじうざい、最近出した電池式蚊取り器の「カトリス」を
「電池でノーマット」のアース製薬の特許権を侵害しているとかで訴えやがった!
当然こっちが勝ったがね、あたりまえだよ、金鳥と戦うなんざ100年はえーんだよ!
そんな金鳥派の俺だから、もちろん家の掃除するときはもちろん「サッサ」、使い捨てカイロは「どんと」
タンスには「ゴン」、トイレは「サンポール」ってな具合だ、最高にゴキゲンだろ?
おっと忘れてたんだが金鳥とは、蚊取り線香の銘柄に因んでおり
シンボルマークに描かれている鶏の事なんだよ
この鶏は故事成語である「鶏口となるも牛後となるなかれ」という有名な諺から採られたものであり
業界の先駆者として品質などあらゆる面でトップに立て、という創業者の願いが込められているんだ
又、鶏の胸の辺りには創業者の「上山」の判子を模したロゴが入っているのも特徴だ
金鳥蚊取線香は東南アジア地域などでもシェアは高く、日本と変わらぬパッケージで市販されている
まさに殺虫界のアジアンキング、キングオブキングの殺虫剤メーカーなんだよ
http://upload.wikimedia.org/wikipedia/ja/c/c4/%E3%82%AD%E3%83%B3%E3%83%81%E3%83%A7%E3%83%BC%E3%83%AB%E3%83%BB%E9%87%91%E9%B3%A5.jpg
俺は最近の ↑ 金鳥の看板をヤフオクで手に入れた、朝昼晩の3回この看板に向かって礼拝をする
「大日本除虫菊株式会社万歳!」「大日本除虫菊株式会社万歳!」とね
0738人間七七四年
2007/08/13(月) 21:13:11ID:Mkgk8/gT贅沢も精々砂糖レベルっていうけど当時の砂糖がどれだけ貴重品だったことか
まあ大奥の奢侈は砂糖だけじゃないけどね
0739人間七七四年
2007/08/13(月) 21:22:08ID:ig80eBf50740人間七七四年
2007/08/13(月) 21:43:53ID:qe5wD12Hそれは、先に統一した前政権が対外侵略に失敗していたため。
「分裂期の過剰な軍事力を国外に振り向ける政策はやばい」というコンセンサスが
取れていたから。
(松浦氏だったかのルソン遠征計画なんてのもあったがね。家康も認めていたが。
島津の琉球遠征もその一環とみなせるか?)
その代わり、軍縮政策によって国内に大量にあふれ出した軍事力=浪人の処分が
江戸時代初期の最重要政治課題となった。
0741人間七七四年
2007/08/13(月) 21:44:07ID:Y9ElW7R0>年貢高と言われているんだし
それ大学で習ったけど、その学説の出元ってどこの大学? うちかな?
0742人間七七四年
2007/08/14(火) 00:47:53ID:e9xzzT+b0743人間七七四年
2007/08/14(火) 01:38:00ID:lBU3dI23世の中にはどんな伏兵があるかわからんもんだ。
0744人間七七四年
2007/08/14(火) 22:43:15ID:ayh8Hq960745仙台藩百姓
2007/08/15(水) 00:15:42ID:42CD3PDT別に吉宗の責任ではないけど
0746人間七七四年
2007/08/15(水) 01:42:57ID:xlWZIxYqとはいえ最終的には家康も二公一民くらいの税率に設定してる訳だから
実際には豊臣時代と税率自体に差異は無いよ
0747人間七七四年
2007/08/15(水) 11:15:04ID:dgkjzdiE逆にいえばそこまでやらないと権力と武力が乱立していた戦国は終焉しなかった
家臣に権限を与えすぎたせいで謀反され、家も小大名に落ちぶれた信長
外様の勢力を温存したまま政権に参画させたために家の完全消滅を招いた秀吉
これらを直接体験し、利用すらしてきたわけだからな
家康の苛烈な政策も理由のないことではない
0748人間七七四年
2007/08/15(水) 15:58:49ID:XPwyH6Imそれが謀反の理由ではないと思う。
ってか重臣は一門になってるし。
>外様の勢力を温存したまま政権に参画させたために
基本は自らの晩政が破滅を招いただけで
外様の勢力を小さくしてしようとした途端に
猿なんぞにしたがう大大名は皆無に成る気が、、、
0749人間七七四年
2007/08/15(水) 18:30:42ID:5CXM/SL4政権運営は不可能だろう。
0750人間七七四年
2007/08/15(水) 21:49:52ID:itrZg0Zk命がけでははい上下関係 VS 命がけの上下関係
こう対比して考えたら、自分自身からの新参でも
充分信頼にたるとは思うんだけどな、、、
ビジネス界でも裏切りとか少ないよね?
0751人間七七四年
2007/08/15(水) 23:27:07ID:mxD/erjd0752仙台藩百姓
2007/08/15(水) 23:47:22ID:42CD3PDT切り離して考える事はできないお
0753人間七七四年
2007/08/16(木) 10:56:32ID:TVx1evxY井伊直政 植村家政 大久保忠佐 大久保忠世 酒井忠次 榊原康政
高木清秀 鳥居元信 鳥居元忠 内藤正成 服部半蔵 平岩親吉
本多忠勝 松平康忠 米津藤蔵 渡辺守綱
しかし、知名度を見ると徳川四天王以外ってショボいんだよね
鳥居元忠が伏見篭城戦で有名なぐらいで
0754仙台藩百姓
2007/08/16(木) 11:11:45ID:R8mT96dQ半生を他国の下で細々生きながらえていただけだから
当然と言えば当然だお( ^ω^)
0755人間七七四年
2007/08/16(木) 15:28:14ID:NOAP6ChN半生って37年もか?
0756人間七七四年
2007/08/16(木) 17:56:26ID:fjNKvuEe0757人間七七四年
2007/08/16(木) 21:47:29ID:TshRBH9Y服部半蔵と平岩親吉と大久保忠世と大久保忠佐と渡辺守綱は四天王並に有名だろ。
どの武将も他の武将からの評価が高かったし。他の奴は、無理矢理っぽいのがいるがな。
0758奇矯屋onぷらっと ◆O.K.H.I.T.
2007/08/16(木) 22:35:53ID:LvdqGYy+0759人間七七四年
2007/08/16(木) 22:39:59ID:qqjpTq+6一般なら半蔵門以外は無理だろ。
0760仙台藩百姓
2007/08/17(金) 03:32:03ID:aP8JKNTBよく考えたら半生どころじゃないおね( ^ω^)
今川、織田、豊臣時代なら50年近いお
それにしても清洲同盟成立以来20年近く続いたけど
織田の支配領域は20ヶ国以上に及び
一方徳川はせいぜい2ヶ国
笑えないぐらいの格差だお
徳川の凡庸さがよく分かるおね( ^ω^)
0762人間七七四年
2007/08/17(金) 12:13:24ID:fuHNljyM勿論、後世の陰謀論レベルの話だけどな
0763人間七七四年
2007/08/17(金) 16:27:48ID:Yatvkr8n>笑えないぐらいの格差だお
無茶苦茶やって急成長して潰れるより
着実にやって安定成長するほうが有能。
0764人間七七四年
2007/08/17(金) 18:41:25ID:janh40of半蔵と残り4人との落差は大きいぞ。
0765人間七七四年
2007/08/17(金) 19:17:47ID:ehPgYM7x0766人間七七四年
2007/08/17(金) 20:42:28ID:RaXFtewU0767奇矯屋onぷらっと ◆O.K.H.I.T.
2007/08/17(金) 20:47:55ID:7hDrhMHq0768人間七七四年
2007/08/17(金) 21:26:19ID:gd6WaLMI少し冷たいよね 豊臣家に対して
0769奇矯屋onぷらっと ◆O.K.H.I.T.
2007/08/17(金) 21:32:09ID:7hDrhMHq0770人間七七四年
2007/08/17(金) 21:39:50ID:0oAcN4Uw0771人間七七四年
2007/08/17(金) 21:41:06ID:ehPgYM7xけど秀吉の墓暴きまでしたのにはドン引き
0772人間七七四年
2007/08/17(金) 21:58:27ID:0oAcN4Uw実際問題として、豊臣が牢人の旗印として担ぎ上げられたから、後の治世の為にその象徴を縮小させたと
ちゃんと秀頼が恭順の姿勢を示せば手を加えなかっただろ
それにやるなら関が原後ならいつでも出来るのに、豊臣が滅ぶまでそれをしなかったあたり、浪人対策だろ
0773人間七七四年
2007/08/17(金) 22:00:33ID:ehPgYM7x自分が何逝ってるのかわかってんのかね
0774人間七七四年
2007/08/17(金) 22:02:18ID:0oAcN4Uw政治的問題か?道義的問題か?儀礼的問題か?
0775人間七七四年
2007/08/17(金) 22:12:01ID:ehPgYM7x例えば関ヶ原で西軍の主力を破って入京し、大坂城開城の手続き踏んでる最中に
家康が豊国神社打ち壊してたら家康に付いた豊臣恩顧の大名たちや
大坂城の淀殿、隠居した高台院が一体どういう反応するか考えてみればいいじゃん
0776人間七七四年
2007/08/17(金) 22:33:10ID:9kp7xUlU家康の実子を養子に貰ったというのもすごい。
0777人間七七四年
2007/08/17(金) 22:39:43ID:0oAcN4Uwつまり政治的な問題だな?
なら豊国神社の「破却」じゃなくて縮小ならできる
つかまるごと破却する意志があるならそれこそ国家アンコウみたいに適当に理由つけてできる
それに関が原直後でなく、もっと後でも時間はたっぷりとあるだろ?
将軍宣下、秀忠への将軍委譲、もうそのあたりで権力は圧倒的
その時期にも行わずに、豊臣が滅んでから行ってるわけだが?
つか豊臣家は滅ぼせて神社は滅ぼせないってどんな理屈だ
0778人間七七四年
2007/08/17(金) 22:48:28ID:ehPgYM7x豊臣家が存在してる状態で先に神社に手をつけると、
豊臣家に開戦の絶好の口実&戦争の大義名分を与えてしまうことになる
家康にとってこういう形での豊臣家討伐は望んだものじゃない
方広寺鐘銘事件のように例え論理が滅茶苦茶でも
「豊臣家が幕府に不遜な態度をとったから征伐した」つう大義名分が家康には是非必要だったわけ
幹の豊臣家さえ倒せば枝葉の神社なんて勝手に潰れる
家康にとって先に豊臣家を潰すか、豊国神社を潰すかどちらが楽か、非情に簡単な理屈だと思うがどうか
0779人間七七四年
2007/08/17(金) 23:09:31ID:3+wxiHOzを図書館で取り寄せてもらって読んだ。
信康と築山殿は家康が自分の意思で殺したというのが趣旨の本だが、
他では読めない(書いてない)家康の異常さについても色々書いてある。
神君を崇めてる人には一読をお勧めする。
0780奇矯屋onぷらっと ◆O.K.H.I.T.
2007/08/17(金) 23:12:33ID:7hDrhMHq0781人間七七四年
2007/08/17(金) 23:32:18ID:RaXFtewU0782奇矯屋onぷらっと ◆O.K.H.I.T.
2007/08/17(金) 23:37:34ID:7hDrhMHqしかし家康没後に存命していたのは5人。
0783人間七七四年
2007/08/17(金) 23:41:13ID:eC8o8IwKって秀頼って頭の出来悪かったっけ?
0784人間七七四年
2007/08/17(金) 23:51:27ID:0oAcN4Uw関が原で事実上の覇権を獲得しようと思えば出来るが、将軍を息子に継がせて確固たる支配を固めたほうがしやすいからな
つかそれ以後でも十年はあるだろ
それにその国家アンコウを豊国神社にも使えばよかっただろう?
それをなんで十年近くまってから豊家滅ぼしてから、縮小させるなんて手法とったんだ?
豊家を幹として、神社を枝葉とするなら枝葉を落とすほうが楽だろ?
幹はこじつけで滅ぼせて、枝葉にはそれができないってどう解釈したらそんなことになるんだか
幹と枝葉、どっちを落とすかの政治的影響を考えれば枝葉の方が容易だろ
まして最初に幹を落とすなんて事やってるんだから、枝葉は絶対にむりなんていえない
0785奇矯屋onぷらっと ◆O.K.H.I.T.
2007/08/17(金) 23:54:21ID:7hDrhMHq相応しいスレでとことんやってくれよ。
0786人間七七四年
2007/08/17(金) 23:55:56ID:lnZZfcdGてか、この三人、優秀だったんだよな。他の兄弟の中でこの三人が一番
全体のバランスが良いよね。義直は少し秀康、忠輝に似た気性持ちだけど。
0787人間七七四年
2007/08/18(土) 00:04:57ID:0kBe1lJoパッパラパーかと
0789仙台藩百姓
2007/08/18(土) 00:32:24ID:Ftu+g7sRだからこそ成功したのだお( ^ω^)
独裁者はこう言うタイプが適している
信長や秀吉は妙に他人に甘いところがある
それが人間的な魅力にはなるのだが
逆に足元も掬われ易い
0790人間七七四年
2007/08/18(土) 00:46:35ID:rJBYcGzU0791人間七七四年
2007/08/18(土) 00:49:00ID:rJBYcGzU0792人間七七四年
2007/08/18(土) 01:03:58ID:Xb7oqISd死刑制度 意味不明、家康が生まれるよりもはるか昔から死刑制度は存在しているが?
部落 部落差別は古代の大和政権から誕生している、だから部落差別は西日本のほうが根強い
バカなのか釣りなのか知らんがもう少し勉強して書けよ
0793人間七七四年
2007/08/18(土) 01:21:11ID:+VVLQrwL実力がない者に朝廷が与える道理はないからな。
その実力の裏付は秀吉がいたからこそ。
徳川幕府も小吉秀勝の血が入っている九条家や後の浅野家の人間に羽柴家を
再興させて1〜2万石程度与えてりゃここまでいわれることはなかっただろう。
家康自身は高台院の養子の利次に羽柴家の存続認めていたけど、死後、秀忠が
木下に変える様に命令したためボツに。豊臣氏そのものは残れど、羽柴をつぶ
してしまったのがアレなわけだ。
0794奇矯屋onぷらっと ◆O.K.H.I.T.
2007/08/18(土) 01:22:52ID:FjoJ1XW+0795人間七七四年
2007/08/18(土) 01:28:31ID:PXzIcsPn0796人間七七四年
2007/08/18(土) 01:29:57ID:rJBYcGzU息子がおこなった悪事は親にも責任あるだろwwww
幕府なんて罪人平気で獄門やら鋸引きで殺してるし
(残酷すぎる 江戸時代は最も刑罰が厳しかったと聞いた)
差別をを固定 惨めな家柄を世襲させる
今の自民党だっていくらオウムが悪でも根斬りまでしてないぞ
0797人間七七四年
2007/08/18(土) 02:18:32ID:hjGHrGAM0798人間七七四年
2007/08/18(土) 02:36:31ID:mzkpld/q家康が実力者だったからこそ関八州をいただき維持できたわけだ。
実力のないものに占領地政策と秩序維持、都市建設なんてできない
からな。その実力の裏づけは本人の資質。
>>795
どこが? 殺されないだけマシでしょ、松平信康や羽柴秀次のこと
考えれば十分温情的な措置。
>>796
・武断でない武家政権があれば教えてくれ
・「息子の悪事」の具体例
・当時の常識の範疇だ>刑罰
・身分制度の固定は秀吉の刀狩から。時代の必然でもある
・お前みたいなバカを根絶したいよ
0799人間七七四年
2007/08/18(土) 08:02:48ID:ueVyoN8Q0801人間七七四年
2007/08/18(土) 09:50:53ID:YpP6Xr7p秀康に対しては対面からすら逃げようとしたり、人質に出したりかなり露骨に振舞ってるね
0803人間七七四年
2007/08/18(土) 10:02:06ID:xQKbMot30804人間七七四年
2007/08/18(土) 10:05:35ID:sSaON1yCこんな当たり前のこと言わせんなよ、恥ずかしい
0805人間七七四年
2007/08/18(土) 10:28:31ID:YpP6Xr7p後年の行動から、偽装説もあるし堂々と約束破りもかましているからそれは事実だろうけど
当時やったら政治的にマイナスでしかない罠
0806人間七七四年
2007/08/18(土) 11:16:18ID:xQKbMot3そりゃ知らなかった
なら>>787はなんだったんだろうな?
>>805
臣従してるからそういう立場をとるんじゃないか?
臣従してるから主家の為に心のそこから尽くすなんて事は考えないだろう、秀吉自身がそうであるように
秀吉の場合は家臣だが
>>775が挙げてるのは政治的困難が理由だが、かつての主家であった豊臣家に「命じて」豊国神社を潰させればどうだろうな?
主従逆転というねじれた関係を明確に徳川が上と諸大名に知らしめることが出来る
年賀の儀でも諸大名は関が原後は徳川に最初に行ってたが、家康の指示で豊臣に先に行かせたあたり、穏便に豊臣を包摂しようとしてたとおもうがね
0807人間七七四年
2007/08/18(土) 11:21:33ID:YpP6Xr7p関ヶ原で豊臣家自体は60万石程度に落ちたが、代わりに豊臣譜代は50万石以上の大名に加増されたものが複数
これらの逆鱗に触れたら収拾のつかない事になる
家康が露骨なことやれるようになったのは、豊臣に直接恩を受けた世代が交代してから
0809人間七七四年
2007/08/18(土) 15:23:49ID:xQKbMot3源氏姓に改めて将軍になって、それを息子に譲るというのは明らかに脱豊臣大名の動きで十分に露骨だぞ?
それに対して問題視した大名がいたか?
また年賀の儀はどう説明する?
そんなに豊家大事ならこれらの段階で徳川に対して文句言うんじゃないか?
0810人間七七四年
2007/08/18(土) 16:44:35ID:eDAZY6qT単に家康の力が強くなりすぎて逆らえなかっただけで
0811人間七七四年
2007/08/18(土) 18:37:31ID:PXzIcsPn0812人間七七四年
2007/08/19(日) 10:10:00ID:YIGrFtvc「秀忠が将軍を継ぐときは、秀頼が関白になる」みたいな噂が流れていたそうだ
家康を後見として、徳川と豊臣が並立する体制だな
しかしこれは夢想(あるいは徳川方が意図的に流したデマ)だったわけだが
0813人間七七四年
2007/08/19(日) 10:30:30ID:Kov6aom9むしろ豊臣側がそういう体制になること
を了承しないと成り立たないだろ。
家康だって自分が70過ぎまで生きられる自信があったわけも無し、
和戦両睨みだったと考えるのが妥当。
徳川ばかり悪役になってるが、
結局「主筋」という立場を捨てない豊臣家にも問題はあるんだよ。
0814人間七七四年
2007/08/19(日) 10:35:56ID:YIGrFtvc豊臣は別格、と官位や他大名への大坂挨拶推奨で思い込ませていたのは家康だよ
大坂を囲むように譜代・親族を配置したりと戦争の下準備をしながらだからね
無論、家康の脳内はわからないが確率からいえば豊臣をいずれは潰す気だったんでしょ
0815人間七七四年
2007/08/19(日) 10:53:03ID:mThs2ZNp実際太閤の子として別格扱いにはしたかったんじゃね?
問題は牢人なだけで。
転封先の大和も京の近く、というのはやや空想気味か。
でも、人生五十年の時代にしては気が長すぎる。
家康の将軍職譲った時期も見方によれば秀吉の死んだ年だし。
0817人間七七四年
2007/08/19(日) 11:50:25ID:PPKDtNrs浪人どもを大量に雇い入れるという事態は、以前から警戒していたのだろう。
実際に、関ヶ原で領地没収されて大量に無職浪人が出たわけだから。
0818(*´д`*)ハァハァ
2007/08/19(日) 19:21:55ID:aQSXGBgr髪型 キノコカット
眼鏡 すごい度が厚い
体格 筋肉質
年齢 20歳過ぎ
病気 自閉症 パーソナリティ障害
性格 弱い物イジメ,何人も不登校に追いこむ
身長 推定159cm
出身中学 千葉市立葛城中
(中学1年)担任I,T教師 (中学2,3年)担任K,K教師 (バスケット部顧問)M,T教師
(千葉市立葛城中在籍当時のU・Tによる犯罪歴)
・同級生の顔面の眼球辺りを殴る
・廊下ですれ違うたびに生徒を暴行
・マスク忘れても、給食配膳
・同級生男女全員にエロ本。エロビデオ見るよう強要
・嫌がる女子生徒のお腹を触り続ける
・嫌がる女子生徒の身体を背後から抱きつく
・自宅に遊びに来た女子生徒を裸になれと命令して泣かせる
・風呂に入り、垢を落とさずに無遅刻無欠席登校
・図書室で同級生の女子と姦淫。女子生徒の喘ぎ声が外まで漏れ発覚
・毎日のように廊下で女子生徒の身体を無理やり触り、周囲に見せびらかす
・委員会発表の芝居で体育館の床に寝転ぶ生徒のみぞおちを空中飛び膝蹴り。被害者は苦痛で叫ぶ
・葛城中バスケット部に所属した同級生の腕時計(G−SHOK)を盗む
部室の鍵を人のカバンへ勝手に入れ込むことで、葛城中校則の部活動停部という恐怖を同級生のバスケ部員にさらす。
被害者は今も引きこもり。もちろん、U・Tによる窃盗と脅迫によるいじめが原因。
・部活動中に自分の半ズボンをずり下げ性器を露出寸前
・小学二年時にすでに女子生徒とペッティング。 他の女子生徒に見せびらかす
・幼稚園の時すでに、嫌がる女の子のお尻を無理やり触る
(暴行罪)(傷害罪) (校則違反) (わいせつ物領付等) (強制わいせつ)
(強制わいせつ未遂)(脅迫罪) (迷惑防止条例)(公然わいせつ)(窃盗罪) (不純異性交遊)
U・Tに該当する犯罪を調べました。法を楯に訴えたいのですが、U・Tによる卑劣な許しがたい行為は時効でしょうか。
0819人間七七四年
2007/08/19(日) 20:54:06ID:/DdY0AxU一つ間違えば家康と秀忠がまとめて討たれていたところだ>大坂の陣
まぁ、戦力差から考えれば事前にそれを予測するのは無理だろうが
0820人間七七四年
2007/08/19(日) 21:51:06ID:Akm7zqpIそれが嫌なら、潰す。
和戦双方、色々と時間を懸けてそういう流れを組み立てた上で、
豊臣方に選択を迫った結果、選んだのが後者と言う話。
特におかしくも何とも無い話で、どうしてこれでどうこう言われる
のかが良く解らん。
0821人間七七四年
2007/08/19(日) 22:06:25ID:OJvT2ldfと言ったから幕府がそれに応じただけだろ
家康の意思などははっきりいってたいした問題ではない
挑まれた戦争に応じて徹底的に叩き潰すのは国家の統治機構として当然の義務だからね
江戸幕府には室町幕府と違って国を治める責任感が備わっていたということ
0822人間七七四年
2007/08/19(日) 22:31:02ID:bd6v5ev4空気読めない家が潰れただけでしょ?
0823人間七七四年
2007/08/19(日) 22:34:02ID:7whdLaCW不穏分子をキチンと処理しただけだな
0824人間七七四年
2007/08/19(日) 22:47:30ID:MvxETzlr悪いなら信長も秀吉も薩長も全部極悪だしなあ。
なんで「時代に適応できなかった徳川幕府」を潰すのは許容出来るの
に同じ適応できなかった豊臣潰しのみが一部の人の中ではで印象悪く
なってるのか理解できない。司馬とか司馬とか司馬とか。
0825人間七七四年
2007/08/19(日) 23:08:09ID:bd6v5ev4市民が苦労させられるんだよ
0826人間七七四年
2007/08/20(月) 00:07:25ID:JTBNuA+H要するに舐めすぎたってことだろ。
大坂城は天下無双の堅固な名城であり、一部の大名は家臣を出奔と称して
送りこんでいて内通していたわけだから。
0827人間七七四年
2007/08/20(月) 00:58:26ID:yy5YYRl7豊臣家の反応は誉められたもんじゃないだろ。
0828人間七七四年
2007/08/20(月) 08:45:36ID:gKRLnAr5豊臣の政治がよくなかったとうこと
0829人間七七四年
2007/08/20(月) 16:03:45ID:ubwPkMUR0830人間七七四年
2007/08/20(月) 16:31:43ID:HuqU6YaT明らかに五大老で一番怪しいし、言いがかりで改易とか、家康の
力を削ぐことを何で秀吉はしないんだろう?
0832人間七七四年
2007/08/20(月) 17:09:41ID:KYNmG0Ax家康は秀吉を騙しきった役者
ここが政宗と家康の器量の差
0833人間七七四年
2007/08/20(月) 20:01:50ID:twvMgBjS天下が目の前に転がり込んできたから一気に欲が爆発したんだろう
0834人間七七四年
2007/08/20(月) 20:07:32ID:3LkFeeQkそれでも主君が死んだら変貌したことを、誰よりも秀吉自身がよく知っているはず。
「自分と同じことをする奴が絶対出てくる。だって自分がやったことをみな見ているんだし・・・・」
だから律儀者だからといって盲信するってのはないよ秀吉に限って。
0835人間七七四年
2007/08/20(月) 20:15:51ID:IsQLYjJFあの当時、関東を任せれる人材と石高を有していたのは家康しかいない。
0836人間七七四年
2007/08/20(月) 20:23:26ID:9Q4inahF禿同
もし、改易に追い込むとして吹っ掛けて来ても家康の事だから、後北条とは違って野戦で勝負に出るだろ。
実際、豊臣秀吉が朝鮮の役で疲弊した豊臣軍を関東制圧に出ても諸将からの反対、離反もある。仮に討伐
軍を関東に出しても関東平野で鍛えまくった三河軍団7万に野戦であぼーん。そんな、博打を秀吉はしない。
ただ、秀吉の失敗は、小牧長久手の戦いで(戦で)家康に負けた事。これが、彼のいや、豊臣家の滅亡の遠因となった。
0837人間七七四年
2007/08/20(月) 21:00:02ID:QbH4ElZz無いとおもえば時の天下人の下できっちりと忠実に自分に出来る役割を果たす
別に同じ人間がこれに両方当てはまっても矛盾はしない
豹変とは違う
そこにあるのはただ単にその時々できっちりと自分に出来る最大限の努力を払うという姿勢だけだ
0838人間七七四年
2007/08/20(月) 21:24:47ID:JTBNuA+H天下統一後なら家康に勝機はないと思うよ。
上杉や伊達が徳川につく義理はないし、後ろがまもなく、さらに朝敵の汚名を
着せられれば、家康配下の万石以上の者が多数寝返りするのは避けられないからな。
小牧長久手の時でさえ、家康は年寄りまで出陣させていたが、秀吉はまだまだ余裕が
あった。状況がより厳しくなっている時に、家康ができることは旧領で一揆を扇動
するくらいだろう。
0840人間七七四年
2007/08/20(月) 21:53:53ID:3LkFeeQk0841人間七七四年
2007/08/20(月) 22:01:00ID:9Q4inahF仮に天下統一後と言えども奥州征伐で、伊達はかなり苦汁をなめている。勿論、改易になった東北の大名もだ。
[これで、最後だぞ。]と奥州仕置きを行った秀吉が、何故、徳川を潰さなかった?家康は、改易された大名の旧領を
統治するのに長けてた。つまり武田の旧臣を自分の配下にした様に。北条は、秀吉に改易をくらってほとんどの武士は
氏直の義父の家康に従った為、予想以上に関東経営は早くに安定出来た。そんな、状態でまた全国の大名に家康を潰す
と因縁をつけて諸大名に多額な出費をさせて家康を潰すメリットが無かったから国内の不満を海外に向けた。朝鮮の役だ。
家康を潰す大義名分は何か?それなら、朝鮮、中国を攻め取り家臣に与えれば何千万石の土地が手に入る。
>小牧長久手の時でさえ、家康は年寄りまで出陣させていたが、秀吉はまだまだ余裕が
あった。状況がより厳しくなっている時に、家康ができることは旧領で一揆を扇動
するくらいだろう。
ぢゃ、何故、朝日姫や大政所を人質に出してまで懐柔しようとしたの?攻め込める余力があったなら三河に雪崩込めばいいぢゃない。
徳川実記に、小牧長久手の話が載ってるが、家康が秀吉に送った手紙に三河に是非、遊びに来て下さいませ。立派な墓を用意して
待ってますと。つまり、三河になんて入ったら大軍でもゲリラ戦で家康に撃破されて終わり。だから、政治的懐柔をせざるを得なかった。
0842人間七七四年
2007/08/20(月) 22:14:44ID:JTBNuA+H本当にそう思っているなら相当おめでたいとしか言いようがないな。
秀吉は元々人たらしの名人だぞ。大名をむやみに攻め滅ぼしたりしない。
家康を臣従させればその後の情勢も楽になるからやっただけだろ。
家康が実力者であるのは認めるが、間違いなく当時の秀吉の方が政治力や
経済力や軍事の面から考えてもはるかに上だ。
天下統一後ならさらに力の差がある。家康が勝てる道理がない。
0843人間七七四年
2007/08/20(月) 22:19:24ID:l2mnnld0外様も敵に回るだろう?
> 改易された大名の旧領を統治するのに長けてた
実力主義では無く、誰にでも出来る忠勤をすれば大事にしてくれるから、
仕えやすいのではないか。
0844人間七七四年
2007/08/20(月) 22:22:56ID:IsQLYjJF秀吉と家康、嫌い合っていたのは間違いないが、お互いの力量も良く理解していた。
互いに、先に手を出したら負けという第二次小牧・長久手の戦い状態。
で、今度は秀吉の寿命負けという持久戦で家康の再勝利。
秀吉にとって家康は鬼門としか言いようが無い。
0845人間七七四年
2007/08/20(月) 22:33:24ID:9Q4inahFお前程、秀吉厨も凄いな(笑) 四国の長曾我部、九州の島津、家康、は大名として存続はしたわな。
けど、柴田、雑賀、北条、葛西、攻め滅ぼされてるか改易だな。北条や柴田の様に武力で制圧すれば
良かったんぢゃない?人たらしと言っても、何年、家康にてこずってるんだよ。 この猿は。 小牧長久手
がトラウマなんだろ? やって勝てないと思うなら政治圧力でじっくり長略するしか無いでしょ。で、泣かぬ
なら泣かせてみせようだろ? 天下を獲るとか力とかぢゃなくて、戦では負けるって秀吉自身が言ってるんだ
からお前が歴史を捏造しても意味は無いはな。この猿の死後、直ぐに豊臣家から諸大名が離れていったのは
何故かもう一度、歴史を学び直せ。話はそれからだ。また、きゃんきゃん、レスしてくるだろうけどな。
0846人間七七四年
2007/08/20(月) 23:04:26ID:Zmu3wmgw>戦では負けるって秀吉自身が言ってるんだ
いってない。ちなみに、秀吉が恐れたのは家康を滅ぼせないことではなく、
滅ぼすのにえらい労力が必要なこと。
0847人間七七四年
2007/08/20(月) 23:17:33ID:twvMgBjS0848人間七七四年
2007/08/20(月) 23:23:36ID:3U0jtlTi0849人間七七四年
2007/08/20(月) 23:29:28ID:JTBNuA+H秀吉が家康を滅ぼせないのなら、そもそも家康が秀吉に臣従する謂れはない罠。
だが、現実は家康は秀吉を主君と認めているが現実なんだが?
小牧長久手の時ですら、秀吉は壮麗な大坂城、京都にはを妙顕寺城などを建て
て、諸大名は屋敷を付近に設けているんだが、家康の居城にそのような事例が
あるのかね?
0850人間七七四年
2007/08/20(月) 23:42:50ID:9Q4inahF案の定、出て来たな。 誰が主君だって? 猿の事か? あんなのその場しのぎでの主君。
家康が大阪城に来城した時に、事前に頭を下げてくれって頼みこむ猿。家康も、呆れたろ。
そもそも、家康の主君は義兄弟の契りを結んだ信長だけ。その陪臣なんかの家臣になるなんて
その場しのぎに決まってるだろ。第一、この猿が死んで二年で関ヶ原やってんだから。
ちなみに、家康が建てた江戸城の天守閣は大阪城よりでかいぞ? 諸大名も1603年に家康が
征夷大将軍になった瞬間、大阪から江戸にこぞって引越ししたんだし。小牧長久手の時点で、家康
と猿が同じ勢力であったら、家康の勝ちだろね。もう、遅いし今日からお盆明けで仕事で疲れて寝る
が、ここは、家康のスレであって、秀吉厨は消えてくれ。社会でも負け組みなんだろな。まぁ、がんばれ。
0851人間七七四年
2007/08/20(月) 23:44:07ID:4JyvmjUA当時の家康にはそういう政治的権威がないから戦の勝敗に関係なく抵抗が難しくなった
その関白を秀吉が粛清して空白になったので
家康は征夷大将軍という権威によって新たな政治体制を構築した
天下というのはゲームみたいなドンパチだけじゃなく政治的権威が重要なんだよ
0852人間七七四年
2007/08/20(月) 23:47:06ID:l2mnnld00853人間七七四年
2007/08/20(月) 23:47:55ID:3LkFeeQk待て待て、家康はあくまで信長の同盟者であって、臣従してはいないぞ。
義元と秀吉に対しては、一応主君といってもよいだろうが、信長は明らかに違う。
0854人間七七四年
2007/08/20(月) 23:55:37ID:9Q4inahFhttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B8%85%E6%B4%B2%E5%90%8C%E7%9B%9F
あんまり、出鱈目書くと恥かくぞ。もっと、お勉強してね。一日中どうせ、暇でしょ?(笑)
0855人間七七四年
2007/08/20(月) 23:58:17ID:3LkFeeQkどこにも家康が信長に臣従していたなどとは書いていないが。
同盟者であるとしか書いていないが、貼り間違いかな?
0856人間七七四年
2007/08/20(月) 23:59:31ID:9Q4inahFこの頃になると、家康はもはや完全に信長の臣下のような状況にあったのだ。
0857人間七七四年
2007/08/21(火) 00:04:48ID:cEZGpVX1信長が家康の主君であった根拠を問うているのだが。
0858仙台藩百姓
2007/08/21(火) 00:14:56ID:/M2ZkWC8徳川厨じゃないけど、家康は信長の同盟者というより最後の方は家来扱い。実際、従属してる時点で家来ですお( ^ω^) それも、知らない無学な人がいたとは(;^ω^)
>>857
さすがに、馬鹿としか言いようが無い。怖いお。馬鹿は。
0859人間七七四年
2007/08/21(火) 00:21:18ID:cEZGpVX1それが同じに見えるんじゃ、家康について何も知りませんと宣言しているようなもんだね。やれやれ。
で、信長が家康の主君であった根拠ってまだかい?
実質主君のようなものであった根拠なんか聞いていないよ。
0860人間七七四年
2007/08/21(火) 00:25:15ID:RWhg67YOまた三河時代の家康の書状には、家康のかわした約束を「信長が保証する」という
ものが出てくる。
0861人間七七四年
2007/08/21(火) 00:48:53ID:P6Snp6kz0862砂岩か耳ね ◆oWrjcNwAas
2007/08/21(火) 01:10:58ID:XDPQl5fR主従関係にあったか同盟と見るべきかは、線引きが難しいだろうね。
(その江戸時代にしたって、誰が自分の主君かをめぐって論争がされたことがあるくらいだし。)
私としては、家康に対して接待がなされた(しかも光秀がなじられた???というほど気を遣っている)ぐらいだから、兄弟分の関係と見た方がいいと思うけれど。
ヤクザの世界では兄弟と言っても七分三分の関係だったら、実質の力関係は親分子分の関係に近いらしいけれど。
0863人間七七四年
2007/08/21(火) 01:32:44ID:Q4VdOwFR例えをあげるなら、ある会社の社長が死んで社長の座を一人の重役が継ぐべきか息子が継ぐべきかになったようなもの。その上秀吉が死んだら伏見で私闘暗闘が起るというなかなかに危ない状況。
0864仙台藩百姓
2007/08/21(火) 01:46:09ID:Liqt2pmM対等な関係でなかったのは間違いないお( ^ω^)
前にこのスレの住人が情報提供してくれたけど
対武田戦で信長の指示により動いていた事や
武田征伐後も同盟国同士の領地分配ではなく
信長主導で領地配分が決定された事など見ても
明らかに対等ではないお
いずれにしても武田討伐後の徳川は
独自の軍事行動をする事が出来なくなっているお
何せ物理的に押し込まれてしまったからだ
これではもはや織田に付き従って生きるより他にないお
もしくは北条あたりと組んで叛旗を翻してみるか
もっとも双方ともひたすらに畏れてそれどころじゃなかったけど
0866人間七七四年
2007/08/21(火) 10:25:54ID:7Er/a9ex>どこにも家康が信長に臣従していたなどとは書いていないが。
突っ込みどころはそこじゃないと思う。
0867人間七七四年
2007/08/21(火) 11:33:25ID:FHEHp0U5→秀吉は家康の主君じゃねーよ!
→実力的に逆らいがたかったから止むを得ず頭下げてただけ!
→領土もらったりして実質家臣扱いだったてことじゃね?
→家康の主君は信長だろ!武田滅亡以前は信長の家臣扱いだったし
→信長は家康の主君じゃねーよ!
→実力的に逆らいがたかったから止むを得ず頭下げてただけ!
→領土もらったりして実質家臣扱いだったてことじゃね?
0868人間七七四年
2007/08/21(火) 11:44:22ID:79wgxBFI大蔵卿局には「あれは最後通牒じゃないよ」と丁寧にもてなして、結果和平派を大坂城から追い出す結果になった
この二重外交を狙ってやってないとするのなら、家康は相当の外交オンチとなるが他にこういう例がないから、明らかに意図的でしょ
0869人間七七四年
2007/08/21(火) 12:52:43ID:Q4VdOwFRその例は極端。それなら秀頼は武士なのに征夷大将軍に逆らった不忠の臣。
>>868
淀殿人質のどこが厳しいのかよくわからん。当時じゃそれぐらいの人質は普通。それも飲み込めないのは、両立する気がないと見なされて当然。
女子は女子、と片桐とは区別したと思われ。
0870人間七七四年
2007/08/21(火) 12:54:54ID:xwEteBKS0871仙台藩百姓
2007/08/21(火) 14:52:38ID:Liqt2pmM家臣が主君の生母を人質として差し出せと言ったら
それは受け入れられない話しだお
>>865
別人だから
0873人間七七四年
2007/08/21(火) 15:09:22ID:JGCwr70I和平派までは殺すに忍びないってことで
城を出るように仕向けたんだな
結果大阪城はゴキブリホイホイのように日ノ本を乱さんとする不穏分子ばかり残ったと
そしてそれを纏めて綺麗に始末したと
見事だね
日本を治める為政者として当然やらねばならない責務をキッチリ果たしてから死んだ
自分の無茶な命令で海外に残って戦ってるものが大量にいるのに
そんなことはどうでもいいから自分の息子のことを頼む
自分の息子だけ良ければ他のことは興味ないからとにかく頼む
という遺言を残した誰かさんとは大違いだね
豊臣家の立場にたてば不満は当然あるだろうけど
豊臣家や当時の不穏分子達以外の目線で見ればおおむね妥当だね
なのに、まるで豊臣とは縁もゆかりもない400年後の人間がなぜか豊臣家に感情移入したあげく
まるで自分が豊臣家関係者・豊臣家代弁者であるかのように同じ目線に立って家康を批判するのは
滑稽としかいいようがないね
0874仙台藩百姓
2007/08/21(火) 16:08:31ID:Liqt2pmM0875人間七七四年
2007/08/21(火) 17:18:46ID:scZtGazUだいたい筆頭大老自ら法を破っといて詰問使には開き直り、恫喝、あげくに
「忘れていました」なんてナメた言い訳かましといて、人には難癖つけて
ぬれぎぬの罪をおっ被せるセコさ、見苦しさ、暗さ、汚さ、盛りだくさん。
能力的にもウンコたれて長生きするしか能が無いヤツだぜ。
そら日本人だったらこういう人間普通きらうだろ。
信長・秀吉のようなヒーロー的な人間好むのがフツーなんだよ。
擁護してる奴らは外人?
0876人間七七四年
2007/08/21(火) 17:23:26ID:scZtGazU根暗なウンコタレの能無しでも悪知恵働かせれば
天下を取れるというニートの希望の☆家康に人気!!
ということだね。
0877人間七七四年
2007/08/21(火) 17:37:18ID:GbV9JtYP「家康ファンの俺ってそれだけで只者じゃないよね」みたいな意味に取られかねない
0878人間七七四年
2007/08/21(火) 17:42:35ID:Yv6quXG80879人間七七四年
2007/08/21(火) 19:12:06ID:KqIUE6sF0880人間七七四年
2007/08/21(火) 19:24:21ID:j+czlgbp「爽快感がない」というのがちょっとひねったフレーズ
0881仙台藩百姓
2007/08/21(火) 19:30:30ID:Liqt2pmMそう言う理屈こねるから
徳川も豊臣と同じ手で潰されるハメになったのだお
因果応報とはよく言ったものだお( ^ω^)
0882人間七七四年
2007/08/21(火) 19:49:26ID:KPc71PWRいくら徳川信者でも倒幕した薩長に恨み言を言う奴は少ないんでねーの
0883人間七七四年
2007/08/21(火) 19:59:59ID:KqIUE6sFうん、全くそうであって。別にこれも普通の話。
違いがあるとすれば、徳川家は豊臣家で言えば関ヶ原の直後に手を上げたようなもの
と言う点であり、その違いが両者の待遇の差を生んだ。
0884人間七七四年
2007/08/21(火) 20:09:10ID:KPc71PWR最後までしつこく朝廷に歯向かった逆賊松平容保も
助命されて生前に名誉回復→華族にまで列しているけどな>明治政府
家康と明治の元勲たちの性格の差も大きかっただろ
あとはまあ時代の差
0885人間七七四年
2007/08/21(火) 20:31:52ID:Q4VdOwFRむしろ、その甘さが豊臣家を潰す原因。
てか、俺等が因果応報なんて言わずとも徳川政権がつぶれることは家康は百も承知だと思われ。
>「水戸宰相頼房を副将軍と免許賜うべく候そのいわれは、将軍国政上よこしまなるときは、将軍老中諸役人評定せられ、水戸より指図を以って、尾州,紀州両家を見立て、相続を奉文すべく、万一両家にその任に応ぜざるときは、
なんれの諸侯の内、天下を治鎮いたすべき品量を奉聞候は、水戸家に限るべし」(公家法度第十四目)
「淳和奨学院別当職、関東将軍へ任ぜられし上は、上は三親王揺家をはじめ、公家並びに諸侯と雖も、
悉く支配致し候。国益一切知らせべく、政道奏聞に及ぼす候。四海の鎮め致し難きときはその罪将軍にあるべし」(公家諸法度一条)
0887人間七七四年
2007/08/21(火) 21:45:56ID:P6Snp6kz0888人間七七四年
2007/08/21(火) 21:46:58ID:42mdIHst不祥事を起こした経営者が必ずウソの弁解するけど
とりあえずウソの弁解をした後で、ぶっちゃけたほうが
パニックにならずに済むという考え方は無いのか?
そういう二枚舌は必要悪ですらあると思えてきたぞ。
0889人間七七四年
2007/08/21(火) 21:58:39ID:pnh/FJ53不思議だ
なぜだ
そういえば、維新のときも日本動かしてたの、西日本の人ばっか
江戸時代も関西人ボロ儲け
どっちが勝ち組だか…
0890人間七七四年
2007/08/21(火) 22:05:14ID:P6Snp6kz豊家は天皇の代理人である関白になる資格があり、公家でもあるのだから
そのまま将軍の部下という理屈は通用しないわな。
0892人間七七四年
2007/08/21(火) 22:19:06ID:KqIUE6sF武家でもあっても、公家でもあっても力が無ければ滅ぶのみ
因みに力は単に武力だけでなく、政治力、組織力と言った総てのものを指す
武家としての統率力を失い、かといって朝廷にも参画していない秀吉死後の豊臣家には
もはや過去の遺産しかない状態
0893人間七七四年
2007/08/21(火) 22:31:07ID:Q4VdOwFRしかし、一武家でもある。減封加封もされている。
てか、本気で家来筋、主筋なんて言う気はないから。そもそも内大臣が関白に従うことで家来筋、主筋になるのかが微妙。
0894人間七七四年
2007/08/21(火) 22:32:20ID:P6Snp6kzそれでも正二位右大臣だよな。
天下人級でなければ貰えない官位。
0895人間七七四年
2007/08/21(火) 22:42:58ID:KqIUE6sF官位にも役に立つときと立たないときがあってこれは典型的な後者だよな
やっぱどう考えても、豊臣家は自身の認識と現実の差をきわめて簡便な手段、
すなわち後者を無視するという、第二次世界大戦前の日本人級の夜郎自大に
なってるなぁ
0896人間七七四年
2007/08/21(火) 23:08:33ID:P6Snp6kz家康が民の為に天下をとったという妄想も相当痛いぞ。
あと統計的に考えれば、豊臣の関係者は現在も相当いるはずだぞ。皇室なんか
その典型だし。
0897人間七七四年
2007/08/21(火) 23:20:16ID:RvLjtiobスレタイからして、アホしか来ないだろーな。みんな、風呂入って寝よーぜ。おやすみー。
0898人間七七四年
2007/08/21(火) 23:37:45ID:JGCwr70Iしかも関白なんて
自分の息子の将来の邪魔になると思われたら
急に汚名着せられて剥奪されて腹切らされてついでに一族も道連れで斬首されてしまう
その程度の存在なんですということを他ならぬ豊臣家自身が定義してしまったのに
0899奇矯屋onぷらっと ◆O.K.H.I.T.
2007/08/21(火) 23:39:59ID:GqScdwrs0900人間七七四年
2007/08/21(火) 23:41:20ID:U/MCXyea皇室が豊臣の関係者だというレベルなら
日本史上のほぼ全ての政権と皇室は関係者になっているのだが?
豊臣の関係者なんてせいぜい江戸時代に細々と残った木下家くらいだろ
0901人間七七四年
2007/08/22(水) 00:01:08ID:0iSZYltd一応系図で九条家と皇室と浅野家は女系で豊家の血が確認できるんでな。
あと、仙台真田家もか。
加藤家も福島家も秀吉の木下弥右衛門父親の妹の家だから一門だけどな。
徳川と松平の関係に等しい。
0902奇矯屋onぷらっと ◆O.K.H.I.T.
2007/08/22(水) 00:04:47ID:0xxPZkK6久松松平限定でよろしいか。
0903人間七七四年
2007/08/22(水) 00:08:00ID:RXCNG0kv0904人間七七四年
2007/08/22(水) 00:09:31ID:0iSZYltd×加藤家も福島家も秀吉の木下弥右衛門父親の妹の家だから一門だけどな。
徳川と松平の関係に等しい。
〇加藤家も福島家も秀吉の父親である木下弥右衛門の妹の家だから一門だけどな。
徳川と松平の関係に等しい。
0905人間七七四年
2007/08/22(水) 00:45:00ID:vss9xEgk0906人間七七四年
2007/08/22(水) 00:55:39ID:0iSZYltd姻族ってなんのことだ?
0907人間七七四年
2007/08/22(水) 08:01:57ID:70AYMZe6応仁の乱を始めとして数多くの戦乱でボロボロになっているが?
それとも君の脳内ではそれらの戦乱も全て東日本で起きているのか?
0908人間七七四年
2007/08/22(水) 09:43:10ID:QBuvA9JY家康以前のまともな将軍は頼朝、尊氏、義満、義教くらいじゃないか?
0909人間七七四年
2007/08/22(水) 11:01:33ID:c85sDP2zサルと血のつながりが無い。
0910人間七七四年
2007/08/22(水) 13:02:02ID:eo5n3+cc本当に人生ってどう転ぶかわかんないよね
0911人間七七四年
2007/08/22(水) 13:04:23ID:RFh60W9rよくわからん奴だ。朝鮮撤兵の総指揮を率先し、船もかなり吐きだしているのに、非難の的か。
むしろ、三成を九州に派遣して在韓諸将懐柔の機会をやっていることに大きさを感じてほしいものだが。
婚約は三成に妥協する気があるかの挑戦状。ここら辺の駆け引きは確かに狸。
ただ、伏見の私闘が秀頼、三成政権の不安定さを物語っているのだから、そこら辺は指導力なしと見捨てられてたのかもしれん。
てか、家康がもっとあくどかったら双方を扇動して騒ぎを大きくして不安定さを強調させるだろ。
あと、戦国の荒武者が無能についていくはずもないし、福沢諭吉が絶賛するはずもない。
0912人間七七四年
2007/08/22(水) 13:22:17ID:AMLv3j2uその理屈でいうと指導力が無いのは家康だろうw
0913人間七七四年
2007/08/22(水) 14:52:37ID:/CxBTjTrそんなことしたら私闘の域で沈静化せざるをえなくなり、
関ヶ原というクーデターのタイミングを逸してしまうのでは?
それが解っているから三成をあえて助け、泳がせたわけだし。
0914人間七七四年
2007/08/22(水) 15:30:25ID:RFh60W9rああ、確かに。じゃあ、豊臣体制と言い換える。家康の指導力不足というよりは、三成が秀頼擁して実権をとるか実力者の家康が実権をとるか実際にわからなかったんだと思う。
まあ、秀吉がまともな時はまとまるものも秀頼じゃあまとまらないのは確かってことで。
>>913
私闘→酒宴で一喝、の展開を膨らませただけ。まあ、IF語ってる時点であれか。
0915人間七七四年
2007/08/22(水) 20:59:54ID:WPd+5N6yどういう家柄だったの?
0916人間七七四年
2007/08/22(水) 21:18:53ID:0iSZYltd皇室や浅野家や九条家に血を残した羽柴秀勝(小吉)は秀吉のおいで
血族にあたるぞ。秀次もそうだ。
またおねの実家も元々秀吉の一族なんだが?
0921人間七七四年
2007/08/23(木) 00:03:26ID:SXv/8RCW闇に葬られてる秀吉直系が何人か居なかったっけ?
>土豪 なんだかんだと言って大した出世っぷりだと思う
独立した1560年辺りでは三河最大勢力でもなかったの?
0922人間七七四年
2007/08/23(木) 00:35:20ID:uH5kkWb1木下家が農民ってのは俗説でしょ。最近は地侍か足軽クラスの武士だという
話だが。当初の話なら松平の方がもうちょっと上だな。小土豪だし。
秀吉直系ってのは長浜時代の娘がいたという話は聞くが、後は知らん。
秀長もおきくという娘が消息不明のままだが、なにあるのかなぁ。
0923仙台藩百姓
2007/08/23(木) 00:50:16ID:wQWXfwlM0924人間七七四年
2007/08/23(木) 01:06:25ID:SXv/8RCW秀吉は木下へムコに入ったんじゃなかったっけ?
0925人間七七四年
2007/08/23(木) 01:13:37ID:ZJScpBJu歴史的には日本を逆行させてるし。
1万円にする意味がわからん。
基本的に武士は私利私欲のために人殺しする連中。
0926人間七七四年
2007/08/23(木) 01:23:53ID:ApLZqqBDで、郷主の松平信重の婿になって松平を継いだと。
清康の代はともかく、家康も松平家もかなり苦労しているよなあ。
0927仙台藩百姓
2007/08/23(木) 02:14:35ID:wQWXfwlMろくな当主がいないおね( ´ω`)
確かに家康は歴代の中ではかなりマシな方である
0928人間七七四年
2007/08/23(木) 03:48:38ID:dUHyw4g+0929人間七七四年
2007/08/23(木) 07:33:59ID:p06zTW0Y0930人間七七四年
2007/08/23(木) 09:43:07ID:9RT925c4太平の世の基礎をつくったんだよ。大坂の陣の後は島原の乱以外幕末
まで戦争らしい戦争はない。こんなに平和は時代があったか?
鎖国とあいまって日本独自の文化が発展した。
0931人間七七四年
2007/08/23(木) 10:10:05ID:PkK+uAVx産業発展が早かった国で、平和が続いた国ってあった?
>松平も代々凡庸と言うか暗愚と言うか
戦国期って有能と言われる武将が多い気がするけど何でだろうね。
0932人間七七四年
2007/08/23(木) 10:30:00ID:ApLZqqBDないんじゃないかな。
ヨーロッパはかなり戦乱が続いていたはず。十数年戦がない豊国祭の時ですら宣教師は驚いていた気がする。
あと、平和とは微妙に違うが、幕末に
「庶民の生活は非常に貧しいが、誰もが楽しく明るく生活しており、たいした法律もないのに、犯罪が起こらず、
社会には秩序が保たれている、ヨーロッパでは考えられないとことだ」
みたいなことを宣教師が書き残してたらしい。
有能な武将が多いつっても、小豪族にそんなにいっぱいいるわけでもないだろ。
それに一応、松平家からは清康、家康が現われてるんだからさ。
0933人間七七四年
2007/08/23(木) 10:35:41ID:HNzF5OqT信長・秀吉のように秀でた能力が無いばかりに
姑息でみっともないような手段を使い
ようやく天下人になれました。
こんな勝ち組に人気?って世の中やっぱ病んでますね。
0934人間七七四年
2007/08/23(木) 11:55:18ID:ZJScpBJu多くの人間には関係ないな。
江戸時代の平和は江戸大名がヘタレの奴隷体質だっただけ。
0935人間七七四年
2007/08/23(木) 12:09:09ID:PkK+uAVxでも触法以外で全国的に有能な人材が思い起こされる時代って無くない?
大〜小豪族超乱立時代だから、勝てば官軍だと思う。
>こんな勝ち組に人気?って世の中やっぱ病んでますね
それだけ個人の力では長期成長は難しいって事で、
それは現代においても充分通用するセオリーでしょ。
>近代前までは戦うのは武士なんだから 多くの人間には関係ないな
ピンポイント爆撃の現代戦ですら多少影響あるのにか?
0936人間七七四年
2007/08/23(木) 12:14:57ID:ZJScpBJu江戸中期以降「一番美味いものは町人が食う」といわれたくらい、
武士=貧乏、町人=金持ちが際立ってたわけだけど、
町人は武士の嫉妬を恐れて、金持ちさを表面上に出さなかった。
大阪の金持ち商人が、応接間の床をガラス張りにして金魚を泳がせて
参勤交代中の西国大名を歓待したら、倹約令を出してる幕府に
ちくられて財産半分没収された(58個所有していた屋敷の29個を
没収された)。
こういうことは、江戸の文化の進展を遅らせたと思う。
安土桃山は一瞬だったのに、ものすごく文化が発展した。
0937人間七七四年
2007/08/23(木) 12:17:36ID:ZJScpBJuそんな多少の死なら、農民一揆の鎮圧のほうが死者は出るし
江戸時代も頻繁に平和が荒れてるといえるし。
それに、停滞による飢饉の時の農民の飢え死に東北では70%とか
のほうがひどいだろ。
0938人間七七四年
2007/08/23(木) 12:20:40ID:ZJScpBJu0939仙台藩百姓
2007/08/23(木) 12:22:30ID:wQWXfwlM清康も家臣に殺されるぐらいだから微妙だお
そういや先日、本屋を覗いていたら
安っぽい本に「馬鹿殿揃いの徳川家」とか書かれていたお
歴代将軍軒並み他藩の下士より低評価
0940人間七七四年
2007/08/23(木) 12:28:45ID:ZJScpBJu東北地方の米までいったん大阪に送られて、大阪でさばかれていた。
というわけで、江戸には大阪レベルの金持ち町人はいなかった。
0941人間七七四年
2007/08/23(木) 13:00:37ID:PkK+uAVxラテン系みたいな文化なんて要らない。
勤勉な国民性で正解だったのでは?
>江戸時代も頻繁に平和が荒れてるといえるし。
為政者同士の戦争とはワケが違うでしょ。
>それに、停滞による飢饉の時の農民の飢え死に東北では70%
>フランス革命の前の大飢饉の時ですらフランス農民飢え死に率10%
対比して教えて!!
>清康も家臣に殺されるぐらいだから微妙だお
なに崩れだっけ?
0943人間七七四年
2007/08/23(木) 13:17:43ID:ApLZqqBD家康は鍛えぬかれた俊才って感じなんだが。豊臣政権でも補佐はしてるし、ただ待っていただけでもない。
信長から秀吉に移ったように、秀吉から家康へと天下を預かれるものが預かっただけ。
家康のみを狡猾というのも贔屓の引き倒し。
>>934
略奪、強盗が当たり前の戦国時代が民衆に影響を及ぼさなかったとでも?
>>936
安土桃山は放漫政策的だから。
あまりに余った荒武者どもを官僚に変え、清貧の美徳を押しつけたんだからある意味では仕方がない。
あと、家康自身は貿易で稼ぎまくってるから商自体を軽視たのではなく、江戸初期は特に物が足りないので経済バランスを考えたのかもしれない。
経済ド素人の俺がいうのも何だが。
>>939
まあ、江戸の将軍や大名なんて飾り物だから。でも、家康の息子達はそれなりに優秀な気が。
>>942
外人の記録になかったか?詳しくはないが。
0946人間七七四年
2007/08/23(木) 13:32:34ID:ZJScpBJu何が違うの?農民の死は人の死じゃないからカウントできないって?w
0947人間七七四年
2007/08/23(木) 13:38:05ID:ZJScpBJu江戸時代も強盗・強奪はあたりまえだったよ。
農村では。武士が秩序を保ったのは町だけ。田舎はひどいもんだった。
盗賊団とか普通にいたし。伊勢参りは命がけ。
戦国時代はむしろ、戦国武将=盗賊団だしな。
戦国時代でも、堺とかの町は秩序を保ってた。
もちろん、堺で連合して傭兵雇って町を守ってたけど。
でも江戸時代になってその秩序を保つための傭兵が武士に変換しただけ。
0949人間七七四年
2007/08/23(木) 13:58:08ID:/neELOAT秀吉の小田原攻めのように余裕の包囲で兵站能力を見せつけるどころか、兵糧窮乏に悩まされた
劣勢の大坂方の誘引戦術や奇襲に悩まされ、淀殿が弱気に転じたのを機に講和してなんとか面子を保つのがせいぜい
挙句に講和条件を破って城の防御施設を全て埋め立てという卑怯な手を使う
そこまでやったのに、夏の陣では大御所・将軍双方の本陣が蹂躙されるという事態に
このあたりの迷走っぷりだけは弁護できん
圧倒的優位なのになにやってたんだか
0950人間七七四年
2007/08/23(木) 14:36:28ID:PkK+uAVx>江戸時代、誰が勤勉だったって?
識字率が高い!
>豊臣政権でも補佐はしてるし、ただ待っていただけでもない
一夜漬けで上位に食い込むんじゃなくて、
毎日予習復習を欠かさずに勉強して着実に成績上がってる感じだから
目立たないのかもね。 受験では評価されなくても
社会は評価してくれるタイプだと思う。
>農民の死は人の死じゃないからカウントできないって?w
>江戸時代も強盗・強奪はあたりまえだったよ
局所的な内戦と、いつまで続くか分からない戦国大名同士の戦・乱捕りを
分かりやすく説明できる人お願い!
0951人間七七四年
2007/08/23(木) 14:37:25ID:HNzF5OqTせこすぎる。
いじめだよこれは、
「はやく秀頼を殺さないと儂が先に死んでしまう〜」
「難癖つけて戦にもちこめ〜」
0952人間七七四年
2007/08/23(木) 14:37:52ID:9ZyQa7m9このスレを見ている人はこんなスレも見ています。(ver 0.20)
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0953仙台藩百姓
2007/08/23(木) 14:38:54ID:wQWXfwlM所謂、森山崩れと言うものだお
この結果今川の介入を許し次第に従属の道を歩む事となる
一時は広忠も追放され、危うく家康も流浪人の子になるところだったお
0954人間七七四年
2007/08/23(木) 15:13:24ID:ApLZqqBD女子だけで旅行ができる、ってあれは中、後期だっけか。
語弊があったな。戦争の時に民衆に被害がなかったのかを問いたかった。
>>949
確かに。戦の仕方を忘れたってのかな。あんま誉められたもんじゃない。
総堀埋めは大坂城を役に立たなくさせて、戦う気を無くさせるぐらいのつもりでやった気が。
>>951
むしろそれは家康の甘さのあらわれじゃね?
まともな手をうってなかったからそんなことしなければならなかったわけで。そもそも約七十で事を決するってのが突然気味。
あと、十数万の牢人と不落の大坂城、大坂の反徳川の空気を秀忠に残すことはできないだろ。
0955人間七七四年
2007/08/23(木) 19:35:01ID:ZJScpBJu農民は低い。
0956人間七七四年
2007/08/23(木) 19:37:22ID:ZJScpBJu0957人間七七四年
2007/08/23(木) 20:06:54ID:7UjOB8Xl当時の日本の軍事システムは小部隊戦闘が基本だから。
あれほど大軍になると混乱しやすい。
それに大坂方は後先考えずに突撃したということもある。
ぶっちゃけバンザイ突撃。
あれを重火器が無い当時にやられると、ああなるのは特に変な話ではない。
0958人間七七四年
2007/08/23(木) 20:25:51ID:7UjOB8Xlいや、農民も高い
年貢割付状の様に農民自身が文字を読んで内容を理解しなければならない
文章が多数あり、また収穫率を上げる為の学習なども行われた
0959人間七七四年
2007/08/23(木) 20:43:55ID:uH5kkWb1そういう傾向があってもやっぱみっともないわな。
総大将が切腹するから、首をうてと下知する状況ってよほどのことだろ。
あそこで討たれて、秀忠も討たれて戦況がかわってたら、明智光秀に並ぶ
奸臣とされてただろう。
家康の墓とされるものが大坂の寺にあるから討たれたのかもしれんが・・・
0960人間七七四年
2007/08/23(木) 20:49:13ID:4v/MtvDzどこの時代劇の設定かな?w
江戸後期にもなると余程の貧家やど田舎でもない限り大概の人間は
読み書きと簡単な算術程度の教養はあったようだぞ。
ついでに言っとくと、その「レベルの低い」ことが他の先進国諸国
のほとんどが日本に及ばなかったことも事実なんだよ。当時の常識
で考えれば、産業革命を経験していない民族の識字率が異常に高い
ことは十分「驚異」のレベルで語れる話。今の感覚で「しょぼw」
って思うのは勝手だがそれはライターに驚く原始人を見下すような
もんだ。まるで意味がない。
日本人の基礎教養と労働資本としての潜在能力を考える上では非常
に重要かつ意義のあることだしな。
0961人間七七四年
2007/08/23(木) 20:49:20ID:ZthB2n/9将軍になってから死ぬまで何年だ?
江戸時代通じての功罪全てが家康に帰するのか?
知ってることをなんでも書けばいいってもんじゃないんだよ。
0962人間七七四年
2007/08/23(木) 20:57:31ID:7UjOB8Xlどこまで危機的状況だったかは諸説入り乱れてるから、苦戦したのは間違いないでしょうが
ただ、家康という人はちょっと危機的状況になると刹那的に取り乱す人であるから(但し、直ぐに落ち着く。
基本的に情感は激しいが、平素は自身でそれを抑えている様である)実際は大した事ではないかもしれない
0963人間七七四年
2007/08/23(木) 21:01:09ID:JHReLt8J清康の死は松平家の家督争いが元。
仕組んだのは清康の叔父信定。
清康が無能だったとか、そういうことではないと思うが。
0964人間七七四年
2007/08/23(木) 21:14:50ID:iA9XieNz生活にほとんど役に立たない勉強してるんだぞ!!
貧困国のTV番組で、「勉強するのが好き」とかいうのは本当だと思う?
>仕組んだのは清康の叔父信定
もそっと詳しく!
0965人間七七四年
2007/08/23(木) 21:39:34ID:uH5kkWb1婿にはいったのは松平家に宿借りした風来坊の坊主。
そいつが家康の先祖に当たる者とされる。
秀吉の家は元々木下家だが、母なかの姉の孫がおねになるので、同族といえば同族。
0966人間七七四年
2007/08/23(木) 21:55:41ID:ZJScpBJu>読み書きと簡単な算術程度の教養はあったようだぞ。
江戸時代、日本の95%がド田舎だったけど、それは、
ほとんど識字ができないという。
あと武士は簡単な算術もできなくて有名。
教養?ぷ
無知すぎる。
0967人間七七四年
2007/08/23(木) 22:26:37ID:iA9XieNz何かしら素晴しい能力があったから、入り込めたのでは?
>秀吉の家は元々木下家だが、母なかの姉の孫がおねになるので、同族といえば同族。
たった1人大出世したら、5親等くらいまで偉いんかって言ってんの!
世襲を考えて直系血族だけだろ?
>ほとんど識字ができないという。
>あと武士は簡単な算術もできなくて有名
極論だと胡散臭さ倍増だな。
0968人間七七四年
2007/08/23(木) 22:29:24ID:7UjOB8Xl武士も田舎の農民もできるよ
因数分解や漢文ができるレベルではないけどね
そうでなければ研究者が扱いきれない程の記録は残らん
0969人間七七四年
2007/08/23(木) 23:05:46ID:5owMxc6f因数分解もゆとり教育とやらであやしい
0970人間七七四年
2007/08/23(木) 23:30:51ID:kDOuSbJF江戸時代には算額といって寺や神社に数学の問題を張って
それを一般人も含めて皆で解く風習が誕生している
その中には積分などの高等数学も多数含まれている
それだけ江戸時代の教育水準は高いんだよ
そもそも君はマルクス史観に毒されすぎだ
0971人間七七四年
2007/08/23(木) 23:34:51ID:ApLZqqBD詳しくはしらんが、確か酒井の娘にも手をつけ、祖になってたはず。
なんというか、変わった坊さんではあるな。
>>968
学問の体系が違うからな。瓦板で高度な問題が賞金かけられていた気がする。
宣教師がからかおうとしたら、子供にも解かれたというのも聞いたことがある。
0972人間七七四年
2007/08/24(金) 00:02:59ID:ovyCz1eo0973人間七七四年
2007/08/24(金) 00:10:29ID:3k8PK4u8姻族ならまだしも、血族ならえらいんじゃね?
徳川も松平家が大名になったりしているでしょ。
秀吉の直系は滅んだ(立石木下家の伝承は別にして)とされるが、縁者は
残ってるでしょ。木下家、小出家に福島家に浅野、九条、皇室というように。
0974人間七七四年
2007/08/24(金) 00:50:32ID:ovyCz1eo0975平山貴士
2007/08/24(金) 01:16:21ID:xw02Jziy皆さんにお願いがあります。
ぼくの文は全部スルーしてください。
0976人間七七四年
2007/08/24(金) 02:46:07ID:RxU+ETDNおまえの言ってることはまったくソースがなく無根拠。
それはごく一部ができただけ。藩のほとんどは、勘定方ですら
簡単な計算ができなくて財政破綻しまくりだった。
>>971
それは、町人に流行っていた和算。
0977人間七七四年
2007/08/24(金) 02:58:14ID:RxU+ETDNほとんどが武士か町人=日本人。
町人はレベルが高い。職人の技術は独自の技術で蒸気機関の手前まで
行っていたし、商人は、現在のデリバティブズによる米の先行取引の
技術まで開発していた。江戸時代の文化も、町人の文化。
でも江戸時代の町人は商工あわせても人口の5パーセント程度。
0978人間七七四年
2007/08/24(金) 03:09:53ID:RxU+ETDNがんじがらめなうえ、身分固定で停滞してるので、自堕落な日々。
「元禄お畳奉行の日記」とか読んでみろよ。新書で出てるから。
毎日商人に接待されては芸者遊び。
江戸時代の勘定方の記録を読んだら、武士のなかで特に計算の教育を
受けてる会計係すら簡単な算数すらできていない。
御用商人に藩の財政を任せているところすらあった。
0980人間七七四年
2007/08/24(金) 06:57:25ID:PnvJDXU0武士の事は誉めてるが
百姓に限ってはアジアのどこの国にも見られるように
無知でずる賢く隙を見せれば直ぐに物を盗むと書いている
0981人間七七四年
2007/08/24(金) 08:40:12ID:NNXp8O2Wお前も大概ソースがなく無根拠に人を無知呼ばわりしてるように俺には
見えるんだがw 違うってんならソースプリーズ。
まあ時代や藩を限定しないで語っている時点で、おまえも俺を含む他の
歴史ヌルオタと同じだよ。いつの時代も無能なやつの一人や二人見つけ
ようと思えば見つけられる。お前が本当に平均的な教養層を語っている
のか、底辺を抽出して騙っているのかソースがないと判別できないし。
0982人間七七四年
2007/08/24(金) 09:37:01ID:PF2B2PUd氏ねよ、おまいら
0984人間七七四年
2007/08/24(金) 11:26:03ID:5Caq+3PNてっきり関ヶ原前後に豊臣譜代を懐柔するための策略だと思ってたが
0985人間七七四年
2007/08/24(金) 12:58:53ID:KCwA8EoU秀吉との約束を守ったという形だね。当時は人質みたいなものだから律儀ともとれる。まあ、押しつけられたという印象があっただろうが。
ちなみに、秀吉は秀頼と千姫の婚約前に、秀忠に淀の妹の於江を嫁がせると、むしろ懐柔に積極的なのは秀吉。
0986人間七七四年
2007/08/24(金) 13:18:07ID:M0xOOyp3かわいがったのも不思議だね。家康に年頃の実の娘がいた
ら大坂城に入れただろうか?
0987人間七七四年
2007/08/24(金) 14:01:51ID:5HR68yE9【東照】 徳川家康スレッド 其の三【大権現】
http://hobby9.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1187931581/
0988人間七七四年
2007/08/24(金) 15:21:38ID:KCwA8EoU厳しさと愛はまた別。信康、秀康辺りはともかく、義直、頼宣(特に)、頼房に対しては、大事にしてた。
忠輝に対しては理不尽ともいえる処置をしてるが、家康の最後を看取ったのが忠輝の母ということや、遺品の野風の名笛等、そこまで憎んでいなかったはず。
これは秀忠もそうだが、秀忠は寵愛してた忠長に対して謹慎を命じてる。
家康と同じく始末を残して死んでしまったが、ここら辺には公私の区別の厳しさがある。
秀吉のお拾いを頼む、みたいなのが愛とは限らない。
ちなみに、家康にとっての千姫は目に入れても痛くない程だったはず。千姫が責任のない女子であることと、家康自身年とったのが関係あるかも。
0989人間七七四年
2007/08/24(金) 15:24:49ID:0Sskgu9H>>977 当時の江戸を考えれば、
文化・教養レベルが先進国並みだったの分かるだろ。
近代じゃないんだから田舎をネタにされても困るし。
0990人間七七四年
2007/08/24(金) 17:42:44ID:n/kH1Jf+どんだけ可愛くとも能力と責任に応じた対処というのをしないと、配下の
手前格好がつかないし、なにより徳川家全体の信用に関わってくる。自分
の子供だからって会社の重役を甘やかしたら部下に見放されんだろ?
逆に女性だからこそ能力や責任を男性ほどには求められず大っぴらに可愛
がれたんだろう。
0991人間七七四年
2007/08/24(金) 20:18:17ID:FNL4P+vh到着後、なかなか目通りさせてもらえなかったというのは聞いたが。
0992人間七七四年
2007/08/24(金) 20:41:55ID:SB3nhBx4あれは端から無理だったと言う話。
岐阜城落城の報を聞き、家康は西進を決断。
同じ頃に上州にいた秀忠に中仙道周りで同じく西進するように指示。
当然、状況からして東海道の方が早いので、先に着いて待ってるつもりだったのであろうが
清洲で短期決戦に出るべきと判断、その後の展開は既知の通り。
家康が怒ったのは軍を乱して急行したのが理由との説もある。
因みに秀忠勢が本軍というのはさしたる理由は無い。
0993人間七七四年
2007/08/24(金) 21:24:15ID:JXGOSzGU>戸時代の町人は商工あわせても人口の5パーセント程度
この時点でアウト。江戸時代は農民が八割なんてとうに否定されてますが?
貧農、えた非人と呼ばれる存在が商売やって家屋敷に牛馬十数頭を所持して
いたなんて例がいくらでもありますが?
0994人間七七四年
2007/08/24(金) 21:26:32ID:JXGOSzGU毒されてます。
0995人間七七四年
2007/08/24(金) 21:26:36ID:FNL4P+vh0996人間七七四年
2007/08/24(金) 22:11:28ID:B9fWT0Th>清洲で短期決戦に出るべきと判断
私もリターンマッチできると思ったと思う。
超慎重派の家康公が最後にリスキーな事するわけが無い。
0997人間七七四年
2007/08/24(金) 22:45:43ID:SB3nhBx4自分の感覚としては家康という人物の軍才は戦略は慎重、戦術は大胆だから、
案外、今やったら勝てると判断して、そのまま突き進んだだけと考えています。
0998人間七七四年
2007/08/24(金) 22:57:37ID:RxU+ETDN>>994
どうやら何度言っても分からない低脳らしいが、
「説」とか「史観」じゃなくて、動かしがたい「史料」なんだよ。
農民が何人、町人が何人いたかなんて戸籍で把握できる。
それで5%。
1000人間七七四年
2007/08/24(金) 22:59:26ID:RxU+ETDNごくごく少数の例外出したってまったく無意味。
ていのーにはわからんだろうが。
10011001
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