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【島国】日本は世界で貧しい国だったの?【辺境】

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0001人間七七四年2007/05/05(土) 17:42:07ID:YHGSfsuA
日本諸事要録 第一章抜粋

国土は、ある地方では彼等の主食である米を産し、また麦もとれるが、他の地方は不毛の山岳地帯となっている。
一般的に言って(日本の)不毛と貧困さは東洋全域で最も甚だしい。
というのは、ポルトガル人が支那から彼等に齎し、彼等が衣類として用いる絹の他には、
殆ど商品らしいものは何もないからです。牧畜も行なわれず、土地を利用するなんらの産業もなく、
彼等の生活を保つ僅かの米があるのみである。したがって一般には庶民も貴族も極めて貧困である。
ただし彼等の間では、貧困は恥辱とは考えられてなく、ある場合には、彼等は貧しくとも清潔にして
鄭重に待遇されるので、貧苦は他人の目につかないのである。

日本諸事要録 第二十八章抜粋

全般的に全ての者の収入は乏しく、金銭に不足しているから、真実の武士であり、
自ら武士をもって任じている一般の、或いは特別の武士が、自らは、奉仕する四〜五名の
若者を抱え、妻も同数の召使を抱え、彼等と家中の身分の高い者は全て絹を着て、
しかも百石から百五十石で一家を支える事になる。
これにより、彼等が如何に質素で貧しい生活をしているかが判明する。
夫と妻が辛うじて一年の半ばだけ食べる米があり、残りの半年は大根、果実、及び草や根を
できるだけ食べて(飢えを)しのぎ、他の家人は、米のある時には少量の米を混ぜて、
これらの品を食べて生きている。

日本王国記

この王国では百姓や臣民はひどく圧迫され、ひどく貧困なので、
しばしば彼等に要求される年貢の不足を支払う為に、子供を売るほどである。
百姓は何としても記帳されただけのものは払わなくてはならないし、田畑のもので
十分でなかったら、納税の為に、質にも入れなければならない、子供たちも
売らなければならないのである。
もしそうしなかったら、彼等は殺されるか、税を払わせようと、捕えられ拷問にかけられる。
それに彼等は百姓に対して実に残忍な事をやる。現に私は薩摩の国で1594年に、
籾つまりまだ脱穀や精白しない米ニ俵、当時三マスの値段はしたろうか、それだけの為に、
一人の百姓と女房と二人の子供が殺されたのを目撃したものである。
0442人間七七四年2009/10/25(日) 19:59:32ID:L4AhKMKw
>>441
書き方の問題でしょ。

江戸時代の言葉なら水呑百姓
戦国以前なら、奴(やっこ)・農奴
0443人間七七四年2009/10/26(月) 15:08:26ID:wUlj6ftP
ラザフォード・オールコック「大君の都」

日本人は、おそらく世界中でもっとも器用な大工であり、指物師であり、桶屋である。
かれらの桶・風呂・籠はすべて完全な細工の見本である。

物質文明に関しては、日本人がすべての東洋の国民の最前列に位することは否定しえない。
機械産業に関する応用科学の知識が貧弱であることをのぞくと、
ヨーロッパの国々とも肩を並べることができるといってもよかろう。

すべての職人的技術においては、日本人は問題なしに非常な優秀さに達している。
磁器・青銅製品・絹織り物・漆器・冶金一般や意匠と仕上げの点で精巧な技術をみせている製品にかけては、
それぞれの分野において我々ヨーロッパが模倣したり、
肩を並べることができないような品物を製造することができる、となんのためらいもなしにいえる。

漆器については、なにもいう必要はない。
この製品の創始者はおそらく日本人であり、
アジアでもヨーロッパでもこれに迫るものはいまだかつてなかった。
……日本人はきわめてかんたんな方法で、そしてできるだけ時間や金や材料を使わないで、
できるだけ大きな結果をえているが、おそらくこういった場合の驚くべき天才は、
日本人のもっとも称賛すべき点であろう。

すなわち、かれらの文明は高度の物質文明であり、
すべての産業技術は蒸気の力や機械の助けによらずに到達することができるかぎりの完成度を見せている。
0444人間七七四年2009/10/26(月) 22:43:11ID:S0oAif4l
>>442
明治になって民法制定して、家族の単位が核家族になって、土地が地主の私有財産化したせいで、農民が貧乏になって、身売りが横行した。
普通の人が思い浮かべる「昔の貧乏な農民像」もこのころから始まった。
0445人間七七四年2009/10/26(月) 23:31:36ID:JUrPGbZg
>>444
・・・、という説がある」と最後に付け加えるべきだね。

誰か、江戸時代に比べて明治・大正の農民は貧しくなったとかいう研究結果を
発表している学者はいるのかな?
まぁ、いないと思うけどね。
0446人間七七四年2009/10/27(火) 04:07:59ID:ocbaBg0n
この国では戦争が絶えることがない。
戦争が多いため耕地はまだ少ないが、
土地は非常に豊沃なのでわずかな耕作で多量のコメを得ることができる。
このコメがすなわちこの国の主要な食料になっている。
また麦、粟、大麦、ソラマメ、そのほか豆類、野菜は大根やカブラ、ナスが豊富である。
果物はナシ、ザクロ、クリなどがあるが非常に少ない。
肉は少なく、国民は肉より魚を好む。
魚はその量多く、はなはだ美味である。

邸館または田野において戦があると市民はそれを見物している。
戦争では双方まず矢を放ち、更に近づいて槍を用い、最後に刀剣を交えて戦う。
パードレ・ガスパル・ビレラ 1557年
0447人間七七四年2009/10/27(火) 22:37:00ID:Mt5m8xsa
>>445
ブリタニカ辞典とかは、「明治の民法制定で農民が貧しくなった派」だよ
0448人間七七四年2009/10/27(火) 23:13:43ID:VoT6p/CZ
辞典のたぐいには、書いた人とか、監修した学者の名前があるでしょ?
せめてそれを出さないと。

そりゃ地租改正やら徴兵やらで
『一時的に』明治の百姓の負担が増えたのは事実でしょ。
輸入超過の貿易で、日本全土が不況に見舞われたのも事実。

だけど「江戸時代は明治時代とくらべて豊かでした」なんてこと
どこかに書いてる学者いるの?
0449人間七七四年2009/10/28(水) 23:33:28ID:8vhVOECo
>>448
婚姻
Edmund Ronald Leach(松園万亀夫訳)

"かつて公的にはきびしい村単位の賦役があったにせよ、その背後には比較的自由で
情緒的な共同体集団があり、そこでの婚姻関係があって、息を抜く安らぎにもなっていた。
それがいまや解体されて、人々はより小さな直接の経済単位となった家父長制家族生活によって
規制を受けることになったわけである。
大きくは横関係の大集団が解体し、縦関係の小集団組織に入っていくことは、
人々の生活は隠れるところなく、日夜家族生活によって規制されることになり、
人々はこの家族にまったく同一化し、ときには同化し埋没することになる。
(中略)
しかも、かつてのような息抜きの二重生活はもはやなく、そこでの責任と義務の疲労がいたずらに蓄積する。
さらに経済状況がきびしいとなれば、人々の生活は危機に瀕していく。
こうしてこれらの状況に見舞われやすい地域からは、人身売買、子女の女工化、出稼ぎ、離村
などが相次いで生じたのである。
 やがてこれらの出稼ぎ者や離村者が都市労働者を形成するに至った。"


日本史
Edwin O. Reischauer(山室まりや訳)

江戸時代の農地改良で余剰生産が生まれて農村は豊かになったんだけど(飢饉のときは別)、
明治維新後は日露戦争で勝つまで、農村も離村した都市労働者も悲惨だったって内容。
0450人間七七四年2009/10/28(水) 23:55:34ID:8vhVOECo
身売りの数でいっても、江戸時代よりも昭和になってからの方が多い。

江戸時代後半が寒冷化してて飢饉の連続だったことを考えると、江戸時代の農民生活はそれほど悪くなかったのでは。
むしろ、明治に入ってからよりは良かったかと。

ちなみに、戦後も寒冷化したけど、石油で作った窒素肥料のおかげで食糧問題が解決していたからなんとかなった。
ようするに、石油がなければ、今も江戸時代以下だった可能性があるわけでして。
0451人間七七四年2009/10/28(水) 23:59:41ID:16yYRDMf
そもそも
農民生活がいいとか悪いとか何を基準にして言ってるの?
0452人間七七四年2009/10/29(木) 00:17:32ID:OHzANRRG
http://www8.cao.go.jp/shoushi/whitepaper/w-2004/html-h/html/g1110040.html

貧しくて農民が貧窮にあえいだはずの明治時代。
あら不思議。
人口はコンスタントに増加して行ってますが、これはなぜでしょう?
0453人間七七四年2009/10/29(木) 00:30:29ID:OHzANRRG
>>452は総務省のサイト 
内閣統計局「明治五年以降我が国の人口」

>明治時代以降の日本社会は、人口は増加の一途をたどり、
>さらに人口増大圧力に対する対応が大きな課題となっていた。
 
>明治時代の人口推計によると、1872(明治5)年の日本の総人口は、3,480万人であった。
>現在から100年前の1904(明治37)年には、4,613万人となった。
>1912(明治45)年に、5,000万人を超え、1936(昭和11)年には、明治初期の人口の倍となる6,925万人となった。
>人口増加率は、毎年平均して1%を超えていた。
>こうした人口増加の背景には、明治以降の農業生産力の増大、工業化による経済発展に伴う国民の所得水準の向上と生活の安定、
>保健・医療等の公衆衛生水準の向上、内乱がない社会の安定等、様々な要因があげられよう。


・・・どう見ても、「明治時代に日本は飛躍的な発展を遂げ、豊かになった」というべきだね。
0454人間七七四年2009/10/29(木) 00:58:27ID:pkOdKrIo
>>451
労働時間
江戸時代は週休4日
明治時代以後は週休1日
0455人間七七四年2009/10/29(木) 01:03:29ID:pkOdKrIo
>>452
逆だよ
「人口が増加してるから」、貧困だったんだよ

世界の貧困の原因は人口爆発
明治以降の日本の人口増加率は50年で2.5倍で、今のアフリカの人口増加率に匹敵してたんだよ

欧米から見た未開地域に、欧米の一夫一婦を導入すると貧しいくせに人口爆発してさらに貧困になるのが歴史の法則

工業化で経済発展できた理由もよく考えてみると、農村から借金のかたに売られた農民たちが工場に詰め込まれて結核まきちらしながら働いてたわけで
今の中国みたいに
0456人間七七四年2009/10/29(木) 01:06:41ID:pkOdKrIo
>>453 >さらに人口増大圧力に対する対応が大きな課題となっていた。     って書いてあるやん
0457人間七七四年2009/11/24(火) 12:53:51ID:4tFkucgw
この国では戦争が絶えることがない。
戦争が多いため耕地はまだ少ないが、
土地は非常に豊沃なのでわずかな耕作で多量のコメを得ることができる。
このコメがすなわちこの国の主要な食料になっている。
また麦、粟、大麦、ソラマメ、そのほか豆類、野菜は大根やカブラ、ナスが豊富である。
果物はナシ、ザクロ、クリなどがあるが非常に少ない。
肉は少なく、国民は肉より魚を好む。
魚はその量多く、はなはだ美味である。

邸館または田野において戦があると市民はそれを見物している。
戦争では双方まず矢を放ち、更に近づいて槍を用い、最後に刀剣を交えて戦う。
パードレ・ガスパル・ビレラ 1557年
0458人間七七四年2009/12/30(水) 05:06:37ID:4OEnFhjZ
1429年、日本に来た朴端生は、「日本の農人、水車の設けあり」として、
学生の金慎に「造車の法」を精査させて模型を作り、
鍍銀(銀メッキ)、造紙(紙漉)、朱紅、軽粉などの製造法を祖国に報告している。
日本の貨幣経済の実態や、店舗商業の発展等にも及んだが、
その中で技術にまで言及していたのは、
渡航前に世宗から「倭の紙、堅籾、造作の法また宜しく伝習すべし」と、
日本の技術を導入するように命じられていたからである。
日本の水車はその百年以上も前に、「徒然草」(第五十一段)に記されており、
当時には農民達の手で取り付けられていた事を考えると、
日本と朝鮮の間には相当の技術格差があったのではないかと考えられる。
0459人間七七四年2010/01/03(日) 20:55:24ID:2SVr+VrX
■2ch 検索 電通
http://find.2ch.net/?STR=%C5%C5%C4%CC

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0460人間七七四年2010/01/03(日) 23:14:50ID:jmFYx6vb
>>454
そういや五公五民とかで農民は搾り取られるとか
言ってるけど、冬場とかやることなさそうだしな。
休みは結構あったんじゃねぇの?
0461人間七七四年2010/01/05(火) 15:41:22ID:2j5aO0LX
世界の銀流通の70%くらいを産出していた時もあったな
まあ現代の生活水準と比べてはあれだが
飢饉を除けば思うほど貧しいとかはありえんだろ
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