■熱く語ろうや柳生一族 ■
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0116人間七七四年
2009/05/27(水) 18:59:26ID:HkYTpnOb↑こういう記事があったけど・・・?
その昔、柳生宗矩という剣豪がいた。
判りやすく説明すると、徳川将軍家初代武術指南役を任せられた柳生新陰流の当主である。
この宗矩は指南役になって、直参旗本、大名となっても心は休まることはなかった。
彼には強力なライバルが多かったからである。
諸国を遊歴しながら武芸を磨く、放浪の剣豪 「 宮本武蔵 」
一刀流開祖から直々に剣を学び、夢想剣にて武蔵すら負けを認めた剣豪
「 小野次郎左衛門 」
天狗の化身とさえ言われた天流剣術の「 斉藤伝鬼坊 」・・・・
これらを差し置いて、指南役になれたのは ” 強さ ” ではなく
将軍への指南の際、直参の連中へ手心を加えたためであったとも言われ、これが就任の原因であったと言われる。
現代でも、宗矩は剣術家としては2流であると言われてる原因でもある。
その他、将軍家にも信頼を置かれ、当時京都の仏教界では一大発言を持っていた沢庵和尚の推挙もあったとも言われている。
武芸の必要の無い将軍家へは、型だけのヌルイ稽古と
仏教界からの進言で指南役に納まった宗矩は、つねに武芸者からの非難の矢面であった。
(事実、小野次郎左衛門は、刃引きの剣で稽古をしたため、徳川家の者は皆閉口したとも言われている)
其ればかりではなく、男色家だった徳川家光に尻の穴まで貸したとさえ言われている。
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