【武田】2万5千で上洛【信玄】その48
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0763人間七七四年
2007/03/25(日) 10:11:42ID:BApwTAp2信長にしてみれば信玄側に寝返られないようにやむを得ず佐久間・林などの小軍勢を送り三方ガ原で大敗。
信玄がもし春に帰るつもりならワザワザ寒いなか越冬しないで伊那まで退却する。または無理してでも浜松城を強襲して帰る。
よって一大決意の西上作戦を指向し春には帰らず三河国で作戦を継続する予定だった。
野田城陥落まじかで、徳川は次の武田戦略目標が読めず岡崎城・吉田城・浜松城に兵を分散してる。
信玄は自由に防衛力が低い攻城地を選択できる体制を築いている。
この流れから三河国・遠江国が武田領国になってしまう可能性が非常に高い。
なんせ信長は東美濃に進出され叔母を強奪され信長の末子を甲斐に連行されても反撃不能。
織田家臣を含め武田との正面決戦を避ける動きがある反面で信玄は織田との戦いに何の憂いもないどころかやる気満々。
解答…天正2年には信玄は見事に尾張に侵入してきます。
平城の清洲城は防衛力低いので平山城の小牧城か岐阜城で防衛体制を築くと思われ。
犬山城はそもそも美濃側に対しては防衛力があるが、信玄北上の場合は木曽川を背にするので退路がないので無理。
よって尾張半国はあっというまに占領されます。
織田包囲網はとっくに息を吹き返し、東美濃や北美濃は武田側。
いまの可児市あたりの森氏あたりが動揺しまくり信玄得意の調略が始まります。
信長に勝てる見込みはありませんね。
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