【武田】2万5千で上洛【信玄】その48
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0596人間七七四年
2007/03/21(水) 15:54:23ID:AGmh61Nnてたでしょうねえ。
元亀2年12月27日、北条氏康の遺言により北条氏政が同盟を要請してきた。
ここに甲・相同盟が成立。
後顧の憂いの心配がなくなった武田信玄は、いよいよ本願寺顕如、比叡山
延暦寺、室町将軍・足利義昭らの上洛要請を受け、織田信長打倒の兵を挙
げる。
武田信玄は、まず足利義昭の仲介のもと、越前・朝倉義景(よしかげ)、
近江・浅井長政(あさいながまさ)、大和・松永久秀(ひさひで)などの
有力大名、各地の一向一揆、伊勢に亡命中の六角氏からなる「信長包囲網」
を形成した。
さらに、武田信玄は織田信長の家臣にも手を伸ばす。近江・蒲生賢秀(がも
うかたひで)、美濃国郡上郡・遠藤氏と内通。また、徳川家康を牽制(けん
せい)するため三河一向一揆とも結んだ。
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