家康は本当に野戦の達人?
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0001人間七七四年
2007/03/11(日) 00:04:50ID:jgwWrmey本当にそれほどの戦上手なのでしょうか?
0010人間七七四年
2007/03/11(日) 02:59:59ID:DLLR1HYa>単に戦だけなら謙信や義弘、信玄と言った武将の方が文句なしで強かった
それも微妙じゃね?どちらが強いにせよ大差は無かったと思うが
0011人間七七四年
2007/03/11(日) 10:28:51ID:K4svnxfP名人戦
0012人間七七四年
2007/03/11(日) 22:54:44ID:8gfIiuQO若い頃は家臣団に支えられていた部分も大きいだろうし、
中年以降は戦術家ではなく戦略家だべ。
大将としてはすげーと思うけど、前線指揮官としての才
能はよくわからん。
0013人間七七四年
2007/03/11(日) 23:18:56ID:HEBmG4Cx見えなかったんじゃ内科医?
三角形に陣取る姿は、正面から見たとするならば、三角形の中央
付近にしか兵が集まってないように思えたんじゃないかな
0014人間七七四年
2007/03/12(月) 01:48:23ID:0lxJyQPt○ 魚鱗の陣
0015人間七七四年
2007/03/12(月) 06:41:46ID:rNhvjHwq兵数は西軍の方が上回り、陣形も東軍を包囲した西軍必勝の配置。
事前に西軍内部に裏切り工作をしておいたおかげで、
西軍が不統一だったとはいえ、
小早川秀秋や吉川広家の動向はあくまで不確定要因。
特に性惰弱な小早川秀秋はどちらに転ぶか全くの不明で、
こんな頼りにならない連中を戦力に見込んで戦をした家康は凡将とさえいえる。
開戦当初から東軍は西軍に押されっぱなしで、
小早川秀秋がトチ狂って東軍に攻めかかっていたなら、
東軍の負けは明らか。
そもそも家康の戦歴で特筆すべき戦は、
姉川での浅井軍への横入れと小牧長久手での局地戦の勝利くらい。
将才はたいしたことはない。
0016人間七七四年
2007/03/12(月) 08:20:54ID:LgdeM8Ti姉川の奮戦と小牧・長久手における中入り潰しはそれなりに評価していいと思うよ
例え相手が義景や秀次だろうと
0017人間七七四年
2007/03/12(月) 10:36:42ID:TwZZHwGtボウリングやったことある?
0018人間七七四年
2007/03/12(月) 10:49:52ID:mkkDTRNRお前滅茶苦茶頭いいな!
天才だよ!
「クラウゼヴィッツを越えた>>13様が語る三方ヶ原援交白書」で論文一本書けるよ。
0019仙台藩百姓
2007/03/12(月) 11:32:52ID:NC8LHG0o本能寺以後も小牧長久手で豊臣の一部隊撃破しただけ
家康もこんなもんしか自慢するものがなかった
関ヶ原や大坂の陣はぐだぐだ
大軍の指揮ができない事が露見したお
0020人間七七四年
2007/03/12(月) 12:23:37ID:sY2hVv580021人間七七四年
2007/03/12(月) 12:53:26ID:3Ryiib7q冗談抜きに三方ヶ原で数の少ない家康が一枚布でしかない鶴翼の陣を
ひいたのは、まんまと釣り出されてしまったため、にらみあった状態の
ままジリジリと退いて行くために、数だけは多く見せようと幅だけ
広げたという説が濃厚とされていた。
関ヶ原も策略によって西軍をまんまとはめた一戦のように言われて
きたけれど、最近では退くに退けなくて野戦に持ち込んだけど、
これで負けたら後が全くと言っていいほどなかった東軍が、大坂を
拠点に数年がかりの長期戦に持ち込めると信じていた西軍の油断に
乗じただけのビギナーズラックみたいなもんだったと言われてるし。
0022人間七七四年
2007/03/12(月) 13:19:46ID:TwZZHwGtだれが言ってるの?
あと、beginnerを和訳してみて
0023人間七七四年
2007/03/12(月) 13:26:30ID:L0VhsIcu後、大坂夏の陣天王寺合戦は家康は中央に敵を誘因して両翼で包囲を狙った配陣をしそれに成功している。
0024仙台藩百姓
2007/03/12(月) 13:43:04ID:NC8LHG0o0025人間七七四年
2007/03/12(月) 14:05:02ID:L0VhsIcu0026人間七七四年
2007/03/12(月) 14:10:16ID:sY2hVv58実際、大阪の冬、夏の子細については知らないけど。
0027人間七七四年
2007/03/12(月) 14:18:42ID:L0VhsIcuどうせ豊臣方が突っ込んでも、後がいないのなら孤立は避けられない。
それに逃げる事に関しては家康は戦国一ですし。
0028人間七七四年
2007/03/12(月) 14:49:48ID:LgdeM8Ti撃破に成功した、なんてまことしやかに言われてるけどさ、
あの状況でなんでそんなオール・オア・ナッシングな戦術取らなきゃいけなかったか理解に苦しむね
もし万一大坂の陣で家康が死んでたら家康が十年掛けて地固めした徳川幕府が瓦解する可能性もあったのに
普通に油断してただけじゃないの?
0029仙台藩百姓
2007/03/12(月) 14:57:52ID:NC8LHG0o有利な状況でわざわざ初めから命からがら逃げ回る予定だったのなら
それ以外に考えられません
やはり三方ヶ原で糞漏らしながら逃げ回った事で目覚めてしまったのでしょう
大坂でも糞撒き散らしてた可能性大
0030人間七七四年
2007/03/12(月) 14:59:51ID:L0VhsIcu相手は堀を埋め立てられたとはいえ、野戦築城は当然行っているだろうから、そこに閉じこもったら小牧・長久手みたいに長期戦にでもなったら意味がない上、財政的にも厳しい。
となるといかに相手を陣地から誘い出すかが重要になる。
0031人間七七四年
2007/03/12(月) 15:03:10ID:EdO7yAQe「海道一の弓取り」と言われて、「俺がかよ」とか思ったんじゃないか?
結果天下取れたから「狸もおだてりゃ木に登る」ということだろ
0032人間七七四年
2007/03/12(月) 15:10:50ID:LgdeM8Ti随分当時の幕府財政は逼塞してたんだなあw
自分には如何にも後付の話のように聞こえるけどね
まあ夏の陣の前に三日分の兵糧だけ用意するように伝えたという逸話も有るからね
自ら覚悟して囮になったというならそれはそれで大したものだろう
自分がイメージする名将とはちょっと違うけどね
0033人間七七四年
2007/03/12(月) 15:43:26ID:3Ryiib7q読み物ばかりだろ。「甲陽軍鑑」にしても江戸期に入って編纂された
部分で徳川の強さを喧伝している部分は笑いものになっていて、お陰で
現在では「明らかに甲斐の現状を知っていた人間しか書けない」とされて
いる部分まで長く不審の目で見られていたわけで。
関ヶ原にしろ夏の陣にしろ、あと付けの弁明になっていない弁明が過ぎる。
さすがに三方ヶ原は言い訳のしようがなかったのに、昭和に入ってからも
「男の意地を貫くために横一文字になって信玄の行く手に立ち塞がった」
なんていう卒倒モノの擁護を形にしちゃう人がいるんだから。(それを
信じていた人間って相当たくさんいたんだろうな)
ほんとマグレでも勝ってしまえば、他人が後から勝手に理屈付けして
くれるっていうのは実感できる現実だな。
0034人間七七四年
2007/03/12(月) 15:59:15ID:1jZMo37Yくだらねえ。どうでも良い事だろうよ。
最終的に天下を獲ったのは家康なのだから。
0035人間七七四年
2007/03/12(月) 16:12:44ID:cU9WCxfj通説通りに野戦が強かったのかどうかが問題なんだよ。
0036人間七七四年
2007/03/12(月) 16:35:36ID:3zgZ0wlH0038人間七七四年
2007/03/12(月) 23:15:41ID:mD1qw9Ya大軍を操り敵の大軍を撃破できることを指すのか
少数でもゲリラで撹乱して敵を苦しめられることを指すのか
前者なら関ヶ原という家康の実績を超える人間は日本には存在しない
後者なら真田あたりの方が上だろうが
0039人間七七四年
2007/03/13(火) 00:01:29ID:8v1KL4uH関が原の布陣はどう見ても負け戦の布陣だそうですが。
勝ったのは政治力の力だから「野戦」の達人とは言えない。
0040人間七七四年
2007/03/13(火) 00:10:25ID:HT0oG7Ge布陣もなにもすべて誰が見ても必勝状態でやらなければ達人ではない?
それは達人というより虐めじゃないか?
0041人間七七四年
2007/03/13(火) 00:16:04ID:9yr6ExHc本陣で小早川の裏切りを待って爪噛んでただけ
0042人間七七四年
2007/03/13(火) 00:49:22ID:G6w8Qb3X勝敗を度外視すれば石田三成が達人ということになるが?
0043人間七七四年
2007/03/13(火) 00:59:49ID:rJTlfMg+0044人間七七四年
2007/03/13(火) 01:15:28ID:vk30VZgH関ヶ原が起こらなければ家康の天下は実現しなかったかもしれない
つまり家康は強すぎてもいけないし、弱すぎてももちろんダメ
三成としては勝てそうだったので挙兵したが、やはり勝てなかった
家康の微妙な強さは達人というか、名人芸の域だろw
0045仙台藩百姓
2007/03/13(火) 01:17:41ID:rms9JIhu両方に決まってんじゃん
むしろ全てと言うべきか
大軍同士でも小数同士でも
大軍に寡兵で挑んでも
寡兵に大軍で挑んでも
全てに於いて負けないのが達人
つまり政宗公は達人だお( ^ω^)
むしろ神かな
0046人間七七四年
2007/03/13(火) 02:10:41ID:VL84fukV同意。
関ヶ原は結果的に小早川の裏切りと毛利が動かなかったのが勝敗を分けた。
実際関ヶ原では裏切りと傍観が出るまではどちらかというと西軍が押してたしな。
もし西軍が東軍を圧倒するようなことになってたら、いくら家康が事前に調略してても
小早川も西軍側で戦うことだって十分あった。吉川広家だっていつまでも毛利を
止めておけるわけない。
家康は関ヶ原では運に助けられた部分が大きいと思うよ。
0047人間七七四年
2007/03/13(火) 03:10:29ID:4pBmQ+02こやつの人生全てが運。
実力ではない。
0048人間七七四年
2007/03/13(火) 06:59:23ID:rJTlfMg+傍観は開戦時からずっと始まっていたのだが。
家康自身も勝算があるとみたから、徳川本隊が到着していないという最悪の事態にも関わらずあえて開戦に踏み切ったわけで。
0049人間七七四年
2007/03/13(火) 08:19:06ID:e2OXDcnuもう定説だと思ってたんだが。合戦中に鉄砲打ちかけられて裏切りなんて講談話をいまだに信じてる奴が
この板にまだこんなにいるとは。
0050人間七七四年
2007/03/13(火) 09:35:37ID:iRKYNi2+北条滅亡後の関東と支配者になると牽制役の堀や蒲生が都合良く死ぬ。
その後も有力者となった結城秀康、加藤清正、浅野、小早川など邪魔者も次々とことごとく若くして死ぬ(毒殺?)
こんな都合のよい展開はなかなかないよ。
0051人間七七四年
2007/03/13(火) 09:54:10ID:TNmiymrsエリマキトカゲみたいだな。ワロタw
0052人間七七四年
2007/03/13(火) 10:36:02ID:8fZ16ozwほとんど存在していなかったはずだが。参戦していた奴も含めて
ほぼ全員が「豊臣政権内部の主導権争い」と思っていたはずだ。
で、この野戦一つで天下の趨勢が決まる(もしくは決まった)と
思っていた奴もほとんどいなかったろう。大坂を中心にむこう
数年は内乱が続くと信じていた人間が日本中にゴロゴロしていた。
結果的に「ここで負けたら関東のボロ城を枕に、ジリ貧どころか
一気に掃討されてしまう運命しかない」と危機感の固まりになって
いた徳川勢が必死に攻め、「まあ退いて次に備えっか」とやる気の
なさ全開だった西軍諸将を追い散らしたあとに、うまい具合に
(世の中そんなに変わらないんじゃないのと甘く見ていた)周囲が
バタバタ試合放棄を繰り返して、「結 果 的 に」関ヶ原だけが
大規模な合戦になって「これが勝敗を決めた」形になった。
今で言えば日本シリーズの第1戦、強いはずのチームが先発に
様子見を立てて試合を落としたあと、本社の事情やらで以後の
試合ができなくなり、結果的に1勝した相手チームが「日本一」に
なったようなもの。しかしその第一戦に勝った投手や監督が
日本一の名選手・名監督って呼ぶのは普通ハァ?って思うだろ。
0053人間七七四年
2007/03/13(火) 11:01:09ID:G6w8Qb3X西軍がバラバラなのは三成の統率が下手だったのと家康と直接刃を交えるのにビビったからだろ
その躊躇を利用して一気に勝負を決めて長期化の予想を覆したのが凄いんだろ
野球でいうなら九回まであると相手が油断してる隙に20点取ってコールドゲームにしたということ
当然名将に決まっている
0054人間七七四年
2007/03/13(火) 11:02:15ID:WPdDWTkv勝負所を読むのは達人の条件
0055人間七七四年
2007/03/13(火) 14:08:45ID:exXFEynL0056人間七七四年
2007/03/13(火) 15:26:04ID:jX2Rkd4h関ケ原は参考外でいいと思うよ
0057人間七七四年
2007/03/13(火) 18:59:23ID:G6w8Qb3X大軍であればある程それを管理し操る大将の能力が問われる
大将の能力が悪ければ大軍はすぐに崩壊してしまう
少数のゲリラやテロ戦術なら大将の能力はそれ程影響しない
0059人間七七四年
2007/03/13(火) 19:54:52ID:+s+yt/Nqそう。後になって「あぁあの時、時代が動いた!」という時ってのは
その中にいる人にはわからないもの
当代きっての軍師、黒田と真田が長期戦になると踏んでたのがその証拠
彼らが呆れ果てていたくらい毛利の対処がバカ丸出しだったのはあるが
少なくとも家康の野戦の能力が決め手だなんて考える奴はバカ
安部が首相になれば日本は安泰と考える奴と同じ
0060人間七七四年
2007/03/13(火) 20:24:40ID:9yr6ExHc戦前の多数派工作はともかく、関ヶ原本戦で家康が何やってたかというとまあ何もやってないわな
秀忠の別働隊が間に合わなかったせいで戦争で功績を挙げたのは
譜代じゃなくて福島・黒田・細川といった豊臣恩顧の大名たち、
そのせいで彼らに大封を割り当てざるを得なくなったわけで
松尾山の小早川に鉄砲撃ちかけて秀秋の去就を決定付けた、というのも与太話だしな
精々前線で激しく戦ってる黒田長政の陣に何度も
「何時になったら小早川は裏切るのか?」って使者出してうざがられたくらいか
0061人間七七四年
2007/03/13(火) 21:20:17ID:WPdDWTkv軍師の読みなんてそんなレベル
本物の将がここを決戦地と決めてその気になれば軍師の読みなんか消し飛ぶという話
いずれにしても家康を侮りすぎた
0062人間七七四年
2007/03/13(火) 22:28:38ID:HT0oG7Ge戦闘中にあちこち動くのは下っ端のすること
大将とは事前の準備を済ませたら戦闘中は手下どもが必死に仕事するよう睨みを利かせるのが役目
総大将の仕事というものを根本的に勘違いしていないか?
0063人間七七四年
2007/03/13(火) 22:37:22ID:9yr6ExHc関ヶ原における家康は本多や井伊みたいな一部の譜代武将を除いて、
東軍の総司令官というよりはあくまで反三成派の盟主といったような立場
福島・黒田・細川といった東軍主力の豊臣恩顧の大名達は
家康を一応の代表と仰ぎながらも家康の直接的な指揮は受けない立場だった
実際のところ上記の連中は関ヶ原本戦で家康の指揮なんて受けずに勝手気侭に西軍と戦ってただけ、
彼らの働きで東軍が西軍を破ったとしてもそれ即ち東軍代表である家康の功績とはならないというだけの話
もし秀忠の別働隊が関ヶ原に到着して、彼らの活躍で東軍大勝となってたらそれは家康の功績だと言えるだろうが
0064人間七七四年
2007/03/13(火) 22:50:16ID:HT0oG7Ge勝手気侭だったらそもそもあんな包囲される布陣で戦うこと自体を拒否するだろ
前哨戦の岐阜攻めだって家康が攻めろと命令してから攻撃が開始されているわけだし
関ヶ原の時点ではまだ直接的な主従関係がないというのは確かだが
それを盾にかなり悪意的な解釈をしていると言わざるをえないよ
0065人間七七四年
2007/03/13(火) 22:56:48ID:0WY2kuU0どうやって拒否するんだ
0066人間七七四年
2007/03/13(火) 23:01:59ID:HT0oG7Ge>>63の脳内基準なら拒否できるんじゃないかw
0067人間七七四年
2007/03/13(火) 23:04:43ID:9yr6ExHc三成に多少不利な陣構えを布かれててもそれを気にせず戦ったというだけのことだろ
福島正則が先鋒の座を譲らず家康相手にかなり揉めたという話も有名だし、
実際に関ヶ原が始まってからは黒田・細川なんかが三成隊に殺到しちゃったせいで
ほぼ一隊で三倍近い宇喜多勢と戦ってた福島隊が危うく潰走しそうになる始末w
どう考えても一人の総司令官の下に組織的な戦闘行為が有ったとは思えない
もし家康がこういう筋書きを書いてたとしたらアホだ
0068人間七七四年
2007/03/13(火) 23:04:51ID:oL9LKgCN上の言う事を聞かずに戦う事はあまりに危険で、
結果的に上下関係が強くなる。
既に政権内でもトップの実力だった家康が
あえてこの時期に乱を求めていたのはそういう側面も強い。
その中で見事に動かしているのは間違いなく家康の実力。
0069人間七七四年
2007/03/13(火) 23:19:41ID:WPdDWTkv孫子の兵法でいう自らを死地に追い込んで、
東軍は結束して戦うしかない状況を作り出したのかもね
まあ家康の深慮遠謀だろ
0070人間七七四年
2007/03/13(火) 23:21:06ID:9yr6ExHc家康を派閥の盟主として仰ぎ、その与党として家康の軍事作戦に従軍するのと
実際の戦闘で家康の下知に従って整然と動くというのは全然別だろ
それがわからないなら君はアホだし、
意図的に混同してるなら救いようが無いな
0071人間七七四年
2007/03/13(火) 23:51:28ID:HT0oG7Geこれって西軍に対する評価だろ
家康は恩顧に城も領地も差し出させており東軍はそんな悠長な戦闘をしていられる立場じゃないぞ
それと宇喜多には福島一隊ではなく井伊と松平忠吉を含めて戦い、大谷には藤堂隊が戦っている
三成に対して全員走ってしまい他はすっからかんなんて考えているのは君だけだよ
0072人間七七四年
2007/03/14(水) 00:10:54ID:8Iiaofod松平忠吉&井伊直政の軍勢は宇喜多勢にかかりきりになってたわけじゃないし、
彼らの兵力と福島隊の人数を合計しても13000で宇喜多隊17000に比べてまだ兵力差が大きい
対して6000前後の石田隊に黒田・細川・田中・筒井・加藤ら20000弱の兵が殺到してる
(数字は参謀本部編纂の推測値だからあんまり突っ込まないでほしい)
前線の福島隊が潰走すれば戦線が崩壊する危険があったわけで、
そういう状況でこんな無茶苦茶な兵力配分になってしまったということは
家康の下知が東軍全軍に行き渡ってなかった証拠だろう
西軍が指揮系統に異常があったっつーかそもそも一部の大名を除いて戦意自体無かったというのは事実、
だが東軍も家康をトップにした完全な一枚岩だったというわけじゃない
まあきちんと西軍相手に戦ったというだけで西軍よりは遙かにマシだとは思うけどね
0073人間七七四年
2007/03/14(水) 00:42:44ID:bqwRFcb90074人間七七四年
2007/03/14(水) 00:49:23ID:8Iiaofod豊臣恩顧の大名達を反三成の機運を作って纏め上げ、豊臣政権内で自分に反対する連中を討つ、
関ヶ原戦前における家康の多数派工作は文句のつけようが無い
ただ関ヶ原本戦ではその調略で自分の味方にした大名たちが頑張って西軍を倒してくれたわけで、
家康自身はただ見てるだけだったわけよ
この一戦を持って家康の野戦指揮官としての才能を評価できるかというと微妙
まだ姉川とか小牧・長久手の方が評価できる
0075人間七七四年
2007/03/14(水) 00:53:21ID:VzyluoNz無理に政治力と切り離す方が不自然。密接に絡み合っているのだから。特に関ヶ原という戦さでは。
0076人間七七四年
2007/03/14(水) 00:58:50ID:8Iiaofodゴチャゴチャになって戦ってる最中における部隊指揮はやはり分けて考えるのが自然だと思うぞ
ていうかそういうのを分けて評価しようとするスレだと思うんだが
そうでないなら「家康は戦に強かった」で終わりだろう
これなら殆どの人間に異論は有るまい
0077人間七七四年
2007/03/14(水) 01:12:38ID:VzyluoNz攻城戦よりは野戦の方を得意としていたというのはよく聞くが。
その点秀吉とは対照的に。
0078人間七七四年
2007/03/14(水) 01:22:48ID:8Iiaofod多分今川氏真&朝比奈泰朝主従が籠る遠江掛川城攻略に手間取ったり、
犬居城を攻めてる最中天野景貫に痛撃喰らった印象が強いのかもしれないけど、
どっちも最終的には開城させて戦略目標を達成してるわけだからそんなにとやかく言うような内容でもない
小田原の役での北条の支城群を落とした手腕は秀吉にも劣らないっつーか
この戦いに関しては豊臣軍以上に頑張ったと言ってもいい
秀吉が精魂掛けて作った日本史上最大の大要塞大坂城も最終的には陥落させてるし、
家康に落とせなかった城なんて生涯で一つも無いんじゃないかな
0079人間七七四年
2007/03/14(水) 01:56:00ID:p/vUXHOt同意
城攻めなんてのは古今問わず厄介なもんだしな
別に家康が野戦が得意で攻城戦が不得手ってわけじゃないな
0080人間七七四年
2007/03/14(水) 10:38:06ID:8QCdEWww家康は戦になるとまるで人が変わったように大音声で号令を発したそうだ
城攻めはあの手この手の調略が得意な秀吉の方が向いていると思われた
家康は不器用なイメージがあったので苦手と言われたんだろう
0081人間七七四年
2007/03/14(水) 15:25:37ID:9kwB/+Niホントそうだなw
関ヶ原一つとっても家康にとっては計画違い、計算違いのオンパレード。
これでちょっとした事で負けていたら、関ヶ原までの積み上げがまったく
同じでも「勝てっこない戦いに追い込まれたバカ大名」「愚将」として
勝った戦いの話も封印され、三方ヶ原の惨敗や一向門徒に振り回されて
いたことばかりが本やテレビで強調されて「太りすぎて馬にも乗れない
デブ」とか悪いイメージまで捏造されていたんだろうな。
勝ってしまえば、おべっかを使うことが生きがいみたいな蛆虫どもが
どんな事実にも目をつぶり「勝負所を読む達人」「家康に落とせなかった
城なんて一つも無い」という発狂した発言を並べてくれる。楽なもんだw
0082人間七七四年
2007/03/14(水) 18:52:27ID:VRz9gHJv0083人間七七四年
2007/03/14(水) 19:24:56ID:qR2AduDy同意
0084仙台藩百姓
2007/03/14(水) 19:47:22ID:KQt5pn6C家康が総大将つとめた大規模な野戦と言えば三方ヶ原のボロ負けと
長久手で秀次、池田親子らに勝ったのぐらいしか思いつかん
さあ、徳川厨よ出番だ
0085人間七七四年
2007/03/14(水) 20:33:47ID:x/mThNUZオーソドックスに関が原。
0088仙台藩百姓
2007/03/14(水) 21:55:22ID:KQt5pn6C0089人間七七四年
2007/03/14(水) 22:09:18ID:8Iiaofod0090人間七七四年
2007/03/14(水) 22:10:50ID:nsBI89caだからいざ戦の時には福島を始め、死にもの狂いだわな、日和見なんてとんでもない
野戦だが、あの信玄に寡兵でもって三方が原だ、自信があったつうより過信だろ
長篠の戦では右翼の柵のない所で勝頼を破っているし
0091人間七七四年
2007/03/15(木) 00:04:59ID:eZuYkETqその結果、周到に張り巡らした準備のおかげで実際の戦場ではほとんどなにもしなくて勝利をおさめてしまう場合もある。
ある意味、最高の成果なのだが、それをもって「あれは政治力による勝利だから、野戦の能力とは別」という評価をしては
本末転倒な気もするな。
0092人間七七四年
2007/03/15(木) 00:17:43ID:lWbpFoGUたくさんあった香具師は、かなり少ない
だから、家康は野戦の達人だって話になってるんだろ
政宗にも共通する話だな
0093人間七七四年
2007/03/15(木) 01:00:52ID:fkZC/MsF0094人間七七四年
2007/03/15(木) 01:01:28ID:gGOaQnmcいいたいことは判るんだが>戦場に出る前の準備も これはまさに政治や謀略、戦略の
話であって野戦能力とは別だろう。
0095仙台藩百姓
2007/03/15(木) 01:26:29ID:RvcohfXjいかにも取って付けたような話しだお(;^ω^)
家康の戦国大名としての実績はたかが知れてるお
名の響いた大名に比べれば遥かに劣るお
家康の名声は結局長久手の一戦で秀吉に引き分けたと言う一点のみ
秀吉の武威にあやかったものだお
生涯に二回も本陣が潰滅し逃げ回ったとか
名が知れた大名の中では珍しいお
戦下手とは言わないまでもトップクラスに入る人物とは到底思えないお
0096人間七七四年
2007/03/15(木) 01:56:14ID:RcKKxNDcじゃあ訊くが家康より野戦が
得意なやつは誰だよ。
0098人間七七四年
2007/03/15(木) 02:15:37ID:MpQjlezE一度や二度の成功で、家康よりも得意なやつは誰だと言われても・・・
それくらいの成功なら結構多くのの大名が成し遂げてると思う。
関ヶ原は野戦っていうより謀略の発揮場所だったもんな。
明治時代に陸軍の指導にきたドイツ軍の参謀が、関ヶ原の東軍西軍の配置を見て西軍が勝つって断言したエピソードもある。
軍事の専門家から見て、東軍の布陣はそれほどお粗末なものだったそうな。
0099人間七七四年
2007/03/15(木) 02:20:46ID:fkZC/MsF軍事の専門家ですら負けると判断するような情勢で勝ったんなら間違いなく優秀じゃないか。
あと1度や2度の成功というけど、人生の中でんな大合戦の大将を何度も勤めてそのたびに勝ちを収めてる
大将なんてなかなかいない、かといって細かいのならば家康だってある。
010096
2007/03/15(木) 02:23:05ID:RcKKxNDcどんどん名前を挙げれば家康は野戦の
達人じゃないと証明できると思うが。
逆に一人も名前を挙げられないのなら
やっぱり家康は野戦の達人だろ。
0101人間七七四年
2007/03/15(木) 02:30:10ID:cLyQq1ZT0102人間七七四年
2007/03/15(木) 02:58:26ID:ZixpWA4G0103人間七七四年
2007/03/15(木) 02:58:46ID:iP8oQkE5∧_∧
( ・ω・)=つ≡つ
(っ ≡つ=つ
/ 狸 ) ババババ
(_/ ̄∪
0104仙台藩百姓
2007/03/15(木) 03:12:03ID:RvcohfXj信長、秀吉を始め北条、武田、上杉、毛利、島津あたりの方が遥かに実績はあるお
家康の前半生は結局武田との戦のみ
武田と共同で今川攻撃
信玄にボロ負け
勝頼と小競り合い
織田と武田征伐
勝頼は無能扱いされるが徳川単独ではどうにもならなかった
そして信長の死により独り立ち
北条と対峙し引き分ける
秀吉と対峙し引き分ける
あとは豊臣家臣としての活動で戦国時代は終了する
三方ヶ原以外は無難と言えば無難だが
名を広めるほどの名勝負と言うものもない
特別戦上手とする根拠は見当たらないお(;^ω^)
やはり名を上げたものがあるとしたら長久手のみだお
それにしたって普通の戦いだし
0105人間七七四年
2007/03/15(木) 03:31:20ID:S/hGsVYoいやだから関ヶ原は謀略が活きたんだって。
東軍の勝ちの経緯を説明されたドイツ軍人が
「戦は情報と云々が大切だ」
って悟ったのって有名な話しじゃね?
0106人間七七四年
2007/03/15(木) 03:49:15ID:S/hGsVYo長期的に秀吉対信雄家康をみれば秀吉の圧勝だろ?
家康は長い戦の一戦で勝利したにすぎない。
信雄と組んでる割りには信雄のフォローもまるでできず犬山まででてこられてるし。
長久手の戦いについては
当時の秀吉が尾張閥出身者の意見を何度も撥ね付けるのは
内部崩壊を引き起こしかねない危険な行為。
意にそぐわぬ作戦でもやらせるしかないといった感じ
この局地的大敗北で尾張閥の意見を多少スルー出来るようになって
少し好都合なんじゃね?
佐々は前田に負けるし長曽我部も陽動の役にたたない
毛利は動かない
上杉は親秀吉
関ヶ原とまではいかないが日本の大名そこそこ動かしてるが
家康状況悪すぎ。
0107仙台藩百姓
2007/03/15(木) 04:07:11ID:RvcohfXj長久手も秀吉を直接破ったわけじゃないし似たようなもんだお( ^ω^)
0108人間七七四年
2007/03/15(木) 04:59:51ID:t2TBLNfN「仙台藩百姓」って名前から、伊達政宗厨の臭いがプンプンするんだが・・・
0109人間七七四年
2007/03/15(木) 06:48:27ID:eZuYkETq達人になればなるほど、確実に勝てる戦さしかしなくなるものだが。
逆にいえば、一見優勢そうにみえてもまずいと思えば潔く引く見極めも達人の証。
信雄が絡め取られたとみるや、あっさり和議に応じた判断も非凡。
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