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【歴史的難儀】本能寺の変の真犯人が判明【解決】

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0001人間七七四年2007/03/01(木) 19:57:03ID:MpT49E6f
本能寺の変で明智光秀は実行犯に過ぎず、黒幕がいることは明らかである。
その黒幕は誰か?を日本人は何百年も探しているが、やっと真犯人が見つかった。
まず、今まで有力だった説の紹介と論破をしてみよう。
説1 信長に権力を奪われた朝廷説
説2 信長に宗教はカルトと認定され延暦寺を焼き払われた僧侶説
説3 天下取るために信長が邪魔だった徳川説

説1ならば信長死後に朝廷が復権しようとするだろう。
だが、実際は朝廷の力は衰えるばかりで、信長に対抗する闘争心すら無かったので却下。
説2は光秀が個人的に信長を不信になる原因になっただろうが
光秀の立場や状況からして、それだけで謀反を起こすのは考えられないので却下。
説3は信長の死直後から山崎の戦いに至るまでに光秀は細川家や筒井家などへ
味方探しに奔走したが、光秀の味方をする諸大名がいなかったことから
織田家以外の大名の指示は考えられない。
他大名との共謀ならば、信長を殺ったあとに徳川家なり毛利家なり長宗我部家なり
その大名のところに逃げれば良いのである。

前置きが長くなったが、ここから本編に入ることとしよう。
本能寺の変が起こる前から秀吉は当時織田家最大の敵であった毛利攻めの過酷な任務を任され
中国地方へ遠征に行っていた。そこで出会ったのが稀代の軍師黒田官兵衛である。
この黒田官兵衛は奇抜で大胆な妄想家であり、それを実行しようとする変人である。
関ヶ原の戦いが起こってる間に、九州・四国・中国をまとめ上げて
関ヶ原で勝った方が弱ってるときに出陣し、天下を取ろうとしたほどである。(息子に邪魔される)
秀吉は官兵衛に毛利攻めの相談をし、官兵衛の知略を高く評価して
自分の右腕として働いてもらうべく、側近中の側近である軍師にする。
そう、本能寺の変の黒幕は黒田官兵衛である。
実行犯である光秀と秀吉は家柄は正反対だが大きな共通点があった。
外様でありながら早い出世をしたため、織田家臣の重鎮達から妬まれていたのである。
秀吉の天下人への野望、光秀の信長への不信感、その二人を繋ぐ織田家内での微妙な力関係
そしてそこに官兵衛の知略が加わり本能寺の変が起きたのである。

本能寺の変の直前に官兵衛が動いた。
秀吉は毛利攻めを着実に進め、官兵衛の水攻めで城が落ちそうになっているにも関わらず
信長に嘘を吐いて「このままでは危ないから援軍が欲しい」と伝令を出した。
このとき織田家臣のうち勝家は北陸、秀吉は中国、滝川は上野、河尻は甲斐にいた。
安土城にいたのは信長と家康と光秀である。
家康は三河(東海)に戻って兵を連れてくるには時間が掛かり過ぎるため
秀吉と光秀が内通してれば、今すぐ援軍が欲しいと言えば
信長が光秀をよこすのは簡単に見抜いていただろう。
現に信長は光秀にすぐに挙兵し、中国へ向かうように指示した。
そのおかげで光秀が信長の足元で大軍を率いても不思議じゃない状況ができたわけである。
信長も中国遠征に出ることになり、安土城のある滋賀から移動する途中
その日は京都の本能寺で寝泊りすることになった。
そこで大軍を率いて中国地方へ向かうはずの明智光秀が「敵は本能寺にあり」になったのである。
0182人間七七四年2007/03/04(日) 19:18:20ID:bhQtALoY
>181
>でも官兵衛と信長はあってない

おっと、またここに新たな説が誕生したぞ!
0183人間七七四年2007/03/04(日) 19:19:30ID:DUlZuCNO
丹波ー近江間は城があるんだが。山岡景隆とかな。

>いるとしても戦の無い滋賀か京だ
そこへ眠ってる明け方に突然1万の大軍で奇襲して攻めれば

だからおれは>>174のように返したんだよwwどこにいても奇襲成功なんて馬鹿な考えしてるからなww

んで、

>当時の人間関係くらい知ってないと歴史の闇は探れないよ

昨日の長岡が秀吉に情報を送ってたってのを知らないでほざいてた事は忘却しましたか?ww
0184人間七七四年2007/03/04(日) 19:20:04ID:+OT7xw5z
>>181
当時の人間関係にお詳しいようですが、もしかして官兵衛の生まれ変わりですか?w
0185人間七七四年2007/03/04(日) 19:32:40ID:Ojhq63PK
すげー返答楽しみ、はやく天才かんべーの奇想天外な
ハチャメチャ戦記よみたいぞww
0186人間七七四年2007/03/04(日) 20:03:02ID:kjE51kuj
ところで1は張良に対してどんなイメージ持ってるんだろう?
昔っから張良の一般的なイメージは「素晴らしい能力を持った一流の軍師」であって「時の権力者を暗殺しようとした反骨の士」なんて枕詞が着く事は先ず無いと思うんだけど
「ソースのない新しいことは何も言ってない話」として、『三国志』から
曹操に「我が子房(張良)」と言われたジュンイクにしたって権力者を暗殺しようとしたなんて過去は無い。年上の甥っ子はやったけどさ
「張良のようだ」の言葉に「反骨の士」の意味をこめて使った実例を是非とも挙げて欲しいんだが

割とどうでもいいツッコミでごめん。
でも、秀忠は普通に一般的な褒め言葉としてこの言葉を使ったと思うんだがどうか。この言葉が皮肉だなんて初めて聞いたよ
0187人間七七四年2007/03/04(日) 20:14:35ID:/4U84CBQ
>>186
は?お前が無知なだけだろw
張良は真の始皇帝を人間で唯一暗殺しようとした人物
かつ中国史上最高の軍師だ
官兵衛は絶対王者の織田信長を暗殺し(こっちは成功)
日本史上最高の軍師であるから官兵衛=張良なんだよ
0188人間七七四年2007/03/04(日) 20:17:27ID:GKUPVIh6
荊軻は人間じゃないのか?
0189人間七七四年2007/03/04(日) 20:21:12ID:Ojhq63PK
>日本史上最高の軍師であるから官兵衛=張良なんだよ

さすが天才!!もっと笑わせてくれw
01901862007/03/04(日) 20:29:26ID:kjE51kuj
なら無知な俺に君の意見が常識だって理由を挙げてくれ
「いつ」「だれが」「権力者を暗殺しようとした(またはした)軍師への褒め言葉(または皮肉?)として使ったのか」
1個でも2個でもいいから「秀忠が官兵衛に言った以外で」史書の例を挙げてくれな。
あと、念のため言うが俺は「最高の軍師」って事は否定してないんで。「暗殺計画者への賛辞」が前面に押し出された喩えに疑問を感じただけで


あと、1はわざわざそんな使い方するぐらいなら小説でよく取り上げられてる「半兵衛が張良、官兵衛が陳平」の喩えを使えばいいのにとか思った
0191人間七七四年2007/03/04(日) 20:31:28ID:/4U84CBQ
>>190
馬鹿だなお前
半兵衛は権力者を暗殺してない
張良と官兵衛はした
だから秀忠は二人を=(イコール)で言ったんだよ
0192人間七七四年2007/03/04(日) 20:36:59ID:bhQtALoY
「名将言行録」が出所の話をそんなに引っ張るな。
0193人間七七四年2007/03/04(日) 20:38:19ID:/4U84CBQ
>>192
お前の妄想よりよっぽど信憑性がある
0194人間七七四年2007/03/04(日) 20:40:35ID:Ojhq63PK
信憑性ときたwwww
腹いてぇマジでいてぇwwwwwww
0195人間七七四年2007/03/04(日) 20:44:13ID:+OT7xw5z
>>193
おまえの書き込みは全て妄想じゃねーかw
0196人間七七四年2007/03/04(日) 20:44:18ID:bhQtALoY
信憑性ゼロの話が並ぶ>1-2よりは「名将言行録」の方が信憑性はあるなw
0197人間七七四年2007/03/04(日) 20:45:30ID:QMTEnMel
秀吉は官兵衛が黒幕だという事を知ってたの?
01981862007/03/04(日) 20:50:06ID:kjE51kuj
いや、だから秀忠が二人を=で結ぶんなら
秀忠は「張良のごとし」を「暗殺者」の皮肉もこめて言った、て事なんだよな?
1は、秀忠がそう思うぐらいに「張良=神軍師」以外に「張良=暗殺者」のイメージが一般的に定着してたと思ってるのか?
一般人が漢籍読んで張良を暗殺者とか反骨の義士みたいな褒め方したなんて聞いた事ないんで、
1がもしそう思うんなら根拠を教えてくださいな。俺も根拠の元になった物を見たいんで
1の意見を「秀忠だってこう思ってたはずだ!」って言うなら、1の説に他の人も賛同できるような論拠、必要だよね。
「常識だから」なら、「〜に、こうやって使われてるし、〜にも使われてる。だから常識なんだよ」ぐらいの説明は必要だと思うんだ

1つの言葉にうだうだ言ってるだけのツッコミなんで、どうでもいいっちゃいいんだけどさ
0199人間七七四年2007/03/04(日) 20:58:32ID:FDjbBSPI
岡谷繁実は、主人を天下人にしながら逆に疎まれ身を引いた官兵衛の姿勢を張良に例えただけ。
それを真に受け、何から何まで官兵衛に結びつける1の妄想癖には感服するよ。
だったら張良は後に天下を狙ったっていうのかい?
0200人間七七四年2007/03/04(日) 20:58:34ID:Bt3y+vYi
○に続いて変なのが現れたな
02011862007/03/04(日) 21:48:20ID:kjE51kuj
あと、1の主張でもう一つ気になったことを

本能寺〜山崎が光秀と秀吉のデキレースだったなら、光秀はなんで秀吉に賛同したの?
汚れ役になった挙句、今までの功績全部捨てて僧侶になってるんなら、光秀には何か大きなメリットでもあったの?
官兵衛がどんな神算鬼謀で以って光秀を口説き落としたのかが気になりました
「神に愛されなかった男」見ろなんて理由は当然無しで教えてください
0202人間七七四年2007/03/04(日) 23:17:52ID:s7iqu5+r
1は反論できないことはスルーだから聞いても無駄だよ
0203人間七七四年2007/03/04(日) 23:32:31ID:DUlZuCNO
それか斜め上な解釈をしてとんちんかんな答えが返ってきたりするww
0204人間七七四年2007/03/04(日) 23:35:15ID:/4U84CBQ
論破された奴が何を言ってる
上で説明してることを何度も聞かれてもウザイ
まずちゃんと読んでから出直して来い
0205人間七七四年2007/03/05(月) 00:02:52ID:w02qoajw
・史料の質を考慮せず、すべて混ぜて使用する
・憶測部分の説明は一切しない
・明らかに史実に反することも書くが、指摘されても無視
・自説に都合の悪い指摘に対しては罵倒で返す
・「何度も説明している」というが、実は一回も説明していない
0206人間七七四年2007/03/05(月) 00:03:33ID:qypROeJ+
結局こういうのって状況証拠から推測していくしかないから、
納得したくない奴はいくら説明されても永遠に納得しない。
簡単に納得させられるほど証拠がそろっているなら、
とっくに通説になっていていただろう。
02071862007/03/05(月) 00:09:45ID:T3Q3/uTX
君こそ俺の主張をちゃんと読んでください

1は「張良は始皇帝を暗殺しようとした。官兵衛も信長を暗殺した。で、二人とも超優秀な軍師。だから秀忠は官兵衛を張良に喩えた」
と言ったが、こっちとしてはその前提がおかしい、と言ってるんだ。
「張良のようだ」は普通、単純に「とても優れた軍師」の比喩。そこに「始皇帝の暗殺計画云々」なんて単語は関係ない

『始皇帝を暗殺しようとした姿勢なんかで張良を神評価している人なんていないだろ?』ってのがこっちの主張
それに対して

>は?お前が無知なだけだろw
>張良は真の始皇帝を人間で唯一暗殺しようとした人物
>かつ中国史上最高の軍師だ
>官兵衛は絶対王者の織田信長を暗殺し(こっちは成功)
>日本史上最高の軍師であるから官兵衛=張良なんだよ

は、論破にも何にもなってません。こっちの本当に聞きたいことをちゃんと把握して反論してください
君の論破は人を「馬鹿」「無知」と言って「当然の知識だろ?」と人を嗤うことなんかじゃないよね?

で、俺は187、191の意見を↑のように判断したんで
『俺には君の認識が世間一般で言われる張良評と同じとは思えません。なんで張良を「始皇帝を暗殺しようとした人、かつ中国最高の軍師」なんて穿った評価してるんですか?君以外にそんな見方してる奴いるの?』
と言ってます。

張良を「暗殺計画たてた偉い人」であり、「ついでに中国最高の軍師でもあった」なんて表現してる奴なんかいません。
それが「馬鹿の意見」だと言うならちゃんと証拠上げて反論して下さい
0208人間七七四年2007/03/05(月) 00:19:50ID:SyY/SCtN
>>207
お前は馬鹿の極みだな
張良をとても優れた軍師なんてみんなそういう評価してんだよ
で、じゃあ日本でとても優れた軍師は?って話になったって
官兵衛以外にも竹中半兵衛なり山本勘助なり徳川家康を支えた本多正信なり
他にもいくらでもいるんだよ
ただ軍師として優れてるだけでは張良にはならないんだよ
張良が他の軍師と違うのは通常では考えられない真の始皇帝を暗殺しようとした唯一の人間なんだよ
戦国の世で日本の絶対権力者は後の世を治める秀吉、家康をも従えた織田信長だ
その信長を暗殺するとんでもない発想を導き出したのが官兵衛だという話を
天海が秀忠に教えたら秀忠が官兵衛は張良のようだと評したんだよ
だから官兵衛を張良というにはただ優れてるだけではダメだった
時の絶対権力者を暗殺計画を立て
かつ江戸幕府が出来てから秀忠に官兵衛が黒幕だと知らせるには
秀吉と官兵衛は死んでるからその計画を初期段階から知ってる唯一の光秀が必要である
それが天海なんだよ
全ては一つで繋がってるんだよ
お前は揚げ足ばっかとってないで歴史と向き合え
0209人間七七四年2007/03/05(月) 00:24:21ID:XCvFwDV8
今回も秦を真と当て字しているのはわざと?
気に入ってるのか知らんけど、かっこいいつもりならやめとき。
0210人間七七四年2007/03/05(月) 00:29:05ID:SBnhyVba
私も>>1さんの意見に賛成ですね
黒幕は官兵衛以外いないでしょう
これは新発見です
0211人間七七四年2007/03/05(月) 00:31:04ID:XOXmZUqc
>>1さん
度々単発IDで自演をするのは何故ですか?
0212人間七七四年2007/03/05(月) 00:36:01ID:v7wtAaD/
何故、本能寺発覚直後「殿、御運が開けてきましたな」って言った黒田官兵衛は冷遇されたんだろ?
あれは俗説や小説の話か?
0213人間七七四年2007/03/05(月) 00:38:38ID:w02qoajw
・光秀の信長への不信感とは?
・一番割に合わない役目をどうやって光秀に引き受けさせたのか?
・信忠が官兵衛の主君の小寺政職を殺したという話の出典は?
0214人間七七四年2007/03/05(月) 00:44:29ID:FDtlSpKL
>>208竹中半兵衛や山本勘介とかがそう当たるかは置いとくとしてだ、張良を評価の比喩として使う時は古今東西、「とても優秀な軍師」としてしか使わないわけだわ。
そこは理解・・・あ、出来るならそんな恥ずかしい事堂々とは言えんか。

>お前は揚げ足ばっかとってないで歴史と向き合え

>歴史と向き合え
>歴史と向き合え

自分が長岡が秀吉に情報を送ってたっていう事を知らなかった上に、事実を事実と認めず、「オレ様の言うことが全て真実なんだよ!!」ってバカが何を言う。お前は陳舜臣か?

ついでに、論破ってのはお前みたいにただ声だけでかくて曲解、捏造、妄想で返してような奴とは一番無縁の言葉ですからww
0215人間七七四年2007/03/05(月) 00:48:58ID:SBnhyVba
>>211
でしょでしょ
やっぱり分かる人には分かるんだよね
ここの連中は何回説明しても理解できない馬鹿らしい
だいたいおれはソース無しの新しいことは言ってないのに妄想とか意味分からん
スルーとか言われてることだっておれが全て論破してることだし
君は話が分かるみたいだから二人でこの考えを広めていこうぜ
02161862007/03/05(月) 00:49:00ID:T3Q3/uTX
>張良が他の軍師と違うのは通常では考えられない真の始皇帝を暗殺しようとした唯一の人間なんだよ

この主張がなんか変だって言ってるんです。あまりにも一般論から外れすぎてる張良評、以外に俺の中で1説の評価が変わらないんですよ
「俺はこう思ってるんだ。お前も何故こう思えない?」では反論でも論破でもありません


なんか言っても無駄だと思うんで、言葉の揚げ足取りじゃない部分で反論します

1さんは一連の流れが「一つに繋がっている」と言いますが、俺にはそれも信じられません。
それは「光秀が1の主張通りに都合よく動いたら筋が通る」わけで
光秀がグルになってるなら、なんで「謀反→逃亡→僧侶になる→徳川家に仕えて活躍→秀忠に真相教える」なんて面倒なプロセス踏んでるんですか?
光秀を「官兵衛の口車に乗って謀反を起こし、その後僧侶になって徳川政権下で事の真相を暴露した男」にするのはさすがに強引すぎます

1さんの主張では光秀は「後先考えずに官兵衛の口車に乗った馬鹿」みたいにしか見えないんですが。
光秀(天海)『謀反起こしてみたけど話違うじゃないか官兵衛!→逆恨みで暴露』みたいに読めてしまいます(俺は1さんの主張をそう読みました)

俺の主張、間違ってます?俺の認識が違うなら、違う部分きちんと挙げて教えてください
0217人間七七四年2007/03/05(月) 00:50:18ID:pnHyprEJ
確かに黒田黒幕説は新しい観点で面白いかもしれん
根拠のない朝廷黒幕や家康黒幕説には飽き飽き
02181862007/03/05(月) 00:50:44ID:T3Q3/uTX
そして1さん、アンカ間違えてます
0219人間七七四年2007/03/05(月) 00:52:55ID:w02qoajw
要約すれば散々既出の秀吉・光秀共謀説な訳だが。
0220人間七七四年2007/03/05(月) 00:56:19ID:zo/I7Uh5
おそらくこのスレに来てる人たちは、1がこんなに馬鹿じゃなければ
逆に黒田説もありえるかもって、1の妄想の補完すらしてくれそうな
歴史に詳しい人間が多い。

それを罵声とスルーでつっぱね何一つ史料や根拠を述べず
『論破した』とかお山の大将で滑稽滑稽、もっと騒げ。

信者的ファンが崇拝対象の人気を逆に落す事例を生でみられそうだ
黒田の株どんどん下がってる、ま、アンチでないならこの辺でやめとけww
0221人間七七四年2007/03/05(月) 00:59:18ID:FDtlSpKL
さあ、ここの>>1は三戦にあった寡をもって衆を制する(めんどくさいから以下(ry)
スレの>>1のようになれるか?

あれはある意味感動したぞww
0222人間七七四年2007/03/05(月) 01:09:22ID:SyY/SCtN
>>216
>光秀を「官兵衛の口車に乗って謀反を起こし、その後僧侶になって徳川政権下で事の真相を暴露した男」にするのはさすがに強引すぎます

全然分かってないなお前

>官兵衛の口車に乗って謀反を起こし

仏教徒の光秀にとって比叡山延暦寺を焼き払ったことは
信長に対する大きな不信感を抱く要因になった
でも立場は信長の家臣である
主君の横暴に不快感を持っても戦国の世では法律なんかないから
立て付いたら殺されるのである
それに光秀くらいの頭脳があれば単独でやるのはあまりに無謀だと分かる
光秀が延暦寺以降信長へ不信感があったのは
一緒にいた秀吉は見てて知ってる
それを官兵衛に話して官兵衛が光秀なら諜略に乗せて謀反を起こせると踏んだのでしょう
光秀にとって自分の信じる信仰の敵である信長が治める世になるのは良く思わない
天下人への野望を持つ秀吉とはここが違ったんだよ
だから手を組めた

>その後僧侶になって

これは僧侶にならざるを得なかったというのが正しい
信長を討った光秀が「明智光秀」と名乗ってそのまま生きてたら
織田家の信長派に殺されるのは明らかである
だから死んだようにして出家して別の名前を付けた

>徳川政権下で事の真相を暴露した男

アホw
暴露したのは悪意じゃねーよw
家康は光秀と何度も会ってるし話してるから
天海が光秀だということは確実に知ってる
その光秀の室町幕府に仕えてた経験を買って江戸幕府を開く補佐役になってもらった
江戸時代の戦の無い平和な世になって秀吉も官兵衛もとっくに死んだあと
城の中で天海はもうお爺ちゃんだ時期将軍である若い秀忠と話をするだろう
戦国の世はああだったこうだった
そしてこういう結末で今の日本があるんだとジジイの思い出話だよ
そしたら中国の歴史書を学んでる秀忠が「官兵衛はまるで張良のようだ」と言ったのさ
02231862007/03/05(月) 01:09:40ID:T3Q3/uTX
ついでに一応質問
俺は光秀―長曽我部ラインと秀吉―三好ラインの間で四国権益巡って諍い(四国制圧の主導権争い)があった、て説に賛成してるんですが、1さんはこの問題をどう考えてます?
これが事実の場合、権力抗争してた相手と手を結んだことに(しかも光秀にとっては自分が一方的に譲歩する形で)なるわけですが、光秀にそこまでさせたメリットって?

1さんの主張はこの話にきちんと反論できない限り始まらないと思うんです。光秀が「(政敵?の)秀吉の腹心」の話に乗るわけですから

妄想だ!馬鹿か?って話抜きでお答え下さい。偉い人も唱えてる説だと聞いたのですが、この話って与太話でしょうか?
0224人間七七四年2007/03/05(月) 01:11:51ID:SyY/SCtN
>>223
光秀の動機については>>222や上で説明してるだろ
お前はせっかちなんだよ
ちゃんと読んでから反論しろ
0225人間七七四年2007/03/05(月) 01:16:10ID:FDtlSpKL
延暦寺の光秀はノリノリだぞww
講談準拠の考え方から抜け出した方がいいぞww
02261862007/03/05(月) 01:25:50ID:T3Q3/uTX
>>222
仏教徒って自害禁じてましたっけ?
1さんは光秀が延暦寺焼き討ちに否定的だった、との説を取ってるんですね。
俺個人は「光秀が延暦寺焼き討ちに乗り気だった説」を言いたいですが、論拠になる史料や論文読んだことないんで、近いうちに見た上で改めて反論します。

とりあえず、1さんの主張って光秀側に何のメリットもありませんよね?
宣教師に「信用できねー食わせ物」と評された野心ギラギラの光秀像とはかけ離れた光秀の聖人君子っぷりが俺には理解できません
「昔っから光秀像はこんな感じじゃねーか」はできたら無しに反論よろしくです

一方的に物証出せ!はさすがに失礼なんで、明日あたり大学の文献資料室にでも行って自分も「光秀焼き討ち主導説」の物証調べてきます
0227人間七七四年2007/03/05(月) 01:29:08ID:zo/I7Uh5
俺は1の妄想より>>186氏の
>俺は光秀―長曽我部ラインと秀吉―三好ラインの間で四国権益巡って諍い
って説を真面目に聞いてみたかったな…こんなドアホなスレで会ったのが悔やまれる
02281862007/03/05(月) 01:51:14ID:T3Q3/uTX
>>227
触りについてはWIKIの明智光秀の項にも乗ってる、最近有名になった説です。
長曽我部元親の妻(正妻)は美濃斎藤氏の出自で、(司馬小説だと斉藤利三の妹。確か史実通り…で合ってますよね?)
明智光秀の腹心・斉藤利三との縁を利用し、織田家との交渉の取次ぎを光秀に頼んでいた。
信長も当初は長曽我部に好意的で「四国切り取り次第」のお墨付きを与えたなど、有名な逸話が多い
だが、長曽我部が阿波で三好を圧倒し始めた辺り(1580年前後)辺りから雲行きが怪しくなる
三好一族の重鎮・三好笑厳入道が信長に取り入り、三好家の阿波領有権を主張し始めた。
(信長はこれを許し、長曽我部と手を切る。ついでに、四国征伐の際に三男信孝を神戸家から三好家に養子入りさせた)
で、笑厳入道の後押しをしてたのが羽柴秀吉。甥の秀次が四国征伐に先立って三好姓を名乗っているのがその証拠……

こんな感じの内容で、光秀は完全に四国の監督役の面目を潰された形になった、とゆうお話

自分は趣味で戦国時代調べてて専攻は中国史だったりするんで、今この場で細かく立証できる証拠挙げるのは無理です。
指摘があれば俺も後日その文献見たいんで、俺より詳しい人、補足やツッコミお願いします
0229人間七七四年2007/03/05(月) 02:16:39ID:0K9jt85A
そもそも光秀=天海ってのが信じられないんだが…
0230 ◆CASVAL9Zfw 2007/03/05(月) 02:25:15ID:Iyj1LUaY
そんなことより

紛失しとる公家どもの日記やらを 見つけろや
02312272007/03/05(月) 02:28:45ID:52xue+uY
>>186
ああすいません、一旦落ちちゃいました、寝る前に見てよかった。
ふむふむ…十河氏が秀吉を頼っていた線からも頷けますね…。

まぁこの後煽り来るかもですが、ほっときましょう、もっと色々
教わりたかったです、それでは。
0232人間七七四年2007/03/05(月) 03:07:44ID:1TuXVVHS
小説だけど、反太閤記でも利三の妹だかが元親の嫁だったね。
多聞院日記辺りを見たら書いてあるかもしれない。

>>226
自害を禁止してるのはキリスト教。
仏教は良く分からんけど、即身成仏とかあるし、禁止まではしてないんじゃないかな。

>>229
どこかの石塔だかに桔梗を使ってるってのが傍証らしいね。
天海は、左馬助秀満(光春?)って説もあるな。
ていうか、天海=光秀だったら100歳を超えるんだよね…長生きしすぎじゃない?

>>230
言経卿記だっけ?多聞院日記?
歴史群像の上に井沢の説だからあまり当てにはならんけど、一部欠落してるって見た記憶があるな。
それでは、朝廷が関ってたみたく書いてあったな。
更に言うと、勘兵衛が関ってたって説は誰も出してなかったw
小説家すら出さない説を良く出せるな。>>1スゲーwww
0233人間七七四年2007/03/05(月) 03:25:44ID:52xue+uY
天才官兵衛戦記

天才な官兵衛は『信長と会ってなかった』と言う摩訶不思議な理由で
謀反計画、さすが稀代の馬…天才!

更に毛利攻めで秀吉と会ったとする官兵衛研究家の>>1氏の研究によると
それでも光秀と謀議行える間柄だったと言う!正に天才だね!

一万もの軍勢を自由自在に奇襲可能だったとか!もはや人知を超えた天才!

更に天海は光秀だったんだって!?この才気は恐ろしい!!
>>1大先生によると史料は『〜らしい』『〜に違いない』のオンパレードだが
光秀ならやってのけるよな!すげーぜ光秀
でも官兵衛は予見してたんだって!?流石官兵衛!ぎゃははは、いやー天才だなっ!

秀忠は馬鹿丸出し、>>1氏によると、どうも張良を刺客としてしか
認識してなかったらしいぞ!恐れ入ったぜ!たまらーん!

wwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
0234人間七七四年2007/03/05(月) 03:39:35ID:0K9jt85A
>>232
筆跡鑑定でも光秀≠天海だった気がする
0235人間七七四年2007/03/05(月) 04:10:54ID:UWyqP2dT
実は真田がやったと妄想してみる
0236人間七七四年2007/03/05(月) 05:08:51ID:iT4+KvJT
・歴史歪曲&捏造
・日本語が不自由
・すぐファビョる
・自分の意見が絶対真実
・都合の悪い部分はスルーor罵倒
・秀吉を悪者にしたい

なるほど、>>1は朝鮮人か。本国にカエレ
0237人間七七四年2007/03/05(月) 06:04:28ID:vTB0XOxM
妄想の中に生きたい奴はほっとけ。

>>230
小説にかぶれていないでもっと勉強品。
02381862007/03/05(月) 06:40:58ID:T3Q3/uTX
>>231
自分なんかの話を聞いてくれてありがとうございます
一応、手元にある『信長公記』の一文を挙げておくと
「(天正8年)六月二十六日、土佐国捕佐せしめ候長宗我部土佐守、惟任日向守執奏にて御音信として御鷹十六モト、并に砂糖三千斤進上。則、御馬廻衆へ砂糖下され候キ。」
とあり、少なくともこの時までは間違いなく長宗我部は光秀を通じて信長に贈り物をした、という物証があるわけで。

>>232
自害云々は一応>>75辺りで1さんが言ってた内容を見ての疑問です。
娘の玉は切支丹で自害厳禁でしたが、光秀まで自害がどうのと当てはめるのは無理があるよなーと思っただけです

ついでに自分が長曽我部と斉藤利三の関係を知ったのも反太閤記が最初です。
正確には長曽我部家臣の石谷兵部小輔(元親正室の兄)と利三が兄弟だか義理の兄弟だったかな?
桐野先生の作品は無駄に考証が細かくて好きです。


あと、1さん
1さんの主張はとにかく光秀=天海説が重要なポイントになってますよね?
光秀が天海になった理由付けが「延暦寺焼き討ちで信長を警戒→信長を殺すためだけに実行犯を買って出た」
だけではさすがに説得力が無いと思うんですが……
あと、天海になった後は一切豊臣家にも黒田家(長政よりも官兵衛に)にも、接触も両家に利益をもたらすような行動もしてないですが…
豊臣に至っては滅亡させるために奔走してますし

とにかく『光秀が秀吉(官兵衛)に積極的に協力した理由』に於いて光秀が損ばかりしてるのは問題だと思うんですが?
謀反人の汚名を背負う→領地全部投げ打って、一族はほぼ皆殺し→自分だけ生きて僧侶になって、20年後黒衣の宰相に
なんて、天正10年で当時60才の光秀がどうやって納得するんだってほどひどい内容だと俺は思うんですけど。
しかも得る物は信長殺して自己満足って……
0239人間七七四年2007/03/05(月) 09:46:46ID:cIfYPTes
>>1は荊軻を知らないのか?
0240人間七七四年2007/03/05(月) 12:30:05ID:SyY/SCtN
>>232
お前馬鹿だろ
天海は元々の年齢で100歳越えてんだよ
光秀の生まれ変わりだろうが違かろうが100歳以上生きてる
光秀は幼少期については詳しく残ってないから
どこで何年に生まれたかは分かってない
天海説を否定することは何一つ無いのに
天海だと言える物的証拠は上にも挙げたようにいくらでもある
否定するのは無理がある

>>237
だな
光秀と超ソ壁の関係とか小説がソースで言ってる奴もいる
話にならん
あと光秀と秀吉の関係だけど
秀吉が死んだあとじゃん
そりゃ戦国の世なんだから加藤清正だって福島正則だって
秀吉死んだら徳川についてるだろ
羽柴家に残ったのは石田三成くらいだ
光秀だって上手く生きるに決まってんだろ
人間の意思が一生一つしかないと思ってんだなコイツ
考え方なんて状況によって変わるんだよ
0241人間七七四年2007/03/05(月) 13:17:45ID:0K9jt85A
天海は光秀ではないとしても100歳越えてるってこと?
0242人間七七四年2007/03/05(月) 13:18:06ID:xP0o1TKb
光秀は天海になったのではなく、千利休になったというほうがありそうだがな
>>238で指摘されているように、秀吉だけ得して光秀は損な役回り
秀吉の参謀として天下の謀をめぐらす立場なら渋々でも納得できる
0243人間七七四年2007/03/05(月) 13:22:10ID:SyY/SCtN
>>242
お前馬鹿だろ
世界貿易センターに突っ込んだモハメド・アッタは何の得があったって言うんだ?
宗教敵であるアメリカに被害をもたらすためにしたんだろ
お前の馬鹿理論ではビンラディンと比べて得は少ないからやらないことになる
結果的に秀吉と比べて得は少なくてもやる意味があるんだよアホ
0244人間七七四年2007/03/05(月) 13:24:50ID:SyY/SCtN
>>241
天海という人間は100歳以上生きてんの
これは覆しようの無い事実
光秀の生誕は確実なものはないが
色々考察するとだいたいこのくらいに生まれてるだろうって幅を持って推測できる
その誕生年あたりから数えて天海の寿命と合わせるとちょうど合うんだよ
0245人間七七四年2007/03/05(月) 13:26:38ID:CI5c6Fvi
せっかく光秀=天海スレがあるんだからそっち使ってくれよぉ…
0246人間七七四年2007/03/05(月) 13:27:38ID:CI5c6Fvi
http://hobby9.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1151671577/
ほれ、まぁ素直に移動する奴はいないだろうけど
0247人間七七四年2007/03/05(月) 13:34:14ID:SyY/SCtN
ってか今更天海=光秀を否定してる馬鹿がいることに驚きだ
明らかだし>>129>>246の↓を見て否定する奴は歴史読む力が無い


44 名前:名無しさん@お腹いっぱい。[] 投稿日:2006/07/02(日) 17:50:58 ID:fSoAguT+
説の根拠

・天台宗の総本山・比叡山松禅寺に光秀寄進の石灯篭があること。
「慶長二十年二月十七日 奉寄進願主光秀」光秀が死んで30年以上経っ
たころ寄進したことになってる。
この比叡山南光坊で1607年頃天海は学徒に教えていた。

・京都府北桑田郡京北町周山に光秀の位牌と木像が安置されている
「慈眼寺」という寺がある。ちなみに天海の諱は
「慈眼大師」である。周山は光秀の居城亀山城があったところ。

・日光の明智平という地名が天海によってつけられたと言われている。

・あの有名な光秀の肖像画のある大阪岸和田市の本徳寺、
ここにも光秀の位牌があり裏に「当寺 開基慶長四己亥」
慶長四年に寺の寄進者になってる。光秀肖像画の裏には
「放下般舟三昧去」仏門に入って去っていったとある。
この寺はかつて光秀の子が住職をしていたらしい。

・比叡山に光秀がいたという文章がある。
叡山文庫 「横河堂舎並各坊世譜」の「長寿院」の項に『第二世法印権大僧都是春、
初名光秀、依光芸薙髪。及住当房監鶏足院。元和八年九月二十五日逝」

・『長寿院の第二世法印であった権大僧都の是春は、俗名を光秀といった。
そして長寿院第一世の光芸によって薙髪を受けた。その後は鶏足院に起居した。
元和八年九月二十五日に逝く。』
逝くというのは去るという意味もあり元和八年に寺を去ったともとれる。
元和八年は天海が東叡山寛永寺建立にむけて動き出した頃では?

・「東叡山開山慈眼大師縁起」によると
慶長十三年、天海が駿府を訪れ家康と面会をした時
『初対面のふたりは、あたかも旧知の間柄のように人を遠ざけて親しく語り合った。
大御所が、わけても初対面の人物と人払いしてまで談合することなどまったく
前例のないことなので、側近の者たちも「いったい、これはどうしたことであろう」
と目を見張った』結局この時は一刻ほども話し合ったという。
0248人間七七四年2007/03/05(月) 13:51:36ID:0K9jt85A
別に否定はしないが「本当かよ??」ってのは思う。
100歳を越えていたらしいことは知ってる。が、天海が光秀となると一体いくつ?110歳をとうに過ぎてるんじゃないか?
明智平とかその辺の話はよくわかんね。ただ「慈眼」については光秀と天海を結びつけるものとしては弱いと思う。
それに光秀の顔を見知った人間はいくらでもいたと思う。であればどうやって天海になりすませたのか?それともみんな天海が光秀だと知っていて知らないフリ?
0249人間七七四年2007/03/05(月) 13:59:21ID:SyY/SCtN
>>248
君は何を言ってるの?
天海が秀吉死後に徳川幕府に仕えたわけだが
家康は天海=光秀を知らずに雇ったとでも思ってるの?
同一人物だと分かってたに決まってるじゃん
光秀だからノウハウを知ってたんだよ
ただの僧侶だったら幕藩体制に詳しいわけねーだろ
0250人間七七四年2007/03/05(月) 14:05:38ID:0K9jt85A
だから家康以外の人間も知ってたのってことだよ
0251人間七七四年2007/03/05(月) 15:18:34ID:d346ik07
とりあえず>>187-188には腹抱えて笑った。
「始皇帝を唯一暗殺しようとした人物」でなく、
あえて「始皇帝を人間で唯一暗殺しようとした人物」と書くあたり
荊軻は人外の化生か何かと思ってんだろうか?
187のセンスには脱帽した。
02522322007/03/05(月) 15:50:48ID:Uu8sG++e
>>238
石谷兵部少輔も反太閤記に出ていたね。
あの人の本は、巻末にずらっと並べられた資料にちょっと笑ってしまうw
余談はさておき、少なくとも原始仏教は悟りを開いた上での死は開放だとしているから、自殺そのものは禁止していないはず。
日本や大陸での本流の小乗・大乗仏教はどうだったかな…原始仏教なら多少分かるんだけど。
ついでに言っておくと>>232で書いた即身成仏は即身仏の誤りです。ごめん。
一字違いだけど、生きたまま仏になるのと死んで仏になるのとじゃ全然違うわな。
というかこの会話を見てソースが小説だと思ってる>>1は可哀相な子だと思えてきた。

>>240
何だか答えるのもバカらしく感じるんだけど、物的証拠ってどんなのがあるの?
「明智光秀が天海である」って100%の証拠は。
>>129は全て状況証拠だし>>247は本徳寺の件以外は全て状況証拠。
本徳寺も、息子が住職をしていたから肖像画や位牌を置いてあったってのはありうる。
裏に書いてある文字は、光秀代理として息子が書いたってのは十分に可能性としてある。
まぁ、これも状況証拠でしかないけどね。反論のための反論みたいな。
というか、状況証拠と物的証拠って言葉の違いが分からないなら、無理に使わない様に。

>>251
張良に荊軻に高漸離(名前合ってる?)に…張良は力士(力のある人)を使ったけど失敗したんだったな。
荊軻と高漸離は>>1の中では人間の範疇には入らないんだろう。
時に、秦舞陽は人間だと思うかい?>>1
0253 ◆CASVAL9Zfw 2007/03/05(月) 15:57:54ID:l7kK5ecD
>>232
それだけやないでぇ

晴豊記も朝廷の女官の日記もな。 お湯殿なんとかいう

それに欠落どころか 破れ取られてるんや

井沢の「説」でもなく 総て事実なんやわ
02541862007/03/05(月) 16:02:50ID:T3Q3/uTX
>>243
それじゃ光秀はただの狂信者ですよ。光秀はそこまで熱心に天台宗を信奉してたんですか?
1さんが取り上げてる『名将言行録』では
「仏の嘘を方便といい、武家の嘘は武略と言う」
とゆう有名な台詞を明智光秀が言ってた、と記述してますよね
「焼き討ちを非難した熱心な天台門徒」がこんな台詞吐くんでしょうか?
俺は明らかに信心薄い光秀像がこの言葉に見えるんですが…

あと、>>249
じゃあ金地院崇伝はなんなんですか?れっきとした仏門の出なのに幕政司ってましたよ?武家諸法度やら何やらの立案とか
僧侶が幕藩体制に詳しくない…ってのは無理あるような
有職故実に詳しいかは別に武家であることが絶対条件ではないですから

>>240
俺の意見が小説の受け売りだけだ、取るに足らないって言いたいのでしょうか?
元親室と斎藤氏の関係は例えば『戦国人名事典』の記述とか系図とかを挙げれば証明できたことになるんですかね?
元親と光秀の関係は例えば前掲の『信長公記』の記述などから
「べつにソースのない新しいことではない、ごく一般的な情報」を「総合的に類推したら無理の無い説明になった」ようなものですが

「元は小説から聞きかじった情報なんか話にならん」じゃなく
「最初は小説見て興味持ったんで、自分なりに裏付け取ってみた情報」
を元に論組み立てているのですが、一顧だにせずに切り捨てるのはないでしょう

俺の意見おかしいですか?「議論」をしましょうよ1さん
0255人間七七四年2007/03/05(月) 16:04:27ID:SyY/SCtN
>>252
お前馬鹿過ぎじゃん
状況証拠と物的証拠と動機(信長を討ってそのまま光秀を名乗って生きてられない)
がある以上確証があると言わざるを得ない
殺人事件が起こって状況証拠と物的証拠と動機がある容疑者で
本人が否認してないんだから法廷ではまず有罪だよ
それをお前みたいな馬鹿が外で「違う違う彼は犯人じゃない」なんて叫んだって誰も見向きもしない
0256人間七七四年2007/03/05(月) 16:08:04ID:Uu8sG++e
>>253
晴豊記とお湯殿の上の日記ね。
質問に質問を返して悪いんだけど、言経卿記のも破り取られてるんだっけ?
それを見つける事が出来たら研究も一気に加速どころか終了しかねないけど…どうだろう。
400年以上前のものだし、極めて難しいんじゃないかな。
ただ、傍証になるけど、朝廷が何らかの関与をしていた可能性が出てくるよね。
で、握りつぶすために破り捨てた…ここにきて、かなり広く出回ってる「朝廷陰謀説」の再浮上か。
0257人間七七四年2007/03/05(月) 16:15:09ID:uAapteq4
明智と羽柴で朝鮮を攻めるつもりだったが、実は明智(土岐氏)が在日だった
0258 ◆CASVAL9Zfw 2007/03/05(月) 16:16:31ID:l7kK5ecD
>>256
晴豊記の一部は見付かったよな。

「天正十年 夏記」ってやつ。

だから他のも見付かる可能性が 全くないわけじゃないが・・・
02591862007/03/05(月) 16:20:53ID:T3Q3/uTX
追記
俺は光秀=天海説を完全に否定している訳ではないです。とゆうか、シロだとは思ってますが、きっちり反論できる物証はないのでとりあえず灰色、納得できたらシロにもクロにもなりますよ。って状態なのが現状です
ただ、1さんが「光秀=天海説+官兵衛黒幕説」を唱えるのであれば、
「光秀が身分捨ててまでして汚れ役買った動機」(官兵衛の策に進んで乗った理由)
が1説を唱える上で重要なファクターになると思いました(俺はそう判断しました)
ですが、1さん曰く、その理由は
「光秀は天台宗を篤く保護してて、天台宗を弾圧した信長を警戒していたんだ!」
では、短絡的な上に史料の裏付け本当にできてるの?説得力なくね?と思ってしまいました

光秀が「モハメド・アッタと同等なほど熱心に宗教を信じていたのか」
教えてください

あと、焼き討ち主導説の裏付けはまだしばらく待っていてもらいたいです……その事は本当にすいません。仕事が遅くて申し訳ない
0260人間七七四年2007/03/05(月) 16:24:07ID:wrEk/FU2
>>258
それ見つかったんじゃないんだが・・・
0261 ◆CASVAL9Zfw 2007/03/05(月) 16:50:43ID:l7kK5ecD
見つけたんやんけ! 東大の原田とかいうひとやろ
0262人間七七四年2007/03/05(月) 16:53:53ID:SyY/SCtN
>>259
おめーの言ったことを実例出して論破してやったら
「光秀はアッタとは違う」ってその違う理由を証明できず
お前の妄想で「違う違う」言ってるだけでお前は議論にもなんねーんだよ
だいたい光秀は仏教徒だからこそ信長が仏教の寺を攻撃するときに使わせたんだろ
戦国時代ではそうやって自分に忠誠心があるかを確かめてたんだよ
光秀だって心は乗り気じゃないけど拒否したら殺されるだけだから
なんせ信長は自分の主君であり絶対の存在
その信長の命を授かったらやるしかない
例え乗り気じゃなくてもやるとなったらガンガンやって成果を出すしかない
それが戦国の世なんだよ
で、不本意ながらもやってしまったから
信長死んで出家して天海になったあとに
光秀と記された石碑を比叡山に贈呈したんだろ
これは残ってるから事実なんだよ
全ては一つに繋がってるんだよ
真実はその一つしかないのに揚げ足ばっかとってるから
お前の理論は一片一片はさもありそうなこと言ってても
それを一つの時空の流れとしてみるとめちゃくちゃな理論なんだよ
0263人間七七四年2007/03/05(月) 16:54:27ID:wrEk/FU2
>>261
ネットの聞きかじりか?夏記を発見したといってる時点で無知確定
0264人間七七四年2007/03/05(月) 16:56:54ID:Uu8sG++e
>>255
俺は「天海=明智光秀」つまり光秀が山崎以降生きていたって物的証拠を出して欲しいって言ってるんだけど、意味分かる?
多分理解出来てないだろうから説明すると、今までには「天海=明智光秀」って証明できる物的証拠は一つも存在してないの。
全部状況証拠でしかないの。
状況証拠ってのの意味が分ってないだろうからyahoo辞書のを張っておくよ。
【状況証拠】
証言や文書・物件によらず、犯罪事実を間接的に推測させる証拠。
証言ってのは、何月何日に確かにこれこれの事をしましたって証明する事ね。
これまでに上げてきた証拠ってのは、その証言にも物的証拠にもならない物なんだわ。
言経卿記とかの一次資料に「天海=明智光秀」って確定出来る一文でもあるってのが証拠なのさ。
山本勘助とかも、以前は実在が怪しまれてたけど戦後になってから一次資料に名前があるってのでやっと存在が認められた程度なんだしね。
殺人事件に例えたら、状況証拠が沢山あるし動機もあるけど確実な証拠や証言はなく、本人は黙秘を続けてますって状態だな。
天海は、自分の出自について全く発言してない。
あるかもしれないけど、明智光秀や、それに類する人だって発言は少なくともない。
これじゃ有罪どころか、訴える側の>>255が逆に訴えられかねないよ。
疑わしきは罰せずって言葉知ってる?
0265人間七七四年2007/03/05(月) 17:14:57ID:SyY/SCtN
>>264
アホかお前
お前が光秀が死んだと思ってる山崎の戦い以降に
「光秀」と記された石碑が残ってるじゃねーかwwwwwwwwwwwwwwwww
しかも家康の墓がある日光に明智家の家紋もいっぱい残ってるwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
天海が明智平という地名を付けて今でも残ってる
物的の証拠がいっぱいあるんだよwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
状況証拠ってのは状況だぜ
そうであるだろうという状況が考えられる場合はそうだけど
物がしっかり残っちゃってるんだよこれがwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
0266人間七七四年2007/03/05(月) 17:28:05ID:wrEk/FU2
桔梗紋はあの加藤清正も使ってるけどね
0267人間七七四年2007/03/05(月) 17:29:21ID:6AT/xi2p
それを状況証拠っていうんだぜ。
0268人間七七四年2007/03/05(月) 17:30:09ID:SyY/SCtN
>>266
はい、また出たー
決定的な証拠も無い適当な反論
しかもそれ以外のことも言ってるのに
そっちには反論できない悲しさw
お前は完全に負けているw
0269人間七七四年2007/03/05(月) 17:33:44ID:g0HjhZ48
>状況証拠ってのは状況だぜ
↑…歴史がどーの以前に国語の問題だ、日本語が不自由にも程がある。

この頃には『俺天才!皆感動するぜ!』ってしおらしい態度で
賞賛レスが付くのをわくわくしてたんだろうがなw

3 :人間七七四年:2007/03/01(木) 19:58:51 ID:MpT49E6f
長くなっちゃったなぁ。読んでくれるかなみんな。
0270人間七七四年2007/03/05(月) 17:35:28ID:wrEk/FU2
日光にある桔梗紋は明智光秀の紋だという物的証拠ある?
土岐、東など土岐源氏や加藤など土岐以外でも使ってるけど
0271人間七七四年2007/03/05(月) 17:37:39ID:SXBL3F8F
真犯人は実は追放された佐久間一族の仕業
0272人間七七四年2007/03/05(月) 17:40:46ID:vTB0XOxM
無名の光秀も居ただろうし、桔梗紋は明智の独占でもないし、明智平は元々、明地平。
0273人間七七四年2007/03/05(月) 17:49:59ID:SyY/SCtN
>>272
バーカ、そしたら苗字があるはずだろ苗字が
苗字の無い光秀なんて明智光秀だけなんだよ
なんでか分かるか?
信長死後に明智という名は謀反を起こした反逆者であり
秀吉はその明智を倒して信長の後継者になったと思わせてるから
明智と堂々と名乗れないんだよ
お前は当時の状況が分かってNASA過ぎる
0274人間七七四年2007/03/05(月) 17:58:29ID:wrEk/FU2
豚さん最高におもしろいです!
三年後たぶん戦国板の歴史に名を残すだろう
0275人間七七四年2007/03/05(月) 18:02:54ID:vTB0XOxM
平澤光秀
02761862007/03/05(月) 18:27:16ID:T3Q3/uTX
俺の話にいつ史料挙げて反論したんですか?
具体的に史料名と記述を挙げて述べたのは『名将言行録』の秀忠の張良発言のみ
それ以外は一切原文引用しないで独りよがりな妄想しかしてないじゃないですか?

>光秀だって心は乗り気じゃないけど拒否したら殺されるだけだから
>なんせ信長は自分の主君であり絶対の存在
>その信長の命を授かったらやるしかない
>例え乗り気じゃなくてもやるとなったらガンガンやって成果を出すしかない
>それが戦国の世なんだよ

何を以って戦国の世と信長の心理を語ってるんですか?「ちゃんと出展のある文章を元に述べてください」

>で、不本意ながらもやってしまったから
>信長死んで出家して天海になったあとに
>光秀と記された石碑を比叡山に贈呈したんだろ

これは「光秀=天海」の仮説の元に勝手に1さんの個人的な「感想」を垂れ流してるだけじゃないかと
つか、「俺の説を元に事実を並べてみたら特に違和感なく一連の流れが繋がったぜ!」
なんてのはどんな説にも言えることで。
「朝廷黒幕説」だって同じことです。学者先生が幾らでもそれっぽい話なんか言ってますし、まだ1説より「事の整合性」はとれた論になってますよ。

>「光秀はアッタとは違う」ってその違う理由を証明できず
>お前の妄想で「違う違う」言ってるだけで

>>253
それじゃ光秀はただの狂信者ですよ。光秀はそこまで熱心に天台宗を信奉してたんですか?
1さんが取り上げてる『名将言行録』では
「仏の嘘を方便といい、武家の嘘は武略と言う」
とゆう有名な台詞を明智光秀が言ってた、と記述してますよね
「焼き討ちを非難した熱心な天台門徒」がこんな台詞吐くんでしょうか?
俺は明らかに信心薄い光秀像がこの言葉に見えるんですが…

の部分は「光秀はアッタとは違う」の反論になってないんですね。何が妄想で、1さんはどうおかしいのかを指摘して下さい


……自分で読んでも主観で物語ってる時点でダメな反論ですが、1さんの反論も同じですよね
と、ここまで考えて、俺も1と似たもの同士だと思い当たって素でへこんだ…orz

とりあえず、>>259
「お前が言うな」以外にもう言葉が思いつかねぇや
0277人間七七四年2007/03/05(月) 18:37:47ID:e3T06/f0
頭の弱いやつをいじってるつもりが自分もヒートアップしてしまう。
よくあることだ、気をつけろ。
0278人間七七四年2007/03/05(月) 18:43:22ID:SyY/SCtN
やっと負けを認めたか
お前の反論は筋が通ってない
単なる揚げ足取りでしかないんだよ
論破されても認めないで証拠も無く「違う違う」言うだけだし
02791862007/03/05(月) 18:44:06ID:T3Q3/uTX
実際なんか熱くなってました。あと、276が無駄に長いのもごめん

俺の意見は「1の主張はところどころ論拠がおかしい(曖昧な動機、独りよがりな人物評)。だからその違う(と、俺が主張する)部分を1説に当てはめるとおかしな事になってくる」
てことに終始してるんですが。だから「1つ1つそれっぽい言葉で反論」してて、それ(俺の反論)を並べても整合性なんかとれるわけがないわけで

「事象を並べてみた時の整合性」以外にきちんとした論拠を持って俺の反論をつぶさないと、俺は納得できないっす
0280人間七七四年2007/03/05(月) 18:53:22ID:SyY/SCtN
>>279
君の主張を繋げても歴史が繋がらなくなるのは分かってるみたいね
だから話になんないし論破されてるんだよ
つまり君の主張だと歴史が何も無くなっちゃうんだよ
一級なんとかが無い限り認めようともしない
でもそんなの残って無くても間違いなく歴史はただ一つの真実があるの!
君の話は「分からない部分は当時の時空間は存在して無かった」
とでも言ってるようにしか聞こえない
君は歴史を見る資質が無い
0281人間七七四年2007/03/05(月) 18:53:34ID:e3T06/f0
>>279
気持ちは分かる。が、それは186氏が議論をしたいからだろ。
このスレが最初から議論の体をなしていないことは、にゃんこ氏との
やりとりを読んだ時点で分ったはずだ。
議論はきちんとした相手がいないとできないものだよ。
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