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騎馬による突撃

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0001人間七七四年2007/02/27(火) 17:59:05ID:zV1x4pJc
って実際に出来るの?

信玄は降りて戦えみたいなこと言ってたって聞いたんだけど、ヨー
ロッパの甲冑アンド馬鎧着けた騎馬ならともかく、日本の武士では
危険じゃないですか?
0019人間七七四年2007/02/27(火) 20:48:59ID:zV1x4pJc
>>17 いやいや、「シミュレーション」ですからもっとイフでも良いと思
います。歴史的に能力では見劣りしないのに、あの時あの戦術を取った
為に・・・みたいな武将や、運に負けた武将すら能力が低く設定された
り。逆に言えば運の強い武将が・・・ってことも言えます。

高い能力だからこそ生き延びる事が出来たのは間違いないでしょう。し
かし例外もあります、猿も木から落ちるです。

そこで思うのが、「例外をゲームに反映できないものか」と言う事です。
既に戦闘中の戦死等がありましたが。
0020人間七七四年2007/02/27(火) 20:53:51ID:zK2Ha+1z
歩兵同士が槍で叩いて陣形が崩れたところで騎兵の突撃で壊滅が基本だったかな。
軽装の騎兵は追撃で真価を発揮するものだから。
ただ封建制だと騎兵は幼少から英才教育を受けた戦闘のプロだから、徴用された
農民とでは基本的な戦闘力に差がある。
例えるなら格闘家10人と空手初心者100人が喧嘩するみたいなのが武士と足軽の戦いと思う。
0021人間七七四年2007/02/27(火) 20:53:54ID:uC5qCokV
>>18
穂先を揃え槍と槍をぶつけ合い、盾や鎧の隙間にねじ込むのが集団歩兵の基本戦術。
0022人間七七四年2007/02/27(火) 20:54:15ID:zV1x4pJc
>>18 槍衾にはやはり槍衾ではないでしょうか?有効な手は。
0023人間七七四年2007/02/27(火) 21:21:23ID:vP5OWGxM
俺なら槍衾されたら鉄砲撃つな
0024人間七七四年2007/02/27(火) 22:07:06ID:56bKI/P+
>20
だからこそ農兵・足軽には長柄の槍や鉄砲・弓の遠戦武器なわけで
いくら騎乗の武士が武芸に優れていても それを発揮できなければ無用の長物
そう簡単に比較ができるものでもない 結局戦は数だ

また 戦国期の農民は基本戦闘力という点でも馬鹿にできんよ
豊かな農村にゃ刀槍どころか鉄砲まで保有してたとこもあるくらいだからな
0025人間七七四年2007/02/28(水) 01:46:31ID:TZLV2AXp
村の城に籠もって正規兵を追い返した例もあるくらいだからな

もちろん、戦闘力という点では武士には敵わないが、
体力・腕力はお墨付き、治安を維持する警備力は自前、
そもそも当時の村は運命共同体なので組織力もあるのでその戦闘能力は軽視して良い物ではない
まあ、それはいいや

>>20
基本的に徴用した民衆(地侍や庄屋などの支配層は除く)を戦闘員として積極的には用いない事が多い
「村」として侮れないとしても、「兵士」としてはまた別問題
戦闘員として用いる場合でも、多くは城の守備兵など後方に回される
0026人間七七四年2007/04/05(木) 09:30:01ID:QPJKQHUJ
(武田騎馬軍団は存在しない)
 戦国時代のテレビや映画では、無敵の武田騎馬軍団等と言っているのがあります。しかし
本当は戦国の武田家には、騎馬軍団がいませんでした。「戦国合戦本当はこうだった」(
藤本正行著 洋泉社)では、戦国大名の兵士は家臣がその知行地から、騎馬武者1人、長柄鑓持ち
持ち鑓5人、弓何人、鉄砲1人、旗持ち・手明何人などと各村から農民を集めて兵士にします。
この場合騎馬武者は、多くは指揮者などの上級兵士が多かった。当然騎馬武者だけを集めて、
集団生活や訓練などは出来ません。訓練などは知行地ごとの、いわば各村ごとにしか
出来ないはずです。当然のことながら、騎馬軍団を造れなかったわけです。おおよそ騎馬武
者一人に付き、7人〜10人の歩兵が一つの基本単位となって、行動しています。
その騎馬武者の割合も、上杉家等他家と比較しても、武田家が特別高い割合でもなかったこと
を考えると、やはり武田騎馬軍団は存在していなかったことになります。
http://homepage3.nifty.com/k-haruaki/koborehanasi.htm
0027人間七七四年2007/04/05(木) 10:22:16ID:U37mKyzi
騎馬軍団の突撃とか鉄砲の三段打ちみたいなファンタジーが実際にあったとでも?

いまどきこんな寝言を信じてる奴もいるんだな。
0028人間七七四年2007/04/06(金) 20:37:54ID:vea2Cl4x
藤本って学者でもないイロモノのアマ歴史家だろ?

639 :人間七七四年:2007/04/04(水) 16:44:27 ID:CEb3VgHP
>>610
新田義貞の鎌倉攻めの戦死者と共に出土した128体の馬の平均体高は、129.5cm。
126〜136cm台がもっとも分布数が多く、大きいもので140cm。
グスタフアドルフ時代のスウエーデン軍装備目録の、騎兵用軍馬の体高は112〜133cm。
モンゴル馬と同程度の小柄な馬だ。
北欧は馬の体格が劣っているのは知られているが、この小さな馬であの長剣突撃を行なっていた。
0029人間七七四年2007/04/07(土) 17:23:25ID:D4ihqfOa
槍衾というのは隙間なく長槍の穂先を組み合わせた防御の構え。
長槍衆同士が激突すると、互いに長槍でぶったたくわけだがこれは槍衾とは言わない。
主に騎馬武者の突撃を防ぐために、上段中段下段に組み合わせる。
槍の石突は地につけることで、馬が突っ込んできても長槍が撓ることでこれを弾き飛ばす。

0030人間七七四年2007/04/07(土) 17:29:22ID:D4ihqfOa
刀で戦うというと武士の専売特許のようだが、むしろ軽装で走り回る雑兵足軽が好んで用いたのが
取り回しのしやすい打ち刀。後に武士もこれを取り入れるようになった。

むしろ武士は槍を持つことが一角の武士になった証。
長槍衆が持つ長槍よりも短いもの。
0031人間七七四年2007/04/07(土) 17:31:52ID:D4ihqfOa
騎馬突撃は普通にあっただろう。
上でも誰かが書いているが、騎馬突撃がなければ槍衾という防御は存在しない。
0032人間七七四年2007/04/08(日) 00:24:38ID:8y2Xt/gf
で、その槍衾を崩すために弓矢・飛礫、後に鉄砲が組み込まれ、
個人がその武勇を競った時代は過ぎ、集団戦の時代になるわけですね
0033人間七七四年2007/04/08(日) 00:26:20ID:0qAyzr10
>>28
アマは鈴木眞哉の方
0034人間七七四年2007/04/08(日) 07:34:01ID:BMb9GAOG
個人が武勇を着そう時代というのがよく分からないが、
一騎打ちのようなものを想像しているなら、その時代は平安期にはすでに
過ぎ去っている。
一騎打ちの成立はそれほど難しい。
0035人間七七四年2007/04/13(金) 03:44:33ID:lNu2goIG
グスタフアドルフの騎乗肖像画。
馬小さいね。

ttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%94%BB%E5%83%8F:Gustavus_Adolphus_at_the_Battle_at_Breitenfeld.jpg
0036人間七七四年2007/04/13(金) 10:24:57ID:1qaIUDAi
まずはそれの絵描きと画風から紹介してみてくれ
0037人間七七四年2007/04/14(土) 08:24:13ID:3RfXpHPi
北欧の馬は小さく、また蒙古馬も日本馬と同じサイズ。

日本馬だけがポニーサイズだから騎馬突撃はできないと揶揄されるのは
日本馬愛好家として我慢ならん

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