>>111
色々と逸話はあるけれど
現実問題として
関東や南陸奥には親藩譜代がひしめいていて
いくら政宗公が天才でも仙台藩の国力じゃ
南下するのは不可能だお
家康が死ぬ頃は幕府の体制も一応の固まりも見せていたし
今更討伐する考えはなかったのではないかな

伊達と北条に関しては
天正13年頃には既に接近していたようだお
ただ、同盟と言えるほどの関係だったかは疑問だお