陰徳太平記は
正則を酒狂いで家臣を自刃させたりする愛を知らない大工の子と書いてたり、
天野の武勇を聞いて宗茂が召し抱えた後に、
正則が天野を召し抱えようとして
宗茂に先約ありと聞いて遺恨に持ち、
朝鮮陣で何かと正反対の意見を吐き険悪だから
広家と長政が酒席に読呼んで和解を斡旋したが、
武勇の家臣ときた宗茂と1人で来た正則。
酒の肴に宗茂が踊りながら正則の前に来たので、
鴻門の会のようになり
険悪になったが広家と長政がうまく収めたとか、
秀吉死後に三成や増田が増長し
始皇帝死後の趙高のようだと書いたり
真偽不詳の嘘話多過ぎ。
しかも肝心な関ヶ原は書いてないから
そんな悪評の三成と輝元が組んだり、
自称名将の広家が関ヶ原で下手うって、
長政偽書状まで偽造して
広家のおかげで毛利が存続できたストーリーを作ったのかわからん。
そのくせ、やたら長政と親しいアピールがウザい。
江戸で動けなかった家康…黒田親子の家康へ協力しろ書状を再三にわたり無視してただろ伊勢にいた広家…