毛利と大友の北九州攻防戦を語ろう
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0327人間七七四年
2008/10/01(水) 02:29:58ID:4HH0z818浅野氏のような、秀吉政権によって取り立てられた(所領を与えられた)大名(赤穂
藩の場合は浅野長政の隠居料を相続して成立)と、在地の国人領主の盟主から
戦国大名として成長した毛利氏とは、大名権力を形成するに至った経緯がまるで
異なるわけ。
吉川氏は当主の一族であり、家臣とするにはやや語弊があったかも知れないが、
益田氏は吉川氏と相互盟約を結び、その過程のなかで毛利氏を上位権力と
して認め、最終的に輝元をさして「屋形様」と呼ぶ関係になっていったことを留意
しておく必要があるということ。
あと余計なお世話かもしれないが、この方言は読みにくくてかなわないので、
せめて標準語でお願いしたい。
別に東西の差異については、網野善彦なども言及しているし、それについては
とくに言及したつもりはないが。
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