発展段階説とか東西の社会体制の差異とかそういう問題じゃないの。

浅野氏のような、秀吉政権によって取り立てられた(所領を与えられた)大名(赤穂
藩の場合は浅野長政の隠居料を相続して成立)と、在地の国人領主の盟主から
戦国大名として成長した毛利氏とは、大名権力を形成するに至った経緯がまるで
異なるわけ。
吉川氏は当主の一族であり、家臣とするにはやや語弊があったかも知れないが、
益田氏は吉川氏と相互盟約を結び、その過程のなかで毛利氏を上位権力と
して認め、最終的に輝元をさして「屋形様」と呼ぶ関係になっていったことを留意
しておく必要があるということ。

あと余計なお世話かもしれないが、この方言は読みにくくてかなわないので、
せめて標準語でお願いしたい。


別に東西の差異については、網野善彦なども言及しているし、それについては
とくに言及したつもりはないが。