>>954
吉川元春(きっかわ もとはる) 1530〜1586
毛利元就の次男で山陰方面の統治を任され、山陽方面を任された弟の隆景と「毛利両川体制」の一翼を担って当主輝元を補佐した毛利家武闘派筆頭の猛将。
徹底した秀吉嫌いで知られ、その九州島津攻めの際に嫌々参加したが小倉の陣中で病死した。

ざっとネット検索してみたが、どこを見ても吉川は嫌秀吉というのが一致した史観。
元春が病没するまでの一連の行動から、嫌秀吉なのは誰が見ても明らかだよ。
五大老には毛利一族からは、輝元と隆景が選ばれているが、吉川は除外。