秀吉の懐刀 田中吉政
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0001人間七七四年
2007/02/19(月) 23:02:43ID:vwI+CvTt戦国時代・安土桃山時代の武将、江戸時代の大名。諱の吉政の「吉」は壮年期に豊臣秀吉から一字賜ったもので、それまでは長政。
通称は久兵衛。官位官職は従四位下、筑後守、兵部大輔、侍従。
転封の過程で居城とした近江国・八幡(近江八幡市)、三河国・岡崎(岡崎市)、筑後国・柳川(柳川市)などの現在につながる都市の設計を行い、その評価は現代でも高い。
(詳しくは下のURLを参照)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%94%B0%E4%B8%AD%E5%90%89%E6%94%BF
戦国ファンには敗走中の石田三成を捕らえた人物として有名。
近江八幡、柳川の基礎を作った内政力は、もっと評価されてもいいはず。
ここで彼のことを大いに論議し、その価値を高めていこう。
0002人間七七四年
2007/02/19(月) 23:04:45ID:Hm5rmZaThttp://hobby9.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1171699786/
0003人間七七四年
2007/02/19(月) 23:20:22ID:voWHYJQu0004人間七七四年
2007/02/20(火) 00:07:06ID:6cEKF0f90005人間七七四年
2007/02/20(火) 00:15:08ID:Ovbi3AmV0006人間七七四年
2007/02/20(火) 00:24:06ID:6P7Ggf3Z0007人間七七四年
2007/02/20(火) 02:29:02ID:RUCczcWx0008人間七七四年
2007/02/20(火) 03:14:35ID:G3SbE5jb0009人間七七四年
2007/02/20(火) 21:16:23ID:jV9kcHkM0010人間七七四年
2007/02/20(火) 23:02:56ID:EP2XKsOs0011人間七七四年
2007/02/21(水) 02:47:48ID:/u9eCiWc後年秀次と秀吉が対立した時にも秀次を讒言してお咎めなし、それどころか事件後加増を受けてる
関ヶ原では旧主の息子である宮部長房を嵌めたり、佐和山城で虐殺を行ったりと
その人間性には疑問符が一つも二つも付く人物
政治手腕は誰もが認めるところだろうが
0012人間七七四年
2007/02/21(水) 05:18:40ID:/O/EPR7F> 関ヶ原では旧主の息子である宮部長房を嵌めたり、佐和山城で虐殺を行ったりと
> その人間性には疑問符が一つも二つも付く人物
まさに「吉政必死だなw」ってところか。
息子の代でインフラ整備に金かけ過ぎて貧乏で大坂両陣に参陣できず、おまけに無嗣廃絶で立花宗茂に新装なった柳川
城を献上する羽目になったのを見ると、その必死さが報われなかったように感じる。
0013人間七七四年
2007/02/21(水) 07:38:51ID:/cKh1gTq史実じゃなさそうだが、なんか仲良さそうで良い。
0014人間七七四年
2007/02/21(水) 10:21:16ID:RFrvqileたしか永井路子の「関が原別記」という短編を読んで
田中吉政の評価が一変した記憶がある
0015人間七七四年
2007/02/23(金) 00:25:11ID:VfjGe/cBしかし、関ヶ原では三成につかなかったばかりか、佐和山城の戦いで光成の父・兄の自刃で降伏交渉がまとまっていた、
にもかかわらず突入し、石田家の者を総自殺に追い込んだ。
このような事から、西軍ファンには非常に評判が悪い人物。
0016人間七七四年
2007/02/26(月) 13:27:33ID:jVuO2f4K0018人間七七四年
2007/02/26(月) 19:21:23ID:701kduU/0019人間七七四年
2007/02/27(火) 01:32:09ID:xXVXwD17主君のするようにしてるのだから、弟子のあり方としては無問題。通知表なら10段階で8くらい与えてもいい。
むしろ、秀吉の家来でありながら義とか恩顧などという観念論に走る三成こそ秀吉の弟子としては劣等生。
0020人間七七四年
2007/02/27(火) 02:32:33ID:cZjEPxU5秀吉の才能を五分の一くらいにして、
人望とか軍事的才能、愛嬌なんかを全部取り払ったら吉政が残りそう
0021人間七七四年
2007/03/18(日) 03:52:52ID:F19wGJhv0022人間七七四年
2007/03/30(金) 21:24:31ID:4t2yy4Bz0023人間七七四年
2007/03/31(土) 01:20:11ID:6zMotLxn田中吉政の家臣たちが柳川に仕官してきても全て断ったくらい。
0024人間七七四年
2007/04/02(月) 11:45:08ID:f8OBIK9kそれとも外面が良かった吉政が上手だったのか。
0025人間七七四年
2007/04/02(月) 13:15:18ID:CM4YwxyX0026人間七七四年
2007/04/02(月) 19:24:31ID:Eh63S7Fv因果応報か
0027人間七七四年
2007/04/07(土) 10:37:59ID:sZF6382k0028人間七七四年
2007/04/07(土) 11:07:34ID:Qxi0f1eM0029人間七七四年
2007/05/05(土) 16:33:13ID:3K0mhKGs0031人間七七四年
2007/05/05(土) 20:10:16ID:jx5dK1te0032人間七七四年
2007/05/25(金) 16:37:05ID:rRuAqvQ2腰を屈めて行かんといかん
0033人間七七四年
2007/06/10(日) 04:53:07ID:enJairP20034人間七七四年
2007/07/20(金) 18:54:47ID:VdMCLKhsこの辺りは能力的にも人間的にもクズ。
こいつらを引き立てた秀吉も見る目が無かった。
0035人間七七四年
2007/07/20(金) 19:59:52ID:1Tu7vMnU0036人間七七四年
2007/07/20(金) 20:00:50ID:ULXGZda90037人間七七四年
2007/07/21(土) 16:44:54ID:Ft3HBMaXただ、織田家の丹羽、池田,滝川、蜂屋とかとおなじで、上に立つ有能な指揮官がいて役に立つけど、
あくまで独立して大名となるほどの器量は無かったんだろう。
山内、一柳弟、田中なんかは能力的にも微妙,というかかなり劣るが、大名になるだけの器量が無いってのは同じ。
これは秀吉秀長がしんでしまって、ついでに秀次秀保もかたずけてしまった豊臣家の不運だろう。
それなりに能力はあっても、結局は覇気の無いバカだから家康に懐柔され保身にはしったと。
こいつらまとめて死んでて、東海道に蒲生氏郷がでんと座っていたら、関ヶ原はかなり面白くなっただろうな。
蒲生は、家康如きナンボのモンでもないと思っていたみたいだからな。
0038人間七七四年
2007/07/21(土) 20:03:13ID:3FKWp11S>蒲生は、家康如きナンボのモンでもないと思っていたみたいだからな
だから、会津の田舎においやられたんだな
0039人間七七四年
2007/08/04(土) 15:27:54ID:kLxWKpRB出世の為には手段を選ばないってなイメージが有りますが、何かソレだけじゃない妙な魅力が在ります。
彼の行動パターンには、常に何か一捻りある感じがします。
これは彼独特の知性と人生観から来てると思われますが。
0040人間七七四年
2007/08/20(月) 00:18:56ID:CwGiR0pj0041人間七七四年
2007/10/29(月) 17:20:25ID:4/EO4VP90042人間七七四年
2007/10/29(月) 17:35:08ID:nEBkWuXY0043人間七七四年
2007/10/29(月) 17:58:15ID:OO7iFQaK0044人間七七四年
2007/11/17(土) 21:09:27ID:z0SLVp8Y0045人間七七四年
2007/11/17(土) 21:49:16ID:LRhFWQ/A0047人間七七四年
2008/02/08(金) 19:18:40ID:dnEYI5Wcそしてしばらく見ない間にWikiがなんか微妙な感じになったな
0048人間七七四年
2008/02/09(土) 06:33:17ID:Hi/QjywLこいつもそんな一人
0049人間七七四年
2008/04/06(日) 00:13:56ID:Vt+/RqUm0050人間七七四年
2008/04/29(火) 20:47:16ID:B9Di9wFI記憶違いかもしれないが・・・。
0051人間七七四年
2008/04/29(火) 20:56:39ID:B9Di9wFI■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています