織田信長がいなかったら誰が天下取っていた?part4
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0001人間七七四年
2007/02/17(土) 23:19:17ID:0NmDFDkjここでは「彼が存在していなかった場合、誰が天下を我が物にしたか?」を議論するスレです。
前スレ
織田信長がいなかったら誰が天下取っていた?part3
http://hobby9.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1169606468/
過去スレ
織田信長がいなかったら誰が天下取っていたと思う?
http://hobby8.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1154509666/
織田信長がいなかったら誰が天下取っていた?part2
http://hobby9.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1160592334/
※現在、スレとしてのルールがまだ固まってません。
史実をなぞるのか、IFで固めるのか?
出来ればこのスレが終了するまでに決めたいです。
0864人間七七四年
2007/03/09(金) 13:55:26ID:CXETKHa5細川、三淵らの旧幕臣、池田、伊丹ら畿内の豪族らと、家格や有職故実、人脈などを競っても、今川の重臣では、負けるってことですよ。
すんません。
だから、信長は京都のしがらみに風穴を開ける意味で、敢えて、下賤の出の猿を任命したんじゃないかと思うのですよ。
0865人間七七四年
2007/03/09(金) 14:01:29ID:Kivsv4ZQの(ry
0866人間七七四年
2007/03/09(金) 14:03:57ID:pzFPmFzY信長の上洛が68年で
山城を完全に支配できたのが73年秋
河内和泉が落ちつくのが75年
丹波丹後が79年、大和の検地が79年
摂津を完全に抑えるのが本願寺退去後
義元の寿命をどこまでにするかは分からないけど
精々畿内を制圧する段階で寿命が来るんじゃないか?
その程度では本能寺直前の天下統一まであと少しという信長には
まだ及ばないから徳川が秀吉のようになることは難しいと思う
氏真が無能で家康に下克上の機会があっても天下を狙うには他大名がまだ強いし
氏真がある程度有能であれば家康に下克上の機会は無くそのまま今川が勢力拡大
すると思う
0868人間七七四年
2007/03/09(金) 14:43:38ID:CXETKHa5そうしたら、ある程度の兵力は任されているはずですので、史実の秀吉や勝家のような位置づけになってないでしょうか?
0869人間七七四年
2007/03/09(金) 15:18:17ID:GaPvEel8三河守は義元だしな。
0870人間七七四年
2007/03/09(金) 15:24:49ID:aVWEYw0Uどのような統治体制を考えるか、
また、その時元康をどの程度信頼し評価するか
ということにかかってくる。
実際には三カ国の太守のまま死んでしまったので、
想像するしかないのだが。
元康がどれだけ重用されても、
勝家や光秀並みの所領は貰えないのではないか。
まず駿河遠江の譜代が優先だろう。
0871人間七七四年
2007/03/09(金) 15:29:30ID:pzFPmFzY史実の秀吉勝家は本能寺直前にはかなりの勢力になっていたけど
その時点で織田は畿内どころか日本の半分程度は支配している
義元の寿命が普通程度なら信長ほど勢力広げている可能性は少ない
多めに見ても一国を任されている程度なんじゃないか
その程度の兵力では独立しても対毛利対浅井朝倉の相手だけで今川相手にする余裕は無くなる
秀吉勝家は毛利上杉を抑えこんだ上でなお畿内で戦えるだけの戦力があったが
また家康が独立したとしても氏真が健在な以上
本能寺で信長をうち漏らした場合の光秀みたいになるんじゃないか
家康が外部勢力と協力したとしても下手したら松永荒木
上手くいって毛利から離反した宇喜多のような存在にしかならないと思う
そこからどうなるかはまた分からないけど、そこまでのIFならもっと
大きな勢力はいるから家康の可能性はまだ低いと思う
また史実の秀吉勝家は信雄信孝を御輿として担げたが
家康にはそのような相手はいないから、義元の家督継承時の福島のような行動も起こせない
0872人間七七四年
2007/03/09(金) 15:42:03ID:rxncddYj0873人間七七四年
2007/03/09(金) 16:13:32ID:CXETKHa50874人間七七四年
2007/03/09(金) 16:36:28ID:GaPvEel8伊勢の北畠、大和の筒井、和泉摂津山城の三好、河内の畠山、丹波の波多野、丹後の一色、
今川と同等の家格の大名らがゴロゴロいる訳だ。上洛に義昭が絡んでいれば朝倉・浅井は間違いなく敵対する。
河内紀伊近江北伊勢の本願寺がいて三河一向一揆が起こったように、全国的に一向衆が活発になり始めたころ。
信長の上洛が早かったのは滝川(伊勢調略)・木下(蜂須賀・竹中による地元案内)・明智(幕府との調停)らの活用が成功したおかげもある。
兵力だけの消耗戦じゃ同じ事は無理。
仮にすべての大名が今川に協力したとして、義元死後の大荒れは目に見えてる。
0875人間七七四年
2007/03/09(金) 16:38:22ID:dZFaDgOx一向宗は懐柔してるから刺激しない限り関係なし。
0876人間七七四年
2007/03/09(金) 16:38:28ID:aVWEYw0Uその後の混乱が面白い。
うまく行けばその中から天下統一をするものが現れるんだろうが、
あまりに不確定要素が多すぎて
予想するには雲をつかむようだ。
0877人間七七四年
2007/03/09(金) 16:52:12ID:GaPvEel8いつまでも本願寺の治外法権を認めるなら今川に従わない大名もでてくるよ。
本願寺につけば良いんだから。
0878人間七七四年
2007/03/09(金) 17:02:13ID:dZFaDgOx0879人間七七四年
2007/03/09(金) 17:03:26ID:GaPvEel80882人間七七四年
2007/03/09(金) 17:25:23ID:GaPvEel80883人間七七四年
2007/03/09(金) 17:29:14ID:Kivsv4ZQ0884人間七七四年
2007/03/09(金) 17:57:28ID:GaPvEel8伊勢の長島城、加賀の尾山御坊、摂津の石山御坊、が本願寺の主な拠点。
加賀なんかは富田氏ら国人領主を支配下につけて越前を吸収しようとしていた所。
この勢力拡大を天下人が「懐柔」=黙認するんだろ?
信長に付かずに本願寺の庇護下に入る例えば紀伊の雑賀党や、浅井・朝倉を匿った比叡山延暦寺も黙認する訳だ。
たとえそのまま反織田の浅井・朝倉が本願寺勢力下に加わっても「懐柔」できるから大丈夫なんだ?
0885人間七七四年
2007/03/09(金) 18:30:12ID:d4XON/HJ0886人間七七四年
2007/03/09(金) 18:44:16ID:TUnOKCSC0887人間七七四年
2007/03/09(金) 19:04:16ID:Kivsv4ZQ0888人間七七四年
2007/03/09(金) 22:32:02ID:A8RaoTmiなんで朝倉と敵対してる本願寺が朝倉を庇護するのさ。
なんで今川と関係が悪くない本願寺が、今川の敵となる朝倉を庇護するのさ。
なんで強大な勢力となった今川に対してわざわざ自分から敵対するような行動取るのさ。
なんで今川と敵対する為に、今川側である本願寺の庇護下に入って今川に対する敵対行動を取れなくするのさ。
今川が将来的に本願寺、一向宗と敵対するというその考えは何を根拠にしてるの。
0889人間七七四年
2007/03/09(金) 22:53:01ID:MXdzJ7arちょい待て
そもそも 義輝暗殺事件が起こったのは64年なわけで
その時点で今川が尾張なり美濃なりまで来てるなら、義秋は今川に庇護求めるって可能性もあるんじゃねーのか
0890人間七七四年
2007/03/09(金) 23:51:08ID:1FikQMEBその場合、足利義元が義栄の対立将軍候補になるからでは。
今川には義秋の存在が必要性がないどころかむしろ邪魔。
0891人間七七四年
2007/03/10(土) 01:00:20ID:3prJpO8S今川が自ら将軍を名乗ると、義昭が頼った大名を中心に逆賊扱いで
今川討伐の大義名分を与えるよ。
他の足利一門ならともかく義昭にはそんだけのバイタリティあるからね。
0892人間七七四年
2007/03/10(土) 02:15:18ID:cTjaaxqp>彼が正統な足利後継者。
強力な庇護者がいないと、それを認めさせるのは難しい気がしないでもない。
元々は興福寺の覚慶だし。
細川藤孝以下の幕臣たちがいくら言っても、誰も聞かないんじゃないかな…。
0893人間七七四年
2007/03/10(土) 10:37:53ID:p1nE8Lzoまぁ、一番手っ取り早いのは、今川だと思うけど、その今川と対立するとしたら、実力的に、毛利を頼るかなぁ…?
史実では、信長に追放された後は、毛利を頼ってますので。
0894人間七七四年
2007/03/10(土) 14:33:06ID:n0PNd1gq0895人間七七四年
2007/03/10(土) 15:50:15ID:/VTzDk5I0896人間七七四年
2007/03/10(土) 20:29:19ID:XKoy64vlそのうち今川は氏真によって衰退するだろうし武田は上杉は史実みてもわかるように小田原攻略は無理。
そうして北日本制圧してれば畿内にどんな勢力いようと北条が天下とれるはず。
0897人間七七四年
2007/03/10(土) 20:42:26ID:9ikpmWHq何で北条ってあんな拡大速度が遅かったんだろうか?
上杉が北陸に専念しだしてからは関東には北条より劣勢な勢力ばかりしかいないのに
0898人間七七四年
2007/03/10(土) 21:32:00ID:NBqRpvS4それが問題なんじゃないか。
70年代初頭の反北条連合は北条と同等か、少し劣っているくらい。
一つの城を攻撃すると、こいつらが徒党を組んで後詰めに来る、
お互い万を越える大軍同士の対陣になって、時間切れ、というのがパターン
それに謙信が北陸に専念していたというが、結構ちょっかいだして来てるしな
とはいえ、武田との再同盟〜謙信死去までの六年間で
関宿城を奪取し、公方家の領国・権限を吸収、
小山領を切り取って下野への足がかりを作る、
羽生・深谷を組み入れて武蔵を統一、
江戸湾の制海権を奪取して里見を屈服させる
とやることはやってるよ
0899人間七七四年
2007/03/11(日) 03:36:10ID:aC934sWy毛利の外交戦略が発揮されれば、義元死後の今川では、太刀打ち出来ないんじゃない。
ただ、毛利も勝ちきれないというか、一気呵成には、攻めないだろうなぁ…。
一進一退の攻防で、ジワジワと毛利が畿内に浸透する感じかなぁ…。
だけど、その間に、北条と島津が台頭してきたりして…。
0900人間七七四年
2007/03/11(日) 04:23:49ID:f+7BLken毛利秀包(元総)、元就の息子だけでもこれだけいる。今川では氏真を補佐
してこれに太刀打ちできるだけの人材はまず見込めないし。ただ毛利もチンタラ
やってると長宗我部や宇喜田辺りにデカい顔されそうだが。
0902人間七七四年
2007/03/11(日) 15:14:06ID:I2R78lYX元康君がいるじゃないですか。
史実でも尾張攻めのとき先鋒だったし、それなりに信用されていたのでわ?
信長がいなかったら今川の尾張攻めが成功し、元康も武功を挙げたはず。
三河を返して貰うのは無理でも、対斉藤用の抑えとして尾張の、
美濃との国境付近にでもそこそこの領地を貰えるのではないかな。
そこからスタートして、持ち前の粘り強さで勢力を増し、
義元が死ぬ頃には家臣筆頭くらいになってる・・・ってのはどう?
0903人間七七四年
2007/03/11(日) 15:31:09ID:jjhFdWlw○捨て駒
0904人間七七四年
2007/03/11(日) 15:34:02ID:bWS/BxuLめぼしいのはこれくらいしかあげられないけど、地位が人をつくると云うのも一面の真実だからねえ・・・
人材不足とかはないんじゃね?
蛇足ながら、氏真だって真っ当に家督を継いでいれば、あるいは・・・(笑)
0905人間七七四年
2007/03/11(日) 16:04:40ID:yC9XM5XN天下に見放された不運の武将だよね。
0906人間七七四年
2007/03/11(日) 16:13:21ID:jjhFdWlw前々から思ってたけどゲームに出てくる名前しか挙がらないね。
松井宗信、庵原将監、蒲原徳兼は無視しちゃ可哀想だ。朝比奈・岡部と同等の忠臣だぞ。
朝倉の真柄直隆を討った勾坂吉政、他家で武功を稼いだ安部元真、葛山氏元、天野景貫も忘れちゃいけない。
徳川政権下で大名になった久野宗能、奥平貞能も優秀。
0907人間七七四年
2007/03/11(日) 16:41:27ID:knelOB0D0908人間七七四年
2007/03/11(日) 17:03:58ID:5dAzZLyb0909人間七七四年
2007/03/11(日) 17:16:26ID:lVNdE1lk恥ずかしいwww
0910人間七七四年
2007/03/11(日) 17:49:16ID:FC1E742W0911人間七七四年
2007/03/11(日) 18:09:03ID:TRAdrh4W0912人間七七四年
2007/03/11(日) 19:36:57ID:as3iF8Mc0913人間七七四年
2007/03/11(日) 19:59:05ID:HEBmG4Cx0914人間七七四年
2007/03/11(日) 20:01:04ID:KdJItaoLその前にIFを増やすなよって思うが
0915人間七七四年
2007/03/11(日) 22:06:37ID:aC934sWy史実の桶狭間で、義元と同時に多数の重臣旗本が打ち取られれば、当然、合戦後は人事刷新というか、人事異動、人事改革から着手しないといけないと思うのですが、氏真には、そういう資料、逸話が残っているのでしょうか?
首脳陣が打ち取られたとはいえ、駿河遠江の領地は無傷で相続しているのですから、人事改革さえ、うまく解決していれば、もう少し粘れたのでは…?
どなたか、今川に詳しい方、納得の出来る回答をお願いいたします。
0916人間七七四年
2007/03/11(日) 22:50:07ID:PbypwNMx「今川記」でも見れば?
あれが丁度分かりやすいんじゃないの?
某紙面で「新三河物語」ってのをやってるので興味があって見てるのだが、
「氏真がもし、義元死亡がわかった時点ですぐに三河に行き、父の亡骸を弔い、
元康にねんごろに声をかけていれば国内の混乱はすぐに片付いただろう。
元康は氏真の器量を恐れ、今川から離れる事は無かったのではないか?
家臣を理(簡単に言えば現実的なこと:知行とか)でまとめられない場合は情で包むしかないのだが、
氏真にそれができなかったことで松平の独立を許してしまった」って書いてる。
0917人間七七四年
2007/03/11(日) 23:04:51ID:bWS/BxuL俺はあんまり詳しくないが、確か井伊直政の父親が徳川への内通を疑われて粛清されてる
一応、徳川への内通は無実とされるが、ホントのとこはわからん
あるいは内通の疑いを口実にした支配体制強化の動きだったとか、内応者を適切に処断したと考えることも可能かも
0918人間七七四年
2007/03/11(日) 23:16:15ID:7jaasACp今川に詳しいわけじゃないけど
当時の大名は小豪族の寄り合い政権で
大名自身はその小豪族を大名家の軍事力と経済力とついでに権威で従えているわけだけど
桶狭間の戦いで大名家の直轄的な軍事力である旗本を多く失ったことにより軍事力を失い。
義元は桶狭間前年から兵糧の手配など戦争準備を進め、それまでは1万に満たない兵力だったけど
桶狭間では2万5千とも言われる大動員を行ったが
結果は失敗で大量の投資の割には逆に尾張と三河の一部を失い、戦争による支出と領土の喪失
によって経済力も失った。
人事改革軍事改革などを行うには配下の豪族に言うことを聞かせるための軍事力経済力が
必要であるが、その両方を桶狭間で失った今川宗家には経済力軍事力が回復するまでは
当面行動することが出来なかった。
と言うのはどうでしょう。
0919人間七七四年
2007/03/11(日) 23:38:52ID:TRAdrh4W氏真の政治は、大原資良、三浦義鎮父子と小倉勝久の3人による側近政治
であったという本があったと思う。(小泉や石原のような独裁色がある?)
3人とも近江出身で地元に縁が無い人物で、国人達から反発をかっていたと。
0920人間七七四年
2007/03/11(日) 23:49:02ID:8z/etuNm信長が今川領に侵攻していたら
8年も持たないと思う。
>>918
間違ってはいないと思うけど
長篠で大敗した勝頼もその後に結構軍事行動はしている。
氏真はへタレだと思う
父親の義元にも厳しく注意されているし
0921人間七七四年
2007/03/12(月) 00:15:38ID:ogXDZj6E朝比奈に命じて攻めまくってるけど?三河へも攻めてるし。失敗したがね。
0922人間七七四年
2007/03/12(月) 04:25:59ID:VfkOVEB8更に、質問を重ねます。
では、皆様は、義元が上洛を果たし、畿内(三好)政権のような物を樹立したとします。
おそらく、安定させる前に、寿命がくるとは思うのですが、氏真に、駿河から畿内までの大領土と、誕生間もない畿内政権を維持させることは、可能だと思われますか?
ご意見をお願いいたします。
0923人間七七四年
2007/03/12(月) 05:50:53ID:g5hUj6bj0924人間七七四年
2007/03/12(月) 10:33:58ID:QyxAPZcJ0925人間七七四年
2007/03/12(月) 15:40:27ID:BzuV5Dvdそこで家康の出番ですよ。
仮にその時点での家康が一カ国程度の太守としても、今川政権内で他に難局を
打開するような人物は見当たらない。
今川の重臣連は史実として主家の滅亡に対して効果的な手は打てなかったんだから
過大評価するには当たらない。百歩譲っても政権崩壊を支えるような人物がいないのは事実。
毛利元就死後に、隆景も元春もいなかったとしたら、宇喜多の存在感もまた違ったものになったんでは?
0926人間七七四年
2007/03/12(月) 15:59:43ID:ogXDZj6E家康が一国の太守ってそれも飛躍しすぎ。三河守は義元がなってるんだよ。
0927人間七七四年
2007/03/12(月) 18:22:49ID:RItQC1CR家康は城も持ってない一門とは名前ばっかりの体の良い「使い勝手のいい『駒』」ですよ?
氏真が家督を継ぐ前に家康とある程度仲良くなっておく→義元死後に家康をある程度重用する
とかなら家康が氏真を何とかしてくれそうな気がしないでもないと思うのですが。
0928人間七七四年
2007/03/12(月) 19:23:36ID:VfkOVEB8戦功を上げても、恩賞がなければ、元康よりも新参の尾張美濃畿内の豪族らが、従わないと思われるし、元康ほどの武将が活躍しないのも、想像しにくいんですけど…?
せめて、旧領回復か、城一つでも…与えてあげて。
0929人間七七四年
2007/03/12(月) 20:19:26ID:G6QjoNm2それに松平はもともと三河守護の家系ではない。
祖父の清康が傑物で三河の国人を従属させたが広忠の代で離反された。
>>928
岡崎城は返還されるだろうが西三河の松平の宗家の座は実力しだいだろうね。
0930人間七七四年
2007/03/12(月) 20:29:27ID:RItQC1CR家康の祖父の松平清康もかなりの名君で織田とも戦って撃退した事もある。
それだけ地元の家臣や農民の支持は高い。
当然家臣も「松平の為に」戦ってくれる。
それはそれでいいことなんだけど、今川にとってはそれは困り者。
だって一門にしたとはいえ、地元での「松平」の信者は多い
(結局地元では「地元の松平>名家ではあるがよそ者の今川」)
それが一致団結して今川に干渉されても困るし、
だからといって松平の旧両を召し上げる、なんてことしたら地元の人間(武士含む)が反抗されるのも困る。
今川としては「松平の力は欲しい、でも地元で勢力つけられると困る」ので
色々ある中で今川が選んだのは「教育施して徹底的に仕える『駒』にする」
もちろん武功が多ければ他で大領を与え三河から追い出す(後任は今川譜代の対松平の『壁』として仕える家臣)し、
武功が少なければそれを理由に領土縮小、ということもできる。
もし、今川が尾張まで出てきたら最前線の尾張に並程度の領土与えて三河から追い出すと思う。
0931九條殿@前関白 ◆1Ixlm5F0XU
2007/03/12(月) 20:53:18ID:BYA7b0ua◆今川従属下の三河の割拠表(略)
渥美郡・・・田原城(戸田氏)吉田城(直轄)
宝飯郡・・・牛久保城(牧野氏)
加茂郡・・・大給松平氏
碧海郡・・・安祥城(直轄)刈谷城(水野氏・織田方)
額田郡・・・岡崎城(城代)
幡豆郡・・・東条吉良氏
0932人間七七四年
2007/03/12(月) 21:27:43ID:dcSlWpVB三河一向一揆で全面的に歯向かうような
バイタリティある家臣達を持ってんだぜ
0935人間七七四年
2007/03/13(火) 03:03:28ID:1JLnqajk0936人間七七四年
2007/03/13(火) 09:39:39ID:uck24Lzeそれこそ近所のおっさんは傑物だ。都知事になったら・・・の類だよ。
他にも人物はいるって、主家を滅亡させたんだからそれ以上でも以下でもないよ。
松平が今川にとって体の良い「捨て駒」だった、てのは誰が言ったか。
後の徳川政権内の人間だよ。一門に連なる主家を見限ったんだからそうでも言わなきゃ
て部分は割り引いて考えないとね。
スケールは違うけど、人質として嗣子を差し出して一門扱いされた例としては宇喜多秀家がある。
捨て駒扱いにはされてないんじゃない?
三河国内は実質国人層の寄り合い所帯なんだから、仮に今川が松平から三河の盟主の座を
取り上げようとするなら、国人層に対し懐柔策を取らなきゃおかしいだろ。
結論として「今川に松平家も家臣団(三河国人)も徹底的に搾取されいじめられました」は
全然信用できない。
0937中野区民憲章 ◆ORWyV99u2Y
2007/03/13(火) 10:15:50ID:TQfoGQKb義元は馬鹿ではないよな。いいところは全てちゃっかり押さえてる
東三河の最重要拠点が田原or吉田城で戸田の内訌に付け込み後に直轄してるようだ
そして西三河の最重要拠点が安祥or岡崎城
長篠など南信濃に接する部分には奥平や菅沼ら譜代を配置、
東西三河を結ぶ要衝蒲形には鵜殿を配置してる
義元が尾張を獲得したら尾張の主要な城は全て直轄だろう
>>934
岡崎は今川が完全に摂取しきれているわけでなく城代を派遣して松平家臣を
統制してる
0938人間七七四年
2007/03/13(火) 13:30:41ID:8jDqhqPN>主家を滅亡させたんだからそれ以上でも以下でもない
今川衰退の原因は義元戦死
>松平が今川にとって体の良い「捨て駒」だった、てのは誰が言ったか
義元にとって重要なのは三河兵であって18歳そこそこの指揮官ではない。
先鋒の大将は井伊直盛で松平元康はさらに最前線で張る属将。
朝比奈などの歴戦の将なら配置の理由が分かるが、初陣の松平の配置理由は?
大高城の兵糧入れも松平の今川に対する忠誠を試した感がある。
0939人間七七四年
2007/03/13(火) 16:26:38ID:pihhvmpdそんなことわかりきっとるわw
そうではなく、主家没落に際して元康以外には上手く立ち回って
自家だけでも存続発展させた奴が皆無。コレのどこを取って元康なみの
能力を持った重臣がいたなどという妄想が湧いてくるのかふしぎ。
>初陣の松平の配置理由は
解釈はそれこそ色々できる。ひとつの解釈が「捨て駒」。
先鋒の役はそれを持って争いが起きるほど希望者が多い。殿軍とは違う。
むしろ、譜代の将を押しのけ元康にした理由は?
それほど絶望的な戦でもないし、当然譜代からは不満も出たはず。
義元が重要視したのは18歳の指揮官ではなく三河衆に言うことを聞かせるための
シンボル。
0940人間七七四年
2007/03/13(火) 19:18:02ID:R5voUu650941人間七七四年
2007/03/13(火) 19:32:34ID:wQGM23T7有力な先方衆ぐらいなもんじゃないの、松平氏の扱いは。
0942人間七七四年
2007/03/13(火) 19:40:23ID:DWWgscfY捨て駒として使うには、それ自体が単体として戦力にならなければいけないけど、
それが松平の名前があれば三河衆を使えるという理由では弱すぎると思う。
0943人間七七四年
2007/03/13(火) 19:57:27ID:8jDqhqPN>元康なみの能力を持った重臣がいたなどという妄想が湧いてくるのかふしぎ。
君の考えでいくと武田家臣も織田家臣も大友も大内もカス家臣だらけになるね。
0944人間七七四年
2007/03/13(火) 19:58:15ID:i2rRsO/Q元康に先鋒を与えたのは戦功を挙げさせて家中に認めさせる意図があったのでは。
0945人間七七四年
2007/03/13(火) 21:12:33ID:PwJWa4uQ>そうではなく、主家没落に際して元康以外には上手く立ち回って
>自家だけでも存続発展させた奴が皆無。
元康の配置位置が三河の東だったり遠江や駿河だったら独立することは不可能だったと思うぞ
朝比奈とかが独立をしようとしても外部からの支援が得られないため滅亡するだけだと思う
あと西三河の諸将が先鋒になるのは自然なことだと思う
0946人間七七四年
2007/03/13(火) 23:32:13ID:3LfWB5Orそうだよ。大体、武田24将とか、地方大名の陪臣で終わった人物を
高評価するからifがわけわからなくなるんだよ。
気づいてないかも知れんが完全にノブヤボ脳だな。
ifを考える場合、過去の人物の能力を図るのは実績でしか有りえんだろ。
表舞台に立たなかった人物まで無理やり候補に上げたんじゃきりがない。
可能性としても相当低い。
こういえばわかるか?松下幸之助がもしナショナルという会社を作って無くても
別の分野で何らかの功績を残しただろう。となりの町工場のおっさんが、もしナショナル
という会社を作っていたら単にその町工場の名称で終わっただろう。
0947人間七七四年
2007/03/13(火) 23:34:14ID:fF/OXU3P0948人間七七四年
2007/03/13(火) 23:40:47ID:8jDqhqPN家康の独立〜織田と同盟成功は状況も出生も関係していて特殊な例。
他の今川家臣団、他家の武将と比べるなんて無意味。
独立してないから無能って自分で言って恥ずかしくない?
0949人間七七四年
2007/03/13(火) 23:46:31ID:uFzUBYXL0950中野区民憲章 ◆ORWyV99u2Y
2007/03/13(火) 23:51:49ID:TQfoGQKbちなみに義元路線では尾張から完全に織田勢力を駆逐出来ないと思う
三河の松平や戸田への施策がいい例だ。そうなると桶狭間で下四郡を駆逐した場合
織田の総領を取り上げて尾張上四郡の織田信清に与えるか
あるいは桶狭間当時二歳の奇妙に与えるか、織田家の懐柔を計るだろうな
0951人間七七四年
2007/03/14(水) 00:07:06ID:ZHggeRxm広忠は松平一族に対抗するために今川に起用されたんじゃないのか?
また上4郡は信安で信清はその一部
働きしだいかもしれないが四郡を与えるなんてことは当面無いんじゃないか?
0952人間七七四年
2007/03/14(水) 01:14:11ID:Rfk16wTC守護の斯波氏か、守護代の両家だろう。
ただし、領地は分割して今川の家臣に論功行賞として大部分を与えるだろう。
松平元康も尾張で領地を与えられるだろう。
0953人間七七四年
2007/03/14(水) 07:38:27ID:adt4/Tr5それが駿河から畿内までの覇者であっても、そう変わらないのでは…?
氏真が優秀だったと主張する意見を聞いていても、贔屓目に見ても、内向きの才能で、四隣の外敵を駆逐し、覇権を維持発展させる二代目になれるとは、想像し難い。
0954人間七七四年
2007/03/14(水) 08:21:12ID:gPInfroO家運が傾けば当然の話であって何も今川だけじゃない。武田の最後も北条の最後も似たようなもの。
織田家も同じく本能事後は秀吉の家臣になってるわけで。
0955人間七七四年
2007/03/14(水) 09:00:13ID:adt4/Tr50956人間七七四年
2007/03/14(水) 09:12:20ID:gPInfroO0957人間七七四年
2007/03/14(水) 09:19:00ID:YfMPbKps島津や鍋島や伊達や南部等々が綺麗にスルーされているあたりなんとも厨臭い
0958中野区民憲章 ◆ORWyV99u2Y
2007/03/14(水) 10:52:32ID:vcZMY0Ma>広忠は松平一族に対抗するために今川に起用されたんじゃないのか?
そりゃそうだろう。広忠の親父の実績を認めてたわけではあるまいし
>また上4郡は信安で信清はその一部
>>950で桶狭間と書いたが「信長が桶狭間で死んだら」というifで書いた。
その前提だと桶狭間の前の浮野合戦で信長は信安・信賢父子を放逐し
上四郡を信清と折半してる。信長が討たれれば上四郡で最大勢力は信清になる
当然美濃に逃げた信安・信清父子は黙っていないわけで
すぐさま斎藤の援護で上四郡を奪還しに来るに決まってるから対抗上
信清は今川に付くわな。今川の政策上、結果として織田の棟梁は信清になる
>働きしだいかもしれないが四郡を与えるなんてことは当面無いんじゃないか?
だな。信清の居城犬山は斎藤との抗争上直轄になるだろ
上四郡の重要拠点は他にも小牧山や岩倉・守山などあるからそれも今川に取られると思う
>>952
>守護の斯波氏か、
遠江で今川がやったことを考えるとそれはないだろう
>ただし、領地は分割して今川の家臣に論功行賞として大部分を与えるだろう。
大部分は直轄だと思われ
0959人間七七四年
2007/03/14(水) 11:46:11ID:adt4/Tr5景勝、輝元の二人は、信長との絶望的な戦いの連続にも耐え、組織的防衛態勢を維持したし、関ヶ原の厳しすぎる戦後処理にも、家臣団分裂を防いだ。
その意味で、氏真よりは上と…。
何も、この二人が超一流で、天下を取る器だと言ってるわけではない。
家を保てなかった大名は、倒産させた経営者と同じで、他にいくら優れた面があっても、言い訳出来ないのでは…?
0960人間七七四年
2007/03/14(水) 12:11:28ID:VsRCqPyc本能寺があったからで、いわば偶然の結果。
0961人間七七四年
2007/03/14(水) 12:45:58ID:qGmMT1ob0962人間七七四年
2007/03/14(水) 23:15:30ID:8S8uoAYE0963人間七七四年
2007/03/14(水) 23:24:11ID:nBOMA78rレス数が950を超えています。1000を超えると書き込みができなくなります。