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細川幽斎(藤孝)・忠興父子を語るスレ

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0001人間七七四年2007/02/17(土) 21:24:53ID:kgpQVoWf
戦国時代を代表する文化人幽斎と
幽斎の息子で激情家で知られる忠興を語りましょう。
0492人間七七四年2008/07/04(金) 15:55:58ID:P8lD+DTW
山本博文の「江戸城の宮廷政治」なんて読むと、忠興と言う人間が、世間全体の流れを的確に読み、
細かい心遣いも勇断も出来、さらに腹芸での政治遊泳も出来る相当な人物だと言うのが良くわかる。
好む好まないは別として、家柄関係なく、現代社会でも間違いなく出世するタイプ。
0493人間七七四年2008/07/05(土) 00:00:44ID:VsbDHP2s
>>491>>492世の中に怨念というものが存在するなら・・
この一族は丹後一色一族および家臣には子々孫々呪われるはず・・
怨念というものが実在するなら・・
0494人間七七四年2008/07/05(土) 13:23:33ID:3LiVirsJ
>>492
そして忠興の性格の悪さもよくわかるという諸刃の剣。

あんなにネチネチと説教されてたら忠利が細々と気を使う(使いすぎて他人に嫌われたりする・・・)性格にもなるわなあ。

黒田如水・長政あたりもやっていることは変らない(地元旧勢力のだまし討ちとか、一族家臣とのぎすぎすした関係など)のに
忠興ほど嫌われることはあまりない気がする。
(長政も好かれるタイプではないだろうけど、生理的に嫌いとかいう評価は少ないイメージが。単に知名度の差?)


0495人間七七四年2008/07/05(土) 18:38:21ID:K3MgVhfU
忠興と長政の世間一般の評価の差は、
美人の妻をDVってたか 妻といちゃついてたか というイメージの違いじゃなかろうか。
家庭での振る舞いひとつで人間性全部を評価されてしまった忠興の不幸とでも言おうか。
0496人間七七四年2008/07/05(土) 18:59:24ID:NlXW5v3Z
そうかなあ黒田長政は病んでる人どころではない嫌われ方してる印象。
性格が地味に普通な上で地味にこつこつ騙し討ちとか裏切りの斡旋とか
嫁離縁とかしてるからある程度仕方ないけどな!
長政好きの俺にもフォローしにくい。
0497人間七七四年2008/07/05(土) 22:46:34ID:nP7N0NL7
DV野郎細川忠興 vs パワハラ野郎黒田長政

・・・藤孝の話題余り出てませんなぁw
まあ忠興が強烈すぎるし
0498人間七七四年2008/07/06(日) 10:14:01ID:k2Ocq0MP
あ、黒田長政か!
長政と聞いてすっげえナチュラルに浅井長政だと思ってた。
なんで浅井が嫌われるんだろう? とか思っちゃったぜ。
0499人間七七四年2008/07/06(日) 16:34:01ID:KkgrOmG6
長政は又兵衛を追放して刺客を差し向けたり迫害した事が男を下げたが、
父親や又兵衛のせいで小物っぽく扱われる事が多い気の毒な人物でもある。
忠興はそこら辺、父とは別に超然としてると思う。
0500人間七七四年2008/07/06(日) 16:51:18ID:K5CrtqJ/
黒田長政
浅野長政
浅井長政
0501人間七七四年2008/07/06(日) 16:56:22ID:dpXF9Nji
山田長政
0502人間七七四年2008/07/06(日) 17:30:03ID:K5CrtqJ/
織田長政
池田長政
上杉長政
小笠原長政
0503人間七七四年2008/07/06(日) 18:40:07ID:Sf/oYdz3
>>492
>山本博文の「江戸城の宮廷政治」
といえば最後の方忠利が危篤に陥った時の忠興の手紙はちょっとぎょっとした
あそこだけ忠興の中の人が違うみたいだった
0504人間七七四年2008/07/06(日) 19:14:15ID:K5CrtqJ/
>>503
「忠利の病気、ずっと私に隠して、良い良いとばかり言っていたので、そうかと思っていたところ、
今日十四日、急に危篤だと知らされ、驚いて八代を三時半後ごろに出、熊本に夜の十時に付き、
忠利の様子を見たところ、もう駄目で、私の事もわからず、目も明かない様子だった。

ああ…、とにかく酒井殿や柳生殿に相談してお暇をもらい、急いで帰国してきてくれ。
私は混乱して、なにがなんだかわからない」


やっぱり人の親ですよね。
忠興八十歳の時の賀歌

 思いやれ 八十のとしの くれなれば そこはかとなく 物ぞかなしき

臨終の言葉

『皆共が忠義、戦場が恋しきぞ!いづれも稀な者共ぞ!』
0505人間七七四年2008/07/07(月) 09:12:23ID:otg/09dN
忠興と長政はそれぞれ能力の似た、より優秀な父親を持っているんだけど
忠興は実にストレートに嫌っているのに対し
長政はすごく複雑にコンプレックス持ったりリスペクトしたり、むつかしいんだよね。

で、親父同士はまったく違ったタイプなのに普通になかよし。
息子同士はいわずもがな。
0506人間七七四年2008/07/15(火) 21:53:25ID:Jn59Nqni
>>504
その本読みたくなった。サンクス
0507人間七七四年2008/07/18(金) 15:04:48ID:6rB/Ehx1
>>505
関ヶ原合戦後、細川と黒田は一触即発の事態になったはずだが・・・
0508人間七七四年2008/07/18(金) 15:10:26ID:zdWOGiYv
>>507
「親父同士が」仲良し、って事だろ。
0509人間七七四年2008/07/18(金) 21:23:11ID:f00myab0
>>42
>>43
長政と忠興は関が原までは普通に仲よかったと思うけど。
三成弾劾の七将にお互い入ってたりするし。(メンバーに異説はあるけど)

仲悪かったら、松井康之が黒田勢に応援頼んだことで、康之に対して根に持ちそうな性格だし。忠興は。

豊前の引継ぎで黒田が先取りした年貢を返さないことが発端で、お互いの重臣の出奔に手を貸したってことで、敵対関係になるけど。



0510人間七七四年2008/08/27(水) 06:15:27ID:okod4AnX
興秋の守役は飯河宗祐らしいけど、他の息子たちは誰がついたんだろう?
0511人間七七四年2008/08/27(水) 21:17:00ID:MDMSw1JK
忠利は小さい頃「自分には兄が二人もいるし、病弱だから養子にやられるか
寺に入るしかない」みたいに嘆いてたそうで、実際愛宕山の福寿院に入れら
れてたそうででちゃんとした守役いたのかな?
同年代にお付の者はいたみたいだけど。
0512人間七七四年2008/08/28(木) 15:14:25ID:uP49F0F9
忠興と父との確執の表れは、お玉との婚姻の時、
羽織の家紋を、細川のものにするか、今の長岡のものにするかで刀を抜いての争いになったり。
本能寺の変の時は、明智に味方しない忠興を父藤孝が殺してまで出陣しようと、もみ合いになり、
忠興が藤孝から刀を奪い、結果剃髪し信長の喪に服すという忠興の考えを通した。
本との親子かいなと思えるようなエピソードがイッパイ
0513人間七七四年2008/08/28(木) 16:34:49ID:tNJlFnDY
やっぱり忠興って鴨川でひらってきた(以下自粛
0514人間七七四年2008/08/30(土) 19:11:04ID:3Wq0o/m3
忠興を鴨川で(鯵のように)開いてきた、に見えた…。
忠興なら侍女とか家臣とか何人か開いていそうだが、
藤孝はそんなことしねーよ、とか素でつっこんでから、
タイポということに気づいた。
0515人間七七四年2008/09/02(火) 02:58:19ID:PlzwlLTB
>>515 tamatukuri
0516人間七七四年2008/10/10(金) 23:37:07ID:ey24eKID
忠興はガラシャに執着しててもその息子たちはどうでもいいみたいだね。
立孝ばかり可愛がるし、宗家は途中で立孝の系統になるし。
0517人間七七四年2008/10/11(土) 16:44:01ID:ta3y7Xth
>>516
忠利とは膨大な数の手紙のやり取りをしてるんだよね。
かなり小うるさく口出しして、忠利も「最近父上はますます
こらえ性がなくなってきた」と書き残していたりする。
0518人間七七四年2008/10/11(土) 23:17:13ID:CMAr796c
奥方好きの遺伝子は幽斎→忠興→忠隆にしっかり受け継がれているようだ
0519人間七七四年2008/10/11(土) 23:32:24ID:Cd646EPf
>>517
>>503にもあるように息子達に愛情が無かったわけではないのだろう。
ガラシャへの仕打ちを考えるとかなり歪んだ愛情みたいだが。
0520人間七七四年2008/10/15(水) 23:54:46ID:PAWxvfJU
忠興の意外な面:
荒木村重の女房衆が処刑される時、同情してた・・・
0521人間七七四年2008/10/16(木) 03:24:52ID:Gjs070Of
地味に松井康之(現代人みたいな名前だな)が好き
0522人間七七四年2008/10/16(木) 18:07:39ID:QDu17a+W
沢村大学が好きな俺は間違なく異端
0523人間七七四年2008/10/20(月) 19:35:30ID:nwbWpE4A
>>520
村重の息子も召し抱えてるんだよね
0524人間七七四年2008/10/20(月) 21:43:57ID:iWeh10bL
藤孝は俺の中では真田昌幸を強化した感じって位置づけだな〜
肥とかの評価は真逆だが、世渡りの巧さといい、戦での実績といい完全に藤孝が上をいってると思うんだがな〜
特に田辺城は篭城戦として考えうる最悪のシチュエーションの中であの長期間耐え凌いだからな。
0525人間七七四年2008/10/20(月) 22:16:02ID:V5e4ASyH
>>524
攻め手があんまりやる気がなかったからな。
0526人間七七四年2008/10/20(月) 22:27:37ID:iWeh10bL
>>525
その手の事言い出したら上田城だって似たようなもんだろ。
0527人間七七四年2008/11/02(日) 01:53:38ID:yOzsRQjp
ほそかわただおきんたま
0528人間七七四年2008/12/04(木) 17:29:56ID:78PWIz5U
今週のへうげもの、利休見送りシーンだったけど、テンションおかしかったなw
0529人間七七四年2008/12/04(木) 19:55:49ID:vrGi4FMx
ラストシーンまで我らが細川家は肉体言語だったしなw
0530人間七七四年2008/12/07(日) 00:21:57ID:GY+61s55
ここの過去ログで細川家家臣についても語られてるが、「下津権内」をスルーしてるな。
岩成友通を討ち取った有名人なのに。
0531人間七七四年2008/12/07(日) 07:58:20ID:02o07Fwq
下津って手柄を自慢していて忠興にお前うぜーよみたいなキレ方された人だっけ
0532人間七七四年2008/12/16(火) 23:34:34ID:cRvh4zly
忠興・玉は本能寺前は、白洲次郎・正子夫妻みたいな雰囲気だったのかな?
0533人間七七四年2008/12/17(水) 22:56:31ID:H7cXXKCS
>>530-531
この人か
http://www.j-sampo.com/sengoku/2007/10/post_623.html
http://www.shinshindoh.com/oie-3-1.html

下津権内(一通)は天正五年に戦死となってるから、
忠興と揉めたなら忠興は14-15歳くらいか?
0534人間七七四年2008/12/18(木) 22:35:52ID:CIkMQL9p
>>533 本能寺後は高村光太郎・千恵子夫妻みたいになった?
0535細川徳生2008/12/21(日) 22:46:36ID:ycucWCtd
細川徳生

被告、株式会社チャンスイットにドメインの返還を要求する、
公開質問状と内部告発と損害賠償請求事件で裁判中です。
集団ストカー・インサイダー取引・中野サンプラザ問題
巨大組織の細川徳生グループと戦っております。
まるで、巨象と蟻の戦いです。宜しくお願い致します。
0536sage2008/12/26(金) 18:13:32ID:uvBBxBOX
>535 なんだちみは
0537人間七七四年2009/01/01(木) 19:39:20ID:MQDx4vVW
柴田錬三郎の剣鬼シリーズにも忠興出てたけど、
美少年を閨に引き込もうとして(!)拒絶されたり、
最後には男根切り落とされたりと、散々な役だった…
0538人間七七四年2009/01/03(土) 11:10:29ID:FBNQUYm1
忠興は禁止令出すくらい衆道嫌ってたのに..
0539人間七七四年2009/01/03(土) 23:47:21ID:2YBVeM51
忠興は干し柿が好物だったそうで、三成はそれをダシに関係修復を
試みたけどダメだったつう話が残ってるが
三成もつまんない手を使うね
0540人間七七四年2009/01/03(土) 23:49:43ID:pCwaVxZQ
>>539
そんな珍説があるのかw
0541人間七七四年2009/01/04(日) 00:28:29ID:QI5j83zM
干し柿とはまたw
0542人間七七四年2009/01/04(日) 01:00:44ID:z9ZA/feM
忠興の頑固さっつーか三成の付き合い下手が忍ばれるお話ですなw
つーかそんなんで吊れたら苦労しないだろ。相手忠興だぞw
0543人間七七四年2009/01/04(日) 01:32:30ID:+xI16PLc
>>539
これか

石田三成と細川忠興が仲たがいをしていたのだが、石田三成からの申し入れで、前田玄以を仲介して
仲直りすることになった。
その席で、三成は、忠興に仲直りの挨拶もせずに、盆の上に載せた柿を忠興の前に置いて、
「越中守(忠興)は柿が好物だと聞いたので持参致し候。それがしのことは気にせず食して頂きたく候」
と云った。
0544人間七七四年2009/01/04(日) 01:42:28ID:JJV5PSvR
>>543
こんな不自由な人が実在したことも政権の中枢にいたことも信じられないネタに違いない
反射的にそう思った
0545人間七七四年2009/01/04(日) 01:44:29ID:+xI16PLc
子供をあやしてるわけじゃないんだからなあw
0546人間七七四年2009/01/04(日) 11:49:54ID:z9ZA/feM
>>543
これはちょっとシャレにならんくらいひどいなw
同席していた(と思う)前田玄以の心境や如何に!
0547人間七七四年2009/01/04(日) 21:34:45ID:jm6GqbrW
>>543
仲直りどころか、火に油を注いでるだけだな。
つーか忠興もアレだけど三成の対人交渉能力も結構破綻してるんだな。
0548人間七七四年2009/01/05(月) 15:56:34ID:9mxzZfPm
忠興の性格について家族よりコメント
「性格が豪強」父・幽斎より
「引くことを許さない人」妻・玉子より
「人の言うことを少しの疑いもなく受け入れ、
感じたままを受け入れる人」息子・忠利より
0549人間七七四年2009/01/07(水) 20:57:41ID:x9mu8Fcp
>>543
逸話のネタ元は何だよw
0550人間七七四年2009/01/07(水) 21:16:10ID:7cxILCkm
>>549
細川家の文書「綿考輯録」
0551人間七七四年2009/01/07(水) 23:59:35ID:IOwowkqR
>>548 『戦国悪い話4」で質問出てたんで、忠利コメントの解説。
   忠利が酒井忠勝に宛てた書状の一文。文面からすると
   「(一徹な、激しい性格は)幼児のような純粋で邪気のないもの」
   という意味らしい。
0552人間七七四年2009/01/08(木) 00:14:29ID:zx7zh/8V
>>551
父親の事良くわかっているなw
0553人間七七四年2009/01/08(木) 01:42:13ID:lFWkb6P1
>>551
質問した人間です。
良く分かりましたー。
ありがとう。
0554人間七七四年2009/01/11(日) 07:01:03ID:aVSN3n2Q
関係ないけど、江戸時代の商家の記録で細川家は、
「絶対に金を貸しても返ってこない家」として有名だった。

「もともと武家は策謀のお家柄なので、返す返すといいつつ、
はぐらかしてまったく返さない。特に細川は・・・」

っていう記録がたくさんある。基本的に大名家ってあまり返さない
から、”大名貸し禁止”が家訓第一条に書いてある三井家なんてのも
あるんだけど、細川は特にひどいらしく多くの商家の記録に
悪口が書いてある。
0555人間七七四年2009/01/11(日) 07:22:19ID:xMDkjK9G
そりゃー
農民から搾ると一揆を誘発して家を潰しかねないが
商人から金借りて返さなくても家は潰れない
って家だからなぁ
0556人間七七四年2009/01/11(日) 07:30:38ID:aVSN3n2Q
基本、大阪商人だからね。金借りるの。熊本ではたいした商人がいないし。
だから、金返さないと、あっさり金貸してくれなくなるよ。
島津なんて、家老まで出てきて番頭に頭下げないと貸してくれなくなっていた。in大阪
0557人間七七四年2009/01/11(日) 09:24:20ID:bxCXrw++
>>554
おかげさまで熊本城を初めとする数々の文化遺産を現在の我々も愛でられるのですから
商家の皆さんご苦労さんとしか言いようが無い。
0558人間七七四年2009/01/11(日) 10:48:46ID:FwDAlKBr
肥後・細川家の財政を傾けさせたのは綱利の代から。
家老の松井から諫言受けるほど、相撲に熱中したり派手好きだった。
(忠利・光尚は倹約してたんだけど)
0559人間七七四年2009/01/11(日) 11:38:32ID:BAKyhOme
>>556
そりゃ、島津の借財整理ひどすぎるもんw
0560人間七七四年2009/01/11(日) 21:49:23ID:/gELtD7W
森鴎外「渋江抽斎」に、他の大名家の養子に出された熊本細川家の4男坊が、
東海道を家来数人とその領地に向かうも貧乏道中。
医者の渋江家から金を持ち出し出奔した渋江の放蕩息子と出会って意気投合。

その金で何日も宿場で遊興したとかあったような。


0561人間七七四年2009/01/12(月) 08:49:35ID:snBiBP94
忠興・忠利の書状に「借銀」の話が結構あるし、幽斎もお金がほしいって
歌に詠んでるくらいだから代々借金してるの当たり前だったんだろうな。
0562人間七七四年2009/01/12(月) 09:02:47ID:bOnr53mt
そんな早い時期から……
0563人間七七四年2009/01/12(月) 09:30:43ID:rkujnnZT
>>561
江戸幕府の体制が固まるまでは、「また戦争状態になる」ことをどこの大名家でも想定しているから、
いくら金があっても足りないってことなのでは。

商人なんかに金を(無理やり)貸して、高金利で取り立てるなんてことは、多くの大名がやってたって
解説を読んだことがあります。


0564人間七七四年2009/01/12(月) 15:24:11ID:snBiBP94
経済的に余裕ないから幽斎は側室置かなかったし、忠興も丹後時代はあんまり
側室いなかったのでは?
0565人間七七四年2009/01/12(月) 21:54:51ID:ey5hNEc7
>>563
いつでも戦争状態で、そんな金を貸して無理やり取り立てるなんて
ことができた時代にはそんな回りくどいことをやらなくても、
普通に商人の家を襲って金を強奪すればよかったわけですが。
0566人間七七四年2009/01/12(月) 21:59:56ID:SFPqod9w
>>565
戦国大名ってものを何もわかってないな。
0567人間七七四年2009/01/12(月) 22:03:39ID:ey5hNEc7
>>566
低能っぽい無意味な煽りレスですね。
0568人間七七四年2009/01/12(月) 23:17:43ID:PcoPoMdT
>>565
馬鹿だろ、お前
0569人間七七四年2009/01/13(火) 00:07:13ID:DEV6OOfE
馬鹿はおまえですw
一生気付かないだろうけどねw
0570人間七七四年2009/01/13(火) 00:08:24ID:DEV6OOfE
なんも知らないから、そういうレスしかできないw
0571人間七七四年2009/01/13(火) 00:24:58ID:h1YHRuep
戦国大名が戦争用の物資の確保に関して広域の商取引を行う商人に大きく依存していたところから
説明しないと駄目なのか?

それとも無視したほうがいいのか?
0572人間七七四年2009/01/13(火) 01:04:16ID:cBbRDUly
普通に商人の家を襲って金を強奪すればよかったわけですが。
普通に商人の家を襲って金を強奪すればよかったわけですが。
普通に商人の家を襲って金を強奪すればよかったわけですが。
普通に商人の家を襲って金を強奪すればよかったわけですが。
普通に商人の家を襲って金を強奪すればよかったわけですが。
0573人間七七四年2009/01/13(火) 01:07:01ID:h1YHRuep
だいたい戦国時代既に、為替による商取引が広く行われているってことすら頭に入ってないんだろうな。
商人に家に現金があるとか思ってやがる。
0574人間七七四年2009/01/13(火) 01:38:48ID:cBbRDUly
預金は全部銀行に預けられたままとか思ってそうだな
0575人間七七四年2009/01/14(水) 23:55:26ID:jx5w1oT6
忠利くんは義輝さまの遺児を見つけ出して召抱えてるけど、
小さい頃幽斎からいろいろ義輝のこと聞かされてたのかな?
0576人間七七四年2009/01/15(木) 22:25:50ID:nNQLKVFp
直木賞取った「利休にたずねよ」の忠興はかなりらしくって楽しめるよ。
幽斎・ガラシャもいい味出してるし。
0577人間七七四年2009/01/16(金) 00:25:19ID:EkFG22/S
>>575
名門の吹き溜りと化してる細川家中でも、妙に待遇が良いからね。

東国では水戸徳川、伊達、西国では細川はしくじった感のある名門が
あつまっている印象が有る。
0578人間七七四年2009/01/16(金) 11:23:34ID:pSTtypmc
>>575
尾池義辰(玄蕃)?

>>577
拾われた者が、更に人を呼ぶって流れもあったろうね。
0579人間七七四年2009/01/17(土) 19:31:44ID:U1uz9Mqh
明日の出来事
【誕生日】
シャルル・ド・モンテスキュー(1689)、松平定敬(1847)、鈴木貫太郎(1868)
石原莞爾(1889)、おすぎとピーコ(1945)、ビートたけし(1947)、ケビン・コスナー(1955)
片桐はいり(1963)、伊吹公子(不明)
【命日】
細川忠興(1646)、土居まさる(1999)、ザ・シーク(2003)
【主な出来事】
藤原頼道が関白になる(1020)
木村さんが徳川さんの血判が薄いとかなんとか因縁をつける(1615)
ドイツ帝国成立(1871)
大逆事件(1911)
りしょうばんラインをお隣の国が勝手に宣言(1952)
長崎市長が鉄砲で撃たれる(1990)
ライブドア株が売りまくられえらことになって全銘柄取引停止(2006)
アクシズとア・バオア・クーが衝突してゼダンの門壊れる(0088)

振袖火事の日、都バス記念日
0580人間七七四年2009/01/18(日) 21:07:11ID:kF9V3PbP
「へうげもの」で忠興が「立ち飲み喫茶」してたのを
いくらなんでもありえない設定とその時は思ったけど
『三斎流』に立ったままで行う点前<出陣前の点前>
の存在を知って驚いた。
0581 ◆dnoKwkvYg6 2009/01/18(日) 22:05:13ID:kD4HFxzZ
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0582人間七七四年2009/01/20(火) 09:47:32ID:1enY7nzP
家老松井家当主の話聞いてきた。
昔からそうだけど本家と松井家は姻戚繰り返し、現当主も元首相の従兄弟さん。
今は水前寺公園横の出水神社の神主さんのバイトやってる。
明治廃藩置県、戦後農地解放、折々、
実成のある田畑山林は、耕作者農家が登記。
それはめでたいいいことだけど、河原湿地山岳原野などなど、
荒蕪の地は誰も登記しない→自動的に旧藩主所有。
ということで、熊本県(旧肥後藩)中に、
膨大な細川当主(元首相さん)名義の荒地が残っているそうです。
生産性がないのに毎年資産税は無条件にかかってくる。
たまに、道路や、高架電線で収容、国や公社に買い上げしてもらってるが
他の個人や農家みたいに、先祖伝来とか生活がかかってるという理由で
値上げ交渉ができない。
公示価格の最安値。不労不動産売買につき高額課税。
虫食いの荒れ地が、道路や電線でさらに寸断。
げっそりされてましたとさ。

0583人間七七四年2009/01/20(火) 18:46:25ID:DdiTSrpZ
>>582
>昔からそうだけど本家と松井家は姻戚繰り返し、現当主も元首相の従兄弟さん。
松井氏の地元八代の博物館で系図を見たことがありますが、細川本家とそんな何回も関係してなかったような。
細川の分家筋(内膳家、刑部家、支藩主家あたり)の名前は系図に頻繁に出ていたと記憶しています。
まあ、多少は先祖自慢も入っているのかな。




0584人間七七四年2009/01/20(火) 21:36:16ID:88D5HY5d
>583
>松井氏の地元八代の博物館で系図を見たことがありますが、
>細川本家とそんな何回も関係してなかったような。

本家との婚姻は松井興長と忠興の娘、
あとは元首相のお父さんの後妻が松井さんというぐらいだと思う。
0585人間七七四年2009/01/21(水) 22:22:57ID:09GObg2K
それから、興長夫妻には子がなかったが忠興六男(寄之)が養子に入って
松井家継いでる
0586人間七七四年2009/01/28(水) 23:02:10ID:dfOs0Pjz
来週の「日本史サスペンス劇場」はガラシャの話だから
忠興さまの数々の名場面(庭師切捨→鬼蛇夫婦・侍女の耳鼻削ぎ)が
見れるかな。野村宏伸が演るらしいが・・・
0587人間七七四年2009/01/29(木) 02:40:38ID:3aGIzaGQ
忠興が一番仲良かったのって森忠政だろうか。

やけに細川家の記録なのに名前が出てくるんだがw
0588人間七七四年2009/01/30(金) 19:08:59ID:zYXWPSvp
忠興は信長の近習だったらしいけど、堀秀政との接点は無かったんかな。
0589人間七七四年2009/01/31(土) 20:02:00ID:2BkgI8gs
>>587
忠政の死因が割れたのが細川家の書状だったりするし交友は相当深いと思う。
0590人間七七四年2009/02/01(日) 00:52:54ID:T+YnKX8t
>>587 一番かどうか知らんが、森忠政主人公の小説に忠興と親しくしてるエピが入ってる。
あと実際に残っている話として>>97より
@秀吉死後、文治派が家康を討とうとした時忠興と共に家康の屋敷に駆けつけて
「両家の真心は徳川家が続く限り忘れない」と家康に感謝された。
A忠政が津山城を普請する時、家臣に命じて密かに小倉城の城郭図を写し取らせようとしたが
見つかってしまい捕らえられたが事情を話すと、以外にも忠興は城郭図を貸し与えた。
更に津山城落成の折にお祝いとして南蛮の釣鐘を贈っている。
−なんかの本で忠興の度量の大きさを伺わせる話(!)として紹介されてた。
0591人間七七四年2009/02/01(日) 01:16:59ID:T+YnKX8t
「千世と与一郎の関が原」という面白そうな新刊本が出てた
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