細川幽斎(藤孝)・忠興父子を語るスレ
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0001人間七七四年
2007/02/17(土) 21:24:53ID:kgpQVoWf幽斎の息子で激情家で知られる忠興を語りましょう。
0391人間七七四年
2008/01/22(火) 00:36:57ID:nAij/vj8同じ史実を忠興サイドに立って記述してみよう! 頑張ってね
0392人間七七四年
2008/01/22(火) 01:06:00ID:VRagEKvXガラシャ関係以外でもっとメジャーなって良いと思う
好き嫌いは別にして
0393仙台藩百姓
2008/01/22(火) 10:56:03ID:eqpZmG2z心なかおか何をいふさい
統治者としても良くなかったようだお┐ (´ω`) ┌
0394人間七七四年
2008/01/23(水) 17:57:15ID:54cFz2CZ藤孝は底知れぬ、したたかさを持つ、冷淡な武将だと思う。
0395人間七七四年
2008/01/23(水) 18:24:23ID:9XSfjHivもう一人ミニ信長って言われたのって蒲生氏郷だっけ?
0397人間七七四年
2008/01/23(水) 23:33:04ID:zFA1Ey95例の三十六人手討ちを除けば、家臣にはそこそこ優しかったんじゃなかったっけ?
個人的には振幅の激しさも大好きだが、やっぱり今も昔も世間的にはアレな人とみなされてるのかなぁ
0398人間七七四年
2008/01/26(土) 08:41:55ID:qZZJEzGq義父を見捨てる…主君への筋を通して謀反人を討った
義弟を誘殺…政権移行に伴う激変期を生き残るための判断
ガラシャ幽閉〜自刃・時期にもよるが、味土野への幽閉であれば嫌ったのではなく、
ガラシャの命を狙う家臣から守り、かつ離縁したくないから
一旦細川家から遠ざけた。
最期の生害についても事前に言いつけはしていたが、
決断はガラシャによるものだから、「追い込んだ」という表現は不適切
なお忠興のキリシタン迫害は一時的なもので理解を示したあとはむしろ擁護した。
玉造り屋敷には小さな礼拝堂まで作っているし。
忠隆廃嫡…福知山攻め同様に私怨丸出しだからフォローはしない
興秋切腹…関ヶ原における輝経同様、細川家の生き残りをかけて幕府と大坂に分かれたものと
考えられはするが、敵方についた人間は処断以外にやりようがないのでは。
ただし興秋については逃がされて九州で病没した説もある
忠興の立場で考えるとこうなるんじゃないかなぁ。
77歳で子供作ったってのはフォローしようもないがw
0399人間七七四年
2008/01/26(土) 18:43:08ID:OFME3Y7G明智が勝った場合の保険とするつもりだったけど、負けたので口封じってことはあるかも。
忠隆廃嫡はいきなり(ガラシャが死んだけど嫁は脱出したってのはとっくに知っているはず)ですねえ
これも忠隆室の脱出の件は名目だけのような気がする。
でも前田との縁を切って、秀忠に気に入られている忠利を跡継ぎにするためにしてもタイミングが唐突。
あと領民に嫌われていたってのは初耳。
肥後への国替えのときも中津の町人が付いていったりしている。
0400人間七七四年
2008/01/26(土) 20:25:49ID:nCQZXNrh本能寺のどさくさでひっくり返される危険はあったわけだし
0401人間七七四年
2008/01/26(土) 21:17:05ID:tnvVDB82結構その手を使って領地平定してた時代。
黒田親子が宇都宮鎮房に対しておこなったのと同様。
0402人間七七四年
2008/01/26(土) 22:24:46ID:bDDGUiJg0403人間七七四年
2008/01/26(土) 23:34:54ID:ZI56/e7iつか子供多く作るのは大名の義務だぞ
0404人間七七四年
2008/01/27(日) 18:37:03ID:Ax2or/p+しょうがないんじゃない?忠利も光尚に「三斎様ますます短気でこらえ性なく」と
心配してる手紙書いてたし・・・。
四男以降については、あの当時忠利が結婚後何年経っても子ができず
更に忠利も病弱で早世する可能性あったから、お家存続のため跡継ぎ候補作っ
とく必要があったからだしね。
0405人間七七四年
2008/01/27(日) 18:45:55ID:C/G1xzdr手のかかる爺さんだったんだろうなぁ。
0407人間七七四年
2008/01/27(日) 23:31:09ID:+oXMIPWT(氏郷は病死・右近は国外追放・利長とは付き合い禁じられる)
玉とも死に別れだし。かわいがってた孫娘も産褥で死んじゃうし
興元、忠利・光尚親子や興孝とかとは不和になったあげく、
溺愛してた立孝には先立たれと、考えてみるとかなり寂しかったんでないの。
妾をとっかえひっかえしてたのもそのせいでは?
0408人間七七四年
2008/02/03(日) 00:45:14ID:XiUudwQh0409人間七七四年
2008/02/21(木) 00:01:54ID:3yk1b873ということで灯篭が墓石になったらしい。(住職談)
忠興の遺骨のうち、歯が埋葬されてると説明にあった。
0410yoko*
2008/02/21(木) 00:26:58ID:g3SVLWCl0411人間七七四年
2008/02/21(木) 00:57:59ID:JBStUatb明智光秀 対 秀吉の時もそうだし
石田三成 対 徳川家康の時もそうだし
熊本の殿様といったら、加藤清正の方が
豊臣家一筋に忠義を尽くしたから好感度が高い。
0412人間七七四年
2008/02/21(木) 09:55:57ID:3qTHh90U0413人間七七四年
2008/02/21(木) 15:33:43ID:zQEZzTISでも常に勝つ前に身代賭けてるんだよ?
で、負ける前にすばやく乗り換える。
それで室町末期から江戸初期までを常に権力中枢で泳ぎきったんだから尋常じゃない。
0414人間七七四年
2008/02/21(木) 17:22:24ID:31WecVxH攻城の将の何人かが(西軍にくみしたものの)矢を射掛けるのをあえて
しなかったり、わざと空砲でうったりと手加減してくれるだろうか?
0415人間七七四年
2008/02/21(木) 20:46:08ID:BxSU4mUZ>石田三成 対 徳川家康の時もそうだし
を「勝ちそうな方に付く家柄」と称すのならば
>熊本の殿様といったら、加藤清正の方が
>豊臣家一筋に忠義を尽くしたから好感度が高い。
の清正も「勝ちそうな方に付く家柄」だよな。
清正も東西両方から誘われたのだから。
0416人間七七四年
2008/02/21(木) 21:39:10ID:zdiw+/dcその目算が外れて滅亡しちゃうことが多いけど。
去就を正当化する理屈は後から付いてくる。
負けそうと思いつつ付いた例というと、鎌倉時代の毛利 季光とか関が原の大谷吉継あたりかね?
0417人間七七四年
2008/02/22(金) 02:25:01ID:9bVZxUnr江戸時代と同じような感覚でとらえられないですしね。
南北朝期など、有利なほうへコロコロ寝返ったりするので、非常にカオスなことになってる。
0418人間七七四年
2008/03/05(水) 00:11:59ID:uDGjmYHa手討ちにしたと小倉城の説明書きにあった。
これじゃあ、例の庭師(屋根師?)手討ちもホントだろうな。
0419人間七七四年
2008/03/05(水) 01:07:35ID:Vo6heZ1w0420人間七七四年
2008/03/05(水) 07:50:23ID:VbauPos0たいした武将ではないよ。特に人として。
0421人間七七四年
2008/03/05(水) 10:17:42ID:RNUWo2n40422人間七七四年
2008/03/06(木) 20:09:51ID:wVeQp6iY白紙の相伝とそれぞれ受けてたが、忠興はなんもない。
0423人間七七四年
2008/03/06(木) 23:41:16ID:kUOy3/jt同世代の武将でその手のを受けたのっていたっけ?
0424人間七七四年
2008/03/07(金) 08:08:54ID:gj+0+Zi60425人間七七四年
2008/03/07(金) 10:00:05ID:yuGvT8v1その時期に成長した世代だと大名個人でも熱心に習う人が出てくる。
0427人間七七四年
2008/03/08(土) 11:25:50ID:iEYiyDKx多分、誇大広告だろうけど一の太刀まで会得したって何かの本で読んだよ
0428人間七七四年
2008/03/21(金) 17:57:20ID:nlf9N7Gnそんなオヤジを降伏したと罵る息子・・・
0429人間七七四年
2008/03/23(日) 06:21:05ID:xf7Qqu/L具体的に何年まで幽斎と関わりがあったのだろうか
0430人間七七四年
2008/04/19(土) 00:22:46ID:63GDwe2g「旦那様が下人を切りました。まあ使えない人だったからしょうがないかな」
とかかかれてたんで、かなり殺伐としてたり、
家中の者に刃を振るってたのは事実だと思う。
0431人間七七四年
2008/04/19(土) 00:44:51ID:uhrHdSps当時は普通だったんじゃね?
0432人間七七四年
2008/04/21(月) 12:52:55ID:LYRu/ptS0433人間七七四年
2008/04/26(土) 18:55:40ID:sCCCNKAaそういう人多かったんじゃない?
0434人間七七四年
2008/04/27(日) 21:06:42ID:P4uDPCdZ戦国の常識を決められた日にゃあ‥
0435人間七七四年
2008/04/27(日) 21:16:57ID:zcOfFtWR0436人間七七四年
2008/04/27(日) 21:42:12ID:TVVecSCS義輝と幽斎に「一の太刀」を授けたそうだ。
0437人間七七四年
2008/05/03(土) 17:28:18ID:drT++qj/0438人間七七四年
2008/05/09(金) 00:23:14ID:K26Pc7XF・嫁の顔を見ただけの庭師をブッ殺しちゃう
・嫁のご飯に髪が入っているのに立腹台所人をぶった切る
・息子達とことごとく不和に
・関が原で開城した親父が気に食わず俺が初代なんで、前のことは知らんとか言っちゃう
・その他手討ちの雨あられ
これ気違いの顔ですわ
0439人間七七四年
2008/05/09(金) 00:23:52ID:K26Pc7XF0441人間七七四年
2008/05/10(土) 17:07:51ID:qgDgTJwR藤孝より忠興の方が結果的に有能な気がしてきたんだけど違うのかな?
具体的な戦歴・諜報活動も多いし、最終的に得た石高も多いし。
0442人間七七四年
2008/05/10(土) 17:19:16ID:qgDgTJwR忠興・興元の生まれも母親も同じってなってるんだが
同年内に2人生んだってこと?双子じゃねえよな?
0443人間七七四年
2008/05/10(土) 17:29:24ID:RkLZIRmk忠興の生年月日がだいたい固定されている一方で、興元の方は諸説あり。
wikiは、一番あてにならない説を引用したのかも知れません。
0445人間七七四年
2008/05/10(土) 17:48:11ID:RkLZIRmkちなみに1562年説もありますが、これだと忠興の同母兄となってしまいますので、
こちらの信憑性にも疑問符が付きます。
0447人間七七四年
2008/05/16(金) 13:00:51ID:hA9mjLqq0448人間七七四年
2008/05/18(日) 18:32:48ID:E8BQj1Rdやっぱ別家という意識からかな?
0449奇矯屋onぷらっと ◆SRGKIKYOUM
2008/05/18(日) 21:04:34ID:76mLoTKx0450人間七七四年@全板トナメ開催中
2008/06/01(日) 18:23:30ID:cccVKFL4そうだろうね。
興元は藤孝の跡を継いだと思われる証拠を多分に残しているし
忠興は強く細川輝経家の継承者を意識した伝承が残っているから。
藤孝と忠興は血がつながってるのに無茶苦茶仲悪かったらしいね。
0451人間七七四年@全板トナメ開催中
2008/06/02(月) 15:17:18ID:l3UODRpp勉強になりました。
藤孝の細川より輝経の細川の方が格が上なの?。
細川昭元さんちが一番いい細川なんだよね?
京兆家ってゆーんでしょ?。
0452三十吉@86石(わらじ取り)
2008/06/02(月) 21:04:18ID:Mr61WVQpただ一番いい細川家・・・かはわからん。
徳川の松平だって嫡流は信康で終わりだし。
0453人間七七四年@全板トナメ開催中
2008/06/02(月) 21:04:57ID:Mr61WVQp0454人間七七四年@全板トナメ開催中
2008/06/02(月) 21:52:04ID:8y8CGmFI0455人間七七四年@全板トナメ開催中
2008/06/02(月) 22:14:28ID:CAauaSF40456人間七七四年@全板トナメ開催中
2008/06/04(水) 16:07:57ID:GVXMRJtN清氏と正氏の後も続いたらしいけど・・・
0457人間七七四年@全板トナメ開催中
2008/06/05(木) 15:14:48ID:SJHvhUSzたしかにそれはそうかもですが、ここではそれは置いといて・・・。
和泉半国守護家と奥州家、家格はどう違うの?。
奥州家とは、どんな家格なの?。
守護になったことはないんだろうか・・・。
0458人間七七四年@全板トナメ開催中
2008/06/05(木) 20:14:26ID:EhU5AiLr信康は嫡子だったか否かの立証が難しい。
徳川氏(安祥松平)が松平傍流なのは将軍家が認めている。
0459人間七七四年
2008/06/11(水) 13:25:35ID:r0iZiV1n細川氏の各守護家の序列としては、
京兆家(讃岐守護家・上屋形)>阿波守護家(下屋形)>その他 みたいだけど
守護家ではない典厩家や野州家のほうが(一般の)守護家よりも権威が高そうだったりするし、
幕府の力が衰えて大名や国人の官位の秩序がくちゃくちゃになってしまった藤孝の時代に
前の時代の家格がそのまま適用するかどうかも判らないと思いますよ。
0460人間七七四年
2008/06/12(木) 11:01:16ID:Hysj4nYO前の時代には格が上だったってこと?
0461人間七七四年
2008/06/12(木) 15:41:20ID:6E+87kt30462人間七七四年
2008/06/12(木) 21:33:10ID:+bWNojXZ>和泉半国守護家よりも守護ではない奥州家のほうが前の時代には格が上だったってこと?
全然そんなことは言ってませんが?
守護家よりも、典厩家や野州家のほうが細川一族内では発言力が強いと見られる例がある。
・京兆家に養子を出している
・京兆家の当主が幼少のときに、代理のような立場になっている
・京兆家の屋敷に宴会などで一族が招待されるときに、守護家は招かれず典厩家のみ招かれている例がある
とか。
これが、たまたまなのか(年齢や能力が他の家の当主より上と評価されたとか)、家格として確立していたかは判らないので
守護というポストの有無で、どちらの家が格上なんてことは判断できないのではないかと言いたかった。
0463人間七七四年
2008/06/14(土) 20:46:45ID:S+P1gVjc細川元常関係の展示のところで、
藤孝を養子に迎えたのは義晴からの命令があったためだが、元常には実子もいたので不満だったのではないか
元常は細川家伝来の品を全部菩提寺永源庵に寄進して藤孝には渡さなかった というような解説が付いていました。
(今は永青文庫所蔵の細川家伝来の品々は、江戸時代に入ってから細川家に戻ったとのこと)
この元常の実子は、その後どうなったんだろう?
0464人間七七四年
2008/06/15(日) 11:13:05ID:duuVRLtj朝廷に地下の公家として仕えたんじゃなかったっけ?
明治維新が無かったら堂上になってた!と聞いたことがある。
なんでも・・・三代続けて、ある役職をすると堂上になれたそうだ。
もしそうなっていたら官職の上では熊本藩主より上になっていたかも。
堂上なら近衛中将くらいにはなれたんじゃない?。
0465人間七七四年
2008/06/22(日) 12:43:51ID:3+3J9Ulw西軍の評価を下げようとしたとかいう悪人設定なんだよなあ。
なんで忠興ってこんなに人気ないんだろ?
0466人間七七四年
2008/06/22(日) 20:00:32ID:0BHGImKw0467人間七七四年
2008/06/24(火) 21:27:16ID:E93JgY+Hどれもガラシャの不幸の大半は忠興にある的な描かれ方してて、みんな
それらを参考資料にしてるからでないの?
0468人間七七四年
2008/06/25(水) 21:40:58ID:Cxi8Fguwすんごい感性してそう
0470人間七七四年
2008/06/25(水) 22:03:32ID:o5uWwlb3関が原では他の大名の妻女は無事だったわけで。(ガラシャの行動が人質作戦を頓挫させてしまった側面はあるかもしれないけど)
国許や有力な知り合いの大名家を頼ったりして。
現に細川家内でも、国許に帰るとか長男の嫁の実家の前田家を頼ってはどうかって意見があったのに
結局ああいうことになったのは忠興のせいって思われているからじゃないの?
女性だと嫉妬深くても、あんまり非難されないのは確かにありますね。
前田利家の妻の松なんかも、お手が付いた侍女に対する扱いとか酷いんだが。
0471人間七七四年
2008/06/25(水) 22:10:01ID:A9rXzuB8ttp://sports.geocities.jp/umazukike/Gv4p0651.jpg
こういうのを考え出せる人間は、やっぱどこか変だと思うんだw
0473人間七七四年
2008/06/26(木) 10:50:23ID:P8B/5YFJ歴史小説はみんなDV設定だけど、本当に愛してるんなら暴力なんぞ振るわんよなあ
侍女とか庭師とか周囲の人間に爆発することはあっても、
ガラシャ自身に直接暴力が振るわれたっていう史料はあったっけ?
0474人間七七四年
2008/06/26(木) 11:16:42ID:Vst12sy80475人間七七四年
2008/06/26(木) 21:48:35ID:0hDOLQhN戦国基準でもDVと言って差し支え無いと思う
0476人間七七四年
2008/06/27(金) 13:12:51ID:ja6sOlRdまぁガラシャがDVと思ってたかはわからんがw
0477人間七七四年
2008/06/27(金) 14:29:31ID:U1SZ2OlKwikipediaには“夫婦仲はよかった”とか書いてあるが
0478人間七七四年
2008/06/27(金) 21:02:06ID:mPgudvkw0479人間七七四年
2008/06/28(土) 13:01:04ID:oNUc6Ycf玉がとんでもない色気の持ち主だったのか、それともやっぱり忠興が変人だっただけなのか
0481人間七七四年
2008/06/28(土) 14:11:43ID:/5DJatBT0482人間七七四年
2008/06/28(土) 14:43:50ID:Ulr3GhNu(ああ、わたしのせいで侍女たちが耳鼻そがれて追放されてるわ…ぞくぞく)
(今度はみさかいなく庭師の首ちょっきんしちゃったわ。かわいいところあるのね。)
「鬼の嫁には蛇がお似合いでしょう。」
(ほら、後悔した顔してる。もっと見せて。)
0483人間七七四年
2008/06/30(月) 21:53:05ID:YSxdx837あぁこの夫婦好きだ…
0484人間七七四年
2008/06/30(月) 22:40:11ID:Gh6cKXwx2年も引き離される→好色な天下人に狙われる→キリスト教信仰で騒動etc
と波乱万丈な展開がずっと続いているからね。更に言えば関が原以前は忠興は
結構戦で留守がちだったし、戻ってきても領地の宮津で過ごす日々の方が多く
玉と会えるのは上阪した時だけだった。その分新鮮味が薄れなかった(飽きが
こなかった)んでないの?
0485人間七七四年
2008/07/02(水) 21:11:44ID:SvW0IMBx0486人間七七四年
2008/07/03(木) 01:05:17ID:prWwA9Bl岳宏一郎の群雲、関が原への二人がそんな解釈だったな。
二人の間に障害があるからこそ愛が燃え上がった的な。
0487人間七七四年
2008/07/03(木) 19:49:25ID:SS1N//64ひどい癇癪持ちの人殺しだったのは確かかもしれんけど戦国時代の感覚から
言うとそこまで常軌を逸してたわけでもなさそうだし(ちょっとやばいなくらいは
思われてそうだけどw)
ガラシャの軟禁だって実際異常な状態だったか真偽は不明(宣教師の勘違い説)
軟禁したからガラシャが死んだってわけでもないし
キリスト教自体はガラシャの死の前からむしろ保護してる状態だったみたいだし…
自分がひいきしすぎなのかな…そこまで嫌われる要素があると思えん
どっちかというと颯爽とした青年武将期から政治家として縦横無尽に活躍しつつ
文化人としても大成ってイメージが強いわ
0489人間七七四年
2008/07/03(木) 21:46:57ID:PxFL+80h珠はいうことを利かないどころか口答えしたり逆らってばかりで
いわゆる「思い通りにならない女」ってとこがポイントかも・・・
0490人間七七四年
2008/07/04(金) 11:01:25ID:wfqMJQAI0491人間七七四年
2008/07/04(金) 14:56:19ID:y4EWLzc920 :人間七七四年:2008/07/01(火) 23:28:34 ID:K+63uZYZ
忠興はどうなん?俺の印象的には悪人
19:2008/07/01(火) 23:57:40 ID:NkN6JFX4
学校で習った限りでは、忠興は文武両道の立派な人だと思ってたんだよ。
それが調べれば調べるほど、
父親や子供への対応とかろくでもない所業が出てくる出てくる。
…文武両道の人であることは間違いないと思うんだが。
25 :人間七七四年:2008/07/02(水) 03:02:17 ID:9xMeYvov
忠興なんて基地外じみたエピソードばかりだもんな
26 :人間七七四年:2008/07/02(水) 03:38:19 ID:IOstKuma
まぁ忠興は、一色氏との戦いで一色義定に姉妹を嫁がせて和睦したあと
義定を謀殺して報復として突撃してきた一色義清を討ったあと
敗残兵を皆殺しだもんな名門のやることじゃない
27 :人間七七四年:2008/07/02(水) 09:05:16 ID:6MfQKday
調べれば調べるほど「こいつの家よく生き残れたな…」と思ってしまう
それが忠興クオリティ
全員じゃないが、住人の中には撫で斬りとかそういう行為への
不快感をそのまま武将の全評価につなげちゃうっていう類の
人もいるようだから、気にしないのがいいと思われ。
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