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細川幽斎(藤孝)・忠興父子を語るスレ

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0001人間七七四年2007/02/17(土) 21:24:53ID:kgpQVoWf
戦国時代を代表する文化人幽斎と
幽斎の息子で激情家で知られる忠興を語りましょう。
0391人間七七四年2008/01/22(火) 00:36:57ID:nAij/vj8
>>390
同じ史実を忠興サイドに立って記述してみよう! 頑張ってね
0392人間七七四年2008/01/22(火) 01:06:00ID:VRagEKvX
まじで興味深い人物だよな
ガラシャ関係以外でもっとメジャーなって良いと思う
好き嫌いは別にして
0393仙台藩百姓2008/01/22(火) 10:56:03ID:eqpZmG2z
秋の田をからで其儘ただおきの
心なかおか何をいふさい

統治者としても良くなかったようだお┐ (´ω`) ┌
0394人間七七四年2008/01/23(水) 17:57:15ID:54cFz2CZ
忠興の方が人間的だよ(直情型だけど)
藤孝は底知れぬ、したたかさを持つ、冷淡な武将だと思う。
0395人間七七四年2008/01/23(水) 18:24:23ID:9XSfjHiv
この細川忠興ってミニ信長って言われた人? かなりの短気者だったみたいだけど。
もう一人ミニ信長って言われたのって蒲生氏郷だっけ?
0396人間七七四年2008/01/23(水) 20:31:54ID:PH3/nHDL
>>395
確か氏郷のほうが、「天下一気の長い人」で忠興が天下一気の短い人だったはず
0397人間七七四年2008/01/23(水) 23:33:04ID:zFA1Ey95
キレ易いとは言われてるが、忠興ってそんなに領民の評判悪かったのか..

例の三十六人手討ちを除けば、家臣にはそこそこ優しかったんじゃなかったっけ?

個人的には振幅の激しさも大好きだが、やっぱり今も昔も世間的にはアレな人とみなされてるのかなぁ
0398人間七七四年2008/01/26(土) 08:41:55ID:qZZJEzGq
>>388

義父を見捨てる…主君への筋を通して謀反人を討った
義弟を誘殺…政権移行に伴う激変期を生き残るための判断
ガラシャ幽閉〜自刃・時期にもよるが、味土野への幽閉であれば嫌ったのではなく、
ガラシャの命を狙う家臣から守り、かつ離縁したくないから
一旦細川家から遠ざけた。
最期の生害についても事前に言いつけはしていたが、
決断はガラシャによるものだから、「追い込んだ」という表現は不適切
なお忠興のキリシタン迫害は一時的なもので理解を示したあとはむしろ擁護した。
玉造り屋敷には小さな礼拝堂まで作っているし。

忠隆廃嫡…福知山攻め同様に私怨丸出しだからフォローはしない

興秋切腹…関ヶ原における輝経同様、細川家の生き残りをかけて幕府と大坂に分かれたものと
考えられはするが、敵方についた人間は処断以外にやりようがないのでは。
ただし興秋については逃がされて九州で病没した説もある

忠興の立場で考えるとこうなるんじゃないかなぁ。
77歳で子供作ったってのはフォローしようもないがw
0399人間七七四年2008/01/26(土) 18:43:08ID:OFME3Y7G
一色氏誘殺は、明智に付いたのでという理由付けがなされていたはず。
明智が勝った場合の保険とするつもりだったけど、負けたので口封じってことはあるかも。

忠隆廃嫡はいきなり(ガラシャが死んだけど嫁は脱出したってのはとっくに知っているはず)ですねえ
これも忠隆室の脱出の件は名目だけのような気がする。
でも前田との縁を切って、秀忠に気に入られている忠利を跡継ぎにするためにしてもタイミングが唐突。

あと領民に嫌われていたってのは初耳。
肥後への国替えのときも中津の町人が付いていったりしている。
0400人間七七四年2008/01/26(土) 20:25:49ID:nCQZXNrh
一色は潰しとかないと
本能寺のどさくさでひっくり返される危険はあったわけだし
0401人間七七四年2008/01/26(土) 21:17:05ID:tnvVDB82
あの当時は現地の土豪謀殺なんて細川に限ったことでない。
結構その手を使って領地平定してた時代。
黒田親子が宇都宮鎮房に対しておこなったのと同様。
0402人間七七四年2008/01/26(土) 22:24:46ID:bDDGUiJg
>>398 あと70の時にも娘誕生させてるよ。
0403人間七七四年2008/01/26(土) 23:34:54ID:ZI56/e7i
子孫繁栄、いい事じゃん
つか子供多く作るのは大名の義務だぞ
0404人間七七四年2008/01/27(日) 18:37:03ID:Ax2or/p+
70越えてできた娘云々についてもう爺さまになってからで老耄としてる年代だから
しょうがないんじゃない?忠利も光尚に「三斎様ますます短気でこらえ性なく」と
心配してる手紙書いてたし・・・。

四男以降については、あの当時忠利が結婚後何年経っても子ができず
更に忠利も病弱で早世する可能性あったから、お家存続のため跡継ぎ候補作っ
とく必要があったからだしね。

0405人間七七四年2008/01/27(日) 18:45:55ID:C/G1xzdr
泉谷しげるみたいに何に対してもキレまくり爺な忠興を想像して和んだ。
手のかかる爺さんだったんだろうなぁ。
0406人間七七四年2008/01/27(日) 18:50:36ID:DEhU2shg
>>405
泉谷のは芸だが、こっちはリアルだけどなw
0407人間七七四年2008/01/27(日) 23:31:09ID:+oXMIPWT
師の利休は切腹させられるし、仲良かった友人とも切り離され
(氏郷は病死・右近は国外追放・利長とは付き合い禁じられる)
玉とも死に別れだし。かわいがってた孫娘も産褥で死んじゃうし
興元、忠利・光尚親子や興孝とかとは不和になったあげく、
溺愛してた立孝には先立たれと、考えてみるとかなり寂しかったんでないの。
妾をとっかえひっかえしてたのもそのせいでは?
0408人間七七四年2008/02/03(日) 00:45:14ID:XiUudwQh
忠利の幼名・光(光千代)はもしかして光秀からとった?
0409人間七七四年2008/02/21(木) 00:01:54ID:3yk1b873
高桐院の例の墓って、忠興の遺言により「自分と玉の墓塔とするように」
ということで灯篭が墓石になったらしい。(住職談)
忠興の遺骨のうち、歯が埋葬されてると説明にあった。
0410yoko*2008/02/21(木) 00:26:58ID:g3SVLWCl
細川幽斎は確か中学・高校と国語便覧で名前を見ました。
0411人間七七四年2008/02/21(木) 00:57:59ID:JBStUatb
結局、勝ちそうな方に付く家柄じゃん。
明智光秀 対 秀吉の時もそうだし
石田三成 対 徳川家康の時もそうだし
熊本の殿様といったら、加藤清正の方が
豊臣家一筋に忠義を尽くしたから好感度が高い。
0412人間七七四年2008/02/21(木) 09:55:57ID:3qTHh90U
だね。後世の人からすれば藤孝は良く見られない。
0413人間七七四年2008/02/21(木) 15:33:43ID:zQEZzTIS
>>411
でも常に勝つ前に身代賭けてるんだよ?
で、負ける前にすばやく乗り換える。
それで室町末期から江戸初期までを常に権力中枢で泳ぎきったんだから尋常じゃない。
0414人間七七四年2008/02/21(木) 17:22:24ID:31WecVxH
>>411・412 もし当時の人から卑劣漢みたいに思われていたのなら、田辺篭城の際
攻城の将の何人かが(西軍にくみしたものの)矢を射掛けるのをあえて
しなかったり、わざと空砲でうったりと手加減してくれるだろうか?
0415人間七七四年2008/02/21(木) 20:46:08ID:BxSU4mUZ
>411
>石田三成 対 徳川家康の時もそうだし

を「勝ちそうな方に付く家柄」と称すのならば

>熊本の殿様といったら、加藤清正の方が
>豊臣家一筋に忠義を尽くしたから好感度が高い。

の清正も「勝ちそうな方に付く家柄」だよな。
清正も東西両方から誘われたのだから。
0416人間七七四年2008/02/21(木) 21:39:10ID:zdiw+/dc
つーか、普通は「勝ちそうなほう」に付くよな、中世の武家は。
その目算が外れて滅亡しちゃうことが多いけど。
去就を正当化する理屈は後から付いてくる。

負けそうと思いつつ付いた例というと、鎌倉時代の毛利 季光とか関が原の大谷吉継あたりかね?
0417人間七七四年2008/02/22(金) 02:25:01ID:9bVZxUnr
>>416
江戸時代と同じような感覚でとらえられないですしね。
南北朝期など、有利なほうへコロコロ寝返ったりするので、非常にカオスなことになってる。
0418人間七七四年2008/03/05(水) 00:11:59ID:uDGjmYHa
小倉城の普請がはかどらないのに苛立った忠興は現場監督となっていた者を
手討ちにしたと小倉城の説明書きにあった。
これじゃあ、例の庭師(屋根師?)手討ちもホントだろうな。
0419人間七七四年2008/03/05(水) 01:07:35ID:Vo6heZ1w
なんかでかい岩を動かせなくて監督手打ち、その後動かせたってやつ?
0420人間七七四年2008/03/05(水) 07:50:23ID:VbauPos0
忠興とはその様な男。
たいした武将ではないよ。特に人として。
0421人間七七四年2008/03/05(水) 10:17:42ID:RNUWo2n4
こいつ、短気すぎwwwww けど、武人としてはキレやすいから結構強いよなw
0422人間七七四年2008/03/06(木) 20:09:51ID:wVeQp6iY
親父の幽斎は塚原朴伝から「一の太刀」を、息子の忠利は「柳生新陰流」の
白紙の相伝とそれぞれ受けてたが、忠興はなんもない。
0423人間七七四年2008/03/06(木) 23:41:16ID:kUOy3/jt
というか、忠興の世代だとそんなの修めている時間が無いと思う。
同世代の武将でその手のを受けたのっていたっけ?
0424人間七七四年2008/03/07(金) 08:08:54ID:gj+0+Zi6
立花の宗ちゃんとか?
0425人間七七四年2008/03/07(金) 10:00:05ID:yuGvT8v1
剣術習うのが盛んになったのが、むしろ平和になった関ヶ原以降くらいですからね。
その時期に成長した世代だと大名個人でも熱心に習う人が出てくる。

0426人間七七四年2008/03/07(金) 16:21:23ID:Mh/mIKio
>>422
幽斎は上様と一緒に剣術の修練をしてそうだ。
0427人間七七四年2008/03/08(土) 11:25:50ID:iEYiyDKx
つか幽斎は塚原卜伝の弟子じゃなかったっけ、一応?
多分、誇大広告だろうけど一の太刀まで会得したって何かの本で読んだよ
0428人間七七四年2008/03/21(金) 17:57:20ID:nlf9N7Gn
関ヶ原の時代じゃ既に人間国宝扱いだったのもうなずけるな
そんなオヤジを降伏したと罵る息子・・・
0429人間七七四年2008/03/23(日) 06:21:05ID:xf7Qqu/L
卜伝は将軍家の指南役だったけど
具体的に何年まで幽斎と関わりがあったのだろうか
0430人間七七四年2008/04/19(土) 00:22:46ID:63GDwe2g
妻お玉の手紙にも
「旦那様が下人を切りました。まあ使えない人だったからしょうがないかな」
とかかかれてたんで、かなり殺伐としてたり、
家中の者に刃を振るってたのは事実だと思う。
0431人間七七四年2008/04/19(土) 00:44:51ID:uhrHdSps
お玉がそう書いていたなら、
当時は普通だったんじゃね?
0432人間七七四年2008/04/21(月) 12:52:55ID:LYRu/ptS
酔った勢いで切腹命じる大名もいたしな
0433人間七七四年2008/04/26(土) 18:55:40ID:sCCCNKAa
井伊直政もささいな家臣のミスを許さずすぐに斬り付けてたそうだから
そういう人多かったんじゃない?
0434人間七七四年2008/04/27(日) 21:06:42ID:P4uDPCdZ
細川忠興と井伊直政の二人だけで
戦国の常識を決められた日にゃあ‥
0435人間七七四年2008/04/27(日) 21:16:57ID:zcOfFtWR
その2人は日本の戦国時代を代表する人間の極北・歩くシベリア流刑ですものね
0436人間七七四年2008/04/27(日) 21:42:12ID:TVVecSCS
>>492 卜伝は1556〜72年にかけての武者修行の途上京に滞在した折に
義輝と幽斎に「一の太刀」を授けたそうだ。
0437人間七七四年2008/05/03(土) 17:28:18ID:drT++qj/
将棋で勝ったら斬り殺された奴もいたな
0438人間七七四年2008/05/09(金) 00:23:14ID:K26Pc7XF
忠興の素敵なエピソード
・嫁の顔を見ただけの庭師をブッ殺しちゃう
・嫁のご飯に髪が入っているのに立腹台所人をぶった切る
・息子達とことごとく不和に
・関が原で開城した親父が気に食わず俺が初代なんで、前のことは知らんとか言っちゃう
・その他手討ちの雨あられ

これ気違いの顔ですわ
0439人間七七四年2008/05/09(金) 00:23:52ID:K26Pc7XF
すまん、誤爆ですわ
0440人間七七四年2008/05/09(金) 00:27:09ID:H+0WdqFy
>>438のどこがスレ違いか理解できない
0441人間七七四年2008/05/10(土) 17:07:51ID:qgDgTJwR
Wiki見てたら妻絡みの性格は置いとくとして
藤孝より忠興の方が結果的に有能な気がしてきたんだけど違うのかな?
具体的な戦歴・諜報活動も多いし、最終的に得た石高も多いし。
0442人間七七四年2008/05/10(土) 17:19:16ID:qgDgTJwR
あと、関係ないんだが
忠興・興元の生まれも母親も同じってなってるんだが
同年内に2人生んだってこと?双子じゃねえよな?
0443人間七七四年2008/05/10(土) 17:29:24ID:RkLZIRmk
>>442
忠興の生年月日がだいたい固定されている一方で、興元の方は諸説あり。
wikiは、一番あてにならない説を引用したのかも知れません。
0444人間七七四年2008/05/10(土) 17:31:19ID:qgDgTJwR
>>443
なるほど。では他の説では何年生まれ説があるんですか?
0445人間七七四年2008/05/10(土) 17:48:11ID:RkLZIRmk
1564〜1566年まで。
ちなみに1562年説もありますが、これだと忠興の同母兄となってしまいますので、
こちらの信憑性にも疑問符が付きます。
0446人間七七四年2008/05/10(土) 21:14:56ID:qgDgTJwR
>>445
ありがとう。参考になった
0447人間七七四年2008/05/16(金) 13:00:51ID:hA9mjLqq
幽斎は普通に有能でしょう
0448人間七七四年2008/05/18(日) 18:32:48ID:E8BQj1Rd
南禅寺・天授庵に幽斎・興元の墓があり、大徳寺・高桐院に忠興ってことは
やっぱ別家という意識からかな?
0449奇矯屋onぷらっと ◆SRGKIKYOUM 2008/05/18(日) 21:04:34ID:76mLoTKx
そうだろね。
0450人間七七四年@全板トナメ開催中2008/06/01(日) 18:23:30ID:cccVKFL4
>>448
そうだろうね。
興元は藤孝の跡を継いだと思われる証拠を多分に残しているし
忠興は強く細川輝経家の継承者を意識した伝承が残っているから。
藤孝と忠興は血がつながってるのに無茶苦茶仲悪かったらしいね。
0451人間七七四年@全板トナメ開催中2008/06/02(月) 15:17:18ID:l3UODRpp
藤孝と忠興は実の親子でも系譜上違う家の人間てことか・・・。
勉強になりました。
藤孝の細川より輝経の細川の方が格が上なの?。
細川昭元さんちが一番いい細川なんだよね?
京兆家ってゆーんでしょ?。
0452三十吉@86石(わらじ取り)2008/06/02(月) 21:04:18ID:Mr61WVQp
京兆家は細川家嫡流だし、「格」としては上。
ただ一番いい細川家・・・かはわからん。
徳川の松平だって嫡流は信康で終わりだし。
0453人間七七四年@全板トナメ開催中 2008/06/02(月) 21:04:57ID:Mr61WVQp
しまった、誤爆った。
0454人間七七四年@全板トナメ開催中2008/06/02(月) 21:52:04ID:8y8CGmFI
全然誤爆じゃないように見えるのだが
0455人間七七四年@全板トナメ開催中2008/06/02(月) 22:14:28ID:CAauaSF4
京兆家も細川家本来の流れからすれば、傍流なんだけどね。
0456人間七七四年@全板トナメ開催中2008/06/04(水) 16:07:57ID:GVXMRJtN
和氏の子孫か
清氏と正氏の後も続いたらしいけど・・・
0457人間七七四年@全板トナメ開催中2008/06/05(木) 15:14:48ID:SJHvhUSz
>>455
たしかにそれはそうかもですが、ここではそれは置いといて・・・。
和泉半国守護家と奥州家、家格はどう違うの?。
奥州家とは、どんな家格なの?。
守護になったことはないんだろうか・・・。
0458人間七七四年@全板トナメ開催中2008/06/05(木) 20:14:26ID:EhU5AiLr
>>452
信康は嫡子だったか否かの立証が難しい。
徳川氏(安祥松平)が松平傍流なのは将軍家が認めている。
0459人間七七四年2008/06/11(水) 13:25:35ID:r0iZiV1n
>>457
細川氏の各守護家の序列としては、
京兆家(讃岐守護家・上屋形)>阿波守護家(下屋形)>その他 みたいだけど
守護家ではない典厩家や野州家のほうが(一般の)守護家よりも権威が高そうだったりするし、
幕府の力が衰えて大名や国人の官位の秩序がくちゃくちゃになってしまった藤孝の時代に
前の時代の家格がそのまま適用するかどうかも判らないと思いますよ。


0460人間七七四年2008/06/12(木) 11:01:16ID:Hysj4nYO
>>459和泉半国守護家よりも守護ではない奥州家のほうが
前の時代には格が上だったってこと?
0461人間七七四年2008/06/12(木) 15:41:20ID:6E+87kt3
ttp://paint.s13.dxbeat.com/up/src/paint_7836.jpg
0462人間七七四年2008/06/12(木) 21:33:10ID:+bWNojXZ
>>460
>和泉半国守護家よりも守護ではない奥州家のほうが前の時代には格が上だったってこと?

全然そんなことは言ってませんが?

守護家よりも、典厩家や野州家のほうが細川一族内では発言力が強いと見られる例がある。
 ・京兆家に養子を出している
 ・京兆家の当主が幼少のときに、代理のような立場になっている
 ・京兆家の屋敷に宴会などで一族が招待されるときに、守護家は招かれず典厩家のみ招かれている例がある
とか。

これが、たまたまなのか(年齢や能力が他の家の当主より上と評価されたとか)、家格として確立していたかは判らないので
守護というポストの有無で、どちらの家が格上なんてことは判断できないのではないかと言いたかった。
0463人間七七四年2008/06/14(土) 20:46:45ID:S+P1gVjc
熊本の県立美術館でやっている永青文庫展に行ってきたんだけど、
細川元常関係の展示のところで、

 藤孝を養子に迎えたのは義晴からの命令があったためだが、元常には実子もいたので不満だったのではないか
 元常は細川家伝来の品を全部菩提寺永源庵に寄進して藤孝には渡さなかった というような解説が付いていました。
 (今は永青文庫所蔵の細川家伝来の品々は、江戸時代に入ってから細川家に戻ったとのこと)

この元常の実子は、その後どうなったんだろう?


0464人間七七四年2008/06/15(日) 11:13:05ID:duuVRLtj
>>463
朝廷に地下の公家として仕えたんじゃなかったっけ?
明治維新が無かったら堂上になってた!と聞いたことがある。
なんでも・・・三代続けて、ある役職をすると堂上になれたそうだ。
もしそうなっていたら官職の上では熊本藩主より上になっていたかも。
堂上なら近衛中将くらいにはなれたんじゃない?。
0465人間七七四年2008/06/22(日) 12:43:51ID:3+3J9Ulw
koeiの戦国無双2だと、ドメ夫さんがガラシャを自殺に追い込んで、
西軍の評価を下げようとしたとかいう悪人設定なんだよなあ。
なんで忠興ってこんなに人気ないんだろ?
0466人間七七四年2008/06/22(日) 20:00:32ID:0BHGImKw
ドメ夫とかいって何を今さらw
0467人間七七四年2008/06/24(火) 21:27:16ID:E93JgY+H
>>467 有名作家(司馬遼太郎、永井路子、松本清帳等)の小説では
どれもガラシャの不幸の大半は忠興にある的な描かれ方してて、みんな
それらを参考資料にしてるからでないの?
0468人間七七四年2008/06/25(水) 21:40:58ID:Cxi8Fguw
忠興好きなんだけどなぁ。イイヨー、理解しがたい文化人

すんごい感性してそう
0469人間七七四年2008/06/25(水) 21:52:45ID:A9rXzuB8
>>468
三斎流の具足は前衛芸術と言っていい。
0470人間七七四年2008/06/25(水) 22:03:32ID:o5uWwlb3
>>465

関が原では他の大名の妻女は無事だったわけで。(ガラシャの行動が人質作戦を頓挫させてしまった側面はあるかもしれないけど)
国許や有力な知り合いの大名家を頼ったりして。
現に細川家内でも、国許に帰るとか長男の嫁の実家の前田家を頼ってはどうかって意見があったのに
結局ああいうことになったのは忠興のせいって思われているからじゃないの?

女性だと嫉妬深くても、あんまり非難されないのは確かにありますね。
前田利家の妻の松なんかも、お手が付いた侍女に対する扱いとか酷いんだが。

0471人間七七四年2008/06/25(水) 22:10:01ID:A9rXzuB8
まあ
ttp://sports.geocities.jp/umazukike/Gv4p0651.jpg
こういうのを考え出せる人間は、やっぱどこか変だと思うんだw
0472人間七七四年2008/06/25(水) 22:24:40ID:Cxi8Fguw
>>471
カコヨスw

ひねり具合にカオスを感じるwww
0473人間七七四年2008/06/26(木) 10:50:23ID:P8B/5YFJ
そもそも忠興って本当にDV男だったのかな
歴史小説はみんなDV設定だけど、本当に愛してるんなら暴力なんぞ振るわんよなあ
侍女とか庭師とか周囲の人間に爆発することはあっても、
ガラシャ自身に直接暴力が振るわれたっていう史料はあったっけ?
0474人間七七四年2008/06/26(木) 11:16:42ID:Vst12sy8
つ DVは肉体的な物ばかりとは限らない
0475人間七七四年2008/06/26(木) 21:48:35ID:0hDOLQhN
周りの人間の首スパンスパンはねたり超束縛してたりは
戦国基準でもDVと言って差し支え無いと思う
0476人間七七四年2008/06/27(金) 13:12:51ID:ja6sOlRd
身近な人間ってのが味噌かねやっぱ。
まぁガラシャがDVと思ってたかはわからんがw
0477人間七七四年2008/06/27(金) 14:29:31ID:U1SZ2OlK
結局は被害者(この場合はガラシャ)がどう思っていたかなんだよね
wikipediaには“夫婦仲はよかった”とか書いてあるが
0478人間七七四年2008/06/27(金) 21:02:06ID:mPgudvkw
愛が強すぎただけさ
0479人間七七四年2008/06/28(土) 13:01:04ID:oNUc6Ycf
いくら玉が美女だったからって新婚の頃はともかく、夫婦を何年も続けていれば愛情の形ももっと穏やかなものに変わっていかないか?
玉がとんでもない色気の持ち主だったのか、それともやっぱり忠興が変人だっただけなのか
0480人間七七四年2008/06/28(土) 13:08:03ID:7yHNqgyE
>>479
そう言うプレイだったんだよ。
0481人間七七四年2008/06/28(土) 14:11:43ID:/5DJatBT
ヤパーリ忠興がhentaiという事でファイナルアン(ry
0482人間七七四年2008/06/28(土) 14:43:50ID:Ulr3GhNu
ここでガラシャhentai説

(ああ、わたしのせいで侍女たちが耳鼻そがれて追放されてるわ…ぞくぞく)

(今度はみさかいなく庭師の首ちょっきんしちゃったわ。かわいいところあるのね。)

「鬼の嫁には蛇がお似合いでしょう。」
(ほら、後悔した顔してる。もっと見せて。)
0483人間七七四年2008/06/30(月) 21:53:05ID:YSxdx837
狂人系大文化人と対等につきあえるガラシャタンもぶっ飛んでるよ。
あぁこの夫婦好きだ…
0484人間七七四年2008/06/30(月) 22:40:11ID:Gh6cKXwx
>>479普通は年を経るについて倦怠気味になってくもんだが、こいつらの場合、
2年も引き離される→好色な天下人に狙われる→キリスト教信仰で騒動etc
と波乱万丈な展開がずっと続いているからね。更に言えば関が原以前は忠興は
結構戦で留守がちだったし、戻ってきても領地の宮津で過ごす日々の方が多く
玉と会えるのは上阪した時だけだった。その分新鮮味が薄れなかった(飽きが
こなかった)んでないの?

0485人間七七四年2008/07/02(水) 21:11:44ID:SvW0IMBx
他スレでの忠興タン罵倒にショックうけたwwwwそんな嫌いなのか…
0486人間七七四年2008/07/03(木) 01:05:17ID:prWwA9Bl
>>484
岳宏一郎の群雲、関が原への二人がそんな解釈だったな。
二人の間に障害があるからこそ愛が燃え上がった的な。
0487人間七七四年2008/07/03(木) 19:49:25ID:SS1N//64
>>485
ひどい癇癪持ちの人殺しだったのは確かかもしれんけど戦国時代の感覚から
言うとそこまで常軌を逸してたわけでもなさそうだし(ちょっとやばいなくらいは
思われてそうだけどw)
ガラシャの軟禁だって実際異常な状態だったか真偽は不明(宣教師の勘違い説)
軟禁したからガラシャが死んだってわけでもないし
キリスト教自体はガラシャの死の前からむしろ保護してる状態だったみたいだし…

自分がひいきしすぎなのかな…そこまで嫌われる要素があると思えん
どっちかというと颯爽とした青年武将期から政治家として縦横無尽に活躍しつつ
文化人としても大成ってイメージが強いわ
0488人間七七四年2008/07/03(木) 21:28:20ID:wYO0yP9Y
>>487
室町期の教養を近世の世に昇華した人、って感じがあるね、忠興には。
0489人間七七四年2008/07/03(木) 21:46:57ID:PxFL+80h
基本的に側室は(主従関係になるんで)忠興に対して従順だが、
珠はいうことを利かないどころか口答えしたり逆らってばかりで
いわゆる「思い通りにならない女」ってとこがポイントかも・・・
0490人間七七四年2008/07/04(金) 11:01:25ID:wfqMJQAI
思い通りにいかない女の方が燃え上がるってわけか
0491人間七七四年2008/07/04(金) 14:56:19ID:y4EWLzc9
>>485 これとか?
20 :人間七七四年:2008/07/01(火) 23:28:34 ID:K+63uZYZ
忠興はどうなん?俺の印象的には悪人

19:2008/07/01(火) 23:57:40 ID:NkN6JFX4
学校で習った限りでは、忠興は文武両道の立派な人だと思ってたんだよ。
それが調べれば調べるほど、
父親や子供への対応とかろくでもない所業が出てくる出てくる。
…文武両道の人であることは間違いないと思うんだが。

25 :人間七七四年:2008/07/02(水) 03:02:17 ID:9xMeYvov
忠興なんて基地外じみたエピソードばかりだもんな


26 :人間七七四年:2008/07/02(水) 03:38:19 ID:IOstKuma
まぁ忠興は、一色氏との戦いで一色義定に姉妹を嫁がせて和睦したあと
義定を謀殺して報復として突撃してきた一色義清を討ったあと
敗残兵を皆殺しだもんな名門のやることじゃない

27 :人間七七四年:2008/07/02(水) 09:05:16 ID:6MfQKday
調べれば調べるほど「こいつの家よく生き残れたな…」と思ってしまう
それが忠興クオリティ


全員じゃないが、住人の中には撫で斬りとかそういう行為への
不快感をそのまま武将の全評価につなげちゃうっていう類の
人もいるようだから、気にしないのがいいと思われ。
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