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〜大坂冬の陣・夏の陣〜

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0001名無し議論スレにて投票方法審議中2007/02/09(金) 00:21:49ID:605AFMrX
巨城落城と共に「夢は終わった」

ある者は死地を求め、ある者は浪人から成り上がろうと野望を抱き、またある者は没落した
名門の再興を賭け、戦い、そして散っていった。華々しくも哀しい大坂方将士達。

戦国時代最後の戦いにして最大の戦いをじっくり語ろう
0110人間七七四年2007/05/07(月) 04:21:15ID:qyxn7zoF
大阪の恨みと言うより京都の恨み、ひいては関西の恨みだね。
豊臣の恨み・・・なんてのはタテマエ、
それまではどこまで行っても京都と公家は日本の中心で、利用はされても尊ばれる存在だったが、
江戸幕府以降は完全に江戸が中心になってしまい、公家も管理下におかれる事が始めて明文化された。
そのことについての恨みが一番大きい。

豊臣の恨みはついでみたいなもん。まぁ秀吉は公家や大阪京都を中心にした人物だし好感持ってるし。
0111人間七七四年2007/05/11(金) 23:56:21ID:Ui2Yn4ol
漏れ、関東だが家康大嫌いだけど・・・。
江戸城だの東照宮だの聞くと破壊してやりたい気持ちになるが。
都道府県占いやったら案の定、京都府と出やがった
0112人間七七四年2007/05/12(土) 01:02:40ID:gnfohGsH
東照宮じゃなくて豊国神社に行くべき
0113人間七七四年2007/05/12(土) 01:37:31ID:WEhvfSF5
東照宮も豊国神社も普通に行かないな。
0114人間七七四年2007/05/12(土) 09:38:46ID:Ay+Us1Fj
京都は在日Bの巣窟だしな
その占い大当たりじゃん
0115人間七七四年2007/05/13(日) 00:56:48ID:bPWKEnvh
在日Bは人類では無いので除外。
0116人間七七四年2007/05/18(金) 21:29:08ID:ZQwKEip3
兵糧攻めって城内に畑作られたら効果減るな
0117人間七七四年2007/05/18(金) 23:04:51ID:IxtdJujk
場内に油田あったらどぅする?
0118人間七七四年2007/05/18(金) 23:13:51ID:X5p9jZUg
>>116
微妙な影響だなw
0119人間七七四年2007/05/19(土) 11:55:54ID:Dgfz712z
>>118
小田原クラスならもう100年は篭れるぜぇ
0120人間七七四年2007/05/19(土) 20:09:47ID:t74JKpvS
>>119
1年も籠れなかったのに?
0121人間七七四年2007/05/19(土) 21:01:41ID:jVlgGui1
>>120
やろうと思えばできたかも、、
説得に折れた感じだし
0122人間七七四年2007/05/20(日) 03:05:06ID:owOci0VS
籠城人数と耕作面積、収穫量、収穫期までの時間によるんじゃね?
0123人間七七四年2007/05/20(日) 17:21:59ID:OQDOOhFY
関東征伐のときに小田原に篭った人数は5マンだっけ?
大坂冬の陣で大坂に篭ったのが10マン、夏に集結したのが5マンだったっけ?
0124人間七七四年2007/05/20(日) 20:03:13ID:3nfA4q5L
WIKIとかに、305門の大筒による一斉射撃が12月16〜19日にかけて行なわれたとあるが
徳川方はイギリスから弾丸重量18ポンドのカルバリン砲4門、5ポンドのセーカー砲1門に加え、
オランダから33〜41ポンドのカノン砲12門を輸入して使ったそうだ
残りの砲は1貫百匁の芝辻砲が多かったんだろうか?
豊臣方もフランキ数門で反撃したんだと

しかしカルバリン砲は中口径砲とはいえなかなかでかい・・・最大射程は6300mだそうだ
これなら本丸まで届くな
オランダから輸入したカノン砲はさらに倍の弾丸重量(大型だからといって射程が長いわけではないが)

ttp://en.wikipedia.org/wiki/Image:Bronze_Demi_Cannon_Culverins_Pmoth.png
0125人間七七四年2007/05/20(日) 20:04:45ID:3nfA4q5L
あと興味深いレスがあったので貼り
けっこう日本も大砲を重視してたのかな?

186 :世界@名無史さん :2005/08/12(金) 01:13:00 0
1589年後北条氏は豊臣秀吉に対抗するため、
山田次郎左衛門ら領内の鉄砲鍛冶に発注した大砲は20門。
小田原攻めで秀吉が動員した大砲の推定総数は1000門超。
1614年大阪冬の陣12月16日に使用された大砲は305門だが、
国友村に対する徳川家による慶長12年から慶長20年までの
大砲の総発注数は947+α
大砲の原料である銅の当時欧州最大だったスウェーデンが
1632年リュッツェンの戦いで使用した大砲は何門だい?

それから、アルマダの海戦は悪天候によるイギリス版神風。
大砲を遠距離からバンバン撃ち込む近代的な海戦ではない。
また、アルマダ艦隊は海軍ではない。
0126人間七七四年2007/05/20(日) 23:06:58ID:Z8KTy34b
>>121
無理だよ。
仮りに城内を耕作することでカロリーをまかなえたとしても、
栄養のバランスが悪すぎてどうにもならない。
0127人間七七四年2007/05/21(月) 09:54:28ID:HnjkTeu7
>>126
三木城は2年も篭ってたからそこは何とかなるかもしれんが
精神攻撃で持たないかなやっぱ
0128人間七七四年2007/05/21(月) 10:42:16ID:E5UUgw1j
南宋の襄陽は5年間の攻防戦だったけど、常に包囲されていたわけじゃないか。
ちなみに近現代だとレニングラード包囲戦が約900日で死者はソ連の発表で67万人。
一説には100万人。独ソ戦はすさまじいな…
0129人間七七四年2007/05/22(火) 00:26:10ID:Ltwk3Hgb
モンゴル帝國のバグダッド攻囲はもっと死んでる可能性がある。
死者50〜200万という。
0130人間七七四年2007/05/22(火) 00:32:29ID:si/LPPmf
ソビエトのWWIIにおける戦死者2000万人は前人未到。
0131人間七七四年2007/05/22(火) 11:53:04ID:Ltwk3Hgb
モンゴルの中国侵攻前に5000万人弱だった中国の人口が
30年後の人口調査では900万人にまで減少した。
ブハラ、サマルカンド、バグダッドなど多くの大都市が大虐殺にあった中東でも
数百万人の死者がでたという。
0132人間七七四年2007/05/22(火) 12:01:02ID:Ltwk3Hgb
さらにバトゥのヨーロッパ遠征でも虐殺は酸鼻を極め、
キエフ公国の首都キエフは街自体が地図から消滅した。
現在ロシア白人の人種遺伝子の1割はモンゴロイドに由来するほどだ。
0133人間七七四年2007/05/22(火) 19:48:56ID:OpacGvl7
モンゴルは基本殺さない方針だったと聞いたが…。
0134人間七七四年2007/05/22(火) 23:23:16ID:R0NR5JY2
わかったからここでは遠慮してくれ
0135人間七七四年2007/05/23(水) 00:33:25ID:kczLu9x8
>>131
中国の人口激減は、戸籍から消えただけだろ。
0136人間七七四年2007/05/25(金) 08:29:45ID:R2SOSq42
>>127
三木城は毛利方が実力で強行した補給や支援があったから、数年保った。
自給自足で完全孤立ではありえない話。
0137人間七七四年2007/05/25(金) 09:14:59ID:4OuOH1Mh
>>136
そうでした 栄養補給はあったんだった
0138人間七七四年2007/05/25(金) 23:02:57ID:EJT6MHQh
精鋭数十名を率いて八丈島に籠れば幕末まで籠城できたかもね。
0139人間七七四年2007/05/25(金) 23:46:06ID:MljyzT+6
権威失墜もダメだろ
0140人間七七四年2007/05/27(日) 00:20:12ID:4JM9FQ2k
戦国時代ではありません板違いです。

移動お願いします。
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/history/1178617683/
0141人間七七四年2007/05/28(月) 22:43:29ID:UrOl1AdH
せっかく朝鮮出兵をしたんだから
遷都とかの名目をつけて朝鮮に移り住めばよかったのに
幕府もわざわざ外国まで追ってこないし
0142人間七七四年2007/05/28(月) 23:46:07ID:oRqLgqpy
伝染病天国の朝鮮に移り住むとか何て拷問?
0143人間七七四年2007/06/17(日) 20:40:16ID:MICmvFw3
夏の陣で毛利勝永が家康の前にいた部隊突破、真田幸村は松田忠直を偽報で振り切る
地図だけでみると伊達政宗と松平忠輝が幸村の近くにいるんだけど彼等は誰かと交戦中だったのですか?
真田と密約があってスルーしたってのは本当なんでしょうか?
0144人間七七四年2007/07/08(日) 13:20:29ID:elRWCJ+k






■サッカー:U17日本代表、PK戦の末韓国に勝利

2007年6月23日午後2時、天安総合運動場で8カ国国際大会(U17)3位決定戦が行われ、
日本代表は韓国と対戦、PK戦の末勝利し3位となった。前半24分、水沼宏太の
ゴールで日本が先制。その後、韓国はペナルティーキック
からゴールを決め1-1の同点としたものの、その後PK戦にもつれこみ、7-6で
日本が勝利をおさめた

朝鮮日報JNS
http://www.chosunonline.com/article/20070623000031













0145人間七七四年2007/07/29(日) 20:39:32ID:5eBCqSSs
0146人間七七四年2007/09/03(月) 03:13:16ID:U/AzcsPx
0147人間七七四年2007/09/06(木) 20:11:11ID:12Q+hNdj
規模は全然違うけど、夏の陣の大阪方って長篠の武田方を髣髴とさせるんだよなー
長篠では左翼山形、右翼馬場が信長本陣を迂回包囲の作戦。

大阪の役ではこのスレの住人なら言うまでも無いけど、
左翼から毛利勝永、右翼から真田信繁が正面敵主力を迂回して家康本陣に突撃。

徳川方が大阪方中央を撃破するのと大阪方両翼が家康本陣に辿り着くのと、どちらが早いかの勝負。
大阪方の意思統一がされてさえいれば、大軍であるために情報伝達・命令に時間のかかる徳川方よりも、
各個で戦闘する(しかない)部隊編成の大阪方が有利だよな。

いや、惜しかったよ。
0148人間七七四年2007/09/06(木) 20:28:28ID:P75Vauh6
それでも家康は逃げれそうだけど
0149人間七七四年2007/09/06(木) 21:16:33ID:12Q+hNdj
そうなんだよね・・
実際真田隊は辿り着いたけど結局は殲滅されたしね。
ただ、真田隊が突撃を繰り返す間に左翼からもう一隊でも急襲していれば
チャンスはあったと思うんだ。

まあ、どれだけ家康旗本を崩しても家康を討ち取れなかったら負け。討死しかないけど。
0150人間七七四年2007/09/07(金) 17:33:02ID:80rrW2Iq
開戦の発端となった鐘銘事件だけど、「家康」という諱を使ったから良くなかったわけだ。
格下の者が名で呼ぶのは現代でも失礼に当たるわけだし。
つまり、豊臣は家康に対して「お前なんてオレの格下だぜ」とタンカ切ったようなもの。
家康の名前使いましたがなにか悪いか?と当の清鑑和尚も言っているので、
決して徳川のイチャモンじゃないと思う。
0151人間七七四年2007/09/07(金) 19:31:05ID:1i/74S8M
>>150
釣りの気もするが、突っ込むべきは豊家の大イベントに清韓みたいな田舎坊主を起用したことだな。
あとは家康が鐘を残している点。
現代人の感覚ではかれるものではないが、呪咀をするつもりは実際にあったかもしれないし、そう見られてたかもしれない。
幕府側の対応は、敵意がないというなら、敵意のない証拠として三条件のどれかをのみなさない、という話。
無論政治には裏表があるが、豊家はすぐに戦の構えをしたから豊家にも問題があるといえばある。
0152人間七七四年2007/09/07(金) 20:20:28ID:80rrW2Iq
いえ、釣りではなく、真面目にそう思いますよ。

鐘銘事件が家康側のイチャモンだったら、そこは記録からは隠すはずでしょう。
それが幕府方の記録にも堂々とこの経緯が書かれているし、鐘も残しているから、
家康からすれば、
「豊臣家はこのように失礼なことをしてきたのであって、これがその証拠だ」
という意味合いで残したのでしょう。

俗説に言う「名前を切った」という文句は一切言ってなく、
「諱を使ったのが失礼だ」と幕府は抗議をしている。
それに対して清韓は帰国子女のような人で、そこらへんの感覚が分からなかったらしく、
「武家の諱はよく知らなかった」と言っているし「君臣豊楽」についても
「豊臣の繁栄を祈るのがなぜいけない!?」と噛み付いてきている。

当時名前は偏諱というしきたりも多く使われていたし、
蒲生賦秀すら、秀吉の諱を下に置くのを憚って「蒲生氏郷」と改名しているくらいですよ。
当時諱で呼んでいいのは上位者か敵対者のみ。
下の者が上の者に対して「諱」で呼ぶと「お前の下に着く気はない」と表明したようなもの。
0153人間七七四年2007/09/07(金) 22:48:12ID:8KY/VQsR
だから当時の書状などほとんどが、味方の場合通称か官途で
人名は出てくる。まあ、尾崎局の書状などでは「たかもと」と亡夫が
呼び捨てになっているが
0154人間七七四年2007/09/07(金) 22:58:55ID:80rrW2Iq
対外的には身内のことは卑下して呼ぶのが当時からの慣わしですからね。
現代でも、自分の会社の社長のことを対外的には「社長は留守です」とは言わずに
「○○は席を外しております」というものだからね。
0155人間七七四年2007/09/08(土) 01:24:53ID:NbPLQQwP
>>152
ああ、そういう解釈か。なるほどね。すまんな。
実際俺も豊家側にはなにもなかったのか、ということには疑問をもっている。
南禅寺や五山を出し抜いて清韓に頼むのがな。清韓は熊本からでてきたばっかで中央には幅が利かないはずだし。清正に可愛がられてたってぐらいか。何らかの理由はありそうだ。
それに俺的には実際豊家にも不穏な空気があった気がする。鐘銘事件も家康が遮二無二滅ぼすために難癖付けたというよりは、最終交渉の位置にあるんじゃないかな。
0156人間七七四年2007/09/08(土) 15:15:29ID:XfbCXk/U
>155さま
結局、豊臣側が鐘銘で公に徳川を格下扱いしたために、
徳川が怒って「格下はお前たちなんだよ」ということを突きつけて
「三条件の一つを受け入れて、臣従の証としろ」と言ったに過ぎないわけでしょう。
なのに豊臣は片桐を追放したり、浪人を雇い入れたりしたから、一気に戦争沙汰にまでなったという・・・
0157人間七七四年2007/09/08(土) 16:53:09ID:NbPLQQwP
>>156
俺も表向きはそんなかんじな気がする。
まあ腹の中では公に格下扱いをされたことに怒ったというよりは、家康が老年なのに、豊家側に牢人と結び付きそうな空気が合ったのを危惧したんじゃないだろうか。
豊家が牢人を集めはじめたのは当時の交通で延期申し入れからわずか二十数日。この反応がいくらなんでも急すぎる。
0158人間七七四年2007/09/08(土) 20:56:06ID:XfbCXk/U
うーん。
公で天下に「格下扱い」してきたのだから、それに対してだんまりしてたのでは、
面子が立たなくなるから本気で怒ったというのはあると思いますよ。
ただ、>155さまの言うように、大坂方の不穏な空気も見て取っていたでしょうから、
「この機会に、上下関係を徹底的に分からせる必要がある」というのが
鐘銘事件の真相ではないでしょうか。
0159人間七七四年2007/09/16(日) 21:56:25ID:Y03i9UOq
 
0160人間七七四年2007/09/26(水) 11:07:12ID:31EDB0gn
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0161人間七七四年2007/10/12(金) 14:22:32ID:ATPO9yA7
島津義弘も上杉景勝も立花宗茂も福島正則も
「長宗我部のように知行無くば加勢したいわ」ってのが本音だったろう
別に裏切りたかった訳じゃなく。

勝っても、豊家が単独講和して
逆に自分らの領地だけ攻め滅ぼされる可能性が高いし
0162人間七七四年2007/10/13(土) 17:52:53ID:LNhJkw0Q
関連スレ多いな
0163人間七七四年2007/10/15(月) 20:06:17ID:g4hYU42y
それにしても・・・大坂の本を見てると、陣容を見ると関東方の武将の「・・・」なこと
代変わりしちゃって全然迫力に欠けちゃってつまんない
苗字だけだとそれなりにいめんだけどねえ
生まれるのが遅かったと言われてる伊達政宗だけが
変に大坂に時期が合っちゃってるけど逆に違和感が否めないし
他に有名どころで40代ぐらいまでのはいなかったの?
0164人間七七四年2007/10/15(月) 20:09:28ID:g4hYU42y
ガーン

でも気にしない
0165人間七七四年2007/10/15(月) 20:32:33ID:ik81MIRm
>>163
大坂の陣での伊達の戦跡はとても褒められたもんじゃないけどな。
0166人間七七四年2007/10/15(月) 20:38:31ID:g4hYU42y
>>165
そうそう
だからよけいに寂しい
さすがあの伊達!・・・になってない
0167人間七七四年2007/10/15(月) 21:02:05ID:wZs2Jsaa
伊達政宗と戦ったことは、敵方にとっては箔がつくことであり、名誉なこと。
おかげで上杉や真田らは、後世に名を残すことができたといってよい。
0168人間七七四年2007/10/15(月) 21:03:46ID:UscSGUNV
あげるな下郎
0169人間七七四年2007/10/15(月) 21:40:10ID:LCSv9ObA
>>163
人材枯渇で家康も、方面軍の大将を決めるのに困ったようだ。
また井伊軍の派手な若武者たちをみて、武田信玄の遺風が衰えたもんだと嘆いたとか。
0170人間七七四年2007/10/15(月) 22:14:56ID:saiezV9Z
>>165
伊達家では左門が活躍した。何故悪い評価なのさ
0171人間七七四年2007/10/15(月) 22:27:08ID:7MdprLS3
>>170
1. 味方に鉄砲一斉射
2. 道明寺合戦で1/8の兵の後藤基次隊に劣勢。なんとか撃破するも、
今度は援軍に来た真田信繁・毛利勝永らとの誉田の戦いでは押し戻される
0172人間七七四年2007/10/15(月) 22:30:02ID:g4hYU42y
上の方にもあったけど
関が原からの時間差が兵力の質の低下を招いたのは間違いないよね

黒田長政は何やってたの?
0173人間七七四年2007/10/15(月) 22:34:53ID:7MdprLS3
追加
3. 天王寺合戦ではなにもせず。茶臼山から家康本陣に向けて突撃した
真田信繁をただ見ていただけ。

>>172
冬の陣では江戸で留守居役。夏の陣は秀忠の陣の前に陣取っていたらしいけど、
詳細不明
0174人間七七四年2007/10/15(月) 22:39:58ID:B4wwtWAZ
>>169
井伊は家康にぼやかれている程ではない
かなり突撃バカではあるが、これは両軍共通。
0175人間七七四年2007/10/15(月) 22:40:05ID:g4hYU42y
>>173
黒田ほどの人物が戦況を眺めてただけなのかな
それとも何か理由でも・・・
0176人間七七四年2007/10/15(月) 22:51:29ID:ik81MIRm
>>174
井伊直孝は
夏の陣…真田丸に突撃して大損害
冬の陣…木村・長曾我部を打ち破り、秀忠本陣を救援
ってことで、大失敗はしたものの、功を挙げているものね。
とはいえ、やっぱりバカだけど。

>>175
秀忠は大野治房隊に突撃喰らっているんで、黒田が秀忠の前に
陣取っていたとしたら、それこそなにやっていたんだろうという感じになるんだよなぁ。
0177人間七七四年2007/10/15(月) 23:43:49ID:saiezV9Z
>>171
2と3は納得…
1は証拠がないはず
あれ?でもさ伊達家だけで8もあんのか
0178人間七七四年2007/10/15(月) 23:50:20ID:ik81MIRm
>>177
伊達だけだと約1万だから、後藤隊の約4倍といったところ
0179人間七七四年2007/10/15(月) 23:56:07ID:LCSv9ObA
>>176
家康は徳川譜代・直参に手柄を立てさせようとしたから、外様を後方へ遠ざけたといわれている。
0180人間七七四年2007/10/16(火) 00:04:02ID:eJ/JbZHb
黒田伊達に計300万石超与えて他界でもすればまた関が原だな
0181人間七七四年2007/10/16(火) 00:08:36ID:meGyoHpf
>>173
あれは真田の姫と引き替えの密約ですよ
0182人間七七四年2007/10/16(火) 00:24:49ID:kkgm5sWa
>>179
そのわりに、前田は先鋒だし、藤堂は二番手だし、伊達は茶臼山に正対
しているし…
0183人間七七四年2007/10/16(火) 00:42:24ID:hEei1B8o
>>181
ギャグかよ
妄想で評価されんのは嫌だ

>>178
しかもそのなかの重綱率いる分だけ
伊達の面子は揃ってない
0184人間七七四年2007/10/16(火) 01:32:19ID:kkgm5sWa
>>183
ん? 伊達本隊も参加しているんじゃないの?
参考 ttp://tikugo.cool.ne.jp/osaka/kassen/domyoji-1-k.html

少なくとも道明寺方面の主力だったことと、真田信繁・毛利勝永には攻め
切れなかったことは確かだし、実話かどうかは不明だけど「関東勢百万と候え、
男はひとりもなく候」と嘲笑されたという逸話の対象だったことも確か。
0185人間七七四年2007/10/16(火) 02:13:40ID:fg9SyTXA
>>182
最終日の合戦(家康本陣への突撃があった日)のことだよ
前田は先陣だったけど、外様を1人も前線へ出さないというのも変だろう。
0186人間七七四年2007/10/16(火) 03:09:01ID:kkgm5sWa
>>185
最終日は岡山口で第二陣のはず
ttp://upload.wikimedia.org/wikipedia/ja/b/be/%E5%A4%A7%E5%9D%82%E5%A4%8F%E3%81%AE%E9%99%A3.png
なので、家康本陣が真田信繁・毛利勝永に蹂躙されたとき、岡山口から救援に向かえた。
0187人間七七四年2007/10/16(火) 06:42:33ID:ydUlmUpT
>>184
>参考 ttp://tikugo.cool.ne.jp/osaka/kassen/domyoji-1-k.html

このHP(講談だらけ)など引用してる時点で馬鹿。この巻頭の年表も嘘だらけだしw

1601年4月26日 上杉家の家臣・本庄繁長、伊達政宗軍を破る(←w)  
1601年5月4日 黒田孝高、家康から所領と官位の昇進を勧められるが辞退する  
1601年5月24日 政宗の支援を受けて領地復興を画策していた和賀忠親が
南部利直に敗れて自害する(←w)
0188人間七七四年2007/10/16(火) 09:45:29ID:fg9SyTXA
>>186
先陣の命は、前田利常に出されていた。
ところが越前・松平忠直に、勝手に先を越されたww
0189人間七七四年2007/10/16(火) 17:23:55ID:X5dHzdUP
>>184
おかしいって気付けよ
家臣の数から考えても混雑の中合流すんのは大変。
簡単に動かない。

政宗位の立場だと下手に動けない。
どっち付かずで正解。十分やっていける力があるし。
0190人間七七四年2007/11/26(月) 00:13:57ID:qok/eTJl
0191人間七七四年2007/11/26(月) 01:58:38ID:lKyzlQIz
豊臣秀吉と蜂須賀正勝が生き返って、冬の陣前の大坂城に舞い戻れば大逆転はありうるのか
0192人間七七四年2007/11/26(月) 07:20:01ID:6mkgeh70
頼みの前田も死んでるし、八郎も八丈島だし、
輝元も二ヶ国の地方大名だし、景勝も既に力がない。
今更は太閤はねーよ、って雰囲気かな。もう息子、孫世代だし。
三成については誉めるかもしれん。
0193人間七七四年2007/11/26(月) 12:50:42ID:W/vnSAiT
まあ福島正則ぐらいは西側につくか
加藤、細川、池田、前田、黒田はどっぷり徳川体制につかっているから無理
0194人間七七四年2007/11/26(月) 13:22:17ID:u04otHMK
福島正則と加藤清正は死に場所見誤ったね
大坂城で死んでたら、もっと評価上げてただろうな
0195人間七七四年2007/11/26(月) 17:45:41ID:vc7CZ1Kv
いまだに黒田長政が江戸でステイさせられてたのがよく分からない
0196人間七七四年2007/11/26(月) 17:59:39ID:ybzP3pPI
>>194
福島はともかく加藤は死んでる
0197人間七七四年2007/11/26(月) 18:53:16ID:i0v9l9fr
関ヶ原で大手柄建てたし、それでまた活躍されたら恩賞として
領地を増やさなきゃいけなくなるし
そうすると黒田の勢力が強くなり
後々江戸幕府の敵となることを恐れたんじゃない
長政自身は親徳川だけど力を持たせたらどうなるか分からないし
程ほどの立場に置いておくのが1番だろう
0198人間七七四年2007/11/26(月) 20:11:32ID:W/vnSAiT
大坂の陣の時、既に家康は老齢
出陣準備中に家康が急死したら史実よりは多少面白味のある展開になったかもね
0199人間七七四年2007/11/26(月) 20:14:08ID:31z6soQm
影武者で誤魔化すと思うよ
0200人間七七四年2007/11/26(月) 20:55:47ID:DJZKnSxD
>>197
大阪の陣は、大名達にとってはもう天下普請みたいなもの。
幕府のお役にたって当り前、恩賞云々を言い出せる関係にはすでにない。
一族の忠直にさえろくに賞してないし。
0201人間七七四年2007/11/26(月) 20:56:55ID:7xSZ9xlX
>>197
怖かったのは“あの”親父の方だから長政はどうなんだろう

それと家康ほどの策謀家だったら大坂で活躍しても
なんだかんだ上手いこと言って大して加増しない可能性もありかと
0202人間七七四年2007/12/01(土) 00:35:09ID:Oc8Cgefr
立ち読みしたら
冬での黒田の江戸滞留は、関が原後になぜか豊臣に接近したせいで、
徳川から疑いをかけられたと書いてあったが
なんかやらかしたの?なんで関が原が終わった後に?

それがあったことで夏前に徳川に貢物をしたおかげで
なんとか夏には大坂に行くことを許されたとか
ただし秀忠の部隊の中の一部として

なにやってんのよ長政
他に何か説あり?
0203人間七七四年2007/12/06(木) 04:14:29ID:4ewsNgi4
>>202
豊臣方の謀略もあったかも。
それに長政とて、あの親父にしてこの子ありで、中々の腹黒者だったとも
聞くしさ。
何せ親父さんはご存じの通り、関ヶ原の折りに九州平定狙った男だよ。
その際、東軍側だった息子・長政に「何で関ヶ原を早く終わらせた!」と
怒っちゃったぐらいだから、黒田家の今後について何か策を与えていて、
それが徳川にばれちゃったのかも知れないね。
これも諸説紛々だけどさ。
0204人間七七四年2007/12/06(木) 13:50:32ID:IrnXznJS
家康が死んでも秀忠体制がかたまりつつあっただろうから動静はゆるがなかっただろ
万に一つもの望みはない。裸城で滅亡寸前、どうしようもなくなってた夏の陣は特に
0205人間七七四年2007/12/11(火) 21:18:08ID:2POn6HFc
大坂の陣の恩賞として加増を受けたのは本多忠政・忠刻父子、松平忠明、藤堂高虎に数万石程度。
0206人間七七四年2007/12/11(火) 21:25:20ID:cC+hYYdc
竹中平蔵【びんぼうゆすりみたいな状態】になる

インタビューで竹中の担当の読売新聞記者が全裸で穴にバイブを入れたまま殺された?自殺した?ことなど
を、全部竹中にぶつけると【びんぼうゆすりみたいな状態】になった。

9.15 リチャード・コシミズ東京講演会 全編 (3時間24分)
【びんぼうゆすりみたいな状態】になった話は16分から
http://www.asyura2.com/

もと総理が過去に3人を殺した話もでてくる
0207人間七七四年2007/12/25(火) 05:59:58ID:3sP62fxk
久々に爆笑したw

▼△▼茶々 ―天涯の貴妃(おんな)―▼△▼   
http://hobby10.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1196318826/69

69 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2007/12/22(土) 00:16:44 ID:lXuI3z16
結構笑えますよ。あくまでもフィクションとして楽しんでください。
真面目な歴史映画だと思って見に行くと失敗しますのでお気を付けください。



-----------------ネタバレにつきご注意ください--------------------
-----------------ネタバレにつきご注意ください--------------------
-----------------ネタバレにつきご注意ください--------------------










・大阪の陣が夏冬と分かれていない
・開戦前に最後の講和条件を出した家康の本陣に、秀頼と茶々が直接馬にのって数騎で現れ喧嘩を売る。
・血気盛んでイキりキャラ、啖呵きりまくって福島正則みたいな秀頼
・お江が何度も直接家康にくってかかる
・死ぬ直前の家康のくせに顔色も肌のハリツヤも良く、動きも機敏。
・秀頼が勢いよく単騎出陣し、爆破の嵐の中、敵陣へ駆け抜けていく
・味方の日雇い武将に優しすぎる茶々
・天守に近すぎる真田丸(真田の陣)
・全くキャラが立ってない後藤基次が意味なく登場し、速攻で討死(開戦後いきなり道明寺?)
・歯並びが悪く、無表情で口を開けば宝塚男優口調の茶々
・大阪城が爆発炎上しているのを見て涙を流して「負けた・・・。」とつぶやく家康
・幼い頃の千姫の歯グキ(ドラマ実写版ホタルの墓の子役の女の子)
・炎上する城を包む炎の縮尺に違和感があり、模型の大きさが想像できる
・鴨居より背が高い秀吉



0208人間七七四年2007/12/27(木) 01:30:14ID:2mFM+FNo
マジ意味分からん映画だな、結構お金かかってそうなのに
0209人間七七四年2007/12/30(日) 22:50:36ID:FIVeUGKR
>205 殿
あと、水野勝成も追加(三河刈谷三万石→大和郡山六万石)。
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